廃止路線を訪ねて⑪(矢部線)
2013-02-26
思わず宝塚系の「瞳」を思い出してしまいそうな矢部線は、かつて九州は鹿児島本線・羽犬塚から黒木を結んでいた「特定地方交通線」であった。私から見ると、同じ九州にある、あの「筑豊地区」の網の目のように張り巡らされた炭鉱路線である「添田線」や「漆生線」等よりもかなり地味な存在であった。というより、敷設目的が違うから当然であろうか、石炭とは「無縁(無煙?)」の世界でもあったのか?一応計画では宮原線とドッキングして機能させる大胆な予定であったらしいが、もしそうなっていたとしたら・・・
私は1983年4月1日に訪問している。この時の九州上陸は、なんと「青春18」のみで上陸している。つまり東京より「18」で乗れる列車のみで九州にたどり着いたのだ!これについては後日旅日記にて紹介しようと思うが、全く持って「若さゆえの」行動であったのであろう。
鹿児島交通廃止の噂を聞きつけ訪れた後、急行「かいもん」を八代から鳥栖まで乗車。「かいもん」は夜行急行列車であるが、青春18では乗れず「別料金」。普通夜行列車が無かったためである。甘木線(当時)を制覇の後、いよいよ矢部線に突入する。羽犬塚に7時32分に到着。8時ジャスト発の矢部線に乗換え黒木へ向かう。

沿線風景としては典型的な「ローカル線」と同じであった。しかしながら若干「生活」の匂いを感じ取ることもできた。それは九州最大の都市近郊にあるからかも知れないが、それなりに乗客の姿もあり活気に満ちていたと思われたが、やはりその「絶対数」が足りないのであろうと思われる。「それなり」では「経営」の立場で考えると「あなたならどうする?」と問われるはずだ。
途中、筑後福島では若干の乗り降りがあった。しかしながらこの時は「春休み」である。通常なら学生諸君が多数利用するらしい、という私も当時は学生であった。事情はよく承知している。
さて、列車は程なく黒木の到着したが、乗ってきた列車で折り返し羽犬塚へ向かう。停車時間は5分。何もできないまま折り返していった。
制覇自体が「地味」に終わってしまった。当時は制覇するのに必死であったため、この後「佐賀線」にも訪問しているが、印象は薄い。
この九州の旅とは別に「ワイド」で九州一周を計画していたが「お蔵入り」となった。北海道一周と同じく計画未達成であった。九州ワイドでは、あの網の目のような「炭鉱路線」を一気に制覇する予定であった。残念ながら「一生」制覇できなくなってしまった。あの「室木線」や「添田線」など、今考えたら魅力たっぷりの路線が沢山あった。僅かに残った路線は、特に筑豊本線や篠栗線などは「生活路線」として大きく脱皮した。
そう考えると、この矢部線の体験は本当に「地味」ではあったが、逆にその「地味」さ加減を体験できた事が貴重なのかもしれない。黒木駅の写真を眺めながら薄っすらとかつての記憶が甦ってきた。

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私は1983年4月1日に訪問している。この時の九州上陸は、なんと「青春18」のみで上陸している。つまり東京より「18」で乗れる列車のみで九州にたどり着いたのだ!これについては後日旅日記にて紹介しようと思うが、全く持って「若さゆえの」行動であったのであろう。
鹿児島交通廃止の噂を聞きつけ訪れた後、急行「かいもん」を八代から鳥栖まで乗車。「かいもん」は夜行急行列車であるが、青春18では乗れず「別料金」。普通夜行列車が無かったためである。甘木線(当時)を制覇の後、いよいよ矢部線に突入する。羽犬塚に7時32分に到着。8時ジャスト発の矢部線に乗換え黒木へ向かう。

沿線風景としては典型的な「ローカル線」と同じであった。しかしながら若干「生活」の匂いを感じ取ることもできた。それは九州最大の都市近郊にあるからかも知れないが、それなりに乗客の姿もあり活気に満ちていたと思われたが、やはりその「絶対数」が足りないのであろうと思われる。「それなり」では「経営」の立場で考えると「あなたならどうする?」と問われるはずだ。
途中、筑後福島では若干の乗り降りがあった。しかしながらこの時は「春休み」である。通常なら学生諸君が多数利用するらしい、という私も当時は学生であった。事情はよく承知している。
さて、列車は程なく黒木の到着したが、乗ってきた列車で折り返し羽犬塚へ向かう。停車時間は5分。何もできないまま折り返していった。
制覇自体が「地味」に終わってしまった。当時は制覇するのに必死であったため、この後「佐賀線」にも訪問しているが、印象は薄い。
この九州の旅とは別に「ワイド」で九州一周を計画していたが「お蔵入り」となった。北海道一周と同じく計画未達成であった。九州ワイドでは、あの網の目のような「炭鉱路線」を一気に制覇する予定であった。残念ながら「一生」制覇できなくなってしまった。あの「室木線」や「添田線」など、今考えたら魅力たっぷりの路線が沢山あった。僅かに残った路線は、特に筑豊本線や篠栗線などは「生活路線」として大きく脱皮した。
そう考えると、この矢部線の体験は本当に「地味」ではあったが、逆にその「地味」さ加減を体験できた事が貴重なのかもしれない。黒木駅の写真を眺めながら薄っすらとかつての記憶が甦ってきた。

