1984年8月・「青春18」、88ヶ所は無理だったけど四国国鉄線全線制覇の旅⑤

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(1982年に訪問時の阿波池田。1984年の旅では、ここから徳島本線に乗り換えた。)

徳島本線は吉野川に沿って阿波池田から徳島までを走る。途中「学駅」は、かつての入場券ブームのさ中、縁起担ぎか「入学」の意味で話題になった。急行は停車しなかったが駅員は配置されておりちゃんと入場券もあったため全国各地から郵送依頼が殺到したと聞く。だが驚いた事に、現在も硬券の入場券を販売していいるのだ!2010年に無人駅になってしまったが、「入学」シーズンになると駅員が配置され駅でも購入できるらしい。また、JR四国の主要駅であれば学駅の入場券があるというのだ!これは実に素晴らしい。現在も硬券で「入学」できるとは、実にドラマチック・・・

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(入場券ブームで一役買った「学」。縁起担ぎで現在も入場券が売れてると聞く。画像はウィキペディアより。)

さて、徳島本線を制覇すると佐古で乗換え鳴門へ向かう。佐古と言えば1993年に高架化され島式ホーム一本になり、実にスリムに変身した。徳島~佐古間はかつて徳島本線と高徳本線の「二重戸籍区間」として有名であった。この区間は現在も複線区間であるが、かつての名残か「単線並列」として扱われる。だが、徳島本線の戸籍は徳島から佐古に変更された。なんだか複雑な変遷であるが、せっかく高架化したのだから「複線区間」として機能させればもっと違ったダイヤの組み方があったかも知れないであろうが・・・

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(高架化された佐古。徳島との間は単線並列扱いであるが、現在は徳島線の起点は佐古に変更されている。画像はウィキぺディアより。)

そんな佐古駅から鳴門までの直通列車で鳴門線をやっつけて折り返し徳島に到着。小一時間のインターバルを利用し昼食を平らげた後、今度は牟岐線を制覇しに一気に海部まで直通列車で向かう。
途中、中田からはかつて小松島線が分岐していた。私の訪問時ももちろん健在であったため制覇しなければならない。小松島線の制覇の時間は、牟岐線を海部から折り返して来た時にちゃんと用意してある。

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(この旅の数少ない写真の中、この海部は写真が現存した!1984年8月の、まさにこの旅の訪問時の貴重な一枚。)

海部と言えば、現在は「阿佐海岸鉄道」が接続しているが、私の訪問時には「工事中」であった。とはいっても、当時の国鉄の「事情」の関係から完全に頓挫していた。海部から先へ続く、線路の無いスペースが非常に寂しく目に飛び込んでくる。しかしそのスペースも、現在はしっかりとレールが敷かれ列車が通るが・・・やはり奈半利と接続されて「阿佐線」として機能してこそ、との思いもあるが、現実問題は厳しいであろう。だが、このブログで「仮想・阿佐線の旅」としても紹介したが、やはり「徳島⇔高知(室戸経由)」みたいな特急のサボが見られると実に興奮冷めやらぬであろう。



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1984年8月・「青春18」、88ヶ所は無理だったけど四国国鉄線全線制覇の旅④

宇和島で約2時間のインターバルの後、予讃本線で伊予大洲を目指した。伊予大洲といえば、あの名作映画「男はつらいよ」では「寅次郎と殿様」のロケ地として登場。真野響子がマドンナ役で、寺尾聰が「警察官」として自転車で登場するという、なんともコミカルな作品だ。そんな伊予大洲から五郎経由にて内子線に乗り換える。当時の内子線は五郎~内子での運転で、単なる「盲腸線」に過ぎなかった。当然「廃止候補」となるわけだが、内山線(当時)と接続させ予讃本線のバイパスの役割をさせるため廃止を免れ現在に至っている。つまり現在の向原~伊予中山~内子までが「内山線」の工事名で建設されたわけだ。当時の内子線は本当に普通の「ローカル線」であったが、2007年に再訪の際は内子駅は立派な高架駅に変身していた。

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(2012年訪問時の下灘駅。内子線と内山線(当時)がドッキングして短絡線が開通すると、支線に転落し交換設備も外された。かつてここにキハ80特急列車が通っていたとは信じられないであろう。)

そんな内子線も難なく制覇すると、五郎で予讃本線に乗換え高松目指す。現在は「旧線」となる伊予長浜経由で松山で乗換え、伊予西条着が21時58分だ。もうこんな時間になると景色も見えず、只管「仮眠」をとる。伊予西条からは既に高松行きの普通列車は無く、急行「うわじま12号」で高松に着いたのは0時19分だ。「青春18」ながら初めて急行を途中で利用、別途2500円だと思ったが、高松からは例の731Dを利用するので「宿代」と思えば大変リーズナブルであろう。そう、宿は「731D」なのだから・・・

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(地上時代の高知駅。写真は2007年訪問時で高架化直前であったが、1984年訪問時と全く変わっていなかった。)

731Dは高松発0時46分だ。待ち時間なんと27分。それなのになんとあの「リクライニングシート」にすわれたのだ!これは奇跡に近い。この「宿」、今回は高知までの乗車である。もう既に1982年に経験済みの為勝手がわかる。ということは実にやりやすい。高知で折り返して阿波池田から徳島本線の処理に向かう計画だ。
高知には4時18分着と少々早いが、土讃本線を代表する駅、何かしらあるだろうと思っていたが・・・やはり2年前と同じく、店という店は全てシャッターが降りている。折り返す列車は5時10分発の224列車、確かDF50が牽引する、通称「レッド・トレイン」である。

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(レッド・トレインのイメージ。写真は1983年盛岡駅にて。四国にもこんな車両がDF50に牽引されて運転されていた。ちなみにホームのプレハブ小屋みたいな建物の前にあるバッグは私所有のものである。)

土讃本線と言えば「新改」「坪尻」は大変有名どころであるが、私は完全に夢の中・・・全く記憶に無い。だが乗り換える阿波池田付近ではしっかりと目が覚めるから不思議だ。高知から乗った列車は人影疎らであった車内も、阿波池田に着くころには「部活諸君」をはじめとする「通学連中」や「通勤客」で埋め尽くされていたが、私と同じく阿波池田で殆どが下車。乗客が入れ替わる瞬間であった。そしていよいよ「吉野川」に沿って徳島目指す。もちろん「普通列車」での参戦だ。



