鉄道全線完全制覇の旅

昭和から平成へ・・・全線制覇の旅紀行!

箱根へ登山に行ってきました。(プロローグ)

暑さも和らぎ行楽には絶好の季節となってきた2014年9月、私は箱根へ登山に行ってきた。と言っても私は登山家ではないため重装備などせず、至って軽装での参戦となった。とは言うものの、このブログの趣旨は登山でなく「鉄道」・・・そう、当然の事ながら「箱根登山鉄道」を利用して箱根めぐりを敢行してきたのだ。
参戦したのが日曜日とあって、普段の私は日曜日とかの休暇は取れないに等しいためなかなか勝手がわからない。がしかし、いざ参戦してみるとやはり休日とあって観光客の姿がやたらと目立つ。全く予想通りの展開であったが、箱根湯本~強羅間は完全に通勤電車並みの混雑よう。もはや休日までも満員電車に乗るハメになるとは・・・と感じておられる方も少なくないであろう。

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(本厚木より「EXE」に乗り小田原へ。本当は「VSE」や「MSE」が良かったが・・・)

我が地元・神奈川県の代表的な観光地、箱根へは新宿から小田急ロマンスカー1本で参戦できる。私の住まいがある本厚木もロマンスカーの多くが停車し箱根へのアクセスに便利だ。もちろん今回の箱根へのアプローチはロマンスカー。しかしながら時間帯の関係から行きも帰りも「エクセ」になってしまった・・・VSEやMSEなら旅情も深まるのであろうが、EXEだとどうも「観光」とはならない・・・なんだか仕事の帰りみたいな気分で箱根に向かう感じだ。とは言え快速急行よりは快適であるには変わりない。

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(EXE車内の風景はいつもと変わらない。仕事帰りやコンサートにプロレス観戦・・・私にしてみたら数多くの生活シーンに登場したEXEであるが「箱根へ観光」となると若干抵抗が有るような無いような・・・)

さて、現在の箱根登山鉄道は箱根湯本で運転系統が境界線となり全線通しての運転がされていない。これはご存知の通り「線路幅」の関係があり、小田原~箱根湯本間が狭軌(1067mm)、入生田~強羅間が標準軌(1435mm)のためである。そして標準軌の車両基地が入生田にあるため入生田~箱根湯本間は標準軌と狭軌が共存する「三線軌条」が存在する。私が中学時代の1980年代前半は中学校のクラブ活動・鉄道研究クラブにおいてもこの箱根登山鉄道に参戦し、小田原から登山電車に乗車したものだ。現在は標準軌の登山電車が小田原に顔を出すことがなくなってしまったが、その現象がいつから起こったのかというと2006年3月と聞いた。もちろんそれまでの間、徐々に変化していったのだが、この日を境に小田原への登山電車の乗り入れがなくなった。

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(小田原より箱根登山鉄道になる。が、ご覧のように小田原~箱根湯元間は小田急の車両が走る。が、ペイントは登山電車仕様だ。)

後述するが、箱根登山鉄道のシーンにおいて小涌谷と彫刻の森間には半径30mという急カーブがある。登山電車の乗っていると、このカーブが「日本第1位」「世界第2位」とのアナウンスがある。私の聞いたところによると相模線の茅ケ崎~北茅ケ崎間も「日本一のカーブ」があると幼少の頃から聞いていたが・・・真相は?
それより、どちらが日本一という事ではなく、それくらい急なカーブが連続する登山鉄道は、建設段階においての苦労もひしひしと伝わってくる。もちろん、開通し運転している現在でもメンテナンスや運転面での苦労は他の鉄道路線と比べても多彩であろう。

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(入生田~箱根湯本間は三線軌条となっている。かつては小田原~箱根湯本間であったが、輸送量増加に応じ改良された。)

我が地元であるが、それこそ「灯台下暗し」的な存在である登山鉄道も、こうしてスポットを当ててみると意外な面が見えてくる。そんな一面が皆様に伝われば幸いである。では次章より早速紹介してみよう。

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(11月にデビューする3000系「アレグラ号」が入生田の車庫に眠っていた。もういつでも運転OKといった感じであった。)



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熊に逢ったらどうするか⑫ 中越信号場

中越信号場は周知の通りかつては駅であった。とは言え、晩年は勿論、以前より利用者が限りなくゼロに近かった状態であったろう。駅自体は国道沿いにあり、訪問するのには非常にわかりやすい。勿論周囲は「野生」と化した街並みが続くが、基本的に国道沿いという事もあって、若干ながら秘境度が和らぐ。とは言え、ここは完全な秘境地帯。いつ熊が出てもおかしくない環境であった。
かつては2面4線であったが、私がレールファンになり情報を得る頃には既に2面は使用されていなかった。現在はその2面は完全撤去され残りの2面を使用し列車交換を行っているが勿論ホームは無い。信号場となった現在も駅舎は残り、保線職員の詰所となっていると思われるが、ほぼ開業当時からの姿を留めていると思われる。
はっきり言って、中越駅の前にある国道はそれなりに通過する乗用車があるが、私のようにこういった駅に車を止めるのは世間的には珍しい部類に入るであろう。近くにはチェーン脱着場がありシーズンにはさぞかし繁栄する事であろうが、私の訪問時はシーズンオフ。普通にPA状態になっていた。が、勿論売店などは無く、普通に休憩するのみの場所である。


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国道沿いにはこんな看板があるので非常に訪問しやすい。が、既に「駅」ではなくなって久しい。


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駅前一等地はご覧の通り秘境地帯。いつ熊が出てもおかしくない。とは言えチェーン脱着場もあり、シーズンにはある程度の賑わいを感じるであろう。


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そして中越「駅」に到着。旅客扱い時代とほとんど変わっていないが、入口は勿論固く閉ざされている。そして中越駅を表現する看板等も無いので一般の人からすればここがどんな建物でどういう意味があるのかは理解不能であろう。


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駅名標の跡が痛々しいが、かつては「駅」であった名残が確認できるだけでも幸せか。隣の天幕は既に跡形もないのだから・・・


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ホーム側から駅舎を見てみた。かつて旅客営業していた事がひと目でわかる。木製の板で固く閉ざされているのが痛々しい駅舎への入口は、かつてどれだけの人が行き来したのであろうか・・・


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かつては2面4線あったホームも現在はご覧の通り。一応中線を備えており、信号場としては立派な設備である。が、いかんせん「信号場」のため全国版の時刻表などに記載されていない事実は寂しい限りだ。


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旅客駅時代はここからホームへと向かった事であろう。現在はこの階段を利用しても鉄路のみが待ち構え、むしろ関係者以外は入れない空間となってしまった。


寂しい限りであった。信号場に格下げされてしまうとこうも変わってしまうのか・・・以前に紹介した石勝線の楓信号場は、駅舎こそないものの旅客ホームが今も健在であり、定期利用こそなかったが本線側のホームも現存している。それを考えるともうここは完全に信号場としてのカラーに染まってしまった・・・隣の天幕は駅そのものがなくなってしまった。本当にものすごい場所に鉄路が敷かれているのだと思うが、それは周辺の過疎化とともにモータリゼーションも加わった典型的な利用者減少のものである。
駅前は国道であるが、高速道路が並走している。その高速道路はこの石北本線と並走する区間は別料金無しで通行できる。主だった車両は勿論こちらの高速を利用しているであろう。それでも中越信号場前の国道はそれなりに通行があった。事情を知らない人はこの中越「駅」の表示を見て普通に「駅があるのかな」と感じるであろう。いや、もしかしたらその看板さえも見ることなく、存在さえも知らない人の方が多いかも知れない。しかし中越は今もこうして自身の役目を果たしている。北海道方面の鉄道風景は、こんな景色が当たり前のようになってしまった場所が多い。そして更に鉄道そのものがなくなってしまった景色も多い。
近い将来、もしかしたらここ中越もなくなってしまうかも知れない。そして、更に石北本線そのものがなくなる可能性も否定できない。確かに私はこういう場所に好んでやってくるわけだが、冗談抜きで「新幹線化」や「高速化」等の改良をしなければ将来生き残れる道は無いかも知れない。現実的では無いが、この石北本線を残すというのであれば現実的な手段ではいずれ廃止になろう。複雑ではあるが、私の胸の内もかなり複雑である。



