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鉄道全線完全制覇の旅

昭和から平成へ・・・全線制覇の旅紀行!

ご報告

全く私事で申し訳ないが、昨日私の実父が他界した。ただこれだけなら私事であるが、実は遺影の選択の際に大変貴重な写真が出てきたので紹介しようと思いアップしてみた。

これは私が小学生の時に初めて乗車した寝台特急「富士」のものだが、1978年に当時最新式であった24系25形の車内である。この座席(寝台)で東京から西鹿児島(当時)まで24時間25分かけて旅をしたのは私の中で実に大きなウェートを占める思い出となっている。写真に写っているのは私の両親であるため若干見苦しい点はご了承頂きたいが、ハッキリ言ってこんな写真が残っているとは思わなかった。現在の24系25形の車内とは当然異なっているし、当時の懐かしい風景が蘇ってきた。今となっては体験できない実に貴重な経験であった「富士」の思い出は、このような旅を経験させてくれた親に感謝しなければならないかも知れない。というより、バックに映っているラジカセが実に時代を感じるが・・・

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まずは1枚目。まさか私のブログに両親が登場するとは思わなかったが、これが1978年に乗車した寝台特急「富士」の車内風景。ご覧の通り昼間なので「ヒルネ」の区間であろうから、当然九州に入ってからの撮影であろう。というより、母が実に若い!


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そしてもう一枚。昨日他界した父も収まっているが、ご覧のとおり最新式の寝台特急に乗車している。だが、果たしてその事がこの二人にはわかっているのかどうか・・・


そしてこの当時最新式であったものも現在は既に「過去のモノ」となってしまった。ちなみに、この旅にかかった費用は実に30万円にも及んだらしい。昭和53年の30万円てどんなものであろう。ちなみに当時の時刻表は、交通公社(現在のJTB)発行のものでなんと500円!つまり現在の半額以下ということになる。乗車券は、今は亡き「一般周遊券」を使用。という事は、指定観光地を2箇所以上巡るということになる。実際に、コースは指宿、熊本~天草、長崎辺りが訪問先となり、この中に「指定周遊地」が含まれていることであろう。もし、現在の私がタイムマシンに乗って当時の旅をするとしたら、乗車券とか、いわゆる基本的な事から当時の自分にアドバイスしていたであろう。だが、ある意味、そのアドバイスに従って「完成された」旅をするよりも、知識が無いなら無いなりな旅をする方が、逆に素敵な旅になるような気がする。そう、旅とはいかに自分が納得するかどうかだ。計画が崩れようが、傍から見たら「ダサい」計画であろうが、要は本人が納得すれば、それは最大の素敵な旅となる事であろう。たった2枚の写真であるが、今更ながらにそんな事を教えてくれた写真であった。
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長期連載覚悟!関西私鉄全線制覇の時③

翌日、爽やかな朝を迎え阿波座より地下鉄に乗りスタートする。と言いながら早速隣の本町で乗り換える。そう、大都会の乗りつぶしは非常に細かい乗り換えを要求される。いわば精神修行の場でもあり自分との戦いとなることであろう。紹介している旅は2日目のようだが、その前日に近鉄を制覇している。つまり今紹介しているのは3日目の行程になる。

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(阪急は私にとって未知の存在。2008年には京都方面の制覇に乗り出しているが、今回の訪問では大阪・神戸方面への制覇に乗り出した。どの車両を見ても全て同じに見えてしまうのは私だけか?)

本町より御堂筋線で梅田に向かい阪急に乗り換える。2008年以来の阪急であるが、独特のカラーは形式は違えど全て同じ車両に見えてしまうのは私だけであろうか?とは言え、阪急の車両はなんとなく愛嬌がある感じがして私は嫌いではない。そんな阪急で一気に神戸に向かった。正確に言うと「高速神戸」であるが、なんとなくインターチェンジと間違えそうな感じだ。そして隣の新開地まで移動。そう、この区間はいわゆる「神戸高速鉄道」と呼ばれる鉄道会社で、この会社はレールのみを所有し車両を所有していない不思議な組織だ。山陽電気鉄道、阪急、阪神、神戸電鉄などが出資して相互乗り入れ用に作った鉄道会社だ。神戸市なども出資しており、いわば「第三セクター」と呼んでも差し支えないであろう。だが、阪神阪急等と神戸電鉄はレールがつながっておらず、新開地で乗り換えとなる。とは言え、乗り換えには便利なように設計されていて非常に利用しやすい。こんな感覚は首都圏ではあまり味わえない感じだ。

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(なんともマジェスティックな駅名であろうか。私の好きな駅の部類だ。)

などと偉そうな事を言っているが、、新開地からなんと阪神の梅田に戻って来るという行程だ!なんてアホな事をしているのであろう。阪急の梅田から新開地を介して阪神の梅田に来るという・・・普通に乗りつぶしという旅の行程であるからこそできる業(わざ)であって、普通の一般にはこういった旅行程は存在しないであろう。たぶん私の「オリジナル」となるのか・・・と胸を張って皆様にお伝えする事でもないが・・・
新開地・・・なんとも素敵であり、アグレッシブでマジェスティックな駅名なのであろうか。とても印象深い駅であったが、次回訪問時は必ず下車してみたい・・・って、後に再びやってくるのだが・・・

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(阪神の梅田にて。私はこの旅において阪神初体験であった。実に関西らしい車両というべきか、なんとなく関東のそれとは異なる感覚がある。)

阪神梅田に着いた私は地下鉄の西梅田まで徒歩で向かった。梅田と西梅田・・・一見「別物」に見えるが、実はJR大阪駅に近隣する駅である。関係的に「御徒町」と「仲御徒町」くらいか・・・いや、もうちょっと近いイメージであった。「淡路町」と「馬喰横山」くらいか・・・いや「JR田町」と「都営三田」くらいであろう。なんだか余計に分かりづらい表現をしてしまったかも知れないが、なんとなくイメージして頂ければ幸いである。そんな西梅田から地下鉄四つ橋線で住之江公園に向かい新交通の南港ポートタウン線でコスモスクエアに向かった。そして更に地下鉄中央線に乗り換え一気に近鉄けいはんな線に乗り入れ学研登美ケ丘まで向かった。この日の制覇はほぼ地下鉄のためある程度は覚悟していたが、とりあえず前半戦はこんな感じで地上に居る時間がある程度あったため気持ち的にも余裕があった。というより、中央線では宿泊先の「阿波座」を通っているのでなんだか不思議な感じであった。