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200系よ、永遠に・・・
2013-02-23
中学校時代以来、久々の「撮り」を敢行した。「撮り」のみを目的とした行動は実に約30年振りであった。上野と東京の各駅に参戦したが、特に上野の変貌ぶりには驚いた。30年、全く行かなかったわけではないが、特に「立ち食い」の飲食店が大変貌を遂げいささか複雑な思いでもあった。
今回は東北・上越新幹線で活躍した200系を中心に「東」の新幹線を紹介しよう。







2013年3月のダイヤ改正で消えてゆく200系の最後の勇姿である。すべて東京駅で撮影。「Max」等の共演は最終を迎えた。新幹線の「歴史」を感じる一枚となってゆくが「国鉄」と「JR」の共演も最終となる。
![DSCF3226[1]_convert_20130219201809](http://blog-imgs-54.fc2.com/4/1/9/4190koawazay/20130219201949b74.jpg)
200系が話題の世の中、最後はこんなものを紹介しよう。東北新幹線開業時の「旅と鉄道」。

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今回は東北・上越新幹線で活躍した200系を中心に「東」の新幹線を紹介しよう。







2013年3月のダイヤ改正で消えてゆく200系の最後の勇姿である。すべて東京駅で撮影。「Max」等の共演は最終を迎えた。新幹線の「歴史」を感じる一枚となってゆくが「国鉄」と「JR」の共演も最終となる。
![DSCF3226[1]_convert_20130219201809](http://blog-imgs-54.fc2.com/4/1/9/4190koawazay/20130219201949b74.jpg)
200系が話題の世の中、最後はこんなものを紹介しよう。東北新幹線開業時の「旅と鉄道」。

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きっぷコレクション⑤(車内販売乗車券)
2013-02-13
スペースの都合上「横」でアップした。若干見にくいがご了承いただきたい。

清水港線制覇の際に購入。清水から三保まで140円だったのかと、今思った。

鹿児島交通の一枚。伊集院までの一駅購入の為、別に乗車券を購入していたものと思われるが、現在手元にないのが残念。

少々わかりづらいが石勝線の乗車券。一応楓~新夕張を購入している。もちろん「ワイド周遊券」を持っていたため重複するが、現在は貴重な切符となってしまった。

最後は日中線の切符。ここも「ワイド」を持っていたため重複しているが、やはりこうしてみてみると、その時、その場で買ったり撮ったりしておくものだとつくづく思う。後年になって価値が出てくるものだ。

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清水港線制覇の際に購入。清水から三保まで140円だったのかと、今思った。

鹿児島交通の一枚。伊集院までの一駅購入の為、別に乗車券を購入していたものと思われるが、現在手元にないのが残念。

少々わかりづらいが石勝線の乗車券。一応楓~新夕張を購入している。もちろん「ワイド周遊券」を持っていたため重複するが、現在は貴重な切符となってしまった。

最後は日中線の切符。ここも「ワイド」を持っていたため重複しているが、やはりこうしてみてみると、その時、その場で買ったり撮ったりしておくものだとつくづく思う。後年になって価値が出てくるものだ。

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きっぷコレクション④(入場券・特殊バージョン)
2013-02-12
入場券ではあるが、今回は「普通じゃない」物を蔵出ししてみた。

何の変哲もない小田原駅の入場券ではあるが、日付を見ていただきたい。平成7年・7月・7日である。



北海道限定(かも知れない)「観光旅行記念」。お値段は普通の入場券と同じ120円。私は普通の入場券と両方購入しているが、特に釧路の入場券は「色つき」で印象的であった。

郡山駅の入場券。なぜか赤い文字であるが「北」とは「東北本線」の意味か?確か新幹線の切符売場で買った記憶がある。

鳥栖の「入場券」は、在庫が無かったのか手を抜かれたのか、できれば硬券が欲しかった。と思いきや若干価値があるものに変化したかもしれない。

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何の変哲もない小田原駅の入場券ではあるが、日付を見ていただきたい。平成7年・7月・7日である。



北海道限定(かも知れない)「観光旅行記念」。お値段は普通の入場券と同じ120円。私は普通の入場券と両方購入しているが、特に釧路の入場券は「色つき」で印象的であった。

