伊豆急への想い・・・(後編)

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(創業以来活躍した伊豆急100系。現在は1両を残し全て現役を退いた。画像はウィキペディアより。)

まず、伊豆急で思い浮かべるのが「100系」であろう。あの絶妙な車体の色は、他の私鉄の追随をゆるさない独特のものであった。また近年では「リゾート21」に象徴されるように伊豆急の車両水準は高く、国鉄車両と全く引けを取らない。また、かつての1000系時代には普通列車でもグリーン車が連結されており、さながら「東海道線」を思わせる印象であった。と言うより、東京からの直通列車が頻繁に乗り入れていたし、普通列車も伊東線と相互乗り入れをしているせいか、起点の伊東では「起点」「終点」の境目や区別が全く付かず、むしろ伊東線でさえ「伊豆急」ではないかと錯覚してしまうほどだ。そんな伊豆急100系は既に現役を退き、変わって東急8000系が活躍していた。

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(100系と並んで伊豆急で活躍した1000系。伊豆急の車両水準は高く、グリーン車も連結されていた。画像はウィキペディア。)

正直言って「8000系」となると伊豆急「らしさ」が若干失われてしまった感を否定できない想いであるが、リゾート21を普通列車として開放している伊豆急は「太っ腹」の印象が強い。そんな車両群であるが、なんといっても先ほどから述べている引退したはずの100系が「貸切」と言う名の「限定商品」で復活していたのだ!現存している100系はなんと1両で、全世界、いや、全宇宙探してもこの1両しかないらしい!かなり貴重な100系であるが、今回の訪問時に、なんと片瀬白田で偶然遭遇したのだ!!私の乗った列車との列車交換であったため「良い絵」は収めることが出来なかったが、間近で見た100系は実に新鮮で懐かしい!まさか遭遇するとは思わなかったため、事前に分かっていれば予定の組み方も違っていたであろう。やや残念な気持ちにもなったが、やはり遭遇できた喜びの方が大きい。

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(2013年訪問時に偶然片瀬白田ですれ違った100系。まさか出会うとは思っていなかったのでノーマーク!精一杯車内からカメラを向けた。)

そして帰宅の列車は、185系「踊り子」に初乗車。1981年に185系デビューと同時に特急「あまぎ」と急行「伊豆」が統合され登場したL特急「踊り子」であるが、185系自体は普通列車や「湘南新宿ライナー」等で散々乗車していた。しかし「踊り子」では全く初めてであったが、やはり「ライナー」に乗っているような錯覚に陥ってしまう。出来れば「ビュー」や「マリン」の方が断然よかったが、時間的に列車設定が無く、泣く泣く185の「湘南メッシュ」であった。

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(伊豆急下田から乗車した「踊り子」の臨時便。登場から32年が経過しているが、いまだ現役!しかしながら「特急」としての運用は、いささかクエスチョン気味の印象。)

さて、この記事が今年最終のアップになります。今年も「鉄道全線完全制覇の旅」をご覧いただきましてありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。

新年より早速伊豆急の各駅を紹介していきたいと思います。お楽しみに!




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伊豆急への想い・・・(前編)

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(伊豆急を代表する車両「リゾート21」こと2100系。伊豆高原にて。解放感ある車内は海側に座席が向いていて、完全に「リゾート気分」であろう。)

伊豆急行・・・皆様はどのようなイメージをお持ちであろうか?「温泉」「観光」「リゾート」等・・・ひとそれぞれの思いがあるであろう。私の場合、かねてからこのブログで散々紹介してきたが、私は下田に親戚があるため「観光」という感覚が全くない。幼少のころから頻繁に親戚宅に訪問していたし、このブログでも紹介したが、単独では「急行伊豆」に乗って小学生の少年がひとりで親戚宅に訪問したりと何かと馴染のある鉄道である。しかしながら「鉄道」としてはじっくりと向き合ったことが無く、伊豆急行の「味」と言うか「素顔」を見つめた事もない。そう考えると、もしかしたら「未制覇」だったのかも知れな。

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(現在の伊豆急の「主役」である熱海に停車中の東急8000系。伊豆急の「ローカル」にしてはやや物足りない気もするのは私だけであろうか?)

そういう思いもあって、一度はじっくりと訪問してみたかったが、なにせ「フリーパス」みたいなものが見当たらず、「いつかは」の思いばかりが先行していた。しかし「今度行こう」とか「来年にしよう」という考え方は、必ずや「達成」に結びつくとは言えない。ならば「行く」の決断をする以外に方法は無い!と言う事で「南伊豆フリー乗車券」を使い、なかば強引に伊豆急を巡ってみた。しかしいざ計画を立てる段階になると「全駅訪問してみたら・・・」という思いが段々とこみ上げてきた。ならばと早速頭を捻ってみて・・・出来なくもないではないか!こうなったら「全駅制覇」してみようと思い2013年10月、決断から一週間後の旅であった。
伊豆と言えば東京からは日帰り圏内であるが、私は湘南地区在住の為もっと日帰り圏内である。1日で全駅制覇は余裕でできる。さすがに親戚宅には寄れないが、ちょっと観光気分で伊豆を旅してみることにした。

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(251系「スーパービュー」。伊豆急はJRの特急が乗り入れてくる。観光路線を象徴するかのようだ。伊豆稲取にて。)

南伊豆フリー乗車券は、小田原からだと4300円で、小田原から下田までの往復料金とほとんど変わらない。そして伊豆急行線内と伊豆急行各駅から出ている主要路線バスも「フリー」である。特に石廊崎や七滝などに行くには大変重宝するであろう。もちろん特急料金をプラスすれば「踊り子」にも乗れる。そんな切符を握りしめ、私は「私なり」の使い方で、つまり「全駅下車」の為に早朝より小田急で小田原に向かったのである。

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(富戸を通過する「157系色」の185系。かつての「急行・伊豆」の格上げバージョンだ。)



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大曲劇場

相模線が通る神奈川県は寒川町に「大曲」という場所がある。寒川町を名乗っているが「大曲」は寒川町の南端にあり、どちらかと言うと茅ヶ崎の方が近く、最寄駅が「香川」である。が、その「大曲」ではない(かなりマイナーなネタで申し訳ないが・・・)。今回紹介するのは奥羽本線・大曲駅である(当たり前だが・・・)。私のブログで散々腹紹介している「1983年・東北の旅」での出来事である。

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(現在の大曲駅。新幹線がやってくるようになりリニューアルされた。昔の面影はほとんど無い。画像はウィキペディアより。)

計画段階で角館線(現・秋田内陸縦貫鉄道)制覇は非常に厄介であった。確か1日3本くらいしか列車設定が無く、チャンスは朝か夕方だ。しかしながらどうやっても予定が組み込めずにいた。ようやく検討した結果、大曲か角館から「始発」に乗る以外方法は無かった。しかし奥羽本線の夜行列車で大曲から田沢湖線⇒角館線に接続する列車は見当たらなかった。こうなったら最後の手段・・・「始発まで待たせてもらう」しかないであろう。私は計画段階で初めて「駅寝」をこの「大曲」に組み込んだ。行程的には終盤の日程となったが、その前の行程で、先述した「新庄」ではもともと1時22分から5時10分まで「待つ」計画であったが、急行「津軽54号」の「運転停車下車」のお陰で「待つ」事は無くなったが、同じ東北の旅では最初からの計画では無く、むしろ現地で急きょ予定を変更して山形駅で2回ほど「待つ」事になった。

