近鉄バッファロースリーパー⑤
2013-06-03
田原本線を制覇し西田原本に着くと、早速乗り換えるため田原本駅へ向かう。一般道を伝い200mもの距離がある乗り換えは若干抵抗あったが、逆に町の風情を堪能でき一瞬の街歩きぶらり旅と言ったところか。しかしそんな呑気な事を言っているから乗り換え列車が行ってしまった・・・対向式のホームの為どちらから乗車していいのかわからず、おろおろしてしまった。結果的に行ってしまった列車が乗車するはずの列車であったため次の列車まで待つこととなるが、仕方がない。と、列車に乗り遅れて大騒ぎした割に、とても予定通りに近い行程で進行しているので宿泊先の阿波座に向かう事となる。途中、大和八木は立体的に十字にクロスする乗換駅であるが、付近に短絡線があり、愛好家には注目の的であろう。

(生駒でのひとコマ。登美ヶ丘まで行くには近鉄唯一の第三軌条集電方式の列車で向かう。)
再び橿原神宮前まで行き難波まで戻るが、その前に天王寺の「通天閣」付近で「串カツ」を今夜の食事にしようと計画を変更。とりあえず本日の近鉄はここで終了して、食事後に若干正規料金で泉北高速鉄道を制覇する。今回の旅は都市鉄道のため「アドリブ」が効く。そのため前倒しで制覇できるのは都合がいい。
翌日「スルッとKANSAI」と併用で、というより「スルッと~」のみでもOKであるが、けいはんな線と奈良線の制覇に乗り出す。けいはんな線は地下鉄と相互乗り入れをしてるため近鉄唯一の「第三軌条集電方式」である。早速朝から大阪地下鉄の名路線の数々を制覇した後、コスモスクエアから一気に学研登美が丘に向かった。「登美ヶ丘」などとは、なかなかのニュータウン風の名称であるが、ウィキで確認してみたら<駅南方一帯に広がる住宅地「登美ヶ丘」が駅名の由来である。登美ヶ丘という地名は大和国添下郡西部の古代における呼称「鳥見郷(登美郷)」に由来するといわれ、「とみ」は「鳥見」、「登美」、「登弥」などとも古代においては表記された。「とみのさと」の「とみ」は「登美」「鳥見」「富」など現在の奈良市西部から生駒市東部の地名につながる。また、鳥見郷の由来は古代神道の葬祭の一種である鳥葬に由来し、「とみ」は初期には「黄泉」へ上るの意味で、死後の世界へ上る意味があったとされる。神話に登場する物部氏の祖とされる饒速日命は鳥見の白庭山へ遷したという記述があるが、その鳥見の白庭山も奈良市西部から生駒市東部にかけての地域であったとされ、現在の地名の登美ヶ丘や白庭台の由来になったとされている。>と記されていた。やはり「歴史」と深くかかわっているのは近鉄ならではの光景なのか。ここまで近鉄と日本を代表する史跡地が密着しているとは、いやぁ~私も「日本の歴史」をいちから勉強しなければとつくづく思った。逆に歴史の得意な方が近鉄の制覇の旅をするととても面白く感じるであろう。

(単なるニュータウンと思っていた「登美ヶ丘」には深い意味が・・・)
そんなことを考えていたらちょうど昼食の時間となった。前日に確認しておいた生駒駅前の「駅前そば」で冷やしたぬきをいただくことに。しばしの休息の後、奈良線で大阪難波に着けば近鉄路線全線制覇である!全線制覇はその気になれば2日間で可能であろう。しかし3日間有効のフリー切符を使うなら、所々に観光を鏤めるといい。充分3日間で制覇できるはずだ。
ところでここまでお付き合いいただいた方で「おや?」と思われる方がいらしたのではないか?そう、京都~大和西大寺~奈良間の制覇はどうした?という事だ。今回はこの区間を紹介してない。
実はこの「近鉄バッファロースリーパー」シリーズの冒頭で紹介した「修学旅行以来」というところで紹介した通り、1982年の修学旅行時に京都から団体専用列車のビスタカーで既に制覇済みであった。地下駅の近鉄奈良は、JRの奈良駅に比べ随分狭く感じたが、現在のJR奈良駅は高架化されものすごくシンプルになった。そのため昔の面影は全くなく、歴史的観光地を代表する駅とは思えぬくらい「通勤駅」に変化してしまった。