郡山駅の入場券。なぜか赤い文字であるが「北」とは「東北本線」の意味か?確か新幹線の切符売場で買った記憶がある。

鳥栖の「入場券」は、在庫が無かったのか手を抜かれたのか、できれば硬券が欲しかった。と思いきや若干価値があるものに変化したかもしれない。

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きっぷコレクション③
2013-02-11
再び、入場券を蔵出し。しかしながら、今回は価値あるものを公開してみた。見てお気づきと思われるが、やたら「大垣駅」が登場する。80円とは先述の通りであるが、当時は安いからと確か10枚以上買った記憶がある。あまり気にせずに「他の」入場券をご覧いただきたい。

「出水駅」は現在、在来線はJRではないのは周知の通り(とは言うものの、新幹線はJRのため、もしかしてあるかも)。「木次駅」もなかなかの価値(大垣は無視してほしい)。

「三保」「野村」は現在は無い(というより野村は改称されているため)。「備後落合」も「むじんくん」の為入場券は購入できない(大垣は無視)。

「相浦駅」は松浦線(当時)、「鍛冶屋駅」は廃止され、こちらも価値大。


きっぷではないが、上越・東北の両新幹線開通時の時刻表。若干文字が記入されているものもあるが、あまり気にしないでほしい。

最後は「18きっぷ」のピンクバージョン。赤バージョンとでも呼べばいいのか。茅ヶ崎駅で買ったのかと今になって思った。しかしながら、日付を入れたのは、確か相模線・香川駅であった。

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「出水駅」は現在、在来線はJRではないのは周知の通り(とは言うものの、新幹線はJRのため、もしかしてあるかも)。「木次駅」もなかなかの価値(大垣は無視してほしい)。

「三保」「野村」は現在は無い(というより野村は改称されているため)。「備後落合」も「むじんくん」の為入場券は購入できない(大垣は無視)。

「相浦駅」は松浦線(当時)、「鍛冶屋駅」は廃止され、こちらも価値大。


きっぷではないが、上越・東北の両新幹線開通時の時刻表。若干文字が記入されているものもあるが、あまり気にしないでほしい。

最後は「18きっぷ」のピンクバージョン。赤バージョンとでも呼べばいいのか。茅ヶ崎駅で買ったのかと今になって思った。しかしながら、日付を入れたのは、確か相模線・香川駅であった。

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きっぷコレクション②(入場券)
2013-02-10
硬券入場券をランダムに紹介してみた。昭和57年と58年で10円の差があるのに注目してもらいたい。当時の国鉄特有である「料金改正」が見え隠れしている。現在も硬券て販売しているのであろうか?私の経験では津軽鉄道や一畑電車などで購入できたが、果たしてJRは?








色々と「硬券」を並べてみたが、特に注目していただきたいのが「大垣駅」で、当時なんと80円!私は「ハサミ」にはあまりこだわらなかったが、皆様はどちら派?

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色々と「硬券」を並べてみたが、特に注目していただきたいのが「大垣駅」で、当時なんと80円!私は「ハサミ」にはあまりこだわらなかったが、皆様はどちら派?

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きっぷコレクション①
2013-02-09
古いアルバムより、昔集めていた「きっぷ」を蔵出ししてみた。懐かしいのもあるが、当時の旅の情景を思い出す。

寝台急行「銀河」でB寝台券であるが、最初は頂き物かと思っていた。だが昭和56年(1981年)もので平塚駅発行という事はやはり日程的にもポートピア’81の帰りに乗車したと思われる。ただ、レギュラーの銀河に乗車した記憶が全くないが、ポートピア旅行の帰りには新幹線等利用している事は無く、大垣夜行なども知らない時代だったので、やはり銀河に乗車したのであろう。切符を所有しているのが何よりの証拠かも知れない。

青春18「のびのび」きっぷ。現在も大人気の定番切符であるが、これは新発売当時の「初」18きっぷである。バックの柄が青だが、もう一つ、アップしていないが「ピンク」のバージョンがある。この「常備券」は現在は限られた駅でしか購入できないらしい。

「銀河51号」は14系座席急行であった。神戸で開かれた「ポートピア」へ向かうために乗車。当時はわざわざ平塚の交通公社まできっぷを買いに行っていた。N型マルスで発券。

私がやたらとアピールしている1983年8月の「東北乗り潰しの旅」の際の「東北ワイド周遊券」である。10日間の有効期間は、今考えると羨ましい。しかもしっかり「学割」が効いている。

こちらは「初」北海道上陸の際の「北海道ワイド周遊券」。20日間有効をなんと4日間で使用!なんて贅沢な使い方であろうか。この切符で「白糠線」の制覇に挑んだ。ちなみに31500円であるが、旅に出た日は10月であったため「季節割」があった。プラス「学割」を適用したため、かなりの割引であった。

