鶴見線散訪②

2013年9月、久々に鶴見駅の鶴見線ホームに立った。鶴見線は起点の鶴見以外は全て無人駅で、鶴見駅の京浜東北線と鶴見線との間には中間改札が設けられている。これは鶴見線の客流動の関係にあり、鶴見線の乗客輸送はほぼ95%以上が「対・鶴見」になっていると思われる(恐らく)。そのため、中間駅対中間駅の乗降客はごくわずかと思われ、それらの乗客の、いわゆる「不正」を防止するために駅員を各駅に配置する方が、かえって経費が掛かると予測される。そのため鶴見に改札を設け「不正」をチェックする体制をとっている。そんな鶴見駅を私は約33年振りくらいに訪問してみると、現在も中間改札は存在するが全て「自動」になっていた。では「18」の場合はどうするか?これは、隣にある新たに設けられた「駅員事務室」付近にある改札を通る事で問題は解決する。「休日おでかけパス」を初めて使うため自動改札を通るかわからなかった。そのため今回は「そちら」を利用してみた。もちろん答えは「通る」であったので、次の改札から早速試してみることにした。

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(武蔵白石で大川支線を望む。大川支線用のホームが完全撤去され面影が全くない。)

とはいっても、鶴見線は鶴見以外全て「無人」の為、鶴見線では全く使う機会が無かった。だが、その改札は「昔ながら」。ほとんど33年前と変わっていないではないか!だが、先述した「全駅」の訪問は無理であったが、国道・鶴見小野・弁天橋・浅野・海芝浦・安善・大川・浜川崎・扇町の各駅の訪問に成功。次章より各々の駅を紹介してみたい。前回の訪問と決定的に違うのは「武蔵白石」だ。ご存じ「大川支線」の起点であるが、車両の変更が行われる際に大川支線用のホームを撤去した。そのため現在は安善が大川支線の起点となっている。

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(1980年の訪問時、武蔵白石に停車中の大川支線の車両。車両の老朽化と共に現在はホームまで姿を消してしまった。)

それと、私が衝撃を受けたのは、貨物側線に「ペンペン草」が生え渡っていた事だ。貨物列車の減少と共に殆ど使われなくなった貨物線が放置されており、見るも無残な姿となっていた。特に浜川崎や扇町は突出しており、寂しさを拭い切れない。また弁天橋~浅野は旅客の線路の他にもう一本貨物専用の線路が敷いてあり、さながら複単線であるが、そのうちの1本は「ペンペン草」仕様となっていた。また、新芝浦付近の東芝へつながる引き込み線も完全に錆びついていた。

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(浅野駅ホームから鶴見方面を望む。左のスペースは貨物線が敷いてあるが、おそらく貨物は既に走っていないことであろう。)

この33年という歳月は、こういうところに変化が顕著に表れていた。かつて見た「貨物で栄えた」浜川崎はどこへ行ってしまったのであろうか。そして浜川崎と言えば「南武支線」が乗り換えられる。前回訪問時には南武支線の改札のみ駅員がいたが、今回の訪問時にはその窓口が厚いベニヤで固く閉ざされていた。そう、鶴見線訪問後は浜川崎から八丁畷まで南武支線も訪問している。こちらも懐かしいが、八丁畷で下車するのは初めてだ。

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(浜川崎駅の南武支線側の改札。改札左にはかつて駅員事務室があったが、現在は固く閉ざされてしまった。)

はじめて訪問して驚いた事があった。八丁畷は京浜急行との乗換駅であるが、南武線が京浜急行をオーバークロスしている。八丁畷にJRの職員は配置されていない。つまり京浜急行に業務委託をしているわけだが、改札は京浜急行の下りホーム側にあり、京浜急行の上りホームに行くには、棒線化された南武支線のホームを伝っていかなければならない。つまり南武支線のホームが「跨線橋」となっているのだ!跨線橋兼南武支線ホーム。このシチュエーションをどう受け止めるか?改めて南武支線の「偉大さ」を再確認させられた一面であった・・・

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(八丁畷駅にて。写真奥上部はホームをつなぐ跨線橋であるが、実は南武支線のホームでもある。)



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鶴見線散訪①

皆様は「鶴見線」と聞くどういうイメージであろうか?

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(久々の鶴見線はほとんど昔と変わっていなかった。お馴染みの対向式ホームも健在。)

鶴見線は東海道本線・鶴見駅から京浜工業地帯を縫うように走る「元」臨港鉄道である。行政区域で言えば、私の「地元」というカテゴリーに収まる、という訳で小学校時代に数回訪問している。今回の訪問以前に訪れた最後の訪問は、推測1980年頃と判断する。と言うのは、当時の同行者の事を思うと、小学校6年当時の同じクラスの顔が思い浮かぶのと、浜川崎駅で少々嫌なことがあったので印象深い。で今回、10万年振り位に日曜日が休みになったため、平日には買えない切符を使って近郊を巡ってみることにした。そう「休日おでかけパス」である。そこで思い浮かんだのが「鶴見線」であった。訪問するとなると、なんと約33年振り!と言う事になる。

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(安善駅では貨物列車の車両が停泊。まだまだ貨物は健在か?)

えらい久々の訪問となるが、私の知らぬ間に既に車両が置き換わっており目新しくなっていた。そして今回の訪問では「フリーパス」と言う事で「全駅」とはいかなかったが、各々の駅にも下車してみた。すると、私の知らなかった鶴見線があちらこちらで溢れてくる。とても一度の記事では伝えきれない部分もあるので、数回に分けて紹介してみよう。

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(海芝浦駅にて。日曜の為、駅利用客はほぼ皆無。とは言うものの、下車客は10数名いた。)

その時は2013年9月29日(日)であった。滅多にない「日曜休み」。私はある意味「渡世人」の為、皆様がこたつに入ってぬくぬくしているときに労働しなければならない。盆も正月も無い。まぁ、そんな事より平日休みの為か、たまの日曜休みだと外食産業系は混雑していてなかなか利用しにくいので戸惑う。
しかしこの「日曜日」こそ、鶴見線を訪問するチャンスなのだ。それもそのはず、鶴見線と言えばご存じ京浜工業地帯を駆け巡る「通勤路線」である。工場が休みとなる日曜日は全く違う「ローカル」な顔を見せてくれるのがこの鶴見線だ。「休み」と言ってもチラホラと出勤してくる「乗客」はいるが、平日と比べると恐らく100万分の1くらいの乗客であろう。つまり、鶴見線を「独占」することが出来るのだ!

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(昭和電工の目の前にある「昭和」。日曜日ながら「通勤客」もそれなりに少なくなかった。)


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ダイナミックなスイッチバック・・・小田急線・藤沢駅

自慢ではないが、私は根っからの「湘南ボーイ」である。神奈川県は茅ヶ崎で生まれ寒川町で育ったが、現在は本厚木駅が最寄り駅となっている。寒川時代は、このブログでも散々紹介しているが「西寒川」の駅前で10年位過ごしたことがある。その暮らしが「現在の私」を決定付けたであろう。
ただ、茅ヶ崎はともかく、寒川を「湘南」と呼べるかどうか、若干疑問が残る所であるが・・・そもそも「湘南」とはどういう「地区」を指すのであろう。一応、得意の「ウィキペディア」で確認してみた。

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(小田急線・藤沢駅は全国でも珍しい複線のスイッチバック式駅である。)

「湘南(しょうなん)は、神奈川県の相模湾沿岸地方を指す名称である。語源は、かつて中国に存在した長沙国湘南県で、現在の湖南省南部地域の地名である」
となっているが、皆さんは「湘南」をどういう印象をお持ちであろうか?現在の京浜急行の前身は「湘南電気鉄道」である。が、基本「湘南」らしい地域を走っている印象がない。なのになぜ「湘南」が付いているのか・・・その昔、現在の金沢文庫付近にある砂浜の海岸付近の事を「湘南」と呼んだそうだ。このことはウィキペディアには記されていない。「逗子・葉山」を通る予定と言う事ももちろんあったであろうが、どうやら「湘南電気鉄道」の名称の「原点」がこの砂浜の地区にあるらしい。現在の「湘南」のイメージからはかなりかけ離れた場所であるが、湘南電気鉄道の「ルーツ」がなんとなくわかるような気がする。

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(小田急・藤沢駅は頭端式ホームである。つまりロマンスカーを含む全列車が停車する事になる。)

