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鉄道全線完全制覇の旅

昭和から平成へ・・・全線制覇の旅紀行!

かけめぐる「青春」③ 塩尻駅(後編)

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中央西線と中央東線、更に篠ノ井線に所属する塩尻駅。先述したとおり1982年に「大改造」が行われ駅が移転した。当時の国鉄事情を考えるとかなりの英断であったと思うこの「ビフォーアフター」は、30年以上経過した今もしっかりと機能している。旧・塩尻駅の跡地と共に最新の「塩尻事情」を紹介しよう。


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塩尻駅の現在の駅舎。利用者は9千人前後で推移している。近年は若干の減少気味であったがほとんど安定していると言っても良いであろう。


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新旧の普通列車が出発を待つ。基本的に1・2番線は中央東線、5・6番線は中央西線が使用。



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4番線を使う事で東線と西線の乗り入れが可能となる。この4番線を使用し東線と西線を直通した列車は「臨時急行<たてしな>(1986年7月19・20日に名古屋駅 - 小淵沢駅間を運転)と臨時特急<あずさ木曽号>(2001年9月8・9・15・16日に東京駅 - 上松駅間を運転)の2本だけである。」とウィキに記されていた。私にとってこの記事は非常に興味深いものとなった。


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「中央本線」を望む。大きく二股に分かれているのが「象徴」であろう。ここ塩尻を境に運転系統が全く別の物となる。


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旧・塩尻駅と思われる場所に移動してみた。旧・駅舎であった場所と思われるところには「スパ施設」があった。関係者しか入れなかったのは残念であったが、既にかつての面影は無く、旧・ホームと思われる設備が若干残っていた。



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駅移設の際にオープンしたと思われる塩尻駅舎内にある飲食店。どことなく昭和を思わせる雰囲気に思わず引き寄せられてしまった。


と言ったような旅を今回は計画してみた。今までは全線乗り潰しの為の旅であったので「点の旅」があまりできなかった。現在はこうした「点の旅」ができるようになり、以前から気になっていた駅にもこうして訪問できるようになった。「塩嶺トンネル」と併せて1980年代は中央線にとって革命的な年代であったろう。そして、その先人たちが築き上げた「遺産」はしっかりと現在も受け継がれている。当時の国鉄の「フトコロ」をもってしてでも革命を進めたかったのであろうが、その革命は完全に有効になっている。全く無駄のない、将来を見据えたパーフェクトなものとして今も健在なのが嬉しい。ご覧の皆様も塩尻に訪問の際は、ちょっと視点を変えてホームに立ってみるのもいいかも知れない。


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かけめぐる「青春」② 塩尻駅(前編)

1982年、塩尻駅が大きく変貌した。塩尻と言えば現在も中央東線と中央西線の境界駅として活躍しているが、1982年以前は中央西線が特急列車を走らせる際に、この塩尻駅がひとつのネックとなっていた。と言うのも、この塩尻駅では中央東線と篠ノ井線はスムーズに乗り入れできるのであるが、中央西線と篠ノ井線では塩尻で進行方向を変える・・・つまり方向転換しなければ直通列車を運転できなかったのだ。そして中央線どうしでは当然直通の設計となっていたが実際問題、中央本線を直通する列車は私の知る限りでは全く無かった。そして中央西線対篠ノ井線をスイッチバックで直通する塩尻の構内配線には限界があったろう。つまり実態に合わなくなってきた塩尻を思い切って現在の「スタイル」に変更してしまおうと、国鉄は思い切った行動に出た。

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(旧・塩尻駅の構内配線図は「懐かしい駅の風景~線路配線図とともに」よりご提供いただいた。左からくる中央東線と右上の中央西線、右下の篠ノ井線は完全に直通できる配線だが、中央西線と篠ノ井線は完全にスイッチバックしなければならない構造となっていた。)


「人」の文字で例えて言うと、1982年までは「人」の文字を右側に寝かせた構造になっていた。その文字を正常の「人」の文字として活躍させるため「起こす」事で実用に合う形にした。
今回はリンクさせていただいている「懐かしい駅の風景~線路配線図とともに」の管理人様に全面協力をいただいた。数多くのお写真と配線図を提供していただき私の記事に厚みが出た感である。この場を借りてお礼いたしますと共に、ご協力心より感謝いたします。

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(そして1982年に新しくなった現在の塩尻駅の配線図。2014年現在、若干の変更はあると思われるが4番線を介して中央線どうしの直通ができるようになった。塩尻駅を寄らない場合は旧線を利用したと思われる短絡線を使えばスイッチバックの必要が無い。この配線図も「懐かしい駅の風景~線路配線図とともに」よりご提供いただいた。)

大きく変わった塩尻駅の配線は、その大きさから駅の移転を余儀なくされ、現在の駅は数百メートルの移動と共に完全にシンプルかつ機能的な配線に変わった。現在は先述通り中央線全線を直通する列車設定は無いが、塩尻駅を介さなければ直通する線路は残された。そして万が一旅客を扱う場合は4番線を介して直通する方式になった。その場合、もちろんスイッチバックの形になる。メインは1・2番線が中央東線、5・6が中央西線が使用し乗換時もわかりやすくなった。ただ塩尻駅から松本方面に向かう場合、2番線か6番線かを確認する必要性が発生し若干手間がかかるが、全体通してこの壮大な改造計画は成功と言えるであろう。

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(画像は「懐かしい駅の風景~線路配線図とともに」より、旧・塩尻駅構内の様子。懐かしい昭和の風景がしっかりと写し出されている。旧駅は島式ホーム2面4線で列車を処理していた。)

翌年には塩嶺トンネルも開通し増々パワーアップした中央東線は、旧・塩尻駅の構内で新線と旧線、そして中央西線からの短絡線が合流する。旧・塩尻駅は現在電留線の他貨物駅として使用されているが、貨物列車が減少した現在、ほとんど貨物は無いに等しいと考えた方がよさそうだ。また、旧駅の一部跡地にはソーラーパネルが張り巡らされており、新しい跡地利用の活用が見られる。
旧・駅舎があったと思われる場所にはスパ施設になっており、市民の憩いの場に活用されているようだ。その旧「駅前」は、確かに今も「駅前」の雰囲気が残っていて、現在の駅前よりも繁栄の印象がある。私は2014年3月の訪問当日は駅前より「レンタサイクル」を借用し旧駅前を訪問しているが、やはり徒歩であると若干距離が地味ながら感じるかも知れないので、もし訪問される場合は駅前の観光案内所にあるレンタサイクルをお勧めする。
と、こんな感じでレポート気味になってしまったが、次章では現在の塩尻駅を紹介しよう。

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(こちらの画像も「懐かしい駅の風景~線路配線図とともに」より、1978年頃の塩尻駅構内。側線に停泊する車掌室に象徴されるように、まだまだ貨物列車が活躍していた時代でもあった。)


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かけめぐる「青春」①

いよいよ「18」の季節がやって来た!ハッキリ言って私も「いい歳」ながら「18」を使い全国をかけめぐるのが生きがいになっている。今年も1月に続き3月に「青春」する機会がやってきた。今回は「初狩」「塩尻」「姨捨」「二本木」「筒石」「青海川」「鯨波」の各駅を訪問。レールファンならこれらの駅がどういう特徴があるのかすぐにお分かりであろう。しかしながら「塩尻」と「鯨波」はハッキリ言って私個人の思い入れであるといっても過言ではないかもしれないが・・・

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(篠ノ井線にある「姨捨」。もちろんレールファンならどんな特徴がある駅であるがご存じであろう。しかしながら、私の訪問時は3月と言うのに雪が若干パラついていた!)

