頑張れ!二本木君。
2013-06-30
かつて私の所属していた職場に「二本木君」という同僚がいた。彼はプロレスがとても好きらしく、私もプロレスが好きな事もあって、いつも職場で会うと「昨日、ドリー勝ちましたよ!」といつも話しかけてきた。外見的にも「ブッチャー」のような身なりであったが、それより「お前、仕事しろよ!」みたいな感じであった。しかし彼はすぐに転勤してしまいそんな日々もすぐに終わってしまった・・・
全く私事であるが、そんな日々を思い出させてくれたのが、信越本線「二本木駅」である。かつては隣の関山もスイッチバック駅であったが、現在はここ、二本木のみとなった。北陸新幹線開通後は「えちごトキめき鉄道」として再出発することとなっているが「廃止」にならないだけでも嬉しい事である。

2013年6月、久々にこの信越本線「長野~直江津」の区間を訪問した。というより、JR全線制覇と黒部見学ルートの目的で北陸地方に向かう際の「中間点」に過ぎなかった。新幹線で長野に降りた時点でJR全線制覇した後の「普通列車」にはさすがに違和感というか高低差が激しく、ここから先に特急列車に身を預けたかったが、既に区間に運転される定期特急列車は無く、快速「くびきの」や普通列車「妙高」などが485系などで運転されるのみとなっていた。
私が乗ったのは「くびきの」でも「妙高」でもない、通常のノーマルの普通列車115系であった。新幹線からの乗り換えと思われる大きな荷物を持った乗客がかなり乗車していたが三才駅でかなり下車し若干身軽になった。更に妙高高原では観光グループと思われる初老の女性達が挙って下車。乗車もそれなりにあり観光駅の役割を現在もしっかり果たしている。更にこの妙高高原は将来接続駅となる予定である、と言っても新線ができる訳でなく「しなの鉄道」と「えちごトキめき鉄道」の境界となる駅である。私の訪問時は特に「接続駅」としての「準備」みたいな事はされておらず、ただJRとしての「役割」を果たしているに過ぎなかった。

関山を過ぎ、早速二本木に近付いてきた。「関山を過ぎ」とあえて記してみたが、先述の通りここもかつてはスイッチバック駅であったが、現在は完全に面影はない。
そして二本木に着く直前に私は「かぶりつき」に向かった。こうして二本木駅と正面から「向き合う」のは初めてであった。

沢山の線路が枝分かれしていく中、一本の島式ホームが見えてきた。近付くにつれ「懐かしい」という昭和チックな雰囲気が漂う中ホームに滑り込む。ドアが開くと「スイッチバック駅だから4~5分位止まるのであろう」と思い駅の写真を撮っていたら即座に出発の合図。どこかのお笑い芸人ではないが「聞いてないよ~」状態のまま早速列車に乗り込んだ。スイッチバックと言えば、普通マスコンを持った運転手が進行方向にむかって移動する光景が見られると思っていたのだが、そんな面倒な事をしなくてもちゃんと列車は律儀にスイッチバックをしてくれるのだ。
一瞬の束の間、「はやてのように」ではないが、あっという間に二本木駅を去って行った。

この後一旦折り返し線に入り本線に再度入線するが、実に手際が良いというか、折り返すたびに運転手が行ったり来たりという作業が無く実に効率が良い運転の仕方だと思うが、逆にスイッチバックの「醍醐味」ではないが、その「行ったり来たり」の光景が見れないと何か物足りない気がしてならなかった。実に不思議ではあるが、この区間に唯一残ったスイッチバックは移管された後も残るのであろうか?この先にはJRの「西」と「東」の境界線となる新幹線の駅となる「上越妙高」ができる予定だ。果たして「上越」「妙高」の玄関口となることができるのか?私はこの時既にJR全線制覇していたが「タイトル防衛」はわずかな期間になる。
終点の直江津に着き「はくたか」に乗り換えると、日本海の荒波が私を待っていた。これは何を意味するのか?もしかしたら全線制覇した「後」の方が、むしろ旅の「目的」を探すのに「荒波」が立ちはだかるぞ!という意味なのかも知れない。

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全く私事であるが、そんな日々を思い出させてくれたのが、信越本線「二本木駅」である。かつては隣の関山もスイッチバック駅であったが、現在はここ、二本木のみとなった。北陸新幹線開通後は「えちごトキめき鉄道」として再出発することとなっているが「廃止」にならないだけでも嬉しい事である。

2013年6月、久々にこの信越本線「長野~直江津」の区間を訪問した。というより、JR全線制覇と黒部見学ルートの目的で北陸地方に向かう際の「中間点」に過ぎなかった。新幹線で長野に降りた時点でJR全線制覇した後の「普通列車」にはさすがに違和感というか高低差が激しく、ここから先に特急列車に身を預けたかったが、既に区間に運転される定期特急列車は無く、快速「くびきの」や普通列車「妙高」などが485系などで運転されるのみとなっていた。
私が乗ったのは「くびきの」でも「妙高」でもない、通常のノーマルの普通列車115系であった。新幹線からの乗り換えと思われる大きな荷物を持った乗客がかなり乗車していたが三才駅でかなり下車し若干身軽になった。更に妙高高原では観光グループと思われる初老の女性達が挙って下車。乗車もそれなりにあり観光駅の役割を現在もしっかり果たしている。更にこの妙高高原は将来接続駅となる予定である、と言っても新線ができる訳でなく「しなの鉄道」と「えちごトキめき鉄道」の境界となる駅である。私の訪問時は特に「接続駅」としての「準備」みたいな事はされておらず、ただJRとしての「役割」を果たしているに過ぎなかった。

関山を過ぎ、早速二本木に近付いてきた。「関山を過ぎ」とあえて記してみたが、先述の通りここもかつてはスイッチバック駅であったが、現在は完全に面影はない。
そして二本木に着く直前に私は「かぶりつき」に向かった。こうして二本木駅と正面から「向き合う」のは初めてであった。

沢山の線路が枝分かれしていく中、一本の島式ホームが見えてきた。近付くにつれ「懐かしい」という昭和チックな雰囲気が漂う中ホームに滑り込む。ドアが開くと「スイッチバック駅だから4~5分位止まるのであろう」と思い駅の写真を撮っていたら即座に出発の合図。どこかのお笑い芸人ではないが「聞いてないよ~」状態のまま早速列車に乗り込んだ。スイッチバックと言えば、普通マスコンを持った運転手が進行方向にむかって移動する光景が見られると思っていたのだが、そんな面倒な事をしなくてもちゃんと列車は律儀にスイッチバックをしてくれるのだ。
一瞬の束の間、「はやてのように」ではないが、あっという間に二本木駅を去って行った。

この後一旦折り返し線に入り本線に再度入線するが、実に手際が良いというか、折り返すたびに運転手が行ったり来たりという作業が無く実に効率が良い運転の仕方だと思うが、逆にスイッチバックの「醍醐味」ではないが、その「行ったり来たり」の光景が見れないと何か物足りない気がしてならなかった。実に不思議ではあるが、この区間に唯一残ったスイッチバックは移管された後も残るのであろうか?この先にはJRの「西」と「東」の境界線となる新幹線の駅となる「上越妙高」ができる予定だ。果たして「上越」「妙高」の玄関口となることができるのか?私はこの時既にJR全線制覇していたが「タイトル防衛」はわずかな期間になる。
終点の直江津に着き「はくたか」に乗り換えると、日本海の荒波が私を待っていた。これは何を意味するのか?もしかしたら全線制覇した「後」の方が、むしろ旅の「目的」を探すのに「荒波」が立ちはだかるぞ!という意味なのかも知れない。

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寺田コレクション
2013-06-28
会いたかったYeah!君に⑤
2013-06-26
五百石(ごひゃっこく)は、駅付近の地名の五百石は「ごひゃくこく」と読み、案内などでは駅名も「ごひゃっこく」と「ごひゃくこく」が混用されているらしい。そんな難しい駅を過ぎ寺田に到着。同伴の妻を一足先に富山へ送り出し私一人の単独行動となる。寺田では私の他に「諸君」も一緒に数十名下車し、一時のにぎわいを見せるも、再び折り返して岩峅寺に向かう客など私一人であるのは当然か。

(寺田駅の駅舎。開業したころそのままと思われる建物が健在。素敵な「空間」を醸し出している。)
乗換まで約20分位あるので駅散策にはちょうどいい。一旦改札を出るため駅舎に向かうと、なんと駅員がいるではないか!地方ではワンマン運転が定着しているが、途中駅でこうして駅員がいるとなんだかホッとする。私は丁寧に「全線2日間フリー乗車券」を見せると、なにかひとつの納得が閃いたかのような表情で私を改札の外へ出してくれた。駅舎を数枚カメラに収め再びホームに戻ろうとフリーパスを駅員さんに見せると、既にフリーパスを見る事が無駄な作業のようで、その瞬間から既に私は「顔パス」になっていた。

(バックには田園風景。しかしながら乗車人員はそこそこいる。後日「寺田駅特集」でも組んで別途アップしてみたい。)
一通り寺田駅の「現在」をカメラに収納したら、即座にやることが無くなった。待合室には数名の乗客が列車の出発時間を待っている。やがて宇奈月方面からの列車がやってくると20名くらい「諸君」が下車。ほぼそのまま私が待つ立山方面のホームに移動してきた。完全に浮いてしまった私。諸君というより「女学生」がほぼ98%を占める中、私はカメラ片手に岩峅寺に向かう。そしてその乗換客はやはり五百石でほとんど下車していった。しかし乗車も同じようにあったため車内の混雑度の変化はない。といっても全員がちゃんと着席できるくらいではあるが・・・

(またもや「京阪」のお出迎え。その名の通り「テレビ」があったが、真空管タイプでは無い。もちろんである。)
岩峅寺で上滝線に乗り換えること3分。ギリギリと思っていた乗り換え時間であるが、かなり余裕があった。しかしそこで待ち構えていたのは・・・やはり京阪であった!「テレビカー」の名を代々受け継ぐかのようにしっかりと伝統を守り続けているような「液晶」の最新式は、デジタル時代になった今でも若干画像の乱れがある。と言っても2両編成の最後尾の車両に乗車しているのは私のみ。テレビまで「独占」してしまった。そういえば、かつてあのジャイアント馬場が、「みんなが格闘技に走るので、私、プロレスを独占させていただきます」と自身の団体のキャッチコピーとしていた「名言」がある(しかしこれは本人が考えたものではない)が、「みんなが前の車両に行くので、私、後ろの車両とテレビを独占させていただきます」と言っても説得薄いであろう。

(南富山で列車交換。今度は「オリジナル」に遭遇。)
ローカル的風景が南富山まで続いたが、やはり南富山からは「市街地」の風格か、商業施設も数多く見えてくる。市内電車からの乗り換え客も多くあると思われるが「市電」で行くより「鉄道線」で行く方が富山までは完全に時間が違う。
やがて稲荷町で本線と合流すると、複線区間のまま終点の電鉄富山に到着。一斉に乗客が先頭車両に向かった。私はとうとう「レッドアロー」に乗れなかった・・・と思ったら出発を待つ「レッドアロー」が隣に遭遇。すかさず「乗車」して数秒堪能した。かつての優等列車を「普通列車」の運用で乗車できる地鉄沿線住民は非常に羨ましい思いでいっぱいであるが、次回の訪問時には乗車して「移動」したい。

(私の乗ってきた列車の隣には「レッドアロー」が!すかさず「一瞬」の乗車。)
本来ここで旅は終了するのだが、実は事前に調べておいた「スーパー銭湯」が不二越駅前にある。「全線フリー」の切符を買った意味がここにあった。実は私の乗車したルート、正規料金の方が「お買い得」なのである。翌日の「市内線」を含めても、である。一旦宿泊施設に戻り、再び不二越目指してフリー切符を駆使。しかしながらまたもや「京阪」であった・・・

