いざ、競輪場へ! ③

競輪場前を後にした私は岩瀬浜まで貸切の車内で「競輪場」の余韻に浸る。と言っても私は競輪などには全く興味が無く「参戦」した事もない。しかしながら競輪場前駅であれだけの利用者があるのは嬉しい限りだ。

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(岩瀬浜駅に停車中の「ポートラム」。私の好む色は「青」の為、願ってもない幸運であった。)

そして岩瀬浜駅に到着。運転手に、宿泊先でもらった乗車料金半額券と料金を渡すと何やら鞄を探り出した。観光案内のパンフレットを私たちにくれたのだ。そう、ここ岩瀬浜は先日旅番組でも放送していたが、海水浴場はもちろん、古い町並みも残っており観光スポットも少なくない。ライトレールもこの「観光案内」に一役買っているのだ。そんな観光名所を路面電車で来れるなんて、なんて素敵であろう!しかも「フィーダバス」の乗場がすぐ隣にありとても便利。近くの水橋漁港前まで約30分ヘッドで運転されている。

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(バスと電車が同じホームで乗り換えられる。熊電の「御代志」と同じパターンだ。)

そして土・日・祝日はあの「万葉線」方面までフィーダーバスが運転されており、乗り潰し派にはとても重宝するであろう。という私もそのひとりを構成しているのだが、この日は平日の為運転は無く、ポートラムで折り返した。

姿を変えた「富山港線」を制覇した私だが、やはりできれば国鉄時代に「旧型」で制覇してみたかった。しかし時は流れ新しくなった「ポートラム」で見る景色は実に新鮮。「旧」も良いが「新」も良い。ライトレールの魁となった富山港線は、自身の方向性について決して間違った「選択」をしていなかったであろう。その答えは「現在」が証明している。

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いざ、競輪場へ! ②

ということで、旧・富山港線を「ライトレール」にて訪問した私だが、普通に路面電車に乗っていながら、かつてのJR区間に入るとガラッと雰囲気が変わる事に気付く。もちろんホームなどはリニューアルされているのであるが、かつての「面影」もチラホラと顔を出すので微笑ましい。

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(城川原では車庫と本社がある。画像はウィキより。)

途中、城川原では車庫と本社がありライトレールの拠点となっている。JR時代は線内唯一の列車交換設備のある駅であった。ホームは既に「ライトレール仕様」となっていて昔の面影はないが、JRとして機能していた「証」みたいなものを感じ取る事が出来るのはこの「交換設備」であろう。
そんな「事前調査」と照らし合わせながら乗車する「路面電車」はなかなかの乗車率。先ほどから気になっている「初老の紳士」数名は途中駅を全くと言っていいほど目もくれず、只管「新聞」を隈なく眺めている。これはやはり・・・

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(競輪場前駅に隣接する「競輪場」。昔の「競輪場」のイメージは無く明るくて華やか。)

予感は的中する。常設駅となったかつての「臨時駅」が近づくと、初老の紳士軍団が何やらそわそわしだした。そう、やはり皆様は「競技」を観戦しに来たのだ!あれだけ乗っていた乗客も、この「競輪場前」に到着すると挙って下車してしまい、乗客は私たちのみとなってしまった。しかしながら、逆に列車としての「使命」を果たすかの如く、皆様しっかりとライトレールを利用しており「地域密着」していてすっかり定着した印象を受けた。もちろん国鉄~JR時代も利用はあったと思うが「臨時駅」であるため競輪開催日しか営業されず、付近の住民などは普段利用しにくかったであろう。そんな見えない「改良」を実感しながらこの「競輪場」を後にし、終点の岩瀬浜に向かう。

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(競輪場前駅の駅名表。かつては「臨」の文字があった事であろう。)


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いざ、競輪場へ! ①

ご存じ、JR富山港線を改良し再生させたのが現在の「富山ライトレール」だ。富山港線時代は、私のイメージだと「鶴見線」のように旧型国電が走り、北陸唯一の「直流」の感が強かった。子供ながらに「直流区間の富山港線に他の地方から列車を持ってくるのにそこまでの道のりが交流区間なのにどうやって車両が富山港線まで行くのだろう?」と素朴な疑問を持ったものだ。まぁ、子供の考える事だからしょうがないが、しかし既に子供ながらに「直流」「交流」という知識を身に着けていたため、理科の授業で初めて電気をやったときに若干得意げであった。これも「富山港線」のおかげか・・・

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(「富山駅北」となった富山駅の「富山港線」乗場。向かって右側が降車用ホーム、左側が乗車用ホーム。)

