いつどこで、どういう状況においても、誰の挑戦でも受ける!(後編)

唐津線に訪問したのは1983年4月、それこそ「18」を握りしめての旅であった。鹿児島交通廃止の情報を受け、神奈川県は湘南地区からなんと18きっぷのみで九州に上陸してしまったのだ!今考えたらとんでもない事を考えたものだが当時私は中学生。時間はあるが金はない・・・との事情から当然の「選択肢」であった。

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(1983年訪問時の姪浜にて。この駅も高架化により大きく変貌。かつての筑肥線時代のイメージは全く感じない。そして何より、地下鉄と相互乗り入れが開始され福岡市中心部と直結されたことが大きい。)

その道中で私は唐津線と筑肥線を制覇する訳だが、筑肥線に関しては電化直後の訪問で、唐津周辺の鉄道景色は劇的な変化をもたらしていた。先述した東唐津の変遷と共に名実ともに「中心」となった唐津駅は高架化され堂々とした佇まいになった。それまでの唐津駅は唐津線の中間駅的な存在に過ぎず「代表駅」のイメージには程遠かった。現在の姿になったのは約30年前で、電化と同時に先述の「呼子線」の一部を筑肥線に組み込み福岡の中心部へのアクセスが飛躍的に向上。更に姪浜から地下鉄と相互乗り入れが開始され、以前とは全く違う形にパワーアップされた。

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(「日本三大松原」のひとつ、虹ノ松原の最寄駅として活躍する虹ノ松原駅。何ともロマンチックな駅名だ。画像はウィキペディアより。)

私が唐津駅に到着したのは唐津線であるから当然気動車である。途中の山本ではかつて「東側」の筑肥線も接続しており、さながら「ジャンクション」であった。更にここから「唐津線・岸嶽支線」が分岐しており、それこそ配線が複雑であった事であろう。岸嶽支線は1971年に無くなってしまったが、貨物支線的な役割をしていて後に旅客営業も始めた。いわゆる「炭鉱で栄えた」という経緯であるが、時代と共にその役目を終えた形になった。

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(筑肥線と唐津線のジャンクションであった山本駅。かつては岸嶽支線も分岐しておりまさに「ジャンクション」であった。現在は筑肥「西線」のみを分岐し唐津線の駅として活躍。画像はウィキペディアより。)

そんな山本駅では筑肥線の「西側」の路線が唐津線を南側でオーバークロスする形になっているのはかつての名残であるが、その「西側」に関してはローカル色豊かな路線である。時刻表の地図上では「幹線」で区分されているのが不思議なくらいであり、新しいレールファンにしてみたらマギー司郎張りの「マジック」ではなかろうか・・・
そしてこの「西側」については、私のブログと相互リンクさせていただいている「LM徒然草 ~駅のある風景~」の管理人様においては「メッカ」である。特に「西相知」においては特段のこだわりや思い入れがしっかりと表現されており、是非ご確認いただきたい思いである。1983年の訪問時には全くのノーマークであったが、現在になってこの筑肥線の「西側」が煌めいてきた。

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(「西側」に所属する西相知はかつて交換設備があった。現在は棒線化され寂しいが、ここは私のブログと相互リンクさせていただいてる「LM徒然草 ~駅のある風景~」の管理人でいらっしゃるLM様の「メッカ」でもある。画像はウィキペディアより。)

そして「東側」であるがなんといっても電化と同時に激変し、姪浜~博多間が廃止され同区間が地下鉄化された。私が訪問した時は真新しい2面4線のホームに地下鉄車両がお目見え。普通にローカル線のイメージしかなかった筑肥線がこれほどまでに激変したものかと目を疑ってしまった。時間の関係から旧・姪浜駅への訪問はできなかったが、全く似ても似つかなかったであろう。地下鉄車両は筑前前原まで乗り入れてくるので非常に便利になった印象だ。同じ路線でありながらこれほど明暗が分かれた実例も珍しいであろう。

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(1983年訪問時の西側の終点「伊万里」。現在は周知の通り「松浦線」は第三セクターとして第二の人生を歩んでいる。)


もちろんどちらが「明」でどちらが「暗」かはその人の捉え方次第であろう。以前に私が紹介した「塩尻」に若干プロジェクトが似ている感があるが、この筑肥線の変貌は「なるべくしてなった変化」であろう。確かに当時の国鉄事情からすれば「英断」であったかも知れないが、やはり鉄道が「山本」「東唐津」「唐津」と分散していた唐津市民にしてみれば、この英断によって唐津駅に統一され、数ある選択肢の中から「鉄道を利用する」という事が比重を大きく占める事になったであろう。一方の「西側」については、ますます「ローカル色」が強くなりさながら「マニア」には気になる存在になってしまった。現在の姿になりもう30年以上経過した。私の訪問時は中学生であったから自然と「世代」がばれてしまうが、当時のこの変貌ぶりを間近で見た事は非常に貴重である。が、しかし変貌前の姿を見れなかったのが残念でならない。その姿を実際に見ようものなら中学2年生以前にタイムスリップしなければならない。
その姿を確認できた方が非常に羨ましい。特にスイッチバック時代の「東唐津」は、小学生時代の私は非常に憧れたものだ。と言うより、こんな小学生は若干「特異」かも知れないが・・・


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いつどこで、どういう状況においても、誰の挑戦でも受ける!(前編)

