近鉄バッファロースリーパー②

今回の近鉄全線制覇は約2.5日かけての制覇計画である。「週末フリーパス」と銘打っているからには3日間の有効期限があるが、土日を絡めた計画のため時刻表もかなり気を使って目配りをしなければ「平日」と「休日」を間違えてしまいそうである。
早速であるが、私は一路関西方面に向かうため「のぞみ1号」を新横浜で捕まえ、ビジネスマンと共に快適に名古屋まで過ごした。今回の近鉄制覇は名古屋スタートである。名古屋に7時36分着、新横浜から約1時間20分で着くとは時代も変わったものだ。仮に「18」で来ていたらどうなっていたであろう・・・というより行った時期がまだ18使用開始期間前であったため新幹線にせざるを得なかったが、それはそれで快適でいい。
新幹線ホームより近鉄乗場へ移動する。いよいよ近鉄制覇の時が来たかという思いで、事前に「近ツー」で購入しておいた「週末フリーパス」を改札で丁寧に見せる。近鉄最東端のターミナルだけあって構内は広く堂々の風格であるが、そのため自身が乗る列車を探すのにも苦労する。

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(近鉄名古屋にて。第一投目はこれに乗車したかったが、残念ながら急行列車でのスタートとなった。)

第一投目は「ビスタカー」と行きたかったが、四日市で乗り換える都合上「急行」へ乗車。近鉄四日市から枝分かれする支線各種を処理する。まず「湯の山線」から攻めていく。「処理」という軽い感覚での制覇のつもりが、いきなりローカル風情たっぷりで、出だしから「必殺技」を食らった思いだ。終点の「湯の山温泉」という駅名からもわかるように、こちらはとても情緒ある温泉街の駅で、山の中にあるひっそりとしたイメージであるが、生活路線としても活躍し、時間帯的に若干その手の乗客で犇めき合う車内であるが、その数は多くなく穏やかな時間が流れて行った。

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(湯の山温泉駅。穏やかな時間が流れていく、山中の温泉街にある駅だ。)

近鉄四日市に戻り、地上ホームに移動する。そう、今度は「ナローゲージ」で有名な内部線と八王子線を一気に制
覇する。地上ホームは若干徒歩を要するが、ホームからはいつも制覇の旅で利用する宿泊施設がデーンと構えておりなんだかホッとしてしまう妙な感覚を覚えたが、次回来る時には是非お世話になろうという知識も得た。そんなホームに小柄な車体が顔を出した。かつての軽便鉄道の面影を残し現在も活躍するが、2012年には「BRT化」が発表され、遅かれ早かれ「過去のモノ」と変化していくのは時間の問題であろう。
高架下の近鉄四日市を出て15~16分位でもう終点の内部に到着。少ない停車時間で改札に向かうとモダンな駅舎が私を迎えてくれた。そのまま折り返し日永で乗り換えるが、既に時間帯から考えてピークは過ぎているが乗車してくる「お客様」は少なくなく、普通に生活路線の風景であった。
約10分程で日永に到着。八王子線で西日野に向かう。「八王子」「日野」と、何かどこかで聞いたような地名が続き地元と錯覚を起こしてしまいそうだが、ナローゲージに揺られているとそんな普段の生活も忘れてしまうほど穏やかである。

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(内部駅舎。生活路線としてしっかり地元に根付き機能していると思われるが・・・)


約3分程で西日野に到着。約10分のインターバルで四日市に折り返す予定だが、のっけからきめ細かい乗り換えで、計画当初から予測はしていたものの、この状態が5日間続くと体力的はともかく、精神的にどうか不安になってくる。
四日市より再び名古屋線の急行で、今度は伊勢若松に移動。鈴鹿線の制覇に取り掛かる。鈴鹿と言えばもちろん「サーキット」で有名であるが、終点の平田町は最寄りの駅の一つであるため、開催時には臨時列車など運転されている。途中の鈴鹿市は線内唯一の交換駅で、意外に周囲は開けており商業施設が多く、にぎわいを見せていて「駅前」の風格である。

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(内部駅にてのナローゲージ車両。駅構内には車庫があり色々な列車が犇めき合う。)

伊勢若松に戻り急行列車で白子に行き特急列車に乗り換え一気に賢島へ向かう。いよいよ特急で快適に過ごせるのであるが、特急料金が発生するため財布の「具」の減り具合が早いのは気のせいか?まぁ、あまり気にしないことにして一気に賢島に向かう。途中、やはり日本有数の観光地や参拝施設を通り過ぎ景色も美しい。賢島は「牡蠣」や「あおさ」等の海産物の他「真珠」は特に有名であり、英虞湾の観光施設の玄関口となっている。しかしながら私は全く興味を示さず、空腹を満たそうと駅構内にその設備を探したが、満足できる設備は無く、駅弁を買い折り返し特急の中で食べることにした。併せて「近鉄時刻表」も購入。非常事態にも対応できる体制が整い、いよいよ本格性はに向けて気合が入った。


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鉄道全線完全制覇の旅

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近鉄バッファロースリーパー① 

2012年7月、私は高校時代の修学旅行以来振りに近鉄を訪問した。近鉄と言えばかつては野球チーム「近鉄バッファローズ」のオーナーでもあり、藤井寺球場が本拠地であった。

そんな時代は既に過去のモノと変化してしまったが、本業の「鉄道」では現在もJRを除く日本の鉄道事業者中最長の508.2kmの営業キロを誇る。その旧・国鉄以外の民鉄「日本一」の路線を、乗り潰しの「プロ」として今まで据え置いて来たが、いよいよ機が熟したか、制覇の時を迎えた。
今回は「近鉄週末フリーパス」と「スルッとKANSAI」を使い関西私鉄の未制覇区間全線制覇と合わせて5日間の予定を組んだ!

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(賢島での近鉄特急共演。駅設備が若干前近代的な感があるのが気になるところであるが、週末ということもあり、観光客の姿が目立った。)

まず「近鉄週末フリーパス」であるが、土日を含む3日間が有効で近鉄全線乗り放題の優れものだ。特急乗車時には別途特急券を購入すれば乗車できるので大変便利である。とはいうものの、特急ばかり乗っていたら、それこそ「週末フリーパス」を4~5枚購入出来そうであるが、適度に乗れば、おそらく2日あれば全線制覇できる。私の計算でも2日あれば全線制覇できることが弾き出され、今回はかなり余裕に見えた。しかしJR以外の関西の私鉄未制覇路線を全て制覇するという事を組み合わせると、これまたなかなか手ごわかった。しかし何とか5日間で全て納まり、どうやら一気に制覇できる見通しが立った。あくまで卓上での計算に過ぎないのであるが・・・
5日間と言えば、3日間有効の切符を2組持つということで、1日だけダブル日が出てくる。まぁ、それはそれで逆に楽しみであったが、いざ実践してみると、3日目まではともかく、4日目辺りから集中力がやや鈍ってきた・・・果たして最後まで持つのか。次章で早速紹介してみよう。


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姿なき挑戦者⑤ 急行「銀河」51号

おや?と思われる方もおられるであろう。なぜプロパーでの「銀河」ではなく「51号」なのか・・・実はワタクシ、銀河に乗った事がありませんので・・・近年まで存在した寝台急行「銀河」の晩年は24系の寝台車で身をまとい、まるで寝台特急「ブルートレイン」であった。しかし、私のイメージはEF58牽引の20系寝台車姿の列車であった。そんな列車にいつしか乗車してみたい思いであったが・・・

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(東京駅にての急行銀河。EF58が牽引していたが、晩年はEF65であった。画像はミックスマテリアル様提供。)

私の初めて乗車した座席夜行列車、その名も「急行銀河51号」。51号と名の付くからにはひとめで「臨時」とわかるであろう。1981年夏、私は座席夜行急行列車「銀河51号」に乗り関西方面へ向かった。目的はというと、同じ年に開催された「神戸ポートアイランド博覧会」に観客のひとりとなるためだ。いわゆる「ポートピア」であるが、現在も走るあの新交通システム「ポートライナー」に乗車する目的もあったのだ。

