萌エル留萌

空が青く晴れ渡る日であった・・・6月というのに清々しい。そういえば北海道に梅雨など無いと聞いた。私のような関東人にしてみれば6月は敵であろう。あのジメジメした空気、蒸し暑いのに窓は開けられない、洗濯物は干せない・・・など、なんだか所帯染みた言葉を並べてしまったが、梅雨前線が来ない北海道は羨ましい。そんな中、私は留萌駅に降り立った。しかし私の知っている「留萌」ではなかった。恐らく開業当時からの物と思われるホームや駅舎であるが、当時の活気は既に無く、留萌「本線」と呼ぶには若干抵抗ある姿で乗降客も僅少であった。
かつては石炭を積んだ貨物列車で賑わった事であろう。留萌本線からは羽幌線を始め、恵比島では留萌鉄道、石狩沼田では札沼線、深川では深名線が接続していた。特に羽幌線や留萌鉄道などは貨物列車の運行も多かったであろう。だが、私が物心ついたころは既に石炭の時代は終焉を迎えており、留萌鉄道は既に無く、羽幌線も既に廃止候補に挙がっており「時代」が終わっていた。

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(留萌駅の旧・羽幌線方面を臨むが・・・完全に「空間」しか残っておらず、かつての清栄は既に感じられなかった。)

留萌は、かつてニシン漁が盛んだったらしい。石炭の他にニシンを沢山乗せた列車も右往左往し活気があったであろう。ニシンとは「鰊」と書く。ニシンは独特な匂いがあり、他の魚よりも若干骨が多く捌くのが若干面倒だ。煮つけが主流の魚であるが「焼き」も良い。最も身近なのが「身欠」であろう。「ソフト」と「本乾」とあるが、やたら年始になると活躍する。また、タケノコの季節にも欠かせないであろう・・・と、長々と書いたがこのブログは「鉄道」をテーマとしているので魚の事はこの辺にしておこう。
とにかく留萌駅の構内はだだっ広い。かつて羽幌線が分岐していた頃は若干Yの字にホームが分かれており留萌本線と羽幌線のホームの間に沢山の側線があった。その側線には沢山の貨物列車が停車していたことであろう。しかし羽幌線は廃止され、留萌本線の設備を残し他は全て撤去されてしまった。かつての羽幌線のホーム跡付近は某会社かなにかの広場となっているみたいで、若干名が野球みたいな事をしていた。

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かつては羽幌線のホームまでつながっていた跨線橋は隣のホームで完全に途切れている。羽幌線と留萌本線との間には多くの貨物側線があり、駅舎から羽幌線のホームまではかなり歩かされた。)

そして羽幌線へと続く跨線橋は留萌本線用のホームより先は途切れ、不自然な形の角度で残っていた。1両ないし2両編成の旅客列車が往復するにしてはやたら有効長が長い構内設備は「本線」として機能していた時の名残だ。私の乗ってきた列車は2両編成であったが、先頭の一両は終点「増毛」までの列車となり、後ろの一両は深川まで折り返す。文字通り「中心駅」ではあるが、現在駅の一日の乗車人員は100人を切っている。私の知っている限りでは乗降客数が2千人位はいたはずだ。留萌から例えば札幌へ行く場合、JRを使うより高速バスの方が便利がいい。鉄道を利用する場合よりは時間的にも経済的にも有利になる。もちろんJRで札幌へ行く人はほぼ皆無に等しいと思われるが、現在までも留萌本線が残っている事さえ奇跡かもしれない。

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(時代も変わり、長い編成の貨物列車は来なくなってしまった。1~2両のDCでは完全にホームを持て余し気味。)

