北海道全線制覇の時⑧

札幌に一泊した私は宿泊先より徒歩で「すすきの」に向かった。と言っても「遊び」に行ったのではないのでくれぐれも・・・
すすきのから「市電」を制覇するため碁盤目の迷路を彷徨う。地図で見た限りでは宿泊先から電停まではほんの5分ぐらいの距離のはずであったが、景色が全く同じように映り全然辿り着かない。ようやく市電を見つけたが電停までどう行けばいいのか・・・と初っ端から躓いてしまったが、その時間なんと40分!このロスは大きいが、もちろん計画は始めから余裕を持って作っていたため最終的には元の行程に戻ったが、市電制覇の時にはどうなるかとひやひやした。

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(札幌市電の写真を、どうやら私は撮影していなかったようだった。一応ウィキペディアより拝借。)

ようやくすすきの電停から市電を捕まえた私は早速西4丁目に向かう。札幌市電は一見一本の路線に見えるが、実は「一条線(西4丁目停留場 - 西15丁目停留場)、山鼻西線(西15丁目停留場 - 中央図書館前停留場)、山鼻線(中央図書館前停留場 - すすきの停留場)」から成り立っている。なんでこんなになっているの?と思われる方もいると思うが、これは歴史の紐を解いてみると全て解決する。つまり数多くあった路線が時代と共に廃止され、結果残った路線が現在の姿と言う事だ。すすきの電停から西4丁目まではハッキリ言って歩いて行ける距離であろう。地下鉄にしてみたらたった一駅位の距離だ。そんな路面電車を全線通して乗車するのは私のような「渡世人」くらいであろう。しかし「路面電車」とはよく聞くが「路面鉄道」とは聞いたことが無い。一体なぜそうなったのであろうか?と言うか、そんな事どうでもいいのだが、そんな事を考えながら路面電車をさりげなく制覇した。始発から終点まで乗車したのは私だけだ。こんな乗客、一般的にはいないであろう。途中で運転手も交代し、最後まで乗車した事を証明してくれる「証人」は、何を隠そう、この「私のみ」である。

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(低床化が進んでいる札幌市電。だが、まだまだこちらも頑張っている。画像はウィキペディアより。)

さて、市電を制覇し、今度は地下鉄制覇に乗り出す。西4丁目から大通駅までは徒歩ですぐである、と言うより隣にある。路線図を見ていただくとおわかりになるが、札幌の地下鉄は大通を中心に各地へ放射線状に伸びている。と言う事はつまり終点に乗換路線がある新さっぽろ以外は全て「折り返し」が発生するという、何とも「乗り潰し派泣かせ」の地下鉄であった。

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(私がイメージする札幌市地下鉄はこちらの東西線車両。既に引退しているが、初めて見たときは斬新なフォルムで非常に惹かれる何かがあった。画像はウィキペディアより。)

そういえば、札幌の地下鉄は車輪が「ゴムタイヤ」である。これは全国でも珍しい地下鉄であるが実際に乗車してみると、鉄道独特の「リズミカル」が無く、妙な乗り心地である。車輪がゴムタイヤと言う事は、果たしてエネルギー効率は良いのかなと気になる所である。だがここで疑問が発生。札幌の地下鉄、車輪がゴムタイヤだから「地下ゴム」だろ?と、ふと思ってしまった。地下ゴム?いや、線路の代わりになる「案内軌条」が恐らく「鉄」でできているため、やはり「地下鉄」でよいのであろう。と、バカな事を再び考えながら地下鉄を制覇していく。
とは言うものの、すっと地下に潜っているため気が変になりそうになった。

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(「新さっぽろ」とは、よく命名したものだ。現在は目覚ましくは発展している。特急も停車するようになり便利になった。)

そんな中、南北線の真駒内側末端区間は地上に顔を出す。と言っても地上部分はスノーシェルターに覆われているため景色がまるで見えない。私は地下鉄に乗っているのに妙に明るいトンネルの中を只管進むのであった。
各路線、起点から終点まで乗っては折り返すパターンなので精神的にかなりハードであったが、地下鉄制覇の最終到達駅が新さっぽろに設定してある。これだけでも凄く気持ちが和らぐのは気のせいか・・・札幌の地下鉄を全て制覇し新さっぽろよりJRで札幌に向かう。もちろん乗車列車は「特急」である。フリーパスをフルに有意義に使うのだ!


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北海道全線制覇の時⑦

釧路で一夜を明かした私は、釧網本線の列車を予定の列車の時間まで待つのだが、その時間、なんと9時!私は大体8時前後よりのスタートなのであるが、この時ばかりはゆっくりのスタート。と言うより列車が無いのだから仕方ないが、おかげでゆっくりと朝を寛ぐ事が出来た。釧路より先ほど触れた釧網本線に乗り網走目指すが、その模様はこのブログで以前にも紹介した。そちらを参考にしていただくとその模様が詳細に紹介されているが、この釧網本線は「グルメ路線」として名高いのは周知の通りである。私は北浜で下車し「停車場」でランチを摂る事にした。ここのランチはハンバーグが出てくるが、なんと注文を受けてからミンチを「キャッチボール」していた。実は計画時に少々高をくくっていたが、訪れてみたら実に本格派。わざわざ来た甲斐があった。味の評論は私が口にするまでも無い。是非未訪問の方は実際に自身の舌で確かめていただきたい。既に経験済の方は「再確認」の意味でも再訪していただくのもよろしいであろう。

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(昔ながらの釧路駅。私は駅前にあるビジネスホテルに宿泊。朝食時には駅構内が拝められた。)

まだまだ雪が残るオホーツクを横目に「番外地」目指すために再び列車に乗る。「番外地」ではわずか5分の接続。しかも跨線橋を使わなければならない乗り換えだ。釧網本線と石北本線が一本につながっていて「途中駅」のような雰囲気であるがかつては「湧網線」なる路線が分岐していた。車窓からは流氷が眺められるなど、季節によっては素晴らしく幻想的な車窓が拝められる事で知られていたが・・・それは「国鉄時代」の記憶となってしまった。

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(釧網本線の分岐駅、東釧路。駅員無配置であるが、住宅地が増えてそこそこの利用者があると思われる。)

「番外地」より特急「オホーツク」に乗り変え札幌を目指す。途中、遠軽ではスイッチバック式になっており、遠軽駅の構内に入ってくると隣からもう一本の線路がこちらに近付いてくる。そして石北本線は遠軽で向きを変え再び来た方向に向け列車が走り出す。なんでこんな構造になっているのかと、新しいレールファンなどは不思議に思うかもしれないが、かつてはここから名寄本線が分岐していた。石北本線とは直通式になっており、かつては「名寄本線は、北海道鉄道敷設法に規定する<天塩国奈与呂ヨリ北見国網走ニ至ル鉄道>の一部であり、道央とオホーツク海沿岸方面を結ぶ幹線鉄道として建設されたもの」である。

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(「番外地」発のオホーツク。私の知る1983年訪問時よりペイントが変更になっているが、いまだ健在とは。)

そして「湧別軽便線(ゆうべつけいべんせん)の延長として、1915年に野付牛(現在の北見駅)方面(下生田原、現在の石北本線安国駅)から社名淵(後の開盛)へ延長された路線を発端とする。」とウィキペディアにも記されているように、つまり湧別方面から北見方面へとつながる、石北本線と名寄本線は「ひとつの路線」であった。その名残が「スイッチバック」と言う形で現在も残っているのだ。さぞかしSL時代は機関車の入れ替えなどで賑わっていたであろうが、現在ではスイッチバックの作業など、億劫で仕方が無いであろう。

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(遠軽はスイッチバック式の為、全列車が停車する。画像はウィキペディアより。)

レールファンにとっては風情ある駅であるが、ここから上川方面は更に「秘境」へと招待される。そういえば遠軽に到着する前に「常紋信号場」を通過してきたが、全く気配が感じられず気が付かずに遠軽に来てしまった。レールファンにとって周知のとおりの信号場であるが、2001年に交換機能が停止され事実上「廃止」されたようだ。本線上の信号機は動いているらしく、閉塞の境になっていると思われるが、実際問題に列車の交換が現在は行われていない。なんとなくスノーシェルターを通過した感じもしたが、そこが常紋であったのであろう。これから通過する「白滝シリーズ」と共に是非訪問してみたい地区だ。

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(奥白滝信号場は、かつては旅客駅であった。この辺りの駅はかなり「信号場」が多くなってしまった。画像はウィキペディア。)

そして今述べた「白滝シリーズ」を一気に通過してしまったが、通過の車窓からでも「旧白滝」や「下白滝」を確認。白滝を過ぎ「上越」「中越」と更に通過する列車から駅舎を目に焼き付けひとりデッキで興奮していた・・・傍から見たら「あのおじさん、変なんです~」となるであろう。「そうです、私が・・・」と思わず言ってしまいそうなくらい不可解な行動の私であった。


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北浜旅情(リメイク版)

私は今、釧路湿原のど真ん中に居る・・・そういえば、釧路湿原では「タンチョウ鶴」で有名であるが、私は野鳥評論化でも野鳥何とかの会に所属している訳でもないため、そちら方面の知識的なものを持ち合わせていない。しかし、そんな大自然の営みを垣間見る事が出来る釧網本線は、文字通り釧路と網走を結ぶ路線であるのだが「本線」と名の付くからには開拓時代の先人たちが、発展の期待を込められた鉄路であろう。建設当時、この路線に限らず「強制」や「タコ部屋」などの名の付く労働条件は、当時の人を苦しめ語り草になっている。そんな歴史がある北海道の鉄路も、時代と共に役目を終え中には廃止されてしまったものも多数ある。勿論生き残って今も尚「現役」の路線もあるが、現在は支線も持たない「本線」とは、かなりの拡大解釈をしても理解に苦しむであろう釧網本線。それはともかく、釧網本線制覇のため釧路発9時5分の3728Dに揺られながら北の大地を目で追っていた。