現場に行くのになぜか「51号」を選んだ私だが、理由は簡単で「経済的」な部分が絡んでいたのであろう。寝台と座席で5000円~6000円位の差があった記憶であるが、夜行=寝台のイメージしかなかったため、この「座席」で夜を過ごす初体験にいささか胸の高鳴りを覚えたものだ。

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(印象的なテールマーク。今となっては懐かしい。画像はウィキより転用。)

さて、私は「51号」で神戸の「ポートピア’81」へ向かう。今となっては夜の東海道など、いわば「ムーンライト」で散々お世話になったせいか見慣れた景色である。と言っても真っ暗の為景色は見えず、ただ只管寝る作業しか選択肢が無いのはつらい。東京発は22時丁度発。私が乗車した急行「銀河51号」は確かEF58牽引の14系座席客車である。東京発夜行列車のオール座席客車は当時でも大変珍しかったであろうが、私は初めて体験する座席で迎える夜はいささか窮屈だったようだ。どうせなら、それこそ各メディアで当時論議されていた「583系」で運転しても良かったと思うくらい14系座席はいささか疑問であった。一応指定席券は大阪までであるが、実は京都で下車している。6時59分着となんだか遊び心をふんだんに取り入れた到着時間である。
大船・小田原・熱海・沼津・富士・静岡・浜松・豊橋と停車するが次の停車駅が米原である。豊橋で3時半くらいでも停車するのに名古屋を通過とは!なんて格式高い急行列車なのであろうか。一応運転停車はするが、なぜに名古屋だけ欠落するのか・・・レギュラーの「銀河」も名古屋は通過であるが、こちらは「寝台急行」の為まだまだ納得の余地はある。しかしカリソメにも「51号」なる臨時列車の、しかもオール座席にも関わらず、名古屋を見捨てるのか・・・

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(14系客車急行の代表格であった「ニセコ」。銀河51号もこんなイメージだ。画像はウィキから転用。)

米原付近では外は明るくなってきた。夏の夜明けは早いが、東京と比べるとやや時間差がある。臨時列車ながら「銀河」はプロパーの姿と違い寝台は無いが、補完するという意味ではしっかりと役目を果たしている。
やがて京都に着くので私たちは下車の準備をする。ハッキリいて車内ではテンション高くいささか寝不足状態だ。
そして京都のホームに足を踏み入れた。予定では親戚が迎えに来ているはずだ。とは言え、私はこの「親戚様」とはほぼ初対面である。幼少時代に一度お目にかかったみたいだが、ハッキリ言って記憶が薄い。というのも「父の母の姉」、つまり「ウルトラ作戦第一号」で紹介した「玉乃井」さんの姉らしいのだ。ほぼ全く面識ないといっていい状態であったが、私たちをホームまで迎えに来てくれていた親戚様はすぐに「その人」とわかったのだ。今考えてもすごく不思議であるが、すぐにお互いにわかり、私の方から軽く会釈をした。お互いに時空を超え、すぐに溶け込んだ。そしてお世話になる宿泊施設を紹介してもらい市内をいろいろ案内してもらってからお別れした。
恐らくその親戚とは最初で最後の単独でのコンタクトであったと思うが、私ほど「京都」が似合わない人物もいないであろうという人間を快く迎え入れてくれて、大変感謝の思いでいっぱいであった。
その後は京都をベースに神戸方面への撮影会兼観光が始まるわけだが、ハッキリ言って座席の夜行は初めてであったため体力的にハードであった。私はいいとして、同行した友人二人はどのような思いであったのであろうか。
体も心も「臨時」的に迎えた京都の朝は「町並み」「風情」とは関係なく「鉄道」という名のカテゴリーが我々の時間に進行していった。

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姿なき挑戦者④ 急行「伊豆」

「伊豆の踊子」と言えば川端康成の代表作である事は私が説明するまでもなく周知の事実であるが、かつて国鉄が東京~伊豆方面への優等列車に夢を抱き期待を込めて付けられた愛称が「踊り子」である。現在ではすっかり定着しているが、登場当初はデビューしたばかりの185系で運用された。しかし私は185系が特急としての運用ではどうも馴染めず、風格というか、何か特急としては物足りなさを感じていた。しかし普通列車での運用となると話は別である。日曜日の朝、5時50分発の始発で寒川から相模線に乗り茅ヶ崎で東海道線に乗り換える。あの長い跨線橋を3分で乗り換えなければならないというプレッシャーから若干ダッシュ気味に走るとすぐに6時2分の東京行がやってくる。その列車が185系で運用されているのだ。休日ということもあって乗客は僅少で、私のような「鉄道研究クラブ」というクラブ活動集団が乗車すれば、その車両はすぐに「専用」となってしまう。
当時の185系は転換クロスシートで特急としてはあまり向いてない印象だったが、初めて見る転換クロスシートにいささか感激を覚えた。

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(153系湘南色の急行「伊豆」。私の思い出史に残る列車だ。画像はウィキから転用。)

特急「踊り子」となる前は、特急「あまぎ」と急行「伊豆」が伊豆方面への需要を支えていたが、「踊り子」一本に統一された。そんな時代の流れの中で、急行「伊豆」は、私にとっては初めて乗車した急行列車(だと思う)である。湘南色の153系で運用されていた列車に、私は伊豆の下田まで乗車したのは1977年夏、小学3年の時であった。ところでなぜ行先が下田なのか?理由は簡単だ。なぜなら下田に親戚がいるためである。伊豆急下田の駅前で小さなクリーニング店を経営しているが、私の場合の伊豆はどうしても「観光」にはならない。小さい時から散々車で親戚宅に行っていたので「観光」の気分にはどうしてもなれず、親戚宅訪問の印象がとても強い。
153系のみならず、確か155系でも運用されていた事がわずかに記憶にあった。単に薄い記憶に過ぎなかったため事実関係が不安であったが、ウィキで確認したら確信に変わった。臨時ながらあの「修学旅行カラー」で運用されていた事がわかったのだ。

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(伊豆急下田に停車中の155系。修学旅行専用列車として運用されていたが、多客期には臨時の「伊豆」で運用されていた。画像はミックスマテリアル様提供。)

やはり一度は155系に乗車してみたかったが・・・私の「伊豆」は153系であった。私は当時寒川町在住であったため相模線で茅ヶ崎に出てから東海道線に乗り小田原まで出た。そして小田原から急行「伊豆」に乗り換え下田に向かった。とりあえず両親は後で親戚宅にて合流することとして小学3年生の少年が夏休みを利用して一人で乗った列車だ。既にこの頃は東京の親戚などにも一人で行けるまでに成長。だが他の友人とかに聞くと、この一人での行動は「ありえない」らしい。まず親が許さないいとか、どの列車に乗っていいのかわからないとかいろいろだが、私は自然に、普通に行動しているだけなのだ。小学2年生くらいには熱海より西に行きたい思いから「静岡」まで行ったり、小田急のNSE乗りに行ったりと、今考えてみたらずいぶんと行動派の小学生であったと思う。まぁ、「静岡」を選ぶあたりが渋すぎやしないかと心配する部分もあるが、当時の静岡駅はちょうど高架化の最中で、上りまたは下りのどちらかがまだ地上駅であった記憶がある。工事中の静岡駅など、かなり貴重な体験であろう。

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(伊豆急下田駅に停車中の159系。正面ライトの位置が155系と若干違う。画像はミックスマテリアル様提供。)

