DL・ばんえつ「東線」物語号②
2013-08-29
平(現・いわき)を出発すると大きく弧を描き常磐線を見送る。海岸から一気に山深くなる風景は、日本の地形の特徴を表しているが、この磐越東線は、磐越西線と合わせて太平洋から日本海に「縦断」する役割をしている・・・といいたいが、現在は高速道路開通で、特に「東線」はその機能が薄れている・・・というより終了したと表現したほうがいいのであろうか?
それより、東線はこれといった観光地がないと思っていたが、神俣駅付近には「あぶくま洞」という観光施設があるらしい(でこすけさん情報です!でこすけさん、ありがとう!!)。


(これが噂の「あぶくま洞」。私は山口県の「秋芳洞」に訪問したことがあるが、引けず劣らない雰囲気が伝わってくる。画像提供はでこすけ様)
しかし、その洞窟に行くのには駅からタクシーで10分ほどらしい。もちろん、現在は付近に高速道路があるためマイカーや観光バスなどが主役であろう。最初から計画して、本数の少ない磐越東線を利用して神俣駅からタクシーなどで訪問する一般の観光客などがいたら、かなり「コア」だと思う(ですよね、でこすけさん!)。
そんな事は知ってか知らずか、私が一番惹かれたのが「夏井」であった。理由は簡単で、列車に乗っていたら私の座席の目の前に駅名表が「ピタッ」と張り付くように列車が停車し、いかにも「撮影しろ」という合図のようであったからだ。そんなことからしっかり「証」としてゲット。真夏の「夏井」は冷房設備など無い旧型客車でも十分にすごしやすい環境であった。

(私の所有する磐越東線唯一の写真である「夏井」。旧型客車の「車窓から」撮影。)
そんな夏井を過ぎ小野新町に着くと列車交換のためしばらく停車。地下道をくぐり駅舎に向かい、抜かりなく入場券をゲットする。そんな余裕のある私の乗車している「東線」は、帰省時期というのにゆっくりと時間が過ぎていく。
やがて郡山に到着。今度は「西線」に乗り換える。こちらもDL牽引の旧型客車だ。しかしこちらは帰省客で座席がすべて埋め尽くされているどころか、通路に立ち席客もいるほど。新幹線が開通したばかりでますます便利になった東北地方を象徴するかの様に私の「居場所」が無い。仕方なく私は解放された「車掌室」のような空間に身を寄せる。もちろんそこも「満室」だ。
そんな中、若干事件が起こった。急にベル音のような音が鳴り響いたため、私はATSでも作動しているのかと思ったら、なんと私のバッグの中の目覚まし時計が「誤作動」してしまっていたのだ・・・周りの視線が痛い・・・なにせ、中学生のやることなので、お許しください・・・

(小野新町で入場券をゲット。これも私の所有する磐越東線唯一の入場券だ。)
この後会津若松を過ぎ喜多方へ「日中線」を制覇しに向かった。やはりこちらの方が何かと忙しい。しかしながらマイペースであった東線は「ゴーイング・マイウェイ」の感があるが、地元の方にとってはしっかりと「足」として機能している。現在は全てDC化され旧型客車での運転は無いが、もし今もDL牽引の旧型客車の運転があれば、さぞかし景色が違うであろう。私のこの貴重な体験で、当時磐越東線に走っていた客車列車を「DL・ばんえつ<東線>物語号」と勝手に名付けた。

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それより、東線はこれといった観光地がないと思っていたが、神俣駅付近には「あぶくま洞」という観光施設があるらしい(でこすけさん情報です!でこすけさん、ありがとう!!)。


(これが噂の「あぶくま洞」。私は山口県の「秋芳洞」に訪問したことがあるが、引けず劣らない雰囲気が伝わってくる。画像提供はでこすけ様)
しかし、その洞窟に行くのには駅からタクシーで10分ほどらしい。もちろん、現在は付近に高速道路があるためマイカーや観光バスなどが主役であろう。最初から計画して、本数の少ない磐越東線を利用して神俣駅からタクシーなどで訪問する一般の観光客などがいたら、かなり「コア」だと思う(ですよね、でこすけさん!)。
そんな事は知ってか知らずか、私が一番惹かれたのが「夏井」であった。理由は簡単で、列車に乗っていたら私の座席の目の前に駅名表が「ピタッ」と張り付くように列車が停車し、いかにも「撮影しろ」という合図のようであったからだ。そんなことからしっかり「証」としてゲット。真夏の「夏井」は冷房設備など無い旧型客車でも十分にすごしやすい環境であった。

(私の所有する磐越東線唯一の写真である「夏井」。旧型客車の「車窓から」撮影。)
そんな夏井を過ぎ小野新町に着くと列車交換のためしばらく停車。地下道をくぐり駅舎に向かい、抜かりなく入場券をゲットする。そんな余裕のある私の乗車している「東線」は、帰省時期というのにゆっくりと時間が過ぎていく。
やがて郡山に到着。今度は「西線」に乗り換える。こちらもDL牽引の旧型客車だ。しかしこちらは帰省客で座席がすべて埋め尽くされているどころか、通路に立ち席客もいるほど。新幹線が開通したばかりでますます便利になった東北地方を象徴するかの様に私の「居場所」が無い。仕方なく私は解放された「車掌室」のような空間に身を寄せる。もちろんそこも「満室」だ。
そんな中、若干事件が起こった。急にベル音のような音が鳴り響いたため、私はATSでも作動しているのかと思ったら、なんと私のバッグの中の目覚まし時計が「誤作動」してしまっていたのだ・・・周りの視線が痛い・・・なにせ、中学生のやることなので、お許しください・・・

