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鉄道全線完全制覇の旅

昭和から平成へ・・・全線制覇の旅紀行!

永遠のひとかけら(後編)

やがて岩泉線の列車が到着する。当時はキハ20で「相模線!」の印象であった私だが、当時の相模線はキハ30とかであったため、このキハ20が非常に嬉しく感じたものだ。途中「押角」は、ご存じ「スイッチバック」の名残がある。現在は(というより当時から)秘境駅として名高いが、本当に山の中の「秘境」にあり、その存在意義を疑う。車内では夏休みとあってか、私たちの他に若干の乗客もあった。と言ってもそちらも同業者であるが・・・

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(浅岸駅構内。ご覧の通り「島式ホーム」であるが、片面はレールが無い。画像はウィキペディアより。)

考えてみたら、当時は私が乗車した時間帯にも列車設定があった。現在は、というより災害前は朝晩だけの運転であるためお日様が高い位置にいる時の運転は無い。列車は宮古まで直通であったが私は茂市で下車し、茂市駅の観察をした。同行の仲間は「宮古まで乗ればいいのに。」と言ってくれたが、この茂市を観察したかったのと、宮古ではたった5分の接続、というより折り返しであったため、あまり気のりしなかった。せっかくの御言葉ではあったが、私は茂市駅をじっくり観察した。1時間オーバーの待ち合わせ時間であったが、やがてやって来た山田線・盛岡行きの列車は「満員御礼」。座席の余地が全く無く、素直に宮古まで行っていればなぁとの思いがふと過った。

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(これは以前に紹介した、私が所有する岩泉線の一枚。岩泉駅のホームからはこんな景色が見える。1983年8月に訪問。)

しかし立席ながら「大志田」「浅岸」等のスイッチバック跡はしっかり確認。というより、新幹線開通に併せCTC化による合理化でスイッチバックが無くなった直後であった。まだまだホームやレールもしっかり残っており、今でも列車がやってきそうな感じでもあった。
そんな駅も今は「冬眠」してしまい「秘境駅」の名前にふさわしい佇まいとなってしまった。

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(秘境駅として有名な押角。かつてはスイッチバック駅であったが、若干まだ痕跡が確認できる。画像はウィキペディアより。)

岩泉線の余命もあとわずか・・・というより実質「廃止」となってしまった岩泉線は、かつて小本までの延伸計画があった。もし繋がっていたら、当然運命もまた違っていたであろう。しかしこのご時世、存続するにはかなりの労力が必要とし、結局「同じ道」と辿っていたかもしれない。しかし私たちはこの岩泉線の歴史の「生き証人」としてこれからも語り継いでいく事であろう。そしてその勇姿をしっかりと記憶に刻み込んだ時、岩泉線の真価が「進化」し「深化」していく事であろう。



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永遠のひとかけら(前編)

2013年9月、岩泉線・沿線自治体に「岩泉線を正式に廃止したい」とJR側から通達があったと聞いた。2010年より災害による不通以来、バスによる代替輸送が続いていたが、どうやら正式に「バス転換」になりそうだ。2012年には廃止の方針を既に沿線各自治体に打診しており廃止も時間の問題とは思っていたが、いざ「廃止」となると、それは非常に受け止めたくない事実であろう。とはいうものの、よくこの時代まで残っていたと思うほど実に頑張ってくれた「昭和の化石」は、もう「最後通告」を言い渡され、既に列車が走っていない状態が3年以上続いている。

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(浅岸駅の駅舎。無人の駅舎は意外に手入れが行き届いているようだ。画像はウィキペディアより。)

1983年8月に私は訪問しているが、その時は「廃止」の候補には挙がっていたものの「沿線道路未整備」等の理由から廃止を免れてきた。当時からローカル線の「典型」であり、延伸計画があったものの、完全に頓挫していた。私が訪問した際は、このブログで散々紹介してきた「東北乗潰しの旅」の時であったが、茂市から岩泉までを折り返すのではなく、北山崎展望台から国鉄バスで岩泉駅まで来てからの「片道乗車」であった。

