1983年春、東京から西鹿児島まで普通列車の旅⑤

夕方から夜にシフトチェンジしていくわけであるが、広島から一気に小郡(現・新山口)までのりかえ無しで便利であった。だが、ある意味逆にエコノミー何とかになりそうなくらい精神的に修行に近い何かを感じずにいられない。これから予定では5日間の行程で旅籠にも身を寄せず、ただひたすらに車中泊なのだから帰郷まで持つかどうか不安になる・・・なんて事は無く、当時中学生の私に不安など全く無し!むしろ期待の方が大きかった。
小郡で39分の待ち合わせでいよいよ門司へ。1978年に寝台特急「富士」で訪問して以来の九州である。そして普通列車では初の九州入りであった。もちろん、下関や門司で機関車の交換はないので停車時間も少ない。

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こちらは2011年訪問時の門司港であるが、1983年当時とほとんど変わらない。その理由は皆様の方がよくご存知であろう。この日は小学生の社会見学か修学旅行と思われる団体と遭遇。

さて、既に紹介しているが、門司より門司港へ向かい、門司港より夜行普通列車「ながさき」に乗車・・・そこが今夜の「旅籠(はたご)」になる。そう、私は当時の夜行普通列車「ながさき」の乗車は単なる「旅籠」に過ぎず、ある意味その「ながさき」の価値や素晴らしさがわからないまま「旅籠」として利用していた。そう、あくまで目的は鹿児島交通制覇であったのだから。今考えたら実に子供的であり少年的な考え方であった事だろう。皆様はどういう印象を持たれたか・・・でもやはり、事情はどうあれ「ながさき」に乗車できた事は私にとって「財産」かも知れない。

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こちらは「maatan」様提供の夜行普通列車「ながさき」。今思えば、とても贅沢な旅であったと思う。何せ、このような夜行列車を「旅籠」として利用してしまうのだから・・・

「旅籠」として今夜は「ながさき」にお世話になるが、考えてみたら東京を23時半頃出発して門司港に到着したのは22時頃・・・なんと。まる1日列車に揺られて九州に到着した事になる!!普通列車だとこんなに時間を費やすのか・・・いや、そうではない。焦点を変えて見ると普通列車だけで東京から九州にやってくるという事は実に「大いなる発見」がある。そして先述通り、もちろん精神力や体力も必要となる。だが、そうした苦労を経て到着した門司港のホームに降り立った時、ものすごく旅の醍醐味を感じた・・・と言うのは表向きの表現で、本音を言わせてもらうと「ながさき」の座席を確保しなければ・・・何番線?みたいな感じであった。大垣夜行の「3時間待ち」の印象から、今回は1時間しかない待ち時間に不安が募っていたので「早く早く!!」みたいに「ながさき」の出発ホームを確認したかった。

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門司港では「ながさき」の出発時間までやや時間があったので他のホームの「勇姿達」を収めていた。この写真は以前にも紹介しているのでご存知の方もおられよう。被写体の主役「有明」の横には、夜行急行列車「かいもん」が停車している。

結論から言うと・・・18シーズンにも関わらず、余裕で座席を確保できる環境であった。極端に言えば出発5分前でも十分に座れる内容であった。それは、北九州ではちょうどその頃帰宅時間帯なので博多までの間にどこかしら席が空くという計算があるという部分もあるが、更にレールファンの姿もそれほど見かけなかったのがいい意味での誤算であった。そんな列車に乗りながら「ながさき」に乗り長崎行に乗車する。あれ?ちょっと待った。お宅、西鹿児島まで行くんじゃない?そう、もう既にこのブログで散々紹介しているので古くから私のブログをご覧なされている方はもうお分かりであろう。途中の肥前山口で上り「ながさき」にのりかえ、更に旅籠の役割を深く、そして濃くするのがこの旅の重要部分。あくまで「ながさき」は「旅籠」でなければならないのだ。それが中学生時代の私の旅の方程式であった。