そんな湘南地区に住んでいる私は、小学校時代、ものすごく気になっていた駅があった。それは藤沢駅である。東海道線のそれではない。気になるのは小田急側の方である。小田急線は全線複線化されている。そんな藤沢駅はなんと全列車が停車する複線のスイッチバック駅である。一体どんな配線になっているのかと、藤沢に行くたびによく線路を眺めたものだ。だが、解読してみると意外に「シンプル」である事に気付かされた。複線同士で藤沢駅付近にやってきた両線は、上りの線路のみYの字風に内側で一本にまとまる。外側には下り線が上り線と並行してホームに入る。つまり3本になってホームに入ると言う事だ。そしてその3本の線路を3つのダブルクロッシングが実に巧妙に処理するというシステムだ。

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(複線スイッチバックというとさぞかし複雑であろうと思ていたが、意外にシンプル。3つのダブルクロッシングで巧みに処理。)


若干見難いが、私の略図を参考にしていただきたい。ご覧の通り、実に巧みな配線処理であることが分かる。とはいうものの、開業当時からほとんど変わらずの姿は、輸送量が増えた現在、果たして対応できているのであろうか?
近年に登場した「快速急行」は藤沢以南には行かず、全て藤沢止まりとなる。これは藤沢以南の駅が10両編成の列車が対応できるホームがないため、どうしても藤沢止まりにしなければならない結果である。
私個人としては、藤沢~片瀬江ノ島を区間運転にして、新宿から来る列車は全て藤沢止まりにすれば運用もかなりスリムになるのではと思うが、現行ダイヤでは各駅停車をはじめ各列車のほとんどが藤沢を「途中駅」のように律儀にスイッチバックしていく。ホームの長さの関係から1番線のみが10両編成の列車が入線できることを考えるとやはり手狭な印象を否定できない。

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(私の幼少時代からほとんど変わっていないホームの佇まい。「頭端式ホームマニア」っているのであろうか?もしおられるならマニアにはたまらない駅のひとつであろう。)

そもそもなぜスイッチバックの形になったかはこちらを参照していただくと非常に良くわかると思うが、現在の藤沢駅の状況を考えると、ホームの延伸や増設は100%無理である。そのため「地下化」か現在の東海道線との交点の辺りに駅を新設するか、どちらか以外に方法は考えられない。しかしながらどちらにしても現実的ではないので将来もこのままの姿で残るであろう。

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(ホーム延伸工事の結果、ダブルクロスのすぐそばまでホームが来ている。)

湘南と言えば「海」のイメージが強いが、気が付けば、身近にもこんなに魅力のある「駅」がある。現在の小田急・藤沢駅は、約16万人の人々が乗降している。JRは20万人近く利用があり、あわせて36万人が1日にこの駅を利用している。プラス江ノ電の1万6千人を含めると実に「駅」として機能している数字だ。
「海」のイメージが強い湘南に在住する私は、海とは全く違う事を頭に描いていた少年であった・・・



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どうですか、お客さん!

九州新幹線(鹿児島ルート)の全線が2011年3月に全通した。寝台特急のかつての愛称「さくら」「みずほ」が蘇った。私は2011年8月、九州の鉄道未乗線区間をすべて制覇するために旅立った。4日間の行程の中、途中2日目は豪雨にて肥薩線の一部が運転見合わせとなった・・・予定を変更して何とか持ちこたえたが、最終日の4日目は観光色を強くして「旅」らしさを前面に出す計画を企てた。博多から東京目指して飛行機を既に手配してあるが、観光色を前面に出した長崎から博多目指して「かもめ」に乗る計画。どうせなら最終日だし豪華に行こうじゃないか!と、周遊券のため特急の自由席には料金がかからないがあえて別料金を支払い「グリーン個室」を手配した。結論から言うと、ハッキリ言っていい!私の旅の計画の判断に間違えは無かったのだ。

ということで、若干順を追って紹介していきたい。九州新幹線全通にあたって、鹿児島本線の特急として活躍していた「リレーつばめ」「有明」の担当車両787系が余剰となってしまった。そのため、日豊本線の宮崎~鹿児島中央間で活躍している「きりしま」など、旧国鉄車両の485系を使用しているものは787系に置き換えられた。そのほか「ソニック」「かもめ」など、既存の特急にも787系が割り当てられ、長崎本線に至っては従来の「白いかもめ」に加え、787系の「かもめ」が誕生した。

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(長崎駅よりかつては貨物線が伸びていたが、現在は無くなっており、ホームの先の空間には大きな商業施設がある。お土産はもちろん、「西友」も入居しており、博多に向かう列車に乗る前に「飲料」等を購入するには重宝する。)

私にとってこの出来事は若干革命的であった!車両の脇には「つばめ」のマークがしっかりと。しかし列車は「かもめ」である。九州らしくて微笑ましいではないか。私は14:53発の長崎発博多行「かもめ28号」に乗り長崎より博多を目指して帰路へ着いた。わざわざ4人用グリーン個室を二人で使用するように手配したが、これはほんの思いつきの後付であり、事前に綿密に計画した事柄ではなかったが、やはりこの選択に間違えは無かったようだ!乗車する長崎駅では妻が興奮しっ放しで「えっ、私たちこれに乗るの?!」みたいに落ち着きが無く、これから起こる出来事に、若干夢見心地の気配さえ感じた。

私は「ちょっと写真を撮ってくる」と787系かもめを満遍なくカメラに収めまくった。そしてようやく自分の「座席」に戻った。787系のグリーン個室を簡単に紹介しておくと、4人用のため当然4つの座席があるのだが、L字型の座席は三人用と、一人用の座席がひとつの計4つの座席がある。座席に囲まれるように中央に折りたたみ式のテーブルがあり、全体的に「カラオケボックス」の印象だ。長崎で停車中の際には妻が「何か、みんな通る人が物珍しそうに覗いていくんだけど・・・」と若干恥ずかしげな様子であったが、これぞ「どうですか、お客さん!」ではないか!4人用を2人で使用する贅沢・・・「夏の終わりの蝉時雨」なんて言葉があるが、8月も下旬となったのに暑さは納まらない。近い将来、移転の計画のある長崎駅。次回来る時は、新幹線の長崎ルートも開通し高架駅に変身しているであろう長崎駅に別れを告げた。

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(今回はグリーン車にある「個室」でお世話になる。絵は「つばめ」であるが表示は「かもめ」。何か妙だ。)

しばらくすると「ドアをノック」、車内販売だ。「お飲み物、お食事などご用意してまいりました。御用はございますか?」。先日の新幹線でコーヒー一杯100円券を2枚持っていたのですかさず渡した。「後ほど参ります」。私は車内を一回りしてから来るものと思い、汗だくになった服の着替えをした。これも個室ならではの行為(更衣?)ではないか!たまたま長崎本線の浦上~喜々津の新線ルートを経由していたためトンネルが多く、着替えるにはちょうど良い形となったが、ちょうど「生まれたままの姿」状態の時に再び「ドアをノック」!。当然、ドアを開けたら「軽犯罪法違反」となるであろうし、車内販売の女性の従業員も、中年男児の生まれたままの姿に若干戸惑いを感じるであろう。「ちょっと待っていただけますか?」。ドアの向こうの販売員は5分10分に感じたであろう。時間にして30秒くらいであったが、私のとっては実にスリリングなひと時であった・・・着替えが完成し販売員を招きいれると、本格的な香り漂うコーヒーが登場。恐らくJR九州車内販売の自慢の逸品であろう。しかも100円で堪能できたわけだから、これは歴史に残る1ページになりそうだ。

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(写っているのは私ではないが(妻)、一応「肖像権」の関係から一部画像を編集した。車内はまるで「カラオケボックス」の様だ。)

座るところによっては冷房の効き具合が若干違うため、勿論冷房の効きのいいところを選択し「アルコール」を抜かりなく注いだが、私以上に妻が必要以上にハシャギまくり落ち着く暇も無い。肥前鹿島では「白いかもめ」とすれ違い。ここは単線区間であることをすっかり忘れていた。そして佐賀では主要駅であるかのごとく、若干の乗降客があったが「個室」の我々はまったく「他人事」であった。やがて長崎本線のニューフェイス「新鳥栖」に到着。在来線の駅は無人の様だが、新幹線からの乗り換え客と思われる乗客がかなりの数ホームにいた。
もうすぐ「博多」だ。考えてみれば、つばめ車両の「かもめ」であるが、かもめはかもめ。第二の人生を歩き出した787系の表情も全然明るい。まだまだ「年金生活」に入るには若すぎるであろうグレーの車体は、これからやてくるであろう「第三の人生」「第四の人生」に向けての「初めの一歩」を踏み出したのかも知れない。