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(寺田駅の駅舎。開業したころそのままと思われる建物が健在。素敵な「空間」を醸し出している。)
乗換まで約20分位あるので駅散策にはちょうどいい。一旦改札を出るため駅舎に向かうと、なんと駅員がいるではないか!地方ではワンマン運転が定着しているが、途中駅でこうして駅員がいるとなんだかホッとする。私は丁寧に「全線2日間フリー乗車券」を見せると、なにかひとつの納得が閃いたかのような表情で私を改札の外へ出してくれた。駅舎を数枚カメラに収め再びホームに戻ろうとフリーパスを駅員さんに見せると、既にフリーパスを見る事が無駄な作業のようで、その瞬間から既に私は「顔パス」になっていた。

(バックには田園風景。しかしながら乗車人員はそこそこいる。後日「寺田駅特集」でも組んで別途アップしてみたい。)
一通り寺田駅の「現在」をカメラに収納したら、即座にやることが無くなった。待合室には数名の乗客が列車の出発時間を待っている。やがて宇奈月方面からの列車がやってくると20名くらい「諸君」が下車。ほぼそのまま私が待つ立山方面のホームに移動してきた。完全に浮いてしまった私。諸君というより「女学生」がほぼ98%を占める中、私はカメラ片手に岩峅寺に向かう。そしてその乗換客はやはり五百石でほとんど下車していった。しかし乗車も同じようにあったため車内の混雑度の変化はない。といっても全員がちゃんと着席できるくらいではあるが・・・

(またもや「京阪」のお出迎え。その名の通り「テレビ」があったが、真空管タイプでは無い。もちろんである。)
岩峅寺で上滝線に乗り換えること3分。ギリギリと思っていた乗り換え時間であるが、かなり余裕があった。しかしそこで待ち構えていたのは・・・やはり京阪であった!「テレビカー」の名を代々受け継ぐかのようにしっかりと伝統を守り続けているような「液晶」の最新式は、デジタル時代になった今でも若干画像の乱れがある。と言っても2両編成の最後尾の車両に乗車しているのは私のみ。テレビまで「独占」してしまった。そういえば、かつてあのジャイアント馬場が、「みんなが格闘技に走るので、私、プロレスを独占させていただきます」と自身の団体のキャッチコピーとしていた「名言」がある(しかしこれは本人が考えたものではない)が、「みんなが前の車両に行くので、私、後ろの車両とテレビを独占させていただきます」と言っても説得薄いであろう。

(南富山で列車交換。今度は「オリジナル」に遭遇。)
ローカル的風景が南富山まで続いたが、やはり南富山からは「市街地」の風格か、商業施設も数多く見えてくる。市内電車からの乗り換え客も多くあると思われるが「市電」で行くより「鉄道線」で行く方が富山までは完全に時間が違う。
やがて稲荷町で本線と合流すると、複線区間のまま終点の電鉄富山に到着。一斉に乗客が先頭車両に向かった。私はとうとう「レッドアロー」に乗れなかった・・・と思ったら出発を待つ「レッドアロー」が隣に遭遇。すかさず「乗車」して数秒堪能した。かつての優等列車を「普通列車」の運用で乗車できる地鉄沿線住民は非常に羨ましい思いでいっぱいであるが、次回の訪問時には乗車して「移動」したい。

(私の乗ってきた列車の隣には「レッドアロー」が!すかさず「一瞬」の乗車。)
本来ここで旅は終了するのだが、実は事前に調べておいた「スーパー銭湯」が不二越駅前にある。「全線フリー」の切符を買った意味がここにあった。実は私の乗車したルート、正規料金の方が「お買い得」なのである。翌日の「市内線」を含めても、である。一旦宿泊施設に戻り、再び不二越目指してフリー切符を駆使。しかしながらまたもや「京阪」であった・・・

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会いたかったYeah!君に④
2013-06-24

(かつては国鉄からも優等列車が乗り入れていた立山。しかしまだまだ観光客の数は少なくない。)
関西電力黒部見学ルートの参加を終え、宿泊先の富山へ向かうべく、再び地鉄に乗り富山を目指す。ケーブルカーで美女平から立山に着いた私は、いきなりトラブルに遭遇する。なんと計画より1時間も早く立山に着いたのだ。とにかく地鉄を乗るのに時刻を確認したら、あと5~6分で出発である。とにかく宿泊地に早い時間に着くのは良い事だ。私は迷わず地鉄の列車に乗り込んだ。実は密かにあの西武の名車「レッドアロー」の乗車を楽しみにしていた。しかし待っていたのは・・・またしても京阪・・・いささか残念であるが(というと京阪ファンには申し訳ないが)仕方なく富山へのアプローチを始めた。

(上りの地鉄も「京阪」である。できれば「レッドアロー」に乗りたかったのだが・・・)
早速立山をでた「京阪」は、神通川と思っていて後で調べてみたら「称名川」という川としばらく並走する。隣の本宮にすぐの到着と思っていたらやたら時間が長い。もしかして特急?と思うほど停車するのを忘れているような走りっぷりにいささか緊張が走ってしまったが、その間約4.8kmもあった。私鉄の駅間距離にしてはかなり長い部類に入るであろうか。

(神通川と思っていたら「称名川(しょうみょうがわ)」というらしい。しばらく並走すると途中の有峰口付近から常願寺川と名前を変える。)
やっと本宮に着いたと思い走り出したら瞬く間に有峰口に到着。その間約1.5kmだから旧・国鉄相模線の寒川支線、寒川~西寒川間と同じ距離であるが、あまりにも駅間距離の差が激しく、こちらも若干片頭痛が起こりそうだ。
有峰口では、なんとあの「レッドアロー」と列車交換。今回の旅では幾度となく「すれ違い」であったレッドアローであるが、この先、果たして乗ることができるのであろうか・・・

(有峰口の駅舎は開業当時よりほぼ変化なしであろう。重要文化財的な佇まい。)
そういえば時間的に「通学(帰宅)ラッシュ」の匂いが漂っていたが、後ほど訪れる岩峅寺から「諸君」が若干乗ってきた。恐らく上滝線からの乗り換えと思われるが、更にこの先の駅で諸君たちが待ち構えている事であろう。
その「待ち構えていた」駅が五百石である。立山町の中心的存在で各種行政施設が勢揃いするためここで乗客が入れ替わる。と言っても「見学ルート」からの顔ぶれは途中駅には一切目もくれないことから、おそらく富山まで付き合わなければならないであろう。しかし私は途中の寺田で下車するため途中でお別れの様だ。

(途中の五百石でまたしても「レッドアロー」と交換!地鉄の攻撃はいささかシタタカだ。)

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会いたかったYeah!君に③
2013-06-22

(昔ながらの雰囲気を醸し出す駅名表。地鉄の歴史を感じる。)
電鉄魚津は魚津市の中心街に近く乗客もそれなりに多い。隣の新魚津はJRと連絡しているが、電鉄魚津の方が利用者が多いらしいと聞く。以外だったのは電鉄石田と経田だ。ここで一気に学生諸君が下車し、私のような観光客と一部地元の通勤と思われる乗客となり車内は再び閑散とし始めた。更に電鉄黒部で若干の通勤客を降ろし、列車はほぼ観光客99.783%位を占めることとなった。
電鉄黒部を過ぎて、途中、舌山付近では北陸新幹線の駅が建設されており「黒部宇奈月温泉」と駅名が決定したようで、地鉄もここに新駅を設置して連絡を図る予定で工事も進んでいる。

(電鉄黒部の構内は広い。留置線も若干あり、中心駅の風格もひと際。)

(「黒部宇奈月温泉」に決定したJR西の新幹線駅。ただ今工事中であるが、見た限りほぼ出来上がっているようにも。)
もうすぐ終点の宇奈月温泉に近付いてきたが、途中の内山で上り列車「レッドアロー」と交換。4~5分の待ち合わせがあるとの案内であったためホームに降りてみた。すると、まるで「重要文化財」のようなモダンな駅舎が我々を待っていた。大正から昭和の初めに建設された駅舎などの設備がいまだに残っていると聞いていたが、この駅もその典型であろう。観光客の我々は楽しませていただいているが、地元の方にとっては近代化していただいた方が利用しやすいであろうとも思われる、いい「味」が醸し出されている。


(なかなかいい味を醸し出している内山。恐らく開業当時から変化が無いであろう。)
そして二つ先の駅が終点の宇奈月温泉駅であるが、隣の音沢とはなんと3.8kmも離れている。それまでは1kmか1.5kmくらいの駅間隔であったので終点近くになったにもかかわらず「まだか、まだか」となかなか駅に到着しない。そんな中、いきなりコンクリートの壁に阻まれ辺りが薄暗くなった。終点の宇奈月温泉である。この駅は橋上駅の為、そのコンクリートは駅舎の一部であったのだ。とりあえず「制覇の証」を収めたあと、若干の催しを処理するため、化粧室を探す。なんと改札を出なと無いみたいなので階段のアップダウンが忙しい。これから「見学」に行くというのに、健康的な体力づくりをしてしまったが、駅舎の完成が昭和50年と聞いた。そのためか、若干設備が「前近代的」で使い勝手に少々苦労したが、無事に用を済また。

(宇奈月温泉駅。確かに付近には温泉宿泊施設が犇めき合う。黒部峡谷鉄道の連絡駅であるが、そちらは「宇奈月」と称している。)
この後黒部峡谷鉄道を間に挟み「見学ルート」に参戦。隠れた「アルペンルート」で黒部ダムに向かう事になるが「見学」に関しては既にアップしてある通り、かなり楽しいものになった。その後立山に向かい、地鉄制覇の「第2章」が始まる。

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会いたかったYeah!君に②
2013-06-21
稲荷町を出た「テレビカー」は各々の駅で「学生諸君」を細々と拾っていき、寺田に着くと更に「高校生」が待っていた。立山線と本線の分岐駅であるが、3面4線でYの字になっている特徴的な駅である。同じく地鉄の岩峅寺も分岐駅でYの字の形をとっているが、寺田に関しては真ん中のホームが変形島式ホーム(というよりVの字ホームとでも言おうか)のデルタ地帯に木造の待合室があるのが特徴だ。寺田に関しては後ほど時間を取っているためゆっくり拝観ができるので、とりあえず軽く写真を2~3枚収めておく程度にしておく。

(寺田駅は、おそらく開業当時からほぼ変わっていないと思われる待合室がある。本線と立山線の分岐駅の役割も果たし、待合室はデルタ地帯にある特徴的な存在だ。)
更に進むと、本線の中心駅ともいえる上市に着く。実はここ上市はスイッチバック駅として知られているが、私はすっかりそのことを忘れていて「あれ、ここ分岐駅だったっけ?」みたいな感じで一筋のレールが車窓の向う側から近付いてきた。暫くして「あっ、そうか」と気付いたが、停車時間はそれほどなく、確か1~2分であったと思う。若干学生たちも下車したが、乗ってくる方が多い。かつてはショッピングセンターがあり、ボーリング場も存在したが、現在はJAの事務所と数件のテナントにとどまる。