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1984年8月・「青春18」、88ヶ所は無理だったけど四国国鉄線全線制覇の旅③

妙な出来事があった中、ようやく解放されたわが身はとりあえずホームで731Dの列を作る。と言っても大垣夜行程の列はできず、ただ単に「リクライニングシート」で快適に旅をしたいだけであった。私の乗る731Dは、中村より折り返し急行「あしずり」に変身する。途中、窪川までは普通列車であるが、「あしずり」は指定席があり、その指定席の車両は「グリーン車」の車両になっており、固定のボックスシートとは格差をつけている。もちろんグリーン料金は取らず指定席料金で乗車できるが、事「731D(上り764D)」はこの「グリーン車」も通常料金で「解放」なのだ。もちろんそれを利用しないわけがない。知っているものはその車両に列を作るという訳だ。

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(731Dのイメージ。編成の中の1両に「グリーン車」が連結されていた。別料金なしで解放の為、その座席を確保するのに皆命を懸ける。写真はウィキペディアより、高松駅にて。)

さて、今夜の「宿」は中村向けて出発したが、もちろん「坪尻」「新改」等には停車しない。そして高知までは以前に乗車しているが、高知以西は当時初めての乗車、というより終点まで行くのだから寝過ごすという事が無いので気が楽だ。しかも折り返し窪川まで行くのだから、かえって都合がいい。私は無邪気な気持ちでリクライニングに身を預けた。
高知でも目が覚めたが「降りなくていい!」の気持ちから再び仮眠。このころには列車で寝るのも慣れたものだ。しっかりと「睡眠」として機能している。だがひとり身。貴重品の管理はしっかりとして、いざというときには目が覚めるように努めた。と言っても目が覚めるかどうかは別問題だが・・・
窪川辺りでは朝日がとても新鮮で、景色もいい。リクライニングシートをフルに活用してまた寝る。やがて中村に着くと荷物はそのままに「制覇の証」を撮影。しかし一人でやりにくい面もあったが何とかゲットした。同じ列車で窪川に戻って予土線に乗り換える。約30分のインターバルなので実に接続が良い。

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(2007年訪問時の土佐久礼駅。付近にある「土佐大正市場」に、旬であるカツオ丼を食べに行った。カツオ刺身を追加注文すると、なんと400円(当時)であった!お買い得なのは言うまでもない)

予土線といえば、現在は観光用のトロッコ列車なども運転され四万十川を満喫できる素晴らしい路線だ。しかしながら線形などの制約により「高速」よりも「トロッコ」向きの路線になってしまっており、JR四国にしてみたら若干「重たい」路線であろう。だが全通したのは意外と新しく1974年だ。CTC化されているので交換駅でも駅員無配置の場合が多く、駅利用者も恐らく2桁台の場合が殆どであろう。そんな予土線を何気なく制覇すると宇和島に11時半に到着。乗り換える予讃本線の列車は13時22分の松山行だ。約2時間の待ち合わせ時間は当然「ランチタイム」となる。自身で稼いだお金で、確か駅前食堂かどこかで「カツ丼」か何かを食べた記憶だ。駅前の食堂でご飯を食べる。ひとりで見知らぬ土地の食堂での食事は実に新鮮であった・・・15歳の夏。

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(2007年訪問時の江川崎駅。ローカルムードたっぷりである。車窓からの四万十川の眺めが素敵だ。)



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1984年8月・「青春18」、88ヶ所は無理だったけど四国国鉄線全線制覇の旅②

私を乗せた大垣夜行は、夜中の東海道を一目散に大垣向かって駆け巡る。途中で何度も貨物列車に抜かれながらも弱音を吐かずに只管に走る続ける。そんな中、静岡ではなんと駅弁の「立ち売り」が恒例であった。列車が到着するとホームから「べんと~う」と掛け声がこだまする。深夜に弁当なんて・・・とお思いであろうが、これが良く売れるのだ。ちょうど静岡辺りに来ると夜中ながらに腹が減る。まさにグッドタイミングでの弁当売りなのだ。現在は見かけなくなったが、この静岡の駅弁は残念ながら私はお世話にならずに無くなってしまった・・・が、今でもその光景を懐かしく思い出す事が出来る。
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(かつて「大垣夜行」停車時刻に合わせて駅弁が売りに来た。1982年撮影。)

さて、間もなく名古屋に近付こうとする大垣行きを、私は大府で下車。そう、武豊線をやっつけるためだ。そして岡崎に戻って今度は岡多線をやっつける。岡多線・・・いわゆる現在の「愛知環状鉄道」の事だ。当時は岡崎~新豊田間での営業であったが、文字通り「車」を輸送する貨物列車もあった。特に北野桝塚は構内が広く、貨物列車の拠点となるべき駅であったが・・・現在は愛知環状鉄道の車庫として利用されている。
そういえば、東京から来たのだから順番から行くと岡崎が先ではないか・・・とお思いであろうが、実は大垣夜行が岡崎に到着する時間だと岡多線の接続列車が無い、というよりかなりの待ち時間となる。そのため先に武豊線をやっつけたわけだ。やっつけるなどと言っているが、この大垣夜行から大府に降りた乗客は私ひとりであった・・・
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(現在の武豊駅。かつて競走馬系で話題となり入場券も若干売れた記憶。名鉄とライバル関係にあるのは昔と変わらない。画像はウィキぺディア。)

東海道線に乗り換え、米原から野洲行に乗り換える。新快速ではなく普通列車だ。なぜ新快速を使わないのかという疑問が出てくる。その理由には「赤穂線」がキーワードになってくる。新快速だと姫路辺りで接続が無く、結局この野洲行に接続する列車に最終的に乗ることになるのだから、いっそのこと米原から野洲行に乗車してしまえとの事だ。実に無駄なく盲腸線までも地味に攻める辺り、なかなか小細工の効いた計画だ。そして赤穂線も・・・赤穂と言えば、全く関係ないが私は萬屋錦之介の「赤穂浪士」を思い出す。「おっ、懐かしい」とお思いのあなた、私と同世代か先輩ですなぁ・・・

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(現在の播州赤穂駅。ビジネスホテルが隣接する。画像はウィキペディア。)

赤穂線を制覇した後、岡山から四国入り・・・の前に総社まで吉備線を仕上げるというドラスティック振り!自分自身、よくここまでやったなと感心してしまうが、ここから宇野線と連絡船を使えば高松に22時丁度に到着し、0時46分発の731D中村行に乗車するのにちょうどいい時間帯となる。
さて、中村まで乗り換えなしで行けるぞと勇んで列車を待つことにすると・・・いやはや、とんでもない「事件」が私を待っていたのだ!