少々強引かも知れないが、時刻表の地図上で唐津線と筑肥線をペアで見た場合「白鳥座」になんとなく見える。とはいうもののかなり「翼の位置」が異なる配置になるが・・・
この唐津線と筑肥線は、私の知る限りでもかなりの変遷があり興味を引く。私は1983年の春に訪問しているが、筑肥線の東側がまさに電化直後であった。これは非常に残念な事である・・・と言うのも「非電化時代」を体験できなかったからだ。若く、または新しいレールファンにしてみたら現在の筑肥線の姿が異様な光景に映る事であろう。もちろん歴史の紐を解いて自身でその変遷を解決しておられるであろうが、やはり唐津線を挟んでの現在の筑肥線の姿はやや違和感を感じる。いっそのこと路線名を変更した方が利用者もスムーズになろう。レールファンならともかく、一般の方からすれば全く理解に苦しむ存在かもしれない。

東唐津駅(旧駅舎)
(1983年に虹ノ松原~山本間が廃止されたと同時にこの旧・東唐津駅も無くなってしまった。スイッチバック式の駅であり、運行上はネックとなっていた。画像はウィキぺディアより。)

さて、この筑肥線の変遷で注目すべき点はなんといっても「東唐津」の存在であろう。かつての東唐津は唐津市の中心部から見て松浦川の対岸にあった。博多方面から来た列車はここで進行方向を変えて南に下り山本方面へと行く・・・つまり東唐津はスイッチバックの駅であった。唐津市の中心部の人にとって鉄道で博多方面に向かう際には、一旦山本まで出るか松浦川を渡り東唐津駅まで出向かなければならず、かなりの不便さを感じずにはいられなかった。この解決策として以前に紹介した「塩尻」同様、当時の国鉄事情を考えた場合かなりの「英断」であったろう「ビフォーアフター」が敢行された。以前から工事されていた「呼子線」の一部区間を開業させ「東唐津」「唐津」「山本」の三つに分散されていた唐津市の鉄道事情を「唐津」に一本化しようというプロジェクトが動いたのだ。

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(1983年の電化と同時に大きく変貌した唐津。それまでは唐津線の単なるローカル駅の佇まいであったが、ご覧の通り高架化され筑肥線と唐津線の接続駅となった。利用者も一気に増えて市の中心としてマジェスティックな印象を醸し出す。画像はウィキペディアより。)

「呼子線」とは、筑肥線の虹ノ松原から唐津を経て呼子に至る路線で1968年から着工されていた。路盤やトンネル、高架橋などはほとんど完成していたが、唐津周辺での土地の取得に時間がかかっているうちに「国鉄事情」が変化していき頓挫してしまった。しかしながら需要が見込めると思われる虹ノ松原~唐津を筑肥線に組み込む事で工事を完成させ電化と併せて開業させようと企てた。それが現在の姿である。

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(1983年、電化直後に私が訪問した時の唐津駅。真新しいホームと車両が初々しい。昼間の時間帯であったため駅は若干閑散としていたが、当時はとても唐津線の「唐津駅」とは思えぬ変貌振りであった。)

電化は唐津線の唐津~西唐津も併せて電化され、西唐津には電車区が置かれた。西唐津から先はそれこそ「呼子線」であるが、現在においてとうとうレールに走る列車の姿を見ることが出来なかった。しかし唐津市にとって、この「プロジェクト」は博多方面への交通手段として相当の飛躍であったろう。だが、その陰には筑肥線の虹ノ松原~東唐津~山本の区間が廃止されたという「空(むな)しさ」がある。つまりこの区間が無くなってしまった事により筑肥線が分断されてしまったのだ。「分断された」だけでなく、筑肥線を名乗る両者は姿・カラー・運用など全く異なる存在となってしまった。
私たちのようなレールファンにすれば筑肥線の「西側」は非常に気になる存在になる事であろう。しかし華やかに見える「東側」も近年は運賃・所要時間でも勝る高速バスに若干押され気味と聞いた。改良から30年経った現在、さらなる改良の時期に来たのではなかろうか。新しく高架上に移設された東唐津駅も、もしかしたらそう願っているかも知れない。



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廃止路線を訪ねて⑮ 鍛冶屋線

かつて加古川線から三つの支線が分岐していた。三木線・北条線・鍛冶屋線の三路線であるが、現在は北条線のみが残っているのは周知の通りだ。その中でも一番早く廃止されてしまったのが鍛冶屋線である。鍛冶屋線では「西脇」の存在が非常に大きく、こちらが「加古川線」と思えてしまうほど列車の運行は野村(現・西脇市)から鍛冶屋線に乗り入れ西脇や鍛冶屋に向かう列車がほとんどであった。特に西脇は西脇市の中心に位置し利用者が多かった事から、鍛冶屋線廃止の際は野村~西脇間だけでも残そうみたいな運動があったと聞いた。結局、路線名がアダとなり現在の姿になっているのは周知の通りであるが、現在も曽我井以外は何らかの形で鉄道の歴史があった「証」がある。

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(私が唯一所有する鍛冶屋線の「資料」。と言っても鍛冶屋線内は何も残っておらず残念であるが、当時は鍛冶屋線に関しては全くのノーマークであった。)

私がこの地に訪問したのは1983年・春である。それこそ「18」で参戦したわけだが、この時に加古川線とその支線を全て制覇している。この支線の中では三木線が当時一番楽しみであった。その模様は後日紹介するとして、鍛冶屋線の参戦に関しては北条線制覇の後、粟生から鍛冶屋までの直通列車であった。途中の西脇で乗客の入れ替わりが多く、と言うよりほとんどここで下車してしまい、鍛冶屋まで向かったのは地元民よりむしろ私のような「物好き」の方が割合的に多かったような印象だ。