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(知床斜里に停車中の私の乗って来たDC。かつてはここから「根北線」が分岐していたが、僅か13年の短命に終わった。)

事前に地図で確認する限り、この辺りに人が住んでいるのであろうか・・・と背中を丸めながら白と黒の線をなぞっていたのだが、実際に訪れてみるとそんな心配は無用であった。釧路湿原の反対側はしっかり集落があり、釧網本線の需要を支えているものと思われる。と言っても専らマイカー専用のガレージがあり、一家に一台以上は「足」を所有していると思われる。つまり1日3~4本しか来ない列車などに頼らなくとも生活は成り立っているのであろう。

暫く走ると鹿が線路を横切り、列車の行く手を塞いだため列車は一時停止した。暫くすると列車は動き出し、先ほど線路を横切った鹿がこちらを振り向いて過ぎ行く列車を見送っていた。観光客と思われる数名の乗客は物珍しそうに鹿の行く手を追いかけては「あっ、あっちだ」みたいに、その方向に指を差していたが、私は前日に根室本線の釧路~根室間を往復した際に何度も同じ場面に遭遇した。既に珍しいという域を完全に超えていたが、とにかく列車がダイヤ通りに動いてくれなければ、接続する次の列車に影響する。幸いダイヤへの影響は無かったが、とりあえずこんな大自然の中を長閑に走ってる訳である。

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(グルメ路線の異名を持つ釧網本線。止別駅もそのひとつだ。駅舎にはラーメン店がある。「ツーラーメン」がお勧めらしいと聞く。)

暫くすると酪農業から住宅街へと景色が変化していった。そう「知床斜里」である。少々停車時間があったので駅舎の方に向おうとしたら「車内販売」が来た。地元の人が停車時間に列車に乗り込み名産品を販売しているのだ。その中に、噂の「生キャラメル」があるではないか!大分類では北海道だが、帯広と斜里ではかなり距離があるぞ!と思いながらも差し出された名産品の試食に妻はご満悦であった。駅名に「知床」が付いたのは近年であるが、昭和40年代には斜里から知床半島に向かい「根北線」と名の付く支線が存在した。「♪知床の岬に~」たる故人の歌があるが、そんな情緒ある風景とはかけ離れた超ローカル線であったろう。当時より大変地味な存在であったようで、廃止も地味であったようだ。私が行ったときは痕跡の「こ」の字も見ることが出来なかった。

そして列車は北海道で唯一、オホーツク海を車窓から眺める事が出来るところへ来た。流石に3月になると流氷も見ることは出来ないであろうが、この年は流氷が「不作」であったため、ピーク時に来ても結局見ることが出来なかった。とりあえず「雰囲気」だけでも味わおうと、事前に計画しておいた「北浜」で下車することとした。釧網本線は「グルメ路線」という別の顔を持っており、この北浜も駅に喫茶店が併設されている。

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(北浜駅駅舎。駅員無配置であるが、駅舎には軽食屋が入居。「エキナカ」と高をくくってはいけない。本格ランチが味わえるぞ!)

丁度昼飯時だし(と言うよりわざわざこの時間に到着するように計画済)名物のランチを頂く事に。鉄道ファンの間ではかなり有名だし、駅と併設という事で若干高をくくっていたが私の負けであった。出てきた料理は本格的で、ハンバーグランチは注文を受けてから肉のミンチをキャッチボールしていたくらい。そのため時間がかかるのだ。味については私が語るまでも無いだろう。経験していただければわかると思うが「大納得」である。しかもコーヒーはサービスとはなかなか気が利いているではないか!今回の北海道制覇の計画の正確さに、自分に表彰したいくらいの出来栄えであった。

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(北浜駅のホームにて。既に棒線化されたが「オホーツクに一番近い駅」は売り物だ。)

ランチを終えると、次の列車の時刻まで時間があったので周囲を散策した、と言っても若干の雨のため駅を離れることが出来ず駅舎の中に閉じこもったり駅舎の撮影をしたりで時は過ぎていいった。やがて網走行きの列車が到着し、私は角度を変え遠ざかる「喫茶店」に別れを告げ網走を目指した。網走に近付くにつれ車窓が大自然から住宅街に変化していった。「もうすぐ網走だ」。鉄道では初の「番外地」だが、予定では網走で約4分の乗り換え時間のため、私は急ぎ足で身支度を始めた。

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北海道全線制覇の時⑥

根室本線を直通する列車は現在一本もない。必ず釧路で乗り換えが発生するのだが、それは今も昔も変わらない。と言うより釧路を境に全く別の路線になってしまう「根室本線」であるが、釧路~根室は「花咲線」の別名があるように、釧路以西とはまた違った「顔」を見せる。現在は急行「ノサップ」も快速に格下げされてしまい「優等列車」が無くなってしまったが、「乗る」「撮る」のレールファンにはかなり人気が高い(と思う)。特に「古瀬」「初田牛」等はある意味「秘境駅」として認知されており、また、ご存じ「東根室」は日本最東端の駅として一般にも知られている。

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(路線の愛称にもなっている花咲。「花咲駅」では、いわゆる「貨車駅」となって久しい。)

と、何かと話題が多い花咲線であるが、有人駅では日本最東端の駅である根室はむしろこちらの方が「最果て」の感を醸し出している。かつては駅入り口に「ねむろ」と大きく書かれた文字が印象的であったが、現在はその文字は変更されていてかつての印象は薄い。

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(根室駅は、かつて「ねむろ」と大きく描かれた入口が印象的であったが、私の訪問時はご覧の通りに変更されていた。)

さて、この根室駅を乗って来た列車で素直に折り返すわけだが、若干のインターバルが発生。とはもちろん計画の段階からわかっている事で、ちゃんと「催し物」を用意していた。根室では「エスカロップ」というご当地グルメがある事を突き止め、早速駅前にある喫茶店に向かった。もちろん定休日などは事前に調査済み。勇んで足を向けるが・・・何と店がやってなかった!あれだけしっかりと調査したのに・・・俯き加減のまま再び根室駅向けて足を歩ませた。
ちゃんとエスカップ用に内臓を空けておいたのに・・・この空けた部分を埋めるために仕方なく駅付近の商店で食物を購入。列車の中で食べることにした。
折り返し根室から乗車した列車は一両編成である。が、特典として車両中央にあるボックス席のみテーブルが設置されている。もちろん私は抜かりなく陣取り、遅くなった昼食を済ませた。もちろん「北の大地」の景色もおかずに・・・

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(一面一線の根室駅であるが、側線もかなり撤去されて寂しくなった。)

根室から直通で釧路に戻ってきた私は、ここで本日の行程が終了すると思うと、まだまだ乗り足りない気持ちが巡る。何せ釧路到着は16時13分!こんな時間に乗り終えていいのであろうか?と言っても自身で計画した事であるが、あまりにも余裕があり過ぎる。とりあえず宿泊先に荷物を置き、路線バスで「フィッシャーマンズワーフ」に向かった。事前に確認しておいた居酒屋に行くためだ。なんて実に有意義と言うか、昔では考えられないような行程の組み方である。釧路の港にある居酒屋で食事をする・・・さすがに中学生のころはこのような旅はできなかった(当たり前であるが)。



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北海道全線制覇の時⑤

「日本で一番好きな路線はどこですか?」と問われ、あなたなら何と答えるであろうか。迷わず「石勝線」と答える私は異色の存在であろうか?しかも旧・夕張線の区間ではなく、新夕張~新得の新線区間だ。これは以前にも紹介し重複してしまう事柄であるが、1981年10月、突然姿を現した「石勝線」は、私にとって、まるで魔法にでもかけられたような感じであった。それこそサマンサが口元を「リルリルリ」と左右に動かしたら突然石勝線が現れた・・・くらいの出来事であった(ちょっと引用が古いが・・・)。全く予備知識や事前情報などない。まだ中学生で鉄道誌などは殆ど読んでおらず、全く知らなかったが、ある日、ダイヤ改正で時刻表を購入したら突然「石勝線」が現れていたのだから。

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(石勝高原改め「トマム」。石勝高原時代と決定的に違うのは「リゾート」の拠点駅となった事だ。長い跨線橋は「リゾート」へとつながる連絡橋だ。)

私が初めて石勝線を訪問したのは1983年10月である。ちょうど白糠線が廃止との情報を聞き、学校行事の代休絡みの連休を利用してひとり旅立った時である。車窓に映る「大自然」は、まるで人間の営みなど見向きもしない、ほとんど「ジャングル」のような佇まいであった。「佇まい」とは、いささか表現がおかしいが、まるで人を寄せ付けないような「オーラ」を放つ一方、赤や黄色で染まる山肌は、季節柄車窓を賑やかにしてくれる。

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(石勝線の新線区間にはポイント部分に「スノーシェルター」が装備されている。当時の最先端技術を惜しみなく披露しているが、なんと一基ウン億円相当らしい!)

