予期せぬ連休に急遽草津温泉に行く事に決めたけど、その前に岳南電車の各駅に降りてみた③ジヤトコ前

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「ジヤトコ前駅」と聞けば何かの会社の近くに有る駅だなと即座にわかるであろう。実際に「ジヤトコ」と表記され駅名も「ジヤトコ前」と書くが、一般的には「ジャトコ」と読まれる。かつては交換可能駅で、その面影が今でもハッキリと確認できる。ところでこの「ジヤトコ」とはどんな会社なのかとネットで調べたら・・・なんとすごい会社であることが判明した!わかりやすく言えば「車のギアを作っている」であった。私はジヤトコのホームページを開いた途端にその技術は先代の知恵と、それを受け継ぐ従業員の血と汗の結晶である事が凄く伝わってきた。決して誇張ではなく、大袈裟でもない。ハッキリとした技術とプライドがヒシヒシと伝わってくる。
だが、肝心の駅の利用者の方は岳南鉄道で一番少ないとされているらしい。私の訪問時には1名の利用者がホームで列車を待っていた。その1名の利用者に邪魔にならないよう駅の撮影などをさせていただいたが、華奢なホームと設備に多くの時間は必要としなかった。通勤時間帯でものどかな時間を過ごせたジヤトコ前駅であるが、ある意味、私にとってその存在意義は実に大きかった。それは・・・天龍源一郎が日本人レスラーとして唯一馬場や猪木からピンホールを取ったくらいに実に重く偉大な業(わざ)であったかのように・・・

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吉原から乗車した列車で、早速次の「ジヤトコ前」で下車した。下車した乗客は私たちと3~4名であったが、この駅の存在意義、私にとっては実に偉大に映る・・・

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隣の工場の影で若干写真が影っているが、これが「ジヤトコ前駅」である。傍から見たら実に地味であるが、私から見たら実に華奢で可愛らしい姿だ。とても愛(あい)らしく愛(いと)おしい駅ではないか!

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当然ながら後付けであろうが、立派な屋根が設置されていた。その証拠に、写真のホーム左側では確かにレールがかつてあったような面影を残す。その昔は立派な島式ホームであったろう。

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実にいい味を醸し出している。こういった駅は国の重要文化財にでも登録して欲しいものだ。いや、世界遺産でもよかろう。

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そしてこちらも当然後付けであろう。何だか1台1台に趣を感じるのは気のせいか・・・

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交換設備があった名残が今でも感じられる。とは言うものの、よくこんな狭い空間に交換設備を儲けたものだと感心してしまう。

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という訳で、次の駅に向かう。朝の時間帯は列車本数が多く、移動もスムーズである。しかし・・・乗客はほぼ通勤客で占めている中、駅や列車の写真をバシバシ撮影しているのは完全に私だけのオリジナルであった・・・



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予期せぬ連休に急遽草津温泉に行く事に決めたけど、その前に岳南電車の各駅に降りてみた②吉原

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岳南鉄道が分社化されて岳南電車となったが、基本的に旅客部門の内容は変わっていない。貨物については残念ながら周知の通りの状況になってしまい残念であるが、まだまだ旅客のみでも頑張って営業を続けている姿は素晴らしい。そんな岳南電車の始発駅がここ吉原である。説明するまでもなくJR東海道線との連絡駅であり、朝の通勤時間帯はJRからの乗換客で1両編成ないし2両編成の列車が満員になる。とは言うものの、満員になるのは吉原本町までで、その先は我々がイメージしているような「ローカル線」の風景が見られる。通勤時間帯を過ぎるとそのカラーが更に濃くなり、未来の岳南電車の運命的な部分を肌で感じることになる。
起点の吉原駅はJRの駅舎と若干離れているが、JR側のホームの静岡寄りに岳南電車への連絡跨線橋があり乗り換えがずムーズに行われるように配慮されている。駅舎などの設備は恐らく開業当時からのものと思われるが、時代を感じさせる建物は実に素敵な雰囲気を醸し出していた。しかしながら今後の存続が気になるところである。是非とも末永く残って欲しいと思う鉄道路線だ。

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JR吉原の駅舎を出て一般道的な道を行くと岳南電車の吉原駅が独立して建っている。恐らく開業当時からあるものと思われ、何だか懐かしい雰囲気を醸し出している。

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これが岳南電車の吉原駅駅舎。改札左側には東海道線との連絡通路があり、そちらを利用する方の方が圧倒的に多いと思われるが、私はもちろん岳南側の駅舎正面から入った。

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ご覧の通り、写真左側が東海道線との連絡通路となっている。改札では「toica」などが使えるようになっているが、私は「18」のためそのままスルーする事になる。

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通勤時間帯の吉原駅の風景。真上の写真でもわかるように、意外にも吉原で下車する乗客が多い。朝の時間帯は吉原からジヤトコ方面へ向かう乗客が圧倒的かと思っていたが、ある意味期待を裏切られた。上りと下りの両方に利用があるのが実にいい感じである。