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(宇野~高松を結んだ国鉄連絡船「宇高航路」。瀬戸大橋開通後は廃止されたが、本州~四国間を連絡するのに大いに役立った。画像はウィキペディア。)

高松で約2時間40分の待ち時間の中、私はホームのベンチでとりあえず休憩していた。すると何やら初老の紳士が私のベンチに座った。他のベンチも空いているというのに・・・「どこから来たの?」良くある会話だ。「どこへ行くの?」ここまではいい。やがて私の方に一歩近寄ってきた・・・「結構好きなんでしょう?」「えっ?」と言うと私の下腹部の方に手が・・・これって完全に「ホ〇?」と、高校生の私に迫りくる。もうこれ以上記したくないので割愛するが、世の中とんでもない人がいるものだ。皆様、一人旅では十分に細心の注意を払ってベンチに座りましょう。

※ 注意:決して「ホ〇」を否定しているのではなく、あくまで「そういう行為」を駅構内などですることを否定しております。誤解を招かぬよう、予めご案内申し上げます。



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1984年8月・「青春18」、88ヶ所は無理だったけど四国国鉄線全線制覇の旅①

1984年8月、ひとりの男が立ち上がった・・・のは私であるが、既に高校生になりいささか鉄道以外のジャンルにも興味を示していた。この年の3月には廃止となった赤谷線を訪問し増々鉄道色に染まっていったが「音楽」にとても魅力を感じる今日この頃となり、私は「ベーシスト」としての道を歩む事となる。が、夏休みともなると家にいてもうずうずしてくる。なんだろう、この感じ・・・そう、列車が私を呼んでいたのだ!もう高校生ともなると「自身で稼ぐ」事も法律的に可能なため、その法律をフルに活かしアルバイトを始める。自身の自由がきくお金ができるということは素晴らしい事だ。私は「ふっ」と思い立ち、出発5~6日前に旅計画を完成。バイト先に休暇を申し入れ、まだ16歳なのに「18」してみた。

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(以前に紹介した豊永。1982年に訪問の際「レッドトレイン」から撮影。)

今回のターゲットは「四国」と位置付けた。青春18きっぷは5日間有効の為、5日あれば四国はクリアだなと、既に頭の中で計算できるまでに成長していた私は、計画もスムーズに仕上がる。しかしその計画はかなり濃厚な仕上がりとなった。既に東北乗り潰しの際に散々頭を抱えながら悩みぬいた時とははるかに違う。というより、そういう経験があってこそここまで成長できたのであろう。過去の経験から得た知恵や各メディアから仕入れた情報などを取り入れ、まさに英知を集結させた、いわば「集大成」の計画が出来上がった。レコードで言えば「ベストアルバム」か。いや「全曲集」と言えばよかろうか。とにかく、いかに「乗り潰すか」だけを考えた、全く無駄が無く完全に合理化された計画だ。

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(こちらも以前に紹介の大歩危。「大股で歩くと危険」という意味らしい。)

この旅の乗車計画はこちらを参考にしていただくとして、早速その模様を紹介してみよう。ただ、ひとことお断りしておくと、この旅が終了した後写真屋さんにフィルムを持っていく際に、そのフィルムの一部をどこかに落としてしまい写真が一部の乗車区間しか残っていない・・・当時はすごくショッキングな出来事であってかなり落胆してしまった。ということで、一部の写真については近年のものと、この旅以外での訪問時のものも含めて紹介することにする。

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(1984年に廃止された相模線・西寒川駅。今回の旅からはここから旅立つ事は出来なくなってしまった。)

まずは、毎度おなじみ「ムーンライトながら」ならぬ「大垣夜行」に乗車の為、相模線は寒川より東京目指す。今までは「西寒川」からであったが、この時は既に廃止されてしまっていた。残念ではあるが、新しい最寄駅・寒川より東京に到着したら23時25分発の「大垣行き」をいつものように待つ。もう手慣れたものだ。今回は急に思い立った事もあって、完全に私オンリーの一人旅となった。ものすごく融通が利くしやりやすい。しかし「いい旅チャレンジ20000km」のチャレンジ真っ最中の為「証明写真」が非常に撮りにくい。ある時は「窓枠」にカメラを置き、ある時はホームのベンチにカメラを置き・・・三脚は持っていなかったのでかなり苦労するし人目も気になる。周りに迷惑にならぬよう「ひとりチャレンジ」を敢行していった。
さて、列車は夜の東海道を、確か小田原辺りまで律儀に停車していく。果たしてどんな旅になるのか・・・



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永遠のひとかけら(後編)

やがて岩泉線の列車が到着する。当時はキハ20で「相模線!」の印象であった私だが、当時の相模線はキハ30とかであったため、このキハ20が非常に嬉しく感じたものだ。途中「押角」は、ご存じ「スイッチバック」の名残がある。現在は(というより当時から)秘境駅として名高いが、本当に山の中の「秘境」にあり、その存在意義を疑う。車内では夏休みとあってか、私たちの他に若干の乗客もあった。と言ってもそちらも同業者であるが・・・

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(浅岸駅構内。ご覧の通り「島式ホーム」であるが、片面はレールが無い。画像はウィキペディアより。)