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(中村町の駅舎はウィキペディアよりの画像。現在は公園に整備され、鉄道の歴史もしっかりと残されている。)

終点鍛冶屋では折り返し時間わずか6分であったためとにかく慌ただしかった印象しか残っていない。入場券を購入したり写真を撮っているうちに出発時間になってしまったが、列車のドアが閉まった瞬間に「いい旅チャレンジ20000km」の証明写真を撮影し忘れてしまった事に気付き、出発した列車の中から駅名表を通り過ぎる際に自身の姿と一緒に収めるという「荒技」に出た。結果的に成功したが、鍛冶屋駅に関してはこんな印象がとても強く残っており他の記憶を消された感じだ。

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(画像はウィキペディアより。現在の市原駅は「鍛冶屋線資料館」として第二の人生を送っている。)

そんな鍛冶屋線も現在は先述した通り、何らかの形で鉄道の歴史の証が各駅で見られる。終点・鍛冶屋と市原は「鍛冶屋線資料館」として駅舎が使われているが、市原に関しては一度駅舎が取り壊され復元されたものだ。中村町と羽安は公園に整備された。曽我井に関しては「証が無い」と先ほど述べたが、曽我井駅付近の道路に駅があった事を証明する「標識」が唯一の「証」となっているらしい。そして鍛冶屋線の中心駅・西脇に関してはホテルとバスロータリーに変身。今でも町の中心として活躍している。

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(終点・鍛冶屋の現在の姿。「鍛冶屋線資料館」として現在も駅舎が残る。画像はウィキペディアより。)

廃線訪問ビギナーには訪問し安い「物件」であろうが、鍛冶屋線沿線住民はかなり鉄道に思い入れがあったようで、今もこうして何らかの形で鉄道の歴史が残っているのは先述の通りだ。特に西脇は市の中心部に駅があったため廃止の報告はさぞかし無念であったろう。
他の交通機関はどうかわからないが、鉄道という交通機関は廃線跡や廃止後の「遺跡」等が全国に多く存在する。多くの場合、それにとても興味を持ちそしてノスタルジックになってしまうのは私だけであろうか?例えば「路線バス」に関して言えば「廃止バス停跡」というのが全国にどれだけ存在するのであろうか。もし存在したとしてもどれだけの興味がもてるのか。船に関しては、例えば「青函連絡船」等は「摩周丸」等が保存されているが青森駅などの連絡設備は撤去されているし、宇高航路等も同じ状況であろう。飛行機に関しては全く情報がないのでご教示いただければ幸いであるが・・・これらと鉄道を比較してみた場合、私にとっての鉄道は「特別な存在」であるからかも知れないが、やはり廃線跡はグッと引き付けられる「何か」がある。このブログをご覧の皆様はどうお感じになられるであろうか?
私の身近には、ご存じ相模線の「西寒川」が存在する。西寒川駅は公園に整備されかつての面影はないが、寒川~西寒川間に関しては「一之宮公園」の中で今もレールが活きている。私が実際に公園内に訪れても往時の面影がハッキリと伝わってくる。もう廃止から30年経過したが、まだまだ列車がやってきそうな感じだ。
かつてより鉄道の性能が格段に向上しているはずなのに利用者が減少傾向である不思議な現象。それは鉄道以外の交通機関も性能がアップしている、いわゆる「モータリゼーション」や人口の一極集中化や少子高齢化などによる人口減少などによるものが原因であろう。
現在の鉄道事業法では、廃止に関しては「許可制」から「届出制」に変更された。つまり経営者側の考えが利用者より優位に立つことになるのだ。以前の「83線区」の時代には「廃止したいのですが・・・皆様いかがでしょうか?」とひとつひとつの問題をクリアしなければならなかったが、現在は「廃止するのでヨロシク!」と経営者側が一方的に決められる。以前より簡単に廃止ができるようになったのもひとつの要因であるかのように近年は鉄道路線の廃止が多い。

全国に散らばる廃止路線跡や未成線跡。紙切れ一枚で簡単に廃止できる現在の状況は皆様どういう風に感じるであろう。確かに経営者の立場に立ったとしたら苦渋の決断であることも分からなくはない。しかしながら鍛冶屋線に限らず、その廃止路線や未成線ひとつひとつの歴史は非常に重いはずだ。あなた自身の「歴史」と同じくらいに。



