よろしく哀愁。よろしく九州⑯ 厳木
2016-03-28

「きうらぎ」ではなく「きゅうらぎ」と読むこの駅であるが、実は今回この駅の訪問が決定したのはこの旅に出る一週間前くらいであった。職場の同僚と休憩室で話ていた時、偶然にも九州出身と聞いた。そしてその場所が隣の多久であったのだ。そもそも唐津線の駅訪問は予定していなかったのであるが、この同僚と話をしているうちに突然訪問意欲が湧いてしまった。という事で、なんとか時間をやりくりし無理やり(でもないが)訪問を決定した。とは言え、もし予定していなくてもこの厳木駅前は通るはずだったので、どちらにしても駅舎を見た途端に急遽寄りたくなっていたであろう。
ところで、今述べたようにここ厳木駅は立派な駅舎がある。正直言って私はこの厳木に関しては事前知識を装備していなかったため、いい意味で裏切られた感じであった。そして駅構内にはSL時代の面影もあり地味に名所気分を味わえる雰囲気である。ウィキで利用者を調べてみたら500人アンダーでほぼ安定しているのである意味安心材料である。が、駅周辺は河原が迫っていて地形的に集落がある雰囲気は感じなかったが、私が気付かなかっただけであろう。とは言え、付近には道の駅や厳木ダムもあり観光要素も揃っている感があった。それよりなにより私にとっては「駅舎」が最大の観光要素となってしまったが・・・


駅前には「平成的」なバスストップがある。そして駅前は意外に整備されている。もちろんそれは近年の出来事であろうが。


そしていよいよ駅舎へ。やはり訪問を決めてよかったと思う。昔ながらの姿は心休まる癒しの空間だ。

もちろん近年のものであろうが、いや、昔からあるものかも知れないが、ひと文字ひと文字に力強さを感じずにいられない。




私の家に「はなれ」としてこんな空間があったら、ここに篭って旅計画などを考えながら一日中時刻表を見て過ごすのも楽しいであろう。



そしてホームへ。唐津線の初訪は1983年3月であるが、当時は全くのノーマークであった。というより、当時中学生であった私がこの駅の魅力がわかったらかなりの強者(つわもの)であったろう。そう、ここは「大人の魅力」がたっぷりの駅だ。


そして「アレ」の存在が大きい。某BS局のTV番組「ローカル線聞き込み~」的な番組ならきっと名所登録されている事であろう。

という事で「安らぎの空間」を後にし、次の「名所登録」に向かうことにした。

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一筆書き乗車
2016-03-24
一筆書き乗車・・・私はかつて、小学校の卒業文集で「一区間乗車」というタイトルで文面を寄せている。「大回り乗車」とも言うが、ここでは「一筆書き」で統一して話を進めてみよう。

(鶴見線と言えば、私が小学校の頃までは旧型国電が活躍した。特に大川支線は1996年まで活躍。ある意味スゴイ出来事だ。)
「一筆書き」とはレール事情に詳しくない方のために少々補足説明させて頂くと「出発地から目的地までの運賃計算に関して、実際の乗車経路に関わらず最短距離で計算する」というJRの運賃計算ルールがある。という事はつまり、わかりやすく言うと、東京から神田までの乗車券を買い、山手線外回りで東京から品川・渋谷・池袋などを経由して遠回りで神田に向かうが料金は内回りのまま、という事である。それを拡大解釈したものが一筆書き乗車という事だ。私が「小学生の卒業文集で文面を寄せた」という事は1970年代後半にはそういう概念が世に出回っていた事であろう。しかも小学生が知っているのであるからその事柄は既に一般的であったのだろう。

