西遊記 ③
2022-12-03
名古屋で下車したムーンライトながらを名残惜しみながら見送り、そして中央線のホームへ向かう。中央線では金山までは東京方面に戻る形になるが、かつては東海道線のホームは無く、現在の姿が何となく不自然に感じる。もちろん現在は周知の通り金山で東海道線や名鉄に乗り換えられるメリットが発生するため非常に便利になったが、どうも私は国鉄時代の感覚が抜けないらしい。
その金山を過ぎ、私が下車した駅は勝川。正直、あまり馴染みの無い未知の駅であったが、東海交通事業の始発となりその名を知る事になった。とは大袈裟であるが、恐らくこういう機会が無ければ縁がなかったであろう。JRとはやや離れた場所にある東海交通事業の勝川は、私の訪問時にはまだ完成形ではなく、いかにも今すぐ中央線とドッキングするかのような状態であったが、駅は仮住居のような佇まいであった。ただ、その時からかなり時間が経過している現在であるが、未だ当時のまま「仮設」である。
というより、元々は貨物列車専用的な路線として計画されていたため基本的には客流動的な事は最初から計画の範囲外だった。そして本来は終点だった清洲が後に枇杷島に変更された事については皆様の方がよくご存知であろうと思われるが、要するに名古屋を迂回する形で貨物専用路線が計画されていたのを旅客路線に転用した訳なので、沿線はかなり宅地化が進んだものの、利用者が進みたい方向に路線が敷かれているがどうかは未知数であるため利用者数値的にはやや劣勢になっているという事だ。

勝川で中央線より東海交通事業に乗り換えるのだが、お互い離れている位置にあるため少々歩く。高架が途中で途切れているような造りになっているのは、当然ながら中央線とドッキング予定であるのがわかりやすい設計になっているので、一応JR側に乗り入れるような意思を感じる事ができる。しかし、私の訪問時より十年以上経過した現在も中央線とは繋がっておらず、ご覧の状態のまま現在に至る。
しかしながらあのような立派なレールに1両編成の単行列車を走らせるのはややもったいない気もするが、せっかく作ったのだから活用しようという意味も込められていよう。ただ、勝川からの沿線風景は私の予想に反して意外にも宅地化されている場面も少なくない。
そして立派な高架橋を走っているのだから大都会の鉄道と何ら遜色無いのだが、肝心の愛知県中心部へは競合他社と路線が交差するものの連絡機能がないため乗り換える駅が無い。更に運賃がやや高値なのと、大都会近郊にしては運転本数もそう多くなく、走っている車両がレールバスのような華奢な車両のためスピード感がやや薄いイメージである。つまり地元の方にしてみたら利用しやすいとは言えないかも知れない状況の城北線であるので、更に親会社も路線の飛躍に積極性を感じられない状況になっているのだ。
とは言うものの、何だかんだ言っても散々楽しんでいた私であるが、気が付けば終点の枇杷島に着いてしまい少々残念な思いを抱いていたのだから、やはり「全線制覇」という課題が無ければ知る事ができなかったわけだ。人生何があるかわからない。少々名残惜しい気持ちであるが、通勤時間帯でありながらややひっそりした跨線橋を渡り東海道線のホームへ急いだ。


最初はほとんど区別がつかないであろう勝川の駅名標である。上がJR東海で下が東海交通事業であるのはお分かりであろうが、東海交通事業の方が仮駅というのがややもったいない。
東海道線のホームへ来た途端一気に気持ちが切り替わり、枇杷島よりひとつ戻り名古屋で関西線に乗り換える。私が関西線を訪れたのは1982年3月と8月であるが、関西線の名古屋~亀山まで電化されたのは1982年5月なので、私は電化直前と直後に訪れたことになる。この辺りでは並走する競合他社とデッドヒートを繰り広げ…と言いたいところであるが、当時はスピードでも料金でも運転本数でも競合他社の圧勝で、国鉄はDCやDLが牽引する旧型客車などが運用されていたわけだから、当然ながらほとんどの地元民は近鉄を利用するであろう。

大都会近郊なのにたった一両編成で大丈夫?と言いたくなるのだが、その大都会を迂回するような形をとる城北線なので少々残念な気持ちもある。しかし沿線人口は決して少なくないのでもっと良い活用法が出てくる事に期待したい。
それでも国鉄は少しでも抵抗しようと電化したわけであるが、あれから40年程経過した現在はどのように変化しているのであろうか。今回の旅で私が乗車した限りでは、朝のラッシュ時では少なくとも車両編成は短いながらも上り列車はフルハウスであった。私が乗車した下り方面は座席が選べるほどの乗車率だったが、旧型客車の国鉄時代からすれば格段の進歩であろう。もちろん、旅情を誘うには旧型客車のほうが俄然テンションマックスであろうが…