(大阪と言えば・・・の部類に入る通天閣界隈。私は「えびすや」で名物をいただいた。)
「いずれ制覇しなくては・・・」と思っていた近鉄も、制覇してしまえば呆気ないものであった。しかしそれはただ「制覇」しただけであり、近鉄の歴史に深くかかわったわけでもない。次回訪問する時はひと駅ひと駅下車する気持ちで挑みたいと思う。と言っても全駅は無理なので気になる駅をピックアップしてみてもいい。そしてその時に近鉄のいままで歩んできた歴史の1ページでも触れられる事が出来るだけでも「週末フリー切符」の価値が再発見できることであろう。

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鉄道全線完全制覇の旅

(生駒でのひとコマ。登美ヶ丘まで行くには近鉄唯一の第三軌条集電方式の列車で向かう。)
再び橿原神宮前まで行き難波まで戻るが、その前に天王寺の「通天閣」付近で「串カツ」を今夜の食事にしようと計画を変更。とりあえず本日の近鉄はここで終了して、食事後に若干正規料金で泉北高速鉄道を制覇する。今回の旅は都市鉄道のため「アドリブ」が効く。そのため前倒しで制覇できるのは都合がいい。
翌日「スルッとKANSAI」と併用で、というより「スルッと~」のみでもOKであるが、けいはんな線と奈良線の制覇に乗り出す。けいはんな線は地下鉄と相互乗り入れをしてるため近鉄唯一の「第三軌条集電方式」である。早速朝から大阪地下鉄の名路線の数々を制覇した後、コスモスクエアから一気に学研登美が丘に向かった。「登美ヶ丘」などとは、なかなかのニュータウン風の名称であるが、ウィキで確認してみたら<駅南方一帯に広がる住宅地「登美ヶ丘」が駅名の由来である。登美ヶ丘という地名は大和国添下郡西部の古代における呼称「鳥見郷(登美郷)」に由来するといわれ、「とみ」は「鳥見」、「登美」、「登弥」などとも古代においては表記された。「とみのさと」の「とみ」は「登美」「鳥見」「富」など現在の奈良市西部から生駒市東部の地名につながる。また、鳥見郷の由来は古代神道の葬祭の一種である鳥葬に由来し、「とみ」は初期には「黄泉」へ上るの意味で、死後の世界へ上る意味があったとされる。神話に登場する物部氏の祖とされる饒速日命は鳥見の白庭山へ遷したという記述があるが、その鳥見の白庭山も奈良市西部から生駒市東部にかけての地域であったとされ、現在の地名の登美ヶ丘や白庭台の由来になったとされている。>と記されていた。やはり「歴史」と深くかかわっているのは近鉄ならではの光景なのか。ここまで近鉄と日本を代表する史跡地が密着しているとは、いやぁ~私も「日本の歴史」をいちから勉強しなければとつくづく思った。逆に歴史の得意な方が近鉄の制覇の旅をするととても面白く感じるであろう。

(単なるニュータウンと思っていた「登美ヶ丘」には深い意味が・・・)
そんなことを考えていたらちょうど昼食の時間となった。前日に確認しておいた生駒駅前の「駅前そば」で冷やしたぬきをいただくことに。しばしの休息の後、奈良線で大阪難波に着けば近鉄路線全線制覇である!全線制覇はその気になれば2日間で可能であろう。しかし3日間有効のフリー切符を使うなら、所々に観光を鏤めるといい。充分3日間で制覇できるはずだ。
ところでここまでお付き合いいただいた方で「おや?」と思われる方がいらしたのではないか?そう、京都~大和西大寺~奈良間の制覇はどうした?という事だ。今回はこの区間を紹介してない。
実はこの「近鉄バッファロースリーパー」シリーズの冒頭で紹介した「修学旅行以来」というところで紹介した通り、1982年の修学旅行時に京都から団体専用列車のビスタカーで既に制覇済みであった。地下駅の近鉄奈良は、JRの奈良駅に比べ随分狭く感じたが、現在のJR奈良駅は高架化されものすごくシンプルになった。そのため昔の面影は全くなく、歴史的観光地を代表する駅とは思えぬくらい「通勤駅」に変化してしまった。

(大阪と言えば・・・の部類に入る通天閣界隈。私は「えびすや」で名物をいただいた。)
「いずれ制覇しなくては・・・」と思っていた近鉄も、制覇してしまえば呆気ないものであった。しかしそれはただ「制覇」しただけであり、近鉄の歴史に深くかかわったわけでもない。次回訪問する時はひと駅ひと駅下車する気持ちで挑みたいと思う。と言っても全駅は無理なので気になる駅をピックアップしてみてもいい。そしてその時に近鉄のいままで歩んできた歴史の1ページでも触れられる事が出来るだけでも「週末フリー切符」の価値が再発見できることであろう。

