古川屋台ソウヅに参戦!

2013年8月、愛媛県松山市にある古川屋台ソウヅという屋台風居酒屋を訪問した。

小田原から快速「ムーンライトながら」で0時31分発でスタートし、ということは「青春18」を駆使し、松山に着いたのが17時半!つまり、かかった時間が17時間だ!!一旦宿泊先に向かい、改めて出直し「ソウヅ」に向かうことに。

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(バス停から歩くと赤い提灯が見えてくる。ここが噂の「古川屋台ソウヅ」だ。)

松山市駅から伊予鉄バスの1番乗場より北伊予駅前行に乗り、一旦お店の前を通り過ぎ「古川北」で下車。道路を渡り松山方面へ歩くとすぐに看板と赤提灯が見えてくる。ここが「古川屋台ソウヅ」だ。ご主人のソウヅさんはとても気さくな方で、なじみやすく「オーラ」のようなものがバリバリ出ている。出てくる料理は、社交辞令とかお世辞とかではなく、本当に「ヨロシク」的な味だ!

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(いよいよ店内へ。赤い暖簾も「ジ・オリジナル」。)

早速店内へ入ると、嫌でも主(あるじ)の主張が伝わってくる!私も30年来の「主張」の持ち主なので、もうワクワクしてくる。「その道の人」から見れば、かなりの「レア物」が店内にズラリと「主張」されている。
その「主張」される人物を我々は「BOSS」と呼ぶ・・・

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(「主」ご自慢の提灯。製作費はなんとウン十万円らしい!「是非、この提灯をアピールしてくれ」と主からご意見いただいたのでしっかり「アピール」させていただきます!)

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ソウヅさんのブログから引用させていただいた「提灯」。なんと「I LOVE YOU,OK」仕様だ!これには完全にやられる。)

実は2006年に、「BOSS」のファンを追跡する番組が日本放送協会でオンエアされ、ファンの間でものすごく話題となった。その番組に、ファンのひとりとして出演されて、私はこの「ソウヅ」のお店の存在を知ることができた。私もそうだが、やはり思い入れは150%!

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(店内の壁には、あの「幸福駅」のような状態に。「幸福駅」の「BOSSバージョン」とでも言おうか。)

そして下記の写真であるが、このポスター、実はBOSSの「KAVACH」というアルバムのジャケットに、主のお店の名前を入れたご自慢のポスターだ。製作費はなんと40万円と聞いた!なんて素敵な主であろうか・・・
私はこういう「遊び心」が大好きでたまらない。

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(主ご自慢のポスター。分かりにくいが、黒の背後に赤く「古川屋台ゾウヅ」の文字が!オリジナルでは、その場所に「KAVACH  EIKICHI YAZAWA」の文字が入るのだが・・・ちなみに「KAVACH」・・・カバチとは、広島弁で「能書き」「御託」という意味。)

さて、肝心のメニューであるが、これまたリーズナブル!東京方面では考えられない価格で、これではアルコールが進んでしまう。食事の写真に関してだが、本当に「ヨロシク!」的な美味しさの為、ついつい写真を撮り忘れてしまい、なぜか「途中経過」の画像ばかりなってしまった。果たしてこれで伝わるであろうか?ごめんなさい、ソウヅさん・・・

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(串無スタイルの焼鳥と焼きそば。普通に食事として十分以上に楽しめる。)

「BOSS」のファンばかりの来店と思ってたら、むしろファンではないお客様の方が多数を占めるとソウヅさんの談。このことひとつとっても「色物」ではなく、しっかりとした「職人技」にお客様が付いている証拠であることが分かる。メニュー逸品・逸品に「自信」が見え隠れする。

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(中華そばが500円とは!次回訪問の際には是非いただきたい。)

ということで「古川屋台ソウヅ」を堪能した私だが、再び訪問したいのは言うまでもない。四国・松山にお越しの際は是非「ヨロシク!」。道後温泉とペアで予定を組むと世界最高峰の「贅沢」であろう。

アクセスは冒頭にも記した通り、伊予鉄・松山市駅より伊予鉄バスの1番乗場から「北伊予駅前行」に乗り「古川北」で下車。運賃は200円でバス停から徒歩25秒くらいである。鉄道での最寄りの駅は、予讃線・市坪になるが、初めてのご来店で市坪駅からのアクセスはほぼ不可能であろう。地元の人が使うような道しかないため非常に分かり辛い。これは私も経験済みの為、超断言できる。軽く30分はかかるであろう。やはり松山市駅(地元では「市駅」と呼ぶ)からタクシーが一番良い。片道1000円位で到着する。

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(画像はソウヅさんのブログより引用。冬場には「おでん」が登場。こちらも主・ご自慢の逸品だ。)

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古川屋台ソウヅ

愛媛県松山市和泉南5-2-21 大野ビル106号
090-8978-2061


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DL・ばんえつ「東線」物語号②

平(現・いわき)を出発すると大きく弧を描き常磐線を見送る。海岸から一気に山深くなる風景は、日本の地形の特徴を表しているが、この磐越東線は、磐越西線と合わせて太平洋から日本海に「縦断」する役割をしている・・・といいたいが、現在は高速道路開通で、特に「東線」はその機能が薄れている・・・というより終了したと表現したほうがいいのであろうか?
それより、東線はこれといった観光地がないと思っていたが、神俣駅付近には「あぶくま洞」という観光施設があるらしい(でこすけさん情報です!でこすけさん、ありがとう!!)。

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(これが噂の「あぶくま洞」。私は山口県の「秋芳洞」に訪問したことがあるが、引けず劣らない雰囲気が伝わってくる。画像提供はでこすけ様)

しかし、その洞窟に行くのには駅からタクシーで10分ほどらしい。もちろん、現在は付近に高速道路があるためマイカーや観光バスなどが主役であろう。最初から計画して、本数の少ない磐越東線を利用して神俣駅からタクシーなどで訪問する一般の観光客などがいたら、かなり「コア」だと思う(ですよね、でこすけさん!)。
そんな事は知ってか知らずか、私が一番惹かれたのが「夏井」であった。理由は簡単で、列車に乗っていたら私の座席の目の前に駅名表が「ピタッ」と張り付くように列車が停車し、いかにも「撮影しろ」という合図のようであったからだ。そんなことからしっかり「証」としてゲット。真夏の「夏井」は冷房設備など無い旧型客車でも十分にすごしやすい環境であった。