先ほど乗ってきた列車に再び乗り、今度は増毛に向かった。途中、山景色から一気に海景色へと変わった!留萌本線より映し出される海の風景は度々雑誌等で紹介されており私も知ってはいたが、ここまで急に景色が変わるとさすがに戸惑う。かつて瀬越と礼受の間に「浜中海水浴場」という臨時駅があったらしい。しかし実態は駅舎はおろか、ホームもなく、シーズンに係員が、まるで飛行機のタラップのように列車のドアにステップを装着して対応したらしい。この臨時駅が留萌本線の増収に繋がったかは別として、少しでも増収を図ろうとする民営化後間もないJRの努力に拍手を送りたい。
そして増毛に到着したが、こちらも構内は広いが旅客扱いにに最低限の設備に縮小されており、更地には所謂「ぺんぺん草」が存在した。ここよりかつては延伸計画もあったが、当然のごとく頓挫しているだろう。増毛の名前の由来はアイヌ語の「マシ・ケ=カモメのいるところ」らしいが詳細は不明である。何ともロマンのある駅名である。

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(増毛駅には広い空間がただただ目立っていた。当然ながら貨物側線であったろう空間であるが・・・)

増毛より折り返し深川に向かった。途中、先ほど紹介した「恵比島」を過ぎる。かつて映画のロケ地として「明日萌」の別名があるが、昔ながら駅舎がありノスタルジックにしてくれる。しかし留萌鉄道の「る」の字も無く、面影を見いだせない。更に石狩沼田では札沼線が接続していたと先述したが、全く分からないほど「さ」の字も無い。札沼線とは文字通り「札幌」と「沼田」を結ぶ路線であったが、新十津川~石狩沼田間が廃止されてしまった。もし現在もこの区間が存在しても留萌本線の乗客減に歯止めはかからないはずだ。
そして深名線の接続していた深川に到着した。もちろん深名線の姿は既になかったが、ホームをそのまま留萌本線の転用されていた、というより留萌本線と深名線はかつては共用していたはずなので違和感なしであったか。「本線」と名乗るものが「支線」と共用とは、何か煮え切れぬ想いがあるが・・

栄枯盛衰・・・北海道の、いや、全国の地方鉄道の典型的な姿ではあるが、やはり寂しさを否定できない。留萌駅の有効長たっぷりのホームは、確かにかつて沢山の乗客で賑わいを見せた事だろう。やがて交通の主役の座を奪われ「抜け殻」だけが残っている。かつての盟友たちも次々と廃止されていく中で「列車が走る奇跡」は次の世代にどう映るか?そしてどう受け止めるか?もちろん「華やかな未来」はあるとは思えない。しかし時代を生きた「証人」は、今もこうして生き続ける。姿を変え、形を変え・・・

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レールファン復活後、初の北海道遠征⑥

昨日と同じ宿泊施設で一夜を明かした私は、最終日の今日、留萌本線に向かう。なんと朝9時半発の「スーパーカムイ」で深川に向かうスケジュール。何ともゆっくりな出発であるが、本数が限られている札沼線を制覇するにはこうなってしまう。逆に朝の時間帯はゆっくりできて、それこそ「旅行気分」であったが、目指す留萌本線はある意味私が楽しみにしていた路線でもあった。というのも、1980年代には訪問する事が実現できなかったため、今回はその思いが果たせることになる。とは言え、後述するが留萌では羽幌線を失いかなり寂しくなった。

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(私の乗ってきた「スーパーカムイ」。確か当時は新型車両であったと思うが、私の知る限り「いしかり」「ライラック」「ホワイトアロー」とネーミングが変化し、現在は「カムイ」に落ち着いているが、かつて「カムイ」は「かむい」として急行列車の名称でもあった。)

さて「スーパーカムイ」に乗った私は深川に到着。先述したが深名線を失い若干寂しくなった感があるが、かつては深名線とホームを共用していた留萌本線であるが、現在は当然ながら「専用」となっている。というより「本線」と名乗りながら地方交通線とのホーム共用は、どういう印象を持たれるであろうか・・・
というより、かつては石炭輸送で清栄を成した留萌本線である。羽幌線を始め、数多くの石炭積出路線を分岐していたし石炭のみならず、恐らく留萌では鰊(にしん)などの輸送もあったであろう。どちらにしても鉄道が「主役」であった頃の時代の典型的な例であろう。

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(留萌では、確か30分くらい待ち時間があった記憶だ。かつては羽幌線を分岐し、更に石炭輸送の貨物列車が多くひしめく貨物側線も多数あったが、現在はご覧の通り・・・)