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鉄道全線完全制覇の旅
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近鉄バッファロースリーパー④
2013-06-02

(橿原神宮前駅前。意外に人通りが多くない。「神宮」と名乗るが、意外に生活の香が漂う。)
尺土から急行で一気に吉野に向かう。駅前には吉野山が聳え立ち、いかにも「観光」的な雰囲気である。それよりこれからも私は近鉄全線制覇に向け先を急がなければならず、観光などしている余裕が無い。
吉野を折り返し橿原神宮前に向かう。橿原線との接続駅であり構内は広い、というよりYの字調になる構内だが、確か吉野線と橿原線はレールがつながっていなかった記憶がある。とはいえ、ホームから線路を見た限りではそんな事は全く分からないが、お互いに「性格」が違うのであえて直通運転をする必要もないのであろう。しかし構内の広さはレールファンの目を引く。

(天理は宗教の街である。JRとも連絡し乗降客は多い。)
橿原神宮前より北上し平端で天理線に乗り換え天理に向かう。天理と言えば、その名の通り「天理教」の街として知られ、宗教名がそのまま市の名前になった唯一の街である。しかし私は全くと言っていいほど関連・関係が無いため駅に訪れる理由はただひとつである。その理由が終わればただ只管折り返すのみであるが、大和西大寺まで直通の列車に乗車したため大和西大寺に行くには都合がいい。だが、妙な事件が起こった。実は車内でスマフォ」を拾得してしまったのだ。さぞ落とし主は困っていると思い、大和西大寺駅で駅員さんに事情を伝え渡したが、やはり他人の所有物を持ち歩くというのは非常に落ち着かない気分だ。落ち着いて「制覇の証」も撮影できない。
それはともかく、所有者にちゃんと引き渡されてればいいも思うのだが・・・
大和西大寺駅より生駒まで奈良線で生駒に向かうが、この大和西大寺、非常に複雑な構内配線として有名である。

(画像はウィキペディアより、大和西大寺の配線図である。はっきり言って何がなんだかわからない!)
ちょっとウィキから画像を転用させてもらった。というより、ウィキに配線図が掲載されている事自体「複雑だよ」と訴えているようなものだ。要するに四方からくる路線が平面交差する形をとるため、見た目はダイナミックであるが、実用上はかなり危険が伴い信号操作の気を使うのではないか。もっとも「オートメーション」化されてはいると思うが、費用云々は別と考えて立体交差式にすればかなりのリスクが減少すると思われるのはだれでも考えるところだ。
生駒まで行くと今度は生駒線を制覇する。王子まで一気に来ると、今度は田原本線に乗る。「たはら・ほんせん」と勘違いされることが多いと聞くが、本来は「たわらもと・せん」が正解だ。王子駅から若干徒歩を要するのは若干不便を感じるが、本当に典型的な生活路線である。終点の西田原本も田原本駅と離れており、いささか便が悪いが、かつては「大和鉄道」という会社が原点であり、合併などを繰り返し現在の姿になっている。その名残か、田原本線だけがなんだか独立している感じであり、近鉄の感じがしない。というのも、近年の乗客減により途中駅が無人化されてしまったため、ローカルムードが醸し出された感がある。

(王子駅から田原本線に乗車するには若干徒歩を要し「新王子駅」に移動しなければならない。)
考えてみたら二日目は奈良県内ばかりを走り抜け、まるで史跡めぐりの旅をしているようだ。先述した「急行銀河51号」記事で「京都は似合わない」と私は言ったが、奈良県は更に「似合わない」事を確信した。「近鉄」と軽く考えていたが、実際に乗車してみると物凄く史跡や遺跡巡りの連続で、歴史と深いかかわりのある鉄道である事を知ることができた。その事が分かっただけでもこの旅をした価値が出てきたような気がする。しかしそこに「生活」という名の人間の営みがある。その「営み」と深くかかわっている近鉄は、その人にとってはもっと価値のあるものであろう。なんだか「風来坊」のような旅をしている自分が申し訳なく思い、改めて近鉄に敬意を表しながら再び乗り潰しの旅を進めていった。

