更に長期連載になりそうな九州鉄道路線全線制覇<PART3>⑧
2016-04-29
「日本三大車窓」を通過するころには完全に太陽がマックスに輝き、冷房が効いている車内でも陽が当たるところは完全に真夏であった。それより、せっかく来たのに「運休」などになるよりよっぽど良い。私は夏が一番好きな季節のため暑いのはいくらでも大丈夫だ。これくらいへっちゃらである。

(大畑駅にて「いさぶろう・しんぺい」の女性アテンダントもご覧の通り、真夏の太陽の下では顔をしかめる。だが、なんとなくこんな光景が微笑ましく見えるのは、やはり肥薩線のサミット区間が「昭和」、いや「明治」を感じさせるからであろうか。)
そんなへっちゃら状態の私を乗せた列車は本日最大のクライマックス「大畑」に到着した。もちろん読み方はご存知「おこば」である。皆様もご存じのように、この駅はスイッチバック駅でありながらループ線途中にあるという、なんだかフランス料理のフルコース的な駅だ。そして駅舎も渋い!ほぼ開業当時のままであろう状態で現在でも活躍する姿は素晴らしい。もちろん明治時代に建てられたものだからものすごく重厚感がある。そしてホームは有効長が長い!SL時代を思わせる当時の面影がたっぷりと現在でも維持されているのはただただ感心してしまうばかりであろう。そして圧巻。この駅の人気の理由がわかる。であるが、ひとつ欲を言わせてもらえば「いさぶろう」などではなく、ノーマルな普通列車で訪問してみたい。決して「駅寝」をしようとは思わないが、なんというか、丸1日滞在してみたい素敵な駅だ。そして駅から少し下っていくと集落があるのでそちらの方も訪れてみたい。


(一度レンタカーで訪問してみたい大畑であるが、駅から集落へはやや距離がある。実際に地元の方の利用者にお話を伺ってみたいものだ。)
実に清々しい気持ちで肥薩線の制覇を終えた(というよりまだ人吉だが)私は、先ほどのハプニングなどすっかり忘れ肥薩線を楽しんでいた。そして人吉に着くとここで「いさぶろう・しんぺい」ともお別れ。ここからかつての湯前線を制覇する予定となっている。だがここで現実に戻される。そう、つまり変更前の予定より1本遅い時刻の列車に乗ると言う事だ。であるが、それで済んでしまうのだからヨシと考えるのが普通であろう。私の判断に誤りはなかったと再び自分を納得させる。「どうだ、すごいだろう。ハプニングも乗り切れた」みたいな感じで私は湯前に向かったのであった。

(かなり年季が入っているものと思われる人吉駅の駅舎。駅前は最近になって整備されたと思われ、綺麗になっていた。だが、商業施設などが駅前に見当たらなかったのでやや寂しい印象でもあった。)
くま川鉄道となり第2の人生を送っている湯前線であるが、かつては周知の通り国鉄路線であった。日豊本線の佐土原から分岐する妻線の終点杉安まで延伸計画があったが、現在では周知の姿になっている。地図を見ていただくとわかるが、湯前~杉安間は山間部になり恐らく乗客的な期待はほぼ皆無に等しいであろう。であるが、もし杉安まで繋がっていたら間違いなく私は乗客のひとりとなっていた事であろう。妻線が廃止されもう30年以上経つが、特に終点の杉安は実にいい感じの終着駅であった。しっかりとレールファンを続けていれば、おそらく乗りに行ったであろうが、今では果たせぬ夢となってしまった。

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(大畑駅にて「いさぶろう・しんぺい」の女性アテンダントもご覧の通り、真夏の太陽の下では顔をしかめる。だが、なんとなくこんな光景が微笑ましく見えるのは、やはり肥薩線のサミット区間が「昭和」、いや「明治」を感じさせるからであろうか。)
そんなへっちゃら状態の私を乗せた列車は本日最大のクライマックス「大畑」に到着した。もちろん読み方はご存知「おこば」である。皆様もご存じのように、この駅はスイッチバック駅でありながらループ線途中にあるという、なんだかフランス料理のフルコース的な駅だ。そして駅舎も渋い!ほぼ開業当時のままであろう状態で現在でも活躍する姿は素晴らしい。もちろん明治時代に建てられたものだからものすごく重厚感がある。そしてホームは有効長が長い!SL時代を思わせる当時の面影がたっぷりと現在でも維持されているのはただただ感心してしまうばかりであろう。そして圧巻。この駅の人気の理由がわかる。であるが、ひとつ欲を言わせてもらえば「いさぶろう」などではなく、ノーマルな普通列車で訪問してみたい。決して「駅寝」をしようとは思わないが、なんというか、丸1日滞在してみたい素敵な駅だ。そして駅から少し下っていくと集落があるのでそちらの方も訪れてみたい。


(一度レンタカーで訪問してみたい大畑であるが、駅から集落へはやや距離がある。実際に地元の方の利用者にお話を伺ってみたいものだ。)
実に清々しい気持ちで肥薩線の制覇を終えた(というよりまだ人吉だが)私は、先ほどのハプニングなどすっかり忘れ肥薩線を楽しんでいた。そして人吉に着くとここで「いさぶろう・しんぺい」ともお別れ。ここからかつての湯前線を制覇する予定となっている。だがここで現実に戻される。そう、つまり変更前の予定より1本遅い時刻の列車に乗ると言う事だ。であるが、それで済んでしまうのだからヨシと考えるのが普通であろう。私の判断に誤りはなかったと再び自分を納得させる。「どうだ、すごいだろう。ハプニングも乗り切れた」みたいな感じで私は湯前に向かったのであった。

