1983年・春<青春18>⑦

深夜の豊岡で夜行普通列車「山陰」に乗り換えるという、とんでもない計画を組んだ私だが、豊岡から乗る、というマニアックな方法は他に考える人は多くなく、結局「満員御礼」の列車では座席確保ができず、出入口のデッキで一夜(というより3時間くらいであるが)を過ごすこととなってしまった。当然寝ることはできず、相方には申し訳ないことをしたが、京都着5時24分、5時28分発の東海道線に乗り換えるため「ダッシュ」するのにはデッキにいるのは好都合であった。

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そして東海道線を乗り継ぎ茅ヶ崎まで向かうわけだが、当然東海道線内では爆睡・・・乗換駅付近ではまるで自身の頭の中に目覚ましでもセットされたかのように目が覚め、そして乗り換える。その繰り返しで寒川に付いたのが16時57分、つまり夕方5時頃だ。このころには既に頭の中は「風呂」「布団」の文字が掠めており、家に着くと久々の「快楽」を味わった。

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さて、2回に渡り「青春18」の旅を紹介してきた。私の旅の記録をご覧いただきありがたく思うが、何かお気付きになられたのでは?そう、私の紹介してきた旅の文章には「どこどこから乗りどこどこで降りた」や「こんな列車に乗った」という表現がほとんどである。以前に紹介した東北乗り潰しの旅もそうだが「乗った」「降りた」の表現しかない。つまり、当時の私は「乗り潰し」のみに情熱を注ぎ、その路線ひとつひとつの「文化」や「景色」、もっと言えば「歴史的背景」をほとんど触れずに旅をしていた。つまり「中身」があまり無かったと思われるため、個々の印象が薄い。果たしてそれが良いか悪いかは別として、なぜ私はここまで鉄道に拘るのか?と自分に問うたことがある。私は物心着いたと時から鉄道が好きであった。それから20年以上のブランクはあるものの再び鉄道と触れ合う時間ができた。先述したが、これからも鉄道に触れ合っていくことであろう。

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某ロックアーティストの著書にこんな発言がある。「方向性を見失った時、人間は一番苦しい。俺には音楽があった」と。もし音楽という言葉を「鉄道」に置き換えるとすれば、自ずと「ヒント」が見えてくるような気がする。某ロックアーティストは既に還暦を過ぎているが、今もなお「現役」だ。インタビューなどでよく尋ねられる。「なぜ音楽を続けるのですか?」・・・音楽を続ける理由。「ミック・ジャガー、ローリング・ストーンズ、もう70歳近くでもやってます。なんで音楽を続けるのか?もうやめないんです。地位も名誉も、そしてお金も手に入れた。なのにやめないんです。なんでか?それには音楽と常に触れ合っていたい自分がいるんです」。つまり「自身の好きなことを続けるのに<理由>は無い!」という事だ。好きだから歌い続ける・・・好きだから列車に揺られる。北海道に行く。廃線跡を訪ねる。九州に行く。かつての「炭坑」の盛栄時代の面影に触れる・・・そういう楽しみが待っている「人生」にしていきたい。

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鉄道を趣味とするという事は、他人から見ると理解していただける場合が少ない。「いい趣味」とは言うが、私のようなものは「個性的」ととらわれているであろう。何かのテレビ番組で「路線バス降車ボタンマニア」というのがこの世にいるらしい事を放送していた(確かタ〇リ倶楽部だったと思う)。私から見て、こちらの方が「個性的」だと思う。しかし鉄道雑誌が世の中にあり、パソコンを開くと私と同じ趣向の方が数多くおられることに気づく。これは素晴らしい事だ。私はどちらかというと宮脇〇三氏に近い趣向かも知れない事にも気付いた。地図・・駅・・旅・・時刻表・・辺りが私の好むところであるが、「デジタルATS」とか「インバーター」等の言葉には非常に弱い。また「12系客車」は即座にわかるが「E217系」と言われてもピンとこない。