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(肥前鹿島で「白」と交換(上)。九州各地に散らばった787系は、第二の人生を送るには早すぎる(下)。)

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「スルッとKANSAI」で行く関西私鉄乗り潰しの旅⑩

トロッコ嵯峨駅から徒歩で京福嵐山駅にいく徒歩ルートは事前に確認済であるためスムーズに京都の街並みを「観光」できる。嵐山駅に着くとお土産屋さん等が沢山あって、ひと際観光ムードが満点だ。ホームに行くと、なんと足湯を発見。ちょっと入ってみようかと思ったが、若干料金が発生するらしい。今回は見送りする事にし、鉄道制覇に専念する事にした。

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(こんなの普通に読める訳がない!「難読」と言うより「知っているか、知らないか」であろう。)

帷子ノ辻で北野白梅町方面に乗り換え、折り返し帷子ノ辻から四条大宮まで行けば京福制覇となるが、この京福は路面電車の雰囲気を醸し出しており、なかなか乗ってて楽しい。「京福」という会社名を名乗るのはここの路線のみになってしまったが、かつては文字通り「福井」にも路線があった。と言うより現在もある「えちぜん鉄道」の前身が京福である。それから京都の「叡山電鉄」も以前は京福の路線であった。

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(レトロ調の京福。いずれ低床化が進むのか?)

そんな「京福」を乗り終え終点の四条大宮から徒歩で阪急の大宮まで行き烏丸で下車。再び徒歩で地下鉄の四条へ行き烏丸線に乗り換え、烏丸御池で東西線に乗り換え六地蔵に向かう。なんだか複雑すぎて予定を組んでいる方も、実践している方も全く訳が分からないまま進行していったが、とリあえず無事に行動していたらしい。気が付けば京津線に乗り換える御陵に着いた。
さて、京津線と言えばかつては京津三条から出ていたが、1997年に御陵以西を廃止し地下鉄東西線に乗り入れる方式に切り替えた。

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(雨が降っても濡れないのが嬉しい。スノーシェルターならぬ「レインシェルター」が活躍する。)

御陵駅は地下鉄と京津線で2層構造となっており、イメージ的に京急蒲田や京成の青砥のような感じだ。非常に便利になりスッキリした感があるが、やはり併用軌道区間が無くなってしまったのは寂しい。しかし御陵から京津線で地下から地上に出てくると、景色が一転して「平成」ではなくなるのがまたいい。鉄道誌などでよく見かけた浜大津を目の当たりにすると、若干感動を覚えた。「おう、まだ健在であったか!」と思わずシャッターを切る。関西私鉄は不得手な私も、ここ京津線・浜大津はもちろん以前から知っている。しかも石山坂本線との併用軌道上のジャンクションは、かつての「西宮北口」に次ぐ感動ものであった。
そんな浜大津から、まずは坂本に向かい折り返して石山寺に向かった。とても風情のある沿線は、全く私に似合わない・・・と思ってしまうくらい由緒正しい鉄道路線である。
そんな石山寺を折り返すと、いよいよ最終章になる。京阪石山でJR東海道線に乗換え、京都に着くと新幹線で家路に着くとととなる。

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(京阪石山坂本線。廃止が噂されているが、御陵以西の地下鉄化で挽回できるか・・・と言いたいところだが、地下鉄化以前に比べて料金が若干アップしている。)

ここまで全てご覧いただいた方、本当にお疲れ様&ありがとうございます。この旅を実践してみて思った事・・・それは「まだ半分も制覇してない」であった。制覇記録を見てもらうとお判りになると思うが、やたら乗り換えが際立って多い事だ。しかも京都付近に関しては乗換駅間を徒歩での移動もしばしばあった。また、関空区間に関しては関西空港~泉佐野間をなんと「ラピート」で移動するという「贅沢」もあった。

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(阪急が嵐山にいるなんて・・・と言いたいが、京福の嵐山駅とはかなり離れている。)

考えてみたら、小学生・中学生時代がレールファン全盛期であり現在が「第2章」となっている。特に中学生時代は全国をかけ巡る「鉄道少年」であった。しかしながら、ちょうど「バブル期」の1990年代頃は、私は鉄道とはほとんど接点が無い。つまり「鉄道青年」の時代が無いまま現在の「鉄道中年」を迎えている。その「鉄道青年」時代の「穴埋め作業」とでも言おうか、ブランクを埋めていこうと再度全国を駆け巡っているわけであるが「鉄道青年」を取り戻せないまま、やがて「鉄道老人」となっていくのであろうか?だが、この関西私鉄の旅をして思った。あえて「鉄道青年」を取り戻さなくても、自然体で鉄道と向き合えば「鉄道青年」「鉄道少年」などの括りなど無くても充分に鉄道を楽しめるような気がしてならないと。そのブランクは、これからも旅を続ける事によって自然とナチュラルに埋められていくのではないかと。

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(嵐山駅付近ではこんな光景も。京都らしい風景だ。)

この関西私鉄制覇の続きは2012年の7月に「第2弾」が敢行され「関西私鉄全線制覇」を成し遂げた。正直言って最終日には精神的に局面を迎えていたが、なんとか持ちこたえた。そこまでして・・・の思いもあるが「これが私の生きる道」なのかも知れない。そう、鉄道中年なら鉄道中年にしかできない「旅」があるのではないか?決して「鉄道少年」や「鉄道青年」にはできない旅・・・もしかしたら、私はそんな「旅」を探すために旅に出るのかも知れない。



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「スルッとKANSAI」で行く関西私鉄乗り潰しの旅⑨

嵐山線をやり過ごし、私の乗せた阪急電車は河原町に着く。で、このまま折り返え・・・さない。関西私鉄初体験とあって、ここは事前準備がしっかり整っている(つもりだ)。ここ河原町から徒歩で京阪に乗り換える。四条(現・祇園四条)より一駅先の三条で再び乗り換える。若干徒歩を要し三条京阪で地下鉄に乗り換える。乗り換える、乗り換える、乗り換える・・・「スルッとKANSAI」の特権をフルに活用し乗り換えを駆使する形だ。

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(阪急の河原町駅は京阪「四条(当時)」に近い。乗り換えには若干徒歩を要するが、ある意味「秘密兵器」となりそうな感じ。)

地下鉄東西線の制覇に乗り出すが、またまたとんでもない事に気付いた。何気なく路線図を見ると二条ではなく「太秦天神川」が終点であったのだ!私の中では「二条」が終点でここから山陰本線に乗り換える「予定」であった。一瞬目が点になった。えっ、いつの間に延伸?と言う事で急遽予定を変更して太秦天神川まで進み、折り返し二条へ行くことにした。しかしこの日は旅の最終日。最終的に新幹線の出発時間に間に合わないととんでもないことになる。幸い若干二条に着く時間が遅れたものの、予定通りの列車に二条から乗ることができた。
嵯峨嵐山駅まではJR区間で行くが、「スルッと~」が効かないのでJRの切符を買っての参戦だ。

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(若干赤気味ている写真であるが、嵯峨野観光の車両。紅葉の季節にはかなりの大盛況!)

