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鉄道全線完全制覇の旅

昭和から平成へ・・・全線制覇の旅紀行!

懐かしの盟友達(2)

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小野田線・雀田駅にての言わずと知れた旧型国電。1983年に撮影。


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1983年、豊橋駅にてのショット。「スカ色」の80系はかつての飯田線の代表格。こんな車両で「秘境駅」に今でも行けたらたまらないであろう・・・


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上記と同日の旧「パノラマカー」。豊橋から一部線路を国鉄(当時)と共用するためホームも共用する。かつての私鉄時代の名残だが、バックの広告も懐かしい~


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木原線(当時)制覇時の際の「外房」。恐らく上総一ノ宮か大原と思われるが、急行「東海」にも使用されていた165系は懐かしさ満点だが、個人的には急行「伊豆」に使用されていた153系の方が好きだった。


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1983年夏の岩泉線・岩泉駅からのショットである。現在は昼間の運行はないため(というより災害で不通のため)貴重な一枚となってしまった。岩泉よりさらに先の小本までの延伸は叶わぬ夢となってしまった。


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撮影時不明(おそらく1983年頃)の大磯駅でのEF58。臨時特急「平和」は、前の奴の腕が邪魔してくれていた。



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島原の乱

島原鉄道は、雲仙普賢岳に麓にある鉄道路線である、と説明しなくても鉄道愛好家ならご存知であろう。雲仙普賢岳というとかつては紙面を賑わせたが、近年では島原鉄道の一部区間が廃止された事は記憶に新しい。鹿児島交通と同じく「優秀」の部類にあったものの、例に漏れずモータリゼーションの波にのまれた事と、何と言っても雲仙普賢岳の噴火が大きな影響であろう。噴火で不通になった区間を復旧したが、お客様である「高校生」が戻ってこなかった事が一番の原因であろう。

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私は2008年1月に訪問している。と言うのも「廃止区間」が発生するためである。会社側は諫早~島原を残す意向であったが、各方面との意見の調整の結果「外港」まで残すことにした。当然情報を得てから予定を組んだので、無くなってしまう事は残念であるが、乗る気満々であった。以前は直通列車が博多などからの乗り入れがあるほどであったが、私の訪問時には既に過去の出来事となっていた。フリー切符にての参戦であるが、確か付近にある入浴施設の割引券が付録であった。しかし、残念ながら予定を組んでいなかったため断念。というより私は「外港~加津佐」を制覇する事の方が重要である。
島原駅は、その名の通り一番の主要駅である。乗降客も多く、ほとんどの乗客がこの駅で入れ替わる。このあたりまでは確かに「お客様」が多数いる。学校帰りであろう、隣のボックスにもグループで座っていたが、島原で下車。乗客も私たち御一行とその他数名になった。予測通り、このまま加津佐まで行くのか・・・

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現在の終点・島原外港は、フェリー乗り場前に駅がある。熊本方面へのフェリーが出ているが、島鉄を利用してフェリーを乗り継ぐ乗客は不特定少数であろう。駅の乗車人員は1日230人位と聞く。現在は駅員無配置となったが、交換設備も外され棒線化された。2008年より終点駅になったが、かつてはここより加津佐までの鉄路があったのは先述の通りだ。キハ10を基調とした車両は有名であるが、現在はレールバスもいる。私の乗車時は残念ながらレールバスであったが、とりあえず加津佐まで行けるのが貴重な時間となるため、おとなしく乗ることにした。廃止区間となる区間は若干メンテナンスを見送っている感があるが、昔ながらの駅舎が健在だ。

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さて、口之津に着く頃には辺りが暗くなってきたが、ここからもフェリーが出ている。しかしながらここまでが長い、時間的にという事だが。この辺まで来ると、私たち御一行のみが車内に存在した。そして加津佐に着いたら運転手に奇妙な事を言われた。私はフリー切符を利用していたが「整理券を見せろ」と言われた。初めて聞いた・・・島鉄ではフリー切符の使用時にも整理券が必要なのかと。整理券が、理論的に果たして必要かどうか?結局運転手は「じゃ、次回は(整理券を)取ってください」と言ったが、その「次回」は果たしてあるのであろうかと考えた場合、若干後味が悪い制覇となった。この事に触れるべきかどうか考えたが、やはり旅はいい思い出ばかりでは無い。

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加津佐の駅舎は、私たち御一行のみが降り立ったが、かつて書籍で見たものと違い改築されていた。切符売り場は既に閉鎖され無人化されていた。あと2か月ほどで廃止されるのに、私のような「同業者」がいないのは若干調子が狂う。とりあえず各種鉄道設備をカメラに収めたらバス停に向かう。ここからバスで小浜温泉経由で諫早に行く予定だ。そう、このフリー切符についている「入浴券」を利用できるのだ。しかし旅の行程には入っていない。残念ながら時間の関係で組み込めなかったのだ。仕方なく小浜をスルーして諫早に向かう事になったのだ。

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そしてバスの時間がやってきたのでバスに乗車したら驚いた。ちょうど通学生の帰宅時間に当たりバスは立ち客も出る程であったが、学生が私たちに席を譲ってくれた。もちろん席を譲っていただくような「年齢」には達していないが、実にマナーが良い。というのも、席を譲る行為の事ではなく、バスが停車してから出口に向かうとか、友達同士大きな声で無駄な会話をしないとか、ものすごく周りに気を遣い、出口に向かう乗客の為に通路を開けるとか、乗っていて清々しい。

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確かに島鉄を「制覇」した。しかしこれで島鉄の全てが分かったわけではない。だが、島鉄の大きな歴史の変遷時に私は時間を共にした。それは価値ある時間ではあると思うが、時代は既に車社会。既に過去のモノとなってしまった以上、もう戻ってくることはない。しかし我々の胸の中には、あの全盛期の姿がしっかり記憶されている。「口之津鉄道」は今、形を変え羽ばたいていった。

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懐かしの盟友たち⑥

今回の蔵出しは「懐かしい」+「最近地味に懐かしい」を紹介しよう。




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白糠に停車中の「まりも」。白糠線制覇のためにこの列車で札幌からやってきた。深夜に石勝線を経由したが当然景色が見れずに仮眠に徹する。途中「いい旅チャレンジ20000km(当時)」の証明写真を撮影の為、新得で途中下車。深夜2時半くらいだと思ったが、夜行「まりも」の上下交換があった。



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元・583系。確か糸魚川で撮影。車内はそれほど改造されてなく、上・中段ベッドの収納スペースが健在であった。普通列車で使用するのはもったいない感もあったが、ゆったりして乗り心地は良い。ドア付近のセミロングシート(?)も印象的であった。



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ひたちなか海浜鉄道・阿字ヶ浦にて。「茨城交通」時代のものと思われる(というより茨城交通時代の)車両が留置(放置?)されていた。もったいない気もするが、これって今も阿字ヶ浦にいるのであろうか?



