18の、18による、18のための旅④

2007年にレールファン復活を遂げた私が西日本制覇を企てたのが2010年8月であった。そしてその行程で「偉大なるローカル線」を制覇する時がやってきた。既に先述通り、京都~出雲市間は制覇済みであったので今回は出雲市~幡生に射程を定めることになる。そしてそのスタートとなった駅は・・・江津であった。前日に三江線を制覇し、駅前にある小さな宿を素泊まりして迎えた朝は実に気持ちが良い。朝7時6分発の上り普通列車で、江津から通学する学生たちと一緒に「偉大なるローカル線」の乗客となる。特に女子群が目立って多かったが、途中駅で乗車してくる学生諸君もほぼ99%が仁万で下車。すっきりした車内はカジュアルな服装の乗客が99%を占めるようになった。ようやく沿線風景が見れるとボックスシートへ移動する。日本海・・・これは北陸地方でも山陰地方でも変わらない姿であったが、山陰地方で見るそれはなんとなく穏やかに見えたのは気のせいなのか・・・

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(出雲市以西は昔ながらの雰囲気を多く残すが、ここ江津もそのひとつ。三江線を分岐しているが、実際問題、いつ廃止されてもおかしくない典型的なローカル線である。というより、よく今の時代まで生き残っているものだなと思ってしまう。)

大田市などの主要駅を過ぎていくが、基本、車内にいる乗客の数は新陳代謝はあるもののそれほど変化は無かった。そして初めて見る「西出雲」へ。そう、ここはレールファンならお馴染みであろう車両基地が置かれている。確か伯備線電化に合わせて新設された記憶だ。当時は知井宮であったが、改称の理由として、恐らく特急列車などの方向幕などに行き先を表示する際の配慮であろう。だが、ここの役割は実に大きいと感じる。その役割を知井宮時代にも確認しておきたかったものだ。

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(西出雲はかつて知井宮と呼ばれたのは周知の通り。伯備線電化に合わせてここに車庫が置かれたが、いつしか駅名も改称されていた。)

さて、列車は出雲市に到着した。以前に訪問した時とは決定的に違う変化・・・そう、高架化され新しくなっていたのだ。この事はもちろん事前知識はあったが、いざ目の前にすると「浜松!」の印象であった。そして「一畑」も高架の仲間入りをしていたのがまた良い。その一畑に乗って松江方面へ制覇の旅へ向かった。
一畑制覇後再び出雲市に戻って改めて出雲市の様子を再確認してみた。駅全体がやや後退した印象で、かつて駅があった付近はロータリーなどに転換されている。駅的には合理的に機能していてとても「偉大なるローカル線」の駅とは思えない感じであった。

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(朝の時間帯の江津~仁万では学生の利用がほぼ90%以上を占めていた。仁万で一気に下車し空っぽになった列車は、役目を終えたかのような雰囲気で出雲市めがけて走り出した。)

出雲市から折り返し益田へ向かう。もちろん普通列車、いや「アクアライナー」なる快速列車である。もちろん「18」でも乗車出来るのである意味便利ではあるが、かつてのPC(客車)による運転は無くなってしまいいささか寂しさを否定できずにいる自分もいた。先ほど乗ってきたDCでは女学生(という言い方は古いかも知れないが・・・)が大半を占めていた車内では確認できなかった仁万~江津の景色もじっくり見れる。と言っても快速列車のため軽快にすっ飛ばして行くが・・・



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2015年のアップはこの記事で最終となります。年明けの2016年より引き続き「18の、18による、18のための旅」をお送りいたします。今年も「鉄道全線完全制覇の旅」をご贔屓いただきありがとうございました。また、来年もよろしくお願いいたします。
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18の、18による、18のための旅③

さて、この「偉大なるローカル線」の旅も、鉄道地図上では中間地点に、そして夜行普通列車「山陰」の旅においてはそろそろ下車の時間帯となってきた。米子に着くと乗客の入れ替わりが激しいし、いわゆる「同業者」と思われる私たちのような部外者も半分以上は消え去り通学や通勤と思われる地元の乗客が顔を出す。