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かけめぐる「青春」⑩ 姨捨

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「姨捨(冠着)山」で有名なここ姨捨駅は「日本三大車窓」で有名であるとともにスイッチバックの駅としても名高い。「楢山節考」などでその名を知られる「姨捨山」は歴史的遺産も多く存在する。芭蕉来訪に象徴されるように、やはりここは日本有数の景勝地として名を馳せており、特にここで見る「満月」等はサイコーであろう。私は1982年8月に訪問しているが下車はできなかった。乗っていた列車は長野発新宿行のいわゆる「中央夜行」で「青春18」での旅であった。夜7時頃であったが夏の為まだそこそこ明るく、星空や月を見るには若干物足りない印象であったが、当時中学生の私にしてみれば、月夜の景色よりもスイッチバックの施設の方が何かと気になってしまっていたので当時の景色はあまり印象が無いに等しい。いずれは改めて夜にでも訪問してみたいものだ。
今回の私の訪問はちょうど昼時であり約1時間ほどの滞在であった。そのため松本辺りで駅弁を購入する予定であったが、当日は列車のダイヤが若干乱れ弁当を買うのも時間との戦いであった。プラス世間は3連休の為、意外にも「18」の利用者が多く、首都圏のラッシュ時と変わらない混雑振りであった。
しかし姨捨駅についてみれば3~4グループが下車したが、他に2グループほど既に駅に滞在していたりしており、改めて姨捨駅の人気を肌で感じた。とは言え、駅自体は静寂に包まれ、いわゆる「秘境駅」のムードも醸し出してはいる。が、駅前からバスも接続しており、付近の拠点としても活躍している印象だ。
今回の訪問時にはなんと貨物列車のスイッチバックシーンを拝むことに成功!全くの「想定外」であったため対応に忙しかったが「同業者」達は事前に知っていたらしくそちらは滑らかな対応をしていたのは素晴らしかった。そんな由緒ある駅の待合室で酎ハイを飲みながら駅弁を食べていたのは私くらいか・・・そんな状況を皆様はどういう印象をもたれたであろうか?


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いよいよ姨捨に到着。スイッチバック駅のため構内は複雑な配線で、レールのジョイント音がいつもより多く鳴り響く。


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駅の様子はこんな感じだ。松本方面行のホームには景色を見るための設備もしっかりとある。配線的には昔とほとんど変化が無いと思われるが、若干ながら所々リニューアルが施されており、古めかしさを感じさせない。



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松本方面行ホームからは有名な景色と共にこんな光景も。こんな高低差があるのだからスイッチバック駅と言うのもうなずける。



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そしてこれが「3大車窓」である。いわゆる「善光寺平」が一望。是非夜に来てみたいものだ。



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姨捨駅の駅舎をホーム側からも撮影してみた。若干のリニューアルはあるもののほぼ昔と変わっていないと思われる。「駅舎マニア」にはかなり喜ばれる材料であろう。



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駅舎隣には職員の詰所らしき設備も存在。特に冬の季節には重宝するであろう。



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駅前からはバスも接続。全国版時刻表にもちゃんと掲載されている。意外にも本数は少なくない。



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駅舎内の待合室は当然駅員はいない。ちゃんと扉も閉まるのに寒さを否定できずにいたが、そこは「酎」で体を温める・・・



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何と貨物列車が入線してきた!しかも当然律儀にスイッチバックしていく。特急列車を1本見送った後再び何事も無かったかの様に消え去っていった。



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ちなみに私はこんな装備であったが・・・列車が到着して救われた思いだ。しかしながら定刻より4分遅れであった。これに乗り長野方面へ向かい、更に二本木を目指した。




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かけめぐる「青春」⑨ 二本木

来年には「トキめき」になってしまうのか、ここ二本木駅は信越本線唯一のスイッチバックが残る駅で有名だ。以前は隣の関山もスイッチバックであったが、現在はスイッチバックは解消されている。1982年8月にこの関山も私は通ってはいるが、訪問当時はまだスイッチバックが健在であった。が、やはり二本木の方が印象が強い。そしてこの二本木の特徴としては2014年現在でも朝の時間帯には二本木発着の列車が設定されている事であろう。それはスイッチバックという構造柄なのか、それとも二本木でかなりの需要があるのかは定かではないが、とにかくこの列車設定は何かと「嵐を呼びそうな」雰囲気が漂う。
しかしながら、なぜここ二本木にスイッチバックが今も残っているのかはやはり歴史的背景が当然ある。それは2007年まであった「貨物」によるものである。二本木発着の貨物列車はかなりのもので、専用線が分岐していたほど。ここから発送される「原材料」は北九州や広島方面に行っていたそうであるから相当の品質であったのだろう。残念ながら現在この二本木から発送される貨物は全て無くなってしまったが、スイッチバックだけが残り若干寂しい印象である。

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しかし、ただ「スイッチバック」と言うだけではなく、駅そのものに魅力を感じる二本木であるが、かつて私のブログで「頑張れ、二本木君。」というタイトルで少々紹介させていただいた。その時は下車できずにいたが、今回は約1時間ほどの時間をとり駅をじっくり観察した。現在は業務委託駅として駅員が配置されている。この事が私にとって訪問時の「救い」になったのだ。と言うのも、今回の訪問時は関東では「春一番(決して某プロレスラーのマネをする人物ではない)」の話題が紙面を賑わせている中、春装備で参戦した今回の旅では既に篠ノ井線付近から雪がパラついてきた。二本木に到着する頃には完全に辺り一面銀世界になっており、自身の装備的に「二本木は見送ろう」との思いが頭をよぎった。だがせっかく来たのだからと、意を決してホームに足を踏み入れた。もちろん駅は銀世界。しかしながら想像していたほど寒さを感じなかった。やはり春はそこまで来ているのだ!と思い駅舎に向かえば、なんと「暖」が入っているではないか!!駅員がいる温かさ、そして家庭用の暖房器具2基で温かさを保つ待合室は神に手を差し伸べられたような思いであった。
そんな二本木駅は、今もこの町の代表としてマジェスティックな印象を醸し出すが、構内の広さや側線が若干持て余し気味な印象は否定できない。今後「トキめき」になってもこのままスイッチバックは残っていくのであろうか・・・


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二本木に到着。自分の衣装が「春」であるのにご覧の景色は若干ショックを受けた。しかし意外にもそれほど寒さは感じ無かった。



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地下道を潜り駅舎へ向かう。季節に対する防御は完璧なくらいの駅装備だ。メンテナンスもしっかりと行き届いている。


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なかなか魅力的な駅舎である。開業当時からのものであろうか?