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1983年8月、確か宇部にて。宇部線の車両が置き換わったばかりの時であったと思う。この頃に飯田線も車両が置き換わった。



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あまり懐かしくないが「ムーンライト信州」。当時カメラが故障し、使い捨てカメラにて撮影。若干不満はあるが悪くもない。白馬駅にて。



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ご存じ「南部縦貫鉄道」のレールバス。制覇は残念ながらできなかったが、野辺地駅の跨線橋から撮影。やはり当時制覇しておけばよかったとの思いが・・・1983年8月。



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全然懐かしくはないが「ホリデーびゅうやまなし」みたいなタイトルの快速列車であったと思う。まだ鉄道ファンを復活して日が浅かったため車両形式とかわからなかったが、確か東海道線でも「ライナー」で見かけたことがある。小海線再訪の後、帰郷の為たまたま乗った列車である。



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ブルートレイン「北陸」。廃止になったのは記憶に新しい。「ムーンライト」乗車時で通過待ちの際の一枚。



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車両自体は懐かしいが、現在も活躍中の「桜島線」。付近の観光スポットの派手なラッピングが印象的で、時代を感じさせない。



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そろそろお別れであろうと思われる「営団」の車両。現役であるため懐かしいの部類には入らないが「半蔵門線」と「有楽町線」に似たような車両があるが、こちらが元祖(?)であろう。登場当初はものすごくデザインが斬新であったと思う。一応私は「プラレール」にて所有している(関係ないね!)。取手駅にて。



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1981年、左の1000形が登場時のものだが、どこの駅での撮影かは不明。新造のためペイントも新しいが現在も活躍しているのが嬉しい。補足するまでもなく、箱根登山鉄道である。




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こちらは運転終了した「レッド・エクスプレス」。ご存じJR九州の485系だが、確か南宮崎で撮影。2010年5月だったと思うが、同じ日に乗車した「ドリームにちりん」は既に過去のモノとなってしまった。




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ストーブ列車は磯の香

季節柄、紹介しておきたいものがある。それは「ストーブ列車」だ。鉄道愛好家ならご存知であろう。津軽鉄道の観光列車であるが、旅番組などにもよく紹介される。現在の季節「旬」を迎え脂ものっている事であろう。今回はダイジェスト版ながらストーブ列車の旅を紹介してみたい。私は2011年1月に訪問している。震災2か月前であるが、この時の制覇の旅は三陸鉄道や八戸線、山田線なども乗り継いでいる。大変複雑な心境であるが、ストーブ列車が今もこうして活躍しているのが嬉しい。



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五能線のホームから遠望。既に列車は停車中である。DCを一両連結しているが、これは一般のお客様用。観光用は2両の旧型PCである。


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なかなかの「いぶし銀」。かつては貨物も牽引していたことであろう。



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津軽鉄道の駅名は「津軽五所川原」。JRは「五所川原」と名前が異なるが、施設自体は同じ構内にある。しかし駅舎は独立している。



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乗り口の案内表示が。一般の人にもわかりやすい。



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昔ながらの「サボ」。さて、何の略でしょうか。サインボード?サイドボード?サーフボード?



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ご覧の通り「満員御礼」。「アテンダント」は本来の仕事よりも「干しするめ」を炙るのに忙しそう。車内は「磯の香」が漂う。ちなみにこの日のアテンダントは、なんと、あの「ダイヤに輝く鉄〇とめ」に紹介された「あの人」でした!



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するめ以外の物も焼いている場合があるが、基本、するめ以外はNGである。焼専門のボランティアの方に指導されるぞ。



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金木で殆どの乗客が下車。観光スポットへそのままスライドすると思われるが、私はそのようなものに目もくれず、終点まで向かう。



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嘉瀬も雪深い。一応DCも連結しているため「ローカル」の役割も果たす。



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DLの後ろにDCがいる変な光景。津軽中里にて。これから機関車を五所川原方面へ付け替える、というより、写真は付け替え後である。



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かつてはこの先の延伸も計画されていたであろう。保線作業も忙しい。



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客車の向かって右側に雪が叩きつけられている。この日もかなりの降雪であったが、風もあり「吹雪」であった。列車も若干遅れていたが5分~10分程度だったので後の行程に影響は無かった。


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江ノ電のある風景⑥

今回でこの章の最終回です。極楽寺~鎌倉までを紹介します。私が訪問したのは2013年1月14日であった。日曜休みという概念は、私の中であまりないので不思議な感覚であった。ところが休日の鎌倉は人・人・人であった!次回は平日に訪問したい。



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極楽寺駅。片面一線の駅ながら駅員がいた。付近の由緒あるお寺から命名であるが、付近には江ノ電の車庫がある。



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駅舎拝見。休日の為か、かなり多くの人が訪問していた。なかなか由緒ある駅舎は、おそらく開業当時からのものと推測するが真意は?



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お馴染みの風景。極楽寺駅の全景(いや、90%位景)が見れる。



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江ノ電車庫。時間があまりなかったため多くの写真は撮れなかったがこの日は確か2編成くらい車庫に眠っていた。



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続いて長谷に登場。JR西にも「長谷」はあるが読み方が違う。



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駅舎のすぐ横が踏切だ。駅舎は鎌倉方面行きのホームと直結している。



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長谷駅舎。凄い人の群れ。ここは「鎌倉大仏」の最寄駅で、沢山の人が下車した。係員が誘導する程の混雑ぶりである。



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対向式ホームは人であふれている。ほぼすべての人が大仏帰りであろう。中には私のような「同業者」もまぎれているのであるが・・・



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若干ぶれていてわかり辛いが、なんと女性車掌であった!しかしながらしっかり自分の業務をこなし乗客の安全を守っている。



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そして終点鎌倉駅。島式ホーム1本があり三面二線。向かって右のホームの右側は普段あまり使用されていない。




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列車が到着。ここも藤沢同様、右側は降車ホームだ。




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「御成通り」の一角に位置する鎌倉駅舎。JRとの乗り換えは便利であるが「小町通り」はJR線を超えて反対側の出口に行かなければならない。


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江ノ電のある風景⑤

今回は峰ヶ原信号場から稲村ケ崎を紹介しよう。この辺りは江ノ電沿線で一番海が露出する。夏は「波乗り」連中が犇めき合う「メッカ」でもある。



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鎌倉高校前を出ると峰ヶ原信号場がある。江ノ島~稲村ケ崎は閉塞区間が長いため設置された信号場だ。



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続いて七里ヶ浜へ。付近の馴染み駐車場でフリーマーケットが開催されていた。



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「らしい」駅入口。棒線駅の為、列車交換はできない。



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どこに駅があるかお判りであろうか?付近のコンビニエンスストアは、WC待ちの長蛇の列になっていた。



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そして稲村に到着。ここでやっと信号場以外での列車交換ができる。



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稲村ケ崎駅舎。なんか民家のようだ。狭いスペースを見つけ造ったようだが、意外と利用者は多い。小学校時代には教諭の自宅があり、ここまで遊びに来たのを覚えている。今考えれば「稲村に住んでいたのか・・・」と、少しうらやましくも思える。



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島式ホームの稲村ケ崎駅。常に列車交換が行われている。ここも海に近いため、意外と夏は混む。



