穏やかなひと時
2012-10-30
穏やかなひと時が過ぎて行った・・・私は予讃線「下灘駅」に来た。これは偶然というか思いつきの行程によるものである。実はこの下灘を含めた四国旅行は、言わば「慰安旅行」のような感じであった。転職活動のため2週間ほど有給休暇を消化しなければならない。そんな中、6泊7日の行程での旅を計画、うち2泊は寝台特急である。そして今回は「制覇」という概念から外れ「観光」のカラーを前面に出した、所謂一般的な行程となった。しかし出発当日になっても、例えばサンライズを待つ横浜駅構内にある某有名喫茶店(コーヒー店?)においても「(今回の旅の目的地の選択は)北陸だったかな・・・」などと思ってしまうほどなにか落ち着かない。やはり未制覇線区の穴埋めが身に付いてしまっているせいか、何か物足りなさを感じてしまうほど観光色豊かな、贅沢な行程を鏤めてしまった。「こんな行程、定年してからでも全然OKじゃん?」と思うほどの余裕な行程。全く「制覇」から外れてしまった。しかも、今回の制覇路線は「美祢線」のみのたった1線区!しっかり堪能しようではないか。そんな思いを胸に秘め「サンライズ」で高松へ向かった。
次の日は道後温泉へ宿泊のため松山へ移動。そしてどうしても行ってみたい屋台風居酒屋があったためタクシーで向かったのだが、あえなく休業日の模様であったため、そのまま引き返してしまった。次の日はバスにてしまなみ海道を渡り本州へ上陸する行程であったが、松山を昼12時頃に出発すれば良い行程であったため、少しここで「鉄分」を注入する決意をした。そう、下灘駅の訪問は最初の予定に入っていなかったのだ。といっても当日の朝まで「下灘訪問」にするか「向井原~伊予大洲の<旧線>再制覇か」で迷っていたが、結局予算(予讃?)の関係から「下灘訪問」に落ち着いた。しかし、この決断が良かったのかも知れない。
予讃線の向井原~伊予大洲はルートが2つに分かれる。現在特急列車など頻繁に通る山側に入る主要ルートが所謂「内山線」と地元では呼ばれて親しまれている新線区間だ。「内山線」とは建設当時の「仮名称」であるが、当時盲腸線であった「内子線」の新谷~内子を編入し伊予大洲~向井原を総称で「内山線」と地元では呼んでいるらしい。線形も良くトンネル区間が続くが、同区間の距離・時間の短縮に貢献、将来は電化の構想も出ている。一方、所謂「旧線」は線形も悪くカーブが連続し地すべりなどに悩まされていたが優等列車が通過しなくなった現在、完全にローカル線モードとなった。しかし、旧線を廃止せずに維持しているということはそこそこの利用者があるのであろう。早速「秘境駅」訪問に向け、松山より普通列車にてのアプローチだ。特急列車で各駅を通過していくのは勿体無いほど和やかな雰囲気に包まれた駅が私を待っていてくれて、私の判断の正しさに、我ながら心を打たれた・・・
そして下灘駅に到着。ホームに一歩足を踏み入れたとたん、潮風がやさしく包み込んだ。私(と妻)だけかと思いきや、女性2人組も一緒に下車。「なんだ、地元の人の利用もしっかりあるのか」と思いきや、駅を降りてもなかなか駅から離れようとしない。それどころか、駅の設備に向けシャッターを切り出した。「同業者か・・・」私の脳裏に一言がよぎった。できれば駅を独占したかったのだが、それは向こうも同じ事を考えているであろう。お互いに微妙な距離をとりながら「ひと時」を堪能していった。山と海に挟まれ、地形的に制約を受けながらも無理やり造ったと思われる細い島式のプラットホームは、海側の線路を残し他の線路は全て撤去され棒線化されてしまった。優等列車の通過が無くなってしまったため列車交換の必要が無くなったのであろう。しかし、そこは地元にとって新たな「オアシス」へと変化していった。小学生達が定期的に駅の掃除等をしたり、時には駅でイベントも開かれているらしい。また、かつては「日本一海に近い駅」などと謳われ「青春18きっぷ」のポスターや、映画「男はつらいよ」の舞台にもなり、由緒正しい、古式ゆかしい駅である。
駅から見える瀬戸内海(豊後水道?)は私が説明するまでもなく絶景で、地味ながら有名であるが、そんな下灘駅も、毎年「しもなだ<駅フォト>コンテスト」なる企画が開催されているらしく、私はこの事実を初めて知ったのであった。もちろん応募するのに否定する術はなく、しっかりと駅設備をSDカードに収める作業に追われた。それでもまだ時間があったためしっかりと駅を堪能。ベンチに座ってみたり待合室で海を眺めたり・・・のんびりした時間が過ぎていった。
