東北乗り潰しの旅③(リメイク版)

山形駅の待合室で一夜を明かすこととなったが、この駅は24時間眠らない。深夜は貨物や夜行列車が絶え間無くやってくる。待合室も24時間開いているため絶えず人の出入りがある、と言っても深夜の時間帯のため数えるほどであるが・・・長椅子に横にはなるが、防犯上熟睡はしない。やがて乗るべき列車の出発時刻となる。まず、赤湯を経由して長井線と、今泉で乗り換え米坂線を制覇。坂町から特急「白鳥」に乗り酒田へ着いた。そして陸羽西線で新庄に抜け再び山形へ戻ってきた。もうこの時点で19時25分である。一日が終わるのが速く感じる。山形より奥羽本線の普通列車で福島へ向った。わざわざ普通列車、しかも客車列車を選択したのは正解だった。ファンの間では大変有名な「板谷・峠」越えとなる連続スイッチバックを十分楽しめるからだ。しかしいかんせん、時間帯は夜・・・暗闇意外、車窓には何も映らない。スイッチバックの風景も全然楽しめないではないか!仕方なくキオスクで購入した食料をたしなむに過ぎなかった。だが車内は貸切状態、思う存分「夜汽車」を楽しんだ。そして福島到着、約50分待ちで今夜の宿急行「八甲田」に乗った。毎回途中駅から乗車のため座席が空いているかどうか心配なのだが、今回の旅は運よく全ての夜行列車で座れた。旅も終盤に近付き、盛岡などの深夜の時間帯での乗り換えは無くなり、目指す駅は野辺地である。約6時間もの乗車時間があるのでしっかり睡眠をとることにした。だが、果たしておきれるであろうか・・・心配は無用であった。野辺地に着く20分くらい前にしっかり目が覚めたのだ。「野生の感」か「習性」か、そんな事はどうでもいいが、とにかく起きれたことに感謝。野辺地で「南部縦貫鉄道」を横目で見ながら、大湊線のホームに向った。南部縦貫鉄道は、当時全国で唯一「レールバス」の走る事で有名であり、私もいつかは制覇したいと思っていたが・・・廃止されてしまい、夢は実現しなかった。大湊線と大畑線(当時)を制覇し、特急「はつかり」で盛岡に行き田沢湖線の特急「たざわ」で秋田に向った。秋田から羽後本荘に行き矢島線(当時)を制覇、再び秋田に戻り今度は男鹿線を制覇した。終点男鹿で1時間半のインターバルがある。駅員に銭湯のありかを問うと、すぐ近所にあるとのこと。駅に荷物を預け、早速汗を流しに行った。そして三度秋田に戻り、今度は「駅寝」が待っていた。当初から計画していた「大曲」を宿に選んだ。ここに宿泊しないと後の「角館線(当時)に乗れないため、たとえ否定されても、強引に「寝」ざるを得なかった。大曲に着き、駅員にその旨を伝えると「待合室の鍵を全て締め切ってくれる」事となった。始発近くになったら開けてくれるとのことなので、ここでも安心して寝られる事となった。駅員に丁寧に挨拶をした後、早速始発まで待たせてもらう事にした。間もなく目が覚めると、待合室の中に約1名人が居るではないか・・・とりあえず貴重品を確認したが、変化は無く無事であり一安心。やがて駅員がやってきたので「宿」の礼を一言伝えると「あの人、どこから入ったの?」と私に問うてくるではないか!私もおかしいと思ったが・・・何とも地味に物騒な出来事であった。

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(坂町か酒田で遭遇した「いなほ」。新幹線が開通し新潟~秋田の運転になった。)

何はともあれ、これから角館に向かい、角館線を制覇する。現在は「秋田内陸縦貫鉄道」として活躍してるが、当時はまだ松葉までしか開通しておらず1日3往復くらいしか列車は無かったため、制覇の計画にはひときわ苦労した。だが、制覇してしまえばこっちの物である。再び大曲に戻り、急行「津軽」に乗り込み青森に向った。約4時間、14系座席のワンボックスを占領し、田園風景をしかと目に焼き付けながら遅くなった朝食を口に運んだ。青森に着くと、今回の最終制覇路線「津軽線」の待ってるホームに向った。だが、この時点より3年前に実は津軽線を「制覇」していた。そう、小学校4年の時に寝台特急<富士>に初乗車の翌年、583系寝台特急<ゆうづる>に乗り、青森の旅をした際に津軽線に乗り竜飛岬へと行ったのであった。既に制覇済みではあるが、当時は「いい旅チャレンジ~」の最中で、証明写真を撮影しなければならなかった。そのため再び三厩へ向ったのであった。津軽線制覇後、青森に戻りいよいよ帰りの寝台特急<はくつる>の発車時刻を待つのみとなった。発車まで何と8時間もある。じっくりと青森の街を観光し、いよいよ583系の待つホームへと向った。今回は3段式寝台の一番上段である。前回の<ゆうづる>で中段に乗車したが、かなりの窮屈感を否定できなかったので、今回は上段にした。上段の方が、上部に丸みがあるため広く感じられた。しかし、やはり3段式寝台は「前近代的」の風潮であった。しかし、この乗車が寝台特急としての583系の活躍の最後の乗車となってしまった事は、自身にとって貴重な体験になってしまった。勿論、現在も583系は急行<きたぐに>として、その機能を発揮しながら活躍している。だが、既に「時代遅れ」の感は否定できないし、車両の老朽化など、今後様々な問題が出てくるであろう、いや、もう既にその時は来ているのかも知れない(2012年に定期運用は廃止)。当時<はくつる>に乗り、離れ行く青森駅を見つめながら、ただただ無邪気に楽しい旅であった事を振り返らせてくれた。現在の583系の運命など考えもしなかった。しかし今振り返ってみて、改めて思うことは「全て貴重な体験」であった。体力的にも精神的にも連続10日近くの「乗り潰し」は若さゆえの「証」でもあった。しかし、まだまだ制覇の旅は終わってない。これからも突き進むのみである!

