今更ながらに湘南新宿ラインで旅をしてみた②
2015-04-30
既に先述したが、岳南電車を訪問した後私は草津に向かった。そう、湘南新宿ラインで。そして草津からの帰りも湘南新宿ラインを利用した。お陰で交通費が格安で済んだが、体力的にはやはり疲労を隠せない部分を否定できなかった・・・そんな疲労困憊の中、なぜか湘南新宿ラインを高崎から乗車した時より非常にテンションが高くなり、ならばブログに記事を紹介すべくしっかりと感受性を豊かにしておこうと心に決めた!という決意を元に高崎のホームを後にした。

(高崎で湘南新宿ラインを待っていたらこんな列車がやってきた。もちろん、私はこの列車が到着する前の普通列車に乗ってこの高崎に到着した。)
乗車した車両は東海道線ではお馴染みの車両であり、私にとっては生活の一部に過ぎない。そんな列車にどう「旅情」を探せというのか・・・いや、東海道線は特に私が幼少時代から生活の一部として馴染んできた路線だ。歴史や時間の流れとともにその変化をずっと見守ってきた。とは言え1985年くらいから2007年までレールファンを離れていたが、そんな中でも生活の一部として利用していたし変化していたことはもちろん知っている。逆にこの20年以上のブランクがあったからこそ今が実に新鮮に感じる部分も少なからずある。だから高崎駅で見る「小田原」という方向幕も実に新鮮。とは言えレールファンを復活してから8年以上経過しているので何度も見ているのであるが、改めて「ブログ管理者」的な事を意識するとそう感じてしまうのだ。

(深谷ではお馴染み「東京駅」が見れる。ちなみに「お馴染み」ではない人に解説させていただくと、東京駅の駅舎の材料になっているレンガは、ここ深谷で作られたものを使用している。)
高崎線の変化と言えば、深谷の駅舎が東京駅をモチーフしたくらいしか変化に気付かなかったが、国鉄時代には山手線・新幹線と並び「黒字路線」として名を連ねていたのは周知の通りであろう。そんな時代を今も若干感じさせるが、やはり最大の変化は先述した高崎駅などで「小田原」の行き先が頻繁に見られる事であろう。横須賀線が総武線と直通運転を開始した当時と同じように、湘南新宿ライン開業当時も高崎線の利用者はその方向幕をみて若干戸惑ったのかも知れない。

(廃止直前に訪問した東武熊谷線の熊谷駅にて。正式には秩父鉄道の熊谷駅と言ったほうが正解か・・・)
さて、熊谷に到着しても私の知っている昔の風景とそんなに変わらない。かつては「東武熊谷線」が分岐しており、東武鉄道唯一のDCが運転されていた。私も廃止前に訪問しているが、当時は全く意味もわからずただ廃止と聞くと訪問していたので記憶が薄い。しかしながら今となっては貴重な体験となってしまった。そんな経験を当時は実に多くやっていたが、今となってはよくぞそんな行動を取っていたと感心してしまう。まぁ、当時は中学生だったので休みの度にそんな事をしていたのであろう。それ自体記憶にないが、写真などの記録が残っているという事は、やはりそうだったのかも知れない。

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(高崎で湘南新宿ラインを待っていたらこんな列車がやってきた。もちろん、私はこの列車が到着する前の普通列車に乗ってこの高崎に到着した。)
乗車した車両は東海道線ではお馴染みの車両であり、私にとっては生活の一部に過ぎない。そんな列車にどう「旅情」を探せというのか・・・いや、東海道線は特に私が幼少時代から生活の一部として馴染んできた路線だ。歴史や時間の流れとともにその変化をずっと見守ってきた。とは言え1985年くらいから2007年までレールファンを離れていたが、そんな中でも生活の一部として利用していたし変化していたことはもちろん知っている。逆にこの20年以上のブランクがあったからこそ今が実に新鮮に感じる部分も少なからずある。だから高崎駅で見る「小田原」という方向幕も実に新鮮。とは言えレールファンを復活してから8年以上経過しているので何度も見ているのであるが、改めて「ブログ管理者」的な事を意識するとそう感じてしまうのだ。

