SWS(相模線の、私の記憶に残る、車両たち) ⑰南橋本
2022-02-05

いよいよこのシリーズの千秋楽である南橋本。あえて起点の茅ヶ崎と終点の橋本は外し別の機会に紹介する事にした今回の相模線巡りであったが、ある意味南橋本で終えるのも私らしいであろうか。
ここ南橋本は原当麻と同じく非電化時代からかなり激変した駅のひとつである。周囲は工場等に囲まれ北茅ヶ崎的なイメージもあったが、現在は立派な橋上駅舎に生まれ変わりロータリーも出現。工場のいくつかはマンション等に変わり引き込み線なども撤去された。北茅ヶ崎と比べたらかなり派手なイメージであるが、意外にも日中はゆったり的な時間が流れているイメージが強い。
駅前、そして周囲にも商業施設が増え賑やかであるが、なぜか南橋本駅だけは時間が止まったかのような空間に感じた。


ご覧の通り立派な橋上駅舎に生まれ変わった南橋本。駅周辺では現在も工場などの施設は残っているものの、住宅などが俄然増えた。かつては貨物側線だった場所までマンションが迫る勢いだ。
かつて横浜線が部分的に単線だった頃,、橋本は相模線ホームが1面1線しかなく現在の3番線が相模線専用ホームであった。横浜線が全線複線化された頃に相模線ホームが増設され現在の形になったが、更にその後京王線も乗り入れるようになり利用者が急増したことであろう。であるから南橋本の交換設備も活かされると思われる。そう、終点の橋本も激変したのである。
京王線の橋本から先の延伸計画というか構想ではそのまま西に向かい小倉橋付近を通り津久井方面の三ケ木(みかげ)辺りまで考えていたようだが、恐らく具現化しないであろう。

切符売り場もシンプルになったが、近年のSuicaなどの普及により「切符を買う」という行為自体が少なくなったのだろう。かつては3台あったと思われる券売機の一部スペースが覆われている事だけでも時代の変化を無言で語りかけてるようだ。
ところで北茅ヶ崎より北に向かい各駅の205系のいる風景を紹介してきたが、気付いたら厚木以北の歴史が新しい区間ほど改良の度合いが高いイメージであった。むしろ茅ヶ崎~厚木間の方が改良されてはいるものの、昔の面影を遺す場所が多い。寒川は別として、その他の駅は非電化時代の私が子供の頃に見た風景とさほど変わらない。昔からの風景が今もそこにあるということはある意味貴重であろう。
車両が更新される事でまたひとつ新しい風景が増えると共に現在の風景が過去のものになろうとしているわけであるが、非電化時代からの変化が自身の記憶に残っている私は、ある意味贅沢な経験をしたのかも知れない。



今まで当たり前だった205系の列車交換風景もそろそろ当たり前ではなくなってくる時間がやってくる。今後は「E」の付くJR車両がレギュラーとなる。

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SWS (相模線の、私の記憶に残る、車両たち) ⑯上溝
2022-01-30

かつての築堤上駅舎から立派な高架駅に生まれ変わった上溝。改装工事の際に何度か通った事はあったが、その時は交換設備を持つ島式ホームになるのかなと思っていた。しかし完成してみたら非電化時代と同じ棒線形での現在形となっていた。せっかくだからと複線化の将来を見越して・・・と思っていたが、やはり複線化の意思はあまり感じられないイメージである。
相模線沿線も上溝辺りまで来ると一気に開けてくるのは、かつての相模原町の中心部であるからであり、古くからの商店街が軒を連ねるからである。しかしながら、築堤上を列車が走る姿は非電化時代を彷彿させる風景と感じるから不思議なものだ。
上溝付近が築堤から県道と立体交差になっているのは以前にも触れた相武電気鉄道との関係からの名残であるという事である。現在上溝駅の真下を県道が貫いているが、その県道こそが相武電気鉄道の未成線跡地であり、上溝は相模鉄道と相武電気鉄道のジャンクションになる予定だった。相武電気鉄道は結局資金難により計画が頓挫してしまったが、昔の人の思いが現在も名残として私たちに無言で語りかけてくるから面白い。
ただ、相武電気鉄道は頓挫したが、沿線では小田急多摩線を唐木田より延伸して何とか上溝での接続を願っている。もちろん実現したら非常に面白くなるが、その場合、新宿へは橋本または多摩センターで京王線と競合するためあまり現実的ではないかも知れない。