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東北乗り潰しの旅②(リメイク版)

陸羽東線で小牛田へ行き、気仙沼線と大船渡線で盛に着いた。半日で日本海側から太平洋側へと縦断、いや、横断した。盛からは当時「岩手開発鉄道」が旅客営業をしていたが、運転本数が少なく制覇せずにそのまま盛線(当時)に乗った。今考えたら悔しい思いでいっぱいだが、岩手開発鉄道は貨物営業を現在も続けているため路線自体は残っているのが嬉しい。盛線に関しては、現在は「南リアス線」として第2の人生を歩んでいる。盛線制覇当時は、確かに延伸工事はしていたが、本当に実現するのかは「?」であった。しかし、レールはつながり「第3セクターの模範」と言われた時代もあった。20年以上経過した現在「例に漏れず」ハジけたバブルと少子高齢化と共に乗客は減少の一途を辿ってる。しかし、盛線の終点「吉浜」に着いた時の鉄路の先にある光景は、確かに明るい未来を目指していた。そんな盛線に別れを惜しみつつ、今度は折り返し大船渡線で一ノ関に出た。そして東北本線で北上に出て、北上線で横手に着いた。既に9時10分前であり、そろそろ「床」に着く時間であるが、これからの予定は急行「おが」に乗り深夜の乗換えをして山形に戻ってくる予定であった。しかし深夜の乗り換えは今回の旅において「トラウマ」状態で、深夜の乗り換えの自信が若干揺らいだため、無難に山形で下車し、始発まで「待たせて」もらう事にした。という事で山形に着いたのは深夜0時55分。左沢線の制覇予定であるが、次の列車は始発の6時7分である。約5時間の待ち合わせだ。

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(東北本線の普通列車は旧型客車から順次50系に置き換えられていった。写真は盛岡にて。)

翌朝、しっかりと始発に間に合う心地よい目覚めであった。早速列車に乗り込むが、下り列車のためほぼ回送状態だ。左沢線を制覇し、山形から仙山線で仙台へ向った。全線電化路線だが、電気機関車の牽引する「客車列車」が走っている。勿論、事前調査通りにこの列車に乗車。仙山線は仙台と山形を結ぶ都市路線であるが、ひと山ふた山越えるため、実際はローカル色濃い路線である。そのため山形方は山肌や生い茂る草木が窓際まで迫り来る。仙台に近づくにつれ文明色がにじみ出てくる。仙台より仙石線に乗り換え石巻に行く予定だ。またも半日で景色が一転してしまう忙しい旅である。仙石線のホームは他の路線のホームとはやや離れてた、と言うより独立してた。これは、かつて仙石線は私鉄であった名残である。現在は地下化され、仙台より若干延伸され「あおば通」が終点となり、地下鉄との乗換えを便利にした。そんな仙台を離れ、仙石線で一路石巻へ。東北地方の電化路線は交流区間ばかりだが、唯一仙石線のみ直流のため、首都圏からの「お下がり」である101系が走っている。途中、松島付近はいわゆる「日本三景」を控えており、それらの乗客も無くはないが、いかんせん「ロングシート」では旅情たるものが薄らぐような・・・東塩釜で複線区間は終了し石巻までは単線だ。終点石巻に着き石巻線に乗り換えるが、仙石線と石巻線の駅は200~300m離れており乗り換えには不便であった。これは先ほど述べたように前身が私鉄であったためだが、現在は石巻線側に統一され難なく乗り換えできるようになったが、統一前の石巻駅を体験できただけでも貴重な思い出の1ページとなった。とは言え、実はこの日は雨・・・降りしきる雨の中、小走りに石巻線に乗り込んだ。女川で折り返し、小牛田に出て石巻線を制覇し次は東北本線で槻木から丸森線を制覇。現在は「阿武隈急行」として活躍している第三セクター路線だが、当時は槻木~丸森までの盲腸線に過ぎなかった。再び東北本線で利府に向かい「支線」を制覇し白石へ向った。東北本線の上下線を行ったり来たりである。この時点でもう23時を回ってる。今夜の宿となる「八甲田」に乗るためわざわざ白石に出たわけだ。そして盛岡で降りて釜石線を制覇する訳だが、盛岡到着はなんと3時14分!釜石線は始発の5時19分。何とも無謀な乗り換えであるが、まだまだ東北制覇は終わらない・・・

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(「はつかり」は583系と485系の2本立てであった。今回の東北の旅では583系版には乗車できず・・・写真は八戸にて撮影。)

盛岡より釜石線の始発で一気に宮古まで行き宮古線を制覇した後、山田線で再び盛岡に戻る予定だ。宮古線といえば、現在は「三陸鉄道」として活躍しているが、当時はまだ途中の「田老」までしか開通しておらず、田老より先の延伸を心待ちしていた。山田線は、途中に山越えがあり、かつてスイッチバック駅であった「大志田」や「浅岸」を通り過ぎた。実は私の行った時は「時既に遅し」で、前年のダイヤ改正でスイッチバックは解消されてしまった。しかし「残骸」はまだ残っており、一瞬に通過してしまったが、しっかりと目に焼きつけ「いつか必ず・・・」と心に誓った。帰省客をいっぱい乗せた山田線で盛岡に到着。ここから花輪線に乗り換え大館を目指す。花輪線と言えば、十和田南で「スイッチバック」がある。配線がどうなってるのか楽しみであったので、2時間のインターバルの後、勇んで花輪線に乗車。やはり帰省ラッシュで車内は超満員だ。何とかボックスシートを確保したが、予告無く睡魔が襲ってきた・・・ふと気が付くと陸中花輪(当時)付近を走っており、「十和田南」は残念ながら文字通り「夢」となってしまった・・・

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(夜も真昼も列車で過ごす毎日の中、秋田駅では普段会えないこんな列車と遭遇。当時は数少ない「寝台急行」だ。)