このかけめぐる「青春」のシリーズでは、順不同ながら各訪問先の駅を順番に紹介していきたいと思う。思わず「ボックスを踏む」ような気分で旅立ったが、さすがに「18」で「青春」するには若干体力的に迫りくるものを否定できずにいる自分がいた。一泊二日ながら普通列車のみによる旅は既に30年前の自分とは別人の自分であった。それこそ「自分との戦い」となった今回の旅は先述通りJR東日本を中心に一部西日本を含め長野県と新潟県を中心とした旅であった。

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(こちらは筒石駅。来年には「トキめき」になってしまうのか?)

先日関東には「春一番」の知らせがあり、いっそ「重いコート脱いで」出かけた結果、特に姨捨では完全に気候に対する防御に乏しく、自身の判断が「あまちゃん」であった事を思い知らされた。春衣装で寒さに震えながら取材する私はいったい今何をしているのかと自身に何度も問うた。とは言え、今回の旅はほぼ計画通りに進行したため最後は達成感みたいなものもあった。そして宿泊先の直江津では、宿の真ん前にはなんと「えちごトキめき鉄道」の本社と思われる建物が軒を構えていた!そう、北陸新幹線は開業に向けしっかりと進行しているのだ!

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(この旅の宿泊先の真ん前には新しい鉄道会社の建物が!隣には大手スーパーがあり、買い物には重宝する。)

翌日の青海川駅訪問は、付近に風力発電の設備があるのが肯けるほどに風の力が強い!ここでも寒さとの戦いであったが関東との気温の差は歴然としており、上越線で帰郷の際に水上に到着した際には自身の春衣装の装備が丁度良いと感じるほど。更に高崎に到着の際は暑さを否定できず、上着2枚を脱ぎ捨ててしまった。そんな事で「18」で旅をしていると、いかに「グランクラス」が快適であるか、身をもって実感してしまう今回の旅でもあった。

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(冷たい風が頬を打つ環境にも負けずに我々を迎えてくれる駅がある。そう、ここは日本海!)

しかしながら、このような体力の限界を感じてでも「18」を求めてしまうのは「習性」なのであろうか?踏まれても、汚れても、野に咲く白い花・・・いや、鉄道が好き。そう、送る言葉は悔いのない「青春」、かけめぐる「青春」なのだ。では次章より2014年3月に訪問した「青春」を早速「わたしからあなたへ」お伝えしよう。


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南の最果てを訪ねて・・・指宿枕崎線(後編)

そんな指宿枕崎線の久々の訪問は懐かしさ溢れるものであった。やはり指宿駅は駅舎がリニューアルされて「観光化」しているが、駅前の街並みは「昔ながら」の佇まい。昔の「熱海」のようなイメージが脳裏に過った感だ。宿泊した温泉旅館に着いたのが夜7時頃であった。普通に「観光」としては若干遅い時間帯であろうが、私の場合は他の人と「目的」が違う。とは言え、宿泊施設がいつものビジネスホテルで無い事がいつになく新鮮だ。

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(2010年に訪問の際の「宇宿」。同じ九州に「臼杵」があるが、読み方は同じ「うすき」。)

タクシーに乗り宿に向かう途中、運転手さんに「実はこの地に来るのは30年振りですが、ほとんど変わってないですね」みたいな会話を振ると「昔からの温泉街ですからね」と、何か誇らしげに返してきた気がした。昔のままの姿。実に素晴らしい。何も「古臭い」とか言っているのではない。昔と変わらずに盛栄しているのが素敵であると思うのだ。もちろん、現在の日本の「景気」を考えると昔ほどの盛栄はあるとは言えない部分があろうかと思う。だが、日本有数の「温泉街」はまだまだ頑張って日本を盛り上げていただきたい。

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(こちらも2010年訪問時の二月田。指宿の隣にあり、私自身1978年に訪問の際に若干印象に残っていたので馴染みやすかった。)

宿に砂風呂が併設されており、もちろん早速「初体験」。前回訪問時は、砂浜にパラソルがあったのはしっかり覚えているが、結局未体験のままであった。今回この初体験だが「閉店時間間際」であったため、なんと私一人での「独占」であった。私の為に従業員7人位でのおもてなしは少々恥ずかしい部分もあったが、砂から顔だけを出す姿はもっと恥ずかしかったかもしれない・・・

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(2010年の指宿駅。恐らく国鉄当時からあると思われる駅名表が健在。)

砂の中に埋もれながらかく汗は、自身の新陳代謝がいつもより活発になった感じがして、毒素が全身から抜けていき、その場で健康体になった気がした。それと併せて、ここまで来るのに乗ってきた「ローカル線」の姿も甦ってきた。そして前回は寝台特急「富士」での訪問であった事、その「2段ハネ」での思いも甦ってきた。この思い出だけは毒素と一緒には抜けてほしくない。そしていつまでもこの地が「指宿」であってもらいたい。そう、いつまでも「たまて箱」の中にしまっておきたい記憶だから・・・

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(2010年の指宿駅構内。立派な跨線橋があるが、1978年訪問時には構内踏切が駅舎に繋がっていたはずだ。よく見ると当時の面影が残っていた。)



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南の最果てを訪ねて・・・指宿枕崎線(前編)

指宿枕崎線・・・言わずと知れたJR最南端の路線であるが、私が最初に訪れたのは1978年8月である。既にこのブログでも紹介した「寝台特急・富士」の旅の際の延長行程で「富士」で西鹿児島(当時)に下車した私たちは宿泊先の指宿に向かうため指宿枕崎線に乗車した。ワタクシ、小学校4年生の時であった。もう34年も前の事なので殆ど記憶にないが、なんとなく覚えているのが「相模線」仕様の車両、つまりキハ20かキハ10(だったと思う)に揺られながら洗濯バサミみたいな取っ手をつまみ、窓を開け心地よい風に髪を揺らす自分がいたシーンだ。オッと、当時私は「スポーツ刈り」だったため髪は揺れなかったか・・・

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(1978年に初めての訪問。寝台特急「富士」乗車後、ここで一泊。翌日に収めた一枚であるが、ローカル線の駅舎にしては重厚な造りの印象。)

時は流れ、全線制覇のため再びこの地を訪れたのは1983年3月、あの「鹿児島交通」制覇の為の訪問だ。しかしこの時の記憶は全く記憶にない!だが、枕崎でしっかりと鹿児島交通の車両の写真を収めているし、枕崎駅の記憶はしっかりとある。だが、その枕崎までの過程が全然記憶にないと言う事はいったいどういう事か・・・考えてみたら不思議な「制覇」であった。

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(以前に何回か紹介した鹿児島交通の姿。1983年に訪問の際、枕崎駅での一枚であるが、当日は激雨!)