きっぷではないが、青函連絡船の「旅客名簿」。これは上記の北海道に行った時の物であるが、もちろん現在は「トンネル」があるため列車のみにて北海道に上陸できる。

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寝台急行「銀河」でB寝台券であるが、最初は頂き物かと思っていた。だが昭和56年(1981年)もので平塚駅発行という事はやはり日程的にもポートピア’81の帰りに乗車したと思われる。ただ、レギュラーの銀河に乗車した記憶が全くないが、ポートピア旅行の帰りには新幹線等利用している事は無く、大垣夜行なども知らない時代だったので、やはり銀河に乗車したのであろう。切符を所有しているのが何よりの証拠かも知れない。

青春18「のびのび」きっぷ。現在も大人気の定番切符であるが、これは新発売当時の「初」18きっぷである。バックの柄が青だが、もう一つ、アップしていないが「ピンク」のバージョンがある。この「常備券」は現在は限られた駅でしか購入できないらしい。

「銀河51号」は14系座席急行であった。神戸で開かれた「ポートピア」へ向かうために乗車。当時はわざわざ平塚の交通公社まできっぷを買いに行っていた。N型マルスで発券。

私がやたらとアピールしている1983年8月の「東北乗り潰しの旅」の際の「東北ワイド周遊券」である。10日間の有効期間は、今考えると羨ましい。しかもしっかり「学割」が効いている。

こちらは「初」北海道上陸の際の「北海道ワイド周遊券」。20日間有効をなんと4日間で使用!なんて贅沢な使い方であろうか。この切符で「白糠線」の制覇に挑んだ。ちなみに31500円であるが、旅に出た日は10月であったため「季節割」があった。プラス「学割」を適用したため、かなりの割引であった。

きっぷではないが、青函連絡船の「旅客名簿」。これは上記の北海道に行った時の物であるが、もちろん現在は「トンネル」があるため列車のみにて北海道に上陸できる。

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かしわ台にて
2013-02-08
昔の本
2013-02-07
昔、というより小学生時代に読んでいた本を紹介する。皆様がご存じの書籍もあろうと思うが、今見てみるとかなり懐かしい、というより貴重な写真も多々連載されている。こういう本を、小学生の私は熱心に読んでいたらしい。こういうお値段なら今すぐにでも買いに行くのだが・・・








一番最後は書籍ではなく「カード式」となっており一枚一枚切り離して見る。裏には解説が細かく記載されており、撮影地まで案内されているのでかなり参考になる。「今」訪れるのも悪くないかも。

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一番最後は書籍ではなく「カード式」となっており一枚一枚切り離して見る。裏には解説が細かく記載されており、撮影地まで案内されているのでかなり参考になる。「今」訪れるのも悪くないかも。

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チョイ出し・相鉄
2013-02-06
木次恋しぐれ
2013-02-05
1982年3月「青春18のびのびきっぷ」が誕生した。現在の「青春18きっぷ」であるが、発売から数えてもう30年以上が経過した。正直「そんなに経つの?」といった感じだが、発売当初より「普通列車限定(一部区間は例外あり)」は変わらない。私は当時中学1年から2年へステップアップする春休みであった。当時所属していたクラブ活動「鉄道研究クラブ」の事については先述しているが、このクラブ活動の一環として「18きっぷの旅」が敢行された。行程は私が計画したが、ハッキリ言ってホテルなどの宿泊代をかけるなんてとんでもない!ということで、夜は全て夜行列車で過ごす行程となった。顧問の教諭はなかなかの強者で、「あの列車に乗れ」とか「あれはリクライニングがあるぞ」とかいろいろアドバイスを受けたが、結果的に風呂も入らず、服も着替えず・・・の5日間の行程となった!今考えたらよくこんな行程で旅に出かけたものだと感心してしまうくらいだが、教諭もちょっとそういう部分を指摘しろよ!と突っ込みたくなるような心境だ。旅の行程については当ブログの「私の旅の制覇記録」というリンクを開くと出てくるのでご参考までに。
さて、今回のテーマは「木次線」である。既にこの旅の計画段階で木次線を組み込む辺りに、普通の「鉄道少年」からかけ離れた才能を持っていたに違いない(と勝手に思っているだけだが)。京都からの夜行普通列車「山陰」で一夜を過ごし宍道に降り立ったのが9時24分であった。そして木次線の時刻が9時42分発、なかなかの接続具合である。私が乗車したのはキハ20とキハ58の混結(混血?)である。木次線では車内で優雅なひと時を迎えた。確か遅い朝食を皆で食べたり持参した菓子を食べたりと、和やかなひと時が過ぎて行ったが、さすがに中学生であったため「酎ハイ」等の嗜好品は無縁の世界であった・・・