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(2013年訪問時の米子にて。「偉大なるローカル線」の中でも指折りの主要駅であるが、松江・出雲市と高架化される中、ここ米子は高架化されるのであろうか。この写真の訪問時は朝7時半くらいで、ちょうど通勤通学時間帯であったが、首都圏のそれと違い、なんとなく長閑な時間が過ぎていったような気がした。)

米子といえば、2012年に「サンライズ」で通り過ぎたのが実に30年ぶりであった。その翌年には宿泊先として初めて下車したが、30年前の風景とほとんど変わっていなかった。福知山や後述する出雲市などはこの30年の間に高架化され機能的になった。私が初めて訪問した今回紹介している旅では既に鳥取と松江は高架化されていて、イメージ的には静岡や浜松みたいな感じであった。しかし静岡や浜松と決定的に違うのは、やってくる列車が旧型客車やDCである事だ。この高架駅に停泊する旧型客車は実にアンマッチ的に映るのは気のせいか?
そんな事を中学生なりに感じながら米子を去ると、高架化された松江を過ぎる。さすが県庁所在地の駅として利用者は多い。ここでも乗客が入れ替わる。そして「山陰」の下車駅である宍道に到着した。我々御一行はここから木次線に乗り岡山方面へ向かう予定だ。

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(これは1982年3月に訪問した時の宍道であるが、2013年訪問時にはホームが一本減っていた。5番線まであったのが3番線までで列車を処理できるほど列車本数が減少してしまったのか。だが、電化されてから30年以上経過し電車も運転されている。何とも複雑な現象であるが・・・)

宍道から先「偉大なるローカル線」の制覇は同じ年の8月であった。電化直後の伯備線で北上し、境線制覇後出雲市に向かった。そう、先ほど紹介した「山陰」の旅は伯備線電化前であった。つまり伯備線電化と同時に電化された伯耆大山~知井宮(現・西出雲)は非電化であったのだ。つまり私はこの区間は電化直前と直後に訪問した事になる。わずか5ヶ月の間に景色がすっかり変わってしまい、この区間には「東海道線」の車両が拝めるようになったのだ。「偉大なるローカル線」の初電化区間となった事で、ようやく近代化の波が押し寄せた印象であったが、まだまだ旧型客車が主役の時代でもあった。もちろん出雲市までは旧型客車となった。

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(こちらは1982年8月訪問時の出雲市である。ご覧の通り、まだ地上時代であったが、電車運転が始まりホームもカサ上げされややリニューアルしていた。そんなホームに旧型客車で降り立つと、何とも言えぬ違和感を覚えた。)

しかしここで事件が起こった。旧型客車のドアは、乗降時に自身が開閉する。つまりドアは手動なのだ。私は出雲市から折り返して上りの「山陰」で帰郷する予定であった。だが出発まで約1時間しかない・・・少しでも早く座席の確保をと思い列車が停車する直前にドアを開けホームに足をおいた瞬間に勢い余って「ひとりバックドロップ」を食らってしまったのだ!であったが、小学生時代には柔道の経験もあったため持ち前の受身の上手さでかすり傷ひとつ無かった!!だが・・・「いい旅チャレンジ20000km」用のカメラ・キャノンデミEEー28が本体の一部を強烈に打ち付けややくぼみが出来てしまったのであった・・・

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(2013年訪問時の出雲市。この時はここから「サンライズ」で帰郷したが、高架化に伴い駅全体がやや後退した印象であった。)

それからなんと28年の歳月が流れていた。レールファンを復活し鉄道全線を制覇する事を再び目標に掲げこの地に訪れたのが2010年8月であった。これから紹介する「偉大なるローカル線」の旅は、前回制覇した京都~出雲市の続きで「西日本全線制覇」をタイトルにした「18」による旅の途中であった。そう、この「偉大なるローカル線」は特急列車では味わえない魅力がある。普通列車で制覇してこそ!の意味が必ずどこかにあるはずだ。そんな魅力を探すために、私は再び狼煙(のろし)を上げる思いであった。