私の「乗り潰し」の旅もそろそろ終焉を迎えた。その気になれば、10日間あれば余裕で全線制覇達成できる。早く全線制覇をして、今度は「線」ではなく「点」の旅もしてみたいと思っている。「やる事がある」という事は幸せだと思う。全線制覇しても、その「次」の目標がある。これは素晴らしい事だ。人間はやる事が無くなってしまった時、それは「終焉」を指すのではなのか?「仕事」でも「趣味」でもいい。やる事があるという事は「バイタリティー」になる。つまり、自身の生きている「証」みたいな物を知らず知らずに求めているのではないか?

これからも私の「旅」を紹介していくつもりであるが、次回からは「最近」の旅も紹介してみようと思う。過去の自分と旅のスタイルがどのように変化していったのか見届けていただきたい。そしてまたこれからも「生きている証」を探す旅は永遠に終わらないであろう。

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1983年・春<青春18>⑥

四国・高松では既に日付が変わっていた。しかし我々は昼間と同じような行程で乗り換えを敢行しなければならない。「しなければならない」とは、実際問題、行程を考えたのは誰でも無い、つまり自分自身である。同行した相方もさぞ体力的に辛かったであろう。

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まず深夜の琴平で731Dの上りバージョン「764D」に乗り換える。琴平着1時53分、2時20分発だ。高松着が3時22分、宇高航路が3時52分発、宇野に4時52分着で乗り換える宇野線が5時4分発である。乗換時間をザッと列挙してみたが、もちろん寝ている暇がない。というより高松での列車接続がよくこんな時間に設定されているなと逆に関心してしまう。そして連絡船は宇野で宇野線の始発に接続する。これって乗客に「寝るな」と言っているようなものではないか?それに付き合う私も私であるが・・・
本日の行程は加古川線とそれから枝分かれする支線各種を制覇予定だ。しかし、なぜか播但線の一部区間を私は入れてなかった。これは接続の関係からであると思われるが、永遠に訪れる事ができなくなってしまった「飾磨港駅」である。姫路~飾磨港まではかつて播但線と名のつく支線があった。現在も播但線が存在するが、それとはまったく異色の存在で際立って地味に目立つ存在であったが、どう行程を組んでも組み入れることができなかったため「後回し」としたのであろう。この判断が後に響くとは・・・
そんな事を言ってもしょうがない。当時はただただ只管乗りつぶす事を最優先としていたため「楽しむ」みたいな事が出来なかったのであろう。

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当時非電化であった加古川線に乗り三木線、北条線、鍛冶屋線と制覇していく。特に三木線と鍛冶屋線は現在は無いため、貴重な体験となってしまった。三木線に関しては、同じく北条線と一緒に第三セクター化されたが、残ったのは北条線だけだ。
三木線に関しては途中「国包」で近代的な「カプセル駅舎」に出会う。三木は近くにある「電鉄三木(当時)」の方が圧倒的に利用者が多い。しかしながら国鉄駅はひっそりとした印象だ。そして厄神にもどり北条線を制覇。再び加古川線に乗り鍛冶屋線へ。終点鍛冶屋では停車時間が約6分の為、入場券購入や「いい旅チャレンジ20000km」の証明写真を撮影するのに忙しい。しかし間に合わず発車の時間になってしまったため、走り出した列車から「証明写真撮影」という荒業にでた!結果的に成功したが、この「一か八か」の懸けに失敗していたら、証明写真を撮影するだけの為に再び訪れる事は出来なかったはずだ。ひとまず安心したが、再三加古川線に戻るのはかなりハードな行程だ。
だが、加古川線と枝分かれする支線との接続が良く、すんなり制覇に成功。若干粟生で1時間くらいの待ち時間はあったが、これも許容範囲内だ。