(こちらも大川駅にて撮影。恐らく晩年と思われるが、私が注目したのは貨物側線である。雑草などの「障害物」が無いのを考えると、まだまだ貨物がそれなりに健在であった時代なのであろう。)
小学生当時はかなりこの手法で首都圏の鉄道路線を巡っていた。もちろんそれは国鉄(当時)に限られるが、ちょうどその頃「いい旅チャレンジ20000km」のキャンペーンが始まり、その一筆書きの人気に拍車をかけた感じだ。そして私も「いい旅~」のガイドブックを片手に首都圏を中心に乗りつぶしたり上野駅などに写真を撮影に行ったものだ。
1980年代、RJ社(当時)発行の「旅と鉄道」というレール雑誌では、この一筆書き乗車に関してかなり盛り上がった記憶があったのでバックナンバーを引っ張り出し確認してみた。それは私がこのブログで度々紹介してる「種村直樹の汽車旅相談室」での事である。その内容というのは、一筆書き乗車中に例えば相模線の寒川支線(当時、現在は廃止)に乗車したくなった場合、別途寒川~西寒川の往復乗車券を買い往復するのは有効か?みたいな内容である。この話題は大きな反響を呼び様々な論議が飛び交った。このコーナーの管理人である種村氏は「西寒川支線や鶴見線枝線の乗車は可能」とハッキリ言っているし、それこそ鶴見線で実際に全ての支線を堂々と乗車した者もいるとも記され、そう判断した車掌も立派とも記されていた。つまり、東京から神田までの乗車券で東海道線や相模線を経由し、途中で終端駅がある支線を往復するという事は「可能」だ、という内容である。

(私が小学生高学年になるとご覧の列車が活躍し始めた。いよいよ鶴見線も近代化の波が押し寄せた印象であった。)
この件の種村直樹氏の回答のタイトルは「違法ではないが感心しません」であったが、次回では色々な読者の規則解釈の例を挙げ、結局「規則上も解釈上も疑問で、やめよう」に変更している。種村氏と言えば、当時はこの「旅と鉄道」の自身のコーナーでかなりの「鉄道規則」を駆使し自らをアピールしていた感があった。このコーナーの記事を読んだ当時中学生であった私は「やたら規則に詳しい人だな」と感心していたが、今回の件に関しては、回数を跨いで解釈を変更するのは珍しい部類であった。つまり普段から規則・規則と言っていてもこの件に関してはかなり気持ち的に揺らいでいたのであろう。やはり最終的には個人の解釈の仕方であるのかなという私の印象であった。

(こちらは南武支線側の浜川崎である。浜川崎といえば南武支線側の駅にはかつて駅員が配置されていた。一筆書き乗車の際は、中間改札のある鶴見と共にひとつのポイントとなる場所であった。)
さて、皆様はこの「一筆書きによる別途乗車」をどう感じるであろうか。私的にはやはり「違法」であると思うし、現在では「青春18」やその他フリーきっぷも多数存在する。そういう切符を駆使し、堂々と鉄道路線を巡った方が肩身の狭い思いをせずに済むであろう。そして楽しさも倍増する。私自身も一筆書きの経験はあるし、一筆書き自体を否定する気持ちは毛頭ない。だが、やはり鶴見線が最大のネックとなり冒険でもあった。事実、浜川崎で南武支線から鶴見線に乗り換える際に駅員とトラブルがあった。当時小学生であった私はあえて一筆書きのルールなど駅員にいちいち説明しようとは思わなかったし時間もなかったので正規料金を支払い改札を通過したが、やはり後味が悪く肩身の狭い思いをした。だからこそ言えるのであるが、やはりそういった「規則」などにこだわるよりも、フリーきっぷなどで堂々と巡ったほうが清々しい。そしてなにより「規則」を連呼していた種村氏でさえこの時は規則を「解釈の仕方」的なニュアンスになっていたから尚更だ。規則って何だろう・・・

(そしてこんな電車も活躍していた。首都圏において近年ではすっかり姿を見ることができなくなってしまったが、確かにかつては首都圏の「主役」であった。)
現在ではマスルが進化し、切符の発行が完全に自動化されているので、それこそショッピングモールなどにある旅行会社などでも気軽に切符が購入できるようになった。近年の鉄道路線乗り潰し等で私はこうした場所でよく切符を購入していた。が、やはり私の買う切符はある意味特殊でマニアックの場合が多かったため、売り手もかなり悩む場面があったと思う。しかしながら嫌な顔ひとつせずに私の要求に抜かりなく答えてくれたのが今でも嬉しく感じるし感謝の思いである。だからこそ「いい旅を」と逆に行く前から胸が膨らむ。