時は更に流れ、またこの地を訪れる事となる。それは2010年5月の事である。若干小銭ができたため、無理矢理連休を取り指宿の砂風呂を目指すことにしたのだ。そう、この指宿と言えば「温泉」が大変有名であるが、枕崎は「かつお」も有名で、何気に沿線には観光名所がある。そんな指宿枕崎線は現在観光列車「指宿のたまて箱」や快速「なのはなDX」等が運転されしっかりと地元に根付いてい活躍している感がある。とは言え、山川~枕崎は依然「ローカル」を醸し出し「JR最南端」の西大山もホーム一本の簡素なものだ。と言うより、我々みたいな「物好き」にしてみれば、むしろこの区間の方が「気になる存在」であろうかも知れない。

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(1978年に訪問時の西鹿児島。現在、新幹線がやってきているのが信じられないくらいの穏やかなムードが漂う。)



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北海道、初上陸の時⑤

紅葉あふれる石勝線の車窓を独占しながら札幌に到着した。途中、千歳空港駅を通ったが、現在は「南千歳」として活躍している。そんな千歳空港駅も当時は初の「空港アクセス駅」として大変注目されていたが、石勝線が開通して更にパワーアップした。現在もそうであるが、優等列車を含む全列車が停車するので使い勝手が良い。

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(札幌駅では時間を持て余していたため写真を撮りまくっていた。現在では貴重となった地上時代の札幌駅にての「ライラック」は以前にも紹介している。)

さて、札幌では約4時間くらいの待ち合わせがあった。後で気付いたが、せっかくこんなに時間があったのだから途中の占冠辺りで下車しても全然OKだったかなという思いが出てきた。結局札幌では特急列車の写真を撮ったりご飯を食べたりと・・・現在のようにインターネットなど発達していなかったため下調べなどが出来ず、銭湯などにも行けずにただただ時間を持て余していた印象であった。
ようやく時間がやって来た。乗車する列車は小樽経由の特急「北海」である。現在はいわゆる「山線」を経由して函館目指す優等列車は無くなってしまったが、かつては特急の他、客車急行の「ニセコ」も健在であった。「山線」を経由するのが若干楽しみであった私であるが、実際問題19時台の出発の為景色など全く持って眺めることが出来ない・・・只管函館到着を待つのみであった。

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(こちらも地上時代の札幌駅にて撮影。キハ80の「北斗」は、現在車両が変わりスピードアップされた。)

函館に到着したのは23時55分!日付が変わる直前だ。接続する青函連絡船は0時40分発であり、全く「夜行列車」的な扱いだ。と言うよりわざと「狙って」乗ったのだ。そう、青函連絡船ではあの「ノビノビ座席」風の座席があるから寝るのには重宝するとの思いからの選択であった。結果的に狙いは大正解であったが、青森到着は4時30分の到着であまり寝られなかったのが残念・・・

未明の青森駅からは急行列車は出ていなかった。残念ながら接続する列車は特急「はつかり」のみ!ここは仕方なく「別料金」にて特急券を購入。「ワイド周遊券」の特権を使えずに盛岡目指す。が、私を待っていた車両を見て朗報!なんと583系であった。2か月前の「東北の旅」では昼間の583系には巡り合えなかったが意外にもこんなタイミングで・・・これなら「別料金」でも納得か、と考えるのは一般的ではないかも知れない。
盛岡に着くと更に優等列車の接続が無く、仙台まで普通列車列車での移動となっている。が、電気機関車が牽引する旧型客車がまだ東北本線の普通列車では当たり前の時代であったので当然「旧客」に揺られて仙台目指す事になった。盛岡発が7時22分だが仙台着がなんと12時5分!なんと4時間半である。
朝の7時半頃から昼までこんなにのんびり時間が過ぎて行ったのに仙台には定刻通りに到着した。僅か5分の乗り換えで、今となっては貴重な体験となってしまった急行「まつしま」で上野に向かう。ようやく優等列車にあり付けた。昼間の12時頃まで旧客で過ごすとは、なんてのんびりした移動手段であろうか。仙台まで気怠いひと時が穏やかに過ぎて行った。

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(ダイナミック☆トナカイ提供の急行「まつしま」のイメージ。交直両用の急行型車両で、上野では良く見られたが、考えてみたら直流でも運転できるので、我地元付近(例えば茅ヶ崎とか)に来てほしかった・・・)

今回の旅はほとんどトラブルも無く順調に行程を消化していった。僅か2か月前に訪問した東北の旅では多くのトラブルと予定変更を重ね、かなりの珍道中になってしまった。やはり旅とは何かのトラブルのようなものが無いと若干印象が薄くなるような感じもしなくはないが、今回の北海道の旅は「初」であったため全てが新鮮であったのが印象深かった。だが実はトラブルが全く無かったわけではない。新夕張駅を訪ねた事は先述したが、旧・紅葉山駅跡に訪問した際にホームからレールのない線路跡にジャンプしたらなんと水たまりがあったのだ・・・夜の為暗くて分からなかったのだが、おかげでズボンの裾がびっちょりになってしまった・・・とりあえずスペアのズボンに変更したが、宿泊先の「まりも」では窓際にズボンを干しながら白糠駅目指していったのだ・・・みたいな事があり、北海道の旅と言うとまず紅葉山を思い出す、みたいな感じだ。

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(同じくダイナミック☆トナカイ提供の583系「はつかり」。恐らく盛岡駅での撮影と思われるが、今となっては懐かしい部類になってしまった。)