(深谷ではお馴染み「東京駅」が見れる。ちなみに「お馴染み」ではない人に解説させていただくと、東京駅の駅舎の材料になっているレンガは、ここ深谷で作られたものを使用している。)
高崎線の変化と言えば、深谷の駅舎が東京駅をモチーフしたくらいしか変化に気付かなかったが、国鉄時代には山手線・新幹線と並び「黒字路線」として名を連ねていたのは周知の通りであろう。そんな時代を今も若干感じさせるが、やはり最大の変化は先述した高崎駅などで「小田原」の行き先が頻繁に見られる事であろう。横須賀線が総武線と直通運転を開始した当時と同じように、湘南新宿ライン開業当時も高崎線の利用者はその方向幕をみて若干戸惑ったのかも知れない。

(廃止直前に訪問した東武熊谷線の熊谷駅にて。正式には秩父鉄道の熊谷駅と言ったほうが正解か・・・)
さて、熊谷に到着しても私の知っている昔の風景とそんなに変わらない。かつては「東武熊谷線」が分岐しており、東武鉄道唯一のDCが運転されていた。私も廃止前に訪問しているが、当時は全く意味もわからずただ廃止と聞くと訪問していたので記憶が薄い。しかしながら今となっては貴重な体験となってしまった。そんな経験を当時は実に多くやっていたが、今となってはよくぞそんな行動を取っていたと感心してしまう。まぁ、当時は中学生だったので休みの度にそんな事をしていたのであろう。それ自体記憶にないが、写真などの記録が残っているという事は、やはりそうだったのかも知れない。

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今更ながらに湘南新宿ラインで旅をしてみた①
2015-04-27
湘南新宿ラインとはいわゆる「通称」で正式路線名ではないのは周知の通りであるが、私的にはこの湘南新宿ラインは実に斬新で新鮮なアイデアであると感心してしまう。私のような「昭和」な人間だと「西の起点は東京、北の起点は上野」という概念から、東京都のどこかの駅が鉄道の起点でなければいけないような習慣というか常識がある。そんな常識をぶち破ったのがこの湘南新宿ラインであった。今回は、先に紹介した岳南電車を制覇したあとにこの湘南新宿ラインに乗り草津を目指したが、ハッキリ言って始発の小田原から終点の高崎まで乗車したのは私たちだけであったろう。だが、東京地区をスルーしてしまう事が改めて画期的であると感じた今日この頃、現在は「上野東京ライン」とともに東京駅をスルーしてしまうのが当たり前の時代になってしまった現在、改めてその魅力を探ってみた。

(私が生まれた頃より慣れ親しんできた「湘南電車」。現在では吾妻線や両毛線などで活躍するが、その余命もそう長くはないであろう。)
ことの始まりは、恐らく貨物が衰退してきた1980年代から始まったと思う。1980年には大船で東海道線と横須賀線の列車が線路を共有し東京まで行っていたのを横須賀線と東海道線を分離させ、横須賀線専用の複線区間が新たに新設された。そして鶴見より、いわゆる「品鶴線」と呼ばれる東海道貨物線を旅客線として活かす形で鶴見~品川間に横須賀線の列車を走らせ、品川から地下に潜り総武線とドッキングさせるという大胆な革命が起きた。これにより横須賀線・総武線の直通運転が始まり、山手線・京浜東北線以外で初めて東京をスルーする画期的な列車として私は衝撃を受けたものだ。そのため大船や鎌倉では「君津」「上総一ノ宮」などの見慣れない行き先が現れ、利用者も最初は戸惑った事であろう。そのうち大船発の「わかしお」なども出現し、新・横須賀線の活用にバリエーションが広がっていき、そして今日の「NEX」に繋がっている。