(上市はスイッチバック駅。かつては駅ビル内にショッピングセンターやボウリング場もあったが・・・)
しかし各駅停車で終点の宇奈月温泉駅まで向かうとは、いささか抵抗あろうかと思う部分もあるが、こうして視点を変えればその地方の「生活」が見え、なかなか楽しいものだ。むしろ各停の方が「由緒正しい」乗車の仕方かもしれない。そんな事を考えていると西滑川で高校生たちがかなり下車。後で調べてみたらやはり付近に「滑川高校」があるらしい。隣の中滑川は滑川市の中心に近く、乗車人員もかなり多い。ここからかつては現・ライトレールの岩瀬浜までの支線敷設の計画があったが、ご存じの通り現在そのような路線は存在せず、未成線に終わっている。しかし、隣の滑川ではJRと連絡していて、JRからの乗り換え客がかなりあった。学生だけでなく、通勤と思われる乗客もかなりの乗り換えで、座席がそれなりに埋まってきた。若干の区間JRと並走するが、乗り換え客もいてなかなか役割を果たしている。地鉄の「普段」を拝見できて、観光とは違った感覚での乗車も実によろしいが、間もなく「観光専用」となる時間が近づいてきた。

(中滑川から、かつては岩瀬浜までの鉄路が計画されていた。JRと接続する滑川より乗車人員は多い。)

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(寺田駅は、おそらく開業当時からほぼ変わっていないと思われる待合室がある。本線と立山線の分岐駅の役割も果たし、待合室はデルタ地帯にある特徴的な存在だ。)
更に進むと、本線の中心駅ともいえる上市に着く。実はここ上市はスイッチバック駅として知られているが、私はすっかりそのことを忘れていて「あれ、ここ分岐駅だったっけ?」みたいな感じで一筋のレールが車窓の向う側から近付いてきた。暫くして「あっ、そうか」と気付いたが、停車時間はそれほどなく、確か1~2分であったと思う。若干学生たちも下車したが、乗ってくる方が多い。かつてはショッピングセンターがあり、ボーリング場も存在したが、現在はJAの事務所と数件のテナントにとどまる。

(上市はスイッチバック駅。かつては駅ビル内にショッピングセンターやボウリング場もあったが・・・)
しかし各駅停車で終点の宇奈月温泉駅まで向かうとは、いささか抵抗あろうかと思う部分もあるが、こうして視点を変えればその地方の「生活」が見え、なかなか楽しいものだ。むしろ各停の方が「由緒正しい」乗車の仕方かもしれない。そんな事を考えていると西滑川で高校生たちがかなり下車。後で調べてみたらやはり付近に「滑川高校」があるらしい。隣の中滑川は滑川市の中心に近く、乗車人員もかなり多い。ここからかつては現・ライトレールの岩瀬浜までの支線敷設の計画があったが、ご存じの通り現在そのような路線は存在せず、未成線に終わっている。しかし、隣の滑川ではJRと連絡していて、JRからの乗り換え客がかなりあった。学生だけでなく、通勤と思われる乗客もかなりの乗り換えで、座席がそれなりに埋まってきた。若干の区間JRと並走するが、乗り換え客もいてなかなか役割を果たしている。地鉄の「普段」を拝見できて、観光とは違った感覚での乗車も実によろしいが、間もなく「観光専用」となる時間が近づいてきた。

(中滑川から、かつては岩瀬浜までの鉄路が計画されていた。JRと接続する滑川より乗車人員は多い。)

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会いたかったYeah!君に①
2013-06-19
ずっと訪問してみたかった・・・ついに念願かなった2013年6月の旅は、関東地方は梅雨入りも宣言されいるが、それらしき天候らしい日は少なかった。しかし私が北陸に身を預けている時は「らしい」天気が続いた「らしい」。北陸地方は梅雨とは思えぬ晴天が続く中、私は「関西電力黒部見学ルート」に向かうため地鉄を始発から乗車することになった。

(電鉄富山駅。「マリエ」が入居しているが、その一角に改札がある。現在工事中で足元が若干悪いが、完成時には大変便利になることであろう。)
私の見学ルートのスタート地点は欅平の為、地鉄は宇奈月までの乗車となる。見学を終え富山への帰宅ルートが立山からの乗車となり、地鉄制覇には実に効率がいい。
そんな計画を計画通りに進めていったが、実に計画通りに事が進む。まず、地鉄の「顔」となる電鉄富山からのスタートは地鉄の乗りはじめにふさわしい。実は前日に「全線2日間フリー乗車券」を買おうと、JR乗車後、地鉄の改札に向かい「明日使うのですが、フリー切符は今購入できますか?」と訪ねてみた。これは朝方に駅員が不在と考えたための行動であったが、駅員は「明日買ってください」とやさしく笑顔で応対された。「朝一番、駅員さんいらっしゃいますか?」と聞くと「いますよ」との答えに不安が安心に変わった。「よし、明日朝一番で買えるぞ」と思いながら宿泊施設の東横〇ンへ・・・

(私の乗った「元・京阪」。地鉄制覇の際はほぼ全てこの「テレビカー」であった。」
翌日、朝一番で改札に出向くと「昨日の」駅員さんが出迎えてくれた。若干、目は「横山〇すし」、顔の輪郭は「松山英〇郎」風の凛々しい?紳士である(若干例えが古いが・・・)。「あっ、昨日の」みたいな感じで、覚えていてくれて実にありがたく、気持ちのいい朝を迎えた。早速「全線2日フリー乗車券」を購入。4400円は高いか安いかは使い方次第であろう。

(富山駅地鉄ホーム脇では新幹線が急ピッチで工事中。)
電鉄富山は3面4線で対向式ホーム2本、島式ホーム1本の構造で、ピーク時には全面埋まるが、基本、真ん中の島式ホームを主体にしていると思われる。私が訪問した2013年6月12日現在、北陸新幹線の建設工事が急ピッチで進められており、地鉄ホームの横には建設中の新幹線の駅が眺められる。
駅を出ると線路は大きく二股に分かれ国道を渡るが、かつては交直変換のデッドセクション付きの渡り線があり、「スーパー雷鳥立山」・「サンダーバード宇奈月」などの列車名で、いずれも臨時列車扱いで付属編成のJRからの特急の直通列車が入線したほか、かつては475系電車を使った急行「立山」や名鉄車両のディーゼル特急「北アルプス」も入線したことがある。現在は点検車両のような列車が不定期に乗り入れがあるらしいが、いずれにしても、かつての乗り入れ列車が現存していたらぜひ乗車してみたいものだ。

(始発の下り列車のためか、ほぼ貸切状態。しかしこの後、地方ならではの光景が待っていた。)
そして隣の稲荷町までは複線区間で、稲荷町には地鉄の車庫があり「名車」が数多く停泊しているシーンが拝める。私は下りの始発に乗車したが、ほぼ貸切状態で宇奈月まで行くと思われたが、ちらほらと途中駅で「学生諸君」を拾っていき、気がついたら若干ひしめき合ってるではないか。朝の下り列車の貢献は素晴らしいぞ!学生諸君。そんな事を思いながら旅を進めて行くのは「ローカル」に乗車するときのいつもの光景であるが、この「いつものような」が体験できるのは実に「平和」であり「ありがたい」事である。平日でありながら若干の観光客も富山から乗車しているのは地鉄ならではの光景であろうか。私は「乗ってて楽しい」地鉄の旅を更に進めて行くべく宇奈月温泉に向かった。

(稲荷町では地鉄の車庫がある。かつての名車が今もこの地で活躍。)

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(電鉄富山駅。「マリエ」が入居しているが、その一角に改札がある。現在工事中で足元が若干悪いが、完成時には大変便利になることであろう。)
私の見学ルートのスタート地点は欅平の為、地鉄は宇奈月までの乗車となる。見学を終え富山への帰宅ルートが立山からの乗車となり、地鉄制覇には実に効率がいい。
そんな計画を計画通りに進めていったが、実に計画通りに事が進む。まず、地鉄の「顔」となる電鉄富山からのスタートは地鉄の乗りはじめにふさわしい。実は前日に「全線2日間フリー乗車券」を買おうと、JR乗車後、地鉄の改札に向かい「明日使うのですが、フリー切符は今購入できますか?」と訪ねてみた。これは朝方に駅員が不在と考えたための行動であったが、駅員は「明日買ってください」とやさしく笑顔で応対された。「朝一番、駅員さんいらっしゃいますか?」と聞くと「いますよ」との答えに不安が安心に変わった。「よし、明日朝一番で買えるぞ」と思いながら宿泊施設の東横〇ンへ・・・

(私の乗った「元・京阪」。地鉄制覇の際はほぼ全てこの「テレビカー」であった。」
翌日、朝一番で改札に出向くと「昨日の」駅員さんが出迎えてくれた。若干、目は「横山〇すし」、顔の輪郭は「松山英〇郎」風の凛々しい?紳士である(若干例えが古いが・・・)。「あっ、昨日の」みたいな感じで、覚えていてくれて実にありがたく、気持ちのいい朝を迎えた。早速「全線2日フリー乗車券」を購入。4400円は高いか安いかは使い方次第であろう。

(富山駅地鉄ホーム脇では新幹線が急ピッチで工事中。)
電鉄富山は3面4線で対向式ホーム2本、島式ホーム1本の構造で、ピーク時には全面埋まるが、基本、真ん中の島式ホームを主体にしていると思われる。私が訪問した2013年6月12日現在、北陸新幹線の建設工事が急ピッチで進められており、地鉄ホームの横には建設中の新幹線の駅が眺められる。
駅を出ると線路は大きく二股に分かれ国道を渡るが、かつては交直変換のデッドセクション付きの渡り線があり、「スーパー雷鳥立山」・「サンダーバード宇奈月」などの列車名で、いずれも臨時列車扱いで付属編成のJRからの特急の直通列車が入線したほか、かつては475系電車を使った急行「立山」や名鉄車両のディーゼル特急「北アルプス」も入線したことがある。現在は点検車両のような列車が不定期に乗り入れがあるらしいが、いずれにしても、かつての乗り入れ列車が現存していたらぜひ乗車してみたいものだ。

(始発の下り列車のためか、ほぼ貸切状態。しかしこの後、地方ならではの光景が待っていた。)
そして隣の稲荷町までは複線区間で、稲荷町には地鉄の車庫があり「名車」が数多く停泊しているシーンが拝める。私は下りの始発に乗車したが、ほぼ貸切状態で宇奈月まで行くと思われたが、ちらほらと途中駅で「学生諸君」を拾っていき、気がついたら若干ひしめき合ってるではないか。朝の下り列車の貢献は素晴らしいぞ!学生諸君。そんな事を思いながら旅を進めて行くのは「ローカル」に乗車するときのいつもの光景であるが、この「いつものような」が体験できるのは実に「平和」であり「ありがたい」事である。平日でありながら若干の観光客も富山から乗車しているのは地鉄ならではの光景であろうか。私は「乗ってて楽しい」地鉄の旅を更に進めて行くべく宇奈月温泉に向かった。

(稲荷町では地鉄の車庫がある。かつての名車が今もこの地で活躍。)

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関西電力黒部見学ルート③
2013-06-18
黒部見学ルート最終章。インクラインや専用バスに乗り移動しながら黒部の景色や歴史を堪能。かなり充実した見学内容である。

感度が良すぎて分かり辛いが「インクライン下部」駅よりインクラインに乗る。

これが「インクライン」。写真は人車であるが、その人車部分を切り離し、例えば水力発電に使う水車のような部品なども運ぶことができる。

インクライン車内。思っていたより狭くない。しかし参加者全員が乗車すると再び「満員御礼」。

関係者の説明によると、この黒部ルートで歌手・中島みゆきが「地上の星」を何かの番組で歌ったらしい。その模様がインクライン車内で鑑賞された。

インクライン上部駅に到着。ちなみに「ケーブルカー」と言わずに「インクライン」と呼ぶのは、営業用ではない、いわゆる電力関係者や部品を搬送する目的での運用の為「お役所」の管轄が違うらしい。そのため「インクライン」を強調、あくまで「関係者専用」と関係者からの説明。


そして今度は専用バスに乗り黒部湖まで移動する。いよいよ最終章だ。関係者がバスを見送ってくれる。まるでVIP待遇ではないか!



