神栖界隈(前編)
2015-11-27
既にこのブログでも述べているし、レールファンなら周知の事実であろう。鹿島臨海鉄道はかつて、現在の貨物線である北鹿島(現・鹿島サッカースタジアム)~奥ノ谷浜間にあった鹿島港南までは旅客列車が運転されていた。残念ながら私は現役時代に訪問できなかった。しかし、旅客列車がこの地に走り出してから約30年くらい経過した現在、旅客列車は廃止されてしまい、旅客列車の終点であった鹿島港南駅は駅自体がなくなってしまった。しかしながら当時を知る者として、そこに旅客列車が存在した歴史は実に心に深く刻み込まれている事であろう。

(少し見にくいが神栖に到着した。雨の中の訪問は若干メランコリーであったが、それでも訪問出来た時の喜びは大きい。)
2015年8月、念願かなってこの地に訪問することに成功した。しかし・・・現実はかなり厳しいものとなっていた。訪問当日は夕方5時頃となってしまい悪天候という事も重なって、事実上写真的なものはそう多く撮影できなかった。そんな中で鹿島臨海鉄道のそれを見ていると、心の中が渋くなってしまうほどの哀愁が私に迫ってきた。まずは奥ノ谷浜付近。実際に奥ノ谷浜が現在機能しているのかどうかは不明であるが、その付近を横切る道路がある。もちろんそれは踏切であるが、その踏切を境に片方は草ボウボウ、片方はレールの上に枕木が乗せられており事実上「廃止」的雰囲気が漂っていた。

(正面から改めて、かつては旅客営業していた神栖駅。現在は貨物のみの営業である。構内は広く、多くの側線が張り巡らされているが、なんと、現在も旅客ホームが残っていると聞く!もう少し時間があったらじっくりと訪問できたのに・・・)
順番は前後してしまうが神栖にも訪問した。こちらはどうやら健在のようで、貨物列車の車両が多くひしめきあう。そして建屋内には職員と思われる人もおられ、事実上「営業」していたのであろう。であるが周知の通り、時代は鉄道を利用して貨物を輸送するという事がめっきり少なくなってしまった。というより、近い将来的に鉄道で貨物を輸送するという事が逆に貴重な存在となっていくかも知れない。特に臨海鉄道的な存在は、産業遺産にでも変化していくのではなかろうか?とはオーバーであろうが、それくらい鉄道の貨物という存在がそんな雰囲気になっている現在のレール事情であろう。「臨海鉄道」という名の云われが、そして原点が実はここ「神栖」にある。そしてそこから更に続く貨物線は確かに「臨海」であった。2015年訪れたこの地で私は鹿島臨海鉄道の原点を見た。

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(少し見にくいが神栖に到着した。雨の中の訪問は若干メランコリーであったが、それでも訪問出来た時の喜びは大きい。)
2015年8月、念願かなってこの地に訪問することに成功した。しかし・・・現実はかなり厳しいものとなっていた。訪問当日は夕方5時頃となってしまい悪天候という事も重なって、事実上写真的なものはそう多く撮影できなかった。そんな中で鹿島臨海鉄道のそれを見ていると、心の中が渋くなってしまうほどの哀愁が私に迫ってきた。まずは奥ノ谷浜付近。実際に奥ノ谷浜が現在機能しているのかどうかは不明であるが、その付近を横切る道路がある。もちろんそれは踏切であるが、その踏切を境に片方は草ボウボウ、片方はレールの上に枕木が乗せられており事実上「廃止」的雰囲気が漂っていた。

(正面から改めて、かつては旅客営業していた神栖駅。現在は貨物のみの営業である。構内は広く、多くの側線が張り巡らされているが、なんと、現在も旅客ホームが残っていると聞く!もう少し時間があったらじっくりと訪問できたのに・・・)
順番は前後してしまうが神栖にも訪問した。こちらはどうやら健在のようで、貨物列車の車両が多くひしめきあう。そして建屋内には職員と思われる人もおられ、事実上「営業」していたのであろう。であるが周知の通り、時代は鉄道を利用して貨物を輸送するという事がめっきり少なくなってしまった。というより、近い将来的に鉄道で貨物を輸送するという事が逆に貴重な存在となっていくかも知れない。特に臨海鉄道的な存在は、産業遺産にでも変化していくのではなかろうか?とはオーバーであろうが、それくらい鉄道の貨物という存在がそんな雰囲気になっている現在のレール事情であろう。「臨海鉄道」という名の云われが、そして原点が実はここ「神栖」にある。そしてそこから更に続く貨物線は確かに「臨海」であった。2015年訪れたこの地で私は鹿島臨海鉄道の原点を見た。