(後ほど登場するが、品鶴線と言えば「新鶴見」であろう。新川崎駅の横に併設、というより新鶴見の横に新川崎が併設されていると言ったほうが正しいか・・・現在ではこの新鶴見も機能をほとんど失い、広大な空地が広がる場面も。)
それとは別に、世の中では「東京副都心構想」みたいなものが流行し、新宿に都庁が建設された。すると人の流れは東京・丸の内方面とは別に、新たに新宿方面への流れが非常に大きなウェートを占めるようになってきた。それに合わせるように、既に1980年代から衰退してきた貨物線を旅客に活かそうと工事を進めてきた山手貨物線の再活用を提案、現在の埼京線・湘南新宿ラインの形ができあがったと思う。ウィキによると2001年の運転開始と記されていたが、これは恐らく競合する私鉄会社も驚異であったろう。特に小田急は藤沢~新宿間ではスピード面では劣っていたが、更に劣勢に立つことになった。それは小田原~新宿間にも言えることであるが、更に新宿から先も乗り換えなしで行けるのが最も魅力であったろう。特に湘南各駅から池袋などに通勤している人は完全に乗り換えなしでの直通であるため、もし私が同じ立場であっても確実に湘南新宿ラインを選択している事だと思う。

(画像はウィキペディアより。私にしてみたらこの車両を見てパッと形式が出てこない、というよりわからない。E231系と言われてもあまりピンと来ないのは私が「昭和型」「国鉄型」だからであろうか・・・)
今回の湘南新宿ラインの旅は、そんな都会を走る列車の「旅情」を紹介してみたいが、果たして都会を走る列車に「旅情」とは「??」であろう。草津への旅の際、行きは小田原から高崎まで、帰りは高崎から茅ヶ崎まで乗車した。今回は帰りの旅の模様を紹介してみたい。もちろん切符はあの「18」しかない!というより他にいい切符が見当たらない!みたいな・・・

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(私が生まれた頃より慣れ親しんできた「湘南電車」。現在では吾妻線や両毛線などで活躍するが、その余命もそう長くはないであろう。)
ことの始まりは、恐らく貨物が衰退してきた1980年代から始まったと思う。1980年には大船で東海道線と横須賀線の列車が線路を共有し東京まで行っていたのを横須賀線と東海道線を分離させ、横須賀線専用の複線区間が新たに新設された。そして鶴見より、いわゆる「品鶴線」と呼ばれる東海道貨物線を旅客線として活かす形で鶴見~品川間に横須賀線の列車を走らせ、品川から地下に潜り総武線とドッキングさせるという大胆な革命が起きた。これにより横須賀線・総武線の直通運転が始まり、山手線・京浜東北線以外で初めて東京をスルーする画期的な列車として私は衝撃を受けたものだ。そのため大船や鎌倉では「君津」「上総一ノ宮」などの見慣れない行き先が現れ、利用者も最初は戸惑った事であろう。そのうち大船発の「わかしお」なども出現し、新・横須賀線の活用にバリエーションが広がっていき、そして今日の「NEX」に繋がっている。

(後ほど登場するが、品鶴線と言えば「新鶴見」であろう。新川崎駅の横に併設、というより新鶴見の横に新川崎が併設されていると言ったほうが正しいか・・・現在ではこの新鶴見も機能をほとんど失い、広大な空地が広がる場面も。)
それとは別に、世の中では「東京副都心構想」みたいなものが流行し、新宿に都庁が建設された。すると人の流れは東京・丸の内方面とは別に、新たに新宿方面への流れが非常に大きなウェートを占めるようになってきた。それに合わせるように、既に1980年代から衰退してきた貨物線を旅客に活かそうと工事を進めてきた山手貨物線の再活用を提案、現在の埼京線・湘南新宿ラインの形ができあがったと思う。ウィキによると2001年の運転開始と記されていたが、これは恐らく競合する私鉄会社も驚異であったろう。特に小田急は藤沢~新宿間ではスピード面では劣っていたが、更に劣勢に立つことになった。それは小田原~新宿間にも言えることであるが、更に新宿から先も乗り換えなしで行けるのが最も魅力であったろう。特に湘南各駅から池袋などに通勤している人は完全に乗り換えなしでの直通であるため、もし私が同じ立場であっても確実に湘南新宿ラインを選択している事だと思う。

(画像はウィキペディアより。私にしてみたらこの車両を見てパッと形式が出てこない、というよりわからない。E231系と言われてもあまりピンと来ないのは私が「昭和型」「国鉄型」だからであろうか・・・)
今回の湘南新宿ラインの旅は、そんな都会を走る列車の「旅情」を紹介してみたいが、果たして都会を走る列車に「旅情」とは「??」であろう。草津への旅の際、行きは小田原から高崎まで、帰りは高崎から茅ヶ崎まで乗車した。今回は帰りの旅の模様を紹介してみたい。もちろん切符はあの「18」しかない!というより他にいい切符が見当たらない!みたいな・・・