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18の、18による、18のための旅②

さて、京都に着くまでに信楽線(当時)や草津線、和歌山線など、実に細かく制覇のための行程が続いた。そして今夜の宿となるのが夜行普通列車「山陰」であった。つまり寝ながら制覇出来る・・・制覇路線を稼げるわけである。と書くと、なんとなく制覇の数だけを稼げばいいんじゃねぇ?と思われてしまいそうであるが、ちゃんとしっかり旅情も味わっている。というより、私が一番最初に乗車した客車による夜行普通列車であるのがこの「山陰」でもあったのだ。

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(以前にも「PHOTO:1980JNR.com」より使用させていただいた夜行普通列車「山陰」のサボ写真。寝台車が連結されているため愛称が設定されていたわけであるが、10系寝台とは実に時代を感じさせるものである。

乗車率としては、ハッキリ言ってフルハウスであったろう。京都で1時間半待った甲斐あってメンバー全員着席出来たが、何せ寝ようと思っても眠れない。4人でワンボックスを使うわけであるが、なんというか、普段家で寝る時に取る体勢では当然ないため皆が皆不自然な格好である。が、逆にそれぞれが工夫して睡眠体勢に入っているのも面白い。人間、いざとなればどんな過酷な条件でも眠ることが出来るのだ。そんな事を当時中学生の私がこの旅で学んだ。しかし夜行列車とは実に独特の雰囲気がある。景色は当然夜のため真っ暗である。車内灯は煌々と点いていて周りはみんな仮眠体勢の中、私がする事と言えば寝るか食べるかしかない。何と言うか、夜行列車とはグループで旅をしていても孤独なものだ。だがこの孤独感がたまらない。そう、もしかしたら私の夜行列車好きはこの孤独感を味わいたいからかも知れない。

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(鳥取は国鉄時代に高架化された。確か昭和50年代の出来事であったと思うが、当時「流行り」であったかもしれない浜松や静岡とそっくりな造りである。)

鳥取で乗客の入れ替わりがあり、倉吉は全く気づかないほど恐らく熟睡していたであろう私は、もちろん餘部橋梁など知る由もないし、起きていたとしても闇に遮られその一部ですら見えなかったであろう。だが、大山口に着く頃には既に明るくなっており、我々も活動的な体勢になっていた。どうやら列車交換で停車時間がややあるとの車内放送があったので入場券を買いに改札へ向かった。もちろん私ではなく同行した仲間である。

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(私の「きっぷアルバム」に張り付いたまま離れなかった大山口の入場券。約30年もアルバムに張り付いていると、アルバム台紙の一部になってしまうのか・・・)

それよりこの大山口の停車中に気付いたが、旧型客車で朝を迎えるのは初めての経験であった。というか、その旧型客車という存在を知ったのもこの旅をしてからであったと思う。それまでの私は「ブルートレイン」が主流であったから、旧型客車という意味もそれほどわかっていなかったと思う。しかし同行した教諭がやたらと旧型客車をアピールしていたのでいずれ消え去るという事を当然分かっていたのであろう。そしてこの時はこの「偉大なるローカル線」は旧型客車の宝庫でもあった。そんな客車に揺られ旅するという事は今になって貴重な体験であったと思う。窓越しに見る大山口のホームに、朝日を浴びた交換列車がゆっくりと滑り込んでくる。その景色は実に爽やかに心地よく、そして柔らかな時間帯を私達に与えてくれた。



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18の、18による、18のための旅①

「偉大なるローカル線」とかつて表現したのは宮脇俊三氏であった。いや、正確に言うと、誰かがそう表現したのを宮脇氏が拝借したという方が正しいかも知れない。そんな「山の陰」に隠れたような鉄道路線は京都を起点としている。私はこの「偉大なるローカル線」を制覇したのは全て「普通列車」であった。それは、1982年春に登場した「青春18のびのびきっぷ」に始まる。5日間有効で8000円で発売されたこの切符は現在の「青春18きっぷ」に引き継がれ、そのルールは皆様もよくご存知であろう。そう、国鉄(現在のJR)線の普通列車・快速列車などに乗り放題のこの切符は私に普通列車で旅する楽しさを教えてくれた。

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(これが当時の切符「18」である。4枚綴りで、最初の3枚は1日有効で最後の一枚は2日間有効という変則的なものであったが、どれも1枚2000円で合計8000円であった。よく見たら、わざわざ平塚の交通公社(現・JTB)まで買いに行っていたのか・・・)