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昔の名前で出ています
2015-11-23

「恋の列車は~」シリーズでは茨城・千葉県を訪問したが、やや番外編的な形で芝山鉄道にも訪問した。特に東成田の変遷は非常に複雑で哀愁が漂う。ご存知、かつては「成田空港駅」として空港アクセスの機能を果たしていたが「成田新幹線」の構想が事実上消滅したため現在の形になったのが1991年の事であった。既に20年以上経過した事については実際に「もうそんなに経ったのか・・・」という印象である。そして新幹線構想がなくなってアオリを受けてしまったのがこの東成田であった。
かつては2面4線あったホームも現在は1面2線しか使用されていない。そしてその使用されていないホームは、なんと未だに「成田空港」のままである。そんな東成田であるが、アクセス駅としての機能を失っているものの、現在でも当然成田空港の近くに駅があり空港関係者の利用が少なくない。とは言うものの、私が2015年に取材に訪れたのが平日朝8時台の、まさに通勤時間帯であった。であったが、一般に首都圏で見る通勤時間帯のそれとはかなりかけ離れた印象であり、柔らかな時間が過ぎていった。
さて、東成田からは芝山鉄道となるが、隣の芝山千代田からの延伸は・・・という話題はややデリケートな話題となってしまいそうな雰囲気であるが、とにかくここ東成田の今後に注目してみたい。



ナビの案内されるままに到着した東成田。かつての空港アクセスとしてはやや華奢な印象である。バスターミナルなどの施設は駅前には無く、小さなロータリーがあるのみであった。本当にアクセス駅であったのかと心配してしまうほどの風景であった。


「コンコース」と呼べるかどうか分からないが、一応中央通路的空間である。列車が到着するとそれなりに下車客が足早に過ぎ去ってく風景が見られるが、それ以外はご覧の通り・・・

駅舎(というより入口)からコンコースへ繋がる階段はエスカレーター(本当に全く関係ない話であるが、江ノ島にあるのは「エスカー」と呼ぶ)も備えてある。が、撮影時は通勤時間帯・・・


そして入場券を買いホームへ。もちろん使用されている1面2線のホームにしか行かれない。実際に地下にあるのだが、やはり地下鉄の駅的雰囲気が漂う。


そして使用されていないホームを見る。ホームの向こうには「昔の名前」が未だに健在。もちろん、将来的に芝山鉄道が延伸された時のために温存しているのかも知れないが、実際のところはいかがであろうか。

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恋の列車はオオタキ発④ 木原線時代の駅名標
2015-11-19
さて、前章で予告した木原線時代の写真を紹介しよう。と言っても予告通り駅名標のみであるが、感度の高いフィルムを使用したため写真はやや赤みを帯びている。確か、既に「いい旅チャレンジ20000km」のキャンペーンが始まった直後くらいであったので、その制覇も含めての訪問であった。上総中野から連絡している小湊鉄道へはその時乗車せずに折り返し大原に戻った。理由として、当時は「20000km」キャンペーン中であったため国鉄に拘っていたのかも知れないのと「別料金」がやや重たい印象であったから、という事であった。





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という事で紹介してみたいが、駅名標の並ぶ順番は順不同であるのであしからず。恐らく本当は木原線全駅名標を撮影しようと試みたはず。であるが、ご覧の写真しか残っていなかった。ちなみに相互リンクさせていただいている「プラットホームの旅」や「昔訪ねた気動車ローカル線」でも国鉄時代の木原線の様子を見る事ができるので是非!

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という事で紹介してみたいが、駅名標の並ぶ順番は順不同であるのであしからず。恐らく本当は木原線全駅名標を撮影しようと試みたはず。であるが、ご覧の写真しか残っていなかった。ちなみに相互リンクさせていただいている「プラットホームの旅」や「昔訪ねた気動車ローカル線」でも国鉄時代の木原線の様子を見る事ができるので是非!

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恋の列車はオオタキ発③
2015-11-15
既に秘境駅として久我原は紹介したが、それに象徴されるようにこの木原線、現在で言ういすみ鉄道は素晴らしいロケーションの中を走る。木原線の中心的存在と言えば国吉と大多喜であるが、特に大多喜は国鉄から転換の際にいすみ鉄道の本社が置かれた。木原線に乗車している時はそんな大多喜駅などは単なる列車交換駅的に過ぎない存在感の印象であった。

(今回は大多喜駅を中心に紹介してみよう。いすみ鉄道の「中心」として機能している大多喜は、やはり「拠点駅」としての風格はあった。)
中学生ながらにローカルなムードを感じながら終点の上総中野に到着したが・・・基本的にこの時は「いい旅チャレンジ20000km」の制覇路線のひとつにすぎず、やたら「証明写真」や「入場券」あたりの単語に非常に拘っていた時代であった。「証明写真」と言うと、いわゆる駅名標と自身が一緒に写るタイプが20000kmルールであったが、例えば北海道などのローカル線の終端駅では5分くらいで折り返してしまうため時間のやりくりが大変だ。証明写真を撮りそして入場券購入へ・・・更に駅風景などを撮影するとすぐに5分など過ぎてしまう。今回の木原線の旅では5分以上あった記憶であるが、それより接続する小湊鉄道の存在が気になっていた。であるが・・・結論から言うと予算的に「折り返す」という事で仲間の合意を得たという事であった。