季節感が無い私でもいささか感心してしまうほどの風景であるが、やはりこれだけの場所にレールを敷くと言う事は、さぞかし難工事であったろう。最初に調査をした人々は、ヒグマや蚋、虻などにやられやしなかったのかと心配してしまう。いや、何度も危ない目にあったであろう。それでも鉄道にかける「情熱」には本当に頭がさがる思いである。
新得から、そんな思いを抱く私の一番好きな鉄道路線「石勝線」で今夜の宿「トマム」に向かう。1992年にも実は石勝線を訪れているが、その時はレールファンを休業していた。とは言え当然知識はあるのでこの石勝線に乗るのがいささか楽しみであった。その時はスキーでトマムにやって来たのだが、やはり当時はバブルの絶頂期。「リゾート」などの言葉が流行しており、弱冠20代の私もその波に乗っていた。

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(ツインタワーからはゲレンデが一望できる。全体的にフラットな斜面はビギナー向きであろう。)

それ以来の訪問であるトマムであるが、あこがれていた「ツインタワー」に宿泊。その模様は当ブログ「石勝線への招待」でも詳しく紹介している・・・と、本当はもっと石勝線に触れていたいのだが、石勝線の話をすると恐らく紙面が足りなくなるので次へ進もう。
翌朝トマムから釧路目指して「スーパー」なる「おおぞら」に乗り根室本線に合流する。そういえば、こんな清々しい朝は初めてだ。若干と言うか、かなりの銀世界であるが、青く染まった空は私に「列車に乗れ」と誘っているようだ。そんな根室本線の中心的存在なのが帯広であろう。現在ではすっかり高架化されスリムになったが、かつての地上時代には士幌線と広尾線を分岐していた。3面5線のホームには頻繁ではないが列車が行き来するたびににぎわいを見せていた事であろう。現在もそれに変わりはないが、近代化された駅は、なんだか宮崎駅と勘違いしてしまいそうだ。そう、ちょうど静岡と浜松のような関係か。下車してみたかったが、わずか30秒停車であったので出入口から本当に「一歩」足を出しただけで終わってしまった。

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(トマム駅の切符売り場は閉鎖されているが「リゾート」側のインフォメーションセンターにはみどりの窓口がある。)

ワインで有名な池田を過ぎると、やがて終点の釧路に到着。今夜はここに宿泊予定であるが、まだ12時前である。これから根室に向かい「日本最東端」目指して更に列車に揺られていく。



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廃止路線を訪ねて⑤(鹿児島交通)(リメイク版)

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(1983年3月31日、雨の降りしきる・・・と言うより「激雨」であった枕崎駅。島式ホーム一面二線で片側を国鉄が、片側を鹿児島交通が使用していた。駅自体は鹿児島交通の管理にあり、国鉄は間借りしている存在であった。)

旅日記「上り2038レ~」で若干紹介したが、私はXデー当日に鹿児島交通制覇の「つもり」であった。当日は雨。「土砂降り」とはよく言ったもので、この日は雨で無く、本当に土砂が降っているのかと錯覚するくらいの降りっぷりであった。遥々「西鹿児島」から指宿枕崎線で枕崎に到着した。途中、開聞岳を拝み「日本最南端の駅(当時)」を経験しているはずであるのだが・・・残念ながら記録はあるものの、記憶が無い。しかし枕崎の駅に着いたのは今でもハッキリ覚えてる。やはり指宿枕崎線に揺られてきたのだ。駅舎は立派であるが、鹿児島交通所有のものであり、国鉄(当時)は鹿児島交通に業務委託している。「つもり」で来た為ある程度覚悟していたが、逆に人影疎らのため拍子抜けしてしまった。後になって延期になった事を知るわけだが、むしろ普段の状況を感じる事が出来るので、かえって良かったのかも知れない。とは言っても、当然「同業者」も数名居るため、普段の姿とは程遠い部分も無くはないが・・・超古典的な車内は、無人駅が多く点在するため車掌が行ったり来たりで忙しい。とは言っても一両の車内は乗客が多いとは言えず、ほぼ「よそ者」のため終点まで顔ぶれは変わらないであろう。車掌もよく心得ているようである。

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(「ツジちゃん」ではなく「カゴちゃん」です!駅前の商店が若干気になる存在であるが・・・)

津貫、内山田など停車し加世田に着いた。時刻表上では直通となっていたが、車内放送では乗換えなくてはいけないらしい。早速伊集院行き列車に乗り換える。しかし車内には幼い姉弟が夢の中で、終点に着いた事に気付いてない。私は「終点だよ」と2人を起こしたのだが「何でここで降りるって分かったんだろう?」みたいな感じでこちらを見ていた。それより同じ顔ぶれが同じ列車のに乗り換えるのだから「座席の確保」が最優先となる。とにかくそのことに命を賭け、一目散に目的を達成させた。

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(加世田の駅名表は印象的であるが、ここが鹿児島交通の「中心街」である。が、駅名表しか写真を保有していないのが残念である。現在は「資料館」のような形で鹿児島交通の鉄道の在りし日の姿が確認できる場所となっている。)

かつて加世田から「万世線」が分岐していたが1962年に廃止された。そんな時代に私は存在していなかったので完全に伝説であったが、痕跡すら見当たらなかったと思う。そして次の阿多からは知覧線が分岐していたが、こちらも1965年に廃止されており、これも伝説である。次の南多夫施では、いい感じの木造駅舎があり「らしさ」を醸し出していた。伊作の駅名表は、もう廃止が決まっていたのであろうかの如く、一部が欠けていて若干役割を果たしていなかった。メンテナンスとは程遠いのか・・・かつては地方交通線としては優秀と言われていた時代もあったが、モータリゼーションの波に例外なく飲み込まれてしまった事で、晩年では乗客が激減した。他の地方私鉄と同じような運命を同じように辿ってしまうとは実に残念であるが、このときは廃止が延期になっただけでも嬉しかった。

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(画像はウィキペディアより。現在の「永吉」駅の姿。この「永吉」をどう読むかはあなた次第だ!)

やがて列車は吹上浜という情緒ある駅名を掠め、気になる「永吉」についた。個人的に、某ロックアーチストの大ファンであるが、こちらは「ながよし」と読むのだ。ファンなら誰でも訪れてみたい駅であろう(と思うのは私だけか・・・)。

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(南田布施はなかなかいい感じの駅舎が存在していた。当時は下車できなかったのが残念であったが・・・この写真でこの駅の雰囲気が伝わるであろうか?)

やがて列車は、ほぼ顔ぶれの変化も無く終点の伊集院に到着。ここで鹿児島本線に乗り換える「同じ顔ぶれ」は鹿児島方面がほぼ99.99%であった。熊本方面への乗り換えは、地元の人を除けば私たち御一行だけであった。この後、川内より「2038」に乗って八代へ向ったわけだが、伊集院はまだ鹿児島の通勤圏内。勤め帰りの乗客でかなり賑っていた。

たった今乗ってきた列車がガラス越しに見えている。一両のため、長いホームを持て余しながらこちらを見送っていた。赤を基調とした「キハ10もどき」とはもう再会することが出来ない。私は「彼」が見えなくなるまで窓にへばり付き再びその勇姿を見せてくれることを願っていた。

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(上津貫の駅名表は既に役目を終えようとしていた。ここに限らず、鹿児島交通の各々の駅はこうした駅名表が当時多くみられた。会社は既にあきらめムードであったのか・・・しかし私が訪問した当日が廃止日であったのだが知らぬ間に延期されていた。しかし翌年の水害で完全にやられてしまい廃止に追い込まれてしまった・・・)


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北海道全線制覇の時④

日高本線で様似まで向かい、折り返し苫小牧に戻ってきた私はノーマルバージョンの「鬼嫁」で札幌に出て、更にスーパーカムイで滝川に向かった。3月と言うのに深い雪に包まれた滝川の駅前は、まだ夜8時半になる前だというのに「終電」にでも乗って来たかのような錯覚をおこすほど静かな街並みであった。

北海道 2 044
(根室本線を名乗っているが、定期の特急列車が来なくなってしまった。茂尻は雪深い。)

滝川のビジネスホテルに身を預けた私は翌日の朝8時5分の根室本線の列車に乗り込んだ。一応「本線」と名乗ってはいるが、1981年10月に石勝線が開通して以来、特急列車の定期便はここ根室本線に姿を見せなくなってしまった。普通列車のみになってしまって久しいが、そんな根室「本線」の列車に揺られ芦別に着く。芦別と言えば1989年、つまりつい最近まで三井芦別鉄道があったことになる。と言っても平成元年のためもう20年以上経っているが、本当につい最近の気がするのも何か変な感じがする・・・

北海道 2 047
(芦別駅も雪深い。かつては三井芦別鉄道が分岐していたのは記憶に新しい。しかしもう20年以上経つ。)

富良野に着くと、富良野線に乗り換えるため一旦下車。約1時間のインターバルの後、富良野線に乗り換えた。富良野線と言えば「名物」はたくさんあるが、私の訪問時には全く「旬」を迎えておらず、ただただ只管「制覇」を目指すのみとなってしまった。「ラベンダー畑」と名のつく臨時駅に着いた。が、ラベンダーの「ラ」の字すら見当たらない景色であるが、逆に普段の富良野線を確認できて良い。と言うのも、現在も富良野線がこうして健在の理由がしっかりと車内に見られるからだ。「もっと編成を増やせばいいのに」と思えるほど実に乗車率が良い。もちろん観光客もいるが(と言うよりそういう方々がかなり占めているが)、地元の乗客も相当数乗車している。途中駅の美瑛でも下車と乗車の入れ替えがかなりの数あり、しっかり列車として機能していた。

北海道 2 054
(富良野で富良野線に乗り換え、旭川より「動物園」に向かう。富良野線と言えば「ラベンダー」であるが、私は全く無縁の季節に訪問。)

それもそのはず、この富良野線、かつては根室本線の前身「釧路線」として開業した。と言うのも北海道の鉄道は旭川を起点に敷設されたからである。その年1899年!もう100年以上前である。しかしながらのちに札幌を起点とする事が重要視され滝川から分岐する新線を建設。これが現在の根室本線の原型となり現在に至っているわけだ。そんな歴史を持つ富良野線と根室本線の関係だが「そこに列車がある限り」私は乗らなければならない。