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鉄道全線完全制覇の旅
近鉄バッファロースリーパー③
2013-06-01
賢島より只管折り返す作業に取り掛かるが、約30分あるので食事をしようと思ったが、先述したとおり適した店舗に巡り合えず、結局駅弁を購入し特急車内で食べることにした。既に15時近くに達しており、一気に大阪難波まで行きたいところであるが、ちょっと支線を処理していく予定だ。とりあえず直通特急は30分後まで待たなければならないため宇治山田乗り換えバージョンで難波を目指す。途中、鳥羽や伊勢市を通るが、どちらもJRと共同使用駅であるが、特に鳥羽では「駅そば」が自分の中では大変好評であった。JR参宮線制覇時にほんの短い時間を使いいただいた。ここで味の評論をするよりも、是非お試しいただいて自身で確認していただくと、その「美味振り」が分かるであろう。

(賢島に停車中の近鉄特急。色のバージョンが違うような気がするが、土曜日ともあると観光客がチラホラと。しかし伊勢市や宇治山田からドカッと乗ってくる。)
大阪難波に行く前にひとつの支線の処理は信貴線である。途中、大和高田で特急から準急に乗り換え河内山本で乗り換え信貴山口へ。河内山本から信貴山口はわずか5分の旅である。3分のインターバル後再び河内山本に引き返すが、この支線の往復に費やした時間はわずか13分。きめ細やかな乗り換え&折り返しは会社線ならではの制覇パターンである。
再び準急に乗り鶴橋、大阪難波と乗り換えて地下鉄で阿波座に着く。阿波座ではベースとなる宿泊施設を手配してある。京阪中之島駅も徒歩圏内にあり、非常に予定を組みやすく便利である。
かつて私の制覇旅は夜汽車(ちょっと表現が古いが)で一夜を明かす場面が多かった。現在は宿泊施設を手配し体に負担をかけないようにしている。これも年齢を重ねたせいであろうか。

(大阪阿部野橋駅にて。JR天王寺駅と隣接しており乗り換えに便利である。ホームもたくさんありターミナルの風格堂々。)
次の日は、地下鉄で天王寺まで行き大阪阿部野橋からのスタートである。列車に乗る前に天王寺駅前の「スタバ」で軽い朝食。日曜の朝なので天王寺の駅前であるが人通りは多くなく、意外にひっそりした感があった。若干工事中であったが、人影まばらの為ゆっくり時間が過ぎていく。
と言ってもあまりゆっくりしていられないため大阪阿部野橋駅のホームに移動し南大阪線を制覇に取り掛かる事にした。 と言ってもこれまた細かい支線が枝分かれしているのでひとつひとつ制覇していくしかない。
さて、大阪阿部野橋を出発した私は道明寺に向かった。途中、藤井寺では「球場」を思わず探してしまったが、既に面影すらなく、全く「野球」の痕跡もないくらい建物がびっちりと詰まった景色が見えた。

(確か柏原にて。JRとの連絡もあり乗り換え客も多い。)
ふたつとなりの道明寺より道明寺線を制覇する。柏原で折り返すが「道明寺」「藤井寺」等、宗教的な名称が多いこの町は、古墳や寺院などが多く存在し「世界遺産」の登録を目指しているらしい。
そんな歴史的な街をも私は「制覇」の一部に過ぎない。道明寺から今度は河内長野に向かう。古市で乗り換えなしの直通列車で向かう。

(河内長野で南海と連絡する。近鉄と南海・・・かつての名勝負が思い出されそうだ。)
長野線で河内長野に向かうが、河内長野で南海と連絡する。近鉄と南海の融合・・・昔からあった光景であるが、関東出身の私から見たら何か不思議な感じがする。どうもわたしの「関西」のイメージは「火花が散る」とでも言おうか「阪神VS阪急」の、まるで野球の試合ではないが「デットヒート」のイメージしかなかった。しかしこの河内長野では同じ構内で仲良く顔をそろえるのが何とも微笑ましかった。実は2009年10月に最初の関西私鉄制覇の際に南海側から近鉄の河内長野ホームを初めて見たときにはそれほど感じなかったが、今回の近鉄での訪問では不思議と引き付けられた、とでも言おうか、なんだか不思議な感覚に陥った。
そんな河内長野を数分で折り返し古市で乗り換え尺土に向かう。今度は御所線の制覇だ。

(いかにも「史跡めぐり」風の駅が続く。日本を代表する歴史的な史跡が多く存在する。私はそれらをスルーし只管「近鉄巡り」が続く。)
御所線の終点、近鉄御所は葛城山への玄関口でもあり、大晦日から元旦にかけては初日の出を拝む人でごった返すと聞く。そのため終夜運転が実施され、近鉄のホームページにも紹介されるという。
私は史跡めぐりや歴史的学問には全く疎いため、なんだかこの近鉄制覇は私のテリトリーでは無いような気持ちが押し寄せる。しかしそんな地区でも列車は普段と変わらなく運転されているということは非常にうれしい事である。御所線を制覇し吉野に向かうが、この後更に史跡めぐりは続くのである・・・