(改札はフリーであった!有人駅であるにも関わらず、こうして開放してくれる姿勢が嬉しい。)
全く関係ない話であるが、最近私は魚類が「美味い」と思うようになってきた。つい最近までは肉類が主流であったが、とにかく魚の味が新鮮的で食が進む。とは言え、私が好む魚は「干物」であるが、という事は歳をとったという事であろうか・・・ただ、そうして魚を食しているうちに面白いことに気がついた。例えば干物の王様は「真あじ」であろう。そして干物の他には「みりん漬け」や「粕漬け」などがある。が、みりん漬けは「さば」などが主流で粕漬けは「赤魚」が常識であろう。「あじみりん」は存在するが、実際問題マイナーな存在だ。つまりそれぞれの素材にあった「味付け」があるという事だ。赤魚は干物の開きものもあるが、どちらかといえば粕漬けが一般的だ。そしてホッケは圧倒的に干物の開ものが主流で酒の肴には欠かせない存在だ。ホッケみりんはあまり市場に出回っていないであろうが、ホッケ粕漬けとは聞いた事がない。やはりホッケはシンプルに干物の方が素材の旨さが引き立つ。

(恐らくホームは昔ながらの佇まいであろうと思われる。国鉄時代のままの部分が多数見受けられた。)
これは他の事にも当てはまるであろう。もちろん鉄道も。全国各地では、いわゆる「観光列車」と呼ばれる列車が多数運転されている。であるが、ただ運転すればお客を呼べるか・・・と言うとそうでもない。やはり何らかの特色を出さないと、最初はいいがいずれ飽きられてしまう。そう、その路線に合った「味付け」が非常に重要であろう。私は以前に某鉄道ブログに小田急線の記事が掲載されている時に「小田急にSLでも走らせれば面白いのではないか」とのコメントをした事がある。その返事とは、実に現実的なものであり納得させられる内容であった。要約すると「運転システム(ATSなどのシステム)が支障となったり、沿線に迷惑がかかるであろう」と。更に「だったらSE車でも運転したほうが良い」という旨であった。これは完全に的を射ていて正解であると思う。

(そしてこちらが大多喜駅の車庫に眠る国鉄時代の車両。というより、国鉄時代はご覧のDCが走った記憶が無いので三セク化されてからも含め「初」かも知れない。)
現在、いすみ鉄道にはキハ20などが運転されている。もちろん他の路線にもこういったイベント的な運転はあるが、やはり木原線、いや、いすみ鉄道に走っているからこその面白さがあるのではないか?と、大多喜駅に停泊していたキハ20を見てそう思ってしまった。そう、真あじには真あじの、赤魚には赤魚の素材の活かし方がある。粕漬けは赤魚であるから美味いのであって、真あじであったら元の素材の良さが死んでしまうであろう。つまり、その素材の良さを活かすには、その素材そのものを根底から知る必要がある。そして素材と「馴染む」事も必要だ。

(そしてこちらが同じく車庫にいたキハ20である。が、私の記憶だとキハ10や、特にキハ30辺りが活躍していた印象しかない。という事はこちらも「初」となるのか?)
と、なんだか理屈っぽくなってしまったが、要するに、いすみ鉄道のキハ20だからキハ20が活きてくると私は思う。あの久我原や総元辺りを走るキハ20は実に絵になるし心地よい。
今回、私は1981年と2008年の訪問時と併せて2015年の訪問時も紹介しているが、2015年にマイカーで訪問した時に外側からいすみ鉄道を見る事ができて実に素晴らしかったと思う。次回のアップでは1981年に訪問した時に撮影した写真を紹介してみたい。と言っても駅名標しか残っていなかったのでやや物足りないかも知れないが・・・

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(今回は大多喜駅を中心に紹介してみよう。いすみ鉄道の「中心」として機能している大多喜は、やはり「拠点駅」としての風格はあった。)
中学生ながらにローカルなムードを感じながら終点の上総中野に到着したが・・・基本的にこの時は「いい旅チャレンジ20000km」の制覇路線のひとつにすぎず、やたら「証明写真」や「入場券」あたりの単語に非常に拘っていた時代であった。「証明写真」と言うと、いわゆる駅名標と自身が一緒に写るタイプが20000kmルールであったが、例えば北海道などのローカル線の終端駅では5分くらいで折り返してしまうため時間のやりくりが大変だ。証明写真を撮りそして入場券購入へ・・・更に駅風景などを撮影するとすぐに5分など過ぎてしまう。今回の木原線の旅では5分以上あった記憶であるが、それより接続する小湊鉄道の存在が気になっていた。であるが・・・結論から言うと予算的に「折り返す」という事で仲間の合意を得たという事であった。

