熊に逢ったらどうするか① 上利別

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「北海道ちほく高原鉄道・ふるさと銀河線」と、やたら長いタイトルの路線に所属していた上利別駅。国鉄時代は池北線に所属し地味な中間駅であった。三セク化されてからもその地味さは変わりなかったが、レールファンとっては特別な存在であろう。そう、とてもマニアチックな駅舎が存在したからだ。というより、かつては全国的に存在した駅舎であるが、その駅舎も時代とともにリフォームや取り壊しなどにより上利別的な駅舎が貴重なものとなっていった。2006年にふるさと銀河線は廃止され、同時に駅も廃止されてしまったが・・・2014年現在も当時のままで駅舎が健在であった!ご覧の通りほぼ現役当時のままの姿で残ってるため今にも列車がやってきそうな雰囲気であったが、ホームに向かうと既にレールは撤去され現実の見せ付けられる。
だが、この素晴らしい駅舎、実はメジャーデビューを果たしている。ご存知の方もおられるであろうが、北海道は足寄出身のシンガー・ソングライター「松山千春」の自伝映画「旅立ち~足寄より~」のロケ地として使用され、この上利別駅の駅舎が昔の「足寄駅」として登場するのだ。映画のスタッフは実にマニアックな事前調査によりここをロケ地に選択したものだと感心してしまう。「昔」という雰囲気を醸し出すにはピッタリの材料であったろう。現在も取り壊されずに残っているのが奇跡としか言い様がない上利別の駅舎であるが、このまま永久に残る保証はない。訪問するなら「今でしょう!」と思うくらい素晴らしい保存具合であった。できれば「世界文化遺産」にでも登録して欲しいところであるが、是非ともこれからも変わりなく残って欲しい物件である。


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さて、ご覧の通り「池北線」の駅舎だ。路線が廃止されて8年が経過したが、こんなに保存状態が良いのは実に素晴らしい。「千春」が旅立つのに最もふさわしい風景であろう。

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駅名標は外されていたのはさみしい限りであった。他にも「川上」や「小利別」なども訪問したが、すべての駅で駅名標が外されていた。


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いかにも「ふるさと」という雰囲気。決して「故郷」ではない。かつては数多くの出会いや別れがあったであろう。


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かつての鉄路は既に撤去されているが、駅舎に接するホームの部分はレールが残っていた。哀愁!


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「駅前」からは代替バスが発着する。上利別駅は国道を一本奥に入ったところにあるが、バスも国道より駅前まで乗り入れてくる。


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駅舎内は鍵が掛かっており侵入できない。が、どうせならバスの待合室にでも開放して欲しい気分だ。


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と、堪能していたら次の駅に行く時間となってしまった。といっても今回の訪問はレンタカーのためそれほど時間を気にしなくて済む。



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熊に逢ったらどうするか(プロローグ)

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(旧・糠平駅跡に建立された「上士幌町鉄道資料館」で見つけたご覧の書籍。今回の旅で、私にとっての最大のテーマをまさに代弁してくれているようでもあった。)

「ある日~森の中~熊さんに出会った・・・」としたらあなたはどうするか・・・?一部の方には予告しておいたが私は今月(2014年6月)の後半に北海道へと旅立った。だが、今回は内容が内容だ。「鉄道を使わない鉄道旅」と題し北海道の「白滝シリーズ」「廃止駅」「信号場」に訪問した。特に下白滝や旧白滝などの「白滝シリーズ」に関してはレールファンには完全に大常識ではあるが、レールファンではない一般的には全く知名度の低い非常識の世界であろう。今回は旭川よりレンタカーを使い石北本線の白滝シリーズはもちろん、湧網線、名寄本線、士幌線、広尾線などの廃止路線、石勝線の信号場や夕張支線などを巡り、かつてから思いを秘めていた事を一気に実行した感じであった。順次その模様はアップしていく予定であるが、今回は鉄道を一切使用していないのでかなりの発見があった。

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(石北本線の旧白滝駅。秘境駅としても名高いが、私が訪問した時に感じたこと・・・それは意外にも民家が付近にあった事。しかしながらやはりここに住むということはそれなりの覚悟が必要であろう。)

例えば秘境駅などを訪問する場合、レールファンであればほぼ鉄道を利用しての訪問となろう。当然といえば当然であるが、今回私は全てレンタカーでの訪問であることは先述の通り。つまり駅訪問に関しては全て車での訪問となったのだが「道を伝って駅に行く」という事が実に新鮮で、その駅周辺の集落や暮らしなどが確認できるのだ。つまり「なぜそこに駅があるのか?」という背景が確認できるという、かつてない発見が今回の旅での最大の収穫であった。

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(後ほど詳しく紹介する事となるが「池北線」の旧・上利別駅。未だにこの景色が健在とは!こういう駅舎が好きなファンにはたまらないであろう物件である。)

そして信号場・・・ハッキリ言って「観光気分」で信号場は訪問しないほうが良い。もちろん私は事前準備をしっかりと整えての訪問であった。特に「熊」に関しては自身の生命さえも落としかねない。事実、占冠駅で撮影している時に保線の方と遭遇したが、こんな会話をしていたらしい。「今日はまだ熊見てねぇなぁ~」と。私は撮影に夢中でそれほど気に止めなかったが、同伴の妻が血相変えて保線員の会話を私に伝えてきた。私はそれを聞いて一気に不安になった。「今日はまだ」ということは他の日には見ていることになるのか?これから訪問する「東オサワ信号場」に関しては事前調査だと完全に「出る」環境であるからだ。しっかりと「防御策」を整えての出陣となったが、詳しくは後ほど紹介しよう。

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(こんなところも訪問した。名寄本線の旧・中湧別駅。現在は「道の駅」として第二の人生を送っている。)

今回の北海道訪問は「既存駅」「廃止駅」「信号場」の3カテゴリーに分けて紹介していきたい。が、帰ってきての感想は・・・重ねて言うが、信号場や廃止駅や廃止路線に関しては、決して観光気分での訪問は避け、事前準備を万端にしていく事。そして自衛手段の相手は決して熊だけではない。特に「上越」や「東オサワ」に関しては「自然」というよりは「ジャングル」という方が確実に危険性が伝わるかも知れない表現であろう。

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(小学生時代からの憧れでもあった士幌線。旧・士幌駅では当時の雰囲気がしっかりと現在も残っていた。)                                                            