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あぁ・・・西日本・・・⑦

益田に9時51分に到着した山口線から9時53分発の山陰本線長門市行に乗り換えるが、なぜか跨線橋を使わせる乗り換えに若干不快な思いを抱きながらも寸時に乗り換えを達成させた。が、またもや座席を選べるくらいの乗車率!そんな2両編成の列車は私を乗せ長門市に向かった。ワンマン運転の為先頭の1両のみがドアを開閉する仕組みで後ろの1両はドアは駅員がいる駅のみしか解放しない。そのため乗客のほとんどが先頭車両に乗ってしまう。そう、私の楽しみにしていた事は・・・車両の独占であった。昭和のキハは2両目はもちろん私の独擅場。ロングシートを兼ね備えた車内ではそのロングシートが「寝台」に早変わりする。とは言えまだ午前中の時間帯。だが通勤・通学の時間帯からは外れた車内は実に長閑な時間が過ぎていく。途中の東萩辺りで乗客がドッと乗ってくるのかと予測していたが、いい意味で裏切られた。なんて発言したらJR西からクレームが来そうであるが、乗降客はほとんど皆無であった。とは言え、この益田~幡生の区間は特急列車がやって来なくなってしまった。全国でも有数の観光地を控え特急列車が無しとは実に寂しいではないか。だが、私のような「もの好き」はこういう場所は普通列車でやって来た方が楽しい。こういう列車に揺られる旅こそが私にとっての「観光」なのだ。

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(長門市では昔ながらの風景に出会えた。ご覧の懐かしい車両が現在でも活躍しているが、私の乗って来た列車もこれと全く同じの形式が2両編成であった。)

一般的な観光地など全く関心なく時間が過ぎて行く。と思っていたらあっという間に長門市に着いてしまった。ここで「みすゞ潮彩」にのり一旦仙崎に行き、折り返し再び「みすゞ潮彩」に乗車する。折り返す列車の方は指定席券を持っているので確実にすわれるのが良い。仙崎のホームでは地元の振興会の方々がホームでお見送り。山陰本線の末端区間において地元の熱意が伝わる風景に出会えたのが嬉しかった。

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(長門市駅舎。昔とほとんど変化が無いと思われるが、近年は著しく利用者が減少している。)

さて、いよいよこの旅のハイライトと言うようなこの「みすゞ潮彩」であるが、以前にダイジェスト版ながら紹介した。是非そちらも参考にしていただきたいが、この列車は2両編成で、先頭(幡生寄り)は通常の車両であるが、後ろ(仙崎寄り)は観光用に改造された列車だ。「潮彩」のごとく、座席が海の見えるように工夫されている。

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(みすゞ潮彩はご覧の通り、国鉄車両の改造版である。しかし普通列車として運転され、各駅に停車する「特権」がレールファンにはたまらないであろう。特急の様に主要駅しか停車しない観光列車とは違い、山陰本線の「素顔」もしっかりと堪能できる。)

途中、景勝地においては少々停車のサービスがある。確かにきれいであるが、一般用の車両は学生で埋め尽くされており観光とはかなりかけ離れている。学生諸君には申し訳ないが、我々には思いがけないサービス。実に心地よい雰囲気であった。しかし山陰本線はこういった景勝地を数多く通るのだがこの長門市~幡生間だけではなく、先通って来た益田~長門市間にも当然多く存在した。いっその事「みすゞ潮彩」を益田まで延長してはいかがなものかと思うほどもったいない景色があった。特に日本有数の観光地「萩」を控えているだけあって個人的には良いアイデアと思うのだが・・・

「みすゞ」はなかなか風情ある観光列車であるが、私が訪問したのは8月。冷房が効いているとはいえとにかく暑い!だが素敵な水面を見ているとそんな暑さも吹き飛んでしまうような感じであったが幡生に到着する時間帯となってしまった。山陽本線に乗り換えて新下関から新幹線で帰京する予定だ。しかしこの幡生で乗り換え新下関で新幹線乗るという行程。渋い!渋すぎるではないか!なかなかマニアックな乗換であるが、レスラーに例えると「木戸修」的な感じか。はたまた「渕正信」かもしれない。そんな新幹線を更に新大阪で小田原に止まる「ひかり」に乗り換えるという手の込みよう。実にマニアックかつ効率的に計画し実行する事が出来た。

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(途中、こんな難読な駅にも寄る。特急に乗っていたらこんな発見はないが、この区間は特急が運転されなくなって久しくなってしまった。)

出だしのスタートは夜行高速バスでどうなる事かと思ったが、最終的には元の行程で旅をすることが出来た。と言っても美祢線が出発3日前で予定変更になるなど現地、そして計画段階においてもハプニングの連続であった。しかしながら良くこの旅を決行したと今になって思う。と言うのも、私の過去の旅は「計画通り」みたいな感じで型にハマっていいなければ気が済まないような旅をしなければ最終的に気が済まなかった。が、私も大人になりものの見方みたいなものが少しずつ変化してきた。今までは前からしか物の見方が出来なかったが、現在では横とか斜めからも見れるようになった。つまり足を地べたに着きながら歩いているのが良くわかるようになってきた。もちろんそれは完全ではないし完ぺきではないであろう。

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(変な話、こちらの駅名も難読であろう。山陰本線の戸籍上の終点駅である「はたぶ」。本線同士が交わるため構内配線は複雑だ。)

しかし、だからこそこういったハプニングを楽しむという事に「気付いた」と言ったらおかしいが、やはり旅も音楽と一緒で「ライブ」と同じだと思う。やはり「生もの」であるからどこでハプニングがあるかわからない。しかしそれをハプニングと思わないで逆に楽しむ姿勢になれた事は素晴らしい。つまり柔軟性が出てきたのかも知れない。ハプニングがあってもすぐさま柔軟に対応できる・・・これは素晴らしい事だ。計画が崩れたなら崩れたなりに・・・これは空想の時刻表のみでしている旅ではできない事だ。ブログをご覧の皆様にしてみたら実に些細な事かも知れないが、私にとってみたら実に大きな変化であった。もちろん約23年位の鉄道に対するブランクがあったが、もしかしたらそのブランクがあったからこそこういうものの見方ができるようになったのかも知れない。

レールファンが鉄道から離れて鉄道を見る・・・するとレールファンではないものの見方で鉄道を見ることによって、つまり別の角度から鉄道を見ることによってその旨趣も全く別の違った発想が出てくる。計画が崩れたら崩れたなりに・・・それは「大人になったから」とかとは違う、別の意味での「楽しみ方」が分かって来たのかも知れない気がする。もちろん現在はレールファンを復活しているが、そのブランクの中で吸収したものは実に大きい。あるレスラーは「1+1は2じゃないぞ。オレたちは1+1で200だ。10倍だぞ10倍!」と言ったような「語録」を残しているが(計算違うぞという突込みは各方面から当然!)、まさにそんな物の見方ができるようになったのであろう。

旅と共に自身が成長する・・・絶対に衰退はしないであろう。特に今回の旅はいろいろ神に試された気がする。そう、旅は絶対に楽しくなければならない。そんな事に気付かされた「西日本」は、全ての日程で晴れ渡り、夏らしく暑さだけが印象深い旅であった。



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あぁ・・・西日本・・・⑥

一畑電鉄を折り返し再び出雲市に戻ってきた私は山陰本線で更に西に向かう。この歳になって初めて見る大田市や浜田などの駅は実に新鮮であるが、やはり同じ本線と名乗ってはいるが山陽本線や東海道本線などの華やかさは見られず、やや地味な印象である。かつて宮脇氏が「偉大なるローカル線」と表現なさっていたように、景色的には完全に「偉大」で「ローカル」な風景であった。浜田は、あの大家族的人気番組のご当地であり、そしてかつては寝台特急「出雲」の終着駅でもあったが、現在は寝台特急の入線はない。そう考えると確かに「ローカル」ではあったが、現在は利用者も減り更に寂しさのようなものが追加されてしまったのかも知れない。

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(高架化され「初」となる出雲市駅の訪問。実に機能的な配線とシンプルな構造となった。昔の出雲市駅からは想像つかない。前章でも触れたが、高架化されて駅全体がやや後退した。イメージ的に札幌や高知のような感じか。)