さて、嵯峨嵐山駅からこの旅の最大のメインイベント、トロッコ列車「嵯峨野観光」にお世話になるためトロッコ嵯峨駅まで徒歩で移動。僅かながら京都の街並みを眺めながら観光客らしい行動をしてみた。しかし私は乗り潰しの旅の途中である。そのためかどうしても列車の時間などが気になってしまい観光に身が入らない。と言うより「京都」という街並みが際立って似合わない私なのかも知れない。

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(わりにホームが狭いため、駅名表も接近してしまう。)

そんな京都を歩きながらトロッコ嵯峨よりトロッコ列車に乗る。嵯峨野観光と言えばご存じ、かつては「国鉄」であった路線である。特に保津峡付近は季節によっていろいろな顔を見せてくれ、各方面から人気がある。トロッコ亀岡で折り返し再びトロッコ嵯峨まで戻ってくると、徒歩で京福嵐山駅までまたまた京都の街並みを楽しむ。しかし今回の旅は徒歩での乗り換えが多いが、これも関西私鉄の特徴であろうか?特に京都付近はこの例が多い。
地名を言われてもどこに自分がいるのかわからない不安の中、乗換も事前準備が良かったためスムーズにいく。京福を制覇の後は「京津」が待っている。関西私鉄を知らないながらも懐かしさあふれる鉄道会社名が出てくると嬉しいものだ。

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(二条~太秦店天神川間の延伸は、現場に行って初めて知った!急遽予定を変更・・・)


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「スルッとKANSAI」で行く関西私鉄乗り潰しの旅⑧

橋本で再び南海に乗り極楽橋に向かうが、JRと南海を結ぶ跨線橋に中間改札は無かった。正確に言えば「無くは無かった」が、特に切符を通さないと通り抜けられないわけではなく「常に解放された改札」と表現したら良いのか。そんな改札を抜け南海のりばに向かう。この時間帯の極楽橋行は普通列車しかないため極楽橋で折り返し橋本に戻る。しかしこの極楽橋までのルート、やたらカーブや勾配が多く、線路と車輪の摩擦音が常に響き渡る姿は「箱根登山鉄道かっ!」と突っ込みたくなる一面を見せてくれる。しかし辺りが暗くなり、景色はほとんど「黒」になってしまったが、昼間に来ればさぞかしきれいな景色であったろう。

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(画像はウィキペディアより。できれば昼間に訪問してみたかった極楽橋駅。周囲には建物らしい建物は見当たらない。が、なかなか素敵な駅舎ではないか!)

極楽橋駅はどうしても「観光」のイメージが強いが、私の乗車した時間帯は通勤帰りに乗客がかなり下車した。数えて10数名。この人たち、このようなところから「ミナミ」に向かい通勤しているのかと思うと、何だか羨ましい気もする。橋本に戻って来ると、難波までの列車に乗り変え今日の予定は終了。と言うより「ミナミ」までが制覇予定であるので、橋本駅で「りんかん」の特急券を購入。一日の終わりは特急でゆったりと締めたい。

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(橋本駅から「りんかん」に乗る。この日の締めはやはり特急列車が良い。)

この日の夕食は「ミナミ」でちょっとした観光気分に浸りながら阿波座に帰る事にした。「自由軒」で「ドライカレー」をいただき「グリコのポーズ」のネオンを横目に「たこせん」を頬張れば、一気に気分は「関西人」になる。私には程遠い世界でったが、なんとなく「関西」と言うものが少しずつ見えてきたような感じがしてきた。

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(4代目の駅舎「南海ビル」の完成はなんと1937年!歴史を感じる。画像はウィキペディア。)

翌日は帰路に着くため京都から新幹線に乗る事を決めてある。そのため京都地区の路線を全て制覇の予定を組み込み、いざ阿波座を後にした。しかしまたまた事件は起こってしまう・・・
とりあえず地下鉄で「キタ」に向かう。阪急に乗り京都を目指すが、途中の桂で嵐山線を片付ける。京都有数の観光地「嵐山」を私は意図も簡単に「制覇」の為だけに折り返してしまった。

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(やはり画像が赤っぽく申し訳ないが桂にて。嵐山線を分岐するが留置線もあり、付近の踏切では「開かずの踏切」で有名であったが、現在は高架工事中。)


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「スルッとKANSAI」で行く関西私鉄乗り潰しの旅⑦

和歌山港線はご存じ、かつては水軒までであったが、利用者が多いとは言えず2005年に廃止されてしまった。現在も和歌山港駅はフェリー乗り場と繋がっておりフェリーと連絡しているが、利用者はかなり減少しており今後の動向が注目される。私の訪問した2009年は駅員さんがいたが、現在は無人化されたようだ。

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(和歌山港駅にて。南海は特急列車に普通列車用の車両を連結している。関東人にしてみたらものすごく違和感あるが、別料金なしで特急列車に乗れるのは便利。もちろん特急用車両乗車の場合は「指定席券」という名目で別料金が発生。)

と言う事で和歌山市に戻りJR和歌山駅までJR紀勢本線を使う。この区間、実は当時の未制覇路線区であり、どさくさに紛れてJRも制覇してしまおうと企てた。と言っても、もちろん「正規料金」での制覇だ。と言う事で、当初から計画していたJR線で和歌山に向かうが若干昼食時間を取ってあったため、先ほど物色してあった「物件」に入る。満腹になった私を待ち構えていたのはとんでもない現実であった!勇んでJR乗場へ向かう。時計と一応乗場を確認するために駅時刻表を見たところ、乗るはずの列車が駅時刻表に載っていない!「えっ?」確かに私の所有している時刻表には乗っているのだが・・・なにはともあれ、JR和歌山駅に行かないと次に制覇する和歌山鐡道の「いちご電車」に間に合わない!私は仕方なくタクシーで和歌山駅まで飛ばした・・・

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(レトロな感じの駅名表。私にしてみたら南海のイメージが大きく崩れた瞬間だ。)

無事JR和歌山駅に到着し和歌山鐡道にも間に合ったが、JR紀勢本線の未制覇区間の穴埋めはできず・・・とても悔しい思いをした。後で調べてみたら、JR西日本で一部ダイヤ改正があった事を知らなかったのだ。今回はJR以外の私鉄がターゲットの為、「西日本版私鉄時刻表」を参考に、インターネットで時刻を調べて計画を立てていた。そのためJRは全くのノーマーク。改正前の時刻表を使い一部JRの乗車区間を確認していたのだ。これではやってくる列車も来ないわけだ。和歌山市~和歌山間は後日別枠で制覇しているが、やはり何とも言えないやりきれなさみたいなものが胸に残った・・・

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(いちご電車と列車交換!「交換」ではなく「乗車だろ!」と心の中で自分に突っ込んでいた・・・)

気を取り直して和歌山鐡道を制覇しに行く。いちご電車に乗車予定が・・・何とノーマルの「南海車両」が到着したのだ。「あれ?」と当然なる。即刻運転予定表を調べたら運転日をどうやら見間違えていたらしく、せっかく間に合わせた予定も「ノーマル」となってしまい再びがっかりする事になってしまった。何と言う無能さ・・・全くの初歩的ミス。私の関西私鉄の不得手さがこんなところにも出てしまったのだ。と言っても私の乗る列車の1本前でいちご電車の為途中駅ですれ違った。なんという悔しさ!私はしかとカメラにその模様を収め「ノーマル」で貴志に向かった。しかしそのカメラも既に満身創痍となっており、もう踏んだり蹴ったり状態の中、ようやく貴志に到着。やはり「たま駅長」は人気であり、一斉にカメラが向けられていた。だが私のカメラはモニターが歪み画面が赤くなってしまう。「たま」に正常に戻ったりするがそれも長くは続かない。もう今回の旅は完全に呪われているかのようであった。

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(乗るはずだった「いちご電車」。是非再訪を目指す!画像はウィキペディア。)

出来る限り制覇の証を残した後再び和歌山駅に戻ってきた。いちご電車は悔しいが、ここで再びJRでワープする。もちろん正規料金にて。約27年振りに和歌山線に乗り橋本に向かう事にする。そう、橋本から再び南海に乗るためだ。以前に訪問の時の和歌山線は五条~和歌山が非電化区間で、キハ30辺りの車両で運転されていた。「橋本」「キハ30」まるで「相模線」ではないか!前回訪問時は中学のクラブ活動「鉄道研究クラブ」の部活動の一環としての訪問で、もちろんメンバーも「鉄研」である。そのため当然この手の車両を見ると「我地元」の印象が強い。全員が異口同音に相模線の印象を持った列車での制覇であった和歌山線に、27年振りに再び訪問するとは、何とも言えない懐かしさが漂う。そんな「相模線」で「橋本」に降り立つと、早速南海のホームに足を急がせた。


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「スルッとKANSAI」で行く関西私鉄乗り潰しの旅⑥

水間観音へと向かう水間鉄道であるが、私の乗車時は「水間」であった。登録有形文化財に登録されている「水間観音」は、駅舎もそれにあやかってモチーフ。なかなか貫禄ある駅舎だ。だが、折り返し時間が少ないため駅舎を生で見ることができなかったが、雰囲気は伝わってきた。やはり乗り潰し専科だとどうしても「線」の旅になってしまい「点」の旅ができない。これが最大のウイークポイントであろう。

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(水間駅付近に留置されていた「旧バージョン」。出来ればこちらで制覇してみたかった。)