当時は三陸鉄道が開通前で普代~岩泉には国鉄バスが連絡していた。そして私は岩泉に向かうため、この北山崎展望台で乗り換えなければならなかったが、確か普代辺りから「同業者」と意気投合してしばらく同じコースを巡ったものだ。私は八戸線で八戸から始発で普代に着いたが、おそらく同業者の方々も同じ行程であったであろう。「同業者」とは、確か私と同じ年代の男児が1名と、自称「お医者さん」である初老の紳士が1名で、2人とも「東北ワイド周遊券」を持っていた。私も同じ切符であったため、皆「目的」は一緒だなと、その仲間と共に行動したわけである。

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(三陸鉄道開通前に運転されていた国鉄バス「陸中海岸線」。私は普代から乗車し、北山崎展望台で乗り換え岩泉に向かった。画像はウィキペディアより。)

さて、北山崎展望台・・・三陸海岸は「三陸復興国立公園」の北行にある展望台で景勝地としても名高い。現在は三陸鉄道の田野畑駅から「乗合タクシー」で20分で着く。そんな景勝地を、私はただ単に「乗換」としてのみ利用。何とも無邪気な少年であった。北山崎展望台で岩泉方面に乗り換えると、岩泉付近にある観光地「龍泉洞」も当然通る。しかし私は全く興味を示さず、只管岩泉駅への到着を待ちわびていた。

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(岩泉駅の駅舎。なんだかボウリング場みたいであるが、おそらく龍泉洞の「拠点」としたかったのであろう。画像はウィキペディアより。)

そしていよいよ岩泉駅に到着。立派な駅舎が私を迎えてくれたが、人影疎らで非常に寂しい。駅前はロータリーがしっかり整備されていて、駅舎も大きいし広い。恐らく国鉄は、龍泉洞の「玄関口」としてこの駅を企てたのであろうが、当時から全く機能しておらず、本数の少ない列車では観光客もほぼ皆無に近かった。バスは12時10分に着いたが、岩泉線の列車は13時45分の発車で少々のインターバルがあった。昼食時間のタイミングは言うまでもないが、確か食堂などが無かったため、駅前の商店でパンなどを購入した記憶だ。待合室で食べながら駅を観察したり仲間となった「同業者」と語り合ったりしていたらすぐに時間は過ぎてった。



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PURE GOLD ②

芸備線の写真を若干蔵出ししてみた。かつては列車交換設備があった駅が多く存在したが、現在は交換できる駅の存在の方が珍しい。残念な気持ちもあるが、新見~三次を中心に紹介してみよう。



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新見駅の1番線で出発を待つ芸備線気動車。JR化後の車両の為、新鮮な感じがする。島式ホームは姫新線と共同使用で乗り換えは便利であるが、伯備線の島式ホームは別にあり、地下道を潜って乗り換える。



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東城では、現在列車交換が行われていないものの、設備は残る。駅前は若干賑わっており、新しい建物も存在する。しかし利用客はここ10年ほどで10/1に減少。



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2010年に訪問の際の備後落合。数少ない列車本数と交換設備の中、この時だけはいっときの賑わいを見せる。木次線と接続駅であるが、現在は駅員無配置である。



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平子はなかなか渋い駅舎があった。恐らく開業当初から棒線化された無人駅。開業は1952年と、芸備線の中では比較的新しい。



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なかなか渋い駅舎を持つ野馳。かつては列車交換が行われたが、現在は棒線化された。もしかしたら東城より利用客が多いかもしれない。



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庄原市を代表する駅として堂々とした佇まいであるが、利用者は30年前に比べ5分の1以下に減少。



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同じく備後庄原駅にて。2面3線のホームは現在でも全て使用されているが、広島へ向かうには高速バスの方が本数も所要時間も芸備線は劣る。



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芸備線は直通列車が存在しない。三次駅では必ず乗り換えが発生する。広島方面の列車は、なんと国鉄仕様であった。