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野村から加古川線で谷川まで行き福知山線に乗り換え、福知山から綾部経由で舞鶴線に乗り西舞鶴まで一気に駆け巡る。しかしながら、隣の東舞鶴まで行かないと舞鶴線の制覇とはならないため東舞鶴まで行く。東舞鶴で折り返すが、なんと小浜線・西舞鶴行き(か福知山行きだと思った)のDLが牽引する旧型客車だ!隣の西舞鶴までしか乗れないなんて・・・もったいない。東舞鶴には5~6分位しかいられなかったのに、西舞鶴ではこれから1時間以上待って宮津線に乗り換える。この時、時計は夜七時を回っていた。これから宮津線なんて・・・天橋立を車窓から眺めようと考えるが、ハッキリ言って暗くて見えないであろう。景色は完全にあきらめ宮津線経由で豊岡に向かうことにした。

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景色は見えなかったのは残念であるが、景色には興味なかったのでそれほど残念ではなかった。それより宮津線を制覇することの方が大切であった。「天橋立」とは、幻想的な名前であるが中学生の少年には全く興味なし!日本有数の観光地を前にしてもこの少年は全く動じない。
さて、とうとう宮津線を豊岡まで乗り、宮津線の制覇となったわけだが、時計の針は22時30分をまわろうとしていた。こんな時間に豊岡に着いても乗り換える列車が無い。つまり「駅寝」をするか3時間待って夜行列車「山陰」に乗るか・・・当然の事ながら事前に計画しておいた「後者」の選択となるわけだが、こんな時間から夜行列車の乗るなんて・・・途轍もなく無謀な計画を組んだものだ。夜中の豊岡で何をしていろというのか。相方も文句ひとつ言わず良く付き合てくれたと思う。
3時間後、ようやく姿を現した「山陰」。深夜だというのに、これから私の予想をはるかに超えた事が起こったのだ。

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1983年・春<青春18>⑤

今日で5日目を迎えた「青春18」の旅。それは佐世保駅で迎えた。佐世保発「ながさき(佐世保発は列車名なし)」で今日は門司まで向かう。「門司港」ではないのが不安であるが、ほぼ7時間くらいあるので「グッド・スリープ」であろう。

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佐世保発の列車は早岐で「スイッチバック」する。が、長崎からやってくる「ながさき」とここで併合し門司港向かうのだ。長崎発の列車は寝台車が連結されており羨ましい。夜行列車の上下交換駅での乗り換えや、深夜・早朝の乗り換えを繰り返してきた今回の旅の行程の中、この上り「ながさき」は長時間乗るためしっかりと「宿」の役目を果たしてくれるはずだ。私の予想した通り、気が付いたら既に博多を過ぎ、北九州付近の通勤時間帯となっており、車内はスーツを召された立席客で埋め尽くされていた。「ながさき」は、所謂「旧型客車」の為、スーツ姿のお客様がいる車内には、何か違和感「大」である。いままで鼾をかきながら横になっていた自分達は完全に浮まくっていた。
やがて門司に到着すると早速山陽本線に乗り換える。その時間、5分!写真など撮ってる暇等無い。九州を去り、再び東京目指すが、ただでは帰らない。山陽本線、東海道本線には「支線」が多く存在する。東京に向かいながら支線に寄り道する魂胆だ。
その第一弾として「宇部線」を制覇する。車両が新しく置き換わっており、清々しい気分だ。もちろんまだ通勤時間帯の為、われわれのような「色物」は完全に孤立してしまう

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そんなことはお構いなしに、今度は宇部新川より小野田線へ乗り換える。そろそろ通勤時間帯も過ぎ、落ち着きを見せるころだが、雀田より長門本山への支線へ乗り換える。ホームは三角状になっており、支線と本線の乗り換えが階段なしでできる、非常に機能的は設備である。しかし、ここで待っていた列車は何と旧型国電の単行だ!なかなかの「いぶし銀」である。コトコト揺られながら長門本山へ行ったが、辺りは全く何もない。所謂「秘境」とは異なるが、別の意味で何もなく、鉄道の存在意義が疑われる。