いつの間にか、満員だった車内も既に人影は無く、ボックスシートで同じ席だった家族が席を移り変わり、そちらでトランプなどやってくつろいでいた。悔しい思いを胸に抱きながら大館に到着。そして急行「むつ」で青森に出た。時刻は21時ちょうどである。ここから今夜の宿となる「八甲田」の出発まで約3時間あるので、事前に駅前付近を「物色」しておいた「煙突」に向う。そう、「銭湯」である。そういえば、家を出て以来風呂に入っていない・・・ずっと列車に乗りっ放しである。当時はインターネットなどは普及しておらず、予め銭湯のありそうな駅を物色しておいて計画に落とし込んでいた。そして、実際に駅付近の街並みの中から「煙突」を探すのだ。これぞ「銭湯」の有りかである。青森は、駅の「裏口」にそれを見つけた。表口とは違い、裏口の駅前は何とも下町チックな風情が漂う。連絡船の桟橋が間近にあり、汽笛が鳴り響く港町の香りがたっぷりの「駅前一等地」の一角に、目指す銭湯は顔を出した。下駄の音をカラコロ響かせながら暖簾をくぐりたい気分であったが、なにせこちらは旅の途中。列車の出発時刻まで時間はあるものの、銭湯の閉店時間まで40分も無かった。私は即刻体を洗い流し、シャボンの香りを漂わせながら再び青森駅へ戻った。しかし「八甲田」の出発時刻まで約2時間近くある。さて、何をしようかと思っていたら10時半頃「八甲田」が入線してきた。これは嬉しい限りである!出発まで1時間半ほどホームに滞在してくれる。盛岡に2時49分に下車予定のため約4時間の休憩時間が出来た。「よし、汗も洗い流した事だし、今夜はじっくり寝るぞ!」と心に決め夢見心地のまま盛岡目指した。もう慣れたものだ。

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(酒田か坂町での「白鳥」。当時は大阪~青森を結ぶ特急列車であった。)

乗り換え駅に近付くと、ちゃんと目が覚める。盛岡より今度は下りの急行「八甲田」に乗り換え再び東北本線を青森方面に折り返して八戸を目指した。今回の旅は、こんな感じで深夜の乗換えを繰り返し宿代をかけずに旅をするスタイルであった。やがて八戸に到着。ここより八戸線と久慈線を制覇し普代に着いた。久慈線とは、現在の「三陸鉄道」である。今回の旅日記では再三顔を出す会社名だが、それこそ当時は未開通で盲腸線ばかりであったのがお分かりであろう。しかし今回は普代から先は折り返さず、国鉄バスを使い、未開通の「三陸鉄道」を代替するのだ。北山崎展望台で乗り換え、今度は「岩泉」を目指し、岩泉線制覇の予定だ。岩泉は「龍泉洞」なる観光地を控えているが、列車本数が少なく、鉄道利用はほぼ皆無に近いであろう。しかし、延伸予定では岩泉から先、現三陸鉄道の小本までで、三陸の海岸から短絡できる予定なのだが、岩泉線は日本有数の「不採算路線」で知られており、例え延伸部分が開通したとしても赤字経営間違え無しであろう。その名の通り、岩泉駅は超山の中である。1時間半のインターバルの後、茂市目指して出発したが、とにかく山しかない。途中「押角」は、簡易ホームのみで、屋根や待合室など当然無く、辺りは民家の「み」の字も見当たらない。僅かに駅付近の狭いスペースにスイッチバックの痕跡を見つけ、地味ながらも盛栄の時期が存在した事を物語っていた。茂市より山田線で盛岡に抜け、更に田沢湖線を特急「たざわ」で制覇し、大曲より急行「おが」で今夜の宿となる山形に向った。



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長良川艶歌

岐阜県といえば鵜飼や焼き物、刃物などで有名だが、そんな伝統ある町にも私好みの「ローカル」がいる。長良川鉄道だ。JNRを知る人は「越美南線」とでも言えばよいか。1980年代の「特定地方交通線」に名を連ね、第三セクターに転換された、所謂「赤字ローカル線」であった。だが、私の生涯目標の「制覇」だけを考えたら非常に厄介な(という表現は良くないかもしれないが)鉄路であった。しかし視点を変えれば面白くもなる。
そんな長良川鉄道を制覇するに当たり「近江鉄道」と「伊賀鉄道」をペアで組んだ。伊賀鉄道といえば元近鉄伊賀線。しかし、経営上の問題から近鉄直営の管理ではなくなった。しかし廃止されるよりは現存するだけでもありがたい。長良川鉄道も同じく廃止の候補に挙がったが「第三セクター」という形で現存してくれた。だが「企業」としてみた場合、やはり「儲かっていない」わけである。

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私がここ、長良川鉄道に訪れた日は平日、つまり「フリー切符」が使える休日ではないので正規料金での制覇となった。経費はそれこそ倍以上違う・・・私としてはかなりつらいところであるが、長良川鉄道にはかなり貢献したと思う。早速高山本線で美濃太田に着いたのがなんと17時24分である。えっ?こんな時間から長良川鉄道へ?と思われるであろう。しかしこれには特段の事情があった(大したことではないが)。現在、長良川鉄道の終点・北濃より先、以前は九頭竜湖駅まで国鉄バス(当時⇒JR東海バス)があり、文字通り「越美線」を機能させるべく連絡バスを運行していたが、利用者が僅少のため廃止されてしまった。そのため福井側に抜けることができないため、美濃太田まで引き返すか、美濃白鳥からタクシーで九頭竜湖に向かうしかなくなった。終点・北濃ではタクシーは捕まらないと思われるので事前に連絡が必要であろう。というより美濃白鳥からの方が距離的に九頭竜湖へは近いことになる・・・と、まぁいろいろな事情が絡んでおり、なかなか訪問しにくいのが現状である。そこで美濃白鳥で宿泊する事を思いついた。「素泊まり」でも全然大丈夫な「特段の事情」がこの沿線にはある。さあ、いざ出発だ。

早速気になった駅が「関」である。かつて(JNR時代)は「美濃関」と称したが、転換後に「関」に改称された。JR関西線にも「関」なる同名の駅が存在するが、会社も違い、さして混乱はなかろう。ちなみに私事ではあるが、知り合いに「関」という苗字の方がいるのでJRと長良川鉄道両方の駅名表の写真を差し上げた。もらった方は特に鉄道に関心がないため複雑な心境であったみたいだ。それはいいとして、駅名表を見て気づいたが「刃物の町」のようだ。