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駅前の景色はそれなりに「生活」を感じることが出来る。現在は1日300人前後の利用者があると聞くが、中にはかつての「貨物」の工場で働く人もいる事であろう。付近には今も工場が多く存在する。


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駅舎内は意外に簡素であった。家庭用の暖房器具2基で温度調整しているのが微笑ましい。


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私は滅多にスタンプを押すことがないが、ここ二本木駅にはスタンプがあったので試してみた。押す技術的には別として・・・付近では「大パノラマ」が拝見できるのか・・・


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貨物設備の関係から、現在も広く残る構内。これからもこのままの姿を維持してもらいたいが・・・


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昔ながらの風景が・・・こういうところに二本木の魅力があるのかもしれない。


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次の訪問地へ目指すため列車を待っていると、交換列車の「妙高」が!できればこちらに乗りたいが、乗ってしまった場合、帰郷してしまう事になる・・・


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二本木に降りて初めて知ったが、ポイント部分にはなんとスプリンクラーが!



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そして「妙高」を横目で見送り、私はこちらで直江津方面へ・・・




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かけめぐる「青春」⑥ 筒石

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北陸本線にある筒石駅は、ご存じ「土合」と共に「トンネル駅」として名高い。上下ともに北陸本線の頸城トンネル内にホームがあり、地上にある駅舎までは長い通路と階段で結ばれている。もともと駅自体は地上にあったが、地滑りなどの災害が相次ぎその対策として現在の形になったと聞く。私の訪問時には「同業者」が3~4組いたがその中には親子での訪問者もいたほどの人気振りであった。
「土合」程ではないがホームから駅舎までは長い階段を伝わなければならない。約280ほどの段数を登らなければならないが、常駐の職員は1日に何往復するのであろうか・・・実際に私の訪問時には下車の際に駅員がホームでお出迎えであった。女性の職員であったが恐らく簡易委託職員であろう。
駅舎にたどり着くともう一人男性職員が改札にいた。かなりのベテラン様と見受けられたが、こちらも民間委託職員であろう。常時2人以上の勤務であると思われるが、利用者は二桁程と推測される。
そして、ここ筒石駅で有名なのが「18」の常備券がある事だ!が、私の訪問時には既に売り切れであったのが残念であった。
とは言え、レールファンにとっては気になる駅には変わらない。やはりこういった駅は人生一度でいいから訪問する価値があると思う。しかし、この駅の利用者は「一度」では済まないが・・・


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筒石に到着した。事情に関しては事前に分かっていたものの、やはり独特な雰囲気は緊張感漂う。



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通路の案内表示に従って駅舎に向かう。途中、職員が下車の確認を終え駅舎に向かう。が、私たちと一緒に駅舎に向かうかと思ったが、いつの間にか消えていた・・・と言う事は、職員専用の「秘密の通路」でもあるのか・・・


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これが筒石駅の駅舎。なんとなくプレハブ感が漂うが、駅舎内は意外に重厚であった。駅員は列車の到着時間に併せてホームに行く。いったい1日何往復するのか・・・


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これが駅舎内。待合室は意外に華奢な造りであった。「18」の常備券は既に完売御礼であった。切符売場には「マルス」があると思われることから常備券でなければ「18」を販売してくれると思うのだが・・・


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駅前にはこの駅の特徴が最大限にアピール。



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再びホームに戻ってみた。ホームと駅舎方では恐らく気圧が違うと思われ、特に特急列車通過の際はものすごい風が吹く。ホーム幅も狭いため、そういう事から列車到着時などには駅員がわざわざホームに出向くのであろう。


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これが筒石駅のホームである。上下線で異なる位置にホームがあるのは、先ほどの「風圧」等の理由があると思われる。やはり東京などの地下鉄の駅にいる雰囲気は無く「トンネルの中にいる」という実感が湧く。




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かけめぐる「青春」⑧ 初狩(後編)

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前回に引き続き初狩駅を紹介しよう。今回はスイッチバックの設備、つまり旧駅の部分を主にご覧いただきたい。現在は先述の通り貨物設備として機能しているが、かつてはこちらにホームがあった。現在の旅客ホームより地下道を潜り駅舎に向かうが、その際に構内踏切を渡り駅舎に出る。通路からは間近でポイントなどが見られレールファンには嬉しい材料であろうと思う。そういえば後述するが、この後に訪問した「姨捨」では貨物列車がホームに入線し、いわゆる「スイッチバック」が見られた。この初狩でもそういった光景があるのであろうが、私の訪問時は残念ながら確認できなかった。現在も設備を残すこの初狩を「世界遺産」にでも登録してほしいものだが、これからも後世に残してもらいたい。

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駅舎から見たホームに向かう通路。たくさんの貨物側線を渡りホームに向かうのが何とも言えずレールファンの心をくすぐる。


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ホームから見た旧ホーム側の風景。かつての旅客設備の面影は薄いが、今もしっかりと機能しているのが嬉しい。


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ホームからみた東京寄りの風景。引き上げ線が見えるが、かつて単線であった頃の面影が唯一残るであろう設備かも知れない。



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構内踏切から見た初狩駅構内。ポイントも間近で見られ迫力満点!私の訪問時は若干「独占」の時間があったので撮りたい放題であった。