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ホームから駅舎を見てみた。写真だとわからないが、他の駅を含め朝の時間帯だけかもしれないが女性職員が多いのに気付かされた。恐らくパートターマーと思われるが「華」があるのが実に素晴らしい風景であった。

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吉原から早速岳南の旅が始まる。その「第一号」の列車風景は実に穏やかであったが、東海道線が到着するとこの風景が一転して黒山になった。やはり通勤時間帯には「吉原ならでは」の風景が待っていたのだ。そんな満員御礼列車で次のジヤトコ前へ向かった。


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予期せぬ連休に急遽草津温泉に行く事に決めたけど、その前に岳南電車の各駅に降りてみた①(プロローグ)

2015年3月、予定していない春休みが舞い込んできた。特にここへ行きたいという場所が見つからなかったが、以前から各駅を下車してみたいと思っていた岳南電車(旧・岳南鉄道)の再訪をしてみたいと思った。そしてついでながら旧・清水港線の三保駅と静岡鉄道、そして大井川鉄道を回ってみようかとも考えたが、なぜか草津温泉に行こうと思い立ち急遽予定を変更、というより予定を立てた。だから静岡方面は次回にして草津を絡め新潟方面にでも行こうかと思ったが、どうも岳南電車が捨てきれない。では岳南電車と草津を一緒に行ってしまおう!と二つの計画を合体させた。それが良い・悪いは別にして私は神奈川県民。静岡と群馬では全く方向が逆同士になってしまった。だが・・・そういう時には必殺技があるではないか!そう「あの」切符である。

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(吉原本町は、その名のとおり吉原の中心部にある。が、朝も早かったせいか辺りは「シャッター街」になっていた。)

いい歳して「18」と言うには若干説得薄いが、旅費を最低限に抑えるためには実に効果が高い切符である。だが・・・ハッキリ言って結果的には体力的にかなり辛いものがあったのも正直なところだ。しかしながら新たな発見もあり、今回の旅が、いや、旅をするたびに何かを拾ってくるという・・・ただでは旅に行かない私の執念であった。ハッキリ言って旅から帰宅した当日にキーボードを叩いているわけであるが、正直言って左足の関節や腰などに若干の痛みと疲労が・・・

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(懐かしい車両が今でもお出迎えである。私の訪問時は通勤時であったが、次第に時間帯が逸れ、こういった写真も撮影しやすくなった。)

という事で旅の初日は岳南電車に乗るために朝一番の相模線からスタートした。が・・・家を出る直前にデジカメの確認をしたらSDカードが無い!どうしよう!必ず事前準備を怠らない私が初めて犯した最大のミスであった。仕方なく「見切り発車」ではないが、SDカードは現地で購入する事にして、とりあえず予定通り行動する事にした。だが、時間帯が時間帯だけにキオスクなどはまだ開店前。とうとう吉原まで来てしまった。駅前にコンビニくらいはあるだろうと通学途中の女子高生に声をかけると「・・・この辺コンビニあったっけ?」と同僚と顔を合わせていた。なんとも最大のピンチな光景であったが、とりあえずタクシーの運転手に聞いてみた。「10分くらい歩けばあるよ」との答え。吉原での乗り換え時間は30分とってあった。行って帰って20分。どう考えてもギリギリだ。「スミマセン、じゃぁコンビニまで乗っけて行ってください」ということになりタクシーでコンビニまで行くことにした。

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(岳南原田では「おや?」と思うような光景が。長椅子のベンチは実にいい味を醸し出しているが、窓のところに置いてある水とかコップなどはなんなのであろうか?)

見事にコンビニでSDカードが売っていたから良かったものの、もし無かったら・・・的な今回の不覚であった。一件落着した今回のSDカード事件、そのSDカードに収められた素晴らしき画像達は次章よりご案内したいと思う。だが・・・結果的に「来てよかった」と思ってしまった内容であった。やはり全ての駅に降りてみないとわからない発見ばかり。鉄道の旅はやはり「線」よりも「点」の方が楽しさが倍増する。貨物輸送からの撤退で明るい話題が少ない岳南電車であるが、この貴重な存在はいつまでも末永く生き延びて欲しい。今回の岳南電車は「全線1日フリー乗車券(平日用)」で巡ってみたが、ハッキリ言って休日用の方が格段に経済的!岳南電車への訪問は、経済性を考えたら休日をお勧めする。だが、平日だと普段の岳南電車が見れることであろう。どちらにしても価値がありそうだ。

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(そしてこんな車両も駅の片隅に眠っていた。もう使われなくなってどれくらい経つのであろうか。)


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更に長期連載になりそうな九州鉄道路線全線制覇<PART1>⑨