さて、小田原を出た私は勇んで伊豆急下田に向かう。下田駅に着いたら親戚宅に電話して迎えに来てもらうこととなっているが、なんてったって小学生。何もかもが新鮮に映る。確か茅ヶ崎のキヨスクで買った冷凍みかんをほおばりながら、消えては現る海原の輝きを眺めていた(ところで現在キヨスクで冷凍みかんは売っているのであろうか?)。昔の列車は窓を開閉できたので、窓枠の洗濯ばさみみたいな部分をつまみながら窓を開ける。心地よい潮風が頬を伝う夏の伊豆半島を初めて乗る急行列車の車内で胸高鳴る無邪気な少年など、我ながらに可愛いではないか!
伊豆高原には伊豆急の車庫があり若干ながら私の目を楽しませてくれたが、何せ初めて一人で乗る急行列車に、何か誇らしげで再び冷凍みかんを頬張る。なにかすっかり冷凍みかん三昧となってしまったが、下田に着く頃には何か降りるのが惜しい印象を覚えている。皆様も一度は体験しているであろうが、このときは特に「後ろ髪引かれ隊」であった。

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(185系も登場してかなりの年月が経つ。そろそろ世代交代の時期でもあろう。画像はウィキから転用。)

「踊り子」は、停車駅的に考えて急行「伊豆」の格上げであろう。後年に現れた「スーパービュー」は、完全に「あまぎ」の後を継ぎグレードアップに成功した。進化していくということは嬉しい限りだが「昔ながら」がなくなってしまうのも寂しいものだ。人それぞれ、何か「あるもの」「懐かしいもの」を見つけると、その時代の背景や自身の生き様が投影されるものだ。私の場合は、今回たまたま急行「伊豆」であったが、その時代の背景や出来事など、忘れかけていた思いが甦る。ひとつの失われた列車であっても、こんなに純粋で無邪気であった昔の自分に出会えることができた。いや、急行「伊豆」を思い出すたび、いつでも昔の自分に再会することができるのかもしれない。私自身の晩年に、こういう「旅」をいくつも思い出す、そういう旅をこれからも続けて行きたい。

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姿なき挑戦者③ 中央本線441M・442M

いわゆる中央東線にかつて普通夜行列車が走っていた。おや?と思われる方もいらっしゃるであろう。「ムーンライト信州」が快速列車で臨時ながら現存しているが、その原型と言えるかわからないが普通列車で夜行が存在した。いや、「ムーンライト信州」の原型は急行「アルプス」の夜行バージョンかもしれない。そう、中央線の夜行列車は普通列車と急行列車の2本立てであった。ムーンライトの行先を考えたら「アルプス」の方が原型かもしれないが、私はいわゆる「中央夜行」に拘った。その昔、この中央夜行は旧型客車で運転されていたが、青春18が登場して私が全国を巡るようになってからは既にスカ色の115系に置き換わっていた。もちろん運用の関係であろうが、まず新宿に旧型客車が入線していたのが信じられない。そして置き換わった夜行列車が115系の運用とは!現在は全く考えられない事実である。普通に「近郊型」の車両をあたかも「夜行」に充てるとは・・・セミクロスシートであるため当然「ボックス」を選ぶのは自然であろう。そして当時は全席自由席の為座席の確保の大変である。新宿~長野を運転しているが、当然新宿発は座席の確保に発車2時間前くらいから並ばなければ難しいであろう。しかし上り列車は松本から乗車しても全然空席が目立ち、楽々睡眠がとれる。
私は上り442Mを長野~新宿の全線、下り441Mを新宿~小淵沢まで利用したことがあるが、今回は上り442Mに乗車した時の思い出を紹介しよう。

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(現在においての中央線夜行列車「ムーンライト信州」。臨時ながら大いに活用できる。)

1982年、春に登場した「青春18」が大反響で好評であったためか、夏にも登場。早速予定を組んだ。この旅では上越線の普通夜行、中央夜行、紀勢本線夜行「はやたま」、普通夜行「山陰」と、現在では全く「姿なき」豪華メンバーに乗車しており、自身でも過去の自分をうらやましく思うほどである。
信越本線で長野入りしたのが16時22分である。18時半の発車まで2時間近くあるが、これは座席の確保の為わざわざ時間を作った「作戦」であった。だが、この作戦が見事に外れ、出発時間になっても座席の埋まり具合は3割程度で、2時間待つのがもったいないくらいであった。しかしながらこの余裕での乗車はとてもゆったりした気持ちで東京入りできるので、落ち着いて睡眠がとれる。
松本までは篠ノ井線を経由するが、途中「姨捨」では日本三大車窓のひとつになっており、夜には文字通り「夜景」が堪能できる。というより、当時はスイッチバックの方が気になる存在であったため、その工程ひとつひとつの確認作業に忙しい。とても景色など観ている暇などない、イチ鉄道少年であった。
松本ではきっかり1時間停車。新宿到着までの時間調整を行う。降りて駅そばでも食べたい気分であったが「席を取られたらどうしよう」という観点から、ただ只管姿勢よく座席に座るのみであった。この時点で約21時である。

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(辰野に停車中の80系電車。隣のスカ色115系が私の乗車した中央夜行。)


そしていよいよ中央線を経由して新宿に向かうわけであるが途中、辰野では飯田線の80系湘南色が中央線の乗り換え客を待っていた。僅かにインターバルがあったので記念の一枚。鉄道少年の為、観光やグルメなどに全く興味を示さず、一目散にこういうことを行っていた。
やがて意識が無くなると、気が付けば八王子を過ぎていた。新宿到着は朝の4時23分。ちょっと早すぎないかい?と思うが、更に東京に出れば東海道線の始発に間に合うという特典もついてくる。その列車は静岡行きで8時53分着の為、そこで足りない分の睡眠時間を確保できるという優れものだ。この旅の経験から得た教訓は「上り夜行は空いている」であった。次回の計画に速攻役立てよう!そう心に誓った出来事は、一部の列車に当てはまらなかったものの、この教訓が後に大変効果が出たのは言うまでもなかった。


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ウルトラ作戦第一号⑦

大江に降り立った私は築港線の制圧に乗り出した。しかしここを予定に組み入れるのにはある程度の計画と計算が必要だ。というのは朝晩しか列車設定が無いからだ。しかしこの線は名古屋臨海鉄道東築線から東港線を経由し、JR東海の東海道本線へ接続され、また東名古屋港駅から西に名古屋港大江ふ頭への引き込み線が伸びているため、旅客も然ることながら、車両や資材の運搬等に使われ、地元の産業路線としても活躍している。また名古屋臨海鉄道東築線との交点はほぼ90度の平面交差となっており、阪急の西宮北口の平面交差が無くなった今、伊予鉄道と共に大変貴重な存在である。そんな築港線をいとも簡単に「制覇」の為に往復するのはもったいないが、とりあえず往復することにした。東名古屋港までの車内は私を含め「ローカル線」の風景であった。これも楽勝と高をくくっていたらとんでもないことが起こった。東名古屋港駅は、まるでコンサートなどの興行が終了し観客が家路につく九段下駅のごとくホームには人の山であった!私は「制覇の証」すら収める余裕もなく列車はいきなり200%くらいの乗車率に変身。これぞ築港線の「底力」を見せつけられた思いであった。

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(神宮前から金山までは複々線が1990年に完成。赤い電車が犇めき合う。)

築港線制覇後、再び神宮前に戻る。神宮前と言えば「北アルプス」を思い出す。かつて国鉄(当時)直通で神宮前~飛騨古川までの特急列車が運転されていたが、運用が無くなり鵜沼付近の短絡線も撤去されてしまい完全に過去のものとなってしまった。小学生であった当時、この「神宮前」などの駅名は、国鉄フリークの私にとってすごく斬新な駅名であった。そんな列車もJR時代の車両は現在、会津鉄道で活躍、第二の人生を送っている。

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(長い名鉄の旅も終了した。しかしまだまだ乗り足りない気もする。)

さて、神宮前を出た私は名鉄名古屋に着いた。この日の行程は終了し、駅構内の味噌煮込みうどん店で今回の旅を振り返った。気がつけば名鉄全線を制覇。しかしもう一日、明日は地下鉄制覇が待っていた。めでたく2日間で名鉄を制覇したのだ!しかし以前にあった岐阜市内線や揖斐線などが現存したとしてそれを含めると、恐らく2日間では制覇できなかったであろう。2日間全線フリーの切符は確かに2日間で全線乗ることができた。しかしただ「乗る」のみの場合が多く、降りてみたい駅などの訪問はごく一部に限られてしまった。もしこの切符を使って名鉄を乗ると決めたとしたら、当たり前だが「使い方次第」であろう。しかし切符1枚で夢を与えてくれる「名鉄電車2deyフリーきっぷ」は、場合によっては正規料金より高く付くかもしれない。ならば尚更あなたの「こだわり」に挑戦してみても良いかもしれない。あなたなりの「ウルトラ作戦」で・・・


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ウルトラ作戦第一号⑥

赤池に着いたが、豊田線と地下鉄は相互乗り入れしており豊田市まで直通運転の為、一気に豊田市に来た。再び三河線制覇の為猿投方面に向かう。路線図上では梅坪で乗り換える方が一見便利そうだが、豊田市で運転系統が起点となっており乗り換えに都合がいい。それと、ちょうど時計は「腹ごしらえしろよ」という時間を指しており一旦改札を出てのインターバルとなった。

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(豊田市で発車を待つ名鉄の赤い車両。二日連続赤い車両に乗りっ放しの為ノイローゼになりそうだ!)