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江ノ電のある風景④

今回は腰越~鎌倉高校前を紹介しよう。併用区間も終わり専用軌道に入る。夏はサーファーが自転車で横切るなど、江ノ島ならではの光景が。



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併用区間もここで終わり、すぐに腰越駅。棒線で交換ができない。駅員無配置と思ったが併用区間側に駅事務室があり列車が来るたびに女性駅員が登場。



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併用区間を別角度から。意外に人通りが多く、車も走っているため若干危険。



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腰越駅の「駅舎」と呼べるかわからないが、一応入口。



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そしてお馴染み「鎌倉高校前」。江ノ電ファンのみならず、一般の方にも人気の場所だ。ちなみに私の親戚もかつては江ノ電に乗り当高校へ通学していたらしい!!羨ましい限りだが・・・



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別角度から。若干フェンスが邪魔になってしまったが、海をバックになかなか絵になる



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以前に紹介したが、鎌高前といえばこのショットであろう。江ノ島をバックに、定番の風景。


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江ノ電のある風景③

引き続き江ノ電を紹介する。今回は併用軌道の江ノ島~腰越間を紹介しよう。



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併用区間が始まる所にある「名物店」。最中が有名だ。江ノ島駅より歩いて1~2分の距離。



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ここが併用区間の始まり部分。右に見える旗が上記に紹介の「名物」。



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京阪の「浜大津」付近より若干迫力は劣るが、湘南民にとってはお馴染みの風景だ。



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列車がいないときは車がビュンビュン走る。昔ながらの店も多い。



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列車が通るともちろん車は左に寄る。しかしながら「違法駐車」があるときがあり、非常に厄介な場合も。



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かぶりついてみるとこんな感じ。神奈川県で唯一、路面電車気分を味わえる。



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江ノ電のある風景②

今回は鵠沼~江ノ島を追跡してみた。フリー切符(580円・当時)の為、乗り降り自由。江ノ電をじっくり堪能できるのでお勧めだ。



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昔からの駅名表。これほどまでに各駅に降り江ノ電を堪能したのはあまり記憶にない。新たな発見がある。



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駅舎は無い。一度地下をくぐり改札を抜けてホームへの階段を登る。



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ご覧のように島式ホーム。江ノ電は単線で、藤沢・石上・柳小路と棒線が続き列車交換ができないため、藤沢を出て最初の交換駅である。



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ホームの先にはすぐに引地川が流れる。列車交換のワンシーン。



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次は江ノ島。江ノ電の中心的存在。湘南モノレールとは至近距離にあり、乗り換えに便利。



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交換可能の対向式ホーム。休日ともなると人でごった返す。



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なかなか車両もバラエティ。地味ながら観光に力を入れている。



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江ノ電のある風景①

2013年、最初の鉄道めぐりは地元「江ノ島鎌倉観光」を訪ねた。現在は、社名が「江ノ島電鉄」に変更され、地元民には「江ノ電」として親しまれている。私も幼少時代よりなじみがあるが、鉄道ファンとして改めて乗車して見ると、そこには普段見られない新たな「発見」がある。地元民以外の人が「江ノ電」をどのような印象をお持ちであろうか?前回「身近なローカル線」として記事をアップしているが、今回もダイジェスト版にて「江ノ電のある風景」を数回に分けてお送りしてみたい。今回は藤沢~石上をアップしてみた。



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今回も、前回の取材同様「藤沢」よりスタート。小田急ビルの一角より乗車する。




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かつてはこのこの辺りに地上時代の江ノ電藤沢駅があった。国鉄(当時)の駅舎も地上にあったが、現在は全く当時の面影はない。




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小田急ビルの横にある道路。中央分離帯に生い茂る草木があるが、ここがかつての江ノ電の鉄路であった。




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中央分離帯部分を地上より眺める。江ノ電のいた風景が目に浮かぶようだ。





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地上時代の部分との合流地点。ガード下は駐輪場等に転用されている。




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現在の藤沢駅。向かって右側のホームは降車専用。左側のホームより乗車する。




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隣の石上駅。一面一線の駅員無配置駅。両側を道路に挟まれ江ノ電は肩身が狭い。




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高架を下りきってすぐにある石上駅。もし、江ノ電を車で訪問の際は、駅前に「1日最大600円(平日)」(当時)のパーキングがある。私の知る限り、ここが一番お得だ。





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石上駅のホームより。意外に利用客がいる。もちろん江ノ島方面がほとんどであろう。


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「西寒川駅」に拘る!⑥

「西寒川駅」に拘る!はいかがだったでしょうか?私が最も好きな駅であり最も愛した駅でもあった。丹波〇郎氏を「霊界の宣伝マン」とするならば、私は「西寒川駅の宣伝マン」とでも言おうか。

国鉄相模線(当時)の寒川より枝分かれした1.5kmの路線は、数々の変遷の中、昭和59年にこの世を去った。私は中学から高校へのステップの時期でもあった。そして、高校2年の時に西寒川駅前の自宅から、同じく相模線の倉見駅付近に引っ越した。

あれだけ好きだった鉄道もちょうどこの時期に休止状態に入る。なぜ私は鉄道から離れたのであろう?あるとき自分に問うた。恐らく、もし鉄道ファンを続けていたならば、列車の来ない駅を毎日眺めなければならない・・・そして西寒川駅の取り壊し作業をカメラに収めたりしなければならない。恐らくそれがあまりに寂しく、つらかったのであろう。

私は鉄道以外の趣味を「音楽」と位置付けた。ギターやベースなどに打ち込み、バンド活動もした。所属したバンドでは、2枚目のアルバムで楽曲提供などもした。今ではいい思い出だが鉄道ほどのめり込むほどの楽しさは無かった。

運命とは皮肉なもので、そのバンド活動で知り合った元メンバーが提供してくれた秘境駅関係の書籍がきっかけとなり、今こうして鉄道と向かい合う日が再び訪れた。そのブランク、なんと20年!

20年も経つと「10年ひと昔」の勘定で言えばふた昔。取り巻く環境はことごとく変化していて、私のような古い考えなどは、とてもついていけなかった。しかし、ちょっと足を止めてみると、私のかつて好きだった「風景」が所々に現れる。485系や24系など、現在も活躍しているではないか!