私が崇拝する某ロックアーティストのヒット曲に「時間よ止まれ」なるものがあるが、まさに「罪な奴」である「パシフィック」がきらきら光り「碧く燃える」。この歌の歌詞通り「どうやら俺の負け」のようだ。「夏の日」ではなく訪れたのは「秋」であったが「まぼろし」ではないこの駅の素晴らしさは「この女(ひと)に賭ける」のも悪くないであろう・・・


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次の日は道後温泉へ宿泊のため松山へ移動。そしてどうしても行ってみたい屋台風居酒屋があったためタクシーで向かったのだが、あえなく休業日の模様であったため、そのまま引き返してしまった。次の日はバスにてしまなみ海道を渡り本州へ上陸する行程であったが、松山を昼12時頃に出発すれば良い行程であったため、少しここで「鉄分」を注入する決意をした。そう、下灘駅の訪問は最初の予定に入っていなかったのだ。といっても当日の朝まで「下灘訪問」にするか「向井原~伊予大洲の<旧線>再制覇か」で迷っていたが、結局予算(予讃?)の関係から「下灘訪問」に落ち着いた。しかし、この決断が良かったのかも知れない。
予讃線の向井原~伊予大洲はルートが2つに分かれる。現在特急列車など頻繁に通る山側に入る主要ルートが所謂「内山線」と地元では呼ばれて親しまれている新線区間だ。「内山線」とは建設当時の「仮名称」であるが、当時盲腸線であった「内子線」の新谷~内子を編入し伊予大洲~向井原を総称で「内山線」と地元では呼んでいるらしい。線形も良くトンネル区間が続くが、同区間の距離・時間の短縮に貢献、将来は電化の構想も出ている。一方、所謂「旧線」は線形も悪くカーブが連続し地すべりなどに悩まされていたが優等列車が通過しなくなった現在、完全にローカル線モードとなった。しかし、旧線を廃止せずに維持しているということはそこそこの利用者があるのであろう。早速「秘境駅」訪問に向け、松山より普通列車にてのアプローチだ。特急列車で各駅を通過していくのは勿体無いほど和やかな雰囲気に包まれた駅が私を待っていてくれて、私の判断の正しさに、我ながら心を打たれた・・・
そして下灘駅に到着。ホームに一歩足を踏み入れたとたん、潮風がやさしく包み込んだ。私(と妻)だけかと思いきや、女性2人組も一緒に下車。「なんだ、地元の人の利用もしっかりあるのか」と思いきや、駅を降りてもなかなか駅から離れようとしない。それどころか、駅の設備に向けシャッターを切り出した。「同業者か・・・」私の脳裏に一言がよぎった。できれば駅を独占したかったのだが、それは向こうも同じ事を考えているであろう。お互いに微妙な距離をとりながら「ひと時」を堪能していった。山と海に挟まれ、地形的に制約を受けながらも無理やり造ったと思われる細い島式のプラットホームは、海側の線路を残し他の線路は全て撤去され棒線化されてしまった。優等列車の通過が無くなってしまったため列車交換の必要が無くなったのであろう。しかし、そこは地元にとって新たな「オアシス」へと変化していった。小学生達が定期的に駅の掃除等をしたり、時には駅でイベントも開かれているらしい。また、かつては「日本一海に近い駅」などと謳われ「青春18きっぷ」のポスターや、映画「男はつらいよ」の舞台にもなり、由緒正しい、古式ゆかしい駅である。
駅から見える瀬戸内海(豊後水道?)は私が説明するまでもなく絶景で、地味ながら有名であるが、そんな下灘駅も、毎年「しもなだ<駅フォト>コンテスト」なる企画が開催されているらしく、私はこの事実を初めて知ったのであった。もちろん応募するのに否定する術はなく、しっかりと駅設備をSDカードに収める作業に追われた。それでもまだ時間があったためしっかりと駅を堪能。ベンチに座ってみたり待合室で海を眺めたり・・・のんびりした時間が過ぎていった。
私が崇拝する某ロックアーティストのヒット曲に「時間よ止まれ」なるものがあるが、まさに「罪な奴」である「パシフィック」がきらきら光り「碧く燃える」。この歌の歌詞通り「どうやら俺の負け」のようだ。「夏の日」ではなく訪れたのは「秋」であったが「まぼろし」ではないこの駅の素晴らしさは「この女(ひと)に賭ける」のも悪くないであろう・・・


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