もう30年以上前の事であるが、私は当時こんな旅ばかりをしていた。高校受験を控えていたというのに・・・まぁ、とりあえず高校受験は無事にクリアできたが、やはり当時の名残か、現在はこんな大人になってしまったが・・・
若く、そして新しいレールファンに一言お伝えしたい。これは決して「先輩面」や「釈迦の説法」的な意見のつもりではなく、あくまで私の経験上から感じた事なので事前にご了承いただきたい。
若く、または新しくレールファンになった方々、是非「現在」をしっかりと堪能していただきたい。私がこの「北海道初上陸」した旅は1983年の事である。先述通り既に30年以上経過しているが、今となっては貴重な思い出となった。例えば「白糠線」に関しては、各方面の雑誌やインターネットを開けば北進駅などの写真が出てくる。駅の姿形はこれらのメディアで確認できるが、やはり実際に行く事によって「雰囲気」や「空気」「温もり」などはもちろん、それとは別に「第六感」的な感覚で何かを感じ取ることが出来るはずだ。白糠線に限らず、当時の旅ではまだ札幌駅が地上時代であった事や青函連絡船がまだ健在であった時代だ。これは現在においては体験する事が出来ない。

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(得意の写真で申し訳ないが、私の旅の「出発点」であった相模線・西寒川駅。もう廃止されて30年が経過した。)

今、あなたが経験している「乗り鉄」や「撮り鉄」等は、20年後、30年後にそれを振り返った時、当時の素晴らしい記憶が甦ってくるであろう。それは雑誌などの写真を数10枚見るよりも、自身が撮影した、たった1枚の写真でもそう感じるかも知れないであろから。他の人が見たら一枚の写真の画像は確かに「静止」しているであろう。しかし、撮影した本人が観るとそれは「動画」として見えてくるはずだ。もちろん、正反対に「こんな写真撮ったっけ?」などという場面もあろう。だが、すべてを含めてあなたの「記録」として永遠と活き続けてくれる。そして、それはあなたにとって素晴らしい「記憶」そして「記録」となるはずだから。これは100万ドル出しても買えない、あなたにとって永遠の「お宝」になるであろうから・・・



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北海道、初上陸の時④

夜がそろそろ開けてきた頃、白糠に到着する時間となった。名残惜しいが「まりも」と別れをしなければならない。そして目的の白糠線の列車を待つことになるが、始発に乗る私の列車は釧路発の為座席があるかどうか心配であった。が、若干の心配を他所に、とリあえずやって来た列車に私の座る席はあったので一安心。だが「乗り納め系」と思われる方々で列車内はほぼフルハウスであった。

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(白糠線の終点「北進」であるがバックの景色にご注目いただきたい。季節柄「紅葉」が見どころであろうが、鉄道少年には全く「猫に小判」であった。)

白糠線に関しては以前にこのブログの記事「廃止路線を訪ねて① 白糠線」で紹介しているのでご覧いただけると幸いであるが、もし北進から計画通り延伸して足寄経由で新得まで開通していたとしていたらどうなっていたであろうか?私が思うに、おそらくバイパスとは「名ばかり」のローカル線になっていたろうと思う。と言うよりバイパスの必要性にクエスチョンだし、沿線の拠点となろう都市が存在しない。士幌線や池北線と交差するが「士幌(上士幌)」や「足寄」となるとやはり「帯広」に比べるとかなり地味であるし、帯広に寄らない列車となるとかなりの確率で乗車率が落ちるであろう。もちろん士幌線や池北線を使って帯広や池田に向かう列車も設定される事と思われるが実用性を感じない。そう考えるとこの「バイパス」がもし開通していたとしてもやはり「同じ運命」を辿っていたろう。
しかしながら当時中学生の私にはそのような事情など知る由もなく、ただただ「廃止」「未成線」等の言葉に異常に反応していたように思う。もちろんそれはあまり今も変わらないが・・・

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(1983年<上>と2009年<下>訪問時の比較。どちらも特急「おおぞら」であるが、車両は変われど釧路駅構内の様子は昔の面影たっぷりだ。)

さて、白糠線を制覇した後私は釧路に向かう。釧路では1時間半ほどのインターバルがあるのでしばらく朝食でブレイク・・・いよいよ昼間の時間帯に石勝線に向かう事になった。
先述の通り、私が最も好む路線であるが、こういった「感覚」の持ち主はそう多くないであろう。特に新夕張~新得(厳密に言えば上落合信号場)が一番である。信号場に格下げされた「楓」は先述したし「占冠」や「石勝高原(当時)」も非常に魅力的であるが、その間にあるいくつもの信号場も魅力だ。本来なら駅にするはずであったろうが、人口の減少と時代の変化と共に現在の姿で工事が行われたのであろう。そのため季節によって全く違った「顔」を車窓から魅せてくれる。それこそ下手な観光地へ行くより「おおぞら」に乗りながら石勝線の窓を「独占」している方が何かと大自然が楽しめると思う。既にこのブログでも石勝線については触れているが改めて別枠で近況を紹介してみたい

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(2009年訪問時の「石勝高原」。現駅名に変更され、バブル期には東京から臨時列車も運転されていたほど。)


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北海道、初上陸の時③

初めて見る北の大地に度肝を抜かれるばかりであったが、今まで乗って来た特急列車を苫小牧で降りるのがもったいない。が、後ろ髪惹かれる思いで苫小牧発の夕張線(いや、石勝線だ)直通DCに乗り換える。
追分はかつて「SL最後の地」として数多くの訪問者があった時もあった。1983年訪問時には千歳空港(現・南千歳)からやってくる石勝線の「新線」が大きく上部を掠め「夕張線(いや石勝線であろう)」のホームまでしばらく並走する。まだまだ当時の面影が残っていて「黒のダイヤ」の全盛期を偲ばせるホームには、人影疎らな乗客と共に列車到着の時のみ一瞬のにぎわいを見せていた。

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(憧れの「石勝線」へ訪問。あくまで私のこだわりは「石勝線」であり「夕張線」ではない。新夕張では訪問当時、駅前には「紅葉山」の残骸が残っていた。)

念願かなって訪問した「夕張線(石勝線です!)」で一気に夕張に向かった。この夕張駅であるが、2回移転を行っており、現在の夕張駅は3代目である。私の訪問時は「初代」であったが、かつての面影は既に衰退しており全盛期とはほど遠い姿になっていた。もっと景色を見たかったが既に外は暗く、街の様子も確認できなかったのでできれば昼間に訪問したかった。が、メインは白糠線。あくまで白糠線に軸を合わせなければならない。
一旦新夕張に戻り、今度は楓に行く。実はこの石勝線の「新線区間」は鉄道路線の中で私が最も好む路線であるのを今ここで告白しよう。西寒川駅などは当然思い入れはあるが、やはり「一番」となると石勝線・新夕張~新得の「新線区間」が私の第一位である。別に隠そうとしていたわけではなく、言うタイミングが無かったのだが、そう、私の一番好きな路線は石勝線である。が、旧・夕張線は含まない。でもこれはかなり一般的な意見ではないと思う。私は変わり者であろうか?