そして「あれから」20年後に再び「西寒川駅」を訪れてみた。同時に「自宅」も訪ねてみた。元自宅については、もちろん他の人の住まいになっているが、すっかりリフォームされてかつての面影はない。そして「駅」に行ってみる。厳密に言えば「駅」が先に来るのだが、とりあえず文面の構成上、許していただこう。20年振りの「駅」はなんとなく面影はあるものの、すっかり「公園」として機能していた。そしてすぐ近くには高速道路の建設作業が眺められた。自宅付近含め「新しくなった景色」になかなか馴染めなかったが、確かにこの地に私は住み、そして西寒川駅と共に約9年の義務教育時代を過ごした。
だが、駅が駅でなくなってしまった現実は変わらない。相模線の「本線」は現在電化された。もし廃止されずに残っていたら、寒川支線は電化されたのであろうか?もちろん結果は分かっている。

今、あなたは西寒川駅についてどのような印象をお持ちであろう?「行ったことない」「神奈川県にあった駅とは思えない」等、意見は様々であろう。私はこれからも「西寒川駅」に強いこだわりを持ち、「西寒川駅」を伝えていく。そしてあなたが私のメッセージを受けて「西寒川駅」について何かを感じてくれた時、もしかしたらあなたは「八角広場」の前に立っているかも知れない。

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「西寒川駅」に拘る!⑤

現在の西寒川駅および寒川支線の様子。廃止後も跡地をほぼ90パーセントくらい緑道として使用しているため容易に痕跡をたどることができる。特に一之宮公園内はレールもほぼ原型で残っており、鉄道の歴史が存在した証が伝わってくる。廃線跡をめぐる旅をするには初心者級のコースとなるであろう。



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西寒川駅跡。現在は「八角広場」となった。若干レールも残っており往時を偲べる。「八角広場前」というバス停があるが、寒川支線廃止直後のバス停名は「西一之宮」であった。寒川支線廃止と同時に新設された、所謂「代行バス」のような役割だ。行き先は茅ヶ崎駅のみであったが、近年は寒川駅行きも新設されたらしい。


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八角広場を別角度から。「八角の池」なる設備が誕生。レールとホームがあった場所だ。私の旧自宅の方角でもあるが、画像に我が家は映っていないのであしからず。



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「八角の池」より望む景色は、かつてレールがあったところだ。初老のご婦人が歩いている道が、まさに「鉄路」であった。寒川方を望む。



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四之宮方を望む。ミラーと電柱の間に小さな石柱があるが、この2本の石柱の間にレールがあり、四之宮方へレールが延びていた。また、左方面へ分岐し工場への引き込み線も存在した。そして道路の右側に沿うように空地があり、かつては容易に痕跡が確認できたが、現在は住宅等が立ち並び面影は薄い。



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一之宮公園内にある「鉄路」。今にも列車が来そうだが、ここまでハッキリと残っているとありがたい。西寒川方を望む。



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一之宮公園の入り口付近。ここで鉄路は途切れるが、この先は緑道として残り痕跡が確認できる。寒川方を望む。



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寒川中学校と一之宮公園の中間地点。近くに保育所があり子供たちのお出迎えにこの緑道が利用されている。新しく生まれ変わっても町民の「足」として利用されているのはなんとも微笑ましい光景だ



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「西寒川駅」に拘る!②

西寒川駅は、相模線・寒川起点1.5kmの地点、神奈川県高座郡寒川町一之宮に存在した相模線・寒川支線の唯一の駅であり終点で、駅員無配置駅であった。駅前は工場となっており、寒川起点進行方向左側に一面一線のホームがあった。切符を買うには、車内で車掌より買い求めた。寒川方面から西寒川に向う列車では、寒川~西寒川間で西寒川に着く前に車内で車掌が切符を回収していた。私の知っている当時は1日4往復のディーゼルカーが朝1本、夕方3本しか設定されていなかったため、茅ヶ崎方面から乗車した客が橋本方面へ向うため誤って西寒川行きに乗車してしまうケースがしばしばあった。列車は全て茅ヶ崎~西寒川間の直通で運転されており、寒川~西寒川間の区間列車は無かったが、営業最終日の昭和59年3月31日には寒川~西寒川間の区間運転が臨時ながら5往復設定された。

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ホームの長さは50m57cm、幅2m7cm、改札からホームまでの長さが5m57cmであった。これは、ある夜最終列車が去った後、私自身が実際に西寒川駅に出向き測定したものである。二両編成の列車のみしかカバーできず、3両以上の編成ではホームから列車がはみ出てしまうため、はみ出た車両はドアを閉じたままとなっていた。そのはみ出た車両のすぐ先に県道と交点の場所に第3種踏切があり、西寒川から列車出発の際、車掌が出発直前に警報機を鳴らす操作をした。駅の照明は暗くなると自動的に点灯し、明るくなると自動的に消灯する仕組みになっていたが、最終列車が行った後も点灯しており、子供ながらに国鉄の経営的な事を考えてしまった。列車は、昭和50年頃はキハ10、53年頃よりキハ20、54~55年頃より全てキハ35となった。昭和59年4月に廃止後、神奈中バス「西一之宮」というバス停が旧西寒川駅前に設置され、いわゆる「代替バス」となったが、運転本数は相模線より約7倍に増えたので、交通機関としては便利になった。行き先は茅ヶ崎駅であったが、現在は寒川駅行も出来た。現在の西寒川駅跡は「八角広場」という広場に生まれ変わり、バス停の停留所名も「八角広場前」に変更され、広場には鉄道の駅が存在した証がいくつか残されている。また旧寒川支線の線路跡は殆んどの場所が遊歩道に変換されているが、途中、一之宮公園内の一部は線路がそのまま保存されてており、往時を偲ぶことが出来る。

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俺はモグラか?

「君は土合を知っているか?」などと質問されて、鉄道愛好家は十中八九「もちろん」と答えるであろう。それくらい基本知識の駅が、ここ「土合」である。念のために解説しておくと、上越線の「国境越え」付近にある駅で、群馬県の所属であり、下りホームが新清水トンネル内にある。そのトンネル内のホームに地上の駅舎からたどり着くのに約10分位かかるので、利用の際は時間に余裕を持たなければならない。ちなみに地上からホームまでの階段数が462段!と聞く。途中、260段付近に休憩用のベンチがあるらしい、というくらい利用するのに手間がかかる。

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私は2008年3月に訪問した。3月といえば「青春18」が春休みバージョンで販売中である。「18」とは遙か彼方の時代に経験済みだが・・・「18」を使用するのに申し訳ない年齢に達してしまった訳だが、思う存分「青春」してみたい。そんな事を思いながら雪解け間近の「土合」に訪ねてみようと思った。3月というと関東地区ではそろそろ「重いコート脱いで出かけませんか?」という時期であろう。しかしこれから訪問しようとする土合は、スキー場の「メッカ」付近のため、更にもう一枚コートを必要とするくらいの寒さである。
土合行きの行程としては必需品「ムーンライトえちご」で一路新潟へ。折り返し長岡まで行き、上越線に乗り換えて土合に向かった。そうすると朝8時半頃に着く。9時59分発という、何とも微妙な時間に下りに乗り越後湯沢に向かい「ガーラ湯沢」を制覇してから再び上越線で帰郷する予定だ。

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ということで、上り列車で土合に到着した。上りホームは旧線を利用した「地上駅」である。構内はそれなりに本線級の設備がそろっているが、現在は設備が過剰なくらい立派なたたずまいである。変な話「JR」として残っているのが不思議なくらいであるが、どちらかというと「汽車」という名の列車の方がお似合いである。
そして名物の下りホーム。こちらは駅舎からの専用通路より向かう。いきなり階段が始まるわけでなく、若干「スノーシェルター」に覆われた「廊下」を通り、そして階段が始まる。下り始めると、下から冷たい風が吹き上げてくる。するといきなり「ゴーッ」という音がこだまする。そう、貨物列車が通過したのだ。音はしてるがホームが見えない。階段の先は暗闇だ。