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「長良川鉄道」は、その名の通り長良川に寄り添うように北上する。既に「越美南線」の面影は感じられない、というより、設備的には国鉄時代のものをそのまま流用しているが「長良川」がすっかり地元に定着している感がある。もちろん、地方鉄道の特有である乗客の主役は「学生」であるが、美濃太田側では若干沿線人口も多いので一般客も若干あるし、観光要素も沿線には豊富なため観光客も僅かながらある。しかし嫌がらせなのか「高速道路」も寄り添うように並走する。今の時代、わざわざ鉄道を使い観光する概念は、パーセンテージ的に低い部類であろう。便利な世の中ではあるが、寂しさも否定できない。しかし長良川鉄道も頑張る。「みなみ子宝温泉」なる駅を新設、駅構内にスーパー銭湯を併設。なんとホーム直結だ!運転手さんに申し出れば、なんと50円で利用できる優れもの!これを利用しない手はない。「特段の事情」とはこういう時に使うものだ。
もちろん私は50円にて施設を利用。ついでに夕食も済ませてしまった。もちろん計算済みの行動ではあるが、施設内では列車の出発時間が近づくと「信号機」で知らせてくれる。JR北上線の「ほっとゆだ」も同じような感じであるが、こちらはこちらでまた味がある。何かの旅番組で観たが野口〇郎もこの施設を利用。しっかり「地元民」をアピールしていた。

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入浴まで済ませれば、あとは「寝るだけ」。美濃白鳥で宿を素泊まりで「インターネット」で予約。民宿をインターネットで予約するなど、私の「いい旅チャレンジ20000km」時代では考えられ無かった事だ。ほぼ割烹旅館風の宿にIN。ドアはなく「障子」が唯一の「防犯手段」だ。もちろん鍵はかかるが・・・
翌朝、6時に起床。素泊まりのため朝食はもちろん無い。6時59分の美濃白鳥発北濃行に乗車するため身支度を急いだ。宿のおかみに丁寧にあいさつをして、すがすがしい朝の美濃白鳥駅界隈を「コロコロバック」を牽きながら歩く。夜は暗くて分からなかったが、なかなか味のある街並みだ。
早速駅に着いたら既に駅には列車がいた。美濃白鳥発のため座って北濃まで行ける、というより北濃発の上りの始発となるための「回送」をわざわざ旅客扱いしているように思う。事実、私たち以外の乗客は皆無に等しかった。駅舎から構内踏切を横断し向かい側のホームへ向かう途中「バタッ!!」という衝撃音がした。なんと踏切の真ん中で同伴の妻が「ひとりダイビングボディプレス」を敢行していたのであった・・・

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そんなことはお構いなしに、私の列車の旅は続く・・・早速北濃へ向かう。さっきまで美濃白鳥駅で改札をしていた初老の紳士が、今度はマスコンを持って運転席へ。そう、この「変なおじさん」は運転手だったのだ。やはり一人何役もこなさなければならない事情がゆえ、いざ仕方ないがこちらにすれば微笑ましい光景。見逃してはならない。
さて、列車はローカル線の典型的な風景を車窓に映し出しながら終点の北濃まで一気に来たが、途中、若干の乗客があった!やはり回送にしない事情がここに見え隠れする。少しでも「収入」に変えていく努力が素晴らしい。終点の北濃でその若干の乗客は下車。で、私は事前に運転手に同じ列車で折り返す旨を既に伝えてあったため、ある程度の駅設備をカメラに収め再び同じ列車に乗車した。驚いたのは、北濃にはまだ「ターンテーブル」がいた事だ!もし使えるのなら、観光用にSLを走らせるのも夢ではないであろうが・・・しかし、ターンテーブルの横にあるレールはその先で途切れ、過去の「未来」が閉ざされていた。無理してでも九頭竜湖まで繋げたら面白いであろうが、線形が悪く「機能」しないであろう。まぁ、かなわぬ夢となってしまったが、これからも「夢」だけは見ていたい。そんな思いを抱きながら、折り返し美濃太田へ向かった。あれ、朝食まだ?と思われるであろう。これも既に計算済み。「郡上踊り」で有名な郡上八幡を無関心に通り過ぎ、二つ先の「深戸」に向かった。
ここには駅舎に食堂が併設されており、地元民にもすっかり定着している。

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ここで朝食をいただくことになっている。頼んだモーニングセットはコーヒーにパン、そしてなぜか素麺がセットになっている優れものだ。我々以外にもお客様が入ってきたため冷房のスイッチオン。昭和の冷風が風鈴を鳴らす。ここで1時間半のインターバルの後、美濃太田に向かった。
美濃太田から岐阜に出て、そこから青春18きっぷで利用できる列車で神奈川県まで帰らなければならない・・・いつもの事だがあの豊橋~沼津くらいの快速が走っていない区間は非常に苦痛でならない。そのため気分を変えて静岡で「富士見そば」を堪能することにしたのだが・・・

朝から乗車して体験した長良川鉄道は実に初々しかった。清らかな長良川の流れに沿って鉄路が向かう先には、もしかしたら明日のない未来に向かっているのかもしれない。しかし先代の思いを乗せた列車は今も走り続ける。福井までは達する事は出来なかったが、いつか「越美線」と呼べる日が来る事を夢見ながら「川の流れのように」これからも愛され続けて欲しい。

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東北乗り潰しの旅①(リメイク版)

1980年に「いい旅チャレンジ20000km」が開始され「全国制覇」を強く心に決めた。程なくして「青春18きっぷ」が発売され、通称「18」を使い全国を駆け巡るスタイルが定着していった。そんな中、北海道制覇の計画が浮上した。20日間の「ワイド周遊券」を駆使して約2週間の「乗りっ放し」になる壮大な計画であった。あくまで計画であったが、北海道全線を乗り潰すという事は勿論「初」の試みであり偉大な「夢」であった。だが、問題がひとつ浮上した。「資金」である。やはり中学生であったため労働することは出来ず貯蓄や「すねかじり」などから資金を調達するのだが、なにせ北海道である。やはり経済的に不可能なため北海道は断念、次に浮上したのが北海道より若干南へ移動し「東北」を思いついた。東北にしろ北海道にしろ、いずれ「制覇」しなければならない。順番が入れ替わっただけだ、そう自分に言い聞かせ北海道の約半分の資金で計画を立て、10日間の日程でGOサインが出た。だが、東北には鈍行夜行が無い。「18」は勿論使い勝手が悪いため「東北ワイド周遊券」での制覇である。「ワイド~」は、フリー区間までの経路は別料金なしで急行に乗れるため、出発の列車は、上野からの夜行急行「八甲田」に乗ってのアプローチと決めた。再三計画を立て直し、とりあえず納得いくものが出来たので後は出発を待つだけである。そしていよいよ出発前日。「よし、後は行くだけだ!」とカメラ等をバッグに詰め込んでいたのだが・・・「そういえば郡山から磐越西線もフリー区間だよな・・・」ふと頭をよぎった。時刻表を再度めくり直し、日中線を制覇することにした。出発直前の予定変更だ。夜出発だったのが、朝一番の始発で行く事としたのだ。今度こそいよいよ出発だ!