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1983年春、東京から西鹿児島まで普通列車の旅④

姫路で40分近く待ち時間があった。せっかくだからと播但線の飾磨港線を乗りたいと時刻表を計画段階で見ていたが、朝1本、夕方1本しか列車設定がなく、こちらも乗りつぶし泣かせの路線であった。というより播但線とは全く性質が違い、しかも山陽電気鉄道とほぼ並走しているため利用者はそう多くない。しかも気動車の単行がコトコト走る記憶であったので尚更乗車意欲をそそられる。結局制覇できないまま現在を迎えてしまい勿体無い思いであるが・・・「後髪ひかれ隊」的な思いを胸に姫路を後にして更に西へ向かう。

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まさか「18」の旅紹介で新幹線の画像を載せると思わなかったが・・・というか、旅をするならこちらが定番であるのが一般的だが、普通列車のみでの旅はいろんな発見があると同時に自分との戦いの場面も少なくない。

岡山・・・大きい、広島・・・でかい。駅の規模、利用者、乗換えなど、あらゆる面での要衝であり、中国地方の中心的存在でもある。そして何と言っても新幹線が実にいい働きをしているが、東京~新大阪間に比べこの西の新幹線はやや苦戦を強いられている。
ある鉄道アナリストによると「新幹線三時間説」というのがあるらしく、目的地まで4時間以上かかると敬遠されてしまう率が高くなるという。その理屈だと、東京を基準に考えた場合だと大体岡山くらいか。かつては「弾丸列車」「夢の超特急」などと言われオリンピックや万博などでそのパワーをいかんなく発揮してきたが、最近では「ライバル」の台頭や環境の変化など、様々な対応を求められている。だが、普通列車に乗っているとそんな難しい理屈やしがらみなどを忘れてしまう・・・「生活」という名の普段がゆっくりと進行していく空間に「普段」ではない私が身を置いて「普段」を感じる・・・当時中学生の私に「18」はそんな事を教えてくれた。

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恐らく岩国であった記憶である山陽本線の普通列車。東海道線では見慣れた車両であるが、塗装ひとつで印象がこうも変わるもかと思う。

そんな「生活」を感じながら旅が進行していくわけであるが、広島に着いた頃には既に帰宅ラッシュが始まっている時間帯であり、そう易々と「生活」を感じている余裕は無い。というより生活感がにじみ出すぎて座席は確保できているが常に相席のためエコノミックな姿勢を常に強いられる。そしてそんな中で駅名標に向けシャッターを切る自分が妙に周囲に溶け込んでいない。そう、レールファンは常に孤独な存在なのであろう。

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画像はウィキより。近年では先述した117系が山陽地区でも活躍していた。本当に塗装ひとつで印象が変わってしまうものであるが、製造開始からすでに30年以上経過し、そろそろ「思い出の車両」になってしまう時期であろう。だが「名車」である事には変わりない!

岩国から快速運転になり主要駅のみの停車となるが、途中、岩徳線はかつての山陽本線であったのは周知の事であろう。だが、私の持っている切符は「18」であるためどちらを経由しても運賃計算のルールは完全に皆無だ。「特例区間」も所有している切符によってはあまり意味のないものになってしまうのも意味深であるが、当時の中学生の私にしてみたらそんな事考える能力も無かった。だが・・・そう、金はないが時間はある。学生の特権である季節ごとの長期休暇を大いに利用すれば全国制覇も夢ではない!などと大きな決意を胸に、更に西へと向かったのであった。


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1983年春、東京から西鹿児島まで普通列車の旅③

「ムーンライト」とは違った夜行列車の旅となる大垣夜行を体験した私であるが、やはり現在の形である「全席指定」の方が一般的には伝わりやすいかも知れない。であるが、このアナログ的な大垣夜行もまたいい味を出していたと思う。なぜならそれは普段は「東海」など、急行列車でしか乗れない165系の運用であったから何となく得した気分になるからだ。などとカッコいい事言いながら、実は当時かなりの苦痛や苦戦をしていたかも知れない事は、ある意味いい思い出にしておこう的な事象として、確か私の記憶では小田原辺りから快速列車になり主要駅のみの停車であった。そして浜松辺りより再び各駅停車になる。というか、この大垣夜行を乗っているとわかるが、東海道線は何かと深夜の貨物列車が頻繁だ。静岡や浜松でやたらと貨物列車に抜かれるシーンを、当時を経験なされている方ならご存知であろう。そう、「フレートライナー」と大垣夜行は切っても切れない縁であった事を。深夜の東海道線は、やたらと貨物列車の宝庫でもあるのだ。