                                                                           
ということで、次章より「熊に逢ったらどうするか」と題した今回の北海道の旅を紹介していこう。


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ダイナミック☆コレクション②

既にお馴染みとなった「ダイナミック☆トナカイ」であるが、彼もかなりの強者であり筋金入りのレールファンであった。現在は家庭もあり中学生当時ほど活動はしていないと聞いているが、彼も私と同じ時代を生きてきたため懐かしい写真の在庫は豊富だ。彼の特徴としては親戚がいた関係から東北方面が豊富であるのと北陸・九州などの写真も多い。北海道に関しては限りなくゼロに近いが、私同様、中学生当時は北海道への訪問はやはりそれなりの「覚悟」が必要であった。

若干彼(ダイナミック✩トナカイ)の解説を記させていただくと「中二の時(これは私と一緒に東北を訪問した時も含まれるであろう)は山形を中心に乗り潰しましたが三年生の時は範囲を広げ写真部の友達の田舎が八戸にあったので周遊券(おそらく東北ワイドと思われる)の半分である5日間ずつ山形と八戸を中心に友達と乗り潰しました。」との事であった。
友達が同行したとは言え、彼が東北に再戦していたとは初めて知った。その頃私は「18」で四国の国鉄完全制覇をしており、私が卒業してからはそれぞれの道を歩むことになった事の「象徴」のような気がした。しかし現在はこうして再会し昔話に華を咲かせるのは素晴らしい事。彼はやはりなかなかの強者である!
写真は全て1983~1984年頃の撮影。

もちろん写真は全て「ダイナミック☆トナカイ」提供。(いつもご協力ありがとうございます!)


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さて、どこかお判りであろうか?そう、私たちが中学時代を過ごした地元の駅・寒川駅である。寒川支線廃止当日で、被写体のDCはおそらく「寒川⇔西寒川」の臨時列車であろうと思う。写真の跨線橋であるが、現在はその跨線橋に駅舎が設置され橋上駅舎となった。



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キハ58の改造列車は「お座敷」仕様で、彼(ダイナミック✩トナカイ)が中学3年の時に写真部の友達と東北に訪れたもので「多分秋田駅て撮ったものと思います。アキ座と言われてたキハ58改造のお座敷列車ですね。後におばことかこまちとか名称が付いた車両と思われますが当時はまだ名称がなかったと思います。」との事であった。



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現在は「ゆりかもめ」に駅名が引き継がれている汐留「貨物」駅。とても都会の真ん中にあるとは思えぬ佇まいであったが、かなり重厚な造りで歴史を感じる。晩年は「カートレイン」の始発駅としても活躍した。



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恐らく東京駅と思われる「踊り子」。「あまぎ」から活躍してきた183系がとうとう伊豆から撤退する日がやって来た。隣には新鋭の185系がいるが、どうしても私は「特急」という感覚には馴染めない。現在は「マリン」「リゾート」等も加わり伊豆方面の車両は華やかなものとなった。と言うより583系が伊豆方面へ乗り入れると面白いかも。


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これは・・・初めて見た時から「どこかで見た景色」と思っていたが、彼からのメールで確信に変わった。やはり相模線の北茅ケ崎~香川間で、彼の解説によると「サロンエクスプレス東京が短編成化して相模線内に入線すると情報を得たので撮影に出かけた記憶があります。」というが「3両くらい」の短編成であったらしい。なぜ短編成であったのかは不明と聞いた。「早朝だったので逆光気味ですね」との事であるが・・・学校はどうした、学校!間に合ったのか?


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最後は、私が個人的に好きな彼の写真である。山形駅に関しては若干の出来事がありとても印象深い駅であるのはこのブログでもすでに紹介しているが、全くその当時の風景で懐かしい。もちろん山形駅には新幹線が到達していない時代でDCやSLが似合う時代でもあった。もちろんSLは既に撤退していたが、何となく東北チックな「メルヘン」とでも言おうか、北国の独特な空気が濃縮さてている感じだ。言葉よりも写真をご覧になっていただいた方がいち早く納得できよう。


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スカイ・ハイ③

さて、その「複雑」の一角をなす添田であるが、添田線が廃止され駅構内の配線もかなり変更された。まずは、と言うより駅舎に接していた添田線用の一番線のレールは完全撤去!そして何本かあった側線も外され、まるで抜け殻のように変身していた。数々の駅を見てきたが、さすがにこの添田は痛々しい印象を否定できずにいる自分であった。
そんな日田彦山線であるが添田以降が若干貨物色が薄れてくる。と言うのも日田彦山線で一番新しい駅「歓遊舎ひこさん」が開設されたこともあろう。添田町の地域自立促進プロジェクトの一環として設置され、道の駅ともドッキングしている。石炭産業が衰退してしまった現在、こうした町の「起爆剤」が全国各地で見られるが、やはり「道の駅」と言う名の通り、現在の主役はやはり「マイカー」であろう。

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(添田からはかつて添田線が分岐していたのは周知の通り。現在は線路がほとんど剥され無残な姿となっているのは寂しい。しかし、かつての盛隆もしっかりと確認できる「遺産」でもある。)

そして路線名となっている彦山であるが、かなりの由緒ある場所らしく、ウィキを開くと「英彦山(ひこさん)は、福岡県田川郡添田町と大分県中津市山国町とにまたがる標高1,199mの山である。耶馬日田英彦山国定公園の一部をなす。日本百景・日本二百名山の一つ。また、弥彦山(新潟県)・雪彦山(兵庫県)とともに日本三彦山に数えられる。」と記されているが、列車で訪れる人はそう多くないであろう。

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(彦山は現在も構内は広い。利用者は以前よりも減少しているが、ふたつ隣の「歓遊舎ひこさん」では道の駅との合体で生き残りを図る。)

こうしてみてみると日田彦山線は数々のカラーを持って備えている。それもそのはず、日田彦山線は数々の路線を繋ぎ合わせた「合作」だからだ。詳しい歴史はこちらを参考にしていただくとして、日田彦山線は数々の変遷と統合を繰り返してきた。しかしながら私はその変遷時代に私は生まれていないので実感が無く、完全に歴史上の出来事であり伝説である。だが、その伝説は若干形を変えながらもしっかりと「遺跡」として現在も残っていた。

