鉄道全線完全制覇の旅

昭和から平成へ・・・全線制覇の旅紀行!

姿なき挑戦者⑪ 583系「ゆうづる」

1979年、私小学校5年生であった。前年に初めて寝台特急「富士」を体験し増々「鉄道」に拍車がかかった感があった。そして翌年、次の旅へのターゲットは「北」と決めてみた。が、単純に「北海道」を目指すと思うのだが、なぜだかわからないが私は「青森」を選択していたのだ。そして選んだ列車は583系「ゆうづる」であった。当時は客車と583系の2本立てで、たしか4~5往復くらいの定期列車があったはずだ。
ただ、あまりにも昔過ぎて写真という写真がほとんど残っておらず、ご覧の皆様には少々ご迷惑をおかけいたしますがご了承の程・・・

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(1979年乗車時のものだが・・・この写真をみて初めて知った。私の乗車した車輛は4号車だったのかと。)

さて、私は人生において第二弾である寝台特急の乗車であった。しかも初の583系。寝台列車と言うより寝台電車である。前年に「有明」で583系の座席バージョンは乗車しているが、寝台となると初である。
胸ワクワクの私は初となる上野から寝台列車乗車を体験。いつもなら日曜日によく列車を撮影にやってくる「メッカ」も夜に来ると全然違う景色になってしまう。しかも小学生。感受性が高い中での上野駅は、まるで映画の世界にでも迷い込んでしまったような錯覚に陥るほどであった。当時の上野駅では、旧型客車時代の急行「鳥海」やDCバージョンの「出羽」など、現在では考えられないような列車が上野駅で見られた。東京の都心で「旧型」や「キハ」が、しかも夜行で見られるとは小学生ながらに不思議な違和感を感じていた。特に「旧型客車」に関してはテレビでの「いなかっぺ大将」などで出てくるシーンと同じであるため、なんだか懐かしささえ覚えた。やはり東京駅とは違う、何か「庶民的」とでも言おうか、人間味あふれる「温かさ」みたいな雰囲気を上野駅でいつも感じていた。特にあの「13番線」は現在でもその面影を残す。

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(画像はウィキペディアより。恐らく近年に撮影されたもの<多分「きたぐに」と思われる>であろう583系の寝台風景。客車寝台と違い両側にベッドがあり進行方向に頭を向ける。私の経験上、中段が一番不利と思われる。)

そんな上野から乗車した「ゆうづる」が私を待っていた席は「中段」であった。当時小学生の華奢な私の体をもってしても若干の窮屈感を否定できなかったが、初の寝台電車に当然興奮していた。しかも今回は「北」。私にとって全くの異次元空間への旅となった。
さて、583系「中段」に身を預けた私は小窓から景色を眺めていた。と言うよりそれくらいしか他にする事が無い。だが中段での景色を眺める行為は583系の中で一番苦痛な行為であることに気付かされた。下段はご承知のように窓が大きい。上段に関しては、寝ながら小窓が見れる。つまり景色が見れるわけだ。問題の中段・・・大人の座高をもってすればすぐに頭が天井にあたってしまうであろう。子供の座高でさえギリギリである。そう、中段の小窓は座った状態でなければ小窓から景色を見ることが出来なかったのだ。と、やたら「小窓」「景色」に拘ってみたが、このカーテンで仕切られた空間は「寝る」か「景色を見る」しかやる事が無い。583系寝台車に乗るにはこの辺の事前準備や知識が若干必要とされる。そしてマニアにはお馴染み、あの「パン下」はA寝台を利用するより価値があるであろう。

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(583系の座席風景。上段にあるベッド収納スペースが特徴的。下段は座席を引出しベッドに変身する。特に下段は中段・上段に比べ格段に広い。もちろんその分料金は割高。画像はウィキペディアより。)


「ゆうづる」と言えば常磐線経由である。が、常磐線の駅にはほとんど停車しないのでなぜ経由するのかは若干不明となるが、それでもひとつでも多くの常磐線の駅に停車する事に価値があろう。
水戸を過ぎるとかなり深夜の時間帯に変化していった。駅と言う駅は照明がほとんど点いておらず、と言うか当然の事であるが人間の習性を考えると寝る時間帯であるし、乗車している列車も「寝台特急」である。寝るために乗る列車であるので嫌でも寝ざるを得ない(と言っても寝る、寝ないは個人の判断に委ねられるが・・・)。一応、初めて見る「北」の景色にいささか興奮していたが、気が付くと既に八戸付近であった。外はもう明るい。しかしながら前年に乗車した「富士」の様に機関車交換が無いので若干寂しさを否定できなかったが、やはり初583系は乗っていて楽しい。

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(何度も紹介している写真であるが・・・1979年に寝台車として初めて乗車した583系。現在も青森駅は当時のままほとんど変わっていない。とは言え、構内の側線の数は超激減した。)

終点青森に着いたのは朝6時台である。初めて見る青森駅は8月であったため「雪の中」では無かったが、「北へ帰る人の群れは誰も無口で」連絡船乗り場へ向かっていった。私たちはこの後津軽線に乗り三厩からタクシーで竜飛崎を目指す予定である。朝6時台に着いてこれから竜飛崎訪問とは・・・しかし当時は青函トンネル工事中でありまだ北海道とは陸続きではなかった。「本当にトンネルなんかできるのか・・・」「北海道に新幹線が走るのか・・・」本当に夢の世界であった。しかし現在、トンネルは既に現実のものになっており新幹線も函館まで到達する日も近い。1979年当時、北に向かう優等列車は全て青森止まりでありその先は進めなかった。

晴れ渡る竜飛崎から見る北の大地は果てしなく大きかった。海の向こうには夢がいっぱい詰め込まれていた。しかしトンネルが開通する頃には社会情勢もものすごい勢いで変化しており、トンネルそのものの価値が問われた事もあった。しかしのその夢は絶え間なく大きなものであったはずだ。そんな先人たちの夢を思うと胸が熱くなるような・・・そんな事を考えながら竜飛崎を後にする小学生ってやはり「特異」であり「異色」だったのであろうか・・・



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札幌から乗りたかった<ロイヤル>(再リメイク版)

以前に紹介した記事であるが、若干写真を増やして再度アップしてみた。来年には定期列車から外れるとの報告を受けているが(2014年現在)、とうとう「ブルートレイン」という単語が日本がら消え去ろうとしている。私が小学生の時代はブルトレ全盛期であった。東京発の「さくら」「はやぶさ」「みずほ」「富士」・・・など、茅ヶ崎駅を通過するシーンを耳鼻科の帰りに散々拝んだものだ。北に向かうブルートレインは「ゆうづる」「はくつる」「あけぼの」「北陸」などいたが「はくつる」「ゆうづる」に関しては583系の寝台電車であったりして東京発とは若干カラーが異なった。
現在では風前の灯火ながら「北斗星」が存在する。私は2008年に北斗星に初めて乗車した。押さえた切符は・・・ロイヤルであった。ということで、改めてその模様を紹介してみたい。

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(函館駅にて機関車を交換。と言ってもスイッチバックのためDD51は切り離されるだけであるが・・・)

「ウォ~ッ!」朝6時半、昨日入っていた留守電を聞き、気合が入ってしまった。旅行会社にキャンセル待ちを依頼していた返事が入っていたのだ。北海道への旅の行程で帰りの列車「北斗星」はデュエットであったが、ロイヤルをキャンセル待ちしていたのだ。現在もプラチナペーパーで入手困難であるが、チャンスとは突然やって来るものだ。