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予期せぬ連休に急遽草津温泉に行く事に決めたけど、その前に岳南電車の各駅に降りてみた⑪ 岳南江尾
2015-04-24

岳南電車の終点・岳南江尾は、周知の通り、かつては東海道新幹線建設の際に資材運搬の役割を果たしたと聞いた。それを象徴するかのように、駅前には新幹線の高架橋がデーンと構える。辺りは住宅街的な雰囲気となっており、昼間の時間帯でもそれなりに利用者がいるのは嬉しい。ネットなどで調べるとここから東田子の浦まで路線バスが出ているらしいが、吉原から岳南電車に乗り岳南江尾でバスに乗り換え東田子の浦まで行く乗客はほぼ皆無であろう。それよりもせっかく新幹線が至近距離にあるのだから、それこそこの付近に「新富士」でも作って新幹線と接続させれば岳南電車の活性化にもつながると思うのは私だけであろうか。新富士を単独駅にしてしまうのは若干もったいない気もするが、運転時間的に不規則なバスよりも別会社ながら鉄道で新幹線の駅とアクセスさせるほうがよっぽど効率的だと思うのはあくまで個人的意見である。これも個人的意見であるが、もし岳南江尾が新幹線の接続駅であったなら、JRの車両が岳南江尾まで乗り入れても良いかも知れない。もちろん色々な成約があるであろうが・・・
現在のまま将来を迎えるのは実にもったいない気がする岳南江尾は、他に使い道は無いかと心配してしまうくらい良い趣の駅である。とは言え周囲は繁華街とかではないため、鉄道本来の機能を発揮させるにはやや持て余し気味であるのは周知の事実であるが、やはり乗っていただいてこそ本来の鉄道としての機能が活かされてくると思う。貨物列車がなくなって今後の進退が注目される中、どの鉄道会社にも抱えている問題にどう挑んでいくのか・・・

岳南江尾には、私が得意とする駅名標が無かった。そのため駅名標の撮影を断念・・・それより、かつては貨物ホームなどもあったらしいが、その貨物輸送はトラックに切り替えられ久しい。昭和50年代位に発行されたコロタン文庫の「私鉄駅名全百科」にもこの岳南江尾の駅舎が載っていたが、ほとんどその当時と変わらない風景であった。



駅舎外観。どうでもいい事であるが、駅舎内に自転車が数代置いてあるのがお分かりいただけただろうか?この駅は駅舎兼自転車置場の事実が「公認」されている、とでもいうのであろうか・・・

駅舎の向かって右側は、某会社の倉庫みたいな施設であった。かつてはこの場所に貨物ホームなどがあったと思われるが、ご覧の通りの状況に。なかなかの「ガルウィング」は、若干ながら西部警察の「フェアレディZ」を思い出す。私の車も「ガルウィング」に改造してみたいのだが・・・

かつてはもっと線路が先に延びていた聞いたが、今ではご覧の通り、延伸の夢は完全に無くなってしまったようだ。

駅前の風景であるが、ご覧の通り新幹線がビュビュンと通過する!新富士駅設置の際にこの地は候補に挙がらなかったのか?と思う。


再び駅舎を抜けホームに行くことに。この場所に駅員が立った時期というのが存在したのであろうか?





貨物輸送の役割もなくなり、スッキリした感のあるこの駅に、列車がやってこなくなる日は来るのであろうか?「かぐや姫号」とは、随分とレトロなかぐや姫であるが・・・

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予期せぬ連休に急遽草津温泉に行く事に決めたけど、その前に岳南電車の各駅に降りてみた⑩ 神谷
2015-04-21