留萌で乗り換えがあったため暫く散策する事ができた。そういえば、私のブログのタイトルの写真は、実はこの駅・・つまり留萌駅で撮影されたものである。この留萌本線に関しては既に紹介しているが、かつての清栄が考えられないほど、現在は完全に「ローカル線」となっていた。特に留萌駅では羽幌線を失った事が非常に大きな出来事であったように感じた。かつては貨物側線がたくさん張り巡らされて、特に留萌本線と羽幌線を結ぶ跨線橋は、それこそ茅ヶ崎の跨線橋よりも長かったかもしれない(という例えは伝わりにくいかもしれないが・・・)が、現在は途中で途切れている。かつての羽幌線と貨物側線の場所は何かの会社的設備や広場のようになっていてその名残を簡単に推測できるが、とにかくだだっ広い印象であった。現在、1面2線を残し全て撤去されてしまった姿は、なんとなく抜け殻のようでもあった。哀愁漂う留萌本線・・・私は何だかこの留萌本線を放っておかずにはいられない衝動にかられてしまった。

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(最近になって「話題」となった増毛駅。我々レールファン的に「感覚」ではわかっているものの、いざ実際の出来事となると・・・)

留萌本線を制覇した私は深川より岩見沢に向かう。そう、室蘭本線を制覇するためだ。というより、この室蘭本線の存在が、かつてから北海道制覇を企てる際にネックとなっていた存在であった岩見沢~苫小牧間である。今回は思い切り先手を打とうと制覇に踏み切った。だが、意外にも面白みがあり、単なる制覇の予定であるはずが、機会があれば再訪したい衝動になる・・・そんな魅力が溢れていた。例えて言うなら・・・BSの番組で(現在はCSのTBSチャンネルでも)放送されている「吉田類の酒場放浪記」に出てきそうな居酒屋にも似た雰囲気を醸し出していて実に味がある。「噛めば噛むほど」いい味が出てくる、そんな魅力たっぷりな室蘭本線の岩見沢~苫小牧間であった。


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レールファン復活後、初の北海道遠征⑤

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(2009年に訪問した時の旭川。当時はまだ高架化工事中であったので富良野線と函館本線との間にはやや距離があった。現在は高架化が完成しかなりスリムに変身した。)

地上時代の旭川を過ぎ滝川に着く。滝川はまだまだ昭和の面影が残る素敵な物件であろう。後年の旅ではこの滝川は宿泊の地として活躍したが、深名線を分岐していた深川とともに実に味わい深く、言わば「兄弟」のような雰囲気を醸し出している。この滝川で下車するというのも実に新鮮であるが、ここからバスで新十津川に向かうのも新鮮。札沼線を制覇するのにはそれこそ1980年代には散々計画を企てていたが、それこそ計画で終わっていた。しかしながらこういう形で実現するのも感慨深いものがある。

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(滝川駅からバスに乗り「新十津川役場」のようなバス停の名称であった記憶であるが、そこでバスを下車。そして若干徒歩を要すると華奢な駅舎が見えてきた。付近には大きな病院や集落があり、鉄道的な需要があるような感じもするが・・・)

そんなバスの旅も10分~15分くらいで終了。新十津川駅までは「新十津川役場」みたいなバス停から若干徒歩を要する。新十津川駅は実に素敵な駅で、まさに「理想」であった。新十津川駅の中心部にあるが、駅前に商店街などの施設は無い。喉が渇いたので何か飲料を購入しようかと付近を散策したが、結局駅前にある診療受付時間が終了した大きな病院の中にある自販機が唯一であった。しかしながらこの大きな病院は付近の住民にしたら頼りになる存在であろう。

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(新十津川より「最終列車」で札幌に向かう。ご存知の通り、路線名にある「沼」とは留萌本線の石狩沼田の事である。最近、この留萌本線のニュースでレールファン始め地元の方などの話題を集めているが・・・)

