鉄道全線完全制覇の旅

昭和から平成へ・・・全線制覇の旅紀行!

痛快!ビッグ・ラリー!①

2011年8月23日、肥薩線を訪問した。鉄道日本三大車窓と呼ばれる「矢岳越え」に参戦。有名なループ線&スイッチバックも体験。今回は「はやとの風」とともに、ダイジェスト版でお伝えしよう。



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まずは熊本よりスタート。先述した「九州横断特急」の表示の列車は「くまがわ」で運用の列車に乗車。



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順調にスタート・・・と思いきや、なんと一部区間で豪雨のため線路の点検。坂本で列車は運転見合わせに・・・実は前回来た時も雨のため「はやとの風」で吉松から「いさぶろう・しんぺい」に乗り換えるはずであったが、霧島温泉で運転見合わせとなった。悪夢が再び・・・



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悪夢を繰り返さないためにもタクシーで「新八代」に向かった。そう、新幹線で鹿児島中央に向かったのだ。



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確か2時間くらいの待ち合わせがあったため、昼食を摂った後「はやとの風」に乗車する事となった鹿児島中央。



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ようやく雨も上がり、肥薩線運転再開の吉報。桜島もくっきりと現れた。



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肥薩線、南の名物といえば「嘉例川」であろう。棒線化されて久しいが、旧・ホームがいまだ健在。



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夏休みのため親子連れの姿も目立つ。夏休みの宿題のネタになるか?



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そして吉松に到着。かつての鹿児島本線と日豊本線の分岐駅だ。往年の盛隆が偲ばれる。SL時代の風景が甦るようだ。そしていよいよ「いさぶろう・しんぺい」に挑む!



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志布志、渋し ③!

大隅線、志布志線がいたころの志布志駅を紹介したい。今回は「massi1」様に、この記事の写真すべてをご協力いただいた。
「志布志、渋し!②」においても写真を使用せていただき再アップさせていただいたのでそちらの方も併せてご覧いただきたい。



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どことなく「昭和」の香が漂う駅構内は、機回し線等があり、活気に満ちていた。「南国」を思わせる雰囲気満点だ。確かこの風景、駅舎こそないものの、なんとなく私の訪問時に見た記憶がある。象徴でもある「木」が、そう思わせるのであろうか?


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腹部に響く福武線 ②

福井鉄道「第二弾」をお送りする。「田原町」が中心となるが、実際に訪れてみて「これが日本で最初の駅か?」と勘違いしてしまうほどの「重要文化財」的存在であった。



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途中駅で「路面形」と交換。北陸で流行の「ライトレール」に変身するのか?はたまた「広電」のように変化するのか・・・



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私が訪れたのは「月曜日」。土曜・日曜・祝日・年末年始のみ使用できる「フリー切符」が使用できず、併せて制覇した「えちぜん鉄道」と共に全区間「正規料金」での制覇となった。宝くじでも当たらない限り、我が家の「経済事情」は相変わらず苦しさを逃れられない。ご覧のきっぷは福武線とえちぜん鉄道の「乗り継ぎきっぷ」。車掌より両会社通しで購入できる。



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そして終点・田原町に到着。ホームは低床車に対応した(?)低いホームだ。



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駅構内にある「駐輪場」。「パーク&ライド」を提唱するのか?



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写真右、中央の扉をご覧いただきたい。ドアよりステップが降りて乗り降りしやすくなっている。



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自転車に埋もれたホームは、何か「昭和」の匂いが漂う。こんな列車で毎日通学できる高校生は羨ましい!



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こちらは「えちぜん鉄道」のホーム。跨線橋は無く、福井鉄道とは三角のような形を取り、両辺が列車のホームで底辺が駅舎のイメージ。実に機能的だ。



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えちぜん鉄道を一通り制覇した後、再び田原町に戻り、福井駅前へ今夜の「宿」に向かうため、福武線の「今」に乗車(と言っても元・名鉄だが・・・)。



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そして「福井駅前」に到着。JRは高架化されたため、若干距離が出きた。




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商店街の中を通り抜け、JR福井駅へ向かう。




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そしてJR福井駅に到着。現在、駅前は再・再開発中だ。私は写真左の「某」ホテルに身を預けた。


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腹部に響く福武線 ①

2013年3月25日、福井鉄道に参戦した。低床化が進んでいると聞いていたが、まさか、あの「名車」が健在とは!まだ旅から帰ってきたばかりだが、早速紹介してみたい。



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「サンダーバード」でJR武生に降り立つ。乗り換え時間が約9分。JRと福武線は若干離れているので、乗り換えはかなりスリリング。



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駅前のスーパー脇を通る。約200m位離れていて、間に合うかどうか不安であった。



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こちらが「越前武生」。かつては「武生新」と名乗ったが、2010年3月に現在の駅名になった。



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そしてこれが噂の「200形」。低床車に置き換えられている中、現在も活躍しているが、順次置き換えられる予定と聞く。現在が乗り収めかも知れない。



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片開きドアは、私の地元・京急を思い出す。写真には写ってないが、ドアが開くと下から脚立が開く仕組みになっており、低いホームからの乗り降り時に貢献する。



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デビューはなんと「昭和35年」!私よりも長い人生だ。既に半世紀以上が経過しており、大変貴重な生き残りだ。



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車内はこんな感じ。まるで時が止まったかのようだ。



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昭和が漂う福武線だが、途中駅の駅舎などはリニューアルが進んでいる。



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「電光掲示板」が設置されている。しかし、若干機能していない。





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福武線と言えば「併用軌道」が福井駅付近にある。我地元の「江ノ電」にそっくりな景色だ。



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志布志、渋し!②

油津よりほぼ回送状態で志布志までやって来た私は、現在の志布志駅に若干驚きを隠せなかった。予備知識はあったものの、これほどまでに寂れてしまったのは時代の流れだけなのか・・・
ご覧の方は私が何を言いたいかお分かりであろう。かつては大隅線と志布志線が接続し、急行も停車する一大ターミナルであったのだが、現在はかつての構内であった場所に、新たに日南線用のホームを新設。線路と直角になるような形で駅舎ができた。側線が何本かあるが、最終列車が翌日まで停泊するらしい。

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両翼を失ったかのような志布志駅はすっかり活気がなくなったかのようだ。もう列車で鹿屋や垂水等には訪れることはできない。盛栄極めたころの志布志駅があった場所は現在、商業施設となっている。商業施設に転換するには十分過ぎるくらいのスペースは、志布志駅のかつての盛隆を無言で物語っている。
私はこの先、廃止された「志布志線」の転換バスで都城へ、仮想「志布志線」として向かう予定だ。

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さて「仮想・志布志線」のバスは、駅より若干徒歩を要し国道に出ると「志布志駅上」というバス停がある。基本、ここが志布志線代行バス乗り場だ。現在は「大隅交通ネットワーク」が担当している。5~7分遅れでやって来たバスは私たちが「初」乗客のようだ。走り出してすぐに右手に大きく弧を描くようなカーブの道路が見えてきた。その瞬間、私は即座に「旧・志布志線」の跡と確信。短い間であったが見えなくなるまで目で追い続けた。ようやく途中の停留所からポツリポツリとお客様が乗車。その大半が「高齢者」である。停留所はかなり山の中にばかりあり、集落と呼べる場所が見つからないような所を走っているが、岩川付近に来ると若干の集落が形成されてきた。旧・岩川駅付近にある「岩川」に着くと殆どの乗客が下車。乗っているのは私と途中から乗車してきた2人位だ。

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集落は旧・末吉付近でもまた現れた。こうしてバスを乗っていると、意外と志布志線沿線は集落があったのかと、逆に勉強になった。そしてなんと、末吉バス停を少し出たところで車窓に「駅」を見たのだ!ホームや腕木信号などがあって、完全に駅が保存されていた。ホームを車窓より直角に見たということは、この道路のこの場所は以前「踏切」であったことは間違えないであろう。一瞬ではあったが、かなり原型を留めている事が確認できた。いずれ再訪してみたい。

