魔の姫新線
2013-06-09
姫新線は手強かった・・・2011年7月、ようやく制覇の時を迎えたわけだが、その道のりは決してたやすいものではなかった。時刻表上では簡単に制覇できてはいたが、実際の現場ではトラブルが続き私の行く手を阻む、拒む。では早速紹介してみたい。最初に制覇の計画を立てたのは2009年7月であった。広島地区制覇の際、姫新線を全線通過して芸備線へとつないで広島に出る計画であった。姫路で「サンライズ」を乗り捨て、とりあえず駅前の商店街にある、既に調査済みの喫茶店へと足を運んだ。当然列車は走っているものと思い、普通に朝食をとる何気ない一日の始まりであったが・・・姫路駅に帰ってみると事態は一転していた。なんと水害で一部区間が不通になっていたのだ!私は20ウン年前より鉄道の旅をしてきたが(若干ブランクがあるが)、現地で不通を知るのは初めての体験であった!勿論、代行バスは走っているが、代行バスでは「制覇」にならない。速攻で予定を組みなおし、福山経由で福塩線と芸備線の一部を制覇することにした。

広島には夕方3時半頃に到着したが、かなり時間をもてあますことになったため、妻を広島の宿泊施設において一人可部線の制覇に意欲を燃やした。それから約1年が経ち再び姫新線の制覇を企てた。今度は西日本の鉄道制覇を完了するために姫新線の制覇を組み込んだのだ。予算の都合で今回は「夜行高速バス」を利用し姫路まで行く予定であったが・・・いざ当日になると、乗車地である横浜駅前にて「タイヤパンク」のトラブルに見舞い、なんと出発が一時間半遅れとなってしまった・・・正確には1時間45分くらいであったが、この中途半端な遅れでは払い戻しもできず(2時間遅れで払い戻し)、結局現地到着も1時間40分くらいの遅れのため、この時点で既に姫路からでる姫新線の列車時刻に間に合うわけが無く、深夜の夜行バスの座席で考えた予定で行動することとした。新神戸で新幹線を捕まえ、岡山から津山線で津山より姫新線の津山~新見を制覇する方向へと企てたのだ。津山より元の計画に戻せるのでとりあえず一件落着であるが、恐るべし夜行高速バス!まさか1時間40分も遅れるとは・・・結果的に新・予定通りで姫新線の半分を制覇。残り半分はいつの日か・・・それから年が明け残り半分の制覇を計画したのは2011年3月のことであった。青春18きっぷを駆使しついでに「天浜線」を再び訪れ、グルメロードを堪能する計画とした。天浜線に関しては、国鉄時代の「二俣線」の時に制覇済みであるが、国鉄赤字線廃止ブームの際に第三セクターとして生き残ったローカル線だ。各駅には喫茶店を初め、ラーメン店やレストランなどが軒を連ねる「グルメ路線」として生まれ変わった。
そんな「観光色」の濃い計画を提案した矢先に・・・ご存知の通り、「東日本」に悲劇が起こった・・・一部の自治体では、地震のみならず津波、そして「発電所」の被害も受け、文字通り「大震災」へとなってしまった。震災地区のみならず、日本全体の問題となるが、さすがは日本国民!みんなで助け合い協力しあう姿勢は恐らく世界一であろう。ここというときにチームワークの素晴らしさを発揮するではないか!私もこうして命が残された以上、日本人としての誇りを持ちながらしっかりと台地に足を下ろし人生を歩んで行きたい、そして生きたい。そんな大震災が連日報じられる中、月日は流れ4ヶ月がたった。被災地以外の場所はほぼ通常の生活に戻りつつある中、夏の「青春18」に姫新線を託した!7月下旬の日程で、3月に予定していた工程をそのままスライドした。結果的に何事も無く、怖いくらいに計画通り姫新線の残り半分を制覇した。しかし、これだけ制覇に苦労した路線も珍しいが、実際に制覇してしまえばあっけないものだ。映画「男はつらいよ」の撮影地にもなった「龍野(駅名は竜野)」の町並みも、JRになってからの新造車両のため何だか味気なかったが、地元の生活に密着し利用されていることで成り立っている訳だから「昭和の車両を!」などとはいえない。しかし播磨新宮より津山方はまだ「国鉄」の車両が生き残っており、ローカルムードが爆発していた。4度のチャレンジでようやく射止めた姫新線。しかし姫新線も「制覇の一部」に過ぎない。まだまだ行かなければならない路線が数多く存在する。私は気を引き締めなおし、姫路駅名物「まねきのえきそば」をすすりながら、再開発中の「姫路駅」を見下ろしていた。