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私はその「暗闇」向かい歩き出した。意外と寒さは無い。そもそもなんでこんな時期にこのようなところに来る計画を立てたのであろう?夏に来れば「避暑地」として活用できるではないか。しかし私は「ガーラ湯沢」を制覇しなければならなかった。そのため「ついでに」土合に訪問ということとなったわけだ。
早速長い階段を「下る」。私は2012年10月に「秋吉洞」に行ったが、予備知識が無かったためバスセンターからの訪問となった。そのため「登り」の行動になってしまい観光のはずが登山になってしまった。この土合に関しては当然予備知識があるため「失敗」は無い。しっかりと460段近くを下らせていただいた。
ホームに着いたら当然薄暗い。東京寄りのホームの端に待合室とWCがある。ホームは本線から枝分かれした待避線上にある。そのため通過列車はホームを通らない。現在はホームが拡大され待避線が無くなり本線上にホームがあるらしい。

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一時間半という時間はあっという間に過ぎてしまったが、トンネル内は暖かくは無いが寒くも無い。やがてトンネルの先に一筋の光がこちらに近づいてきた。「ゴーッ」という濁音とともに。何両編成かわからなかったが、乗車したのは私たち御一向のみ。車内では即座に車掌がやってくる。「乗車券拝見」である。18きっぷを丁寧に見せると、何か納得したかのように一礼してその場を去った。
これから私たちは用も無いのに「ガーラ湯沢」に向かう。越後湯沢で待っていたのは定員約1600人の「Max」であった。ガーラ湯沢に着いたら隣ホームの「Max」に乗る。なんとも奇妙な行動であるが、こちらはほぼ回送状態である。1600人も乗れる新幹線をわざわざ一駅だけの乗車に使うのも贅沢である。「このまま上野まで行かれたら・・・」の思いがよぎる。しかし、越後湯沢で乗り換えなければならない。我々の前を「ゴーッ」という濁音とともに去っていった新幹線。その濁音はいつしか雪の中へと消えていった。

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廃止路線を訪ねて⑧ 小松島線

小松島線を知っているであろうか?昭和の後半から平成生まれの方は既に「伝説」であろうと思われる。私は1984年8月に訪問している。

小松島線とは、四国の牟岐線「中田」より枝分かれしていた支線である。実際は徳島等から直通列車が走っていたが、その距離僅か1.9kmで中田~小松島間の途中駅は無い。当時日本で最短路線という記録を保持していた。小松島線の特徴としては小松島駅構内に臨時駅「小松島港」があることだ。所謂「後付」であるが、小松島港からフェリーが和歌山や大阪方面へ出ていたため、便宜を図ったものである。営業キロ的には1.9kmであるが、実際には小松島~小松島港まで確か100~200メートルくらいあったと記憶しているので実際は2km以上の営業キロがあったであろう。小松島港へいく列車は小松島駅構内の小松島港行き専用ホームより発着する。なんだかややこしいが、駅舎のあるホームは小松島止まりの列車のみが発着する。そして小松島駅構内には徳島機関区小松島支所があり構内は広々としていた。

晩年の収支係数は1575くらいであったと思うが、損益額的にはそれほど大きくは無いと思われる。しかし国鉄はどうしても廃止したかったらしい。
しかしながら10代の鉄道少年にしてみれば経営的な数値の事など、理解するまで遙か彼方であるが、とにかく当時は廃止されるのが残念で仕方なかった。

小松島線の訪問の仕方は、小松島港よりスタートした。普通なら中田からなのだが、私は牟岐線・南小松島より徒歩で小松島港へ向かった。その理由は・・・当時の私の旅の行程は、宿泊を「夜行列車」と決めていた。そのためネックとなるのが「風呂」であった。確か小松島線に乗るまでに夜行で2泊する行程だったはずなのでそろそろ頭もかゆくなってくるころであろう。この時点で、過去にこういう旅を数回経験してきた中で、計画段階で「風呂」の時間を組み込んだ。しかし当時はインターネットなど普及していない。私は「野生の感」とでも言おうか、その地をここ「小松島」に選んだ。牟岐線で海部へ行くが、折り返して小松島に戻ってくる。その「往路」で南小松島駅付近で車窓から「えんとつ」を探した。煙突を探すイコール銭湯がある、という構図は、いくつかの旅を重ね身に着いた知識だ。南小松島で下車し小松島港まで徒歩で向かう行程で2時間とってある。さて結果は・・・あった!煙突があったのだ!しかも温泉マーク付きである。心の中で「ガッツポーズ」を固く握りしめ、自身の「野生の感」に狂いが無かった!と思わずシャイニング・ウィザード(良くわからないが・・・)!

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海部より出戻った私はすかさず南小松島を下車し「煙突」に向かった。たどり着いた先は・・・「女」という赤い暖簾がかかっていた。「あれ、じゃ、自分はどうするの?」女子専用の銭湯って存在するのかどうかは知らないが、私は心の「青春の握り拳」が一気に崩れていく思いであった。仕方なくもう一つの煙突へ向かう。実は煙突を2か所確認していたためあわてることなく「次」を目指したのだ。しかし時間が無い。風呂を浴びた後、小松島港へ行かなければならない。果たして間に合うのか・・・とりあえず2件目は男もOKだったため一安心。必要最低限の箇所を洗浄し只管無駄な行動を少なくすべく、小松島港へのアプローチに向け命を懸けた。気が付けば小松島港のホームにいた。つまり間に合ったわけだが、自分自身、よく駅にたどり着いたものだと思う。早速小松島港の駅名表を撮影し、中田に向かった。というより徳島まで直通の為、そのまま徳島から「731D」に乗車するため高松に向かった。

結果的に記事を振り返ると小松島線の乗車部分はわずかに2行くらいで、他はそれまでのプロセスの記事となってしまった。何か変だがそれくらい短く、あまり印象のない路線制覇であった感がある。しかしながらそれはあまりに「偉大な無印象」のような感じがした。南小松島~小松島港を「徒歩」にするという生涯初の試みも成功に終わり身体も心もさっぱりした私はすっかりジャーナリスト気分になっていた。

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予期せぬ出来事

「廃止路線を訪ねて④ 清水港線(リメイク版)」が思わぬ反響であったため、わずかではあるが清水港線のフォトを蔵出ししてみた。私も懐かしさがこみ上げてくるが、一日一往復の列車設定は乗り潰し泣かせであった。


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各「駅名表」であるが、なぜか終点「三保」が欠落。「いい旅チャレンジ20000km(当時)」の制覇証明写真を撮影したためか、完全に忘れていたのかもしれない。


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巴川口駅舎。貨物駅の風格ながら、立派な木造駅舎があった。


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三保駅舎。三保駅に関する記録はこの写真のみ残っていた。駅舎付近にいる二人は、中学時代の後輩と教諭。


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清水駅の清水港線時刻表。若干見にくいが「1日1本」の列車設定がお分かりいただけたであろう。


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記事で出てきた「可動橋」。旧型客車の最後尾で撮影。キャノンAE-1プログラムで70-210の望遠レンズにて。