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(北斗星にある「サロンカー」。現在は当たり前の存在であるが、私の少年の頃・・・さくら、はやぶさ、みずほ、富士、あさかぜ・・・などブルトレ全盛期には無い存在であり「夢の夜行列車」的な存在で空想に過ぎず、このサロンカーが憧れの存在でもあった。)

さて、北海道制覇の計画第1弾は2008年6月10~13日に決定し、帰りの列車を「北斗星」に設定しお楽しみは最後の最後に取っておいた。本当は札幌から乗りたかったのだが、室蘭本線の岩見沢~苫小牧を制覇する都合上、どうしても苫小牧からの乗車になってしまい、仕方なく苫小牧~上野の乗車となってしまった。とは言え「ロイヤル」を抑えたのだからこれは素晴らしい事だ、もしかしたらもう二度と乗れないかも知れない。と言う思いを握り締め、苫小牧のホームに立った。

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(私の乗車した「ロイヤル」室内。補助ベッドを引っ張り出せば二人でも使用できる。勿論被写体は私でなく妻であるが、もう少し藤原紀香とかに似ていれば皆様に披露できたのだが・・・お見苦しいい部分もあるので若干画像に細工をさせていただいた。)

約19分のインターバルの後、いよいよ北斗星に乗車予定であるのだが、千歳線が人身事故の影響で約30分の遅れがあるとのアナウンス。なかなか来ない列車に段々ホームに人がたまってきたが、特に駅員にクレームをつける客もおらず、地方ならではの光景である。事故の影響で、速達列車は別料金無しで乗車できるアナウンスで、札幌方面の列車は「スーパー北斗」を筆頭に次々と乗客が乗り込んでいった。

さて、函館方面は、先に普通列車が到着。既に北斗星の出発時間は過ぎているが、足早に次の停車駅へ向っていった。そして約36分の遅れでようやくブルーのDD51が鉄路の先に顔を出した。いよいよA寝台「ロイヤル」初体験である!結論から言うと「良い!」である。一人用の座席兼ベッドがありテレビやシャワールーム兼トイレがある。ドライヤーから灰皿まで、全て新鮮に映った。座席の下から補助ベッドも引き出せ2人でも利用可能だ。暫くすると、大鶴義○によく似たウエイターが「ウェルカムドリンク」を持ってきた。「おたる」と名の付くワインとミネラルウォーター、そして氷と、贅の沢を尽くす限りである。

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(これが「ウェルカムドリンク」である。ワインの「おたる」が印象的であるが、その後ろにある氷がなくなってもインターホンで発注すれば乗務員がすぐに持ってきてくれる。)

個室であるため周りを気にせずに「夢追い酒」。暫くしたら車内見物に出た。食堂車を通り過ぎ「ロビーカー」に出た。共用だがシャワールームもあり、ひと時の安らぎの空間を提供してくれる。ロイヤルに戻り、岩見沢で購入した弁当を食べながら、暮れ行く海を眺めていた。先ほど紹介した「テレビ」でビデオを見てみる。韓流方面の映画だが、終わったと思ったらまた繰り返し同じものを放映していた。つまり1本の映画を繰り返し放映しているわけだ。結局、上野に着くまでこの映画を7~8回根性で観てしまった。

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(画像的に伝わるかどうか微妙だが、いちおうシャワー兼WCの室内を写したつもり。実際にシャワーを浴びて見るとわかるが、かなり揺れが気になる存在となる。列車の宿命なので仕方ないが、・・・)

シャワールーム兼WCでシャワーを浴びてみる。お湯の出る時間は10分間だが、途中で止めることも可能なので「石鹸とシャンプーが付いたまま終わったらどうしよう!」何て事心配無用だ。しかしとにかく広いとは思えない空間で揺れる車内の中の「ひと風呂」はかなりのテクニックを要する。シャワーの後、そろそろ目蓋が重くなる時間となったため一休みする事とした。やはり開放型寝台と違って周りに気を使うことなくぐっすりと寝てしまう。途中、函館で機関車交換があった為、と言うか野生のカンで目が覚めたので、抜かりなく、しっかりとデジカメに収めた。再び車内に戻り寝ることにしたが、青函トンネルは轟音であまり安眠が約束されるものではない。が、いつの間にか寝ていたようで運転停車の駅で薄っすら駅名表の「もりおか」の文字が見えた。再び目が覚めた時、すっかり辺りは明るくなっていた。「せんだい」の文字と共に時計は5時半を差していた。

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(ロイヤルがある車両の通路。デビュー当時はかなりの存在感であったろう「ロイヤル」も時代とともに消え去ろうとしている。)

30分の遅れはそのままで本州に入ったらしい。しかし、個室初体験は想像以上に快適に安らげるではないか!開放型寝台は既に前近代的とさえ感じた。福島の過ぎたころには、頼んでおいた「モーニングコーヒー」が到着。このサービスもロイヤルのみ!そして、散々観てきた韓流映画も放送終了となり、上野に着く時間に近付いた、と言うより、定刻であればとっくに到着している時間だが、遅れが一行に縮まってないのであった。しかし、車両老朽化や新幹線の延伸によりこの列車の命もそう長くは無いと心のスミに引っかかっていた。

確かに新幹線は便利だし、飛行機アクセスに十分対抗できるであろう。しかし、こういうのんびりした旅があってもいいではないか・・・いつまでも上野駅の「13番線」で寝台特急を見れることを祈りながら、30分遅れの上野駅のホームで、青い車体を目に焼き付けつつ、山手線のホームへ足を急がせた。

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(上野駅にて。これって「カシオペアカラー」の機関車?ブルーのDD51もそうだが、塗装ひとつでこんなにも印象が変わるものかと思う。)


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1982年・何も言えなくて・・・夏⑥

前回乗車した下りの「山陰」は満員御礼であったが、今回の上り「山陰」は若干空席があった。ひとり・ふたりなら余裕で途中駅から乗車可能であったろう。と教訓を得たが、実は翌年の3月に「18」で九州を訪問した帰りに利用した「山陰」では途中、豊岡からの乗車であった。もちろん教訓を生かしたはずであったが・・・結果は「デッキで寝る」事になってしまった。青春18が浸透してきて普通夜行列車が軒並み満員御礼となり、上りの夜行普通列車にもこうした現象が徐々に起こりはじめていた。恐らくこれは「山陰」に限っての事なのかそれとも・・・

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(以前に紹介したが、当時大垣駅で購入した入場券。80円とは何とも廉価であるが、同駅に乗り入れている近鉄(当時)に合わせた料金だという。)

昼夜逆転の生活も、この時の「山陰」ではすっかり元の「生活」に戻っており、京都付近まで熟睡。京都から4分の乗り換えで東海道線で大垣に向かう。そう、東海道支線と樽見線を制覇するためだ。ずっと本線ばかりで、いわゆる枝線の制覇を行ってこなかった。今回の旅ではここ、大垣から出る支線各種の制覇が初めてであろう。樽見線と言えば現在も「樽見鉄道」として第三セクターで運営されている。しかも神海~樽見が延伸され、私の訪問時より姿が変わった。当時は「美濃神海」として樽見線の終点であった棒線の神海駅も、現在は交換可能駅として生まれ変わった。

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(国鉄時代は終点であった現在の神海駅。当時は棒線化されていたが、当然島式ホームに備えた空間が準備されていた。しかし、まさか本当に延伸されるとは思いもしなかった。)

あえ無く樽見線、そして東海道支線を制覇した。そしてこの支線を乗り終えたら後は東海道で湘南地区に向かうのみだ。大垣からは117系快速で一気に浜松まで来た。そして湘南目指して・・・