途中で絶景が再びあるというので途中下車。「これが〇〇山です」みたいに参加者に熱心に解説していた。


そして終点黒部湖に到着。一般用のトロリーバス乗場を掠め、再び関係者専用通路へ。



関係者通路を抜け、関係者専用の扉を開けると一般用の「駅」出る。ここで解散の号令があり一同拍手。参加者はここで扇沢方面と立山方面に分かれる。私は黒部湖を若干見物しながら食事をした後立山方面へ向かった。

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感度が良すぎて分かり辛いが「インクライン下部」駅よりインクラインに乗る。

これが「インクライン」。写真は人車であるが、その人車部分を切り離し、例えば水力発電に使う水車のような部品なども運ぶことができる。

インクライン車内。思っていたより狭くない。しかし参加者全員が乗車すると再び「満員御礼」。

関係者の説明によると、この黒部ルートで歌手・中島みゆきが「地上の星」を何かの番組で歌ったらしい。その模様がインクライン車内で鑑賞された。

インクライン上部駅に到着。ちなみに「ケーブルカー」と言わずに「インクライン」と呼ぶのは、営業用ではない、いわゆる電力関係者や部品を搬送する目的での運用の為「お役所」の管轄が違うらしい。そのため「インクライン」を強調、あくまで「関係者専用」と関係者からの説明。


そして今度は専用バスに乗り黒部湖まで移動する。いよいよ最終章だ。関係者がバスを見送ってくれる。まるでVIP待遇ではないか!



途中で絶景が再びあるというので途中下車。「これが〇〇山です」みたいに参加者に熱心に解説していた。


そして終点黒部湖に到着。一般用のトロリーバス乗場を掠め、再び関係者専用通路へ。



関係者通路を抜け、関係者専用の扉を開けると一般用の「駅」出る。ここで解散の号令があり一同拍手。参加者はここで扇沢方面と立山方面に分かれる。私は黒部湖を若干見物しながら食事をした後立山方面へ向かった。

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関西電力黒部見学ルート②
2013-06-15
関西電力黒部見学ルートの後半をご紹介しよう。途中「高熱隧道」を通るが、この区間の工事は相当の苦労があったようだ。この部分は現在は40℃くらいに保たれているが、着工当初は160℃くらいだったと聞いた!戦前の着工で、もちろん機械などでなく「人力」での掘削であるが、作業員に放水しながら作業していたという凄まじい説明を受けた。背中などは焼け爛れ、発破用のダイナマイトも自然発火し殉職された方もいたと聞く。現在は高熱隧道の下に冷却用の導水管などの敷設により温度は40℃位にまで下がっているというのが公式の記録であるが、実際はもっと下がっていて通常の区間の温度と殆ど変わらないと聞いた。しかし私が訪問した時は、冷却用の導水管の一本が点検の為停止しており、高熱隧道区間は一気に熱くなった。何℃くらいかは、はっきりとした説明は無かったが、おそらく30~35℃位の体感温度であったと思う。
では早速紹介してみよう。


上部軌道に早速乗り込むため移動する。途中で絶景があるという事なので後ほどのお楽しみに・・・


床は濡れていて滑りやすい。そのことだけでも「観光用」ではないことを物語る。しかし参加者は電力関係者の言うことをしっかりと受け止め責任ある行動をしていた。一応、分岐器は「スプリング式」の表示であった。

電力関係者の説明を受ける。これから行く「高熱隧道」や「インクライン」など、未知の世界へのアドベンチャーだ。


これが上部軌道の列車たち。ナローゲージで華奢な車体は、例えるなら「坊っちゃん列車」にかなり近い感じである。もちろん作業用の駅のため、乗車口に「ホーム」は無い。

決して広いとは言えない車内で関係者から上部軌道の更なる説明。「坊っちゃん列車」風のトロッコ列車で先へ進む中、先ほど説明した「高熱隧道」を通過。

車内が一気に曇る中、手動ワイパーを動かし曇り除去。しばらくするとトンネルを抜け視界が開けて明るくなった。

すると「仙人谷」という駅に到着。駅と言うより橋梁上の設備といった感じだ。しかし時刻表もあり、ベンチまで装備。一般の駅とほとんど変わらない。


ここで一旦下車し休憩。駅からはこんな景色が見える。




暫く楽しんだ後、再び乗車し終点の黒部川第四発電所へ。ここで発電所に入り電力施設の見学をする。




一通り発電所見学をした後、会議室で10分程の映像を観る。黒部ダム建設の歴史について色々なドラマが凝縮されていた。
この後インクラインで移動し専用バスで黒部湖へ行く。その模様は次回で紹介しよう。

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では早速紹介してみよう。


上部軌道に早速乗り込むため移動する。途中で絶景があるという事なので後ほどのお楽しみに・・・


床は濡れていて滑りやすい。そのことだけでも「観光用」ではないことを物語る。しかし参加者は電力関係者の言うことをしっかりと受け止め責任ある行動をしていた。一応、分岐器は「スプリング式」の表示であった。

電力関係者の説明を受ける。これから行く「高熱隧道」や「インクライン」など、未知の世界へのアドベンチャーだ。


これが上部軌道の列車たち。ナローゲージで華奢な車体は、例えるなら「坊っちゃん列車」にかなり近い感じである。もちろん作業用の駅のため、乗車口に「ホーム」は無い。

決して広いとは言えない車内で関係者から上部軌道の更なる説明。「坊っちゃん列車」風のトロッコ列車で先へ進む中、先ほど説明した「高熱隧道」を通過。

車内が一気に曇る中、手動ワイパーを動かし曇り除去。しばらくするとトンネルを抜け視界が開けて明るくなった。

すると「仙人谷」という駅に到着。駅と言うより橋梁上の設備といった感じだ。しかし時刻表もあり、ベンチまで装備。一般の駅とほとんど変わらない。


ここで一旦下車し休憩。駅からはこんな景色が見える。




暫く楽しんだ後、再び乗車し終点の黒部川第四発電所へ。ここで発電所に入り電力施設の見学をする。




一通り発電所見学をした後、会議室で10分程の映像を観る。黒部ダム建設の歴史について色々なドラマが凝縮されていた。
この後インクラインで移動し専用バスで黒部湖へ行く。その模様は次回で紹介しよう。

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関西電力黒部見学ルート①
2013-06-14
黒部峡谷鉄道を、もちろんご存知であろう。富山県は宇奈月から黒部ダム方面へ南下し、欅平(けやきだいら)までを結ぶ20.1kmの路線である。もともとは発電所建設のための資材輸送などが目的で敷かれた。現在は関西電力から分社化され「営業路線」として鉄道事業を行っているが、もちろん現在も関西電力の黒部ダムにむけて物資などの運搬も行っている。
「時刻表」等を見るとけ欅平でレールは途切れているが、実は欅平から先に「隠れたレール」がある。通常はこの隠れたレールは関西電力の黒部ダムの従業員や物資などを輸送しているが、一部の期間で抽選ながら一般にも公開している。これが「関西電力・黒部見学ルート」である。私は欅平から先の区間を行く目的で参加したが、いわゆる「水力発電」にかける先人の思いがダイレクトに伝わってきて「人間・黒部」のドラマを見た感じである。
今回の私の見学の模様をダイジェスト版ながらご紹介してみよう。

9時12分に黒部峡谷鉄道で欅平駅に着いた私は一旦集合場所である二階食堂へ移動する。

関西電力関係者から説明を受けた後、再びホームへ移動する。今回当選した参加者は30名。

参加者全員ヘルメットを着用。観光では無く、あくまで「見学」を強調する電力関係者だが「写真撮りますか?」などサービスたっぷり。

9時33分、欅平着の「営業用」列車を3両切り離し、電力関係者と共に、時刻表に載ってない「峡谷鉄道」を行く。「営業線」ではない区間に入った途端、トンネル内の岩などが剥き出し状態の区間となる。

3分程乗った後、トロッコ列車を下車。ご覧の通り「観光用」には程遠い通路である。




そしてエレベータ乗場へ移動し、上部専用軌道に向かう。約35人位がいっぺんに乗車し、エレベーター内は超満員札止め状態。身動き取れぬ・・・
そしていよいよ上部専用軌道へ。完全に「電力関係者」となった私たちは、本当の(?)関係者の案内の下(もと)、最も私が体験したかった列車に乗車することとなる。その模様は次回に・・・

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「時刻表」等を見るとけ欅平でレールは途切れているが、実は欅平から先に「隠れたレール」がある。通常はこの隠れたレールは関西電力の黒部ダムの従業員や物資などを輸送しているが、一部の期間で抽選ながら一般にも公開している。これが「関西電力・黒部見学ルート」である。私は欅平から先の区間を行く目的で参加したが、いわゆる「水力発電」にかける先人の思いがダイレクトに伝わってきて「人間・黒部」のドラマを見た感じである。
今回の私の見学の模様をダイジェスト版ながらご紹介してみよう。

9時12分に黒部峡谷鉄道で欅平駅に着いた私は一旦集合場所である二階食堂へ移動する。

関西電力関係者から説明を受けた後、再びホームへ移動する。今回当選した参加者は30名。

参加者全員ヘルメットを着用。観光では無く、あくまで「見学」を強調する電力関係者だが「写真撮りますか?」などサービスたっぷり。

9時33分、欅平着の「営業用」列車を3両切り離し、電力関係者と共に、時刻表に載ってない「峡谷鉄道」を行く。「営業線」ではない区間に入った途端、トンネル内の岩などが剥き出し状態の区間となる。

3分程乗った後、トロッコ列車を下車。ご覧の通り「観光用」には程遠い通路である。




そしてエレベータ乗場へ移動し、上部専用軌道に向かう。約35人位がいっぺんに乗車し、エレベーター内は超満員札止め状態。身動き取れぬ・・・
そしていよいよ上部専用軌道へ。完全に「電力関係者」となった私たちは、本当の(?)関係者の案内の下(もと)、最も私が体験したかった列車に乗車することとなる。その模様は次回に・・・

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JR全線制覇
2013-06-13

2013年6月11日、JR全線制覇を達成した。最終制覇路線は北陸新幹線の高崎~長野であったが、北陸新幹線の最速達列車「あさま505号」で長野駅のホームを踏み入れた瞬間に達成した。
しかしながら、特に「達成した!」みたいな達成感のようなものが無く、むしろ「いつものような」旅の途中の雰囲気である。それからまだJR以外の未制覇路線があるが、今回の制覇で沖縄の「ゆいレール」のみとなり、いつでも「完全制覇」が達成できることとなった。しかし沖縄にすぐ行くつもりは今のところは無い。それより「線の旅」・・・制覇の為の旅とは違う、「点」の旅をしてみたいと常日ごろから思っていたが、そちらの方に力を入れようと思う。そのためこれからも旅を続けて行くため、達成感みたいなものが無いのであろう。
どちらにしても「旅をやめる」わけではないので、これからも私のブログと共に私の「旅」を見守っていただけたら幸いである。

三岐鉄道と関西本線の哀愁(リメイク版)
2013-06-11
「鉄道の日記念切符」の発売に合わせて中京地区の乗り潰しプランを立てた。今回は上りムーンライトながらにて帰郷のため現地にて終電近くまで目いっぱい乗り潰しが出来る。しかし計画段階でどうしても乗りたい三岐鉄道を組み込むことが出来ず、四苦八苦していた。しかし今はインターネット時代。ちょっと頭を働かせれば問題は解決する。そう「コミュニティバス」を途中に組み込むことによって問題が解決したのだが・・・しかし1日3本しかない!そのため乗れるバスはただ1本・・・この限られた条件を最優先に予定を組まなければならないのだ。という事で、散々悩んだ予定表を片手に早速「ムーンライトながら」に乗り込むため小田原に向った。翌朝、名古屋で乗り換え、関西本線の待つホームに向かい驚いた。もう通勤通学時間だというのに列車は閑散とし、ボックス席を占領し朝食を頂く余裕があるほどである。確かに下り列車ではあるが、何か物足りないではないか・・・しかし旅の情緒は失われず、かえって助かった感もあるが、経営者からすれば頭の痛い問題であろう。名古屋を出発した関西本線の列車は、単線のため、各々の駅で列車交換をするが、名古屋に向う列車は確かに立席もでていて通勤通学らしい風景となっていたのだが・・・