(そしてこんな電車も登場した。時代を反映した機能を装備しているが、そんな機能も現在では当たり前の機能になっている。そして呼び名も「省エネ」から「エコ」に変化し、機能も更に進化した。)
近年では新規開業路線のラッシュで、訪問しなければならない路線が増えてしまった。「鉄道路線乗り潰し」とは永遠のテーマであり終わりは無い。だから面白いのかも知れない。そしてそんな旅を心から楽しんでいる自分自身をこれからも維持していかなければならない。これは大変な作業であるが、だからこそ達成した時の喜びも大きいであろう。さて・・・次なる訪問先はどこになるであろうか・・・
✩実は・・・この記事の写真は全て「ダイナミック✩トナカイ」の提供でした。

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(鶴見線と言えば、私が小学校の頃までは旧型国電が活躍した。特に大川支線は1996年まで活躍。ある意味スゴイ出来事だ。)
「一筆書き」とはレール事情に詳しくない方のために少々補足説明させて頂くと「出発地から目的地までの運賃計算に関して、実際の乗車経路に関わらず最短距離で計算する」というJRの運賃計算ルールがある。という事はつまり、わかりやすく言うと、東京から神田までの乗車券を買い、山手線外回りで東京から品川・渋谷・池袋などを経由して遠回りで神田に向かうが料金は内回りのまま、という事である。それを拡大解釈したものが一筆書き乗車という事だ。私が「小学生の卒業文集で文面を寄せた」という事は1970年代後半にはそういう概念が世に出回っていた事であろう。しかも小学生が知っているのであるからその事柄は既に一般的であったのだろう。

(こちらも大川駅にて撮影。恐らく晩年と思われるが、私が注目したのは貨物側線である。雑草などの「障害物」が無いのを考えると、まだまだ貨物がそれなりに健在であった時代なのであろう。)
小学生当時はかなりこの手法で首都圏の鉄道路線を巡っていた。もちろんそれは国鉄(当時)に限られるが、ちょうどその頃「いい旅チャレンジ20000km」のキャンペーンが始まり、その一筆書きの人気に拍車をかけた感じだ。そして私も「いい旅~」のガイドブックを片手に首都圏を中心に乗りつぶしたり上野駅などに写真を撮影に行ったものだ。
1980年代、RJ社(当時)発行の「旅と鉄道」というレール雑誌では、この一筆書き乗車に関してかなり盛り上がった記憶があったのでバックナンバーを引っ張り出し確認してみた。それは私がこのブログで度々紹介してる「種村直樹の汽車旅相談室」での事である。その内容というのは、一筆書き乗車中に例えば相模線の寒川支線(当時、現在は廃止)に乗車したくなった場合、別途寒川~西寒川の往復乗車券を買い往復するのは有効か?みたいな内容である。この話題は大きな反響を呼び様々な論議が飛び交った。このコーナーの管理人である種村氏は「西寒川支線や鶴見線枝線の乗車は可能」とハッキリ言っているし、それこそ鶴見線で実際に全ての支線を堂々と乗車した者もいるとも記され、そう判断した車掌も立派とも記されていた。つまり、東京から神田までの乗車券で東海道線や相模線を経由し、途中で終端駅がある支線を往復するという事は「可能」だ、という内容である。

(私が小学生高学年になるとご覧の列車が活躍し始めた。いよいよ鶴見線も近代化の波が押し寄せた印象であった。)
この件の種村直樹氏の回答のタイトルは「違法ではないが感心しません」であったが、次回では色々な読者の規則解釈の例を挙げ、結局「規則上も解釈上も疑問で、やめよう」に変更している。種村氏と言えば、当時はこの「旅と鉄道」の自身のコーナーでかなりの「鉄道規則」を駆使し自らをアピールしていた感があった。このコーナーの記事を読んだ当時中学生であった私は「やたら規則に詳しい人だな」と感心していたが、今回の件に関しては、回数を跨いで解釈を変更するのは珍しい部類であった。つまり普段から規則・規則と言っていてもこの件に関してはかなり気持ち的に揺らいでいたのであろう。やはり最終的には個人の解釈の仕方であるのかなという私の印象であった。