私は「18」が登場したその年に初めて普通列車のみによる旅を敢行するが、当然ながら宿も「普通列車」となる。そこで訪問先になったのが「西」という事になったのだ。その当時は「いい旅チャレンジ20000km」のキャンペーン中で、いずれは国鉄全線を制覇しなければならないと自らに課せたためその作業が旅の目的にもなった。それから同じ年の夏にも「18」が発売され、大好評につき現在のように定期的に発売されるようになったが、気づいてみたら「偉大なるローカル線」を全線制覇したのもこの切符のお陰と言えなくもないくらいに重宝した。という事で、この「偉大なるローカル線」の制覇紀行に暫くの間お付き合いいただきたい。

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(2008年訪問時の豊岡にて。気のせいかも知れないが、かつてより側線が減り、やや狭くなったような気がした。しかしながら昔の雰囲気は健在であったのは嬉しい材料であった。)

私が「偉大なるローカル線」に最初にコンタクトしたのは1982年3月「青春18のびのびきっぷ」が発売された年だ。以前に紹介したが、夜行普通列車「山陰」に乗ったのもこの時であり、同時にこの「偉大なるローカル線」の一部区間を制覇する事にもなった。夜行普通列車「山陰」の章とやや重複する部分もあるのでややダイジェスト気味に紹介してみたいと思うが、なにせ30年以上も前の話なので私自身も紹介していて懐かしい。

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(以前に紹介した夜行列車「山陰」の記事でも使用させてただいた写真を紹介させていただこう。写真は「PHOTO:1980JNR.com」より。)

という事で、京都に着いたのが夜の8時半頃であった。この時私は中学生で、1年生から2年生へのステップアップの春休みであった。当時学校では「鉄道研究クラブ」というクラブ活動に所属していたが、この時に「青春18」が登場し実に新鮮な風が校舎内に吹きかけた印象であった。そして「ならば」という雰囲気になってきて、確か最初は仲間内で「18」を使い旅に出ようと企てたはずだ。だが、どうせなら学校のクラブ活動の一貫という形にして「18」による旅を敢行しようという雰囲気が盛り上がってきた。結局そのクラブ活動という名目で顧問の教諭が参戦する事になった。いや、実際には、子供同士で旅に出すのは何かと問題があるという「大人の事情」によりクラブ活動の一貫という名目にしないと旅に行かせないぞ!という「圧力」だったのだろう。という事で顧問教諭が同行すれば「大人の事情」にも責任が果たせる事になろう。どちらにても責任者を教諭としてこの「18」による旅は始まったのだ。

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(国鉄からJRに変わって駅名標もややカラフルになった。「偉大なるローカル線」の起点である京都は、私が訪問した時よりホームが増えて、特に京都口は都市間輸送のカラーが強くなって来た。)

旅行程は私が提案したが、何せ初めての経験のためどうしていいかわからなかった。結局、教諭があれやこれやと口を挟んできてようやく計画が完成した。というより「大人の事情」のはずが、どうやら教諭自身が一番ノリノリであったのだろうと今になって思う。クラブ活動の一貫・・・いや、これは確実に個人的な旅であるのは第三者が見ても100%、いや200%感じる事であろう。



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姿なき挑戦者⑯ 寝台特急「北陸」(後編)

結局、富山あたりまでは目がガンガンに冴えていて寝台の役割を最大限に発揮できずにいる自分がいたが、高岡付近にきて眠気が襲ってきたのも皮肉な話だ。仕方ない、起きていよう・・・という具合な形で迎えた初めての北陸地方の旅であった。「国境」辺りでは銀世界であった景色も、ここ北陸の地に着く頃には完全に銀世界ではなくなっており、むしろ4月・5月を思わせる景色であった。そして高架化された金沢駅のホームが新鮮に感じる。私は地上駅時代しか知らなかったので、なんというか「都会」みたいな雰囲気が漂ってきた感じであった。訪問は初めてであったが、雑誌などでは当時の金沢駅の事情は知っていた。であるが、この新しい金沢駅も実に清々しくて良い。私が中学の頃にはなかった「ソロ」「デュエット」などをホームから眺め「いつかは!」とテンションをあげながら「初」北陸のスタートを切った。