(かなり年季が入っているものと思われる人吉駅の駅舎。駅前は最近になって整備されたと思われ、綺麗になっていた。だが、商業施設などが駅前に見当たらなかったのでやや寂しい印象でもあった。)
くま川鉄道となり第2の人生を送っている湯前線であるが、かつては周知の通り国鉄路線であった。日豊本線の佐土原から分岐する妻線の終点杉安まで延伸計画があったが、現在では周知の姿になっている。地図を見ていただくとわかるが、湯前~杉安間は山間部になり恐らく乗客的な期待はほぼ皆無に等しいであろう。であるが、もし杉安まで繋がっていたら間違いなく私は乗客のひとりとなっていた事であろう。妻線が廃止されもう30年以上経つが、特に終点の杉安は実にいい感じの終着駅であった。しっかりとレールファンを続けていれば、おそらく乗りに行ったであろうが、今では果たせぬ夢となってしまった。

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更に長期連載になりそうな九州鉄道路線全線制覇<PART3>⑦
2016-04-25
新幹線で快適に鹿児島中央に到着した私は駅員に状況を確認する。「とりあえずダイヤは平常になっていますよ。」との事であった。ホッと一安心して胸を撫で下ろしたが、もしかしたら、あのまま「くまがわ」に乗っていたらやや遅れた状態であろうがどこかで平常の行程で旅が出来ていたかも知れない。などと雑念が入ってしまったが、平常に戻っているのは良い事だ。

(急遽乗車した新幹線で鹿児島中央へ。突然の予定変更で2時間のインターバルが出来てしまった。だが、逆に余裕ができて昼食の時間も取れる事になったのでよかったのかも知れない。)
南から肥薩線を攻める事にした変更したら、ちょうど鹿児島中央で2時間くらいのインターバルが出来た。昼食を摂るのにちょうどいい。新幹線が開通してかなり様変わりした鹿児島中央駅は非常に便利になり、商業施設も実に多い。2時間なんてあっという間に過ぎてしまい、いよいよ「はやとの風」の待つホームに向かった。予定通りの出発らしい。ダイヤはやはり正常に戻っていたのだ。といっても肥薩線以外はトラブルが起こっていなかったわけだから当然であろう。そしてもちろん、肥薩線も平常に戻っている。

(前年に続き、再び「はやとの風」で吉松に向かう事になった。前回は霧島温泉で豪雨により運転見合わせとなったが、今回は無事吉松まで行く事が出来たのは実に嬉しい材料であった。)
「はやとの風」で吉松に着いた私は早速「いさぶろう・しんぺい」に乗り換える。やはりダイヤは平常に戻っていて、初「肥薩線」も無事クリアできそうだ。指定席券を持っていたが、自由席もそれほど混雑は無く、快適に過ごせるのは良い。いつの間にか太陽まで出始めていた肥薩線の「大御所区間」は、先ほどの雨模様とは打って変わり、残暑厳しい「日本三大車窓」となってしまった。

(そして吉松で「いさぶろう・しんぺい」に乗り換える。昼間の時間帯は「はやとの風」~「いさぶろう・しんぺい」の接続は黄金パターンとなっている。)
まずは楽しみにしていた真幸に到着。かつて駅員がいた頃は、熊手で砂利がきれいに手入れされ日本庭園を思わせるような駅構内であったが、無人となった現在はその砂利がコンクリか何かで固定され維持されていた。「いさぶろう・しんぺい」などの観光列車が運転されてからはこの駅もかなり観光色が強くなってしまったが、それでも駅が廃止されず健在であるのだから嬉しい。だがやはり、できれば国鉄時代に訪れてみたかった。

(真幸では「日本庭園」が見られる。駅員がいた頃は職員が毎日手入れをしていたと聞いているが、現在ではその砂利がコンクリのようなもので固定されている。)
観光色の強い真幸では「幸せの鐘」的なものが設置されていた。過去の真幸駅を知る者にとって、この光景は何となくアンマッチな部分もある。そんな真幸を、気が付いたら三段式スイッチバックの最上段から見下ろしていた。一気にこんなところまで来たのかと思うくらいスイッチバックの威力をまざまざと見せつけられた感のある私だが、次の矢岳でもかなり観光色を前面に打ち出していたのに驚かされた。内容的には皆様の方がご存じであろう。だが、私の知る限り、昔はかなり線路があったはずだ。訪問はしていないが事情は知っている。つまり2面3線あったホームが、事実上棒線化された形となり列車交換ができなくなったのだ。もちろん、かつての特急「おおよど」などが走っていた時代から比べれば、列車本数的に現在の設備でも充分過ぎるであろう。だが、やはり駅には線路がたくさんあって欲しい。何となく観光客でにぎわっている姿とは裏腹に、私の心はそんな気持ちがよぎり寂しさを否定できない思いであった。

(「幸せの鐘」的な観光要素が出現し、かつての「国鉄」的な雰囲気はやや薄れたが、駅舎やその他設備は国鉄時代のものをほぼそのまま受け継ぐ形で現在に至っている。)

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(急遽乗車した新幹線で鹿児島中央へ。突然の予定変更で2時間のインターバルが出来てしまった。だが、逆に余裕ができて昼食の時間も取れる事になったのでよかったのかも知れない。)
南から肥薩線を攻める事にした変更したら、ちょうど鹿児島中央で2時間くらいのインターバルが出来た。昼食を摂るのにちょうどいい。新幹線が開通してかなり様変わりした鹿児島中央駅は非常に便利になり、商業施設も実に多い。2時間なんてあっという間に過ぎてしまい、いよいよ「はやとの風」の待つホームに向かった。予定通りの出発らしい。ダイヤはやはり正常に戻っていたのだ。といっても肥薩線以外はトラブルが起こっていなかったわけだから当然であろう。そしてもちろん、肥薩線も平常に戻っている。

(前年に続き、再び「はやとの風」で吉松に向かう事になった。前回は霧島温泉で豪雨により運転見合わせとなったが、今回は無事吉松まで行く事が出来たのは実に嬉しい材料であった。)
「はやとの風」で吉松に着いた私は早速「いさぶろう・しんぺい」に乗り換える。やはりダイヤは平常に戻っていて、初「肥薩線」も無事クリアできそうだ。指定席券を持っていたが、自由席もそれほど混雑は無く、快適に過ごせるのは良い。いつの間にか太陽まで出始めていた肥薩線の「大御所区間」は、先ほどの雨模様とは打って変わり、残暑厳しい「日本三大車窓」となってしまった。