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その金山を過ぎ、私が下車した駅は勝川。正直、あまり馴染みの無い未知の駅であったが、東海交通事業の始発となりその名を知る事になった。とは大袈裟であるが、恐らくこういう機会が無ければ縁がなかったであろう。JRとはやや離れた場所にある東海交通事業の勝川は、私の訪問時にはまだ完成形ではなく、いかにも今すぐ中央線とドッキングするかのような状態であったが、駅は仮住居のような佇まいであった。ただ、その時からかなり時間が経過している現在であるが、未だ当時のまま「仮設」である。
というより、元々は貨物列車専用的な路線として計画されていたため基本的には客流動的な事は最初から計画の範囲外だった。そして本来は終点だった清洲が後に枇杷島に変更された事については皆様の方がよくご存知であろうと思われるが、要するに名古屋を迂回する形で貨物専用路線が計画されていたのを旅客路線に転用した訳なので、沿線はかなり宅地化が進んだものの、利用者が進みたい方向に路線が敷かれているがどうかは未知数であるため利用者数値的にはやや劣勢になっているという事だ。

勝川で中央線より東海交通事業に乗り換えるのだが、お互い離れている位置にあるため少々歩く。高架が途中で途切れているような造りになっているのは、当然ながら中央線とドッキング予定であるのがわかりやすい設計になっているので、一応JR側に乗り入れるような意思を感じる事ができる。しかし、私の訪問時より十年以上経過した現在も中央線とは繋がっておらず、ご覧の状態のまま現在に至る。
しかしながらあのような立派なレールに1両編成の単行列車を走らせるのはややもったいない気もするが、せっかく作ったのだから活用しようという意味も込められていよう。ただ、勝川からの沿線風景は私の予想に反して意外にも宅地化されている場面も少なくない。
そして立派な高架橋を走っているのだから大都会の鉄道と何ら遜色無いのだが、肝心の愛知県中心部へは競合他社と路線が交差するものの連絡機能がないため乗り換える駅が無い。更に運賃がやや高値なのと、大都会近郊にしては運転本数もそう多くなく、走っている車両がレールバスのような華奢な車両のためスピード感がやや薄いイメージである。つまり地元の方にしてみたら利用しやすいとは言えないかも知れない状況の城北線であるので、更に親会社も路線の飛躍に積極性を感じられない状況になっているのだ。
とは言うものの、何だかんだ言っても散々楽しんでいた私であるが、気が付けば終点の枇杷島に着いてしまい少々残念な思いを抱いていたのだから、やはり「全線制覇」という課題が無ければ知る事ができなかったわけだ。人生何があるかわからない。少々名残惜しい気持ちであるが、通勤時間帯でありながらややひっそりした跨線橋を渡り東海道線のホームへ急いだ。


最初はほとんど区別がつかないであろう勝川の駅名標である。上がJR東海で下が東海交通事業であるのはお分かりであろうが、東海交通事業の方が仮駅というのがややもったいない。
東海道線のホームへ来た途端一気に気持ちが切り替わり、枇杷島よりひとつ戻り名古屋で関西線に乗り換える。私が関西線を訪れたのは1982年3月と8月であるが、関西線の名古屋~亀山まで電化されたのは1982年5月なので、私は電化直前と直後に訪れたことになる。この辺りでは並走する競合他社とデッドヒートを繰り広げ…と言いたいところであるが、当時はスピードでも料金でも運転本数でも競合他社の圧勝で、国鉄はDCやDLが牽引する旧型客車などが運用されていたわけだから、当然ながらほとんどの地元民は近鉄を利用するであろう。

大都会近郊なのにたった一両編成で大丈夫?と言いたくなるのだが、その大都会を迂回するような形をとる城北線なので少々残念な気持ちもある。しかし沿線人口は決して少なくないのでもっと良い活用法が出てくる事に期待したい。
それでも国鉄は少しでも抵抗しようと電化したわけであるが、あれから40年程経過した現在はどのように変化しているのであろうか。今回の旅で私が乗車した限りでは、朝のラッシュ時では少なくとも車両編成は短いながらも上り列車はフルハウスであった。私が乗車した下り方面は座席が選べるほどの乗車率だったが、旧型客車の国鉄時代からすれば格段の進歩であろう。もちろん、旅情を誘うには旧型客車のほうが俄然テンションマックスであろうが…