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(盛岡駅にての「はつかり」。上野~青森の特急列車であったが、新幹線開通と同時に盛岡~青森間に短縮された。)

1983年8月15日~8月22日に決定した旅の日程だが、全8日間の旅となり、10日を切った。相模線・寒川駅を午前5時50分の発車となるキハ35の気動車に乗り込む。東海道線で東京まで出て、上野より常磐線経由の急行「ときわ」に乗る。一気に平(現いわき)へ行き、そこから磐越東線に乗り換える。勿論、事前に調査済みの「客車列車」に乗る。当時は、機関車(勿論蒸気機関車ではないが・・・)に牽引される旧型客車による普通列車が全国各地に走っていた。平~郡山間は、ハッキリ言って山の中!夏も終盤の近付き緑が生い茂り、せみの鳴き声が著しい・・・「THE・田舎」呼びたい位の田舎の基本的風景が車窓に飛び込んでくる。文字通り「夏井」を過ぎ、小野新町など主要駅を通り郡山に到着。ここで磐越西線乗り換える。「磐越」で東西分かれていて同一の路線と思われるが、実際は全然異なる路線で、走る車両も一方は気動車、一方は電車とまるで違うので、全く別の路線と考えた方がいいであろう。だが、乗車した列車は機関車牽引の「旧型客車」。ただ違うのは、東線ではディーゼル機関車、西線は電気機関車と、異なるが、乗ってる車両は同じなので乗ってる本人はあまり変化に気が付いてない。それより「西線」は、帰省ラッシュの時期であり、デッキまで人で溢れかえった。しかし、会津若松到着で状況は一転。一気に車内は「ローカル線」となった。会津若松で列車はスイッチバックをして新津方面へ向った。機関車も電気機関車からディーゼル機関車に変更された。これは、喜多方より新津方面は非電化であるためである。そして列車は喜多方に到着。ここで日中線に乗り換える。日中線は、いわゆる「特定地方交通線」に指定され「今後」が危ぶまれていた。それを象徴するかのように、各駅はいい言い方をすると「昔ながら」の駅舎がズラリと続く。終点の熱塩も開業当時からほぼ変化は無いであろう。未来を知り尽くしたかの如く、メンテナンスはほぼ皆無である。しかし「マニア」からすれば、この「昔ながら」が何ともいえない風情を醸し出しているように映ってしまう・・・日中線はディーゼル機関車が牽引する客車列車のため、熱塩で機関車を先頭に付け替える作業をする。ディーゼルカーの単行にした方がよっぽど効率の良い運用であろうが・・・そうこうしているうちに出発の時間になってしまい、乗ってきた列車で喜多方へ折り返していった。喜多方より再び磐越西線で郡山に戻り、本来「上野」から乗車予定であった「八甲田」に乗り込んだ。勿論自由席であるが、何とか席が空いており、憩いのひと時を十分堪能しながら青森を目指した。一夜明け、いよいよ青森に到着だ。小学校5年の時に一度訪れていたので、若干懐かしさがあったが、そうもしていられない。ここから奥羽本線に乗り換え、川部からこれまた「特定地方交通線」の「黒石線」の制覇後、「五能線」に向う予定だ。

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(盛岡駅で出発を待つ「たざわ」。前年に田沢湖線が電化された際に誕生した。新幹線との連係プレイで秋田まで重要な役割を担う。)

30分のインターバルの後、急行「むつ」で川部に向った。乗り換える黒石線は約6分の待ち時間で、朝のラッシュ時の中、一人「浮いた」乗客となり黒石線を制覇、と言っても学生諸君は夏休みであるため(と言っても自分も当時は学生であったが・・・)「ラッシュ」と呼べるほどの混雑は無く、若干閑散としていた。黒石で折り返し川部に戻ってくるまで30分もかからなかった。そして一旦弘前へ行き、五能線は乗り換えた。勿論、わざわざ客車列車を選んでの乗車だ。弘前を出発後、五所川原などの主要駅で乗客を降ろすと車内は「貸切」となり、目の前に広がる日本海を独り占め状態だ。今でこそ「リゾートしらかみ」というリゾート列車が走っているが当時はそのような列車は当然無く、客車列車が唯一の「パラダイス」であった。能代に近づくにつれ市街地らしい景色になってきた。終点東能代は能代市の中心部から離れているが、奥羽本線の能代の代わりの駅としての役割がある。特急が止まる駅にしては閑散としているが、乗り換え客は多く、一時の賑わいを見せる。そして今度は鷹ノ巣に向かい「阿仁合線(当時)」制覇に乗り出す。鷹ノ巣に着く頃には、下校時間と重なり若干の学生がいた。と言っても夏休みの最中であるので部活の帰りか・・・と言っても東北地方の夏休みとは、関東と期間が違うはず・・・などと思いを巡らせながら阿仁合線で比立内目指した。単線であるため、合川・米内沢・阿仁合などでは列車交換が出来る主要駅である。比立内に着いた時、角館線(当時)とのドッキング計画があったが、鉄路の先を見る限り延長工事の「え」の字も無く「本当に繋がるのかなぁ・・・」と、半ば夢で終わるのかなと言う思いであった。しかし現在は「秋田内陸縦貫鉄道」となり、第三セクターながら鷹ノ巣と角館は2本のレールで結ばれた。経営状況はかなり厳しいが、是非頑張っていただきたい限りである。鷹ノ巣に戻り、今夜の宿となる急行「津軽54号」に乗り込む。新庄に1時20分頃下車して始発の5時10分発陸羽東線の列車に乗るため4時間近く待つ予定である、と言うより、ハッキリ言って新庄で「駅寝」である。「津軽」でウトウトしているうちに「ハッ」と目が覚めた。時計を見ると、新庄の到着時刻を1~2分過ぎていた。自分の時計が若干進んでる事を願っていたが、新庄到着の気配なし。もし新庄で降りなければその後は深夜の時間帯のため主要駅を通過してしまい折り返す列車は無く、予定は全て狂ってしまう。仕方なく車掌に申し出た。「すいません、新庄は・・・」と問いに返ってきた答えは「今、出発したところだよ」であった!3日目にして最大のピンチであったが、なにやら車掌が調べてくれている。「山形で運転停車(乗降客扱いはせず、乗務員交代などによるための停車)するので、そこで急行「おが」に乗り換えれば新庄に戻れるよ」と教えてくれた。その車掌のはからいに、思わず「ありがとうございます!!」と丁寧にお礼した。その後、時刻表を調べたら、新庄でちゃんと陸羽東線の始発列車に接続しているではないか!私はますますこの車掌に対し毎日でも崇拝したいぐらいの感謝の気持ちで溢れていた・・・「2時前に車掌室に来て」との指示通り車掌室に向かい、午前2時2分、山形に到着。車掌が山形の駅員氏に「この子です、宜しく」と業務連絡、生まれて初めて車掌室の扉から下車した。降りる前に車掌に「乗車券拝見」を指示され、掲示を確認すると納得していた。周遊券のため折り返し新庄に向う急行「おが」にも急行券無しで乗車可能である。約1時間40分のインターバルの後、急行「おが」で再び新庄を目指した。
しかしこれがまた感動を呼ぶことになった。勿論自由席に乗ったが、今で言う「ゴロンとシート」の原型と言うべきか、B寝台が自由席として開放されているではないか!乗客も疎らだったため勿論「寝台」は独り占め!じっくり堪能させていただいた。そういえば、ここ2~3日「横」になって寝たことがなかった。ハッキリ言って「パラダイス」であったが、この「パラダイス」も新庄までの1時間だけである・・・このまま終点の男鹿まで行ってしまおうか・・・だがそうはいかない。寝台なのに、逆に「寝てはいけない」状態で新庄目指した。あたりも明るくなってきた頃新庄に到着。今度はちゃんと下車できた。どうやら陸羽東線の出発時間に間に合うぞと、予定通り進んでいる自身の行動に、なんだかわくわくしてきた!と言ってもあさ5時前。完全に目が冴えてやる気満々であった。

