北鉄の「現在(いま)」を求めて・・・②
2013-07-03
今回は北陸鉄道の石川線の制覇の模様を紹介しよう。特に最初の入り口である新西金沢は、待ち時間があったため多くの観察ができた。
ところでこの石川線であるが、白菊町~加賀一の宮間を結ぶ路線であった。しかし白菊町~野町間が1972年9月20日に、1929年には金名線の前身の金名鉄道から編入した鶴来~加賀一の宮駅間が2009年(平成21年)11月1日に廃止された。特に鶴来~加賀一の宮の廃止は記憶に新しく、私も既に鉄道ファンを復活していたが、訪問できるチャンスが無かったのは残念であった。また加賀一の宮~白山下に関しては、沿線の過疎化や並行道路の整備が進み1970年代以降利用者が減少した。
1970年4月からは昼間の運行を中止しバスで代替、昭和45年度の輸送人員が55万1000人だったものが昭和58年度には21万3000人まで減少していき恒常的な赤字路線となっていた。1983年には豪雨により大日川 - 下野間の大日川橋梁の橋脚周囲の岩盤が崩壊し、大日川 - 白山下間の運行を休止しバス代行になった。1984年に復旧したが、同年12月の朝の運行開始前の点検で手取中島 - 広瀬間の手取川橋梁の橋台を支持する岩盤が風化しておりさらに橋台水中部の洗堀による浸食が激しく危険な状態となっていることが判明。その日の始発より全線で運休、全面バス代行となった。結局そのまま復旧することなく1987年4月29日付で廃線となった。
ということで、石川線では新西金沢と鶴来を紹介しよう(若干野町も)。

JRから乗り換える。駅舎を降りると若干離れているが北鉄乗場がある。現在(2013年)は新幹線の建設中で高架橋がほぼ完成している。駅前は側線などがあったと思われる空間があるが、現在は更地になっている。

現在は無人の新西金沢駅舎。切符売場はカーテンが掛けられ、完全にワンマン運転に貢献。






島式ホーム1本の新西金沢駅。わずかながらJRからの乗り換え客がいた(もちろん自分もであるが)。

一旦新西金沢から野町に行く。金沢市の中心街に近く、兼六園や近江町市場なども近い。ここでフリー切符を購入。



そして終点の鶴来。かつては白山下までレールがあったが、現在その姿は無い。特に加賀一の宮までの廃止は記憶に新しい。

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ところでこの石川線であるが、白菊町~加賀一の宮間を結ぶ路線であった。しかし白菊町~野町間が1972年9月20日に、1929年には金名線の前身の金名鉄道から編入した鶴来~加賀一の宮駅間が2009年(平成21年)11月1日に廃止された。特に鶴来~加賀一の宮の廃止は記憶に新しく、私も既に鉄道ファンを復活していたが、訪問できるチャンスが無かったのは残念であった。また加賀一の宮~白山下に関しては、沿線の過疎化や並行道路の整備が進み1970年代以降利用者が減少した。
1970年4月からは昼間の運行を中止しバスで代替、昭和45年度の輸送人員が55万1000人だったものが昭和58年度には21万3000人まで減少していき恒常的な赤字路線となっていた。1983年には豪雨により大日川 - 下野間の大日川橋梁の橋脚周囲の岩盤が崩壊し、大日川 - 白山下間の運行を休止しバス代行になった。1984年に復旧したが、同年12月の朝の運行開始前の点検で手取中島 - 広瀬間の手取川橋梁の橋台を支持する岩盤が風化しておりさらに橋台水中部の洗堀による浸食が激しく危険な状態となっていることが判明。その日の始発より全線で運休、全面バス代行となった。結局そのまま復旧することなく1987年4月29日付で廃線となった。
ということで、石川線では新西金沢と鶴来を紹介しよう(若干野町も)。

JRから乗り換える。駅舎を降りると若干離れているが北鉄乗場がある。現在(2013年)は新幹線の建設中で高架橋がほぼ完成している。駅前は側線などがあったと思われる空間があるが、現在は更地になっている。