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(画像はミックスマテリアル様ご提供の今山駅。1986年の国鉄仕様だ。)

「戦争を知らない子供たち」という歌が私の子供の頃によく歌われた。発売されたのが1971年と聞いているが私は2歳!確かに私は「戦争を知らずに僕らは育った」のだが、戦争を知っている大人たちは既に現役から退き「戦争を知らない子供たち」が現在の社会を担っている。確かに戦争は悲しい出来事であるが、私たちにとってみたら「伝説」である事を考えると私たちはある意味幸せなのかも知れない。当時「大人」であった私たちの先輩たちは壮絶な時代を生き抜いてきたと私は思う。
現在「JR」と呼ばれる全国に張り巡らされた鉄道路線は、かつては私鉄であったものを国が買収したり「タコ部屋」等と語り継がれている強制労働などによって敷かれた路線など多くの変遷を持つものがほとんどであるが、その多くは軍事目的で敷かれたり国有化されたものだ。現在の様に車がそれほど発達していなかった時代は鉄道が主役であった。世界的に見てもこれほど鉄道路線が敷かれている国も珍しい部類だ。そしてほとんど人影が見られない山奥にまでレールを敷き日本の細部までの交通網を完成させようとしたが・・・その多くは「ローカル線」と名の付く路線に変身したり、中には廃止されてしまう路線も多数出てきた。
時代の変化と共に衰退していく鉄道・・・私たちが今見ている鉄道の姿は、かつて先人たちがただならぬ思い出築き上げた「財産」であると思う。出来ればその「財産」を将来にわたっても引き継がれてほしい思いである。日田彦山線のみならず、特に北九州の「網の目」は現在もかつての栄光を我々に「表現」している。もちろん衰退して枯れ果てた姿を見るのは寂しいが、私たちの先輩はこうして「財産」を残してくれたおかげで今の私たちがある。そんな筑豊地区の路線を「そのまま残せ」とは言わないが、しっかりとメンテナンスやリニューアルを繰り返してでも次世代に引き渡して欲しい・・・

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(画像はミックスマテリアル様ご提供の1998年、筑前岩屋~大行司間の一枚。非常に「らしさ」が溢れているではないか!かつてここにSLが走っていたと思うと・・・)

やがて「夜明」に到着する時間となった。久大本線で久留米に向かう予定になっているが、乗り換え時間は3分。ワンマンのため運転手に切符を見せると「乗り換えですか?」と聞かれたので肯くと、何やら無線みたいなもので連絡を取っていた。そう、交換列車に乗り換え客がいる旨を報告していたのだ。既に列車は到着しており、3分と言う時間があるにも関わらず、なぜか私たちを急ぎ足にさせた。編成の短い列車たちには持て余すくらいの長いホームを端から端まで移動するような感覚で息を切らせながら跨線橋を駆け登った。乗り換える列車は真新しい黄色の車両でJR仕様である。
学生たちが多く乗車し立席もいる大盛況の中、ポツンと2つの席が空いていた。私たちはそこに招かれるように着席した。その席から今乗って来た「国鉄車両」が見える。その車窓に映る国鉄車両からは北九州のかつての盛栄が投影されているように思えてならなかった。


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スカイ・ハイ②

城野より日田彦山線へと入って行くDC。私は当時レールファンを復活して日が浅かったのでこの国鉄車両であるDCは非常に懐かしかったし健在であったのは嬉しかった。途中の志井公園はモノレールの企救丘駅の至近距離にあり、駅周辺は開発された住宅街だ。北九州市はこの志井公園駅の設置に難色を示したが、周知の通り現在は駅が存在する。乗降客数も1500~1600人位で安定しており日田彦山線の大きな収入源のひとつとなっている。

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(画像はウィキペディアより、現在の呼野駅。つい30年くらい前まではしっかりとスイッチバック設備があったが、現在はご覧の通り。しかしながら今もこうして「遺跡」が残るのは嬉しい気持ちもあるが哀愁漂う感もある。)

と明るい材料のある日田彦山線であるが、しばらく列車は進む呼野に到着する。この呼野はかつて通過式のスイッチバック駅として北九州では珍しい存在であった。現在は解消されているがホーム跡などが残っておりかつての面影を偲ばせる。そして隣はズバリ「採銅所」なる駅が登場。「企救丘」の住宅街の景色からは考えられないほどの変貌ぶりだ。と言うよりこちらが本来の日田彦山線の姿であり、志井公園の景色は「現在」であるのだ。ところでこの「採銅所」と言う駅名。ちょっとウィキを開いた見たら、なんと字名で集落の名前である。由来は「地名はこの駅の周辺で銅を採掘していたことに由来するとされる。1956年までは採銅所村という独立した自治体であった。」と記されているので文字通り銅で発展してきた街なのであろう。現在はその面影がほとんどないと思われるが、2011年に駅舎が改築されたらしい。呼野と共に是非再訪したい物件となった。

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(その名もずばり「採銅所」。実際に付近では銅が採掘されていたらしい。いかにも北九州らしい地名だ。)

さて、列車は更に南下していくが隣の香春ではかつて添田線が分岐していた。添田線と言えば私の世代であると「赤字日本一」の名で全国にその名を知らしめた物件だ。北海道の「美幸線」と共に赤字率では常にワーストの位置に顔をだしていたが、石炭の時代が終焉を迎えた現在は全く意味のない路線となってしまい例の「83線区」に名を連ね「リバプールの風」となってしまった。途中の大任では油須原線と接続する予定であり、当時は比較的重要な路線であったろう。と言うよりも、実はこちらが本来の「日田彦山線」であったが、開業当時は「日田線」と呼ばれた。私たちの知る添田線の原型が分離され添田線となるのだが、私の世代を含め若いレールファンは全く実感がわかないのも正直なところだ。だが、車窓に映る「ボタ山」を見るとやはりかつての「栄光」が見え隠れする感を否定できない。やはり北九州は炭鉱で栄えた街なのだ。

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(日田彦山線の代表格である田川伊田。平成筑豊鉄道が分岐する。広かった構内もかなり配線が変更された。)

