仮想・阿佐線の旅③
2013-04-21
甲浦駅を出発した路線バスは、やはり海岸を走る印象は無く山間部特有のカーブの連続が我々の身体を左右に揺らす。まるで「日光・いろは坂」とは言わないが、とても「海」をテーマにしているとは思えないくらいカーブとアップダウンが激しい。恐らく鉄道であればトンネル区間となり数分で通り抜けるであろう。
室戸に近付く頃には海岸が顔を出し始めた。この辺で乗客が若干下車。奈半利へ向かう乗客は私たち二人となった。室戸と言えば「岬」が大変有名であるが、近年では「海洋深層水」で知られる。特に「海洋深層水ミネラルウォーター」は年間商材であり室戸市でも力を入れているが、人口は年々減少傾向にあり、1970年には約27000人だったのが2010年には約15000人と、ほぼ半分近く減少している。やはり鉄道の延伸は難しいのか・・・
奈半利に近付くと段々民家も増えてきて若干の乗客があった。そして「奈半利」という停留場の表示があったため「奈半利」と「奈半利駅」は違うのか?と運転手に問うた。すると「奈半利駅前」というバス停が別にあるらしい。とても便利であるが、下車したのは私たちグループのみであった。

(奈半利駅)
こちらも甲浦同様、駅前にはロータリーが整備されているが、売店などもあり若干活気づいているが、レールが途切れた先に延伸の準備は無い。しかしこれから向かう後免方面までは、かつて「土佐電気鉄道安芸線」として活躍していた路線とほぼ競合し、一部の用地は阿佐線の高架橋などに使用されている。
やはり中心駅は「安芸」であるが、某野球チームがキャンプ地としているため地元でもチームカラーを必死にアピール。「ここは道頓堀か?」と間違えてしまうほどの勢いだ。また、本社や車庫もここにあり、文字通り「拠点」である。

(安芸駅)
また、阿佐線では「オープンデッキ車両」が運転されており、車窓から見る太平洋は圧巻だが、私の訪問時は残念ながら予定に組み込めなかった・・・もちろん海岸側に「オープン」している。この事からも分かるように「観光」にも力を注いでおり、かなり「好調」のようだ。

(オープンデッキ車両・画像はウィキより転用)
私は「制覇」しなければならないため後免に到着したが、土電(土佐電気鉄道)の路面電車を制覇するため1分後に発車の奈半利行に乗り隣の「後免町」まで折り返すという、何とも不可思議な行動をとった。乗車した車両はJR仕様であった。つまり「乗り入れ車」だ。こちらもJRとの乗り入れ運転が行われ高知駅まで直通していて便利である。私は「高知発」に乗車したが、後免町から「土電」に乗り換え高知へ向かう者は「異色」に映るであろう・・・

(後免駅)
ザッとではあったが、阿佐線を完乗してみた。JR・バス・第三セクターと全く違った経営内容である路線であるが、かつては「国鉄」が鉄道として開通させようとした区間だ。時代と共にその「意味」が問われる事になってしまったが、もし開通して特急「むろと」が運転されていたらなんとなくワクワクするではないか!徳島⇔高知(室戸経由)などとサボに記されていたら思わず乗ってしまいそうな光景が目に浮かぶ。そんな期待が、現在運転されている特急「むろと」のネーミングに込められている気がしてならずにいた。

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室戸に近付く頃には海岸が顔を出し始めた。この辺で乗客が若干下車。奈半利へ向かう乗客は私たち二人となった。室戸と言えば「岬」が大変有名であるが、近年では「海洋深層水」で知られる。特に「海洋深層水ミネラルウォーター」は年間商材であり室戸市でも力を入れているが、人口は年々減少傾向にあり、1970年には約27000人だったのが2010年には約15000人と、ほぼ半分近く減少している。やはり鉄道の延伸は難しいのか・・・
奈半利に近付くと段々民家も増えてきて若干の乗客があった。そして「奈半利」という停留場の表示があったため「奈半利」と「奈半利駅」は違うのか?と運転手に問うた。すると「奈半利駅前」というバス停が別にあるらしい。とても便利であるが、下車したのは私たちグループのみであった。