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(私の所有する磐越東線唯一の写真である「夏井」。旧型客車の「車窓から」撮影。)

そんな夏井を過ぎ小野新町に着くと列車交換のためしばらく停車。地下道をくぐり駅舎に向かい、抜かりなく入場券をゲットする。そんな余裕のある私の乗車している「東線」は、帰省時期というのにゆっくりと時間が過ぎていく。
やがて郡山に到着。今度は「西線」に乗り換える。こちらもDL牽引の旧型客車だ。しかしこちらは帰省客で座席がすべて埋め尽くされているどころか、通路に立ち席客もいるほど。新幹線が開通したばかりでますます便利になった東北地方を象徴するかの様に私の「居場所」が無い。仕方なく私は解放された「車掌室」のような空間に身を寄せる。もちろんそこも「満室」だ。
そんな中、若干事件が起こった。急にベル音のような音が鳴り響いたため、私はATSでも作動しているのかと思ったら、なんと私のバッグの中の目覚まし時計が「誤作動」してしまっていたのだ・・・周りの視線が痛い・・・なにせ、中学生のやることなので、お許しください・・・

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(小野新町で入場券をゲット。これも私の所有する磐越東線唯一の入場券だ。)

この後会津若松を過ぎ喜多方へ「日中線」を制覇しに向かった。やはりこちらの方が何かと忙しい。しかしながらマイペースであった東線は「ゴーイング・マイウェイ」の感があるが、地元の方にとってはしっかりと「足」として機能している。現在は全てDC化され旧型客車での運転は無いが、もし今もDL牽引の旧型客車の運転があれば、さぞかし景色が違うであろう。私のこの貴重な体験で、当時磐越東線に走っていた客車列車を「DL・ばんえつ<東線>物語号」と勝手に名付けた。

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DL・ばんえつ「東線」物語号①

磐越東線はJR東日本の常磐線・いわきから北上し東北本線・郡山まで至る85.6kmの路線で「ゆうゆうあぶくまライン」の愛称が付いている。郡山を境に同じく「磐越」を名乗る「西線」があるが、こちらは583系の快速「あいづライナー」や、国鉄時代には上野~会津若松間の特急「あいづ」等が運転されていた。また、観光仕様のSL「ばんえつ物語号」等も週末を中心に運転されている。沿線には「会津若松」や「喜多方」等の観光スポットもあり何かと話題性が多い。それに比べ磐越東線は、中心となる駅が小野新町くらいでこれといった観光要素もなく、全体的に「生活路線」のイメージが濃く、若干地味な感じであろう。また、1995年には並走するように「磐越自動車道」が開通し、鉄道としての役割はほぼ終了した感があり、「ローカル化」に更に拍車がかかったかのような気がする。

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(1978年頃の磐越東線・磐城常葉駅付近。私はこの5年後に訪問。磐越東線の客車列車のイメージ画像はミックス・マテリアル様提供。

この両線、同じ「磐越」を名乗りながら東線と西線で全く形態が異なるという、何とも不思議な変わり種である。プロレスで例えるなら「異種格闘技戦」のようなものか?例えばアントニオ猪木VSウイリー・ウイリアムスやモハメド・アリのような、もっと言えばジャイアント馬場VSラジャ・ライオンのような感じか・・・いや、「馬場VSラジャ」は違った意味で「異種」かも知れないのであまり例えの参考にはならないが・・・

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(磐越東線・菅谷駅。同じくミックス・マテリアル様提供写真。)

話は逸れてしまったが、私は1983年8月に訪問している。このブログで散々紹介してきた「東北一周の旅」の際の訪問だ。上野発「8時ちょうどの~」急行列車「ときわ5号」で平(現・いわき)に10時58分に到着。11時14分発の磐越東線・郡山行に乗り換える計画で、実に接続が良い。列車はなんとディーゼル機関車が牽引する旧型客車列車だ!今では考えられないが、あの磐越東線に「旧型客車」が走っていたのだ。もちろん全列車ではなく、1日1~2往復程度であったと思うが、それにしても旅情が湧き出るではないか!確か機関車がDD13あたりだった記憶である。そしてこの客車列車というものは、出発の際に独特の「間」がある。連結器の関係か、若干時間差で先頭から動力がかかっていき順番に引っ張られるあの感覚がたまらない。そのような「感覚」を好む体質が既に中学生の身でありながら備わってしまったとは・・・そんな列車に揺られ「東線」の旅は始まった。


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姿なき挑戦者⑦ 上越夜行733M(後編)

上野駅を22時10分に発車した733Mは、尾久・赤羽・浦和・大宮に停車し、長岡までは井野・上牧・岩原スキー場前・八色を通過する。つまりそれ以外の駅は全て停車するという、本当に「各駅停車」並みの夜行列車であった。しかも高崎の39分と新前橋の42分の停車時間以外は軒並み30秒~1分停車で、水上でさえ4分停車という、普通に「普通列車」仕様の運転である!途中、高崎では寝台急行「天の川」に道を譲るという、何ともドラマチックな夜行列車であった。

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(「ムーンライト」に変身し、一時期165系で運転されたこともあった。しかしシートは改造されリクライニング式に。昔の165系のイメージは無く、実に快適に。画像はウィキぺディアより。)

当然「青春18」の為、入場券は高崎・新前橋ではしっかりゲット。私は1982年に乗車の際に購入済の為席からびくともしなかったが、他のメンバーは深夜というのに忙しい。後輩たちは仲間と深夜の移動など、初めてなのか、異常にハイテンションである中、私は当時からファンになりかけていたあの「E.YA〇AWA」を友達から借りた「ウォークマン」で聞きながら仮眠していた。それを見た同行の教諭が「へー、矢沢だってよッ」みたいな事を言いながら、意味ありげな視線を私に送っていた。
そして、上越線ということは、もちろん水上を過ぎるとあの「土合」も停車する。しかしここで「事件」は起こってしまった・・・後輩のひとりがこの土合駅でトイレに行きたかったのか駅名表を撮影したかったのかは定かでないが、何とも常識はずれの理由でこの土合駅に降りてしまったのだ!そして列車は彼を残し出発してしまう・・・このことは後から教諭が気付き、折り返して土合方面に向かったが、我々はもう一人の「ゲスト教諭」と共に予定通りに行動。団体の秩序を乱すことなく赤谷線へと目指すのであった。