そんな車窓を眺めていると田川伊田に到着。隣の田川後藤寺と共に田川市の中核を成す都市、そして駅でもある。しかし駅構内はかつての面影が沢山残っていた。今にでもSLがやってきそうな風景。そう、この駅にはDCが似合わないのかもしれない。田川後藤寺で一旦下車し後藤寺線を制覇するため新飯塚へ向かう。後藤寺線制覇の模様は別途機会を設ける事とし、折り返して田川後藤寺へ戻ってきた私は再び日田彦山線を滑り出した。田川後藤寺からは典型的なローカル線の風景となり利用者もそう多くない部類に入る。

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(隣の田川伊田と共に代表格の田川後藤寺。こちらも平成筑豊鉄道が分岐するが、かつては石炭輸送で栄えた仲間でもあった。)

さて、この辺りはかつての栄光時代であった石炭輸送時代の路線図が全く複雑すぎて私には理解の範囲外であった。まず田川伊田と田川後藤寺では現在の平成筑豊鉄道が分岐。そして池尻では各炭鉱への貨物支線が分岐。更に隣の豊前川崎からは上山田線が、更に更にふたつ隣の添田では香春から分岐していた添田線が再び合流していた。と、なんだか偉そうに知ったか振りであるが、実は路線図は大体頭に描けるが路線名と一致しない。何ともこの網の目のような筑豊の路線図を理解しろと言われても・・・ラクダが針の穴を通るよりも難しいかも知れない。


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スカイ・ハイ①

エネルギー革命・・・少なくとも昭和30年代までは間違いなく日本の経済を支えていた「代表」は北海道や九州であろう。もちろん今も支えている事に変わりはないが、私の言っているのは「石炭」の事である。「若松」や「室蘭」と言えば日本でも有数の石炭積み出し港としてその名を馳せたが、そんな石炭輸送をしっかりと支えていたのは何を隠そう「鉄道」である。そして若松や室蘭などは沢山の貨物側線があり、構内は煙が絶え間なく夜中でも賑わっていたと聞く。そう、芸能人でいうと「石原裕次郎」や「美空ひばり」的なイメージか。しかしながら若い方は「石原裕次郎」と言われてもあまりピンと来ないであろう。私でさえ小学校・中学校時代だし、イメージ的に「西部警察」や「太陽にほえろ!」の時代だ。「♪おいらはドラマー~」は既に伝説状態で全く分からない。

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(1986年、筑前岩尾駅。やはり添田~夜明間は「炭鉱」と言うよりはローカルムードたっぷり。画像はリンクさせていただいているミックスマテリアル様ご提供。)

私の生まれた頃は「石炭」の時代は既に終焉を迎え、全国各地からはSLが撤退してきた頃だ。私の身近にあった東海道線は113(115)系が普通列車として主流になっており、急行「伊豆」は153系が使用されていた。そんな沿線に住んでいた私は「SL」は物語のイメージに過ぎない存在であった。だから、例えば筑豊本線は確かに石炭列車がピストン輸送されていたため直方駅の構内は広い。しかしそれは「伝説」であるので実感が無いが確かにその過去を確認できる存在だ。現在の姿を考えるとかつての「伝説」のイメージがつかない場面もあるが、確かに華やいだ時代もあったのだ。その筑豊本線と共に現在も活躍しているのが日田彦山線である。そして後藤寺線と共に現在にその「過去」を伝える貴重な存在となってしまった。

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(同じく1986年、今山駅にて。やはりローカルと言えばこの風景であろう。画像はミックスマテリアル様ご提供。)

私は2008年1月に日田彦山線を訪問している。本当なら1980年代に訪問予定であったが実現できず、多くの未制覇路線を残したまま変な空白地帯が出来てしまった。そして九州地区でも重要な「筑豊地区」は全く手を付けずに多くの路線が廃止されてしまった。「お蔵入り」となった計画は山ほどあったが、それこそ実行自体もお蔵入りになってしまい大変もったいない事をしてしまったが・・・2008年訪問時は車両も変わり路線を経営している会社も変わっていた。しかしほとんどの駅が最小限のリニューアルにとどまり昔の面影を残していた。

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(こちらは1998年の宝珠山~大鶴間にて。約12年の歳月が経ってもほとんど風景的に変化が無い感がある。とても素敵な風景だ。画像はミックスマテリアル様ご提供。)

日田彦山線の列車は起点の城野ではなく小倉より直通の列車がほとんどである。と言うより全列車が小倉から発着している。出発までにはまだ時間があったので北九州名物の「かしわうどん」をいただいた。私は「蕎麦」であったが、やはり味はもちろん、この小倉駅の「ホームでいただく」と言う事が最高の調味料になっていたようで鶏肉の旨さが際立つ。
そんな小倉駅のホームから乗車する日田彦山線は意外と乗車率が良かった。もちろんJRにしてみたらうれしい光景であるが、私のような「よそ者」にとってみたら若干「想定外」であった、と言ったら失礼であるかも知れないが、やはりローカル線の風景ではないのが若干残念であった・・・


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ドリームにちりんへの旅(後編)

新幹線からの乗り換え客の多さに座席があるか心配であったが、やって来た「ハイパー」は結果的に空席が目立った。と言うより私の乗った車両は2~3名ほどしか乗っていなかったので早速回転式のリクライニングシートを向い合せにして「戦闘態勢」を整えた。暫くすると女性車掌による車内改札が始まった。周遊券を見せると「どちらまで?」の問いに「空港まで」と答えた。いかにも「ツウ」らしき表現であったが、車掌もまるで「カー」の様に「わかりました」と答えた。空港とはもちろん宮崎空港の事であるが、私にとってみたら宮崎空港は非常に新しい存在である。しかも日南線が一部ではあるが電化されている事も非常に新鮮であった。

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(途中の津久見では完全に深夜の時間帯。利用者はほぼ皆無に近いであろう。昼間の時間帯は隣の臼杵と共に利用者が多い。)

そんな宮崎空港を目指しハイパーは既に日付の変わった日豊本線を只管南に下って行く。中津を過ぎるころには私の乗った車両は既に独占状態となっていた。他の車両も小倉で座席の確保を心配していたのがうそのような程ほとんど空席になっていた。行橋、中津辺りまでは終列車の役割もしている。そして大分に着くと、高架工事中となっている上りの部分を見上げた。大分は後ほど訪問するという予定であったのでその場はすぐに目を閉じ仮眠体制を取ったが、ここ大分に来るのはそれこそ小学校以来であった!約30年振り位に見た大分駅は既に新しく生まれ変わろうとしていた。私の乗った「ハイパー」はまだ高架化されていない昔からの地上ホームであった。しかしそれもいずれ近い将来に無くなってしまうであろうと思い、後ほどの訪問でしっかりと記録する事を心に誓った。