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(けいはんな線は地下鉄との相互乗り入れのため第三軌条集電方式を採用。近鉄としては異色の存在だ。)

登美ケ丘から生駒に戻ってきた私たちは時間的にも体力的にも「ハブ・ア・ブレイク」のタイミングになってしまったので改札を出ることにした。だが・・・先述したが「近鉄フリー」と「スルッと~」の2枚を持っている。改札を出るためにはどちらを出そうか・・・なんとも贅沢な悩みであったが、結局「スルッと~」を改札に見せて昼食を摂る事にした。駅前の立ち食いうどん・そば店で若干の空腹を満たした後、再び生駒の改札を抜ける・・・今度は「近鉄フリー」でやってみた!なんとも言えない優越感が私の心をよぎったが、これは完全に私の自己満足の世界であろう。2枚のフリー切符を操る私は、なんというか、「青春18」でも加えたら更に面白くなるであろう・・・みたいな事を頭に思い描きながら生駒駅の有人改札を「スルッと」近鉄フリー切符で通り過ぎていった。



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長期連載覚悟!関西私鉄全線制覇の時②

という事で・・・いよいよ関西私鉄全線制覇に乗り出したわけであるが、先述通り5日間の行程の中、2日間と3日目の一部を「近鉄バッファロースリーパー」で紹介している。という事でその続きからの紹介となるであろうが、若干「バッファロー~」とダブる部分もあるかもしれないので予めご了承の程を。

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(鶴橋から大阪難波へ向かう。余談だが・・・鶴橋といえば「アンミカ」の地元として知られている、ってこれ、意外と地味な情報か?)

さて、近鉄を制覇し、まずは鶴橋から大阪難波へ向かう。そして地下鉄千日前線で阿波座へ。先述通り、阿波座は「拠点」となっているため妻のみを宿に向かわせ、私は再び阿波座から「なんば」へ向かった。そして泉北高速鉄道制覇のためなかもずへ向かう。南海と泉北はレールが繋がっていて相互乗り入れをしているが、地下鉄とはレールがつながっていないためやたらと乗り換えの距離が長い!後に分かった事であるが、やはり南海と泉北を組み合わせれば良かったなとの後悔がこの時やってきた。しかも帰宅時間帯のため車両は混雑しているし・・・って、この時点で泉北高速鉄道の「旅」をしているのは私のみであろう。ひとりカメラを握り締め・・・って、完全に浮いた存在であり通報されてもおかしくない身の纏であろう。というより、通報されて取り調べを受けても「無実」を証明するのに説得は薄い材料が揃いすぎている。残念だがレールファンはいつも筐の狭い想いだ。

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(泉北高速鉄道の終点・和泉中央は、いわばベッドタウンのカラーが強い。)

終点の和泉中央では当然全ての乗客が下車したが、乗車するお客様はほとんど皆無に等しく、ここでレールファンの本領を発揮する事ができた!とワクワク感全開で撮影している姿は完全に「カメラ小僧」と化しており、既に取り調べを受けるとなった場合、完全に説得薄い状態に・・・
そんなわけで再び同じルートで阿波座に戻ってきた。私の宿泊先は超スーパーなビジネスホテルだ。近年ではこういったビジネスホテルが全国的に展開されて大変便利になった。私の中学時代は「駅前旅館」などがまだまだ活躍していた時代だ。もちろん中学生が単独でこのような宿泊施設を利用できるわけがないので、当時は夜行列車が宿泊先となっていた。時代も変わったものだ。

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(中百舌鳥は地下鉄だと「なかもず」となる。泉北と地下鉄は長い階段を登って乗り換えなければならない。もちろんエスカレーターもあるが・・・)

実はその宿泊先で、なんと後3日間の予定を組み替える作業に取り掛かった!出発前の1~2ヶ月前からじっくりと計画したルートがなんとなく納得できず、もっと早い時間に乗り終える方法はないのかと即興でホテルのフロントや部屋で、なんと1時間で予定を完成させた。十分に納得できる内容ではないが、とにかく新しく考えたルートを試したくなったので当初の予定を変更。翌日より新しく考えたルートでの旅となった。って、なぜ急に予定変更をしたのか・・・その答えは後に紹介しよう。



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長期連載覚悟!関西私鉄全線制覇の時①

私事で申し訳ないが、関西私鉄全線制覇の記録を記事にしようと考えたら多分長期間のお付き合いを頂くこととなるであろう。予定では途中で過去記事や趣旨の異なった記事も挟む予定であるが、もしかしたら「予定は未定」になるかも知れない。某歌手のような「幸せな結末」になるかどうかは分からないが、関西私鉄制覇の瞬間までお付き合いいただければ幸いである。

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(近鉄名古屋にて。私のイメージしている近鉄特急の車両ではいが、こういった新しい仲間が活躍するのもまたいい。)

とは言うものの、以前には関西私鉄の確か3分の1位を制覇した。2008年の事であるが、そのことは既にこのブログで紹介している。自身では関西私鉄の半分位と位置付けしていたが、多分数値にするとそんなものであろうと思う。実際に計算していないのでわからないが、というより私は数学が不得手なため数値のはじき出しはしていないが、残りの3分の2の制覇に乗り出したのが2012年の夏であった。

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(全線制覇という作業から発生する賜物。こういう「列車」にもいわば「強制的に」乗車しなければならない。とは言え、ある意味違った風情があって良い。)