北海道 2 067
(旭川動物園にて。なかなか話題のスポットだけあって平日でもかなりの集客があった。)

そんな使命を負いながら旭川に着くと、ちょっと厄介な事が待っていた。現在の旭川駅は完全に高架化が完成し便利かつスッキリした感があるが、私の訪問時はまだ地上時代。高架化工事の真っ最中であったため函館本線と富良野線のホームが物凄く離れている。富良野線のホームから駅舎に行くにはあの長い通路を淡々と歩かなければならない・・・が、この駅で下車するには理由がある。そう、話題の「あの」スポットに行くのが目的だ。とは言うものの、私は「鉄道専科」の為「話題のスポット」は同伴の妻に任せることにした。

北海道 2 069
(旧・旭川駅舎。現在は高架化が完成され便利になった。)

「ZOO」を堪能し、再び旭川に戻ってきた私は再び富良野線で富良野に向かう。そして富良野から再び根室本線に乗る。「再び」が続いたが、要するに富良野線を往復したわけだ。富良野まで季節になると特急列車がやってくるが、富良野から先の落合までは完全に「ローカル」に変身してしまったが、こういう場所を好んでやってくる「物好き」も多く存在する。と、私が述べても説得薄いが・・・

北海道 2 075
(工事中の旭川駅。富良野線のホームから見える新しい高架化された新駅が完成しつつあった。旭川では富良野線と函館本線のホームがかなり離れていたが、高架化完成と共に乗換が改善されたことであろう。)

そんな根室本線には個性豊かな駅が待っていた。金山では占冠からくる「未成線」の接続駅として名を連ねていたが、現在においても今後もその「未成線」が「営業線」になる事は無いであろう。が、非常に興味深い「未成線」と言うより「計画線」だ。
そして、かつては駅⇒移転⇒信号場⇒仮乗降場となった鹿越より存在が重要になった東鹿越、「幌舞」の別名を持つ幾寅は映画のロケ地として、そして落合は、当駅止まりの列車も存在し、こちらも某歌手のプロモーションビデオのロケ地となるなど、普通に見ていて飽きない。
そんな根室本線を新得で下車。明るい時間であればもっと楽しめたのであろうが、仕方がない。そんなわけで、新得から再び列車にのり、本日の宿となる「聖地」に向かう・・・


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北海道全線制覇の時③

北の大地で朝を迎えた私はこれから苫小牧に向かい日高本線を制覇する計画となっている。このまま北斗星を乗っていれば苫小牧に着くが、私は函館で「北斗星」を乗り捨てた・・・「さよならするのは辛いけど・・・時間だよ、仕方がない。次の回までごきげんよう!」と、どこかで聞いた台詞でエールを送った。
さて、遠ざかる「北斗星」のテールランプをホームから見つめ、30分のインターバルの後次の列車に乗り換える。次なる列車は「スーパー北斗1号」だ。なぜ「スーパー」なのか?その理由は「日高本線」にあった。

北海道 2 005
(函館では「北斗」と「白鳥」が同一ホームで乗り換えができて便利。こういう計らいって大事だよねッ!)

「北斗星」で苫小牧に着くと日高本線の都合の良い列車に、確か5~10分位の差で間に合わない。スーパー北斗だと1時間近く待つが日高本線の列車に乗れるという、なんとも複雑であるが「スーパー」を選択してしまう理由がここにあった。と言う事で「スーパー北斗」でショートカットする。どこの駅だか忘れたが、さっきまで乗っていた「列車」を見かけた。それも一瞬で通り過ぎてしまった。やはり「スーパー」だけあって勢いが良い!が、やはり名残惜しい・・・

北海道 2 015
(富川は駅舎がリニューアルされ立派になった。かつては沙流鉄道の接続駅でもあった。)

一気に室蘭本線を駆け巡ると苫小牧に瞬時に着いた、とは大げさであるが、その勢いは止まらなかった。3月というのにまだまだ銀世界いっぱいの北海道は、頬を打つ風か冷たい。そんな北風に負けない「北斗」は若干「鬼嫁」か?と思わせるほど「北斗星」との時間差が開く。待ち時間があるのでコーヒーショップでも・・・と思うが、まだ10時前だし、駅前にある大手商業施設も開店前である。駅の待合室で時間を過ごす以外に方法は見つからないが、仕方がない。「人間辛抱だ!」と、再びどこかで聞いた台詞を自分に言い聞かせ、冷たい風から身を守る。

北海道 2 026
(静内では「かつを風味」の香が・・・16分あればもちろん食べれたであろうが、結局断念。次回はリベンジを!)

ようやく日高本線に乗る時間がやって来た。様似まで行き折り返し苫小牧に戻ってく来る行程であるが、これって半日掛かりであり大変重労働である。そんな「重労働」の中、拠点駅である静内に到着。16分のインターバルの為少々ホームに降りてみた。すると何やら気になる匂いが・・・カツオ風味と醤油ベースの・・・そう、駅そばだ。全くのノーマークであったが、静内で駅そばが!16分だと恐らく余裕で行けたと思うが、少々迷いながら結局時間が心配で食べることが出来なかった・・・日高本線制覇時最大の「悔いが残る」出来事であったのは言うまでもない!

北海道 2 040
(様似駅より、かつては広尾線の広尾までの延伸計画があった。結ばれていたら非常に興味深い路線であったろう。)


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北海道全線制覇の時②

上野駅の「13番線」はいつも魅力的だ。誰しもがそう思うように、あの「ゴ~ッ」という電源車の音がこだまする入場シーンは何度見ても感動的だ。2008年6月に同じく「北斗星」乗車時は「ロイヤル」であった。その模様はこのブログでも紹介させていただいてるが、その時は上りであった。今回は下りで乗る。夜に東京を出るのと、朝に東京に帰ってくるのは全く違った顔を見せる寝台特急であるが、やはり夜に立つ「13番線」の、あの何とも言えない「哀愁」とでも言おうか、ホームの空気は今も昔も変わらない。だが、2014年春には「あけぼの」が退き、新幹線が函館まで行く頃には「北斗星」も消滅するらしい。つまり「ブルートレイン」という概念が「伝説」となってしまう時がやってくるのだ・・・そうなると、この13番線は一体どうなってしまうのであろうか?
そんな思いはこの旅の時はそれほど感じなかった。確かに近い将来「北斗星」が引退するであろうと思ってはいたが、まさか現実になるとは・・・

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(「関西」に引き続き画像が赤く申し訳ないが・・・今回の北斗星は「デュエット」で参戦。個室であるため全然くつろげる。)

そんな13番線を去った「北斗星」は、私を乗せ北へ向かった。今回の乗車は「デュエット」。全く初めての体験である。だが乗ってみると、やはり個室はいい。開放型の寝台が当然の概念であった私だが、例え「ロイヤル」ではなくとも周りを気にしないでくつろげるのは良い。しかも開放型と同じ料金とは!「個室」と言う密閉された空間でプライバシーが守られるという点では「ロイヤル」とはさほど変わらない。「デュエット」でも全く問題なしとの印象であった。

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(函館駅にて。3月ではあるがまだまだ北の大地は雪が深い。)

雪がそれなりに勢いよく降る中、青森信号場で機関車を交換する。私の乗った北斗星は雪の中の青森駅には入線しない。線路ばかりある設備の中でトンネル用の「装備」をする。機関車交換等は駅構内で行われるものと思っていたが、この「北斗星」に関しては「信号場」という全く新しい概念での機関車交換は私には新鮮に映った。考えてみたら機関車交換などの作業は乗客にしてみれば全然関係ない事。そう、別に駅構内でなくてもいいわけだ。しかも深夜の時間帯である。交換のために駅に寄ったとしても利用者がいるかどうかは若干微妙なところであろう。
そんな青森信号場を過ぎると津軽線に入る。一応津軽線ではあるが、一部区間の北海道まではいわゆる「津軽海峡線」の別名を持つ。そんな津軽海峡線の、それこそ「青函トンネル」を抜けると北海道に突入する。そう、船には乗らずに北海道に上陸するのだ。そのため函館に近付くとかつては「はるばる来た」というイメージであったが、現在は本州と北海道は「陸続き」となっている為「はるばる」という、某演歌歌手の歌のようなイメージは無い。薄暗い夜明けの中、北の大地の雄大さを早速見せつけられてしまう「江差線」であるが、2014年5月、木古内~江差間の廃止が決定された。松前線と共に「過去のモノ」となってしまうのは大変複雑であるが、時代の変化と共に消えてしまうのは仕方ない選択肢であったろう。しかしこの旅の後半で江差線を制覇する事になっているので最初で最後の乗車を堪能する事にしよう。

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(こういう光景も見れなくなるのか・・・かつては「下関」「門司」では頻繁に見られたが、既に「伝説」になろうとしている・・・)


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北海道全線制覇の時①

<おことわり>

今回の北海道シリーズの記事の画像に関して、カメラの体調が悪く、全体的に赤っぽい感じがするのと一番上の部分にやや画像の乱れがあります。見難い事と思われますが、予めご了承の程よろしくお願いいたします。



北の大地・・・常に特別な思いを抱いてきた場所であり、空間でもある。この場所を、私は全線制覇する時を迎える事が出来たのは2009年3月である。私が北海道に初上陸したのは1983年10月だ。当時の白糠線廃止の知らせを受け、早速最期を見届けに参戦したのだ。当時私は中学生。ちょうど学校の行事の関係で4連休が発生した。その4日間をなんと「北海道ワイド周遊券」で、実に豪華な旅をしたのだ。

北海道 2 115
(こんな駅も一瞬だが通った。意外に住宅が多く利用者も多いと思われるが、実際問題「秘境駅」に限りなく近い乗降客数のようだ。)