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(画像はリンクさせていただいている「昔訪ねた気動車ローカル線」より。かつての「紅葉山」であるが全く持って「黒ダイヤ」を象徴する風景となっている。新夕張になる際には駅が若干移設された。)

まぁ個人的な事はさておき、楓駅は特殊な構造で、本線上に相対式ホームが2面2線あるが、新夕張~楓の旅客列車が発着するホームが独立している。そのため3番線まであるという事だ。独立ホームは単行1両分の長さのホームのみで駅舎もある。もっと楓駅をじっくり観察したかったが、5分停車で折り返しの為ろくに散策できなかった。しかも夜7時頃の為暗かったので尚更だ。現在は信号場として第二の人生を送っている楓駅であるが、かつては「登川支線」の中間駅であったのは周知の事実である。スイッチバックの構造の珍しい駅であったが石勝線開通前に現在地に移転。登川と旧楓のほぼ中間地点に新たに「楓」を作った。しかしながらその後の経過は周知の通りである。そんな楓の「再訪」を誓いながら既に30年以上経過してしまった。そろそろ行かなければならないタイミングになっているであろう。いつかは・・・

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(現在は信号場として活躍中の楓。旅客営業があった当時は本線上のホームとは別に折り返し用のホームが独立して設置されていた。)

との思いを胸に秘めながら今夜の宿となる急行「まりも」に乗車するため一旦札幌に行く。なぜ札幌か・・・理由は単純で「自由席」の為座席の確保が必要だからだ。途中の千歳空港や追分からの乗車だと確実に座席を確保できない!
急行「まりも」は石勝線経由で札幌と道東を結ぶ夜行列車で、終点釧路では快速「ノサップ」に接続し根室まで行ける。「まりも」は14系客車で寝台も連結であるが私の訪問時はなんと10系寝台であった。その後はDCに変更され24系寝台(だと思ったが)を連結するという異色の編成になった。現在は既に「まりも」の存在が無いのは周知の通りであるが、北海道の乗り潰しにはこの夜行列車陣が大変重宝した経験を持たれた方も少なくないであろう。
座席も無事確保できて一路「白糠」目指して休息の時間となる「まりも」の車内は意外にも乗客が多い。もちろん私みたいな「同業者」が多く占めていると思われるが・・・
深夜の2時頃に新得で上下の「まりも」が列車交換。その間に私は「いい旅チャレンジ20000km」の証明写真を収め再び仮眠。そしていよいよ今回のメインイベント「白糠線」に逢うために白糠の駅に降り立った。



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北海道、初上陸の時②

上野から乗る急行「八甲田」は12系客車の座席急行列車であった。八甲田の他に東北方面の客車急行列車は常磐線経由の「十和田」や奥羽本線経由の「津軽」などがあるのは先述しているが、東北新幹線開通後、特に後を追うように開通した上越新幹線開通後に整理された「57.11.15」のダイヤ改正ではかなりの数の寝台特急や急行列車が整理された「減量ダイヤ」になった。それでもまだまだ生き延びていた「八甲田」は素晴らしい。私はおそらく人生で最後の乗車になったであろう「八甲田」に乗り北を目指した。

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(画像は「日本の旅・鉄道見聞録」より。在りし日の急行「八甲田」。北への旅には欠かせない「必需品」であった。)

仙台や盛岡などは深夜の時間帯となるがしっかり停車。こういう都市間輸送の役割を当時は果たしていた急行列車であるが、現在はすっかり「過去物語」となってしまった。一応、私は人間であるため(まぁ、当然であるが)人並みに夜は睡眠を取る習性であるが、こと「夜行列車」に乗ると体質が変化するらしい。一応寝ようとするが、どうしても「防犯機能」が働いてしまいグッスリと眠れない。と言いながら昼間の列車で寝てしまうのも「習性」なのであろうか。そんな思いを抱きながら(どんな思いだ?)いつのまにか青森に到着し「北へ帰る人の群れ」のひとりとなり連絡船を目指す。当時は青函トンネル開通前であり、当然ながら北海道までは「船」となる。その時間、なんと約4時間!4時間も船に乗っていれば波の高い日にはアルコールを飲んでいなくても、しっかりと「二日酔い」に導いてくれる事であろう。

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(画像はウィキペディアより、青函連絡船の摩周丸。かつては数多くの人々を運んだであろう。)

たしか「摩周丸」だと思ったが、今でいう「ノビノビ座席」のような靴を脱いで座るような「桟敷席」とよばれる座席でのんびりと弁当などを頬張る。寝っころがる事もできるので、特に夜行便では非常に重宝するであろう。
ちょっと甲板に出てみた。津軽海峡の風を頬に受け船を追いかけてくるかもめにかっぱえびせんをやりながら過ごす船旅は列車とは違った「楽しさ」を教えてくれた。
そのまま桟敷席を捨て甲板に佇みながら、暫くすると北海道が近づいてきた。「いよいよか!」と胸が高鳴る。「遥々来たぜ」的な函館は、まさに「逆巻く波を乗り越えて」到着。北の大地への「第一歩」を踏み入れたのであった。

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(函館からなんと網走までの運転区間であった「おおとり」。現在の札幌中心のダイヤでは考えられないが、1983年当時はまだ連絡船が健在であったため函館発各方面への列車が活躍していた。)

さて、函館より苫小牧目指し夕張線(いや、既にこの頃にはもう石勝線であった)を制覇する計画であるが、私の乗車した列車はなんと特急「おおとり」であった。「おおとり」と言えば函館~網走間の特急列車である。室蘭本線を経由して札幌に向かい網走を目指すわけだが、今となっては全く持って信じられない区間設定だ。そして当時は初乗車であるキハ80であったから今考えれば懐かしい。実際に全区間乗車する乗客は果たして1日何人いたのであろう・・・


北海道、初上陸の時①

函館駅のホームは大きな弧を描く・・・いつも鉄道誌で見ながら憧れていた「北の大地」は私の夢でもあった。

1983年10月、北海道は白糠線の廃止情報を受け、生まれて初めてとなる北海道へと向かう決意をした。いや、白糠線が北海道に行くきっかけを作ってくれたのだ…といったら皮肉な話しとなってしまうが、本来なら同じ年の夏休みに目指す予定であった。だが、予算の都合上「東北」に場所を変えて旅立ったのは先述した通りだ。お陰で東北は私にとって素敵な思い出となり現在も心に残っているが、この北海道も非常に思い出深い。

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(まだ登場して間もなかった頃の「キハ183」。大きく弧を描く函館駅のホームは当時私の「憧れ」でもあった。)

秋と言えば木葉も赤く色付き「木枯らし1号」なる話題も出始める頃であるが、世間的には「読書」「スポーツ」など、何かと過ごしやすい時期でもある。そんな私も当時中学3年生で「高校受験」が控えていたが、相変わらず鉄道方面しか目が向かず、勉強などしていられなかった。翌年には「西寒川」も廃止になるなど、何かと「ブーム」になってしまったローカル線の廃止であったが、一応受験を何とかクリアし今こうしてPCのキーボードをたたいていると言う事は、それなりに「人並み」であろう。