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同じく三次駅にて。三江線・芸備線の列車が側線に留置されている。しかし三江線と芸備線は必ずしも接続体制が取れてるとは言えない。



やはり利用者の減少と共に列車本数も減少しているが、せめて乗換の連絡・接続は良くしてほしい。特に三江線は本数が少ないため、芸備線とのやり取りが無いと僅かかもしれないが致命傷になりかねない、いや、既にもう「時遅し」か・・・益田での山陰本線と山口線などもそうだが、基本的にJR西は他線同士の接続・連絡が考えられてないような気がしてならない。利用者減少もこういう所に若干の原因があると考えられるがいかがなものか。




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PURE GOLD ①

芸備線は不思議な路線だ・・・皆さんの印象は「ローカル線」であろう。勿論私もそうである。しかしかつては急行「ちどり」「たいしゃく」などが運転され、木次線経由で夜行列車の運転もあった。そんな「準」幹線のような存在であった芸備線も、現在では短距離区間の通学路線として活躍している一方、広島側では沿線人口が増加し列車本数も増加。所謂「都市鉄道」としての顔も見せる。

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(1982年に訪問の際の道後山駅。交換設備が外され旧・上りホームのみを使用する無人駅になった。写真は旧・下りホーム。)

私が「不思議だ」と思ったのは、他のローカル線とは違う「何か」が存在し、ひきつける「何か」がある。特に新見から三次まではローカル線の基本である「山」「畑」「田んぼ」・・・そんな景色が車窓に映る。勿論、ローカル線としては「合格点」であろう。いや、そんな「採点」をしてはいけない。芸備線はもっともっと尊いものだ。
ローカル線は数あれど、芸備線ほど何かを感じる路線はそう多くない。勿論これは私個人の意見である。しかし私は特に芸備線に「思い入れ」があるわけでもない。ではいったい何が私を「そうさせる」のか・・・

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(こちらは2013年訪問の際の道後山。JR化後はもちろんJR西仕様の駅名表に変更されているが、駅前は更に寂しくなったような・・・)

かつては坂根・野馳・備後八幡・小奴可・道後山・比婆山・高・山之内・下和知・・・これらは全て交換設備があった駅だ。「あった」と表現しているからには、現在は棒線化された駅に変身している。特に小奴可・備後八幡・高などはつい最近まで交換設備があったはずだ。もちろん私は、特に小奴可は1982年に訪問した時はしっかりと確認している。こんなにも変わってしまったのか・・・

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(2010年訪問時の道後山。旧ホームが未だに残る。当日はなんと、あの「秘境駅訪問家」に偶然遭遇!後に本人確認をしたところメールが届き「確かに道後山にいました」とご連絡いただきました。ご多用の中、わざわざありがとうございます!)

1983年にCTC化が完了し無人駅が増えた。その際に交換駅の数も減ったが、現在は更に減少し寂しさを拭い切れない・・・
現在、東城では交換設備こそあるものの、列車交換は行われていない。列車本数の減少と共に列車交換設備がある駅でさえ交換が行われなくなってしまった。
しかしながら、途中の備後落合では木次線が接続する。木次線も列車本数の減少しているが、それでも少ない本数の中、芸備線と接続し3番線まであるホームは全て列車で埋まる時間帯もある。

芸備線の旅・・・それはただ、私の心を寂しくさせる事だけなのか?それが「引き付ける何か」なのか・・・いや、決してそうではない。他に何かがあるはずだ。しかし答えはまだ見つからない。ということは、再び芸備線を訪問し、その「答えさがし」をしなければならない。だが、果たして答えは見つかるであろうか・・・



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23時59分発の583系寝台列車

以前に「原色の583系」でも紹介したが、私は過去に583系を3度乗車している。最初の乗車は1978年の夏、西鹿児島(現・鹿児島中央)から熊本まで乗ったL特急「有明」である。夜に新大阪発の「明星」や「金星」などの583系寝台列車が、九州内で昼間の「有明」に変身しての運用と思われるが、この583系に初めて乗った時の印象はとても強烈に残っている。