(改札はフリーであった!有人駅であるにも関わらず、こうして開放してくれる姿勢が嬉しい。)
全く関係ない話であるが、最近私は魚類が「美味い」と思うようになってきた。つい最近までは肉類が主流であったが、とにかく魚の味が新鮮的で食が進む。とは言え、私が好む魚は「干物」であるが、という事は歳をとったという事であろうか・・・ただ、そうして魚を食しているうちに面白いことに気がついた。例えば干物の王様は「真あじ」であろう。そして干物の他には「みりん漬け」や「粕漬け」などがある。が、みりん漬けは「さば」などが主流で粕漬けは「赤魚」が常識であろう。「あじみりん」は存在するが、実際問題マイナーな存在だ。つまりそれぞれの素材にあった「味付け」があるという事だ。赤魚は干物の開きものもあるが、どちらかといえば粕漬けが一般的だ。そしてホッケは圧倒的に干物の開ものが主流で酒の肴には欠かせない存在だ。ホッケみりんはあまり市場に出回っていないであろうが、ホッケ粕漬けとは聞いた事がない。やはりホッケはシンプルに干物の方が素材の旨さが引き立つ。

(恐らくホームは昔ながらの佇まいであろうと思われる。国鉄時代のままの部分が多数見受けられた。)
これは他の事にも当てはまるであろう。もちろん鉄道も。全国各地では、いわゆる「観光列車」と呼ばれる列車が多数運転されている。であるが、ただ運転すればお客を呼べるか・・・と言うとそうでもない。やはり何らかの特色を出さないと、最初はいいがいずれ飽きられてしまう。そう、その路線に合った「味付け」が非常に重要であろう。私は以前に某鉄道ブログに小田急線の記事が掲載されている時に「小田急にSLでも走らせれば面白いのではないか」とのコメントをした事がある。その返事とは、実に現実的なものであり納得させられる内容であった。要約すると「運転システム(ATSなどのシステム)が支障となったり、沿線に迷惑がかかるであろう」と。更に「だったらSE車でも運転したほうが良い」という旨であった。これは完全に的を射ていて正解であると思う。

(そしてこちらが大多喜駅の車庫に眠る国鉄時代の車両。というより、国鉄時代はご覧のDCが走った記憶が無いので三セク化されてからも含め「初」かも知れない。)
現在、いすみ鉄道にはキハ20などが運転されている。もちろん他の路線にもこういったイベント的な運転はあるが、やはり木原線、いや、いすみ鉄道に走っているからこその面白さがあるのではないか?と、大多喜駅に停泊していたキハ20を見てそう思ってしまった。そう、真あじには真あじの、赤魚には赤魚の素材の活かし方がある。粕漬けは赤魚であるから美味いのであって、真あじであったら元の素材の良さが死んでしまうであろう。つまり、その素材の良さを活かすには、その素材そのものを根底から知る必要がある。そして素材と「馴染む」事も必要だ。

(そしてこちらが同じく車庫にいたキハ20である。が、私の記憶だとキハ10や、特にキハ30辺りが活躍していた印象しかない。という事はこちらも「初」となるのか?)
と、なんだか理屈っぽくなってしまったが、要するに、いすみ鉄道のキハ20だからキハ20が活きてくると私は思う。あの久我原や総元辺りを走るキハ20は実に絵になるし心地よい。
今回、私は1981年と2008年の訪問時と併せて2015年の訪問時も紹介しているが、2015年にマイカーで訪問した時に外側からいすみ鉄道を見る事ができて実に素晴らしかったと思う。次回のアップでは1981年に訪問した時に撮影した写真を紹介してみたい。と言っても駅名標しか残っていなかったのでやや物足りないかも知れないが・・・

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恋の列車はオオタキ発②
2015-11-11
いすみ鉄道と言えば、言わずと知れた国鉄木原線であるのは周知の通りだ。私は1981年頃に木原線廃止情報を受け一目散に旅立った・・・と言っても首都圏のため宿泊してまでという距離ではなく、完全に日帰り圏内であった。路線名となっている「木原」とは、私が述べるまでもなく皆様の方がご存知であろう。この事は小湊鉄道の章でも既に述べているが、やはりこの鉄道に関する変遷は実に興味深い。確か廃止情報を受けたのは私が中学1年生の時であったと思う。はっきりとした記録を残していなかったが、当時の写真が残っていた。その写真から判断した結論である。というのも、その写真の判断理由として「カメラ」にあった。それは後に購入する「キャノンAE-1プログラム」ではなく「キャノンdemi EE-28」と呼ばれる、言わば「バカチョンカメラ」での撮影とすぐに判断できるからであった。という事で、今回は1981年に訪問した木原線時代を中心に、2008年にいすみ鉄道として訪問した時と併せて紹介してみよう。

(確か1981年の訪問であったと思う大原にて。2008年には久々の訪問となったが、私的には懐かしさ満点であった。であるが、やはり木原線的な印象はかなり薄れ、いすみ鉄道的な印象がダイレクトに伝わってきたのも正直なところだ。)
という事で、はるばる神奈川県からやってきた私は、木原線の起点である大原までは実に遠く感じたものだ。1981年と言えば、まだまだ165系や153系などの「房総急行」が両国から出ていた時代だ。とは言え、既にこの時に房総急行全廃の情報は流れており、中学生ながらに「将来貴重になる」と思いその急行列車に向けひたすらシャッターを切る日々であった。そしてこの日も大原ではご覧の急行がいたため即座に反応。と言っても「バカチョン」のためなかなか披露しにくい作品であるが・・・