駅前には大手商業施設が聳え立ち、向かいには旧・岡多線、新豊田駅がある。ちょっとした「大都会」的雰囲気を味わえる。さすが世界の「トヨタ」だ。
約45分のインターバルの後、早速梅坪方面に向かい、猿投より得意の折り返しで知立まで行き三河線を制覇した後、特急で神宮前に向かった。
そしてこれから海外旅行に行くわけでもなく「セントレア」に向かう。ちなみに「セントレア」とは「セントラル」と「エア」を連結させた造語で、なかなかオシャレである。似たような造語では、わが地元・相鉄の「ジョイナス」が古くからある。私が中学時代に英語の教諭がしきりに説明していたが「ジョイント」と「アス(US)」を組み合わせた造語である。

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(セントレアに到着。一体何しに来たのかと問われても困惑するが、とりあえず「制覇の証」の撮影の為、としか答えが見つからない。)

そんな国際的な駅を私はいとも簡単に折り返してゆく。恐らくこのような乗客はこの日は私意外に皆無であろう・・・
太田川まで来ると今度は急行で内海に向かう。富貴から知多新線と路線名が変わるが、内海と河和のどちらも直通運転がある。どちらから攻めても良かったが、たまたま乗った直通列車に身を任せる。
2面4線のホームは高架化され立派な設備の内海であるが、とても静寂な空気に包まれている。付近に海水浴場がありシーズン中はにぎわいを見せるらしいが、1月のホームには襟を立てる乗客の数は数えるほどだ。しかし私はこういう雰囲気がたまらなく好きだ。静かなホームに暮れてゆく陽の明かりが気怠さを誘う。このまま折り返してしまうのは後ろ髪をひかれる思いである・・・もう少し滞在しようか、いや、いっその事住んでしまおうか?と思わせるほど和やかな空間である。

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(内海駅は2面4線の高架駅。設備は立派であるが、一日平均約1600人位の乗降客であるが特急もやってくる。)

内海とはお別れしたくなかったが、私には神に与えられた「使命」がある。富貴まで折り返し、河和に向かう。こちらは櫛形ホームの2面4線で終着駅の風格だ。と言っても普段使用しているホームは限られていると思われるが、内海よりは格段に利用者が多い。
得意の折り返しで神宮前方面に向かうが、先ほどの富貴で乗り換える。急行列車に乗り換えて大江に行くのだ。

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(富貴駅舎はなかなか「ローカル」な趣きがある。とても名古屋近郊とは思えないくらいの風格だ。)

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ウルトラ作戦第一号⑤

二日目の朝、東横〇ンの豪華な朝食を平らげた後、早速駅に向かった。若干雲があるものの、広く晴れ渡り清々しい。今回の旅は地下鉄制覇も含まれているため、宿泊先の丸の内駅から中村区役所駅まで桜通線の一部を制覇した後、名古屋より名鉄制覇のスタートとなった。まずは羽島に向かうため岐阜方面の列車に乗る。国府宮で普通列車に乗り換え笠松より竹鼻羽島線に乗る行程である。ところが、新名古屋、いや、名鉄名古屋からの地下区間より地上に出て驚いた。それは一面銀世界の街並みであり、街が白く染められていた。しかも吹雪いているではないか!朝TVで確認した段階では雪の一文字も出てこなかったのであるが、丸の内付近と中村付近では天候がこうも違うのか?と自身の目を疑った。列車に運休が出なければいいが・・・
やがて笠松に着いた。乗り換えの為ホームで待とうとするが・・・ますます雪の降りが激しくなり、吹雪がダイレクトに頬を叩く。とてもではないが列車など待ってられない・・・

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(笠松駅で列車を待つ。ほんの数十分でこんなにも景色が変わるものか・・・)

仕方なく私は跨線橋の陰に隠れて身の安全を確保する。やはり列車に遅れは出ているものの、運休はなさそうなので一安心。だがやはり寒い・・・
やがて羽島行きの列車がやって来たので足早に乗り込む。新羽島で速攻折り返し、直通列車で一気に名鉄岐阜に向かうが、途中の江吉良より大須方面への分岐があったが、現在は既に無い。その分岐点は現在も面影あるが、江吉良自体は棒線化されていて非常にシンプルだ。しかし接続駅だったとしては物足りない印象である。

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(新羽島駅も雪の中。開業は比較的新しく、1982年だ。)

名鉄岐阜までは直通列車で一気に来た。ここで各務ヶ原線に乗り換えるのであるが、岐阜ではかつて市内線の存在があった。名鉄も20年、30年前に比べたらかなり減量した印象である。「2dey切符」ではとても全て収める事が出来なかったであろう。それくらいの網の目状態の印象が強かった名鉄であるのだが・・・

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(新羽島でも雪が叩きつける。この先大丈夫であろうか?)

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(名鉄岐阜にて。何か洗面器などで雪を叩きつけられた感じの印象だ・・・)

さて、各務ヶ原線で犬山へ向かうが、途中「犬山公園」というなんとも微笑ましい駅があるが、近年まではここから動物園までモンキーパークモノレールが接続していた。「犬山」なのになぜ「モンキー」なのか詳細は不明であるが、私が訪問する直前くらいに(正確には約1年前に)廃止になってしまった。かなり派手なペイントで私達を楽しませてくれたが、やはり時代の流れか・・・
犬山は名鉄の駅ではかなり「大きい」部類の駅であろう。この大きい駅より小牧線で名古屋の中心部を目指す。

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(犬山駅。構内は広く、四方から路線が集結するが、若干構内工事中の構内も銀世界に包まれた。)

小牧線は急行などの設定が無く各駅停車での訪問となるが、かつては上飯田で線路が途切れ、何とも使い勝手の悪い路線であった。なぜこのような現象が起こったかは歴史が語る。その昔、上飯田でいわゆる「路面電車」が接続していたが、時代の波と共に路面電車が廃止となり上飯田駅が孤立してしまった。このような状態では当然利用者が増える訳もなく完全に「ローカル風景」と化していたが、2003年に平安通まで地下鉄が開通し相互乗り入れを開始すると利用者が飛躍的に向上。小牧線が復活したのだ!普通列車しか設定がないのが残念であるが、平安通で地下鉄に乗り換えられるのが非常に便利で使い勝手が良い。せっかくなので別料金で地下鉄を使い、その便利度合いを確かめながら赤池に向かった。


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鉄道全線完全制覇の旅

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ウルトラ作戦第一号④

さて、蒲郡より更に名鉄を乗りつぶす計画を進めていくわけだが、このまま蒲郡線を折り返しては若干時間がかかる。そこで私は奥の手を惜しげもなく披露した。それは「青春18」を使い「新快速」に乗る事だ。なぜ青春18?そう、ムーンライトで名古屋入りしたわけだが、まだ日付が変わっておらず、まだ「有効」なのである!もちろん計算されての事であるが、名鉄の乗り潰しに「青春18」をここで使うとは・・・三沢で言うタイガースープレックス’85のような使い方か?(何のこっちゃ?)