考えてみたら、当時は私が乗車した時間帯にも列車設定があった。現在は、というより災害前は朝晩だけの運転であるためお日様が高い位置にいる時の運転は無い。列車は宮古まで直通であったが私は茂市で下車し、茂市駅の観察をした。同行の仲間は「宮古まで乗ればいいのに。」と言ってくれたが、この茂市を観察したかったのと、宮古ではたった5分の接続、というより折り返しであったため、あまり気のりしなかった。せっかくの御言葉ではあったが、私は茂市駅をじっくり観察した。1時間オーバーの待ち合わせ時間であったが、やがてやって来た山田線・盛岡行きの列車は「満員御礼」。座席の余地が全く無く、素直に宮古まで行っていればなぁとの思いがふと過った。

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(これは以前に紹介した、私が所有する岩泉線の一枚。岩泉駅のホームからはこんな景色が見える。1983年8月に訪問。)

しかし立席ながら「大志田」「浅岸」等のスイッチバック跡はしっかり確認。というより、新幹線開通に併せCTC化による合理化でスイッチバックが無くなった直後であった。まだまだホームやレールもしっかり残っており、今でも列車がやってきそうな感じでもあった。
そんな駅も今は「冬眠」してしまい「秘境駅」の名前にふさわしい佇まいとなってしまった。

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(秘境駅として有名な押角。かつてはスイッチバック駅であったが、若干まだ痕跡が確認できる。画像はウィキペディアより。)

岩泉線の余命もあとわずか・・・というより実質「廃止」となってしまった岩泉線は、かつて小本までの延伸計画があった。もし繋がっていたら、当然運命もまた違っていたであろう。しかしこのご時世、存続するにはかなりの労力が必要とし、結局「同じ道」と辿っていたかもしれない。しかし私たちはこの岩泉線の歴史の「生き証人」としてこれからも語り継いでいく事であろう。そしてその勇姿をしっかりと記憶に刻み込んだ時、岩泉線の真価が「進化」し「深化」していく事であろう。



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永遠のひとかけら(前編)

2013年9月、岩泉線・沿線自治体に「岩泉線を正式に廃止したい」とJR側から通達があったと聞いた。2010年より災害による不通以来、バスによる代替輸送が続いていたが、どうやら正式に「バス転換」になりそうだ。2012年には廃止の方針を既に沿線各自治体に打診しており廃止も時間の問題とは思っていたが、いざ「廃止」となると、それは非常に受け止めたくない事実であろう。とはいうものの、よくこの時代まで残っていたと思うほど実に頑張ってくれた「昭和の化石」は、もう「最後通告」を言い渡され、既に列車が走っていない状態が3年以上続いている。

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(浅岸駅の駅舎。無人の駅舎は意外に手入れが行き届いているようだ。画像はウィキペディアより。)

1983年8月に私は訪問しているが、その時は「廃止」の候補には挙がっていたものの「沿線道路未整備」等の理由から廃止を免れてきた。当時からローカル線の「典型」であり、延伸計画があったものの、完全に頓挫していた。私が訪問した際は、このブログで散々紹介してきた「東北乗潰しの旅」の時であったが、茂市から岩泉までを折り返すのではなく、北山崎展望台から国鉄バスで岩泉駅まで来てからの「片道乗車」であった。

当時は三陸鉄道が開通前で普代~岩泉には国鉄バスが連絡していた。そして私は岩泉に向かうため、この北山崎展望台で乗り換えなければならなかったが、確か普代辺りから「同業者」と意気投合してしばらく同じコースを巡ったものだ。私は八戸線で八戸から始発で普代に着いたが、おそらく同業者の方々も同じ行程であったであろう。「同業者」とは、確か私と同じ年代の男児が1名と、自称「お医者さん」である初老の紳士が1名で、2人とも「東北ワイド周遊券」を持っていた。私も同じ切符であったため、皆「目的」は一緒だなと、その仲間と共に行動したわけである。

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(三陸鉄道開通前に運転されていた国鉄バス「陸中海岸線」。私は普代から乗車し、北山崎展望台で乗り換え岩泉に向かった。画像はウィキペディアより。)

さて、北山崎展望台・・・三陸海岸は「三陸復興国立公園」の北行にある展望台で景勝地としても名高い。現在は三陸鉄道の田野畑駅から「乗合タクシー」で20分で着く。そんな景勝地を、私はただ単に「乗換」としてのみ利用。何とも無邪気な少年であった。北山崎展望台で岩泉方面に乗り換えると、岩泉付近にある観光地「龍泉洞」も当然通る。しかし私は全く興味を示さず、只管岩泉駅への到着を待ちわびていた。

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(岩泉駅の駅舎。なんだかボウリング場みたいであるが、おそらく龍泉洞の「拠点」としたかったのであろう。画像はウィキペディアより。)

そしていよいよ岩泉駅に到着。立派な駅舎が私を迎えてくれたが、人影疎らで非常に寂しい。駅前はロータリーがしっかり整備されていて、駅舎も大きいし広い。恐らく国鉄は、龍泉洞の「玄関口」としてこの駅を企てたのであろうが、当時から全く機能しておらず、本数の少ない列車では観光客もほぼ皆無に近かった。バスは12時10分に着いたが、岩泉線の列車は13時45分の発車で少々のインターバルがあった。昼食時間のタイミングは言うまでもないが、確か食堂などが無かったため、駅前の商店でパンなどを購入した記憶だ。待合室で食べながら駅を観察したり仲間となった「同業者」と語り合ったりしていたらすぐに時間は過ぎてった。



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PURE GOLD ②

芸備線の写真を若干蔵出ししてみた。かつては列車交換設備があった駅が多く存在したが、現在は交換できる駅の存在の方が珍しい。残念な気持ちもあるが、新見~三次を中心に紹介してみよう。



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新見駅の1番線で出発を待つ芸備線気動車。JR化後の車両の為、新鮮な感じがする。島式ホームは姫新線と共同使用で乗り換えは便利であるが、伯備線の島式ホームは別にあり、地下道を潜って乗り換える。



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東城では、現在列車交換が行われていないものの、設備は残る。駅前は若干賑わっており、新しい建物も存在する。しかし利用客はここ10年ほどで10/1に減少。



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2010年に訪問の際の備後落合。数少ない列車本数と交換設備の中、この時だけはいっときの賑わいを見せる。木次線と接続駅であるが、現在は駅員無配置である。