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(「キハ183」と言えば2008年に北海道を訪問した時も健在であった。しかもリニューアルされ車体は素晴らしく綺麗であった。写真は札幌にて。)

そんな事はどうでもいいのだが、学校では毎年体育祭がこの時期に行われていたが、今回の体育祭は日曜に開催する事になった。そのおかげで代休やら何やらで休みが重なった結果4連休になった。これは行かなきゃもったいない!と思い急遽北海道行きを決意した。中学生ながらに「北海道ワイド周遊券」を購入。当時のワイドは確か31500円で、10月から翌3月くらいまで「季節割」があり、更に学割が適用されれば約半額近くの値段になった!さすが学割君。学生でなければこんな割引受けられない。ただ、学校の立場というか教諭の立場からすると中学生が北海道に「ひとりで行く」というのが問題らしく、学割発行に影響がでてしまうため、北海道行きは公にせず伏せたまま学校の事務所に書面を提出しなければならない。もちろん親にも協力してもらって、もし学校側から何らかの問い合わせがあった場合でも大丈夫なようにフォローしてくれるであろう支度をしなければならない。その辺は2ヶ月前に行った「東北ワイド」で多少慣れているのでうまく交わしてくれるであろう。そんな中で学割は無事申請終了。割引効果覿面の「ワイド」を引っ提げ、いざ北への出陣となったのだ。

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(ご覧の通り、すごい割引率!「学生の特権」は大いに活用すべき。「あれ、帯広にも下車したっけ・・・」と一瞬思ってしまったが、私の記憶にないものも多く刻み込まれた「証」は当時の貴重な資料として今も部屋の片隅に眠っている。)

いつものように西寒川からの出陣であるが、今回は16時18分発で1日4本来る列車の中の2本目である。そして上野から急行「八甲田」で北を目指す!初めての「北の大地」に胸を躍らせる中学生。一体どのような旅が私を待っているのであろうか・・・



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廃止路線を訪ねて① 白糠線・アゲイン

1983年10月、北海道ワイド周遊券で北海道初上陸を果たした。その時のテーマであった「白糠線訪問」が実現したが、訪問してから2週間くらいして姿を消していった・・・
既に「廃止路線を訪ねて① 白糠線」で紹介しているが、紹介した他に現在私が所有している駅名表と数枚の写真の在庫があったため、一応この場を借りて公開してみよう。

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急行「まりも」で白糠に到着した。以前にも紹介した写真であるが「まりも」は14系客車であった。


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白糠駅で撮影のキハ58サボ。白糠線始発の列車は釧路発であったが、既に多くの乗客がいた。私は白糠から乗車。サボは上り、つまり帰りの表示だ。


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各駅名表。上白糠と茶路の間には全国版時刻表に載ってない「共栄」があった。いわゆる仮乗降場である。


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こちらも以前に紹介した北進駅全景。ご覧の通り、付近には「文明」と呼べるのはほぼ皆無に近い。よくこのような場所に鉄路を引っ張ったものだと感心してしまう。

後で調べてわかった事だが、上の写真の車両は根室本線の釧路~根室に運転されている急行「ノサップ」の合い間の運用だったらしい。つまり白糠線に「ノサップ」が乗り入れている事になる・・・とはちょっとオーバーな表現であるが、2両編成の運転では普段はいささか持て余し気味であったろう。もちろん私の乗車時には「その道の人」が多く訪問していたため開業以来の乗車率であっただろうが・・・
かつては「政治路線」とも騒がれたりもしたが、一応「敷設法」の構想では足寄への延伸があったのは先述した。だがそのほかに「阿寒線構想」と言うのがあったらしい。足寄へ向かう途中の「螺湾(仮称)」と言う駅から阿寒湖を抜けて北見相生(当時の相生線)へと到達する予定であった。もし足寄への路線と共にこちらの北見相生まで繋がっていたとしたら、とても夢が膨らむが利用者はそう多くないであろう。であるが、私はいつも、この「未成線」がもし開通したらと想像するととても楽しくなる。もちろん白糠線の他にも多くの未成線が日本全国に多く存在している。だがその未成線の構想とは裏腹に多くの路線が廃止されていった。上茶路~北進を延伸した際に約16億円(当時)の経費が掛かったと聞く。
「83線区」の先陣を切って廃止されていった白糠線は、東海道新幹線が開通した年と同じ年に開通。しかし上茶路~北進が延伸されてからなんと11年でその使命を終えてしまった。当時から白糠線を知っている鉄道愛好家の中での「評価」はいろいろであろうが、私にとっての白糠線の印象はとても大きい。特に「初」北海道であったのと、夏休みなどの長期休暇以外での訪問であったから尚更だ。当時中学生の私が既にこれだけの想いを秘めながら北海道に「参戦」したのは、今になって考えたらやはり「特殊」だったのであろうか?いや、例え「特殊」であっても白糠線と共に時間を共有した思い出は計り知れない。



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伊豆急行各駅巡り⑮ 伊豆急下田

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伊豆急行の終点であり、最も南に位置する駅員配置駅である。松崎や石廊崎への玄関口でもあり、夏になると付近の白浜海水浴場への海水浴客の姿も多くみられる。ホームは開業当時から櫛式の頭端式ホーム2面3線で、他に留置線が3本ある。下田自身としても観光地として有名で、駅前には下田ロープウェイ乗場があり、寝姿山まで通じている。また歴史的にも「黒船」と言えばもう説明もないくらい有名であり、列車も「リゾート21」では黒船バージョンもある。基本的に伊豆急は山の中を走り築堤上に駅がある場合が多いが、この下田に着くころには完全に平坦な土地に姿を現し市街地が開けてくる。そして伊豆急では珍しいと思われる踏切も数回通り下田駅に入線する。伊豆急の駅名は「伊豆稲取」「伊豆熱川」のように「伊豆〇〇」という駅名が多いが、ここ下田のみ「伊豆急」と冠している。恐らく列車の方向幕などで自社の名前をアピールする作戦と思われ、あえて「伊豆急」としたのであろう。
以前にも紹介した「急行・伊豆」の記事でも触れたように、私は下田に親戚がいるため散々この地に訪れている。もちろん伊豆急でも。幼少当時は155系や159系の「修学旅行カラー」が留置線に停泊していたものである。現在は「スーパービュー」や「NEX」など、派手な車両も多く見かけるようになったが、1980年頃に比べて乗降客数が半減した。モータリゼーションや少子高齢化など、典型的な問題をこの伊豆急も例外なく抱えている事と思われるが、観光の拠点としてまだまだ活躍している。そのことを証明するかのように駅構内は数々のお土産屋さんなどで犇めき合い、週末などは特に観光客の姿が目立つ。定かでは無いが、1990年頃に駅舎が若干改装されたと思われ、出口と入口が分かれ、ますます観光色を増した感だ。
2013年に久々に訪問したが、まだまだ「伊豆の顔」として頑張っているし頑張ってほしいものだ。


