頑張れ!二本木君。
2013-06-30
かつて私の所属していた職場に「二本木君」という同僚がいた。彼はプロレスがとても好きらしく、私もプロレスが好きな事もあって、いつも職場で会うと「昨日、ドリー勝ちましたよ!」といつも話しかけてきた。外見的にも「ブッチャー」のような身なりであったが、それより「お前、仕事しろよ!」みたいな感じであった。しかし彼はすぐに転勤してしまいそんな日々もすぐに終わってしまった・・・
全く私事であるが、そんな日々を思い出させてくれたのが、信越本線「二本木駅」である。かつては隣の関山もスイッチバック駅であったが、現在はここ、二本木のみとなった。北陸新幹線開通後は「えちごトキめき鉄道」として再出発することとなっているが「廃止」にならないだけでも嬉しい事である。

2013年6月、久々にこの信越本線「長野~直江津」の区間を訪問した。というより、JR全線制覇と黒部見学ルートの目的で北陸地方に向かう際の「中間点」に過ぎなかった。新幹線で長野に降りた時点でJR全線制覇した後の「普通列車」にはさすがに違和感というか高低差が激しく、ここから先に特急列車に身を預けたかったが、既に区間に運転される定期特急列車は無く、快速「くびきの」や普通列車「妙高」などが485系などで運転されるのみとなっていた。
私が乗ったのは「くびきの」でも「妙高」でもない、通常のノーマルの普通列車115系であった。新幹線からの乗り換えと思われる大きな荷物を持った乗客がかなり乗車していたが三才駅でかなり下車し若干身軽になった。更に妙高高原では観光グループと思われる初老の女性達が挙って下車。乗車もそれなりにあり観光駅の役割を現在もしっかり果たしている。更にこの妙高高原は将来接続駅となる予定である、と言っても新線ができる訳でなく「しなの鉄道」と「えちごトキめき鉄道」の境界となる駅である。私の訪問時は特に「接続駅」としての「準備」みたいな事はされておらず、ただJRとしての「役割」を果たしているに過ぎなかった。

関山を過ぎ、早速二本木に近付いてきた。「関山を過ぎ」とあえて記してみたが、先述の通りここもかつてはスイッチバック駅であったが、現在は完全に面影はない。
そして二本木に着く直前に私は「かぶりつき」に向かった。こうして二本木駅と正面から「向き合う」のは初めてであった。

沢山の線路が枝分かれしていく中、一本の島式ホームが見えてきた。近付くにつれ「懐かしい」という昭和チックな雰囲気が漂う中ホームに滑り込む。ドアが開くと「スイッチバック駅だから4~5分位止まるのであろう」と思い駅の写真を撮っていたら即座に出発の合図。どこかのお笑い芸人ではないが「聞いてないよ~」状態のまま早速列車に乗り込んだ。スイッチバックと言えば、普通マスコンを持った運転手が進行方向にむかって移動する光景が見られると思っていたのだが、そんな面倒な事をしなくてもちゃんと列車は律儀にスイッチバックをしてくれるのだ。
一瞬の束の間、「はやてのように」ではないが、あっという間に二本木駅を去って行った。

この後一旦折り返し線に入り本線に再度入線するが、実に手際が良いというか、折り返すたびに運転手が行ったり来たりという作業が無く実に効率が良い運転の仕方だと思うが、逆にスイッチバックの「醍醐味」ではないが、その「行ったり来たり」の光景が見れないと何か物足りない気がしてならなかった。実に不思議ではあるが、この区間に唯一残ったスイッチバックは移管された後も残るのであろうか?この先にはJRの「西」と「東」の境界線となる新幹線の駅となる「上越妙高」ができる予定だ。果たして「上越」「妙高」の玄関口となることができるのか?私はこの時既にJR全線制覇していたが「タイトル防衛」はわずかな期間になる。
終点の直江津に着き「はくたか」に乗り換えると、日本海の荒波が私を待っていた。これは何を意味するのか?もしかしたら全線制覇した「後」の方が、むしろ旅の「目的」を探すのに「荒波」が立ちはだかるぞ!という意味なのかも知れない。