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(かつては2面3線であったが(緑の部分)、新幹線が乗り入れてくるようになりホームが追加された(赤い部分)。画像はウィキぺディアより。)

計画段階での「待つ」は新庄と大曲のみ。で、私は奥羽本線・飯詰駅にはがきを出した。「旅の行程でどうしてもそちらにお世話にならなければならず・・・」と、いわゆる「駅寝」を申し込んだのだ。もちろん丁寧な文章で「御断り」であった。当然である。駅は列車の乗降場であり「ホテル」ではないのだ。事前にホテルの予約のような事をして「チェックイン、何時ですか?」とはならない。当然の事だ。では隣の「後三年駅」に申し込もうと思ったが「駅員無配置」の為事前の「アポ」は必要ないであろう。とにかく大曲始発の田沢湖線の普通列車(なんと機関車牽引の旧型客車!)で角館に出ない事には角館線を制覇できない。もう強行突破で後三年や四ツ小屋、和田に「お世話になる」決意のもと、東北の旅を開始した。

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(大曲駅の現在の風景。追加されたホームには新幹線が発着する。在来線ホームは若干昔の面影を残す。画像はウィキペディアより。)

角館線の制覇は旅の終盤だったので体力的には疲れて・・・無かったが、真夏と言うのに風呂に入る回数が非常に少なく衛生面での問題もあった(こんな事を記事にして申し訳ないが・・・)。しかし角館線を制覇してしまえば、あとは青森に行って津軽線を制覇すれば帰郷となる。精神的には楽であったし、青森では今回の旅で銭湯も発見している。そして「ダイナミック☆トナカイ」とも後ほど合流する事になっているので何かと都合が良い。そんな思いからとりあえず奥羽本線の最終列車で秋田から大曲に向け出発した。

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(飯詰駅は快適そうな駅舎であったが・・・残念であったが当然である。画像はウィキペディアより。)

さて、飯詰駅は無理であったので、四ツ小屋や和田でお世話になろうと列車の中から待合室を見た。すると何か砂のようなものが蒔かれている感じになっていた。何かと思いよく見てみると、なんと「羽虫」の大群であった!とてもこんなところでは一夜を過ごせない・・・もう大曲しかない。
「すみません、田沢湖線の始発まで待たせてもらいたいのですが・・・」と大曲の駅員に言うと「もう駅も戸締りしてしまうし、駅を出てくださいね」と返ってきた。これは当然の主張だ。「わかりました。でも始発に乗らないとどうしても明日の予定が狂ってしまうので・・・」これは完全にこちらの都合だ。全く職員には関係ない。「では、待合室でどうぞ。その代り扉の鍵を全て閉めるので出入りはできないけど・・・」と、親切に駅舎の窓から出入口まで全ての「戸締り」をしてくれて外部からの侵入をシャットアウトしてくれた。私が「ありがとうございます!」と礼を言うと、駅員は駅務員室に向かっていった。

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(後三年の駅舎は飯詰駅にそっくりであった(そうでもないか・・・)。しかし「治安」の関係から宿は「大曲」を選択した。これが吉と出たようだ。画像はウィキペディアより。)

真夏であるのにそれほど暑さを感じた記憶が無いが、和田駅の状況を考えるとやはり「夏らしい」気温であったろう。その上シャットアウトとは、さすがに暑さを感じずにいられなかったはずであるがそんな記憶はない。むしろ清々しいイメージしかなかった。
翌日に目が覚めると妙な事が起こっていた。外部から完全にシャットアウトされている駅舎に、初老の紳士が一名駅舎内のベンチで座っていたのだ!私は一瞬目が点になったが、即座に自身の貴重品類を確認。もちろん大丈夫であったが、何かと物騒な気分になった。

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(ウィキぺディアの画像であるが、こんな大曲駅が出てきた。なんと大正時代らしい。情緒あふれる素敵な光景だ。)

暫くすると昨日の駅員が待合室にやって来た。「アッ、昨日はありがとうございました」とお礼を言うと「よく眠れた?」みたいなお声をかけていただいて「津軽54号」に引き続き東北の「人情」に触れた気持ちになったが「そういえばあのおじさん、どうやって待合室に入ったの?」と私に聞いてきた。「いや、僕が目覚めたころには既にいらっしゃいました」と言うと職員の顔色が変わった。「確かに全部鍵を閉めたのになぁ・・・貴重品とか大丈夫だった?」「大丈夫でしたよ」と言うと「じゃ、気を付けて!」と私を送り出してくれた。通常なら完全にありえない「会話」であるが、大曲の駅員さんは私を快く送り出してくれた。そして私は田沢湖線1822列車の乗客となり角館に向かった・・・

ところで先述した「津軽54号」では「義理と人情」に触れた事を紹介した。そして今回の大曲駅での「駅寝」に関してもこうして皆様にお伝えしたわけだが基本的に私のこうした事例は「イレギュラー」である。言わば「番外編」となるわけだが、国鉄職員も「番外編」として対応してくれた事に感謝したい。そう、私は「津軽54号」の記事でも述べたが「感謝」を絶対に忘れてはならないと思う。決してこれらの「番外編」は受けて当然の「サービス」ではないのだ。あくまで「番外編」のサービスの為、通常は無いサービスなのだ。私たちはこのことを忘れてはならないと思う。そして対応してくれた職員に関しては絶対に「感謝の気持ち」を持たなければならない。そういう気持ちを持つ事で更に「道楽」である鉄道に触れるのが楽しくなるかもしれない。
そんな大曲駅を1822列車から眺めていると、まだ夜も明けていないのに「花火」のように華やかに輝いていた。



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「スーパー宗谷」で辿り着いた最果ての地

最果ての地、稚内・・・小学校時代から一度は訪問してみたいと密かに心の片隅にいた存在であった。その念願かなったのは2008年6月、小学校時代から実に30年くらいの月日が流れていた。この日の行程は、札幌から稚内まで「スーパー宗谷」で訪問し、折り返し「サロベツ」で滝川まで帰ってきて、バスで新十津川まで行き、札沼線を制覇する計画だ。乗り換え回数が少ない、イコール乗車時間が長い!と言う事になる。札幌から稚内まで片道なんと5時間!これは想像を絶する「企画」であった・・・とは自身が企てた事であるが、実際に行動にしてみるとなかなかの苦難であった。

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(最果ての地に到着する「スーパー宗谷」。左のオレンジ掛かった建物のスペースは、かつて貨物側線であった。)

稚内駅に初めて降り立った私は「最果て」の看板が私を迎えてくれた。そんな稚内駅の歴史の紐を解いてみると・・・初代の稚内駅はなんと現在の南稚内駅であることが判明する。なるほど、構内には留置線ほか多数の線路が張り巡らされ、かつては「機関区」も存在した。1922年の開設当時から樺太方面への連絡船「稚泊航路」の接続駅として活躍していたが、桟橋まで2キロと距離があり過ぎる。その間を旅客は歩いて移動していたというから、何とも考えられない「時代」を象徴しているようだ。やがて桟橋に線路が延長され当時の稚内駅は南稚内に改称され現在に至っている。

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(現在、唯一残る1番線ホームに停車中の「サロベツ」。2013年より「当分の間運休」となりその姿は見れない。いつになったら復活するのか・・・)

現在の稚内駅の開設は1928年となっており、南稚内駅よりも若干「若い」。現在は棒線化され余分なスペースが無くなりシンプルになったが、私の知っている稚内駅はかなりの側線と機回し線があった。そして私の訪問した2008年6月は、島式ホーム1面2線であったが、側線はほぼ全て無くなってしまい、かつての側線スペースには建物が建っていた。しかしながら鉄道誌などで見た昔の面影がまだ健在で、遥々来た甲斐があったというものだ。