山陰本線の旅は本当に「本線」を走っているとは思えぬ空間に誘われる。まるで「おとぎの国」にでも来たような錯覚を起こすが、やはりそのあたりが「偉大」なのかもしれない。
益田に到着すると山口線に乗り換えるのだが、実は当初の計画では長門市に向かい折り返し益田に戻ってくる予定であった。しかし例の「美祢線」の関係から予定を変更。山口線を往復する事によって美祢線をカバーする事にしたのだ。益田での宿泊先を新山口に変更して新たな旅が始まる。とは言え山口線の制覇はSLには乗れずに「ノーマル」。だが、普段の山口線に触れられむしろラッキーなのかもしれない。津和野などの観光地を通るが、普通列車での訪問者はそう多くないはず。実際に普段のローカルな風景を見られたのは収穫大。
途中の日原では国鉄時代には「岩日線」が分岐する予定であったが、周知の通り現在は錦川鉄道として第二の人生を送っている一方で未成線であった部分はレールこそないものの、別の意味で第二の人生を送っている。

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(益田からは山口線が分岐。構内の側線はかなり減ったがまだまだかつての印象を残す貴重な存在だ。)

そんな山口線であるが、SLが運転されている関係もありレトロな駅名表が目立つ。観光的な要素を持っているが、途中の山口を境に景色は一転する。ここで列車を乗り換え新山口に向かうが、一気に車内は満員御礼であった。私の予想通り普段の山口線の光景を目の当たりにしたのだ。当然終点の小郡までは同じ顔ぶれであろう。と言うより小郡、いや、新山口に近付くにつれ更に乗客が増えてきた。意外にも通勤客が乗車しており、さながら首都圏的な雰囲気を醸し出していた。山口~新山口は完全に都市間輸送の役割を果たしていて乗客の入れ替わりも多い。既に窓の外は真っ暗であったが、車窓に映るネオンがまぶしいくらいに煌めく。やはり山口県の中心部だけあってにぎやかだ。

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(「ぐっさん」こと山口線を代表する駅である津和野。観光駅としてその地位は高い。再訪の際に下車して街を散策したがなかなか風情のある街であることは周知の通り。だが鉄道少年(中年?)には全く持って関係ない!)

そして終点の新山口であるが、小郡時代を含め駅の外に出るのは初めての事。もちろん乗換などでは下車しているが、その時よりもかなり駅前が賑やかになっていた印象だ。そんな新山口で急遽手配した宿(と言ってもお馴染みのビジネスホテルであるが)で一晩過ごし、翌朝再び山口線で益田を目指した。昨日暗くて見えなかった山口までは陸続きならぬ市街地続きのような景色がしっかりと見れた。やはり県の中心部。しっかりと賑やかな景色を見せてくれたが、途中「湯田温泉」がある。後年に訪問しているが、若干湯田温泉駅から離れてはいるものの、アクセス駅としては合格であろう。
山口で益田行きに乗り換える。もちろん車内の雰囲気は一転。完全に座席を選べるくらいの乗車率であった。
津和野を過ぎ益田に戻てきた私は再び山陰本線で今度は長門市に向かう。実は今回の旅で一番楽しみにしていた区間だ。何が楽しみかって?それは・・・

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(もう一回津和野より。週末にはSLがやってくるのは一般的にも知られている事象である。2012年にはSLにも乗車した。)


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あぁ・・・西日本・・・⑤

江津というなんとも地味な場所を宿泊地に選んだ私だが、実際問題なかなか風情があって良い街だ。私が泊まったのは風情ある民宿で意外にレールファンには知られているようだ。共同浴場はシーズンオフにつき独占させていただいたが、出発時間が朝早かったので素泊まりだったのが残念であった。

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(朝一番の江津駅。初めて見る景色は新鮮であった。宿泊した民宿も素晴らしかったし再びこの地に訪問したい思いだ。とは言え逆光であったのが残念であったが・・・)

さて、私の旅は江津より一畑電鉄を目指すため出雲市へ向かう。山陰本線も出雲市~幡生は未乗区間のためこちらもついでに制覇の対象だ。初めて見る西出雲は大きな留置線が広がっており、1982年電化の際には知井宮と呼ばれていたが、いつの間にか改称されていた。そして久々の出雲市駅の訪問は電化直後の訪問以来なので約28年振り(当時)であった。当時はまだ地上駅であったが今回の訪問では高架駅になりスリムに変身していた。駅前もすっきりして以前よりやや後退した感があるが、一畑電鉄も高架化されていた。JRの改札を出て若干徒歩を要するが、とてもかつての一畑電鉄の駅とは思えぬ変貌ぶりだ。

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(新しく生まれ変わった一畑電車の出雲市駅。と言うよりJRも高架化されて駅全体がやや後退した印象であった。1982年以来の訪問であったので高架化された出雲市駅は「初」であった。)

立派になった出雲市より車両も新しくなった列車で出雲大社、そして松江宍道湖温泉へと向かう。一畑カラーに染まった「ズームカー」は、同じく同線を走る元京王と共に一畑を支えている。川跡で出雲大社方面へ寄り道するため乗り換える。出雲大社と言えば最近は「婚姻」なる話題のスポットであるが、以前は国鉄~JRも競合していた。現在も大社駅は「重要文化財」として国の管理下に置かれしっかりと保存されている。その模様はこちらで紹介しているが、とにかく真夏の訪問は何かと応えた。だが実は、私は現役時代に訪問出来なかった。もちろん出雲市には訪問してはいたが行程が組めなかったのであろう。次回にと後回しにしている間に遂になくなってしまった。だが、こうして今も伝説の駅が残っているだけでもうれしい。しかも現役当時とほぼ変わらぬ佇まい。しかし一畑に乗ってJRに訪問するのも複雑であるが・・・

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(川跡で出雲大社方面に乗り換える。以前はJRにも大社線が存在し出雲大社へのアクセス機能を果たしていたが・・・現在モータリゼーションの影響もあるが、出雲大社から1km以上も離れているので徒歩で行くにはやや距離があるのも関係しているであろう。

川跡に戻り本線を制覇していくが、途中の一畑口はスイッチバックの構造となっており全列車が方向転換する。不思議な構造となっているのは歴史の紐を解くと解決するが、平坦にあるスイッチバック駅は珍しい存在であろう。
そして終点の松江宍道湖温泉に着くが、とにかく暑い!暑いのは分かっているが、改札を出ると足湯を発見。抜かりなく妻に「試入浴」させたがとても駅前とは思えぬ完成度であった。
宍道湖と言えば温泉と共に「しじみ」の産地としても知られ、実に健康的な気分になった。特に私は「ガンマGTP」がかなりの高数値の為、今回の旅では非常に重要なポイントになったのかも知れない。しかし現地で販売しているしじみ関連のグッズには背を向け、ひたすら一畑の写真を収める事となってしまった・・・これでは更に不健康な体を加速させてしまうではないか。と言うよりも普段から自身の不摂生さを直せばいいだけの事であるが・・・



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あぁ・・・西日本・・・④

新見から芸備線で備後落合にやって来た。備後落合と言えばレールファンの間ではもうお馴染みであろう。山間の更に山深いジャンクションで「秘境駅」としても名高い。しかしながら接続駅でありながら秘境駅とは、何とも不思議な感がある。現在は「無人くん」となってしまったが、かつて駅員がいたころは「おでんそば」がホームで味わえたらしい。私の初訪した1982年3月は、駅員はいたが「おでんそば」の軒先に暖簾はかかっていなかった。

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(備後庄原で小休止。備後落合~三次間への訪問は今回が初。備後庄原は備後西城と共にこの区間の中心的存在。だが近年では高速バスが完全に優位に立っている。)

さて、備後落合から三次へ向かうがこの区間は初となる。新見~備後落合よりも更に拍車がかかったように山深く、そして「CTC」による無人化によりいっそうの寂しさが増した感だ。この区間では備後庄原と備後西条が主要駅となるが、現在の利用者は二桁の前半だ。下手したら一桁の時もあるだろう。過疎化はもちろんだがこの辺りは完全に車社会だ。鉄道の存在は既に無いに等しいくらいに申し訳なさそうに山間を走る。乗客は乗り換え客含め顔ぶれが全く変わらないため完全に「18」を利用した「同業者」がほぼ97%位を占めているであろう。

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(今回で2度目となる三次。前回は福塩線でやってきて広島方面へ向かった。今回はここで三江線に乗り換える。三江線の訪問は運転本数が制限されている事から綿密な事前計画が必要だ。)

塩町では福塩線と合流しやがて三次に到着する。久々に「文明」を見た感じがした。ここより三江線に乗り本日の宿となる江津を目指す予定だ。小一時間の待ち合わせがあったため付近のスーパーへ今夜の食糧を調達しに向かった。だが暑い・・・盆地特有の暑さが容赦なく襲う。スーパーのクーラーに救われた思いだ。
三次駅に戻り再び列車に乗る三江線の車両は当然一両。この三江線の乗車については以前にこのブログでも紹介しているのでそちらの方も是非「参考」にしていただきたい。
浜原では乗り換えが発生するが、浜原~口羽間は三江線の中でも一番新しい区間で1975年の開通である。それまでは「三江北線」「三江南線」とそれぞれ別の路線を名乗っていた。現在で言う「越美北線」「越美南線(現・長良川鉄道)」のイメージか。