当時は東北新幹線が開業したばかりで、まだまだ本数も少なく「大宮暫定」であったため、新幹線としての機能は中途半端であった。そのため在来線では特急列車や夜行列車が多く存在した。当時はまだ青函トンネルが開通しておらず、本州と北海道の間は「連絡船」が入る。新幹線開通前は基本、鉄道で北海道に向かうには本州側、連絡船、北海道側のどれかいずれかを夜行列車にしなければならないという、1日掛かりの行程となる。

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(様似駅は以前から訪問してみたかった。ようやく実現したわけだが、私が訪問したかった頃より訪問できた時の方が寂しさが増したであろう。)

ちなみに新幹線開通当時の時刻表で上野から夜行列車を使わずに札幌に行く場合の時刻を調べてみた。
上野を7時17分に出た「新幹線リレー号」は大宮に7時43分に到着。8時丁度の「やまびこ13号」に乗り盛岡に11時17分着。11時30分発の「はつかり7号」で青森に14時5分着。14時55分の連絡船で函館に18時45分着で19時発の「北斗7号」に乗ると札幌に23時35分に到着。これが東京~札幌を鉄道で行く「最速」であると思われるが、利用する人はそう多くないであろう。
しかしながら間に「夜行」を挟むことなく、その日のうちに札幌に着くことが出来る。これは素晴らしい進歩だ。
現在はもっと早く到達出来るであろうが、鉄道利用事情は今も昔も変化はないと思われる。

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(「おおぞら」は現在「スーパー」と名のつく列車も走り、道東アクセスも強化された。)

そんな北の大地であるが、2009年3月に転職時期が到来し、しばらく休みが取れる事になった。さてどうしようか・・・行先は決まっていた。そう、北の大地を制覇する事だ。時間があるためスケジュールを余裕で作成できる。そこで私は行きと帰りを寝台特急で移動する事を決意。行きに「北斗星」、帰りは「カシオペア」の2本立てでの「超豪華バージョン」となった。ただ、予算の関係から、行きの「北斗星」は「デュエット」での参戦となったのだ・・・あぁ、やはり「ロイヤル」の方がいいなぁ・・・と心でつぶやく。が仕方がない。
そんなわけで、退職先には「新しい就職先の面談があるから」と理由を付け、いつもより1時間早く退勤させてもらい、上野駅に足を急がせた。「お前、上野駅で面談かよッ」と「さま~ず」張りの突込みが入りそうであるが、北海道完結編の幕は切って落とされた。



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由布院に思う。「森」と「林」の違いとは?(後編)

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(ご覧の通り、アテンダントがお出迎え。まさに「ジャパニーズ・スタイル」。)

大分を出た列車は女性の心地よいアナウンスと共に久大本線を西へ向かう。沿線的に見ても拠点となる豊後森や日田、また駅舎がユニークな田主丸など見どころ満載である。途中の恵良ではかつて宮原(みやのはる)線が分岐していたが、現在も各々の駅ではかつての面影が残っているらしい。いずれは訪れてみたい「廃線」のひとつである。

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(「ゆふいんの森」に連結されている「サロンスペース」。アテンダントたちの基地にもなっている。)

残暑厳しい九州地区では一番冷房の効いている「サロンスペース」にいる時間が自然と多くなる。サロンはアテンダントの基地ともなっているが、この日は私たちで貸切状態であり、意外な穴場的空間であった。そんな中、久大本線の主要駅、そして「ゆふいんの森」にとっても拠点となる由布院に到着する。由布院と言えば、私の幼少時代などは古臭い「湯治場」のイメージであったが、町が一眼となってイメージ戦略を展開。ありきたりな温泉街とは違う、独特な雰囲気を醸し出す事に成功。特に女性の人気を獲得する策略に比重を置き、特にバブル期には「ゆふいんの森」が登場。駅舎も建て替えられ一気に開花した印象だ。旅番組などにも良く登場するようになり、それこそ別府をも凌ぐ勢いで台頭してきた感があった。現在でもその人気は高く、私の知っている急行「由布」の時代のイメージは殆ど無いに等しいと言えるであろう。若い女性にも訪問しやすい「湯治場」に変身した。

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(由布院に到着した。バブル期に現在の形にリニューアルされかつてのイメージは無くなった。特に若い女性にも訪問しやすいイメージ造りに成功。)

「由布院」とは昔の表記であるのはご存じと思われるが、現在の「湯布院」が正式な町の名称である。隣の「湯平」と合併の際に現在の「湯布院」に表記を変更したが、駅名は「由布院」のまま現在進行形である。
由布院と言えば映画「男はつらいよ」の41作で登場する。と言っても名前だけであるが、なんと寅二郎はオーストリアのウィーンを由布院と聞き違えてしまうのだ。「男はつらいよ」初の本格海外ロケとしてもこの作品は有名であるが、ウィーンを由布院と間違えてしまうとは・・・

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(由布院の駅舎も完全にリニューアルされイメージを一新。私の知る急行「ゆふ」が走っていた時代は完全に過去のものとなってしまった。)

そんな由布院の町を過ぎると更に「森」を進む。決して「林」ではなく、あえて「森」に拘る景色は先述した恵良を過ぎるとそれこそ「豊後森」に到着する。レールファンならご存じであろうが、車窓からは大きな「扇形庫」が見えてくるのは有名だ。ウィキを開いてみると「2009年(平成21年)2月6日には、<旧豊後森機関区の関連遺産>として、扇形機関庫と転車台が近代化産業遺産に認定された。」と記されていた。つまり公としても「遺産」として認められ、今後も残されていく事が約束されたのだ。我々のようなレールファンにとってみればまさに朗報であろう。

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(「ゆふいんの森」の車内。この展望席が大きな話題を呼んだ。しかしながら若干暑さを否定できなかったため「サロンスペース」にいる時間の方が多かった。)

日田、夜明を過ぎ「かっぱ」でお馴染みの田主丸を通るとやがて久留米に到着する。西鉄久留米とは若干離れているが新幹線が停車するようになってにわかに飛躍した事であろう。私のイメージする久留米とは全く印象が異なる雰囲気だ。久留米と言えば芸能界でもかなりの出身者を排出している事でも有名で、松田聖子やチェッカーズ(やや古い引用であるが)、また田中麗奈、藤吉久美子などが有名処である。そんな久留米を過ぎると既に旅の終焉を感じる雰囲気となる。
終点の博多では車両の先頭で記念撮影をする人が多く見かける事こそこの列車が一般にも認知されている証であろう。

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(博多に到着した「ゆふいんの森」。一般的にも認知されている証であろう、親子で記念撮影のシーンも。)

バブル期頃には完全に過去のイメージを一新した由布院は現在も若い女性に特に人気が高い。「若い女性に人気が高い」とは、男性にしてみれば羨ましい限り、それこそ「永遠のテーマ」であろう。私などはハッキリ言って「若い女性に人気が高い」と言う事が全くあり得ない事であるが、男にしてみたら人気が低いより高い方が良いに決まっている。いったいどのようにすれば「若い女性に人気が高い」状況を作り出せるのか?一度「由布院さん」にご指導いただきたい思いである。



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廃止路線を訪ねて⑨ 日中線

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(1983年訪問時の私が所有する日中線唯一の「資料」。本当はもっとたくさん写真を撮影していたのだが・・・駅名表だけでも当時の雰囲気が伝わってくるような感じがする。もちろん、現存するなら今すぐにでも訪問してみたい。)

始めに断わっておくが、日中線に関する写真は上記の物しか残っていなかった。残念ながら写真はほとんど残っておらず、記憶と記録のみが結果的に残っている。本当はDLか牽引する旧型客車などを写真に収めていたのだが・・・

1983年8月に「日中線」に訪問した。日中線とは、磐越西線・喜多方から枝分かれしていた盲腸線で、1984年に廃止された。終点が「熱塩」というが、計画ではこの先の「日中」というところまで延伸される予定であった。そのため「日中線」というのが路線名の由来である。「日中は走らない日中線」などと揶揄されていたが、日中線をインターネットで調べてみると、なんと廃止された日が「西寒川」と同じではないか!何ともこの因果関係・・・

私は、この日中線の旅を既に当ブログ「東北乗り潰しの旅」にて若干紹介している。若干重複する部分もあろうかと思うが、少しの時間お付き合いいただきたい。

東北乗り潰しを敢行した1983年8月。日中線の乗ると決めたのは出発前日だったと思う。夜行急行「八甲田」で上野から乗車し青森入りする予定であったが、出発の夕方までの時間が、考えてみたらもったいない。そこで始発で出て「東北ワイド周遊券」のフリー区間を有効に使う事に変更した。相模線・寒川駅を5時50分に出て茅ヶ崎5時59分着。東海道線に乗り換えるのが6時2分である。この行程は、東京駅や上野駅などによく撮影に行っていた時に使っていたため良く覚えている。だが、茅ヶ崎の跨線橋は、相模線と東海道線の間に貨物側線があり、乗り換えの跨線橋が長い!この乗り換えの3分が非常につらいのだ。茅ヶ崎では登場して間もない185系がこの6時2分に使用されていたので東京まで優雅な1時間を過ごせた。その行程を、「東北の旅」で使うとは・・・

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(画像はウィキペディアより。現在の熱塩駅の風景。私の訪問時とほとんど変化が無いのは嬉しい。もちろん「レールが無い」のは「最大の変化」ではあるが、この絵を見ると当時、機関車の付け替え作業をしていた風景を昨日の事のように思い出す。)

上野より急行「ときわ」で平(現・いわき)まで行き磐越東線に乗り換え郡山へ。今度は磐越西線で喜多方まで行くという行程である。磐越東線では、DLが牽引する旧型客車の為、旅情あふれる。この光景を日中線でも再現することになるが、磐越東線はほぼ「貸切」だったのでとても過ごしやすかった。