(こちらは南武支線側の浜川崎である。浜川崎といえば南武支線側の駅にはかつて駅員が配置されていた。一筆書き乗車の際は、中間改札のある鶴見と共にひとつのポイントとなる場所であった。)
さて、皆様はこの「一筆書きによる別途乗車」をどう感じるであろうか。私的にはやはり「違法」であると思うし、現在では「青春18」やその他フリーきっぷも多数存在する。そういう切符を駆使し、堂々と鉄道路線を巡った方が肩身の狭い思いをせずに済むであろう。そして楽しさも倍増する。私自身も一筆書きの経験はあるし、一筆書き自体を否定する気持ちは毛頭ない。だが、やはり鶴見線が最大のネックとなり冒険でもあった。事実、浜川崎で南武支線から鶴見線に乗り換える際に駅員とトラブルがあった。当時小学生であった私はあえて一筆書きのルールなど駅員にいちいち説明しようとは思わなかったし時間もなかったので正規料金を支払い改札を通過したが、やはり後味が悪く肩身の狭い思いをした。だからこそ言えるのであるが、やはりそういった「規則」などにこだわるよりも、フリーきっぷなどで堂々と巡ったほうが清々しい。そしてなにより「規則」を連呼していた種村氏でさえこの時は規則を「解釈の仕方」的なニュアンスになっていたから尚更だ。規則って何だろう・・・

(そしてこんな電車も活躍していた。首都圏において近年ではすっかり姿を見ることができなくなってしまったが、確かにかつては首都圏の「主役」であった。)
現在ではマスルが進化し、切符の発行が完全に自動化されているので、それこそショッピングモールなどにある旅行会社などでも気軽に切符が購入できるようになった。近年の鉄道路線乗り潰し等で私はこうした場所でよく切符を購入していた。が、やはり私の買う切符はある意味特殊でマニアックの場合が多かったため、売り手もかなり悩む場面があったと思う。しかしながら嫌な顔ひとつせずに私の要求に抜かりなく答えてくれたのが今でも嬉しく感じるし感謝の思いである。だからこそ「いい旅を」と逆に行く前から胸が膨らむ。

(そしてこんな電車も登場した。時代を反映した機能を装備しているが、そんな機能も現在では当たり前の機能になっている。そして呼び名も「省エネ」から「エコ」に変化し、機能も更に進化した。)
近年では新規開業路線のラッシュで、訪問しなければならない路線が増えてしまった。「鉄道路線乗り潰し」とは永遠のテーマであり終わりは無い。だから面白いのかも知れない。そしてそんな旅を心から楽しんでいる自分自身をこれからも維持していかなければならない。これは大変な作業であるが、だからこそ達成した時の喜びも大きいであろう。さて・・・次なる訪問先はどこになるであろうか・・・
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よろしく哀愁。よろしく九州⑭ 五郎丸
2016-03-20

一躍「時の人」となった某ラグビー選手であるが、その波に乗ってこちらも「時の駅」となってしまった。その名も五郎丸。駅自体は秘境駅や「日本一○○な駅」などの分類が難しいくらいごく普通の駅であった。というより、ほとんど一般には顔を出さない、いわゆる私好みの「地味駅」であったのだ。国道から一本ドテップチの脇道に逸れるが、そこは閑静な住宅街。であるが、駅前の道は意外と交通量が多い。日中は無人になり全く静かな駅であるが、朝晩の通勤時にはかなり賑わうであろうごく一般的な生活駅である。ところが、ある日を境に一躍脚光を浴び、この駅もメジャーに昇進。そして最も旬な駅となってしまった。とは言え、もう既にピークは過ぎているであろうが、そんな旬な情報は抜きにして、普通にレールファンの目で駅として見た場合とても魅力ある事がわかる。とにかく駅に入るには超狭い歩道を伝わなければならない。もちろん駅前広場など無い。そして車で来ようには止める場所が無い。本当に生活感溢れている地元密着の駅である。