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鉄道全線完全制覇の旅

(賢島に停車中の近鉄特急。色のバージョンが違うような気がするが、土曜日ともあると観光客がチラホラと。しかし伊勢市や宇治山田からドカッと乗ってくる。)
大阪難波に行く前にひとつの支線の処理は信貴線である。途中、大和高田で特急から準急に乗り換え河内山本で乗り換え信貴山口へ。河内山本から信貴山口はわずか5分の旅である。3分のインターバル後再び河内山本に引き返すが、この支線の往復に費やした時間はわずか13分。きめ細やかな乗り換え&折り返しは会社線ならではの制覇パターンである。
再び準急に乗り鶴橋、大阪難波と乗り換えて地下鉄で阿波座に着く。阿波座ではベースとなる宿泊施設を手配してある。京阪中之島駅も徒歩圏内にあり、非常に予定を組みやすく便利である。
かつて私の制覇旅は夜汽車(ちょっと表現が古いが)で一夜を明かす場面が多かった。現在は宿泊施設を手配し体に負担をかけないようにしている。これも年齢を重ねたせいであろうか。

(大阪阿部野橋駅にて。JR天王寺駅と隣接しており乗り換えに便利である。ホームもたくさんありターミナルの風格堂々。)
次の日は、地下鉄で天王寺まで行き大阪阿部野橋からのスタートである。列車に乗る前に天王寺駅前の「スタバ」で軽い朝食。日曜の朝なので天王寺の駅前であるが人通りは多くなく、意外にひっそりした感があった。若干工事中であったが、人影まばらの為ゆっくり時間が過ぎていく。
と言ってもあまりゆっくりしていられないため大阪阿部野橋駅のホームに移動し南大阪線を制覇に取り掛かる事にした。 と言ってもこれまた細かい支線が枝分かれしているのでひとつひとつ制覇していくしかない。
さて、大阪阿部野橋を出発した私は道明寺に向かった。途中、藤井寺では「球場」を思わず探してしまったが、既に面影すらなく、全く「野球」の痕跡もないくらい建物がびっちりと詰まった景色が見えた。

(確か柏原にて。JRとの連絡もあり乗り換え客も多い。)
ふたつとなりの道明寺より道明寺線を制覇する。柏原で折り返すが「道明寺」「藤井寺」等、宗教的な名称が多いこの町は、古墳や寺院などが多く存在し「世界遺産」の登録を目指しているらしい。
そんな歴史的な街をも私は「制覇」の一部に過ぎない。道明寺から今度は河内長野に向かう。古市で乗り換えなしの直通列車で向かう。

(河内長野で南海と連絡する。近鉄と南海・・・かつての名勝負が思い出されそうだ。)
長野線で河内長野に向かうが、河内長野で南海と連絡する。近鉄と南海の融合・・・昔からあった光景であるが、関東出身の私から見たら何か不思議な感じがする。どうもわたしの「関西」のイメージは「火花が散る」とでも言おうか「阪神VS阪急」の、まるで野球の試合ではないが「デットヒート」のイメージしかなかった。しかしこの河内長野では同じ構内で仲良く顔をそろえるのが何とも微笑ましかった。実は2009年10月に最初の関西私鉄制覇の際に南海側から近鉄の河内長野ホームを初めて見たときにはそれほど感じなかったが、今回の近鉄での訪問では不思議と引き付けられた、とでも言おうか、なんだか不思議な感覚に陥った。
そんな河内長野を数分で折り返し古市で乗り換え尺土に向かう。今度は御所線の制覇だ。

(いかにも「史跡めぐり」風の駅が続く。日本を代表する歴史的な史跡が多く存在する。私はそれらをスルーし只管「近鉄巡り」が続く。)
御所線の終点、近鉄御所は葛城山への玄関口でもあり、大晦日から元旦にかけては初日の出を拝む人でごった返すと聞く。そのため終夜運転が実施され、近鉄のホームページにも紹介されるという。
私は史跡めぐりや歴史的学問には全く疎いため、なんだかこの近鉄制覇は私のテリトリーでは無いような気持ちが押し寄せる。しかしそんな地区でも列車は普段と変わらなく運転されているということは非常にうれしい事である。御所線を制覇し吉野に向かうが、この後更に史跡めぐりは続くのである・・・