前置きが長くなってしまったが、いよいよ日中線の旅へ。日中線はDLが牽引する旧型客車で1日3往復の列車設定であった。喜多方より既に「同業者」と思われる数名が乗車している。もちろん終点まで顔ぶれは変化が無いであろう。車内は8月というのに当然、空調設備は「JNR回転扇風機」のみである。
車窓は「会津加納村」をしっかりと私にアピールしてくるが、かつてはこの村の人々の貴重な「足」であったであろう。私の訪問した晩年は先述した1日3往復、朝・夕・夜と、本当に日中の列車設定が無いので一般的に路線名の由来が分からないであろう。
終点の熱塩に到着すると、早速先頭の機関車を喜多方方面の先頭に付け替える「作業」が発生する。DCであればこのような手間はかからないが、一度機関車を切り離し車止め付近まで機関車のみ進み、機回し線を通り喜多方寄りに機関車を連結する。運転手の他、車掌と作業員(確かいたと思ったが)との連係プレーで赤と緑の旗に誘導される。鉄道ファンでなくとも興味を引くシーンだ。熱塩駅は駅員無配置のため車内で切符を購入する。確か私は購入しているはずだが、確認次第是非アップしてみたい。
さて、現在の熱塩駅は「日中記念館」として現在も保存されている。インターネットで確認してみたが、やはり当時の面影がしっかりの残っており当時を偲ばせる。私もぜひ「再訪」してみたい。

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(画像はウィキペディアより。現在の熱塩駅構内ではこんな車両が静態保存されている。「ラセラー」は別として、後ろの客車は実際に日中線で運転されていたものであろうか?)

というものの、実は喜多方までは再訪している。「ばんえつ物語号」に乗車のためムーンライトで新潟へ行き、喜多方までの乗車予定であった。なぜ喜多方か?そう、喜多方の「名物」を確認するためである。私が訪れた目当ては「駅前」にあった、というより下調べ済であった。結果はというと・・・某ロックアーティスト流に言うなら「シンプルでタイト」。とてもわかりやすいが懐かしい味がした。これが名物の「ラーメン」である。ぜひ「再・再訪」してみたいと心に誓った。

喜多方まで再訪した際には「廃線跡」は訪問しなかった。次回の「再・再訪」の際に是非訪ねてみたい・・・という旅が最近できるようになった。以前の旅は「制覇専用」の旅であり、朝から晩まで、というより24時間列車に乗りっ放しであった。鉄道路線は沿線に駅が必ずある。その駅にはそれぞれ暮らしや営みがあるであろう。中には「秘境」と呼ばれる、自然と一体化した駅も少なくないが、一般的に考えて駅とは出会い、そして別れの場所でもあり、数々のドラマを魅せてくれる。そのような「ドラマ」に気づいた時「旅」の中身が濃くなるとともに面白さの奥行が深まってくるような気がする。年齢を重ねたせいもあるだろうが「旅のスタイル」が若干変化しつつある。制覇した・しないも大事ではあるが「中身のある制覇」をこれからも求める事となるであろう。これって「成長」なのか、それとも・・・


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新十津川ストーリー

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2008年6月、私は遥々稚内よりこの地にやってきた。しかし時計の針は夕方6時半を回っていた。新十津川へのアプローチは路線バスだ。函館本線・滝川駅より約2.4km離れた地は徒歩などでも移動可能なほど近い。新十津川駅は新十津川町の中心部にあり、中央病院にも近い。しかし、近くに商店などは無く、飲み物などが欲しくなった場合は病院の購買等での調達となる。1日3本・・・この列車本数の中で、列車に揺られ通院しているのはどれくらいいるのであろうか?

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「札沼線」とは、その名の通り「札幌」と「石狩沼田」を結ぶ路線として活躍していた。しかし太平洋戦争中に石狩当別~石狩沼田が休止されたが終戦後に復活した。だが新十津川~石狩沼田間が昭和47年に廃止されてしまい現在の形となった。その後は周知のとおり、特に札幌寄りは乗客増加が著しく、ついには一部区間の複線化と電化が実現している。石狩当別(正確には北海道医療大学)を境に路線カラーが全く異なる路線は珍しい上に、ここまでハッキリと明暗分かれているのも珍しいであろう。国鉄時代は「しんとつがわ」といったが、JRになってからは「しんとつかわ」に変化している。

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さて、私たちはこの「新十津川」に念願かなってやって来たわけだが、まだ列車は来ていない。普通に考えたら、滝川より札幌に向かう場合「新十津川経由」を選択する人はまずいないであろう。もし現在も石狩沼田までつながっていたとしても、深川から札沼線経由で札幌に行く人も皆無であろう。そう考えると、私は特別な存在なのであろうか?確かに「乗り潰し」の使命を背負っている以上(と言っても誰に頼まれた訳でもないが)、わざわざ遠回りをしなければならないのが宿命なのであろうが、やっている事は「一般」ではない。

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まぁ、その事はあまり深く追求しないとして、新十津川駅は棒線化され交換設備は無く、現在は駅員無配置である。以前は交換設備または側線があったと思われる不自然な空間があるが、現在は全くと言っていいほど全て撤去されていてサッパリしている。「札沼線」という路線名は現在ほとんど使われる事なく「学園都市線」との「愛称」が一般的に使用されているが、この新十津川の地において「学園都市線」の愛称はイメージほど遠く、まるでジャイアント馬場がタイガーマスクを被っているようでもある。

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駅舎的には「駅寝派」には向いていると思われドアもシャットアウトできるが、治安の関係上「おすすめ」はできない。しかし北海道っぽい、なかなかの造りである。開業当時からの物なのか何代か改築されているのかは不明であるが、メンテナンスも行き届き、長年に渡り豪雪からお客様を守ってきた「証」が所々に見受けられる。とても利用者が多いとは思えないが、これからも飛躍していく事はほぼ無いに等しいであろう。札幌寄りのような目覚ましい変化は期待する方が無理かもしれない。

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そしてやって来た列車は「お馴染み」である「昭和」の車両だ。ペイントこそ異なるものの、車内には「JNR」式扇風機が存在する。我々の乗車したDCは札幌へは直通せず、石狩当別で乗り換えが必要のようだ。とはいっても、直通客はほぼ皆無に等しいが、本日は私のような「珍客」が存在する。しかしながら、私のような「珍客」ばかりがいつもいるとは限らない。例え「珍客」が毎日いたとしても、路線維持の数値を弾き出すには程遠いであろう。

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新十津川から先の廃止区間には若干レールが残るが200~300m位先で途切れていた。その途切れたレールの先にはいったいどのような景色があったのであろう。現在は面影がほとんどの廃止区間で確認するのが困難らしいと聞く。私は乗っていた列車を一度降り、レールの先を発車時間までずっと見つめていた。



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由布院に思う。「森」と「林」の違いとは?(前編)

恥ずかしながら私、「森」と「林」の違いを近年に知った。要するに「自然」か「人工」の違いであるが、魚に例えるなら森を「天然」、林を「養殖」と区別できよう。言われてみれば、確かに林は人工的な物と説得あるような気がする。例えば「防雪林」はあるが「防雪森」とは聞いたことが無い。木が一本足りないだけで人が手を加えた事になるとは、何とも摩訶不思議である。そう考えると埼玉県には「森林公園」なる公園が存在するが、これって単純に「自然」の場所と「人工」の場所が同居するのか?と考えてしまう。

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(大分駅で発車を待つ「ゆふいんの森(1世)」。部分高架が完成し、真新しい豊肥本線と久大本線用のホームに緑の車体が際立つ。)

そんな発見を喜ぶ素人な私は「ゆふいんの森」の「サロンスペース」にいた。2010年5月、若干小銭が出来たためシーズンオフながら強引に休暇を取得し九州へ旅立ってみた。この旅の最終日に大分から乗る「ゆふいんの森」は「一世」であった。「ゆふいんの森」は3世まであるが、私の訪問当時は2世が「ゆふDX」として運転されていた。「ゆふ・デラックス」のネーミングとは、なんとなく「マツコ・デラックス」のような貫禄がある感じがして良い!是非一度乗車してみたかったが、現在は「あそぼーい」として第二の人生を歩んでいる。こちらは是非機会があったら乗車してみたいものだ。
そして3世であるが、やはり1世とは内容で若干異なる。この3世は運用の関係から博多~由布院を往復しているが、私は1世、博多~大分の運用されている車両に乗車する事になった。

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(こちらが地上の大分駅構内。お馴染みの「水戸岡氏」がホームに姿を見せている。現在は地上ホームは無くなってしまい全てのホームが高架となり完全リニューアル。新しい大分駅としてスタートを切った。)

乗車駅は大分。ちょうど高架化工事中で、久大本線の発着ホームは既に高架化された真新しいホームからの出陣となった。前回の訪問は1978年の8月、寝台特急「富士」での訪問であったが、ここでは一部車両の切り離しのため確か15分位の停車時間であった。地上部分のホームはその当時とほとんど変わらない懐かしい風景であった。それこそ大分駅の歴史を感じてしまう。

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(再び高架上のホームへ。今ではこんな列車が九州で活躍する。実はこの時点で大分駅に訪問するのは初訪より30年以上経過していた。当時とは全く違うイメージになった。もちろん国鉄⇒JRという変遷も含まれてはいるが・・・)