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名古屋方面への到着時間調整のため、東海地区は快速運転になるものの、静岡や浜松での停車時間は長い。そのためやたらと「フレートライナー」に抜かれる。画像はウィキより。

記憶にはないが、恐らく静岡、浜松以外の駅でも何度となく抜かれているであろうが、それは名古屋でも多分あった事象かも知れない。そんな名古屋でかなりの乗客が下車するが、その先を目指す乗客もかなりいる。座席は空いたが、それまでの立席客が空いた座席にすわるし、名古屋からの乗客もそれなりにいるため列車内の相対密度の数学的いたずらはそれなりに変化無い事であろう。

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東海地区の要衝駅である静岡。大垣夜行の停車時間が長く、名物の駅弁売りがあった。ちょうど深夜未明の時間帯に果たして・・・と思われるであろうが、いや、これがよく売れるらしい。確かに夜行列車では未明の時間帯に突然の空腹がやってくるのは皆様も経験がお有りであろう。

さて、そろそろ大垣に着く時間帯になる。私は大垣より更に東海道線で西へ進むため大垣で乗り換える・・・もうお分かりであろう。「ムーンライトながら」の時代になっても全く変わらない現象・・・そう、いわゆる「大垣ダッシュ」だ。つまり西へ進むために乗り換えるのであるが、皆同じスケジュールであろう方がほぼ9割9分を占めているため、乗り換える下り東海道線普通列車に向かう黒山が跨線橋へ続く。我先へと座席確保に命を懸けるため熾烈な争いになる。この光景だけは今も昔も変わらない。と言っても夜行普通列車自体が定期便から姿を消してしまったが・・・

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関西地区に次いで東海地区にも登場した117系。転換式クロスシートで独特の乗り心地は現在の313系とはまた違った雰囲気。

あえて「新快速」に乗らず普通列車で神戸へ向かったのは「いい旅チャレンジ20000km」の証明写真を撮影するためであったが、それより後続の列車に乗っても新快速に乗っても岡山に着く時間は同じであった。すぐののりかえで西へ向かう新快速に乗っても西明石止まりのため、結局後続の普通列車に乗り換えなければならない。意外に西のダイヤは「新幹線にのってもらう」ように組まれている感じがしてならないのは気のせいか・・・
そういえば、新快速は当時新鋭の117系。185系と同じくらいの時期に登場して、更に私は同じ時期に関東より脱出する旅を始めたばかりだったので、こちらも非常に思い入れがある。つい最近の近年まで東海方面や広島方面で乗車した時は懐かしかった。そして転換式クロスシートのため、当時の185系と類似してる部分もあり、乗ってて楽しい。最近では伯備線で乗車したが、真っ黄色なペイントだったのでやや違和感。やはりあのクリーム色と茶色の2色塗装が一番お似合いであろう。


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1983年春、東京から西鹿児島まで普通列車の旅②

さて、東京から「大垣夜行」で西を目指す私は、相模線・西寒川駅の最終列車で東京に向かった。茅ヶ崎で東海道線にのりかえ東京に行くのであるが、当時は散々上野などに特急列車などの撮影に行っていたため勝手は知っている。であるが、それは日曜の朝、上り列車に乗るという風景しか知らないため、夜に乗る東海道線の上り列車が何気に新鮮であった。通勤時間帯的に言えば、夜の上りは逆方向のためある意味国鉄(当時)に貢献している事になろうが、それでも立ち席で東京に向かう事になる。途中、横浜辺りで乗客が入れ替わるため座席を確保できるが、そんな事より、この時間帯に東京に向かうという事がいつになく「旅をしている」という意味で新鮮であった。恐らく、そういう感情的な部分を「中学生」というこの時期に体験してしまった事が現在の私を築き上げた事であろうといっても過言でないくらい、今でも夜の時間帯の上り列車は、震えがくるくらい「旅している」という感覚が玄関を出てすぐの状況で味わえるのができるという自分に幸せを感じる。