今回の旅は先ほどから述べていたが「上り夜行は空いている」という教訓を得た事であった。長野、亀山で2時間以上の待ち時間はハッキリ言って無駄な時間であったが、とても貴重な体験をした時間でもあった。「山陰」を含め私の乗車したこれらの夜行列車は現在運転されていない。そして「18」を使用しながら「大垣夜行」を利用しない唯一の「長旅」でもあった。

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(尾鷲と同じく唯一の訪問経験の新宮。現在は東海と西日本の境界駅として活躍するが、実際問題「電化」「非電化」の境界駅でもあり同じ紀勢本線でも新宮を境に全くカラーが異なる。)

湘南地区に住んでいると、必ず「大垣夜行」を利用して西に向かう事になる。今回は珍しく北に向かう事になったが、実はこの時の計画段階では「東北」「北海道」等も視野に入れていた。しかし「北」に向かうにはどうしても「駅寝」を組み込まなければならない関係から外れた。
この旅の計画や実際の乗車記録を振り返ると絶対に「もったいない箇所」が無数にあった。今の私が当時の時刻表で計画を組んでみたらもっと違う計画が絶対にできたはずだ。「魚沼線」や「蒲原鉄道」、弥彦線の東三条~越後長沢など・・・

全く関係無い話であるが、2013年にプロレスラー・小橋建太が引退した。プロレスに興味ない方はわからないかも知れないが、私は勿論デビュー当時の若手時代より知っている。ちょうどバブル期くらいに台頭してきて1990年代後半にはトップレスラーの仲間入りを果たすが、怪我が多く晩年は試合数が激減していた。真っ直ぐなファイトスタイルは多くのファンを魅了してきたが、とうとう「引退」という言葉を報告する時間がやってきてしまった。
引退セレモニーの中で彼は「プロレスとはなんですか?」との問いに「青春でした」と答えた。「青春の握り拳」なる名フレーズもある小橋のこの言葉に私は若干ウルッと来てしまった。そしてその時フッと思った。私は鉄道に「青春」を求めているのではないかと。特に私は小橋ファンというわけではないが(というより三沢光晴のファンであるが)、この引退セレモニーを観て小橋という人間が一段と好きになった。小橋は素晴らしいレスラーであった。

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(まさか私のブログにレスラーが登場するとは思わなかったが・・・これがプロレスラー・小橋建太。もしかしたら我々は「18きっぷ」に、彼のような「青春」を求めているのかもしれない。画像はウィキペディアより。)

数多くの「トクトクきっぷ」が発売される中、この青春18きっぷは誕生してから今も人気が高い。そしてシーズンになると夜行普通列車が臨時ながら復活する。
普通列車限定のこのきっぷに私たちは一体何を求めているのであろうか。ハッキリ言って私は普通列車の座席より「グランクラス」の方が快適と思う。できれば普通列車の移動は避けたい。こんな事を考えるようになったのは最近であるが、やはり年をとったのか・・・とは言え「18」を使って旅に出る事もやはり好きだ。何だか発言が矛盾しているが、やはりあの普通列車に揺られて景色を眺めるとかつての自分に巡り会えるような気がする。
多分私はこういった「青春」を求めて「18」を使い旅に出るのだと最近になって気づいた。「誰もが」とは言わないが、やはり皆「青春」を求めて旅に出るのではなかろうか?だから今でも人気が高い「青春18」の存在があるのではと思わされる。勿論「リーズナブル」ということも否定できないが・・・
しかし、現在運転されてない「夜行列車」の数々も経験できた事は大きい。大きいが、完全に歩留まり悪い計画をしたこの旅に同行した同級生には大変に申し訳ない事をした感じだ。一言謝っておきたいが・・・何も言えなくて・・・夏。


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1982年・何も言えなくて・・・夏⑤

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(既に3万回くらい紹介している写真であるが、関西本線名古屋~亀山間電化直前の富田浜駅にて。電化直前までこうした旧型客車が普通列車の主役であった。)

東海道線で名古屋まで来た私は全く記憶にない。もちろん乗換時にはちゃんと目が覚めて乗り換えをしている。不思議な体質であるが、同伴の友人をちゃんと起こして次の列車に乗り換える辺り、既に「チャレンジ」の体質に染まってしまったか・・・
しかし当時は何とも思わなかったが、現在「18」で東海道のこの区間を昼間に利用するとかなりの苦痛を感じるのは私だけであろうか。現在では「18」が世間一般にかなり浸透しており、シーズンになると東海道線の車内は軒並み満席。中には立ち席での移動も強いられる場合もある。皆乗り換え駅での座席確保に必死だ。

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(さて・・・亀山では約3時間の待ち時間を設定した。当時は座席確保に必要な時間との考えからであったが、当時、事実上の「上り列車」では混雑度関係無し!同じ上り列車では当時の「大垣夜行」以外は始発駅からであれば待ち時間無しでも座席を確保出来た。あくまで私の経験上からではあるが・・・)

そんな東海道をすり抜け、名古屋に着くと関西本線に乗り換える。亀山から「はやたま」に乗るためだ。この時の関西本線は名古屋~亀山まで電化されたばかり。私はこの年の春に「電化直前」にも訪問している。「直前」「直後」と立て続けに訪問しているが、おかげで「はやたま」が「天王寺~名古屋」が「天王寺~亀山」に短縮されてしまった。亀山14時6分に着いた私は17時21分発の「はやたま」まで何と3時間近く待つことになった。先述しているが、やはり「大垣夜行」のイメージからか「並んで席を確保」の頭からこういう予定を組んでしまった。結果的には既に述べたとおり、バッチリ待った甲斐あってそれほど(と言うより全く)混雑してない列車の座席を確保できた。

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(既に夜の時間帯となっていた尾鷲。私が唯一紀勢本線を訪問したのが今紹介している旅であるが、あれからどのように変わったのか、近い将来訪問してみたい。)

さて、3時間もの待ち時間、いったい何をしていたのであろう・・・と思うほど列車はのんびりと紀勢本線を進行していく。旧型客車のみの編成は、新宮から寝台車を連結して初めて「はやたま」となるが、新宮までは完全に「ローカル」だ。しかも学生諸君は夏休みの為帰宅組の学生は僅少。とは言え亀山~一身田~津辺りは学生君がそれなににいた。と言っても私も当時は学生であったが・・・
尾鷲に着くころには完全に辺りは暗く、既に最終列車の役割をしていた。先述の通り新宮で寝台を連結したあと「はやたま」に変身。そして和歌山には未明の3時台に到着。そんな「921列車」は天王寺に5時ちょうどに到着。そして大阪環状線で大阪まで出る。更に東海道線と山陽本線で岡山まで一気に辿り着いた。ここから伯備線に乗り換えるのだが、この伯備線もちょうど電化されたばかりであった。同じ年の春に登場した「青春18」で電化前の伯備線を備中神代~岡山まで乗車している。その時は新見でキハ80の「やくも」を拝んだが、今回の旅では371系振子式の「やくも」のお披露目であった。もちろん私は「18」のためカメラに収める事しかできず・・・

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この旅では伯備線が電化直後であった。新見で収めた「やくも」は、同じ年の3月に訪問した時のキハ80からご覧の車両にグレードアップ。陰陽連絡の機能が一段と高まった。)