(同じく1981年の訪問時に大原で撮影した急行「外房」であるが・・・この撮影当時には既に房総急行廃止の情報が流れていた。実際に両国始発の列車がなくなってしまうのか・・・的な実感があまり感じられなかったが、現在は周知の通り「伝説」になってしまっている。)
さて、ここ大原に来るまでの道のりは記録していなかったが記憶はあった。1980年より横須賀線と総武線の相互乗り入れが開始され、いわゆる「品鶴線」を通るルートが斬新であった横須賀線に乗れば東京で乗り換えなしで千葉方面へ行ける。それを乗るのがひとつの快感となっていた私は、確か戸塚で上総一ノ宮行きに乗り換えた記憶だ。であるが、まだ相互乗り入れが開始され1年くらいしか経っていない。私はともかく、普段から通勤などで利用している方はこの行き先をどう感じていたのであろうか。2015年を迎えた現在「上野東京ライン」なる新たな仲間が加わったが、辻堂や茅ヶ崎等で「前橋行きがまいります」的なアナウンスは実にアンマッチ的に思える。だが、既に「湘南新宿ライン」でその事は経験済みであるのだが・・・

(こちらは2008年訪問時のものである、私的には「横須賀線」である。かなり外観的にもお疲れの様子であるが、2015年現在も活躍しているのであろうか。)
そんな横須賀線に乗り車窓に映る「新鶴見」は当時の私にとっては実に新しい景色。そして東京を「スルー」してしまうのも完全に新世界であった。そして上総一ノ宮で乗り換え大原に向かう・・・ある意味、千葉にも「横須賀線」が走っているのかと関心してしまうくらいであった。そして大原に到着。乗り換える木原線はパッと見「相模線」という印象。相模線で既に主流となっていたキハ30の姿が活躍していた。そんな大原では、当時全廃されるという情報が流れていた「房総急行」の姿が見ることが出来た。「本当に急行列車がなくなってしまうのか・・・」と子供ながらに思っていたが、現在は周知の通り。であるが、まだまだ両国駅はかつての面影が残っているのが嬉しい。貨物駅の方は既に「国技館」として第二の人生を送っているが、現在ではそのことがすっかり定着している。私自身も国技館には何度も足を運んでいたが、特にあの「マス席」は実に「青函連絡船」を思い出してしまう。なんとなくあの「桟敷席」的な雰囲気で枝豆でも頬張りながら観る「リキラリアット」「STF」などは実に声援にも熱がこもってしまう、と、相撲ではない話題で申し訳ないが・・・
と、いつも話が逸れてしまうが・・・私が乗った列車は既に上総中野に向けてエンジンを唸らせていた。

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(確か1981年の訪問であったと思う大原にて。2008年には久々の訪問となったが、私的には懐かしさ満点であった。であるが、やはり木原線的な印象はかなり薄れ、いすみ鉄道的な印象がダイレクトに伝わってきたのも正直なところだ。)
という事で、はるばる神奈川県からやってきた私は、木原線の起点である大原までは実に遠く感じたものだ。1981年と言えば、まだまだ165系や153系などの「房総急行」が両国から出ていた時代だ。とは言え、既にこの時に房総急行全廃の情報は流れており、中学生ながらに「将来貴重になる」と思いその急行列車に向けひたすらシャッターを切る日々であった。そしてこの日も大原ではご覧の急行がいたため即座に反応。と言っても「バカチョン」のためなかなか披露しにくい作品であるが・・・

(同じく1981年の訪問時に大原で撮影した急行「外房」であるが・・・この撮影当時には既に房総急行廃止の情報が流れていた。実際に両国始発の列車がなくなってしまうのか・・・的な実感があまり感じられなかったが、現在は周知の通り「伝説」になってしまっている。)
さて、ここ大原に来るまでの道のりは記録していなかったが記憶はあった。1980年より横須賀線と総武線の相互乗り入れが開始され、いわゆる「品鶴線」を通るルートが斬新であった横須賀線に乗れば東京で乗り換えなしで千葉方面へ行ける。それを乗るのがひとつの快感となっていた私は、確か戸塚で上総一ノ宮行きに乗り換えた記憶だ。であるが、まだ相互乗り入れが開始され1年くらいしか経っていない。私はともかく、普段から通勤などで利用している方はこの行き先をどう感じていたのであろうか。2015年を迎えた現在「上野東京ライン」なる新たな仲間が加わったが、辻堂や茅ヶ崎等で「前橋行きがまいります」的なアナウンスは実にアンマッチ的に思える。だが、既に「湘南新宿ライン」でその事は経験済みであるのだが・・・