若干中学生でありながら、この先の「出雲坂根」が密かな楽しみであったが、まだまだ先は長い。途中、木次で約20分位の停車時間があった。列車交換のためであるが、この「停車時間」こそ、貴重な「入場券購入」のチャンス時間なのである。当時はまだ「硬券」が主流であったため、窓口に申し出れば気軽に販売してくれた。ただ、中学生であったため「大人料金」を支払うのにすごく抵抗があったのだが・・・当時の料金は120円。現在も恐らく同じと思われるが、そもそも現在「入場券」て販売されているのであろうか?もちろん「券売機」で購入可能と思われるが、私はまだ試したことが無い。
さて、「世界の車窓から」ではないが「木次線の車窓から」は大自然風景のみが映し出され「人間臭さ」みたいなものはない。それは、進めば進むほど深く「進化」し「深化」してゆく。唯一、人間の匂いを感じた街は「出雲横田」であった。乗車していた列車の終点であり、ここから先、備後落合に行くには乗り換えなければならない。しかしながら備後落合行は約1時間半待ちである。だが、ちょうど昼飯時に当たったためこの時間は手頃と判断してよいであろう。おそらく駅前の食堂で何かを食べた記憶があるが、久々の「ちゃんとした食事」だったため「サイコー」だった。ただ残念であったのは、隣の「亀嵩」に訪問できなかった事である。「エキナカ」には出雲そばの店が軒を構えているのは大変有名で、一般の旅行誌等にも取り上げられている。そばながら腰があるのが特徴らしいが、残念ながら私はまだ「未体験ゾーン」である。現在は2代目が受け継いでいるらしいが、必ず訪問してみたい駅の一つである事には変わらない。
さて出雲横田は神殿造りの駅舎が印象的であったが、隣のWCもなんと「神殿造り」であった。その神殿造りの駅舎には職員がいる。つまり「有人駅」の為「改札」がある。備後落合へ向かう列車は先ほど乗ってきた列車のうちの「一両」だ。私の好きな「キハ20」である。出発の合図とともに単行は山道へと向かい、いよいよ出雲坂根に到着した。駅に着いたらまず「延命の水」を汲みに行く。ところが停車時間が3分位しかないため5~6人ゾロゾロ行くと「順番待ち」が発生!なんとこの「順番待ち」だけで停車時間が過ぎてしまったではないか・・・結局駅設備や駅名表も撮影できず・・・水を汲みにわざわざ島根県方面へ行ったのか・・・しかしながら、おかげで1年分くらいは「延命」できた気持ちが。
さっき汲みあげた水を飲みながら、某ロックアーティストの「Z」のように勾配を上っていく、所謂「3段式スイッチバック」へ挑む。途中の折り返し点では「小屋」のような屋根が設置されており、ガレージに入ったような気分になる。そして3段目に登り切った時、視界が一気に開け、今までいた「下界」を見下ろすダイナミックな景色が目に飛び込んできた。私はその雄大なスケールに目を奪われるばかりであったが、更に「単行」はエンジンを唸らせ上層部へ。三井野原に到着すると、そろそろ旅の終焉へ近づいた気持ちになったが、若干「スキー場」をアピール。しかしながら列車に揺られてスキーにやってくる「物好き」はそう多くないであろう。

そうこうしているうちに備後落合に到着。若干「憧れ」を抱いた駅でもあった。私はこの備後落合で、芸備線の乗り換えが5分の列車に乗る計画を立てたが、列車に乗っている途中で、1時間半後に来る列車に乗っても後の行程に変化がない事が判明。この駅で1時間半を過ごす決意をした(なんの決意だ?)。
備後落合では、我々を見つけた駅員が「あの丘に行けば駅の全景が撮れるよ」と教えてくれたので早速丘の上に出向。しかし写真が見つからず、ここに紹介できないのは残念であるが、鉄道少年プラス・ワン(教諭)たちは自慢のカメラを駅設備に向けていた。ホームに戻ってくると「おでんそば」なる奇妙な看板が目に飛び込んでくる。営業はしていなかったと思うが、ここの名物らしい。ものすごい山間部の分岐駅ながら若干、鉄道の要衝駅の活気があった。
私は2010年8月に備後落合に再訪した。芸備線の乗り換えで26分位の待ち合わせ時間があったため駅を散策。しかしながら、そこはかつての面影が無い「空間」に変化していた。もちろん外見的のそれではない。駅員は既に去り「おでんそば」の看板も見当たらない。つまり「ぬくもり」とでも言おうか、私が中学生の時に訪れた時の人間臭さが感じられなかった。ちょうど観光シーズンでもあったため「乗り換え客」で意外と活気づいてはいたが、何か物足りない。だが、駅設備は昔のまま残されており、当時に戻った気分にもなったのは事実である。何か複雑な気持ちにはなったが、再び木次線を訪れることはできるのであろうか?「道路整備」が完成されたと思われる現在「ヤマタノオロチループ橋」を列車の車窓から眺める立場でありたいと思うのは私だけであろうか?