やがて富田に到着。ここから約300メートル歩き、三岐鉄道の起点「近鉄富田」に向う予定だ。だが、かつては(JR)富田も三岐鉄道の起点駅であった。しかし近鉄富田にも連絡するようになるとこちらの富田は乗客が減少、ついに旅客営業は廃止となってしまった。しかし未だにホームは健在で、貨物列車は営業しているため私の行った時は長い編成の貨物列車が停泊していた。しかし朝の(JR)富田は閑散としていたが、乗り換えのため近鉄富田に着いた時に更に驚いた。こちらは学生やらサラリーマンで賑っており「通勤風景」であった。上下あわせて約5分おき位に列車がやってきては乗客がドカッと降りてくる。JRと近鉄の現実を見せ付けられた思いだ。早速三岐鉄道の列車を待つ。途中の保々行きの列車を見送り、次の西藤原行きに乗る予定なのだが、その保々行きの列車に近鉄からの乗り換え客がドカッと降りた。なかなか活気に満ちており、私など居る場所が無いほどであった。やがて西藤原行きの列車が到着し、早速乗り込む。ハッキリ言って99パーセント学生に埋め尽くされ、カメラを持っている私などは完全に浮きまくっていた。乗車率で約150パーセントくらいであろうか。そんな列車は私を乗せて西藤原に向ったが、3つ目の「暁学園前」で一気に乗客が居なくなった。その名の通り、高校が近隣にあり完全にスクール列車で、駅ではまるで東京ドームなどで興行が終わり、出口に向い客が集結している風景だ。しかし、ここから先は段々住宅も車窓から消えて行き、変わってセメント工場などが見えてきた。その頃には既に列車は「貸切」となり、乗客は私のみ!セメント工場への引込み線が枝分かれして行き、これが三岐鉄道の「収入源」であることも確認させていただいた。

そして終点の西藤原に到着。下車客は私のみ。折り返し列車となる乗車してきた列車を待つ乗客はゼロであった。そしてここより北勢線の阿下喜に向う事を考え、ここで先ほどの「コミュニティバス」を使うことを思いついたのだ。このバスに乗るのに合わせ他の予定を組んだので、非常に重要となる区間だ。暫くするとバスがやって来た。どんなバスがやってくるのかと思っていたが、いい意味で期待を裏切られた。マイクロバスがくるのかと思っていたら、普通に路線バスサイズがやって来た。これには驚いたが、乗ってみてまたびっくり。料金はどこまで乗っても100円である!既に常連であろう初老の女性が1名乗車していた。そして阿下喜につく頃には十数名乗車していたのだ!しかしこの乗客も、阿下喜のひとつ手前の「病院前」で殆んど下車し、阿下喜へは私一人となった。病院前と阿下喜はさほど離れては無く、むしろ駅から病院の建物が見えるくらいだ。予定時刻通り阿下喜に着き、暫くのインターバル後、北勢線で西桑名目指した。北勢線は、近年まで近鉄の所属であったが、収支係数の悪化と共に身売りをして三岐鉄道の所属となった。駅その他の設備はすっかりリニューアルされたが、線路の企画はいわゆる「ナローゲージ」のため昔の軽便鉄道の名残がある。ナローゲージとは線路幅が762ミリの軌道の事で、昔は全国的に数多く存在した。

現在は北勢線のように残っていること自体珍しいことであるが、軽便鉄道のゲージだけあって車体も狭く小さい。まるでどこかの遊園地の電車に乗っているようだ。私他約2名の乗客でスタートした北勢線は途中で徐々に乗客を増やしていき、七和では近くに高校や商業施設がある事もあり、かなりの乗客があった。終点西桑名に着く頃には立席客も居たほどである。車窓も田園風景から一転、住宅街に変化し市街地の中を走っていた。JRと近鉄をオーバークロスするとスローダウンし西桑名に到着した。駅員に記念にきっぷが欲しい旨を伝え手にしたきっぷは、どこと無く哀愁を醸し出していた。確かに昔ながらのローカル線の香りが漂い、ファンにはたまらない路線であろう。しかし、これだけマイカーが発達した現在、やはり時代遅れの感は否定できず、乗客増の対策はゲージ幅を広げスピードアップしかないであろうが、なかなか課題も多いであろう。北勢線に限らず、ローカル線の生き残りのための対策が全国的な問題となっている現在「無用の長物」にならぬよう大事に見守っていきたい・・・

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やがて富田に到着。ここから約300メートル歩き、三岐鉄道の起点「近鉄富田」に向う予定だ。だが、かつては(JR)富田も三岐鉄道の起点駅であった。しかし近鉄富田にも連絡するようになるとこちらの富田は乗客が減少、ついに旅客営業は廃止となってしまった。しかし未だにホームは健在で、貨物列車は営業しているため私の行った時は長い編成の貨物列車が停泊していた。しかし朝の(JR)富田は閑散としていたが、乗り換えのため近鉄富田に着いた時に更に驚いた。こちらは学生やらサラリーマンで賑っており「通勤風景」であった。上下あわせて約5分おき位に列車がやってきては乗客がドカッと降りてくる。JRと近鉄の現実を見せ付けられた思いだ。早速三岐鉄道の列車を待つ。途中の保々行きの列車を見送り、次の西藤原行きに乗る予定なのだが、その保々行きの列車に近鉄からの乗り換え客がドカッと降りた。なかなか活気に満ちており、私など居る場所が無いほどであった。やがて西藤原行きの列車が到着し、早速乗り込む。ハッキリ言って99パーセント学生に埋め尽くされ、カメラを持っている私などは完全に浮きまくっていた。乗車率で約150パーセントくらいであろうか。そんな列車は私を乗せて西藤原に向ったが、3つ目の「暁学園前」で一気に乗客が居なくなった。その名の通り、高校が近隣にあり完全にスクール列車で、駅ではまるで東京ドームなどで興行が終わり、出口に向い客が集結している風景だ。しかし、ここから先は段々住宅も車窓から消えて行き、変わってセメント工場などが見えてきた。その頃には既に列車は「貸切」となり、乗客は私のみ!セメント工場への引込み線が枝分かれして行き、これが三岐鉄道の「収入源」であることも確認させていただいた。

そして終点の西藤原に到着。下車客は私のみ。折り返し列車となる乗車してきた列車を待つ乗客はゼロであった。そしてここより北勢線の阿下喜に向う事を考え、ここで先ほどの「コミュニティバス」を使うことを思いついたのだ。このバスに乗るのに合わせ他の予定を組んだので、非常に重要となる区間だ。暫くするとバスがやって来た。どんなバスがやってくるのかと思っていたが、いい意味で期待を裏切られた。マイクロバスがくるのかと思っていたら、普通に路線バスサイズがやって来た。これには驚いたが、乗ってみてまたびっくり。料金はどこまで乗っても100円である!既に常連であろう初老の女性が1名乗車していた。そして阿下喜につく頃には十数名乗車していたのだ!しかしこの乗客も、阿下喜のひとつ手前の「病院前」で殆んど下車し、阿下喜へは私一人となった。病院前と阿下喜はさほど離れては無く、むしろ駅から病院の建物が見えるくらいだ。予定時刻通り阿下喜に着き、暫くのインターバル後、北勢線で西桑名目指した。北勢線は、近年まで近鉄の所属であったが、収支係数の悪化と共に身売りをして三岐鉄道の所属となった。駅その他の設備はすっかりリニューアルされたが、線路の企画はいわゆる「ナローゲージ」のため昔の軽便鉄道の名残がある。ナローゲージとは線路幅が762ミリの軌道の事で、昔は全国的に数多く存在した。

現在は北勢線のように残っていること自体珍しいことであるが、軽便鉄道のゲージだけあって車体も狭く小さい。まるでどこかの遊園地の電車に乗っているようだ。私他約2名の乗客でスタートした北勢線は途中で徐々に乗客を増やしていき、七和では近くに高校や商業施設がある事もあり、かなりの乗客があった。終点西桑名に着く頃には立席客も居たほどである。車窓も田園風景から一転、住宅街に変化し市街地の中を走っていた。JRと近鉄をオーバークロスするとスローダウンし西桑名に到着した。駅員に記念にきっぷが欲しい旨を伝え手にしたきっぷは、どこと無く哀愁を醸し出していた。確かに昔ながらのローカル線の香りが漂い、ファンにはたまらない路線であろう。しかし、これだけマイカーが発達した現在、やはり時代遅れの感は否定できず、乗客増の対策はゲージ幅を広げスピードアップしかないであろうが、なかなか課題も多いであろう。北勢線に限らず、ローカル線の生き残りのための対策が全国的な問題となっている現在「無用の長物」にならぬよう大事に見守っていきたい・・・

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魔の姫新線
2013-06-09
姫新線は手強かった・・・2011年7月、ようやく制覇の時を迎えたわけだが、その道のりは決してたやすいものではなかった。時刻表上では簡単に制覇できてはいたが、実際の現場ではトラブルが続き私の行く手を阻む、拒む。では早速紹介してみたい。最初に制覇の計画を立てたのは2009年7月であった。広島地区制覇の際、姫新線を全線通過して芸備線へとつないで広島に出る計画であった。姫路で「サンライズ」を乗り捨て、とりあえず駅前の商店街にある、既に調査済みの喫茶店へと足を運んだ。当然列車は走っているものと思い、普通に朝食をとる何気ない一日の始まりであったが・・・姫路駅に帰ってみると事態は一転していた。なんと水害で一部区間が不通になっていたのだ!私は20ウン年前より鉄道の旅をしてきたが(若干ブランクがあるが)、現地で不通を知るのは初めての体験であった!勿論、代行バスは走っているが、代行バスでは「制覇」にならない。速攻で予定を組みなおし、福山経由で福塩線と芸備線の一部を制覇することにした。