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画像はウィキペディアよりの165系大垣夜行。18シーズンには常に満員御礼であり、通路には立ち席客が多くいるほど。

ワクワクしながら東京に着いたが、ここで早速「3時間待ち」の洗礼。というより今回は、私が所属している学校のクラブ活動「鉄道研究クラブ」の部員1名と2人旅であるため、パートナーをひとり行列に残せば自由にホームを散策できる。そう、もう既に旅は始まっていて興奮状態であるのだ。というか、この「3時間待ち」も、この部活で覚えた「知恵」である事はこのブログで散々紹介してきたが、それでもこの部活が「特殊」であるのは今になって肌で感じる。果たして日本全国、中学校に「鉄道」を名乗る部活がいくつあるのであろうか・・・冷静に考えたら私はある意味恵まれた環境に育ったのかも知れない。

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私はどちらかというとこちらの153系が好きであった。東海道線では急行「伊豆」で運用されていたが、関西方面では「新快速」として活躍していた。そして「大垣夜行」も165系以前は153系が使用されていた。画像はウィキペディアより。

という事で、3時間待った結果当然ながら座って大垣まで向かうことが確定されて喜びを隠せずにいたが、当然ながらリクライニングができず、しかも4人席のボックスシートのため仮眠には相当の努力が必要となる。私たちは2人組のため、当然ながら「相席」になるが、それでも座れることに価値がある。165系・・・昭和生まれなら実に懐かしい響きであろう。現在は臨時ながら185系である「ながら」に時代を感じるが、そういえばこの大垣夜行を私が乗車した時期が185系のデビューしで間もない時期であるというのも何となく感慨な思いである。

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そしてこちらが現在使用中の「ムーンライトながら」に使用されている185系。写真は伊豆急下田に停車中の「踊り子」で代用させていただいたが、現在は臨時便に格下げされてしまったが、18シーズンには重宝する。しかもリクライニングシートで全席指定というのが画期的。東京駅で3時間待って座席を確保するという面倒な手間は解消されて久しい。

そんな思いを抱きながら東京を後にする165系は実に良い!既にこの時で2回目の大垣夜行であるが、やはり地元の茅ヶ崎辺りに来てもいつもと違う風景!素敵でたまらん!!と、興奮状態のまま、記憶は静岡辺りであったと思う。静岡では「べんと~うっ」の声がホームに響き渡る。そう、当時は名物の駅弁売りだ。恐らくそれは「ムーンライト」時代も続いていた事であろうが、この深夜の時間帯の「べんと~うっ」はある意味心強い「味方」であった。そう、夜行列車に乗っているとこの深夜の時間帯には必ずと言っていいほど腹が減る!というか、ある意味「お約束」的な現象であろうが、当時を知るものであれば誰でも一度は経験する事柄かも知れない。であるから当時、この静岡の弁当売は大変貴重な存在であったろう。


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1983年春、東京から西鹿児島まで普通列車の旅①

いよいよ「18」シーズン真っ盛りとなった。私も「18」フリークとして季節柄、過去の「18」の旅を紹介してみようと思いPCに向かった。今回は東京からはるばる九州向かった時の旅であるが、既に紹介している1983年春の旅の中で登場する旅で、当時私は東京から普通列車のみで西鹿児島まで行ってしまった。当時は中学2年~3年へのステップアップの時であった。乗車券は・・・もちろん「青春18」であった。当時、廃止情報が流れた鹿児島交通制覇のための旅であったが、今考えたら普通列車のみで鹿児島まで行くとはかなりの無謀者!と自身を評価してしまうくらいとんでもない事であった。というか、若かったからできたのであろう。今同じことをやってみろと言われても、おそらく無理かも知れない。そう、誰かの歌ではないが「若いうちはやりたいこと、なんでもできるのさ~」的な事は、自身がまだ若かった頃は実感としてなかったが、今の私ならばかなり実感として感じる事ができる。

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既に何度も登場している写真であるが、それこそ今回紹介の旅で使用した「18」である。ただ、日付的に若干ずれているが、いずれにしてもこの切符が前年の春に登場して以来、実に画期的な事であった。そして日本全国のレールファンの間で旅の手段としてのバリエーションが広がり、更に増えた事であろう。