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平子はなかなか渋い駅舎があった。恐らく開業当初から棒線化された無人駅。開業は1952年と、芸備線の中では比較的新しい。



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なかなか渋い駅舎を持つ野馳。かつては列車交換が行われたが、現在は棒線化された。もしかしたら東城より利用客が多いかもしれない。



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庄原市を代表する駅として堂々とした佇まいであるが、利用者は30年前に比べ5分の1以下に減少。



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同じく備後庄原駅にて。2面3線のホームは現在でも全て使用されているが、広島へ向かうには高速バスの方が本数も所要時間も芸備線は劣る。



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芸備線は直通列車が存在しない。三次駅では必ず乗り換えが発生する。広島方面の列車は、なんと国鉄仕様であった。



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同じく三次駅にて。三江線・芸備線の列車が側線に留置されている。しかし三江線と芸備線は必ずしも接続体制が取れてるとは言えない。



やはり利用者の減少と共に列車本数も減少しているが、せめて乗換の連絡・接続は良くしてほしい。特に三江線は本数が少ないため、芸備線とのやり取りが無いと僅かかもしれないが致命傷になりかねない、いや、既にもう「時遅し」か・・・益田での山陰本線と山口線などもそうだが、基本的にJR西は他線同士の接続・連絡が考えられてないような気がしてならない。利用者減少もこういう所に若干の原因があると考えられるがいかがなものか。




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PURE GOLD ①

芸備線は不思議な路線だ・・・皆さんの印象は「ローカル線」であろう。勿論私もそうである。しかしかつては急行「ちどり」「たいしゃく」などが運転され、木次線経由で夜行列車の運転もあった。そんな「準」幹線のような存在であった芸備線も、現在では短距離区間の通学路線として活躍している一方、広島側では沿線人口が増加し列車本数も増加。所謂「都市鉄道」としての顔も見せる。

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(1982年に訪問の際の道後山駅。交換設備が外され旧・上りホームのみを使用する無人駅になった。写真は旧・下りホーム。)

私が「不思議だ」と思ったのは、他のローカル線とは違う「何か」が存在し、ひきつける「何か」がある。特に新見から三次まではローカル線の基本である「山」「畑」「田んぼ」・・・そんな景色が車窓に映る。勿論、ローカル線としては「合格点」であろう。いや、そんな「採点」をしてはいけない。芸備線はもっともっと尊いものだ。
ローカル線は数あれど、芸備線ほど何かを感じる路線はそう多くない。勿論これは私個人の意見である。しかし私は特に芸備線に「思い入れ」があるわけでもない。ではいったい何が私を「そうさせる」のか・・・

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(こちらは2013年訪問の際の道後山。JR化後はもちろんJR西仕様の駅名表に変更されているが、駅前は更に寂しくなったような・・・)

かつては坂根・野馳・備後八幡・小奴可・道後山・比婆山・高・山之内・下和知・・・これらは全て交換設備があった駅だ。「あった」と表現しているからには、現在は棒線化された駅に変身している。特に小奴可・備後八幡・高などはつい最近まで交換設備があったはずだ。もちろん私は、特に小奴可は1982年に訪問した時はしっかりと確認している。こんなにも変わってしまったのか・・・

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(2010年訪問時の道後山。旧ホームが未だに残る。当日はなんと、あの「秘境駅訪問家」に偶然遭遇!後に本人確認をしたところメールが届き「確かに道後山にいました」とご連絡いただきました。ご多用の中、わざわざありがとうございます!)

1983年にCTC化が完了し無人駅が増えた。その際に交換駅の数も減ったが、現在は更に減少し寂しさを拭い切れない・・・
現在、東城では交換設備こそあるものの、列車交換は行われていない。列車本数の減少と共に列車交換設備がある駅でさえ交換が行われなくなってしまった。
しかしながら、途中の備後落合では木次線が接続する。木次線も列車本数の減少しているが、それでも少ない本数の中、芸備線と接続し3番線まであるホームは全て列車で埋まる時間帯もある。

芸備線の旅・・・それはただ、私の心を寂しくさせる事だけなのか?それが「引き付ける何か」なのか・・・いや、決してそうではない。他に何かがあるはずだ。しかし答えはまだ見つからない。ということは、再び芸備線を訪問し、その「答えさがし」をしなければならない。だが、果たして答えは見つかるであろうか・・・



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23時59分発の583系寝台列車

以前に「原色の583系」でも紹介したが、私は過去に583系を3度乗車している。最初の乗車は1978年の夏、西鹿児島(現・鹿児島中央)から熊本まで乗ったL特急「有明」である。夜に新大阪発の「明星」や「金星」などの583系寝台列車が、九州内で昼間の「有明」に変身しての運用と思われるが、この583系に初めて乗った時の印象はとても強烈に残っている。

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(1975年の鹿児島本線・鳥栖駅にて。新大阪発・九州方面の583系は、九州内では昼行特急として活躍。画像はお馴染み「ミックスマテリアル様」提供。)

小学生であった私は鉄道誌などでよく見ていたためもちろん存在を知っていたが、「まさか」のノーマーク。昼間に583系に乗れるとは!ただ、一般のお客様にとっては若干不満もあったであろう。一番は「リクライニングシート」ではないのと「固定型のクロスシート」である事だ。しかし「特急」を名乗るには若干サービス面で劣るが、あの解放感ある車内は、私たちをゆったりとしたムードに誘ってくれる。

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(東北方面も昼夜両用の運転はフル回転。昼間は「みちのく」「はつかり」、夜は「ゆうづる」「はくつる」等、ペアで運用されていた。画像は「ミックスマテリアル様」提供。)

寝台としては、その1年後の1979年に上野から青森まで乗った「ゆうづる」である。当時の「ゆうづる」は583系寝台と14系客車寝台2本立てで、確か3~4往復定期で設定されていた記憶だ。583系「ゆうづる」は、兄弟分の583系寝台特急「はくつる」と共に昼間の特急「はつかり」や「みちのく」などとペアで運用されていたことであろう。「ゆうづる」では3段式のB寝台の中段に「初」乗車したが、華奢な小学生の体でも広いとは言えない空間であった。

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(これは以前に紹介した私撮影の「はくつる」。1983年青森駅であるが、残念ながら真夏であるため「雪の中」ではない。当時中学3年生!)