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(今回紹介の旅では「のとじま水族館」にも参戦した。その際に、偶然ながら旅番組の収録があるとの事。そしてイルカのショーではあの川津祐介氏に遭遇した。イルカのショーでは散々イルカと遊んだりした風景が収録されていたが、オンエアでは全てカットされ、ペンギンが園内を歩くシーンとイルカのショーがほんの一瞬のみ放送されていた・・・)

私は冒頭で「ブルートレインの似合う男になりたい!」と言った。あらためて、一体「ブルートレインの似合う」とはどんな男であろうか?であるが、時代の流れとともにブルートレインが無くなってしまうとは何とも皮肉な話だ。夜行列車は「時間の有効活用」という点で非常に長けている。であるが、現在ではビジネスホテルなどの宿泊施設が全国の主要都市に充実し、新幹線や飛行機などの交通網が進化して便利になった。交通網だけではない。通信に関しても「携帯電話」なるものがバブル期に登場して以来、年々進化していき、遂には「スマホ」なる通信手段が登場してしまった。「フェイスブック(フェイスロックではない!)」や「ツイッター」など新しい単語が登場し、ますます複雑かつ便利かつ楽しくなってきた。バブル期以前では携帯電話はそれほど一般的では無かったし、それこそ彼女に電話する時は固定電話しかなかった時代なので「お父さんとかでないかな・・・」など無駄な心配をしてしまったものだ。

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(ダイナミック✩トナカイ提供の富山駅であろう583系「雷鳥」。1984年頃と推測。私が今回の旅で訪問したのは2月。出発前にはご覧のような景色を思い浮かべていたが、いざ現地に着くと雪という雪が全くない通常の北陸地方の景色であった。そんな北陸地方も現在は新幹線が開通し大きく環境が変化した。)

2015年現在、この「ブルートレイン」という列車はほぼ皆無に等しい。であるが、2006年に「北陸」に乗車した時はレールファン休業中であったが実に充実した時間であった。なんというか「古き良き」ではないが、そんな簡単な言葉では片付けられない「ガラスの」10代の時の記憶や感覚が無意識に蘇ってきた。多分であるが、それはレールファン復活の「プロローグ」であったのだろう。寝台特急「北陸」は、そんな事を私に教えてくれた素晴らしい列車であった。



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姿なき挑戦者⑯ 寝台特急「北陸」(中編)

さて、旅行会社に行ってみると面白い事がわかった。それは「ジャパン・トラベル・ビューロー」、いわゆる「JTB」の国内旅行フリープランに寝台特急が交通手段の選択肢にある事がわかったのだ。これは使わぬ手は無い!と思い早速JTBへ。そして約28年ぶりに客車による開放B寝台に乗車する事になったのだ。そして・・・久々に立った13番線ホームは実に懐かしかった。もちろん上野駅の事である。中学生までは特急列車などを撮影にわざわざ相模線の始発に乗りやってきたものだ。レールファンを、当時は「卒業」していたはずなのに・・・なんだろう、この胸騒ぎ。なんとなく童心に帰った感じがして止まなかった。

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(ダイナミック✩トナカイ提供の「あけぼの」である。「北陸」とともに近年まで活躍した「純正」「正統派」の寝台特急であった。)

やがて「国鉄」とは違う現代風のタイフォンが鳴り止み、カクーンと揺れを催しながら幾多のジョイント音を響かせ、複雑なレールの波に身を揺らせていく。久々の感覚。車窓には「赤羽」「浦和」などの駅名標が掠めていくが、窓の向こうの通勤帰宅客には申し訳ないくらいにリラックスした体制でアルコールなどを頬張っていた。とは言え、私も4時間くらい前までは仕事をしていた身。仕事終了直後の寝台特急はなんとなくいつもよりアルコールの回りが早い感じであった。

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(画像はウィキペディアより。「北陸」とペアで活躍した急行「能登」。かつては旧型客車の夜行急行列車であった記憶であるが、同じく夜行列車の「越前」などと共に、1980年代は北陸方面への夜行列車はかなり充実していた印象であった。)