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(浜原は三江線の中でも運用の面では中心的存在。「運用の面」ではそうであるが利用者は僅少であるのは昔から変わらない。)

江の川に寄り添うように列車に揺られていくが、何せ三次を出たのが夕方5時頃だ。陽は時間がたつにつれどんどんと山陰に隠れてしまう。気が付いたら三江線特有の景色が全く見えなくなり、ハッキリ言って乗車の意味が無くなってしまった・・・選択する列車を間違えたか・・・とはいうものの、やはり三江線はいい!同業者の姿もほとんどなく、ほぼ車両を独占しての旅はなんとなく優雅。確かに江津までの道のりは長かったが、たっぷり4時間かかる「陰陽連絡」は、現代社会において全く時が止まったような空間であった。


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あぁ・・・西日本・・・③

そういえば紹介するのを忘れていたが、今回の西日本制覇の旅に関する切符・・・西日本の山陰・山陽地区を全てカバーできるフリー切符は現在無い。かつては「ワイド」が存在したが、恐らく一般的ではなかったのであろう。レールファンには重宝する切符であったが・・・
と言う事でもうお判りであろう。現在の西日本山陰・山陽地区を全てカバーできる切符を・・・そう、「♪夢の中に出てきた~あなたはとても素敵~」でお馴染みの「エイティーン」である(かなり古くマニアックな引用であるが・・・でもわかる人にはわかると思う。そう「永遠のアイドル」だから!)。飽きもせず、御年40にもなって「エイティーン」を使うとは!お陰で乗る事の出来る列車が制限されてしまうではないか・・・
だが仕方がない。山陰・山陽をカバーできる唯一のきっぷであるから。

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(津山の訪問は1984年8月以来。久々の訪問となったが当時とほとんど変化は無かった。懐かしい風景が今でも残っているのはうれしい。)

さて、岡山より津山線に急遽乗る事になったが、実は1984年の訪問以来26年振り(当時)であった!こんな形で津山線に乗るとは思わなかったが、ハッキリ言ってそれほど津山線の記憶も無く初めて乗車する感覚でもあった。つい最近まで急行列車が設定されていたが、実際問題この急行列車は快速列車とほとんど区別がつかず、別料金を支払うのが不思議なくらいの浮いた存在であった。

私の乗った列車は各駅停車であったが、やはりローカルな風景は今も昔も変わらない。津山までのんびりした時間が流れていった。夜行高速バスの事などすっかり忘れていた私だが、更に26年振りに訪問する津山もまた格別だ。昔と変わらないではないか!まだまだこの付近には「昭和」「国鉄」が健在だ。と同時に当初の計画に戻りここからが本当のスタートのなった。
さて、津山から姫新線に乗車するのだが、私が一番待ち望んでいたのは中国勝山である。姫新線の主要駅である事は周知の通りであるが、それより私が気になっていたのは、かつて倉吉から出ていた倉吉線が計画だとここ中国勝山まで延伸が予定されていた事だ。もちろん未成線の為痕跡はない。倉吉からは山守までで途切れていた倉吉線は以前に私が訪問した1984年の翌年に廃止されてしまったが、仮に中国勝山まで到達していたとしても同じ運命を辿っていたであろう。

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(新見も1982年8月以来の訪問となった。こちらも当時とほとんど変わっていなかった。新見には伯備線の電化直前と直後に訪問しているが、今ではすっかり「電車」が定着した感がある。)

そんな中国勝山を過ぎ久々の新見に到着。こちらも1982年以来の訪問で懐かしい。駅前は意外にひっそりとしており特急停車駅という雰囲気は薄く、なんだか時が停まったような錯覚を起こすくらいだ。駅前は一応それなりの街を形成している。昼時だし、とりあえず駅前の飲食店で用を済ませ更に芸備線で広島方面を目指す事に。新見~備後落合間は1982年に訪問しているので、と言うよりそれ以来の為懐かしい。ほとんど変わっていない・・・と言いたいが、以前の訪問時よりも列車交換設備を持つ駅が激減していた!そう、島式ホームや相対式ホームの片側のレールがはがされていたり錆びついていたり・・・列車本数の激減により必要なくなってしまったのであろう。それもそのはず、芸備線は中国自動車道と全く平行しており高速バスの方が断然有利だ。1983年にCTC化され無人駅が一気に増えたが、近年では更に拍車がかかったのごとく一気に寂れていった。

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(レールファンにはおなじみの備後落合。こちらも1982年3月以来の訪問となった。全くと言っていいほど雰囲気は変わっていなかったが、最大の変化はCTC化による「無人化」であろうか。前回の訪問時は駅員がいて「あの丘に行けば駅の全景が撮影できるよ」と教えてくれた。)

変わり果てた陰陽連絡・・・既にその地位を道路に譲った今、いったいどのようにこの現実を受け止めたらよいのであろうか・・・かつて北海道や北九州等の「赤字ローカル線」と言われた鉄道路線の多くが廃止されたが、現在のJR西日本はこうしたローカル線を多く抱えており、かつての「赤字ローカル線」と呼ばれた水準かそれ以下位にまで輸送量が落ち込んだものも少なくない。もしかしたら西日本も将来的にあの北海道のような「空白地帯」が出来上がってしまうのであろうか・・・



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あぁ・・・西日本・・・②

出発時間になってもバスが走らない・・・旅の門出からとんでもないことになってしまった。なんとタイヤがパンクして修理に1時間以上かかるとの事であった!急遽「サンライズ」に変更しようと横浜駅に行くことも考えたが、もうこうなったら「なるようになる!」と自分に言い聞かせ出発を只管待つことにした。

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(画像はウィキペディアより。新神戸駅は六甲山の麓にあるが、地形の制約により通過線が無い。現在、全列車が停車するのは飛行機への対抗策だ。)

結局1時間40分の遅れでのスタートとなってしまった。姫路からは姫新線に乗る予定であったが恐らく出発時間には間に合わないであろう。しかしハプニングとはいえ駅でパンクとは・・・しっかりとメンテナンスをしているのかと疑う場面でもあったが、走行中での出来事でなかっただけでもラッキーと捉える他ない。2時間遅れより料金の返金などが発生するが、返金云々よりも定刻とは言わないが、それに近い形で運行してほしかった。後日この会社にクレームのメールを入れたが、簡単に謝罪のメールで済まされてしまった。「もう夜行高速バスは使わない!」と言うような気持ちになってしまったが・・・今後私が夜行高速バスを利用する事は無いであろう。ただ、名誉の為にも夜行高速バスを非難しているのではなく、あくまで私がそれを選択してしまった事を悔やんでいるのだ。そのあたりをご理解いただきたい。

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(2007年にての岡山駅に停車中のご存じ100系。現在は既に退いているが、0系に次ぐ次世代車両として活躍した。)

さて、遅れた時間を取り戻すと思いきや、全くその遅れた時間のままスライドしていたため明るくなった時間帯より時刻表とニラメッコ。結局姫路に向かう事を断念し、三宮で途中下車する事にした。そう、新幹線に乗るためだ。この時点で完全に姫新線制覇を捨てた事になってしまうが、暗い気持ちで旅をしてもいい旅にはならない。逆にこのハプニングを楽しんでしまおうと気持ちを入れ替えて三宮から地下鉄で新神戸に向かう事にした。もちろん新神戸から新幹線に乗車するのは初体験。なんだか逆に新鮮だ。新幹線開業当初は新神戸と言えば「こだま」しか停車せず(と言うより各停パターンの「ひかり」は停車したと思ったが)完全なる「ローカル駅」であったが、現在は飛行機との競争から全列車が停車する駅に昇格。とはいうものの、六甲山をバックにすごい立地条件の駅のため実にスリリングな駅である。だが、地下鉄が乗り入れるようになりかなり使い勝手が良くなったことであろう。ホームから望む神戸の街並みも夜景が素敵であろう事がうかがえるが、私が来た時間は朝7時頃であった。

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(本来ならこの計画で制覇予定であった姫新線。夜行バス絡みでこの旅では制覇できなかったのは残念であった。もちろん別の機会に制覇しているが、夜行高速バスで経済負担を減らす予定が結果的に新幹線を利用するようになりトントンになってしまった・・・)