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(目指す赤谷線は、確か私の訪問後まもなく廃止となった。新発田駅で撮影。)

そんな事があったが、全く他のメンバーは動じることなく仮眠していると終点の長岡に近付いた。宮内では信越本線と複線同士で合流するため構内が広く、配線が複雑だ。
そして4時45分終点の長岡に到着。ここで信越線の5時15分発に乗り換え新潟目指す。が、行方不明の後輩を迎えに、ここ長岡で一部の教諭は土合方面の列車に乗り換える。結局確か新潟辺りで合流することができた。つまり新幹線で我々に追いついたことになるが、新幹線開通後でよかったねぇという思いがいっぱいだ。やはり後輩は土合で下車したらしく、すぐにドアが閉まってしまったのでどうして良いかわからず、ホームのベンチで泣いていたそうだ!これを聞いて私は若干ショックを隠し切れなかった・・・カリソメにも「中学生」だ。わからなければ「調べる」「駅員等にに聞く」などという行動ができたはずだ(もちろん時間帯にもよるが)。その他いろいろなアクションが取れるであろう。携帯電話など無い時代に探し当てた教諭も大したものだが、私はこの出来事が非常に残念でならなかった。

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(参加メンバーと一緒に。上の写真の赤い服は「鉄道研究クラブ」の顧問の教諭。下の写真でその位置にいるのが私である。新発田駅にて。)

と言っても「卒業生」の身。私は黙って見守るしかなかったが、結局予定通りみんなで赤谷線を制覇する事が出来た。一応参加したメンバーで集合写真を撮影したが、肖像権の関係上、画像に若干細工させていただいた。なんだか心霊写真の紹介みたいになってしまったが、恐らくそのような「物体」は写り込んでいないと思う・・・数えて全メンバー12人!なんと3ボックス分だ。

考えてみれば、この頃私は随分と旅慣れた感じがし「貫禄」みたいなものを醸し出している事をこの写真を見て感じた。既にこのメンバーの中では「ベテラン」の域に達していた。思えば単独で周遊券を使い「東北一周」などの経験などをしたからかも知れない。それが今になってまた同じ事をしているとは、何とも言えない鉄道の「奥深さ」というのを、この写真を見て感じ取ることができた。

全く私事であるが、この時から既に30年経過しているが、当時私が顧問の教諭に貸したRJ社の鉄道誌数冊の返却が未だに無い・・・


☆実は先日、約30年振りに当時の「後輩」との接触に成功した!「土合で下車した」奇怪な行動の真相が判明。「続きを読む」をクリックすると詳細が記されているので興味を持たれた方は是非クリックを。

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姿なき挑戦者⑦上越夜行733M(前編)

「ムーンライトえちご」と言えばご存じか、上越線を走る「夜行列車」だ。いわゆる快速夜行列車で新宿~新潟間で運転され「青春18シーズン」になると登場する。私が中学生の頃、この上越夜行は「各駅停車」であった。当然「ムーンライト」等の愛称は無い。私がこの上越夜行と初遭遇したのが1982年8月であるが、当時は既に上りが廃止されていて、運転されているのは上野発長岡行の下りのみであった。現在の「ムーンライトえちご」の原型となった列車であるが「ムーンライト~」は上下運転されていて「18派」には大変重宝するであろう。

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(高崎に停車中の「ムーンライトえちご」。かつて、高崎での停車時間に「北陸」と「能登」に抜かれていた。)

今回は「ムーンライトえちご」の全身である「733M」を紹介してみたい。私は、先述した1982年8月と1984年3月に乗車している。当時の運用車両は、なんと115系!普通に「通勤電車」なのだ。もちろん全席自由席で、セミクロスシートのため、クロスシートが確保できない場合はドア付近の、あの「短いロングシート」にお世話にならなければならない・・・それもダメだった場合は「吊革」に掴まり長岡まで行かなければならないという、何ともスリル満点の夜行列車であった。
1984年に乗車の際は、あの廃止路線「赤谷線」の晩年を見届けるべく立ち上がったのだが、1982年乗車の際はただ新潟駅に行ったに過ぎず、行程さえ上手く組めば弥彦線の東三条~越後長沢間や、魚沼線もセットで訪問できたであろう。やはりまだ「甘ちゃん」であったのか、結局新潟まで行き越後線に乗り換えるという、今考えたら「予定を組み替えてもう一度行きたい」思いが溢れ、自分で自分にラリアットでも一発叩き込みたい気分であった。

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(733Mのイメージ。と言っても普通に115系であるが、これが夜行列車に使われるとは!2008年に高崎駅で撮影。)

と、まぁ前置きが長くなったが、1984年の乗車時を中心に1982年の乗車時の体験も交えながら紹介してみよう。
1984年の乗車の際は、先述した赤谷線の訪問の際のアプローチにお世話に。この赤谷線訪問の企画は、我所属の中学校のクラブ活動「鉄道研究クラブ」であるが、私は既に「卒業生」としての待遇だ。と言ってもまだ高校生になっておらず、4月からの初登校を前に「春休み」を利用しての参加である。つまり私は「ゲスト」としての参戦であった。赤谷線訪問の章でも触れたが、後輩たちと共に「ゲスト教諭」も参戦しており、確か10人位の「大所帯」での移動であった。しかしながら、私はともかく後輩たちはそれほど旅慣れておらず、後々「事件」を起こすことになるのだが・・・

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(ウィキぺディアから転用させていただいた「ムーンライトえちご」。私にしてみれば、快速列車が485系とは!時代も変わったものだ・・・)

いつものように、夜行列車乗車時のセオリーとして「待つ」に徹するため、発車時間より2時間以上前に上野駅に到着。代表者1名を列に残し、その他大勢は思い思いに他のホームで列車を撮影していた。今回は顧問の教諭の他にゲスト教諭も参加しているため「大人2人」がいて何かと治安が良い。
いよいよ出発の時間が近づいた。上野駅のどのホームに入線したか記憶に無かったので昔の時刻表を引っ張り出して調べてみた。すると「9番線」であることが判明。つまり地上ホームの「13番線」とかでではなく、普通に「通勤電車」と同じ感覚の扱いである!長岡行きですぞ、国鉄さん!!