(こちらは2008年訪問時のものである、私的には「横須賀線」である。かなり外観的にもお疲れの様子であるが、2015年現在も活躍しているのであろうか。)
そんな横須賀線に乗り車窓に映る「新鶴見」は当時の私にとっては実に新しい景色。そして東京を「スルー」してしまうのも完全に新世界であった。そして上総一ノ宮で乗り換え大原に向かう・・・ある意味、千葉にも「横須賀線」が走っているのかと関心してしまうくらいであった。そして大原に到着。乗り換える木原線はパッと見「相模線」という印象。相模線で既に主流となっていたキハ30の姿が活躍していた。そんな大原では、当時全廃されるという情報が流れていた「房総急行」の姿が見ることが出来た。「本当に急行列車がなくなってしまうのか・・・」と子供ながらに思っていたが、現在は周知の通り。であるが、まだまだ両国駅はかつての面影が残っているのが嬉しい。貨物駅の方は既に「国技館」として第二の人生を送っているが、現在ではそのことがすっかり定着している。私自身も国技館には何度も足を運んでいたが、特にあの「マス席」は実に「青函連絡船」を思い出してしまう。なんとなくあの「桟敷席」的な雰囲気で枝豆でも頬張りながら観る「リキラリアット」「STF」などは実に声援にも熱がこもってしまう、と、相撲ではない話題で申し訳ないが・・・
と、いつも話が逸れてしまうが・・・私が乗った列車は既に上総中野に向けてエンジンを唸らせていた。

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恋の列車はオオタキ発① 久我原
2015-11-07
某秘境駅訪問家もそれなりの「評価」をしている、東京から一番近い秘境駅・・・そう、それが久我原である。いすみ鉄道にあるこの駅は、かつては国鉄の所属であったのは周知の通りである。2015年に私が訪問した時はマイカーであったが、やはりそこに辿り着くまでが「秘境」であった。まずナビが無いと訪問が難しいであろう。県道的な道から枝分かれする一本の細い道を入っていく。そこから更に駅へと繋がる「あぜ道」的な道を進んでいくと駅に着くのであるが・・・実に秘境駅と呼ぶのに相応しい佇まいであった。

いざホームに行ってみると、私たちが普段から求めているような「駅」がそこにあった。もう何の説明もいらないであろう。私たちレールファンが喜びそうな条件が揃っている、逆に言えば「典型的」な秘境駅がそこにあった。であるが、何やら遠くで若い人達と思われる声が周囲からこだまするではないか。恐らくこの駅のサブタイトルである「三育学院大学」が付近にあるのではと訪問時には思っていた。であるが、家に帰ってから調べてみたが、サブタイトルの大学とはかなり離れた位置にあった。近くにあったのは「大多喜町立総元小学校」であった。そこに行くには駅前の坂道を登っていくとたどり着けるのであるが、それでもやや離れた位置にある。これも秘境駅である「恩恵」なのか?と思ってしまうほど静かな場所なのであろう。なにかのスポーツ的競技をする声や音が駅のホームまでこだまするのであるから。

という事は、この駅を利用して通学する学生はほぼ皆無なのかも知れない。もし「いや~部活が長引いて帰るの7時になっちゃった~」みたいな場合、もし久我原駅を利用するとしたら・・・もしかしたら江原啓之氏や下ヨシ子氏辺りに相談しなければならない体験をするかも知れない・・・

県道的な道から枝分かれするやや細い道を入っていくと久我原駅へ通じる道がある。と言うよりあぜ道的な空間が現れ、案内表示がなければこの先に駅があるとは思えぬロケーションである。

「あぜ道」と表現したが、舗装されたあぜ道もまた珍しい。と言うよりあぜ道ではなく、駅に通じる道であるのだからむしろ自然なのかも知れない。


先ほどの「あぜ道」を通るとご覧の駐輪場に到着する。数台であるが留置してある自転車があるということは、この駅もしっかりと売上に貢献している事になる。そして駐輪場より更に登りあぜ道を行くと駅へ辿り着く事が出来る。


そして駅に到着。これが噂の秘境駅だ!とはオーバーかも知れないが、これが首都圏にある物件と考えるとかなりの強者(つわもの)であろう。多分「熊」はいないと思うが・・・



という事でホームに出てみた。ご覧のようにホームが非常に細い。学生たちが利用するには少々手狭な印象である。が・・・せいぜい日没までがタイムリミットであろう。夜とよばれる時間帯の利用は、ハッキリ言って「稲川淳二」的空間かも知れない。

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いざホームに行ってみると、私たちが普段から求めているような「駅」がそこにあった。もう何の説明もいらないであろう。私たちレールファンが喜びそうな条件が揃っている、逆に言えば「典型的」な秘境駅がそこにあった。であるが、何やら遠くで若い人達と思われる声が周囲からこだまするではないか。恐らくこの駅のサブタイトルである「三育学院大学」が付近にあるのではと訪問時には思っていた。であるが、家に帰ってから調べてみたが、サブタイトルの大学とはかなり離れた位置にあった。近くにあったのは「大多喜町立総元小学校」であった。そこに行くには駅前の坂道を登っていくとたどり着けるのであるが、それでもやや離れた位置にある。これも秘境駅である「恩恵」なのか?と思ってしまうほど静かな場所なのであろう。なにかのスポーツ的競技をする声や音が駅のホームまでこだまするのであるから。