貝塚に戻るとはたまた各駅停車で関空へ向かう。と言ってもたった14分。こんな乗換や折り返しが続く今回の旅は体力的にも精神的にもやたら忙しい。折り返し泉佐野に向かうため、なんと「ラピートβ30号」に乗車!さすがにスーパーシートとはいかなかったが、律儀にも事前に旅行会社で特急券を購入しておいたが、この区間の利用はなんとプラス100円!たった8分の「贅沢」であったが、「切符拝見」の女性車掌はいささか苦笑気味であった。

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(乗車したのはこちら。水間駅で出発を待つ水間鉄道の車両。)

そんな短い時間の中、車掌に泉佐野での乗り換え状況を訪ねた。乗り換え時間は1分の為、階段を使う乗り換えは完全に「アウト」になってしまう。返ってきた答えは「列車を挟んで両側にホームがあり、その間に必ず列車が止まっていて両側のドアが解放されているのでどの方面の列車でも階段を使わずに乗り換え可能です」との事。つまりラピートの到着時間に合わせて普通列車などが待避線ホームに停車して両側のドアを解放している。その「列車」を使ってひとつ先のホームにも階段を使用せずに乗り換え可能となるわけだ。よく考えたものだと感心してしまう。つまり泉佐野では難波方面にも和歌山方面にも階段を使わないで別の列車に乗り換えできる訳だ。これは非常に画期的であり、私にとっては「関西的」発想で実に良い。もっともっと関東もこのように便利になってもらいたいものだ。

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(どこの駅だか忘れたが、南海電車のステンレスとは珍しいのでしょうか?)

そんな便利な乗換便利な列車も、たった15分乗ってみさき公園で下車。多奈川線に乗り換える。本線から数々の枝線を吐き出す南海を、ひとつひとつ律儀に制覇していかなければならない「宿命」・・・小刻みな乗り換えが要求されるのだ。多奈川線をやっつけると一旦和歌山市に出て加太線に乗り換える。南海とは、私の持ってたイメージではかなり華やかな感じであったが、この加太線や多奈川線などは実に和やかに時間が過ぎていき、何か「紀州鉄道」などに乗車している錯覚に陥る。「ローカルな」列車がお好みの方には是非お勧めの路線であろう。

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(既にカメラの体調がおかしい。この後和歌山鐡道付近では、この不調が更にパワーアップ!)

さて私は和歌山市に戻ると、和歌山港線に乗る列車の待ち時間が25分位あった。しかし昼食を摂るにしては若干中途半端な時間の為、駅構内で折り返して再び和歌山市駅での食事時間をとってあるため、その店を「物色」しに改札を出た。ようやくターゲットを見つけた(と言っても1軒しかなかったが)ので再び改札へ向かう。そして和歌山港線で和歌山港に向かった訳だが、この後とんでもない事件が待っていた・・・


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「スルッとKANSAI」で行く関西乗り潰しの旅⑤

阿波座から桜川に向かった。その理由は・・・関西の鉄道路線に知識の明るい方ならお判りであろう。そう、南海の「汐見橋」に近いからである。関西の鉄道路線に殆ど知識のない私がなぜこのような事をやったのか・・・今はインターネットの時代である!もし、これが中学生時代であれば律儀に岸里玉出~汐見橋間を往復していた事であろう。しかし数々の旅を経験してきた私は「野生の感」ではないが、何とか効率を考えインターネットを駆使。ようやく(と言うか簡単に)桜川と汐見橋の関係を探し当てた。しかしながら、実際に訪問してみると桜川と汐見橋は「連絡駅」としてお互いに「案内」が無い(当時)。本当に乗換可能なのか?確かに地図で見た限りでは、限りなく「徒歩範囲」だった。桜川では汐見橋に一番近い出口に向かうと、通路の途中に小さく「南海・汐見橋駅方面」の案内表示があった!そう、私の行動は間違えではなかったのだ。関西の鉄道「ツウ」の方や地元の方から見たら私のこの「思い」などは大騒ぎするほどの事ではないであろう。しかし私にとっとみればものすごく画期的な事。徐々に関西の私鉄に体が慣れていく自分を「発見」する切っ掛けにもなった。

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(カメラの体調が良くなく全体に赤い画像になってしまったが、2009年訪問時の汐見橋駅。開設はなんと1900年!歴史を感じるが、かつてより構内は縮小されこじんまりとしている。)

桜川の出口から高速道路の下を淡々と歩くと汐見橋駅に到着。恐らく2~3分程と思われるが、目の前に飛び込んできた駅舎はとにかく「古い」!歴史を感じる重厚な建物は、かつて「高野鉄道」としてのターミナルとして開業した「道頓堀駅」の面影がしっかりと残されている。もちろん当時の建物より若干のリニューアルがあると思われるが、とにかく都会の中の駅とはほど遠い造りであった。改札を抜けホームに入ってみると、やはり昔の雰囲気がひしひしと伝わってきて、とても通勤ラッシュの時間帯とは思えない穏やかな時が流れた。
ホーム横には某カー用品専門店が店舗を構えているが、かつてはレールが敷かれていたであろう事が容易に推測できるほどの「空間」となっており「ターミナル」としての面影もしっかり私に伝わってきた。実際に歴史を調べてみてもそこは貨物側線であったらしく、私の「読み」に間違えは無かった。

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(なんばに停車中の「ラピート」。斬新なフォルムは乗車意欲をそそるが・・・)

そんな歴史的は駅後にした私は早速「高野線」の制覇に乗り出す・・・と言っても汐見橋~岸里玉出間は通称「汐見橋線」と言われており、岸里玉出で高野線は分断された形になっておりレールは繋がっていない。現在「なにわ筋線」として汐見橋~新大阪間が将来的に新線計画があるが、若干頓挫気味であり開通はかなり難しい局面を迎えている状態である。そのために複線を維持しながら細々と運転している汐見橋線であるが、果たして・・・
岸里玉出で早速下車。で、なぜか天下茶屋に向かう。結論的には「ラピートβ」に乗車の為わざわざ天下茶屋へ向かったのだ。と言うか、難波でもよかったのだが待ち時間の都合上、天下茶屋と言う途中駅からの「変則」となってしまった。とは言え「初」ラピートに胸が躍る!しかも「スーパーシート」だ。

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(ラピートのスーパーシート車内。私達以外の他に約1名の車内は「空港アクセス」という役割にしては若干物足りない気がする。)

わざわざ岸和田までの区間をスーパーシートに乗車したが、乗客は私達の他に約1名であった・・・やはり関空アクセスは「JR」に軍配があがったのか・・・新幹線を武器に京都・新大阪などから接続させるJR特急は「はるかにお得」なのか・・・やはり「難波」が拠点であると若干弱いのか、「全国区」になるのは難しいかもしれない。
そんな「ラピートβ」で岸和田に着くと各駅停車で貝塚に向かう。水間鉄道に乗るためだ。早速水間鉄道の改札で切符を通すと「ビビーッツ!」と改札が封鎖され通れない・・・再度切符を入れるが、やっぱり通れない。駅員さんに「すいません、改札開かないのですが」と言って切符を見せたら、なんと「スルッと~」の加盟会社でないことが判明!!短い乗り換え時間の中、速攻で往復切符を買い車内に向かった。



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「スルッとKANSAI」で行く関西私鉄乗り潰しの旅④

浜寺駅前で「満足な」食事を済ませた後、南海の浜寺公園駅に向かい南海に乗り換える。浜寺公園駅と言えば、ご存じ「浜寺公園駅(はまでらこうえんえき)は、大阪府堺市西区浜寺公園町二丁にある、南海電気鉄道南海本線の駅。駅番号はNK15。辰野金吾の設計により、1907年に建てられた木造平屋建ての駅舎は、1998年に国の登録有形文化財に登録されている。第1回近畿の駅百選選定駅。」とウィキペディアに記されているように、とても歴史的な駅舎がお出迎えしてくれる。私は全く事前準備と言うか、予備知識が無かったため「ギョギョッ」と驚いてしまった。しかしようやく日も暮れかけてきたころで、街灯などもようやく点くか点かないかのころだったため駅前は真っ暗。そのため駅舎も真っ暗状態で少々治安が心配な雰囲気であったが全くそんなことは無く、むしろ幻想的な雰囲気を醸し出していた。と言っても露光が足りないため写真に収めることはできなかったのが残念だったが・・・

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(浜寺公園駅の駅舎。国の登録有形文化財に登録されている。完成はなんと1907年!画像はウィキペディア。)