この駅は福岡県は西日本鉄道の駅である。しかも本線ではなく、本線から枝分かれする支線にあるかなり地味な存在だ。

住宅街の中にある生活感溢れる駅である。かなり華奢な印象で、ある意味都電の停留所と間違えそうな感じだ。

駅舎、というより切符売場と言ったほうが正解か。狭いスペースに無理やり作ったような印象である。



どうやら日中は駅員不在らしい。朝晩は駅員がいる旨が記されていたが、その他に増収を図ろうとする案内も。もちろん「久留米」とはJRではなく西鉄の事であろう。




これが駅全貌。普通に普通の駅であるが、やや華奢な印象は、西鉄の列車がやってくると、列車がはみ出してしまいそうな印象であった。



近くに神社があろうとは知らなかった。その神社へ向かうにも、なんだか迷路のような通路を通らなければならない。

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よろしく哀愁。よろしく九州⑬ 植木
2016-03-16

さて、この植木駅をご存知の方がどれくらいいるのであろうか。地元利用者と「私、駅名と同じ苗字なんです」という方以外、その存在を知る者は、恐らく「秘境駅」として名高い小幌駅の乗降客数より少ないかも知れない。そしてこの植木自体、秘境駅とか「日本一○○な駅」のような特徴があるわけでも無く、いわゆる地味な駅である。映画「男はつらいよ」的に言うと「谷よしの」的な感じか。だが、この例えをわかる方は相当な寅さんフリークであろう。

話が逸れたが、逆に言うと、こうした地味な駅が私が好む駅の真骨頂。「秘境駅訪問家」ではないが、私も「地味駅訪問家」とでも名乗ってしまおうかと思うくらいこうした駅が好きだ。私的には伊豆急の「南伊東」がその威力を発揮する駅としてNo.1に近いと評価しているが、皆様でもし「こんな地味な駅を知っているよ~」という方がおられたら私に報告して欲しい。


(昭和的駅舎がとても良い。もちろん開業当時のものではなさそうであるが、ペイントも何度か変更されている事であろう。)
と、また話がそれてしまったが、この植木は鹿児島本線にある駅で、言わば地味な中間駅である。そして私の訪問理由は意外と単純で「会社の同僚に駅名と同じ苗字の人がいるから」という理由からだ。だが、理由は単純でも訪問してみると内容的には素晴らしかった。それは、列車でやって来る場合ではわからない環境とでも言おうか。
国道からこの駅にやってくるのには少々生活道路に入るが、途中でかなり狭い坂道を下っていく。するとようやく線路際に出るが、そこから線路沿いに行くと植木駅がある。当然ながら観光的な名所等は無く、完全に生活ムード満載の駅である事がわかる。秘境駅ではないが、熊本から15分とかからない距離のため意外にも利用者は多い。が、当然朝晩に集中している事であろう。私が訪問した日中は「独占」であった。そして、何といってもこの駅が無人化されたのが2015年3月であるからつい最近の出来事である。




ちょうど私の訪問時に列車がやって来たが・・・列車が到着しても完全に私のみがこの駅を独占していた。上り線はかなりのカントがあるようであるが、ご覧の「トイレ」で事件は起こってしまった・・・
駅は2面3線構造でいわゆる本線型の基本形であるが、この駅からは何と、かつて山鹿温泉鉄道が分岐されていたのだ。と言ってもピンと来る方は私よりもかなりの大先輩であろう方々と思われる。その存在が歴史の1ページとなってしまったのは昭和30年代であるから私はまだ生まれていない。だが、そんな山鹿温泉鉄道の面影をこの駅で見つけるのは非常に難しかった。山鹿温泉鉄道の線路跡はサイクリングロードになっていると聞いているので、次回訪問の際は是非とも確認してみたい。