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鉄道全線完全制覇の旅
近鉄バッファロースリーパー②
2013-05-31
今回の近鉄全線制覇は約2.5日かけての制覇計画である。「週末フリーパス」と銘打っているからには3日間の有効期限があるが、土日を絡めた計画のため時刻表もかなり気を使って目配りをしなければ「平日」と「休日」を間違えてしまいそうである。
早速であるが、私は一路関西方面に向かうため「のぞみ1号」を新横浜で捕まえ、ビジネスマンと共に快適に名古屋まで過ごした。今回の近鉄制覇は名古屋スタートである。名古屋に7時36分着、新横浜から約1時間20分で着くとは時代も変わったものだ。仮に「18」で来ていたらどうなっていたであろう・・・というより行った時期がまだ18使用開始期間前であったため新幹線にせざるを得なかったが、それはそれで快適でいい。
新幹線ホームより近鉄乗場へ移動する。いよいよ近鉄制覇の時が来たかという思いで、事前に「近ツー」で購入しておいた「週末フリーパス」を改札で丁寧に見せる。近鉄最東端のターミナルだけあって構内は広く堂々の風格であるが、そのため自身が乗る列車を探すのにも苦労する。

(近鉄名古屋にて。第一投目はこれに乗車したかったが、残念ながら急行列車でのスタートとなった。)
第一投目は「ビスタカー」と行きたかったが、四日市で乗り換える都合上「急行」へ乗車。近鉄四日市から枝分かれする支線各種を処理する。まず「湯の山線」から攻めていく。「処理」という軽い感覚での制覇のつもりが、いきなりローカル風情たっぷりで、出だしから「必殺技」を食らった思いだ。終点の「湯の山温泉」という駅名からもわかるように、こちらはとても情緒ある温泉街の駅で、山の中にあるひっそりとしたイメージであるが、生活路線としても活躍し、時間帯的に若干その手の乗客で犇めき合う車内であるが、その数は多くなく穏やかな時間が流れて行った。

(湯の山温泉駅。穏やかな時間が流れていく、山中の温泉街にある駅だ。)
近鉄四日市に戻り、地上ホームに移動する。そう、今度は「ナローゲージ」で有名な内部線と八王子線を一気に制
覇する。地上ホームは若干徒歩を要するが、ホームからはいつも制覇の旅で利用する宿泊施設がデーンと構えておりなんだかホッとしてしまう妙な感覚を覚えたが、次回来る時には是非お世話になろうという知識も得た。そんなホームに小柄な車体が顔を出した。かつての軽便鉄道の面影を残し現在も活躍するが、2012年には「BRT化」が発表され、遅かれ早かれ「過去のモノ」と変化していくのは時間の問題であろう。
高架下の近鉄四日市を出て15~16分位でもう終点の内部に到着。少ない停車時間で改札に向かうとモダンな駅舎が私を迎えてくれた。そのまま折り返し日永で乗り換えるが、既に時間帯から考えてピークは過ぎているが乗車してくる「お客様」は少なくなく、普通に生活路線の風景であった。
約10分程で日永に到着。八王子線で西日野に向かう。「八王子」「日野」と、何かどこかで聞いたような地名が続き地元と錯覚を起こしてしまいそうだが、ナローゲージに揺られているとそんな普段の生活も忘れてしまうほど穏やかである。

(内部駅舎。生活路線としてしっかり地元に根付き機能していると思われるが・・・)
約3分程で西日野に到着。約10分のインターバルで四日市に折り返す予定だが、のっけからきめ細かい乗り換えで、計画当初から予測はしていたものの、この状態が5日間続くと体力的はともかく、精神的にどうか不安になってくる。
四日市より再び名古屋線の急行で、今度は伊勢若松に移動。鈴鹿線の制覇に取り掛かる。鈴鹿と言えばもちろん「サーキット」で有名であるが、終点の平田町は最寄りの駅の一つであるため、開催時には臨時列車など運転されている。途中の鈴鹿市は線内唯一の交換駅で、意外に周囲は開けており商業施設が多く、にぎわいを見せていて「駅前」の風格である。