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廃止路線を訪ねて⑬ 倉吉線

倉吉線・・・「いい旅チャレンジ20000km」の企画が無ければ出会わなかったであろう。1980年代の国鉄路線では、地味ながら活躍する「ローカル線」と呼ばれる鉄道が数多く存在していた。現在の若いレールファンは「倉吉線」と言ってもあまりピンとこないであろうと思われる。私でさえ「根北線」といわれても正直言ってあまりピンとこない。

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(わたしの所有する唯一の倉吉線の写真。終点・山守駅の駅名表と待合室。いかにも「ローカル線」の佇まい。)

倉吉線とは・・・と、ウィキぺディアで調べてみると「倉吉線(くらよしせん)は、かつて鳥取県倉吉市の倉吉駅から東伯郡関金町(現在は倉吉市の一部)の山守駅まで結んでいた、日本国有鉄道(国鉄)の鉄道路線(地方交通線)である。国鉄再建法の施行により、1981年に特定地方交通線第1次廃止対象線区として承認され、1985年4月1日に全線廃止された。」と記されていた。私は1984年の夏に訪問しているが、1984年と言えば全く関係ないが、あの「ヴァン・〇イレン」が「1984」というアルバムを発表し「ジャンプ」「ホット・フォー・ティーチャー」など、あの「空耳〇ワー」でお馴染みの曲が収録されている事で有名だ。そんな私もついに高校生になっており、第一次「レールファン」の終焉を迎える時でもあった。

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(倉吉線の倉吉~関金間は客車列車の設定もあった。終点・山守では機回し線が無いため、途中の関金までしか客車列車が運転できなかった。<PHOTO:1980JNR.com>)

私の今回の倉吉線訪問は、完全に「一人旅」の行程で行われ、自身の行動に自由が利き、その行動行程も自身に決定権があるという、何とも責任重大な任務であった。しかし、時間の制約から倉吉線で運転される「客車列車」の体験はできずに終わってしまった。しかし、終点の山守まで到達でき「いい旅~」の任務は遂行された。

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(PHOTO:1980JNR.com)

もともと倉吉線の始まりは、国鉄・倉吉駅が倉吉の市街地から離れていたため、そのアクセスとしての「軽便鉄道」が始まりであった。その後の鉄道敷設法では「岡山県勝山ヨリ鳥取県倉吉ニ至ル鉄道」と改められ、山守から更に先、姫新線・中国勝山までの延伸計画があった。もちろん、現在においてそのような路線は存在しないのは周知の通り。

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(PHOTO:1980JNR.com)

私の記憶は、終点・山守で「証」を収めたく事くらいしかあまり記憶にないこの倉吉線であるが、実に例外なく「特定地方交通線」の名を象徴するかのように廃止されてしまった。「証」があるということは、しっかりと訪問している私だが、写真を見る限り、素敵なローカル線に思えてならない。もし、現在訪問できたなら、もちろん違う目線で見ていたであろう。そして区間列車である客車列車も体験してみたかった。
自分に対して言う事かどうかわからないが、若き日の自分はよくこんなところにまで訪問したものだと感心してしまう。しかし、乗車している最中は「廃止されてしまう」という実感みたいなものを感じることができなかった。
この後、上りの普通夜行列車「山陰」を米子から乗車。完全なる「一人旅」であったため座席を簡単に確保できた。そしてその「山陰」で再び倉吉駅を通り過ぎる。「そういえばさっきも来たな」と心でつぶやいた。そう、当時の私にしてみれば、倉吉線はただの「消化試合」的な制覇だったのであろう。今思えば見どころ満載の倉吉線。客車あり・気動車あり、バラエティに彩るその列車たちは私たちを最後まで楽しませてくれた。もしタイムスリップできるなら、私はまず倉吉から関金を目指すであろう。そして旧型客車に身を預け田園風景を眺めているに違いない。


今回の倉吉線の記事の写真については、前回の「山陰」同様すべて「1980年代国鉄撮影日記」の管理人でいらっしゃる「mgpc64」様にご協力いただきました。大変感謝しておりますと同時に、この場を借りてお礼申し上げます。




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姿なき挑戦者⑥ 普通夜行列車「山陰」

1982年3月、私は中学1年から2年へのステップアップの春休みに登場した「青春18」。普通列車限定のこの切符は、国鉄全線全駅にこの切符で辿り着けることができ、「18」の登場がものすごく斬新な出来事であった。そしてこの切符が私に「普通夜行列車」「旧型客車列車」の存在を教えてくれた。1980年より始まった「いい旅チャレンジ20000km」の人気に、さらに拍車をかけたのがこの青春18であるが、当時「ブルトレ少年」であった私は、自身の所属している学校のクラブ活動「鉄道研究クラブ」の活動の一環として青春18を駆使し西日本方面へ旅に出るとは、予想もしなかった。なぜそうなったかは覚えていないが、おそらく顧問の教諭が働きかけたのであろう。時刻表を「愛読書」とする私に「工程作り」の白羽の矢が立ったのである。

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(PHOTO:1980JNR.com)

そして私が旅の行程を決定するという、実に責任重大な作業に取り掛かる事となったわけだが、最終的に「顧問」があれやこれやと口を出し、決定したのが「私の旅の乗車記録」にも紹介されている1982年3月の旅である。そして6日間の行程の中で「宿代わり」としてお世話になったのが「山陰」であった。当時、山陰本線と言えば、というより全国的に一部の幹線と言えば電気機関車やディーゼル機関車に牽引される客車列車が主流であり、山陰本線も例外ではなかった。そして夜になると大阪発の夜行急行「だいせん」と共に、普通夜行列車「山陰」が京都発で設定されていた。初「18」シーズンとあってか、軒並み普通夜行列車は満員御礼で、座席を確保するのに始発駅で1~2時間待ちは当然の覚悟であり、私も例外なくセオリー通りに予定を組んだ。

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(PHOTO:1980JNR.com)

普通列車ながら愛称があるのは寝台車が連結されているからで、当時は10系寝台車が1両連結されていたが、私は当然「18」のため寝台料金はおろか運賃まで別料金となってしまうため乗車できなかった・・・のは残念である。
さて、私たちは「鉄道研究クラブ」なる中学校のクラブ活動の一環として青春18を握りしめ、京都に着いたのが20時半。22時4分発の夜行列車「山陰」に乗車の為ホームに順番待ちの代表1名を残し、他の5人は駅を撮影したり入場券を買いに行ったり、はたまた食料を買い込んだりと、思い思いの時間を過ごしていた。もちろん順番待ちは交代制である。