「ペーパーショップ」と先生から呼ばれていた同じクラスの同級生がいたのは小学校時代だ。今考えたら3流のジョーク的なダジャレでもあるが、当時は全く意味がわからなかった。そんな事を思い出させてくれるここ神谷は一面一線の単式ホームであり、岳南鉄道の中ではジヤトコ・吉原本町と共に実にシンプルな造りとなっている。ただ、この駅が他の駅と違うのは「ビュー」的な要素がしっかりと詰め込まれている事であろう。特に写真にこだわる方はここ神谷での撮影は欠かせない存在となることと思われる。そして工場群からすっかり開放され住宅がたくさん見えるのはやはり旅客が主役であるこの駅の役割を象徴しているようだ。私の訪問時もそれなりの利用者がホームにおり、私のような「よそ者」は若干浮いた存在であったかも・・・


神谷は実にシンプルであった。岳南の中にあって貨物とは全く無縁の姿は、逆に個性的に写る。

駅前はやはり生活が感じられる。他社の鉄道路線でよく見かける風景であるが、岳南沿線だと異色に感じるものだ。



お分かり頂けただろうか?このビュー・スポットの素晴らしさを。向いている方角は吉原方面である。岳南江尾行の列車を撮影するのには最高のロケであろう。私は吉原方面に向かう列車しか遭遇しなかったため残念ながら撮影できなかったが、次回はしっかりと収めてみたい。


そしてこちらが岳南江尾方面の眺め。やはり吉原方面から来る列車をこのホームから見てみたかったが・・・そうこうしているうちに「吉原行」が到着する時間となった・・・

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予期せぬ連休に急遽草津温泉に行く事に決めたけど、その前に岳南電車の各駅に降りてみた⑨ 須津
2015-04-18

難読駅名であろう須津であるが、この辺から岳南江尾までは工業地帯というより住宅街が続く。列車交換可能駅であるが、何本かの側線も残っており、若干ながら貨物駅的な匂いを感じさせる。駅に降りてひと目でわかるが、かつては岳南鉄道の敷地内であったろうと思われる場所には現在住宅が数棟建っている。そう、もう岳南では既に貨物は「過去のもの」となってしまったようだ。とは言え「岳南電車」として今の時代でも活躍していてくれている事が嬉しい・・・というより貴重な存在であろうから、逆に私たちはこの岳南鉄道(電車)との時間を共有できるだけでも素敵な事であろう。岳南電車の中では割と地味な存在の須津であるが、こうした駅はもっともっと多くの方に知っていただきたい物件である。しかし、そう多く知ってもらっても逆に私の感性から逸れてしまうため秘密にしておきたいのだが・・・まるで「ここだけの話」をテレビ番組で放送しているような状況のような気もする。

須津に到着し、乗ってきた列車を見送る。時間帯的に、典型的なローカル線の風景がこれからずっと続く。




本吉原からずっとこのような造りが続く・・・個性がないと言えば個性が無いが、それが個性と言われたら個性かも知れない。



ご覧のように、しっかりとメンテナンスも施されている。こういう景色が見れるだけでも安心して身をあずけられる気持ちがする。やはり来て良かった!


とは言うものの、こちらもそろそろメンテナンス時であろうが・・・


雰囲気的に、かつては貨物側線などがあった場所であろうと推測。既に住宅に転換されている場所もあるが、いずれにせよ、これからも「地域密着」として活躍して欲しい。




かつては駅舎でもあったのであろうか。今回の旅は先述通り予備知識を全く持たずに参戦したためその手の情報は未確認のままだ。だが、雰囲気的に華奢な駅舎でもあったかもしれない。

今まで岳南鉄道の「素顔」に触れる機会が少なかったが、今回の旅では私の知らない岳南鉄道を数多く見る事ができた。収穫大である事は言うまでもないが、実を言うと同じ運転手に何度か遭遇し「顔パス」になっていた。一応「フリーきっぷ」を持っているのだが・・・

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予期せぬ連休に急遽草津温泉に行く事に決めたけど、その前に岳南電車の各駅に降りてみた⑧ 岳南富士岡
2015-04-15