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(かつては杉安までの「妻線」を分岐していた佐土原。現在でも宮崎までの通勤・通学駅として利用者が多い。佐土原付近になると完全に空は明るくなっていた。)

夜がだんだん明けてきた。所々記憶が無いのはやはり寝ていたのであるが、基本的に座席での仮眠は意識は働いているものだ。高架化された鉄路を進むとやがて日向市に着いた。私の初訪は1978年8月であったが、その時は地上であったので全く印象が違ってしまっていた。そして何より大きなバッグを持った乗客が数十名ホームにいるではないか!しかも高校生まで数名いる。そう、この「ドリームにちりん」は始発列車の役割もしているのだ。大きな荷物を持った乗客はもちろん終点の宮崎空港までの乗車と思われるが、特急列車で通学する高校生はいったいどのような思いで「ドリーム」に乗車しているのであろうか?

高鍋、佐土原と停車し宮崎に着く。ここも私の知らぬ間に高架化されていて、ものすごく新鮮な感じであった。しかし停車時間は確か1分であったのでじっくりと確認できなかったのが残念であるが、乗客がかなり下車した。私が小学生時代にこの宮崎に来た時は当然地上駅で、寝台特急「富士」での訪問であった。当時宮崎~西鹿児島は非電化であったので東京からやって来た「富士」はここ宮崎で機関車をELからDLに交換する作業があった。その時はDF50であり、そんな機関車は湘南地区在住の私にとって書籍でしか見た事なかったためもう「シャイニング・ウィザード」をまともに食らったような衝撃であった。

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(宮崎空港で出発をまつ「普通列車」。つまり「ドリーム」が折り返しての変身である。随分と豪華な普通列車だ。)

そんな宮崎から更に南に下るのが現在の姿である「空港」まで列車は足を伸ばす。空港利用者にとっては非常に便利な制度が、つまり宮崎~宮崎空港間は特急列車に乗っても自由席ならば特急券無で乗車できる制度がある。日本で最初に空港アクセス駅として機能したのが「千歳空港」、つまり現在の南千歳である。当時はこの駅を通る全列車が停車し、文字通り「アクセス駅」として活躍。駅舎にあった雪印のマークが非常に印象的であった。現在はその地位を新千歳空港に譲ったが、そんなアクセス駅としてこの宮崎空港も活躍している。とはいうものの島式ホーム1本でやや華奢な印象ではあるが。そして地形の制約からか、若干ホームが弧を描いていてやや細い印象だ。しかしながらハイパーをはじめ普通列車などの列車が多く発着しておりアクセス駅としては「合格」であると私は思う。

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(「ハイパー」で南宮崎に戻り日南線制覇に向かった。南宮崎は宮崎駅を補完する意味でも重要な駅だ。と言うより運転・運用上の「宮崎駅」であろう。)

「ドリームにちりん」から大きな荷物を持った全ての乗客は改札に向かった。改札を出ずに折り返すのは私たちくらいだけであった。ただここから普通列車で折り返し日南線を制覇する予定なのだが、その肝心の普通列車がやって来ない。もしやと思い改札に向かい駅員に問うた。「スミマセン、ここに表示されている普通列車の宮崎行ってこの特急列車が折り返しになるのですか?」と言ったら「そうだよ」と簡単に答えられてしまった。えっ、特急が普通列車になって折り返すんだ・・・と、なんだかマギー司郎に縦縞のハンカチを横縞のハンカチに変化させる手品を見せられた思いであった。一応、時刻表には臨時列車扱いで毎日運転されているような表示であったが、恐らく宮崎への回送列車を解放したものであろうと推測。有効な活用の仕方だ。もちろん座席は満席ではないが、約10名くらいであろうか、快適な「普通列車」で宮崎に向かっていった。


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ドリームにちりんへの旅(前編)

近年まで活躍した「ドリームにちりん」は皆様の記憶に新しい存在であろう。九州は日豊本線を駆け巡るこの夜行列車は、当時日本国内唯一の「座席特急夜行列車」で異色の存在あった。私の知っている限りのルーツをたどると、この列車の源は夜行急行列車「日南」になる。「日南」は1980年代に活躍した夜行急行列車で門司港~大分~西鹿児島の運転であったが、宮崎~西鹿児島が普通列車に変身する。私の知っている限りの記憶だと、この「日南」は12系の客車列車であったが、なんと10系の寝台車も連結していた!

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(1983年3月、九州に訪問した際に出会った「日南」。だが私の所持していた切符は「18」であったため残念ながら見送るしかなかったが・・・残念!<少し引用が古臭いが>)

しかしながら、もっとさかのぼると・・・「日南」という愛称の列車は、昭和52年現在ではなんと別府~宮崎間を走るDCの急行列車でもあった!夜行列車と2本立てであるが、これは私が昭和52年発行の「ケイブンシャ 特急・急行大百科」でも確認済である。こんな時代もあったのかと、なかなか貴重な資料であるが・・・
この当時は日豊本線の夜行列車と言うと、寝台特急「富士」「彗星」がいた。その他に・・・若いレールファンにはわからないであろうが、大阪~大分を走る座席急行列車「くにさき」の存在が非常に大きい。同じく座席急行列車「阿蘇」とともに14系客車を使用し、当時は「豪華急行列車」と絶賛されたものであった。

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(同じく1983年に訪問した時の門司港。「有明」の隣にいるのは当時「日南」と姉妹列車の「かいもん」。こちらは鹿児島本線経由であった。)

と、変遷を繰り返した列車も運用の関係から客車⇒特急車両に生まれ変わった。一般的には車両も置き換わり「グレードアップ」した感があるが、私のようなレールファンにしてみたら若干寂しい感じを否定できない・・・が、逆に恐らく日本で唯一となるであろう座席夜行特急列車に変身したのであった。残念ながら「日南」時代には乗車できなかったが、この「ハイパー」の時代に私は乗車する事に成功、2010年5月、若干小銭が出来た関係から時期外れの旅に出かけたのであった。

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(若干記事の内容とは異なるが、南宮崎ではこんな車両が停泊していた。国鉄⇒JRに変身してからそれぞれの「個性」がハッキリした形になった感だ。)