現在は無人の新西金沢駅舎。切符売場はカーテンが掛けられ、完全にワンマン運転に貢献。






島式ホーム1本の新西金沢駅。わずかながらJRからの乗り換え客がいた(もちろん自分もであるが)。

一旦新西金沢から野町に行く。金沢市の中心街に近く、兼六園や近江町市場なども近い。ここでフリー切符を購入。



そして終点の鶴来。かつては白山下までレールがあったが、現在その姿は無い。特に加賀一の宮までの廃止は記憶に新しい。

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北鉄の「現在(いま)」を求めて・・・
2013-07-01
2013年3月と6月、北陸鉄道に参戦した。本来は石川線と浅野川線を一緒に制覇するのが経済的であるが、旅の行程上2回に分かれてしまった。今回は浅野川線を紹介してみよう。
浅野川線は、1924年1月23日に設立された浅野川電気鉄道(浅電)が開業した路線である。かつては内灘駅 - 粟ヶ崎海岸駅間があったが1974年に港湾整備などのために廃止された。
2001年には北鉄金沢駅 - 七ツ屋駅間が地下化されたが、地下化するに当たり車両をすべて不燃化する必要があったため元京王3000系電車を導入することとなった。同車に対応するために1996年に架線電圧を600Vから1500Vに昇圧し、同時にワンマン運転を開始し現在に至っている。

北鉄金沢駅。「初」の私は乗場さがしに苦労したが、着いてしまえば意外と単純であった。まだ地下化され10年ちょっとしか経っていないためか、新しさが伝わってくる。


北鉄金沢駅ホーム。無理やりかも知れないが、なんとなく「吉祥寺」のような雰囲気を醸し出しているような・・・

「東急車両」としては昭和39年製造。昭和39年と言えばご存じ、あの東海道新幹線が開通した年だ。下の表記は「京王重機」で平成9年に恐らく北鉄用にリニューアルされたのであろう。

北鉄金沢を出るとすぐに地上に出る。そして出た瞬間に・・・

次の七ツ屋に到着。ここも地下化の際にリニューアルされたと思われ、ホームが新しい。

生活路線らしく、こんな空間を通る。なんとなくかつての「清水港線」に似たような感じだ(ちょっと例えが古かったかなぁ・・・)。

途中、大河端は600Ⅴ時代の変電所があったが、現在は北鉄の物資保存庫となっているようだ。川の土手淵にあり、利用者は多いとは言えない佇まい。

終点の内灘。折り返し時間が少なかったため多くの写真を撮れなかった。しかしながら内灘町の中心的存在で路線バスが多く発着しており、利用者にはとても便利。

内灘には車庫もある。じっくり見物したかったがそれは次回にしよう。(画像はウィキペディア)

内灘駅。バス乗り場がすぐにありとても便利。(画像はウィキペディア)

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浅野川線は、1924年1月23日に設立された浅野川電気鉄道(浅電)が開業した路線である。かつては内灘駅 - 粟ヶ崎海岸駅間があったが1974年に港湾整備などのために廃止された。
2001年には北鉄金沢駅 - 七ツ屋駅間が地下化されたが、地下化するに当たり車両をすべて不燃化する必要があったため元京王3000系電車を導入することとなった。同車に対応するために1996年に架線電圧を600Vから1500Vに昇圧し、同時にワンマン運転を開始し現在に至っている。

北鉄金沢駅。「初」の私は乗場さがしに苦労したが、着いてしまえば意外と単純であった。まだ地下化され10年ちょっとしか経っていないためか、新しさが伝わってくる。


北鉄金沢駅ホーム。無理やりかも知れないが、なんとなく「吉祥寺」のような雰囲気を醸し出しているような・・・

「東急車両」としては昭和39年製造。昭和39年と言えばご存じ、あの東海道新幹線が開通した年だ。下の表記は「京王重機」で平成9年に恐らく北鉄用にリニューアルされたのであろう。

北鉄金沢を出るとすぐに地上に出る。そして出た瞬間に・・・

次の七ツ屋に到着。ここも地下化の際にリニューアルされたと思われ、ホームが新しい。

生活路線らしく、こんな空間を通る。なんとなくかつての「清水港線」に似たような感じだ(ちょっと例えが古かったかなぁ・・・)。

途中、大河端は600Ⅴ時代の変電所があったが、現在は北鉄の物資保存庫となっているようだ。川の土手淵にあり、利用者は多いとは言えない佇まい。

終点の内灘。折り返し時間が少なかったため多くの写真を撮れなかった。しかしながら内灘町の中心的存在で路線バスが多く発着しており、利用者にはとても便利。

内灘には車庫もある。じっくり見物したかったがそれは次回にしよう。(画像はウィキペディア)

内灘駅。バス乗り場がすぐにありとても便利。(画像はウィキペディア)

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