(そして吉松で「いさぶろう・しんぺい」に乗り換える。昼間の時間帯は「はやとの風」~「いさぶろう・しんぺい」の接続は黄金パターンとなっている。)
まずは楽しみにしていた真幸に到着。かつて駅員がいた頃は、熊手で砂利がきれいに手入れされ日本庭園を思わせるような駅構内であったが、無人となった現在はその砂利がコンクリか何かで固定され維持されていた。「いさぶろう・しんぺい」などの観光列車が運転されてからはこの駅もかなり観光色が強くなってしまったが、それでも駅が廃止されず健在であるのだから嬉しい。だがやはり、できれば国鉄時代に訪れてみたかった。

(真幸では「日本庭園」が見られる。駅員がいた頃は職員が毎日手入れをしていたと聞いているが、現在ではその砂利がコンクリのようなもので固定されている。)
観光色の強い真幸では「幸せの鐘」的なものが設置されていた。過去の真幸駅を知る者にとって、この光景は何となくアンマッチな部分もある。そんな真幸を、気が付いたら三段式スイッチバックの最上段から見下ろしていた。一気にこんなところまで来たのかと思うくらいスイッチバックの威力をまざまざと見せつけられた感のある私だが、次の矢岳でもかなり観光色を前面に打ち出していたのに驚かされた。内容的には皆様の方がご存じであろう。だが、私の知る限り、昔はかなり線路があったはずだ。訪問はしていないが事情は知っている。つまり2面3線あったホームが、事実上棒線化された形となり列車交換ができなくなったのだ。もちろん、かつての特急「おおよど」などが走っていた時代から比べれば、列車本数的に現在の設備でも充分過ぎるであろう。だが、やはり駅には線路がたくさんあって欲しい。何となく観光客でにぎわっている姿とは裏腹に、私の心はそんな気持ちがよぎり寂しさを否定できない思いであった。

(「幸せの鐘」的な観光要素が出現し、かつての「国鉄」的な雰囲気はやや薄れたが、駅舎やその他設備は国鉄時代のものをほぼそのまま受け継ぐ形で現在に至っている。)

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更に長期連載になりそうな九州鉄道路線全線制覇<PART3>⑥
2016-04-21
キハ185に揺られ八代を過ぎると肥薩線に入る。基本的に肥薩線は球磨川に寄り添うようにレールが敷かれているがややルートが離れているものの、高速道路とも寄り添うように走る。と言う事は「ライバル」と言う事になる。いつも思うが、なぜ高速道路は鉄道路線と並行させたルートにするのか?と思う。これではせっかくの鉄道路線がある意味無駄になってしまうではないか。例えば道東自動車道などは、完全に石勝線と並走し、完全に鉄道の真似ではないか。そして九州自動車道は特に八代から人吉方面へ向かい吉松で宮崎方面を分岐するなど、完全にかつての「鹿児島本線」のルートだし、かつての日豊本線である吉都線は完全に寂れてしまった。そこには鉄道があるわけだから、もっと別の場所に高速道路を建設してはどうか。などと言っても仕方ない。時代は自動車だし、それこそ利用していただいて初めて絵になるといいう事であろう。

(翌日の朝、熊本より特急列車に乗り肥薩線制覇に出る。だが、この後とんでもないトラブルが待っていた!)
さて、私を乗せた特急「くまがわ」は、段を過ぎやがて坂本に到着する。実はすでに外は先ほどから雨模様であるが、列車交換なのか、やや停車時間が長い。対向列車が遅れているのかな?などとポッキーを頬張りながらすでに2杯目となった氷結を注ぐ。だが・・・5分くらいした頃か、車内に現在の状況を知らせるアナウンスが響き渡った。そう、大雨のため坂本から先の区間で地盤が緩んでいるかも知れないので点検に入るとの旨。とうとう来てしまったこの時間帯・・・熊本を出る頃はやや雨模様であったので嫌な予感はしていた。だが見事に的中してしまった。しかも前年に制覇できなかった肥薩線である。私にとって肥薩線はトラウマなのであろうか・・・

(予想だにしなかった坂本でしばらくの小休止。であるが、結局この駅で下車することに。運良く駅前にはタクシーが常駐していた。)
だが、今回は決断が早かった。とりあえず駅構内を散策。駅舎前にはなんとタクシーが1台待機しているではないか!早速交渉に入る。「スミマセン、新八代までどれくらい時間かかりますか?」「うぅ~ん・・・40分くらいだと思うよ。」「わかりました、お願いします。」と言ってタクシーを待たせ、私は列車内に戻った。そして荷物と妻を取りに行き(妻を取りに行き、とは言わないか・・・)特急「くまがわ」を乗り捨てた。早速タクシーに乗り新八代に向かう。なんだか地元に人にしかわからないようなマニアックな道ばかり通っていたが、車内でこれから先の行程について同行者である妻に説明。一定の理解を得てから新幹線で鹿児島中央へ向かうことにした。とはいえ、一定の理解も何も妻は新幹線の方が絶対に良いに決まっているのだから話は早い。というより、妻は鉄道路線制覇にために来ているのではなく、ひとり家にいてもつまらないから私にくっついて来ているだけで、ハッキリ言って鉄道路線制覇などどうでもよい。それよりこれから乗る新幹線の方が気になって仕方ないであろう。確か3千円くらいであったと思うが、予定外の出費に後ろめたさを感じながらも自身の判断を信じる決意をする。