約30分くらいのインターバルであったろうか、実に短い時間に感じたが、辺りは既に暗くなって来た。若干宗谷本線の長旅の疲労が体を過るが、それでもこの札沼線は癒される存在であった。そんな新十津川から列車に乗り札幌に着いたのが21時46分。途中の石狩当別で乗換たが、こちらは既に都会の雰囲気を醸し出しており、とても「札沼線」とは呼べない存在である。新十津川~北海道医療大学間を「学園都市線」と呼べるかどうかとい事とほぼ類似するであろう。これほど明暗別れたカラーの違う路線も珍しい。石狩当別で乗り換えたとは言え、札沼線で入る札幌駅は実に斬新で新鮮味溢れる風光明媚な旅情であった。



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レールファン復活後、初の北海道遠征④

翌日の朝、私は再び札幌から北を目指した。予定表を見てみると・・・やたらと乗り換え駅が少ない!この日のスケジュールは4~5駅くらいしか記されていない。という事は・・・列車の乗車時間が長いという事になる。確かに予定的には札幌から宗谷本線を往復し、滝川からバスで新十津川に出て札沼線で札幌に帰ってくるというシンプルなスケジュール。ただ列車に乗っているだけで楽でいいと思われるであろうが、実際に行動してみたらこれが実に苦痛極まりない!これは一種の修行、いや、苦行であろう・・・やはり列車の旅は適度に乗り換えがあったほうがいいかも知れない。とは言え、関西の私鉄を制覇した時のように10分乗ったら乗り換え、5分乗ったら折り返し・・・なんていうスケジュールも逆に体力勝負となるが・・・

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(札沼線とツーショット中の「スーパー宗谷」。札沼線は現在、一部区間で複線・電化されここ数年で一気に飛躍した路線である。そういえば札幌駅であるが、新幹線が到達した日には現在の1.2.3番線が新幹線ホームになるとされているらしい。)

という事で、この日は札幌を8時半出発の「スーパー宗谷」での移動となった。稚内到着がなんと昼間の1時半である!5時間も同じ列車に閉じ込められてしまうのか、とは自身が考えたスケジュールなのでクレームのつけようがない。実際に、ハッキリ言ってエコノミー症候群にでもなってしまいそうな雰囲気が漂ったが、途中の北星や智北などの秘境駅や音威子府などでは「下車したい!」との気持ちが募る程いい感じであった。というより、宗谷本線は特急列車でサーっと通りすぎるのではなく、普通列車でじっくり訪問するのが「常識」なのであろう。後年には音威子府の下車を実現させているが、まだまだ乗り足りない、というよりひと駅ひと駅じっくりと訪問してみたい路線のひとつであろう。

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(終点の稚内にて。時間の制約から「最北端」をあまり楽しめなかったが、小学生くらいから一度は訪問してみたいと思っていたので念願叶った感じであった。しかし、その当時より側線の数が激減しややスリムになった印象であった。)

稚内に到着すると、隣のホームにいる「サロベツ」で折り返し札幌方面へ向かう予定だ。約20分のインターバルが実に足りないくらいであったが、急ぎ足で撮影を終え食料を調達するためになんと出発5分前に駅前のスーパーに駆け込んだ!というよりよくこの地に店を営業していてくれたものかと感謝の雨あられであったが、もし間に合わなかったら・・・の思いからもしっかりと地元の名産を選んでいた。ハッキリ言って列車の車内販売はあてにできないのでじっくりと時間をかけたのだ。と言っても実際にかかった時間は1分ほどだったろうが。発車1分前に列車のドアを潜ったのでギリギリセーフであったが、旅先で駆け込み乗車とは実にスリリング。皆様、決して真似をしなでいただきたい!

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(稚内からは「サロベツ」で折り返す。待ち時間が確か20分くらいあったがアッという間に時間が過ぎてしまった。そういえば近年「サロベツ」は一時期車両の不具合から運転見合わせ状態であったが、現在は復活している。)

さて、帰りはさっき見た景色をリフレインで見るのであるから何とも言えない雰囲気であった。乗りつぶしのための旅であるから仕方ないし色気もない。だが、2回目の音威子府は流石に下車してしまおうかと本気で思った。「あの人」の蕎麦が無性に食べたくなったのだ。この時の思いが後年の音威子府駅訪問に繋がってくるのであるが、実現までに実に7年もの歳月が費やされてしまった。逆によく7年の間に廃業せずにいてくれたものであると感謝せずにいられなかった。その時の模様はこちらで紹介しているので是非!