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全く私事であるが、そんな日々を思い出させてくれたのが、信越本線「二本木駅」である。かつては隣の関山もスイッチバック駅であったが、現在はここ、二本木のみとなった。北陸新幹線開通後は「えちごトキめき鉄道」として再出発することとなっているが「廃止」にならないだけでも嬉しい事である。

2013年6月、久々にこの信越本線「長野~直江津」の区間を訪問した。というより、JR全線制覇と黒部見学ルートの目的で北陸地方に向かう際の「中間点」に過ぎなかった。新幹線で長野に降りた時点でJR全線制覇した後の「普通列車」にはさすがに違和感というか高低差が激しく、ここから先に特急列車に身を預けたかったが、既に区間に運転される定期特急列車は無く、快速「くびきの」や普通列車「妙高」などが485系などで運転されるのみとなっていた。
私が乗ったのは「くびきの」でも「妙高」でもない、通常のノーマルの普通列車115系であった。新幹線からの乗り換えと思われる大きな荷物を持った乗客がかなり乗車していたが三才駅でかなり下車し若干身軽になった。更に妙高高原では観光グループと思われる初老の女性達が挙って下車。乗車もそれなりにあり観光駅の役割を現在もしっかり果たしている。更にこの妙高高原は将来接続駅となる予定である、と言っても新線ができる訳でなく「しなの鉄道」と「えちごトキめき鉄道」の境界となる駅である。私の訪問時は特に「接続駅」としての「準備」みたいな事はされておらず、ただJRとしての「役割」を果たしているに過ぎなかった。

関山を過ぎ、早速二本木に近付いてきた。「関山を過ぎ」とあえて記してみたが、先述の通りここもかつてはスイッチバック駅であったが、現在は完全に面影はない。
そして二本木に着く直前に私は「かぶりつき」に向かった。こうして二本木駅と正面から「向き合う」のは初めてであった。

沢山の線路が枝分かれしていく中、一本の島式ホームが見えてきた。近付くにつれ「懐かしい」という昭和チックな雰囲気が漂う中ホームに滑り込む。ドアが開くと「スイッチバック駅だから4~5分位止まるのであろう」と思い駅の写真を撮っていたら即座に出発の合図。どこかのお笑い芸人ではないが「聞いてないよ~」状態のまま早速列車に乗り込んだ。スイッチバックと言えば、普通マスコンを持った運転手が進行方向にむかって移動する光景が見られると思っていたのだが、そんな面倒な事をしなくてもちゃんと列車は律儀にスイッチバックをしてくれるのだ。
一瞬の束の間、「はやてのように」ではないが、あっという間に二本木駅を去って行った。

この後一旦折り返し線に入り本線に再度入線するが、実に手際が良いというか、折り返すたびに運転手が行ったり来たりという作業が無く実に効率が良い運転の仕方だと思うが、逆にスイッチバックの「醍醐味」ではないが、その「行ったり来たり」の光景が見れないと何か物足りない気がしてならなかった。実に不思議ではあるが、この区間に唯一残ったスイッチバックは移管された後も残るのであろうか?この先にはJRの「西」と「東」の境界線となる新幹線の駅となる「上越妙高」ができる予定だ。果たして「上越」「妙高」の玄関口となることができるのか?私はこの時既にJR全線制覇していたが「タイトル防衛」はわずかな期間になる。
終点の直江津に着き「はくたか」に乗り換えると、日本海の荒波が私を待っていた。これは何を意味するのか?もしかしたら全線制覇した「後」の方が、むしろ旅の「目的」を探すのに「荒波」が立ちはだかるぞ!という意味なのかも知れない。

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