(奈半利駅)
こちらも甲浦同様、駅前にはロータリーが整備されているが、売店などもあり若干活気づいているが、レールが途切れた先に延伸の準備は無い。しかしこれから向かう後免方面までは、かつて「土佐電気鉄道安芸線」として活躍していた路線とほぼ競合し、一部の用地は阿佐線の高架橋などに使用されている。
やはり中心駅は「安芸」であるが、某野球チームがキャンプ地としているため地元でもチームカラーを必死にアピール。「ここは道頓堀か?」と間違えてしまうほどの勢いだ。また、本社や車庫もここにあり、文字通り「拠点」である。

(安芸駅)
また、阿佐線では「オープンデッキ車両」が運転されており、車窓から見る太平洋は圧巻だが、私の訪問時は残念ながら予定に組み込めなかった・・・もちろん海岸側に「オープン」している。この事からも分かるように「観光」にも力を注いでおり、かなり「好調」のようだ。

(オープンデッキ車両・画像はウィキより転用)
私は「制覇」しなければならないため後免に到着したが、土電(土佐電気鉄道)の路面電車を制覇するため1分後に発車の奈半利行に乗り隣の「後免町」まで折り返すという、何とも不可思議な行動をとった。乗車した車両はJR仕様であった。つまり「乗り入れ車」だ。こちらもJRとの乗り入れ運転が行われ高知駅まで直通していて便利である。私は「高知発」に乗車したが、後免町から「土電」に乗り換え高知へ向かう者は「異色」に映るであろう・・・

(後免駅)
ザッとではあったが、阿佐線を完乗してみた。JR・バス・第三セクターと全く違った経営内容である路線であるが、かつては「国鉄」が鉄道として開通させようとした区間だ。時代と共にその「意味」が問われる事になってしまったが、もし開通して特急「むろと」が運転されていたらなんとなくワクワクするではないか!徳島⇔高知(室戸経由)などとサボに記されていたら思わず乗ってしまいそうな光景が目に浮かぶ。そんな期待が、現在運転されている特急「むろと」のネーミングに込められている気がしてならずにいた。

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仮想・阿佐線の旅②
2013-04-20
海部より第三セクターによる開業区間「阿佐海岸鉄道・阿佐東線」に揺られ甲浦を目指す。地図上では牟岐線も阿佐東線も海岸付近を通っているように見えるが、実際の車窓は「伊豆」の景色と間違えてしまうほど山間部である。かなりトンネルが多く、「海岸鉄道」は異名に思えるが、それなりの演出も準備してあった。車内はトンネルに入るたびに年末を思わせる「聖なる光」がお目見えする。

(阿佐東線の車内)
阿佐東線は、全長8.5kmの短い路線であるが、ほとんど牟岐線の一部として機能しているといってもいいであろう。もちろん自社線内の運用があるのは当然だが、JRとの乗り入れもあり直通客にはとても便利だ。途中、宍喰駅は本社と車庫があり、当駅止まりの列車も設定されている阿佐東線の中心駅だ。ほぼ全線に渡り高架を走るため線形は良く、駅も全駅高架であるが、ワンマン単行の往復では若干過剰な設備の感時の印象である。

(甲浦駅)
海部を出て10分程で終点甲浦に到着した。駅の遙か彼方に海岸を望めるが、徒歩では若干時間を要するようだ。鉄道路線はここから更に室戸を経由して阿佐線・奈半利より後免に到達する計画であったが、現在は後免~奈半利が「土佐くろしお鉄道」として開業している。甲浦~室戸~奈半利は周知の通り未成線であるが「よし、作るぞ!」という「意思表示」はこの甲浦駅からは伝わってこない。その理由は・・・阿佐東線の線路は甲浦でプツリと途切れているが、その延長線上に駅舎がある。つまり延伸の際は駅舎を壊すか移築しない限りレールの敷設は不可能な設計になっている。