(新八代では、新幹線ホームに「狭軌」が存在する。もちろん皆様は事情をご存知であろうが、将来的にはフリーゲージトレインでも運転されるのか?このまま撤去などしてしまうのはもったいない。)
タクシーで新八代に着いた私の行程は、これから先鹿児島中央まで新幹線で行き、そして昨年乗った「はやとの風」で吉松へ、そして「いさぶろう・しんぺい」に乗り換えるという黄金パターンに変更したのだ。つまり北から攻める肥薩線を南から攻めることに変更したのであった。ただ、変更するのは簡単であるが、いかんせん列車がストップしたのは先ほどの坂本から先の肥薩線の区間である。タクシー代の他に新幹線料金という予定外の出費を捻出する意味があるのか否か・・・またしてもトラブルに巻き込まれたJR九州の制覇であるが、まだまだ苦難の道は続くのであった。

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(翌日の朝、熊本より特急列車に乗り肥薩線制覇に出る。だが、この後とんでもないトラブルが待っていた!)
さて、私を乗せた特急「くまがわ」は、段を過ぎやがて坂本に到着する。実はすでに外は先ほどから雨模様であるが、列車交換なのか、やや停車時間が長い。対向列車が遅れているのかな?などとポッキーを頬張りながらすでに2杯目となった氷結を注ぐ。だが・・・5分くらいした頃か、車内に現在の状況を知らせるアナウンスが響き渡った。そう、大雨のため坂本から先の区間で地盤が緩んでいるかも知れないので点検に入るとの旨。とうとう来てしまったこの時間帯・・・熊本を出る頃はやや雨模様であったので嫌な予感はしていた。だが見事に的中してしまった。しかも前年に制覇できなかった肥薩線である。私にとって肥薩線はトラウマなのであろうか・・・

(予想だにしなかった坂本でしばらくの小休止。であるが、結局この駅で下車することに。運良く駅前にはタクシーが常駐していた。)
だが、今回は決断が早かった。とりあえず駅構内を散策。駅舎前にはなんとタクシーが1台待機しているではないか!早速交渉に入る。「スミマセン、新八代までどれくらい時間かかりますか?」「うぅ~ん・・・40分くらいだと思うよ。」「わかりました、お願いします。」と言ってタクシーを待たせ、私は列車内に戻った。そして荷物と妻を取りに行き(妻を取りに行き、とは言わないか・・・)特急「くまがわ」を乗り捨てた。早速タクシーに乗り新八代に向かう。なんだか地元に人にしかわからないようなマニアックな道ばかり通っていたが、車内でこれから先の行程について同行者である妻に説明。一定の理解を得てから新幹線で鹿児島中央へ向かうことにした。とはいえ、一定の理解も何も妻は新幹線の方が絶対に良いに決まっているのだから話は早い。というより、妻は鉄道路線制覇にために来ているのではなく、ひとり家にいてもつまらないから私にくっついて来ているだけで、ハッキリ言って鉄道路線制覇などどうでもよい。それよりこれから乗る新幹線の方が気になって仕方ないであろう。確か3千円くらいであったと思うが、予定外の出費に後ろめたさを感じながらも自身の判断を信じる決意をする。


(新八代では、新幹線ホームに「狭軌」が存在する。もちろん皆様は事情をご存知であろうが、将来的にはフリーゲージトレインでも運転されるのか?このまま撤去などしてしまうのはもったいない。)
タクシーで新八代に着いた私の行程は、これから先鹿児島中央まで新幹線で行き、そして昨年乗った「はやとの風」で吉松へ、そして「いさぶろう・しんぺい」に乗り換えるという黄金パターンに変更したのだ。つまり北から攻める肥薩線を南から攻めることに変更したのであった。ただ、変更するのは簡単であるが、いかんせん列車がストップしたのは先ほどの坂本から先の肥薩線の区間である。タクシー代の他に新幹線料金という予定外の出費を捻出する意味があるのか否か・・・またしてもトラブルに巻き込まれたJR九州の制覇であるが、まだまだ苦難の道は続くのであった。

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更に長期連載になりそうな九州鉄道路線全線制覇<PART3>⑤
2016-04-16
鹿児島本線で大牟田から熊本まで出た私は、市電に揺られいったん今夜の宿泊先に妻を預ける。「預ける」といっても預貯金ではないが、私は妻から解放され、晴れて独り身となりかつての高森線、いわゆる南阿蘇鉄道へと向かったのだ。前年に来たばかりの豊肥本線は懐かしさがあまりなかったが、南阿蘇鉄道は初めての体験。高森線時代も訪問経験がないため実にワクワクする。

(途中、こんな列車とすれ違った。言わずと知れた「あそボーイ」であるが、こういった観光列車が国鉄時代と比べ格段に増えたのは明るい材料であろう。)
立野はご存知の通りスイッチバック駅であるが、列車の性能が向上した現在、やや前近代的な設備となってしまったかも知れない。しかしながら昔の風情を今も伝える、いわば「文化遺産」的な存在であろう。豊肥本線ホームの先に南阿蘇鉄道の乗り場が別途あるが、JRに比べたらやや華奢な印象だ。しかしながら一人旅の私にとってみればサイズ的にもピッタリとフィットするかも知れない。時間的に学生諸君の帰宅時間にあたり、南阿蘇鉄道の収入源となる主たる乗客が多くひしめく中、私は「活火山」の麓で駅名標に向かいシャッターを切る姿はやはり一般的ではないだろう。

(やや派手気味な車両であるが、初訪となる高森にて。時間帯もあろうが、利用者が多いのは経営者側の立場から見れば実に嬉しい材料だ。)
「日本一長い駅名」を通り過ぎ終点の高森では少々時間があったので小休止。もちろん乗ってきた列車で折り返すのだが、かつての計画であった高千穂方面への未成線がやや気になったが、もちろんその辺りの事情は皆様の方がよくご存じであろう。ちょっとその辺を調査してみたかったが、僅か9分のインターバルのため無駄な抵抗であった。