そんな昔話はさておき、私的に富山港線でひと際目立った存在だったのが「競輪場前」だ。国鉄時代は「臨時駅」として競輪開催日のみに営業していたという「特異」な輝きがあった。ライトレールとなった現在は常設駅として活躍しているが、私は富山港線時代の競輪場前を訪問したことが無い。というより北陸地方自体、初訪が2007年である。なぜだろうかって?以前にもチラッと触れたが、かつて私は「青春18派」だったためこの北陸地方は夜行普通列車が運転されてない地区であった。未成年の私に「ホテル」等とんでもない!「いかに経費をかけずに」がテーマであったため、どうしても「空白地帯」ができてしまっていた。
そんな北陸地方も、気が付けば全線制覇。あの「城端線」や「氷見線」、「富山地方鉄道」など、ここ4~5年で一気に制覇したものの、やはり「1980年代に」訪問していればまた一味違った思い出ができていた事であろう。

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(わかり辛いが旧・富山港線の廃線跡が写真中央に見える。「自転車・歩行者専用道路」の標識がある所が旧・富山港線だ。)

さて、私はこの富山港線を2013年6月に訪問。度々現れるが「黒部見学ルート」の旅の行程の中での3日目になったが、このライトレールと富山地方鉄道の軌道線と連結するらしい話を聞いた。恐らく北陸新幹線開通時には実現されることであろうと思われるが、そうするとメチャメチャ便利になる。というのも、実はライトレールに乗る前に地鉄の軌道線を制覇しており、富山駅で「南」から「北」への乗り換えとなった。その際に2007年訪問時には経験していたあの「地下道」を永遠と延々と歩かなければならなかった。体感時間で恐らく2万年はかかったであろう、あの長い地下道を潜り抜けるとようやく「富山駅北」に到着した。
とりあえず2007年訪問時と変わっておらずホッとした。と言っても2007年の訪問時はライトレールに乗車しておらず、ただこの「富山駅北」駅を写真に収めただけであった。まだライトレールになって間もなかったため、運賃は現在の半額の「100円」でキャンペーン中であった。何と、あの「ダイ〇ー」で一品購入するより5円安い!これはかなりの「お買い得」であった。

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(富山港線時代より若干駅が増えたが、昔の駅名もしっかり健在。)

この後、ようやく念願かなって「競輪場前」に訪問することになるが下車の予定はない。やはり予定に組み込むべきであったのであろうか?いや、変な「誤解」をされては困るので・・・


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風立ちぬ②

越ノ潟駅に到着。かつてここから先にまだレールがあった・・・現在はもちろんその姿は無いが、船という別の交通手段で対岸まで繋がっている。普通に考えても路面電車の終着駅がこのような趣きがあるとは、何とも素敵でドラマチックだ。高岡駅前から乗車してきた私は、越ノ潟に到着する頃には私たちのみが乗車率を構成してしまった。折り返し乗車する列車も他に乗客がおらず、いささか独占してしまったようだ。ここでは越ノ潟駅と江尻駅を紹介しよう。


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哀愁漂う越ノ潟駅にて。フェリー乗り場はすぐそばにあり乗り換えに便利。列車内には他の乗客は皆無であった・・・


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江尻駅。付近にショッピングセンターがあり買い物に便利。

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フリー切符は3種類あると説明受けた。内容は同じであるが外見が違うらしい。私はご覧の切符を購入。



越ノ潟から先、私は当初船を使い対岸からバスで富山駅に向かう予定であったが、急きょ予定を変更。折り返して高岡からJRで富山に向かった。途中、江尻にあるショッピングセンターで食料品を購入。翌日の黒部見学ルートにも若干持参したが、これが大活躍するとは夢にも思わなかった。
車両は路面仕様であるが、なかなか風情あふれる新・旧のふれあい。間もなく夏本番を迎える北陸の潮風は、いつしか「万葉色」に染まっていった。



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風立ちぬ①

関東地方では梅雨も明け連日の猛暑が続いたが、暑さも一時休憩となり過ごしやすい日がわずかに顔を覘かせた。それも束の間、また再び猛暑日がやってくることであろう。
関東地方が梅雨に入ったころ、私は「関西電力・黒部見学ルート」に参戦したのは散々紹介してきたが、見学ルートの前日に万葉線に寄り道してみた。かつては「加越能鉄道」と呼ばれ、高岡駅前駅から六渡寺駅までが軌道法による軌道である高岡軌道線、六渡寺駅から越ノ潟駅までが鉄道事業法による鉄道である新湊港線の2路線に分かれているが、一体の路線「万葉線」として運行されている。
そんな万葉線を、私はかなり地味な存在として観ていたが、いざ訪問してみると、鉄道設備が「風光明媚」とでも言おうか、どことなく懐かしさが漂う。軌道線では、普通に「路地裏」のような生活道路もすり抜ける場所もあり地元「超」密着型の印象だ。



