「呉線経由」はいかがでしょう?
2013-04-24
かつて、寝台特急「安芸」が呉線経由で運転していた頃、私は小学生であった。「呉線」とは耳慣れない路線を経由して西へ向かう特急列車は頬他のブルートレインより異色に映ったものだ。呉線は、ご存じ広島県にある山陽本線の「迂回路線」的存在の路線だ。呉線の中心的存在の呉駅は、かつて軍港都市として栄え、軍都である広島駅と結ぶ重要な路線として活躍する一方、沿線に軍事施設が多く存在し「要塞地帯」に指定されたこともあった。このことから、呉線は軍とのつながりが非常に強いことがお判りであろう。平和になった現在は、広島地区のベットタウンとなり沿線人口が増えて通勤・通学の輸送が主体な路線である。

(広駅に停車中の三原行き)
私は2009年8月に、いわゆる「普通」の利用でない鉄道利用で呉線を経由した。列車は広島を中心に運転しているが、戸籍上は枝分かれする「海田市」が起点(終点)となる。広島の宿泊先から「スカイレール」を制覇後にいったん広島に戻り、いよいよ呉線の制覇となった。「スカイレール」についてはとても印象深かったので後日紹介したいと思うが、今紹介の呉線もなかなか印象深かった。沿線の印象は、先述したように「要塞地帯」の名残か、造船所はじめ「海」の設備が非常に多く目立つ。しかし訪れたのは通勤時間帯から外れ、とても穏やかな時の流れが車内を包み込んでいた。私の好きな時間、あまり乗客が無く、ワンボックスを独り占領し車窓を眺める・・・この雰囲気がたまらなく好きである。

呉駅に向かう途中「呉ポートピア」駅がある。ちょうどバブル絶頂期の1992年に開園した遊園地の最寄駅として活躍したが、1998年に閉園してしまった。しかし駅自体は、利用者もそこそこあることから残され、駅名もそのままだ。現在は公園として広く開放しているが、車窓からもその様子がうかがえる。
その公園を後にすると、この路線の中心的存在・呉駅に到着する。車窓からも分かるように、市街地が広がり清栄を見せているが、先述の通り、かつては軍港として栄えた。そして呉線は「迂回路線」としての機能もある。赤穂線や中央線、天竜浜名湖鉄道(国鉄時代の二俣線)など似たような役目をしていた。つまり敵の攻撃を受けても物資輸送ができるよう「補助」の役目を果たした。

広島の通勤圏は広駅くらいまでか。一応呉とともに主要駅の役割をしていて当駅始発の列車も多いが、広以東は急激に列車本数が少なくなる。
そんな中、若干気になる駅がある。それは「仁方」だ。実はかつてここから四国の堀江まで国鉄の「連絡船」があった。その名も「仁堀航路」である。新しい鉄道ファンには馴染みない連絡船とは思うが、というより「「連絡船」自体に馴染みがないと思うが、連絡船というカテゴリーの中ではかなり地味な存在であった。「トンネル」「橋」の開通により廃止されたのではなく、いわゆるローカル線のような「赤字」による廃止であった。仁方・堀江とも地味な存在であったうえ、駅と連絡船乗場まで200mから300mある

しかしながら鉄道愛好家には大変重宝したようで、例えばあの鉄道紀行作家・宮脇○三氏は「最長片道切符の旅」の際にも「片道」を利用している。そして、いわゆる「青春18」でも利用できたため、私も一度は試してみたかったが、残念ながら「山田恵一」のように去ってしまった・・・(わかる人のみ拍手お願いします!)
山陽本線の「迂回路」として経由した場合、約22kmの差が出てくる。途中下車なしで経由した場合は「特定区間」という鉄道規則の特典で「距離の短い方で」運賃計算される。つまり山陽本線で例えば三原以東から乗車し海田市以西に呉線で行く場合は、途中で降りなければ(改札を出なければ)山陽本線で移動したこととなり、約22km分得したことになるのだ。途中、呉駅で下車すると「呉みなと祭」が 4月28日または4月29日「呉海上花火大会」が 7月「亀山神社大祭 」が10月9日~10月10日と、それぞれ楽しむかとができるのでぜひ訪問してみてはいかがでしょう?しかし、その際に「特定区間」のルールは採用されないのでご注意を・・・