(「日本一」と名高い白水高原駅。もちろん「南阿蘇~」の部分も駅名としてカウントされる。私が小学生の頃は「宇都宮貨物ターミナル」が日本一であったが時代も変わったものだ。)
熊本に戻り一夜を明かした私は、前年に制覇を断念せざるを得なかった肥薩線に向かう。特急列車の「くまがわ1号」に乗り人吉で「いさぶろう・しんぺい」に乗り人吉~吉松を往復し、更に旧・湯前線、つまり現在のくまがわ鉄道に乗る計画であった。だが・・・やはり私にとって肥薩線はトラウマだったのか、この後「平らな時間」が急に険しく傾き始めていったのだ。

(そして立野はJRとの乗り換え駅でもある。ご存知、かつての高森線時代は、延岡からやって来る高千穂線との接続構想があり、実際に工事も行われていた。その後計画は頓挫したが、未成線の部分の現在は皆さんの方が事情を良くご存知であろうと思う。)

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(途中、こんな列車とすれ違った。言わずと知れた「あそボーイ」であるが、こういった観光列車が国鉄時代と比べ格段に増えたのは明るい材料であろう。)
立野はご存知の通りスイッチバック駅であるが、列車の性能が向上した現在、やや前近代的な設備となってしまったかも知れない。しかしながら昔の風情を今も伝える、いわば「文化遺産」的な存在であろう。豊肥本線ホームの先に南阿蘇鉄道の乗り場が別途あるが、JRに比べたらやや華奢な印象だ。しかしながら一人旅の私にとってみればサイズ的にもピッタリとフィットするかも知れない。時間的に学生諸君の帰宅時間にあたり、南阿蘇鉄道の収入源となる主たる乗客が多くひしめく中、私は「活火山」の麓で駅名標に向かいシャッターを切る姿はやはり一般的ではないだろう。

(やや派手気味な車両であるが、初訪となる高森にて。時間帯もあろうが、利用者が多いのは経営者側の立場から見れば実に嬉しい材料だ。)
「日本一長い駅名」を通り過ぎ終点の高森では少々時間があったので小休止。もちろん乗ってきた列車で折り返すのだが、かつての計画であった高千穂方面への未成線がやや気になったが、もちろんその辺りの事情は皆様の方がよくご存じであろう。ちょっとその辺を調査してみたかったが、僅か9分のインターバルのため無駄な抵抗であった。


(「日本一」と名高い白水高原駅。もちろん「南阿蘇~」の部分も駅名としてカウントされる。私が小学生の頃は「宇都宮貨物ターミナル」が日本一であったが時代も変わったものだ。)
熊本に戻り一夜を明かした私は、前年に制覇を断念せざるを得なかった肥薩線に向かう。特急列車の「くまがわ1号」に乗り人吉で「いさぶろう・しんぺい」に乗り人吉~吉松を往復し、更に旧・湯前線、つまり現在のくまがわ鉄道に乗る計画であった。だが・・・やはり私にとって肥薩線はトラウマだったのか、この後「平らな時間」が急に険しく傾き始めていったのだ。

(そして立野はJRとの乗り換え駅でもある。ご存知、かつての高森線時代は、延岡からやって来る高千穂線との接続構想があり、実際に工事も行われていた。その後計画は頓挫したが、未成線の部分の現在は皆さんの方が事情を良くご存知であろうと思う。)

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更に長期連載になりそうな九州鉄道路線全線制覇<PART3>④
2016-04-12
さて、私の「初」西鉄はまず二日市で下車し太宰府に向かう。と言っても特に初詣に行くわけでもなく、ただ太宰府で写真を撮り折り返してくるという、何とも一般的ではない利用方法で再び二日市に戻ってきた。そして再び特急にのり今度は西鉄久留米に向かい甘木を目指す。甘木といえば、甘木鉄道。私の愛読している某書籍にも記されていたが、国鉄から三セクに転換されて以来、西鉄との交点に小郡駅を移設したり列車本数を増やすなどの努力をした結果、利用者が増加し黒字転換した過去がある。しかしながら、鉄橋の悪天候被害などにより現在は赤字と聞くが、それでも三セク他社に比べたらその差は歴然であろう。そしてこの甘木鉄道の影響を最も受けたのが西鉄甘木線であった。

(西鉄の乗り、最初に二日市で乗り換える。西鉄の車両事情はよく分からないが、この車両はなんだか昔からあるような気がする。)
そんな甘木線を初めて乗車するが、分岐点は基本的に宮の陣だ。しかし運転系統的には久留米が中心になっているイメージがする。終点の甘木では先述の甘木鉄道と連絡してはいるが、両者ともかなり距離がある。調べてみたら100mと記されていたが、実際に歩いてみるともっと距離がある感じがするかも知れない。私は経験していないが、恐らく日比谷線の仲御徒町とJR御徒町的な関係のイメージであろう。

確か西鉄久留米での撮影だと思った。JR久留米とはやや距離があるので乗り換えにはやや不便であろう。久留米といえば数々の有名人を排出した街としても知られているが、西鉄久留米はややスマートな印象であった。)
久留米(もちろん西鉄)に戻ってきた私は少々小腹が減ったので「駅そば」などを期待したが・・・結局何も無かった記憶で、もちろん駅ビルなど行けば何かあったろう。しかしながら待ち時間は19分のため結局駅で待つしかない。ある意味、綿密に立てた計画が返って「命取り」になってしまったかのようであった・・・が、後は大牟田目指すのみだ。

(一瞬「大仁田」と間違えそうであるが、大牟田である。新幹線がやってきていたらもう少し駅の様子が変わっていたであろう(当然であるが)。だが、昔のままのイメージが残っているのが嬉しい。)
西鉄と言えば私は「大牟田」をイメージするが、皆様は何をイメージするだろうか。「ライオンズ」とは失礼ながら世代を感じてしまうが、現在の若い世代からすれば今の「ライオンズ」からは想像できないであろう事柄だ。そう、その昔の「西武ライオンズ」は「西鉄ライオンズ」であったのだ。名前だけ見れば「武」と「鉄」の違いだけかも知れないが、歴史的には間に「太平洋クラブ」「クラウンライター」が入る。と、話が飛んでしまったが、ここまでは一般的な旅が順調に進んでいき、実に平らな時間が過ぎていった。とはいえ、私のやっている旅は、基本的に一般的ではないが・・・