(甲浦駅・駅舎)
実際に地元でもこの「延伸」についてはほぼ関心が無いらしく「室戸への延長を!」みたいな運動や看板もほぼ皆無である。「モータリゼーション」といわれて久しいが、時代の変化と共に先代の夢と希望も今や本当に「夢」として消え去ろうとしている。
しかし未成線の区間は「路線バス」が結んでいる。某テレビ番組の「ローカル路線バス乗継ぎの旅」でも紹介された「高知東部交通」がこの路線を受け持つ。甲浦~安芸まで室戸岬を経由して約2時間、2800円は高いか安いか・・・私は奈半利までなので2340円であるが、路線バスにこれだけの料金を支払うのは「初」の試みだけに若干勇気がいる。
路線バスは甲浦駅の始発ではなく「甲浦岸壁」というバス停からやってくる。甲浦駅前は若干ロータリーになっておりバス乗り場も整備されてはいるが「駅前」と呼べるほどの賑やかさは無く、むしろ「秘境」に近い。民家は点々と存在するが、駅は国道や県道と接しておらず、一本奥に入るような形をとっているためそういう印象を受けるのかもしれない。
さて、若干4分遅れでやって来た「路線バス」はそれなりの「バス」でありマイクロではなかったのでいい意味で裏切られた感じだが、乗客は1から2名いた。甲浦駅からの乗車は私たちを含め約6名ほど。この乗客が全員「安芸」までは行かないであろうが、若干観光風の身なりの乗客もあり、それなりの「機能」はあるであろうが絶対数が僅少であろう。複雑な思いを乗せ、いざ奈半利へ向かう。

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(阿佐東線の車内)
阿佐東線は、全長8.5kmの短い路線であるが、ほとんど牟岐線の一部として機能しているといってもいいであろう。もちろん自社線内の運用があるのは当然だが、JRとの乗り入れもあり直通客にはとても便利だ。途中、宍喰駅は本社と車庫があり、当駅止まりの列車も設定されている阿佐東線の中心駅だ。ほぼ全線に渡り高架を走るため線形は良く、駅も全駅高架であるが、ワンマン単行の往復では若干過剰な設備の感時の印象である。

(甲浦駅)
海部を出て10分程で終点甲浦に到着した。駅の遙か彼方に海岸を望めるが、徒歩では若干時間を要するようだ。鉄道路線はここから更に室戸を経由して阿佐線・奈半利より後免に到達する計画であったが、現在は後免~奈半利が「土佐くろしお鉄道」として開業している。甲浦~室戸~奈半利は周知の通り未成線であるが「よし、作るぞ!」という「意思表示」はこの甲浦駅からは伝わってこない。その理由は・・・阿佐東線の線路は甲浦でプツリと途切れているが、その延長線上に駅舎がある。つまり延伸の際は駅舎を壊すか移築しない限りレールの敷設は不可能な設計になっている。

(甲浦駅・駅舎)
実際に地元でもこの「延伸」についてはほぼ関心が無いらしく「室戸への延長を!」みたいな運動や看板もほぼ皆無である。「モータリゼーション」といわれて久しいが、時代の変化と共に先代の夢と希望も今や本当に「夢」として消え去ろうとしている。
しかし未成線の区間は「路線バス」が結んでいる。某テレビ番組の「ローカル路線バス乗継ぎの旅」でも紹介された「高知東部交通」がこの路線を受け持つ。甲浦~安芸まで室戸岬を経由して約2時間、2800円は高いか安いか・・・私は奈半利までなので2340円であるが、路線バスにこれだけの料金を支払うのは「初」の試みだけに若干勇気がいる。
路線バスは甲浦駅の始発ではなく「甲浦岸壁」というバス停からやってくる。甲浦駅前は若干ロータリーになっておりバス乗り場も整備されてはいるが「駅前」と呼べるほどの賑やかさは無く、むしろ「秘境」に近い。民家は点々と存在するが、駅は国道や県道と接しておらず、一本奥に入るような形をとっているためそういう印象を受けるのかもしれない。
さて、若干4分遅れでやって来た「路線バス」はそれなりの「バス」でありマイクロではなかったのでいい意味で裏切られた感じだが、乗客は1から2名いた。甲浦駅からの乗車は私たちを含め約6名ほど。この乗客が全員「安芸」までは行かないであろうが、若干観光風の身なりの乗客もあり、それなりの「機能」はあるであろうが絶対数が僅少であろう。複雑な思いを乗せ、いざ奈半利へ向かう。