広島には夕方3時半頃に到着したが、かなり時間をもてあますことになったため、妻を広島の宿泊施設において一人可部線の制覇に意欲を燃やした。それから約1年が経ち再び姫新線の制覇を企てた。今度は西日本の鉄道制覇を完了するために姫新線の制覇を組み込んだのだ。予算の都合で今回は「夜行高速バス」を利用し姫路まで行く予定であったが・・・いざ当日になると、乗車地である横浜駅前にて「タイヤパンク」のトラブルに見舞い、なんと出発が一時間半遅れとなってしまった・・・正確には1時間45分くらいであったが、この中途半端な遅れでは払い戻しもできず(2時間遅れで払い戻し)、結局現地到着も1時間40分くらいの遅れのため、この時点で既に姫路からでる姫新線の列車時刻に間に合うわけが無く、深夜の夜行バスの座席で考えた予定で行動することとした。新神戸で新幹線を捕まえ、岡山から津山線で津山より姫新線の津山~新見を制覇する方向へと企てたのだ。津山より元の計画に戻せるのでとりあえず一件落着であるが、恐るべし夜行高速バス!まさか1時間40分も遅れるとは・・・結果的に新・予定通りで姫新線の半分を制覇。残り半分はいつの日か・・・それから年が明け残り半分の制覇を計画したのは2011年3月のことであった。青春18きっぷを駆使しついでに「天浜線」を再び訪れ、グルメロードを堪能する計画とした。天浜線に関しては、国鉄時代の「二俣線」の時に制覇済みであるが、国鉄赤字線廃止ブームの際に第三セクターとして生き残ったローカル線だ。各駅には喫茶店を初め、ラーメン店やレストランなどが軒を連ねる「グルメ路線」として生まれ変わった。
そんな「観光色」の濃い計画を提案した矢先に・・・ご存知の通り、「東日本」に悲劇が起こった・・・一部の自治体では、地震のみならず津波、そして「発電所」の被害も受け、文字通り「大震災」へとなってしまった。震災地区のみならず、日本全体の問題となるが、さすがは日本国民!みんなで助け合い協力しあう姿勢は恐らく世界一であろう。ここというときにチームワークの素晴らしさを発揮するではないか!私もこうして命が残された以上、日本人としての誇りを持ちながらしっかりと台地に足を下ろし人生を歩んで行きたい、そして生きたい。そんな大震災が連日報じられる中、月日は流れ4ヶ月がたった。被災地以外の場所はほぼ通常の生活に戻りつつある中、夏の「青春18」に姫新線を託した!7月下旬の日程で、3月に予定していた工程をそのままスライドした。結果的に何事も無く、怖いくらいに計画通り姫新線の残り半分を制覇した。しかし、これだけ制覇に苦労した路線も珍しいが、実際に制覇してしまえばあっけないものだ。映画「男はつらいよ」の撮影地にもなった「龍野(駅名は竜野)」の町並みも、JRになってからの新造車両のため何だか味気なかったが、地元の生活に密着し利用されていることで成り立っている訳だから「昭和の車両を!」などとはいえない。しかし播磨新宮より津山方はまだ「国鉄」の車両が生き残っており、ローカルムードが爆発していた。4度のチャレンジでようやく射止めた姫新線。しかし姫新線も「制覇の一部」に過ぎない。まだまだ行かなければならない路線が数多く存在する。私は気を引き締めなおし、姫路駅名物「まねきのえきそば」をすすりながら、再開発中の「姫路駅」を見下ろしていた。


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鉄道全線完全制覇の旅

広島には夕方3時半頃に到着したが、かなり時間をもてあますことになったため、妻を広島の宿泊施設において一人可部線の制覇に意欲を燃やした。それから約1年が経ち再び姫新線の制覇を企てた。今度は西日本の鉄道制覇を完了するために姫新線の制覇を組み込んだのだ。予算の都合で今回は「夜行高速バス」を利用し姫路まで行く予定であったが・・・いざ当日になると、乗車地である横浜駅前にて「タイヤパンク」のトラブルに見舞い、なんと出発が一時間半遅れとなってしまった・・・正確には1時間45分くらいであったが、この中途半端な遅れでは払い戻しもできず(2時間遅れで払い戻し)、結局現地到着も1時間40分くらいの遅れのため、この時点で既に姫路からでる姫新線の列車時刻に間に合うわけが無く、深夜の夜行バスの座席で考えた予定で行動することとした。新神戸で新幹線を捕まえ、岡山から津山線で津山より姫新線の津山~新見を制覇する方向へと企てたのだ。津山より元の計画に戻せるのでとりあえず一件落着であるが、恐るべし夜行高速バス!まさか1時間40分も遅れるとは・・・結果的に新・予定通りで姫新線の半分を制覇。残り半分はいつの日か・・・それから年が明け残り半分の制覇を計画したのは2011年3月のことであった。青春18きっぷを駆使しついでに「天浜線」を再び訪れ、グルメロードを堪能する計画とした。天浜線に関しては、国鉄時代の「二俣線」の時に制覇済みであるが、国鉄赤字線廃止ブームの際に第三セクターとして生き残ったローカル線だ。各駅には喫茶店を初め、ラーメン店やレストランなどが軒を連ねる「グルメ路線」として生まれ変わった。
そんな「観光色」の濃い計画を提案した矢先に・・・ご存知の通り、「東日本」に悲劇が起こった・・・一部の自治体では、地震のみならず津波、そして「発電所」の被害も受け、文字通り「大震災」へとなってしまった。震災地区のみならず、日本全体の問題となるが、さすがは日本国民!みんなで助け合い協力しあう姿勢は恐らく世界一であろう。ここというときにチームワークの素晴らしさを発揮するではないか!私もこうして命が残された以上、日本人としての誇りを持ちながらしっかりと台地に足を下ろし人生を歩んで行きたい、そして生きたい。そんな大震災が連日報じられる中、月日は流れ4ヶ月がたった。被災地以外の場所はほぼ通常の生活に戻りつつある中、夏の「青春18」に姫新線を託した!7月下旬の日程で、3月に予定していた工程をそのままスライドした。結果的に何事も無く、怖いくらいに計画通り姫新線の残り半分を制覇した。しかし、これだけ制覇に苦労した路線も珍しいが、実際に制覇してしまえばあっけないものだ。映画「男はつらいよ」の撮影地にもなった「龍野(駅名は竜野)」の町並みも、JRになってからの新造車両のため何だか味気なかったが、地元の生活に密着し利用されていることで成り立っている訳だから「昭和の車両を!」などとはいえない。しかし播磨新宮より津山方はまだ「国鉄」の車両が生き残っており、ローカルムードが爆発していた。4度のチャレンジでようやく射止めた姫新線。しかし姫新線も「制覇の一部」に過ぎない。まだまだ行かなければならない路線が数多く存在する。私は気を引き締めなおし、姫路駅名物「まねきのえきそば」をすすりながら、再開発中の「姫路駅」を見下ろしていた。


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鉄道全線完全制覇の旅
GET WILD!!
2013-06-07

こんな駅を知っているであろうか?駅名だけでどこにあるか、何線の所属かお判りならあなたは相当の「GET WILD」であろう。なぜこの駅が今ここに紹介されているのであろうか。その理由は「無い」。鉄道雑誌や秘境駅シリーズで紹介された訳でもない、もちろんTVなどで放映された記憶もない。
この何の変哲もない駅に私は降り立った。

2007年9月、この時の計画の中での未乗車線区の大糸線を訪問するために私は「ムーンライト信州」を八王子から乗車し夜の信濃路をまっしぐらに突き進む。久々の189系(だと思ったが、もしかして183系かも)に乗車したためなかなか寝れない。というより、かつては115系近郊型車両で運転されていた「中央夜行」に比べたら格段の進歩である。プラス165系の夜行急行「アルプス」と比べても同じである。しかも中央夜行の場合、時間調整の為確か日野春辺りで50分位停車していたのを記憶しているため、小淵沢までが非常に(時間的に)長く感じた。

現在は臨時ながら「ムーンライト」が信濃路(甲斐路?)を行くが、主要駅のみの停車で、かつての「アルプス」よりも「急行らしい」快速列車だ。
松本よりも信濃大町での下車がかなりあったのは、アルペンルートへの玄関口でもあるからであろう。中央夜行の特徴である登山者の足としても利用されているのは昔ながらであろうか。
そんなこんなで白馬には約5時半に到着。大糸線の北への接続は約1時間半くらいの待ち合わせであったため、隣の駅まで行く計画を事前に立てていた。

恐らくこの駅を目的にやってくる観光客や鉄道愛好家はほぼ皆無に近いであろう。ごく一部の「全駅制覇者」等の他に地元の人を除けばこれといった観光要素もないため訪問の理由が無いからだ。
しかしなぜこの駅に行こうと思ったか。先ほど私は「理由は無い」と言ったが、実は私が鉄道から離れている時期にこちらにスキーに来たことが何度かあった。その時に国道の陸橋をわたる際に下に見下ろす駅を発見。もちろん鉄道ファン休止中であってもどんな駅で何駅であったかは承知していた。それをあえて乗り換えの合間を見計らって訪問するとは、よほどのお気に入りの駅と思われるであろう。しかし特にそのようなことは無かったが、何か秘境駅にでも訪問するような気持ちになっていた。

実際にホームに降りてみると普通に「駅」であるが、棒線化されていて列車交換はできない、何気ない駅であった。白馬に近いためか、宿泊施設が付近に存在しているらしいので次回訪問時には利用してみてもいいかもしれない。プレハブっぽい小さな待合室は、冬季などに雪を防御するためには、おそらく二桁ほどであろう乗降客にとってもなくてはならない存在であろう。自転車が留置されている事から、付近の学生諸君がほぼ95%くらいの利用者と思われるが、スキー場のメッカの中にある「陸の孤島」とでも言おうか、この場所だけが生活の匂いを醸し出している感がある。

約30分の滞在であったが、日本で有数の「地味な」駅訪問を体験。大糸線の中での存在感を改めて確認し、次へのステップを進める。車内では早速カレチが乗車券拝見。恐らくこの駅から「鉄道の日記念切符」を使用し乗車してきたのは史上初であろうかと思われる、かもしれない。アルプスの山々を見上げると、季節外れのゴンドラが山肌に張り付き、バブル絶頂期に訪れた私の青春時代の思い出や面影が、形を変えて甦って来る。このころ産声を上げた世代は現在社会人の仲間入りを果たし初々しい姿で明るい未来を築こうとしているとは・・・

何気ない普通の駅でも、何気ない日常がある。そんな体験を訪問先でしてみると違った「日常」があるような気がする。そう、今の私たちにはこの「何気ない」事が無くてはならない存在であり、無ければならない。そんな大事な事を無言で教えてくれた、素晴らしい「何気ない」駅であった。


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出雲大社へ新陳代謝!(リメイク版)
2013-06-05

私はJR「大社駅」に来た。しかし列車はもう来ない・・・そう、ここは既に廃止されているのだ。しかしこの駅は、国の重要文化財に指定されているため、ほぼ往年の面影をそのままとどめている。全盛期には東京や大阪から直通の列車が頻繁にやってきたため有効長の長いホームが2面3線あり、改札も数が多い。しかし線路部は草木が元気よく生い茂り、赤くさび付いたレールがかすかに顔を覗かせる。国鉄からJRになり、その後も現役として頑張ってきた大社線も、時代の波には勝てなかった。1990年春に「過去の物」と変身したのだ。私は1980年代に出雲方面は何度か訪れたが、大社線に乗るチャンスを作れなかった。やっと訪れたチャンスは2010年8月・・・太陽が容赦なく肌を焦がしていくような季節であった。

一畑電車を制覇する途中、妻を「出雲大社前」駅の前にある喫茶店に残し私は一人でバスに乗り「大社駅」へ向かった。といってもほんの1~2分も乗ったか乗らないかであっけなく到着。バスを降りると一気にサウナ風呂にでも来たかのような蒸し暑い空気に包まれながら、バス停から若干徒歩を要し広い空間の奥に神殿造りの建物を見た。ここが旧JR大社駅である。しかし「出雲大社」の玄関口であったにしては、かなり出雲大社から距離がある。1km以上はあろうか。一畑電車の「出雲大社前」駅からも若干、出雲大社とは距離があるが、JRの大社駅はさらに距離があるのだ。これではモータリゼーションの波にに勝てるはずがない・・・しかし、かつては盛隆期も確かに存在したし「玄関口」でもあった。その証拠に、国の重要文化財だけあって、メンテナンスが行き届いてる。今にも列車がやって来そうな感じだ。