冬場のせいか、やたらと静電気が染みるカーテンを開けると窓の外は既に銀世界であった。既に「国境」は超えていたようで、どうやらいつの間にか夢の中へと誘われていたようだ。気がついてから約30分くらい走ったであろうか、深夜のプラットホームに滑り込んだ。照明は、深夜だというのにやたらとギラギラ輝いていた。レールファンは休業していてもこの深夜の運転停車は事情を察している。そう、長岡駅である。そして駅名標なども見当たらないのに長岡とすぐにわかってしまう。既に頭の中はレールファンモードになっていたのかも知れない。しばらくすると隣のホームには、なんとあの「トワイライト」が入線してくるではないか!レールファン休業中でも事情は知っている。静電気が気になるカーテンをつかみながら「トワイライト」の方向幕がやたら新鮮に映るのが実に良かったが、仕事の疲れが翌朝に響かないかという思いから「寝なければ!」と焦ってしまう。しかしながらその「トワイライト」の興奮が抑えきれなかった。



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姿なき挑戦者⑯ 寝台特急「北陸」(前編)

「ブルートレインの似合う男になりたい!」などと考えるようになったのは最近の出来事であるが・・・そもそも「ブルートレインの似合う」とは、一体どういう男なのであろうか?私は福山雅治やTAKAHIROのような、いわゆる「イケメン」・・・鹿児島弁で言う「よかにせ」ではないのでとりわけそっち方面のご縁が無い。ではどうすれば「ブルートレインが似合う」事ができるのであろう・・・というより、ブルートレインという単語自体が日本から消え去ろうとしている、とはオーバーかも知れないが、既に伝説の領域に入ろうとしている。
そんな時代の流れに揉まれながらも、つい最近まで生き延びていたブルートレイン「北陸」に乗車したのは2006年2月であった。2006年といえば、私のブログにはほとんど出てこないキーワードである。そう、実はこの2006年はレールファン復活前であった。ではなぜ「北陸」に乗ったのか・・・その辺りをこれから紹介してみよう。

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(急行「能登」と共に活躍した寝台特急「北陸」。「あけぼの」と共に近年まで運転されていた「最後の砦」的存在であった。)

2004年に入籍した私は毎年旅に出る習慣になっていた。それまではほとんどマイカーであったが、たまには遠くまで行こう!という事で選ばれたのが北陸であった。なぜか?それは行った事が無かったからだ。1980年代、私は「いい旅チャレンジ20000km」のキャンペーンに参加し全国を駆け巡った。しかしながら当時は学生であったため、旅費の捻出に苦労していた。そんな苦労を救ってくれたのが「青春18」であった。だが、そんな「青春18」にも落とし穴があった。基本、私は駅寝を嫌う主義であるため夜行列車が宿になる。しかも「18」となれば乗車できる列車も限定されてしまう。当時は全国に夜行普通列車が運転されていたが、この北陸地方には夜行普通列車が存在しなかった。そのため北陸を初め全国に夜行普通列車が運転されていない地域では妙な空白地内が出来ていた。
そして高校へ通うようになってからそのまま「チャレンジ」はフェードアウトしてしまったが、それからなんと20年経過した時に、まさかこの空白地帯を埋めようとは思いもしなかった。であるが「行った事無い」を理由に北陸地方の旅は敢行されたのだ。

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(2006年当時はレールファン復活前のため写真という写真を撮影していなかった。という事でこちらはウィキペディアから拝借した。)

そんな訳で北陸目指すわけであるが、1泊2日の旅では朝から時間を有効に使いたい!というような思いから、レールファンは休業しているが、もちろんレール知識はふんだんにある。とは言え、もちろん1980年代の知識ではあるが、実はレールから離れていても時刻表はダイヤ改正の度に購入していた。そして時代とともにブルートレインの消えゆく事象も当然ながら察知している。そんな中、当時はまだ「北陸」が、同じく夜行列車「能登」と一緒に生き延びていた。ならば・・・と、私がこの時選択した列車が「北陸」であったのだ。



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神栖界隈(後編)

原点・・・このブログをご覧の皆様にも必ずあるであろう。それは、一瞬でもそれに触れた時なんとなく懐かしい感じがするのではなかろうか。人はよく「原点回帰」や「初心に帰る」などと言うが、それは何か道に迷ったときや再スタートを切る時などによく使う言葉だ。ではなぜそういう場面で原点に帰るのであろう。恐らくそれは、それに初めて触れた時の「感動」や「新鮮さ」などを思い出すからか。

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(多分知手付近であったと思う。この辺りでようやく「臨海」と呼べるくらいな鉄道になってくるが、果たして神栖から先は貨物列車が運転されているのであろうか?)