さて、今回の制覇の旅は既に若干「近鉄バッファロースリーパー」と題して近鉄の制覇を紹介しているように、どうしても避けて通れないのが「近鉄」であった。つまり関西私鉄の仲間ではあるが、私的には別カテゴリーの「近鉄」と関西私鉄を組み合わせ、計5日間の究極の旅となったのだ!そのため「スルッとKANSAI」と「近鉄週末フリーパス」をタッグチームにするという荒業に出たのであった。なんとも内容の濃いタッグチームであるが・・・どちらがリーダーだかわからないような・・・そんな組み合わせの5日間は、完全に3日目に両者がダブって使用できる状態になってしまい、後に出てくるが生駒ではどちらの切符で改札を通るか迷ったものであった。

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(そして、こういった駅にも訪問した。かつては大いに話題になった駅も、現在は路線が分断され直通する列車がなくなった。そう、ここは西宮北口。)

出発前から何やら珍道中の予感を否定できない今回の旅は、計画段階で既に乗り換えや折り返しの数が多分100を超えていたであろう。宿を選定するのには、当然一箇所に固定すれば2日目・3日目などは宿に大きな荷物を置いていけば最低限の荷物で行動できるという計算をし、4日目の宿は日本有数の温泉街をあえて選択するという贅沢を組み合わせた。という事で、メインの宿は大阪は「阿波座」に決定し、最終日の温泉宿を「有馬温泉」と決めた。そんな感じで「いずれはやらねばならぬ」という事の実行を決意した。それこそ「ローカル路線バス乗り継ぎの~」みたいな某番組的な旅になりそうな予感が・・・とは言え「徒歩」での行動はほとんどないに等しいが・・・



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姿なき挑戦者⑭ L特急たざわ

田沢湖線といえば、現在は標準軌化され新幹線車両が乗り入れる重要なアクセス路線である。東北新幹線が開業した1982年に電化されL特急「たざわ」が誕生した。それまでの急行「たざわ」がそのまま格上げされた形となったが、DC急行が485系の特急に変身した姿は実に斬新であった。1996年に秋田新幹線になるまでの14年間であったが、考えてみればキハ58のDC急行から485系の「たざわ」を経て新幹線に変身する姿は、ある意味飛躍的なサクセス街道を真っしぐらに突き進んだ印象である。

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(私が「たざわ」と最初にコンタクトしたのは1983年8月の東北の旅の時である。盛岡を19時31分に出発する「たざわ」は、もちろん新幹線との接続も考慮されての発車時間となる。)

田沢湖線自体もこのL特急の運転開始と同時に急激な変化が起きていた。それは、例えば角館である。角館といえば「みちのくの小京都」として日本有数の観光地であるが、列車で訪問の際は上野からL特急「つばさ」や急行「つがる」などで奥羽本線経由で大曲に出て田沢湖線に乗り換えるというパターンが一般的であった。ところが東北新幹線開通後は盛岡よりL特急「たざわ」に乗り換えるというパターンに変わってしまい、実質、角館入りのパターンが逆転してしまった。そして田沢湖に関しても、新幹線開通後は特急停車駅になりその名を全国に知らしめた事であろう。田沢湖線にとって新幹線の開通は実に大きい恩恵をもたらしてくれたのだ。
そんな田沢湖線に運転されたL特急「たざわ」に乗車したのは、私が散々紹介している1983年の東北の旅での事であった。同じ行程の中で私は2回乗車している。1回目は盛岡発19時31分の時間帯のため当然景色など見れない。2回目は同じく盛岡発12時31分のタイミングで、しっかりと田沢湖線を堪能できる時間帯であった。
この「31分」という発車時間がポイントで、大宮からやってきた新幹線は盛岡に確か毎時15分頃に到着していた。そして青森方面への特急「はつかり」等と一緒に「31分」という出発時間により新幹線との接続を完全に計算されたダイヤになっていた。

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(そしてこちらが2回目のコンタクト。新幹線開業とともに在来線ホームもリニューアルされ真新しい盛岡駅は、東北の拠点にふさわしい佇まいであった。もちろん現在もその風格は変わらない。)

盛岡から乗った自由席はハッキリ言って超閑散としていた。私はもっと孤独感を味わいたいと車両の一番テールに向かった。そして・・・誰もいない。田沢湖線の車窓を独占するとともにL特急「たざわ」の一番後ろの車両も独占させていただいた。なんとも贅沢・・・私はすかさず窓に向かいシャッターを切っていた。
さて・・・この事はこの場で記していいかどうかわからないが・・・私は一番後ろの車両の一番後ろの座席に座っていた。すると乗務員室から白い服を着た車掌が出てきて座席に座った。そして・・・なんとタバコを吸い始めたではないか!実は私の座っている車両は「禁煙車」なのだが・・・ローカルならではの風景、と良い言い方をしておくが、現在ではまず考えられない光景であった。当時の国鉄を象徴する光景か・・・とあえて大袈裟には言いたくないが、当時中学生であった私には少々衝撃的な出来事であった。

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(そして2014年に訪問した秋田駅に停車中の「こまち」。私自身、この時点で秋田駅への訪問は1983年以来になった。久々の秋田駅の風景は、なんというか全く別の駅に感じたのはやはりこの「赤い車両」の存在が実に大きいためであろう。)

そんな鉄道少年を乗せたL特急「たざわ」は「みちのくの小京都」の存在など全く関係なくスルー、一気に秋田まで抜けていった・・・
現在、その役割は「新幹線」にバトンタッチされている。基本的に新幹線を単純に秋田までのアクセスとするならば北上より北上線経由で横手を抜けて秋田に至るルートを考えると距離的には最短になるかも知れない。しかし集客効果を考えればやはり盛岡より田沢湖線経由の方が有利であろう。私の場合、電化前の田沢湖線も知っているが、なんというか地味であまり目立たない路線であった。しかし電化され特急が運転されるようになってからは一気に脚光を浴びた印象だ。そして更に現在では新幹線が運転されるまでに飛躍している・・・国鉄時代に私が体験した「たざわ」での出来事は別として、現在はこうして田沢湖線の活用方法が成功した事例として実に微笑ましいと思うのは私だけであろうか?L特急「たざわ」は、というより田沢湖線はまるで「出世魚」のように我が子の成長を見てきた・・・そんな存在であった。