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伊豆急下田のホーム。頭端式ホームには185系「踊り子」が待ち構えている。8000系とのツーショットは私にとってみればいつになく新鮮。



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若干夕暮れ時になってしまったが、なんだか南国を思わせるムードだ。



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駅前にはお土産屋さんなどが多く点在。駅前には道路を渡るとロープウェイ乗場がある。



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「開国の湯」なる足湯が駅前に出現。下田温泉へはバスまたはタクシーで数分で到着する。



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頭端式ホームの先には「出口専用」となった改札口がある。いかにも「下田」らしいムードだ。



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解放感のある待合室の先には「入口専用」の改札がある。待合室にはご覧の居酒屋もあり、観光客のみならず地元の方も利用している事であろう。


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そして全駅訪問し、帰路に着く列車は「湘南メッシュ」。私が「踊り子」として今回初めて乗った185系だ。もちろん「ライナー」や「普通列車」等では散々乗っているが、やはり昭和の車両らしく115系に似たモーター音が懐かしい。


こうして私は日帰りながら伊豆急全駅を訪問してみた。今までに無かった「発見」が多く、かなり充実した内容となった。伊豆に行くと言う事は、普通の人ならば「観光」なのであるが、私の場合、今回は観光とはかなりかけ離れているこの旅は、一般的には特異に映ることであろう。しかし私は充分に観光したという「自負」がある、などと胸を張って言う事ではないが、なかなか観光させてもらった。
私は「観光」と軽々しくいってしまったが、かつては東急系と西武系が繰り広げた「箱根山戦争」や「伊豆戦争」等を考えると、この伊豆急行の現在のルートは苦難の末に生まれた結果だ。激しく火花を散らした両雄による「合戦」は現在でもその名残を見せるとともに語り草となっている。「名勝負数え歌」とは全く違う勝負の末に今日の箱根や伊豆の「姿」があると思うとなんだか不思議な気持ちでならない。しかし、その勝負を仲裁するかのように、温かく見守る「国鉄」は両雄に「乗り入れ」ている。JRになってからもそれは現在も続いている。修善寺にも下田にも顔出す「踊り子」は今も昔も変わらない。
かつての「伊豆」は「踊り子」に変身し「あまぎ越え」をするかのように、私の中の「下田」はいつ来ても「懐かしさ」が甦ってくる。「伊豆急」と聞くと私は必ず親戚を思い浮かべ、かつての国鉄時代に急行「伊豆」で下田までひとりでやって来た事を思い出す。それは昨日の事のように・・・





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伊豆急行各駅巡り⑭ 蓮台寺

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蓮台寺と言えば一時期に特急が停車していたが、現在の停車は普通列車のみになっている。相変わらず山に囲まれた地形の中の駅は、築堤上にホームがあり駅舎へは地下道で結ばれている。島式ホーム1面2線の構造で、ホームからは「ホームセンター」がしっかりと見届けられるが、食品等を購入できるお店は若干離れているコンビニくらいしか見当たらない。一応「蓮台寺温泉」の下車駅で、駅前からは堂ヶ島方面行のバス乗り場があるが、どちらかと言うと「生活」のイメージが強い。とは言うものの、休日ともなれば観光客もチラホラと見かけ、私の訪問時にも観光客が目立って多かった。
私が幼少時代に下田の親戚訪問時は、全くローカルネタで申し訳ないが「蓮台寺パーク」と言う市営のプールに散々連れて行かれたものだ。一応「市営」ながら確か「流れるプール」みたいなのがあった記憶であり、さながらミニ「大磯ロングビーチ」を思わせていた。現存するかどうかは確認してないが、インターネットで調べてみたら、5~6年くらい前に赤字経営による施設廃止のような報告書みたいなページにたどり着いた。恐らく現在はほぼ「別の施設」等になっている事であろう。
駅前をしばし散策したらホームセンターとなりに喫茶店を発見した。そちらで少々休息の時間をいただいたが、我々に気さくに話しかけてくれた、親しみのあるアルジであった。
現在の乗降客数は1日平均千人を切っており、かつてから考えたらかなり減少している。


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駅舎には地下道を下る階段で結ばれる。伊豆急行の典型的な形だ。



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築堤上のホームはやはり「三陸鉄道」を思わせる。いつリニューアルされたかは定かでないが、きれいで立派な駅舎に変身。



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駅前には「南国」を思わせる風景が。しかし人影は疎ら。



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写ってはいないが、写真左側には待合室がある。切符売り場は早朝・夜間は無人になる。



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ホームから見下ろす駅舎。自転車がかなり多く「生活」の香を醸し出す駅である。


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山がすぐそこまで迫る島式ホーム。駅前はかなり広くスペースを取ってあるが「横長」だ。駅前をすぐに川が流れる。



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事前に分かっていた「マリン」の通過風景を惜しげもなく披露。伊豆に「NEX」とは何ともミスマッチな風景だが、いずれ185系と置き換わるのか・・・



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なんだかんだ言っても結局これに乗れた。伊豆急カラーの車体はやはり100系を彷彿させる。おまけに再度車内をアップ。



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廃止路線を訪ねて⑭ 大畑線

下北半島は恐山の麓、下北から北上し「マグロ」で有名な大間を目指す目的で建設された「大畑線」。かなり「軍事的要素」が高い路線であったが、晩年は「下北交通」として第二の人生を送っていた事は記憶に新しいであろう。終点の大畑は、大間の南に位置し、大間まではそれこそ「下北交通」がバスで活躍している。そんな大畑線も姿が無くなってしまってから既に10数年の歳月が流れている。私は1983年にこの大畑線を訪問しているが、当時は「いい旅チャレンジ20000km」の「消化試合」に過ぎず、それほどこだわりも無く印象が薄かった。

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(私の所有している大畑線唯一の「資料」。「駅前」と呼べる雰囲気の駅前ではない。それは歴史の紐を解けばすべてが解決。)

しかし、当時を思い出すと「秘境駅訪問家」などが喜びそうな「樺山」や、むつ市の中心部に近い「田名部」など、いろんな顔を見せてくれる事が分かる。そして大畑から大間(奥戸)までの大間線、いわゆる「未成線区間」は地味に有名であり、その痕跡は現在でも数多くで残っている。また「下風呂駅」ではご覧のように、完全に列車が通るイメージが出来そうなくらいに整備されている。

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(画像はウィキペディアより。未成線区間の「下風呂駅」の予定地であったと思われる場所にある「下風呂駅」。それこそレールを敷いてしまえば列車がやってきそうな・・・)