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(名鉄名古屋駅は島式ホーム一本と両側に対向式ホームがあり、3面2線の構造である。乗車ホームと降車ホームが分かれている。)

名鉄が主役なのにJRの新快速に乗り刈谷に到着。ここより再び名鉄の旅を始める事になる。まず三河線で碧南に行く。先述した吉良吉田に行けないのは辛いところであるが、碧南より折り返し知立で本線の快急に乗り換え名鉄名古屋で急行に乗り換える。本線は優等列車が運転され移動には便利であるが、各々の駅が楽しめないのが若干残念である。
名鉄名古屋では快急から急行に乗り換えるのであるが、乗車ホームと降車ホームが分かれているため階段を仕様しなければならない・・・乗降客も、中心駅の為かなり多い中、この階段の登り降りにはかなり気が重い・・・

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(新可児まで一気に移動。フリー切符ならではの乗り潰し方だが、南から北へ忙しい。)

そして広見線を制覇するため一気に御嵩まで行きたいのだが新可児で乗り換えが必要だ。新可児ではスイッチバック式になっており、全列車が停車する。広見線はここで分断される事になるが、新可児を直通するには2番線を使う以外に方法はない。直通する列車は無く1番線が御嵩方面専用ホーム、2・3番線は犬山方面となり、このホームの行き来にはまたまた登場する「中間改札」がある。やはり末端部分は苦しいのか・・・
さて、御嵩を折り返し広見線を制覇した私は新可児でまたもや奥の手を再び披露。今度は「タイガードライバー’91」張りの荒技のように「18きっぷ」を握りしめ、いざJR可児へ向かった。両者は至近距離にあるとはいえ、なんと5分で太多線に乗り換えてみせた!JR側に到着したらすぐに列車が来ると思ったが、若干待ち時間が感じられ余裕のひと時でもあった乗換であった。

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(御嵩のひとつ手前の「御嵩口」。ふたつ手前の明智からは八百津線が2001年まで分岐していた。)

JRと愛知環状鉄道を駆使しいよいよ本日最終の瀬戸線を制覇する。瀬戸線と言えば、かつて「あるもの」が有名であった。瀬戸市より徒歩を要し名鉄乗場である新瀬戸より名鉄を再開。尾張瀬戸で末端区間を折り返し「あるもの」の方向へ向かった。その「あるもの」とは・・・ガントレットである。ガントレットとは、いわゆる複線同士を重ねた区間で、ポイントなどで線路はひとつにならずに重なり合う区間をいう。私の物心ついた時には名鉄瀬戸線の本町駅付近に日本で唯一あった区間である。もちろん私の訪問時には廃止されていたので見ることはできなかったが、新線区間の終点・栄町でこの日の行程を終了。この後宿泊先に向かう前に、事前に調査しておいた名物「味噌カツ」を食するため、栄町駅付近の飲食店に駆け込んだ。

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(赤・赤・赤!赤一色の列車たちは、一般の人には見わけがつかないだろう。)

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ウルトラ作戦第一号③

参拝するわけでもなく豊川稲荷「駅」に来た私は更に名鉄路線を制覇するべく本線に向かって折り返す。国府で乗り換えなしで直通する快急で新安城へ向かった。しかしこの列車に乗る前に気付いたのだが、実は計画よりも一本列車がずれているのだ。つまり一本後の列車の乗っている事になる。どうやら計画の段階で一列時刻表を見間違えてしまったようだ。それと、今回は「かさばる」という理由から時刻表を持参しなかった。というより「私鉄時刻表西日本版」しか名鉄の時刻を知る術が無く、その時刻表も改正前の物であったため役立たない。現地で「名鉄時刻表」なるものがあれば購入するつもりであった。しかし駅員やカレチ氏にお伺い立てても駅単位の時刻表しか提供していただけず、私のイメージしている「時刻表」とは違った。近鉄や小田急などは「時刻表」が市販されているので名鉄もあるかと思いきや、答えは「ノー」であった。

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(豊川稲荷にて。この辺から私も名鉄に馴染んできた。)

しかし現代の世の中、インターネット時代。携帯電話を駆使し名鉄サイトから時刻表検索で旅を進めて行った。こんなことは初の体験であったが、私なりにも若干の計算があった。それは、どうせ「大手私鉄」であるのだから列車は頻繁に運転されているであろう、そして各枝線にも接続が良いであろう。そして乗車ルートをあらかじめ決めておけば、かかる時間は同じなのだから計画の列車に乗らなくても計画コースを辿れば到着時間は違えど、ちゃんと最終的にゴールするのではないか?そんな今回の名鉄乗り潰しは、私にとっては全く初の試みだ。この考えが逆に「計画通り」に事が進み、時刻は違えど順調にコース通りに制覇していった。これも所謂「ウルトラ作戦」のひとつであるのだ!

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(知立で特急列車を見送る。次回訪問の際には是非乗車しなければいけない車両だ。)

さて、新安城より西尾線に乗り換えて吉良吉田に到着。ここで蒲郡線に乗り換えて蒲郡に向かう。この吉良吉田であるが、周知の通り、かつては碧南まで三河線のレールがつながっていたが2004年に廃止された。駅は蒲郡線と西尾線がYの字に交わるような形をしており、乗り換えの際には中間改札がある。蒲郡線がワンマン運転のための措置と思われるが、考え方としてはJR鶴見線の鶴見駅の中間改札のようなイメージであろう。だが、路線図上で見れば一本なのに吉良吉田で中間改札があり乗り換える手間がある。またそれぞれの路線で2面2線のホームがあるため維持経費もばかにならないであろう。余計な心配かもしれないが、どちらかに統一してしまった方がスッキリすると思うのは素人の考えであろうか?

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(吉良吉田駅ホームから旧・三河線方を望む。途切れたレールが痛々しい・・・)

蒲郡に着くと、真新しいホームが迎えてくれた。2008年に名鉄の高架化が完了して島式ホーム1本となったが、JRも2005年に高架化され以前の面影はなく、駅前もすっきりした感がある。蒲郡で若干時間を作り昼食をいただくことにした。私の列車の旅は、ずっと列車に乗りっ放しの状態が続く計画ばかりであったが、このように途中の駅で小休止するのも悪くない。こういう発想ができるようになったのも年齢を重ねたせいか?コースのみ決めておいて計画した時刻にはこだわらない。これもひとつの「ウルトラ作戦」であったのだ。

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ウルトラ作戦第一号②

弥富からスタートした名鉄乗り潰しであるが、まずは尾西線で津島を通り過ぎ須ヶ口に行き折り返し津島に到着。これで津島線も制覇した。ところでこの津島だが、一応尾西線と津島線の接続駅であるが、高架化され一面二線の島式ホームである。接続駅としては若干物足りない感じであるが、ある意味では機能的である。しかしやはり手狭な感じがするのは私だけであろうか?乗降客数は一日1万2千人位であるのでそこそこの利用がある。もう一面くらいホームを増設しても良さそうである。

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(名鉄一宮に停車中の6000系)

そんな津島を出た私の乗せた列車は再び尾西線経由で名鉄一宮に到着。ここで乗り換え玉ノ井に向かう。路線の戸籍上では弥富~津島~名鉄一宮~玉ノ井が尾西線であるが、運転系統としては津島・名鉄一宮で切れる、つまり乗り換えることになるので運転系統と路線の戸籍が一致しない例でもある。その戸籍と運用が一致しない戸籍上の終点玉ノ井に到着。この玉ノ井駅であるが、ちょっと私の心に引っ掛かるものがあった。それは私の他界した祖母の名前が「玉乃井」というのだ・・・ちょっと微妙な感覚であるが、珍しい名前でもある。というより昔はよくあった名前なのであろうか?「セイ」「ハツ」「ウメ」などのような方を私は知っているが、現代においてはかなり個性的な女性の名前になるであろう。ただ、私は祖母と暮らしたことが無いため「おばあちゃん」というものが良くわからなかった。まだ子供だった事もあってなんだか怖い存在でもあったようだが、最後に入院している時、自身の最期というのを知らされていたのか、若干涙ながら「さようなら」みたいな言葉を交わしながら初めて手を握った記憶がある。その数日後に他界の知らせが来たわけだが、今思えば唯一とは言わないが、数少ない祖母との思い出である。