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さて、今回のテーマは「木次線」である。既にこの旅の計画段階で木次線を組み込む辺りに、普通の「鉄道少年」からかけ離れた才能を持っていたに違いない(と勝手に思っているだけだが)。京都からの夜行普通列車「山陰」で一夜を過ごし宍道に降り立ったのが9時24分であった。そして木次線の時刻が9時42分発、なかなかの接続具合である。私が乗車したのはキハ20とキハ58の混結(混血?)である。木次線では車内で優雅なひと時を迎えた。確か遅い朝食を皆で食べたり持参した菓子を食べたりと、和やかなひと時が過ぎて行ったが、さすがに中学生であったため「酎ハイ」等の嗜好品は無縁の世界であった・・・

若干中学生でありながら、この先の「出雲坂根」が密かな楽しみであったが、まだまだ先は長い。途中、木次で約20分位の停車時間があった。列車交換のためであるが、この「停車時間」こそ、貴重な「入場券購入」のチャンス時間なのである。当時はまだ「硬券」が主流であったため、窓口に申し出れば気軽に販売してくれた。ただ、中学生であったため「大人料金」を支払うのにすごく抵抗があったのだが・・・当時の料金は120円。現在も恐らく同じと思われるが、そもそも現在「入場券」て販売されているのであろうか?もちろん「券売機」で購入可能と思われるが、私はまだ試したことが無い。
さて、「世界の車窓から」ではないが「木次線の車窓から」は大自然風景のみが映し出され「人間臭さ」みたいなものはない。それは、進めば進むほど深く「進化」し「深化」してゆく。唯一、人間の匂いを感じた街は「出雲横田」であった。乗車していた列車の終点であり、ここから先、備後落合に行くには乗り換えなければならない。しかしながら備後落合行は約1時間半待ちである。だが、ちょうど昼飯時に当たったためこの時間は手頃と判断してよいであろう。おそらく駅前の食堂で何かを食べた記憶があるが、久々の「ちゃんとした食事」だったため「サイコー」だった。ただ残念であったのは、隣の「亀嵩」に訪問できなかった事である。「エキナカ」には出雲そばの店が軒を構えているのは大変有名で、一般の旅行誌等にも取り上げられている。そばながら腰があるのが特徴らしいが、残念ながら私はまだ「未体験ゾーン」である。現在は2代目が受け継いでいるらしいが、必ず訪問してみたい駅の一つである事には変わらない。
さて出雲横田は神殿造りの駅舎が印象的であったが、隣のWCもなんと「神殿造り」であった。その神殿造りの駅舎には職員がいる。つまり「有人駅」の為「改札」がある。備後落合へ向かう列車は先ほど乗ってきた列車のうちの「一両」だ。私の好きな「キハ20」である。出発の合図とともに単行は山道へと向かい、いよいよ出雲坂根に到着した。駅に着いたらまず「延命の水」を汲みに行く。ところが停車時間が3分位しかないため5~6人ゾロゾロ行くと「順番待ち」が発生!なんとこの「順番待ち」だけで停車時間が過ぎてしまったではないか・・・結局駅設備や駅名表も撮影できず・・・水を汲みにわざわざ島根県方面へ行ったのか・・・しかしながら、おかげで1年分くらいは「延命」できた気持ちが。
さっき汲みあげた水を飲みながら、某ロックアーティストの「Z」のように勾配を上っていく、所謂「3段式スイッチバック」へ挑む。途中の折り返し点では「小屋」のような屋根が設置されており、ガレージに入ったような気分になる。そして3段目に登り切った時、視界が一気に開け、今までいた「下界」を見下ろすダイナミックな景色が目に飛び込んできた。私はその雄大なスケールに目を奪われるばかりであったが、更に「単行」はエンジンを唸らせ上層部へ。三井野原に到着すると、そろそろ旅の終焉へ近づいた気持ちになったが、若干「スキー場」をアピール。しかしながら列車に揺られてスキーにやってくる「物好き」はそう多くないであろう。