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レールファン復活後、初の北海道遠征③

そういえば、私がかつて勤めていた会社に室蘭出身の人がいた。その人は郷ひろみと年齢的に同じくらいなので私よりも10年以上も先輩である。とある日、私は通常の会話の中で「出身はどちらですか?」的な会話をしていた。「北海道です」との事なので「北海道はどちらで?」と振ると「室蘭」という答えが返ってきた。「あぁ、昔は石炭輸送でSLとか活躍していてすごかったみたいですね」と言ったら「えっ、随分詳しいね」と驚きを隠せない表情をしていた。室蘭と言って、まさか自身の幼少時代の事を言われるとは思わなかったのであろう。そう、年代的には石炭積出で清栄していた頃はまだまだ物心付きかけた頃であったろう。
私が小学校に入学する頃には追分でSL最後の活躍が見られた時代であった。というより、私が物心着いた頃には既にSLという機関車自体馴染みのないものであったし生活の一部からは既に遠ざかっていた時代でもあった。やはり10年も年の差があると経験する数もかなり違うなと染み染み実感した時でもあった。

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(室蘭駅の駅舎は現在4代目と聞いた。何回か移転を繰り返し多くの変遷があると聞いているが、やはり「黒ダイヤ」時代の清栄に比べたらかなりひっそりとした印象であろう。)

そんな室蘭も、時代が変わり役目も変わった。多くの変遷があり駅舎も何回か建て替えられたようであるが、駅構内はとにかく昔の面影が伝わってくるくらい広い。が、とにかく「昔は線路があったんだろうな」的な空間がほとんどであった。そしてかつては線路があったと思われる空間には商業施設や駐車場にも変身していた。土地の有効利用的な面においては実に実用的ではあるが、ある意味、そういう姿になっている事だけでも既に鉄道は「主役」の時代ではない事を察する。

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(同じく室蘭にて撮影。駅周辺はかなり広い空間が存在し商業施設などが誕生しているが、その空間は、かつてレールが沢山敷かれていたであろう事が容易に推測できる。)

そういえば東室蘭~室蘭は既に複線化されているが、これも石炭時代の名残である。現在では単線でも充分に機能すると思われるが、あえて複線のまま現在も維持しているのがいい。だが、この区間を走る列車は現在全て普通列車である。とは言え、例えば特急列車の車両も普通列車としてこの区間を乗り入れてくるため、タイミングが良ければ優雅な気分で移動できるかも知れない。
そしてこの区間で忘れてはいけないのが、レールファンにはお馴染みの母恋駅の存在であろう。お馴染みの駅弁は、蓋を開けると大きな北寄(ホッキ)貝が必要以上にアピールしてくる。北寄貝と言えば、青森県の三沢でも大々的にアピールしているが、こちらの母恋も負けてはいないであろう。つい先日も、某路線バスの旅でその模様が放送され「健在」である事が確認できた。

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(1983年10月に訪問した際の札幌駅風景。被写体は「ライラック」であるが、当時は地上駅時代であったのは先述通りである。この旅では札幌駅で約4時間の列車待ち合わせがあったが、インターネットなど発達していない時代であったので事前調査などできず、ただただ駅で過ごすという時間が過ぎていった。とは言え当時は中学生であったので「レール」にしか興味なかったが・・・)