関東や他各地には「富士見○○」と付く地名などが多く見られるが、その意味の大半はその場所から富士山が拝めるという事であった。もちろん現在は環境の変化などとともにその場所から富士山が見れなくなってしまった場所もあろうが、基本的には富士山が見れる場所という事であろう。静岡県や山梨県在住ならともかく、東京や神奈川などに住んでいても富士山がある風景は日常であり生活の一部として非常に大きな存在であろう。そんな富士山の存在を、そのままズバリ駅名に・・・いかにも静岡県らしい「富士岡」とは実に微笑ましいが、この駅には車検区の設備やかつて貨物列車で活躍した車両達が眠っている場所でもある。現在こそ保存状態が良いが、時間の経過とともにそのメンテナンスや経費などが負担となりいずれは消えゆく運命にあろうと思われる。やはり岳南鉄道は、貨物列車ファンにとっては「メッカ」的な存在であったのではなかろうか。そんな歴史を司る貨物列車群は、もはや完全に隅に追いやられてしまい「伝説」になろうとしている。いや、既に伝説になってしまっている。
そんな貨物列車の話題とは裏腹に、この岳南富士岡駅周辺は学校が多く、特に高校生の利用が多い。駅前に住宅も多く存在し、貨物路線の中にも生活を感じる事が出来る。しかしながら通学時間帯を過ぎると長閑な風景が流れ、全国各地に見られる、いわゆる「ローカル線」の風景がここにも存在する。
とにかく、貨物の歴史に触れたいのであればここ岳南富士岡を訪問しない事には語れないであろう。




では早速、駅舎から眺めてみよう。通学時間帯は駅員が出向くようであるが、私の訪問時は無人であった。が、車両メンテナンスをすると思われる職員は数名。やはりここ岳南富士岡は岳南にとって非常に重要な存在であろう。

これは「平成もの」であろう。昭和の趣きの中にも新しさを感じる。僅かではあるがリニューアルも施され生まれ変わっている姿は実に「夜景遺産」にも貢献する事であろう。




更に駅舎外観・・・駅前はかなりの住宅街であった。もちろん大半の住民は自身の「足」を所有している事であろうが・・・













これが「保存車両」であるが、一部現役の品もある。まだ役目を終えるには早すぎるくらい輝かしい身なり。臨時とかイベントなどで貨物の牽引姿が拝めないものであろうか?









そして旅客ホーム。島式ホーム1本と至ってシンプル。得意の屋根は岳南カラーそのままであるが、通学時間帯を過ぎ長閑な時間が過ぎていく・・・


構内には車検区も。こちらには職員が数名いた。








再び駅舎に戻ってみた。かつては「大貨物」の窓口であろう場所が、自販機で固く閉ざされていた。


という訳で次の駅に向かう事にした。

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予期せぬ連休に急遽草津温泉に行く事に決めたけど、その前に岳南電車の各駅に降りてみた⑦比奈
2015-04-12

岳南原田から段々と「岳南らしい」駅の造りと設備になってくる。そして岳南鉄道が貨物主体の私鉄であった事の証が次々と登場する。特に比奈は付近で貨物を分岐したり貨物専用のホームが近くにあったりと、完全に旅客は脇役的存在であったかのようであった。ところが現在は旅客が主役に昇格。とは言え、かつてより利用者がかなり減少している。今後の進退が当然気になるところであるが、特にこの比奈は岳南電車で一番「貨物」を感じるのではないか、と思う。確かに貨物駅としては盛栄を感じるが、旅客駅として見た場合、駅前一等地の風景があまりにも寂しすぎた。全く何もないのならあきらめが付くが、駅前の古いビルが中途半端に営業しているようなしていないような・・・そして駅構内には枯れすすきがひしめく巨大な空き地が存在するが、当然ながらかつては鉄路が貼り巡らされていたであろう。レールは寂れ中には撤去されてしまったものもあるが、だからといって付近の工場などが寂れたわけではない。とは言え、もちろん今日(こんにち)の経済状況を考えた場合、決して1990年代のような盛栄とは言えないが、それでも企業努力を惜しみなく最大限に発揮しGDPに貢献している事であろう。そんな日本の経済を支える工業地帯の一部に、まるで異空間のような岳南電車は、国の重要文化財的存在であろう。








早速比奈に到着。ご覧お通り「岳南風」の風景が。そして側線が多くひしめくのがなんとも特徴的。いかにも「貨物」のイメージか。



そしてかなりの年季が入っている。思わず金ブラシで丹念に磨いてから改めて塗ってあげたい気分だ。そして岳南原田にもあったベンチがここにも。




駅舎を見てみる。現在は無人くんであるが、恐らくかつては駅員がいたであろう。もちろん貨物関係の職員であろうが。そして駅舎のバックには本来「世界遺産」が見れるはずであろうが、ご覧の通りの風景。