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旧・ホームの場所と思われる付近に行ってみた。「見られている」と思うとなんだかちょっぴり引いてしまう感じがしたが、ここは勇んでシャッターを切ってみた。


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そして次に乗ってくる列車がやって来た。中央本線はまだまだ「国鉄」が活躍している・・・



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かけめぐる「青春」⑦ 初狩(前編)

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ご存じ初狩は、中央本線唯一の「スイッチバック」の駅として有名である。かつての中央本線はそれこそスイッチバックだらけであったが、複線化と共にそれらの各駅は勾配上にホームが作られ、私の知る限り残ったスイッチバック駅は東塩尻信号場とここ初狩のみであった。東塩尻に関しては1983年に塩嶺トンネルが開通すると役目を終えた。信号場とは言え時刻表には(臨)の文字が表示され旅客扱いもしていた「常設駅」的存在であった。現在はその地位をみどり湖に譲りスイッチバックも無くなった。

初狩に関してはスイッチバックが残っているものの旅客扱いは勾配上に新たに作られたホームで行われる。スイッチバック時代の旅客ホームは若干残骸が確認できるが殆ど面影が残っていない印象であった。なぜこの駅だけがスイッチバックが残されたかは各メディア等で確認できるが、工事列車や貨物列車の発着の為の設備に過ぎないと記されている。とは言え、かつての「遺跡」が今もこうして残っているのはありがたい。

私は朝7時にこの地に到着したが、朝日を浴びながらの初狩駅もなかなかのものであった。通常、この時間帯なら通勤通学という忙しさの印象であるが、訪問当日は祭日というのも手伝ったかほぼ「独占」させていただいた。しかしながら列車到着時間近くになるとチラホラ乗客の姿も見えしっかり「駅」として機能している印象であった。駅前にはコンビニなどの店は見当たらず少々不便を感じたが、こういった駅をこういう形で訪問するのは私のような「特殊」な趣味を持った人間くらいであろうか?


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朝7時に到着した初狩駅。当日は天候にも恵まれ心地よいスタートを切ったように思えたが、衣装的に若干春装備であったため、湘南地区との気温差に面食らってしまった・・・


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とりあえず駅舎に向かってみる。ホームに向かう乗客と何人かすれ違ったが、そこそこの利用者があるのは良い事だ。


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初狩駅の駅舎はこんな感じ。恐らくスイッチバック時代からのものと思われる風情ある建物だ。


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公式上は業務委託駅であるが、私の訪問時は時間帯によるものか駅員は不在であった。


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途中、上り列車がやって来た。なんと「スカ色」!できればこちらに乗りたかったが・・・しかしながら列車の傾きに注目していただきたい。かなりのカントである。



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上り「2038レ」発車!

「上り2038レ発車!」そんな車掌の声がこだまする貨物・客車の「混合列車」は車掌の合図とともに只管雨の鉄路を突き進む・・・私はそんな混合列車に一気に引き付けられてしまった。今でもハッキリと覚えている車掌の声。と言うより「声紋」までハッキリと記憶にある感がある。「2038レ」と言われても、相当のコアなファンで無い限り全く意味が分からないであろう。2038レ・・・1980年代の時刻表をお持ちの方は是非開いていただきたい。
当時の「国鉄監修・交通公社の時刻表」を開いていただくと貨物列車の時刻も掲載されていることに気付くはずだ。私の紹介している「2038レ」は鹿児島本線上り列車であった。貨物列車としては鹿児島発熊本行であるが、旅客列車としては川内発八代行の普通列車である。

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(画像はウィキぺディアより。「2038レ」ではないが、混合列車のイメージとして使用させていただいた。実際の「2038レ」は貨物編成の最先端に一両に旧型客車が連結されている姿であった。)

1983年3月31日、私は鹿児島交通制覇の後に鹿児島本線を北上。川内よりこの「2038レ」に乗った。もちろん選んで乗車したわけではなく、全くの偶然であった。その偶然が引き寄せた幸運とでも言おうか・・・これは本当に運命と思ってしまうくらいの出会いであった。私を待っていたのは長い編成の貨物列車の最先端、つまり機関車の後ろにポツンと旧客が連結されていた「普通列車」であった。
降りしきる雨の中、貨物列車の役割を担いながら普通列車としての使命も忘れない。貨物列車としては「運転停車」としての扱いで「普通列車」としては各駅に停車し乗客を降ろしていく、と言っても乗車している人は、乗車率にしてみたら一桁か二桁前半であろうが、私としてはこういう地味な列車がとても好きだ。特にレールファンが乗車しているわけでもなく、普通に日常の乗客が乗っているような・・・そんな列車が私は好きだ。

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(当時の思い出として「2038レ」に乗車する前に鳥栖で買った、なんと入場券!硬券が欲しかったのだが在庫が無かったのであろう。取り合えず間に合わせの措置と思われるが、今となってはかなりレアな物になってしまった。)