この浜寺公園駅は駅舎も然ることながら、配線もかなり特殊な形をしている。上りのホームが切欠き式になっていてその切欠き部分は待避線になっている。通過列車は3番線を通り切欠き式の4番線の隣の通過線を通って行くと言う、かなり変則的な配線となっている。
ところでなぜ浜寺公園駅から南海に乗り換えるのか?実は「高師浜線」を制覇するためだ。翌日に南海の制覇時間はたっぷり取ってあるが、この「高師浜線」が非常に厄介であった。このことは後ほど記すが、この浜寺公園駅から約1分で羽衣に到着!こんな時も「ナノテク的」な乗り換えが発生する・・・
高師浜線を制覇して再び羽衣に戻り、今度は住吉大社に向かう。そう、住吉公園電停より再度阪堺電気鉄道を制覇するためである。

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(画像はウィキぺディアより。浜寺公園駅の配線図。上りの配線が特種であるのが分かる。)

阪堺電車に乗り天王寺まで行けば、阪堺電気鉄道と本日の制覇予定は終了。拠点となる宿「阿波座」に向かった。2泊3日の今回の旅は、この阿波座に2泊身を預けた。するとある特徴が現れる。単純であるが、2日目に大きな荷物を持たずに制覇に動き回れる事だ。阿波座駅は、この後の関西私鉄乗り潰し第2弾でもお世話になり拠点とした。それくらい個人的に気に入っている場所であるが、徒歩で京阪・中之島にも移動でき、ビジネス街も近くにある。駅の近くには中華料理店と夜遅くまで営業のスーパーもあり非常に便利である。確かに難波などの繁華街の方が何かと便利であろう。しかしながら、こういう「都会のオアシス」的な空間も、私みたいな「渡世人」には必要なのかもしれない。

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(解説が無いとわからないが、高師浜線にある「伽羅橋」。普通に読めないが「難読」と言うより「知ってなければ読めない」であろう「きゃらばし」。恐らくガード下のテナントは撤退していると思われる。画像はウィキペディアより。)

そんな「オアシス」から「DNA解読」に羽ばたく私であるが、翌日は地下鉄千日前線で桜川に向かう。なぜ桜川かって?そう、そこにはとても「関西私鉄不得手」の私には考えられないような「小技」を使ってみたのだ・・・



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「スルッとKANSAI」で行く関西私鉄乗り潰しの旅③

休憩も終え、出町柳から京阪で淀屋橋に向かった。京阪は本線からかなり地味に細かく枝線が分かれており、その処理に忙しい。淀屋橋に向かう際に中書島・枚方市でそれぞれ支線を処理。そして淀屋橋から地下鉄御堂筋線で北千里に向かった。北千里から山田まで、なんと3分間だけだがモノレールに乗り移動。阪急千里線で一旦千里中央まで行きすぐに折り返す。やはり何かと「ナノテク」的な乗換だ・・・非常に体力がいる。千里線で地下鉄に直通し天下茶屋で再び折り返し恵美須町に向かう。そう、阪堺電気鉄道に乗るためだ。阪堺電車も、最近では「ポートラム化」らしい。つまり低床化の波が押し寄せていると聞く。私はこの阪堺電車は現地で「軌道」と初めて知った。とは大袈裟かも知れないが、それくらい関西私鉄に「縁が無い」と言う事であった。

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(出町柳で出発を待つ「京阪」。私にしてみれば、関西の私鉄で最も馴染みのない大手私鉄であった。)

阪堺電車は乗ってて楽しい。ほぼ「専用軌道」を走るが、この恵美須町付近はものすごく「路面」という雰囲気が出ている。ちょっと歴史を調べてみたが、その起源はなんと「大阪馬車鉄道」と言う、馬が牽く鉄道であった!何とも歴史を感じる鉄道であるが、今でもその懐かしい雰囲気は健在だ。
しかしながら全くなじみが無い「土地」ため、駅名と路線が全く一致しない。頼りになるのは「スルッと~」の付録されていた路線図のみ。時刻表など大きすぎて荷物になるだけなので、この路線図のみが唯一の情報源だ。

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(恵美須町での阪堺電車。今後「ポートラム」のように低床化が進むのか?)

阪堺電気鉄道で浜寺駅前電停に到着した。さて、南海に乗り換えようと横丁の角を曲がったその時、素敵な飲食店を発見してしまった・・・基本、私は「炒飯がうまい」とその店の料理は「絶品」と判断する。私は迷わず「入ろう」の指令を出した。店名は忘れたが、いわゆる某番組の「店が汚いけど旨い」みたいな店舗である。昭和の佇まいで初老の夫婦が経営するこの店は夕方5時を迎え、私たちが「夜の部」の最初のお客の様だ。私は早速「炒飯」を注文。そのお味は・・・私がここで「ああだこうだ」評論するまでも無いであろう。是非現地でお試しいただきたい。と言っても場所も店名もわからない。ただわかるのは、浜寺公園駅前と言う事のみ!


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「スルッとKANSAI」で行く関西私鉄乗り潰しの旅②

早速「スルッと~」に引き換えると地下鉄乗場に向かった。京都の地下鉄は、開通して間もない1981年にあの「ポートピア博覧会」訪問の際に若干乗車している。その当時と変わらない車両がお出迎えしてくれ、懐かしさがこみ上げてきた。「おう、そういえば同じ車両だったよなぁ~」私が中学1年生の夏休みの事だ。その地下鉄で竹田に向かって折り返し国際会館でまた折り返す。烏丸御池で地下鉄東西線に乗り換え三条京阪に向かった。東西線は私にして見たら新しくできた地下鉄の為「京都も変わったなぁ~」という印象が前面に出てくる。あの「京都」に地下鉄・・・どうにも「ミスマッチ」の雰囲気がして仕方がない。それでも「そこに鉄道がある限り」乗りにいかなければならないのは私の宿命か。

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(出町柳では「叡電」がお出迎え。軽快な車両が私を待っていた。)

三条京阪から「三条大橋」を渡り京阪の三条駅に向かう。この三条大橋は度々旅番組に顔を出す有名な橋だが、当時はそんな事全く知らず、ただ只管「乗換」に足を急がせる。これでは「旅行業務取扱管理者」の資格を有する私も、資格を剥奪されても何も言えないであろう・・・とまぁ、そんな伝統的な橋を渡り京阪で出町柳に向かうと今度は叡山電鉄に乗り換える。京阪の出町柳駅の開設は比較的新しく平成元年だ。と言ってももう20年以上たっているとは全く考えられないが、駅構内は清潔感がありとても20年以上経過したとは思えないくらいであった。京阪の駅は地下にあるため、地上にある叡山電鉄出町柳駅まで若干徒歩を要する。地上に顔を出した私は叡山電鉄乗場に来た時に「懐かしさ」を感じずにいられなかった。もちろん初めて来た場所なのに・・・それもそのはず。こちらの開設はなんと大正14年!恐らく開業当時から殆ど変らずの佇まいであろう。

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(やたら長い駅名になった「八瀬比叡山口」。なかなかの佇まい。)

この叡山電鉄は、ハッキリ言って聞きなれない会社名であった。そう、かつては「京福」だったため、制覇計画考案時に「こんな鉄道会社あったっけかな」と疑問に思っていたが、歴史を調べて納得。なるほど、京福なら私も知っている。そんな懐かしい「京福」を制覇し出町柳に戻ってくると早速計画通りの行動から外れる事となる。出町柳駅のホーム上にコーヒーショップがあるのは行きに確認していた。戻って来た時にそこで一旦休憩し、今後の展開を再確認する事にした。と言っても、つまり単に「のどが渇いた」だけであったので急きょ一服タイムを取り入れたのだ。普段は、と言うより過去にはこのような事をやらなかっただけに、実に新鮮な「休憩」となった。だが、この休憩にも計算があった。と言うのは、いつものような「ローカル」の旅ではないため都市型鉄道特有の「運転本数」にある。予定の列車を2~3本遅らせても大丈夫と言う「計算」もあり、制覇ルートさえ決めておけば後はそれに従って行動すればいい。そんな呑気な旅となった。