そして4年後の1983年にあの「東北一周の旅」の締めとして乗ったのが「はくつる」であった。その時はB寝台の上段であたが、中段よりも若干広く、景色を見る「小窓」も寝ながら確認できて一番過ごしやすかった。青森から上野までの帰郷にふさわしい(?)列車であったろう。しかし出発はなんと23時59分!完全に「遊び心満載」のダイヤ設定であるが、それに付き合う私も「遊び心満載」である。しかしこの旅の最終制覇路線の津軽線を乗り終えて青森に着いたのは約16時半!もちろん最初から計画しての事であるが、「はくつる」の発車時間まで一体何をしていろというのだ!もちろんホームで列車などを撮影していれば、と思うが、それこそ上野駅のように頻繁に列車がやってくるわけでもない。

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(こちらも私撮影の「ゆうづる」。寝台列車としては「初」乗車である。1979年8月に青森駅にて。)

駅前のアーケードなどでお土産を見たり、この旅の中で探し当てた銭湯に行ったり食事をしたり・・・それでも9時を過ぎるとどこもお店は閉まってしまう・・・完全に10時半頃からやることが無くなった。この「東北一周の旅」では、実は後輩もスポット参戦しており、所々でお世話になったが流石にこの時ばかりはしびれを切らしていた。実はその後輩、中学校の所属クラブ活動「鉄道研究クラブ」に在籍しており、夏休みを利用した私の旅をランダムで参戦することになった。親せきの家が山形県は奥羽本線の中川駅付近にあり、私が東北一周の旅をする際に別行動で後輩も親せき宅に訪問。そして事前に私の計画書を渡していたので私が山形付近に来るのを狙って所々で合流し、同一行程で回った後、その日のうちに中川に帰っていくという、何とも小悪魔的な存在であった。

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(快速「会津ライナー」として2007年に会津若松にて偶然出会った。残念ながら車内を軽く散策しただけに過ぎなかったが、昔のままの姿に懐かしさがこみ上げてきた。)

「はくつる」は上野着9時20分である。583系の寝台ベッドで朝8時・9時を過ごすのはいささか窮屈に感じる。現在でいう「ロビーカー」みたいなものがあればなと「夢の夜行列車」等と当時の鉄道誌などに記されていたが、やはり3段式であると着替えるにもひと苦労である。だが、そんな思い出の列車も現在では定期運用から外れ「臨時列車」等の運用にて残りの人生を送っている。やがてその臨時列車としての運用も無くなり、自身の生きざまにピリオドを打つ日もそう遠くないはずだ。
2013年末には、あの「ムーンライトながら」の車両が185系に置き換わるとの噂がある。私は常々思っていたが、この「ムーンライト」に583系の余生を送らせてはいかがであろう。もちろん「ゴロンとシート」のような感じで寝台をセットしていただくと非常に評価が上がると思う。例え185系でも座席には変わらない。やはり座席で一夜を過ごすのは精神的にも体力的にもハードなものだ。もちろん長い期間の運用は無理であろうが、ぜひともJR様、よろしくお願いします!



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尾盛の逆襲・アゲイン

かつて「尾盛の逆襲(リメイク版)」で紹介した尾盛駅であるが、同行の友人の写真が若干残っていた。私の写真と共に「蔵出し」してみよう。かなりの秘境度が伝われば幸いである。


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かつては列車交換が行われたであろう広い構内は、レールの無い更地のみが面影に残る。主役となるホームでさえレールが撤去され、別枠の、現在レールがある場所に新たにホームを設置。と言っても若干盛土しただけであるが・・・


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駅舎&ホーム群。本来のホームがあった場所は全く機能していない・・・というより若干の待合スペースがあるのみ!建屋の中には関係者以外入れない。


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私(上)と同行の「おさる(下)」。蜂の威嚇にやられながらも、頑張って構内を撮影。真夏の太陽が容赦なく照りつける。


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蛇の抜け殻に狸の像・・・外界からは完全に閉ざされた空間は、いったい何のために駅が存在すのか?


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駅に通じる外部からの道が全く無い。一体、鉄道以外の交通手段でどう訪問すればよいのか?ひとつは「登山」。もうひとつは「ヘリ」。しかし前者は遭難の恐れあり、後者は経済的にもあまり現実的ではない。


列車がダイヤ通り運転されていないと、本当に「命がけ」の訪問となる。いつ野生の生き物に襲われるかわからないし、万が一列車が来なかった場合、一夜を過ごす「場所」が無い。あまりの孤独感や恐怖感に気持ちの持っていく場所が無いであろう。某演歌歌手の「オラこんな村嫌だ~」の歌よりはるかに「何もない」。訪問の際は是非天候と季節と列車運転状況を確認していただきたい。そして少しでも身の危険を感じたら、直ちに「延期」「中止」等の措置を取った方が無難であろう。決して「観光気分」で訪問してはならない!

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「森と水とロマン」を求めて・・・(後編)

さて、「初」SLに心躍る・・・事は無かったが、やはり観光列車だけあって、ある意味やりやすい。これから貴重な体験になっていくであろう地上時代の新潟駅を出発する。沼垂辺りがやたら線路が多くて喧しいくらいだが、沢山の車両も留置されており我々を楽しませてくれる。しかしながらレールファンを再開したばかりの私にしてみたら、見た事のない車両も多くあり若干戸惑いを隠せなかった。だが「昭和」の車両も多く見かけ、なんだか懐かしさがこみ上げたのも事実である。

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(新潟駅にて。地上時代は間もなく見納めか・・・)

そういえばこの私が乗っている車両、乗車前からすぐに「12系客車」とわかった。かつて急行「八甲田」等に使用されていて散々お世話になっており懐かしい。現在はこの12系客車が全国各地の観光列車などで見かけるようになった。と言ってもほぼ全て改造されてはいるが。しかし14系や50系の客車はめっきり見かけなくなったが、いったい今頃何をしているのか・・・と言っても長い年月とJRの「方針」によって「客車」という概念がほぼフェイドアウトしている現在だが、何らかの形で残っている事と思っていたが、果たして・・・