ハウステンボスで朝を迎えた私は、ある意味この地方特有の「ジンクス」に襲われる・・・そう、実は昨日の夜から「雨天」であったのだ。「長崎は今日も・・・」とは私の年代だと幼少時代にとても印象に残る歌であるが、実際問題どうなのであろう?気象学的に、科学的に、統計学的に、ある一定の定義で計算した場合、本当に長崎は「雨」なのか・・・私の場合、まさに計算されたかのような「雨」だった。もちろんハウステンボスは「雨」であった・・・とりあえずお土産だけでも買おうと散策するが、やはり慣れない事をするとこうしたジンクスが付いて回るのか・・・まぁ、このブログは「鉄道」を主題にしているためあえてハウステンボスについてはスペースを取らないが、なにせこの「雨」には実に悔しい思いをした。事実、予定を早めて予定より1本早い特急列車「ハウステンボス」に乗車変更を改札に申し出た頃から天候が回復してきた!まるで絵に書いたような素晴らしさ。全てが計算され尽くした印象であった・・・

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(ハウステンボス駅で出発を待つ特急ハウステンボス。ご覧のとおりホームは濡れている。やはり長崎は今日も「雨」なのか・・・」)

そんなハウステンボスを「指のみ券」で博多に向かった。一回に限り乗車変更可能なルールに則り、特急「ハウステンボス」を楽しんだ。ほぼ貸切状態であったが、早岐で相棒の「みどり」を併合してパワーアップ。更に肥前山口から「かもめ」を・・・と言いたい所であるが、記憶が定かではない。

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(今回の九州の旅は「石炭」など歴史的な面影と触れ合う機会が多かった。近い将来、訪問したい駅の標的を絞って是非とも実行してみたい。「昔訪ねた気動車ローカル線」から画像を拝借した筑後植木もそのひとつに挙げられるかも知れない。)

このあと博多から新幹線で帰郷する事になっているが、この時点で九州は北半分くらい制覇した。あと南半分とJR以外の私鉄各社が残っている。まだまだ九州に来る用事が無くなる事はない。と思っていたらその後2010年と2011年、この2回の訪問で九州においては全て制覇した事になった。その模様は再び九州の章を迎えた時に紹介するが、それは苦しく、実に長い道のりであった。初めて経験する事も含め実にスリリングかつハプニングの連続であった。ただ今回の旅において、ひとつの結論が出ている。それは・・・長崎は「今日も雨だった」・・・


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更に長期連載になりそうな九州鉄道路線全線制覇<PART1>⑧

島原半島の西側のバスで通り諫早に向かうが、途中小浜温泉を通る。高校時代の修学旅行でこの小浜温泉に宿泊したが・・・何か見た景色。そう、実は1978年に寝台特急「富士」に乗った時の旅の行程でここ、小浜温泉に宿泊したのだ。しかも宿泊先の景色も何だか見たような・・・もしかしたら同じ宿泊先を利用したのかもしれない。何だか懐かしさを感じる。なんとなく小学生時代のクラスメイトにでも再会したような・・・かつて家族旅行で訪問した時の記憶が蘇ってきた。

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(島鉄バスはウィキペディアよりの画像。砂浜沿いにある小浜温泉は修学旅行でも参戦したが、久々の訪問でも以前と変わらぬ姿で私を迎えてくれた。)

なんて過去の記憶に浸っているのも良いが、バスは既に5~6分遅れて運転されている。小浜温泉を過ぎた頃には完全に我々の貸切バスになってしまった。諫早が近づいても乗客は増えもしなければ減りもしない。そう、完全に貸切のまま諫早駅に到着した。時間的に確か15~20分くらい遅れて到着した。予定していた大村線は既に出発してしまい、予定の列車より1本後の列車で本日の宿泊先に向かう。という事で待ち時間が40分くらいあるので駅舎内にあるミスドーに身を任せた。私がミスドーとは・・・なんとなく「月と鼈(すっぽん)」ではあるが、逆に国鉄時代には考えられない風景であった。駅舎内にファーストフード的な店舗が軒を構えるとは。私のよな人物がドーナツを頬張りながら列車を待つとは・・・1980年代の自分にはありえない光景だ。まずドーナツを食べるという概念が、いや習慣が無い。実に不思議な体験・・・今までの私に無い文化であるが、若干ながらリニューアルされてはいるものの昔ながらの駅舎やホームは風情豊かだ。その中になるミスドー・・・私的には実に異次元空間に感じた。

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(今回の旅は写真が少ないためウィキの力を拝借する機会が多い。諫早駅は若干のリニューアルこそあるものの、ほとんど昔のままの姿を感じる事ができる。)

さて、大村線に揺られ宿泊先へ向かう。大村線と言えばご存知、旧・長崎本線のルートであった路線だ。1980年代までは夜行普通列車「ながさき」が大村線経由で運転されており、旧・長崎本線の伝統を守る唯一の列車でもあった。長崎~門司港間で運転されていた夜行普通列車「ながさき」は、途中の早岐で佐世保行(発)の列車が分割・併合されていた。長崎本線の分割・併合と言えば「肥前山口」が当たり前の現在、かつてのSL時代ではこの早岐が非常に重要なポジションであった。佐世保線が早岐でスイッチバックの形をとっているのはそのためである。