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バスは志布志線の起点「西都城」に着くころにはすっかり「都会」の街並みに変化。私の向かう都城より市の中心部に近く、ほぼ乗客が下車した。
そしていよいよ目的地の都城に到着した。私達は下車するが、バスの終点はバスセンターのため「スルー」していく。料金は確か1030円であった。勿論、ほぼ全区間乗車したのは私達だけである。この日は短い区間の乗客が多い中、私達のような「単価の高い」乗客がいた。私も少しは増収に貢献できたか?乗り潰し派には、この旧・志布志線の代行(転換)バスは必須であろう。旧・志布志線ルートは、バスからでも若干廃線跡を確認できるのでぜひお試しいただきたい。

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それより気になるのは志布志駅であろう。日南線用に新設されたホームは私に何かを語りかけているようだ。それは何かわからない。だが、無駄に広い構内はかつての志布志駅を象徴している。更に、かつての志布志駅跡地に設立された商業施設の広さも、必要以上に「昔」が伝わってくる。車両は「国鉄」だが、完全に無人化された駅は「JR」である。「旧」と「新」。二つの時代が融合した志布志駅は、果たしてこれからどのように変化していくのであろう。その答えは・・・

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志布志、渋し!①

「ドリームにちりん」で宮崎空港から折り返してきた私は、南宮崎で日南線に乗り換えた。南国ムード満点の「シーガイヤ」は、我々を夢の世界へと誘う。とは言うものの、ローカルムードも満点である。しかし、列車はそれなりの乗車率で、旅先ながら吊革に掴まっての出陣となってしまった。そんな中でも私を楽しませてくれたのが「子供の国」駅だ。神奈川県にある東急の駅は「こどもの国」と、若干綴りが異なる。その「違い」だけを楽しんだ私は「異端児」の部類に入るのか?

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次の「青島」は「チンタオ」とは読まない。当たり前であるが、こんなことを考えながら吊革に掴まっている私はやはり普通ではないかもしれない。
若干の観光客をも乗せた列車は飫肥でほとんどの乗客が下車、しかし若干の乗車もあった。結局、路線名の日南を過ぎ、列車の終点油津までそれなりの乗車率であった。

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さて、私は日南線の全線制覇の為に訪れたため、油津より先に行く事になるが、乗り換えまで40分近くある。ちょっと街を散策してみた。
私が訪れたのは5月である。この地方の5月と言えば「マグロ」が旬を迎え、脂がのっている、所謂「旬」の時期を迎える。黄肌まぐろや目鉢まぐろなど、市場には長細い発泡スチロールに大きい魚体が氷に埋もれ何段にも積まれている。中には「油津」との産地表示がなされたビニールがかぶさっており、産地の「アピール」にはなるが、この「油津」の地をどれくらいの人が「宮崎産」と答えられるであろうか?

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さて、約40分のインターバルの後、私たちは志布志へ向かったが、島式ホームの向かい側には宮崎行に乗り込む園児達が保育士に誘導されて順番に乗車している。何とも微笑ましい光景であるが、この子達も後20年もすると日本経済を支えていく一人として活躍していくであろう。この「少子高齢化」の時代に芽吹く大事な生命である。

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宮崎方面はおかげで満員御礼であるが、私たちは志布志方面に乗る。予想通り「貸切」と化したワンマン列車に揺られることになった。私たちの他に数名乗車しているが、1両でも多い車両編成をこの日は2両編成だ。途中「串間」若干下車すると思いきや、乗降客は「0」であった。日南線の主要駅も現在はこんなものなのであろうか?若干寂しさを感じざるを得ないが・・・

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それを象徴するかのような「福島高松」という奇妙な駅に着く。所謂「秘境駅」として大変名高いが、私の印象は「秘境」と呼ぶほどでもない雰囲気である。が、決して「街」ではない。しかしながら南国ムード満点である。シンプルな駅舎であるが、なかなかいい味を醸し出しているが「秘境」と呼ぶにはいささか苦しい感がある。
やがて志布志に近付くと一気に視界が開けた。そう、太平洋が車窓より私の目に飛び込んできたのだ。そして僅かながら大隅半島に居ながらにして一望できる。そして間もなく終点の「志布志」に到着する・・・

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JR九州の特急列車たち②

再びJR九州の優等列車の紹介である。観光に力を入れているのが特徴的であり、私も九州を訪れるのはいつも楽しみだ。


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地上ホームにての大分駅。883系は「ソニック」の運用で知られるが、なんとなく私は「ライオン」をイメージしてしまう。ミッキーマウス風の座席も特徴的だ。



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お馴染み「ゆふいんの森」。同じく大分駅だがこちらは高架化されたホームにて。写真は「一世」であるが、三世は博多~由布院間で運用。なお、全く私事ではあるが、プラレールで所有。



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吉松駅にての「いさぶろう・しんぺい」。観光列車として名高い「普通列車」だ。お馴染み「矢岳超え」では鉄道日本三景で一時停車する。



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新八代・新幹線ホームにての787系。「リレー」時代は記憶に新しいが、もう二度とは見られないであろう。



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熊本駅にての「185DC」は、九州横断特急との表示だが、この時は「くまがわ」で運用。



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近年登場の「海幸山幸」。日南線で活躍するJR九州特有の木目を基調とした車内は「癒し系」であろう。


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JR九州の特急列車たち①

JR九州で活躍する優等列車たち。有名デザイナーも参加していると聞く。独特のフェイスを持つ列車は我々を楽しませてくれる。




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長崎駅にての885系「かもめ」。長崎新幹線(九州新幹線長崎ルート)が開通する頃には現在の駅は高架化される予定だ。かつては貨物線が先まであったが、現在は廃止され櫛形ホームとなった。



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先述の「ドリームにちりん」は宮崎空港駅にて。「シーガイア」などで日豊本線で活躍。現在は「ドリーム」の運用はなくなったが、ダイヤ的には小倉方と宮崎方でその名残が見受けられる。



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こちらも以前に紹介した485系のJR九州バージョン。南宮崎にてだが、現在は定期運用から外れた。



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「きりしま」バージョンの485系とツーショットの「はやとの風」は鹿児島中央にて。JR九州はこの手のタイプの、所謂「観光列車」に力を入れている。




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同じく「はやとの風」。鹿児島中央は新幹線乗り入れと同時に劇的な変化を遂げたが、在来線ホームは若干昔の面影が残る。



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相模線「ヘビー・ローテーション」⑦

相模線の中でも群を抜けて個性的な「入谷駅」はローカル度抜群だ。しかし近年は開発の波が押し寄せ、昔の景色より若干変化している。しかし、まだまだ名残を残しており懐かしさ満点だ。特集してお送りしよう。



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ほぼ同じ位置から遠望。上が2013年で下が1979年の撮影。田んぼの真ん中にあるものの、若干付近に住宅などが増えている。また電化されたため、画像にスッキリ感が無い。



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同じく昭和50年代と現在を見比べてみる。駅の反対側からも利用できるよう、歩道橋が設置された。またホームもかさ上げされ電車化に対応。



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左側のスペースは、将来の複線化に向けての準備と思われる。上記、全て相模線を跨ぐ県道の陸橋より撮影(昭和の画像のみミックス・マテリアル様撮影)。



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まだまだ「昔ながら」の風景が残る。とは言うものの、2~3分も歩けば警察署をはじめスーパーマーケットや飲食店など、商業施設などがひしめき合う。何故か入谷駅の周りだけが時間が止まっているようだ。



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相模線「ヘビー・ローテーション」⑥

厚木駅はなかなか歴史を感じる駅だ。この章は厚木駅に絞って紹介しよう。

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厚木駅付近にある歩道橋より橋本方を望む。右が旧ホームで左が新ホーム。駅舎に向かう際は、相模線の線路を構内踏切で渡らなければならなかったが、新ホーム設置により小田急への乗り換えが便利になり、安全性も飛躍的に向上。



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新ホームより旧ホームを望む。もう切り替わってから2年以上経つが、取り壊しの気配無し。



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旧ホームへの通路は完全封鎖されている。



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旧ホーム横には相鉄の車庫になっており、相鉄車両が小休止。かつては貨物列車の基地となっており、その名残が見られる。



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小田急との交点にある小田急の旧橋脚。歴史を感じるが、一体、いつに切り替えたのか?