駅舎内の風景。何かのドラマで使用されたらしいが、例えば私が一流ミュージシャンであったらプロモーションビデオなどでも使用してみたい。

そしてこれが駅前一等地。昭和を感じる風景であるが、旅客輸送に貢献するような風景には程遠いかも知れない。


この枯れ草地域にはかつて多くの線路があった事であろう。もったいない気もするが、時代の流れとともに鉄道は皆同じ道を歩んでいる風景は、ファンとしては複雑だ。


ホームの先端から隣の駅が見えるほど!の至近距離の駅にこれから向かう。やはり岳南は貨物列車がいないと、なんとなく抜け殻的存在に見えてしまう・・・

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予期せぬ連休に急遽草津温泉に行く事に決めたけど、その前に岳南電車の各駅に降りてみた⑥岳南原田
2015-04-09

今回の岳南鉄道訪問に際し、全くの予備知識を持たずに参戦した。なのでこの駅に着いた途端に非常なサプライズが待っていた!ドアが開くなり、何やら醤油だしの風味・・・そう、ここには「駅そば」があったのだ!ホームに足を踏み入れた瞬間にわかる、あの独特な香りは無意識にそちらに足を運ばせてしまう。計画では約30分のインターバルがある。そう、この30分は運命であったのか、予め霊的な何かが知らせてくれたのか・・・まるで計算されたかのような、そして誰かに仕組まれたかのような「罠」であった。
とりあえず男女の駅員が我々を迎えてくれた。男性職員は恐らく運転手と思わるが、朝の時間帯は職員がいるのであろうか。しかも女性職員はわりかし若い方であった。実に爽やかであったが下車したのは我々と他若干名であった。
現在でも構内にはたくさんの貨物側線が張り巡らされているが、それらは全て「鶴見線」のようでもあった・・・ただこの駅に関しては、かつての貨物の盛栄を偲んでいる場合ではない。それよりも併設される「飲食店」の方がはるかに気になる存在であった。あえて飲食店内では写真を撮影しなかったが、なんというかとても飲食店的ではない雰囲気の女性従業員が我々を迎えてくれた。そのギャップが実に絵になる!どういう雰囲気かは自身の目で確認していただいた方が肌で感じる事であろう。


これが駅舎の全景。もう出し惜しみはしない!早速「飲食店」があることを確認していただきたい。なかなか風情と趣のある「駅そば」が駅舎右手に早速確認出来る。だが、今回はあえて蕎麦の写真を収めなかった。これはこのブログをご覧お皆様に是非自身でご確認いただきたいからだ。わざわざ現地まで訪問する「意味」が必ずある事を肌で実感するであろう。



おわかりいただけただろうか?駅舎内にコップや水がある事が。そして、曜日によって異なるサービスもある。もし、飲食店が満席の場合、駅舎の座席を開放する・・・とでも言うのだろうか・・・




では・・・飲食店を切り離して駅舎から紹介してみよう。なんとも趣きのある造りであるが、やはり駅舎内にいてもかつお風味の匂いが気になる。



ホーム側から駅舎を見てみた。ご覧の通り側線がまだまだ健在であった。だがもちろん機能していなく、途中で線路が途切れている。その先には・・・



そこは斎場になっていた。全く私事であるが、最近「父の件」もありこういった施設には非常に敏感になっていた。駅前にあるという事は来場には非常に便利。車社会とは言え、遠方から来場される方にとっては非常にわかりやすく教えやすい。




岳南特有の駅の造りはもう見慣れてきた。この先岳南江尾までこういった景色が続くであろう。側線はかなり「酸化」していたのが気になった。だが、こうして駅の景色を撮影していても「鰹出汁」が匂ってくる・・・的な魅力あふれる駅だ。

更に駅前には気になる看板も。駅前なのでアクセスに便利。これってリーズナブルなのであろうか?