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熊に逢ったらどうするか⑮ 占冠

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本当にこの「熊に逢ったら~」シリーズは長期連載させて頂いているが、特にこの石勝線の駅は私の好む部類であるためその思いもひと一倍だ。そして今回、初めて占冠駅を外側から見たのが実に嬉しい。実に30年来の夢が叶った感じであった。しかしながら、その30年で日本を取り巻く環境も大きく変化しており、バブルの崩壊や人口の減少など多くの課題と戦う毎日である。
占冠といえば、駅の所在は集落より若干離れておりやや利用しにくい印象であるが、基本的に普通列車がやってこないため利用者はほぼ全てが長距離客と思われる。とは言え札幌まで乗り換えなしの直通で行かれるのであるからその役割も大きい。1980年代~90年代にかけては村の人口が1000人近く増えているが、これは「リゾート」進出による従業員の移住などによるものと思われる。しかしながらその後減少している。そのリゾートはお隣「トマム」に任せて、本来の占冠は実にひっそりしている。しかし、駅から道を若干下ると集落が現れガソリンスタンドや道の駅などの商業施設があり、それなりの「街」を形成している。というより、先代の方々はよくこのような山奥をこれだけ開拓したものだと改めて関心してしまう。高速道路の開通やインターチェンジの開設でいっその発展を期待したいところであるが・・・

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列車以外の方法でこの駅に来るとこの看板が目印となる。若干集落から離れているが、この村の「玄関口」であることに変わりはない。とは言え、駅前は実にひっそりとしている。


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ついにベールを脱いだ?占冠駅。開業から既に30年以上が経過し、いささか設備に時代を感じるようになった。だが、私の中学生時代に開業した石勝線の新夕張~新得間は、当時最新の鉄道技術を惜しみなく投入した斬新な新線区間は強い衝撃を受けた。


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早速待合室に入ってみた。かつては職員がいたが、現在は簡易委託駅に。開業当時は駅弁も販売していたが・・・


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そしてホームに向かってみる。待合室からの入口とは別に改札がある。そういえば、この改札を抜けてホームを観察していたら「今日はまだ熊を見かけねえなぁ~」と会話が聞こえてきた。それは・・・熊よけの鈴の音を大きく鳴らしながら歩く保線職員数名の姿であった。「今日はまだ」という事は普段は頻繁に目撃しているのか・・・今考えたらかなり物騒な会話をしていた感じだ。


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そしてホームへ。ホームは2面3線あるが、使用しているのは2面2線のみであろうと推測する。時刻表で確認した限り占冠での列車交換風景は皆無であったが、実際問題どうなのであろうか。


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駅前に再び出てみた。駅前より路線バスが日高町方面へ出ている。かつての鉄道計画路線では日高町から占冠に結ばれ、更に金山へ繋がる「金山線」なる幻の鉄道路線が計画されていた。その後「紅葉山線」と「狩勝線」に計画が変更され、その一部が石勝線として開業して現在の姿になっている。もし、日高町と占冠が鉄道で結ばれていたら・・・


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そしてこちらが占冠駅から少し下ったところにある集落と道の駅。「鉄道の駅」よりも賑やかさを感じるのは気のせいか?



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熊にあったらどうするか⑮ 南大夕張

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ご存知、南大夕張と言えば石炭列車の走っていた鉄道路線である。1983年10月に私は夕張線へ、というより北海道初訪問したというのにこの「三菱」には乗車出来ずじまいであった・・・今思えば勿体無い事をしてしまったが、当時中学生であった私は、そこまでの価値観などあまりわからなかったため見事にスルー!というより「いい旅チャレンジ20000km」に夢中で国鉄以外の乗車はあまり視野に入れてなかったため現在になって後悔が・・・
とは言え、2014年現在、保存組織のお陰で南大夕張駅のホームや三菱にの車両が静態保存されている。清水沢から車で10分くらいで到着する距離であるが、この距離に走る鉄道路線には数多くのドラマが展開されていた。石炭輸送という大きな役割を担い活躍した鉄道路線も、晩年はエネルギー革命とともにその役割を終え、そしてモータリゼーションという時代の波も加わって典型的な鉄道路線廃止のドラマが展開された。

1987年に廃止されて既に27年(2014年現在)の月日が流れたが、駅や車両の保存状態は大変良く、保存組織の努力の結集が手に取れるようにわかる。
現役時代は更に大夕張炭山までレールが延びていたが、私の知る限りでは晩年の姿しか記憶にない。途中駅の遠幌は、私が今回訪問した時には確認できなかったが、コロタン文庫の「私鉄駅名全百科」で現役時代の駅舎を見る限り、もしタイムマシンが存在するならばドラえもんに借りてでも今すぐに伺いたい気持ちだ。
いずれにしても、現役時代の姿が今も確認できるのが嬉しい南大夕張駅跡。シューパロ湖にも近く、ある意味観光気分も味わえる。廃線跡訪問と併せて夕張の大自然が堪能出来る事であろう。

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清水沢より南大夕張に向かう。かつては石炭で栄えた夕張であるが、南大夕張へはご覧のような大自然の道を行く。冬季であるとどのような景色が展開されていることであろうか。


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そして旧・南大夕張駅に到着。入口にはご覧の看板がお出迎えする。「駅前広場」は意外に広く、観光バス数十台でも全然OKなくらいの広さだ。


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往年のホームが残っている。屋根も当時のままであろう。なかなかの味を醸し出しているが、やはり現役時代に訪問してみたかった。ドラえも~ん!


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そしてこちらが気になる車両。当然ながら旧型客車は昭和の匂いが満載!本当に現役時代に来たかった!というより来ているのだから予定を変更して乗れよ!と自分で自分にクレームつけたくなる。


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客車内に侵入。というより無料で、しかも管理人などいなくて開放。フリーに出入りできるのは嬉しい。


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そして貨車も現存。かつては文字通り「セキ」の長編成が活躍していた事であろう。


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ホームの先には大夕張炭山への道のりが・・・シューパロ湖へもこの列車で行けたのか・・・あと10年早く生まれていれば・・・とは言うものの、親に「もっとロマンスを早めてくれれば」とは言えないし・・・


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そしてこんなものも。多客期には事務所とかに変身するのであろうか?