駅前にある激安駐車場。この駐車場辺りにかつての「山鹿温泉鉄道」があったと思われるが・・・その存在自体が伝説であるため、私もあまりピンと来なかった。
ところで、そんな植木でひとつ残念な事が起こってしまった。それは・・・植木駅のWCで用を足していた時に財布を落としてしまったのだ!そして運悪く汚水で浸されていた部分に落ちてしまった。私はすかさずすぐそばの手洗い兼掃除用の洗面台のような場所に財布を置いたが、更にその下に置いてあった掃除用具用のバケツの中に落ちてしまった!中には水が入っていたので更に財布はずぶ濡れになってしまった・・・
踏んだり蹴ったりの状態のまま結局帰郷までその財布を使用せざるを得なかったが・・・もちろん現在、その財布はしっかりと葬られている。なんて後味悪い訪問となってしまったが、駅舎ほか、設備等は昭和的な面影がありとても訪問し甲斐がある物件であった。

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よろしく哀愁。よろしく九州⑫ 西相知
2016-03-12

さて、この西相知を紹介する前に皆様に報告しなければならない事がある。それは・・・今回の西相知訪問に関して相互リンクさせていただいている「LM徒然草」の管理人でいらっしゃるLMさんから少々ご意見をいただいてしまった。西相知と言えばLMさんのお膝元。そのLMさんのブログに関しては私が説明するまでもなく、どの記事も素晴らしい内容と作品の数々。そしてこの西相知に関してもかなりの思い入れを記されていらっしゃる。そんなLMさんの「メッカ」に、私は挨拶もせずに足を踏み入れてしまった!そんな私はかなりの不行き届き者である。という事で、次回はしっかりとLMさんに報告してからの訪問とする事にした!きっとLMさんから良い情報とアドバイス、そしてご利益が頂ける事であろう。

という事で、今回の西相知の訪問は、今回紹介している九州の旅では最終日の行程である。宿泊先の嬉野温泉から有田、伊万里方面を回り西相知にやって来た。カーナビに案内されるままに到着したが、到着する前から「あれがそうかな」とかなり遠くからでも確認できる西相知の佇まいであった。さて、ここを左折すれば駅かなと左折車線に入った途端・・・なんと駅から赤いダンプの行列が私の行く手を塞いでしまったのだ。1台、2台・・・強面(こわもて)のダンプは恐らく4台は通りすぎたであろうか。私は左折ウインカーを出したまま立ち往生してしまった。ところが、確か5台目あたりでダンプの動きが一旦停止した。そう、私が駅に入りたいと察したのかそのまま動かない。私は即座に西相知駅に向かいハンドルを切った。待っていてくれた運転手に窓越しに挨拶をした。迫力ある表情(とは失礼かも知れない。この場を借りてお詫び申し上げます!)は一転して笑顔で私を迎えてくれた。ありがとう!運転手さん。さすが九州男児。やはり義理人情に厚い何かを感じてしまう。そしてLMさんありがとう!こんな素敵な場所がLMさんのお膝元とは羨ましい!!!これからもよろしくお願いいたします。


さて、私が西相知駅に入ろうと左折ウインカーを出したら、狙っていたかのようにダンプの行列が!そして4台目が過ぎた頃で一台のダンプが止まった。そう、私に道を譲ってくれたのだ。私はすかさず脇道へ。そしてダンプが通り過ぎるのを待ち、駅の駐車スペースに車を入れた。

そしていよいよ西相知駅へ。LMさんのブログによると、かつては素敵な木造駅舎があると記されていたが・・・現在ではご覧の状況。





ご覧の通り、かつては交換設備があったと思われるが、現在ではご覧の状況。だが、しっかりと面影を残している。

ホームからダイレクト的に一般道へ繋がる道路。多分写真右側に駅舎があったと思われるがLMさんいかがでしょう。


かつての下り線はご覧の状況に。LMさん情報によると、どうやらここはJRの保線的資材置き場になっているらしい。このPC枕木と思われる資材は当然筑肥線の西区間で使用されているとは思えない。ここから東区間や他の路線に運び出されているのであろうか。