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仮想・阿佐線の旅①
2013-04-19
阿佐線をご存じであろうか?というより皆さんの方がよくご存知であろう。私が説明するまでもないが、あえて説明させていただくと・・・
阿佐線とは、鉄道敷設法によると「高知縣後免ヨリ安藝(芸)、徳島縣日和佐ヲ經テ古庄附近ニ至ル鐵道」と記されている。阿波と土佐、つまり徳島県と高知県を室戸岬経由で結ぼうというわけだ。ということで全線開通目指して工事が進められていたが、いわゆる「国鉄再建法」により1980年に工事が中断された。しかしほとんど完成していた事を受け、第三セクター会社を発足させ工事を再開させた。1986年には後免~奈半利が、1988年には海部~甲浦が工事を再開し1992年に海部~甲浦が、2002年には後免~奈半利がそれぞれ開業し現在に至っている。徳島県側の、いわゆる「阿佐東線」は一部牟岐線と阿佐海岸鉄道として、高知県側の、いわゆる「阿佐西線」は土佐くろしお鉄道阿佐線としてそれぞれ営業しているが、新しい鉄道ファンはこのふたつの路線がひとつになる事はあまりピンとこないであろう。私自身もあまりピンとこないし完全に「別のもの」と捉えている。会社のカラーが全く違うし性格も違う。実際にこのふたつの路線がつながる事はほぼ夢で終わるであろう。しかし未成線の部分は「路線バス」が結んでいる。このバスを使うことによって「仮想・阿佐線」が体験できるのである。
(徳島駅で発車を待つ「むろと」)
さて、私の「阿佐線」へのアプローチは「サンライズ」で高松へ降り立った後「うずしお」で徳島へと向かった。時は2012年1月。そして特急「むろと」に乗り換え、牟岐線への参戦となった訳だ。実は高徳線と牟岐線に関しては1984年8月に、当時四国の国鉄路線を全線制覇しに訪れたのだが、その時以来の訪問で、その間なんと28年!単純に28年というと28年前に生まれた人が現在28歳になっているという事だ。そういえば、私の義弟が昭和59年生まれ、つまり1984年生まれだ!そう、彼がオギャーと産声を上げたときに私は「鉄道八十八か所めぐり」をしていたことになる。私も年を取るわけだ・・・

(牟岐では同じホームで乗り換えができて便利)
牟岐線の中心駅は「南小松島」と「阿南」であろう。駅付近は意外に賑やかだ。特に南小松島は「小松島線」が廃止れて以来、小松島市の「顔」となり活躍している。1984年に訪問の際はここより歩いて小松島港駅まで行った。途中、銭湯に寄ったりしたがフェリー乗場もあり「港町」といった風情か。途中「田井ノ浜」という、海水浴シーズンのみに開設される臨時駅もあり、意外に沿線は賑やかだ。やがて牟岐に着いた特急「むろと」はすぐ隣のホームにいる普通列車海部行きと接続する。できれば甲浦まで乗換え無しで行きたいのが本音であったが、会社も違う事だしあえて乗り換えがあった方が、程よくいい運動になる。そして海部に着くと早速「阿佐海岸鉄道」に乗り換え甲浦まで行くこととなる。