気を取り直して(と言うよりもう完全に正常に戻っているが)新幹線で岡山を目指した。完全に姫新線(の姫路~津山間)を捨て津山線で津山に向かい、途中から姫新線に合流する計画に変更した。新幹線はもちろん自由席への参戦となったが、朝の時間帯のためかビジネス客で殆ど埋め尽くされており、我々の着席の余地が無い!完全に新幹線はビジネスとして定着している感を見せつけられた感じであった。が、こちらは観光。ビジネス客の中においては若干「異色の存在」となってしまったが・・・私は着席できずにデッキでひとり佇んでいた。

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(津山駅で姫新線に乗り換える。姫新線の前半戦は次回になってしまったが後半戦だけでも制覇できてホッとした。)

新幹線のデッキで今後の予定を考えるが、とりあえず津山線で津山に向かえば当初の計画に戻す事が出来る。と言うより、こうしたハプニングにすぐさま対応できる男・・・私は自身の成長にいささか「どや顔」になってしまった。とは言え姫新線の一部が未制覇になってしまった事には変わりない。が、過去は振り返らない。姫新線の一部はまた来ればいい事だ。そう思うとなんだかこうしたハプニングが楽しくなってきた。そんな私を乗せた新幹線は岡山にさらりと滑り込んだ。



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あぁ・・・西日本・・・①

某流浪の番組「誰が言ったか知らないが、確かに聞こえる・・・」のコーナーでプリンスの「ピーチ」と言う曲の一部で「あぁ・・・西日本・・・」と聞こえるところがあると放送していた。このコーナーでは「外国の歌が日本語に聞こえる」と言う趣旨の元に放送されているが、既にこのコーナーが始まってから20年位経っているであろう。タモリ倶楽部自体も30年以上放送されているらしく、まさに「長寿」であるのは素晴らしい。

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(画像はウィキペディアよりのイメージ。夜行高速バスは現代にとって夜間を代表する移動手段である。しかしながら私は最終的に馴染めず、やはり列車の方がいいと改めて思い知らされた。しかし決してバスを批判しているのでなく、あくまで「好み」の問題であろうと強調しておく。)

と、全く関係ない事柄からのスタートとなってしまったが、2010年8月、私は西日本の鉄道路線全線制覇を企てた。既に制覇している路線を含め、今回の旅で西日本は「完全制覇」となる予定であったが・・・直前に美祢線が水害で不通となってしまった。この情報を受けてから、出発まで既に3日を切っており予定を白紙に戻すのは困難なため急きょ美祢線を外すべく予定を組みなおした。宿泊先はビジネスホテルの為PCの操作ひとつで変更できるが、列車の乗り継ぎはなかなか頭を使う。結局必要最低限の組み替えで美祢線を外す事が出来たが、この美祢線を訪問できないことが最大の「残念」であった。が仕方がない。気持ちを入れ替えて「流浪の」旅に出ることにした。

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(こちらもバスの画像であるが、今回の旅で人生初めて巡りあった「代行バス」。長門市駅前よりの「美祢線」の当時の姿である。)

今回の旅は経費を必要最低限に抑えるために「夜行高速バス」を初めて使う事にした。当初は「サンライズ」で姫路に向かう予定であったが、私はいつも旅に出る時に必ず何かひとつでも新しい試みをするのをテーマとしている。それがこの「夜行高速バス」であった。だが、この選択がアダになろうとは・・・

と言う事で私は相鉄に乗り横浜駅に着いた。そして西口よりバス乗り場に向かう。横浜駅西口と言えば、今私が乗って来た相鉄が開発した土地である。相鉄はこの横浜駅西口と沿線の開発によって現在の姿があるといっても過言ではない存在だ。それまでは本当に田園地帯を走る「ローカル線」の佇まいであったが私はまだ生まれていないのでその風景は知らない。しかしその風景は昭和30年代まであったとの事であるから本当に近年まではそうした「ローカル私鉄」の風景が味わえたのであろう。つまり逆に言えば本当にここ最近という表現はオーバーであるが、近年に急激に「右肩上がり」した鉄道会社である。もちろん首都圏の私鉄各線も同じような道を歩んできているが、最近になっては既に開発し尽くした感があり、既に折り返し地点を過ぎたと言っても過言ではない状況でもある。

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(世界遺産に登録され一躍国際的になった。正直言って「国際化」に対応し切れたいない部分があるが、それこそ本当の「遺産」の様に思える気がする。)

と、西日本の話題をテーマとしている今回の記事にかなりのスペースを割いてしまったが、我地元・神奈川の「首都」のため若干思い入れも多い。そんな西口からのスタートであるが、今回は夜行高速バスでの出発だ。本来予定であった「サンライズ」に比べると格段に料金が安いのだが・・・初めて乗る夜行高速バスにやられてしまった。到着が若干遅れ少々の不安が胸を過ぎったが、その予感が見事に的中する事になってしまった・・・


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熊に逢ったらどうするか⑪ 川上

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国鉄時代の言い方で表現すると「池北線」にあったこの駅は、某秘境駅訪問家も熱心に記事を寄せている。特に「極寒体験」などは完全に彼の個性的感性で、レールファンの感性からは完全に外れ「別世界」であろう。旧・川上駅というと素敵な木造駅舎があるのは周知の事実であった。しかし・・・私の訪問した2014年6月には事情が変わっていた。なんと、旧・川上駅は完全に更地となっていたのだ!あの素敵な木造駅舎は完全に「伝説」となってしまった。

私は訪問前からの事前調査で国道沿いにある事は知っていた。そのため並走する道路からは駅舎をイメージしてれば比較的見つけやすいであろうと考えていた。どころが・・・危うく通りすぎてしまうところであった。 私の場合は「野生の勘」が働いて何とか気づいたが、なかなか見つけるのは困難な状況であった。
私の場合、代行して走る路線バスの停留所を確認しながら運転していたため「川上」のバス停をみつけた時に絶対に付近に旧・鉄道駅があると確信。そして確認に結びついたわけだが・・・肝心の駅舎が存在しなかった。
周囲は完全に人の気配は無い。時折、高速道路建設関係と思われるダンプが横切るが、はっきり言って車の通りがほとんど無い。国鉄時代から乗降客は多いとは言えなかったが、晩年は完全にゼロに近い状態を維持していたのであろう。

とは言え、現在は陸別駅の「りくべつ鉄道」が好評であり、ここ川上まで延長計画があると聞いた。そうすると、つまり「復活」ということになる!これは実に素晴らしい。という事は隣の「分線」も復活か?と思われるが、分線は見つけることができなかった。後のリサーチだと既にホームなどは撤去されているとの事。バス停は存在したが、付近を散策していると農業関係の方がずっとこちらを警戒していたような感じであった。特に悪いことをしていた訳ではないのだが、やはり私のような行動をする人物は「要注意」となってしまったのか・・・結局草木に覆われたレール跡はかつての勇姿を見せてくれなかった。が、しかし!付近には「りくべつ鉄道」の駅「百恋駅」なる乗降場が姿を現した。全く予備知識の無かった私は非常に驚いたが、イベントなども行われ僅かな区間ながら池北線が復活しているようだ。

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国道の上下線に設置された川上停留所。そして旧・ふるさと銀河線もこの辺りにあったはずであるが・・・


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と思ったら何やら更地に入っていく道路が!ここが旧・川上駅であったと確信。周辺は全く人の気配無し・・・


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もう完璧にここが旧・川上駅であろう。あの木造駅舎を確認してみたかったが、残念ながらご覧の通り。


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かつてのホームは自然の一部になろうとしていたが、微かに現役時代を確認できる。レールは既に撤去済であったが「りくべつ鉄道」の延伸があるとかつて聞いた事がある。果たして・・・


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かつての駅名標はご覧の通り。そして待合室?と思われる小屋が存在感際立つ。


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そして分線駅があったと思われる場所に移動した。ハッキリ言って全くその場所が確認できなかったが、多分この辺りであったろう。国道沿いにある看板付近を歩いていたら、農業関係者が私の方を遠方からずっと眺めていて警戒されてしまった。どうやら私のような「よそ者」は不審者に映るのであろうか・・・


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しかしながら、やはり痛々しい姿になっている。「りくべつ鉄道」は川上までの延伸は期待できないのか?