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本編にも登場した昭和50年代の厚木駅。貨物列車がいる付近がかつての「厚木駅」で、小田急との乗り換えのために現在の位置に旅客ホームを新設。旅客ホームは棒線の為、かつての「厚木駅」で上下の列車交換が行われる。運転手の所持している運行表みたいなものにも旅客ホームは「乗降場」と記されており、列車交換の行われる場所は「厚木」と書かれていた。


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同じく昭和50年代の厚木駅のホームより茅ヶ崎方を望んでいるが、写真奥に小田急との交点が見える。



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相模線「ヘビー・ローテーション」⑤

相模線の駅をコレクションしてみた。特に「番田」「下溝」は昔ながらの駅舎であり、上溝や南橋本、原当麻などのように生まれ変わってしまった現在において貴重なものとなった。すべてマイカーでの出陣となったが、地元・相模線をこのように周って撮影するのは初めての試みだ。今後も是非試してみたい。


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現在の南橋本駅舎。橋上駅舎に生まれ変わり立派になった。辺りはマンションなどが乱立しているが、かつては工場などで、引き込み線の多数あった。現在も辺りには工場などが多く、通勤客の姿が多い。


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上溝駅付近の県道との交差部分。左が上溝駅で、かつては「相武電気鉄道」との交点となる予定であった名残である。マイカー車内から撮影したが、この日は記録的な「暴風」で、外に出ると砂埃な舞い散る街となっていたため、まるで砂漠にでも来たような感じであった。



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番田駅の駅舎は昔ながら。電化と同じころに跨線橋が設置されたが、駅舎はそのまま残された。学生が多々見られる。



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原当麻駅遠望。こちらも橋上駅舎に変身し、かつての面影はない。駅前はロータリーがあり、相模線の駅としては立派な部類に入る。近くにはスーパーマーケットや洋服店などの商業施設が多々あり、立派に「駅」としての機能をしている。



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下溝駅は一般道から行くと非常に分かりづらい。駅前にロータリー等無く、昔ながらの「ローカル」が味わえる。すぐ側を相模川が流れ地形的制約があるため、今後も発展の可能性は低いと予想される。



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非常に分かりにくいが「入谷駅」である。昔と変わらず田畑の中にポツンとある。県道の陸橋から全景が見渡せるが、今回は撮影できなかった。相模線の中でこの入谷~下溝付近が一番「昔」を味わえるであろう。ローカル気分満点だ。



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相模線「ヘビー・ローテーション」④

近年~現在の相模線の風景を紹介してみよう。と言っても駅舎などは昔ながらのまま使用している場合が多い。特に倉見や社家、相武台下は見ものであろう。この3駅は私の「おすすめ品」だ。


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倉見駅駅舎。開業当時よりそのまま使用されており、開設はなんと大正15年!昭和54年頃の乗降客数は1千人位であったが現在は3千500人位で推移。交換可能駅。



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社家駅の駅舎。関東大震災での火災を教訓として「耐火対策」らしい。駅舎と反対側の敷地にはにマンションが立ち並ぶが、かつては貨物側線があった場所だ。交換可能駅。



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相武台下駅駅舎。恐らく開業当時からのものであろう木造駅舎。こちらも交換可能駅。


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倉見駅にて電化直前のキハ35。私はこの塗装時代は鉄道ファン休業中のため全く知らない不思議な現象。電化時代は車からよく見かけたため知っているし、今も当然よく見る風景。(画像はキネ様提供)



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相模線海老名駅から小田急への乗り換え通路。この長い通路を歩いて小田急・相鉄の待つ海老名駅に行く。



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こちらが小田急・相鉄の海老名駅。こちらは裏口だが、線路を超えると「表口」に出る。そちらはビナ・ウオークやイオンなどの商業施設が連なる。



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海老名駅の長い乗り換え通路から相模線を見下ろす。複線の鉄路が見えるが、右側が相鉄厚木線で左が相模線である。単線並列のまましばらく並走する。



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相模線「ヘビー・ローテーション」③

原当麻は現在駅前は整備されてロータリーもある。大きなスーパーもあり若干栄えているが、かつては「ローカル」な印象が強い。

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上溝付近に来ると築堤上を列車が走る。これは、かつて相武電気鉄道と交差するための名残であるが、現在は周知の通りその線路予定地は県道になっている。築堤上に上溝駅はあり、昔はローカルならではの木造駅舎であったが、現在は立派に改装され、ホームも真新しい。かつては「相模原町」の中心部であり、現在も町の賑わいは素晴らしい。大手スーパーも軒を連ね、現在の中心部には若干劣るものの、負けてはいない。この付近から橋本までは市街地が若干続いている状態になっており、南橋本では工場が多く、かつては引き込み線も多数あった。

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そして横浜線の電留線を横目に見ると橋本である。かつては2面3線で相模線は3番線を使用。横浜線との乗り換えに便利であったが、現在は相模線専用のホームが増設され4・5番線を使用している。そのため相模線と横浜線の乗換は跨線橋を使用しなければならず返って不便となってしまった。しかし相模線電化と同時期に朝・夕の時間帯に横浜線直通八王子行が新設され、通勤などに便利になった。

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相模線は私の物心付いた時からの身近な鉄道である。東海道線も含め私の鉄道趣味の「原点」といえよう。時代と共に変化を遂げ、現在もその「変化」は進行中である。寒川などは昭和50年代の乗降客数は1日7千人くらいであったが、現在は1日1万2千人位で推移している。人口増加と共に輸送力増強がなされたが、電化された当時新造された車両は現在20年を超えた。そろそろ車両交代に時期に来ていると思う。人口増加もそろそろピークを迎えたと思われるが、今後の相模線の変身ぶりにも期待してみたい(この記事の画像は全てミックス・マテリアル様提供)。

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相模線「ヘビー・ローテーション」②

厚木駅は小田急線との乗換駅である。現在の厚木駅は駅舎側の側線を一本潰し、そこにプラットホームを新設。いままで乗り換えに相模線の線路を横断しなければならなかったが、この新設により乗り換えが著しく改善された。

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しかしながら「旧ホーム」は取り壊されずにそのまま残っており、その横には相模鉄道の車両が留置されている。厚木駅は橋本寄りに広いヤードがあるが、かつてはそこに「厚木駅」があった。小田急との乗り換えを便利にするために小田急寄りに乗降ホームを新設したのだ。相模鉄道の砂利輸送の基地となっていたと思われ構内は広いが、現在は先述の「電留線」になっている。「厚木」を名乗っているが、実際には海老名市中新田に所在し、実際に厚木市にある駅は小田急線「本厚木」となる。現在、私の最寄駅でもあるのでよく利用させていただいてるが、一部では「厚木」を利用する。これは駅前に激安の駐車場があり、そこを「基地」としているためだ。全く私ごとで申し訳ないが、本厚木と厚木を使い分ける「術」は地元ならではの光景である。

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厚木には相模鉄道「厚木線」が乗り入れているが、海老名付近まで相模線と単線並列で並走する。相鉄厚木線に列車が走っている姿は地元民でもなかなか見ることはできないが、定期的には朝早くと深夜くらいに見ることができる。それは、かつて厚木が起点だったころの相鉄を思い出させるかのようだが、私は海老名が終点の頃しか知らない。しかしながら厚木線に列車が走る姿を一度だけ見た事があるが、本当に昔の光景を見ているようでいて懐かしく感じる。未経験の物を「懐かしい」と感じるのはなぜであろう?恐らく景色的に昔とあまり変わっていないからであろう。もちろん厚木線が旅客現役時代に付近にある小田急の車庫は無かったが、実に新鮮味があり、かつ、懐かしい雰囲気を醸し出していた。