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現在、高岡駅の駅舎は工事中で、駅前も再開発工事中。


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その工事中の脇を、仮設の歩道で万葉線乗場に向かうと・・・


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万葉線乗場が現れる。昔ながらの佇まいだ。


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高岡駅前から私が乗ったMLRV1000形電車。MLRVは「Manyosen Light Rail Vehicle」の頭文字を取ったもの。


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新型車両とは裏腹に、設備は「風光明媚」。


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万葉線を支える車両群。所々ですれ違うラッピング車両が愛らしい・・・


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「のりば」と書かれた「安全地帯」は一応「停留所」として機能しているが、ここで列車を待つのは若干勇気がいりそう・・・


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こんな「地元密着」のような生活道路にも顔を出す。電車というより「路線バス」の印象かも。


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途中、米島口には車庫がある。本社も付近にあり運転手もここで交代。


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三陸縦貫の旅⑦

久慈を離れると、景色が見えないのは残念だが28年振りくらいに種差海岸や、後発の「プレイピア白浜」を通り、若干個人的な思い出のある(ちょっとこのブログでは記せない甘く切ない思い出とでも言いましょうか・・・)本八戸を過ぎると、本日の宿泊先の八戸に到着。新幹線が乗り入れて景色が一転してスッキリした感じがある。が、駅前は古くからの建物も多くあり懐かしさを感じさせてくれた。その名の通り「本八戸」の方が八戸の中心部にあり商業施設も多々ある。そしてなにより漁港が付近にあり、特に水産加工品は大変有名だ(「いか」とか・・・)。時刻表に載ってない「臨海鉄道」もあり、なんだかワクワクしてくる。

そんな感じで個人的に「蒼い」思い出が宿るこの八戸の街を、再び「制覇」という形で訪問することとなった。しかし、周知の通り、この2か月後に誰も想像しなかった事が起こった・・・
現在では復興してきていると思われる三陸地域であるが、私たちが考えている以上にまだまだ復興の兆しが見えていないのかもしれない。しかし現地の人たちは、思った以上に表情は明るい。実際に震災後に現地で確認したわけではないが、各メディアを通してみる限りそのような印象を持てたのは実にうれしい事と思う。

そう、八戸・・・私が十代の頃、急に仕事を退職して実家の八戸へ帰ってしまった「あの娘」は今どうしているのであろうか・・・この「三陸」という地に来るとかつての「蒼い」思い出がよみがえってくる。私は震災後もこうしてブログを更新できる事が出来る事は実にありがたい事だ。そう、生きているのだ!というより、もしかしたら「生かされている」のかも知れない・・・なんだか宗教的な表現になってしまったが、そういう事では無く、むしろこの「生かされた」命をもっと有意義にしなければいけないであろう。私たちはこの「生かされた」命で、この震災の教訓を後世に伝えなければならない。立派な「生き証人」として・・・

この震災で気付いた事、わかった事。それは島国特有の「一体感」と私は感じた。助け合う・・・普段私は、頭でわかっていても実際に普段から実行している事は多いとは言えない。しかし、本当に非常事態の時に、関東地区などでは帰宅困難者などに無料で、例えば横浜アリーナや東京国際展示場などを解放して支援する・・・これは国などからの指令よりもむしろ管理者の判断での事であろう。そして誰からの指令があるわけでもなくお互いを助け合い、そして「チームワーク」をフルに発揮した印象だ。実は私の妻は、当日は海老名駅付近で実母と会合し、帰宅した直後であったらしい。駅前の某コーヒーショップは無料で飲み物を提供。その後閉店時間になっても店内を解放してくれたと聞いた。電話が全くつながらない中、偶然つながった電話で母に迎えに来てもらったらしい。私は職場だったためこの知らせを後で聞いて「妻は安心だな」と胸を撫で下ろした・・・
日本人として、後世に伝えなければならないのはこの「こころ」「チームワーク」であろう。震災の記録や記憶はもちろんであるが、やはりこの「気持ち」を常に持ち続け、そして大事にしてもらいたい。私も日本人のひとりとして、この気持ちを後世に伝えていければ幸いである。



ところで、三陸関係の写真であるが、本文に掲載しきれなかったものをこの場で紹介したい。何かのお役に立てればと思う。1983年訪問時は上2枚で、残り全ては2011年1月の訪問時に撮影。

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(1983年訪問時の国鉄時代の駅名表。本文には陸中野田を掲載。)

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(36形の36は「サンリク」と読む。盛駅にて。)

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(各駅名表。すべて2011年に撮影。)

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(上記3枚、全て盛駅で撮影。JRホームと岩手開発鉄道の旧・旅客ホーム。)