(小野新町で入場券をゲット。これも私の所有する磐越東線唯一の入場券だ。)
この後会津若松を過ぎ喜多方へ「日中線」を制覇しに向かった。やはりこちらの方が何かと忙しい。しかしながらマイペースであった東線は「ゴーイング・マイウェイ」の感があるが、地元の方にとってはしっかりと「足」として機能している。現在は全てDC化され旧型客車での運転は無いが、もし今もDL牽引の旧型客車の運転があれば、さぞかし景色が違うであろう。私のこの貴重な体験で、当時磐越東線に走っていた客車列車を「DL・ばんえつ<東線>物語号」と勝手に名付けた。

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DL・ばんえつ「東線」物語号①
2013-08-27
磐越東線はJR東日本の常磐線・いわきから北上し東北本線・郡山まで至る85.6kmの路線で「ゆうゆうあぶくまライン」の愛称が付いている。郡山を境に同じく「磐越」を名乗る「西線」があるが、こちらは583系の快速「あいづライナー」や、国鉄時代には上野~会津若松間の特急「あいづ」等が運転されていた。また、観光仕様のSL「ばんえつ物語号」等も週末を中心に運転されている。沿線には「会津若松」や「喜多方」等の観光スポットもあり何かと話題性が多い。それに比べ磐越東線は、中心となる駅が小野新町くらいでこれといった観光要素もなく、全体的に「生活路線」のイメージが濃く、若干地味な感じであろう。また、1995年には並走するように「磐越自動車道」が開通し、鉄道としての役割はほぼ終了した感があり、「ローカル化」に更に拍車がかかったかのような気がする。

(1978年頃の磐越東線・磐城常葉駅付近。私はこの5年後に訪問。磐越東線の客車列車のイメージ画像はミックス・マテリアル様提供。
この両線、同じ「磐越」を名乗りながら東線と西線で全く形態が異なるという、何とも不思議な変わり種である。プロレスで例えるなら「異種格闘技戦」のようなものか?例えばアントニオ猪木VSウイリー・ウイリアムスやモハメド・アリのような、もっと言えばジャイアント馬場VSラジャ・ライオンのような感じか・・・いや、「馬場VSラジャ」は違った意味で「異種」かも知れないのであまり例えの参考にはならないが・・・

(磐越東線・菅谷駅。同じくミックス・マテリアル様提供写真。)
話は逸れてしまったが、私は1983年8月に訪問している。このブログで散々紹介してきた「東北一周の旅」の際の訪問だ。上野発「8時ちょうどの~」急行列車「ときわ5号」で平(現・いわき)に10時58分に到着。11時14分発の磐越東線・郡山行に乗り換える計画で、実に接続が良い。列車はなんとディーゼル機関車が牽引する旧型客車列車だ!今では考えられないが、あの磐越東線に「旧型客車」が走っていたのだ。もちろん全列車ではなく、1日1~2往復程度であったと思うが、それにしても旅情が湧き出るではないか!確か機関車がDD13あたりだった記憶である。そしてこの客車列車というものは、出発の際に独特の「間」がある。連結器の関係か、若干時間差で先頭から動力がかかっていき順番に引っ張られるあの感覚がたまらない。そのような「感覚」を好む体質が既に中学生の身でありながら備わってしまったとは・・・そんな列車に揺られ「東線」の旅は始まった。

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(1978年頃の磐越東線・磐城常葉駅付近。私はこの5年後に訪問。磐越東線の客車列車のイメージ画像はミックス・マテリアル様提供。
この両線、同じ「磐越」を名乗りながら東線と西線で全く形態が異なるという、何とも不思議な変わり種である。プロレスで例えるなら「異種格闘技戦」のようなものか?例えばアントニオ猪木VSウイリー・ウイリアムスやモハメド・アリのような、もっと言えばジャイアント馬場VSラジャ・ライオンのような感じか・・・いや、「馬場VSラジャ」は違った意味で「異種」かも知れないのであまり例えの参考にはならないが・・・

(磐越東線・菅谷駅。同じくミックス・マテリアル様提供写真。)
話は逸れてしまったが、私は1983年8月に訪問している。このブログで散々紹介してきた「東北一周の旅」の際の訪問だ。上野発「8時ちょうどの~」急行列車「ときわ5号」で平(現・いわき)に10時58分に到着。11時14分発の磐越東線・郡山行に乗り換える計画で、実に接続が良い。列車はなんとディーゼル機関車が牽引する旧型客車列車だ!今では考えられないが、あの磐越東線に「旧型客車」が走っていたのだ。もちろん全列車ではなく、1日1~2往復程度であったと思うが、それにしても旅情が湧き出るではないか!確か機関車がDD13あたりだった記憶である。そしてこの客車列車というものは、出発の際に独特の「間」がある。連結器の関係か、若干時間差で先頭から動力がかかっていき順番に引っ張られるあの感覚がたまらない。そのような「感覚」を好む体質が既に中学生の身でありながら備わってしまったとは・・・そんな列車に揺られ「東線」の旅は始まった。

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