相武電気鉄道が具現化していた名残である上溝の風景。ホームの下を貫く県道こそ、そこにレールが敷かれる予定であったため相模鉄道(当時)は上溝駅を築堤上に設けたが・・・資金難により相武電気鉄道の計画が頓挫。相模鉄道が国に買収され現在に至るが、もし相武電気鉄道が開通していたら上溝の風景はどうなっていただろう・・・
ところで上溝であるが、やはり先述の町の中心部だった名残もあり、相模線の入谷以北の中間駅では最も利用者が多い。
駅前付近の街並みはかなり古い風景を今でも感じる事ができるのだが、上溝本町付近の渋滞は慢性化しており課題も残るイメージである。非電化時代は築堤上を登りきった所に駅舎があったが、現在はホーム下に駅舎が移り利用しやすくなった。駅改装の際に何度か上溝を通過していた時に島式ホームになるのかと子供ながらに思っていたが、完成してみれば非電化時代と同じ棒線形の駅となった。しかしながら駅舎もホームの下に移り近代的な駅に生まれ変わった。



県道の上には歩道橋が設置され、上溝駅のホームに直結している・・・かのように思えるが、実際はホームが歩道橋とは線路を越して向こう側にあるため、一旦歩道橋を降りて駅舎に向かい改札を通過してホームにあがるというイメージである。
ただ、せっかくリニューアルするなら島式ホームにして交換可能駅にすれば後の複線化が万が一決まった場合でも即座に対応しやすいはずなのにあえて棒線形にこだわったのには特別な理由があったのだろうか。
どちらにせよこの辺りにレールを敷くという事は、砂利よりもむしろ旅客を意識したルートであり、先人の相模鉄道(当時)首脳陣は砂利輸送の終焉をある程度予測していたのだろう。相武電気鉄道の構想は頓挫してしまったが、名残として先人の夢が、ある意味形として今も残っているのが実に微笑ましい上溝である。

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SWS (相模線の、私の記憶に残る、車両たち) ⑮ 番田
2022-01-25

隣の原当麻と番田は相模線内で唯一交換駅が連続する。厳密に言えば橋本~南橋本や茅ヶ崎~北茅ヶ崎、そして社家~海老名も連続しているが「厳密に言えば」と但し書きしなければ原当麻~番田がわかりやすい。
番田も近年に駅舎が立て替えられモダンな作りとなったが、駅員の配置も無くなり淋しくなった。非電化時代のタブレット閉塞だった時は列車交換できる駅にはもちろん駅員が配置されていた。倉見・社家も公式上は無人駅であったが、旅客扱いしない運転上の職員は配置され、列車交換などタブレットのやりとりの際には必ず顔を出していたのが懐かしい。番田は非電化時代旅客扱いする駅員もいたので現在の駅員無配置がやや信じられないイメージである。もちろん列車交換など運転上のシステムは非電化時代と比べ格段に進化しているが、それゆえの合理化という企業として当然のスタイルの裏には昔のようなアナログ的情緒は完全に過去のものになってしまっていて私のイメージしている相模線はそこには無かったのだが、それは仕方の無い事。これからの新しい相模線に大いに期待しなければならない。

新しく生まれ変わった番田駅舎。とは言え、相武台下や下溝のような簡素なタイプになっており、これからの相模線にはこうしたタイプの駅舎が増えていくのであろうか。


やや前後左右の異なりはあるがほぼ同じ位置からの2021年(上)と2013年頃(下)の駅舎比較。何気なく撮影した駅舎も今のタイミングで貴重なものになるとは当時は全く考えなかった。




何気に以前の番田とは全く異なるイメージに変身していた番田のホーム。周囲にも住宅が増え非電化時代(1980年頃)と比べ利用者が何と3倍近くまで増えた!バリアフリーなどの設備も整い、利用者に優しい駅に生まれ変わった。

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SWS (相模線の、私の記憶に残る、車両たち) ⑭ 原当麻
2022-01-20

相模線の中で最も激変した駅は?との問いに対し、恐らくベストスリーに入るであろう原当麻であるが、国鉄時代に比べ利用者がグンと激増した。かつては砂利側線も備えていたが、現在は島式ホーム一面のみになり、旅客オンリーの必要最低限の設備を有する配線になり、それまであった木造駅舎はなくなり立派な橋上駅舎が完成。駅前にロータリーも出現した。
下溝からは相模川とやや距離を置くように離れ山の中へと入っていくが、その山もすっかり開発され住宅地や商業施設に変わった。そしてやや離れているが北里病院や先述のレトロ自販機の聖地などもあり駅前はすっかりベットタウンの様相を成してきた。