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確か清水駅の清水港線用ホームにて。当時「鉄道研究クラブ」という学校のクラブ活動に所属していたが、若干、当時の「部長」がどこかに写ってっているのだが・・・


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清水駅構内。勿論清水港線はじめ貨物設備の部分であるが、現在はすべて撤去されロータリーや商業施設に変身している。


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廃止路線を訪ねて③ ドリーム交通(リメイク版)

「ドリームランド」を知っているであろうか?神奈川県は横浜市に存在した遊園地である。私は幼少の頃、よくドリームランドに出かけプールやスケートなどで遊んだものだ。そんな中、よく目にしたのが錆付いた「モノレール」の貧弱なレールの姿であった。このモノレールは、かつて東海道線大船とドリームランドを結んでいた「過去のモノ」である。ローカルな話で申し訳ないが、戸塚区の原宿という交差点に茅ヶ崎方面から向うとき、旧国道1号線とバイパスが合流して暫くするとガソリンスタンドがあり、そこでモノレールが交差していたが、列車が走っている姿を一度も見たことがなく不思議に思っていた。親にその事を訊ねると「設計ミス」という答えが返ってきた。子供の私にはあまり理解できず、ただただ「走る姿」を心待ちにしていた。

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月日は流れ社会に出る歳になり、通勤の際に原宿の交差点付近を通る機会があり(と言うより毎日通っていたので)レールの姿をよく見かけた。原宿の交差点は交通情報の常連であったため、勿論朝の貴重な時間には回避せざるを得ないため、必然的に裏街道へと転がり込むのだが、そこでもモノレールのレールの姿を目の当たりにしていた。それは小雀信号場付近である。小雀信号場は、将来的に沿線人口の増加に伴い「駅」に昇格させるよう最初から設計されておりホームがあった。ドリーム交通は単線であったためこの小雀信号場が「交換駅」となっていた。また、橋脚の一部も複線化を狙ってか、若干準備されていた部分があったと記憶している。
ドリームランドについては、当時会社のボウリング大会があり「ドリームボウル」に行った際に見かけたが、ドリームランドの駐車場の脇にモノレールの駅があり、その先に車庫があった。そこに留置されていた車両は、錆付いてボロボロになり、既に配車同然であった。ドリームランドのモノレールは1966年に開業したが、いわゆる「設計ミス」のため1967年に営業休止になった。その後ずっとレールや車両は残っていたが、2003年に正式に廃止され撤去作業が始まった。ちなみに私は1969年生まれなのでモノレールに乗ることは100%不可能であったわけだが、営業休止から30年以上壊されずに放置されていたので、記録や記憶が鮮明に頭にストックされている。
実は唯一、私はモノレールの軌道上に列車が居るのを目撃した事があった。いつの日かは記憶に無いが、保線用車両が国道1号線との交点付近でなにやら作業している姿を偶然目撃したのであった!とても新鮮な姿ではあったが、保線用車両であったため若干物足りなさを感じたが、あのレールの上に列車が居たと言うだけで深い感動を覚えたのであった。

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月日は流れ、定かではないが2005年頃、モノレールの姿を見たくなり出向いたことがある。しかし待っていた姿は、撤去されたという事前情報を知らなかったため、完全にレールのなくなってしまった国道1号線との交点の景色であった。「あれ?」と思ったが納得いかなかったので、ありとあらゆる場所を散策しに向った。最初は小雀信号場である。何も無い・・・確かにこの場所であるのだが・・・次はドリームランドに向った。かつてはボウリング場やスーパー、カー用品店などがあったが、私が訪れた時は大学のキャンパスに変身していた。しかもまだ工事中でこれから先、更に変化してゆくと思われた。車庫があったと思われた場所は、バスロータリーとコンビニに変身しており、ドリームの「ド」の字も無かった。まだ納得いかなかったので、そのまま今度は大船に向った。駅のあった場所は完全に更地になっており、当時の面影は全く無し・・・モノレールは完全に過去の物となってしまったのであった。

時代と共にドリームランド遊園地が閉園されてしまい、モノレールもなくなってしまった今、文字通り「夢」となってしまった。「モノレール史上最大の失敗」と世間に言われて久しいが、開通当時は文字通り「夢」を乗せて走っていたことであろう。現在、会社は解散してしまい廃線跡も痕跡を探すのは非常に難しくなってしまったが、昭和の世代に生きた人は、例え記憶の片隅においてでも、あのモノレールの勇姿を思い浮かべるであろう。

今回の記事を公開するにあたって、どうしても現役時代の画像を掲載したく「ドリーム交通モノレール線」のホームページ管理者の方にご協力いただきました。本当にご協力ありがとうございました。心より感謝いたします。

この記事をご覧になられた方に少しでもドリーム交通を知っていただければ幸いです。

もっと詳しく知りたい方は「ドリーム交通モノレール線」ホームページをご参照ください。

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鈍行夜行をマークせよ!(リメイク版)

1980年より「いい旅チャレンジ20000km」がスタートし、「青春18きっぷ」が発売されたのが1982年の春である。発売当初は8000円で5日間有効で、1日有効の3枚と2日有効が1枚の、計4枚綴りであった。現在は1日有効が5枚綴りで11500円である。青春18きっぷとは、ご承知のとおり、JR(当時は国鉄)全線、フリーパスである。普通列車と快速列車限定ではあるが、1日当たり2300円で日本全国どこへでも何度でも乗り降り自由である。乗り潰し派には、この上ない最高峰のきっぷである。青春18きっぷが発売されるシーズンには、冬眠から目覚めたかのように全国から「乗り鉄トラベラー」が沸いて出てくる。青春18きっぷが新発売された当初、全国に「鈍行夜行」が数多く走っていた。東海道線の「大垣夜行」をはじめ、門司港~長崎・佐世保間の「ながさき」、京都~出雲市間の「山陰」、亀山~天王寺間の紀勢本線経由「はやたま」など、愛称の付いている列車は寝台車を連結している。

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しかし、寝台車は青春18きっぷでは乗車できず、別に寝台券と乗車券が必用なため、普通車の利用となる。愛称の無い列車は片道のみの上野~長岡間の上越線経由普通列車や、函館~札幌間の混合列車、高松~中村間の気動車(731D)があった。これらの夜行列車を駆使すれば、宿代はかからず、経済的に余裕の無い学生諸君には持って来いであった。実際に私もこれらの列車を駆使して全国を駆け巡ったわけだが、当時は旧型客車が多く、決して安眠が約束されるわけではない。それでも寝ている間に移動してくれるのだから、こんなに便利な列車は他に無い!制覇のルートはリンクページを参照していただくとして、私はかなりお世話になった。