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(恋し浜駅の別角度から。リアスの特徴か、とても海岸近くの駅とは思えない。)


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三陸縦貫の旅⑥

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(普代駅の駅舎。築堤上のホームから階段を下りて駅舎に向かう。構内には物産品店も併設。)


三陸鉄道と言えば、私の記憶だと当初のネーミングは「三陸縦貫鉄道」との「仮称」があったと思う。恐らく間に山田線を挟む形になるため「縦貫」を外したのであろう。一時期は山田線の一部区間・釜石~宮古も三鉄が運営しようという動きがあったらしいが、結局現在の形に落ち着いたと聞く。

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(秘境駅で名高い白井海岸駅。付近には民家が見当たらないが、ちょっと遠目に海岸が見える。)

そんな事を「こたつ」に入りながら考えていると間もなく新線区間が終了に近付いてきた。そう、普代に到着だ。この普代駅は国鉄時代には棒線であったが、三陸鉄道となってからは一面二線の島式ホームで交換可能駅となった。それ以外はほとんど変化が無く、国鉄時代に訪問した時の面影が多々残る。駅舎には物産品線店が併設され、委託ながら駅員も配置された。
そんな普代をとても懐かしく感じる。約30年前の記憶はかなりというよりほとんど薄らいでおり、記録だけが残る中、この普代駅はしっかりと脳裏に焼き付いている。理由は分からないが、おそらく最初の訪問時の事前に「駅名全百科」などで情報を集めていたため、とても印象に残っていたのであろう。再訪の際には是非下車してみたい駅のひとつだ。

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(ドラマでお馴染みの「堀内」。「ほりうち」とは読まずに「ほりない」と読む。ドラマでは「袖ヶ浜駅」として登場する。)

リアスの特徴が良く現れる風景を車窓に映し出しながらいよいよ「国鉄時代」の再訪となる。普代を出るとドラマでお馴染みの光景が私の前に現れる、と言っても当時は「ドラマ」は当然まだ放送されていないため、改めての確認作業となるのだが・・・全く関係ないが、出演している「キョン〇ョン」は、我地元・厚木出身だ!
そういえば先ほどの新線区間では、記すのが遅くなったが、色々なイベントがあった。物産品の販売や、車内の照明が落ちると「なまはげ」に扮した地元の方が車内を動き回っていた。しかし、どうやら子供には刺激が強かったようで蜂の巣を突いたように泣き止まない。
気が付けば「国鉄区間」ではその「なまはげ」は面を取り、泣き止んだ子供の母親と世間話をしていた・・・何か不思議な光景であったが、この「こたつ列車」も一部区間で復活の話を聞いた。これからも頑張っていただきたい思いである。

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(国鉄時代の「陸中野田」。1983年の光景であるが、私の訪問時は雨だったのだと写真を見て気づいた。)

普代より先は「国鉄区間」になるが、途中、ドラマでお馴染みの「堀内」に着く。棒線一本のホームが開業時と変わらないが、「ほりうち」とは読まず「ほりない」と読む。ドラマでは「袖ヶ浜駅」として登場するが、出演している「キョン〇ョン」は、我地元・厚木出身である!
隣の白井海岸駅は三鉄になってからできた新しい駅だ。某秘境駅訪問家が「秘境駅」として紹介しているが、私の感覚からそれほど秘境ではない印象である。
野田玉川や陸中野田など、懐かしい駅を通り過ぎると久慈に到着。ドラマでは「北三陸駅舎」として登場する駅舎も2013年、つまり今年には復興の意味も込めてリニューアルされた。

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(JR久慈駅。ドラマではお馴染みである)

私は乗り換えの為あまり滞在できなかったが、どこか懐かしい光景が甦る。ここで私はJRに乗り換え宿泊先の八戸に向かう。八戸線は1983年に八戸から始発で久慈までやってきて久慈線(当時)に乗り換えた。28年振りに来たこの久慈駅は行先こそ全く逆になるが、乗り換えるという「行為」は変わらない。再び八戸線に乗り込むときには既に辺りが暗くなっていた。前回訪問時には種差海岸付近でウミネコの群れを沢山見た。何か演歌にでも出てきそうな風景であったが、今回は残念ながら拝めない・・・
若干黄昏時を迎えた三陸の空は、今私が通ってきた「三陸」を照らしていた。振り返ると、そこには薄暗くなってきた久慈駅のホームが段々小さくなっていく。冬至を過ぎてまだそれほど日にちが経っていない東北の夕暮れは早い時間帯に夜を迎える。17時前というのに既に景色が確認できないくらいにまでになってきた。


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三陸縦貫の旅⑤

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(こたつ列車の36-2100形。座敷タイプとこたつタイプに変身できる。画像はウイキぺディアより。)