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(1975年の鹿児島本線・鳥栖駅にて。新大阪発・九州方面の583系は、九州内では昼行特急として活躍。画像はお馴染み「ミックスマテリアル様」提供。)

小学生であった私は鉄道誌などでよく見ていたためもちろん存在を知っていたが、「まさか」のノーマーク。昼間に583系に乗れるとは!ただ、一般のお客様にとっては若干不満もあったであろう。一番は「リクライニングシート」ではないのと「固定型のクロスシート」である事だ。しかし「特急」を名乗るには若干サービス面で劣るが、あの解放感ある車内は、私たちをゆったりとしたムードに誘ってくれる。

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(東北方面も昼夜両用の運転はフル回転。昼間は「みちのく」「はつかり」、夜は「ゆうづる」「はくつる」等、ペアで運用されていた。画像は「ミックスマテリアル様」提供。)

寝台としては、その1年後の1979年に上野から青森まで乗った「ゆうづる」である。当時の「ゆうづる」は583系寝台と14系客車寝台2本立てで、確か3~4往復定期で設定されていた記憶だ。583系「ゆうづる」は、兄弟分の583系寝台特急「はくつる」と共に昼間の特急「はつかり」や「みちのく」などとペアで運用されていたことであろう。「ゆうづる」では3段式のB寝台の中段に「初」乗車したが、華奢な小学生の体でも広いとは言えない空間であった。

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(これは以前に紹介した私撮影の「はくつる」。1983年青森駅であるが、残念ながら真夏であるため「雪の中」ではない。当時中学3年生!)

そして4年後の1983年にあの「東北一周の旅」の締めとして乗ったのが「はくつる」であった。その時はB寝台の上段であたが、中段よりも若干広く、景色を見る「小窓」も寝ながら確認できて一番過ごしやすかった。青森から上野までの帰郷にふさわしい(?)列車であったろう。しかし出発はなんと23時59分!完全に「遊び心満載」のダイヤ設定であるが、それに付き合う私も「遊び心満載」である。しかしこの旅の最終制覇路線の津軽線を乗り終えて青森に着いたのは約16時半!もちろん最初から計画しての事であるが、「はくつる」の発車時間まで一体何をしていろというのだ!もちろんホームで列車などを撮影していれば、と思うが、それこそ上野駅のように頻繁に列車がやってくるわけでもない。

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(こちらも私撮影の「ゆうづる」。寝台列車としては「初」乗車である。1979年8月に青森駅にて。)

駅前のアーケードなどでお土産を見たり、この旅の中で探し当てた銭湯に行ったり食事をしたり・・・それでも9時を過ぎるとどこもお店は閉まってしまう・・・完全に10時半頃からやることが無くなった。この「東北一周の旅」では、実は後輩もスポット参戦しており、所々でお世話になったが流石にこの時ばかりはしびれを切らしていた。実はその後輩、中学校の所属クラブ活動「鉄道研究クラブ」に在籍しており、夏休みを利用した私の旅をランダムで参戦することになった。親せきの家が山形県は奥羽本線の中川駅付近にあり、私が東北一周の旅をする際に別行動で後輩も親せき宅に訪問。そして事前に私の計画書を渡していたので私が山形付近に来るのを狙って所々で合流し、同一行程で回った後、その日のうちに中川に帰っていくという、何とも小悪魔的な存在であった。

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(快速「会津ライナー」として2007年に会津若松にて偶然出会った。残念ながら車内を軽く散策しただけに過ぎなかったが、昔のままの姿に懐かしさがこみ上げてきた。)