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厚木では小田急と乗り換えができるが普通列車と準急しか停車しないため、厚木~入谷間に「海老名」が新設された。しかし海老名駅は小田急と相鉄の駅から若干離れているので乗り換えに時間がかかる。場合によっては厚木で小田急に乗り換えた方が早い場合もあるので事前の確認が必要だ。相模線と小田急線の乗り換え通路は長い橋で結ばれていて、かつては自動車教習所のあった場所等は、現在ショッピングなどができるビルを工事中である。

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海老名を過ぎると一気にローカルモードに景色が変わる。特に「入谷」は市の中心部からかなり離れ、田んぼの中にポツンとある印象だ。最近は若干住宅が増えては来ているが、まだまだ昔の面影が残る
そして相武台下は、かつて車を運搬する貨物車両が留置されていた。駅舎も開業当時のままと思われる古い木造駅舎で、2013年現在も使用されている。駅前もほとんど昔と変化ないであろう商店が1・2軒あり、かつてはその1軒に私は仕事で商品を収めていた経験がある(この記事の画像は全てミックス・マテリアル様提供)。


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相模線「ヘビー・ローテーション」①

神奈川県は相模川沿いに縦断する相模線は複雑な変遷を持ちながら、若干、どこかに昔の面影を残しつつも劇的な変化を遂げてきた。沿線の人口増加に併せ電化を実施、跨線橋を交換可能駅に全駅設置・一部橋上駅舎化、厚木駅ホーム移設や海老名駅の開設等、数え上げたらきりがない。
そんな相模線を、昔の風景を交えながら、私の眼から見た印象で紹介してみたい。今回も「ミックス・マテリアルさん」に協力いただき「非電化時代」を紹介してみよう(この記事の画像は全てミックス・マテリアル様提供)。

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私が「鉄道」に目覚めるきっかけとなったのは、この相模線と東海道線である。当時茅ヶ崎在住であった私は東海道線はとても馴染深い鉄道であった。西寒川駅前に引っ越してからは「相模線」で通院するようになり、それが鉄道愛好家を決定付けるものであった・・・と思う。
茅ヶ崎駅駅舎は現在駅ビルに変化してしまったが、かつては北口と南口にそれぞれ独立した駅舎があり、北口側には跨線橋に繋がる通路に立ち食い蕎麦屋があった。現在は6番線まであるホームだが、かつては4番線までで、3・4番線を東海道線が使用していた。そのホームは現在5・6番線に変更されており、貨物線に旅客ホームが増設された。そのホームは「湘南ライナー」専用で、列車停車時間以外は閉鎖されている。

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私が耳鼻科通院時の帰りによく見かけたのがブルートレイン「さくら」の通過シーンだ。茅ケ崎駅は相模線と東海道線のホームの間に貨物側線がたくさんあり若干離れているが、相模線のホームから見る「さくら」もなかなかのものだ。165系の急行「東海」も同じころに通過した。また、先頭に郵便車を連結した浜松行の見ものであった。耳鼻科に行くというより列車を見に行く方がメインだったような気がする・・・

そして寒川駅だが、私はとても馴染深い駅だ。西寒川駅前に在住していたのは先述しているが、いかんせん列車本数が少なく、時間帯によっては寒川駅まで出向かなければならない。側線には旧型客車が留置されていたが、いつの間にか消えていた。

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駅舎横には使われなくなった旧ホームがあったが、現在は橋上駅舎化された土台になってしまったためホームも面影もない。そして何よりここからは「寒川支線」が枝分かれしていたのは先述している。というより相模線開通初期はこちらが本線というかメインであった。所謂「砂利輸送」の為頻繁に列車が行き来していた時代もあったのだ。その「寒川支線」に関して、寒川駅の側線撤去跡を寒川支線の名残との意見が多々見受けられたが、実際は、その側線跡は砂利輸送時代の貨物側線に過ぎず、西寒川行の旅客列車は本線ホームと同じホームより発着していた。その西寒川への線路は寒川駅付近の大山踏切を過ぎるとすぐに分岐する。寒川神社の参道付近まで単線並列で並走し寒川支線は左に折れて行った。一方、本線となる橋本方面は右に折れ北上していく。寒川神社の最寄駅である宮山は棒線化された駅であるが、その付近の相模川沿いにはかつて「川寒川」という砂利運搬専用の駅があった。現在も道床などが残り面影があるが、ほとんどが浄水場に変身している。

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倉見や厚木付近でもこの砂利輸送時代の面影が多々見られ、これが相模線の魅力のひとつでもあるのではないであろうか?倉見では、以前に在住していた時期もありよく知っているが、倉見駅の隣にある「日本鉱業」の従業員駐車場付近もかつては砂利輸送の貨物側線があった。
厚木付近では「海老名運動公園」付近にはかつての道床が残っているほか「相模興業」への引き込み線もあったが、その面影が現在でも確認できる。この相模興業、実は「相模鉄道」の系列会社で、相模川の砂利採取を現在も続けている「過去の相模鉄道」を確認できる組織だ。この辺りはよく車で通りかかるが、最近は付近に高速道路のインターが開設され景色も変化しつつある。

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黒石の名物を求めて!

2011年1月、雪深い街に「昔」東京方面で活躍した列車に揺られ降り立った。駅はスーパーマーケットと直結しており便利である。「黒石」と聞くとあなたは何をイメージするであろうか?「黒石線」?そう、私は「黒石線」が即座に頭にイメージしてしまう。やはり「鉄道」が染みついているのであろうか。そのホームは現在も残っているが、ホームを照らす明かりがともっていない。「弘南鉄道」黒石線は、かつて「国鉄」黒石線であった。転換される前は各々の駅は独立していたが、転換後は現在の黒石駅に統合された。しかしながら転換後は料金面やスピード面での問題があり国鉄時代よりも数字が悪化した。1983年8月に私は訪問しているが、唯一の中間駅が印象深い「前田屋敷」駅は棒線化された、いかにも「ローカル」な印象であった。

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さて、黒石の名物と言えば「つゆ焼きそば」であろう。黒石市には数多くの「つゆ焼きそば」の店舗が軒を連ねるが、私は事前に確認していた駅前の飲食店を訪れる。駅前は1メートルくらいの「雪の壁」が立ちはだかるが、目指す飲食店は駅前にありとても便利だ。駅前の食堂は「昔ながら」の佇まいで、いかにも「食堂」の名がふさわしい。暖簾をくぐると初老の夫婦に迎えられ、食堂独特の庶民的な雰囲気が漂っていた。しかしながら、閉店時間直前くらいに訪れたため「名物」は、麺が1.5人前しか在庫が無く、いささか残念であったがそれを二人分にしてもらった。

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お味の方は・・・その名の通り焼きそばに和風と思われる出汁がかかっており、意外な風味であるが思ったよりシンプルである。基本的に、私は「複雑な味」をあまり好まず、シンプルな味を好むほうだ。元々の素材が活きるとでも言おうか、わかり安いのが比較的好きだ。つゆ焼きそばは所謂「B級グルメ」であるが、その中でもわかり易くシンプルな部類に入るであろう。普通に焼きそばの味がするのがわかり易く素晴らしい。

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わざわざ宿泊先の弘前から「つゆ焼きそば」を求めて黒石までやってきた。しかしそれは「制覇」も含まれるため「一石二鳥」である。これから「折り返し」で弘前に戻る。ほぼ貸切状態ではあるが、弘前に近付くにつれ、空いていた座席も埋まっていく。明日は宿泊先から「弘前中央」まで徒歩で向かい「大鰐線」を制覇予定だ。

寒い季節に寒い地方への旅。私のような関東人は雪のような「特殊な文化」には免疫があまり無い。全く無いとは言わないが、若干の積雪で首都圏の交通はすぐに麻痺してしまう。このような「文化」を雪の多い地方にお住まいの方はどのように感じているのであろうか。
まだ「つゆ焼きそば」の感触が残っているままホテル(と言ってもビジネスホテルであるが)の窓から見える雪を見つめながらそんなことを考えていた。



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北海道コレクション!