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(PHOTO:1980JNR.com)

順番待ちの作戦も実り、全員が着席することができたのを確認すると一安心。早速今夜の「宿」で体を休める体制に入る、と言っても中学生。この旧型客車の価値みたいなのが分かっているのかいないのか、只管菓子に手を突っ込んでいたが、流石に睡魔が襲ったか、無意識のうちに園部や福知山など過ぎていた。
安栖里と立木の間で日付が変わったものの、そんな事一切気づくはずもなく、気が付けば鳥取付近にいた。「餘部鉄橋」等、まだ朝靄に濡れ美しさがあふれていたろうが、全くその景色を共有することができず、我ひとり「ゴーイング・マイウェイ」であった。
鳥取でかなり下車客があり座席に余裕ができた。もちろん乗車組もおられるが、下車客と乗車客の足し算引き算をすると空席の数が多いという事だ。恐らく普段とは違うこの列車の「乗車率」は地元の方にとっては通常の風景ではなかったはずだ。要するに「青春18現象」とでも言おうか、通常でない乗客が乗車率の跳ね上げに貢献しているのが分かる。

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(PHOTO:1980JNR.com)

倉吉を過ぎ大山口付近では、一行は完全に「活動体勢」となっており、全員が「水を得た魚」状態であった記憶であるが、その大山口では、列車交換のわずかな時間でも入場券を買いに情熱を燃やす青年たちであった。米子でかなり乗客が下車し、鳥取よりも座席に余裕ができてひとりワンボックスでも良いくらいにまで成長した。やはり下車した「その道の人」は境線や伯備線へと散って行ったのであろう「いい旅チャレンジ20000km」連中であったに間違いない。と言っても私も「いい旅~」の一部を構成しており、他人の事は言えた義理ではないが、その私は、というより私たち御一行は宍道で下車した。ということはここから木次線に乗り換えるという事である。

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(PHOTO:1980JNR.com)

普通夜行列車「山陰」は出雲市まで行くが私たちは宍道での下車は前述の通り。私が訪問した時は伯備線の電化直前で、嵩上げされた真新しいホームが米子や松江で見受けられた。もちろん下車した宍道でも。で、私はその電化直後の1982年7月にもこの地を訪れている。今度は上り「山陰」に乗るためだ。当時、山陰本線に機関車が牽引する客車と一緒に電車化された普通列車が共存している姿は非常に複雑な風景に映った。普段私が見ていた「東海道線」がここ、山陰本線にも登場したのだ。115系の編成は短いが、既に「時代の流れ」の変化のプロローグでもあった。

現在は電車の方が当たり前の風景となったが、「サンライズ」で降り立って見る「それ」とは違う。京都から旧型客車に揺られ遥々やって来た見知らぬ土地で迎える朝はひと際新鮮だ。宍道のホームでとりあえず両手を上げ伸びのポーズを決めると、別のホームに来る木次線の車両に気持ちが逸る。これは、普通列車でしか味わえない、別の意味での「サンライズ」なのであろうか?


今回の山陰の記事の写真については、すべて「1980年代国鉄撮影日記」の管理人でいらっしゃる「mgpc64」様にご協力いただきました。大変感謝しておりますと同時に、この場を借りてお礼申し上げます。


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御殿場線とは?②

沼津を出た私は早速かつての面影と遭遇する。早速「複線区間」であった名残が私のいる車両の横に「不自然な空間」として見える。一般の方や東海道線の歴史を知らないと「将来複線になるのかな?」という思いも馳せるかもしれないくらいハッキリとメンテナンスされたレールのない土地が並走する。というより、沼津方はそれなりの利用客のおり、本当に将来複線化を狙っての用地確保化も知れない。

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(明らかに「複線用地」。太平洋戦争時にレールを撤去したが、現在の時代にも面影を残すとは!メンテナンスされている様子を感じ取る事が出来、将来複線復活か?)

線名ともなっている御殿場では乗客がかなり下車。一日の利用者が9千人ほどで、御殿場市の中心を中心部にあり、その名の通り「拠点」となっている。また、御殿場市の人口は8万8千人位であり、世界遺産に登録された「富士山」への玄関口のひとつとなっているのも特徴だ。それと、なんといっても新宿までJR東を通らない「あさぎり」が運転されており、近年までは沼津までの乗り入れで異色を放った事が最大の特徴であろう。

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(新宿に停車中のJR型「あさぎり」。371系は新宿~本厚木で私も散々お世話になっていた。)

現在は小田急MSEにバトンタッチし、御殿場~沼津間は廃止されたが、現在もなお伝統を守り走り続けている。私はこの日、松田から乗車予定になっているが、松田まで行く私の乗った御殿場線の普通列車が7~8分遅れの為接続が心配されたが、御殿場で、私の乗る後発のMSEを見送ったため松田での乗り換え計画は完成された。

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(JR松田駅構内。昔と変わらずの有効長のあるホームだが、私が見た限り2・3番線のみJRが使用している感じであった。)

その松田で乗り換える。列車が遅れていたが、MSEもその影響で遅れが発生。結局ダイヤが7~8分スライドした感じであるが、往年の面影は健在。大きくカーブを描くホームは有効長があり、3両編成の列車にはかなり持て余し気味である。御殿場線は島式ホーム2・3番線を主に使用していて、駅舎に接する1番線は「あさぎり」のみがほぼ独占していると思われる。島式ホームの国府津寄りには小田急「新松田」に連絡する通路があり、下車客のほぼ97%がそちらに移動。JR側の駅舎への移動はほぼ皆無に近い雰囲気であった。

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(JR松田駅の駅舎。隣には地元商店が入居しているが、利用者は疎ら。)

私は1番線から発車する「あさぎり」を待つため跨線橋を渡り人影疎らなホームに身を寄せる。松田から小田急線側に短絡線があるのは有名であるが、その短絡線を今も使用しているのが微笑ましい。しかも、あのMSEで体験できるとは時代も変わったものだ。

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(松田からMSEに乗車。本厚木まで一気に帰れるのが嬉しい。)