「はくつる」は上野着9時20分である。583系の寝台ベッドで朝8時・9時を過ごすのはいささか窮屈に感じる。現在でいう「ロビーカー」みたいなものがあればなと「夢の夜行列車」等と当時の鉄道誌などに記されていたが、やはり3段式であると着替えるにもひと苦労である。だが、そんな思い出の列車も現在では定期運用から外れ「臨時列車」等の運用にて残りの人生を送っている。やがてその臨時列車としての運用も無くなり、自身の生きざまにピリオドを打つ日もそう遠くないはずだ。
2013年末には、あの「ムーンライトながら」の車両が185系に置き換わるとの噂がある。私は常々思っていたが、この「ムーンライト」に583系の余生を送らせてはいかがであろう。もちろん「ゴロンとシート」のような感じで寝台をセットしていただくと非常に評価が上がると思う。例え185系でも座席には変わらない。やはり座席で一夜を過ごすのは精神的にも体力的にもハードなものだ。もちろん長い期間の運用は無理であろうが、ぜひともJR様、よろしくお願いします!



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尾盛の逆襲・アゲイン

かつて「尾盛の逆襲(リメイク版)」で紹介した尾盛駅であるが、同行の友人の写真が若干残っていた。私の写真と共に「蔵出し」してみよう。かなりの秘境度が伝われば幸いである。


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かつては列車交換が行われたであろう広い構内は、レールの無い更地のみが面影に残る。主役となるホームでさえレールが撤去され、別枠の、現在レールがある場所に新たにホームを設置。と言っても若干盛土しただけであるが・・・


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駅舎&ホーム群。本来のホームがあった場所は全く機能していない・・・というより若干の待合スペースがあるのみ!建屋の中には関係者以外入れない。


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私(上)と同行の「おさる(下)」。蜂の威嚇にやられながらも、頑張って構内を撮影。真夏の太陽が容赦なく照りつける。


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蛇の抜け殻に狸の像・・・外界からは完全に閉ざされた空間は、いったい何のために駅が存在すのか?


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駅に通じる外部からの道が全く無い。一体、鉄道以外の交通手段でどう訪問すればよいのか?ひとつは「登山」。もうひとつは「ヘリ」。しかし前者は遭難の恐れあり、後者は経済的にもあまり現実的ではない。


列車がダイヤ通り運転されていないと、本当に「命がけ」の訪問となる。いつ野生の生き物に襲われるかわからないし、万が一列車が来なかった場合、一夜を過ごす「場所」が無い。あまりの孤独感や恐怖感に気持ちの持っていく場所が無いであろう。某演歌歌手の「オラこんな村嫌だ~」の歌よりはるかに「何もない」。訪問の際は是非天候と季節と列車運転状況を確認していただきたい。そして少しでも身の危険を感じたら、直ちに「延期」「中止」等の措置を取った方が無難であろう。決して「観光気分」で訪問してはならない!

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「森と水とロマン」を求めて・・・(後編)

さて、「初」SLに心躍る・・・事は無かったが、やはり観光列車だけあって、ある意味やりやすい。これから貴重な体験になっていくであろう地上時代の新潟駅を出発する。沼垂辺りがやたら線路が多くて喧しいくらいだが、沢山の車両も留置されており我々を楽しませてくれる。しかしながらレールファンを再開したばかりの私にしてみたら、見た事のない車両も多くあり若干戸惑いを隠せなかった。だが「昭和」の車両も多く見かけ、なんだか懐かしさがこみ上げたのも事実である。

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(新潟駅にて。地上時代は間もなく見納めか・・・)

そういえばこの私が乗っている車両、乗車前からすぐに「12系客車」とわかった。かつて急行「八甲田」等に使用されていて散々お世話になっており懐かしい。現在はこの12系客車が全国各地の観光列車などで見かけるようになった。と言ってもほぼ全て改造されてはいるが。しかし14系や50系の客車はめっきり見かけなくなったが、いったい今頃何をしているのか・・・と言っても長い年月とJRの「方針」によって「客車」という概念がほぼフェイドアウトしている現在だが、何らかの形で残っている事と思っていたが、果たして・・・

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(映画「男はつらいよ」では、第5作で寅二郎が「釜炊きかぁ~」のシーンでお馴染みのSL。職員の姿が凛々しい。)