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しかも良く考えたら、よくこのような所まで電化されているものだと感心してしまう。僅かな時間ではあったが再び雀田に戻り今度は小野田へ。山陽本線に乗り換え再び宇部に行き、また再び宇部線にて小郡へ向かう。なんか変な行動であるが、私なりに考えたのであろう。
小郡より山陽本線で徳山に抜けて「旧」山陽本線であった岩徳線に乗る。西岩国は元・岩国駅であったため、駅舎がいい!昔の駅舎が保存され重厚な佇まいだ。現在では普通に「ローカル」であるが、この西岩国はひと際光って見える。
「岩徳線」とは、名前の通り「岩国」と「徳山」を結ぶ路線であるが、途中、川西より分岐する「岩日線(当時)」がある。いったん岩国まで行き、1時間半のインターバルの後に錦町に向かう。現在は第三セクターとなり第二の人生を送っているが、一番気になる存在が「御庄」であろう。近隣には「新岩国」なる新幹線の駅があるが、接続駅となっていないのは国鉄時代からである。新岩国を開設する以前から岩日線の将来が既に決まっていたのであろうか、あえて「別人」を装う。それが吉と出たか凶とでたか、現在に引き継がれているわけだが、新岩国自体、新幹線駅の中でも乗降客数ワーストの部類に入る。

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そんな新岩国を横目に見ながら錦川に沿って北上する。やがて錦町に到着するが「岩日線」の名の通り「岩国」と「日原」を結ぶ目的で敷設された。路盤などもかなりの完成度であったが、所謂「国鉄再建法」により計画が頓挫した。現在は路盤を利用して観光列車「モドキ」が路盤の一部を利用している。なかなか微笑ましい限りであるが、ぜひ末永く営業していてほしい限りだ。
そんなことを思いながら岩国に再度戻ってきたのが午後6時近かった。「乗り」はいったん終了し、今夜の「宿」に向かう。目指すは1982年の「青春18」の旅で使用した「731D」だ。とは言うものの、今回は違う。高知まで行かずに琴平で「上り」に乗り換える行程だ!山陽本線と宇野線、宇高航路を乗り継いで高松に着いたのは深夜0時30分!731Dは0時46分発だ。このあと深夜の時間帯に考えられない乗り換えが待っていた・・・

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1983年・春<青春18>④

急行「かいもん」はそこそこの乗車率であったが、八代から乗って座れたのだからラッキーだった。未明の鳥栖で下車し基山より甘木線を制覇する。鳥栖では入場券を求めたが、硬券ではなく「切れ端」のような券売機の端材で駅名と日付をスタンプしたような簡易な物であった。若干残念であったが、逆にそれが現在「価値あるもの」に変身している。
さて、未明の「鳥栖発基山行き」という、鹿児島本線を走る奇妙なDCが設定されていた。こんな区間列車が未明に設定されているなんて、何やら怪しい気配がしなくもないが・・・鳥栖5時1分発、基山に5時9分に到着した。乗り換える甘木線は5時35分発である。読みは当たった。鳥栖から基山まで甘木線を走るDCが「回送」されていたのだ。つまり「乗り換えなし」で甘木線への招待となったわけである。あたかも時刻表上の「マジック」では、別の列車として表記されていたが、やはり昔の「天知茂」ではないが、謎が解けたような気分になってうれしい。
甘木線を制覇後、再び鹿児島本線で羽犬塚に出て矢部線に乗る。黒木のインターバルは5分と短く、証明写真を撮影するのに精いっぱいであった。いつの間にか廃止され現在はその印象が薄いと思われる矢部線であるが、路線名の集落まで到達することなくフェードアウトした。