青い車体に落ち着いた車内の新しい車両は、御殿場線の「性格」からすれば実にアンマッチと感じるのは私だけであろうか?しかし一瞬の短絡線を若干徐行気味での走行はJRで遅れを取ったため、小田急側との時間の調整の為か、いつもより念入りに(?)徐行しているような感じがした。

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(本厚木駅に着いたMSE。日常の姿であるが、この日は何か特別の雰囲気を醸し出していた。)

そしていつの間にか小田急線に突入。本厚木~小田原間は、本厚木~新宿間に比べたらあまり利用しない私であるが、この日は何気に「ホームグラウンド」に戻ってきた感じであった。御殿場線の「異空間」から小田急の「日常空間」への変身が何気なく毎日行われている「あさぎり」。考えてみたら、私は乗り換えなしで御殿場線を訪問できるではないか!なぜ今まで放っておいたのであろう・・・「山北のスズメは黒い」と言われたSLの峠越えの時代から、現在も単線ながら頑張り続ける御殿場線。その気になれば「メトロあさぎり」として北綾瀬~御殿場の運転も可能である!時代に取り残されたような御殿場線。多くの可能性を秘めた今、もしかしたら御殿場線は、最も時代の最先端を行っているのかもしれない。


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御殿場線とは?①

御殿場線とは、ご存じ、昭和初期まで東海道本線の一区間であった。国府津と沼津では機関車の付け替えなどが行われ活気に満ちていたが、私は生まれておらず、当然その時代を知らない。太平洋戦争中の1944年(昭和19年)には不要不急線に指定され複線区間であった御殿場線は単線化された。しかし現在も所々で複線時代の名残があり往時を偲ばせる。

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(沼津駅構内。昔と変わらず、の佇まい。)

そんな御殿場線だが、私は小学校低学年時代に訪問している。当時はスカ色の旧型国電が主役であったり、東京から直通の普通列車や165系急行「ごてんば」が乗り入れていたりと、何かと話題性があったが、特筆すべきは小田急のSSE「あさぎり」が乗り入れていた事であろう。そして松田では、小田急とJRの間に200~300m位の「短絡線」が何かと異色に映るが、その後371系やRSEなどを経てMSEの現在に至るのは周知の通り、今も伝統を守り続けている。

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(同じく沼津駅。ご覧の通りの「リサイクル」はかつて、いろいろな駅で見かけた。現在も東京は神田辺りで見かけたような・・・)


その訪問から30云年振りに沼津~松田を訪問した。国府津~松田は近年に訪問しているが、そちらも30云年振りである。今回紹介するのは沼津~松田であるが、先に紹介した「30年振りに三保駅訪問」の帰りに訪問した。比較的身近にありながら訪問する機会が以外に少ない、というより身近にあるから「いつでも行ける」という感覚なのかなかなか訪問しないのであろう。

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(沼津駅・御殿場線のホームより。この辺りは若干変わったか?若干側線が減ったような感じもするが・・・)

さて、私は清水港線の訪問を終え、沼津に着いたのが午後4時過ぎであった。予定では、目指す御殿場線は17時2分の発車の為かなりのインターバルがある。小学校2年~3年生のころに「沼津駅に行ってみたい!」と思いひとりで沼津に来た思い出があるが、その頃とほとんど駅構内は変わっておらず、何か昔にタイムスリップしたような感じだ。とは言え時代も変わり、今回の訪問時には駅構内に「ド〇ール」なるコーヒーショップができていた。私はその空間に身を預け、清水港線の訪問やかつて沼津駅に訪れた事などを思い出していた。そういえば、沼津は何度も通過しているものの、実際に下車するのはそれこそ30云年振り。子供の頃と大人になってからとの物の見方に違いはあろうが、今回ばかりは「童心に返った」とでも言おうか、久々に「しかと見届ける」沼津駅は実に斬新であった。

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(いよいよ久々に沼津より御殿場線に乗る。以前の訪問時はスカ色「旧型国電」や115系の「湘南電車」であった。)

いよいよ出発の時間が近づき乗場に向かう。3両編成の列車が私を迎えてくれ、これから東海道の「山越え」に向かう。果たしてどのように変化しているのであろうか?

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(いつであったか記憶に無いが、恐らく1977~1978年頃と思われる沼津駅訪問時の写真。当時の唯一の写真だ。)

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第67回・あつぎ鮎まつり!

我地元・神奈川県厚木で、2013年8月3・4日に「第67回・あつぎ鮎祭り」が開催された。当日は何万人という人で本厚木~厚木駅周辺がごった返す。メインは「花火・1万発」で、我家からも見えるが若干迫力に欠けるため、今回は打ち上げ場所付近まで移動してみた。その前に本厚木駅前の各所では数々のイベントが開催されていた。今回は「厚木市民」として若干「アピール」してみよう。

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小田急線・本厚木駅。毎年8月の第一土曜・日曜日に「あゆ祭り」が開催される。その時は県内各地から見物客が訪れる。



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駅前ではパフォーマーが。「おっ、ラ〇スか?」と思ったが、若干勘違いのようだった。


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厚木のご当地キャラと言えば「あゆコロちゃん」。気軽に撮影に応じてくれた。



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本厚木駅周辺の道路は一部歩行者天国になる。数々の出店があり、祭り気分満載だ。


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今回の祭りのタイトルを象徴するかのような出店も。やはり塩焼きが一番!


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歩行者天国の道路では、子供たちの「スケッチブック」に変身、皆思い思いに「自分」を表現。


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厚木中央公園に移動してみた。ご覧の通りの出店が多数あり、祭りの異様な盛り上がりが伝わってくる。特に「とん漬け」「シロコロ」はご当地グルメ、とはいうものの花火開始までまだまだ時間があり、出店も準備段階。しかし夜になると人・人・人!


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同じく厚木中央公園ではこんなイベントも。私も思わず「サイン」でももらおうかと・・・


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そしてメインイベント。打ち上げ場所からおそらく1kmも離れてない場所からの「たまや~」は、花火というより「爆発」に近い感じ!重低音が腹部に響く。


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30年振りに三保駅訪問!②

いよいよ三保駅に到着し、約30年振りに「三保駅」の台地を踏みしめた・・・現在旧・三保駅は「三保ふれあい広場」となっておりかつての駅スペースがそのまま公園に転用されている。ホームや駅名表も残っており、私はそれを狙ってやって来たが・・・なんと三保駅のホームのある場所が工事中で撮影ができなかった!完全に塀で閉ざされ外界から閉ざされた形だ。もちろんこの中に駅名表があり「証」を収める事が出来ず、完全に疾走してしまった・・・次回訪問で三度目の正直なるか?