そんな私は、実はタイミングよく特急列車の車両での普通列車でこの区間を乗車していた。つまり室蘭から直接札幌に向かえてしまうのだ。久々に見る苫小牧や、1983年訪問時は「千歳空港」であった南千歳を通り過ぎ終点の札幌に到着。今回の宿泊地として既に予定してる。1983年訪問時は地上駅であったが、既に高架駅に生まれ変わっていた。とは言え、高架駅の札幌駅は今回の訪問が初めてではなく、実は1993年に社員旅行で訪問しているので既に免疫が出来上がっていた。というより1983年の訪問時が国鉄として、そして地上駅としての最初で最後の訪問であった。当時は廃止される報告を受けた白糠線制覇のために訪れたのであるが、その事で貴重な副産物が付いてきたわけだ。社員旅行の時に訪問した札幌駅は、地上時代に比べ全体がやや後退した印象でかなりスリムになっていた。そして旧・駅舎と新しい現在の高架駅との間には更地的な空間があり、ひと目で生まれ変わったなという雰囲気が伝わってきた。もちろん、現在のその空間は周知の通りである。今回の旅で訪れた札幌駅は、北海道の中心駅らしく実に機能的に、そして堂々とした「主(あるじ)」の姿は、とても逞しく凛々しい印象でもあった。



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レールファン復活後、初の北海道遠征②

函館に着いた私は「スーパー」の付かない北斗に乗り換え東室蘭を目指す。「白鳥」と「北斗」は乗り換えに便利なように島式ホームの両側にお互いに停車し、階段を使わなくても済むように優しい配慮をしているのは素晴らしい。これって非常に大事であると私は思う。というのも、かつて(というより現在もであるが)私は「18」を使い散々全国を廻っていた。その時にポイントとなるのが「東海道線」であった。特にJR東海の区間では豊橋、浜松、静岡などでは必ずと言っていいほど階段を使う乗り換えを要求してきた。同一ホームで乗り換える機会がある時は本当にラッキーであるとしか言い様がないくらい私は相性が悪かった。

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(2009年訪問時の函館駅にて。今回紹介している旅は初夏であったが、写真の訪問時は3月であった。昔の面影を残しつつ、近年の輸送形態に使用しやすいように設備が若干変更されている。しかしながら昔の面影もしっかり残っているのは実に良い!)

全く私事であるが、かつて私は一度JR東海に、同一ホームの乗換に関した「ご意見」をした事がある。返ってきた答えは・・・要約すると「乗り換え時間を充分にとってあるのでご理解ください」的な内容であった。でも普通に考えて他社では普通に同一ホームでの乗り換えを日常的に配慮している。素人の考えであろうが、同一ホームの乗り換えを配慮するのはそう難しい事ではないであろう。例え同一ホームでない乗換をしなければならない場面があったとしても、少しの努力で解消できそうであるが・・・と、やたらと同一ホームでの乗り換えに拘ってみたが、皆様はどういうご意見であろうか。

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(「北斗」の新旧比較。上はお馴染み1983年訪問時で下は今回の旅での一枚である。両方とも札幌での撮影であるが、1983年当時は札幌はまだ地上駅であった。時代も代わり、スピード、そして役割も変化してきたが「北斗」という名は未だに健在であるのは嬉しい。)

と、話は脱線してしまったが(という表現は「鉄道」を主題としているブログとしては相応しくないかもしれないが)、函館では、私が初めて北海道に上陸した1983年10月以来の訪問で懐かしい。特にあの弧を描くホームが実に印象的であるが、なんとなく貨物側線が減り島式ホームが2本増えたのが実に印象的であった。確か、かつては頭端式ホームではなかったはずであるが、駅舎も建て替えられすっかりリニューアルしているし、頭端式に生まれ変わったホームも実に新鮮である。ある意味、実質「階段を使わない」乗り換えも実現している。

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(画像はウィキペディアより、東室蘭駅舎。随分と近代的になっている。そして構内は広く「わたれーる」なる長い跨線橋も出現し、複線同士の分岐はかなり複雑な配線であろう。)

さて、そんな函館を「北斗」で離れ、さっき通った五稜郭を過ぎると北海道特有の景色が出現する。特に大沼辺りの雄大さは圧巻、とは大袈裟かも知れないが、車窓から見える羊蹄山は世界遺産的な鉄道車窓であろう。とは私らしくない表現かも知れないが、北の大地は何もかもが素晴らしい。そんな大自然を列車に乗りながら楽しめるのが素晴らしいJR北海道は実に素敵な存在である。
秘境駅で有名な小幌など本当に瞬時に、しかも簡単に通り過ぎ東室蘭に着いた。これより先室蘭へ向かう。現在の感覚で見たら「支線」的であろうが、その昔は貨物積出常上位的数値であった。そう、現在の姿が想像できないくらいの清栄時代があったのだ。その面影を探るべく、ちょっと改札を出てみた。