この旅の出発当日は仕事を午前中に終わらせ新横浜から一路西へ向かった。現地で夜行の、しかも座席特急で自由席を目指す初の試み。とは言え、かつての旅では周遊券を使い急行の夜行列車などで多くを経験してきたので大体の「理屈」は分かる。あとは席が空いているかどうかだ。「ドリームにちりん」は博多~小倉~鹿児島中央の運転で日豊本線経由である。私は小倉から乗車の為座れなかったら致命的であるが・・・
小倉に着いて約10~15分位の乗り換え時間は非常にスリリングであった。意外にも新幹線から「ドリーム」への乗り換え客が多く、私は小走り気味に在来線のホームに向かう。それなりに列を作った自由席への乗場に「ハイパー」がやって来た。果たして座れるのか・・・


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ダイナミック☆コレクション①

以前に紹介した私の中学生時代の後輩「ダイナミック☆トナカイ」の蔵出しフォトをいくつか紹介してみよう。「テクニック」は別として、懐かしい列車たちの数々である。私と同行して撮影したものもあり当時を思い出す。本人の解説も交えてご覧の皆様も懐かしんでいただけたら幸いである。


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1985年に撮影された国鉄気動車。当時はこんな列車も上野に顔を出していた。今では信じられないが、写真の「奥久慈」は上野から何と水郡線へ直通する急行列車であった。上野駅にDCが入線しているのは今ではミスマッチな光景であるが、東北新幹線開通前は奥羽本線経由の夜行DC急行「出羽」や旧型客車の夜行急行列車「鳥海」など、ミスマッチな列車が上野で頻繁に見られた。


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近年まで活躍した715系1000番台。東北カラーに染められた「583系」は普通列車に変身した。写真は短編成化により中間車両に運転席を取り付ける改造をした、いわゆる「食パン」だ。


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同じく旧・583系。「419系ですね。デビュー当時の塗装でのちに白いボディーに青帯の塗装になりました」と本人よりありがたきお言葉をいただきました。私はこの「デビュー当時」の塗装はあまり記憶にないままレールファンを休業していたので今になってこの塗装の意味が分かった。本人曰く「家族で18きっぷを使って能登まで行ったとき」に撮影の事である。撮影は金沢駅らしいが、私はこの金沢駅を見たことが無い。つまり当時は未訪問であった。と言う事は金沢駅の地上時代と言う事になる!


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こちらは「部活」で訪問した総武本線・稲毛駅での撮影だ。1982年頃の撮影であろう。165系(上)と153系(下)は当時、間もなくなくなるとの情報を受けた両国発の各急行列車たち。「犬吠」「外房」等の愛称で親しまれてきた両国発の急行列車最後の勇姿である。


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以前に紹介した「客車バージョンの踊り子」の後ろから見たバージョン。撮影は茅ヶ崎駅で1982~1983年頃と推測。ところでバックの景色に注目していただきたい。茅ヶ崎駅は現在貨物線に湘南ライナー用のホームがあり全部で6番線まであるが、当時は貨物線にホームは無く4番線までしかなかった。時代を感じる・・・

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同じく「踊り子」を茅ヶ崎駅付近の十間坂踏切付近(と言っても地元過ぎてマニアックな場所であるが・・・ちなみにじゅっけんざかと読む)からの撮影したものだ。113系との擦れ違いは、こちらも時代を感じるものがある。


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同じく茅ヶ崎駅付近の茶色いEF58である。かつて本物の「オリエント・エクスプレス」を当時の国鉄が日本に走らせたと言っていたが、その写真も所有していると聞いている。紹介の写真は違うと思われるが、イメージ的にこのような感じであったのか。


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最後は119系が茅ヶ崎駅付近を走る姿。静岡地区のスルガシャトルに使用されていたらしいが、本人曰く「なぜ茅ヶ崎を走っていたのかわかりません」との事で、たまたま撮影したらしい。しかしこんな短い編成が茅ヶ崎に姿を現すとは・・・完全にミスマッチである。


<画像は全てダイナミック☆トナカイ提供>


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究極の加太越え

1982年3月、国鉄から新しく発売された「青春18のびのびきっぷ」は今までの概念を覆す斬新な切符として登場した。別料金の発生しない列車(要するに普通列車や快速列車)に乗り降り自由、駅の改札を通過するのも「フリーパス」と、何とも常識破りな切符にただただ私は驚くばかりであった。当時は「いい旅チャレンジ20000km」なる国鉄全線乗り潰しが一般的に流行っていたため更に追い打ちをかけるような切符であった。

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(下車印がほとんど無いに等しいのは寂しいが、当時は「のびのびきっぷ」という名前であった。)

2014年現在でもその「18きっぷ」は健在で、筒石駅などに行けば「常備券」が購入できると聞く。そんな切符が出てきたからには使わない手は無い。当時中学1年生から2年生へのステップアップの春休みでの旅である。当時、私の所属していたクラブ活動「鉄道研究クラブ」ではそのような情報を受けたからには、旅に出ないわけにはいかない!と言う事で、クラブのメンバー男5人で行く事になったが、子供ばかりでは行かせられないと顧問の教諭も参戦し計6人での旅となった。だが色気が無い・・・私の「鉄道」と言う名の概念では「女性」が全くないのだ。現在は「鉄子」なるカテゴリーが存在し女性のレールファンも珍しくなくなってきたが、とにかく私の場合は女性のレールファンという概念が当時は全くなかった。現在は女性ものびのびとレールを楽しんでいるように思う。

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(1982年3月、関西本線の旧型客車に揺られ富田浜に着いた。列車交換の為少々停車時間があったのでホームに降りてみたが、とても名古屋近郊とは思えない風景であった。)

さて、1982年3月に発売された「18」をどのように使うか、レールファンとしては試す意味と「いい旅チャレンジ~」の制覇路線消化作業とで実に経済的に乗りつぶす事が出来るのが魅力に映った。中学のクラブ活動では選ばれた5人が(と言っても誰が選んだわけでもないが)それぞれの想いを胸に抱き「大垣夜行」で西へ向かった。