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(広駅に停車中の三原行き)
私は2009年8月に、いわゆる「普通」の利用でない鉄道利用で呉線を経由した。列車は広島を中心に運転しているが、戸籍上は枝分かれする「海田市」が起点(終点)となる。広島の宿泊先から「スカイレール」を制覇後にいったん広島に戻り、いよいよ呉線の制覇となった。「スカイレール」についてはとても印象深かったので後日紹介したいと思うが、今紹介の呉線もなかなか印象深かった。沿線の印象は、先述したように「要塞地帯」の名残か、造船所はじめ「海」の設備が非常に多く目立つ。しかし訪れたのは通勤時間帯から外れ、とても穏やかな時の流れが車内を包み込んでいた。私の好きな時間、あまり乗客が無く、ワンボックスを独り占領し車窓を眺める・・・この雰囲気がたまらなく好きである。

呉駅に向かう途中「呉ポートピア」駅がある。ちょうどバブル絶頂期の1992年に開園した遊園地の最寄駅として活躍したが、1998年に閉園してしまった。しかし駅自体は、利用者もそこそこあることから残され、駅名もそのままだ。現在は公園として広く開放しているが、車窓からもその様子がうかがえる。
その公園を後にすると、この路線の中心的存在・呉駅に到着する。車窓からも分かるように、市街地が広がり清栄を見せているが、先述の通り、かつては軍港として栄えた。そして呉線は「迂回路線」としての機能もある。赤穂線や中央線、天竜浜名湖鉄道(国鉄時代の二俣線)など似たような役目をしていた。つまり敵の攻撃を受けても物資輸送ができるよう「補助」の役目を果たした。

広島の通勤圏は広駅くらいまでか。一応呉とともに主要駅の役割をしていて当駅始発の列車も多いが、広以東は急激に列車本数が少なくなる。
そんな中、若干気になる駅がある。それは「仁方」だ。実はかつてここから四国の堀江まで国鉄の「連絡船」があった。その名も「仁堀航路」である。新しい鉄道ファンには馴染みない連絡船とは思うが、というより「「連絡船」自体に馴染みがないと思うが、連絡船というカテゴリーの中ではかなり地味な存在であった。「トンネル」「橋」の開通により廃止されたのではなく、いわゆるローカル線のような「赤字」による廃止であった。仁方・堀江とも地味な存在であったうえ、駅と連絡船乗場まで200mから300mある

しかしながら鉄道愛好家には大変重宝したようで、例えばあの鉄道紀行作家・宮脇○三氏は「最長片道切符の旅」の際にも「片道」を利用している。そして、いわゆる「青春18」でも利用できたため、私も一度は試してみたかったが、残念ながら「山田恵一」のように去ってしまった・・・(わかる人のみ拍手お願いします!)
山陽本線の「迂回路」として経由した場合、約22kmの差が出てくる。途中下車なしで経由した場合は「特定区間」という鉄道規則の特典で「距離の短い方で」運賃計算される。つまり山陽本線で例えば三原以東から乗車し海田市以西に呉線で行く場合は、途中で降りなければ(改札を出なければ)山陽本線で移動したこととなり、約22km分得したことになるのだ。途中、呉駅で下車すると「呉みなと祭」が 4月28日または4月29日「呉海上花火大会」が 7月「亀山神社大祭 」が10月9日~10月10日と、それぞれ楽しむかとができるのでぜひ訪問してみてはいかがでしょう?しかし、その際に「特定区間」のルールは採用されないのでご注意を・・・

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