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ちょっと解りづらいが・・・北海道は冬季における自然の営みと共に私が最も恐れている者とも戦っている。こういう場所で命懸けで生活している。




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姿なき挑戦者⑬ 急行まりも(後編)

ズボンがズブ濡れに・・・既に理由については紹介しているが、改めて解説すると・・・石勝線の新夕張訪問の際に、旧・紅葉山駅跡に足を運んだ。そこにはレールが全て剥がされたホームのみの姿の駅があり哀愁を漂わせていた。しかし降り続いていた雨が残した水たまりが各所にあり、夜7時頃に訪問した私は暗闇のためにその存在に気づかず、ホームから若干ジャンプしてからの着地の際にその水たまりに思い切りダイビング・・・という事で、急遽スペアのズボンにチェンジして「まりも」の車内で干す事に・・・

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(2014年に乗車した「はまなす」より。「まりも」もこの「はまなす」と同じように寝台車を連結していた。だが、この「はまなす」も恐らく近い将来に同じ運命をたどることであろう・・・)

途中の千歳空港(現・南千歳)で若干の乗車があった。そして先ほどまでいた石勝線へと向かう事になるが、ジーンズのズボンがカーテン代わりとなった私の座席で見る石勝線の景色は黒一色であった。占冠、石勝高原(現・トマム)などの通過シーンがあったはずだが、暗闇の中でその存在に気づく事ができずにいた。って、これ、深夜の時間帯。「夜行」急行列車にも関わらず目がギンギンに冴えまくっていた。
そして新得では上下の「まりも」が列車交換するシーンが見られる。お互いに確か30分くらいのインターバルがある。私は「いい旅チャレンジ20000km」の証明写真を撮影するため一旦下車。私の他にもホームに出て一服する人や列車を撮影する人などを見かけたが、基本的に皆睡眠を重要視しているようだ。しかしながら座席で過ごすそれにはかなりの工夫が必要。体に負担が掛からぬよう皆オリジナルの体勢で果敢に挑んでいた。私が日本で一番好きな鉄道路線・石勝線は、後に乗る「おおぞら」で根室本線とともに昼間の時間帯に確認する予定だ。

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(白糠駅到着後、早速「まりも」を収めた。まずは1枚目。14系客車が実に清々しい。そろそろ夜も明け、白糠線の始発列車を待つホームには若干の「同業者」も。私とともに目指すルートは同じであろう。)

そして列車は道東の拠点・帯広に着く。基本的に広尾線と士幌線が接続していて当時はまだ地上時代の帯広駅だが、この「まりも」に連絡する列車は約2時間以上待つ始発列車しかない。特に士幌線に関しては「上士幌タクシー」の代替区間(糠平~十勝三股)は私を虜(とりこ)にするほどの魅力を満載しており、なんとかこの時に制覇してみたかったが・・・広尾線とセットで考えた場合、ほぼ1日かかってしまい効率が悪かった。そんな理由から次回にしたが、その「次回」がやってこないまま永遠の「次回」になってしまった。

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(そして2枚目。若干露光が足りないが、私が「まりも」に乗ってきたという証みたいなもの。こういった光景は北海道では唯一「はまなす」のみになってしまった。

帯広では20分くらいのインターバルがあるため入場券を買いに一旦改札へ。到着時刻は3時16分だが、考えてみたらこの深夜の時間帯ですこぶる元気が良い中学生。この体力を現在の私にくれないか・・・今、ここでパソコンのキーを叩きながら頭の中をフッとよぎった・・・
釧路到着は6時15分で、6時24分発の急行「ノサップ」根室行きに連絡するが、私の下車駅は白糠だ。1時間のインターバルで白糠線の車両がやってくる。この白糠線の車両は私のブログの白糠線の章でも述べているが、根室本線の急行「ノサップ」の合間の使用と聞いた。確かに1日僅少の利用しかないと思われ白糠線にキハ58の2両編成はいささか持て余し気味であろう。とは言え、私の訪問時には既に廃止の情報がメディアに流れた後という事で「そちら方面」の乗客で座席が埋め尽くされていたが・・・

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(そして・・・何度かこのブログで登場している3枚目。「まりも」ひとつ取ってみても私にしてみたら多くのドラマと思い出がある。北海道初上陸で初めて北海道の夜行列車に乗ったのもこの「まりも」であった。)

朝もやに濡れた白糠駅は実に爽やかであった。蒸気に包まれた14系客車がディーゼルエンジンの音を力強く唸らせながら釧路目指して去っていく。その姿が、まさか夜行急行まりもの「エピローグ」になろうとは当時予想だにしなかった。だが、同じく盟友の「利尻」「大雪」とともに「思い出」となってしまった夜行急行「まりも」は今でも私の脳裏に強く刻まれている。



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姿なき挑戦者⑬ 急行まりも(前編)

かなり古い話で申し訳ないが、1979年頃「鉄道公安官」というTVドラマが放送されていた。前作の「新幹線公安官」というドラマの続編のような形であったが、この「鉄道公安官」と「新幹線公安官」の決定的な違いは「鉄道公安官」には寝台特急や在来線の特急などが出てくる事であった。「新幹線公安官」は当然ながら新幹線がロケ地の主役となっていたが、「鉄道公安官」では普通にブルートレインやL特急の車内などでロケされ、私が普段見ることができなかった車内などが頻繁に登場しワクワクしたものだ。シリーズ後半は新幹線の登場が多くなってきたが、今考えたら石立鉄男や五十嵐めぐみなどが事件を解決していくドラマはとても小学生が毎週観るようなTV番組ではないという印象であった。
そして主題歌のレコードもまた小学生の買うようなレコードではない。「サーカス」というグループ(私より先輩の方にはかなり懐かしいであろう名前ですね)の「アメリカン・フィーリング」という大ヒット曲のB面に収録されている曲であった。「サーカス」のレコードを買う小学生・・・かなりの「強者」ですな・・・