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城北線の素顔
2013-04-22
城北線とは?と問われて、どう返せばいいのであろう・・・「名古屋城の北側を走る鉄道」と説明すればお分かりであろうか?かなり拡大解釈の「北側」であるが、やはり鉄道愛好家と関係者以外は一般的ではない知名度であろう。
一応「一般的」な方にもわかっていただくために説明させていただくと、愛知県にある鉄道であり、中央線「勝川」から東海道線「枇杷島」を結ぶ全長11.2kmの非電化・複線の路線である。非電化であるが「複線」であるのがとても気になる。新しい鉄道愛好家の方は実感としてあまりピンと来ないであろうが、かつては改正鉄道敷設法に「愛知県岡崎ヨリ挙母ヲ経テ岐阜県多治見ニ至ル鉄道」という計画があった。つまり国鉄時代の「岡多線」、現在の「愛知環状鉄道」である。これに目をつけた国鉄は「愛知県瀬戸ヨリ稲沢ニ至ル鉄道」を計画。名称は「瀬戸線」、つまり現在の「城北線」の原型となる計画だ。この岡多線と瀬戸線を繋げ、貨物専用路線にしようと考えたのだ。

(勝川駅で発車を待つ城北線DC)
その昔、所謂旅客ターミナルに貨物列車を通過させるということは、増え続ける貨物を効率よく運用するのには限界があったようで、貨物列車用の別線を建設し名古屋駅を通らせない「バイパス」として機能させるべく、この城北線が提案されたのだ。イメージ的には「武蔵野線」や「京葉線」と思えばいいかもしれないが、現在の城北線の姿を見ると、とても「京葉線」のイメージとは程遠い。とはいっても現在、武蔵野線などは「貨物主体」の設計のため、旅客に転用するには使い勝手が悪いイメージだ。特に「府中本町」は典型的な例といっていいであろう。
という歴史の中、国鉄再建法により建設が中断したが、JR東海が「瀬戸線」を受け継いだ。詳しい歴史についてはこちらを参考していただくとしよう。
さて、私は2010年4月、城北線を「旅客」として乗りに来た。会社名は「東海交通事業」。JR東海の子会社だ。設備をJR東海が保有し、列車運行を東海交通事業が運営する。なんだか複雑であるが、乗車するにも複雑だ。私は勝川から乗車したのだが、中央線の勝川からかなり歩かされた。その距離約500m!なんでこのような距離があるのかというと、開業当時、中央線・勝川駅は地上駅であったが、高架化事業が決定し完成後に城北線統合する予定であった。そのため中央線の駅に乗り入れることができず、高架完成を待つ事となった。そして2009年に完成したが、城北線はまだ中央線の方に移設される気配はない・・・という経緯で、いずれは統合されるであろうが・・・

(勝川駅では高架橋が途切れている。まもなく中央線の勝川駅と統合予定であるが・・・)
階段を登り高架上のホームに行く。駅員は居らず、車内で運賃を精算する「ワンマン列車」だ。おりしも私の乗車した時間は朝の通勤ラッシュ時間帯であるが、完全に別世界の異空間と化した「交通事業」である。それもそのはず、先述した「貨物主体」で設計されたため、沿線は人口希薄地帯を通るのだ。と言っても中京地区の中心部に近いためそれなりの利用はあると思われるのであるが・・・DCの単行で間に合ってしまう程の輸送量である。

(JR東海を思わせる勝川駅の駅名表)
一応、JR東海の系列会社とあって、駅名表もそれっぽい。だから思わず「青春18」でも利用できそうであるが、残念ながら「別料金」だ。
沿線風景はといえば、高速道路にピッタリとくっついて敷設されているため、高速道路の観測には大変重宝する。高速道路と反対側といえば、中京地区中心近郊というのに田園風景がいくつも眺められる。しかも全線高架のため眺めがいい。更に「フレートライナー」が高速走行する設計のため、乗り心地はとても悪くない!全線複線化されているが、すれ違った列車の記憶が無い位のダイヤ設定のため、景色をじっくり堪能できる。
一応「小田井」では地下鉄や名鉄に乗り換える事ができるみたいだが「できるみたい」と表現してしまうほど接続駅としての印象は薄い。
やがて終点の枇杷島に着くが、こちらは貨物専用の線路上にホームが設置されており、歴史の名残がうかがえるが、東海道線のホームとは跨線橋で結ばれていて乗換えに便利である。さすがはグループ同士、グループとしての威力を充分発揮している様に感じる。

(枇杷島駅に到着した「TKJ」。)
元の計画では稲沢に接続する事になっていたが、名古屋方面に直通することを考えて枇杷島に変更されたらしい。しかし本当に本来の目的で使用される日は果たして来るのか?この「過剰」ともいえる設備を活かせる時は来るのか?歴史を知らないととても複雑な気持ちになる「TKJ」は、歴史を知っていても複雑な心境だ。