私が思うに、これって秘境駅にある定番的アイテムなのであろうか。
今回の旅であるが、初日を除き天気に恵まれた感がある。特に最終日はご覧の状況で、この後向かう唐津線等は実に心地よく、そして1月とは思えない気温の中で旅は進行していった。実は、この最終日の行程は宿泊先である嬉野温泉を出発する直前に予定ルートを変更した。とは言え、最初から西相知駅への訪問計画はあったから予定通りと言えば予定通りであるが、今回の旅では「外から鉄道を見る」という楽しさを再確認させられた旅でもあった。決して鉄道旅では味わえないレンタカーによる鉄道路線めぐりの旅。時間的に許されるならここ西相知駅にしばらく佇んでいたかった。が、この後航路にて帰宅しなければならない時間がある。後ろ髪ひかれる思いで西相知駅を去ったが、次回訪問する時は、それこそ1時間とか2時間とか滞在時間をしっかり取って来よう。もちろんLMさんにもご一報入れさせていただいて・・・

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よろしく哀愁。よろしく九州⑪ 採銅所
2016-03-08

その名もズバリ「採銅所」。いかにも「らしい」駅名であるが、実はこの辺りの地名が採銅所という。もちろん歴史的にそういった過去があったろうが、それが地名に、そして駅名になるのは珍しいのではないか。なぜ私がこの駅に訪問したのか・・・理由は「好きだから」である。多分特徴的なものはほぼ無いに等しいであろうが、何か惹きつけられるものがこの駅にある。
私の初訪は2008年であるが、この時は日田彦山線制覇のための通過点に過ぎなかった。そのため下車はしていないが、やはり子供の頃「コロタン文庫」などで見てきたあの採銅所に来れたのが実に嬉しかった。そして「いつか行ってみたい・・・」と思っていたが、ようやく実現した感じであった。もちろん列車で来るのが正当であろうが、今回私は大仁田厚張りに邪道な道を選択し、レンタカーでの参戦となった。先に訪問した呼野からほぼ一本道であるが、採銅所駅前付近でS字に似たカーブを描く道に入っていく。周囲は確かに集落的な形成はあるものの、鉄道経営に相応しいとは言えない風景であった。もちろん、それは旅客輸送を考えた場合の事であって、歴史的背景を考えた場合は、現在のルート選択で当時は正解だったのかも知れない。

採銅所駅へは国道から続くご覧のからやって来る事になる。駅前は実に静寂に包まれていた。

するとご覧の駅舎が登場。塗装のみリニューアルされている模様であるが、往年の駅舎が健在であった。



早速中に入ってみる。全く銅とは縁が無さそうな渋い表現力を持つ字体に力強さを感じた。まさかラッチは「銅製」ではないであろうが・・・











既に中線は撤去されていたようで、必要最低限の設備のみが残っていた印象であった。私が到着した時と同じタイミングで列車がやって来た。意外にも女性グループ数名が列車の中に消えていった。

恐らく後付けされたであろう構内踏切。ホームを噛んでいない辺りに歴史の浅さを感じる。




かつて貨物ホーム的な設備と思われる場所は駐車場になっていた。そして何本もの側線があった名残が確認できる。バックに見えるは「ボタ山」なのであろうか・・・

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よろしく哀愁。よろしく九州⑩ 呼野
2016-03-04

今回紹介している九州の旅で、私が一番訪問したかったのがここ呼野である。今回の旅を決定するのにここ呼野が決め手となったと言っても過言ではない。恐らく30年来の願いが叶った感じであった。
ところで、今年に入って暖冬などと言われていた事が嘘のように何十年に一度の寒波が日本列島を襲い、特に1月下旬には記録的な大雪が全国的に観測された。実はその一週間前に私の旅は敢行されたのであった。

呼野バイパスから生活道路に入ると日田彦山線の路盤が登場する。確かに勾配はありそうであるが、現在の鉄道技術からすればなんら問題なく通り過ぎることができよう。
「寒波が来る前でよかったね」と思われるであろう。実際に一週間後に旅をしていたらかなりの困難を強いられたであろう。であるが、今回の旅でもある意味予兆はあった。現地では旧・筑前勝田駅訪問後に九郎原へ抜け桂川、飯塚方面へ向かい平恒(上山田線・廃止)の訪問計画であった。旧・筑前勝田駅を出た私は九郎原方面へ車を走らせたが、実は九郎原までには峠越えがある。当日は曇りであったが、峠に向かうにつれなんだ雪がパラついてきた。そしてだんだんと路面が銀世界となり、とうとう前方の車がスリップしだしたのだ。もちろんノーマルタイヤであったため私自身も峠越えの断念という判断をすぐさま下した。