(海部駅に進入する阿佐東線のDC)
「徳島縣日和佐ヲ經テ古庄附近ニ至ル」部分は完全に牟岐線の一部として既に開業している。また阿佐海岸鉄道もその一部を構成している。国鉄(JR)としては牟岐~海部の区間が牟岐線内では一番新しく、昭和48年の開業だ。終点の海部は高架駅であるが、当時は一面一線で無人駅であった。しかしながら将来に向け、隣には列車交換用の線路とホームのスペースが用意されており「未来」の材料が明るく映っていた。


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阿佐線とは、鉄道敷設法によると「高知縣後免ヨリ安藝(芸)、徳島縣日和佐ヲ經テ古庄附近ニ至ル鐵道」と記されている。阿波と土佐、つまり徳島県と高知県を室戸岬経由で結ぼうというわけだ。ということで全線開通目指して工事が進められていたが、いわゆる「国鉄再建法」により1980年に工事が中断された。しかしほとんど完成していた事を受け、第三セクター会社を発足させ工事を再開させた。1986年には後免~奈半利が、1988年には海部~甲浦が工事を再開し1992年に海部~甲浦が、2002年には後免~奈半利がそれぞれ開業し現在に至っている。徳島県側の、いわゆる「阿佐東線」は一部牟岐線と阿佐海岸鉄道として、高知県側の、いわゆる「阿佐西線」は土佐くろしお鉄道阿佐線としてそれぞれ営業しているが、新しい鉄道ファンはこのふたつの路線がひとつになる事はあまりピンとこないであろう。私自身もあまりピンとこないし完全に「別のもの」と捉えている。会社のカラーが全く違うし性格も違う。実際にこのふたつの路線がつながる事はほぼ夢で終わるであろう。しかし未成線の部分は「路線バス」が結んでいる。このバスを使うことによって「仮想・阿佐線」が体験できるのである。

さて、私の「阿佐線」へのアプローチは「サンライズ」で高松へ降り立った後「うずしお」で徳島へと向かった。時は2012年1月。そして特急「むろと」に乗り換え、牟岐線への参戦となった訳だ。実は高徳線と牟岐線に関しては1984年8月に、当時四国の国鉄路線を全線制覇しに訪れたのだが、その時以来の訪問で、その間なんと28年!単純に28年というと28年前に生まれた人が現在28歳になっているという事だ。そういえば、私の義弟が昭和59年生まれ、つまり1984年生まれだ!そう、彼がオギャーと産声を上げたときに私は「鉄道八十八か所めぐり」をしていたことになる。私も年を取るわけだ・・・

(牟岐では同じホームで乗り換えができて便利)
牟岐線の中心駅は「南小松島」と「阿南」であろう。駅付近は意外に賑やかだ。特に南小松島は「小松島線」が廃止れて以来、小松島市の「顔」となり活躍している。1984年に訪問の際はここより歩いて小松島港駅まで行った。途中、銭湯に寄ったりしたがフェリー乗場もあり「港町」といった風情か。途中「田井ノ浜」という、海水浴シーズンのみに開設される臨時駅もあり、意外に沿線は賑やかだ。やがて牟岐に着いた特急「むろと」はすぐ隣のホームにいる普通列車海部行きと接続する。できれば甲浦まで乗換え無しで行きたいのが本音であったが、会社も違う事だしあえて乗り換えがあった方が、程よくいい運動になる。そして海部に着くと早速「阿佐海岸鉄道」に乗り換え甲浦まで行くこととなる。

(海部駅に進入する阿佐東線のDC)
「徳島縣日和佐ヲ經テ古庄附近ニ至ル」部分は完全に牟岐線の一部として既に開業している。また阿佐海岸鉄道もその一部を構成している。国鉄(JR)としては牟岐~海部の区間が牟岐線内では一番新しく、昭和48年の開業だ。終点の海部は高架駅であるが、当時は一面一線で無人駅であった。しかしながら将来に向け、隣には列車交換用の線路とホームのスペースが用意されており「未来」の材料が明るく映っていた。


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