北海道を駆け巡る「優等列車」の数々をピックアップしてみた。1983年に私は「初上陸」して以来、現在に至るまで劇的な変化を遂げた北海道。地図上では空白地帯が増加したが、利用者は年々減少している。その中でも「千歳空港アクセス」の千歳空港~札幌間と札沼線の桑園~北海道医療大学間はJR北海道の「稼ぎ頭」である。
そんな中で活躍している特急列車はJR北海道にとって欠かせない存在だ。北海道の「現在」を紹介してみよう。


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2008年6月、函館駅で停車中のキハ185の「北斗」である。かつてのキハ80と比べ格段の進歩だ。しかし、このキハ185も「前近代的」の部類になってしまった。



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同じく2008年6月、室蘭駅にて。かつての室蘭駅より若干移設されたが、駅舎も改築された。構内は側線の撤去跡が痛々しく構内は広い。



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同じく2008年6月、札幌にて。「スーパー北斗」はキハ281だ。所謂「振子」を導入し、スピードアップに貢献。函館~札幌間で「スーパー」として活躍。現在の北海道を担う列車だ。



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キハ261の「スーパー宗谷」は札幌にて。同じく2008年6月だが、宗谷本線制覇のため片道5時間乗りっ放しであった。この列車も振子を搭載しており、スピードアップに貢献。



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そして終点稚内に到着。左のオレンジの建物のある場所はかつて線路があった所である。隣には、相棒の「サロベツ」が我々を待っていた。




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キハ185の「サロベツ」。現在、稚内駅は棒線化され隣のホームに列車は待つことが無い。私達はこの列車で折り返し滝川まで行った。それは「札沼線」を制覇するただった。




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函館駅にて。上野から乗ってきた「北斗星」を乗り捨て「北斗」に乗り換える。隣には「白鳥」が停車しており、同一ホームで跨線橋を使わずに乗り換えできて便利だ。





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上記の列車を至近距離から別角度にて。途中駅で「北斗星」を抜く。





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キハ183の「オホーツク」。釧網本線からの乗り換え時間4分の「番外地」にて。列車でここ「番外地」を訪問したのは初だ。列車の座席は空席が目立ったが、この先の北見からドッと乗車してきた。





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函館にての485系白鳥。以前のこの愛称は大阪~青森の特急であった。





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八戸にての「白鳥」。右隣は新幹線ホームだ。この光景はもう見れないのか・・・



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奥久慈風っこ号

2007年8月、水郡線を制覇した。その際に乗った「奥久慈風っこ号」は印象的であった。鉄道ファンを復活して間も無い頃であったため、旧国鉄時代の車両がこのように変化し使用されているのかと思うと複雑な心境であった。しかしながら、こうして形を変え活躍するのも悪くないであろう。今回はダイジェスト版でお送りする。



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常陸大子に入線する「風っこ」。かつての国鉄車両がこうして変化しているのは「カルチャーショック」のような感じであった。



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ヘッドマークも印象的である。「風っこ」は、水郡線だけでなく「東」の各線で活躍している事が後になってわかった。20年以上のブランクがあると、取り巻く環境も変化していて戸惑うばかり。



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2両編成であるが、もう一つの車両は色が違う。窓の部分をぶち抜いた思い切った改造!電化区間を含め日本全国のJR路線で活躍できる。



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このショットは上記のショットを含め上菅谷でのものと思う。「風っこ」の面々は皆、水戸方面へと向かう。常陸太田に向かうのは私たち御一行のみ!



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ちなみに車内はこんな感じである。なかなかの観光度であり、水郡線というロケーションもお似合いであろう。


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1983年・春<青春18>⑦

深夜の豊岡で夜行普通列車「山陰」に乗り換えるという、とんでもない計画を組んだ私だが、豊岡から乗る、というマニアックな方法は他に考える人は多くなく、結局「満員御礼」の列車では座席確保ができず、出入口のデッキで一夜(というより3時間くらいであるが)を過ごすこととなってしまった。当然寝ることはできず、相方には申し訳ないことをしたが、京都着5時24分、5時28分発の東海道線に乗り換えるため「ダッシュ」するのにはデッキにいるのは好都合であった。

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そして東海道線を乗り継ぎ茅ヶ崎まで向かうわけだが、当然東海道線内では爆睡・・・乗換駅付近ではまるで自身の頭の中に目覚ましでもセットされたかのように目が覚め、そして乗り換える。その繰り返しで寒川に付いたのが16時57分、つまり夕方5時頃だ。このころには既に頭の中は「風呂」「布団」の文字が掠めており、家に着くと久々の「快楽」を味わった。

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さて、2回に渡り「青春18」の旅を紹介してきた。私の旅の記録をご覧いただきありがたく思うが、何かお気付きになられたのでは?そう、私の紹介してきた旅の文章には「どこどこから乗りどこどこで降りた」や「こんな列車に乗った」という表現がほとんどである。以前に紹介した東北乗り潰しの旅もそうだが「乗った」「降りた」の表現しかない。つまり、当時の私は「乗り潰し」のみに情熱を注ぎ、その路線ひとつひとつの「文化」や「景色」、もっと言えば「歴史的背景」をほとんど触れずに旅をしていた。つまり「中身」があまり無かったと思われるため、個々の印象が薄い。果たしてそれが良いか悪いかは別として、なぜ私はここまで鉄道に拘るのか?と自分に問うたことがある。私は物心着いたと時から鉄道が好きであった。それから20年以上のブランクはあるものの再び鉄道と触れ合う時間ができた。先述したが、これからも鉄道に触れ合っていくことであろう。

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某ロックアーティストの著書にこんな発言がある。「方向性を見失った時、人間は一番苦しい。俺には音楽があった」と。もし音楽という言葉を「鉄道」に置き換えるとすれば、自ずと「ヒント」が見えてくるような気がする。某ロックアーティストは既に還暦を過ぎているが、今もなお「現役」だ。インタビューなどでよく尋ねられる。「なぜ音楽を続けるのですか?」・・・音楽を続ける理由。「ミック・ジャガー、ローリング・ストーンズ、もう70歳近くでもやってます。なんで音楽を続けるのか?もうやめないんです。地位も名誉も、そしてお金も手に入れた。なのにやめないんです。なんでか?それには音楽と常に触れ合っていたい自分がいるんです」。つまり「自身の好きなことを続けるのに<理由>は無い!」という事だ。好きだから歌い続ける・・・好きだから列車に揺られる。北海道に行く。廃線跡を訪ねる。九州に行く。かつての「炭坑」の盛栄時代の面影に触れる・・・そういう楽しみが待っている「人生」にしていきたい。

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鉄道を趣味とするという事は、他人から見ると理解していただける場合が少ない。「いい趣味」とは言うが、私のようなものは「個性的」ととらわれているであろう。何かのテレビ番組で「路線バス降車ボタンマニア」というのがこの世にいるらしい事を放送していた(確かタ〇リ倶楽部だったと思う)。私から見て、こちらの方が「個性的」だと思う。しかし鉄道雑誌が世の中にあり、パソコンを開くと私と同じ趣向の方が数多くおられることに気づく。これは素晴らしい事だ。私はどちらかというと宮脇〇三氏に近い趣向かも知れない事にも気付いた。地図・・駅・・旅・・時刻表・・辺りが私の好むところであるが、「デジタルATS」とか「インバーター」等の言葉には非常に弱い。また「12系客車」は即座にわかるが「E217系」と言われてもピンとこない。

私の「乗り潰し」の旅もそろそろ終焉を迎えた。その気になれば、10日間あれば余裕で全線制覇達成できる。早く全線制覇をして、今度は「線」ではなく「点」の旅もしてみたいと思っている。「やる事がある」という事は幸せだと思う。全線制覇しても、その「次」の目標がある。これは素晴らしい事だ。人間はやる事が無くなってしまった時、それは「終焉」を指すのではなのか?「仕事」でも「趣味」でもいい。やる事があるという事は「バイタリティー」になる。つまり、自身の生きている「証」みたいな物を知らず知らずに求めているのではないか?