2021年に撮影した原当麻駅舎。立派な橋上駅舎ん生まれ変わったが、駅構内にはかつての勇姿が写し出されていたが、ひと目見てその激変具合だお分かりいただけるであろう。
原当麻と書いて「はらたいま」と読むが、この辺りから段々と開けてくるので橋本方面への利用者がグッと増える。非電化時代では原当麻から橋本方面へ向かって単行ではあるが区間列車が数本設定されていた事を考えると、やはりこの原当麻はひとつの要衝という事である。国道129号線からはやや距離があるのだが、塩田付近には圏央道のインターもあり車においても交通の要衝であり、塩田方面から北里方面は常に慢性的な渋滞に悩まされている。原当麻付近にある踏み切りも大きなひとつの原因でもあるため、立体交差かアンダーパスがのぞまれているであろうがなかなか難しい相談だ。こうして相模線沿線が大きく変化した中、やはり単線では輸送力不足が懸念される中、近年の新型肺炎による影響で利用者が3割程度落ち込んだ。新型車両の投入は実現したものの、複線化はやはり慎重にならざるを得ない状況だ。


そして駅舎内にはお馴染みの時刻表が。そして切符売場は券売機が当たり前の時代になったが、どうやら小田急とのやりとりはこの駅ではされていない模様である。
さて、先述通り原当麻は橋上駅舎に生まれ変わり近代的な駅に変身したが、橋本~原当麻間の区間運転は現在運転されていないための全ての列車が茅ヶ崎または橋本方面へと向かう。そして何より電化されてからずっと続いてる朝夕の八王子乗り入れは見逃せないであろう。茅ヶ崎寄りも、例えば平塚等に乗り入れると面白そうだが、恐らく実現しないであろう。
ただ、原当麻付近ではまだまだ開発の余地があるのでこれからも風景が更に変化すれば、相模線複線化の可能性がやや右上に傾くかも知れない。





私の訪問した時間帯では列車交換は無かった。しかしながらこの駅が橋本方面への要衝である事には変わらない。

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SWS (相模線の、私の記憶に残る、車両たち) ⑬下溝
2022-01-15

利用者的には入谷の次くらいにワーストであろう下溝であるが、近年にモダンな簡易タイプの次に立て替えられかつての木造駅舎は既に無い。駅前は相模川に制約され開発するにはかなり厳しい戦いとなる環境の中、新型車両はこの風景にどう馴染んでいくであろうか。相武台下を過ぎた辺りから段々と山の風景へと変わっていき、下溝に着く頃には既に私が日頃から馴染んでいる茅ヶ崎~海老名間にくらいの平地を走る相模線とは違った趣を醸し出してくる。
相模線の中では割りと地味な部類に入る駅であろうが、実は今回の取材で初めて下溝のホームに立ってみた。前回訪問の時は外から駅舎のみの撮影であったが、まだ木造駅舎が健在であったので今回は新駅舎になり初の訪問となる。とは言っても、つい最近までは通勤途中に下溝付近を至近距離で通りすぎていたのだが、やはりこの辺りは坂が多く山深い印象である。ただ、下溝の駅は県道沿いにあるのだが、ナビなどが無ければ非常にわかりづらい。ロータリーなど駅前広場なども無いが、もし駅前を整備するとしたらかなり大規模な開発となるであろう。駅前は段差や東側の相模川に制約を受け、かなりのリスクを負わなければならない。何れにしても現状維持のまま将来を向かえるであろうが、逆にこのローカル色豊かな下溝に新型車両がどう溶け込んで行くか楽しみである。


2021年と2013年での駅舎風景比較。現在は相武台下以北で見られる簡素なタイプに生まれ変わった。非電化時代からのホームに伝う階段風景は現在も健在であるが、駅員も無配置になりやや寂しさ感。

非電化時代には無かった設備も増え、色々な人が利用しやすくなった。ただ、駅前のスペースは昔と殆ど変わっておらず、昔ながらの昭和のイメージが残る。

非電化時代と変わらずの棒線駅。列車交換は隣の相武台下or原当麻にて。ここ下溝は砂利輸送のイメージは殆ど無く、最初から旅客駅として開業したのであろう。





205系の勇姿が見れるのも今シーズン限りかと思うと胸に迫り来るものがある。私の相模線はキハ10から始まりキハ20、キハ30~205系⇒E131系と変遷した。非電化時代の車両は混結が多かったが、電化前にはキハ30で統一され、更に電化直前では塗装も変更された。

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