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(西鉄の乗り、最初に二日市で乗り換える。西鉄の車両事情はよく分からないが、この車両はなんだか昔からあるような気がする。)
そんな甘木線を初めて乗車するが、分岐点は基本的に宮の陣だ。しかし運転系統的には久留米が中心になっているイメージがする。終点の甘木では先述の甘木鉄道と連絡してはいるが、両者ともかなり距離がある。調べてみたら100mと記されていたが、実際に歩いてみるともっと距離がある感じがするかも知れない。私は経験していないが、恐らく日比谷線の仲御徒町とJR御徒町的な関係のイメージであろう。

確か西鉄久留米での撮影だと思った。JR久留米とはやや距離があるので乗り換えにはやや不便であろう。久留米といえば数々の有名人を排出した街としても知られているが、西鉄久留米はややスマートな印象であった。)
久留米(もちろん西鉄)に戻ってきた私は少々小腹が減ったので「駅そば」などを期待したが・・・結局何も無かった記憶で、もちろん駅ビルなど行けば何かあったろう。しかしながら待ち時間は19分のため結局駅で待つしかない。ある意味、綿密に立てた計画が返って「命取り」になってしまったかのようであった・・・が、後は大牟田目指すのみだ。

(一瞬「大仁田」と間違えそうであるが、大牟田である。新幹線がやってきていたらもう少し駅の様子が変わっていたであろう(当然であるが)。だが、昔のままのイメージが残っているのが嬉しい。)
西鉄と言えば私は「大牟田」をイメージするが、皆様は何をイメージするだろうか。「ライオンズ」とは失礼ながら世代を感じてしまうが、現在の若い世代からすれば今の「ライオンズ」からは想像できないであろう事柄だ。そう、その昔の「西武ライオンズ」は「西鉄ライオンズ」であったのだ。名前だけ見れば「武」と「鉄」の違いだけかも知れないが、歴史的には間に「太平洋クラブ」「クラウンライター」が入る。と、話が飛んでしまったが、ここまでは一般的な旅が順調に進んでいき、実に平らな時間が過ぎていった。とはいえ、私のやっている旅は、基本的に一般的ではないが・・・

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更に長期連載になりそうな九州鉄道路線全線制覇<PART3>③
2016-04-08
ニューフェイスの新幹線に乗り西へ目指すのだが、九州新幹線がせっかく全通したのに私の行き先は博多であった。やや残念ではあるが、新規開業区間は後ほど乗車する事になっている。その時までお預けだ・・・

(新幹線から乗り換え地下鉄で博多からの出陣。東京の地下鉄に比べ編成も短いためやや華奢な印象であったが、私が初めて福岡の地下鉄に乗車した時と同じ車両は既に引退の声が挙がっていた。)
博多で下車する理由・・・それは地下鉄にあった。まだ福岡地下鉄の制覇は済んでいない。まずは1983年以来に訪問する姪浜へと向かうため一旦「JR博多駅」の外に出る。新幹線が博多まで到達したのが1975年の事だ。多分その時からの大幅な変更はないないであろう昭和的面影もやや残っている。私がこの博多に初めて訪れたのが1978年である。そう、以前に紹介した寝台特急「富士」の旅の時である。この博多にはちょうど帰郷のために新幹線をこの博多から乗車して我が家に向かったのだ。そんな思い出の地、博多から新しく出来た地下鉄で姪浜へ。「新しく」と言っても地下鉄が姪浜まで到達してから既に28年近く(当時)経っている。そう、私は先述通り、28年前に筑肥線で姪浜まで来て唐津方面へ折り返している。まさに姪浜まで地下鉄が開通した直後であった。


(今回の旅では約28年ぶり{当時}に訪れた姪浜は懐かしかった。初訪の時は電化直後で、ちょうど筑肥線に電車が走り始め、姪浜駅も高架化された直後であった。下の写真は1983年訪問時の高架化直後の姪浜。)
今回も、という言い方はおかしいが、姪浜で地下鉄を折り返し天神まで向かった。そして更に新しくできた地下鉄に乗るために天神南まで向かう。この両者は連絡駅となってはいるが少々距離がある。なんとなく新御茶ノ水と淡路町的な関係か。そんな新しい地下鉄は七隈線と名付けられていた。橋本で折り返し再び天神南にやって来ると、今度は西鉄に乗り換える。そう、西鉄!西鉄と言えば私は見るのも乗るのも撮るのも初めてであるので以上に興奮した!!全く未知との遭遇である。しかしながら七隈線の天神南から西鉄福岡はやたら近いので乗り換えに便利。初めて来たのに知識はある。事前準備は当然ながら万端だ。

(地下鉄にはこんな駅もあった。訪問当時は何気なくの撮影であったが、今ではやや意味が出てきたのではないか。だが、もう少し撮影技術が伴えば鼻高々なのであるが・・・)
初めての西鉄・・・もちろん「コロタン文庫」などの書籍によりどんな車両がいるかは知識があった。そして現在の西鉄車両もインターネットを通じて確認済みであるが・・・私のイメージで特急形車両は2000形がものすごく強かったが、私が乗ったのは現在活躍する8000形であった。その8000形が停車する西鉄福岡であるが、やや手狭な印象を受けた。4面3線で処理する姿はなんとなく相鉄の横浜駅をイメージしてしまうが、やはり東武の浅草のように駅ビルなどの規模が制約となっているのであろうか。変な話、それこそ福岡市営地下鉄と繋げてしまえば天神の容量がグッと楽になるであろう。そのためにはロト6の1等を数百回当てなければならないほどの予算が必要となってくるであろうが・・・しかしながらその恩恵も大きいはず。是非とも・・・とは夢のまた夢であろうが、京急の品川を思うとそんな考えが浮かんでくる。