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(玉ノ井駅の駅名表。駅名がなかなか渋い。)

そんな玉ノ井を折り返し名鉄一宮に戻る。ここまでは長く乗車して30分、最短で8分という、かなりコマゴマとした乗り換えを繰り返したが、ここから一気に豊橋まで特急で向かう。豊橋と言えばJRとホームを共用しており、名鉄の発着ホームは一面一線しかない。そのため豊橋には特急列車や急行などの優等列車しかやって来ないため、普通列車に乗るためには隣の伊奈で乗り換えなければならず、若干不便だ。それでも後述する「セントレア」まで列車一本で行けるのだから非常に便利である。
同じ豊橋でもJRで来るのと名鉄で来るのとでは、何かひとあじ違う「匂い」みたいなものを感じた。同じ駅であるのに異空間を彩る、不思議な「民衆駅」である。そして若干のインターバルの後、用事もないのに「豊川稲荷」に向かったのであった。この豊川稲荷に到着した時点で時計の針は10時7分頃を指していた。つまりまだ午前中である!こんなに乗り換えてもまだ昼にも達していないのだ!この先、どんな事が待っているのであろう・・・まだまだ続く名鉄の乗り潰し、目まぐるしく乗り換える中、私はある重大な事に気付いたのであった。

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(普通列車の終点駅。ここから豊橋までは優等列車のみが運転される。そしてJR飯田線とレールを共用。)

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鉄道全線完全制覇の旅

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ウルトラ作戦第一号①

何がウルトラかって?そう、2010年1月、新年早々に私は名古屋鉄道を2日間で制覇する決意をした。なぜ2日間なのか?理由は簡単だ。名鉄には全線乗り放題のフリー切符「名鉄電車2DAYフリーきっぷ 」というきっぷがあるためだ。この切符を駆使し、なんとしてでも2日間で全線制覇しなければならないのだ。
とは言うものの、実は転職して間もないため「経済事情」がよろしくなかった・・・いずれは名鉄も制覇しなければならなかったわけだが、何せ「経費」を最低限に抑えなければならない・・・ということで、もうお判りであろう。1月という日程のわざわざ選ぶ理由が。そう、必殺技「青春18」を使うことにしたのだ。ジャンボ鶴田なら「バックドロップ」、ジャイアント馬場なら「16文」、いや「32文」か?そして名鉄のフリー切符を組み合わせたら「世界最強タッグ」て優勝するくらいの勢いであろう!

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(これが名鉄車両。私は赤のイメージが非常に強いが、現在は青なども登場している。)

何のことを言っているのかさっぱりわからないが、名鉄をスタートさせるには当然愛知県に行かなければならない。青春18と言えば・・・そう、あの「ムーンライト」である。かつては東京駅で2~3時間並ばないと座席の確保が難しい列車であったが、時代が変わり、現在は全席指定で楽々乗車できる。と言っても現在は臨時列車に格下げされてしまって寂しい限りであるが・・・
計画も出来上がり、2日間で行程を収めた私だが、せっかく名古屋に行くのだから3日間休みを取って3日目は名古屋の地下鉄制覇に充てることにしたのだ。

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(まずは弥富から。JRとは中間改札なしで乗り換えができる。)

さて、名鉄をスタートさせるのに相応しい駅と言えばやはり「名古屋」であろう。名鉄の中心駅であるし本社もある(あまり関係ないが)。ということで早速「ムーンライト」を下車した私は「名鉄名古屋」の切符売場に向かった。朝一番で「名鉄電車2DAYフリーきっぷ 」を購入し早速ホームへ・・・しかし名鉄のホームではない。私はJRの改札に向かい階段を駆け上がったのだ。そして関西線のホームへ・・・実は名鉄のスタートとなる駅、それは「弥富」であった。随分渋い駅からのスタートだなぁと思われる方も多々おられるであろう。しかしこれが「効果覿面」となり「全線制覇」には欠かせないスタートとなる。これが私の「ウルトラ作戦」であったのだ。

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「SLやまぐち号」初体験!

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「SLやまぐち号」は山口県の山口線「新山口~津和野」までの蒸気機関車牽引の客車列車です・・・などと説明するまでもなく一般の認知度は高く、全国各地から観光客がやってきます。新山口のかつての駅名「小郡」。雰囲気出てます。

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列車は客車を押しながら入線。最後尾は展望車である。とりあえず「下り」のみのお約束です。


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車掌さんもこの日ばかりは大サービス。記念撮影など気軽に応じてくれます


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ヘッドマークは、かつての「ブルートレイン」などでよく観られたが、現在は機関車牽引の列車が殆どなくなってしまったため貴重なものとなってしまったが、これからもバックの鶴のように元気よく羽ばたいていただきたい。


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入線の際の運転手の表情は実に穏やかだが、これから観光客を乗せ津和野へ向かう「シゴナナ」も気合が入る。

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写真を観て初めて気づいたが「昭和12年製造」とは!もう70年以上もたっている。人間で言えば晩年の部類に入るが、メンテナンスが行き届き、とても「ご高齢」とは思えぬボディだ。



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国鉄時代に最初に観光用としてSLが復活したのがここ山口線であった。あれから20年以上経っていると思うが、私は乗車する機会に恵まれなかった。今回乗車の際にも切符が手に入らず「キャンセル待ち」の状況。発売日翌日に団体客のキャンセルが入り無事ゲットできた。


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私の乗車座席は「欧風」。「昭和」や「大正」などの座席が用意され乗客を飽きさせない。


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SL弁当」なるものを購入。中身を見ると・・・「どこがSLじゃぁー!」とでも言いたくなるような彩だが、何かの番組で「SL見つけました!動輪~っ!」とレンコンを翳していた。



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と思ったら、あっという間に津和野着。早速「新山口」から同じ顔ぶれの面々が記念撮影を行っていた。


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津和野駅舎。コインロッカーに荷物を入れようと思ったら・・・満室!バッグが入らない小さなロッカーのみ若干空いていたが・・・観光名所なんだからもっと増やしてくれようなぁ~、JR西日本!仕方なく駅前のレンタサイクル屋さんで荷物を預け自転車にて街に繰り出す・・・と思ったらしばらくして「雨」!即座に自転車を返却・・・最悪の展開だ!


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しばらくすると雨もあがってきたため街を散策。映画「男はつらいよ」のロケ地にもなった津和野は、やはり観光名所と言って差し支えない。私も観光客のひとりとなって街並みを堪能した。

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「平成」に期待を込めて・・・

先述した「やまぎんレトロライン(当時)」に引き続き、同じく平成筑豊鉄道の「本業」である「伊田線」「田川線」「糸田線」を制覇してみた。こちらは「ちくまるフリーきっぷ」なる一日乗車券があることは先述しているが、スタートの行橋から乗車した際に車掌が多忙だったらしく、発行までしばらく時間がかかった。何か「無賃乗車」のような気持ちで落ち着いて乗車できなかったが「ちくまるくん」なるキャラクターが和ませてくれる。そんな中沿線に目を向けると「黒のダイヤ」の名残がチラホラ顔を出し、ボタ山が数多く聳え立つ。伊田線の複線区間はかつての盛隆を現在に伝える「遺跡」であるが、この複線区間を単行のレールバスが走っている姿は何か違和感を覚えるではないか・・・2011年8月、やまぎんレトロライン制覇後、早速訪問。スタートの行橋よりお届けしてみよう。

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行橋よりスタートするのは田川線。高架化されたホームより出発。平成筑豊鉄道はワンマン運転のため、JRとの乗換えは中間改札なしである。



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乗換え時間僅か6分でJRより参戦。思ったより乗客がいて「ちくまるきっぷ」の発行に若干時間を要した。



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途中「勾金」では女学生(って言い方、しないか?)が多数下車。私のいる方に視線が集中した・・・良い意味では嬉しい部類かも知れないが、勿論「珍獣」でも見つけたかのような部類での視線であろう。「愛好家」はいつも肩身の狭い思いをするのか・・・



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こんな広告も。いろいろな意味でダイレクトに伝わってくる。



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実はこの勾金駅、飲食店が入居していた。先ほどから匂いが気にはなっていたが、今回は素通りの行程のため断念・・・(画像はウィキより転用)



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田川伊田に到着。時代を感じさせる待合室が・・・石炭を積んだ列車が右往左往していた頃と同じままであろう。ここで暫く時を過ごして見たかったが、時間がそれを許さない。私はこのまま金田に向かう。



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金田で乗り換える。「カネダ」と読まずに「カナダ」と読む。ちくまるくんが眩しい!