私たちは名古屋で下車した。乗り換える関西本線の列車はDLが牽引する旧型客車の編成だ。新しいレールファンには信じられないであろうが、約30年前の関西本線名古屋口ではそんな景色が見られた。とは言え私が訪問したのは3月。5月には名古屋~亀山間の電化が決定している。そう、私は電化直前に訪問していたのだ。実は同じ年の8月にもこの区間を訪問している。つまり電化直前と直後に訪問した事になる。
今回の紹介は電化直前であるが、やはり開業直前とあって各駅のホームが嵩上げされていた。既に架線も敷かれていていつ113系(115系)が運転されてもおかしくない状況であった。

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(同じく富田浜にて、私たちが乗車した名古屋発亀山行普通列車。ご覧の通り、電化直前の為嵩上げされたホームが真新しい。架線も敷かれいよいよ電化開業が近づいた雰囲気であった。)

弥富や桑名を通るが、なぜか通勤時間帯のにぎやかさが無い。四日市もそうだが、特に桑名ではお隣の近鉄のにぎやかなホームとはまるで別の空間であった。名古屋近郊でありながらのんびりとした時間が過ぎていくが、私は当時中学生。その辺の事情はあまりよくわからず、ただただ客車列車の雰囲気を楽しむに過ぎなかった。と言うより客車列車の意味もそれほど分かっていなかったと思う。何しろこういう旅は人生初であるから・・・

亀山で天王寺方面への列車に乗り換えるがこちらも非電化の為相模線でお馴染みのDCがお出迎えであった。この関西本線で私が一番楽しみにしていたのは「加太越え」であった。古くから人々の往来があり、鉄道が開通した現在でも難所として知られ、途中「中在家信号場」があるのはレールファンの間では有名だ。現在は北海道の「常紋」と共に使用停止状態の中在家であるが当時は立派な信号場として機能しており列車交換も当然行われていた。しかし一般的に考えたら「中在家」などあまりにもマニアック過ぎるが、私にしてみたら、小学生くらいからコロタン文庫の「駅名全百科」を見てこの中在家は特別な存在であったので、この中在家に近付くにつれもうワクワクものであった。とは言え「駅」ではないので乗降が出来ないし列車交換でもない限り停車もしない。残念ながら列車交換は無かったが、しっかりと中在家を収めることに成功した。

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(小学校時代から憧れていた中在家。「憧れ」とは、全くもって変な小学生だ。)

スイッチバックの信号場はこの地区においては大変珍しい存在であるが、珍しいというだけでなく大変煌めく存在であった。しかし現在はその「珍しい存在」も役目を終えようとしている。いや、既に終えてしまった。この後私たちは弧を描く柘植駅のホームに降り立った。草津線に乗り換え信楽線を目指すのだが・・・

柘植駅のホームでやや後ろを振り返る時間が多かった。他のメンバーは次の草津線に気持ちを持って行かれているが・・・ハッキリ言って当時は子供であったが、過ぎてきた中在家が気になって仕方が無かった。「もう一度訪問したい・・・」中在家が引き付ける魅力はいったい何なのであろう。中学生の少年が夢中になってしまう存在(と言っても私だけかも知れないが)。このブログをご覧になっている皆様、中在家信号場をどういう存在で見つめているのであろう。もしかしたら存在すら知らないかもしれない。しかしながら、このスイッチバックがかつての関西本線の「難所」であった事を現在も無言で語りかけているような気がする。

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(1981年加太~関での気動車はリンクさせていただいているミックスマテリアル様のホームページ「昔訪ねた気動車ローカル線」より。現在の概念からはこの区間での長編成は全く考えられないが「ローカル」という風情が良く出ている。)

最近ブログを始めてからこうした「昔」を振り返る時間が多くなった。特にこうした子供時代の旅など懐かしさ満点でブログにはやや良い事ばかりを公開しているが決してそればかりではない。もちろんそれは私だけではないであろう。それでも私は運が良かったのかそれほどのトラブルもなく順調に旅ができた。
「人生の旅」もこうした「加太越え」のような難所がこれからも私、そしてこのブログをご覧の皆様にも待ち受けている事であろう。「天に軌道のある如く、人はそれぞれ運勢をというものを持っております。」などとどこかの映画で聞いた「口上」であるが、もし自身の歩む人生の道で「難所」が現れた時に「中在家」のような存在がもしあったとしたら私は救われるような気がする。と言うより、自分自身がその「中在家」を見つけなければならないのかも知れない。そして中在家でうまく列車交換ができたとき、次のステップがさらなる幸運を呼ぶことであろう気がする。



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北海道全線制覇の時⑩

函館より再び路面電車制覇に挑んだ私は、この日が北海道滞在最終日で21時発の「カッシー」で帰郷する事は先述した。「カッシー」に乗る前に湯の川温泉でひとっ風呂浴びるため、温泉旅館の日帰り入浴を敢行した。が、あれほど事前に計画を綿密に立てていたにも関わらず、妻の方は至ってマイペース。とうとう「赤潮」が発生する始末になってしまった。仕方なく電停付近にある「足湯」で温泉気分に浸ってもらう事にして、私は予定通り温泉旅館に足を急がせた。そして入浴後は、これまた電停前にあるラーメン店で腹ごしらえする。そして函館に帰ってきて待合室で「カッシー」の出発時間まで待たせてもらう事にした。湯の川電停で既に北海道「全線制覇」を果たしていたが全く実感が無い。制覇とはそんなものであろう。

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(妻は足湯で「湯の川」を堪能。少々残念であるが「女性の宿命」であるのは仕方がない・・・)

函館駅は既に夜8時を過ぎていて、構内のお土産屋さん等は閉店の準備を始めていた。列車の時間まで1時間弱あったので、超暇を持て余していた・・・仕方なく携帯のワンセグで「水戸黄門」をしばし拝見。いつも以上に待ち時間が長く感じたが「このモンドコロが目に入らぬかーッ!」のシーンまでしかと見届けてしまった。

やがて「カッシー」が入線してきた。初めての「カッシー」であるが、実は「スイート」を旅行会社に発注していたが、当然満席であった。と言っても私はどうも「スイート」は好みでなく、「メゾネットタイプ」を発注していたのだが・・・もちろん結果は「A寝台個室(カシオペアツイン)」である。が、快適な旅である事には変わらない。しかし妻は「北斗星」のロイヤルの方が良いという。私にしてみたらこちらの方が過ごしやすい気もしたが・・・

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(本来なら「メゾネットタイプ」のスイートに乗る予定であったが・・・A個室でも十分に快適だ!)