伯備線で北上し山陰方面に出るが、ちょうどこの時期は伯備線と併せて山陰本線の伯耆大山~知井宮(現・西出雲)までの電化が開業し、11月に開業予定である上越新幹線開業に合わせて弥彦線と越後線が電化されるなど「苦しい事情」の国鉄であった中、かなりの高速化が図られた。特に山陰本線の一部電化区間はそれなりの都市が連なるため乗客も少なくない。実際、2013年に再訪の際も米子~松江辺りは立席客が出るほどの盛況ぶり。しっかりと「鉄道」としての役割を果たしていた。やはり電化せねばならない事情であろう。
そんな電化区間を新鋭の115系で米子に到着した。境線を制覇してから再び米子に戻ってくる。するともう16時16分、つまり夕方になっている。上り列車の夜行は始発時間が早い。出雲市を19時23分に出発する。米子からもちろん乗車できるが、まだ時間に余裕があるため出雲市に向かう事になっている。当時、山陰本線の普通列車の主役は「旧型客車」だ。DLに牽引されながら、途中で伯備線の115系と列車交換する。ちょうど新旧交代の時期でもあったが、今考えるとすごく不思議な光景だ。

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(電化直後の出雲市駅。まだ地上時代で構内には側線も多くあった。実はこの駅では小さな思い出があり、旧型客車で出雲市駅に到着したのだが、いち早く「山陰」に乗車したいため列車が止まるのを待てずに若干止まる直前にホームに足を預けた。すると思ったよりもスピードがあり私はホームで「ひとり一本背負い」を敢行。2回転半くらいはしたか・・・相方に「なにやってんの?」と言われたのは述べるまでもないが、私にとってみれば衝撃でカメラも若干やられてしまい悲しい一撃であった。ちなみに私は小学校時代に柔道をやっていた関係から受身には自身があったが・・・皆様、列車を下車する際には列車が完全に停車してからにしましょう!)

出雲市から夜行普通列車「山陰」に乗り換えるが待ち時間が1時間。私の中ではこの「1時間」が足りないくらいに感じたが、今回の旅に使用している夜行列車は上越を除き全て「上り」である。普通夜行列車のイメージとして「大垣夜行」を最初に経験したせいか、2~3時間待たないと座れないというのがあった。しかしこの「山陰」もそうだが、上りに関してはそれほどまで神経質にならなくてもちゃんと座席を確保できる事を気付かされた。それは始発時間が早いため地元の方の「ローカル列車」の役割もある。そのため短距離客が多いため、必ずどこかの座席が空くというものだ。
先ほどまでいた米子を通り過ぎ、列車は京都目指して更にのんびりと加速していった。



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1982年・何も言えなくて・・・夏④

18時30分に長野を出た「中央夜行」は、ほぼ「空気輸送90%」状態で新宿目指したが、松本でなんと1時間の小休止。松本に来る途中「姨捨」では「100万ドルの夜景」を拝められた。松本での1時間待ちは、普通なら「駅そば」でも堪能しようが、どうしても「座席」が気になり席を離れることが出来なかった。事前に長野で買ったパンなどを頬張りながら夜を過ごすのだが、現在であれば普通に「酎」などを片手にしている事であろう。しかし中学生の私にしてみたらとてもそんな事思いつく事ではない。

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(長野駅で列車を待っているとこんな列車がやってきた。当時、全線電化区間を走るDC急行で有名であった「赤倉」は急行列車としてはかなり風格があった。)

松本を出ると、すぐに塩尻に到着。この時の塩尻はちょうど駅が移転した直後で真新しいホームが迎えてくれた。以前の塩尻は名古屋方面からくる特急列車等(しなの、ちくま等)は松本方面に向かうのにここ塩尻でスイッチバックの形をとっていた。この不便さを解消しようと駅を移転、寝ていた「人」を起こした「人」の形になり「名」より「実」を取った形となった。現在、JR中央線の境界駅となっている事もあるが、国鉄時代からも「東線」と「西線」の旅客直通列車は皆無に等しく、もしそのような運転がある場合4番線を介せば対応できる配線となり実に機能的な駅に変身した。

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(「かけめぐる青春」でも紹介した2014年訪問時の塩尻。1982年8月のこの旅でも訪問しているが、そのときは現在の塩尻駅に切り替わった直後の訪問であった。その時から既に30年以上経過しているが、現在も当時と同じ形でしっかり機能している。)

さて、塩尻を出た中央夜行の上り列車はようやく「夜行」の雰囲気になってきたが、確か日野春辺りで事件が起こった。列車が急停車したのだ。車掌が慌ただしく動き回る中、車内放送などによる案内は無かったが、列車の外で何やら警察とか保線みたいな人がやってきたりと大騒ぎになっていた。どうやら「人身事故」があったらしい。詳しい状況は分からなかったが、車掌が行き来している中他の乗客が車掌に問い合わせていたのだ。その話を私は後からその乗客にお伺い立てた。そして窓を開け外を再び確認。はっきり言って蚊が入ってくるが、それより作業をしているのがちょうど私たちが座っている付近の真下のため非常に変な気分であった。

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(2009年訪問時の「ムーンライト信州」は白馬駅にて。かつての「アルプス」からの流れでの夜行列車であることは周知の通りであるが、1982年当時はこういう車両が快速夜行列車などに使用される事などは全く持って考えられなかった。「18」でも乗車できるとは、時代も変わったものだ。)

無事作業が終わったらしく、車掌のアナウンスが入り出発。定刻より40分~1時間位の遅れでようやく出発した。車内放送などで長時間停車していた説明があるかと思ったが、結局何も音沙汰の無いまま列車は新宿に向けて走り出した。そんな事があったが新宿には定刻の4時23分に到着。恐らく途中の甲府や他の主要駅などの停車時間を考えたら1時間くらいになるため新宿には定刻で到着できる頭が車掌はじめ運転手達にはあったのであろう。
しかしこの中央夜行、通称「山男列車」は下り列車はかなりの乗車率であるが上りは本当にお客様にとってみれば「心地よい」乗車率。現在においての「ムーンライト」も下りしか設定がないのが肯ける。文字通り「山男」は帰りも夜行で帰郷するとは考えにくい。そう考えてみるとなかなか特徴ある列車であると今になって感じる。
そんな夜行列車は何事もなかったかのように時は過ぎて行った。中央夜行ではあまり寝れなかったが、東京から東海道線で今度は名古屋を目指す列車では完全に「爆睡」であった。完全に体質が昼夜逆転してしまったようだ。



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1982年・何も言えなくて・・・夏③

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(新幹線開業直前の新潟駅。と言っても駅名表の為非常に伝わりにくいのが残念であるが・・・ここから越後線で柏崎に抜ける。)

柏崎より来迎寺に抜けて魚沼線でも乗ればよかったのだが、乗り潰し初心者の私は全くのノーマークで直江津方面へ向かう。途中、情緒ある「青海川」や「鯨波」を通る。通るというより下車してみたかったのは言うまでもないが、ちょうど夏休みで海水浴シーズン。鯨波で海水浴客と思われる面々が挙って下車した。中には既に列車の中で膨らませたであろう、浮き輪を片手にホームを歩く乗客もいる。

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(レールファンには有名処である。海水浴場にも近く、私の訪問時も沢山の海水浴客が下車した。)

そんな北陸本線、いや信越本線の普通列車はのどかな時間が進行する。直江津に着いたら今度は信越本線で長野に向かう、というか今まで乗って来たもの信越本線の列車だ。だが、運転系統的に長野方面は「支線」的な感覚を否定できない感がある。実は柏崎で2時間半近くも待ち合わせがあったが、ここ直江津でも2時間半近く待つ!なんというこの歩留り悪い計画であろうか・・・現在であれば「喫茶店」「居酒屋」等の選択肢があるであろうが、当時はまだ中学生。さすがに「居酒屋」という選択肢は脱落するが、現在の私でも「喫茶店」は、多分似合わないであろう。