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(こちらもウィキよりの画像で「シーサイドライナー」。長崎と佐世保を結ぶ重要な路線である大村線は、かつて長崎本線であった事は周知の通りである。)

その大村線も現在は「シーサイドライナー」なる快速列車が運転され、佐世保と長崎を結ぶ重要な役割を担っている。そして、更に大きな変化が加わったと言えばあの「ハウステンボス」であろう。私の今回の宿泊地でもある「ハウステンボス」は、オランダ的なテーマパークとして度々ドラマやCMなどにも登場する。そう、今回の旅の中では最大のイベントとなったこのハウステンボスを体験する事・・・これもかつての私の概念には無かった事だ。妻を同伴するようになり、こうした観光的な要素も取り入れないとある意味クレームが来そうなので、あえてこうして予定に組み込んだが・・・お楽しみは翌日にし、本日は宿泊先の「ハウステンボス」で一足先に欧風の文化に触れながら束の間の安らぎを求めていった。

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オランダ的なテーマを持つハウステンボス。経営再建に向け現在進行形であるが、こういったイベントものを私の鉄道旅に取り入れる事になったのは近年の事。鉄道ばかりの旅も良いが、このような事を旅の行程に組み込む事もある意味良いかも知れない。画像はウィキより。)


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更に長期連載になりそうな九州鉄道路線全線制覇<PART1>⑦

博多から「白いかもめ」に乗り一気に諫早に向かった。初めて乗る885系は実に新鮮。もちろん狙っての乗車であったが、「西九州フリーきっぷ」のため「指のみ(指定席料金不要で座席指定できる旅行会社の業界用語)」で乗車できる。そう、そういえば言い忘れていたが、今回の九州の旅は旅行会社オリジナルのフリーきっぷである。長崎方面がフリーのため特急も指定席料金不要で乗車できる。もちろん予め座席指定を申し出るのであるが、指定席が料金不要とは「ワイド周遊券」よりも非常に優越感を得る感じがする。そして885系と言えば、あのアザラシみたいな愛嬌あるフォルムはお馴染みの「あの人」がデザイン。実にJR九州らしい車体である。

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(博多から「白いかもめ」で諫早に向かう。885系初体験の私は実にワクワクしていた。)

諫早からは早速島原鉄道を体験する。その模様はこちらで紹介しているが、ハッキリ言って島原までは「女学生」達で犇めき合っていた。だが、廃線予定区間(当時)に入ると我々の貸切状態であった。だが、風景は実に良い!我々レールファンが最も好む普段のローカルな鉄道風景が延々と展開されていた。ただ、乗車したのは私のイメージしていた「国鉄形車両」ではなく、近年に流行したレールバス風のDCであった。「残念」と言ってしまっては申し訳ないが、やはりあの往年の車両で加津佐まで行ってみたかったというのが私の本音であった。だが「レールバス風」でも島原を体験できただけでも今や貴重なものとなってしまった。ただ、加津佐駅の駅舎は現在でもバスの待合室のような形で使われているらしい。それだけでも将来的には「文化遺産」的存在になるかも知れない。

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(加津佐に着く頃には既に辺りが暗くなり始めていた。DCで折り返すよりバスで島原半島の西側を行く方が所用時間が1時間くらい短い。しかも島原鉄道のフリーきっぷでバスも乗車できる!実に経済性が良い!)

さて、加津佐に着いた私は再び諫早に戻るため路線バスに揺られることにした。あえて列車では折り返さずに小浜温泉経由で島原半島を一周する形を選択したのだ。なぜか・・・それは島原鉄道のフリーきっぷにあった。温泉も利用できるこのフリーきっぷは、同じく島原鉄道が運営する路線バスも「乗り放題」であったからだ。そう、たまには路線バスで街の風景を楽しむのもいいではないか。そんな選択が後々に冷や汗をかく事になろうとは、この時想像すらしなかった。

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(2代目であろう駅舎は現在も路線バスの待合室のような形で使用されていると聞いた。末永く残ってもらいたいものであるが・・・)

路線バスは学校帰りの生徒たちでほぼ満員御礼であったが、ちょっと待った。この学生諸君たちは実に爽やかで礼儀正しい。そして何より、私たちが乗車してくると自分の席を立ち、そして我々に譲ってくれようとしているではないか!って、言い方は宜しくないかもしれないが、まだまだ私は席を譲っていただくような年齢ではないと自身では思っているが・・・それより、そうした学生諸君の気持ちが嬉しいではないか!座席の事だけでなく、他にも周りの人への気遣いやマナーなど、大変に教育されていると言ってはおかしいが、というより、自身が心からそういう行動をしているようで素晴らしい。路線バスひとつでもこうした体験ができたのであるからこの旅を計画し実行した甲斐があったしレールファン冥利に尽きるのではないか、とさえ感じてしまった。