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(東京より約1600km弱の距離の「最果ての地」。まだまだSL時代の面影が残るホームは時代を感じる。)

最果ての地・・・ホームから最果ての「看板」を見ると、その向こうにはかつての「ドーム」が見えている。ここからかつては多くの人が樺太に向かったことであろう。いつだか、稚内から樺太までなんと「海底トンネル」の計画が存在したと聞いた。実は、私は海外旅行には全く興味が湧かないが、この樺太とオーストラリアには一度訪問してみたいと密かに思っている。特に樺太については、かつての日本の鉄道の面影があると聞く。そんな歴史に触れてみるのも良いかも知れない。

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(最北端の車止めの先にもかつて線路があった。右奥にはあの「ドーム」が見える。)

もうひとつ私の夢ではあるが、出来れば「利尻」を臨時でもいいので運転していただき、14系座席客車で寝台も1両連結していただくとなお結構。そんな列車で夜明けとともに、この最果ての地を訪れてみたい・・・と思うのは贅沢であろうか?



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「スーパー宗谷」で行く最果ての旅(後編)

札幌を出た「スーパー宗谷」は旭川までは電化区間を走る。私の訪問時、旭川駅はまだ高架化されていなかったが、工事は既に始まっており「いずれ」の雰囲気であった。旭川駅の構内は広く側線が多数あり、特に富良野線は他のホームと若干離れており乗り換えに不便であったが、2011年11月23日に全面高架化が完成した。その結果、当然ながら富良野線の「単独行動」は無くなり、みんな仲良く収まった形になった。

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(宗谷本線の中心的存在の名寄。「名寄本線」「深名線」の姿はもう無い。)

「スーパー宗谷」では当然車内販売があり、私は「酎」を購入。たまには贅沢してもいいかなと「これが無いと始まらない」思いで北の大地を眺めていたが、若干視点が定まらない・・・こういう場面ではいささか飲み具合が進んでしまったようだ。
名寄駅に着く。かつては名寄本線と深名線が分岐していたが、現在はどちらもその姿が無い。特に深名線は1995年まで活躍していた「特異」なローカル線であった。とはいうものの、晩年は次々と駅が無くなっていき、過疎地帯を走る路線の姿が完全に浮彫となった状態であった。その昔には、廃駅を自治体に告げたが沿線住民に話が届いておらず、その駅から通院するご年配の方々が孤立してしまうという「事件」もあったくらいだ。改めて「過疎化」の実態を考えさせられる出来事であったろう。

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(雄大な景色が延々と続く。北の大地は果てしない・・・)

音威子府を過ぎ幌延に着くと、完全に「ローカルモード」の雰囲気が出ており、どことなく寂しさが漂うが、かつては留萌からくる羽幌線の接続駅であった。現在は全くとは言わないが面影が無い。そんな車内で飲む「酎」はなかなかの進み具合であるが、幻想的な景色もまた「つまみ」になるのが嬉しい。
南稚内を過ぎると終点・稚内に着くが、その稚内については別途スペースを設けることにしよう。

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(確か幌延であったと思うが、音威子府だったかもしれない。どちらにしても「分岐」していた路線の姿は無く、すっかり一匹狼となってしまった。)

稚内では約20分位のインターバルであったと思うが、駅前にあるスーパーで昼食を買いに行った。駅で写真を撮ったりしていたらなんとその時間は5分に縮まっていた!その5分でスーパー内で弁当その他を買う。もう景色だ風情だなんて言っている暇がない。もう必死だ。結果的に折り返す「サロベツ」には間に合った。こちらはキハ185仕様であり、若干「スーパー宗谷」より速度は落ちるが、こちらも「初」であり乗るのが楽しみだ。とは言え札幌から片道なんと約5時間!さすがに特急と言えども精神的に迫りくるものがあった。

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(かつては急行であった「宗谷」。現在は「スーパー」が冠されてスピードアップ!)

なんだか飲んだ飲んだの連続でグルメレポートみたいになってしまったが、かつてのキハ58で札幌からやってくるのも体験してみたかった。そしてここ、宗谷本線は夜行急行列車「利尻」が運転されていた・・・14系や12系でやってくる稚内も相当の気分であろう。そんな事を考えながらやって来た「北の果て」は、6月と言うのに荒涼とした風が吹いていた。


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「スーパー宗谷」で行く最果てへの旅(前編)

などと偉そうなタイトルをつけてしまったが、本当は「鈍行列車」で最果ての地まで行ってみたかった。しかしまだ当時は「制覇途上」であったため、どうしても限られた日程での旅となってしまう。2008年6月、宗谷本線制覇の為、札幌から「スーパー宗谷」に乗り一路稚内を目指した。本当は先ほども触れた「鈍行列車」に乗りひと駅ひと駅じっくり確認してみたかった。特に音威子府では、あの「常盤軒」での食事をどうしても体験したかった。だが、やはり予定がどうしても組めず、次回に回すことにしてしまった。

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(札幌駅に停車中の「スーパー宗谷」。当時、国鉄時代しか知らない私にとってこの宗谷は「全く新しい」存在だった。)

そんな中、とりあえず「制覇」だけはしておこうと「スーパー宗谷」での旅となったが、もともと「宗谷」はご存じキハ58の急行列車であった。札幌~音威子府は急行「天北」を従え北を目指した。音威子府では宗谷と天北は切り離され、天北はその名の通り天北線経由で稚内へ向かう。天北線とは、旧・宗谷本線であることは周知の通りであるが、途中の浜頓別で分岐する興浜北線と共に現在は既に姿が無い。

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(札沼線とのツーショット。現在、札沼線は電化されさらにパワーアップした。この時代に北海道の路線で唯一、飛躍した路線であろう。)

一方、残った宗谷本線を経由する「宗谷」はキハ261に車両が変更され特急に格上げされた。旭川~名寄は高速化の工事も施され、実質スピードアップが図られた。キハ261は若干国鉄の183系などのフォルムを受け継いでいるものの、青を基調とする前面は実に斬新。とても「気動車」とは思えない車両に映る。そんな「宗谷」に乗ってみるのも実にいいかも知れない気持ちにもなり「各停でじっくり訪問」は次回にして今回は稚内を特急で往復する事にした。

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(アクティブ・エア・サスペンション?こういう「技術系」に疎い私には「理解の範囲外」となってしまうが、気動車ながら、さぞかし素晴らしい装備であることであろう。)



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☆「約30年振りの再会」の記事に登場した「桜木町」の写真について、ダイナミック☆トナカイ本人よりメッセージが届きました。原文のまま追記したので興味のある方はご覧下さい。

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姿なき挑戦者⑨ 急行・おが

1983年8月「東北乗り潰しの旅」の中で私は「急行・津軽54号」に乗り山形駅に「運転停車」なのに下車させていただいたのは先述した。山形より新庄に戻るため、急行「おが」に乗り奥羽本線を北上するのは当然深夜から未明にかけての行為であった。だが私は山形駅に入線する「おが」を見て驚いた。なんとオール20系の寝台客車編成であった!この旅の計画段階でこの「おが」が寝台急行では無く通常の急行列車である事は事前知識があった。そして新庄では陸羽東線との接続がものすごく良い事も知っていた。だが、まさかこんな形で乗車できるとは思わなかったが、更に20系というサプライズ!新庄で下車するのが非常にもったいなくなってしまった。