そんなドラマを観て育った私は中学生になり全国を列車で旅することになった。そして既に紹介している1983年の北海道への旅は、白糠線制覇とともに北海道初上陸の時でもあった。その当時、北海道には「大雪」「利尻」そして「まりも」という夜行急行列車が運転されていた。特に「まりも」はニューフェイス(当時)の石勝線経由で運転され、ある意味実に新鮮であった。そしてその「まりも」に乗車する事が現実味を帯びてきた、というより現実になった。

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(さて、お先に昼間バージョンの「まりも」。キハ58の急行列車であったが、後に「スーパーとかち」などに格上げされた。札幌駅で収めた一枚であるが、同じ列車名でも夜行列車の方が豪華なのは述べるまでもない。)

1983年10月の旅は先述通り既にこのブログでも紹介しているが、私は白糠線(国鉄=当時)の廃止情報を受け生まれて初めて北の大地を踏む事になった。しかも行き先は道東。普通のフリーきっぷでは乗車したい区間の該当切符が見当たらない。そのため大盤振る舞いの「北海道ワイド周遊券」での参戦となったのだ。有効日数は何と20日間。だが旅の行程は4日間!実に贅沢の限りでとても中学生がやるような業(わざ)ではない!しかしながらフリー区間は特急の自由席にも別料金無しで乗車できて非常に便利。勿論急行列車も自由席はワイド周遊券のみで乗車できるので最高に都合が良い。

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(そして今回紹介している1983年に乗車した夜行列車「まりも」は確か14系バージョンであった。北海道の夜行列車達がいなくなって久しいが、確かに我々の記憶にはしっかりと残っている盟友だ。)

そんな道東へは乗り換えなしで行ける夜行急行列車「まりも」を選択した。白糠線とは白糠駅で1時間のインターバルで接続するため都合がいい。私は苫小牧より特急「ライラック」で札幌入り。「まりも」の待つホームへ足を急がせた。10月といえば学生諸君は普通に普段通りの生活であったが、私のこの時のタイミングは学校の創立記念日だったかと体育祭の代休とかの組み合わせで偶然4連休になったため他の人とは異なった「長期休暇」になり若干の優越感。普段の鉄道風景が見られる事になった。とは言うものの、札幌から乗る「まりも」は恐らく「同業者」と思われる方々で自由席はほぼ満員御礼状態であろうと乗車前に予測していた。というより、既にこういう事を予測するくらいに成長していた。現場に行ったら予想が的中。自由席はほぼ埋まった。札幌からの乗車で良かったなと改めて思う私の席の窓脇には、裾がずぶ濡れのズボンを乾かす舞台となっていた・・・



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1983年8月、旧型客車で五能線を旅した思い出②

さて、私を乗せた五能線「1730列車」は途中、鰺ヶ沢で21分の停車時間があった。入場券を買いに改札へ向かったのは言うまでもないが、ここの駅前には確か「烏賊(いか)」がたくさん干してあるものがくるくる回っているような光景をなにかの旅番組で見た事がある。「あじ」ではなく「いか」というところがなんとも言えないが、鰺ヶ沢のイチオシ名物は「ヒラメ」らしい。なんだか複雑なグルメ絵巻であるが・・・

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(1983年訪問時の鰺ヶ沢。この時の旅で唯一、五能線の写真が残っていたのがこの一枚であった。実際は鰺ヶ沢以外でも五能線の車内からもっと撮影しているのだが・・・)

そういえば当時の時刻表で調べてみたが、五能線全線を直通する旧型客車の列車は上り下り共に1日1本ずつであった。つまり本当に狙って乗車しなければこの貴重な体験はできない。つまり私は狙って乗車したからこそ今こうしてブログに収めている事が出来ているのだ!と大袈裟に表現してしまったが、千畳敷は通過・・・そして驫木に寄るが、驫木といえば、映画「男はつらいよ」の第7作に登場する。ほぼエンディング近くになるが、その時の駅舎と現在を比べてみてもほとんど変わっていない。もちろんリニューアルは施されているが、あの雰囲気は昔のままだ。

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(そしてこちらが2011年訪問時の鰺ヶ沢。若干の改装が施されたであろう駅舎であるが、基本的に五能線のエッセンスを醸し出している。)

そんな「リゾートしらかみ」が運転されている現在、更に能代寄りに進むとウエスパ椿山なる駅が誕生した。もちろん1983年の訪問時には無かった駅である。ハッキリ言って私から見ると五能線らしくない駅であるが、時代とともに進化し五能線は姿形を変えながら現在も「津軽」の魅力を満載している。
そして何と言っても五能線の3分の2の区間は海岸沿いを走る。「日本海の荒波」を肌で感じるにはここ五能線が一番手っ取り早いであろう。とは言うものの、私が2011年に訪問したときは大雪で弘前を既に30分くらい遅れて出発しているが、まさにこのウエスパ付近で更に立ち往生してしまった。そう、日本海を「肌で感じる」という事はこの五能線自体が自然の猛威とも戦っているのだ。1983年の訪問時は只管真夏の日差しの中、旧型客車は穏やかな時間であったが、季節によってこうも違うのかという思いでいっぱいであった。

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(若干画像がよろしくないが・・・五能線から見た日本海は実に荒々しい。とは言うものの、1983年訪問時は実に穏やかな印象であった。写真は2011年訪問時。)

しじみの産地で知られる十二湖を過ぎカプセル駅舎で知られる大間越を過ぎるとやがて能代に近づく。能代は市街地に近く多くの利用者があるが「本線」の列車はやってこない。もし「本線」がここ能代にやってきていたらこの街の景色もかなり今とは違う風景になっていたであろう。歴史的背景とか地形的制約など様々な理由があろうかと思われるが、やはり本線がやってくると来ないとではかなり違ってくると思う。
そんな能代の「本線」の玄関口は東能代である。一応、五能線の終点であると同時に奥羽本線と接続する主要駅であるが、駅周辺は「主要駅」と名乗るには少々物静かな街並みだ。奥羽本線上は能代の「代わり」の役割を果たすがその役割は大きい。私の乗った旧型客車の普通列車は、弘前から約6時間かかって13時59分に到着。14時22分の奥羽本線普通列車「639(列車)」に乗り鷹ノ巣へ向かう予定になっている。こちらは50系の普通列車だ。