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尾盛の逆襲!(リメイク版)後編

やがて出発時間となり、ディーゼルエンジンを響かせながら機関車は井川目指し、更にジャングルへと突入していった。箱根登山鉄道より物凄い山の中を縫う様にすり抜け、木々が車内に迫り来る中、レールの摩擦音を響かせながら「土本」に到着。沿線住民は4件ほどで、住民の名前がそのまま駅名に採用されるという物凄いエピソードがあるのだが、付近を通る車道が無いため、鉄道が唯一の交通手段だ。そのため、大井川鉄道の職員が、列車にて新聞配達を「兼業」するという、とんでもない「秘境」である!もともと大井川鉄道はダム建設の資材輸送手段の目的で敷設されたのだが、文字通り「長島ダム」という駅がある。列車から見下ろすダムの放水風景はダイナミック!手前のアプトいちしろで列車最後尾に補助のアプト式電気機関車を連結し「1000/90」という物凄い勾配を駆け上がっていく。つまり、1000メートル進んで90メートルの高さに到達するというとんでもない坂道である。当然、沿線に民家など皆無である!現在は車道も整備され、マイカーでも気軽にこれなくはないが、これほどの山奥、ハンドル操作にいささか疲れを覚えるのではないか・・・

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そしていよいよ「尾盛」に到着した。乗客からの視線が一気に我々に向けられた。「なんでこんなところで降りるのか・・・」車掌にフリーきっぷを丁寧に見せてホーム(と言うよりも盛土か?)に足を一歩踏み入れた途端、完全に孤立感が肌に伝わってきた。車道からも離れ、駅に通じる道さえ存在しない、外界から完全に孤立し、鉄道以外の到達は完全に不可能である。いったい誰が何のためにこの駅を利用するのであろうか・・・そんなことより、とりあえず来た証として鉄道施設に向けシャッターを切りまくった。だが、行った季節が悪すぎたのか、やたらと蜂が威嚇してくるではないか!しかも駅名表の下には蛇の抜け殻が無造作に転がっている!完全に駅が自然の一部として機能してしまっているではないか・・・本来駅とは、多くの人が気軽に利用し、出会いや別れのドラマが数々生まれていく「営み」の場所ではないか?しかし、ここはそんな常識が完全に通用しないのだ。いわゆる「駅前一等地」に家らしき建物があった。勿論廃屋となっており、周囲も人の営みすら感じられない。いったい何のためにこの駅は存在するのであろう・・・そんな駅を喜んでやってくる我々も我々であるが、それを管理・運営している鉄道会社も異色である・・・一通り鉄道施設の撮影が終了すると、あとは完全にすることが無く、早く蜂の威嚇から開放されたい気持ちでいっぱいだ!真夏の太陽が照りつける中、やっと列車がやって来た。冷房設備など皆無だが、暑さを感じさせない。そして我々物好きは、次の「閑蔵」で下車。こちらも秘境駅レベルは高いが、駅前に一軒の民家がデーンと構えているのでそれほど孤立感は無い。

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更に交換設備もあり、そして何と言っても蜂の威嚇が無いではないか!約30分安息の時間を取らせていただいた。そして次の列車の乗り終点井川に到着。大井川鉄道制覇の瞬間だ。ここで折り返し千頭に引き返す。そして千頭より「SL急行」に乗り金谷に戻る予定である。千頭までの列車では、やや睡眠不足のため仮眠を取ることとしたのだが、相方よりアルコール飲料提供希望の申し出があったため快く応対し、暫くすると相方は「コタツの中の猫」状態となり、座席1ボックスを占領し、いつしか夢の中へと突入していった。千頭に到着すると、先ほどの「そば屋」が営業していたため、SLの出発時間までの間しっかり堪能することとした。しかし、流石に「あたたか~い」を食する訳にも行かず「冷」を行きたいのだが「オロシそば」しかなく「オロシ」の不得手な私は仕方なく「冷おろしそばのオロシ抜きで」と注文したのだが、これって普通に「冷掛けそば」ではないかと思った。つまり「たぬきそばの揚げ玉抜きで」と注文してるのと同じ事だ。まぁ、深く考えずにその場は蕎麦をすするのに専念した。そしていよいよSLに乗車。いわゆる「旧型客車」で走っているのはここ、大井川鉄道のみであり昔の風情をそのまま再現したものだ。行きに見た景色も乗る列車によってこんなにも違うのかと関心してしまうくらいだ。私はSL世代ではないため、昔の風情を肌で感じる事が出来、非常に素晴らしい体験である。ただ、旧型客車は中学生時代に良く乗っていたためとても懐かし。そんな思いを胸に抱きながらのどを潤すアルコール入り清涼飲料水は、五臓六腑に染み渡る思いだ。