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糸田線を往復する車両。若干横から見てみたが、なかなかキッズ受けしそうなラッピングだ。



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昭和のホームに「平成」の車両が。後藤寺駅はJRと接続しているが、ホームは独立している。何か違和感を感じないか?と思わせる光景。



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かさ上げ前のホームが顔を覗かせる。昭和の面影が漂う中、「黒のダイヤ」の時代から「JR」の時代になった現在、広い構内を持て余し気味の感じだ。



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後藤寺駅から城野方面を眺める。盛栄時代を思わせる有効長ある構内。これでもいくらか線路が撤去されていると思われる。



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気になる駅を二つ程紹介しよう。まず一つ目はご覧の通り、九州らしくない駅名。しかもこちらは「県庁所在地」ではない・・・




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さてもうひとつ、難読駅名としてはあまりにも有名。どうやら付近の商店が「ネーミングライツ」を取得しているようだ。



この先私は直方に向かい、タクシーで「筑豊直方」に向かった。筑豊電気鉄道を制覇するためだ。直方では駅前付近にあると思っていた筑豊直方は、タクシーでも意外に距離があり、恐らく初乗りギリギリの範囲であったろう。直方は駅舎のリニューアルされたばかりで昔のイメージが全く無くなった「橋上駅舎」に変身していた。しかし私は平成筑豊鉄道からやってきたため出口が別のため、用を足しにわざわざ橋上駅の階段を行ったり来たりして体力を消耗。一気に疲労モードに達したが、まだまだ宿泊先までの道のりは長い。直方からJRで篠栗方面へ向かえば宿泊先の博多に着くのに、私は筑豊電気鉄道で黒崎へ行かなければならない。しかも、当たり前だが「特定区間」のルールは適用されずわざわざ別料金を払っての「遠回り」だ。「そこが渡世人とつらいところよ・・・」とでも言いたくなるような旅は「博と仲良くやるんだぞ!」とでも発した気持ちになりながら直方を後にした。

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前略、「関門海峡めかり」より

2011年8月、私は約30年ぶりに門司港駅を訪れた。30年ぶりの門司港は、昔も今も変わっていない印象であった。それもそのはず、周知の通り門司港駅の駅舎は「重要文化財」に指定され国の管理下となった。現在は改修工事中のため仮駅舎であるが、その風格は昔のままだ。なぜ私が再びここを訪れたか?その理由は「関門海峡めかり」にあった。かつての貨物引込線を利用して観光列車を運転しているのだ。北九州市が第三種鉄道事業者として施設を保有し、平成筑豊鉄道が第二種鉄道事業者として車両を保有し列車を運行しているという、なんとも複雑な経営方法であるが、またの名を「北九州銀行レトロライン」というが、かつては「やまぎんレトロライン」といった。このような解説をしていたら更に複雑になってしまったが、観光列車として第二の人生を送ることとなった「貨物線」であるが、車内から眺める「関門橋」はとても絵になる。この場所を貨物だけが独占していたとは真にケシカラン!とでも言いたくなるような気持ちであるが、2009年より我々も参戦できるようになったので、一般客に混ざり(と言っても私も一般であるが)その模様を探ってみた。

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これが噂の門司港駅の駅舎。現在は2代目であるが、改修工事中で仮駅舎で営業中。



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こちらがトロッコ列車の乗り場。門司港駅より若干徒歩を要する。しかし付近には後述する「レトロ」なものがあり、愛好家にとっては時間がいくらあっても足りないであろう。



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ホームに入場してみる。車止めの先にはかつての鹿児島本線との接点があった。




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これが「やまぎん(当時)」列車。トロッコ風となっており、まるでおとぎの国にでも来たようだ。



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早速列車に乗車。



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先ほど述べたが、門司港駅よりトロッコ列車に乗り換える道中にこんなものや・・・



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こんなものまで留置されている。こちらのほうが「レトロ」か?



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車内風景。そこそこの乗車率といいたいが、まだ夏休み期間中。もう少し乗客がいると思ったが、意外に意外だった。平日ということもあるのであろうか?



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「制覇の証」を収め門司港方面へ折り返す。私以外に折り返す乗客は皆無であったが、これから乗ってくる乗客も少なくなかった。観光列車として定着しつつある。



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車掌?アテンダント?道中に彼女たちの「ガイド」がマイクを通じて生中継で行われる。常に笑顔を忘れない!



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門司港駅前の「九州鉄道記念館」駅に向けて再びトロッコ列車に乗車。アテンダントのガイドに身を任せ、潮風に頬を打たれながら関門橋を再び見上げるのは爽快だ。


門司港駅に再びたどり着いた私は駅構内のカフェで暫し小休止。この後小倉に向かい「北九州高速鉄道」を間に挟み、再び平成筑豊鉄道全線を制覇しに行橋に向かった。こちらでは「ちくまるきっぷ」なる1日フリー切符があり、経済的に有利であるが、同じく平成筑豊鉄道である「やまぎんレトロライン」ではちくまるきっぷは使えない。しかしながら旧・田川線や糸田線、伊田線などはかつて「黒のダイヤ」で存在感あふれていた。その名残は現在も伊田線などの複線区間に見られる。新しい鉄道愛好家は「なぜ複線なのか?」と疑問を少なからず持つであろう。それほどかつては「石炭」が重要な「お客様」であったのだ。現在は、複線区間の維持でも相当の経費を要すると思われるが、例えば筑豊本線などは博多や小倉のベッドタウンに変身して旅客輸送量が飛躍的に伸び、篠栗線とともに博多側では単線では少々限界が来ている。伊田線などもこのような劇的変化があればこの複線区間も生かせるのであろうが、なかなか現実は難しいであろう。
しかしそんなことにもめげずに「ちくまるくん」は今日も明日もその歩みを休めない。「北九州銀行レトロライン」とともに・・・

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「みすゞ」の車窓から「潮彩」を眺める

2010年8月、山陰本線全線を制覇した。その際に「みすゞ潮彩」に乗車。普通列車として運用されているが、「みすゞ潮彩」の車両は観光列車仕様で、指定席券の別料金が発生する。しかしながら「ローカル」の車両も連結されており、別料金なしでも乗車できるが、途中で通学生などが多数乗車してくるので、観光気分で乗車するには別料金を支払って「専用車両」に乗車した方が無難であろう。意外にも地元民の利用もちらほらあり、愛好家以外からも愛されているのが嬉しい。ちなみに列車のネーミングは、地元山口県は仙崎出身の童謡詩人「金子みすゞ」に由来する。2011年の震災以降、TVCM差替えの際に「こだまでしょうか」等のフレーズでCMが放映されご存じの方も多いであろう。これは彼女の作品であるが、震災のCM以来、再び脚光を浴びるようになっているようだが、かなり偉大な方らしい。そんな「みすゞ潮彩」に揺られながら「山陰の昼下がり」を過ごしてみた。

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金子みすゞの出身地「仙崎」よりスタート。なかなか雰囲気のある駅名表だ。


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旧・国鉄車両の改造車であるが、なかなか手の込んだラッピングだ。夏休みであったため、観光客もかなり多かった。


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山陰本線の「終点」仙崎の先にレールは無い。


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地元の振興会もお見送り。観光にしっかり力を注いでいる。


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そして長門市に到着。ここより山陰「本線」に入り下関に向かう。


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長門市駅構内は、若干リニューアルされているがまだまだ昭和の面影が漂う。SLがいつ来ても違和感ない。


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昭和の列車が留置されているが・・・この駅にはもう「特急列車」はやって来ないのか?