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(2011年訪問時の東能代にて。やはり日本海側というシチュエーションは独特な何かを感じる。ここ東能代もある意味「らしさ」が感じ取れる気がする。)

2011年に「リゾートしらかみ」で東能代に降り立ったのが1月で、ホームは大雪の真っ只中の銀世界であった。1983年に旧型客車での訪問は8月。季節は全く違うのになぜか昔と変わらぬ風景がそこにあった。季節を越えて時間を越えて・・・能代の所在は秋田県だというのに、なぜか日本海の荒波とともに列車もホームも「津軽色」に染まっていた。



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1983年8月、旧型客車で五能線を旅した思い出①

津軽・・・そんな言葉を聞いてあなたは何を想うであろう。「りんご」「三味線」「岩木山」など、連想されるものは多彩であるが、なぜか私は「五能線」を思い出す。というより、その「津軽」という言葉が東北地方特有の哀愁のようなものをひとことで表現できる唯一の言葉であろうと感じる。「みちのく」「むつ」とは明らかに違う「ふるさと」のような温もりを感じずにいられない、そんな「あおもり」を感じさせてくれる・・・それを一番わかりやすく教えてくれるのが五能線だと私は思う。
そんなわけで、1983年8月の旅はこのブログで再三に渡り紹介してきたが、その時に思い出に残っている五能線の旅を紹介したい。とは言うものの、当時の写真がほとんど残っていたいため、今回は2011年1月に「リゾートしらかみ」で訪問した時の状況も併せて紹介していこう。

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(2011年訪問時の五能線車両、とあえて表現してみた。確か林崎か藤崎と思ったが、辺り一面は林檎畑のはずである。がしかし・・・)

1983年に私は初めて五能線に訪問した。もちろん「旧客」を狙って計画済であったが、その列車は弘前発8時10分であった。そして東能代に何と13時59分着。約6時間もの旅になる!6時間も旧客に揺られて五能線をめぐるとは、恐らく函館の朝市などで海鮮丼の上に更にいくらとウニを山のようにプラスして頬張りながらプレミアムモルツを飲む事より贅沢であろう。そんな贅沢な旅は五所川原辺りを過ぎると車内は「ローカルな風景」になる事を事前に予測していた。私は黒石線(国鉄=当時)を制覇後、川部から弘前に向かった。既に五能線の旧型客車編成は弘前のホームに停車していたが、座席を確保するのは容易であった。思ったよりも乗客が多くない。お盆の帰省時にも関わらず、意外に「らしい」雰囲気を醸し出していたのは学生諸君が夏休みのせいか。という自分も当時は学生であったが・・・

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(ちなみに「リゾート」では私はご覧の席を利用。もちろん「583系的仕様」の座席は周知の通り「寝台チック」に変化できる。

五所川原まではひとりワンボックスでも充分すぎる乗車率であったが、五所川原を過ぎるとだんだんひとり10ボックスくらい占領しても充分過ぎるくらいであった。2011年に約28年振りに五能線を再訪したが、その時は既に紹介している「リゾートしらかみ」であった。私の中学時代はもちろん存在しない列車であったが、列車は違えど五能線はやはり良い!なんとなく日本海の荒波というか、海水浴場と言っても岩場のゴツゴツした場所というか・・・五能線から見る海の風景はなんとなく「活きている」という雰囲気を醸し出しているような感じがする。そういえば五所川原くらいまでは青森特有の「りんご」が沿線一面を覆っていたが、いつの間にか「津軽富士」で有名な岩木山とドラゴンのような日本海が窓のピクチャーを染めていった。

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(1983年の旅を紹介しておきながら・・・2011年の木造駅は「リゾート」の車内から。昔に比べかなり駅舎の印象が変わった感じだ。だがそれだけでなく、駅員の印象もかなり変わった感じがするのは気のせいか・・・)



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今こそ鉄道旅行!

新年明けましておめでとうございます。今年も「鉄道全線完全制覇の旅」をよろしくお願いいたします。


という事で・・・新年の第一弾、何を記事にしようかと思ったが・・・過去を振り返ると元旦アップの記事は「のりかえ」「鉄子」などがテーマとなった。
さて今年は・・・と考えた時、ある事が思い浮かんだ。そう、私のこのブログのテーマ・・・鉄道で旅をする事。それをそのまま、または角度を変えて考えてみたいと思う。ちなみに、今回の記事を記すに当たって相当の写真が見当たらなかったので、前年同様「ダイナミック✩トナカイ」の写真を拝借した。この記事の写真は全て「ダイナミック✩トナカイ」提供です。

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(記事に合う写真が見つからなかったので今年も「ダイナミック✩トナカイ」にお世話になろうと思う。1980年代の上野駅にて撮影されたものと思われるが、こういった「急行列車」で旅をするのもまたひと味違った旅が楽しめるであろう。)

汽車旅・・・鉄道で旅をするという事を表現するとこんな言葉になろう。「そんなに急いで何処へ行く?」みたいな文句がかつて流行した記憶があるが、鉄道でする旅とは自宅から現地の間のアクセスも「旅」となる事が最大の魅力であろう。殆ど一般の「旅行」と言われる行事は大体現地に行ってから始まる、といったような場合が普通であろう。しかし、鉄道は自宅と現地をつなぐ「架橋」的な存在であり、その架橋自体も楽しめる・・・そんな旅のスタイルを列車は提供してくれる不思議な存在だ。切符を買いホームへ・・・今こそ自動改札になってしまったが、その昔は改札に職員がいて乗客の切符に1枚1枚「ハサミ」を入れていた。とは言うものの、地方に行けば改札に駅員がいない「無人駅」なるものが多数存在する。日本全国、駅のスタイルは実にバラエティーに富んでいる。そういえば私の友人が、ある時面白い事を言った。

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(更に165系は急行「東海」と思われる。茅ヶ崎駅付近にての撮影であるが、こういった急行列車が復活していただくと更に旅情が深まると思うのは私だけであろうか?)