東京から鹿児島へ行く場合、完全に飛行機の場合の方が料金・所要時間ともに軍配があがるであろう。ただ、それはあくまで「移動手段」としての評価であって、たとえば「旅」という観点から考えた場合どうなるであろう。そんな答えを探すべく、今回この旅を紹介してみようと思った。もちろんこの記事がアップされる季節を考えた場合、青春18が「旬」を向かえているという部分もあるが、改めて若かりし自分と再会してみようとキーボードを叩いてみた。だが、若いレールファンには馴染みの無い駅名や聞きなれない列車名が出てくることであろうが、その点はお許しいただいて「昔の鉄道」を知るきっかけとなってくれれば幸いであると思う。そんなわけで、私の「18」を紹介してみよう。

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現在でいう留萌本線や日高本線一部区間のように、世間的に廃止情報が流れていた鹿児島交通。私の訪問日は1983年3月31日、つまり廃止情報によるとちょうどこの日が廃止予定日であった。だが、現場に着いてから廃止が延期になった事を知る。

前述したが、私は廃止情報が流れた鹿児島交通をひと目見ようと西へ向かった。当時私は中学生であったので親の支援に頼ったが、それでも「18」は経済的に旅ができる。というか「18」がこの世に登場して約1年あまりでかなりその名は浸透してきて、というかむしろ我々にとっては旅の「主役」的存在にまでなっていた。そしてその主役を最大限にフォローするのが夜行普通列車の存在である。東海道線の夜の主役と言えば当時は「ブルートレイン」であるが、その影に隠れて地味ではあるが眩しい存在の「大垣夜行」があった。つまり普通列車でありながら夜行列車であるこの存在は、当時の「18フリーク」にとってみればとても重宝した事であろう。現在でいう「ムーンライトながら」であるが1983年当時は名称も無い夜行列車であった。つまり全席自由席!という事になる。確かグリーン車が連結されていた記憶なのでそちらは指定席になるのかどうか記憶が薄いが、とにかくこの夜行列車に座るには東京駅で3時間くらいホームで待つしかない!現在では考えられない事であるが、当時はこんな事が18シーズンでは常識であり、そしてそんな常識を「18」が私に教えてくれた。

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私のブログにおいてはお馴染みの風景。1970年~1980年代の旅の出発点はもちろんここ、西寒川であった。恐らく、西寒川にこだわりを持ったブログを公開しているのは日本全国探しても私が唯一であろう。とは言え、私の小学校・中学校時代を振り返れば、かなりの数でレールファンが潜在的にいた。だが、それでも西寒川の存在って地味であったと感じる。それは私ほど周りは騒がしく無かったからだ。

私は神奈川県民であり、そして最寄駅が当時は「西寒川」であったので、普通なら茅ヶ崎からの乗車が常識であろう。が、座って大垣まで行くのなら東京まで出なければならない。そんな常識はずれの夜行列車は165系であるためリクライニングなどはできないが、それでも当時は座席を確保できた時の喜びは人一倍だ。そんな話、若い世代の、もっと言ってしまえば平成生まれのレールファンはどういう印象を持たれるであろうか・・・そんな列車に乗り、私は西鹿児島を目指したのであった。


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プロフィール

ダイヤモンド☆トナカイ

Author:ダイヤモンド☆トナカイ
所在地:神奈川県湘南地区

〇2013年6月11日、北陸新幹線長野駅にてJR全線制覇いたしました(当時)。
国内の鉄道は、沖縄の「ゆいレール」を残し全線制覇しました。(とは言うものの、2015年3月の北陸新幹線延伸によりJR全線制覇は「ベルト返上」しました)

★ ブログ記事の「リメイク版」は、以前にホームページで紹介した旅日記をブログでリメイクしたものです。


◎ブログの登場人物

★ ダイナミック☆トナカイ
・・・中学時代の後輩で、2013年に約30年振りに再会を果たした。数多くの写真を提供していただいた「盟友」でもある。

★ おさる・・・かつて私がバンド活動をしていた時のメンバーで、鉄道復活のきっかけを作ってくれた人物。彼とは「秘境駅」を数回訪問した「親友」でもある。

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