近年、鉄道乗り潰しを復活させた私は、久々に「ムーンライトながら」に乗車した。20何年前とは違い、車両もJRになってから新造され、リクライニングシートになった。かつてを知る私にとってはかなり斬新で、大きな衝撃を受けた。だが、マナーを知らない若者が、周囲のことなど気にせず「自分の世界」となり騒ぎ立てていた。出来ればこういうシーンに出くわしたくなかったが、車掌が注意を促しても一行に納まる気配が無い。カリソメにも「深夜」である。もしこの文章を読んで思い当たる節のある人は、是非今後、改善していただきたい。夜行列車の価値が落ちるではないか!しかし、時代と共に夜行列車の廃止が相次ぎ、2009年3月には、あの「ムーンライトながら」がついに臨時列車に格下げされてしまった。青春18きっぷ発売期間は運転されるので、残ってくれただけでもありがたいが、それでも伝統ある列車が不定期になったり廃止されていくのは非常に寂しいものである。限られた期間しか乗車できないが、それでも夜行の旅が楽しめる。チャンスは少なくなったものの、時刻表を眺めていると、まだまだ夢は膨らむばかりである。

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「三江」までに・・・

参考までに、三江線とは山陰本線「江津」と芸備線「三次」を結ぶ全長108・1kmのJR西日本管轄の「ローカル線」である。かつて宮脇〇三氏が山陰本線の事を「偉大なるローカル線」と表現していたが、その山陰本線から枝分かれする三江線も「偉大なるローカル線」と「若干」表現できるであろう。現存している鉄道路線のうち、不通の岩泉線を除けば恐らく輸送密度ワーストであろう。各駅の乗降客をインターネットで確認してみたが、各駅とも乗車人員が軒並みひとけたかふたけた前半であり、経営の苦しさが窺がわれる。20年以上前の「国鉄再建法」の時によく廃止されなかったと感心するが、それが今もなお走り続けている事自体奇跡かもしれない。
歴史的には「三江北線」と「三江南線」がそれぞれ先行開業していたが、ローカル線問題が浮上し始めた昭和40年代後半も工事が進められており、昭和50年に全通した。考え方としては「陰陽連絡」であるが、基本的に機能していない。

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私は1980年代より一度訪問してみたかったのだがなかなか実現せず、ようやく2010年8月に実現したのだが、計画段階ではひじょうに苦労した。結局、三次より江津に向かう夕方の列車に乗ることにした。
さて、ようやく三江線の旅を実現させたのだが、実際にほぼ貸切状態での出発であった。「長谷」は某秘境駅訪問家が一押ししているが、私の感覚ではさほど秘境度は感じられなかった。それより、三江線の運転上の主要駅である「浜原」は実にいい味を醸し出していた。三江線では唯一下車した駅である。乗り換えの為であるが、私は乗り潰し専門の為なかなか「駅を降りる」という行為ができない。そのため「改札を出る」事がすごく新鮮に感じられる。と言っても駅員無配置の為「改札」があるわけでもないのだが・・・

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ハッキリ言って駅前は「何もない」。だが「秘境駅」のそれとは違う。一体何であろう、この孤独感。飯田線の小和田や田本とは違う孤立モードは一体何を意味するのか・・・
若干、インターネットで他の駅の乗車人員を調べてみると「0」の駅が多いのに気づく。乗車人員「0」・・・「0」を数年更新しているようだ。つまり「利用者がいない」ということになる!
奇妙な造りで有名な「宇都井」も近年は「0」らしい。つまり、あの百数段の階段を利用する人は「いない」ことになる。
しかしながら・・・定期客ではないが、某テレビ局で毎年放送している大家族の番組があるが、舞台は「浜田」である。そしてその浜田から父の友人のお寺に遊びに行くシーンがあるが、なんと三江線を利用しているのだ!そして途中の石見川本から親戚軍団が乗車してきて、一両編成の列車が貸切状態になってしまうのだ。向かう先は「粕淵」。運転手も久々の大人数に切符回収の処理に忙しそうだ。
粕淵のお寺より川で皆が遊ぶシーンがあるが、やはり「大自然」。景色がいい。

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私の乗った列車は、江津に着くころにはもう夜9時をまわっていた。駅前はひっそりとしている。今夜はこの地に宿泊予定だ。「ふ〇や旅館」なる名前をアピールしているが、ほぼ95パーセント民宿である。私は鉄道旅行の時はたいていビジネスホテルを利用するが、たまにはこういうアットホームな宿泊もいい。平日の為、当然といえば当然「貸切」であり、風呂も順番待ちは無くすぐに入れた。とりあえず素泊まりの予約であったため本当に寝るだけで宿を後にしたが、次回来るときはぜひ食事もしながらゆっくりと宿泊してみたい。
翌日、「偉大なるローカル線」で出雲市へ向かった。一畑電車を制覇するためだ。ここでも主役は高校生だ。朝早くよりかなりの乗車率。しかし、一気に「仁万」で下車。以降、よくあるローカル線の風景となってしまった。
少子高齢化の中「主役」たちは貴重な存在だ。そういえば、先ほど江津駅で三江線の列車は停まっていたのであろうか・・・本数が少ない中「接続」が何よりの頼りだ。ハッキリ言って山陰本線の普通列車同士や他の支線などとの接続は、ハッキリ言って良いとはいえない部分が多い。JR西はかなり多くのローカル線を抱え、20数年前の「特定地方交通線」の問題に、現在も直面している。「西」に限らずだが、今後どういう展開が待っているのか。「西」も北海道のように空白地帯が広がるのであろうか?接続する支線との時間的な連絡改善なしに利用客増は無理な話であろう。乗り換えの待ち時間が2時間とかは論外である。確かに三江線は「陰陽連絡」の役割は果たせていない。しかし「利用される」事を最優先に考えたとき、もっと利用価値が高まってくるのではないのであろうか。若干のスモールではあるであろうが・・・

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汐見橋の風格(リメイク版)

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「関西の私鉄」は、私にとって不得手であった、理由は単純だ。関西方面に住んだことが無く、親戚も居ないなど接点が全く無いためだ。したがって阪神や南海などの名前は知っているがどこからどこまで走ってるか殆んど分からなかった。しかし23年ものブランクを乗り越え再び乗り潰しを目指すに当たって、どうしても乗り越えなければならない壁であった。そんな思いを吹っ切ろうと関西私鉄の乗り潰しの旅を計画、早速実行に取り掛かった。しかも時代は移り変わり「スルッとKANSAI」なるフリー切符も登場し、格安で乗り潰しが出来るようになった。ちなみに「スルッとKANSAI」を簡単に紹介しておくと、関西地区の私鉄で「スルッとKANSAI」加盟会社の指定路線乗り放題の切符だ。詳細は割愛するが、とにかく関西に行くなら「スルッとKANSAI」と言う位に私は気に入ってしまった。ついに2008年10月15日~17日の日程で関西に冒険に出た。詳細はリンクページより参照していただいて、この旅でとても印象深かったのが「汐見橋」である。

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汐見橋とは南海電気鉄道の高野線(現在は、高野線は分断され、汐見橋~岸里玉出は通称汐見橋線)の起点駅でもある。私は、宿泊先の阿波座から地下鉄で桜川まで行き、若干徒歩にて汐見橋に向かった。両者は近隣にあるのだが乗り換え駅としての案内はしていない。駅に降りると小さく「南海・汐見橋」の案内表が若干スモールに表示されていた。広い道路の横断歩道を渡り切るとなにやら古臭い建物が見えてきた。それこそ「汐見橋」である。