そうこうしているうちに備後落合に到着。若干「憧れ」を抱いた駅でもあった。私はこの備後落合で、芸備線の乗り換えが5分の列車に乗る計画を立てたが、列車に乗っている途中で、1時間半後に来る列車に乗っても後の行程に変化がない事が判明。この駅で1時間半を過ごす決意をした(なんの決意だ?)。
備後落合では、我々を見つけた駅員が「あの丘に行けば駅の全景が撮れるよ」と教えてくれたので早速丘の上に出向。しかし写真が見つからず、ここに紹介できないのは残念であるが、鉄道少年プラス・ワン(教諭)たちは自慢のカメラを駅設備に向けていた。ホームに戻ってくると「おでんそば」なる奇妙な看板が目に飛び込んでくる。営業はしていなかったと思うが、ここの名物らしい。ものすごい山間部の分岐駅ながら若干、鉄道の要衝駅の活気があった。
私は2010年8月に備後落合に再訪した。芸備線の乗り換えで26分位の待ち合わせ時間があったため駅を散策。しかしながら、そこはかつての面影が無い「空間」に変化していた。もちろん外見的のそれではない。駅員は既に去り「おでんそば」の看板も見当たらない。つまり「ぬくもり」とでも言おうか、私が中学生の時に訪れた時の人間臭さが感じられなかった。ちょうど観光シーズンでもあったため「乗り換え客」で意外と活気づいてはいたが、何か物足りない。だが、駅設備は昔のまま残されており、当時に戻った気分にもなったのは事実である。何か複雑な気持ちにはなったが、再び木次線を訪れることはできるのであろうか?「道路整備」が完成されたと思われる現在「ヤマタノオロチループ橋」を列車の車窓から眺める立場でありたいと思うのは私だけであろうか?


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アンパンマン・コレクション
2013-02-03
JR四国が眩しい!
鉄道愛好家ならご存知であろう「アンパンマン列車」。四国内を駆け巡る特急列車の一部にカラフルなラッピングで人々を楽しませている。四国に寄った際はぜひお試しいただきたい。
ちなみに鉄道とは全く関係ない話であるが、松山に寄った際には是非「古川屋台ソウヅ」をおすすめする。なかなか個性的な居酒屋で、某ロックアーティストがお出迎えするぞ!今の季節は「おでん」がお勧めらしい。何度かTVにも紹介されているのでぜひ!

高徳線の「メロンパン」。「サンライズ」から降り立った際の高松にて。2両編成が愛らしい。

多分窪川にて。土佐久礼から窪川に向かう際に乗ったが、自由席の為アンパンマンシートには座れなかった。

高架化直前の高知にての「アンパンマン」。こちらも自由席の為「シート」には座れず。高知駅は当時2面3線であったが、現在は2面4線となった。大きな屋根が印象的である。

宇和島に停車中の「バイキン」。宇和島はこの時点で再訪。これも「シート」には対面ならず・・・

そして宇和島に再々訪時の「クリームパンダ」。2012年1月に念願かなって「シート」に着席!若干紹介してみよう。

いざ、一号車の指定席へ!

ホームより撮影。シートはこんな感じ。

何と壁にもアンパンマン!

広告スペースにもアンパンマン!私はこの後「道後温泉」へ向かい優雅なひと時を過ごした。

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鉄道愛好家ならご存知であろう「アンパンマン列車」。四国内を駆け巡る特急列車の一部にカラフルなラッピングで人々を楽しませている。四国に寄った際はぜひお試しいただきたい。
ちなみに鉄道とは全く関係ない話であるが、松山に寄った際には是非「古川屋台ソウヅ」をおすすめする。なかなか個性的な居酒屋で、某ロックアーティストがお出迎えするぞ!今の季節は「おでん」がお勧めらしい。何度かTVにも紹介されているのでぜひ!

高徳線の「メロンパン」。「サンライズ」から降り立った際の高松にて。2両編成が愛らしい。

多分窪川にて。土佐久礼から窪川に向かう際に乗ったが、自由席の為アンパンマンシートには座れなかった。

高架化直前の高知にての「アンパンマン」。こちらも自由席の為「シート」には座れず。高知駅は当時2面3線であったが、現在は2面4線となった。大きな屋根が印象的である。

宇和島に停車中の「バイキン」。宇和島はこの時点で再訪。これも「シート」には対面ならず・・・

そして宇和島に再々訪時の「クリームパンダ」。2012年1月に念願かなって「シート」に着席!若干紹介してみよう。

いざ、一号車の指定席へ!

ホームより撮影。シートはこんな感じ。

何と壁にもアンパンマン!

広告スペースにもアンパンマン!私はこの後「道後温泉」へ向かい優雅なひと時を過ごした。

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懐かしの盟友たち⑦
2013-02-02
もう無いであろうと思っていたら意外とあった「懐かしの盟友」。近年までいたものも含め紹介してみたい。

地上時代の札幌にての「北斗」。「ノーザンライト」とは、どこかで聞いたような・・・「HASE」と「AKIRA」で有名であるが・・・(わかる人にはわかるが、全く鉄道とは関係ないね!)名前は現在も引き継がれている。

伯備線電化直後の「やくも」。確か新見駅にて。キハ80時代の写真も電化前に撮っていたはずだが、現在紛失中。

1983年8月、盛岡に停車中の「たざわ」。暗い時間帯に撮影するとヘッドマークも際立つ。

確か酒田か坂町と思われる「いなほ」。羽越本線と新幹線を連絡する重要な役割をしている。

全く記憶にないこの写真。列車の塗装から判断して交流電車と思われ、おそらく鹿児島本線と思う。景色から判断するとたぶん出水辺りと思われるが、ご存じの方いらっしゃればお教え願います!