さて、そんな列車に揺られながら八代目指すにはわけがあった。そう、この旅の乗車券・・・「18」であるのだ。という理由から乗車できる列車が制限されてしまう。私がこの「2038レ」に揺られているのはもう夜の時間帯だ。当時鹿児島本線には「かいもん」が夜行列車として活躍していたが、それは急行列車であった。もちろん「別料金」が発生するので乗車するには勇気がいる。今回の旅の考え方としては、この夜となってしまった鹿児島本線の区間、行けるところまで普通列車行き、途中に「かいもん」を挟み都合の良い始発列車のある駅で降りるという行程を組んだ。そこで出会った「偶然」は30年以上経ってもしっかり記憶にある素敵な列車だ。
この「2038レ」は貨物列車としての使命か阿久根で14分、出水で25分、水俣で40分、と長時間の停車がある。変な話、袋から津奈木に乗車する乗客がいるとすると・・・普段は10分位の距離であるが、間に水俣を挟むことによって1時間もかかってしまうのだ!実際にそのような乗客がいるかどうかは別として、何とも異色な移動手段ではなかろうか?そんな貨物列車の最先端にたった一両の「普通列車」は各駅ごとに車掌の合図がこだまする。つまりこの客車は「車掌室」も兼ねているのだ!しかもその車掌は乗務員室にはおらず、客席をワンボックス占領し乗務をしていた。列車が発車する際に「上り2038レ発車」と窓を開けて機関車に合図を送る・・・素晴らしく素敵だ!と思うのはおそらく私くらいか?
八代に着いたのは深夜1時15分。私たちが下車して間もなく客車内が消灯された。たった一両の旧客は「回送」という名目で熊本に向かっていった。「私もそのまま熊本まで連れて行って欲しい・・・」との想いでホームから列車を見送った・・・

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(ダイナミック☆トナカイより提供の清水港線の列車は、混合列車の「代表」と言っても過言ではないであろう。ちなみに私もこの清水港線は同行しているが、こちらも貨物編成の最後尾に2両の客車が連結されていた。)

私も数々の混合列車に乗って来たがこれほど印象強い列車は無かった。もちろんこの列車について各メディアなどが取り上げた記憶が無い。それこそ当時の鉄道誌などは「824レ」などが話題になっていた時代だ。「824レ」は混合列車では無かったが、「824レ」と聞いてすぐにお分かりの方は私と同世代が先輩であろう。この列車は1980年代に「日本最長距離を走る普通列車」として有名であった。これは山陰本線で運転されていたものであるが、この「最長距離」をもってしても山陰本線を全区間運転されていたわけではない。そんな列車とはほど遠い私の「2038レ」は、失礼ながら「824レ」より輝いていた。

このブログをご覧になっている皆様も「思い入れのある列車」と言うのが必ずあるはずだ。私の場合、どうしてもこういうマイナーな列車になってしまうが人一倍思い入れが強い。かつて私が中学時代に所属していたクラブ活動「鉄道研究クラブ」にて鉄道誌を発行していたが、当時この「2038レ」の記事をその鉄道誌に載せてしまった。まぁ、私が編集長をしていたので「権力の乱用」ではないが・・・とは言えこのようなマイナーな列車の乗車記が果たして皆に受け入れられたかどうか・・・と今になって思うが、当時顧問であった教諭からは普通に「評価」されたのが実に良かった。普段はあまり褒めたりする印象が無かったが(と思っていたのは私だけかもしれないが)、普通に「これ、いいね」と言っていた。まぁ、以前にも触れた事であるが、その教諭には鉄道誌数冊を貸し出しているのだが30年以上経過した現在も返却が無いし連絡もない・・・と全く個人的な事で申し訳ないが、こんな思い出がこの列車を振り返ると思い出される。

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(画像はウィキぺディアよりの貨物列車。かつて混合列車と言えば先述の清水港線はもちろん、福知山支線<塚口~尼崎港>でも活躍していた。だが、私の紹介している「2038レ」は表に出てこない地味な存在であった。)

失礼ながら、このブログをご覧になっている皆様、「2038レ」と最初に言われて「?」であったと思う。私自身、この列車に乗る前は予備知識など全く無くノーマークであった。しかしこういった列車に偶然出会えたのは実に幸運であったとの思いは先述した通りだ。今となっては混合列車という列車自体が「伝説」となってしまった。もちろん体験したくても現在は叶わぬ夢かも知れない。しかしながら古き良き昭和の思い出としてこれからも私のブログで再び紹介する機会もある事であろう。その時はまたお付き合いいただければ幸いである。そしてこの車掌の言葉を再び記す事になろう。「上り2038レ発車!」



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続きを読むをクリックしていただくと、私が中学時代の学校でのクラブ活動「鉄道研究クラブ」の時に書いた「体験乗車記 2038レ に乗って」がご覧いただける。中学生の文章なのでそのあたりは「ご了承」いただきたいが、とりあえず原文のまま載せさせていただいた。ちなみにこの鉄道研究クラブで発行していた「えき」という鉄道誌では先述通り私は編集長であったので、編集長が編集した責任重大な記事であった!!とは言え、他の所属員の記事を前面に出し、私のこの記事は巻末に載せた。それくらい地味な列車であったがその思いは果てしない。(「いじらしい」の使い方を少々間違えている場面もあるが、なにせ「中学生」なもので・・・)

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かけめぐる「青春」⑤ 鯨波

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北陸本線にある鯨波駅は「どのような特徴があるの?」といわれてすぐに言葉が見つからない。強いて言えば「私好みであるから!」とでも言おうか。とはいうものの、海水浴場にほど近く、シーズンにはなんと水着で列車に乗ってくる乗客もいるとかいないとか・・・しかし新潟県民は、あの日本海の荒波を海水浴で使うとは・・・私のような「湘南」の人間にとっては何とも言えぬような胸騒ぎがする。そんな日本海にも「鯨波」という幻想的な名前の海水浴場があるとは何ともロマンチック。私の訪問時はシーズンオフであったが、初めての訪問は1982年の8月であった。この時は下車しなかったが確かに海水浴客と思われる乗客が挙って下車したのを覚えている。
そんな海水浴場に近い鯨波も普段はひっそりとしており、2014年3月に私が訪問した時は完全に「独占」させていただいた。約20~30分程の滞在時間であったが万遍なく駅を観察させていただいた。現在は駅員無配置になってしまったが、1日の利用者は50人~100人前後と推測される。