もともと高野鉄道の大阪側のターミナル「道頓堀」として開業したが、南海と合併時に現駅名に改称、現在に至ってる。駅舎の佇まいは、おそらく開業当時のままであろう風格が漂い、路線案内表も古い書体で塗装がひび割れながら役目を果たしていた。恐らく南海と合併当時のものであろう。駅構内を見渡すと、やはり開業当時の面影を残しつつ「現在」を生きている。隣には、有名カー用品店が軒を構えていたが、恐らくその土地にはかつて線路が沢山敷かれ、側線が何本もあったであろう。そう考えればその不自然なスペースの謎が解ける。現在は旅客営業のみとなってしまったが、私の行った時間は通勤時間の真っ只中。しかしホームには人影は数えるほどしかなく、本当に大阪の中心街かと錯覚を起こす程ひっそりしている。だが近い将来、汐見橋と地下鉄がドッキングしてこの駅は「途中駅」となる予定だ。もしそうなれば、恐らく「ラピート」もここを通り新大阪まで行くようになるであろう。そうなれば、長距離客のラピート利用が大いに期待される。しかし、当然ながら現汐見橋駅は完全に改良され、面目を一新するであろう。

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昔からの駅舎やホームの取り壊しされるのは寂しい限りであるが、路線が盛栄し再生されればこれほど嬉しい事は無い。現在は輸送力過剰の複線区間を単線にせず、短編成の列車を往復させ生き残らせてる意味がここにあった。私は岸里玉出より天下茶屋に向かいラピートで岸和田に向った。「スーパーシート」と呼ばれる、JRで言う「グリーン車」である。確かに優雅なひと時であったが、ハッキリ言って「貸切」であった。つまり関空アクセスは、新幹線からの乗り換えに便利なJR「はるか」が「はるかに」軍配が上がっているということである。汐見橋のあの風格が、近い将来なくなってしまうのは残念であるが、南海の社運を賭けたプロジェクトに大いに賛同し応援の思いを寄せる私の心は、岸和田のホームで遠ざかる「ラピートβ」を見つめながら汐見橋を通過するラピートの姿を頭の中で描いていた。


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「乗換」とは?


新年、明けましておめでとうございます。今年も当ブログをよろしくお願いいたします。

さて、今年最初のテーマは「乗換」についてちょっと考えてみた。ひとえに「乗換」といってもいろいろある。基本的に乗換の定義は、駅やバス停など交通手段の停車場にて連絡または接続する列車やバスなど、乗車してきた乗り物を降りて他の乗り物に乗る事を言う。しかし最近は「携帯」から「スマホ」に変えることも「乗換」と言うらしい。一般に、例えば目的地に行く場合に最短時間で行く方法を考え、それに対して料金を払う。しかしその方法での行程で乗り物を何回か変更しなければならない場合、普通に敬遠されるのが一般的だ。「面倒くさい」「歩くのが嫌だ」「どの列車にどこで乗り換えていいのかわからない」など理由はいろいろであるが、とにかく乗り換える回数を減らす事こそ「移動の美学」となる。しかし、私の場合は「旅のスタイル」柄、乗り換えが多い。一般の方の「移動」とは目的が違う。私が宗谷本線制覇の際にスケジュールの都合で札幌~稚内往復(復路は札沼線が含まれます)で、片道5時間近く「乗り換えなし」の行程があったが、さすがにこれはキツかった!やはり適度な時間で乗り換えがあった方がいい。

東北新幹線が開通してもう30年が経過した。これは喜ばしいことであるが、開業当時は大宮暫定開業であった。つまり大宮~盛岡が先行開業したわけだ。だが一般に、東京から新幹線が乗れないと便利が良くない。暫定開業時は「暫く」の間185系の「新幹線リレー」なる列車が上野~大宮を往復し新幹線の乗客をサポート。そして大宮で「乗換」が発生していたわけだ。新幹線と在来線との乗り換えは在来線どうしの乗換より歩く。そして時代は変わり、東京に東北新幹線がやってきた。そして新幹線は更に進化していく・・・
鉄道会社は1分2分の時間短縮のために血の滲むような努力をしている。そうした中、新幹線車両を在来線に「乗り入れる」という初の試みが奥羽本線の福島~山形間で行われた。しかしながら、普通に考えて新幹線と在来線では線路の幅が違う。電圧だとか車両だとか、技術的な事は私の理解の範囲に及ばないが、線路幅だけは素人でも分かるように、変更するか「フリーゲージトレイン」などの新型車両を投入するか・・・
結局、在来線の線路幅を変える事で「フル規格」の新幹線を建設するよりリーズナブルという結論に達したため「ミニ新幹線」が誕生した。在来区間は最高時速130kmと、新幹線本来の力を発揮できないが「乗り換え」部分が時間短縮になる。プラス「乗り換え」の手間が省ける訳だ。

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2011年1月、私は「角館」より帰郷するため、雪の舞う「在来線ホーム」より新幹線に乗った。特に妻が言っていたが「在来ホーム」に新幹線がやってくる、そして乗車するという行為がいつになく不自然であり不思議であった、と。以前に田沢湖線に私が乗車した時は、ちょうど新幹線開通に合わせて電化された頃で、L特急「たざわ」が誕生して間もない頃だったため実に新鮮であった。しかし約30年振りに訪れた時は更に進化していた。田沢湖線内では「単線」の為列車交換がある。「反対列車待ち合わせのため4分停車します」のアナウンスがあったとき「これじゃ相模線(地元です!)じゃないの?」と思わず反応。夜が遅かったため景色が見れなかったが、遅い食事を車内販売で済ませている途中でいつの間にか高架区間を走っていた。
スローダウンすると早速「盛岡」に到着。しかも新幹線ホームだ。先着の新幹線に連結され、まるで「コバンザメ」のようになり東京に向かう。そして10分~15分位の遅れもいつしか平常に戻っていた。時間に正確であり、遅れても取り戻す日本の鉄道技術、これは世界に誇れるものであろう。しかしながら私が東京に着いたのは22時をとっくにまわっていた。できれば本厚木まで新幹線で「乗り換えなし」で帰りたかったのだが・・・

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ダイヤモンド✡トナカイ

Author:ダイヤモンド✡トナカイ
✩2022年4月より毎週土曜日更新になります✩


昭和・国鉄の話題を中心に紹介しています。


2013年に長野新幹線の長野駅にて「いい旅チャレンジ20000km」よりスタートした国鉄時代の制覇を含めJR全線制覇を、そしてゆいレール以外の鉄道全線制覇を達成いたしました。


以降、北陸新幹線と北海道新幹線などの開業によりタイトルは返上しています。

JR以外の私鉄を含む鉄道未制覇路線は北陸新幹線(長野~金沢)・北海道新幹線・仙台地下鉄東西線・仙石東北ライン・富山地方鉄道延伸部分・ゆいレール・相鉄直通線(相鉄新横浜線)、そして新規開業の西九州新幹線や宇都宮に開業したライトレールも新たに加わりますます未制覇路線が増えてしまいました・・・

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