と言うのは、乗ってみてまたびっくり。私は「東北ワイド」のためもちろん「自由席」へ。なのに普通に「寝台車」で座席ではない。つまり、今でいう「ゴロンとシート」のような形で自由席として開放していたのだ!だが山形~新庄まではおよそ1時間。こんな短い時間しか乗れないなんて・・・

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(「寝台急行」ではない通常の「急行列車」として季節運転になった「おが」。とは言うものの20系寝台車を座席で解放とは!画像は「日本の旅・鉄道見聞録」様提供。)

この夜行急行「おが」は、私の乗車した1983年では既に「季節運転」に格下げされていたが、このお盆の帰省時の運転に乗客はほんの僅か。もちろん私は「ワンボックス」占領できた。普通なら仮眠にちょうどいいが、これじゃ仮眠どころではない!!逆に興奮してしまい、暗くて何も見えない窓を眺めては中段や上段に席を移したりと・・・1時間などすぐに過ぎてしまった。

この東北の旅で「津軽」「八甲田」等の夜行急行をフル活用。この旅の「宿」として活躍した。そしてこの「おが」も宿として同じ旅の中で行程を組み込んでいた。今度は北上線で横手に20時48分に着いた後に22時13分発の「おが」に乗り、深夜の福島に2時42分着までの「宿」となる予定を組んであった。もちろん既に「おが」の編成については事情を知っている。完全に「おが」に乗るのが楽しみになっていた。だが、あまりの快適さに「もしかしたら寝過ごして上野まで行ってしまうのでは?」との思いから、福島で折り返し山形に向かい左沢線の乗車を予定していたが、福島で目が覚める自信が無くなり山形で下車。深夜0時55分の事だ。もったいない・・・

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(方向幕を見てお判りであろう、20系客車である事が。1983年に訪問の際の一枚であるが、秋田~男鹿は「普通列車」に変身!)

更に同じ行程の中、今度は大曲から福島まで行き折り返し急行「津軽」で山形まで行き、山形始発の赤湯経由長井線直通列車に乗車予定であったが、これまた山形で下車してしまった。やはり快適すぎて目覚める自信が無かったのだ。結局山形駅が「宿」と、結果的になってしまったが、やはり上野まで行ってしまう事より良いであろう。と言うより、旅の行程の最終日にこの「おが」を組み込めばと、既に結果論であるが大変に悔しい思いを中学生ながらにした。

20系寝台車仕様の「座席急行」である、非常に印象的な列車であった。3段式のB寝台を「自由席」として開放していたのは、おそらく車両のやりくりの中で余剰の20系が充てられたと思われるが、私にとってみたら思いがけない「サービス」であった。変な話、と言うより以前から言っているが、例えば「ムーンライト」などでこういう車両の使い方をしてくれると「18派」には大変重宝するのではないのであろうか?「ながら」が185系に変わったが、むしろ583系でもいいのではと私は個人的に思っている。いっそのこと24系などにしてしまえば快適な旅になるのでは?と思う。もちろんこれは経営者側の事情を全く考えていない意見であるが・・・

この列車は上野~男鹿までの運転であった。だが秋田~男鹿はなんと「普通列車」に変身する!つまり20系の寝台車が普通列車として開放。地元の「学生諸君」も普通に乗車してくるわけだ!20系で通学する学生・・・いったい彼(彼女)らはどのような思いでこの列車に乗っていたのであろうか。


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姿なき挑戦者⑧ 急行・津軽54号

あなたは列車で旅をしていて通過駅で下車したことがありますか?私は自信を持って「だからホラ、ハッキリ言って、あるよね。(わかる人は拍手お願いいたします!By超世代軍の旗手)」と言おう。と自慢する事でもないが、1983年の「東北乗り潰しの旅」において、この通過駅での下車は以前に紹介している事である。ブログ開設当初からご覧になっていただいている方はご存じであろう事柄であるが少々お付き合いいただければ幸いである。

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(私の乗車した臨時列車「津軽54号」。12系の客車急行列車であった。)

1980年代は客車急行列車が全国各地に多く存在したが、特に上野口から出ている「八甲田」「十和田」「津軽」等は私が良くお世話になった急行列車で、特に「津軽」は14系座席の急行列車であったのでさながら「特急」を思わせる。14系座席車だと座席がリクライニングでき、更に「回転式」の為クロスシートにも変身できる優れものであった。今回はプロパーの「津軽」でなく「54号」なる臨時列車の紹介であるが、もちろんプロパーバージョンにも乗車したことがある。が、今ではこうした急行が無くなってしまいいささか寂しいが、青森方面に行けば特急ながら「つがる」の愛称が今も健在なのが嬉しい。「54号」は臨時列車のため12系客車が担当。1980代の客車急行らしい客車急行列車であった。

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(1982年頃の「津軽」。10系寝台+12系客車の編成。こんな列車が上野口では数多くみられた。画像は「日本の旅・鉄道見聞録」より。)

1983年の「東北乗り潰し」の際の事である。阿仁合線(現・秋田内陸縦貫鉄道)制覇の後、鷹ノ巣から急行「津軽54号」に乗り新庄に向かった。新庄からは陸羽東線を制覇するために新庄で「始発まで待たせてもらう」事になっていた。新庄着は確か1時20分頃であった。1時22分発で次の停車駅がなんと福島である。座席急行でありながら、しかも臨時便なのに山形を「通過」するとは、よほど格式高い急行列車なのであろう。
そんな事を考えながらうとうとしていると、気が付いたら時計の針が(と言うよりデジタルが)1時23分頃を表示していた。一瞬顔が青くなりゾッとした。よく人は「顔が青くなる」と表現するが、実際に「純青」になる事はおそらく無いであろう。しかしこの時は本当に顔が青くなった。と言うより「蒼く」と言う表現の方が合っているかも知れない。福島まで停車駅がないとなると今後の予定に大きな狂いが生じる。私はすかさず最後尾の車両に向かった。そう、カレチに相談だ。

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(12系客車のイメージ。写真はJR化後で「SL北びわこ号」であるが、若干青色が薄めになった感じなのは気のせいか。画像はウィキペディア。)

「すみません、新庄ってまだですか?」わかってはいたが、私は自身の時計が若干進んでいるか列車が遅れている事を密かに祈っていた。「今でしょう!(とは言わなかったが、雰囲気的に「流行語大賞」のような感じで)。今でたばかりだよ。」私はカレチの言葉に落胆してしまった。だが瞬時に「起き上がり小法師チョップ」のように立ち上がり今後の予定を組み替える作業に取り掛かった。と同時にカレチ氏も何やら自身のダイヤグラムを眺めていた。「じゃ、山形で降りて下さい。そうすれば下りの急行「おが」に乗り新庄に行かれるから。2時20分頃になったらまた車掌室に来てください。」と私に指示した。「あっ、ありがとうございます。」と私は自身の座席に戻った。

山形で降りる・・・この列車は時刻表上では山形は「通過」なのだが、実は乗務員交代などを行う「運転停車」のため山形に止まるのだ。そう、私は「運転停車」の駅で下車させていただく事になったのだ。もちろん、国鉄の「規則上」では旅客扱いはできない事になっているはずだ。しかしながらこの時の車掌の判断で私は助かった。

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(画像はウィキペディアより、12系客車の車内。現在は「SL」等に牽引され全国各地で活躍している。)