これからも私の「旅」を紹介していくつもりであるが、次回からは「最近」の旅も紹介してみようと思う。過去の自分と旅のスタイルがどのように変化していったのか見届けていただきたい。そしてまたこれからも「生きている証」を探す旅は永遠に終わらないであろう。

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1983年・春<青春18>⑥

四国・高松では既に日付が変わっていた。しかし我々は昼間と同じような行程で乗り換えを敢行しなければならない。「しなければならない」とは、実際問題、行程を考えたのは誰でも無い、つまり自分自身である。同行した相方もさぞ体力的に辛かったであろう。

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まず深夜の琴平で731Dの上りバージョン「764D」に乗り換える。琴平着1時53分、2時20分発だ。高松着が3時22分、宇高航路が3時52分発、宇野に4時52分着で乗り換える宇野線が5時4分発である。乗換時間をザッと列挙してみたが、もちろん寝ている暇がない。というより高松での列車接続がよくこんな時間に設定されているなと逆に関心してしまう。そして連絡船は宇野で宇野線の始発に接続する。これって乗客に「寝るな」と言っているようなものではないか?それに付き合う私も私であるが・・・
本日の行程は加古川線とそれから枝分かれする支線各種を制覇予定だ。しかし、なぜか播但線の一部区間を私は入れてなかった。これは接続の関係からであると思われるが、永遠に訪れる事ができなくなってしまった「飾磨港駅」である。姫路~飾磨港まではかつて播但線と名のつく支線があった。現在も播但線が存在するが、それとはまったく異色の存在で際立って地味に目立つ存在であったが、どう行程を組んでも組み入れることができなかったため「後回し」としたのであろう。この判断が後に響くとは・・・
そんな事を言ってもしょうがない。当時はただただ只管乗りつぶす事を最優先としていたため「楽しむ」みたいな事が出来なかったのであろう。

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当時非電化であった加古川線に乗り三木線、北条線、鍛冶屋線と制覇していく。特に三木線と鍛冶屋線は現在は無いため、貴重な体験となってしまった。三木線に関しては、同じく北条線と一緒に第三セクター化されたが、残ったのは北条線だけだ。
三木線に関しては途中「国包」で近代的な「カプセル駅舎」に出会う。三木は近くにある「電鉄三木(当時)」の方が圧倒的に利用者が多い。しかしながら国鉄駅はひっそりとした印象だ。そして厄神にもどり北条線を制覇。再び加古川線に乗り鍛冶屋線へ。終点鍛冶屋では停車時間が約6分の為、入場券購入や「いい旅チャレンジ20000km」の証明写真を撮影するのに忙しい。しかし間に合わず発車の時間になってしまったため、走り出した列車から「証明写真撮影」という荒業にでた!結果的に成功したが、この「一か八か」の懸けに失敗していたら、証明写真を撮影するだけの為に再び訪れる事は出来なかったはずだ。ひとまず安心したが、再三加古川線に戻るのはかなりハードな行程だ。
だが、加古川線と枝分かれする支線との接続が良く、すんなり制覇に成功。若干粟生で1時間くらいの待ち時間はあったが、これも許容範囲内だ。

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野村から加古川線で谷川まで行き福知山線に乗り換え、福知山から綾部経由で舞鶴線に乗り西舞鶴まで一気に駆け巡る。しかしながら、隣の東舞鶴まで行かないと舞鶴線の制覇とはならないため東舞鶴まで行く。東舞鶴で折り返すが、なんと小浜線・西舞鶴行き(か福知山行きだと思った)のDLが牽引する旧型客車だ!隣の西舞鶴までしか乗れないなんて・・・もったいない。東舞鶴には5~6分位しかいられなかったのに、西舞鶴ではこれから1時間以上待って宮津線に乗り換える。この時、時計は夜七時を回っていた。これから宮津線なんて・・・天橋立を車窓から眺めようと考えるが、ハッキリ言って暗くて見えないであろう。景色は完全にあきらめ宮津線経由で豊岡に向かうことにした。

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景色は見えなかったのは残念であるが、景色には興味なかったのでそれほど残念ではなかった。それより宮津線を制覇することの方が大切であった。「天橋立」とは、幻想的な名前であるが中学生の少年には全く興味なし!日本有数の観光地を前にしてもこの少年は全く動じない。
さて、とうとう宮津線を豊岡まで乗り、宮津線の制覇となったわけだが、時計の針は22時30分をまわろうとしていた。こんな時間に豊岡に着いても乗り換える列車が無い。つまり「駅寝」をするか3時間待って夜行列車「山陰」に乗るか・・・当然の事ながら事前に計画しておいた「後者」の選択となるわけだが、こんな時間から夜行列車の乗るなんて・・・途轍もなく無謀な計画を組んだものだ。夜中の豊岡で何をしていろというのか。相方も文句ひとつ言わず良く付き合てくれたと思う。
3時間後、ようやく姿を現した「山陰」。深夜だというのに、これから私の予想をはるかに超えた事が起こったのだ。

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1983年・春<青春18>⑤

今日で5日目を迎えた「青春18」の旅。それは佐世保駅で迎えた。佐世保発「ながさき(佐世保発は列車名なし)」で今日は門司まで向かう。「門司港」ではないのが不安であるが、ほぼ7時間くらいあるので「グッド・スリープ」であろう。

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佐世保発の列車は早岐で「スイッチバック」する。が、長崎からやってくる「ながさき」とここで併合し門司港向かうのだ。長崎発の列車は寝台車が連結されており羨ましい。夜行列車の上下交換駅での乗り換えや、深夜・早朝の乗り換えを繰り返してきた今回の旅の行程の中、この上り「ながさき」は長時間乗るためしっかりと「宿」の役目を果たしてくれるはずだ。私の予想した通り、気が付いたら既に博多を過ぎ、北九州付近の通勤時間帯となっており、車内はスーツを召された立席客で埋め尽くされていた。「ながさき」は、所謂「旧型客車」の為、スーツ姿のお客様がいる車内には、何か違和感「大」である。いままで鼾をかきながら横になっていた自分達は完全に浮まくっていた。
やがて門司に到着すると早速山陽本線に乗り換える。その時間、5分!写真など撮ってる暇等無い。九州を去り、再び東京目指すが、ただでは帰らない。山陽本線、東海道本線には「支線」が多く存在する。東京に向かいながら支線に寄り道する魂胆だ。
その第一弾として「宇部線」を制覇する。車両が新しく置き換わっており、清々しい気分だ。もちろんまだ通勤時間帯の為、われわれのような「色物」は完全に孤立してしまう

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そんなことはお構いなしに、今度は宇部新川より小野田線へ乗り換える。そろそろ通勤時間帯も過ぎ、落ち着きを見せるころだが、雀田より長門本山への支線へ乗り換える。ホームは三角状になっており、支線と本線の乗り換えが階段なしでできる、非常に機能的は設備である。しかし、ここで待っていた列車は何と旧型国電の単行だ!なかなかの「いぶし銀」である。コトコト揺られながら長門本山へ行ったが、辺りは全く何もない。所謂「秘境」とは異なるが、別の意味で何もなく、鉄道の存在意義が疑われる。