という事は、この駅を利用して通学する学生はほぼ皆無なのかも知れない。もし「いや~部活が長引いて帰るの7時になっちゃった~」みたいな場合、もし久我原駅を利用するとしたら・・・もしかしたら江原啓之氏や下ヨシ子氏辺りに相談しなければならない体験をするかも知れない・・・

県道的な道から枝分かれするやや細い道を入っていくと久我原駅へ通じる道がある。と言うよりあぜ道的な空間が現れ、案内表示がなければこの先に駅があるとは思えぬロケーションである。

「あぜ道」と表現したが、舗装されたあぜ道もまた珍しい。と言うよりあぜ道ではなく、駅に通じる道であるのだからむしろ自然なのかも知れない。


先ほどの「あぜ道」を通るとご覧の駐輪場に到着する。数台であるが留置してある自転車があるということは、この駅もしっかりと売上に貢献している事になる。そして駐輪場より更に登りあぜ道を行くと駅へ辿り着く事が出来る。


そして駅に到着。これが噂の秘境駅だ!とはオーバーかも知れないが、これが首都圏にある物件と考えるとかなりの強者(つわもの)であろう。多分「熊」はいないと思うが・・・



という事でホームに出てみた。ご覧のようにホームが非常に細い。学生たちが利用するには少々手狭な印象である。が・・・せいぜい日没までがタイムリミットであろう。夜とよばれる時間帯の利用は、ハッキリ言って「稲川淳二」的空間かも知れない。

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全く関係ない話
2015-11-04
2015年11月4日、私のかつての地元にある某ボウリング場へ参戦した。なぜか?それは「姫路麗」がやってくるとの情報を聞いたからであった!って、もしかしたらマニアックな話題かも知れないが、私にしてみたら実にスゴイ事件である。などといってもこの姫路麗を知らない方のために少々補足を。

(一応、鉄道を主題としているブログなので関係写真を掲載しよう。JR相模線にあるこちらの「某駅」付近にある某ボウリング場に姫路麗がやって来た。これは私にとって「事件」である。)
姫路麗(ひめじうらら)とは女子プロボウラーであり「Pリーガー」でもある。「Pリーガー」の説明はリンクを開いていただくとして、私としてはある意味スペシャルな存在である。フラミンゴみたいな独特の投球フォームから繰り広げられるボールは実に艶やかにピンを片付けていく。是非BS他民放で放送されている「Pリーグ」をご覧いただきたい!

(こちらが姫路麗である!私事であるが、以前に実際の収録会場で「Pリーグ」を観戦した事がある。そのときは確か姫路は不在であった記憶だ。いや、いたかも知れないが記憶にない。という事で、今回初めて生で見る事になる!ファンからの撮影要求にも快く応じていた。)
姫路麗の写真掲載にあたって、これは本人談であるが、私服の時の写メ他写真は個人的に使用する以外は、特にインターネット掲載は一切禁止であるが、ボウリング用のユニフォームに着替えたら写真いくらでもOKとの事!試合前にボウリング場施設内にある食事処で食事をしていた時にはファンの人にその旨を説明していたが、ユニフォームに着替えたら撮影に快く応じていた。私的にはスペシャルに好感度大な印象であった。

(独特のフォームから繰り出されるボールは実に艶やか。観る者を翻弄してしまう・・・これからも頑張ってください!)

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(一応、鉄道を主題としているブログなので関係写真を掲載しよう。JR相模線にあるこちらの「某駅」付近にある某ボウリング場に姫路麗がやって来た。これは私にとって「事件」である。)
姫路麗(ひめじうらら)とは女子プロボウラーであり「Pリーガー」でもある。「Pリーガー」の説明はリンクを開いていただくとして、私としてはある意味スペシャルな存在である。フラミンゴみたいな独特の投球フォームから繰り広げられるボールは実に艶やかにピンを片付けていく。是非BS他民放で放送されている「Pリーグ」をご覧いただきたい!

(こちらが姫路麗である!私事であるが、以前に実際の収録会場で「Pリーグ」を観戦した事がある。そのときは確か姫路は不在であった記憶だ。いや、いたかも知れないが記憶にない。という事で、今回初めて生で見る事になる!ファンからの撮影要求にも快く応じていた。)
姫路麗の写真掲載にあたって、これは本人談であるが、私服の時の写メ他写真は個人的に使用する以外は、特にインターネット掲載は一切禁止であるが、ボウリング用のユニフォームに着替えたら写真いくらでもOKとの事!試合前にボウリング場施設内にある食事処で食事をしていた時にはファンの人にその旨を説明していたが、ユニフォームに着替えたら撮影に快く応じていた。私的にはスペシャルに好感度大な印象であった。

(独特のフォームから繰り出されるボールは実に艶やか。観る者を翻弄してしまう・・・これからも頑張ってください!)