列車は新津に到着。四方から路線が集まる「ジャンクション」であり配線も複雑である一方、新潟近郊とあって乗降客も多い。ホームには「ばんえつ仕様」の駅名表や撮影用ボードなどもありなかなか観光ムード満点だ。だが、私にしてみればこの新津より「西線」に入るためとても重要な「ジャンクション」となる。制覇の証も欠かせない。
そういえば、前回の西線訪問の際も「客車列車」であった。もちろんSLではなくDLであるが、この西線では気動車や電車に乗ったことが無い。今もこうしてSLながら客車に揺られていると、なんだかとても懐かしくなってくる。とは言え「観光列車」のため若干雰囲気が独特であるが、それはそれで楽しめばいい。

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(恐らく野沢と思われる。12系客車の改造と一目でわかる。ちょうどリニューアル間もない頃で、以前とはカラーが異なる。)

五泉に到着すると、以前から気になっていた事の確認作業に気が逸る。そう、2000年を待たずに去ってしまったあの「蒲原鉄道」の痕跡を確認するためだ。だが、私が想像していた以上に「何もない」状態で、更地になった空間だけが、かつての歴史を無言で語ってくれた。本当に何もない・・・せめて村松まででも乗っておけばよかった。

そんなかつての思いが募りながらもSLばんえつは会津若松目指す。津川などを過ぎると日出谷に停車。日出谷と言えばかつてのSL時代は中継所として栄え機関車の給水などが行われていたが、現在はすっかり寂しくなってしまった。しかし「SLばんえつ」が運転されると停車駅となり弁当なども販売されるようになり、かつての盛栄を若干取り戻した感じだ。だがこの駅弁も現在は無くなってしまったらしく非常に残念であるが、是非とも再開して欲しい思いだ。

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(どこの駅だか記憶にないが、恐らくこちらも野沢だと思う。「列車交換の為停車します」のアナウンスで一斉に乗客がホームにあふれた。)

そうこうしているうちに喜多方に着く時間帯となった。下車するのはおそらく私たちくらいであろう。途中「展望車両」では子供向けにじゃんけん大会などの催し物が行われるなど、観光的には飽きさせない内容となっている。しかしなんだか様子が変だ・・・列車の様子ではない。そう、私の「様子」だ。
「ムーンライト」での訪問で若干睡眠不足的な要素もあるであろうが、それとは違った何か・・・おそらく「観光的」なところであろう。観光列車は観光列車で楽しいし楽しめるのだが、やはり私は観光仕様ではない「旧型客車」の方が、私の体質的にはあっているようだ。通常の列車で旅をすると、非日常の中に「日常」を感じ取れるが、観光列車だと「非日常の中の非日常」となり若干「灰汁」が強い。

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(車内では「じゃんけん大会」等のイベントが行われた。子供たちは大喜びだ。)

喜多方では、郷土料理(?)の「ラーメン」を、駅前の食堂でいただいた。なかなかシンプルで懐かしい味。なんだか「おふくろの味」とでも言おうか、飾り気のない「ラーメン」という文字が一枚の紙に書かれ店内のメニューとして貼ってある・・・そんな「下町的な」味わいの印象であった。「仕込では何時間も煮込んだりして灰汁も丹念に取ったりしているんだろうなぁ」などと考えてしまったが、そんな事全く感じさせない主(あるじ)は普通のおばちゃんであった。私たちの見えないところで「職人魂」がしっかりとスープに「闘魂注入」されている事であろう。
そんな事を考えながら、次の只見線制覇に向けて会津若松に向かった。

あっ、この会津若松に向かう際に磐越西線で初めて気動車に乗りました!ヨロシク!