山形が近づくと私は列車のテールに向かう。私を確認するとカレチ氏は私を「乗務員室」に招き入れてくれた。「そういえば乗車券は?」私はすかさず「東北ワイド」を見せると「周遊券か。問題ないね。」と、「乗務員室」でこんなやり取りが行われ暫くすると山形に到着した。私は車掌に「この人です、お願いします。」と山形駅の駅員に身柄を引き渡された。何だか護送されてきた気分になってしまったが、それよりお客様の出入口ではない、いわゆる乗務員専用の扉から列車を降りる時の感動は今でも忘れない。もちろん初めての行為であるし下車したのは私のみである。あっ、運転手さんも下車しました!私は車掌と山形駅の駅員さんにお礼を言うと、乗り換える急行「おが」を待たせてもらうために待合室に向かった・・・

かつて国鉄はかなりの「クレーム」が多発しており「サービス業」として遺憾と思われる場面が多々見られた。RJ社(当時)の「旅と鉄道」に掲載されていた「種村直樹の汽車旅相談室」を私は毎回熟読していた。当時は中学生だったのでわからなかった事も多かったが、自身が旅に出て経験した事やこれから体験するであろう興味深い記事も多数掲載されていて、読んでると時間の経つのを忘れてしまっていた。そんな「相談室」にも「接客」や「切符に纏わるトラブル」等が多く掲載されており、さながら職員の勉強不足や怠慢が多くのお客様に迷惑をかけている事が多いと知った。もちろんそれだけでなく「お客様の視点に立って」くれる職員の話も多く掲載されており、なかなか読みごたえがあった。
そんなレール雑誌を愛読していた私が改めて当時を振り返って・・・やはりこの「運転停車」での私の下車は「車掌の判断」で実現したものの、実際の規則上は「NG」であるはずだ。

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(青森駅で出発を待つ「津軽」。青森駅と客車列車はなぜかマッチしている。ちなみにこれは私が撮影。確か1979年の「津軽」であった。)

私たちが生活していく中での「サービス」とは一体何なのか。そして私たちはどんな「サービス」を求めているのか?もし、私たちがいつも利用している各駅停車などに乗車している際、例えば車掌が乗客ひとりひとりに「おしぼり」や「お茶」等を配給して来たらあなたはどう思うであろうか?私ならこれを「サービス」とは思わない。こんなことをするのなら「そのサービスを受けないから料金を下げてくれ」と要求するであろう「過剰サービス」となる。本当の「サービス」とは、もし列車を利用していたとき、何らかのトラブル時に「お客様目線」で立てるかどうか、「杓子定規」をいかに柔軟に「解釈」していくかであろう。私は多くのお客様が「おしぼり」より「柔軟性」の対応の方が嬉しいであろうと思う。

この時の運転停車による私の「下車」は、私の事を「家出少年」と疑ったりもせず、また子供と思い乱雑に扱ったりもせず、ひとりの「お客様」として柔軟に対応してくれた。この事に私は本当に感謝したい。だからこそ思うのだが、それこそ本来の「サービス」なのかも知れない。当時の国鉄には怠慢な従業員ばかりではない、むしろこういう柔軟な従業員の方がたくさんいたのではないか?と信じたい。お客様が困っていたら「拡大解釈」ではないが、規則などに縛られず柔軟に対応してくれた姿勢・・・これぞ最高の「お・も・て・な・し」ではないか!私は冒頭で「自慢ではないが」と述べたが、訂正して改めて「自慢したい出来事」として皆様にお伝えしたい。
義理と人情の旅・・・どこかの旅番組で聞いたような台詞であるが、急行「津軽54号」はそんな事を私に教えてくれた唯一の列車でもあった・・・


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約30年振りの再会

私は中学校時代に学校のクラブ活動「鉄道研究クラブ」に所属していたが、先日、約30年振りくらいに当時の「後輩」との接触に成功した!久々の再会に昔話に花を咲かせたが、その際に彼より数多くの「お宝写真」を提供していただいた。本人にご協力いただき私のブログで順次紹介していきたいと思うが、ハッキリ言ってかなりのお宝が眠っていた!紹介を兼ねて一部を公開してみよう。
ちなみにこの後輩のハンドルネームは・・・「ダイナミック☆トナカイ」としよう。


この記事の写真は全て「ダイナミック☆トナカイ」提供。


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本人には確認していないが、おそらく豊橋と思われる「飯田線」であろう。多分であるが「鉄道研究クラブ」で清水港線へ訪問の際の一枚で、清水港線訪問後に二俣線(現・天竜浜名湖鉄道)へ訪問した際のものであろう。私も別角度から同じ車両の写真を以前にこのブログで紹介している。



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東海道線・茅ヶ崎駅にて、なんと客車バージョンの「踊り子」は懐かしかった。こんな写真を私の知らぬ間に撮影しているとは!私も以前に所有していたはずであるが現在は紛失中。EF58牽引で、確か「サロンエクスプレス・東京」の車両であったと思う。



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これはもう完全に「鉄研」で訪問した際の「赤谷線」の東赤谷で撮影とわかった。1984年の廃止直前である。私は既に「卒業生」であったが、この時3年生を迎えた「ダイナミック☆トナカイ」は、なんと鉄道研究クラブの「部長」に昇格していたと聞いた!



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これは彼の単独での撮影であろう山形駅にて。親戚が奥羽本線・中川駅付近にあるため、山形にはよく訪問していたらしい。客車+気動車の変則編成はメチャクチャ貴重である!




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最後は・・・見慣れた車両であるが、なんと根岸線・桜木町駅での撮影らしい!何ともミスマッチなこの画像は、当時の高校生活の中で「ミステリートレイン」のような臨時列車を自身が企てたのか最初から企画していたものに乗車したのかは聞きもらしてしまったが、とにかく企画もので相模線⇒東海道線(貨物線)⇒新鶴見⇒根岸線⇒東海道線⇒相模線と運転されたらしい。左側の広い空間は一瞬「東横」の跡地と思ったが、当時はまだ現役であったはず。そう、それは「反対側」であった。



こんな写真がまだまだ出てきます。今後頻繁に登場しますが「ダイナミック☆トナカイ」をよろしくお願いいたします!



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一番下の画像「桜木町」の件に関して、ダイナミック☆トナカイ本人よりメッセージが届きました。「続きを読む」をクリックすると本人の原文のまま解説がご覧になれます。

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鶴見線散訪⑪ 浜川崎

最後は浜川崎を紹介しよう。今回の鶴見線訪問での「ファイナル・ステーション」となったこの駅は、ご存じの通り、南武支線の乗換駅でもある。かつては貨物駅としての地位が高かったが、その貨物側線も現在は草に埋もれており、その一部では南武支線や鶴見線の旅客列車の留置線として使用されている。
浜川崎駅は鶴見線と南武支線の駅であるが、戸籍上の所属は、なんと東海道本線である。そのカラクリは、東海道貨物支線も合流し、浜川崎駅はこの東海道貨物支線の駅であるがゆえに「俺は東海道だ!」と名乗っているのである。そう、主役は「貨物」であるのだ。しかしそれは過去の話。現在は貨物の発送はほぼなくなったと聞く。だだっ広い構内は錆びついた無数の線路が幾多も残る。
それと、扇町同様、川崎市内にあるのになぜか「浜」マークがあり、遠距離切符では横浜駅からの計算となる。
鶴見線ホームも南武支線ホームも島式ホーム1面2線であるが、南武支線では恐らく片側しか使われていないと推測する。また、鶴見線と南武支線では創設当時は別会社であったため、駅が別れており改札が別になっている。乗換の際は間を挟む道路を渡って互いの乗場に向かう事になる。私の訪問した1980年頃には南武支線側の改札には駅員の姿があったが、1993年に無人化されたらしい。今回の訪問時には駅事務室は完全に塞がれており、人の気配は無かった。
個人的にあまり良い思い出の無い浜川崎駅であったが(あえてその事には触れないが)、今回の訪問である意味吹っ切れた部分もあり、再訪してよかったのかも知れない。久々の鶴見線訪問はなかなか「歯ごたえ」があったように思えた。しかしながらその姿はかつての盛栄は感じられず、ただただ錆びついた貨物側線だけがやたら目立っていた。あれだけの貨物設備があったから「まさか」とは思ってはいたが、やはり現実は厳しかった。鶴見線の貨物は既に「過去」となってしまっていたのだ。


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1980年頃に訪問の際の駅名表。バックの景色は全く現在と変わっていない!