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(2013年に訪問した時の二本木駅。現在は信越本線で唯一のスイッチバック駅となってしまった。)

そんな直江津でただただ「ウェイティングサークル」で出番を待つような感じである私であったが、ようやく「信越本線」の列車がやって来た。高田経由で長野に向かい「中央夜行」を捕まえる。途中「関山」「二本木」はスイッチバックであるが、現在もスイッチバックが残っているのは二本木だけである。つい最近も再訪しているが、昔と全く変わらない佇まいのまま健在。しかしスイッチバックする「列車」の方は既に「電車」となり昔の「勾配に弱いSL」に比べたら面倒臭い作業は無く、運転手もわざわざ先頭車両に向かう事も無いままスイッチバックしていく。レールファン的にも旅情的にも味気ないかもしれないが、経営する側からすれば実に効率の良い作業であろう。

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(既に何度か紹介しているが、この旅の時に撮影したものである。80系は辰野駅であるが、隣のスカ色115系が私の乗った「中央夜行」である。)

そんな事を考える中学生を乗せた列車は長野に16時22分に到着した。長野からは18時30分発中央夜行で新宿に向かう。が、何と2時間以上も待ち時間がある。これは「並ばなければ席を確保できない」と言う宿命から事前に計画した事柄であった。2時間もあれば「善光寺」などの観光もできたであろうし「りんご」や「みそ」等の名物も堪能できたであろう。しかし中学生の私はそんな事に一切興味を示さず、ただ只管「いい旅」を「チャレンジ」する事のにみ従事していた。だが、列を作っているのは私たちのみ・・・列車入線時刻近くになっても全然「中央夜行」を待つ面々の姿すら見当たらない。列車が到着しても余裕で座席を確保。
「この2時間待ちはなんだったのか・・・」と思うほどあっけなく座席を確保できた。これは旅が終わってからわかった事であるが、中央夜行や後にアップする記事で登場する「はやたま」等の上り列車は、基本的に始発時間が非常に早い。先述した私の乗る長野発新宿行きの中央夜行は18時30分発、後述する紀勢本線の夜行「はやたま」は亀山をなんと17時21分発である!と言う事を考えると、途中までは「ローカル列車」の機能を果たすわけであるため、たとえ満席であっても必ず座席が空くであろうと推測できるのだ。そんな事、当時の中学生が分かるはずもなく、ただただ座席の確保のために貴重な時間を待ち時間に使ってしまったのだ。だが、こういう経験をしてこそ次に活かせる!と確信。と言う風に物事の考え方を切り替えなければ後悔ばかりが残る事になるではないか!ひとり10ボックス位確保できそうな「混雑度」の列車に揺られながら新宿目指した。



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1982年・何も言えなくて・・・夏②

上越夜行で長岡に着いた私は早速新潟行きに乗り換える。同じく115系湘南色であるが乗客は僅少。もっと夜行列車から乗り換え客があると思っていたが、意外にも余裕で座席を確保できた。ひとりで4ボックス位占領できるくらいであった、とはオーバーかも知れないが、もしかしたら魚沼線方面へ抜ける乗客の割合が多かったのかもしれない。まぁ、今考えたらちょっともったいない事をしたかもしれないが・・・

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(ストロボバージョンとストロボ無バージョンを収めてみた。と言っても別に新前橋に拘りあるわけでもなかったが・・・当時はこんなバカな事もしていた。)

既に日が昇り明るい「米どころ」であるが、途中の東三条では弥彦線と接続する。当時は越後長沢方面が既に廃止の情報があり私も制覇しておきたかったのだがどうしても当時は予定が組み込めずに断念した。もちろん、今考えたら余裕で、と言うよりちょっと頭を使えばはめ込む事が出来たのに・・・との思いもある。が、やはり当時の自分ではまだ経験が浅いので仕方がない。更に途中の加茂では蒲原鉄道が接続していたが、私鉄路線には興味があったものの「制覇対象」には入ってなかったためスライドしてしまった。もったいない事をしていたなと、だれもがそう思うであろう。

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(かなり地味な駅にカテゴリーされるが、こういう派手ではない駅は私好みだ。)

そして新津を過ぎ、沼垂辺りで大きなヤードを掠めると新潟に着いた。私のこの訪問時は上越新幹線開業直前であった。が、在来線のホームは既に綺麗に整備されており、降りた瞬間「新しい!」と感じた。新幹線ホームの高架駅もほぼ完成しており、いつ列車がやってきてもいいくらいの雰囲気であった。そして越後線に乗り換えるが、こちらも新幹線開業と同時に電化される予定であった。既に架線は張られており、いつ電車が来てもおかしくない状況であったが、私の乗った列車の列車番号は「130D」。つまり気動車である。電化直前の越後線・・・「花は越後の~」などと言うと私は「古い人間」の部類に隔離されてしまいそうであるが、基本的に吉田~新潟間はそれなりに乗客が多い。しかし私は列車番号こそ「上り」であるが、実質「下り」の朝の時間帯。立席が出るほどではない。

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(駅名表が私の「制覇の証」の為、この手の部類の写真ばかりで申し訳ないが、この旅での一枚でもあるため掲載させていただいた。が、意外と味がある駅名表だ。)

楽しみにしていたのは「吉田」である。弥彦線と、地図上では十字にクロスする形をとるが、いったいどういう構造になっているのか前から気になっていた。結果的に確認したアンサーは弥彦線と越後線は平面交差であったのだ。もっと立体交差が凄い事になっていると若干期待していたのだが・・・しかし弥彦線も新幹線開通と同時に電化予定であった。特に弥彦線は「燕三条」たる新駅ができて新幹線との連絡機能を果たすため、輸送量も増加するであろう。そんな期待を込めての電化であった。そんな弥彦線には乗れず、只管「花は越後の~」に乗りながら柏崎に抜けた。


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1982年・何も言えなくて・・・夏①

1982年の春に登場した「青春18」が好評であったため、同じ年の夏に再び登場した。最初の登場時は1日有効の切符3枚と2日間有効の切符が1枚あり8000円であったが、この夏の登場よりすべて1日有効の切符に変更され1枚2000円計算の5日間分、計1万円での発売となった。当時私は中学生であることはもう既に1万回くらいこのブログで述べているが、この1万円が当時どれくらいの価値があったか。もちろん「1万円」は現在でも非常に価値があるが、例えば2013年のJパブ社出版の時刻表は1150円であるが、1982年当時はなんと650円!もちろんこれだけでは参考にはならないが、これを考えると「18」の1万円が高いか安いか・・・

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(これは1982年に登場した当時の「18」である。好評につき同じ年の7月に再登場して完全に定着。現在に至る。)

とは言え、国鉄全線1日乗り放題の切符が5枚つづりであるとはお買い得であることには変わらない。当時の私にしてみたら「いい旅チャレンジ20000km」のキャンペーン中でもあり、物凄く夢が広がる切符でもあった。この年の3月に学校のクラブ活動「鉄道研究クラブ」での活動の一環として西日本めざし旅立ったのは既に紹介したが、今回は初めて単独による「18」の旅となった。参加メンバーは同じクラブに所属するメンバー1人で、計2人での旅となったが、主導権は全て私に託され計画を立てた。とにかくまだ経験は浅いためなかなか予定がうまく組めなかったが、今考えれば貴重な体験の数々があり、今後の旅のスタイルを決定付ける内容となった。