三岐鉄道、と思っていたら上信電鉄らしい(キネ様、情報ありがとうございました)。近年の撮影だが、これって現役なのであろうか?

こちらも近年の撮影であるが、わたらせ渓谷鉄道・足尾駅でのひとコマ。リニューアルして使えばよろしいのに・・・

全くどこで撮影したか不明のDD16。望遠レンズを使用しているので1982年以降と思う。

あかべこカラーの485系は会津若松にて。この後、入れ替わりで583系の快速「あいづライナー」が入線した。

東海道線の車内から撮影した「近江鉄道」。米原~彦根間で1983年頃である。乗りたかった~

最後は80系。中央線辰野駅に停車中の飯田線で1982年8月だ。隣に停車中のスカ色115系は私が乗って来た長野発新宿行夜行普通列車。

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地上時代の札幌にての「北斗」。「ノーザンライト」とは、どこかで聞いたような・・・「HASE」と「AKIRA」で有名であるが・・・(わかる人にはわかるが、全く鉄道とは関係ないね!)名前は現在も引き継がれている。

伯備線電化直後の「やくも」。確か新見駅にて。キハ80時代の写真も電化前に撮っていたはずだが、現在紛失中。

1983年8月、盛岡に停車中の「たざわ」。暗い時間帯に撮影するとヘッドマークも際立つ。

確か酒田か坂町と思われる「いなほ」。羽越本線と新幹線を連絡する重要な役割をしている。

全く記憶にないこの写真。列車の塗装から判断して交流電車と思われ、おそらく鹿児島本線と思う。景色から判断するとたぶん出水辺りと思われるが、ご存じの方いらっしゃればお教え願います!

三岐鉄道、と思っていたら上信電鉄らしい(キネ様、情報ありがとうございました)。近年の撮影だが、これって現役なのであろうか?

こちらも近年の撮影であるが、わたらせ渓谷鉄道・足尾駅でのひとコマ。リニューアルして使えばよろしいのに・・・

全くどこで撮影したか不明のDD16。望遠レンズを使用しているので1982年以降と思う。

あかべこカラーの485系は会津若松にて。この後、入れ替わりで583系の快速「あいづライナー」が入線した。

東海道線の車内から撮影した「近江鉄道」。米原~彦根間で1983年頃である。乗りたかった~

最後は80系。中央線辰野駅に停車中の飯田線で1982年8月だ。隣に停車中のスカ色115系は私が乗って来た長野発新宿行夜行普通列車。

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しらかみをリゾートする
2013-02-01
2011年、私は五能線を再訪した。理由は「リゾートしらかみ」に乗車するためである。1983年8月に訪問の時は、DLに牽引される旧型客車であった。弘前を8時10分に出発し約4時間くらいの優雅な旅であった。時代は変わり「リゾートしらかみ」なる列車が登場。念願のボックス席を確保しまたまた優雅な旅を堪能した。しかし当日は吹雪!既に30分以上遅れているダイヤで果たして堪能できるのか?
今回は「ダイジェスト版」でお送りしよう。

乗車前日に見た「リゾートしらかみ」の別バージョン。確か先述の津軽鉄道「ストーブ列車」乗車前であったと思う。

念願の「ボックス席」。583系のように手前に引きだして「寝台」に変更することもできる。もちろん「変更」して東能代へ向かった。

これが私の乗った「しらかみ」。雪がへばりついている。

「木造」では吹雪の中駅員がお出迎え。民営化後ならではの光景。

東能代に停車中の「しらかみ」。雪が若干収まっているが、この時点で確か45分位の遅れだ。この後帰郷予定であったため、角館から乗る新幹線を乗車変更して1本遅らせた

今流行の「ハイブリッド」。「プリ〇ス」のように燃費は良いのか?

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今回は「ダイジェスト版」でお送りしよう。

乗車前日に見た「リゾートしらかみ」の別バージョン。確か先述の津軽鉄道「ストーブ列車」乗車前であったと思う。

念願の「ボックス席」。583系のように手前に引きだして「寝台」に変更することもできる。もちろん「変更」して東能代へ向かった。

これが私の乗った「しらかみ」。雪がへばりついている。

「木造」では吹雪の中駅員がお出迎え。民営化後ならではの光景。

東能代に停車中の「しらかみ」。雪が若干収まっているが、この時点で確か45分位の遅れだ。この後帰郷予定であったため、角館から乗る新幹線を乗車変更して1本遅らせた

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