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若干カメラの体調がよろしくないのでご了承を・・・「青空」広がる清々しい景色のようだが、季節は8月、外は蒸し暑い!


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車内はこんな感じ。座席はもちろん海側を向いている。こちらの車両は全席指定であるが、地元の方も「補充券」での乗車が結構あるのが嬉しい。


この後私は幡生で下車。新下関より「ひかり」で帰郷したが、旅行会社に切符を依頼した際に「幡生」はさすがに難読だったようで、依頼の際には私に「何と読むのですか?」と聞いてきたが、引き渡しの際にはしっかり「はたぶ」と私に伝えた。さすがプロ根性!
新下関で在来線から新幹線の乗り換えは思ったよりも距離があり、接続列車も若干遅れてたのでヒヤリとしたが、何とか無事間に合ったので助かった。

一応「みすゞ潮彩」は普通列車での運用であるので、各々の駅に停車するのが嬉しい。「自由席」設定のローカル車両は途中より高校生たちで満員御礼であった。しかし私の乗車した「指定席」は乗客もそこそこで、昼下がりの優雅なひと時を過ごせた。金子みすゞの人生は壮絶なものであったようだが、彼女の作品は我々に夢を与えてくれた。この列車のおかげで私も彼女の存在を知ったわけだが、これからも「列車」を通じて少しでも彼女の作品が後世に伝えられたら「列車」としても本望であろう。



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「一円電車」を知っているか?

「一円電車」を知ってるであろうか?昭和からの鉄道愛好家なら「懐かしい」であろう。一円電車、正式名称を「三菱金属鉱業明神電車」と言い、兵庫県にあった鉱石列車である。「明神」と聞くと「石」と「戸」辺りを結んでいたのかなと考えてしまいそうであるが、実は兵庫県大屋町(現・養父市)・朝来町(現・朝来市)の明延鉱山にあった鉱山用軌道であり、延(あけのべ)と子畑(みこばた)を結ぶことからその名がついたのだ。
残念ながら私は乗ることができなかった・・・今思えば一度は訪れてみたかった鉄道であるが、なぜ「一円電車」の愛称なのか不思議に思われる方もいるであろう。若干解説を入れながらご紹介しよう。

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(これが噂の「一円電車」。762mmの線路幅、いわゆる「ナローゲージ」だ。画像はウィキより転用)


もともとは鉱石輸送目的で国鉄(現・JR)播但線・新井~神子畑間を結ぶ形が本来の姿であったが、例に漏れずに「道路整備」等の理由により明延~神子畑間が残った。そして鉱山関係者の従業員や家族などの便宜を図るため人車(いわゆる客車)も運転を始めた。最初は無料であったが、50銭、1円と「料金改正」を行い1985年に旅客(人車)輸送廃止までこの「1円」という料金が続いたのが、この「一円電車」の名前の由来である。基本的に時刻表などにも掲載されておらず、法律上は「運輸省(当時)監督下の旅客運輸業」ではないため、基本、貨物専用である。あくまで旅客輸送は「便宜上」の為、当然時刻表などには顔を出さないわけである。しかし1960年代後半に一部のマスコミが取り上げ一気にブレイクした。しかしその代償は大きく、大勢の人が押し寄せるなか、本来の業務に支障が発生するようになった。このため一時期は一般客を締め出すというハプニングがあった。
その後は落ち着きを取り戻したが、1987年に鉱山が閉山してしまい、一円電車も同じくして「リバプールの風」となってしまった。

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さて、私がなぜこの「一円電車」を取り上げたかというと、2010年よりなんと「動態保存」されている事が分かったのだ!これは見逃すわけにいかないと、いずれ近い将来に必ず訪れてみたいと心に誓ったのだ。乗車料金はもちろん「一円」だ。かつての鉱山見学もできるらしく、一円電車の「生き様」がダイレクトに伝わってくることであろう。詳しくは「こちら」より。


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天浜線日記②

さて、次は「気賀駅」を紹介しよう。天浜線となった現在、棒線化された気賀駅だが、旧・国鉄時代は列車交換ができた。その名残はやはり「ホーム」が一番わかりやすいであろう。いかにも「島式ホームですよ!」という佇まいである。

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(完全に島式ホームの気賀駅。現在は棒線化されている。)

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(気賀駅の改札口。このような雰囲気も、味わえる駅が年々減少している。というより、むしろ珍しい部類であろう。)

駅舎は昔からの佇まいで改札口も懐かしバージョンであるが、駅員は無配置である。かつての上り線は一部「駐輪場」に変化しており、ローカル線特有の「通学生」の輸送がここでも最大の「お得意様」である。
若干駅構内を散策していると、さっきから気になっていた「匂い」が駅構内をさまよう。わかってはいたが、早速「匂い」のある方へ吸い寄せられるように歩き出す。駅舎横には、何やら派手なペイントの看板が私を待っていた。その名も「中華屋貴長」。ラーメン店が駅構内に入居しているのだ。

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(気賀駅の駅舎。というより、隣の「飲食店」の方が存在感をやたらアピールしてくる。)

店内は若干L字型をしており、奥にも座席がセットされているが、通常はLの底辺に当たる部分の座席がメインで、テレビもありリラックスできる。よくメディアにも紹介されるらしく、有名人のサインや写真が多数展示されている。中でも某お笑い芸人の訪問は主(あるじ)のお気に入りのようで、店の入り口に大写真を展示し誇らしげに大アピール。店内に入り早速店自慢の「塩ラーメン」を注文。お味の方は・・・入り口にある大写真のごとく「ハンパねぇ!」とあえて表現してみた。私が説明するより一度お試しいただいた方が必ず納得するであろう。

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(ホームから見た気賀駅の駅舎。昔ながらの面影が・・・)

また、店内には沢山の有名人著名人が多く参戦している「証」が展示されている事は先述したが、中でも気になったのは「チ〇ム華麗衆」なるバイク集団の素敵な姿だ。本当にバイクの好きな人だけが集まったような、すごく素敵な集まりのように私の目に映った。というより、男児も女子も、皆楽しそうにバイクにまたがっている・・・自身の「鉄道」に対する気持ちがダブって見えたような気がした。

若干夏の真っただ中に「温かい」ラーメンをいただき、冷房が効いた店内から出るのがいささか気が引けるが、ここを出る勇気を持たなければ一生自宅に帰る事は出来ない。というより、天浜線にはまだまだこの「中華屋・貴長」の他にもグルメ店舗が存在する。これらを一日で「制覇」するのはとても無謀なチャレンジであろう。できれば天竜二俣駅の「菜飯田楽」を堪能してみたかったが、そんなこんなで「次回」に詳細を紹介できれば幸いである。

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プロフィール

ダイヤモンド☆トナカイ

Author:ダイヤモンド☆トナカイ
創設:1969.03.09
所在地:神奈川県湘南地区

〇2013年6月11日、北陸新幹線長野駅にてJR全線制覇いたしました。
国内の鉄道は、沖縄の「ゆいレール」を残し全線制覇しました。(とは言うものの、2015年3月の北陸新幹線延伸によりJR全線制覇は「ベルト返上」しました)

★ ブログ記事の「リメイク版」は、以前にホームページで紹介した旅日記をブログでリメイクしたものです。


◎ブログの登場人物

★ ダイナミック☆トナカイ
・・・中学時代の後輩で、2013年に約30年振りに再会を果たした。数多くの写真を提供していただいた「盟友」でもある。

★ おさる・・・かつて私がバンド活動をしていた時のメンバーで、鉄道復活のきっかけを作ってくれた人物。彼とは「秘境駅」を数回訪問した「親友」でもある。

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