志布志、渋し ③!
2013-03-30
志布志、渋し!②
2013-03-24
油津よりほぼ回送状態で志布志までやって来た私は、現在の志布志駅に若干驚きを隠せなかった。予備知識はあったものの、これほどまでに寂れてしまったのは時代の流れだけなのか・・・
ご覧の方は私が何を言いたいかお分かりであろう。かつては大隅線と志布志線が接続し、急行も停車する一大ターミナルであったのだが、現在はかつての構内であった場所に、新たに日南線用のホームを新設。線路と直角になるような形で駅舎ができた。側線が何本かあるが、最終列車が翌日まで停泊するらしい。

両翼を失ったかのような志布志駅はすっかり活気がなくなったかのようだ。もう列車で鹿屋や垂水等には訪れることはできない。盛栄極めたころの志布志駅があった場所は現在、商業施設となっている。商業施設に転換するには十分過ぎるくらいのスペースは、志布志駅のかつての盛隆を無言で物語っている。
私はこの先、廃止された「志布志線」の転換バスで都城へ、仮想「志布志線」として向かう予定だ。

さて「仮想・志布志線」のバスは、駅より若干徒歩を要し国道に出ると「志布志駅上」というバス停がある。基本、ここが志布志線代行バス乗り場だ。現在は「大隅交通ネットワーク」が担当している。5~7分遅れでやって来たバスは私たちが「初」乗客のようだ。走り出してすぐに右手に大きく弧を描くようなカーブの道路が見えてきた。その瞬間、私は即座に「旧・志布志線」の跡と確信。短い間であったが見えなくなるまで目で追い続けた。ようやく途中の停留所からポツリポツリとお客様が乗車。その大半が「高齢者」である。停留所はかなり山の中にばかりあり、集落と呼べる場所が見つからないような所を走っているが、岩川付近に来ると若干の集落が形成されてきた。旧・岩川駅付近にある「岩川」に着くと殆どの乗客が下車。乗っているのは私と途中から乗車してきた2人位だ。

集落は旧・末吉付近でもまた現れた。こうしてバスを乗っていると、意外と志布志線沿線は集落があったのかと、逆に勉強になった。そしてなんと、末吉バス停を少し出たところで車窓に「駅」を見たのだ!ホームや腕木信号などがあって、完全に駅が保存されていた。ホームを車窓より直角に見たということは、この道路のこの場所は以前「踏切」であったことは間違えないであろう。一瞬ではあったが、かなり原型を留めている事が確認できた。いずれ再訪してみたい。

バスは志布志線の起点「西都城」に着くころにはすっかり「都会」の街並みに変化。私の向かう都城より市の中心部に近く、ほぼ乗客が下車した。
そしていよいよ目的地の都城に到着した。私達は下車するが、バスの終点はバスセンターのため「スルー」していく。料金は確か1030円であった。勿論、ほぼ全区間乗車したのは私達だけである。この日は短い区間の乗客が多い中、私達のような「単価の高い」乗客がいた。私も少しは増収に貢献できたか?乗り潰し派には、この旧・志布志線の代行(転換)バスは必須であろう。旧・志布志線ルートは、バスからでも若干廃線跡を確認できるのでぜひお試しいただきたい。

それより気になるのは志布志駅であろう。日南線用に新設されたホームは私に何かを語りかけているようだ。それは何かわからない。だが、無駄に広い構内はかつての志布志駅を象徴している。更に、かつての志布志駅跡地に設立された商業施設の広さも、必要以上に「昔」が伝わってくる。車両は「国鉄」だが、完全に無人化された駅は「JR」である。「旧」と「新」。二つの時代が融合した志布志駅は、果たしてこれからどのように変化していくのであろう。その答えは・・・

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ご覧の方は私が何を言いたいかお分かりであろう。かつては大隅線と志布志線が接続し、急行も停車する一大ターミナルであったのだが、現在はかつての構内であった場所に、新たに日南線用のホームを新設。線路と直角になるような形で駅舎ができた。側線が何本かあるが、最終列車が翌日まで停泊するらしい。