(人生初の西鉄!第一歩目は当然ながら天神であった。福岡の中心部にあり地下鉄とも連絡している。であるが、東武鉄道の浅草のようにビルの中にあるため拡張などの場合はかなりの制約がある事であろう。)
さて、初めての西鉄は「展望席」へ挑戦した。もちろん乗るのは特急列車だ。だが・・・下車駅が西鉄二日市である。短い・・・時間にして12~13分くらいの乗車時間だから、太宰府方面への乗り換えの際にはやや致命傷になるかも知れない。しかしながら二日市では12分の待ち合わせのためなんとかなるだろう。そんな「初」西鉄は、心弾ませ南へ目指し始めた。

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(新幹線から乗り換え地下鉄で博多からの出陣。東京の地下鉄に比べ編成も短いためやや華奢な印象であったが、私が初めて福岡の地下鉄に乗車した時と同じ車両は既に引退の声が挙がっていた。)
博多で下車する理由・・・それは地下鉄にあった。まだ福岡地下鉄の制覇は済んでいない。まずは1983年以来に訪問する姪浜へと向かうため一旦「JR博多駅」の外に出る。新幹線が博多まで到達したのが1975年の事だ。多分その時からの大幅な変更はないないであろう昭和的面影もやや残っている。私がこの博多に初めて訪れたのが1978年である。そう、以前に紹介した寝台特急「富士」の旅の時である。この博多にはちょうど帰郷のために新幹線をこの博多から乗車して我が家に向かったのだ。そんな思い出の地、博多から新しく出来た地下鉄で姪浜へ。「新しく」と言っても地下鉄が姪浜まで到達してから既に28年近く(当時)経っている。そう、私は先述通り、28年前に筑肥線で姪浜まで来て唐津方面へ折り返している。まさに姪浜まで地下鉄が開通した直後であった。


(今回の旅では約28年ぶり{当時}に訪れた姪浜は懐かしかった。初訪の時は電化直後で、ちょうど筑肥線に電車が走り始め、姪浜駅も高架化された直後であった。下の写真は1983年訪問時の高架化直後の姪浜。)
今回も、という言い方はおかしいが、姪浜で地下鉄を折り返し天神まで向かった。そして更に新しくできた地下鉄に乗るために天神南まで向かう。この両者は連絡駅となってはいるが少々距離がある。なんとなく新御茶ノ水と淡路町的な関係か。そんな新しい地下鉄は七隈線と名付けられていた。橋本で折り返し再び天神南にやって来ると、今度は西鉄に乗り換える。そう、西鉄!西鉄と言えば私は見るのも乗るのも撮るのも初めてであるので以上に興奮した!!全く未知との遭遇である。しかしながら七隈線の天神南から西鉄福岡はやたら近いので乗り換えに便利。初めて来たのに知識はある。事前準備は当然ながら万端だ。

(地下鉄にはこんな駅もあった。訪問当時は何気なくの撮影であったが、今ではやや意味が出てきたのではないか。だが、もう少し撮影技術が伴えば鼻高々なのであるが・・・)
初めての西鉄・・・もちろん「コロタン文庫」などの書籍によりどんな車両がいるかは知識があった。そして現在の西鉄車両もインターネットを通じて確認済みであるが・・・私のイメージで特急形車両は2000形がものすごく強かったが、私が乗ったのは現在活躍する8000形であった。その8000形が停車する西鉄福岡であるが、やや手狭な印象を受けた。4面3線で処理する姿はなんとなく相鉄の横浜駅をイメージしてしまうが、やはり東武の浅草のように駅ビルなどの規模が制約となっているのであろうか。変な話、それこそ福岡市営地下鉄と繋げてしまえば天神の容量がグッと楽になるであろう。そのためにはロト6の1等を数百回当てなければならないほどの予算が必要となってくるであろうが・・・しかしながらその恩恵も大きいはず。是非とも・・・とは夢のまた夢であろうが、京急の品川を思うとそんな考えが浮かんでくる。

(人生初の西鉄!第一歩目は当然ながら天神であった。福岡の中心部にあり地下鉄とも連絡している。であるが、東武鉄道の浅草のようにビルの中にあるため拡張などの場合はかなりの制約がある事であろう。)
さて、初めての西鉄は「展望席」へ挑戦した。もちろん乗るのは特急列車だ。だが・・・下車駅が西鉄二日市である。短い・・・時間にして12~13分くらいの乗車時間だから、太宰府方面への乗り換えの際にはやや致命傷になるかも知れない。しかしながら二日市では12分の待ち合わせのためなんとかなるだろう。そんな「初」西鉄は、心弾ませ南へ目指し始めた。

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更に長期連載になりそうな九州鉄道路線全線制覇<PART3>②
2016-04-04
「西遊記」などと言う物語があるが、私にしてみればこちらが西遊記か。とは言え「ニンニキニキニキニン」的な、むしろ「飛べ!孫悟空」のような冒険心あふれる旅となるであろう。そんな思いを胸に抱きながら西へと目指すのであるが、既に記憶がなく、気がついたら昔国鉄で見た車両がホームに停泊していた。そう、大阪駅に運転停車していたのだ。未明の大阪はなんとなくノスタルジック。運転停車ではもったいない・・・せめて10分くらい停車時間があってドアを開放してくれれば素敵に良い画像が収められる事であろう。

(サンライズの車内。写真は「サンライズツイン」であるが、今回私が利用したのは「シングルツイン」であった。どちらにしても「昭和」の私にとってこの寝台車の設計は斬新に見える。)
大阪を過ぎると姫路までが早い。上郡で智頭急行を分けると何ともローカルな景色を朝日が照らす。このあたりは普通列車の設定がやや減るのがなんとなくうなずける景色である。なんとなく本線の中間駅って地味な印象であるが、逆にこういった本線の地味な中間駅などひと駅ひと駅降りてみるのも楽しそうだ。「サンライズ」だと一瞬に過ぎてしまうので少々残念であるが、むしろこういう機会でもないとそういう考えが出てこないかも知れない。