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バスを降りて裏手の道から侵入。旧・三保駅構内にたどり着く。



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三保駅構内。意外に広く、貨物側線が多く存在した事を現在も感じ取る事がで来る。人類以外の「乗客」もこの施設を多く利用。



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三保駅に停泊、というより展示されているかつての主役たち。何本か設定されていた列車のうち、これらと一緒に客車が「混結」されていた列車が一往復存在した。ちなみに三保駅の始発列車は16時頃だった記憶。



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旧・三保駅の駅舎があった付近。写真奥に、わかり辛いがホームと階段がありかつての「駅」であった事が分かる。ここに駅名表があり「証」が欲しかったが中に入れず、完全にメランコリーに・・・


ということで、私の清水港線の旅は終わり、この後「しずてつジャストライン」で再び清水に向かった。バスは約20分ヘッドで運転されていて非常に便利である。ただ、この廃線跡訪問を通して感じたことは「夏は廃線跡訪問は避けよう」という結論であった。皆様も訪問の際は是非夏場以外を選んで訪問してみた方が良いであろう(私があえてこの場で意見しなくてもお分かりと思われるが)。



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30年振りに三保駅訪問!①

2013年7月、私は約30年振りに清水港線を訪問した。というより、厳密に言えば約10年くらい前に三保の松原を「観光」による訪問ついでにチラッと清水港線跡を確認したが、その時はレールファン復活前であり懐かしさはあったが、「廃線跡訪問」という形での訪問ではなかった。今回改めて「訪問」という形で旧・清水港線の姿を確認しに遥々やって来た。どうしてかって?そう、以前に清水港線の話題はこのブログで紹介したが、制覇の証である三保駅の「駅名表」を、現役時代の清水港線訪問時にどうやら「欠落」させてしまったらしく、その証を収めるべく現地に出向く決意をした。事前に調査した結果ホームと駅名表は現存するらしい事を突き止め居ても立ってもいられず「青春18きっぷ」を握りしめた。しかし、現地に着き跡地を確認した結果、実に残念な出来事が私を待ち構えていた・・・実に残念な結果と共にダイジェスト版で紹介してみよう。本当に残念である!


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JR東海道線・清水駅よりスタート。現在の清水港線は「しずてつジャストライン」が受け持つ。というよりもともと並走していた路線バスでこちらが主役。一日一本の列車を「代行」しているが、路線バスの方が運転本数が圧倒的。数えていないが100本近くはあったであろう。



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私がバスを待っていると、三保の松原へ向かうと思われる観光客らしき乗客がチラホラいた。



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ジャストラインは意外にカラフル。車内も清潔感があり利用しやすい。そういえばここ清水ではサッカーチームの本拠地としても知られている。



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JR清水駅ホームからかつての清水港線方向を望む。貨物側線は全て撤去されご覧のような姿になった。



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旧・清水港線は清水を出ると工場群の中を走っていたが、巴川口駅を過ぎると県道に顔を出す。一目でかつての勇姿である「轍(わだち)」に気付く事が出来る。歩道部分がかつての清水港線だ。



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レールが無くなった現在も「保線作業」が行われている。歩道としてすっかり地元に定着。



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旧・折戸駅と思われる空間。下車してしっかりと確認したかったが、時間の制約もありバス車内から。



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そして三保「駅」に到着。現在は憩いの空間となっており、バス停のすぐ裏手に駅がある。


次章では三保駅を詳細にお伝えしたいが、遥々やって来た私に厳しい現実が待っていた!とは言え、訪問から30年経った現在でも「鉄道の存在」をしっかり確認することができる。廃線訪問ビギナーでも実にわかりやすく、かつての勇姿を堪能できる事であろう。


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廃止路線を訪ねて⑫ 高砂線

1980年代に数多くの「ローカル線」が廃止されたが、これから紹介する高砂線もそのひとつだ。1984年11月まで営業していた高砂線は、終点の高砂から先1.7km先に貨物専用駅の「高砂港」があった。私は1983年3月に旅客駅の終点・高砂まで訪問している。
今回はこの高砂線を紹介するにあたり「懐かしの鉄道車両&風景ーひょん君撮影編ー」の管理人様よりご協力いただきました。協力写真に関しては「ひょん君」と記させていただきました。この場を借りてお礼申し上げます。

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(私が所有している高砂線の唯一の写真。とりあえず制覇の「証」だ。)

高砂線は、山陽本線の加古川から南に下り高砂市の高砂まで至る6.3kmの非電化単線の路線であった。高砂から先に1.7kmの貨物専用線があり、総延長が8.0kmの短い路線であったが、加古川の隣の駅・野口では別府鉄道と連絡していた。別府鉄道は高砂線より一足早く1984年2月に廃止されてしまい、寂しさが漂っていた。しかしこの野口で両者間の乗り換えはレールファン以外はほぼ皆無であったろう。

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(以前に紹介した別府鉄道。野口駅より高砂線と若干並走する。)

高砂線のハイライトはこの野口駅と終点高砂が私のお気に入りであった。特に野口は島式ホーム一本で片面ずつを国鉄と別府鉄道で使用し乗り換える際は跨線橋を使わずに同一ホームで乗り換えできるという優れものだ。確か駅員無配置であったはずであるが、別府鉄道は旅客がある方が珍しく、特に土山線は貨物鉄道の色が強かった。

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(晩年の野口駅。既に別府鉄道のレールは無く、ホームも草が生い茂る。ひょん君提供写真。)



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(野口駅付近。写真下部中央には別府鉄道の踏切跡が確認できる。ひょん君提供写真。)

特に上記写真をご覧いただくとお分かりいただけると思うが、ローカル線にしては街並みが繁華街している。それなりに利用者があると思われるが、実は付近を山陽電気鉄道が走っており、神戸や姫路方面へは加古川で乗換が無い分、便利なのかも知れず、本数の少ない高砂線よりも利用者は圧倒的だ。

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(鶴林寺駅。駅前のお寺から命名された駅名。ひょん君提供写真。)