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再び羽犬塚に戻り今度は瀬高に向かい佐賀線目指す。ところがまた奇妙な列車が設定されていた。鹿児島本線・瀬高行きのDCである。電化区間をDCが「瀬高」という中途半端な駅で終点なんて、またまた怪しい・・・「ご名答」であった。またまた時刻表上の「マジック」である。このDCは佐賀線直通列車だ。
乗り換える手間が省けていささかラッキーでもあったが、全く持って「印象の薄い」佐賀線の制覇であった。地図上で見れば鹿児島方面から佐賀方面に行くのにしっかり「短絡」の役割をしているのであるが・・・あくまでも「地図上」に過ぎず、1日数本の列車設定では「短絡」するかどうか、その人の判断によるであろう。しかしながらかつては優等列車も設定されており、それなりに「盛栄」もあった。更にこの佐賀線には「名物」も存在した。「可動橋」である。清水港線と同じような「可動橋」があった。更に全国でも珍しい「跳ね橋」があった。現在でも「可動橋」は重要文化財として保存されている。
佐賀に着くとボンネット式の特急「みどり」が待っていた。と言っても我々を待っているわけでもないので「みどり」には乗れない。仕方なく、計画通り普通列車で今度は唐津線に乗り北上する。唐津と言えば、私の訪問時は筑肥線が電化開業したばかりで、終点の西唐津は車庫が置かれて真新しい。同じく唐津も2面4線の高架駅になり、市を代表する駅として相応しい姿となった。

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筑肥線制覇の為、新しくなった「電車」に乗り新線区間を行く。東唐津は非電化時代はスイッチバック式の駅であったが、電化と同時に現在地に移動した。非電化時代とは違い、高架化されたスマートなホームに変化した姿に地元の人は戸惑う人もいたであろう。しかし「機能的」となった駅は、スッキリした感があり清潔感あふれる。これからも地元の人に愛される駅となってほしい。
新線区間以外でも、ホームが嵩上げされておりリフォームされている。そして「虹の松原」という、何ともロマンチックな駅は、付近の観光名所をそのまま駅名としているが、ホームも新しく新鮮である。
「青春18」では筑肥線・姪浜までしか行けないため姪浜で折り返すが、電化と同時に相互乗り入れを開始した福岡市交通局が我々を迎えてくれた。こちら姪浜も電化と同時に高架化されスッキリ。完全に「ローカル」から脱却した感がある。

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姪浜で約1時間のインターバルの後、再び西唐津に戻り今度は分断された筑肥線の「西線」を制覇しに行く。唐津線を境に「東線」となった筑肥線とは全くカラーが違う、昔のままの「ローカル線」である。ここから更に西へ向かい伊万里から松浦線でまず有田に行き、折り返して今度は佐世保に向かう。そして日本最西端の駅「平戸口(当時)」も通り、昨日の「日本最南端(当時)の駅」と併せて、わずか2日間で「南」と「西」を体験。考えてみたらやたらと忙しい旅だ。

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やたら時間が長い松浦線を制覇し佐世保に着いたのは夜の9時45分である。松浦線最終列車だ。この後私たちは、普通夜行列車「ながさき」の分家を佐世保始発で乗り「宿」とする予定だ。しかし発車時間が0時30分発でなんと約3時間待ちである!3時間も一体なにをしてろというのか!と自分自身が立てた計画に腹が立つ。そんなに待たなくても座れるであろう。インターネットなど普及してない時代に、ただただ待合室で「待ちぼうけ」状態である。とは言ってもいずれ時間はやってくる。私たちは今夜の「宿」をいつかいつかと待ち続けていた。