(内部駅にてのナローゲージ車両。駅構内には車庫があり色々な列車が犇めき合う。)
伊勢若松に戻り急行列車で白子に行き特急列車に乗り換え一気に賢島へ向かう。いよいよ特急で快適に過ごせるのであるが、特急料金が発生するため財布の「具」の減り具合が早いのは気のせいか?まぁ、あまり気にしないことにして一気に賢島に向かう。途中、やはり日本有数の観光地や参拝施設を通り過ぎ景色も美しい。賢島は「牡蠣」や「あおさ」等の海産物の他「真珠」は特に有名であり、英虞湾の観光施設の玄関口となっている。しかしながら私は全く興味を示さず、空腹を満たそうと駅構内にその設備を探したが、満足できる設備は無く、駅弁を買い折り返し特急の中で食べることにした。併せて「近鉄時刻表」も購入。非常事態にも対応できる体制が整い、いよいよ本格性はに向けて気合が入った。

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鉄道全線完全制覇の旅
早速であるが、私は一路関西方面に向かうため「のぞみ1号」を新横浜で捕まえ、ビジネスマンと共に快適に名古屋まで過ごした。今回の近鉄制覇は名古屋スタートである。名古屋に7時36分着、新横浜から約1時間20分で着くとは時代も変わったものだ。仮に「18」で来ていたらどうなっていたであろう・・・というより行った時期がまだ18使用開始期間前であったため新幹線にせざるを得なかったが、それはそれで快適でいい。
新幹線ホームより近鉄乗場へ移動する。いよいよ近鉄制覇の時が来たかという思いで、事前に「近ツー」で購入しておいた「週末フリーパス」を改札で丁寧に見せる。近鉄最東端のターミナルだけあって構内は広く堂々の風格であるが、そのため自身が乗る列車を探すのにも苦労する。

(近鉄名古屋にて。第一投目はこれに乗車したかったが、残念ながら急行列車でのスタートとなった。)
第一投目は「ビスタカー」と行きたかったが、四日市で乗り換える都合上「急行」へ乗車。近鉄四日市から枝分かれする支線各種を処理する。まず「湯の山線」から攻めていく。「処理」という軽い感覚での制覇のつもりが、いきなりローカル風情たっぷりで、出だしから「必殺技」を食らった思いだ。終点の「湯の山温泉」という駅名からもわかるように、こちらはとても情緒ある温泉街の駅で、山の中にあるひっそりとしたイメージであるが、生活路線としても活躍し、時間帯的に若干その手の乗客で犇めき合う車内であるが、その数は多くなく穏やかな時間が流れて行った。

(湯の山温泉駅。穏やかな時間が流れていく、山中の温泉街にある駅だ。)
近鉄四日市に戻り、地上ホームに移動する。そう、今度は「ナローゲージ」で有名な内部線と八王子線を一気に制
覇する。地上ホームは若干徒歩を要するが、ホームからはいつも制覇の旅で利用する宿泊施設がデーンと構えておりなんだかホッとしてしまう妙な感覚を覚えたが、次回来る時には是非お世話になろうという知識も得た。そんなホームに小柄な車体が顔を出した。かつての軽便鉄道の面影を残し現在も活躍するが、2012年には「BRT化」が発表され、遅かれ早かれ「過去のモノ」と変化していくのは時間の問題であろう。
高架下の近鉄四日市を出て15~16分位でもう終点の内部に到着。少ない停車時間で改札に向かうとモダンな駅舎が私を迎えてくれた。そのまま折り返し日永で乗り換えるが、既に時間帯から考えてピークは過ぎているが乗車してくる「お客様」は少なくなく、普通に生活路線の風景であった。
約10分程で日永に到着。八王子線で西日野に向かう。「八王子」「日野」と、何かどこかで聞いたような地名が続き地元と錯覚を起こしてしまいそうだが、ナローゲージに揺られているとそんな普段の生活も忘れてしまうほど穏やかである。

(内部駅舎。生活路線としてしっかり地元に根付き機能していると思われるが・・・)
約3分程で西日野に到着。約10分のインターバルで四日市に折り返す予定だが、のっけからきめ細かい乗り換えで、計画当初から予測はしていたものの、この状態が5日間続くと体力的はともかく、精神的にどうか不安になってくる。
四日市より再び名古屋線の急行で、今度は伊勢若松に移動。鈴鹿線の制覇に取り掛かる。鈴鹿と言えばもちろん「サーキット」で有名であるが、終点の平田町は最寄りの駅の一つであるため、開催時には臨時列車など運転されている。途中の鈴鹿市は線内唯一の交換駅で、意外に周囲は開けており商業施設が多く、にぎわいを見せていて「駅前」の風格である。