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(1982年と言えば東北・上越新幹線の開業であろう。今回の旅は上越新幹線開業直前であったが、新潟駅などは既に現在の形になっていた。しかしその新潟駅も高架化されると聞き、さらなる変化が待っている。)

当時私は中学生。もちろん何度も先述しているが、当然「宿」などもっての他。宿はもちろん「夜行列車」だ。そのため訪問先は限られてしまうが、まだ「チャレンジ」を始めたばかりで数多くの路線を消化しなければならない。全国的に訪問先が「初」となる場合が多い。とりあえず「18」で乗車できる夜行列車は本州には「上越夜行(現・ムーンライトえちご)」「大垣夜行(現・ムーンライトながら)」「はやたま」「山陰」くらいか。四国に渡れば先述の「731D」もいる。九州はちょっと遠いが「ながさき」もいるし北海道にも函館本線に夜行はいた。そこでとりあえず「上越夜行」で新潟めざし、一旦帰郷し西日本を目指すという、若干変則的な旅を考案した。アッ、もうひとつ「中央夜行」もいました。今回はこちらもお世話になり一風変わった「18」をしてみた。

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(こちらも当時私が愛読していた雑誌であるが、とても中学生が読むものではなかった。写真を見る程度で満足していたが、現在読んでみると非常に楽しい。画像はご覧の通り東北新幹線開業時のものである。)

早速いつものように「西寒川」より出発する。が、今回は東京ではなく「上野」で列車を待つ。いろいろな寝台特急や夜行急行列車が頻繁に出入りする。東京駅より「実が生い茂る」ではないが、待ち時間が足りないくらい待ち時間がすぐに過ぎた。上野駅からの夜行列車と言えば「13番線」が定番であるが、この上越は「姿なき挑戦者⑦」でも紹介しているが、9番線からの出発だ。つまり普通に通勤電車である。車両も115(113)系湘南色で、熊谷付近までは完全に通勤列車として機能している。と言っても高崎に着くころには完全に夜行列車の姿で、車内も大垣夜行とは違い実に和やかなムードになる。とは言え、天下の「115(113)系」である。今でこそ「ムーンライト」などでは国鉄時代の特急車両などを使用していて「リクライニング」が実に効果的であるが「あなた、経験してごらんなさい」とでも言いたくなるような「上野から通勤列車で長岡まで行く」行為は、逆に川口浩的な「冒険」かも知れない。事実、この列車に乗っていたら深夜の「土合」にも停車するのであるから・・・


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熊に逢ったら・・・「白滝シリーズ」③ 上白滝

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カーナビで案内され到着したにも関わらず辿り着かなかった・・・国道沿いにはそれなりに集落が存在し商店もある。だが駅が見つからない・・・諦めて次の駅に行こうとしたが、やはりせっかく来たのだから上白滝に行こう!と気を取り直して戻ってみた。そしてようやく上白滝の存在に気づいた。そう、国道から少し奥に入っていくと駅があったのだ。いや~っ、やはりカーナビでも苦手意識があったのか、鉄道駅に関してはどうも案内が不得手のようだ。
それはともかく、この上白滝駅周辺はひとつの集落をなしていて秘境度は全く感じない。某秘境駅訪問家はこの駅を上位にランクしているが、確かに駅のみを考えるとそうかもしれない。しかしちょっと国道に出ると私の「秘境度が薄れていく」と言う事が納得するであろう事が伝わると思う。廃屋も少なくそれなりに生活感を感じるが、やはり他の駅同様に駅前は農場となっている。
沿線も少子高齢化が進んでいると思われ利用者の増加は将来的にも見込めないと思われるが、1日1往復でも停車する列車が設定されているという事は定期客が今も存在するのであろう。
各方面のレール関係のブログなどを拝見すると、やはり皆考えていることは同じのようで、将来的に所謂「石勝線化」されるであろうと事も視野に入れて推測。現在の究極ダイヤでも恐らく「過剰ダイヤ」なのかも知れない。というより、20年後くらいには上川~遠軽の各駅が全て廃止、50年後くらいには石北本線そのものが無くなってしまうかも知れない・・・とは考え過ぎかも知れないが、冗談抜きで石北本線もかなりの高速化等の改良をしなければ生き抜く事は出来ないであろう・・・と現実染みた話をしてしまったが、実際問題駅前の集落の人々はマイカーでの移動が当たり前の文化となっている。
そして主要駅である北見を始め、遠軽や網走等も利用者が30年前の半分くらいになってしまった。あと30年したらどうなるのであろうか・・・


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ようやく上白滝に到着。国道沿いと事前調査でわかっていたのですっかりその気でいたが、いざカーナビで案内された場所に駅は無かった。何回か行ったり来たりしてようやく駅を発見。というより私が鈍感であったのかも知れないが、駅を発見するのに一苦労した。

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駅舎はご覧の通りの昔ながら。既に各方面でご覧になられた方も多いと思われるが、やはりこういう駅舎は魅力があろう。この駅舎に近い雰囲気の駅は私の知る限りでは相模線の「相武台下」あたりが割に近い雰囲気を醸し出している。と言っても駅前の雰囲気は全く異なるが・・・


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とは言うものの、相武台下の方が遥かにメンテナンスが良いのはあえてここで述べるべきではなかろうが・・・


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駅舎内は意外にメンテナンスが行き届いており清潔であった。私の訪問した時期には「旬」ではない道具も収納されていた。


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駅前は完全に秘境度は感じないが、ホームに立ってみてもそれほど秘境度は感じない。やはりモータリゼーションによる「究極ダイヤ」である事は、現場を訪れて見ると肌で感じる事ができる。


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30年前までは確かに相対式のホームであったが、現在はダイヤが合理化されて交換設備が不要となったのであろう。そして冬季には更に哀愁漂う風景となっていくことであろう。



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熊に逢ったら・・・「白滝シリーズ」② 旧白滝

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全国に「新」を冠する駅は数あれど、「旧」の付く駅は、JRではここ「旧白滝」のみであろう。レールファンにはお馴染みの駅でありその「旧」が付く理由も既に自身で解決済みであろうと思われる。
しかし考えてみたら、埼玉県にある「浦和」は既に「東西南北」と「武蔵+中」を冠していて、もし更に新駅ができるとしたらどうなるのであろうか。それこそもう「旧」しかないであろう!あっ、そういえばまだ「新」が残っているか・・・

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(写真中央に見える小屋のような建物が旧白滝駅。カーナビに案内されてたどり着いた旧白滝駅であるが・・・カーナビよ、畑の真ん中から遥か彼方に見える旧白滝駅へどう行けというのか?)

そんな事はどうでも良いのだが、ここ旧白滝は国鉄時代では仮乗降場であった。付近には民家が少ないが、という事は若干あるが、かつて駅であった所が信号場や廃駅となっているのにここ旧白滝は仮乗降場であったが現在は駅として今も列車が停車するという不思議な現象である。

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(そしてようやくたどり着いた旧白滝駅。国鉄時代から仮乗降場として設置され、現在も同じ姿での1面1線のホーム。駅に昇格して現在も残るが、もともと駅であった奥白滝は信号場になってしまった。)

私がこの旧白滝に訪問する際にカーナビに案内された通りに素直に行ったら駅の裏側に来た。車を止めた地点からは畑を挟んで向こう側に離れた場所にホームが見えた。その畑を淡々と歩くといよいよ到着。するととんでもない光景が待っていた!なんと国道沿いに駅があるではないか!なぜに駅の裏方をわざわざ案内するのか・・・このカーナビにもし「知能」があるとしたら是非お伺いたてたいところだ。国道には若干ながら車を停めるスペースもあるし、こちらのほうが駅訪問には完全に適している。皆様も訪問の際にはカーナビに騙されぬようご注意を!