(いよいよ憧れの呼野に到着。と思ったら、同時に上り列車が入線してきた。私は慌ててシャッターを切る。)
更にカーナビはコード断線によるバッテリー電圧低下で機能しなくなってしまいもう踏んだり蹴ったりであった。当然ながらカーナビが使えなくなってしまったため自力で折り返すしかない。そしてコードを購入し改めて旅をスタートさせたのであった。峠越えを断念した私はどうするか・・・そう、計画していたルートの他に幾つものルートを事前に考案していたため頭の中では既に「こうしよう」という部分がすぐに浮かび自然に対応していた。そう、長者原付近から高速に乗り呼野に向かう事にしたのだ。呼野は高速インターからほど近いため非常に便利で、それこそ元の計画に近い形で元に戻せる。いずれにしても呼野へ訪問するのであるからその順番が入れ替わっただけと思えばいいであろう。そんな調子の旅であった。

(ご覧のように乗降客は皆無であった。私の到着したのは確か2時頃であったためこの駅の経済的数値を支える学生諸君はまだ校舎内にいた事であろう。)
と、前置きが長くなってしまったが、いよいよ呼野に到着した。呼野はご存知、日田彦山線にありスイッチバックの遺構が残る事で有名である。実際に訪問してみてわかったが、ハッキリ言ってスイッチバックするほどの勾配は感じられず、むしろ現在のホームで営業するのが自然であった印象であった。スイッチバックはハッキリ言ってあまり意味の無い設備であったが、いざ無くなってしまうと淋しいものだ。そして恐らく駅舎があったと思われるが、今回の訪問時には完全に撤去され新たな工事が施されていた。

(上り列車が去った後はこの駅の通常風景が戻てきた。静寂に包まれた駅構内では、なんとなく1日過ごしてみたい気分になる。というより住んでしまってもいいかなぁ~と感じてしまう魅力がある。)
沿線的には「呼野バイパス」と呼ばれる道路がありこの付近に用事がない人は瞬時に素通りできるが、旧道に入ると古い建物がいくつか並びひとつの集落を形成していた。であるが、やはり利用者は通学生がほとんどであろうと思われる。北海道の各駅が廃止されていく中、いずれ九州もそうした現象が起こらないとは限らない。であるが、ある意味貴重な存在の呼野は、これからもこのままの形で永遠に受け継がれていってほしいものだ。




改めて駅構内を散策。以前はスイッチバック駅であったが、現在はこちらの勾配上のホームを利用している。というより、スイッチバック時代にもこの勾配上のホームはあった。もちろん勾配上のホームは後付けであろうが。

勾配上のホームからこのステップを使いスイッチバックのホームへ移動してみる。まだ遺構があるだけでも嬉しい。









確かスイッチバックの方は、私の知る限りでは3本の線路があり、そのうち1本は現在も残る旅客ホームにあった。そして残る2本の内1本では、なんと貨物列車がスイッチバックしていたようだ。


ご覧の通り、駅舎は完全に撤去され更に工事が施されているようだ。シンプルになるのは、管理する側は完全に合理化され作業が減る事で経費削減になる。であるが・・・


旧・スイッチバックのホームには国鉄時代の駅名標が今でも残るがご覧の状況であった。であるが、いかにも「国鉄」を思わせるのが実に素晴らしい。
私のブログにここ呼野が載る日が来るとは正直言って思わなかった。そして私自身実に嬉しく清々しい気持ちである。ハッキリ言って福岡での雪による峠越え断念の時に果たして呼野に行っていいのか迷ったが、高速を使い思い切って訪問して良かったと思う。せっかく来たのだからやはり呼野に来なくては意味がない。それくらいの思いでの今回の九州参戦であった。そしてもうひとつ、隣の採銅所も今回絶対に訪問したい物件であった。その件については次回に紹介したいが、やはりこういう事ができる自分をこれからも維持していきたいと改めて思わされた今回の旅であった。

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