未成線訪問ビギナーが訪問するには非常にやりやすいであろう大畑線であるが、廃線跡訪問としてはいかがであろうか。だが大畑や田名部などは現在も駅舎が残っており訪問のし甲斐があろう。
私の訪問した1983年の時は野辺地から一旦大湊に寄り、更に大畑まで行く直通列車であった。そして大畑で折り返し再び大畑に戻ってくるという運行であったため、ずっと座っていれば良く、かなり楽な思いもした。大湊より快速「なつどまり」に接続し、再び野辺地に戻るには大変便利であったが、国鉄時代の大湊線と大畑線の関係は、基本「大湊」での乗り換えを促すようなダイヤであったが、下北~大湊の往復運賃は?と少々疑問が残る。もちろん下北で律儀に待ち合わせをするのが本来であろうが、やはり拠点は大湊であるためそちらに比重がかかる事になる。

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(下北交通時代のキハ85。ご覧の通り「国鉄車両」であるが、現在は国鉄色に塗り替えられ保存されていると聞く。画像はウィキペディアより。)

もともと下北交通はバス会社であったが、鉄道の経営をしてみてどういう印象であったろうか?大畑線廃止の際にはあの「南部縦貫鉄道」が大湊線と一緒に引き取るような話が出たらしいが、下北半島を拠点とする下北バス(当時)が「わてのテリトリーを荒らされては困る!」と奮起し大畑線を引き取ったという逸話がある。鉄道経営は全くのド素人。しかも赤字路線を引き取るというリスクもあるというのに、一体どういう作戦があったのであろうか。今、その答えが出て何年も経過しているが、やはり鉄道経営は非常に難しい部分があるのであろう。

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(ウィキペディアよりの画像は現在の大畑駅の駅舎。下北交通所有であることは現在も変わらないが、国鉄時代よりは「下北交通カラー」に染められ若干新しさを感じる。)

下北交通時代にはJRとの間のレールは撤去されてしまい完全に「独立」した感であった。が、やはり客流動などを考えると大湊まで出るか野辺地まで直通列車を走らせるのが正解であったろう。もちろんそういう運行となると手続きやら何やらで面倒な部分もあろうが、やはり「下北止まり」では乗客的に便利であるとは思えない。沿線人口の減少とモータリゼーションの原因はどの鉄道路線も同じ問題を抱えているが、この「下北が起点」と言う事も要因になっていると私は思う。

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(下北交通になってから大畑駅に車庫が新設された。現在は「大畑線キハ85動態保存会」がここで運転会を開催している。画像はウィキペディア。)

そんな大畑線であるが、大間(奥戸)までの延伸と共に北海道側には「戸井線」という未成線と連結させる計画まであったそうだ。その計画も、現在の「海峡線」の開業でお分かりのように、戸井線と大間線を繋ぐと言う事は、本州と北海道を「陸続き」にさせる計画であったのだが頓挫してしまった。もしこちらが「海峡線」となっていたらどうなっていたのであろうか・・・まず「青森駅」の存在価値や地位が薄れてしまうであろう。そして野辺地が「新青森」となっていたかも知れない。

残念ながら私は国鉄・大畑線の時代しか知らない。しかしながら下北交通時代はさぞかし厳しい経営を強いられたであろう。国鉄から民間バス会社に譲渡された唯一の例として活躍したが、現在はその「バス」が引き継いでいる。若干運行形態は違うものの、大畑、更に大間までの足として活躍している功績は大きい。もし私が「樺山」に再び訪問するような事があった時、樺山駅はどのように私を迎えてくれるのであろうか・・・


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伊豆急行各駅巡り⑬ 稲梓

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稲梓・・・伊豆急行で最も特異な駅である。あの「秘境駅訪問家」が、そう「評価」しているように、稲梓は伊豆急行屈指の「秘境駅」である。駅に通ずる道は、駅の下部から登ってくる「階段」のみ。車での到達はほぼ不可能であり「マウンテンバイク」なら何とか到達できそうであるが、全く持って現実的ではない。いわゆる「小和田型」の秘境駅と言えよう。しかしながら駅から見下ろせば十数件の「住まい」が確認でき、それほどの「秘境度」は感じられない。
開業当時からある駅で、島式ホーム1面2線であるが、2012年に終日無人化された。乗降客数は100人前後でここ30年位推移している。そう考えたら数値的に安定している、伊豆急行の駅にしては珍しい部類に入る駅である。とは言っても決して「多い」とは言えない乗降客数ではあるが、この安定した数値からはもちろん「観光駅」と呼ぶにはもっとも「相応しくない」駅であろう。
伊豆急の各駅がリニューアルされている中、この稲梓は最も手が加わってない駅であろう。それは「WC」に行けば必ずわかる!

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駅名表の別バージョン。何か継接ぎのような形になっているが、果たしてその真相は・・・



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スロープを下り構内踏切を渡り、そして駅舎へ。既にこの位置から「無人」と言う事が確認できる。



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これが稲梓駅の駅舎。深夜の訪問は間違えなく「出そう」な雰囲気が漂う・・・


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駅に通ずる一本道。車での訪問はほぼ不可能であろう。


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窓口は閉ざされているが、一応「スイカ」は使えそう。終日無人となったため、御用の際の「インターホン」は下田駅に繋がるらしい。



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一通り散策も終了し、ホームに戻ってみることにした。ホームと駅舎をつなぐ構内踏切は「稲梓1号」と言うらしい。



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そしてホームへ・・・島式ホーム1本のシンプルな構造。と言うより地形の制約でこうなってしまったのであろう。


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ホームは全てアスファルトで覆われているのではなく、若干じゃりの部分もある。観光名所案内は空白が目立つ・・・



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こんな列車との待ち合わせもあった。だが、稲梓で見るとなんだか不思議な感覚。



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しかし私はこちらの方へ・・・



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プロフィール

ダイヤモンド✡トナカイ

Author:ダイヤモンド✡トナカイ
✩2022年4月より毎週土曜日更新になります✩


昭和・国鉄の話題を中心に紹介しています。


2013年に長野新幹線の長野駅にて「いい旅チャレンジ20000km」よりスタートした国鉄時代の制覇を含めJR全線制覇を、そしてゆいレール以外の鉄道全線制覇を達成いたしました。


以降、北陸新幹線と北海道新幹線などの開業によりタイトルは返上しています。

JR以外の私鉄を含む鉄道未制覇路線は北陸新幹線(長野~金沢)・北海道新幹線・仙台地下鉄東西線・仙石東北ライン・富山地方鉄道延伸部分・ゆいレール・相鉄直通線(相鉄新横浜線)、そして新規開業の西九州新幹線や宇都宮に開業したライトレールも新たに加わりますます未制覇路線が増えてしまいました・・・

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