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1983年・春<青春18>③

まる一日かけて普通列車と快速列車のみで九州上陸という、ものすごい偉業を成し遂げた我々は、さらに「偉業」の行動に出る。門司港から普通夜行列車「ながさき」の揺られて更に西へ向かったが、深夜の肥前山口で今度は上りの「ながさき」に乗り換えるという、とんでもない行動に出た!肥前山口に2時54分に到着。何の違和感もなく自然に「ながさき」を乗り捨て3時22分発の上り「ながさき」に乗り換え、さらに鹿児島本線を南下すべく二日市で下車したのが5時7分。5時23分発の熊本行き普通列車に乗り換える!深夜から明け方にかけて、よくこんな乗り換えを計画したものだが、しかもよく寝過ごすことなく、乗り換えられたものだ。熊本着が7時49分の為、2時間以上ある。こちらは途中駅での乗り換えではないので安心して熟睡できた。つまり終点まで乗っていれば「万が一」でも車掌に起こされるであろう。そんな計算があった。

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熊本より南に向かう列車は接続が悪く9時11分の発車だ。しかも電化区間なのにDCの運用である。時間が仰山あるので遅い朝食、というより「早い昼食」かもしれない食事を摂る。
熊本駅は現在のように「新幹線」が無い頃は、側線が沢山あり構内は広かった。現在はそれこそ側線跡地を新幹線ホームに利用している。
電化区間をDCに揺られ八代過ぎ出水に到着。ここから「電車」に乗り換えいよいよ西鹿児島に到着した。到着したのは14時14分!夜行列車を2回乗り、まる1日半以上かけようやく「18」で乗れる列車のみでたどり着いたのだ。現在では列車のみで東京から鹿児島まで到達しようとすると半日潰れてしまうが、それでも格段の進歩。鹿児島に新幹線が来る事自体、私は画期的と思うが、30年前には考えられなかった。その時代に1日半かけて鹿児島に行くなど、どう考えても時間のロスだ。しかし学生である以上、経済的な制約があるため特急などの「別料金物」とは無縁の世界であった。しかしながら、それを逆手に取り「楽しむ」という知恵を知らず知らずのうちに備えていた。

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さて、旅の目的は鹿児島に来ることではない。この先さらに「奥地」に進み「鹿児島交通」を制覇する。それが目的でここまでやってきたのだ。指宿枕崎線に揺られ枕崎に着いたのは17時3分。もう夕方だ。枕崎駅は全て鹿児島交通が管理しており、国鉄は業務を委託していた。約1時間のインターバルののちにいよいよ鹿児島交通に挑む。そして伊集院まで完乗しそして今度は再び鹿児島本線を北上し「東京」目指していく。この際に鹿児島本線に乗った混合列車「2038レ」と鹿児島交通に関しては当ブログで別途紹介しているのでぜひご覧いただきたい。
2038列車に揺られ八代に着いたのは深夜1時5分。混合列車、つまり貨物列車と旅客列車がひとつの編成となっているため貨物列車の役割も果たしている。旅客列車の終点は八代であるが、貨物列車は熊本が終点だ。旅客の車両は「回送」という形で熊本へ向かう。しかし私達は八代よりもっと先に進みたい。いっそのこと、車掌にお願いして熊本まででも乗せてもらいたいと本気で考えていたが、断られるのを100パーセントわかっていたため八代より後発の急行「かいもん」で鳥栖まで「別料金」で向かうことにした。


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プロフィール

ダイヤモンド☆トナカイ

Author:ダイヤモンド☆トナカイ
所在地:神奈川県湘南地区

〇2013年6月11日、北陸新幹線長野駅にてJR全線制覇いたしました(当時)。
国内の鉄道は、沖縄の「ゆいレール」を残し全線制覇しました。(とは言うものの、2015年3月の北陸新幹線延伸によりJR全線制覇は「ベルト返上」しました)

★ ブログ記事の「リメイク版」は、以前にホームページで紹介した旅日記をブログでリメイクしたものです。


◎ブログの登場人物

★ ダイナミック☆トナカイ
・・・中学時代の後輩で、2013年に約30年振りに再会を果たした。数多くの写真を提供していただいた「盟友」でもある。

★ おさる・・・かつて私がバンド活動をしていた時のメンバーで、鉄道復活のきっかけを作ってくれた人物。彼とは「秘境駅」を数回訪問した「親友」でもある。

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