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しかも良く考えたら、よくこのような所まで電化されているものだと感心してしまう。僅かな時間ではあったが再び雀田に戻り今度は小野田へ。山陽本線に乗り換え再び宇部に行き、また再び宇部線にて小郡へ向かう。なんか変な行動であるが、私なりに考えたのであろう。
小郡より山陽本線で徳山に抜けて「旧」山陽本線であった岩徳線に乗る。西岩国は元・岩国駅であったため、駅舎がいい!昔の駅舎が保存され重厚な佇まいだ。現在では普通に「ローカル」であるが、この西岩国はひと際光って見える。
「岩徳線」とは、名前の通り「岩国」と「徳山」を結ぶ路線であるが、途中、川西より分岐する「岩日線(当時)」がある。いったん岩国まで行き、1時間半のインターバルの後に錦町に向かう。現在は第三セクターとなり第二の人生を送っているが、一番気になる存在が「御庄」であろう。近隣には「新岩国」なる新幹線の駅があるが、接続駅となっていないのは国鉄時代からである。新岩国を開設する以前から岩日線の将来が既に決まっていたのであろうか、あえて「別人」を装う。それが吉と出たか凶とでたか、現在に引き継がれているわけだが、新岩国自体、新幹線駅の中でも乗降客数ワーストの部類に入る。

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そんな新岩国を横目に見ながら錦川に沿って北上する。やがて錦町に到着するが「岩日線」の名の通り「岩国」と「日原」を結ぶ目的で敷設された。路盤などもかなりの完成度であったが、所謂「国鉄再建法」により計画が頓挫した。現在は路盤を利用して観光列車「モドキ」が路盤の一部を利用している。なかなか微笑ましい限りであるが、ぜひ末永く営業していてほしい限りだ。
そんなことを思いながら岩国に再度戻ってきたのが午後6時近かった。「乗り」はいったん終了し、今夜の「宿」に向かう。目指すは1982年の「青春18」の旅で使用した「731D」だ。とは言うものの、今回は違う。高知まで行かずに琴平で「上り」に乗り換える行程だ!山陽本線と宇野線、宇高航路を乗り継いで高松に着いたのは深夜0時30分!731Dは0時46分発だ。このあと深夜の時間帯に考えられない乗り換えが待っていた・・・

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1983年・春<青春18>④

急行「かいもん」はそこそこの乗車率であったが、八代から乗って座れたのだからラッキーだった。未明の鳥栖で下車し基山より甘木線を制覇する。鳥栖では入場券を求めたが、硬券ではなく「切れ端」のような券売機の端材で駅名と日付をスタンプしたような簡易な物であった。若干残念であったが、逆にそれが現在「価値あるもの」に変身している。
さて、未明の「鳥栖発基山行き」という、鹿児島本線を走る奇妙なDCが設定されていた。こんな区間列車が未明に設定されているなんて、何やら怪しい気配がしなくもないが・・・鳥栖5時1分発、基山に5時9分に到着した。乗り換える甘木線は5時35分発である。読みは当たった。鳥栖から基山まで甘木線を走るDCが「回送」されていたのだ。つまり「乗り換えなし」で甘木線への招待となったわけである。あたかも時刻表上の「マジック」では、別の列車として表記されていたが、やはり昔の「天知茂」ではないが、謎が解けたような気分になってうれしい。
甘木線を制覇後、再び鹿児島本線で羽犬塚に出て矢部線に乗る。黒木のインターバルは5分と短く、証明写真を撮影するのに精いっぱいであった。いつの間にか廃止され現在はその印象が薄いと思われる矢部線であるが、路線名の集落まで到達することなくフェードアウトした。

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再び羽犬塚に戻り今度は瀬高に向かい佐賀線目指す。ところがまた奇妙な列車が設定されていた。鹿児島本線・瀬高行きのDCである。電化区間をDCが「瀬高」という中途半端な駅で終点なんて、またまた怪しい・・・「ご名答」であった。またまた時刻表上の「マジック」である。このDCは佐賀線直通列車だ。
乗り換える手間が省けていささかラッキーでもあったが、全く持って「印象の薄い」佐賀線の制覇であった。地図上で見れば鹿児島方面から佐賀方面に行くのにしっかり「短絡」の役割をしているのであるが・・・あくまでも「地図上」に過ぎず、1日数本の列車設定では「短絡」するかどうか、その人の判断によるであろう。しかしながらかつては優等列車も設定されており、それなりに「盛栄」もあった。更にこの佐賀線には「名物」も存在した。「可動橋」である。清水港線と同じような「可動橋」があった。更に全国でも珍しい「跳ね橋」があった。現在でも「可動橋」は重要文化財として保存されている。
佐賀に着くとボンネット式の特急「みどり」が待っていた。と言っても我々を待っているわけでもないので「みどり」には乗れない。仕方なく、計画通り普通列車で今度は唐津線に乗り北上する。唐津と言えば、私の訪問時は筑肥線が電化開業したばかりで、終点の西唐津は車庫が置かれて真新しい。同じく唐津も2面4線の高架駅になり、市を代表する駅として相応しい姿となった。

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筑肥線制覇の為、新しくなった「電車」に乗り新線区間を行く。東唐津は非電化時代はスイッチバック式の駅であったが、電化と同時に現在地に移動した。非電化時代とは違い、高架化されたスマートなホームに変化した姿に地元の人は戸惑う人もいたであろう。しかし「機能的」となった駅は、スッキリした感があり清潔感あふれる。これからも地元の人に愛される駅となってほしい。
新線区間以外でも、ホームが嵩上げされておりリフォームされている。そして「虹の松原」という、何ともロマンチックな駅は、付近の観光名所をそのまま駅名としているが、ホームも新しく新鮮である。
「青春18」では筑肥線・姪浜までしか行けないため姪浜で折り返すが、電化と同時に相互乗り入れを開始した福岡市交通局が我々を迎えてくれた。こちら姪浜も電化と同時に高架化されスッキリ。完全に「ローカル」から脱却した感がある。

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姪浜で約1時間のインターバルの後、再び西唐津に戻り今度は分断された筑肥線の「西線」を制覇しに行く。唐津線を境に「東線」となった筑肥線とは全くカラーが違う、昔のままの「ローカル線」である。ここから更に西へ向かい伊万里から松浦線でまず有田に行き、折り返して今度は佐世保に向かう。そして日本最西端の駅「平戸口(当時)」も通り、昨日の「日本最南端(当時)の駅」と併せて、わずか2日間で「南」と「西」を体験。考えてみたらやたらと忙しい旅だ。

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やたら時間が長い松浦線を制覇し佐世保に着いたのは夜の9時45分である。松浦線最終列車だ。この後私たちは、普通夜行列車「ながさき」の分家を佐世保始発で乗り「宿」とする予定だ。しかし発車時間が0時30分発でなんと約3時間待ちである!3時間も一体なにをしてろというのか!と自分自身が立てた計画に腹が立つ。そんなに待たなくても座れるであろう。インターネットなど普及してない時代に、ただただ待合室で「待ちぼうけ」状態である。とは言ってもいずれ時間はやってくる。私たちは今夜の「宿」をいつかいつかと待ち続けていた。

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1983年・春<青春18>③

まる一日かけて普通列車と快速列車のみで九州上陸という、ものすごい偉業を成し遂げた我々は、さらに「偉業」の行動に出る。門司港から普通夜行列車「ながさき」の揺られて更に西へ向かったが、深夜の肥前山口で今度は上りの「ながさき」に乗り換えるという、とんでもない行動に出た!肥前山口に2時54分に到着。何の違和感もなく自然に「ながさき」を乗り捨て3時22分発の上り「ながさき」に乗り換え、さらに鹿児島本線を南下すべく二日市で下車したのが5時7分。5時23分発の熊本行き普通列車に乗り換える!深夜から明け方にかけて、よくこんな乗り換えを計画したものだが、しかもよく寝過ごすことなく、乗り換えられたものだ。熊本着が7時49分の為、2時間以上ある。こちらは途中駅での乗り換えではないので安心して熟睡できた。つまり終点まで乗っていれば「万が一」でも車掌に起こされるであろう。そんな計算があった。