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鉄道全線完全制覇の旅

広島には夕方3時半頃に到着したが、かなり時間をもてあますことになったため、妻を広島の宿泊施設において一人可部線の制覇に意欲を燃やした。それから約1年が経ち再び姫新線の制覇を企てた。今度は西日本の鉄道制覇を完了するために姫新線の制覇を組み込んだのだ。予算の都合で今回は「夜行高速バス」を利用し姫路まで行く予定であったが・・・いざ当日になると、乗車地である横浜駅前にて「タイヤパンク」のトラブルに見舞い、なんと出発が一時間半遅れとなってしまった・・・正確には1時間45分くらいであったが、この中途半端な遅れでは払い戻しもできず(2時間遅れで払い戻し)、結局現地到着も1時間40分くらいの遅れのため、この時点で既に姫路からでる姫新線の列車時刻に間に合うわけが無く、深夜の夜行バスの座席で考えた予定で行動することとした。新神戸で新幹線を捕まえ、岡山から津山線で津山より姫新線の津山~新見を制覇する方向へと企てたのだ。津山より元の計画に戻せるのでとりあえず一件落着であるが、恐るべし夜行高速バス!まさか1時間40分も遅れるとは・・・結果的に新・予定通りで姫新線の半分を制覇。残り半分はいつの日か・・・それから年が明け残り半分の制覇を計画したのは2011年3月のことであった。青春18きっぷを駆使しついでに「天浜線」を再び訪れ、グルメロードを堪能する計画とした。天浜線に関しては、国鉄時代の「二俣線」の時に制覇済みであるが、国鉄赤字線廃止ブームの際に第三セクターとして生き残ったローカル線だ。各駅には喫茶店を初め、ラーメン店やレストランなどが軒を連ねる「グルメ路線」として生まれ変わった。
そんな「観光色」の濃い計画を提案した矢先に・・・ご存知の通り、「東日本」に悲劇が起こった・・・一部の自治体では、地震のみならず津波、そして「発電所」の被害も受け、文字通り「大震災」へとなってしまった。震災地区のみならず、日本全体の問題となるが、さすがは日本国民!みんなで助け合い協力しあう姿勢は恐らく世界一であろう。ここというときにチームワークの素晴らしさを発揮するではないか!私もこうして命が残された以上、日本人としての誇りを持ちながらしっかりと台地に足を下ろし人生を歩んで行きたい、そして生きたい。そんな大震災が連日報じられる中、月日は流れ4ヶ月がたった。被災地以外の場所はほぼ通常の生活に戻りつつある中、夏の「青春18」に姫新線を託した!7月下旬の日程で、3月に予定していた工程をそのままスライドした。結果的に何事も無く、怖いくらいに計画通り姫新線の残り半分を制覇した。しかし、これだけ制覇に苦労した路線も珍しいが、実際に制覇してしまえばあっけないものだ。映画「男はつらいよ」の撮影地にもなった「龍野(駅名は竜野)」の町並みも、JRになってからの新造車両のため何だか味気なかったが、地元の生活に密着し利用されていることで成り立っている訳だから「昭和の車両を!」などとはいえない。しかし播磨新宮より津山方はまだ「国鉄」の車両が生き残っており、ローカルムードが爆発していた。4度のチャレンジでようやく射止めた姫新線。しかし姫新線も「制覇の一部」に過ぎない。まだまだ行かなければならない路線が数多く存在する。私は気を引き締めなおし、姫路駅名物「まねきのえきそば」をすすりながら、再開発中の「姫路駅」を見下ろしていた。


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