さて・・・現在、島原半島の西側のバス乗車シーンを紹介しているが、あくまで「路線バス」である。そう、まるで「太川陽介」のような気分であるが、列車よりも時間の正確さに劣るのが気になるところである。その「気になるところ」が現実になってしまった・・・しかもこれから諫早に向かい、更に大村線でハウステンボスの宿泊地へ向かう予定だ。果たして間に合うのか・・・


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更に長期連載になりそうな九州鉄道路線全線制覇<PART1>⑥

前章では博多南と原田で随分スペースをとてしまったが、お陰様で「長期連載」が確定してしまったようなものだ。という事で早速話を先に進めよう。

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(桂川ではご覧の通り、通勤時間帯に遭遇。時間帯からやや外れているとは言え、ここは大都市近郊。とてもかつての「石炭」のイメージは無い。)

桂川に出た私は篠栗線で長者原に向かった。そう、香椎線を制覇するためだ。この「長者原」であるが、国鉄時代には無かった駅だ。その歴史についてはこの場であえて触れなくても皆様の方がご存知であろう。だが、この長者原の役割は非常に大きく、逆に何故国鉄時代に作らなかったのか不思議でしょうがないくらいだ。最近は「武蔵小杉」にも横須賀線(正式な名称ではない)が停車するようになった。それを考えるとこの長者原は逆に「運命」だったのであろう。それを象徴するかのように、この駅の利用者は実に多い。開業当時は篠栗線・香椎線とも棒線ホームであったが、篠栗線ホームは電化と同時に島式ホームに変身した。そんな長者原で香椎線に乗り換える。事前調査では十字クロスの立体交差と知っていたため3分の乗り換えは余裕であろうと思っていた。ところが・・・いざ実行してみると、香椎線のホームに着いた途端に列車が入線してきた!言い方を変えれば計算された乗り換え時間と言いたいところであるが、つまりギリギリという表現が正解であろう。

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(画像はウィキより。香椎線のホームから篠栗線を望む長者原駅の風景。国鉄時代には実現しなかった駅設置であったが、JR化されたからこそ実現したのであろう。今では利用者数的にも要衝の位置にある。)

香椎線は時刻表では国鉄時代に比べ格段に列車本数が増加したが、実際には非電化のまま、昔のままの雰囲気を残していた。篠栗線から香椎線に乗り換えると若干のギャップがある。まずは宇美へ。宇美と言えば、かつてはご存知、勝田線との接続駅であった。勝田線とは100mくらい離れていたが、勝田線の宇美駅は終点ではなく、隣の筑前勝田が終点であった。懐かしい・・・私は訪問できずに終わってしまったが、あの網の目のような北九州の路線網の中で実に印象深かった宇美駅。香椎線の宇美駅は、現在はかなり規模が縮小されややコンパクトになった印象だ。

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(かつては勝田線との接続駅であった宇美。勝田線とは100mくらい離れていたが、もし現存していたら博多まで乗り換えなしの直通列車で便利であったろう。ただ、廃止当時は併走する路線バスに押されていたのも確かな事実だ。)

そして折り返して今度は西戸崎に向かった。もちろんさっき乗り換えた長者原を通り過ぎる。西戸崎を折り返して香椎で鹿児島本線に乗り換え博多へ向かった。乗り潰しならではの行動が象徴されるシーンだ。だがこの博多からこの旅の第2章が始まる。そう、私が今回の旅のテーマを「九州」と決めた理由・・・それは「島原鉄道」にあった。島原外港~加津佐間が廃止されるとの情報を受け「ならば」と思い立ったからだ。当時はレールファンを復活してまだ日が浅かったが、もちろんこの島原鉄道の事情は知っている。だからレールファン休業時代の空白を埋めるのにそう時間はかからなかった。しかしながら未開の地。いったいどんな列車が私を待っているのであろう。博多から「白いかもめ」に揺られながら「まだ見ぬ恋人」に会うかのような思いであった。


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更に長期連載になりそうな九州鉄道路線全線制覇<PART1>⑤

翌日の朝、宿泊先を後にした私は乗り鉄「らしい」行動に出る。博多から単発の乗り潰し・・・そう「博多南線」だ。博多南線と言えばご存知、新幹線の車庫への引き込み線である。その車庫の片隅にホームを設け、旅客輸送に充てようというスグレモノ。一見「副収入」のようにも思えるが、ウィキで乗車人員を確認したらなんと1万2千人くらいの人が1日平均で利用しているではないか!これは驚きであった。もちろん博多近郊とあって通勤客がほぼ占めている事であろうが、JRもこの数値をある程度予想していたのかという疑問が生まれた。私の予想だともう少し低い数値で見積もっていたと思われるが、私自身が実際に体験して納得した。

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(博多南へ向かった列車はご覧の車両であった。撮影は博多南から折り返し博多駅を下車して撮影したものであるが、まさかこれが0系最後の体験となるとは思わなかった。)