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2013年訪問時の駅名表。JR東日本の駅名表が実に初々しい感じがするのは私だけか?



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浜川崎駅の鶴見線ホーム。やはり細く感じるホームは昔と変わらない。右に見える高架橋は東海道貨物線だ。



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こちらが本来の浜川崎「駅」。広い構内には貨物側線が多く敷かれているが、どうやら半分くらいしか使っていないようだ。



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跨線橋を渡り南武支線側のホームに向かう。鶴見線側は基本的に駅舎が無い。



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なかなか渋い商店を通り過ぎ、横断歩道を渡ると南武支線側の駅舎に到着。



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南武支線側の浜川崎駅は、駅事務室は完全に閉ざされ人の気配が無い。通常は左側のホームを使用している。



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すぐ横を貨物列車が走る。まだまだ貨物は健在であったが、浜川崎駅発送の貨物はほぼ皆無となってしまったのであろうか?


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そして私は南武支線で八丁畷に向かった。



今回の訪問で感じたことは、本文でもかなりの頻度でお伝えしているが、私の想像以上に貨物の衰退が感じ取れたことだ。前回訪問時の事を考えると全く考えられなかった出来事であったが、やはり時代の流れなのか・・・と思うが、まさかここまでとは、ほとんど私の頭の中には描かれていなかった。全くのノーマークであったが、使われなくなった線路もほとんど撤去されず現在も残っている事は、逆に鶴見線の歴史を肌で感じることが出来る事であろう。私は今回初めて一部の駅を降り立ってみたが、やはり「埋立地」印象が、末端に行くほど濃くなっていった。これは昔から変わらない。この埋立地を走る路線の駅名を見て感じるのは、物凄い人物がかかわっていた路線であるとともに、例えば「安善」さんにしてみてもこの鉄道にかける思いは半端ではなかったであろう。地味に埋立地を走る「国電」ではあるが、歴史の紐を解いて見ると、こんな「華奢な」ローカル通勤路線でも途轍もなく輝かしい時代があったことに気付いた。と言うより、このすごい「駅名」達の、この路線に対する「期待」がものすごく込められ凝縮された「臨港鉄道」であった。

33年前に訪問した時は全くそんな事を考えなかったし「いい旅チャレンジ20000km」の制覇記録を更新する事しか生きがいを感じなかった小学生であった。こんなことを言うと「私も年を取ったなぁ~」と思ってしまうが、還暦まではあと16年位ある。その「16年後」にはどのように鉄道は変わっているのであろうか。そして鶴見線はどのように変化しているのであろうか。南武支線の窓から消えゆく鶴見線を見つめながら、そんな想いが心をよぎった。



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鶴見線散訪⑩ 扇町

安善から一気に扇町まで来た。何度か訪問しているが、駅舎を出るのは初めてである。ここ、扇町も広い構内にたくさんの貨物側線が敷かれているが、その多くは「鶴見緑地」になっていた。だが、現在も貨物扱いがされているが、貨物取扱駅は旅客駅より若干北側にある。また、浜川崎~扇町間は複線に見えるが、旅客も貨物も単線化されていて、実質「単線並列」である。扇町より先には貨物線が今も伸びている。その先にはJR東日本自前の火力発電所があり、JR東日本の首都圏の電力のほぼ9割近くをここで賄っている。四方を運河に囲まれた場所に駅があり、昭和電工も付近にあるが、そちらは隣の「昭和駅」の方が最寄であろう。


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1980年訪問時の昭和駅の駅名表。こちらの方が昭和電工に近い。


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扇町に到着。貨物側線に背を向けるように旅客ホームがある。しかし貨物列車が通っている気配は感じなかった。



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貨物側線は一応架線が張られているが、線路はかなり茶色が濃い。撤去されている部分もあり、やはり貨物は北側の専用駅までしか来ないようだ。


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扇町より更に先には火力発電所に通ずる鉄路が存在するのだが、こちらも既に「使用済み」の雰囲気。



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ホーム側から駅舎を眺める。若干簡素な印象だ。



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近くで見てもやはり簡素だ。一応「スイカで~」は1基しかない。


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休日のせいか、人影は私のみ。一応「浜」印が存在をアピールしているが、なぜか川崎市内にある。つまりここから乗っても新横浜から乗っても遠距離切符は横浜駅から乗車したことになる。


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そしてここで折り返し浜川崎から南武支線に乗り換える事となっている。



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大きな玉ねぎの下で

2013年12月11日、去年に引き続き「玉ねぎ散策」に出た。前回はVSEでの出航となったが、今回は「エクセレント・エクスプレス(EXE)」での旅立ちとなった。EXEであると若干物足りない気もするが、待ち時間の関係から仕方なくの選択。と言うとEXEファンには申し訳ないが、若干東京巡りをしてきた。
「武道」の聖地として有名な千鳥ヶ淵を毎年散策に来ている私であるが、今回は入り口の門の補修工事中であった。そんな事はどうでもいいが、毎年この時期の散策はいささか賑やかだ。

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今回はEXEで参戦。前回のVSEに比べると若干気持ち的にブルーになるが、新宿まで座っていける事には変わらない。まずは本厚木より。


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いつもと変わらずの車内。昼間の為車内販売もあって便利だ。


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千鳥ヶ淵に着くと「大きな玉ねぎ」が見えてくる。だが12月の千鳥ヶ淵は冷たい風が頬を打つ・・・


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これが日本武道館。コンサートイベントでは約1万人の収容が一般的であるが、スポーツイベントでは1万6千人くらいのキャパである。今日も何かのイベントがあるらしい。


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駐車場に移動してみた。何やらイベントのモノと思われるトラック数台が駐車されていた。


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なかなかの車が停車していた。撮影の際にお声を掛けさせていただいたが、やはり皆様いい人ばかり。快く撮影に応じてくれた。(車の写真は全て所有者の許可を得て撮影)

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そんな千鳥ヶ淵は、夕暮れとともにイベント開演の時間が近づいてきた。今夜はどんなイベントが開催されるのであろう・・・


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鶴見線散訪⑨ 安善

安善と言えば、近年に大川支線の起点駅となった。構内は広く、貨物側線が今も健在で、貨物車両も若干見かけた。安善駅の駅員は、貨物駅側の「本屋」にいる。本来の業務は「貨物」であるが、近年では貨物の減少とともにその役割も薄れてきたであろう。しかし、今もまだ「本来の姿」が見れるので「その道の人」の人気は衰える事は無いであろう。
安善の駅名は、私が説明するまでも無く安田財閥の創業者であり鶴見臨港鉄道を支援していた「安田善次郎」が由来である。
かつてはここから浜安善という貨物駅までの引き込み線があった。浜安善は廃止されてしまったが、線路は今でも「構内側線」という形で残っている。
大川支線は本線と同じ島式ホームから発着して武蔵白石手前で分岐する。大川支線専用のホームは存在しないが、例えば乗り換えの際は跨線橋などを使わないので便利である。