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分線を後にし、更に進むと「百恋駅」が待っていた。訪問時には全く予備知識が無かったため正直たまげた。川上寄り(一番下の写真)は更に北に向かいレールが伸びていたが・・・


この後私は旧・陸別駅に向った。こちらの方は予備知識が豊富であるため事情も知っている。正直言って現役時代よりも活気があるように思えたが、それより何より川上駅の駅舎がなくなっていたのは寂しい。というより、現役時代に訪問してみたかったという気持ちが今更になって湧いてきてしまった。しかしこうして廃線跡を辿っていると、現役時代はさぞかし地元の方々に愛されていたのだなという確認が出来た。とは言え、やはり自然豊かな沿線風景を眺めていると、とても鉄道としての「銭儲け」とは程遠い、遥か彼方の風景であろう。勿論、それは現在の「代行バス」にも言える事であるが、最近、内閣の人事も変わり総理は「地方の活性化」を訴えているが、総理はこの川上駅を見てなんと言うであろうか?



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熊に逢ったらどうするか⑩ 士幌

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(画像は「プラットホームの旅」よりご提供いただいた現役時代の士幌駅駅名標。)

士幌線と言えば真っ先に末端区間を思い出させるが、こちらの「本体」も忘れてはならない。士幌と言えば「馬鈴薯」で有名であり、東京近郊にはJA士幌が関東方面への出荷をバックアップするほどである。そんな町にもやはりかつては「ローカル線」の存在があった。
「道の駅ピア21しほろ」の近くにある士幌駅は「士幌交通公園」として現在も昔のままの姿で保存されている。かつてはJAへの引き込み線もあったと聞いているが、やはり帯広近郊だけあってそれなりに民家や商業施設も多く「暮らし」が見える。現役時代も上士幌くらいまではそれなりに輸送量があったのは肯ける材料であった。
今回の記事においては幌加に続いて私のブログと相互リンクさせていただいている「プラットホームの旅」の管理人様よりご協力をいただき貴重なお写真を提供していただいた。改めましてこの場で篤く御礼申し上げます。

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士幌駅の駅舎はやはりしっかり手入れがされていて保存状態もよく、もっと外部にアピールすれば素敵な「観光名所」となるであろうが、私個人としてはあまり観光名所になってもらうと治安的な問題などにより保存状態にも影響してきそうな気がするのでできればそっとしておいて欲しい気分だ。車掌室などの車両も保存されており往年の姿が甦るような雰囲気でもあるが、後日に紹介する旧・糠平駅跡の「上士幌鉄道資料館」ではその模様がしっかりと記録されていた。


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現役時代(上)と現在の士幌駅舎比較。現役時代の写真は「プラットホームの旅」より。下の現在の写真は勿論私自身が撮影したものであるが(2014年6月)、ご覧のとおりほとんど変わっていないのが嬉しい。


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もう何も言葉はいらないであろう。往年の姿がしっかりと甦っている。


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現役時代の駅名表が残るが、なぜか中士幌も。どうせなら「電力所前」とかも一緒に並べてもらいたかった。


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現役時代の上3枚の写真は「プラットホームの旅」より。下の現在の姿と比較してみよう。


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往年の姿がしっかりと受け継がれている。というよりそのままである。既にお気づきと思うが貨物列車が静態保存されている。これがなかなかの味が出ている。


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なぜに貨物列車か、それなりの意味が有るのであろう。勿論「馬鈴薯」を含む貨物輸送時代を彷彿させるようでもあるが・・・


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数多くある北海道の廃止路線の中で私はこの士幌線がひと際特異に感じていた。現役時代に訪問できなかったのは残念であったが、やはり末端区間の「先行廃止」がいっそ士幌線カラーを強く染めた事であろう。しかし代行バス区間ではない「本体」にも魅力は沢山あった。例えば「黒石平」と「電力所前」の関係や旧・糠平付近がダムに沈んだ事など、話題性はたっぷりであった。そんな士幌線のドラマを数多く見てきた我々であるが、廃止されてしまってからもこうしてこれほど存在感がある鉄道路線もそう多くはないであろう。起点の帯広は現在高架化されてかつて士幌線が使っていたホームは勿論、昔の面影すら全くなくなってしまった。

旅とは・・・有名な観光地や話題のグルメ旅も素晴らしいと思う。京都・奈良など歴史的な文化財などを巡る旅も良いであろう。しかし私は全くそういう事に興味はない。「全く」とは大げさかも知れないがハッキリ言って「士幌線」と触れ合っている方が100万倍楽しい。士幌線に対して「楽しい」とは失礼かも知れないが、これこそ私の「旅」であることを再発見させてくれた、そして教えてくれた・・・そんな士幌線は今もこうして活きていた。


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熊に逢ったらどうするか⑨ 足寄

今回の「熊シリーズ」の旅で計画段階では訪問予定はなかったが、旧・池北線から士幌線方面へ抜ける際にちょうど通り道のため出発直前になって訪問することにしたここ旧・足寄駅。ふるさと銀河線の主要駅であることは言うまでもない。鉄道としての「駅」は既に終了しているが、現在は道の駅「あしょろ銀河ホール21」として第二の人生を送っている。もちろんレールファンでなくても周知の事実であろうが、ここはご存知、あのシンガーソングライター「松山千春」の出身地でもあるのは周知の通り。もちろん地元では「スーパースター」的存在であり、この道の駅もどちらかというと「松山千春ミュージアム」的カラーのイメージが強い。旧・駅舎の入口を入ると早速「千春」がお出迎え。施設奥にはかつての駅名標と列車やホームのモニュメント的なものがあるが、なんといっても「千春」の歴代レコードなどの展示の方が際立っている。そして千春グッズの販売は勿論、ヒット曲「大空と大地の中で」が四六時中流れていれファンでなくても何だか楽しくなってくる。かつての千春をご存知の方からすれば現在の姿は全く想像できないくらい「素敵なおじさま」のように変化したが、それこそあの御大「ジャイアント馬場」とは親友であったというのは実に素敵だ。

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(画像はウィキペディアより。旧・足寄駅の駅舎であるが、自伝映画「旅立ち~足寄より~」に出てくる上利別駅と雰囲気がそっくり。いい味が出ているではないか!ってこっちが「本家」だが・・・)

と、結局私のコメントも「千春カラー」に染まってしまったが、バス乗場の建物はかつての「足寄駅」を復元しお土産売り場や待合室的な感じで開放している。とは言うものの、実はその写真を私は撮り逃してしまった!すっかり忘れていたというか新しい方の駅舎の撮影に気を取られていたのもあるが、どうやら完全に「千春」にやられてしまったようだ。
既に鉄道施設や設備は無く完全な道の駅として駐車場やバス乗り場になってしまっているが、その空間を確認するだけでも「かつての証」がイメージできると思う。


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「道の駅」の前にある交差点の信号機の名前は現在もご覧のとおり。やはりこの場所は足寄の人にとっては特別な存在なのであろうか。


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立派な建物は鉄道の駅では無くなってもしっかりと道の駅として機能している。入口が二つあるが、そのうちのひとつは「足寄駅」の表示が。


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勿論私は「足寄駅」の方から入場。すると「スーパースター」がお出迎えだ!千春氏が持っているのは足寄名物の「ラワンブキ(螺湾蕗)」である。足寄町では現在イチオシの名物かも知れない。ちなみに「螺湾」であるが、足寄にある地区の名前で、それこそ白糠線が足寄までの延伸計画の中でここ螺湾に駅が計画されていた。そしてこの螺湾で更に分岐して阿寒湖を通り北見相生までの延伸も計画されていたのだ!