宮古に到着すると、三陸鉄道の列車と2~3分の接続しかないとのアナウンスであったため一目散に乗場へ向かった。山田線に乗っていた乗客の殆どが三陸鉄道への乗り換え客であった。そのため「みんなに付いていく」事で乗場を探す手間が省けるのであるが、考えてみれば既に国鉄時代には訪問済の為勝手は分かるはずであった。が、しかし三陸鉄道になってからはJRとホームが分離されたため若干歩く。
早速乗り込もうとするが、既にいる先客が入り口付近で滞っているためなかなか車内に入れない。既に出発予定時間を過ぎ、更に遅れた我々を待っていてくれたので更に遅れがプラスされているわけである。
ようやく乗車した私だが、なんと全席指定のはずの私の座席に先客がいたのだ!もちろん後が閊えているため空いている山側の席に身を寄せ、列車が走り出したら切符を係に見せて確認作業。
座席番号等すべて確認したが、いわゆる「ダブルブッキング状態」のまま私が引く事でその場を収めたが、後日もう一度自身で確認すると、旅行会社が日付を一日誤って発行していた事が判明。「私が引く」事が正解であった。海側の座席は全て埋まっていたが、山側は全く無人状態であったので何とか私は「こたつ」を体験する事に成功。荷物置き場にも困ることなく、むしろVIP待遇ではないか!との思いを胸に秘めJR八戸線の待つ久慈へ向かったのであった。

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(新線区間の摂待。普通に読めない!)

海側の座席でないのは残念であるが、田老までは国鉄時代に足跡をつけている。国鉄時代は棒線であったが、島式ホーム仕様になっていて築堤のスペースには将来の交換駅になる空間がちゃんとあった。もちろん、私の再訪時にはそのスペースにちゃんとレールが敷かれており、列車もちゃんと通っていた。かつて自分が見た「未成部分」が完成して現役で頑張っている姿を確認できる事って、これ、すごく素敵な体験だ。しかもその先には新しい「レール」が顔を出す。その区間を乗車できる。何とも言えぬ思いはレールファン冥利に尽きる思いだ。

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(島越駅は震災時、津波で施設がほぼ流失して壊滅状態に。2014年の復帰が待たれる。)

新線区間の小本では、ここより更に分岐して岩泉線の岩泉駅までの計画があったが、周知の通り、そのような路線は現在存在しない。更に岩泉線は災害の為現在も代行バスでの運用である・・・1983年の訪問時には、八戸から八戸線の始発で久慈で乗換え普代までやって来た。そこから周遊券でも乗車OKな「国鉄バス」で北山崎展望台で更に乗り換え岩泉まで行ったものだ。確か岩泉を12時台の列車だったはずであるが、現在はこの時間帯の列車設定は無い。というより災害で不通となっていて列車自体が動いていないが、おそらく復旧せずにこのまま廃止の公算が強い。若干残念ではあるが、田老~普代間が開通しただけでも喜ばしい事。その区間を体験できるだけでも素晴らしい喜びだ。
トンネル区間が多く続く中、海が見え隠れする三陸の車窓は実に穏やか。とても2か月後にやってくる震災の事など想像もつかないほど「三陸らしい」時間が過ぎて行った。

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三陸縦貫の旅④

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(JR釜石駅構内。正月も明け、長閑な風景と時間が流れる。)

1983年以来、山田線に久々に乗る・・・宮古までではあるが、少年時代と中年(?)時代とでは同じ風景でも違って見えるのは気のせいであろうか?確かに山田線の各設備は当時より古いものもあればリニューアルされているところもある。釜石駅は私が訪問した当時のままであった。変化があるとすれば三陸鉄道が乗り入れている事であるが、私の訪問時は既に駅付近の鉄橋やホームも工事中であり、開通した現在を体験してみてもあまり違和感無く、むしろ懐かしく受け入れてしまった。JRホームも駅名表がJR仕様になったが、そんな事が気にならないくらい昔のままの風景であった。「そう、この階段を下りて入場券買いに行ったよなぁ・・・」など、少年時代に帰ったような気分になっていた。

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(難読駅でもある「うのすまい」。震災からの復旧が待たれる。)

久々に体験した山田線であるが、私の訪問から2ヵ月後に震災の被害に遭うとは夢にも思わなかった。この山田線の釜石~宮古間は駅設備などが流出や浸水など、とても大きな被害を受け、現在も不通のままである。
私の訪問時、大槌や吉里吉里など、少々のリニューアルがあるものの、昔のままの佇まいのまま私を迎えてくれた。途中の陸中山田も若干のリニューアル意外はほぼ原型をとどめており、懐かしさが漂った。

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(連日のように震災時にはTVで被災地の様子が報道された。