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かつては「安全」にあやかって切符が売れた時期もあったとか。「浜」が眩しいくらいに煌めく。



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鶴見線全体に言える事であるが、島式ホームは狭い印象。通勤時には人が溢れないか心配だ。



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構内踏切は列車が近づくと閉まる仕組みだ。もちろん「スイカで~」もしっかりと存在。



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無人の駅舎には、付近の住民のものと思われる「交通手段」が各種顔を見せていた。



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こちらは安善駅の「本隊」。職員はこちらで従事している。



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で、この後は一気に扇町に向かう。



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鶴見線散訪⑧ 大川

大川にやって来た。大川と言えば、ご存じ「大川支線」の終点である。かつては旧型国電の単行列車が運転されていたが、現在は車両の老朽化と共に現在の形になり、武蔵白石のホームは撤去されてしまった。私の前回訪問時には当然ながら「単行」が存在しており私も乗車したが、木造の床などは当時小学生の私でも不思議な感覚に陥った。私の小学校低学年の頃には御殿場線にも旧型国電が運転されており、学校のメンバーなどで「ファミリーランド」等に行く時に「スカ色」の旧国に乗車した記憶がある。しかし鶴見線のこげ茶色のそれとはまた別の感覚であった。
大川駅と言えば、かつては構内で貨物の入れ替え作業が間近で見られる事でレールファンの間では密かに人気があったが、現在はその構内も旅客ホームに接する線路以外は「ペンペン草」である。駅付近には「日清製粉」があり、かつては専用線も引き込んでいた。
かつては日中にも運転があったが、現在は平日でも日中の運転は無く、朝晩の通勤時間帯のみの列車設定となってしまった。と言う事は、ここ・大川駅に列車で訪れるには朝か晩しかできないことになる。


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大川に到着。小学生時代以来の訪問で、実に33年振りである!が、基本変化は無かった。車両変更により若干ホームが延長された事くらいか。



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久々の大川は、旧型国電でないと逆に違和感があった私だが、やはり休日とあって利用者は僅少に近かった。



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私にとっては初めて見る「改札口」である。前回訪問時には駅名表と自分のツーショットを収めたに過ぎず、いい旅チャレンジ20000kmの「義務」もあってか、すぐに折り返した。もちろん「スイカで~」も設置されている。


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ほぼ創業当時と変わらずの佇まいと思われる。そろそろ外観を塗装しなおしてあげたい気分にもなる。



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右側にはかつての貨物側線が存在。現在は「棒線化」状態の大川駅。



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この先にも鉄路があった事であろう。しかし列車の通らない部分は「緑地」になっている。



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8分の停車後、折り返し「安善」に向かった。



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ちなみに1980年に訪問の際の「武蔵白石」。言わずと知れた、かつての大川支線の起点でもあった駅だ。


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鶴見線散訪⑦ 浅野

浅野駅は海芝浦支線を分岐する駅であるが、複線同志の分岐駅で平面交差での分岐である。そのため構内の配線は複雑であると思われがちであるが意外と単純である。平面交差の分岐駅と言うと「京王」の各分岐駅が平面交差での分岐であるのは有名処であるが、今日(こんにち)の運転本数や乗降客を考えると、小田急・相模大野のような立体交差での分岐の方が何かと安全であるのは言うまでも無いが、やはりこれは歴史的な悪戯か・・・
だが、決定的に京王と違うのは、京王は下り列車から見てホームから列車が出発して分岐するのに対し、鶴見線・浅野は分岐してからホームに着く事である。つまり海芝浦方面と本線とホームが別々にあり、既に分岐された状態で列車がやってくる事になる。更に浅野駅の特徴としてはホームがYの字に分かれている事である。似たような事例として富山地方鉄道の寺田などのような感じか。
しかしながら、平日はともかく、休日ともなると構内はガラ~ンとしており人っ子一人ない、とは言わないが、それくらい閑散としている。更に平日でも日中等は川崎駅に直通する路線バスが付近を走っており、本数が制限される鶴見線よりは至って便利であるためバスの利用者は少なくない。
ちなみに「浅野」の駅名であるが、鶴見線の前身である「鶴見臨港鉄道」の創設者・浅野総一郎からの由来である。


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とりあえず海芝浦からやって来た私はここで乗り換える。と言う事は先ほどもここにやって来た事になる。前回訪問時とほとんど変わっていなかった。



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本線のホームから海芝浦行方面のホームを望む。やはり昔と変わらない風景。



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海芝浦方面からの上り列車ホームから海芝浦方面下り側のホームを望む。海芝浦支線のホームは対向式ホーム2面2線に対し本線は島式ホーム1面2線とやや変則気味なのが特徴。



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同じく海芝浦支線の上りホームから海芝浦行の下りホームを望む。恐らく開業当時からほとんど変化が無いのであろう。



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浅野駅の駅舎は海芝浦方面下りホームの先にある。もちろん「スイカでターッチ!」も後付で存在。


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このホームの先に駅舎がある。構内は広いが乗降客は各々の駅から比べれば少ない順位となる。



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駅前から川崎駅への直通バスが出ている。日中は鶴見線を利用するよりは便利であろう。



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本線の島式ホームは意外に細い。ここから私は大川に向かう。


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鶴見線散訪⑥ 海芝浦

レールファンにとってはお馴染み、海芝浦駅。改札を出ても東芝の工場以外に行くことが出来ない特異な駅として有名。「もっとも海に近い駅」は全国に数あれど、この海芝浦は正真正銘No.1であろう。海芝浦駅は東芝の私有地内にあり、東芝職員や関係者以外には基本的に「下車」することが出来ない。もちろん駅舎の外観なども「許可」を受けなければ撮影する事が出来ないという、何かと「制約」がある駅であるが、近年では「海芝公園」なる空間が登場。海芝浦駅に訪れる「目的」が追加され選択肢が増えた。このため、東芝の関係者やレールファン以外の訪問者はほぼ皆無であったと思われていたが、海芝公園開設に伴い「一般客」も増えた。ある意味「秘境めいた」空間でもあるが、駅から眺める横浜の海は「100万ドル」とは言わないが「70万ドル」くらいの夜景が楽しめる。そういう意味では「人気スポット」の候補にもなるのか・・・前回の訪問と今回の訪問で決定的に違うのは「海の眺め」である。前回訪問時には無かった「鶴見つばさ橋」がある事だ。もっと遠くには「ベイブリッジ」も見える。首都高速は散々通っていたが、まさか海芝浦駅から「鶴見つばさ橋」が見えるとは・・・時代も変わったものだとつくづく思う。などと年寄染みた話になってしまったが、もし、心寂しくなったりひとりになりたいと思ったら、迷わず「海芝浦」に行くことをお勧めする。ホームに足を踏み入れた瞬間、あなたをきっと幻想的な世界へと導いてくれる事であろう。


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海芝浦駅外観。許可を取って外観を撮ろうと思ったが、ちょっと勇気が無かった。ので画像はウィキペディアより。


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海芝浦に到着。左の建物は当然「東芝」。下車客は「休日出勤」の関係者約10数名ほどであった。