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(各方面で見かける旧白滝駅の姿を私もあえて収めてみた。意外にも周囲には民家があり秘境度はさほど感じない。)

という事で駅裏から参戦した旧白滝駅は、元仮乗降場とは思えぬ立派なホームがあった。そして待合室も。周囲には廃屋があるものの畑の中に家屋が点在しており生活感がある。この事が今も駅が存在する理由であろうが、やはり1日数本の列車しかやってこないのは利用しにくい。そして平地が白滝方面まで続いていてそれほど秘境度が感じられないが、いかんせん民家が少ない。この白滝地区付近において入植者が最初に入った地として知られているが、その「最初に入った」代々の方が現在も付近の畑を維持されているのであろうか。典型的な、というより教科書にでも載っているような「田舎の風景」が展開されているが、この由緒正しい旧白滝駅は一体どれくらいの利用者がいるのであろうか。とても気になるところである。

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(ホームが未舗装なのは仕方がない。しかしカリソメにも「本線」である。枕木が「木」とは・・・何だかかつての「寒川支線」を思い出してしまった。)

ビート畑や小麦畑が延々と続く旧白滝駅前一等地ではあるが、若干心も癒される感じがした。しかし、ここは駅前。という事は癒される風景であってはJR関係者も頭を悩ませる事であろう。それでも列車はやってくる。新しくなった旧白滝駅の駅名標が実に初々しく、清々しさを感じずにはいられない。雨が降ろうと雪が降ろうと・・・「A46」はしっかりと自身の業務をひたすらこなす毎日であった。

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(これって小麦なのか?こんな風景が延々と続いていた駅前一等地。のどかな風景は心を癒されるが・・・)


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熊に逢ったら・・・「白滝シリーズ」① 奥白滝信号場

長期連載させていただいたこの「熊シリーズ」もいよいよ千秋楽を迎えた。今回の北海道の旅ではこの「白滝シリーズ」と「石勝線」がメインの訪問であったが、ついに白滝シリーズが私のブログに掲載される時が来てしまった。私はかねてからこの白滝シリーズの訪問は夢であったが今回思い切って実現させた感じだ。勿論まだ紹介していない「熊シリーズ」は沢山あるが、いずれタイミングをみて紹介したいと思う。

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(道の駅・しらたきは、若干写真に角度が付いてしまったが・・・上越信号場付近にある浮島インターから一気にトンネルを抜けここに着く。確かに便利な時代になったが、付近は完全に秘境度満点であった。)

という事でこの石北本線の上川~遠軽間は、私が最も以前からじっくりと訪問してみたかったと思っていた場所であった。そして今回、長期連載させていただいている「熊に逢ったら」シリーズにおいて計画段階では石勝線の信号場とともに最重要区間に位置づけし、訪問を一番楽しみにしていた場所でもあった。
特にこの上川~白滝間においては近年で駅の数が減少。ほとんどが信号場に格下げされてしまったが、中には天幕のように駅そのものがなくなってしまった例もある。

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(若干「アクア」が邪魔になってしまったが、これが現在の奥白滝信号場。まだ旅客駅の匂いが漂うが、やはり周囲には民家が皆無であった。)

今回の旅においての計画段階では「相当の秘境なのであろう」と想像が膨らむばかりであったが、実際に訪問してみたらやはり秘境度200%くらいの秘境度であった。何しろ民家の数より道路沿いにある「チェーン脱着場」の数の方が多いくらいであった。とは言うものの、私が今回訪問したのは6月であり、チェーン脱着場においては完全に「旬」の時期ではなく、むしろ「パーキングエリア」的な役割をしていた。
そんな中、奥白滝が信号場に格下げされたのは記憶に新しいであろう。とは言うものの、その時期が2001年であるからもう10年以上経っている事になる。つい最近のような感じがしたが・・・月日の経つのは早いものである・・・

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(「駅」ではなくなってしまったが、往年の駅舎は健在。かつての旅客ホームは既になく、自然の一部になろうとしている姿が印象的であった。)

隣の上越は1975年に信号場に格下げされた。その時既に付近に住民がいなくなっていたと聞いているが、確かに以前に私のブログで上越信号場を紹介したように、本当に周りに人気がないのだ。まだ中越に関しては国道沿いに駅があるので安心感はある。しかし上越に関しては国道より脇道に入るため更に秘境度がプラスされる。
そんな中、この奥白滝は付近に高速のインターがあり、そして道の駅も存在するため秘境度はかなり薄れる。とは言うものの、緑豊かな奥白滝は生活の雰囲気が感じられない。付近に民家が全くと言っていいほど見当たらないのだ。信号場になってしまったのも肯けるが、そういう現実も個人的には受け止めにくい。やはり「駅」として機能してこそ!という思いもあるが、やはり現在も信号場としてでも残っているだけでも嬉しい。

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(都会に住んでいる人にとってみればこれが「駅」とは考えられないであろう。とは言うものの現在は信号場であるが・・・)

現在は先述の通り高速道路が並行しているため石北本線の機能は薄れてしまった。そしてかつて駅であった場所は現在信号場として第二の人生を送っている。昔より便利な時代になったが、それに反比例するかのように沿線人口は、というより全国的に人口が減少している。こうした駅も全国的に増えてくることであろう。特に北海道はその例が顕著で、例えば10年後、20年後は上白滝や、それこそ瀬戸瀬あたりも信号場になってしまうかもしれない。そして、もしかしたら「石勝線」のように特急列車しか運転されなくなる区間も出てこよう可能性もある。

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(片隅には保線車両が留置されていた。しかしこの車両は、私の訪問した時期では「旬」ではなさそうだ。)

という私も今回は完全に鉄道という交通手段を一切使わない旅を経験してみた。現在は「ハイブリッド」なるトレンドの波が押し寄せ、その波に私も乗ってみた。というより波に乗るのがむしろ遅いくらいかも知れない。勿論鉄道車両にもハイブリッドは存在するし今後一段と増えていく事であろう。しかし普段生活するなかでの自家用車は「アクア」「プリウス」などは完全に通勤などでは優位に立つ。これは勿論燃費等の事を指しているのであるが、冒頭に載せた道の駅の駐車場にはそれなりに車が駐車されていた。という事はこの区間もそれなりに行き来があるという事である。
そんな時代の中で取り残されたかようなここ奥白滝は、普段は誰にも気にされる事無く穏やかな時間を過ごしていることであろう。そんな時代の移り変わりを奥白滝はどのように受け止めているのであろうか。自身の道を行く奥白滝はある意味「不器用」なのかも知れない。その姿は、変な例えであるが若干「王道」にも思える気がするのは私だけであろうか。



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熊に逢ったら「番外編」 ~夕張線各駅巡り~⑥ 清水沢

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ここ清水沢ほど「昔、栄えてました!」ということが伝わってくるわかりやすい駅は、この夕張線の中で随一であろう。沢山の側線が張り巡らされており、長い跨線橋や島式ホームの木造の屋根、そしてあの伝説の「三菱」を分岐する・・・全てが過去のものとなってしまった。現在は必要最低限の設備が残り、島式ホームも片側はレールが剥がされ駅舎からホームへ伝う通路が新たに新設されたものの実に簡素なものだ。そして駅舎側に若干面影が残る「三菱」のホームは完全に「古墳」となってた。
私は現役時代の「三菱」に訪問することができなかったが、全盛時代が残る清水沢駅の初訪は1983年である。このことは何度となくお伝えしているが、今思えば「三菱」を前に乗車できなかったのは悔やまれる。しかし列車から清水沢の駅を窓越しに眺め駅舎の接する三菱側のホームに感動を覚えたのを記憶している。当時は中学生であったが、10月の北海道への一人旅はなかなか独特なものがあった。もし現在「当時と同じ条件で同じ旅をしろ」と言われたら、私は二つ返事で出かけるであろう。やはり当時は中学生であったので今よりは感覚が全く「別物」であるのは当然であるが、今の感性で当時へタイムスリップしたらどんな印象を受けるであろう。
団塊世代の方々は、この「夕張」という街の変貌ぶりをどう感じているのであろう。全国各地で衰退していく町は少なくないが、特にここ夕張は何か特別なものを感じるものがあると思うのは私だけであろうか。