駅舎に入ると切符売り場には制服を着た「マネキン」が迎えてくれたが、切符は販売してくれなかった。改札を通り抜けホームに出てみた。先程述べたようにレールは残っているが、数メートル先で鉄路は途切れて公園になっていた。となりのホームにはSLが静態保存されていた。そこには観光客らしき人が(というより観光客だ)家族でSLに乗ったり写真を撮ったりと、なかなかの観光名所となっている。構内は広く、かつては機回し線や側線も多く存在したであろう。ローカル線の終点駅にしては立派だ。しかし、既にここは廃止されている現実。列車はやってこないのだ。暫くすると、若干催したため駅の化粧室に行った。こちらは現役だ!水もちゃんと出るし掃除も行き届いている。増して、こちらも神殿造りとなっているではないか!この化粧室も「重要文化財」なのであろうか・・・
現在、駅としての機能はしていないが、やはりかつての栄光は輝かしい。世の中が便利になり裕福になる中「マイカー」という名の交通手段を我々は手に入れた。「公共」という名の交通手段は限られた不特定多数の人以外、利用する者は極端に減少し、団体は「バス」に変化していった。「ドア・TO・ドア」の時代に「鉄道」は、確かにSLの時代から比べたら進化し便利になっているが「前近代的」かも知れない。SL時代より性能は上がっているのに利用者は減少している。特にそれは地方には顕著に現れている。しかしこうしてかつては「玄関口」としてしっかり出雲大社を支えてきた。既に現役を終え年金生活でも送っているかのような「重要文化財」も、夏の日差しに負けないよう、後世に語り継がれてほしい。


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近鉄バッファロースリーパー⑤
2013-06-03
田原本線を制覇し西田原本に着くと、早速乗り換えるため田原本駅へ向かう。一般道を伝い200mもの距離がある乗り換えは若干抵抗あったが、逆に町の風情を堪能でき一瞬の街歩きぶらり旅と言ったところか。しかしそんな呑気な事を言っているから乗り換え列車が行ってしまった・・・対向式のホームの為どちらから乗車していいのかわからず、おろおろしてしまった。結果的に行ってしまった列車が乗車するはずの列車であったため次の列車まで待つこととなるが、仕方がない。と、列車に乗り遅れて大騒ぎした割に、とても予定通りに近い行程で進行しているので宿泊先の阿波座に向かう事となる。途中、大和八木は立体的に十字にクロスする乗換駅であるが、付近に短絡線があり、愛好家には注目の的であろう。

(生駒でのひとコマ。登美ヶ丘まで行くには近鉄唯一の第三軌条集電方式の列車で向かう。)
再び橿原神宮前まで行き難波まで戻るが、その前に天王寺の「通天閣」付近で「串カツ」を今夜の食事にしようと計画を変更。とりあえず本日の近鉄はここで終了して、食事後に若干正規料金で泉北高速鉄道を制覇する。今回の旅は都市鉄道のため「アドリブ」が効く。そのため前倒しで制覇できるのは都合がいい。
翌日「スルッとKANSAI」と併用で、というより「スルッと~」のみでもOKであるが、けいはんな線と奈良線の制覇に乗り出す。けいはんな線は地下鉄と相互乗り入れをしてるため近鉄唯一の「第三軌条集電方式」である。早速朝から大阪地下鉄の名路線の数々を制覇した後、コスモスクエアから一気に学研登美が丘に向かった。「登美ヶ丘」などとは、なかなかのニュータウン風の名称であるが、ウィキで確認してみたら<駅南方一帯に広がる住宅地「登美ヶ丘」が駅名の由来である。登美ヶ丘という地名は大和国添下郡西部の古代における呼称「鳥見郷(登美郷)」に由来するといわれ、「とみ」は「鳥見」、「登美」、「登弥」などとも古代においては表記された。「とみのさと」の「とみ」は「登美」「鳥見」「富」など現在の奈良市西部から生駒市東部の地名につながる。また、鳥見郷の由来は古代神道の葬祭の一種である鳥葬に由来し、「とみ」は初期には「黄泉」へ上るの意味で、死後の世界へ上る意味があったとされる。神話に登場する物部氏の祖とされる饒速日命は鳥見の白庭山へ遷したという記述があるが、その鳥見の白庭山も奈良市西部から生駒市東部にかけての地域であったとされ、現在の地名の登美ヶ丘や白庭台の由来になったとされている。>と記されていた。やはり「歴史」と深くかかわっているのは近鉄ならではの光景なのか。ここまで近鉄と日本を代表する史跡地が密着しているとは、いやぁ~私も「日本の歴史」をいちから勉強しなければとつくづく思った。逆に歴史の得意な方が近鉄の制覇の旅をするととても面白く感じるであろう。

(単なるニュータウンと思っていた「登美ヶ丘」には深い意味が・・・)
そんなことを考えていたらちょうど昼食の時間となった。前日に確認しておいた生駒駅前の「駅前そば」で冷やしたぬきをいただくことに。しばしの休息の後、奈良線で大阪難波に着けば近鉄路線全線制覇である!全線制覇はその気になれば2日間で可能であろう。しかし3日間有効のフリー切符を使うなら、所々に観光を鏤めるといい。充分3日間で制覇できるはずだ。
ところでここまでお付き合いいただいた方で「おや?」と思われる方がいらしたのではないか?そう、京都~大和西大寺~奈良間の制覇はどうした?という事だ。今回はこの区間を紹介してない。
実はこの「近鉄バッファロースリーパー」シリーズの冒頭で紹介した「修学旅行以来」というところで紹介した通り、1982年の修学旅行時に京都から団体専用列車のビスタカーで既に制覇済みであった。地下駅の近鉄奈良は、JRの奈良駅に比べ随分狭く感じたが、現在のJR奈良駅は高架化されものすごくシンプルになった。そのため昔の面影は全くなく、歴史的観光地を代表する駅とは思えぬくらい「通勤駅」に変化してしまった。

(大阪と言えば・・・の部類に入る通天閣界隈。私は「えびすや」で名物をいただいた。)
「いずれ制覇しなくては・・・」と思っていた近鉄も、制覇してしまえば呆気ないものであった。しかしそれはただ「制覇」しただけであり、近鉄の歴史に深くかかわったわけでもない。次回訪問する時はひと駅ひと駅下車する気持ちで挑みたいと思う。と言っても全駅は無理なので気になる駅をピックアップしてみてもいい。そしてその時に近鉄のいままで歩んできた歴史の1ページでも触れられる事が出来るだけでも「週末フリー切符」の価値が再発見できることであろう。

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鉄道全線完全制覇の旅

(生駒でのひとコマ。登美ヶ丘まで行くには近鉄唯一の第三軌条集電方式の列車で向かう。)
再び橿原神宮前まで行き難波まで戻るが、その前に天王寺の「通天閣」付近で「串カツ」を今夜の食事にしようと計画を変更。とりあえず本日の近鉄はここで終了して、食事後に若干正規料金で泉北高速鉄道を制覇する。今回の旅は都市鉄道のため「アドリブ」が効く。そのため前倒しで制覇できるのは都合がいい。
翌日「スルッとKANSAI」と併用で、というより「スルッと~」のみでもOKであるが、けいはんな線と奈良線の制覇に乗り出す。けいはんな線は地下鉄と相互乗り入れをしてるため近鉄唯一の「第三軌条集電方式」である。早速朝から大阪地下鉄の名路線の数々を制覇した後、コスモスクエアから一気に学研登美が丘に向かった。「登美ヶ丘」などとは、なかなかのニュータウン風の名称であるが、ウィキで確認してみたら<駅南方一帯に広がる住宅地「登美ヶ丘」が駅名の由来である。登美ヶ丘という地名は大和国添下郡西部の古代における呼称「鳥見郷(登美郷)」に由来するといわれ、「とみ」は「鳥見」、「登美」、「登弥」などとも古代においては表記された。「とみのさと」の「とみ」は「登美」「鳥見」「富」など現在の奈良市西部から生駒市東部の地名につながる。また、鳥見郷の由来は古代神道の葬祭の一種である鳥葬に由来し、「とみ」は初期には「黄泉」へ上るの意味で、死後の世界へ上る意味があったとされる。神話に登場する物部氏の祖とされる饒速日命は鳥見の白庭山へ遷したという記述があるが、その鳥見の白庭山も奈良市西部から生駒市東部にかけての地域であったとされ、現在の地名の登美ヶ丘や白庭台の由来になったとされている。>と記されていた。やはり「歴史」と深くかかわっているのは近鉄ならではの光景なのか。ここまで近鉄と日本を代表する史跡地が密着しているとは、いやぁ~私も「日本の歴史」をいちから勉強しなければとつくづく思った。逆に歴史の得意な方が近鉄の制覇の旅をするととても面白く感じるであろう。

(単なるニュータウンと思っていた「登美ヶ丘」には深い意味が・・・)
そんなことを考えていたらちょうど昼食の時間となった。前日に確認しておいた生駒駅前の「駅前そば」で冷やしたぬきをいただくことに。しばしの休息の後、奈良線で大阪難波に着けば近鉄路線全線制覇である!全線制覇はその気になれば2日間で可能であろう。しかし3日間有効のフリー切符を使うなら、所々に観光を鏤めるといい。充分3日間で制覇できるはずだ。
ところでここまでお付き合いいただいた方で「おや?」と思われる方がいらしたのではないか?そう、京都~大和西大寺~奈良間の制覇はどうした?という事だ。今回はこの区間を紹介してない。
実はこの「近鉄バッファロースリーパー」シリーズの冒頭で紹介した「修学旅行以来」というところで紹介した通り、1982年の修学旅行時に京都から団体専用列車のビスタカーで既に制覇済みであった。地下駅の近鉄奈良は、JRの奈良駅に比べ随分狭く感じたが、現在のJR奈良駅は高架化されものすごくシンプルになった。そのため昔の面影は全くなく、歴史的観光地を代表する駅とは思えぬくらい「通勤駅」に変化してしまった。

(大阪と言えば・・・の部類に入る通天閣界隈。私は「えびすや」で名物をいただいた。)
「いずれ制覇しなくては・・・」と思っていた近鉄も、制覇してしまえば呆気ないものであった。しかしそれはただ「制覇」しただけであり、近鉄の歴史に深くかかわったわけでもない。次回訪問する時はひと駅ひと駅下車する気持ちで挑みたいと思う。と言っても全駅は無理なので気になる駅をピックアップしてみてもいい。そしてその時に近鉄のいままで歩んできた歴史の1ページでも触れられる事が出来るだけでも「週末フリー切符」の価値が再発見できることであろう。

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鉄道全線完全制覇の旅
近鉄バッファロースリーパー④
2013-06-02

(橿原神宮前駅前。意外に人通りが多くない。「神宮」と名乗るが、意外に生活の香が漂う。)
尺土から急行で一気に吉野に向かう。駅前には吉野山が聳え立ち、いかにも「観光」的な雰囲気である。それよりこれからも私は近鉄全線制覇に向け先を急がなければならず、観光などしている余裕が無い。
吉野を折り返し橿原神宮前に向かう。橿原線との接続駅であり構内は広い、というよりYの字調になる構内だが、確か吉野線と橿原線はレールがつながっていなかった記憶がある。とはいえ、ホームから線路を見た限りではそんな事は全く分からないが、お互いに「性格」が違うのであえて直通運転をする必要もないのであろう。しかし構内の広さはレールファンの目を引く。

(天理は宗教の街である。JRとも連絡し乗降客は多い。)
橿原神宮前より北上し平端で天理線に乗り換え天理に向かう。天理と言えば、その名の通り「天理教」の街として知られ、宗教名がそのまま市の名前になった唯一の街である。しかし私は全くと言っていいほど関連・関係が無いため駅に訪れる理由はただひとつである。その理由が終わればただ只管折り返すのみであるが、大和西大寺まで直通の列車に乗車したため大和西大寺に行くには都合がいい。だが、妙な事件が起こった。実は車内でスマフォ」を拾得してしまったのだ。さぞ落とし主は困っていると思い、大和西大寺駅で駅員さんに事情を伝え渡したが、やはり他人の所有物を持ち歩くというのは非常に落ち着かない気分だ。落ち着いて「制覇の証」も撮影できない。
それはともかく、所有者にちゃんと引き渡されてればいいも思うのだが・・・
大和西大寺駅より生駒まで奈良線で生駒に向かうが、この大和西大寺、非常に複雑な構内配線として有名である。