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「スルッとKANSAI」で行く関西私鉄乗り潰しの旅①

私は関西の鉄道が全く不得手だ。嫌いとか好きなどという問題とは全く違う。馴染が無いというか、全く「わからない」のだ。私は全くの関東人の為、関西の地名はおろか、駅名や「何線がどこに行く」というのもほとんどわからない。国鉄⇒JRは分かるが、こと「私鉄」になると本当に疎い。しかし「いずれは」制覇しなければならないと、以前からシミュレーションしていた。その結果、当然3日くらいでは全線回れないのは分かっているので近鉄を別枠にして3日間の行程を2回に分けると何とかクリアできるような計算ができてきた。(というか、私は「文系」の為、数学は不得手でちゃんとした計算ができたかどうか・・・)しかし、関西の私鉄を乗り潰すと言う事は、あの網の目のように張り巡らされた鉄道網をひとつひとつクリアしていかなければならない・・・何だかDNAでも解読しているかのような苦労が絶えなかった。言わば「ナノテクノロジー的な旅」と言っても過言ではない。

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(和歌山鐡道の<おもちゃ電車>。運転日を計画にはめ込むことが出来なかったが、次回訪問時は必ずや乗車して見せたい。画像はウィキペディア。)

しかし、いざ「制覇実行」を決めると計画が二転三転するが、何とか納得いくものができた。普段の旅計画はA4用紙1枚で納まるのだが、今回の計画はなんと3枚!しかも欄を縮小し行数を増やした。それでもこの量とは、相当の乗り換えが必要という事だ。現に7~8分乗ったら折り返しや乗り換えという場面が多く、平均15~20分位で乗り換えが発生する。考えてみたらものすごくハード。果たして体力的に持つのか・・いや、精神的に持つのか・・・そんな事言ってられない!制覇すると決めた以上、実行するのみだ。
と言う事で、2008年10月に「第一弾」を敢行する事となった。計画書には表紙に「ラピート」を載せ、総勢5ページとなり、人生「初」の関西私鉄に足を踏み入れる事になった。

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(今回の「関西私鉄」の旅からデジタルカメラのコンディションが最悪になった。叡山電鉄もご覧の通り。こんな画像が続きますが、しばらくお付き合いください。)

当初は「サンライズ」を姫路で下車し、山陽電気鉄道からのスタートであったが予定を変更。払い戻し手数料を払ってまで変更した旅は、果たして計算通りにうまくいくのか・・・期待と不安が入交る中、私は新幹線で京都のホームに「第一歩」を踏み入れた。
新幹線で京都を降りた私は早速近鉄乗場に向かった。しかしながら近鉄は別枠での制覇を予定している。ではなぜ近鉄乗場なのか?そう、それは「スルッとKANSAI」にあった。この「スルッと~」は旅行会社などで依頼すると「クーポン券」が渡され、現地の取扱い駅で「スルッと~」と引き換えになるのだ。



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夜行列車・再発見!

夜行列車・・・あなたはどういう「定義」をお持ちであろうか?以前私は「鈍行列車」に触れてみたが、その「鈍行列車」よりはかなり明確に定義できるはずであろう。一応「ウィキぺディア」で確認してみたら「夜行列車(やこうれっしゃ)とは、夜間から翌日の朝以降にまたがって運転される旅客列車のことである。その性格上、長距離列車となる場合が多い。夜汽車と呼ばれることもある。」と記されていた。「翌日の朝以降」と言う表現。では「朝」とはどういう定義かと言う事になる。と言うかこの時点で私は「ひねくれ者」であろう。もしかしたらこの記事をご覧の方は既に引いてしまっているかも知れない。しかしながら、私は「明確化」に若干こだわる方で、一度気が付いたらトコトン調べてしまう「疲れる性格」かもしれない。

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(何度か紹介しているが、こちらは電車式の夜行列車。昼間は座席、夜は寝台として活躍した。1983年8月、青森駅にて)

と言う事で、一応「朝」という定義を調べてみた。「朝(あさ、あした)とは、陽が昇ってから正午までの間のある程度の範囲の時間帯のこと。時には午前と一致する。一般的に人間はこの時間帯に起き、働くなどの活動を始める。また、この朝という概念は地球上のほとんどの民族に存在する。」

朝:「夜明け」からおよそ9時頃まで。天気予報で「明日朝の最低気温」と用いるときは0時〜9時をさす。
早朝:一般の人が活動を始める前。季節、地域にもよるが夜明けからおよそ1〜2時間。
朝のうち:午前6時頃から午前9時頃まで

ウィキペディアの解釈だと若干抽象的であるが、上記なる「定義」も登場した。恥ずかしながら、私は「気象予報士」の試験を3回チャレンジした事がある。が、3回落選もした。合格率5%と言う超難関の国家試験の中、よく「元・東京都知事」の実息が合格したものだといささか関心してしまうほどである。
そんな事はどうでもいいが、一応私も気象予報士を目指した身。若干の知識を持ってはいるが、実用とはほど遠い。だが、気象庁の「朝」の解釈は上記の通り。私も若干この辺は勉強したが「夜明け」と言う表現は、年間を通じて「同じ時間」ではなく、あくまで「旬のもの」と捉えていただく意向であろう。

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(1983年10月、白糠駅にての急行「まりも」。座席ながら夜行列車である。とは言うものの寝台車も連結されていた。)

それより、今は「夜行列車」を追求する記事となっているので話を元に戻そう。つまり日付が変わる前に出発し、翌朝に終点に到着すれば「夜行列車」になるみたいだ。
なるほど?と思っていた矢先、私は妙な事に気付いた。もちろん夜行列車と思って乗っていた「731D」は、夜行列車ながら上記の定義に当てはまらない。基本、確かに夜行列車ではあろうが・・・そう、731D(上り764D)とは、1980年代くらいまで四国に走っていた普通列車(というより快速)の夜行で高松~中村の運転であった。車両はキハ58を使用しており、グリーン車も連結されていたが、なぜか別料金不要で、ある意味「お得な」夜行列車であった。つまり「18」で「青春」する事も可能であったのだ!中村到着後は折り返しの急行「あしずり」に変身し、グリーン車の車両は「指定席」として開放される。
そんな731Dは、高松を0時47分に発車すると言う事はこの時点で既に定義から外れている。これは「最終列車」ととらえるべきか「始発列車」ととらえるべきか・・・

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(こちらも以前に紹介した「あかつき」は、1978年8月の長崎駅にて。この「ブルートレイン」こそ「夜行列車」の名ににふさわしいであろう。)

こと、上りの764Dに至っては高松に3時半頃の到着となり、全く「朝」を迎えていない。確かにこの731Dを単独で考えると不思議な夜行列車である。しかし視点を変えると「夜行列車」と言えるのかも?と言う部分に気付く。それは「全体」を考える事だ。この731D(上り764D)は、起点を「岡山」と考えれば問題は解決してきそうだ。つまり、岡山発の「夜行列車」と考えればなんとなくつじつまが合ってくる。
この列車が運転されていた頃は瀬戸大橋は存在せず、宇野~高松は連絡船であった。22時36分に岡山を出た宇野線経由の「夜行列車」は23時22分に宇野に到着。23時30分に連絡船に姿を変え高松に0時30分に到着。そして松山方面は急行「うわじま1号」になり0時44分に、高知方面は0時47分の731Dにそれぞれ変身し(1982年11月の時刻を参照)高松を出発する。そして宇和島や中村には朝6時~7時台に到着するわけである。

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(恐らく新幹線開通後は見られなくなる可能性が高い。わたしは過去に「ロイヤル」と「デュエット」に乗車したが、私が小学校の頃は「2段ハネ」が主流の時代。まさに時代も変わったものだ・・・)

一方、上り列車は松山や高知などから来た列車は高松になんと3時22分~42分に到着。3時52分発の連絡船で宇野に4時52分着。5時4分発の宇野線始発で岡山に5時52分に到着である。つまりこれを「ひとつの列車」と解釈する事だ。
しかしながら上りの高松での乗り換え時間は凄まじい!例えひとつの列車と解釈しろと言っても、朝3時半頃の「乗換」はいくらなんでも「体力的」にはともかく「精神的」にかなりのダメージであろう。確かに岡山から高松の間は陸続きではないため船に乗ることが絶対条件になるが、特に上りの高松の乗り換え時間と来たら、もうたまりません。なぜこのような苦しみを乗り越えてまで岡山に行かなければならないのか・・・国鉄さん・・・

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(こちらは「快速」として活躍している「ムーンライト」。私が中学生の頃から考えれば、こういう車両での「快速」がある事自体考えられなかった事だ。)

現在は本州と四国は「陸続き」となっている。東京からは「サンライズ」が高松まで乗り入れ列車一本で到達できる。しかし「陸続き」となったこの時代に731Dの姿はない。本来、岡山を起点と考えて運転される四国方面の夜行列車は陸続きではない時代に「陸続き」のようなダイヤ設定になっていたが、完全に「陸続き」となったらダイヤから姿を消した・・・間に船を入れなければならないダイヤしか組めなかったが、船を入れなくなってもいいと言う事になったら列車自体が無くなってしまうという・・・なんとも皮肉なものだ。

このブログにてこの731Dの紹介は何度もしたが、この記事を私自身が書きながらこんな夜行列車があったとは・・・と改めて気づかされた。岡山から電車⇒船⇒気動車と「七変化」する夜行列車は、いま考えるととても不思議な存在であった。他の夜行列車は目的地まで乗り換えなしで行けるのに、この四国の夜行列車に関しては「乗り換えが発生する直通列車」 であった。特に上りの未明の3時台の乗り換えを、あなたはチャレンジしてみたいと思いますか?