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「森と水とロマン」を求めて・・・(前編)

2007年10月・・・秋も深まりいささか過ごしやすくなったこの季節に、私はレールファン再開の時を迎え「いい旅チャレンジ20000km」の「再チャレンジ」を心に誓った。2013年現在、私は沖縄の「ゆいレール」を残し全線制覇した。厳密に言えば「残し」なので全線ではないが、5年後の延伸にあわせて訪問予定なのでそのときに「全線」は達成できるであろう。
2007年時点では恐らく日本の鉄道路線の半分にも満たなかったであろう制覇路線も、気づいたら上記の状態にまでついに来てしまった。
そんな中、この2007年に乗車した「SLばんえつ物語号」は地味に新鮮だったりしたが、私は特にSL好きという訳でもない。しかしながら「こんなところにもSLが走るようになったんだなぁ」と、ある意味関心していた当時の私であった。

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(画像提供はミックマテリアル様より(いつもお世話になってます)。1979年の会津若松にて。昔はこんな感じでした。やたら編成が長いのが考えられない・・・)

磐越西線は1983年8月に郡山~喜多方までは制覇していた。当時は「日中線」の訪問がそもそもの目的であったため、喜多方~新津は未乗車線区のままであった。そこで時は流れた2007年に残りの喜多方~新津を制覇する目的で「SL」に目を付けた訳である。プラス、喜多方といえば・・・そう、あの「〇ー〇〇」である!SLの乗車は会津若松まで行かず、この喜多方で下車することにした。
思えばこういう「観光要素」みたいなものを、かつては取り入れる旅の計画を組んだことが無かったため、私にしてみれば実に新鮮な旅になったと思う。そう、日本全国鉄道で駆け巡る・・・と言ってもその「土地」には郷土料理や文化が存在し「営み」がある。そういうものの「再発見」をする旅があっても良いではないか。

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(1981年、日出谷~豊実にて。私はこの2年後に訪問。画像提供はミックマテリアル様より。)

などとやたら理屈っぽくなってしまったが、2007年10月、私が新潟駅に着いたのが朝9時半である。新幹線で来たわけではない。そう、あの「月明かりえちご」に乗って遥々やって来たのだ。と言っても新潟には未明の5時前に到着してしまい9時43分発のSLまで「何してろ!」ということになる。しかし心配はご無用。未乗車線区の羽越本線・新津~坂町と弥彦線を制覇する計画を組み込んでいたのだ。それらを制覇すると新潟に9時半に到着しちょうど良い時間になる。と言ってもハッキリ言って「ギリギリ」ですな・・・

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(新潟駅にての「バンモノ」。私の乗車した「初」SL牽引列車である。)

で、実は私の「初」SLがこの「SLばんえつ物語号」である。しかし「ギリギリ」のため新潟駅ではあまり写真を撮影する時間が無く、もっと余裕を持った計画を組めばと思ったが、やはり「詰め込む」のは癖なのか・・・
ホームでは既に人だかりが見られ更に撮影に苦労する。特に家族連れが多数を占め、それこそ「鉄道の日記念きっぷ」を握り締めた乗客が大半であろう。私もその中の「約1名」となってSLに乗り込んだ。


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黒部の太陽④

いよいよクライマックス。終点・欅平まで一気に峡谷を堪能する。と言っても鉄道を堪能するのがメインであるが・・・ナローゲージで華奢な車両は想像以上に力強い。


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鐘釣は旅客駅の為か、設備が異彩に映る。お土産屋さんもあり、観光ムード満点だ。



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次の小屋平では上り列車との交換がある。「専用駅」であると同時に信号場としての役割もしている。


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そして終点・欅平に到着。乗客全てが下車(当然か)。乗客を降ろした後、機関車を機回し線で先頭に連結し乗車ホームに向かう。