(画像はウィキペディアより、大和西大寺の配線図である。はっきり言って何がなんだかわからない!)
ちょっとウィキから画像を転用させてもらった。というより、ウィキに配線図が掲載されている事自体「複雑だよ」と訴えているようなものだ。要するに四方からくる路線が平面交差する形をとるため、見た目はダイナミックであるが、実用上はかなり危険が伴い信号操作の気を使うのではないか。もっとも「オートメーション」化されてはいると思うが、費用云々は別と考えて立体交差式にすればかなりのリスクが減少すると思われるのはだれでも考えるところだ。
生駒まで行くと今度は生駒線を制覇する。王子まで一気に来ると、今度は田原本線に乗る。「たはら・ほんせん」と勘違いされることが多いと聞くが、本来は「たわらもと・せん」が正解だ。王子駅から若干徒歩を要するのは若干不便を感じるが、本当に典型的な生活路線である。終点の西田原本も田原本駅と離れており、いささか便が悪いが、かつては「大和鉄道」という会社が原点であり、合併などを繰り返し現在の姿になっている。その名残か、田原本線だけがなんだか独立している感じであり、近鉄の感じがしない。というのも、近年の乗客減により途中駅が無人化されてしまったため、ローカルムードが醸し出された感がある。

(王子駅から田原本線に乗車するには若干徒歩を要し「新王子駅」に移動しなければならない。)
考えてみたら二日目は奈良県内ばかりを走り抜け、まるで史跡めぐりの旅をしているようだ。先述した「急行銀河51号」記事で「京都は似合わない」と私は言ったが、奈良県は更に「似合わない」事を確信した。「近鉄」と軽く考えていたが、実際に乗車してみると物凄く史跡や遺跡巡りの連続で、歴史と深いかかわりのある鉄道である事を知ることができた。その事が分かっただけでもこの旅をした価値が出てきたような気がする。しかしそこに「生活」という名の人間の営みがある。その「営み」と深くかかわっている近鉄は、その人にとってはもっと価値のあるものであろう。なんだか「風来坊」のような旅をしている自分が申し訳なく思い、改めて近鉄に敬意を表しながら再び乗り潰しの旅を進めていった。

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鉄道全線完全制覇の旅
近鉄バッファロースリーパー③
2013-06-01
賢島より只管折り返す作業に取り掛かるが、約30分あるので食事をしようと思ったが、先述したとおり適した店舗に巡り合えず、結局駅弁を購入し特急車内で食べることにした。既に15時近くに達しており、一気に大阪難波まで行きたいところであるが、ちょっと支線を処理していく予定だ。とりあえず直通特急は30分後まで待たなければならないため宇治山田乗り換えバージョンで難波を目指す。途中、鳥羽や伊勢市を通るが、どちらもJRと共同使用駅であるが、特に鳥羽では「駅そば」が自分の中では大変好評であった。JR参宮線制覇時にほんの短い時間を使いいただいた。ここで味の評論をするよりも、是非お試しいただいて自身で確認していただくと、その「美味振り」が分かるであろう。

(賢島に停車中の近鉄特急。色のバージョンが違うような気がするが、土曜日ともあると観光客がチラホラと。しかし伊勢市や宇治山田からドカッと乗ってくる。)
大阪難波に行く前にひとつの支線の処理は信貴線である。途中、大和高田で特急から準急に乗り換え河内山本で乗り換え信貴山口へ。河内山本から信貴山口はわずか5分の旅である。3分のインターバル後再び河内山本に引き返すが、この支線の往復に費やした時間はわずか13分。きめ細やかな乗り換え&折り返しは会社線ならではの制覇パターンである。
再び準急に乗り鶴橋、大阪難波と乗り換えて地下鉄で阿波座に着く。阿波座ではベースとなる宿泊施設を手配してある。京阪中之島駅も徒歩圏内にあり、非常に予定を組みやすく便利である。
かつて私の制覇旅は夜汽車(ちょっと表現が古いが)で一夜を明かす場面が多かった。現在は宿泊施設を手配し体に負担をかけないようにしている。これも年齢を重ねたせいであろうか。

(大阪阿部野橋駅にて。JR天王寺駅と隣接しており乗り換えに便利である。ホームもたくさんありターミナルの風格堂々。)
次の日は、地下鉄で天王寺まで行き大阪阿部野橋からのスタートである。列車に乗る前に天王寺駅前の「スタバ」で軽い朝食。日曜の朝なので天王寺の駅前であるが人通りは多くなく、意外にひっそりした感があった。若干工事中であったが、人影まばらの為ゆっくり時間が過ぎていく。
と言ってもあまりゆっくりしていられないため大阪阿部野橋駅のホームに移動し南大阪線を制覇に取り掛かる事にした。 と言ってもこれまた細かい支線が枝分かれしているのでひとつひとつ制覇していくしかない。
さて、大阪阿部野橋を出発した私は道明寺に向かった。途中、藤井寺では「球場」を思わず探してしまったが、既に面影すらなく、全く「野球」の痕跡もないくらい建物がびっちりと詰まった景色が見えた。

(確か柏原にて。JRとの連絡もあり乗り換え客も多い。)
ふたつとなりの道明寺より道明寺線を制覇する。柏原で折り返すが「道明寺」「藤井寺」等、宗教的な名称が多いこの町は、古墳や寺院などが多く存在し「世界遺産」の登録を目指しているらしい。
そんな歴史的な街をも私は「制覇」の一部に過ぎない。道明寺から今度は河内長野に向かう。古市で乗り換えなしの直通列車で向かう。

(河内長野で南海と連絡する。近鉄と南海・・・かつての名勝負が思い出されそうだ。)
長野線で河内長野に向かうが、河内長野で南海と連絡する。近鉄と南海の融合・・・昔からあった光景であるが、関東出身の私から見たら何か不思議な感じがする。どうもわたしの「関西」のイメージは「火花が散る」とでも言おうか「阪神VS阪急」の、まるで野球の試合ではないが「デットヒート」のイメージしかなかった。しかしこの河内長野では同じ構内で仲良く顔をそろえるのが何とも微笑ましかった。実は2009年10月に最初の関西私鉄制覇の際に南海側から近鉄の河内長野ホームを初めて見たときにはそれほど感じなかったが、今回の近鉄での訪問では不思議と引き付けられた、とでも言おうか、なんだか不思議な感覚に陥った。
そんな河内長野を数分で折り返し古市で乗り換え尺土に向かう。今度は御所線の制覇だ。

(いかにも「史跡めぐり」風の駅が続く。日本を代表する歴史的な史跡が多く存在する。私はそれらをスルーし只管「近鉄巡り」が続く。)
御所線の終点、近鉄御所は葛城山への玄関口でもあり、大晦日から元旦にかけては初日の出を拝む人でごった返すと聞く。そのため終夜運転が実施され、近鉄のホームページにも紹介されるという。
私は史跡めぐりや歴史的学問には全く疎いため、なんだかこの近鉄制覇は私のテリトリーでは無いような気持ちが押し寄せる。しかしそんな地区でも列車は普段と変わらなく運転されているということは非常にうれしい事である。御所線を制覇し吉野に向かうが、この後更に史跡めぐりは続くのである・・・

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鉄道全線完全制覇の旅

(賢島に停車中の近鉄特急。色のバージョンが違うような気がするが、土曜日ともあると観光客がチラホラと。しかし伊勢市や宇治山田からドカッと乗ってくる。)
大阪難波に行く前にひとつの支線の処理は信貴線である。途中、大和高田で特急から準急に乗り換え河内山本で乗り換え信貴山口へ。河内山本から信貴山口はわずか5分の旅である。3分のインターバル後再び河内山本に引き返すが、この支線の往復に費やした時間はわずか13分。きめ細やかな乗り換え&折り返しは会社線ならではの制覇パターンである。
再び準急に乗り鶴橋、大阪難波と乗り換えて地下鉄で阿波座に着く。阿波座ではベースとなる宿泊施設を手配してある。京阪中之島駅も徒歩圏内にあり、非常に予定を組みやすく便利である。
かつて私の制覇旅は夜汽車(ちょっと表現が古いが)で一夜を明かす場面が多かった。現在は宿泊施設を手配し体に負担をかけないようにしている。これも年齢を重ねたせいであろうか。

(大阪阿部野橋駅にて。JR天王寺駅と隣接しており乗り換えに便利である。ホームもたくさんありターミナルの風格堂々。)
次の日は、地下鉄で天王寺まで行き大阪阿部野橋からのスタートである。列車に乗る前に天王寺駅前の「スタバ」で軽い朝食。日曜の朝なので天王寺の駅前であるが人通りは多くなく、意外にひっそりした感があった。若干工事中であったが、人影まばらの為ゆっくり時間が過ぎていく。
と言ってもあまりゆっくりしていられないため大阪阿部野橋駅のホームに移動し南大阪線を制覇に取り掛かる事にした。 と言ってもこれまた細かい支線が枝分かれしているのでひとつひとつ制覇していくしかない。
さて、大阪阿部野橋を出発した私は道明寺に向かった。途中、藤井寺では「球場」を思わず探してしまったが、既に面影すらなく、全く「野球」の痕跡もないくらい建物がびっちりと詰まった景色が見えた。

(確か柏原にて。JRとの連絡もあり乗り換え客も多い。)
ふたつとなりの道明寺より道明寺線を制覇する。柏原で折り返すが「道明寺」「藤井寺」等、宗教的な名称が多いこの町は、古墳や寺院などが多く存在し「世界遺産」の登録を目指しているらしい。
そんな歴史的な街をも私は「制覇」の一部に過ぎない。道明寺から今度は河内長野に向かう。古市で乗り換えなしの直通列車で向かう。

(河内長野で南海と連絡する。近鉄と南海・・・かつての名勝負が思い出されそうだ。)
長野線で河内長野に向かうが、河内長野で南海と連絡する。近鉄と南海の融合・・・昔からあった光景であるが、関東出身の私から見たら何か不思議な感じがする。どうもわたしの「関西」のイメージは「火花が散る」とでも言おうか「阪神VS阪急」の、まるで野球の試合ではないが「デットヒート」のイメージしかなかった。しかしこの河内長野では同じ構内で仲良く顔をそろえるのが何とも微笑ましかった。実は2009年10月に最初の関西私鉄制覇の際に南海側から近鉄の河内長野ホームを初めて見たときにはそれほど感じなかったが、今回の近鉄での訪問では不思議と引き付けられた、とでも言おうか、なんだか不思議な感覚に陥った。
そんな河内長野を数分で折り返し古市で乗り換え尺土に向かう。今度は御所線の制覇だ。

(いかにも「史跡めぐり」風の駅が続く。日本を代表する歴史的な史跡が多く存在する。私はそれらをスルーし只管「近鉄巡り」が続く。)
御所線の終点、近鉄御所は葛城山への玄関口でもあり、大晦日から元旦にかけては初日の出を拝む人でごった返すと聞く。そのため終夜運転が実施され、近鉄のホームページにも紹介されるという。
私は史跡めぐりや歴史的学問には全く疎いため、なんだかこの近鉄制覇は私のテリトリーでは無いような気持ちが押し寄せる。しかしそんな地区でも列車は普段と変わらなく運転されているということは非常にうれしい事である。御所線を制覇し吉野に向かうが、この後更に史跡めぐりは続くのである・・・

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鉄道全線完全制覇の旅