博多から博多南へ向かう列車はJR西カラーの「0系」であった。いずれこの車両はなくなるとは感じていたが、私の予想よりも早い時期にそれは訪れてしまった。晩年は初期カラーへ塗装し直し、自身の晩年に華を飾った。0系は、私の世代だと新幹線のイメージそのもの。幼少時代から植えつけられた斬新なフォルムは実に印象深く憧れの存在でもあった。そんな列車が引退していく・・・時代の変化とともに新陳代謝の激しい新幹線は、あの500系までも「こだま専用」のような存在になってしまった。博多南線は非常に短い区間であるが、そんな新幹線の歴史を改めて教えてくれた。

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(画像はウィキペディアより、博多南駅。ご覧の通り、新幹線の車庫に隣接する形となっているが博多近郊にあるため「回送などを使う」という発想は実に効率が良いかも知れない。いかにも「北綾瀬」的な考え方だ。


博多南へ向かう列車は全く持って回送状態。私以外の乗客が見当たらないから新幹線の歴史などを車窓に投影してしまうのだが・・・折り返す列車は多分たくさん乗客が乗ってくるだろうなぁとある程度予想していた。「今のうちに(座席の)いい場所を確保しておこう!」と私は座席を物色しだした。そして博多南に近づくと、予想通りとんでもない光景が私を待っていた。片面しかないホームには人・人・人!!スーツ姿の男女がホーム一面に群れをなしていた。「どーですか!お客さん」とでも言わんばかりの人間の山。回送がてらの車両を利用してお客様が利用するのだからこれほど効率よく利益を出せる商品はない!行きは貸切状態の列車であったが、帰りは自由席が立ち席客が出るほどであった。おかげで駅名標を撮影し損ねたではないか!私は通勤客のひとりとなって博多へ折り返した。

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(博多からはこんな車両で原田に向かった。JR化後の車両であるから私には全く形式とか特徴が分からない。だが、非常に乗り心地がよく、デザインも「あの人」がなされたであろう印象が。)

博多南線を制覇すると、今度は普通列車で原田へ向かった。そう、あの「筑豊本線」に乗車するためだ。筑豊本線が原田から出ているのはこのご時世に不思議な現象になってしまった。今から50年位前まではこの事象で正解であったのだが、21世紀の風景にはとても似合わない。というより役割がない。だが、現在還暦や古希をお迎えになられた方なら筑豊本線のこの区間の盛栄時代をご存知かも知れない。私の場合はDLが旧型客車を牽引するローカルな姿は中学生頃であった。そんな哀愁漂う筑豊本線の現在はDCの一両編成単行であるが、車両は変われど、なんというか雰囲気とかは昔のままであろう。というよりローカル線の基本のようなものかも知れない。


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更に長期連載になりそうな九州鉄道路線全線制覇<PART1>④

田川後藤寺から再び日田彦山線に乗り夜明に行く。んっ?夜明?事情を知らない方がこの記事を読んだら意味不明であろう。そう、日田彦山線の終点の駅は「夜明」というのだ。なんともロマンチックな駅名であろう。だが、私はそれほどロマンティストでもないし、この駅で「夜明け」を待っていたらそれこそ明日の行程が狂ってしまう。それを象徴するかのように、この駅では3分の乗り換えである。自身が決めた事だし、それにさほど大きな駅では無いから3分もあれば余裕で乗り換えられると思っていた。だが・・・夜明に着き運転手に切符を見せると「列車の乗り換えをしますか?」と聞かれた。私はうなずくと、どうやら交換列車に連絡をしたみたいだ。

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(見よ、このブレ具合!たった3分の乗り換え時間の中で収めた駅名標であるが、ホームの有効長が長く、跨線橋もホームの端にあるためこの3分という乗り換え時間が短いくらいだ。というより、この夜明駅についた頃は「夜明」ではなく「夕暮れ」であった。)

そしていざ乗り換えをすると、その「連絡」の意味がわかった。そう、かつての名残からか、1両・2両編成の普通列車にはとても持て余すほど有効長があるホームでの乗り換えはやたらと歩く距離が長い。しかもホームの先端に跨線橋があるためなおさらだ。もちろん「3分」という時間で間に合わなくはない。しかしながら、我々はやたら小走りになり階段も駆け足で上がった。乗り換える側の列車が、私たちが列車に乗った事を確認するとドアを閉めた。3分という時間内で乗り換えができたが、なんとなくのギリギリ感で皆様を待たせてしまった印象であった。

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(画像はウィキより。私の訪問時と塗装は違うが形式は同じであるDC。車内は明るく「らしい」デザインであるが、訪問時は下校時間とぶつかり、満員御礼であった。)