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(映画「男はつらいよ」では、第5作で寅二郎が「釜炊きかぁ~」のシーンでお馴染みのSL。職員の姿が凛々しい。)

列車は新津に到着。四方から路線が集まる「ジャンクション」であり配線も複雑である一方、新潟近郊とあって乗降客も多い。ホームには「ばんえつ仕様」の駅名表や撮影用ボードなどもありなかなか観光ムード満点だ。だが、私にしてみればこの新津より「西線」に入るためとても重要な「ジャンクション」となる。制覇の証も欠かせない。
そういえば、前回の西線訪問の際も「客車列車」であった。もちろんSLではなくDLであるが、この西線では気動車や電車に乗ったことが無い。今もこうしてSLながら客車に揺られていると、なんだかとても懐かしくなってくる。とは言え「観光列車」のため若干雰囲気が独特であるが、それはそれで楽しめばいい。

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(恐らく野沢と思われる。12系客車の改造と一目でわかる。ちょうどリニューアル間もない頃で、以前とはカラーが異なる。)

五泉に到着すると、以前から気になっていた事の確認作業に気が逸る。そう、2000年を待たずに去ってしまったあの「蒲原鉄道」の痕跡を確認するためだ。だが、私が想像していた以上に「何もない」状態で、更地になった空間だけが、かつての歴史を無言で語ってくれた。本当に何もない・・・せめて村松まででも乗っておけばよかった。

そんなかつての思いが募りながらもSLばんえつは会津若松目指す。津川などを過ぎると日出谷に停車。日出谷と言えばかつてのSL時代は中継所として栄え機関車の給水などが行われていたが、現在はすっかり寂しくなってしまった。しかし「SLばんえつ」が運転されると停車駅となり弁当なども販売されるようになり、かつての盛栄を若干取り戻した感じだ。だがこの駅弁も現在は無くなってしまったらしく非常に残念であるが、是非とも再開して欲しい思いだ。

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(どこの駅だか記憶にないが、恐らくこちらも野沢だと思う。「列車交換の為停車します」のアナウンスで一斉に乗客がホームにあふれた。)

そうこうしているうちに喜多方に着く時間帯となった。下車するのはおそらく私たちくらいであろう。途中「展望車両」では子供向けにじゃんけん大会などの催し物が行われるなど、観光的には飽きさせない内容となっている。しかしなんだか様子が変だ・・・列車の様子ではない。そう、私の「様子」だ。
「ムーンライト」での訪問で若干睡眠不足的な要素もあるであろうが、それとは違った何か・・・おそらく「観光的」なところであろう。観光列車は観光列車で楽しいし楽しめるのだが、やはり私は観光仕様ではない「旧型客車」の方が、私の体質的にはあっているようだ。通常の列車で旅をすると、非日常の中に「日常」を感じ取れるが、観光列車だと「非日常の中の非日常」となり若干「灰汁」が強い。

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(車内では「じゃんけん大会」等のイベントが行われた。子供たちは大喜びだ。)

喜多方では、郷土料理(?)の「ラーメン」を、駅前の食堂でいただいた。なかなかシンプルで懐かしい味。なんだか「おふくろの味」とでも言おうか、飾り気のない「ラーメン」という文字が一枚の紙に書かれ店内のメニューとして貼ってある・・・そんな「下町的な」味わいの印象であった。「仕込では何時間も煮込んだりして灰汁も丹念に取ったりしているんだろうなぁ」などと考えてしまったが、そんな事全く感じさせない主(あるじ)は普通のおばちゃんであった。私たちの見えないところで「職人魂」がしっかりとスープに「闘魂注入」されている事であろう。
そんな事を考えながら、次の只見線制覇に向けて会津若松に向かった。

あっ、この会津若松に向かう際に磐越西線で初めて気動車に乗りました!ヨロシク!


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「森と水とロマン」を求めて・・・(前編)

2007年10月・・・秋も深まりいささか過ごしやすくなったこの季節に、私はレールファン再開の時を迎え「いい旅チャレンジ20000km」の「再チャレンジ」を心に誓った。2013年現在、私は沖縄の「ゆいレール」を残し全線制覇した。厳密に言えば「残し」なので全線ではないが、5年後の延伸にあわせて訪問予定なのでそのときに「全線」は達成できるであろう。
2007年時点では恐らく日本の鉄道路線の半分にも満たなかったであろう制覇路線も、気づいたら上記の状態にまでついに来てしまった。
そんな中、この2007年に乗車した「SLばんえつ物語号」は地味に新鮮だったりしたが、私は特にSL好きという訳でもない。しかしながら「こんなところにもSLが走るようになったんだなぁ」と、ある意味関心していた当時の私であった。

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(画像提供はミックマテリアル様より(いつもお世話になってます)。1979年の会津若松にて。昔はこんな感じでした。やたら編成が長いのが考えられない・・・)

磐越西線は1983年8月に郡山~喜多方までは制覇していた。当時は「日中線」の訪問がそもそもの目的であったため、喜多方~新津は未乗車線区のままであった。そこで時は流れた2007年に残りの喜多方~新津を制覇する目的で「SL」に目を付けた訳である。プラス、喜多方といえば・・・そう、あの「〇ー〇〇」である!SLの乗車は会津若松まで行かず、この喜多方で下車することにした。
思えばこういう「観光要素」みたいなものを、かつては取り入れる旅の計画を組んだことが無かったため、私にしてみれば実に新鮮な旅になったと思う。そう、日本全国鉄道で駆け巡る・・・と言ってもその「土地」には郷土料理や文化が存在し「営み」がある。そういうものの「再発見」をする旅があっても良いではないか。

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(1981年、日出谷~豊実にて。私はこの2年後に訪問。画像提供はミックマテリアル様より。)