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施設の中にはバスの案内所も併設されている。完全に足寄の中心的機能を果たしている旧・足寄駅である。


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足寄駅に関する名残はこれくらいか。とはいえ、地元の足として機能していた「証」がしっかりと存在。


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当ブログは鉄道を主題としているためあまりスペースを取りたくなかったが、結果的に一番スペースを取ったであろう。特にコメントはしないのでごゆっくりお楽しみください。


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「物産館」なる別館も存在するが、うるさいくらいに「千春」が登場。


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そして今回、こんな所にも訪問した。付近にある「道の駅・足寄湖」であるが、こういう旅ができるのもレンタカーならでは。今回の旅ではかなり新しい発見があった。



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熊に逢ったらどうするか⑪ 中湧別

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2014年現在もこの駅名標が残っているとは!しかも保存状態が良い。

「熊に逢ったら~」と題しておきながら熊とはほとんど縁がない場所を紹介している部分もあるので少々お許しいただきたいが・・・この中湧別も熊事情についてはほぼ皆無と考えてよさそうだ。
というのも、周知の通りここは現在「道の駅」として活躍する一方「スーパー銭湯」的な役割もしており地域の憩いの場ともなっている。そんな憩いの場にある旧・中湧別駅であるが、現在も道の駅と一緒に「鉄道の駅」も残されている。勿論列車はやってこないが貨物列車などが静態保存されており、かつての盛栄が確認できるのが嬉しい。私はここ中湧別への訪問は現役時代にはとうとう果たせなかったが、計画段階では何度となく登場し頭を悩ませたものだ。というのも、ここから湧別までの支線が出ていたのだが、その列車設定は1日2往復!朝と晩しか列車がないため自然とこの駅の訪問がその時間帯になってしまう。その2往復の支線は勿論、本線も、そして分岐していた湧網線も今はない。四方八方に分岐していた時代が嘘のように現在の中湧別駅は地図上では鉄道路線の無い空白地帯になってしまった。
しかしながら現在もかなりかつての姿を留めており、廃線跡訪問ビギナーでも気軽に訪問できるので是非機会を作っていただくといいと思う。

そして今回も現役時代の写真を、相互リンクさせていただいている「プラットホームの旅」の管理人様よりご協力いただいた。この場を借りてお礼を申し上げます。

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この7枚は「プラットホームの旅」よりご協力いただいた。私からの説明は不要であろう。当時の国鉄の様子がしっかりと描かれている。

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そしてご存知、これが現在の姿。「かみゆうべつ温泉・チューリップの湯」という「駅名」に変化した。勿論鉄道ではなく道の駅。


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これで伝わるであろうか?現在の中湧別の姿である。かつてと比べてみても、例えば跨線橋などはほぼ当時のままの姿でいてくれるのが嬉しい。ちなみに下2枚は保存車両の中であるが、展示物がほとんどなく寂しい雰囲気であった。


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こちらは湧別へ向かう鉄路であった跡地。真っ直ぐに伸びる道路は途中に「四号線」という仮乗降場があり、一度は行ってみたいと思ったものだ。そして名寄本線と湧網線が左右に分かれていくのもここ、中湧別だ。ちなみに現在の湧別駅跡は郵便局になっていると聞いている。


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中湧別の探索を終え「次」に向かう際に中湧別を振り返ってみた。かなり広々とした空間であった。


この後湧網線方面を経由して北見に向かった。かなりの原型で駅が保存されていたのは嬉しかった。ただ、現役時代に列車で訪問できなかったのがかなりの心残りであった。1980年代、私は「いい旅チャレンジ20000km」に挑戦し全国を駆け巡っていた。この頃にレールファンを休業しなければ間違えなく現役時代に訪問していたことであろう。ただ、確かに現役時代にこの駅に限らず全国の「廃止路線」を始め多くの路線や駅について私は訪問できなかったことについて悔しい思いをしてはいるが後悔はない。そして現在もこうしてレールファンを再開しているがやや遠回りしたのかも知れない。しかしその遠回りした分いろいろな出来事や出会いがあったはずだ。もし遠回りしなかったとしたらその出会えるものや出来事にも出会えなかったかも知れない。そう考えると23年近くレールファンを休業していた「遠回り」も無駄ではなかったなと思う。そして現在、私のこのブログを、レールファンを始め多くの方々がご覧になって頂いていることは実に嬉しい事でもある。そんな思いで中湧別を振り返って眺めてみたら、なぜか私には中湧別駅が「青春の握り拳」をしているように思えた。それって「ムーンサルト」の前兆か・・・



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熊に逢ったら・・・「白滝シリーズ」④ 下白滝

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下白滝・・・なんとなく将来的に信号場になってしまいそうなこの駅は、某秘境駅訪問家はかなりの上位でこの駅を評価している。しかし実際に訪問してみると、私の感性では秘境度をほとんど感じない。駅前に牛舎があるのは有名処であるが、それ以外にも付近は農業が盛んに行われている様子がうかがえる。と言っても利用者は晩年の西寒川駅の10分の1にも及ばないと思われるが、現在も定期客は存在しているようだ。
秘境度は感じないとは言うものの、緑あふれる平地の中にある下白滝は、首都圏在住の私にとってみれば心癒される空間に映る。

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国道から駅に繋がる雰囲気はお馴染みの光景。秘境駅として名高いが、私の感想はそれほど秘境度は感じなかったが、雰囲気的には秘境度満点である。


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ところどころ修繕はされているが恐らく開業当時からのものであろう。北国特有の気候から乗客を守ってきた「証」が感じ取れる。


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ご覧の通り、駅舎内は割に華奢であった。そして駅寝派には最適な「寝台」がセットされている。そして片隅には「駅ノート」が置いてあった。


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ホームに出てみた。ホームが上下線で互い違いに配置され有効長が長い。変な事を言うようだが、信号場になるには好条件であろう。しかし、やはり末永く「駅」としてこれからも営業して欲しい。


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ホームに繋がる通路は、途中で「バラスト」を挟む。そこまでして経費削減なのか・・・


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ホーム側から駅舎を見てみた。こちらからの外観の方が多くの「年輪」を読み取れるような気がする。


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一応「駅前一等地」の風景。あの「秘境駅訪問家」の話にも出てくるが、駅前の牛舎が印象的。そして反対側には人の気配のしない家屋が・・・


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さて・・・自然豊かな駅は今日も定期客のために営業する。白滝シリーズの10年後はどのようになっているのであろうか。冬季には更に異なった風景が待っていることであろう。



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王者の魂(後編)

やがて列車は沿線最大の「都市」、美祢に到着。私が説明するまでも無く、かつては貨物の拠点となっており構内も広い。ホームは1面2線あるが、現在は駅舎に接する1番線のみが使用されているらしく島式ホームは若干錆びついているような印象であった。そこそこの乗客があるのかと思っていたが・・・それは通学時間帯の数値マジックであって、昼間の利用はほぼ皆無に近いのか閑散としているホームには鳥のさえずりさえ聞こえる印象でもあった。
そして隣の南大嶺に近付くと、かつて分岐していた大嶺への支線がハッキリと確認できた。1997年の廃止であるからもう10年以上経つのに草も生えていないレールの無いバラストがハッキリと車窓右側から近付いてきた。完全にかつての鉄路とわかる砂利道がは遙か西側に伸びていく・・・あぁ、いずれと言うより近いうちに必ずや訪問したい「物件」であった。

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(画像はウィキペディアより。在りし日の大嶺駅駅舎だが、美祢線の中で一番魅力的に見えたのは私だけであろうか。現役時代に訪問できなかったのが悔しい。)

その大嶺はとうとう現役時代に訪問する事は出来なかったが、かつては広い構内に側線を持ち「大嶺炭鉱」が栄えていた事を象徴するような側線の数々が敷かれていたが、晩年は完全に棒線化され単行が往復する「典型」となってしまった。「炭鉱」から「単行」へ・・・
そんな大嶺支線(と言うよりかつてはこちらが本線)を分岐する南大嶺もかつては2面3線のホームを所有していたが、大嶺支線への分岐が無くなりかなり構内の様子が変わった。現在は島式ホーム一面の片側とかつての大嶺支線へのホームがやや島式ホーム側に広げられ2面2線の状態で使用している。

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(こちらの画像もウィキペディアより、南大嶺駅の配線図である。かつての大嶺支線の部分が撤去され若干改良されてしまった。実質島式ホーム1本でも機能するであろうが・・・)

美祢以降、厚狭までは駅配線の有効長が長く、長い貨物列車の編成に対応した設計となっているが、現在は「無用の長物」となってしまい若干持て余し気味である。が、この美祢線最大の魅力は何と言っても「駅舎」にある。恐らく開業当時からあるものと思われる木造の駅舎などが現存し、駅舎をこよなく愛するレールファンにとってはとても気になる路線であろう。特に先ほど紹介した長門湯本や廃止されてしまった大嶺などの駅舎はかなり魅力的に感じたのは私だけであろうか・・・
そしてなんといっても魅力なのが厚保~厚狭間にあった信号場である。U興産ピストン輸送時代は単線の美祢線には無くてはならない存在で、頻繁に列車交換が行われていた。もちろん「貨物」での出来事であることは言うまでもないが、現在はこれらの信号場は廃止、または使用停止になっており全く持って機能していない。と言うより激減した列車本数に対して無用の長物になってしまった・・・

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(現在の南大嶺。大嶺支線へのレールは完全に撤去され、その分ホームが拡張された。何とも複雑な光景であるが時刻表上では「幹線」に区分されているのは皆様にどう映るのであろうか。)