部分高架化された真新しいホームから発着する「ゆふいんの森」であるが、乗車口ではアテンダント数名が入り口でお出迎え!それこそ「ジャパニーズスタイル」でのお出迎えだ。乗車する人ひとりひとりに丁寧にお辞儀をする・・・なかなかの「お・も・て・な・し」でのスタートである。私の乗車時期はシーズンオフであったが車内は満員御礼であった。あらためて「ゆふいんの森」の人気ぶりがうかがえる。
さて、私の今回の旅の行程はこの「ゆふいんの森」で博多に向かい地下鉄を挟み福岡空港から帰郷予定である。言わば九州地区の「最終列車」である。私の中の計画では「良い形」で締めくくりたい想いで予定を企てた。果たして思い通りに行くのか否か・・・

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(ホームから見た地上時代の駅舎。完全高架化した現在はこの旧駅舎が取り壊され新しい駅ビルが建つ予定である。)




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寝台特急「富士」の思い出(リメイク版)

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(2007年頃だったと思うが東京駅にてのひとコマ。晩年はEF66であった寝台特急「富士」の牽引機関車。私はEF65の500番台のイメージの方が強い。<写真はEF65の1000番台>)

ブルートレイン・・・それは寝台特急の代名詞であり、私達を「夢の世界」へと導いてくれる。我々人間は、人生の約3分の1を「眠り」という作業に費やし、この作業は決してやめることは許されない。しかし、この「眠り」という作業中に目的地に移動できたら、なんて効率のいい時間の使い方であろうか。そんな思いをかなえてくれる「ブルートレイン」は、その名の通り夜に走る列車であるため、眠りながら移動できることが最大のメリットである。しかし、近年は飛行機路線網の整備や新幹線の高速化などにより年々減少している。また車両の老朽化や、運転士の後継者問題など様々な問題を抱え、ついに東京発のブルートレインは姿を消してしまった。そんな中、私は小学校時代に乗った<富士>を思い出す。<富士>は、東京~西鹿児島(当時)を結ぶ、所要時間24時間25分というなんとも常識はずれの「移動手段」であった。私が初めて乗車した寝台特急であるためとても印象深く心に刻まれている。過去の記憶をたどり、是非紹介してみたい。

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(画像はウィキペディアより。晩年の<富士>は<はやぶさ>と併結であった。EF66と言えば私のイメージでは「フレートライナー」である。余談だが、現在も「プラレール」で所有している。)

私は神奈川県民のため、本来なら横浜から乗車するのが普通だが、どうも中途半端は嫌いのようで、東京の親戚に若干お邪魔をし、東京からの乗車にすることにした。と言っても小学4年生。勿論一人旅など「犯罪行為」であった為、両親に駄々っ子して九州への寄行となったのは1978年8月の事である。親戚宅出発後、地下鉄と山手線で東京駅へ。勿論私は興奮の雨あられであるが、同伴の両親も未体験ゾーンの「24時間25分」にいささか興奮気味であったであろう。軽いフットワークと共に<富士>の停車するホームへ参上すると、既に列車は我々を待ち構えており「旅の始まり」を感じさせてくれた。「へぇ~、こんな風になっているんだぁ」見たいな感じで車内へ入り、きっぷに記された席番へ。当時最新型の2段ベッドの24系25型である。凄く広く感じた・・・「ここで寝るのかい?」みたいな気持ちで、もう興奮しっぱなしである。18時定刻に「カクーン」と揺れ東京を後にした列車は、軽快に東海道を駆け抜けてゆく。「寝るのがもったいない・・・」と子供ながらに感じていた私だが、茅ヶ崎を通過したときは、若干の優越感を覚えた。当時私は茅ヶ崎の耳鼻科に通院していて、帰りの相模線に乗車する時刻の頃に<さくら>が通過して行き「いつかは乗りたいなぁ」と思っていた。富士を見るためには、相模線の乗車時刻をあと1時間遅らせると<富士>の通過シーンが拝める訳だが<富士>見たさに何回乗車時刻を遅らせた事か・・・そんな「ブルートレイン」に、今日は「乗る側」であったのだから、これは格別の思いであった。そんな茅ヶ崎を軽快に通過して、更に東海道を突き進む。当時、鉄道で静岡より西へ行った事の無い私は、名古屋に到着したときには興奮が最高潮に達した。とは言うものの、そろそろ「子供」は寝る時間になっていた。

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(1978年乗車時の西鹿児島にて撮影。当時は「バカチョンカメラ」であったため撮影テクニックはご了承を・・・)

「寝るのはもったいない!」との思いを抱きながらいつの間にか夢の中へと誘われていたが一時目を覚ましたときは「三ノ宮」の駅名表が僅かに掠めた。再び気が付いたら「広島」の文字が見えた。さすがに広い構内に再び胸が騒ぎ出した。既に朝を向え、腹の虫も騒ぎ出す頃だが、食事をどうしたかはハッキリ覚えておらず、おそらく車内販売にて購入したであろう。列車は更に進むと、鉄道ファンお待ちかねの「下関」に到着した。そう、機関車交換である。下関から隣の門司までは関門トンネルを通るため専用の機関車に牽引される。EF81(300番台)とEF30が主力だがこの日はEF30であった。個人的にはEF81(300番台)が好きであったがそれはそれでいいんじゃないかなぁ、と、思いを巡らせながら機関車に向けシャッターを切る「カメラ小僧」と化していたのであった。

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(画像はウィキペディアより。上がEF81の300番台で下がEF30。どちらもステンレス素材で出来ており「海底」に対応。個人的にはEF81が好きであった。)

さて、関門トンネルを抜けると、早速門司に到着した。ここで更に「カメラ小僧」に変身する。そう、またまた機関車交換だ。今度は、東京から門司まで続いた直流区間が終わり、九州から交流区間となるため、交流専用の機関車「ED76」が牽引を担当する。しかし、ブルートレインは道中、イベントが盛りだくさんあり鉄道ファンは忙しい。小倉より日豊本線に入り、大分・宮崎を経由して西鹿児島へ向う。中津、別府と停車の後、大分に到着した。10分以上停車時間がある。ここで後ろの何両か切り離し、身軽になった<富士>は更に南下し鹿児島へ向けてレールのジョイント音を響かせる。途中、「リニア」の実験線が上部を掠めた。子供ながらに、鉄道の未来の姿をしっかり目に焼き付けていた。大分を過ぎると単線区間が多くなり、列車同士の行き違いのため、時に名の知らない駅で停車する。小学生のペーペーにはそんな鉄道事情は分からず「北延岡」に停車の際は「?」となってしまった。ところが、上り「富士」とすれ違い唖然。今考えたら貴重な体験となってしまったが、そんな事はお構いなしに列車は更に進み、間もなく宮崎に到着した。実は、またまた機関車交換である。

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(1978年訪問時の宮崎駅にて。なんと地上時代!宮崎~西鹿児島は非電化(多分鹿児島~西鹿児島は電化されていたかも知れないが)のため宮崎で機関車交換。なんとDF50!こんな機関車、首都圏で見たこと無いためワクワクものであった。)

当時、宮崎~西鹿児島間はまだ非電化であった。ここよりディーゼル機関車である「DF50」である。関東在住の私にとってそんな機関車見たことない!そのため、またもカメラを握り締め列車の先頭へ突っ走っていった。現在、宮崎駅は高架駅となりスリムで機能的な近代的な駅に変身したが、当時はまだ地上にあり若干の側線があったが、ホーム2面3線と、県を代表する駅としては少し物足りなさを感じた。
そして、私たちの寝台座席は既に「自由席」となってしまい「部外者」がゾロゾロと乗車してきた。宮崎を過ぎると、山深くなっていき、単線のレールに山の斜面が迫り、生い茂る草木が窓ガラスにぶち当たる勢いだ。都城を過ぎ、霧島神宮を出ると「桜島」が勢い良く噴煙を上げている姿が目に飛び込んできた。さすが活火山!などと子供ながらに関心していると鹿児島に到着。キハ20の普通列車が隣のホームに停車していた。とうとうここまで来てしまった。

次の駅が本当に終点の西鹿児島である。駅到着のアナウンスが流れると若干の寂しさを覚えたが、同時に「24時間25分」の長旅を達成した充実感に満ち溢れていた。ハッキリ言って始発から終点まで乗車したのは私たちぐらいだけであったろう。当時、最長走行時間の列車で有名であったが、まる1日潰れてしまう移動手段を利用する人はどれだけいたであろうか。だが、それを達成した時、果てしない喜びが待っているのである。今となっては実現不可能な体験だけに、大変貴重なものとなってしまった。ただ速いだけが能じゃない、いろんな選択肢があっていいじゃないか!その選択肢の中にはこんな素晴らしい世界があるということ、そしてそれを体験できる幸せこそ、旅の醍醐味ではなかろうか・・・私たち御一行は更に南下し、今夜の宿となる「指宿」へとローカル列車に揺られていった・・・


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江差追分

「♪かも~めぇ~」で御馴染みの民謡「江差追分」は、北海道・江差地区が発祥の地であり、映画「男はつらいよ」のワンシーンで渥美清が自慢のノドを披露している。「男はつらいよ」といえば、監督の山田洋次氏は意外と「鉄分」豊富らしく、ロケにもかなりの頻度で鉄道が登場する。上田交通(当時)や尾小屋鉄道、廃止後の鹿児島交通など挙げたら切がない。江差の鉄道シーンは登場した記憶がないが、確か伊藤蘭がマドンナだったような気がした。第26作と記憶しているが・・・

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(画像がよろしくないが、木古内駅にて。新幹線の駅が出来たら大きく変貌するであろう。)