(内部駅にてのナローゲージ車両。駅構内には車庫があり色々な列車が犇めき合う。)
伊勢若松に戻り急行列車で白子に行き特急列車に乗り換え一気に賢島へ向かう。いよいよ特急で快適に過ごせるのであるが、特急料金が発生するため財布の「具」の減り具合が早いのは気のせいか?まぁ、あまり気にしないことにして一気に賢島に向かう。途中、やはり日本有数の観光地や参拝施設を通り過ぎ景色も美しい。賢島は「牡蠣」や「あおさ」等の海産物の他「真珠」は特に有名であり、英虞湾の観光施設の玄関口となっている。しかしながら私は全く興味を示さず、空腹を満たそうと駅構内にその設備を探したが、満足できる設備は無く、駅弁を買い折り返し特急の中で食べることにした。併せて「近鉄時刻表」も購入。非常事態にも対応できる体制が整い、いよいよ本格性はに向けて気合が入った。

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鉄道全線完全制覇の旅
近鉄バッファロースリーパー①
2013-05-30
2012年7月、私は高校時代の修学旅行以来振りに近鉄を訪問した。近鉄と言えばかつては野球チーム「近鉄バッファローズ」のオーナーでもあり、藤井寺球場が本拠地であった。
そんな時代は既に過去のモノと変化してしまったが、本業の「鉄道」では現在もJRを除く日本の鉄道事業者中最長の508.2kmの営業キロを誇る。その旧・国鉄以外の民鉄「日本一」の路線を、乗り潰しの「プロ」として今まで据え置いて来たが、いよいよ機が熟したか、制覇の時を迎えた。
今回は「近鉄週末フリーパス」と「スルッとKANSAI」を使い関西私鉄の未制覇区間全線制覇と合わせて5日間の予定を組んだ!

(賢島での近鉄特急共演。駅設備が若干前近代的な感があるのが気になるところであるが、週末ということもあり、観光客の姿が目立った。)
まず「近鉄週末フリーパス」であるが、土日を含む3日間が有効で近鉄全線乗り放題の優れものだ。特急乗車時には別途特急券を購入すれば乗車できるので大変便利である。とはいうものの、特急ばかり乗っていたら、それこそ「週末フリーパス」を4~5枚購入出来そうであるが、適度に乗れば、おそらく2日あれば全線制覇できる。私の計算でも2日あれば全線制覇できることが弾き出され、今回はかなり余裕に見えた。しかしJR以外の関西の私鉄未制覇路線を全て制覇するという事を組み合わせると、これまたなかなか手ごわかった。しかし何とか5日間で全て納まり、どうやら一気に制覇できる見通しが立った。あくまで卓上での計算に過ぎないのであるが・・・
5日間と言えば、3日間有効の切符を2組持つということで、1日だけダブル日が出てくる。まぁ、それはそれで逆に楽しみであったが、いざ実践してみると、3日目まではともかく、4日目辺りから集中力がやや鈍ってきた・・・果たして最後まで持つのか。次章で早速紹介してみよう。

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鉄道全線完全制覇の旅
そんな時代は既に過去のモノと変化してしまったが、本業の「鉄道」では現在もJRを除く日本の鉄道事業者中最長の508.2kmの営業キロを誇る。その旧・国鉄以外の民鉄「日本一」の路線を、乗り潰しの「プロ」として今まで据え置いて来たが、いよいよ機が熟したか、制覇の時を迎えた。
今回は「近鉄週末フリーパス」と「スルッとKANSAI」を使い関西私鉄の未制覇区間全線制覇と合わせて5日間の予定を組んだ!

(賢島での近鉄特急共演。駅設備が若干前近代的な感があるのが気になるところであるが、週末ということもあり、観光客の姿が目立った。)
まず「近鉄週末フリーパス」であるが、土日を含む3日間が有効で近鉄全線乗り放題の優れものだ。特急乗車時には別途特急券を購入すれば乗車できるので大変便利である。とはいうものの、特急ばかり乗っていたら、それこそ「週末フリーパス」を4~5枚購入出来そうであるが、適度に乗れば、おそらく2日あれば全線制覇できる。私の計算でも2日あれば全線制覇できることが弾き出され、今回はかなり余裕に見えた。しかしJR以外の関西の私鉄未制覇路線を全て制覇するという事を組み合わせると、これまたなかなか手ごわかった。しかし何とか5日間で全て納まり、どうやら一気に制覇できる見通しが立った。あくまで卓上での計算に過ぎないのであるが・・・
5日間と言えば、3日間有効の切符を2組持つということで、1日だけダブル日が出てくる。まぁ、それはそれで逆に楽しみであったが、いざ実践してみると、3日目まではともかく、4日目辺りから集中力がやや鈍ってきた・・・果たして最後まで持つのか。次章で早速紹介してみよう。

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