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2014年3月に訪問。相対式ホーム2面2線は北陸本線の典型的なローカル駅である。


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こちらは1982年8月に訪問した時の駅名表。ご覧の通り、海水浴客と思われる乗客が多数下車しているのが分かる。


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青海川ほどではないが一応海に近い。しかしながら駅構造が隣の青海川と似ているため海が無ければ一瞬錯覚を起こしそう。


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駅舎を撮ってみた。全体的にクジラのイメージであろうか?青と白を基調としたコントラストは実に良い。2階建ての構造となっておりWCは1階にある。


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駅舎の中に入ってみた。駅務室にはなぜか魚沼線・片貝駅のスタンプがアピールされていた。


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駅務室は固くカーテンで閉ざされていたが、シーズン期間だけでも駅員が来そうな雰囲気。


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青海川ほどではないが、駅から海が近いのがお分かりいただけるであろうか。私は海水浴場と言うと茅ヶ崎や江ノ島のイメージしかないため、鯨波のような海水浴場は風情あふれる印象が強い。


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貨物列車を見送り、次の駅目指す。ハッキリ言って少々の時間だが鯨波を「独占」させていただいた。



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かけめぐる「青春」④ 青海川

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青海川は「日本で一番海に近い駅」として名高い。日本には「一番海に近い」駅は沢山あれど、ここ青海川は「日本一」を名乗っても納得できる材料がしっかりと揃っている。もちろん物理的に考えた場合、神奈川県の「海芝浦」が思い浮かぶが、そんな「屁理屈」がどうでも良くなるここ青海川はホームに立つと納得する。私のブログと相互リンクさせていただいている「LM徒然草 ~駅のある風景~」の管理人であるLM様はここ青海川にかなりの想いがあると聞いている。そのことに裏付けられるように、この駅には引き寄せられる「何か」が存在する。また、LM様のブログでは旧・駅舎もしっかりと紹介されているので是非!
ここ青海川はロケーションはずば抜けて素晴らしいが、私の訪問時は風が強くいささか寒さを覚えた。と言うより、ホームから見える風力発電のプロペラに象徴されるように、ここは有数の「強風地帯」なのかもしれない。
また、長岡寄りには旧線跡と思われる空間とトンネルがハッキリと残っており、さながら「廃線マニア」の心を揺さぶる。その場所は徒歩でも到達可能なため意外にも観察するにはもってこいであろうが、駅前の高台を上ってもその全貌が拝める。
私が訪問したのは午前中であるが、この駅から眺める夕陽はそれこそ「日本一」の名に相応しいであろうと聞いている。いつか再びこの地を訪れる事を楽しみにしている。


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午前10時前に到着した。ホームに足を踏み入れると早速日本海の洗礼を受ける。頬を打つ冷たい風は、日本海の荒波にももまれたかのように心底冷える思いだ。


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「どう?」と思わず言ってしまいそうな駅の雰囲気。数々のドラマでもロケ地として登場するのもうなずける。


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長岡方面のホームがどうしてもクローズアップされがちであるが、富山方面乗場からの景色も見逃せない。大きな橋の向うには風力発電の設備が。


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通常の駅名表の他、こんな駅名表も登場。ちなみにこの駅だけかと思ったら新潟県の各駅にも存在した。


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2007年に災害の為駅舎を建て替えた。新しい駅舎には「駅ノート」もある。ちなみに私も一筆したが、寒さのせいで字が若干読みにくくなっている・・と言い訳しておこう。訪問の際には是非。


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駅を離れ高台から眺めてみた。旧線と思われる廃トンネルが大きく口を開けていた。トンネルまでの旧線跡は歩道になっているようで、トンネルまでは容易に行けそう。私は時間の制約から次回にした。


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ホームから見ても旧線跡が確認できる。青海川はこの旧線跡散策だけ来ても価値がありそうだ。


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「日本海」と言うより「城ヶ崎」のようなイメージか。船越や片平辺りが良く顔を出しそうなロケーション。


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貨物を見送り帰郷する列車に乗る。再びこの地に訪れる事を約束しよう。



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プロフィール

ダイヤモンド☆トナカイ

Author:ダイヤモンド☆トナカイ
創設:1969.03.09
所在地:神奈川県湘南地区

〇2013年6月11日、北陸新幹線長野駅にてJR全線制覇いたしました。
国内の鉄道は、沖縄の「ゆいレール」を残し全線制覇しました。(とは言うものの、2015年3月の北陸新幹線延伸によりJR全線制覇は「ベルト返上」しました)

★ ブログ記事の「リメイク版」は、以前にホームページで紹介した旅日記をブログでリメイクしたものです。


◎ブログの登場人物

★ ダイナミック☆トナカイ
・・・中学時代の後輩で、2013年に約30年振りに再会を果たした。数多くの写真を提供していただいた「盟友」でもある。

★ おさる・・・かつて私がバンド活動をしていた時のメンバーで、鉄道復活のきっかけを作ってくれた人物。彼とは「秘境駅」を数回訪問した「親友」でもある。

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