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恋の列車はオオアライ発④ 鹿島サッカースタジアム
2015-11-03

サッカースタジアムと鉄道・・・一見、なんの関係もない繋がりであろうが、サッカースタジアムが出来たおかげで単なる貨物駅から臨時駅に昇格した「北鹿島」である。かつてはここでスイッチバックして鹿島港南まで旅客列車が運転されていたが、利用者が元々少なかったので僅かな営業期間で廃止された。基本的に鹿島サッカースタジアム「駅」はJRの駅であるが、ここに停車する全ての定期列車は基本的に鹿島臨海鉄道である。というより、サッカーの試合がある日のみ営業するので「定期列車」と表現するのはおかしいかも知れない。

(サッカースタジアムの脇にある「ホントかよ?」という道を進入していった。ナビの案内そのまま素直にハンドルを切るが、まさか列車からの乗客をこんな獣道を通らせてスタジアムまで行かせるとは到底思えなかった。であるが、とりあえず行くしかない。私はナビに身を任せた。)
鹿島港南までの旅客営業時代はこの北鹿島には列車が停車ぜず、スイッチバックのための運転停車のみであった。後述する神栖と鹿島港南の2駅が旅客駅であったが、貨物はその先の奥ノ谷浜まで到達していた。現在もそうであるが、JRと鹿島臨海鉄道では別外車のため、基本的には別料金が発生するが、その計算方法は非常に特殊で、当時RJ社発行の「旅と鉄道」の「種村直樹の汽車旅相談室」では随分と話題になり論議を呼んだ。結論としては「連絡運輸」的にはむつかしく考えずに常識的、かつシンプルにまとまっておりお客様には不便の無い対応となってた。つまりそれが現在まで受け継がれているわけだ。


(するとご覧の場所に出た。そして跨線橋的歩道橋が出現する。ここを登るとJR鹿島サッカースタジアム駅の改札に行くことが出来る。というか、かつては貨物駅だったので旅客ホームがあるのは実に不思議な気持ちだ。)
と、旅客的には非常に特殊であるが、基本貨物駅であるためプラットホームが無かったが、臨時駅昇格時に当然ながらホームが出来た。とは言え、普段は旅客扱いをしないためひっそりとしている。だが、サッカー開催日には観戦者でごった返すであろう事が容易に推測できる。
私は2015年にマイカーで訪問したが、カーナビにはとんでもない道を案内されてしまった。わかりやすく言うと「獣道」である。サッカースタジアムの脇にある超細い未舗装の道を、まるで自動車学校のコースにあるかのようなクランクの連続的な道を「これ、本当に駅まで通じているの?」と言ってしまいたくなるような雰囲気な感じで雨の中を突き進んでいった、というより突き進まされた。



(そして歩道橋のサミット付近で入口が出現。かつての北鹿島から比べればある意味劇的変化であろう。というより、予想以上に立派な造りであったので驚かされた部分のあった。とは言え、入口は防犯上開放されていないのが残念であったが・・・)
そして到着してみると・・駅からスタジアムへ繋がる歩道が確かにあった!って、車で来た道を考えると、歩道の方は実に単純でスタジアムと駅までは屋根付きの道ではないか!!車の方が訪問に苦労するという事はどういう事だ。というより、貨物駅であるなら、その貨物を駅まで運ぶのにこんな道では大変不便であろう。そんな思いは駅に通じる歩道橋を登り切ったサミットに辿り着いた時に解決した。なんと線路を挟んだ向かい側、つまり通常の駅で言う北口の南口的な考えで言うと、私は南口にたどり着いたが北口では・・・ちゃんと広い道路が駅に接しているではないか!ナビよ、こっちを教えてくれよなっ。夜の訪問であったなら確実に「出る」だろう環境だ。


(「♪歩道橋の上から~」と、何かの歌ではないが(ちょっと古いかもしれないが)歩道橋の両側は鉄柵、いやフェンスでがっちりガードされている。そこから見る景色はやはり「貨物駅」的な風景だ。)
普段はなかなかの貨物駅っぷりであろうが、もちろん歩道橋からはスタジアムが拝め、それはホームからでも同じ事であろう。貨物列車は現在でも北鹿島でスイッチバックするであろうが、次回訪問時はその模様を体験してみたい気持ちだ。レールファンではない一般のサッカーファンはこのような複雑な歴史を持つ駅をどう思うのであろう。というより何も思わず、何も感じないかも知れないが・・・

歩道橋からはもちろん「アレ」が見える。もちろん列車ではなくても参戦出来るが、マイカーだと私が入ってきた「ホントかよ」的な道を少々入っていく。そして未舗装の駐車場が分散してある状態だ。

見よ!これが私が通ってきた道、そして「駅前一等地」だ。まるで河原にある獣道のようだ。もっと他に道があるであろう。頼むよ、ナビ!

そしてこちらが反対側の光景。広々とした駅前は、貨物駅に相応しいであろう。大型トラックも充分に待機出来る環境だ。というより、なぜナビはマニアックな道を案内するのか?

ちなみに鹿島サッカースタジアム駅とスタジアムはご覧の通路で繋がっている。是非マイカー用にもこういった道を整備していただきたのが個人的は印象であったが・・・

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