青函トンネルを抜けていた事は分かっていたが、気が付けば青森を通り過ぎ盛岡付近を走っていた。振り返れば1983年10月に白糠線廃止の情報を受け、一目散に旅立った中学生の秋。初めて乗る連絡船は実に新鮮であった。それから2008年の6月と今回で北海道を万遍なく制覇をしてきた。時には会社のスキー旅行で石勝線を制覇した時もあったが、その当時はレールファンを休業していた。そんな思い出が「カッシー」の車窓を眺めていると甦ってくる。そして1979年に583系「ゆうづる」に乗り青森に旅をした時は、まだ見ぬ北の大地に夢を抱き「いつかは」と竜飛崎から眺めていたこともあった。その時小学5年生!

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(明け方、最後尾の「サロン」に行ってみた。もちろん「独占」である。)

全て懐かしく甦るが、全て制覇を終えた時「もう北海道に来る機会は無いのかな・・・」と一瞬心をよぎった。だが、私はかねてから言っているが今までは「線の旅」、これからは「点の旅」をしていこう!と目標が既にできている。これからは以前より訪問してみたかった「廃線跡」や「白滝シリーズ」の各駅訪問など、考えただけでもワクワクしてくる。そう、旅の仕方は無限にあるのだ!

とは言え、再びこの地に訪れるタイミングが来た時、果たして「北の大地」は私を快く迎えてくれるであろうか・・・今になって思えば「湧網線」や「標津線」、更には「美幸線」等・・・私が訪問できなかった数多くの「伝説」が、姿・形を変えながらも当時の面影を残しているものも少なくない。「列車で来れなくてゴメン・・・」と、もしかしたら心の中でつぶやくかも知れない。しかしその日まで私を待っていてくれる路線がひとつでもあったら私はうれしい。そんな事を考えながら窓を見上げると、夜空にはカシオペア座の「W」の文字が私に微笑みかけていた。

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(ちょっと露光が足りなかったが上野駅に到着時の「カッシー」。時間差で「北斗星」も入線してきた。)


大変見難い画像の数々、お付き合いいただきありがとうございました。


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北海道全線制覇の時⑨

札幌に着いた私は今回の最終制覇地区「函館」に向かうべく「北斗16号」に乗車する。室蘭本線を経由する「鬼嫁」はやはり早い。かつては小樽経由「北海」もあったが、現在その姿はない。既に「北海」は1983年10月に乗車しているが、夜の為景色が全く見えず、ほとんど記憶にない。倶知安や小沢、蘭越など私の好きな駅が沢山ある函館本線の、いわゆる「山線」であるが、再び訪問しなければならないであろう。
何度か訪問している北海道であるが、函館本線の、いわゆる「砂原線」を制覇していなかった。同行の妻を先に宿泊先の函館に送り出し、私は森で下車し砂原線の制覇に乗り出した。指定席は森までしかとっていないため、下車前に妻を自由席まで案内し、ここで別行動となった。

北海道 2 181
(計画では江差線からスタートであったが、先に路面を乗る事に変更。まず谷地頭に向かう。)

森では隣に私の乗る普通列車が単行で停泊中であった。見事に計算された接続だ。さっきまで特急列車の車両でいたのに今は普通列車の座席に座る。なんだか「北斗」から「健介」に乗り換えたような・・・(何のこっちゃ?)
で、私は早速風情ある砂原線を訪問。七飯なども普通列車でなければじっくり観察できないであろう貴重な体験をして函館駅に滑り込んだ。普通列車で函館にやって来たのはこの時が恐らく初めてであろう。それこそ「はるばる」来た感じだ。

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(そしてドック前に向かった。函館の市電もかなり路線を減らしたが、今もこうして健在だ。)

函館から路面電車でひとつ隣の電停前にある宿泊先へ向かうが歩けない距離では無かったので徒歩にて参戦した。割引のチケットなどを使用して二人で1泊なんと3980円!普通に朝食も付いており、何ともリーズナブルだ。
翌日、付近のホテルに「市電1日乗車券」が販売されていると聞き、先付で購入。予定では10時半頃から江差線に乗るつもりであったが、またもや先付で路面電車の一部区間を制覇しておく。谷地頭と函館ドック前まで制覇すると再び函館に戻り江差線に挑む。

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(カメラの不調は「関西」から続く・・・間もなくこの光景も見られなくなるであろう。)

江差線といえば最近は紙面を賑わせている存在であるが、1980年代には木古内から松前線が分岐していた。むしろ当時はそちらの方が乗客が多く、廃止当時は「?」という意見が多かった。現実に、当時の代替バスも通学時には満員御礼で、輸送力不足がささやかれたものだ。そんな松前線を分岐していた江差線も、末端区間の廃止が決定され、いよいよ新幹線開通に向けて準備が整った感じだ。が、こうして無くなってしまう路線があるのも寂しい。江差線乗車の模様はこちらで詳しく紹介しているが、終点の江差では中心部からかなり離れており、利用しにくい事もひとつの原因であろう。函館に戻ってきた私は再び路面の制覇に取り掛かるが、この日が北海道最終日となる。函館を21時ちょうど発の「カッシー」で帰郷予定だ。その前に・・・せっかく「路面」が温泉街を通るのであるから、ひとっ風呂浴びていこう!と、もちろん最初から計画していた。


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プロフィール

ダイヤモンド☆トナカイ

Author:ダイヤモンド☆トナカイ
所在地:神奈川県湘南地区

〇2013年6月11日、北陸新幹線長野駅にてJR全線制覇いたしました(当時)。
国内の鉄道は、沖縄の「ゆいレール」を残し全線制覇しました。(とは言うものの、2015年3月の北陸新幹線延伸によりJR全線制覇は「ベルト返上」しました)

★ ブログ記事の「リメイク版」は、以前にホームページで紹介した旅日記をブログでリメイクしたものです。


◎ブログの登場人物

★ ダイナミック☆トナカイ
・・・中学時代の後輩で、2013年に約30年振りに再会を果たした。数多くの写真を提供していただいた「盟友」でもある。

★ おさる・・・かつて私がバンド活動をしていた時のメンバーで、鉄道復活のきっかけを作ってくれた人物。彼とは「秘境駅」を数回訪問した「親友」でもある。

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