両翼を失ったかのような志布志駅はすっかり活気がなくなったかのようだ。もう列車で鹿屋や垂水等には訪れることはできない。盛栄極めたころの志布志駅があった場所は現在、商業施設となっている。商業施設に転換するには十分過ぎるくらいのスペースは、志布志駅のかつての盛隆を無言で物語っている。
私はこの先、廃止された「志布志線」の転換バスで都城へ、仮想「志布志線」として向かう予定だ。

さて「仮想・志布志線」のバスは、駅より若干徒歩を要し国道に出ると「志布志駅上」というバス停がある。基本、ここが志布志線代行バス乗り場だ。現在は「大隅交通ネットワーク」が担当している。5~7分遅れでやって来たバスは私たちが「初」乗客のようだ。走り出してすぐに右手に大きく弧を描くようなカーブの道路が見えてきた。その瞬間、私は即座に「旧・志布志線」の跡と確信。短い間であったが見えなくなるまで目で追い続けた。ようやく途中の停留所からポツリポツリとお客様が乗車。その大半が「高齢者」である。停留所はかなり山の中にばかりあり、集落と呼べる場所が見つからないような所を走っているが、岩川付近に来ると若干の集落が形成されてきた。旧・岩川駅付近にある「岩川」に着くと殆どの乗客が下車。乗っているのは私と途中から乗車してきた2人位だ。

集落は旧・末吉付近でもまた現れた。こうしてバスを乗っていると、意外と志布志線沿線は集落があったのかと、逆に勉強になった。そしてなんと、末吉バス停を少し出たところで車窓に「駅」を見たのだ!ホームや腕木信号などがあって、完全に駅が保存されていた。ホームを車窓より直角に見たということは、この道路のこの場所は以前「踏切」であったことは間違えないであろう。一瞬ではあったが、かなり原型を留めている事が確認できた。いずれ再訪してみたい。

バスは志布志線の起点「西都城」に着くころにはすっかり「都会」の街並みに変化。私の向かう都城より市の中心部に近く、ほぼ乗客が下車した。
そしていよいよ目的地の都城に到着した。私達は下車するが、バスの終点はバスセンターのため「スルー」していく。料金は確か1030円であった。勿論、ほぼ全区間乗車したのは私達だけである。この日は短い区間の乗客が多い中、私達のような「単価の高い」乗客がいた。私も少しは増収に貢献できたか?乗り潰し派には、この旧・志布志線の代行(転換)バスは必須であろう。旧・志布志線ルートは、バスからでも若干廃線跡を確認できるのでぜひお試しいただきたい。

それより気になるのは志布志駅であろう。日南線用に新設されたホームは私に何かを語りかけているようだ。それは何かわからない。だが、無駄に広い構内はかつての志布志駅を象徴している。更に、かつての志布志駅跡地に設立された商業施設の広さも、必要以上に「昔」が伝わってくる。車両は「国鉄」だが、完全に無人化された駅は「JR」である。「旧」と「新」。二つの時代が融合した志布志駅は、果たしてこれからどのように変化していくのであろう。その答えは・・・

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志布志、渋し!①
2013-03-23
「ドリームにちりん」で宮崎空港から折り返してきた私は、南宮崎で日南線に乗り換えた。南国ムード満点の「シーガイヤ」は、我々を夢の世界へと誘う。とは言うものの、ローカルムードも満点である。しかし、列車はそれなりの乗車率で、旅先ながら吊革に掴まっての出陣となってしまった。そんな中でも私を楽しませてくれたのが「子供の国」駅だ。神奈川県にある東急の駅は「こどもの国」と、若干綴りが異なる。その「違い」だけを楽しんだ私は「異端児」の部類に入るのか?

次の「青島」は「チンタオ」とは読まない。当たり前であるが、こんなことを考えながら吊革に掴まっている私はやはり普通ではないかもしれない。
若干の観光客をも乗せた列車は飫肥でほとんどの乗客が下車、しかし若干の乗車もあった。結局、路線名の日南を過ぎ、列車の終点油津までそれなりの乗車率であった。

さて、私は日南線の全線制覇の為に訪れたため、油津より先に行く事になるが、乗り換えまで40分近くある。ちょっと街を散策してみた。
私が訪れたのは5月である。この地方の5月と言えば「マグロ」が旬を迎え、脂がのっている、所謂「旬」の時期を迎える。黄肌まぐろや目鉢まぐろなど、市場には長細い発泡スチロールに大きい魚体が氷に埋もれ何段にも積まれている。中には「油津」との産地表示がなされたビニールがかぶさっており、産地の「アピール」にはなるが、この「油津」の地をどれくらいの人が「宮崎産」と答えられるであろうか?