私のレールファンの原点は「西寒川」であり「相模線」である。そしてブルートレインだ。後で考えてみたら相模線って傍から見てかなり偉大(?)なのかなと感じる時があった。「たらこ色」のDCが初めて走り出したのが相模線と聞いたことがあるし、キハ58が「新型車両の試運転」と題して相模線で運転されたこともあった。首都圏にありながらDCが運転され哀愁漂う路線として親しまれてきたであろうが、国鉄にしてみたら試験運転などにも手頃な存在であったのだろう。

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(こちらも知手付近、というより神栖~知手間だったと思うが、手前の広い緑地と赤い建物の間にレールが敷いてある。完全なる工業団地を貫く鹿島臨海鉄道は、やはり旅客営業には向かないかも知れない。)

既に終焉を迎えようとしているかも知れない鹿島臨海鉄道の貨物線を見たとき、なぜかそんな思いが一瞬であったが心を過ぎった。そして先述したRJ社(当時)の「旅と鉄道」の「種村直樹の汽車旅相談室」でこの鹿島臨海鉄道の旅客営業の話題で盛り上がったシーンを思い出した。私がまだ中学生であった1980年代である。私は1984年頃までがレールファンの全盛期であった。もちろん現在でもしっかりとレールを楽しんではいるが、なんというか当時とは違った楽しみ方をしている。つまり楽しみ方の「角度」が色々あるのだという事がわかってきた、とでも言おうか。そして幅が広がったとも言えるであろう。そんな今の自分が過去の自分を見てみると、なんというか無邪気であり頑なであった頃の自分がなんとなく懐かしい。

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(そして奥ノ谷浜付近と思われる場所にあった踏切。この踏切ではないと思ったが、ある踏切を境に右が草ぼうぼうの線路、左がレール上に枕木が置いてあるが草は刈られていた、という景色になっていた。)

私はレールファン歴に27年のブランクがある。その27年のブランクを埋めるという訳ではないが、全国を旅していると、かつての「いい旅チャレンジ20000km」に夢中であった頃と比較できるのが実に嬉しい。とは言え、ハッキリ言って「遠い記憶」でもあるから覚えていない事も多々あるが「国鉄」「JR」の違いもなんとなく楽しい。多分私がこれから旅をする時もきっとどこかに「原点」を探し求めていくであろう。それは、もしかしたら見つからないかも知れないし、もしかしたらその時は突然にやってくるかも知れない。「ラブストーリーは~」ではないが、もし突然その時がやってきたら私は周りが見えなくなってしまうくらい夢中になってしまうであろう。多分、この瞬間がたまらなく、そして味わいたいからまた旅に出るのかも知れない。飽きもせず二度三度・・・いや、永遠かも・・・


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プロフィール

ダイヤモンド☆トナカイ

Author:ダイヤモンド☆トナカイ
創設:1969.03.09
所在地:神奈川県湘南地区

〇2013年6月11日、北陸新幹線長野駅にてJR全線制覇いたしました。
国内の鉄道は、沖縄の「ゆいレール」を残し全線制覇しました。(とは言うものの、2015年3月の北陸新幹線延伸によりJR全線制覇は「ベルト返上」しました)

★ ブログ記事の「リメイク版」は、以前にホームページで紹介した旅日記をブログでリメイクしたものです。


◎ブログの登場人物

★ ダイナミック☆トナカイ
・・・中学時代の後輩で、2013年に約30年振りに再会を果たした。数多くの写真を提供していただいた「盟友」でもある。

★ おさる・・・かつて私がバンド活動をしていた時のメンバーで、鉄道復活のきっかけを作ってくれた人物。彼とは「秘境駅」を数回訪問した「親友」でもある。

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