「電車で行く旅って楽しいよね。だって飛行機とかだと窓を見ても雲とかしかないし。電車だと景色が見れて楽しい。」ちなみにこの友人は鉄道知識などほとんど無いに等しい女性であるが、鉄道についてこんな感じで表現してくれた。普通に聞けば普通の会話であろうが、私はこの言葉に多くの意味が込められているような気がした。それは「景色」である。列車に乗っていると窓の外には当然景色が見えるしその景色も多種多様であろう。しかし私は列車から見る景色は「人間模様」だと思う。確かに傍から見たら山や海、そして街といった「物理的」なものかも知れない。だが、私はそういう事を言っているのではない。その山や海、街などからその土地に住む人間の「生活」や「営み」が見れるという事を言いたいのだ。

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(やはりクロスシートの各駅停車は旅情を誘う。こちらは身延線の一昔前の姿。駅弁でも頬張りながら景色を見る旅は最高であろう!)

例えば長期休暇などで自身の故郷に帰るとしよう。特に東北方面ではかつてたくさんの夜行列車が運転されていた。そんな列車に乗り朝を迎えると、なんだか不思議と故郷が恋しくなる気持ちになるのではないか?そして故郷が近づくと「あっ、こんなところに新しくスーパーができたのか」みたいな新たな発見があったりする。「この辺りも変わったなぁ・・・」みたいな、そんな「時の流れ」を列車の窓は私たちに教えてくれる。これは飛行機では成し得ない業だ。
しかしバスや自家用車はどうであろう。これらであっても列車と同じような「景色」を私たちに提供してくれると思うが、やはり列車で見るそれとは違う感じがする。

115kei2.jpg
(多分記事の内容とは全く関係無いと思われるが・・・大船駅で撮影されたと思われる横須賀線。1980年代であろうが、こんな塗装あったっけ?と思ったひとコマであった。)

旅をする手段は星の数ほどある。どのような選択をするかはもちろんあなた次第であろうし、それぞれの好みの問題でもあろう。強いて言えば「プリッツ」と「ポッキー」の違いであろうか?個人的にはプリッツよりポッキーを好むが、まだ私が若かりし頃、仕事仲間と金沢文庫のとある飲食店で会合する機会が少なくなかった。その時にお通しで出されたのが何を隠そう「ポッキー」であった。しかもワイングラスで・・・と、この時点でどういう「飲食店」であるか、大体の方なら想像つくであろう。まぁ、そんな事はいいとして、そのポッキーは「いちご」と「チョコ」のミックスであった。しかもチョコが9割を占めている。だが私はいちごが好きだったためすぐにいちごがなくなってしまった。ある時、試しに「いちごのみでいただけますか?」と注文してみた。もちろんオーダー通りに納品されたが・・・伝票を見て驚いた。通常のポッキーの価格より何と2割増だったのだ!確か800円くらいであったか、随分と高級なポッキーであるが・・・当然、私のみがシェアしたのは言うまでもない!

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(1983年頃と推測する東京駅に停車中の「踊り子」の14系バージョン。こういった客車列車だと旅情を誘い「旅をしている」という実感が湧く。)

話は逸れてしまったが、私はこれからも鉄道に拘った旅をしていきたい。しかもその拘り方は、ポッキーの中でも「いちご」を強く求めていくであろう。多少経費はかかるであろうが、やはり自身が納得行く旅をこれからもしていきたい。
2014年6月には初めて「鉄道を使わない鉄道旅」をして、皆様に「熊に逢ったら・・・」と題してお伝えしたが、やはり鉄道を使用しなかったという事で何か物足りなさを感じた。特に石北本線や廃止された路線など、自分のペースで効率よく回れたがただ回ったに過ぎず何かが足りない・・・やはり私は鉄道というカテゴリーを外せない人間なのであろう。しかし、新しい事にチャレンジした事によって新たな発見もあった。それは駅周辺の「営み」が見れることだ。基本的に駅は利用者がいて初めて絵になる。だが最近は利用者がいない駅がクローズアップされがちであるが・・・
というより、列車だと駅周辺しか散策できないものだが、この熊シリーズでは当然車を使用したのでかなり広範囲で駅周辺の「生活」「暮らし」を拝見させていただ事に成功したのが逆に素晴らしく感じる。

185kei1.jpg
(1982年の東北・上越新幹線開通時は「大宮暫定」であった。そのため上野~大宮間では「新幹線リレー号」が運転されていた。上野発の長距離列車で初めて「旅情」という言葉が離れた瞬間でもあった。)

このブログをご覧の皆様は「旅」をどのように感じているであろうか。そしてどのような拘わりがおありであろうか。いちごポッキーに拘わりますか?それともあなた自身のポッキーを新たに開発しますか?そう、私自身、これからの旅は「いちご」に拘るとともに新たに新種のポッキーを開発し、そして新たな発見を求めていくであろう。そして新しいものにチャレンジしていく・・・それこそ私の「旅」かも知れない。

この記事の写真は全て「ダイナミック✩トナカイ」の提供です。


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ダイヤモンド✡トナカイ

Author:ダイヤモンド✡トナカイ
✩2022年4月より毎週土曜日更新になります✩


昭和・国鉄の話題を中心に紹介しています。


2013年に長野新幹線の長野駅にて「いい旅チャレンジ20000km」よりスタートした国鉄時代の制覇を含めJR全線制覇を、そしてゆいレール以外の鉄道全線制覇を達成いたしました。


以降、北陸新幹線と北海道新幹線などの開業によりタイトルは返上しています。

JR以外の私鉄を含む鉄道未制覇路線は北陸新幹線(長野~金沢)・北海道新幹線・仙台地下鉄東西線・仙石東北ライン・富山地方鉄道延伸部分・ゆいレール・相鉄直通線(相鉄新横浜線)、そして新規開業の西九州新幹線や宇都宮に開業したライトレールも新たに加わりますます未制覇路線が増えてしまいました・・・

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