7月末日というのに冷房が無くても不便を感じないくらい心地良い車内は、煙の匂いと共に大井川のせせらぎを乗せたまま、間もなく終点の金谷に近付く頃、大きくカーブを描いたその鉄路の先に、金谷のホームが見え隠れする車窓を見つめながら、最後の一口を飲み干した。

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尾盛の逆襲!(リメイク版)

「大井川鉄道は、静岡県の金谷から大井川に沿って北に向かい井川までを結ぶ全長55.0キロの私鉄路線である」などと私が説明するまでも無く、鉄道ファンのみならず一般の人にも「SL」で抜群の知名度を誇る「大井川鉄道」。意外にも私は大井川鉄道とは全く接点が持てず、制覇に関してはまだ先の事かと思っていたが、そのチャンスは意外と早くやって来た。私の最大の親友であり、自称「秘境駅訪問家」の通称「おサル」の提案で秘境駅の「尾盛」への訪問が決定した。ついでなので併せて私の都合で大井川鉄道制覇も企てた。

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2008年7月30~31日に旅立つ事になり、早速毎度お馴染み「ムーンライトながら」に乗り込み静岡地区へと向った。と言っても静岡地区は深夜の時間帯通過のため、一度浜松で乗り換え、折り返しの始発に乗り、金谷に向うことにした。と言っても浜松を未明の3時台着であり、折り返しの列車は朝6時台となり約3時間待ちである!しかしこの3時間を有効活用しない手は無く、即座にインターネットにて飲食店を検索し、早速予定に組み込んだのであった。そして予定通り浜松に到着したのだが、気象庁の予報どおり物凄い「雨」にやられていた。しかしこれも事前に情報を仕入れていたので準備に抜かりなかった。降りしきる雨の中、早速「作戦会議」に会場へ向った。まずは「麦酒」。深夜3時4時と言うのにやたらテンションが高く、のど越しが爽やかで五臓六腑を駆け巡った。やがて空模様も回復し、秘境駅訪問へコンディションも最高に整った。これも気象庁の予報通りであったので、ここまでは絵に書いたように予定通りに進み、浜松を後にした私たちは無事金谷に到着した。フリーきっぷを購入し、いざ「尾盛」への出陣となった。我々の乗車した列車は、旧近鉄「ビスタカー」である。もと特急列車という事もあり、乗り心地は最高であるが、このほか大井川鉄道では旧南海「ズームカー」や旧京阪「テレビカー」などが活躍していて、さながら「博物館」である。しかし、通勤通学の時間帯であるにもかかわらず、それらしき乗客はほんの数名で、しかも学生のみである。

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まぁ、下りと言うこともあるが、通勤客が居ないのは残念である。よく地方に見られる光景であるが、やはり地元民の利用があってこそ、である。毎日「ビスタカー」で通学できるのが羨ましい限りである。ほぼ貸切状態のまま次の新金谷についた。構内は広く、車庫などもあり、大井川鉄道の拠点でもある。市街地からも近いのか、駅はいささか賑っていたのが嬉しい。更に北を目指し列車は進んでいったが、五和を過ぎる頃から景色は一転、一気に秘境モードとなり「らしい」雰囲気が出てきた。大井川沿いに映る車窓は実にダイナミックで、自然の営みを思う存分語りかけてきたが、まだこの景色は、これから先の井川線へのプロローグに過ぎず、更に「大自然」から「野生(?)」へと変化していくこととなる・・・千頭より非電化区間のためトロッコ風の列車に乗り換えることとなる。車両が一回り小さく、完全に遊園地の乗り物を思わせる。しかし、乗り換えの際、見てはいけないものを見てしまった・・・そう、いわゆる「立ち食いそば」であった。しかしまだ開店前の様で従業員の姿は見えず、いささか寂しさが漂ったが・・・まだ出発まで時間があったため、構内に停泊しているSLやなつかしの車両をカメラに収めていた。

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品鶴線の「品格」

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横須賀線・・・と言っても「大船~久里浜間」ではなく、私の横須賀線は「東京~大船間」である。かつて横須賀線は久里浜~東京を直通しており、と言っても今も直通しているじゃないか!とクレームが来そうだが、大船~東京間は東海道線の線路を共用しており昭和40年代後半には手狭になってしまった。そのため大船~東京間を東海道線と横須賀線を分離し、輸送増強を図った。その改革は昭和55年に成就したわけだが、私にしてみればこの分離運転は非常に興味深かった、小学生ながらに。まず東海道線とは別に横須賀線用の線路が複線で増設され、戸塚はホームを増設。そして東海道線は戸塚に停車しなかったが、分離の際に停車するようになった。そして保土ヶ谷~戸塚間に「東戸塚」が新設。更に増設線は横浜から東海道線に別れを告げ、新鶴見操車場付近に「新川崎」新設。さらに品川まで新幹線と並走し品川からはなんと地下へ潜って東京で総武線と接続するようになった。つまり横須賀線と総武線がドッキングして直通運転するようになり、東京をスルーする形となり現在に至るわけだ。