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一応「一般的」な方にもわかっていただくために説明させていただくと、愛知県にある鉄道であり、中央線「勝川」から東海道線「枇杷島」を結ぶ全長11.2kmの非電化・複線の路線である。非電化であるが「複線」であるのがとても気になる。新しい鉄道愛好家の方は実感としてあまりピンと来ないであろうが、かつては改正鉄道敷設法に「愛知県岡崎ヨリ挙母ヲ経テ岐阜県多治見ニ至ル鉄道」という計画があった。つまり国鉄時代の「岡多線」、現在の「愛知環状鉄道」である。これに目をつけた国鉄は「愛知県瀬戸ヨリ稲沢ニ至ル鉄道」を計画。名称は「瀬戸線」、つまり現在の「城北線」の原型となる計画だ。この岡多線と瀬戸線を繋げ、貨物専用路線にしようと考えたのだ。

(勝川駅で発車を待つ城北線DC)
その昔、所謂旅客ターミナルに貨物列車を通過させるということは、増え続ける貨物を効率よく運用するのには限界があったようで、貨物列車用の別線を建設し名古屋駅を通らせない「バイパス」として機能させるべく、この城北線が提案されたのだ。イメージ的には「武蔵野線」や「京葉線」と思えばいいかもしれないが、現在の城北線の姿を見ると、とても「京葉線」のイメージとは程遠い。とはいっても現在、武蔵野線などは「貨物主体」の設計のため、旅客に転用するには使い勝手が悪いイメージだ。特に「府中本町」は典型的な例といっていいであろう。
という歴史の中、国鉄再建法により建設が中断したが、JR東海が「瀬戸線」を受け継いだ。詳しい歴史についてはこちらを参考していただくとしよう。
さて、私は2010年4月、城北線を「旅客」として乗りに来た。会社名は「東海交通事業」。JR東海の子会社だ。設備をJR東海が保有し、列車運行を東海交通事業が運営する。なんだか複雑であるが、乗車するにも複雑だ。私は勝川から乗車したのだが、中央線の勝川からかなり歩かされた。その距離約500m!なんでこのような距離があるのかというと、開業当時、中央線・勝川駅は地上駅であったが、高架化事業が決定し完成後に城北線統合する予定であった。そのため中央線の駅に乗り入れることができず、高架完成を待つ事となった。そして2009年に完成したが、城北線はまだ中央線の方に移設される気配はない・・・という経緯で、いずれは統合されるであろうが・・・

(勝川駅では高架橋が途切れている。まもなく中央線の勝川駅と統合予定であるが・・・)
階段を登り高架上のホームに行く。駅員は居らず、車内で運賃を精算する「ワンマン列車」だ。おりしも私の乗車した時間は朝の通勤ラッシュ時間帯であるが、完全に別世界の異空間と化した「交通事業」である。それもそのはず、先述した「貨物主体」で設計されたため、沿線は人口希薄地帯を通るのだ。と言っても中京地区の中心部に近いためそれなりの利用はあると思われるのであるが・・・DCの単行で間に合ってしまう程の輸送量である。

(JR東海を思わせる勝川駅の駅名表)
一応、JR東海の系列会社とあって、駅名表もそれっぽい。だから思わず「青春18」でも利用できそうであるが、残念ながら「別料金」だ。
沿線風景はといえば、高速道路にピッタリとくっついて敷設されているため、高速道路の観測には大変重宝する。高速道路と反対側といえば、中京地区中心近郊というのに田園風景がいくつも眺められる。しかも全線高架のため眺めがいい。更に「フレートライナー」が高速走行する設計のため、乗り心地はとても悪くない!全線複線化されているが、すれ違った列車の記憶が無い位のダイヤ設定のため、景色をじっくり堪能できる。
一応「小田井」では地下鉄や名鉄に乗り換える事ができるみたいだが「できるみたい」と表現してしまうほど接続駅としての印象は薄い。
やがて終点の枇杷島に着くが、こちらは貨物専用の線路上にホームが設置されており、歴史の名残がうかがえるが、東海道線のホームとは跨線橋で結ばれていて乗換えに便利である。さすがはグループ同士、グループとしての威力を充分発揮している様に感じる。

(枇杷島駅に到着した「TKJ」。)
元の計画では稲沢に接続する事になっていたが、名古屋方面に直通することを考えて枇杷島に変更されたらしい。しかし本当に本来の目的で使用される日は果たして来るのか?この「過剰」ともいえる設備を活かせる時は来るのか?歴史を知らないととても複雑な気持ちになる「TKJ」は、歴史を知っていても複雑な心境だ。

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