そんな思い出の地を何気なく過ぎていくと、程なく宮古に到着。実はこのとき列車は10分くらいの遅れが発生していた。予定では9分の乗り継ぎ時間のため、三陸の「北」の制覇はいわばあきらめムードであったが、私が乗車予定の三陸鉄道「こたつ列車」はJRの列車を待ってくれるとのアナウンス!一気に期待を膨らませる私であったが、この後とんでもない事が待っていたのだ・・・

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三陸縦断の旅③

吉浜より新線区間になる。やはり新線区間だけあって「新鮮」である。いつ開通したのかおぼろげだったのでちょっと歴史を調べてみたら、なんと1984年に全通と記されていた。これって私が訪問した翌年ではないか!私はもっと後の開通と思っていたら意外に年月が経っていたいたのかという印象。つまり全通開業してもう30年近く経とうとしているのだ。その約30年前に「唐丹」「平田」のふた駅が新設されている。
ところが、現在この吉浜~釜石間が震災の影響で不通となっている。だが嬉しいことに2014年4月の復旧に向け工事は進んでいるとの報告。全線復旧の日が待ち遠しい。

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(唐丹・平田ともに私にとっては「新設」。三陸の「夢」が詰まっている。)

さて、いよいよ新線区間の初体験。やはり気のせいか線形が良い。しかし「リアス」の特徴なのか、トンネルも多く、大自然に対しかなり自身の主張をした感がある。海岸を走るので海が所々顔を出すが、なぜか山の風景が目立つのは気のせいであろうか。
そんな中、私の乗った「レトロ風」では地域の名産品の販売の他、手造りシチューのサービスも。やはり通常の車両ではなく「レトロ風」のせいか、いつもと違う気分での「制覇」は、三陸の観光客のひとりとなって新春の「三陸色」に染まっていった。

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(釜石駅にてJRホームから望む。2両編成の私の乗った車両は左側である。右側は通常車両。)

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三陸縦断の旅②

盛駅に着いた私はいよいよ三陸鉄道に足を踏み入れる。と言っても28年前に「盛線」として吉浜までは制覇しており「再訪」となったが、当然ながら三陸バージョンにリニューアルされており「国鉄らしさ」がかなり姿を消していた。そう、ここは既に「国鉄」ではないのだ!

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(レトロ風車両の乗車。車内には各ボックスごとにテーブルがあり、食事などをするのには非常に便利。)

盛駅を「レトロ風」で出発すると大船渡線と同じ方向へ向かいながら途中で枝分かれしていく。陸前赤崎では付近い「赤崎駅」が別にある。岩手開発鉄道の貨物駅であるが、旅客営業していた時もこの駅は貨物専用駅であった。当時の国鉄と並走するせいであろうか、私はこの「貨物専用駅」にはとても魅力を感じていたが、当時中学生の私には、訪問するとしても陸前赤崎から徒歩の選択肢しか思い浮かばず、とてもタクシーなどの高級な「交通機関」は利用できない。増して、当時はインターネットなど普及しておらず、正確な場所などは市販の地図などで調べるほかない。というより当時の私は、今考えればそこまでの行動力が備わっていなかったのかも知れない。

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(岩手開発手鉄道の貨物車両。三陸鉄道と接続されていたら尚の飛躍があったであろうか。旅客営業を再開していただく「夢」は実現不可能なのであろうか・・・)

陸前赤崎から次の綾里を過ぎると「恋し浜」に到着。以前は「小石浜」と名乗っていたが「コイシハマ」と読みは同じく綴りを変更している。駅には「幸せの鐘」が設置されており、カップルの訪問に一役買っている。駅名表もロマンチックに変身していた。

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(若干の高台に設置されていたため震災の被害を辛うじて逃れた恋し浜駅。なかなかロマンあふれるネーミングだ。)

甫嶺、三陸と国鉄時代の駅が続くと、その国鉄時代の終点・吉浜に到着する。国鉄時代と変わらず棒線化された駅は、1983年の訪問時には、その先に続く路盤を見つめ、明日への希望を胸に抱いた記憶がある。と言っても5分くらいのインターバルですぐに引き返すダイヤとなっていたため「証」を撮影するのに精一杯の時間で、余裕が無かったのも正直なところである。しかし、まさか本当にその路盤にレールが敷かれ列車が通るとは思わなかった。当然当時はレールが繋がっていなかったためここで折り返しているが、再訪の時にはレールが釜石まで繋がっている。しかも既に20年も経過しており、すっかり地元に定着している事であろう。そんな期待を胸に秘めながら更に北上していった。

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三陸縦断の旅①

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(一ノ関より「スーパードラゴン」で盛に向かう。キハ100はJR化後の新造車の為私はあまりなじみが無かったが、乗ってみるとなかなか良い。)