ではここで、弱冠小学生時代の記憶を辿り分離前から分離開業当時の横須賀線にタイムスリップしてみよう。私の一番古い記憶では戸塚駅のホーム増設シーンである。当時戸塚は横須賀線のみの停車であったが、ホームを1本増設し東海道線が戸塚に停車するようになった。この戸塚停車には意味がある。基本的に関東地区の国鉄(当時)は緩行線と近郊線(つまり京浜東北と東海道線のような関係)は「方向別」ではなく「路線別」に運転されている。つまり同一方面の乗り換えに階段を使わなければならず、大変不便であるまま現在に至っている。関西地区や大手私鉄で複々線部分は「方向別」になっているため、同一方面への乗り換えはほぼ階段を使わずホーム上のみで乗り換えができるようになっている。この概念を取り入れた場合、東海道線と横須賀線の乗り換えは必ず階段を使わなければならない。そこで戸塚にホーム一面新設し東海道線を停車させる事でこの不便さを少しでも解消しようというわけだ。そのためには戸塚を方向別ホームにしなければならない。大船で東海道線と横須賀線が合流するわけだが東京方面に向かう場合、横須賀線の線路は右にいる。それをまず大船~戸塚でまず横須賀線上りを立体交差で東海道線の左側に移動させる。これにより戸塚で方向別運転となり同一方面は階段を使わずホーム上で乗り換えができるわけだ。次に東戸塚~戸塚間で下り横須賀線を立体交差させ東海道線の左側に持ってくる。これで横須賀線が東海道線を乗り越え山側に来る形となった。やがて貨物線と並走していた東海道線と別れを告げるころに「東戸塚」が誕生した。私は開業前に「東戸塚駅建設予定地」のような看板が建っていたのをよく覚えている。しかし付近には民家が数件しかなく、今流にいう「秘境駅」のような感じであった。開業後も駅前開発が遅々として進まず、区画整備された駅前は空き地ばかりであった時期が長く続いた。現在は大型商業施設などもありなかなかの賑わいを見せているが、トンネル付近にはまだ当時の面影が見られる箇所が多々ある。保土ヶ谷を過ぎ横浜を出るとやがて鶴見付近より大きく左にカーブを描き「品鶴線」区間となる。そして当時私が画期的と感じた「新川崎」が登場。これも横須賀線分離の際に開設された駅であるが、新鶴見操車場(当時)の脇に島式ホーム1本という、なんとも地味な存在である。「品鶴線」は品川~鶴見の「東海道支線」の通称であり、もともと貨物線として計画されたものを旅客に転用したものである。しかし昭和61年には「西大井」、また近年には「武蔵小杉」にホームが増設された。今では湘南新宿ラインや成田エクスプレスもはしり、もう完全に「横須賀線」として独立しているではないか!更に分離開業の最にもっとも驚いたのは品川より地下に潜り東京で総武線と相互直通運転を始めたことだ!私にとってこれは事件である。私は開業後、大船や戸塚で横須賀線にわざわざ乗り換え東京などに行ったものだ。新川崎付近の新鮮さや、東京駅を地下から地上のホームに出る際のあの長いエスカレーター付近にあるステンドグラスが実に印象的であった。

こうして振り返ってみると、横須賀線もなかなか個性的な路線である。しかし横須賀や逗子などに住んでいる人にとっては「東京」以外の聞きなれぬ行き先に最初は戸惑ったものであろう。分離開業当時の車両は115系の「スカ色」である。現在もなお115系は房総方面で活躍している(はずである)が、もうかなりの「ご高齢」であろう。私が千葉に行った際にはご覧の様な(上部写真)姿であったが、かなり腐食も目立ち「時代」を生きた車両たちはそろそろ引退のカウントダウンに入っている。そして新しい世代の車両にバトンタッチされ新しい時代を築くことであろう。しかし「品鶴線」を始め、横須賀線・東海道線分離の際に生まれた副産物は今もしっかり受け継がれている。私はこの横須賀線の姿が愛おしい。「品格」を失わずにこれからも輝きを失わずにいてほしい・・・

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「下灘駅」

旅日記「穏やかなひと時」でも紹介した「下灘駅」にての数々です。「駅フォトコンテスト」に応募したものも含め一部ご紹介します。



① ひと通り撮影を終え、松山に帰る列車に乗車する前の一枚。かつて特急が通っていたとは思えぬ空間である。

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②ごく自然に写真家気分にて・・・

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③「スパイダー」がポイントです

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④かつては駅員がいたらしいが現在はいない。改札もフリー。

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⑤どこかのポスターでみた一枚。

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⑥かつては島式ホームであった。山と海に挟まれ、限られたスペースを有効活用。

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⑦のどかな風景。時間が止まっているようだ。

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⑧松山方を見る

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⑨宇和島方を見る

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⑩もう少し日が暮れているといい風景になるのだが・・・

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⑪かつてレールがあったところは何かが栽培されているよう。

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⑫向日葵がポイントです。


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廃止路線を訪ねて⑥ 十和田観光鉄道(ダイジェスト版)

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2012年に廃止されてしまった「十和田観光電鉄」。起点の三沢駅であるが、恐らく開業当時からのものであろうと推測する。なかなか風情ある佇まいである。私が訪れたのは2011年1月、なんと震災2か月前であった。


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私が訪れたのは珍しく日曜日。JR東日本の「スリーデイパス(だったかな?)」を使うため、わざわざ週末3連休を取った。とは言え、わずかながらいらっしゃった学生諸君は、所属の高校へ向かうため元東急の車両に乗り込む。


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私は制覇の証に必ず「駅名表」を撮る。というか、駅名表しか撮らない場合が多い。この「みさわ」の文字も風情がある。市街地から若干離れているため、駅前は意外に静かである。


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七百でご覧の旧型車両が貨物列車と一緒に停泊中であった。


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終点の十和田市。バスターミナルと併設で「とうてつビル」なる駅ビル内に駅舎があった。


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かつてはもう少し先に旧十和田市駅があったが、現在地へ移転。しかし駅ビルも取り壊しが決定されており、次回訪ねる頃には十和田市駅は全く別の何かに変化している事であろう。


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プロフィール

ダイヤモンド☆トナカイ

Author:ダイヤモンド☆トナカイ
創設:1969.03.09
所在地:神奈川県湘南地区

〇2013年6月11日、北陸新幹線長野駅にてJR全線制覇いたしました。
国内の鉄道は、沖縄の「ゆいレール」を残し全線制覇しました。(とは言うものの、2015年3月の北陸新幹線延伸によりJR全線制覇は「ベルト返上」しました)

★ ブログ記事の「リメイク版」は、以前にホームページで紹介した旅日記をブログでリメイクしたものです。


◎ブログの登場人物

★ ダイナミック☆トナカイ
・・・中学時代の後輩で、2013年に約30年振りに再会を果たした。数多くの写真を提供していただいた「盟友」でもある。

★ おさる・・・かつて私がバンド活動をしていた時のメンバーで、鉄道復活のきっかけを作ってくれた人物。彼とは「秘境駅」を数回訪問した「親友」でもある。

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