などとやたら理屈っぽくなってしまったが、2007年10月、私が新潟駅に着いたのが朝9時半である。新幹線で来たわけではない。そう、あの「月明かりえちご」に乗って遥々やって来たのだ。と言っても新潟には未明の5時前に到着してしまい9時43分発のSLまで「何してろ!」ということになる。しかし心配はご無用。未乗車線区の羽越本線・新津~坂町と弥彦線を制覇する計画を組み込んでいたのだ。それらを制覇すると新潟に9時半に到着しちょうど良い時間になる。と言ってもハッキリ言って「ギリギリ」ですな・・・

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(新潟駅にての「バンモノ」。私の乗車した「初」SL牽引列車である。)

で、実は私の「初」SLがこの「SLばんえつ物語号」である。しかし「ギリギリ」のため新潟駅ではあまり写真を撮影する時間が無く、もっと余裕を持った計画を組めばと思ったが、やはり「詰め込む」のは癖なのか・・・
ホームでは既に人だかりが見られ更に撮影に苦労する。特に家族連れが多数を占め、それこそ「鉄道の日記念きっぷ」を握り締めた乗客が大半であろう。私もその中の「約1名」となってSLに乗り込んだ。


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黒部の太陽④

いよいよクライマックス。終点・欅平まで一気に峡谷を堪能する。と言っても鉄道を堪能するのがメインであるが・・・ナローゲージで華奢な車両は想像以上に力強い。


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鐘釣は旅客駅の為か、設備が異彩に映る。お土産屋さんもあり、観光ムード満点だ。



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次の小屋平では上り列車との交換がある。「専用駅」であると同時に信号場としての役割もしている。


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そして終点・欅平に到着。乗客全てが下車(当然か)。乗客を降ろした後、機関車を機回し線で先頭に連結し乗車ホームに向かう。



一般客はここから祖母谷温泉目指すか、折り返して宇奈月温泉などを訪問する事となる。だが私は「裏」アルペンルートで黒部湖を目指す。この黒部ダム建設を描いた映画「黒部の太陽」は石原裕次郎や三船敏郎が熱演し話題を呼んだが、関西電力黒部見学ルートに参加すると、その壮絶な難工事の模様をダイレクトに伝えてくれる。
黒部に繋がる「峡谷鉄道」は、観光するにはもっとも素敵な鉄道であろう。特に紅葉の季節などは各方面からの観光客でごった返す事と思われ、渓谷美を堪能するには一番のおすすめである。しかし私は、列車に揺られながら全く違う事を考えていた。「どうやって橋を架けたのか」「どうやってレールを敷いたのか」「どうやってルートを決定したのか」など、景色よりもそちらの方に気が向いてしまう。そして、工事を手がけた方々の「人間臭さ」や黒部にかける「情熱」などがヒシヒシと伝わってきた。その「思い」は、上部軌道にある「見学ルート」で更に「肌で感じる」事となるが、これは選ばれた人にしか体験する事が出来ない。そういう意味では、この今回の旅は「人間」として日ごろから何気なく生活を営む事が出来るのは実に幸せな事だと再確認させられた旅でもあった。


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黒部の太陽③

さて、黒薙を出た列車は更に秘境へと招待してくれる。冗談抜きで、列車以外に到達困難な立地条件の中、どうやって工事をしたのか疑問に思う。しっかりと大切に後世に残したい鉄道だ。


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黒薙を過ぎるとまたもや専用駅の「笹平」に到着。列車交換もできるぞ。


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そして次の出平(だしだいら)も専用駅。



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まだシーズンは始まったばかり。夏休みから秋にかけてがピークであろう。


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猫又に到着。構内は広く、引き込み線も分岐する。専用駅の為、一般客は利用できない。


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引き込み線を過ぎると鐘釣に到着。久々の旅客駅である。地形の制約から安全側線までホームが伸びている。そのため乗降客の終了後、一旦後退しスイッチバックのような形で本線に入る。かつての「湯田中」のようなイメージだ。



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黒部の太陽②

さて、宇奈月駅を出発した列車は、ものすごく角度のあるカーブを連続しながら「渓谷美」を楽しませてくれる。紅葉の季節であればもっと違った感動があったろうが、他の季節でも、ならではの「顔」もある事であろう。6月の参戦は、まさに列車が「戦い」に挑む姿がダイレクトに伝わってくるかも知れない。


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宇奈月駅で販売員さんに見送られ・・・


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宇奈月駅を出発。なんだか「都会」を思わせる雰囲気だ。



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宇奈月を出発すると温泉街が見えてくる。白い建物は温泉旅館であるが、某旅番組でも放送された。


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早速こんな景色が現れる。「究極の鉄道」かも知れない・・・



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更にこんな景色も・・・


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すると柳橋駅に到着。電力関係者のみ利用できる「専用駅」で、一般には開放していない。というより解放されても行くところが無い。そういう意味では「海芝浦」的存在と考えてもよさそうだ。



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とある格闘技では「雪崩式(コーナーポスト)」や「断崖絶壁(エプロンサイド)」なるサブタイトルの付く技があるが、こんなところからその「技」をかけられた日には・・・痛いであろう。


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そして先ほどと同じ「専用駅」である森石に到着。秘境駅候補No1間違いなし!


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更にこの景色・・・こんなところばかり通るが、さぞかし難工事であったろう。


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一般客も扱う駅・黒薙に到着。上部軌道の支線も分岐しているが、もちろん一般には開放していない。



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プロフィール

ダイヤモンド☆トナカイ

Author:ダイヤモンド☆トナカイ
所在地:神奈川県湘南地区

〇2013年6月11日、北陸新幹線長野駅にてJR全線制覇いたしました(当時)。
国内の鉄道は、沖縄の「ゆいレール」を残し全線制覇しました。(とは言うものの、2015年3月の北陸新幹線延伸によりJR全線制覇は「ベルト返上」しました)

★ ブログ記事の「リメイク版」は、以前にホームページで紹介した旅日記をブログでリメイクしたものです。


◎ブログの登場人物

★ ダイナミック☆トナカイ
・・・中学時代の後輩で、2013年に約30年振りに再会を果たした。数多くの写真を提供していただいた「盟友」でもある。

★ おさる・・・かつて私がバンド活動をしていた時のメンバーで、鉄道復活のきっかけを作ってくれた人物。彼とは「秘境駅」を数回訪問した「親友」でもある。

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