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レールファン復活後、初の北海道遠征①

2007年、約23年振りにレールファン復活宣言をした私は久々の北海道制覇を企てた。それは2008年6月の事。今回の旅はなんといっても「北斗星」の乗車を初体験する事だ。しかもロイヤル!その模様は以前にも紹介しているが、我が人生においても大変貴重な体験となった。

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(レールファン復活後初の東北新幹線!1988年に運転免許取得のため福島へ向かった時以来であった。当然当時は200系であったが、時代も変わり八戸まで延伸された新幹線は実に新鮮であった。)

そんなわけで、北海道へのアプローチはもちろん「レール」だ。東北新幹線に乗るのも久々。1988年の合宿免許取得に福島は飯坂温泉へと旅立っていった時以来である。今回の旅では既に八戸まで延伸された状態での東北新幹線であったので、八戸で乗り換えが発生するのも実に新鮮であった。八戸と言えば・・・ちょっと個人的には蒼い思い出があるのであるが・・・一応「燃えるような大恋愛」とでも言おうか、そのお相手の実家のある場所でもある。まぁ、私が10代の頃であるが、なんて事を記すとブログのテーマからかなりかけ離れてしまうため割愛するが・・・八戸駅は八戸の市街地からはかなり離れており、周知の通り本八戸が市街地の中心部にある。八戸駅は、今回の旅では下車しなかったが、後年に宿泊した事がある。もちろん「蒼い思い出」時代にも宿泊してはいるが、その時は本八戸であった。八戸の駅前はかなりひっそりとしていて静かな時間が過ぎていったが、それでも新幹線の駅ができて若干ながら賑やかさが増したのであろう。

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(八戸駅で「白鳥」に乗り換える。私の感覚だと「白鳥」は大阪~青森の特急的なイメージであるが・・・時代も変わったものだ。更に現在は八戸駅に「白鳥」はやって来なくなってしまった。)

そんな思い出の八戸も、今回は乗り換えに過ぎない。「随分と変わったなぁ~」と八戸駅の印象であった新幹線ホームを在来線ホームから見ると真新しい。1983年以来の訪問であったが、貨物側線が新幹線ホームに変わったのを横目に「スーパー白鳥」が私たちを待っている姿も実に印象的であった。そして「スーパー白鳥」で青函トンネルを越える・・・皆様には大げさに聞こえるかも知れないが、この旅での出来事は全て新しさ尽くめで実に新鮮であった。かつては「上野発の夜行列車」などで青森から「連絡船」に乗って北海道を目指したものであるが、2016年頃には新幹線で北海道に上陸出来るようになるとは・・・

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(1983年に北海道初上陸してから25年の歳月を経て再び上陸。とはいえ、その間に3回ほど北海道へは訪問しているが、それは全て「鉄道以外」の旅であった。「鉄道専科」では実に久々である。写真は1983年訪問時の函館である。弧を描くホームが実に印象的で素晴らしい。)

そんな青森駅も、下車はしなかったが実に久々であった。だが・・・何か様子がおかしい。そう、かつての印象から比べかなりスリムになっていたのだ。青函連絡船がまだ健在の頃はもの凄い広大なヤードの中に旅客ホームがポツリとある印象で、四六時中休むまもなく列車が行き来していた。ところが今回の旅では車掌の合図により座席の向きを変える、そんな中間地点に過ぎない印象であった。貨物側線などが大幅に撤去され、日本海と太平洋を貫く「本線」を一気に束ねるあの「大・青森駅」の影はかなり薄い。
今回の旅の行き先は「北海道」である。だが、やはり「汽車旅」とは目的地まで行く道中も「旅」となる。これは以前にもこのブログで述べているが、、やはりそういう事を感じる事ができるのも鉄道ならではだ。だが・・・鉄道の旅とは「哀愁」を感じる場面が多い。やはり鉄道は「昔」であるのか。だが、私はそんな鉄道を放ってはおけない。というより好きでたまらない。そんな思いを胸に抱き、いざ北海道へ「再上陸」した。