「じぇじぇ」でお馴染みのNHK連続テレビ小説「あまちゃん」のロケ地としてすっかり有名となった三陸鉄道は、現在「トキの人(レール?)」として最も注目を浴びている人気スポットだ。実はこの「三陸」という土地柄、この記事をアップしようか迷ったが、先日某テレビ局でこの「あまちゃん」の話題を取り上げ、地元の方々の復興に向けた頑張る姿に私も記事にすることにより少しでも復興に貢献できたらと思い公開させていただいた。
私がこの三陸の地に訪問したのは1983年の「東北一周旅行」と2011年の2回である。特に2011年1月の訪問は、震災の約2か月前となり非常に複雑な心境だ。
それでは2011年の訪問時を中心に1983年の訪問と一部照らし合わせながら紹介してみよう。

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(一ノ関に停車中の「昭和形」。跨線橋がやたら長い。)

2011年1月の三連休を利用して東北社線乗り潰しの旅に出発したが、実は職業柄「日曜・祭日」等は休暇が取りにくい。しかしながらJR東の「三連休パス」はとても魅力的であったのと、津軽鉄道の「ストーブ列車」を体験するため、仕事に支障のない1月初旬の「三連休」を利用し、制覇に旅立った。寒い時期に寒い場所に行く・・・なんだか旅の「醍醐味」のような「自己満足」を胸に抱きながら「はやて101号」に乗り込む。この「はやて101号」は速達タイプではなく、仙台以降各駅に止まるため若干時間がかかるせいもあるためか、東京より空席がかなり目立った感だ。それでも仙台で殆ど下車してしまい更に空席化。私のような「一ノ関」での下車は若干マニアックであるのか・・・

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(途中、陸前高田は震災の被害がとても大きい地区でもあった。)

一ノ関では新幹線と在来線の乗り換えで11分はいかがなものか・・・普通に考えたらスムーズにいくのであろうが、こういう時に限って有人改札で先客がつまらないことで駅員とやりあっていた。乗り換え時間が少ないため、強行突破で早速「スーパードラゴン」の待つホームに向かった。一ノ関の新幹線ホームは、かつての貨物側線跡に作られており、在来線との間に今でも数本の側線を挟む形の為跨線橋が長い!当然この事は事前に承知しているためこの「11分」が非常に心に重くのしかかっていたが、何とか無事に「ドラゴン」の捕獲に成功。このまま一気に盛に向かった。

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(盛駅。JRと三陸鉄道が共用するのは国鉄時代の名残だ。現在はBRTにより仮復旧している。)

大船渡を過ぎ盛に到着。1983年以来、なんと28年振りの訪問。なんだか懐かしい香りが私を待っていた事が嬉しかったが、何より驚いたのはホームの先にあった、あの「岩手開発鉄道」の旅客ホームが今も健在であった事だ!時間があれば是非ホームにお邪魔してみたかったのであるが、JRのホームより確認するのが精一杯だったのが残念である。岩手開発鉄道・・・確かに健在の頃に私は訪問しているのであるが、当時は「いい旅チャレンジ20000km」での国鉄全線乗り潰しに全身全霊を注いでいたため「余裕」が無かったのであろう。

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(盛駅では女性職員がお見送り。いささか心が和む風景だ。)


さて、ここから三陸の「南」となるが、国鉄時代には「盛線」として訪問している。当時はキハ20の単行であったが、今回の「三鉄」としての乗車は「レトロ風車両」である。平日では体験できないこととあって、しっかり「休日」を楽しませていただく事とした。
生まれ変わった「盛線」と新線区間で釜石に向かう。果たしてどんな旅になるのであろうか・・・

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(岩手開発鉄道の旧・旅客ホームが健在(当時)!現在は震災から復旧して貨物営業を再開している。)

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北鉄の「現在(いま)」を求めて・・・②

今回は北陸鉄道の石川線の制覇の模様を紹介しよう。特に最初の入り口である新西金沢は、待ち時間があったため多くの観察ができた。
ところでこの石川線であるが、白菊町~加賀一の宮間を結ぶ路線であった。しかし白菊町~野町間が1972年9月20日に、1929年には金名線の前身の金名鉄道から編入した鶴来~加賀一の宮駅間が2009年(平成21年)11月1日に廃止された。特に鶴来~加賀一の宮の廃止は記憶に新しく、私も既に鉄道ファンを復活していたが、訪問できるチャンスが無かったのは残念であった。また加賀一の宮~白山下に関しては、沿線の過疎化や並行道路の整備が進み1970年代以降利用者が減少した。