鶴林寺を過ぎると尾上駅があり、付近に山陽電気鉄道「尾上の松」駅があり乗換可能であった。そして次の「高砂北口」では、ズバリ「電鉄高砂」との接続駅であった。お気づきと思うが、つまり高砂付近は山陽電気鉄道とほぼ「並走状態」であったのだ。この辺りが高砂線の運命を握っていたのかもしれないと私は思っていた。現に1991年には電鉄高砂が「高砂」に駅名変更した。同じ年に電鉄別府も「別府」に改称している。これは、当然ながら「かぶる」駅名が無くなったためであろう。

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(晩年の高砂駅。旅客は一面一線であるが、貨物側線が沢山あり、貨物路線の役割が大きかった事を物語っていた。ひょん君提供写真。)

そして終点の高砂は、どちらかというと貨物駅の印象が強い。沢山の引き込み線も分岐しており多くの工場に繋がっていた。駅員はいたが、旅客の為の駅員はおらず、貨物専用の駅員のみた配置され、いわゆる「無人駅」という事となる。ここから先の貨物線、高砂港は以前に旅客営業をしていた関係から一面一線のホームがあったが、高砂線が廃止される直前に一足早く廃止された。
貨物路線の色が濃かった高砂線も、鉄道による貨物輸送の衰退とともに居場所を失った感があるような晩年であった。「高砂」をウィキで調べてみたら「『高砂』(たかさご)は、能の作品の一つ。相生の松によせて夫婦愛と長寿を愛で、人世を言祝ぐ大変めでたい能である。古くは『相生』『相生松』と呼ばれた。ワキ、ワキヅレがアイとの問答の後、上ゲ謌で謡う『高砂や、この浦舟に帆を上げて、この浦舟に帆を上げて、月もろともに出で潮の、波の淡路の島影や、遠く鳴尾の沖過ぎて、はや住吉(すみのえ)に着きにけり、はや住吉に着きにけり』は結婚披露宴の定番の一つである。唄には、夫婦和合の妙(ハウツー)の意味がある。」という、なにやら「おめでたい」事の様だ。
高砂線は既に無い。確かに無いが、廃止ローカル線のイメージにある「深名線」や「添田線」などの「ザ・ローカル線」的な感じは無く、廃止候補に挙がった時はむしろ地味な存在のように見受けられたが、今こうして振り返ってみると、意外と見どころがたくさんあり、特に別府鉄道の接続駅である野口は印象的だ。私はこうした路線を数多く制覇してきた。もちろん制覇できなかった路線も少なくない。しかし「訪問できた喜び」は、必ずや「素敵な記憶」となり、その「素敵な記憶」となるものをこれからも絶え間なく追い続ける事であろう。


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萌エル留萌・アゲイン②

前回に引き続き蔵出し画像を紹介しよう。今回は「増毛」「留萌」を中心に紹介してみたい。

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増毛駅各種。広い構内はかつての盛栄を偲ばせる。もちろん現在は「無人」の駅舎の中には人影無し。


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上記4枚、留萌駅構内にて。特に一番下の写真のバックに注目していただきたい。かつての「羽幌線」を含む貨物側線か幾多とあった場所が、現在緑色の地面に変わって現存する。広い更地はかつての賑わいを無言で語りかけているようだ。


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続いてホーム&駅名表。上から「朱文別」「箸別」「信砂」。国鉄時代、これらの駅は仮乗降場であったため時刻表には掲載されていなかったが「道内時刻表」には掲載されていた。



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最後は「留萌の車窓から」。深川からずっと山の中を走ってきたが、留萌を過ぎるとご覧の景色が見えてくる。礼受と瀬越の間には「浜中海水浴場」なる臨時駅があった。と言ってもホームなどは無く、係員が列車到着と同時に「タラップ」のようなものを列車に設置して降車客を対応する仕組み。



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萌エル留萌・アゲイン①

2008年に北海道・留萌本線を訪問。前回「萌エル留萌」でその模様を紹介したが、本文で紹介しきれなかった写真があるのでこの場を借りて若干紹介してみよう。

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上記の写真、すべて留萌本線にある「車掌室」。上から「礼受」「幌糠」「大和田」の各駅。できることなら塗りなおしてあげたい気分。


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続いて各駅舎。上からお馴染み「明日萌」こと「恵比島」、「北一已」「増毛」「藤山」の各駅。特に「藤山」はかなりの年季が見え隠れする。「恵比島」は撮影用に若干リニューアルされている感じだが、全体的に往時を偲ばせる感がある。


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いざ、競輪場へ! ④

今回のライトレールの訪問時の写真だが、本文で紹介しきれなかったものが若干あるためウィキぺディアの画像と併せてこの場を借りて紹介してみよう。全て2013年6月の訪問である。

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旧・岩瀬浜駅の駅舎。木造時代の駅舎は現在取り壊され皆無に等しい。写真はウィキペディアより。


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上記4枚すべて現在の岩瀬浜駅。かつての面影は全く無いが、しっかりと地元の方々の足として機能しているのが素晴らしい。


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競輪場前駅。駅舎には「KEIRIN 富山」と記されており「競輪場前」という駅名はホームに来て初めてわかる事が出来る。駅舎の写真はウィキペディアより。


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城川原駅にある壁紙。かつての勇姿と共に「現在」があるのが微笑ましい光景。



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上記3枚富山駅北駅。富山港線が「ライトレール」としてすっかり定着している。



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プロフィール

ダイヤモンド☆トナカイ

Author:ダイヤモンド☆トナカイ
創設:1969.03.09
所在地:神奈川県湘南地区

〇2013年6月11日、北陸新幹線長野駅にてJR全線制覇いたしました。
国内の鉄道は、沖縄の「ゆいレール」を残し全線制覇しました。(とは言うものの、2015年3月の北陸新幹線延伸によりJR全線制覇は「ベルト返上」しました)

★ ブログ記事の「リメイク版」は、以前にホームページで紹介した旅日記をブログでリメイクしたものです。


◎ブログの登場人物

★ ダイナミック☆トナカイ
・・・中学時代の後輩で、2013年に約30年振りに再会を果たした。数多くの写真を提供していただいた「盟友」でもある。

★ おさる・・・かつて私がバンド活動をしていた時のメンバーで、鉄道復活のきっかけを作ってくれた人物。彼とは「秘境駅」を数回訪問した「親友」でもある。

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