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本来、この絵も撮影していいかどうかは微妙であるが、これより先の撮影は許可が必要である。



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「浜」の文字が眩しい!関係者専用駅とは、実にもったいない空間だ。「海芝公園」は、この駅の価値を更に高めたかもしれない。



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「海に最も近い」と言うより「海に浮かぶ」と表現した方が良いであろうか。流石に「釣り」は無理かもしれないが・・・



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前回の訪問時には無かった「鶴見つばさ橋」が出現!まさかこんな所で眺められるとは思っていなかった。私にとってみれば「大発見」であったかも知れない。



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約20分~30分の滞在であったが、初めてこんなに長い時間海芝浦駅と過ごした。我地元にもこんなに素敵な空間があるとは・・・



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鶴見線散訪⑤ 弁天橋

弁天橋駅は、これと言って特徴が無いのが特徴であるかのような駅だ。駅周辺は工業地帯となっており、その通勤客が大半を占めるであろう乗降客数のマジック。休日は実にガラ~ンとしている印象だ。島式ホーム一面の駅の構内には、貨物側線が草に埋もれている。この側線は浅野まで並走しており、かつての盛栄が窺える。


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JR仕様の駅名表。「東」にとってはお馴染みの光景だが「浜」の文字を見ると、改めて「横浜市内」と実感できる。



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旅客の線路の隣には使われなくなったと思われる貨物用の線路が。前回訪問時(1980年頃)の情景を考えたら、この激変振りは胸が痛む。まさか鶴見線の貨物線がこんな風になるとは・・・



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駅を出てみた。フリーパスならではであるが、無人の駅には文字通り「フリーパス」。車庫が鶴見小野方面にあり、無人の駅舎は職員の詰所として利用される。



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「スイカでターッチ!」はお馴染みの光景。構内踏切も鶴見線ではお馴染みの光景だが、考えてみたら首都圏で構内踏切を見かけるのはほとんどなくなった。この鶴見線での光景は貴重な存在となった。



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恐らく以前と変わったのはホームの屋根の追加と「バリヤフリー」になった事くらいであろう。



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で、この後私は海芝浦に向かった。


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鶴見線散訪④ 鶴見小野

「鶴見小野」とはなんとも地味すぎて・・・私は初めて下車してみた。本当に「ローカル」であり地元密着。一体、日本人の中にこの「鶴見小野駅」の存在を何人の国民が知っているであろうか?
駅の開設は1936年、つまり昭和11年と聞く。鶴見線の駅名はその土地に所縁(ゆかり)のある人や付近の工場等の名前がそのまま付いている場合が多いが、ここ、鶴見小野もそのひとつ。ウィキペディアを開いてみると「所在地である小野町から採った名前。小野町の名前の由来は江戸時代末期より明治初期にかけて地元の名主である小野高義・鱗之助親子がこの一帯を埋め立てて新田開発を行い、小野新田と名付けられた事による。
駅名変更の理由は国有化に伴い、出来る限り固有名称を排した駅名にする必要があったためだが、戦時下に伴う防諜活動の一環でもあった。」と記されていた。また「日本で唯一の、アナログレコードプレス メーカーがある。」とは興味深い。この時代にアナログが現在進行形とは!我が家にも約30年前に購入したレコードプレイヤーがあるが、年月と共にフロントローディング機能が殆ど作動しなくなってしまった。しかしまだ聴く事は可能なため、まだまだ「現役」である。
まぁ、そんなどうでもいいのだが、鶴見小野駅の紹介できる写真は計4枚しかない・・・少々残念であるが、それなりの「昭和」を楽しめる素敵な駅だ。ウィキペディアの写真もプラスアルファして紹介しよう。

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下りホームより上りホームを望む。私の知っている鶴見線は103系の黄色い車両であったが、現在はご覧の車両が活躍。



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列車交換・・・ではなくただ単に上下線のお見合い。そう、鶴見線は末端以外は複線なのだ。


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この姿が私の知っている鶴見線。もちろん「旧型国電時代」も知ってはいるが、実際に乗車したのはこの時代だ。画像はウィキペディアより。


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これが2013年9月現在の駅舎。昔と変わらず・・・



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上り側にも駅舎がある。朝のラッシュ時などに開放するのであろう。画像はウィキペディアより。


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最後はこの駅の「あるじ」。どうやら朝食がまだらしく、私の隣のベンチに座っていた待ち客がサンドウィッチを頬張ると、すかさず「おねだり攻撃」が始まった。


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鶴見線散訪③ 国道

鶴見を出ると最初の駅が国道である。有名なエピソードとして、駅前に国道15号線(かつては国道1号線)がある事から駅名がつけられた事だ。開設が1930年と言うからなんと昭和5年だ!当時から全く変わっていない特徴的な高架下はしばしばドラマのロケ地として使用されているらしく、新橋などのいわゆる「ガード下」とは違う、独特な雰囲気を醸し出す。実際に降り立ってみると・・・医者臭い!病院と言うより、昭和の住宅街などにある個人経営の「医院」と言ったらよかろうか。とにかくあの「医院臭」が漂う昭和の世界は、日曜日とあってかいささか人影が少ない、と言うより「生活」が感じられない。確かに高架下には店舗が入居しているが、営業しているかどうか定かでない雰囲気を醸し出している。特異な駅No.1であろう。

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1980年頃に訪問した時の駅名表。103系黄色の電車内から撮影したが、下車はできなかった。この時確か小学校6年生!


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そして2013年9月の訪問。まずは国道に下車。朝の運転本数は日曜と言えどもかなり設定されているので順番に降りても待ち時間が少ない。昭和の雰囲気漂う最初の駅だ。


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列車が去ると視界が開ける。カーブの途中にあるホームはなんだか窮屈そうだ。


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階段を下ると隣のホームに向かう通路が出現。個性的な設計だ。


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通路を別角度から。点字ブロックは近年の設置であろうが、開業当時からの姿をしっかりと残す。


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昔ながらの「改札口」であるが「スイカでターッチ!」は近年の設置であることは私が説明するまでも無い。


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昭和を思わせるガード下。上部には先述した隣のホームに渡る「通路」が見える。


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ガード下にはこんなテナントが入居している。果たして「現在進行形」なのか?


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駅を離れて遠目から見てみた。うぅ~ん、かなりクドイくらいに「昭和」がアピールされている。



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何やら物騒な注意書きが。「旧」の文字が少々気になる。



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昭和を堪能した私だが、更に満喫するため隣の鶴見小野を目指した。



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テーマ : 鉄道旅行
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プロフィール

ダイヤモンド☆トナカイ

Author:ダイヤモンド☆トナカイ
創設:1969.03.09
所在地:神奈川県湘南地区

〇2013年6月11日、北陸新幹線長野駅にてJR全線制覇いたしました。
国内の鉄道は、沖縄の「ゆいレール」を残し全線制覇しました。(とは言うものの、2015年3月の北陸新幹線延伸によりJR全線制覇は「ベルト返上」しました)

★ ブログ記事の「リメイク版」は、以前にホームページで紹介した旅日記をブログでリメイクしたものです。


◎ブログの登場人物

★ ダイナミック☆トナカイ
・・・中学時代の後輩で、2013年に約30年振りに再会を果たした。数多くの写真を提供していただいた「盟友」でもある。

★ おさる・・・かつて私がバンド活動をしていた時のメンバーで、鉄道復活のきっかけを作ってくれた人物。彼とは「秘境駅」を数回訪問した「親友」でもある。

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