という事で次の駅に向かう。が、ご覧の通り若干の乗客が・・・

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予期せぬ連休に急遽草津温泉に行く事に決めたけど、その前に岳南電車の各駅に降りてみた⑤本吉原
2015-04-06

本吉原は隣の吉原本町と混同してしまいそうであるが、両者は全く異なった性格の駅である。かつては駅舎と貨物側線があったが、現在は駅舎は取り壊され側線は駐車場に変身している。そしてその駐車場の一角に岳南電車の本社があり、またテナントと思われる飲食店が敷地内にあり、岳南鉄道の収入源として貢献している事であろう。かつては先述通り貨物の取扱があり清栄を感じる事が出来るが、この先の岳南江尾まで似たような造りが続き岳南鉄道カラーを感じるプロローグ的存在でもある。

駅舎・・・のように思われそうであるが、職員の詰所のような雰囲気であった。というか、以前にあった駅舎は先述通り取り壊されてしまい寂しくなってしまった。


こんな感じの構内踏切を渡り岳南電車(岳南鉄道)の本社の敷地兼駐車場兼テナントの敷地へ向かう事が出来る。

これが岳南鉄道本社兼駐車場兼テナント(バーミヤン)の敷地内にある本社。実に趣のある建物であるが、やたら自転車の停泊数が多いのはなぜだろう・・・









ホームに戻ってみた。先述したが、ここから先の岳南江尾までこの駅に似たような造りが続く「プロローグ」的な存在である。岳南らしいと言えばそうであるが、貨物列車がなくなってしまった現在、旅客のみの岳南鉄道は「らしさ」が失われたような気がする。


そんな事を感じながら・・・次の駅に向かう事にした。

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予期せぬ連休に急遽草津温泉に行く事に決めたけど、その前に岳南電車の各駅に降りてみた④吉原本町
2015-04-03

そういえば言い忘れていた。吉原・吉原と前章まで言っていたが、正確にどこにある電車なのか。レールファンならおなじみであろうが、そうでない方のために少々解説しておこう。この岳南電車の所在地は静岡県である。岳南電車各駅から富士山が拝めると評判であるが、ここ吉原本町は周りを塀などで囲まれ「ホームから富士山」の印象は薄い。というよりここは静岡県は吉原市の中心部にあり、駅前は商店街などで賑やかだ。ただ、私の訪問時は朝8時台であったので駅前の商店街はシャッターに閉ざされていた。利用者的にも吉原に次いで多く、岳南電車では要衝の駅となっている。
そして注目すべき点は、駅員であった。私の訪問時には女性職員が改札を請け負っていたが・・・なんと素晴らしく美人様であった!これは全く私の個人的意見であるが、とにかく素晴らしい!めちゃめちゃ美人であったので是非訪問してみてはいかがでしょうか?って、あくまで私の意見であるが、そんな美人さんが、ストーブにやかんが乗せられた昭和的建物の駅舎にある職務室で駅の業務をしている姿はなんとも微笑ましい。割に華奢な待合室に、朝のラッシュ時には若干手狭な印象であるが、一旦落ち着いてしまえばそこは「オアシス」となる事であろう。

別の場所にある駅名標。なんとなく国鉄的でもあるが、付近には工業地帯でもあり若干国際的な表示に。

なかなか趣のある駅舎であるが、ここは吉原市の中心部。やはり周囲は賑やかであるが、いかんせん朝早い時間帯。そのためまだまだ商店街は営業前であったのが残念であった。

駅舎を若干離れて望む。ご覧の通り、商店などはシャッターに閉ざされていた。ビルとビルの間にある駅舎は、なんとなく風情ある焼き鳥屋さん的見えるのは私だけであろうか?

駅舎を側面から見てみた。やはり前近代的な駅舎はいつになく素晴らしく見える。草津の温泉に浸かるより、こういった駅で一日過ごす方が効能がありそうだ。





駅舎内はこんな感じ。「ピース」している女性は無視してもらって構わないが、切符売場の職員が個人的に気になる存在であった。というか、なかなか渋い職場である。




ホームに戻ってみた。なんとなく「清水埠頭」的な雰囲気だ、と言っても伝わりにくいかも知れないが・・・狭いスペースを見つけ列車が止まる姿が実に微笑ましい。

ご覧のように、この駅で一気に乗客が下車する。下り列車はこの先、1両編成でも持て余し気味の車内であった。そんな列車で次の駅に向かう。

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