一般客はここから祖母谷温泉目指すか、折り返して宇奈月温泉などを訪問する事となる。だが私は「裏」アルペンルートで黒部湖を目指す。この黒部ダム建設を描いた映画「黒部の太陽」は石原裕次郎や三船敏郎が熱演し話題を呼んだが、関西電力黒部見学ルートに参加すると、その壮絶な難工事の模様をダイレクトに伝えてくれる。
黒部に繋がる「峡谷鉄道」は、観光するにはもっとも素敵な鉄道であろう。特に紅葉の季節などは各方面からの観光客でごった返す事と思われ、渓谷美を堪能するには一番のおすすめである。しかし私は、列車に揺られながら全く違う事を考えていた。「どうやって橋を架けたのか」「どうやってレールを敷いたのか」「どうやってルートを決定したのか」など、景色よりもそちらの方に気が向いてしまう。そして、工事を手がけた方々の「人間臭さ」や黒部にかける「情熱」などがヒシヒシと伝わってきた。その「思い」は、上部軌道にある「見学ルート」で更に「肌で感じる」事となるが、これは選ばれた人にしか体験する事が出来ない。そういう意味では、この今回の旅は「人間」として日ごろから何気なく生活を営む事が出来るのは実に幸せな事だと再確認させられた旅でもあった。


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黒部の太陽③

さて、黒薙を出た列車は更に秘境へと招待してくれる。冗談抜きで、列車以外に到達困難な立地条件の中、どうやって工事をしたのか疑問に思う。しっかりと大切に後世に残したい鉄道だ。


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黒薙を過ぎるとまたもや専用駅の「笹平」に到着。列車交換もできるぞ。


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そして次の出平(だしだいら)も専用駅。



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まだシーズンは始まったばかり。夏休みから秋にかけてがピークであろう。


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猫又に到着。構内は広く、引き込み線も分岐する。専用駅の為、一般客は利用できない。


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引き込み線を過ぎると鐘釣に到着。久々の旅客駅である。地形の制約から安全側線までホームが伸びている。そのため乗降客の終了後、一旦後退しスイッチバックのような形で本線に入る。かつての「湯田中」のようなイメージだ。



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黒部の太陽②

さて、宇奈月駅を出発した列車は、ものすごく角度のあるカーブを連続しながら「渓谷美」を楽しませてくれる。紅葉の季節であればもっと違った感動があったろうが、他の季節でも、ならではの「顔」もある事であろう。6月の参戦は、まさに列車が「戦い」に挑む姿がダイレクトに伝わってくるかも知れない。


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宇奈月駅で販売員さんに見送られ・・・


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宇奈月駅を出発。なんだか「都会」を思わせる雰囲気だ。



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宇奈月を出発すると温泉街が見えてくる。白い建物は温泉旅館であるが、某旅番組でも放送された。


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早速こんな景色が現れる。「究極の鉄道」かも知れない・・・



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更にこんな景色も・・・


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すると柳橋駅に到着。電力関係者のみ利用できる「専用駅」で、一般には開放していない。というより解放されても行くところが無い。そういう意味では「海芝浦」的存在と考えてもよさそうだ。



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とある格闘技では「雪崩式(コーナーポスト)」や「断崖絶壁(エプロンサイド)」なるサブタイトルの付く技があるが、こんなところからその「技」をかけられた日には・・・痛いであろう。


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そして先ほどと同じ「専用駅」である森石に到着。秘境駅候補No1間違いなし!


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更にこの景色・・・こんなところばかり通るが、さぞかし難工事であったろう。


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一般客も扱う駅・黒薙に到着。上部軌道の支線も分岐しているが、もちろん一般には開放していない。



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ダイヤモンド✡トナカイ

Author:ダイヤモンド✡トナカイ
✩2022年4月より毎週土曜日更新になります✩


昭和・国鉄の話題を中心に紹介しています。


2013年に長野新幹線の長野駅にて「いい旅チャレンジ20000km」よりスタートした国鉄時代の制覇を含めJR全線制覇を、そしてゆいレール以外の鉄道全線制覇を達成いたしました。


以降、北陸新幹線と北海道新幹線などの開業によりタイトルは返上しています。

JR以外の私鉄を含む鉄道未制覇路線は北陸新幹線(長野~金沢)・北海道新幹線・仙台地下鉄東西線・仙石東北ライン・富山地方鉄道延伸部分・ゆいレール・相鉄直通線(相鉄新横浜線)、そして新規開業の西九州新幹線です。

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