「一円電車」を知っているか?
2013-05-03
「一円電車」を知ってるであろうか?昭和からの鉄道愛好家なら「懐かしい」であろう。一円電車、正式名称を「三菱金属鉱業明神電車」と言い、兵庫県にあった鉱石列車である。「明神」と聞くと「明石」と「神戸」辺りを結んでいたのかなと考えてしまいそうであるが、実は兵庫県大屋町(現・養父市)・朝来町(現・朝来市)の明延鉱山にあった鉱山用軌道であり、明延(あけのべ)と神子畑(みこばた)を結ぶことからその名がついたのだ。
残念ながら私は乗ることができなかった・・・今思えば一度は訪れてみたかった鉄道であるが、なぜ「一円電車」の愛称なのか不思議に思われる方もいるであろう。若干解説を入れながらご紹介しよう。

(これが噂の「一円電車」。762mmの線路幅、いわゆる「ナローゲージ」だ。画像はウィキより転用)
もともとは鉱石輸送目的で国鉄(現・JR)播但線・新井~神子畑間を結ぶ形が本来の姿であったが、例に漏れずに「道路整備」等の理由により明延~神子畑間が残った。そして鉱山関係者の従業員や家族などの便宜を図るため人車(いわゆる客車)も運転を始めた。最初は無料であったが、50銭、1円と「料金改正」を行い1985年に旅客(人車)輸送廃止までこの「1円」という料金が続いたのが、この「一円電車」の名前の由来である。基本的に時刻表などにも掲載されておらず、法律上は「運輸省(当時)監督下の旅客運輸業」ではないため、基本、貨物専用である。あくまで旅客輸送は「便宜上」の為、当然時刻表などには顔を出さないわけである。しかし1960年代後半に一部のマスコミが取り上げ一気にブレイクした。しかしその代償は大きく、大勢の人が押し寄せるなか、本来の業務に支障が発生するようになった。このため一時期は一般客を締め出すというハプニングがあった。
その後は落ち着きを取り戻したが、1987年に鉱山が閉山してしまい、一円電車も同じくして「リバプールの風」となってしまった。

さて、私がなぜこの「一円電車」を取り上げたかというと、2010年よりなんと「動態保存」されている事が分かったのだ!これは見逃すわけにいかないと、いずれ近い将来に必ず訪れてみたいと心に誓ったのだ。乗車料金はもちろん「一円」だ。かつての鉱山見学もできるらしく、一円電車の「生き様」がダイレクトに伝わってくることであろう。詳しくは「こちら」より。

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残念ながら私は乗ることができなかった・・・今思えば一度は訪れてみたかった鉄道であるが、なぜ「一円電車」の愛称なのか不思議に思われる方もいるであろう。若干解説を入れながらご紹介しよう。

(これが噂の「一円電車」。762mmの線路幅、いわゆる「ナローゲージ」だ。画像はウィキより転用)
もともとは鉱石輸送目的で国鉄(現・JR)播但線・新井~神子畑間を結ぶ形が本来の姿であったが、例に漏れずに「道路整備」等の理由により明延~神子畑間が残った。そして鉱山関係者の従業員や家族などの便宜を図るため人車(いわゆる客車)も運転を始めた。最初は無料であったが、50銭、1円と「料金改正」を行い1985年に旅客(人車)輸送廃止までこの「1円」という料金が続いたのが、この「一円電車」の名前の由来である。基本的に時刻表などにも掲載されておらず、法律上は「運輸省(当時)監督下の旅客運輸業」ではないため、基本、貨物専用である。あくまで旅客輸送は「便宜上」の為、当然時刻表などには顔を出さないわけである。しかし1960年代後半に一部のマスコミが取り上げ一気にブレイクした。しかしその代償は大きく、大勢の人が押し寄せるなか、本来の業務に支障が発生するようになった。このため一時期は一般客を締め出すというハプニングがあった。
その後は落ち着きを取り戻したが、1987年に鉱山が閉山してしまい、一円電車も同じくして「リバプールの風」となってしまった。

さて、私がなぜこの「一円電車」を取り上げたかというと、2010年よりなんと「動態保存」されている事が分かったのだ!これは見逃すわけにいかないと、いずれ近い将来に必ず訪れてみたいと心に誓ったのだ。乗車料金はもちろん「一円」だ。かつての鉱山見学もできるらしく、一円電車の「生き様」がダイレクトに伝わってくることであろう。詳しくは「こちら」より。

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