日田彦山線の列車は「国鉄型」であったが、乗り換える久大本線は「JR式」であった。黄色い車体の箱は高校生で満員御礼である。だが、なぜか2名用のボックス席が空いていた。まるで私たちを待っていたかのように。高校生達は皆立っている中、私たちは申し訳ない気持ちでその座席についた。クッションではなく木製の座席だ。ハーフボックス席とでも言おうか、2名だけの「個室」のような独特の空間。北九州独特の「なまり」を放つ高校生の会話をBGMに我々は久留米を目指す。久留米からは普通列車で鳥栖まで移動。鳥栖より「リレーつばめ」で博多に向かった。この「鳥栖よりリレーつばめ」というのがなかなか渋い。まるで木戸修の「脇固め」のようにキラキラ光る!そう、それは「いぶし銀」のように・・・と、自己満足の世界に浸りながら本日の宿となる博多で下車。そして私たちは九州最大の街のネオンに消えていった。

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(そして同じくウィキよりの画像。久大本線の下校ラッシュ時の中、ご覧の席が私たちを迎えてくれた。なんというか、夜明のような地味な駅からの乗車でよく座席が空いていたものだ。)


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更に長期連載になりそうな九州鉄道路線全線制覇<PART1>③

日田彦山線は、乗車していて実に歴史を感じる路線であると改めて感じた。まず呼野。周知の通りスイッチバックの駅であった事でその名を知られているが、もともと勾配上にあったホームだけが残り、その他のスイッチバック設備は全て撤去されてしまった。そしてその隣の駅はズバリ「採銅所」である。もう何も説明する必要がないであろう。いかにも「ナウい」駅名ではないのは明白だが、駅設備も開設当時のものがかなり残っていた印象であった。気が付けば座席から身を乗り出し、その車窓に釘付けになっていた。

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(その名もズバリ「採銅所」。この駅名だけでも日田彦山線の訪問意欲をそそるではないか!昔からの佇まいはなかなかの訪問価値がありそうだ。)

田川後藤寺で下車し一旦後藤寺線を制覇するため新飯塚に向かった。途中、船尾では実に「昭和」を感じる風景に出会った。レールファンにはとくに周知の事実であるが、目の当たりにすると実に実感するというか胸に染みる光景であった。そう、ここはかつて石灰石の積出駅として栄えたが、現在はそのだだっ広い更地の構内がかつての面影をとどめる程度になっている。真っ白に染まった駅舎がその存在をアピールしていたが、現在はその駅舎も取り壊され寂しくなってしまった。船尾の歴史を確認するためちょっとウィキを覗いてみた。するととんでもないことが判明!輸送量を見てびっくりした。1935年では、利用者がなんと11万人!そして貨物がなんと140万トン!1日平均で旅客だと304人程度であるが、貨物は3800トンになる。私は数学が不得手のためこの数値がどういうものか分からないが、この船尾駅のひとつの物差しになる事に変わりはない。だが、この貨物の数値は間違えなく船尾駅の大部分の収入を支えていた事であろう。

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(船尾駅の石灰石積出はなくなったが、だだっ広い構内はかつての盛栄を無言で語りかけていた。構内では1社のみ残るセメント工場がある。)

かつての北九州の鉄道路線網は、それこそ東京の地下鉄路線図より複雑であった。現在はものすごくスッキリとした感じであるが、この船尾を見た途端に「北九州の鉄道」が私に何かを語りかけてきた。当時の「国鉄」を彷彿させるような光景・・・私は思わず座席を立ち上がってしまった。船尾に来る前は田川後藤寺で乗り換えをしているが、こちらも「国鉄」の風景・・・だが、船尾は更に「国鉄」が凝縮された感じであった。しかしながら現在は「面影」のみ。私は全国の鉄道路線を放浪したが、ローカル方面には必ず「かつて」というキーワードが見え隠れし「盛栄」という過去が潜んでいる。そう、鉄道には必ず歴史がある。

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(画像は「昔訪ねた気動車ローカル線」より、1998年の筑前庄内。「国鉄」ではなく、現在の「JR」に近い雰囲気。とはおかしな表現かもしれないが、JR化されて10年が経ち、JRがそろそろ全国的に馴染んできた時期であったろう。)

そういえば、最近NHKの番組で「ファミリーヒストリー」という番組を視た。多分再放送であったろうが、ロックバンド「くるり」の岸田繁の先祖の歴史が綴られていた。私は「くるり」自体全く知らなかったが、祖先の方々は、それは素晴らしい方ばかりで感動してしまう。本人はそんな祖先の歴史をまるで映画館の観客席で映画を観るようにモニターで内容を観る、という番組だ。そして本放送では梅宮辰夫が登場する。梅宮家の歴史が、それこそ細かく調べ上げられで、本人も知らないような事ばかりが登場する。そして涙・・・当然であろう。もし自分の先祖の歴史がモニターで視聴できたら・・・と思うし、自身がその立場であったら感動するであろう。
船尾駅を見つめていると、なんだか北九州の歴史を、いや、鉄道そのものの歴史を見ているようにも感じた。ほんの一瞬の停車時間なのに、なんとなくその時間が何分にも何時間にも感じたのはなぜだろう・・・



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更に長期連載になりそうな九州鉄道路線全線制覇<PART1>②