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国道から旧道と思われる並行する道路に入っていくと清水沢駅前に出る。一旦踏切を渡り国道の反対側に出る形になる。


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昔の面影たっぷりの駅舎。石炭の時代を彷彿させる造りであるが、利用者が減少を続けている。


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駅舎横には広い空間があった。この空間より跨線橋へ繋がっていたが、その跨線橋も現在は無い。


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ホームに出てみる。かつての「三菱」は全く「古墳」になってしまった。駅舎に接するホームがかつての「三菱」であった。そして跨線橋を渡り島式ホームへと向かう構造であったが、現在は跨線橋を使わずにダイレクトでホームへ。


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インターネットなどでもご覧になった方もおられるであろうこの風景。現在はホームの屋根もない。実にシンプルになってしまった。メンテナンスする側にとってはかなりの作業削減になったであろうが、実に寂しい姿になってしまった。


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跨線橋はなくなってしまったが、代わりに歩道橋が出現した。上記の写真もこの歩道橋からの撮影である。


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その歩道橋から見た駅舎。かつての「三菱」の面影はほとんど無いに等しい。


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清水沢駅前一等地の現在。寂しさを否定でいないが、まだまだ活躍して欲しいのは正直なところである。



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熊に逢ったら「番外編」 ~夕張線各駅巡り~⑤ 沼ノ沢

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新夕張の次の駅・・・夕張線の中ではかなり地味な存在であろうこの沼ノ沢であるが、かつては現在の姿からは想像できないくらい派手であった。1983年に初訪の時は構内にかなりの側線があり「石炭の駅」として栄えていた面影がしっかりと残っていた。そして炭鉱への専用線も分岐していたが、それらは全て現在は無い。完全に棒線化されてしまって全くかつての盛隆が伝わってこない。

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(これが沼ノ沢駅の駅舎。ご覧の通り、駅舎内には飲食店が同居している。次回訪問時は是非立ち寄ってみたい。)

全く変わってしまった沼ノ沢であるが、駅舎内には飲食店が入居している。私は事前調査をしていなかったため現場に言って初めて知ったので驚いた。なんとなく「オーチャードグラス」や「停車場」を思い出させる風景であるが、次回訪問時は是非試してみたいと思う。ということは今回は入店する事ができなかったが、なかなか素敵な趣きであった。

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(待合室直結の飲食店。JRの方は勿論駅員無配置であるのでこの飲食店の存在は大きい。)

さて、現在の沼ノ沢は先述の通り棒線化され「管理する側」にとってみれば以前より作業が減ってさぞかし合理化されたことであろう。しかし私にとってみたらその姿は寂しさしか伝わってこなかった。しかしこれが日本のエネルギー事情の現実であった。

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(かつては2面2線でかなりの側線を有していた。私が1983年に訪問した時は勿論2面2線であったが、31年ぶりに訪問した2014年では駅舎に接するホームと島式ホームの間は「陸続き」となってしまった。しっかり手入れされている花壇を見ると、何だか四国にある「下灘」を思い出す。そう、ほとんど同じ風景ではないか!)

現在夕張市は人口1万人を割ってしまった。基本的に市制にするのは人口3万人くらいが目安と聞いている。私がかつて住んでいた神奈川県は寒川町では、私が引っ越してきた当時は人口3万人くらいであったが、それよりどんどん人口が増加して1995年くらいからは4万7千人くらいで安定している。私が在住していた頃までが一番人口の増加が激しかった事であろう。実際に相模線も電化され寒川駅も橋上駅舎に変身した。そして茅ヶ崎市との合併もチラホラ囁かれた頃もあったが、現在の姿のまま至っているという事はしっかりと独立して行政している事であろうと思う。

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(構内は広い。勿論それは貨物線を分岐していた名残であるが、この草を刈るとどんな風景が待っているのであろうか。一度「草刈様」にお願いしてみたい。とは言うものの、一体どれくらいのギャランティー関係が発生するのであろうか・・・)

しかし夕張市はこのまま行くと、下手したら「ゴーストタウン」にもなりかねない。事実、2006年頃には市長や市議会議員などの報酬が激減し税金も引き上げられた。以前に比べてかなり「住みにくい」町となってしまった夕張市はその当時で人口が1割近く減少。この頃は夕張市の名前がかなりの頻度でニュース等に顔を出し、我々もその状況をメディアからではあるが嫌というほど目にしてきた。

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(まだまだかつての遺構が残る。なぜ島式ホーム側を残したのかは不明であるが、いずれにしても昔の名残があるのは嬉しい。)

当然の事ながら夕張線沿線の人口は減少し利用者も減少していった。現在の夕張線の利用者はおそらく全盛期の1/100~1/1000くらいにまで減少している事であろう。1/1000とは大袈裟かも知れないが、それくらいの「体感温度」は感じることであろう。

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(駅舎をホーム側から。昔のままで若干のメンテナンスを加え残っているのが良い。飲食店が同居しているおかげで人の気配があるのは嬉しい。)

しかし夕張線は今も走り続ける。そんな夕張線は一体私達に何を伝えたいのであろうか。勿論そこには歴史的背景や先人の想いが凝縮されているように思う。しかし、それとは別になんと言うか「第六感」的なものを私は感じてしまう。変な話だが、夕張線とはなんだか「魂」みたいなものの存在があるような気がしてならない。勿論「闘魂」のようなものではないが、所謂「霊的な何か」に近いような、強いて言えば「宜保愛子」的な何かを感じずにはいられない。夕張線のレール一本一本に、そしてバラスト一個一個に・・・とはオーバーかも知れないが、そのレール設備ひとつひとつに哀愁を感じてしまうのは私だけであろか・・・

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(沼ノ沢駅前の風景・・・こんな感じが沿線各地で当たり前のように見ることができる。「当たり前」とは厳しい現実であるが、いつしかかつての清栄を取り戻して欲しい。)


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プロフィール

ダイヤモンド☆トナカイ

Author:ダイヤモンド☆トナカイ
所在地:神奈川県湘南地区

〇2013年6月11日、北陸新幹線長野駅にてJR全線制覇いたしました(当時)。
国内の鉄道は、沖縄の「ゆいレール」を残し全線制覇しました。(とは言うものの、2015年3月の北陸新幹線延伸によりJR全線制覇は「ベルト返上」しました)

★ ブログ記事の「リメイク版」は、以前にホームページで紹介した旅日記をブログでリメイクしたものです。


◎ブログの登場人物

★ ダイナミック☆トナカイ
・・・中学時代の後輩で、2013年に約30年振りに再会を果たした。数多くの写真を提供していただいた「盟友」でもある。

★ おさる・・・かつて私がバンド活動をしていた時のメンバーで、鉄道復活のきっかけを作ってくれた人物。彼とは「秘境駅」を数回訪問した「親友」でもある。

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