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1984年8月・「青春18」、88ヶ所は無理だったけど四国国鉄線全線制覇の旅⑥

海部を後にした私は、小松島線に乗り換えるために「南小松島」で下車した。なぜ南小松島なのかは、以前に紹介した「廃止路線を訪ねて⑧ 小松島線」でも触れている。確か事前に南小松島で下車する計画をしていたかのような表現をしていたが、実際はちょっと違う。
数々の旅で身に付いた知恵として、街で銭湯を探す際に「煙突」を目印にしていた。つまり車窓から煙突を見つけると、そこには銭湯がある確率が高い。車窓を眺めていると何やら銭湯と思われる煙突が見え隠れした。わずかな隙間から煙突に「♨」を確認!そこは「南小松島」であった。もう湯船に身を沈めなくなって3日が過ぎており、そろそろ「潮時」と感じていた矢先の出来事だ。

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(こちらは小松島駅。小松島線は各方面から列車が乗り入れていたが、急行「よしの川」は小松島線内は普通列車になる。画像はウィキペディアより。)

当初の計画では中田で17時44分着、17時57分の小松島線に乗り換え折り返し、徳島に18時41分に到着する予定であった。しかし徳島から高徳本線の高松行は20時26分までない。小松島を次の列車に乗っても結局この列車に乗ることになる。そこまで確認すると、もういけません。南小松島から小松島までの距離を車掌に確認すると「確信」に変わる。急きょ予定を変更して「♨」にお世話になる事にした。南小松島17時41分着。小松島線の小松島港は19時47分発。充分とは言えないが時間がある。私は大きな賭けに出た。

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(廃止された小松島港駅。小松島駅構内にありフェリーとの乗換の便宜が図られた。画像はウィキペディアより。)

結局銭湯作戦も大成功に終わり小松島港駅に向かう。小松島港駅は小松島駅構内にあり、フェリーとの乗り換えの為便宜上に作られた駅だ。公の記録では「臨時駅」として扱われていたが、小松島駅からも余裕で見えるため完全に同じ駅として考えても良いであろう。だが、小松島駅は小松島港へ行く列車専用のホームを持ち、小松島駅止まりの列車は行き止まり式の「本来の」ホームに発着する。なんだか複雑であるが、現存していたらさぞかし人気者であったろう。そんな小松島線を難なく制覇すると、高徳本線で高松まで行けば四国内の「国鉄全線制覇」となる。高松に着いたのは22時35分。お気づきであろうが、この旅の行程は夜行列車を「宿」とする関係上、必ず高松に戻ってくる仕組みとなっていた。もちろん、夜行列車の「上り」を使う手もあったが、やはり高松から乗車すると「安心感」があった。そんなわけでわざわざ高松に戻ってきたわけである。しかし、またあの「猥褻おじさん」がいないかと若干不安であったが、ここで予定を変更するわけにはいかない。私は勇んで高松のホームで待つ事にした。

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(鳴門線が分岐する池谷駅。鳴門線と高徳線でホームがYの字に分かれている非常に特殊な配線である。画像はウィキペディアより。)

四国の国鉄全線制覇はしたが、これから帰路に着くためまたまた731Dにお世話になる。とりあえず例の「おじさん」には遭遇しなかったので一安心。この旅で3回目の乗車であるが、最後の731Dは琴平までの乗車となる。ここで上りの普通夜行列車764Dに乗り換えて高松に向かう。琴平に1時53分着で2時20分発。終点高松では3時36分着で連絡船は3時52分発。宇野に4時52分に着き、宇野線が5時2分の発車だ。こんな乗り換えを深夜から未明にかけてやらせるなんて、国鉄はいったい何を考えているのか!しかし、クレームつけながらもそれを利用している私も私だが・・・このあと私は岡山から津山線に乗り津山に向かった。

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(高架前の高知駅改札。もうこの光景は見られない。2007年訪問。)

とりあえずこの後の模様は機会があったら紹介してみたいが、基本的に「731D」の存在が無ければ2日間での制覇は難しかったであろう。また、私は先ほど「津山に向かった」と記したが、四国内にとどまり「新改」や「坪尻」を訪問する手もあったかなと、当時の時刻表を見ながら考えてしまった。しかし、当時は「いい旅チャレンジ20000km」の制覇路線を稼ぐため「ひとつでも多く」の感覚から、計画を「詰め込む」のが美学となっていた。そしてこの旅を最後に、しばらく鉄道から遠ざかる事となる・・・

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(画像はウィキペディアより。1982年当時の高松駅。手前のうどん店が若干ホームに向かって斜め気味になっているが、これは連絡船への通路が手前にあるためである。このうどん店、現在はホームと直角になたったが健在!)

1984年と言えば、某ハードロックミュージシャンが「1984」というアルバムを発表。その中に「ジャンプ」「ホット・フォー・ティーチャー」等が収録されている。いわゆる、こういう「洋楽」がブームとなり私も音楽活動を始める切っ掛けとなるが、基本「BOSS」の影響が大きい。そんな中学生から高校生にステップアップした私は鉄道以外の「夢中になれるもの」を探し求めた。そう、新しい「何かを」をも求め更に進化する「ジャンプ」を始めたのだ。その時から23年後、私は再び乗り潰しを「チャレンジ」する決意をする。そして現在はその成果が実り、沖縄の「ゆいレール」を除く鉄道路線全線制覇を果たした。
この1984年の四国の旅は、私の中では記憶が薄い部類に入るが、決して無駄な旅ではなかった。一番印象に残っているのは、小松島で見つけた「銭湯」だ。今でもハッキリと小松島の街並みを思い出すことができる。小松島線の印象は薄いが小松島の街並みは記憶が鮮明という、鉄道を乗りつぶしてる人物が発する言葉としてはいささか疑問が残りそうな発言ではあるが、逆に「鉄道以外」での新たな「発見」をすることができるようになり、子供から大人への「ジャンプ」の過程だった気もする。

昔と同じ事を今もやっているという、何とも「因果」なものであると、自分自身思う。大人になり「ものの見方」が変わったが、鉄道を「見る目」は今も昔も変わらない気がする。いや、変わったかも知れないが、やはりあの「輝かしい」中学生時代の「鉄道ファン全盛期」の時の「見る目」を忘れないでいたい。そう、それでいい。いつまでも鉄道と無邪気に戯れていても、決して悪くはないであろう。あくまで「道楽」である事も変わりは無いのだから・・・



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プロフィール

ダイヤモンド☆トナカイ

Author:ダイヤモンド☆トナカイ
創設:1969.03.09
所在地:神奈川県湘南地区

〇2013年6月11日、北陸新幹線長野駅にてJR全線制覇いたしました。
国内の鉄道は、沖縄の「ゆいレール」を残し全線制覇しました。(とは言うものの、2015年3月の北陸新幹線延伸によりJR全線制覇は「ベルト返上」しました)

★ ブログ記事の「リメイク版」は、以前にホームページで紹介した旅日記をブログでリメイクしたものです。


◎ブログの登場人物

★ ダイナミック☆トナカイ
・・・中学時代の後輩で、2013年に約30年振りに再会を果たした。数多くの写真を提供していただいた「盟友」でもある。

★ おさる・・・かつて私がバンド活動をしていた時のメンバーで、鉄道復活のきっかけを作ってくれた人物。彼とは「秘境駅」を数回訪問した「親友」でもある。

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