1970年4月からは昼間の運行を中止しバスで代替、昭和45年度の輸送人員が55万1000人だったものが昭和58年度には21万3000人まで減少していき恒常的な赤字路線となっていた。1983年には豪雨により大日川 - 下野間の大日川橋梁の橋脚周囲の岩盤が崩壊し、大日川 - 白山下間の運行を休止しバス代行になった。1984年に復旧したが、同年12月の朝の運行開始前の点検で手取中島 - 広瀬間の手取川橋梁の橋台を支持する岩盤が風化しておりさらに橋台水中部の洗堀による浸食が激しく危険な状態となっていることが判明。その日の始発より全線で運休、全面バス代行となった。結局そのまま復旧することなく1987年4月29日付で廃線となった。

ということで、石川線では新西金沢と鶴来を紹介しよう(若干野町も)。




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JRから乗り換える。駅舎を降りると若干離れているが北鉄乗場がある。現在(2013年)は新幹線の建設中で高架橋がほぼ完成している。駅前は側線などがあったと思われる空間があるが、現在は更地になっている。



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現在は無人の新西金沢駅舎。切符売場はカーテンが掛けられ、完全にワンマン運転に貢献。



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島式ホーム1本の新西金沢駅。わずかながらJRからの乗り換え客がいた(もちろん自分もであるが)。



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一旦新西金沢から野町に行く。金沢市の中心街に近く、兼六園や近江町市場なども近い。ここでフリー切符を購入。



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そして終点の鶴来。かつては白山下までレールがあったが、現在その姿は無い。特に加賀一の宮までの廃止は記憶に新しい。


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北鉄の「現在(いま)」を求めて・・・

2013年3月と6月、北陸鉄道に参戦した。本来は石川線と浅野川線を一緒に制覇するのが経済的であるが、旅の行程上2回に分かれてしまった。今回は浅野川線を紹介してみよう。
浅野川線は、1924年1月23日に設立された浅野川電気鉄道(浅電)が開業した路線である。かつては内灘駅 - 粟ヶ崎海岸駅間があったが1974年に港湾整備などのために廃止された。
2001年には北鉄金沢駅 - 七ツ屋駅間が地下化されたが、地下化するに当たり車両をすべて不燃化する必要があったため元京王3000系電車を導入することとなった。同車に対応するために1996年に架線電圧を600Vから1500Vに昇圧し、同時にワンマン運転を開始し現在に至っている。



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北鉄金沢駅。「初」の私は乗場さがしに苦労したが、着いてしまえば意外と単純であった。まだ地下化され10年ちょっとしか経っていないためか、新しさが伝わってくる。



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北鉄金沢駅ホーム。無理やりかも知れないが、なんとなく「吉祥寺」のような雰囲気を醸し出しているような・・・



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「東急車両」としては昭和39年製造。昭和39年と言えばご存じ、あの東海道新幹線が開通した年だ。下の表記は「京王重機」で平成9年に恐らく北鉄用にリニューアルされたのであろう。




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北鉄金沢を出るとすぐに地上に出る。そして出た瞬間に・・・




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次の七ツ屋に到着。ここも地下化の際にリニューアルされたと思われ、ホームが新しい。




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生活路線らしく、こんな空間を通る。なんとなくかつての「清水港線」に似たような感じだ(ちょっと例えが古かったかなぁ・・・)。



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途中、大河端は600Ⅴ時代の変電所があったが、現在は北鉄の物資保存庫となっているようだ。川の土手淵にあり、利用者は多いとは言えない佇まい。



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終点の内灘。折り返し時間が少なかったため多くの写真を撮れなかった。しかしながら内灘町の中心的存在で路線バスが多く発着しており、利用者にはとても便利。



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内灘には車庫もある。じっくり見物したかったがそれは次回にしよう。(画像はウィキペディア)



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内灘駅。バス乗り場がすぐにありとても便利。(画像はウィキペディア)



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プロフィール

ダイヤモンド☆トナカイ

Author:ダイヤモンド☆トナカイ
所在地:神奈川県湘南地区

〇2013年6月11日、北陸新幹線長野駅にてJR全線制覇いたしました(当時)。
国内の鉄道は、沖縄の「ゆいレール」を残し全線制覇しました。(とは言うものの、2015年3月の北陸新幹線延伸によりJR全線制覇は「ベルト返上」しました)

★ ブログ記事の「リメイク版」は、以前にホームページで紹介した旅日記をブログでリメイクしたものです。


◎ブログの登場人物

★ ダイナミック☆トナカイ
・・・中学時代の後輩で、2013年に約30年振りに再会を果たした。数多くの写真を提供していただいた「盟友」でもある。

★ おさる・・・かつて私がバンド活動をしていた時のメンバーで、鉄道復活のきっかけを作ってくれた人物。彼とは「秘境駅」を数回訪問した「親友」でもある。

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