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1983年3月、松浦鉄道ではなく国鉄松浦線を体験した時の事を記してみた(後編)

そんな事、当時の中学生が知る由もなく、ただただ時間だけが過ぎていった。ただ、気がかりだったのが、この列車が佐世保に着くのが21時45分。乗り換える夜行列車「ながさき」は翌日の0時30分であったので約3時間待ちであった!現在の私であるならば、事前にインターネットで「旨い店」を検索し、地魚などで一杯嗜んでいた事であろう。だが、当時はそんな事が全く分からなく、そして事前準備も知識もない。ただひたすら待合室で待つのだろうなぁ・・・などと計画段階からわかっていた。というより、中学生だから「旨い店」で過ごしてはいけないであろうが・・・

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(今回の記事の写真は全て「プラットホームの旅」よりご提供いただきました。私の訪問とほぼ同時期くらいの松浦駅。私の訪問は夜であったが、こうして昼間の画像を見てみると、またひと味違った雰囲気を醸し出している。)

そんな列車は海岸線を走り、さぞかし景色が素敵だろうなぁと思われるであろうが、そう、私の乗った列車は「最終列車」である。窓の外は何も見えない、というより真っ暗・・・ただひたすら佐世保に着く時間を待つしかなかった。いや、佐世保についても更に3時間近く列車を待たなければならない!これは完全に神に与えられた試練であろう、そう自分に言い聞かせるしかなかった。

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(同じく平戸口も同じような「昭和」「国鉄」の雰囲気を醸し出している。写真は「プラットホームの旅」より。

そんな中、ある事件が起こった。確か松浦であったと思うが、私は用を足そうと列車内の化粧室に入った。すると・・・なんと便器に腕時計を落としてしまったのだ!  ウワ━(。・ω・)ァァ━・゚・  しかもデジタルだ!私はすぐさま車掌に報告した。すると・・列車の下から時計を取ってきてくれたのだ。ありがとうございます!停車時間が6分くらいあったのでそれもラッキーであった。そう、かつて列車に設置されていたWCは、いわゆる「垂れ流し」であったため便器と線路が「直通」なのであった。その事も追い風になり、時計を紛失せずに済んだのだ。

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(佐世保駅も同じく「プラットホームの旅」よりの写真。とても広い待合室で、私は夜行普通列車「ながさき」に乗車するため約3時間程待った。というより、佐世保発は「ながさき」の愛称は無く「4420」という列車番号のみの表現であった。)

やたら「時間との戦い」となったこの松浦線であったが、この車掌の温かさが「旅情」を誘うキッカケとなった。佐世保駅で私は何をしていたのであろう。ハッキリ言って記憶にないが、この車掌の件は非常に鮮明に記憶に残っている。そんな事を考えながら、出発15分前まで開かない改札を見つめ「ながさき」を待つ自分の姿を、今の自分が頭の中に描いていた。

この記事の写真は全て「プラットホームの旅」の管理人様でいらっしゃるmassi1様にご協力いただきました。心から感謝致します。


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プロフィール

ダイヤモンド☆トナカイ

Author:ダイヤモンド☆トナカイ
創設:1969.03.09
所在地:神奈川県湘南地区

〇2013年6月11日、北陸新幹線長野駅にてJR全線制覇いたしました。
国内の鉄道は、沖縄の「ゆいレール」を残し全線制覇しました。(とは言うものの、2015年3月の北陸新幹線延伸によりJR全線制覇は「ベルト返上」しました)

★ ブログ記事の「リメイク版」は、以前にホームページで紹介した旅日記をブログでリメイクしたものです。


◎ブログの登場人物

★ ダイナミック☆トナカイ
・・・中学時代の後輩で、2013年に約30年振りに再会を果たした。数多くの写真を提供していただいた「盟友」でもある。

★ おさる・・・かつて私がバンド活動をしていた時のメンバーで、鉄道復活のきっかけを作ってくれた人物。彼とは「秘境駅」を数回訪問した「親友」でもある。

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