さて、約40分のインターバルの後、私たちは志布志へ向かったが、島式ホームの向かい側には宮崎行に乗り込む園児達が保育士に誘導されて順番に乗車している。何とも微笑ましい光景であるが、この子達も後20年もすると日本経済を支えていく一人として活躍していくであろう。この「少子高齢化」の時代に芽吹く大事な生命である。

宮崎方面はおかげで満員御礼であるが、私たちは志布志方面に乗る。予想通り「貸切」と化したワンマン列車に揺られることになった。私たちの他に数名乗車しているが、1両でも多い車両編成をこの日は2両編成だ。途中「串間」若干下車すると思いきや、乗降客は「0」であった。日南線の主要駅も現在はこんなものなのであろうか?若干寂しさを感じざるを得ないが・・・

それを象徴するかのような「福島高松」という奇妙な駅に着く。所謂「秘境駅」として大変名高いが、私の印象は「秘境」と呼ぶほどでもない雰囲気である。が、決して「街」ではない。しかしながら南国ムード満点である。シンプルな駅舎であるが、なかなかいい味を醸し出しているが「秘境」と呼ぶにはいささか苦しい感がある。
やがて志布志に近付くと一気に視界が開けた。そう、太平洋が車窓より私の目に飛び込んできたのだ。そして僅かながら大隅半島に居ながらにして一望できる。そして間もなく終点の「志布志」に到着する・・・

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次の「青島」は「チンタオ」とは読まない。当たり前であるが、こんなことを考えながら吊革に掴まっている私はやはり普通ではないかもしれない。
若干の観光客をも乗せた列車は飫肥でほとんどの乗客が下車、しかし若干の乗車もあった。結局、路線名の日南を過ぎ、列車の終点油津までそれなりの乗車率であった。

さて、私は日南線の全線制覇の為に訪れたため、油津より先に行く事になるが、乗り換えまで40分近くある。ちょっと街を散策してみた。
私が訪れたのは5月である。この地方の5月と言えば「マグロ」が旬を迎え、脂がのっている、所謂「旬」の時期を迎える。黄肌まぐろや目鉢まぐろなど、市場には長細い発泡スチロールに大きい魚体が氷に埋もれ何段にも積まれている。中には「油津」との産地表示がなされたビニールがかぶさっており、産地の「アピール」にはなるが、この「油津」の地をどれくらいの人が「宮崎産」と答えられるであろうか?

さて、約40分のインターバルの後、私たちは志布志へ向かったが、島式ホームの向かい側には宮崎行に乗り込む園児達が保育士に誘導されて順番に乗車している。何とも微笑ましい光景であるが、この子達も後20年もすると日本経済を支えていく一人として活躍していくであろう。この「少子高齢化」の時代に芽吹く大事な生命である。

宮崎方面はおかげで満員御礼であるが、私たちは志布志方面に乗る。予想通り「貸切」と化したワンマン列車に揺られることになった。私たちの他に数名乗車しているが、1両でも多い車両編成をこの日は2両編成だ。途中「串間」若干下車すると思いきや、乗降客は「0」であった。日南線の主要駅も現在はこんなものなのであろうか?若干寂しさを感じざるを得ないが・・・

それを象徴するかのような「福島高松」という奇妙な駅に着く。所謂「秘境駅」として大変名高いが、私の印象は「秘境」と呼ぶほどでもない雰囲気である。が、決して「街」ではない。しかしながら南国ムード満点である。シンプルな駅舎であるが、なかなかいい味を醸し出しているが「秘境」と呼ぶにはいささか苦しい感がある。
やがて志布志に近付くと一気に視界が開けた。そう、太平洋が車窓より私の目に飛び込んできたのだ。そして僅かながら大隅半島に居ながらにして一望できる。そして間もなく終点の「志布志」に到着する・・・

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