前置きが少し長くなったが、とある日、江差線のこれから起こる事象のニュースが入ってきた。江差線とは、JR北海道の路線で五稜郭~江差の区間である。かつては木古内より松前線が分岐し、木古内では列車の分割・併合が頻繁に行われていた。更に急行も数本設定されており、活気に満ちていた・・・はずなのだが、例の「国鉄再建法」により先に松前線が姿を消した。やがて青函トンネルの開通と同時に海峡線の分岐駅となり、特急が停車するようになり、木古内も随分出世したなと感心していた時期もあった。周知の通り、木古内~五稜郭は海峡線の列車が通るため、設備が改良されている。しかし木古内~江差の区間は一転、昔ながらの「ローカル線」である。時刻表を見ると一見木古内~江差が盲腸線のように感じると思うが、実際は五稜郭~木古内も江差線である。
以前に廃止された松前線は、廃止の際には江差線より松前線を残すべきだ、との意見が後を絶たなかった。実際、転換直後の代行バスは、朝の通学時間帯においては学生諸君の輸送処理能力オーバーだったらしい。結局残った江差線も松前線と同じ「運命」を辿ろうとは、何とも皮肉な結果であろうか・・・

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私は2009年3月にこの地に訪れている。江差線の木古内~江差と函館市の路面電車を制覇すれば北海道の鉄道全線制覇完成の時であった。この旅の北海道入りは「北斗星」である。本当は「ロイヤル」で豪華に行きたいところだが、予算の関係から「Bデュエット」での参戦。実は帰りを「カシオペア」にした関係からであるが、もちろん「初」であったためそちらに力を注いだのだ。
函館を10時13分に「普通列車」で出発。木古内までは特急でも行けるが、ここはあえて「普通」にこだわる。木古内までは「津軽海峡線」の別名があるが、普通列車では設備を持て余すほど立派だ。上磯は昔と比べ、かなり配線変更があり様変わりしている、といっても「江差線」時代を私は知らないので様変わりの度合いが不明であるが・・・

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(江差駅にて。側線があったと思われる空間が寂しい。が、本線も駅舎もいずれ無くなると思うと更に寂しさが・・・)

途中、木古内では長時間のインターバルがあったため駅を散策。3面5線のホームは有効長が長く、1両編成の普通列車はホームにいるのが申し訳なさそうである。先述したが、かつてはここより松前線が分岐しており、この駅で分割・併合が頻繁に行われ活気に満ちていた。北海道新幹線の開通の暁には新幹線の駅は設置される予定である!!かつての急行停車駅が特急停車駅へ、そして新幹線停車駅と、確実に出世しているではないか!しかしながら厳しい現実に太刀打ちできるか・・・
旧・松前線と海峡線は一部路線が競合しているような部分が無くはない。松前線廃止の代わりではないが「知内」なる駅が誕生した。かつては信号所だったが、駅に昇格している。といっても、到底松前線の「代わり」をしているとは思えない。一日数本の停車では「役目」の割合が知れているであろうが・・・

木古内を出発し江差方面へ向かったら景色が急転した。もちろん「鉄道設備」の意味である。予め分かってはいた事ではあるが、私の好きな「ローカルモード」となった。同じく北海道の石勝線の新夕張~夕張間に状況が似ている。新しい鉄道ファンは石勝線や江差線の「盲腸部分」をどうとらえているのであろうか?石勝線に関して言えば「夕張線」が改良された結果「支線」に転落。江差線も似たような運命を辿っているとは、やはり盲腸線の運命なのか?江差までは湯ノ岱だけが唯一の交換可能駅。他の駅は余計な線路は全て撤去されており棒線化されている。やがて江差に到着したがここも例外ではない。かつての側線は全て撤去され棒線化されている。ホーム手前で線路が若干角度を変えているのがその名残だ。しかし駅前は想像していたよりもかなりひっそりとしていた。江差の市街地から南にかなり離れており、便利がよろしくないであろう。地元民もかなり使いにくい交通機関ではないか。帰りの飲料がやや不足気味のため駅前の酒屋に入った。チエーン店ではない店にしては格安の酎ハイを入手したがここもやがて「駅前」ではなくなる。私のように列車から降りて買いに来る客がいなくなるであろうが、店の売り上げにどれほど影響するであろう。

車内に戻り先ほど購入の「飲料」を飲み干す。というのも、3月であるのに過剰な空調でTシャッツ1枚で過ごすほどだ。のどが渇く。一応帰宅後にJR北海道に意見を投稿しておいたが、とにかくアルコール入り清涼飲料が進むほど暑い!なのに外は若干の雪景色・・・何ともアンマッチな組み合わせせある。

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私は乗ってきた列車で折り返し函館に向かったが、函館到着は16時頃である。江差線制覇のみでほぼ一日が終わったような感じだ。といっても出発時間が遅かったせいもあるが、この後路面電車を制覇して「カシオペア」乗車とは、なかなか期待に胸が高まる。そのカシオペアに乗って再び木古内まで「江差線」を通るわけであるが、この区間も新幹線が開通したらJRの管轄ではなくなる予定だ。

変わりゆく江差線・・・木古内を境に運命が二分されたがなぜか寂しさは無い・・・なぜだろう。もう充分に老後の生活を送り「平成」を生き抜いて来た。「お疲れ様」と言いたいが、もしかしたら20年以上前の「国鉄再建法」の時点で運命は決まっていたのかも知れない。恩恵を受けた「津軽海峡線」の部分もやがてその使命を終えようとしている。「トンネル」でさえ、開通する頃には社会情勢の変化により「使い道」に頭を抱えるのは「運命の悪戯」なのであろうか?

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廃止路線を訪ねて⑰ 三木線

国包・石野・別所・三木・・・1983年・春、私を乗せた列車は厄神を出ると三木に向けてジョイント音を響かせた。2008年に廃止される晩年は第三セクターとして第二の人生を送っていた。そして国鉄時代よりも駅の数が増えていた。私の訪問時は厄神を含めなければ4つの駅しかない華奢なローカル線であった。訪問当時は北条線と鍛冶屋線を含め加古川支線を一気に制覇し言わば「消化試合」的な感覚もあったが、小学生くらいにコロタン文庫の「国鉄駅名全百科」等を見ながら訪問の憧れみたいなものを少々胸に抱いていた、若干不思議な小学生であった。終点の三木はもちろん、途中の国包は当時としては珍しい「カプセル駅」として地味に有名であった。いわゆる駅舎の造りが「カプセル」の様に簡素な素材と設計になっており、未来の駅のあり方を示唆するような印象であった。

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(画像はウィキペディアより。ご覧の通り「近代的な」駅舎は、年数を重ね数々の「年輪」を刻んでいるような印象である。当時は地味に話題になっていた。)

隣の石野は厄神から日中のみ駅員が出張して来た、いわゆる「有人駅」であった。別所を過ぎ三木に向かうが、三木鉄道時代には私の知らない高木駅が誕生している。高木のみならず、三木鉄道時代は高木を含め4駅増えて増収を図った。終点・三木は「市の代表駅」的存在であったが、利用者は当然「神戸電鉄」の方が圧倒的に多かった。これは当然「客流動」の関係にあろう。厄神を介してJR経由で神戸に向かうよりも当然「近道」であろうから。晩年は目に見えて利用者が減少していたのは残念であるが、それでもよく2008年まで活躍してくれたものであった。

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(私の所有する三木線の「資料」のひとつ。国鉄らしさがにじみ出ているが、外枠は若干塗装しなおして日が浅い印象。)

やはりレールファンでない方から見たらただの「交通機関」かも知れない。そしてもし私が三木市の住民で普段からほとんど利用しない鉄道に税金が使われていると思うと・・・現在の姿を納得せざるを得ないであろう。と、レールファンらしくないコメントをしてしまったが、やはり地元の人に愛され、そして利用されてこそ本来の姿であろう。だが鉄道とは、他の公共交通機関を超越した「何か」があるように思えてならない。なくなってしまうと思うと無性に愛着心が湧いてくる。合理的に考えた場合、バスに比べ莫大な経費が掛かるのも事実である。かつて鉄道は「ブーム」であった時代もあった。私たちが日常単語として使っている「ローカル線」と呼ばれる鉄道路線も盛隆期が存在したし多くの住民に愛されていた事であろう。しかし時代と共に三木線のように忘れ去られていく路線も少なくない。しかし鉄道とは「公共交通機関」である事も忘れてはいけない。

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(別所と共に私が所有している三木線の資料。しかしながら神戸電鉄の「電鉄三木」の方が利用者は圧倒的であった。)

終点の三木駅の所在する三木市は、かつて神戸電鉄付近に新興住宅を開発して人口増加を図ったが目標数値には届かず、現在は減少傾向であると聞く。その神戸電鉄も実は鈴蘭台~粟生間は廃止の噂も出ているほどに利用者が減少しているらしい。三木市に限らず全国的なこの「人口減少」は今後更に我が国・日本の最大の課題となるであろう。と言うより現在はもう既に入り口を突破し2合目・3合目あたりまでているのかも知れない。私たちは今後必ずやってくる「課題」にどう取り組めばいいのであろうか?失われていく交通機関の背景には、私たちの生活が常に背中合わせであるという事を忘れてはいけない。


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プロフィール

ダイヤモンド☆トナカイ

Author:ダイヤモンド☆トナカイ
所在地:神奈川県湘南地区

〇2013年6月11日、北陸新幹線長野駅にてJR全線制覇いたしました(当時)。
国内の鉄道は、沖縄の「ゆいレール」を残し全線制覇しました。(とは言うものの、2015年3月の北陸新幹線延伸によりJR全線制覇は「ベルト返上」しました)

★ ブログ記事の「リメイク版」は、以前にホームページで紹介した旅日記をブログでリメイクしたものです。


◎ブログの登場人物

★ ダイナミック☆トナカイ
・・・中学時代の後輩で、2013年に約30年振りに再会を果たした。数多くの写真を提供していただいた「盟友」でもある。

★ おさる・・・かつて私がバンド活動をしていた時のメンバーで、鉄道復活のきっかけを作ってくれた人物。彼とは「秘境駅」を数回訪問した「親友」でもある。

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