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熊本より南に向かう列車は接続が悪く9時11分の発車だ。しかも電化区間なのにDCの運用である。時間が仰山あるので遅い朝食、というより「早い昼食」かもしれない食事を摂る。
熊本駅は現在のように「新幹線」が無い頃は、側線が沢山あり構内は広かった。現在はそれこそ側線跡地を新幹線ホームに利用している。
電化区間をDCに揺られ八代過ぎ出水に到着。ここから「電車」に乗り換えいよいよ西鹿児島に到着した。到着したのは14時14分!夜行列車を2回乗り、まる1日半以上かけようやく「18」で乗れる列車のみでたどり着いたのだ。現在では列車のみで東京から鹿児島まで到達しようとすると半日潰れてしまうが、それでも格段の進歩。鹿児島に新幹線が来る事自体、私は画期的と思うが、30年前には考えられなかった。その時代に1日半かけて鹿児島に行くなど、どう考えても時間のロスだ。しかし学生である以上、経済的な制約があるため特急などの「別料金物」とは無縁の世界であった。しかしながら、それを逆手に取り「楽しむ」という知恵を知らず知らずのうちに備えていた。

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さて、旅の目的は鹿児島に来ることではない。この先さらに「奥地」に進み「鹿児島交通」を制覇する。それが目的でここまでやってきたのだ。指宿枕崎線に揺られ枕崎に着いたのは17時3分。もう夕方だ。枕崎駅は全て鹿児島交通が管理しており、国鉄は業務を委託していた。約1時間のインターバルののちにいよいよ鹿児島交通に挑む。そして伊集院まで完乗しそして今度は再び鹿児島本線を北上し「東京」目指していく。この際に鹿児島本線に乗った混合列車「2038レ」と鹿児島交通に関しては当ブログで別途紹介しているのでぜひご覧いただきたい。
2038列車に揺られ八代に着いたのは深夜1時5分。混合列車、つまり貨物列車と旅客列車がひとつの編成となっているため貨物列車の役割も果たしている。旅客列車の終点は八代であるが、貨物列車は熊本が終点だ。旅客の車両は「回送」という形で熊本へ向かう。しかし私達は八代よりもっと先に進みたい。いっそのこと、車掌にお願いして熊本まででも乗せてもらいたいと本気で考えていたが、断られるのを100パーセントわかっていたため八代より後発の急行「かいもん」で鳥栖まで「別料金」で向かうことにした。


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1983年・春<青春18>②

東京より恒例の「大垣夜行」に乗った私は、予定通り「大垣ダッシュ」を敢行。そして東海道線と山陽本線を駆使して一気に門司港に行く。途中神戸、姫路、岡山、広島、小郡、門司と乗り換えた。「神戸」の乗り換えはおそらく「いい旅チャレンジ20000km」の証明写真を撮影するためであろうと思われるが、先発の列車でも神戸で一本遅らせても姫路辺りでの乗り換える列車が同じになると思われるので、単なる「悪戯」であろうと思う。とは言うものの、自身で作成した計画、その「悪戯」さえも記憶にないところであるが・・・

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さて、いよいよ九州入りを果たすが、現地の「門司」に着いたのは22時01分。夜10時の到着だ。門司港発の「ながさき」に乗るのは22時40分である。果てして座れるのか・・・と思いきや、意外と待っている乗客は少なく、密かな「読み」通り、待ち時間を少なくして効率の良い計画・行程となった。門司港に着いたのは22時16分なのでインターバルは30分を切った約25分。待ち時間中、退屈する時間は無かった。別のホームには急行「かいもん」とボンネット仕様の特急「有明」が停車中であった。もちろん「収め」に取り掛かる。自慢のカメラを被写体に向けるが、二人旅の為、一人は「座席確保」の為に列に並ぶ。この「交代」ができるのは、複数で行く旅の長所であることを十二分にフル活用する。

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急行「かいもん」に本当は乗りたかったが、きっぷがそれを許さない。私たちは予定通り「ながさき」に乗り込んだ。ところで「かいもん」と、普通列車に「愛称」が冠されているが、その理由に「寝台車の連結」がある。僅か1両であるが、普通列車に寝台車が連結されているのは、今考えたらすごい違和感!しかも20系以前の客車・・・10系の客車寝台である!マニアなら是非乗りたいはずであろう。
しかし私たちは寝台車ではない「旧型客車」である。途中、博多までは「へんなおじさん」に絡まれていささか嫌な思いをしたが、それ以降は「寝る体勢」になる。「ながさき」は文字通り長崎行であるが、途中早岐で佐世保行を切り離す。そして「ながさき」はなんと大村線経由で長崎に向かうのだ!つまり昔の「長崎本線」のルートをそのまま再現しているのだ。

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1983年・春<青春18>①

鹿児島交通廃止!の情報を察知した私は、早速予定を組んだ。廃止予定日は1983年3月31日であった。結果的に廃止は延期されたが、「延期」であり、結局廃止されてしまった。その「Xデー」に鹿児島に着くように予定を組み、なんと「青春18」で鹿児島入りするという、なんとも無謀な計画を立案した!参加者は私と「鉄道研究クラブ」の部員1名の合計2名での出陣であったが、所謂「部活」ではなく、あくまで「個人」での旅となった。

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さて、あくまでも「個人の旅」の為、相方と一緒に「西寒川駅」より出発し、東京駅で3時間待つ「大垣夜行」に乗る恒例の行程となった。今回は二人旅の為、ボックス席には面識のない二人と同席となる。
途中、静岡地区は「快速」となり主要駅のみの停車となるが、夜行列車の性格上、静岡や浜松等での停車時間が長い。そしてその停車時間に「フレートライナー」等の貨物列車にガンガン抜かれる。初日の為、夜行列車では当然熟睡できないため、この主要駅で「深呼吸」するためホームに出る。この「深呼吸」がなかなかいい「息抜き」になる。静岡では深夜の時間帯なのに「駅弁」を売りに来る!さすがに中学生の私には高価な食糧のため「指を加えてる」だけであったが、いつしかゲットしたいと思っていた。

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終点大垣に着くと、恒例の「大垣ダッシュ」が待っている。鉄道愛好家の方ならご存じの光景であるが、簡単に解説すると、大垣より先、東海道線の列車に乗り換えるため、座席確保に命を懸ける。そのため跨線橋を大勢の乗り換え客が「ダッシュ」するという光景だ。その光景は現在も「ムーンライトながら」に引き継がれてはいるが、その「ムーンライト」も臨時化されて久しい。しかも本数が減少しているので「フェードアウト」もしかねない状況ではあるが、ぜひこれからも走り続けてほしい。
座席は無事確保でき、これより只管西へ向かう。かつては「ザ・ビートルズ(ずーとるびではない)」の前座も務めたことのあるビッグバンド(?)の「ゴー・ウエスト」というタイトルの曲にでも乗った気分で「門司港」を目指した。

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ダイヤモンド☆トナカイ

Author:ダイヤモンド☆トナカイ
所在地:神奈川県湘南地区

〇2013年6月11日、北陸新幹線長野駅にてJR全線制覇いたしました(当時)。
国内の鉄道は、沖縄の「ゆいレール」を残し全線制覇しました。(とは言うものの、2015年3月の北陸新幹線延伸によりJR全線制覇は「ベルト返上」しました)

★ ブログ記事の「リメイク版」は、以前にホームページで紹介した旅日記をブログでリメイクしたものです。


◎ブログの登場人物

★ ダイナミック☆トナカイ
・・・中学時代の後輩で、2013年に約30年振りに再会を果たした。数多くの写真を提供していただいた「盟友」でもある。

★ おさる・・・かつて私がバンド活動をしていた時のメンバーで、鉄道復活のきっかけを作ってくれた人物。彼とは「秘境駅」を数回訪問した「親友」でもある。

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