終点の厚狭に到着した。意外にも新幹線へのホームに急ぐ乗客が少なくない。新幹線の駅の中でも利用者数がワースト方面へ顔を出す厚狭駅であってもこうして利用者があるのはうれしいではないか。しかも美祢線でのアプローチなんて、なんだか素敵ではないか!美祢線も美祢線で地味ながらそんな役割をしっかりと果たしていた。
しかし、貨物の全盛期を知っている私にしてみれば、厚狭駅の錆びついたレールや使われなくなったホームを見るのは辛い。

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(「四朗ケ原」とは何とも情緒溢れる駅名であるが・・・なんとなく美祢線らしくない雰囲気。しかし駅舎は美祢線らしい雰囲気。)

先述したが、U興産は国鉄(当時)に貨物輸送料の半額を要求したが国鉄は要求に応える事は無かった。また、度重なるストライキや運賃値上げの結果、これがアダとなり現在の美祢線の姿になってしまうわけであるが・・・U興産とすれば企業として当然の要求であり、それに応えられなかった国鉄の大失態であろうと私は思う。国鉄はもっと企業努力をすべきであって、この美祢線の事ひとつとっても国鉄の当時の事情が分かるであろう。「半額」とはいかないまでもそれに限りなく近い形での料金提示は努力次第で恐らく何とかなったであろう。その努力も無しに結果、美祢線自体をも失いかけない事になっている事情を否定できない。とはいうものの、遅かれ早かれ現在の形になったであろう事も大体想像がつくのも正直なところか。「自社専用道路」と言うのもものすごい発想だし道路を作ったとしてもその資金を将来的に回収する事が計算できるのも素晴らしい。U興産の方がよっぽど企業努力をしているのが私の印象である。
美祢線とは、当時の国鉄事情がハッキリとした形で表れている路線であろう。普通に見たら路線風景や駅舎など数多くの魅力が満載された路線である。しかし、その美祢線を巡る数々のドラマを考えると複雑でならない。

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(美祢線の起点駅でもある厚狭。新幹線の乗換駅であるのが私にとってみれば不思議な感じだ。かつては「ブルトレ」の一部列車も停車していた。)

2012年10月に初めて訪れた美祢線は私の知っている美祢線では無かった。しかし初めて訪れる事によって美祢線の「今」を初めて知ることが出来た。とても明るい未来があるとは思えないが途轍もなく明るい過去もあった。
そんな事を考えながら山陽本線の車窓から遠ざかる厚狭駅のホームを見つめると、何事も無かったように現在の美祢線のみが進行している姿が寂しく小さくフェイドアウトしていった。



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王者の魂(前編)

若く新しいレールファンは美祢線の存在をどうとらえているのであろうか?時刻表の地図上では「幹線」に分類されているのが不思議で仕方ないであろう。もちろん、その件に関しては自身で調査し解決済であろう。しかしあくまで歴史上の出来事であって、自身の生まれていたリアルタイムでの経験が無いか薄いと思われるので「伝説」の感覚であろう。私も、例えば「源頼朝が鎌倉幕府を築いた」と言われても実際にリアルタイムで自身が存在していたわけではないので全く持って実感が無い。そのことが果たして本当なのか、文部省が作り上げた「フィクション」であるのかはわからない。であるが義務教育で頭に叩き込まれた以上「信じる」しかない。とはオーバーであるが、しかしながら美祢線の過去については私がリアルタイムで体験しているので保障する。「フィクション」ではなく、本当にモノホンである。しかしながらあの長閑な風景・・・とても幹線とは思えぬ「ローカル」らしいムードたっぷりな雰囲気は旅情を誘う。

800px-Ube_Kosan_Road_Funaki.jpg
(画像はウィキペディアより。U興産専用道路の風景。現在はトラックが「ピストン輸送」している。)

「U興産」と言う言葉にやたら反応するのは私と同世代か先輩であろう。かつては美祢線の美祢駅から宇部線の宇部港(貨物駅)まで石灰石を昼夜問わずピストン輸送していた。この石灰石輸送が主たる「お客様」で、いわば人間は全く持って頭数に入っていたかった。しかし社会情勢も変わり、U興産は当時、国鉄に貨物の輸送料金を半額にしてくれと要求してきた。しかし国鉄側の答えは「ノー」であった。また、以前から国鉄のストライキや運賃値上げなどで物資輸送の安定性が無く、U興産では自社の自動車専用道路を開通させ、そちらに貨物輸送をシフトしていった。つまり国鉄を使わなくても大丈夫な基盤を自ら作り上げたのだ。
やがて美祢線の最大の「お客様」もフェイドアウトしていき、主たるお客様が「人間」になった時に典型的なローカル風情を醸し出す事になってしまった・・・

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(長門湯本駅。片側のレールが剥がされ痛々しいが、何を隠そう「温泉」の最寄駅でもある。)

私は2012年に初訪している。「初訪」とはやや最近の出来事であるが、それまで訪問できなかった事が不思議なくらい最近の出来事であった。2010年頃に初訪を予定していたが、水害で不通になってしまい旅立つ3日くらい前に予定を変更。当時西日本では美祢線のみ制覇できず「孤島」と化していた。やがて不通区間も開通し、いよいよ制覇の時が訪れたのが2012年であった。
この時の旅は若干日程に余裕があったため観光色を前面に出した旅でもあった。秋芳洞で人並みの観光をした後、この旅のメインとなる美祢線を制覇するべく路線バスで長門市に着いた。最近はこの「路線バス」と言う言葉にやたら反応してしまう。と言うのも、某テレビ局で今や完全にシリーズ化された「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」が若干マイブームとなっており、いささか太川氏になった気分でもあった(決して蛭子ではない!)。
太川氏達のように行き当たりバッタリではなく、しっかりと事前にバスの時刻を調べてから長門市に向かったが、バスもしっかりと時刻通りに動いてくれていたのでこちらも非常にやりやすかった。長門市は以前にも訪問しているので事情は当然分かっている。バスは裏口にも寄ってくれるので私は裏口で下車。その裏口にある商業施設で暫く所用を済ませホームに向かった。

CIMG0651.jpg
(若干改良されているが素敵な駅舎は健在だ。いずれしっかり訪問してみたい。)

私を待っていた車両はJR西日本を代表する(?)DC車両であった。近年ではすっかり定着したロングシートでワンマンで単行である。それこそどの地方でも見られる典型的なローカルの姿だ。乗客は意外に多く、と言うよりロングシートが全て埋まってしまうほどのフルハウスであった。結論から言うと、終点の厚狭まで乗客の顔ぶれは99.7%くらい変化無かったので、ある意味「陰陽連絡」の役割を果たしている印象でもあった。

CIMG0654.jpg
(於福も「らしい」駅舎が健在。美祢線の駅舎は素晴らしい状態で現在も受け継がれている。いずれ一駅一駅下車してみたい。)

さて、私の乗せた列車は1両編成ながら「満員御礼」で南を目指す。早速沿線最大の観光地「長門湯本」に到着。なかなかいい感じの駅舎が待ち構えていたが、この駅を利用し温泉に向かう乗客はほぼ皆無であった。車窓からその華やかな温泉街の風景が拝められたが、駅からやや離れている事や列車本数などの制約から当然の結果かも知れない。同じ「湯本」を名乗る箱根の様にロマンスカーが来るわけでもなく、駅前にお土産やさんなどが沢山並んでいる・・・わけでもない。逆に列車での訪問は勇気いる事であろうか。そんな温泉街を後にして列車は更に南に向かった。


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プロフィール

ダイヤモンド☆トナカイ

Author:ダイヤモンド☆トナカイ
所在地:神奈川県湘南地区

〇2013年6月11日、北陸新幹線長野駅にてJR全線制覇いたしました(当時)。
国内の鉄道は、沖縄の「ゆいレール」を残し全線制覇しました。(とは言うものの、2015年3月の北陸新幹線延伸によりJR全線制覇は「ベルト返上」しました)

★ ブログ記事の「リメイク版」は、以前にホームページで紹介した旅日記をブログでリメイクしたものです。


◎ブログの登場人物

★ ダイナミック☆トナカイ
・・・中学時代の後輩で、2013年に約30年振りに再会を果たした。数多くの写真を提供していただいた「盟友」でもある。

★ おさる・・・かつて私がバンド活動をしていた時のメンバーで、鉄道復活のきっかけを作ってくれた人物。彼とは「秘境駅」を数回訪問した「親友」でもある。

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