新幹線で博多入りしたというのに早速乗り潰しが始まった。篠栗線~筑豊本線で折尾で乗り換え、更に若松へ向かう。だが、この折尾で早速「洗礼」を受けてしまった。折尾では、時刻表の地図の中では筑豊本線と鹿児島本線は普通に乗り換えができるようになっているが、実は過去の複雑な変遷の名残から若干ホームが離れて設置されている部分がある。

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(画像はウィキペディアより。というより、私自身も3分の乗り換え時間で撮影したが、こちらのほうが画像が良かったため拝借した。やはり折尾駅の駅舎はこうでなくっちゃ。現在は解体されてしまったが、往年の姿が残っていた貴重な駅舎であった。)

筑豊本線と鹿児島本線は周知の通り短絡線で結ばれているが、かつては貨物が主体の線路であった。だが、沿線人口の増加などでその短絡線を通る旅客列車の運転本数が増加されるようになり、折尾付近を通る短絡線にもホームを設置する必要性に迫られ、そして現在の形になった。だが、やはり「短絡線」という部分もあり、やや仮設ホーム的な印象もある。「後付け」であるため改札も別で、今回の私が計画した旅の行程で「3分」という乗り換え時間は実にスリリングであった。計画段階から分かっていたものの、いざ実行してみるとまさに秒刻みの行動をしなければならず、あの風格ある駅舎も秒刻みのスケジュールで写真に収めるなど、全てを計算し、全てを計算通りに行動させないと後の行程に影響が出てしまうので必死であった。結果的には成功したが、もちろん疲労困憊であったのは言うまでもない。この初日のスケジュールは折尾での乗り換えに全身全霊を込めたため全てのスタミナを消費した印象であった。

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(国鉄式の駅名標が残る若松。バックには駐車場やマンションが見るが、かつては多くの石炭列車がひしめき合っていた場所であった。常に貨物取扱No1の座を保ち、大きなヤードに煙が絶えないと聞いた。北九州の鉄道の歴史は石炭などの貨物輸送の歴史そのものであったろう。)

そんなクタクタな私を乗せた筑豊本線の列車は若松に着く。駅ホームの横にはすぐに新興住宅地が広がるが、実は周知の通り、かつては石炭積出港としてNo.1の実績を誇っていた駅でもあった。まさにその新興住宅地はかつて貨物側線が多く張り巡らされた場所でもあり、時間帯を問わず、常に駅構内では煙の匂いが絶えなかった存在であった。1980年代まではその名残を留めていたが、現在は先述の通り、その場所は住宅地に変身していてかつての面影は薄らいでいる。ただ嬉しかったのは、まだまだ「昭和」が感じられた事だ。駅舎の雰囲気や駅名標などが「国鉄」のまま残っており実に新鮮だった。「新鮮」という表現はおかしいが、なんだかかつて私が青春18で「いい旅チャレンジ20000km」に命をかけていた時代にタイムスリップしたような錯覚に陥ってしまったようだ。

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(再び若松より。旅客用のホームを残し、かなり身軽になった印象だ。1980代までは確かに広いヤードが残っていたが、私の初訪時は現在の姿であった。)

初めて来たのになんだか懐かしさを感じる若松を折り返し折尾に戻って来る。そして小倉に抜け日田彦山線に乗り換えた。小倉では待ち時間が30分くらいあったので、北九州名物「かしわうどん」を頬張る。「かしわめし」は折尾駅の「名物」であるが、小倉では「駅そば」で再現。1月というのになぜか汗だくでいただいた。
そんな小倉駅で待つ日田彦山線の列車は懐かしのキハ40であった。2007年よりレールファン復活の私には実に懐かしい材料であった。だが、北九州の中枢である小倉から乗車する列車はそれなりに満員御礼で、とくに都市近郊の役割をしっかりと果たしている印象であった。かつて石炭で栄えた北九州も、時代とともに役割が変化し、鉄道の意味も変化していった。筑豊本線、日田彦山線に「轍(わだち)」を置いていくことによって私なりの歴史確認作業が進行していった。



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プロフィール

ダイヤモンド☆トナカイ

Author:ダイヤモンド☆トナカイ
所在地:神奈川県湘南地区

〇2013年6月11日、北陸新幹線長野駅にてJR全線制覇いたしました(当時)。
国内の鉄道は、沖縄の「ゆいレール」を残し全線制覇しました。(とは言うものの、2015年3月の北陸新幹線延伸によりJR全線制覇は「ベルト返上」しました)

★ ブログ記事の「リメイク版」は、以前にホームページで紹介した旅日記をブログでリメイクしたものです。


◎ブログの登場人物

★ ダイナミック☆トナカイ
・・・中学時代の後輩で、2013年に約30年振りに再会を果たした。数多くの写真を提供していただいた「盟友」でもある。

★ おさる・・・かつて私がバンド活動をしていた時のメンバーで、鉄道復活のきっかけを作ってくれた人物。彼とは「秘境駅」を数回訪問した「親友」でもある。

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