(姫路は高架化され機能的になった。そしてこんな特急列車が乗り入れてくるようになった。昭和に全国を駆け巡っていた私が20ウン年ぶりにまたこうして旅に出ると、なんだかタイムマシンにでも乗って未来に国にやってきたかのようであった。)
そしていよいよ岡山に到着。私以外にも当然ながら下車客がいる。が、やはりここ岡山では乗客の約6割くらいが下車する事であろう。そして私は新幹線ホームに向かうが、私と同じような行動をする下車客が何とも多い事。サンライズ+新幹線という行程は、普通に一般的なのであろうか。そんな一般的なお客様の一部となり、私は「みずほ601号」の乗客として消えていった。

(そして岡山よりニューフェイスの「みずほ601」で西へ。一度やってみたかったサンライズ+新幹線という乗り換えで西へ向かう乗客は意外に少なくなかった。)
そういえば、今回紹介している旅では九州新幹線が全通して初めての旅である。私の乗車した「みずほ601号」も、ある意味ニューフェイスである。そういえば「みずほ」とは、ご存知かつてはブルートレインの愛称として親しまれてきた。私も茅ヶ崎駅で通過する「みずほ」を何度も拝んだし「さくら」「富士」も同様に「いつかは乗りたい」と遠目に見ていたものだ。そんな懐かしさを彷彿させるニューフェイスの新幹線で、更に西へと目指す。

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(サンライズの車内。写真は「サンライズツイン」であるが、今回私が利用したのは「シングルツイン」であった。どちらにしても「昭和」の私にとってこの寝台車の設計は斬新に見える。)
大阪を過ぎると姫路までが早い。上郡で智頭急行を分けると何ともローカルな景色を朝日が照らす。このあたりは普通列車の設定がやや減るのがなんとなくうなずける景色である。なんとなく本線の中間駅って地味な印象であるが、逆にこういった本線の地味な中間駅などひと駅ひと駅降りてみるのも楽しそうだ。「サンライズ」だと一瞬に過ぎてしまうので少々残念であるが、むしろこういう機会でもないとそういう考えが出てこないかも知れない。

(姫路は高架化され機能的になった。そしてこんな特急列車が乗り入れてくるようになった。昭和に全国を駆け巡っていた私が20ウン年ぶりにまたこうして旅に出ると、なんだかタイムマシンにでも乗って未来に国にやってきたかのようであった。)
そしていよいよ岡山に到着。私以外にも当然ながら下車客がいる。が、やはりここ岡山では乗客の約6割くらいが下車する事であろう。そして私は新幹線ホームに向かうが、私と同じような行動をする下車客が何とも多い事。サンライズ+新幹線という行程は、普通に一般的なのであろうか。そんな一般的なお客様の一部となり、私は「みずほ601号」の乗客として消えていった。

(そして岡山よりニューフェイスの「みずほ601」で西へ。一度やってみたかったサンライズ+新幹線という乗り換えで西へ向かう乗客は意外に少なくなかった。)
そういえば、今回紹介している旅では九州新幹線が全通して初めての旅である。私の乗車した「みずほ601号」も、ある意味ニューフェイスである。そういえば「みずほ」とは、ご存知かつてはブルートレインの愛称として親しまれてきた。私も茅ヶ崎駅で通過する「みずほ」を何度も拝んだし「さくら」「富士」も同様に「いつかは乗りたい」と遠目に見ていたものだ。そんな懐かしさを彷彿させるニューフェイスの新幹線で、更に西へと目指す。

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更に長期連載になりそうな九州鉄道路線全線制覇<PART3>①
2016-04-01
最近の私のブログでは九州しか登場しなくて申し訳ないが、こうなったらとことん九州の旅にお付き合いいただこうと思い、今回も九州の旅を紹介してみたいと思った。という事で、今回は九州の最終制覇の時の模様を紹介してみよう。
という事で、いよいよ九州の鉄道路線全線制覇する時がやって来た。時は2011年8月である。2011年と言えば・・・そう、震災があった年だ。私は2011年の1月に東北方面の、特に三陸の鉄道路線を1983年以来に訪問した。1983年と言えば三陸鉄道は開通前で、国鉄により部分開通していた時代だ。それ以来の訪問のため懐かしさ溢れていたが・・・その2ヶ月後に悲劇が訪れるとは、何とも胸が痛む思いである。だが、私は思い切って旅に出る事にした。行き先は九州だ。九州新幹線も全線開通し、ますます飛躍する事であろう。今回の旅はこの九州新幹線の制覇と福岡の地下鉄、そして西日本鉄道制覇がメインとなる。

(今回の旅では、以前からやってみたかった「サンライズでの九州入り」を実現。もちろん岡山で新幹線に乗り換える事になる。そんなことを考える人は意外に多かった。)
そんな旅の出発は、なんと「サンライズ」である。ブログをご覧の皆様、意外でしたか?いやもしかしたらオーソドックスな選択かも知れないが、そう、今回の制覇の旅は朝から時間を有効に使いたかったため岡山までを夜行列車にして新幹線で博多入する事にしたのだ。もちろん、この事は以前から実行してみたく構想はあったが、いざ実行となるとワクワクしてくる。
という事で、相鉄で横浜に着くとサンライズ乗車前にいつも寄る「スタバ」へと足を運ばせた。もちろん「作戦会議」だ。などと言っても、もちろん計画はバッチリと出来上がっている。そしてトラブル時の対処法もいくつか用意していた。いわば最終確認的なティータイムであったのだ。

(岡山からはニューフェイス(当時)の「みずほ」に乗り変え、更に西へ目指す。考えてみたら贅沢な行程だ。)
「作戦会議」が終了するといつものように「サンライズ」の乗り場へ。残念ながら、今回は「サンライズツイン」は満席で、「シングルツイン」でのアプローチとなった。東京発唯一となった寝台特急は、住宅メーカーの設計という事からか、かつて国鉄が設計してきた寝台特急と違いなんというか「安らぎの空間」的な雰囲気もありリラックスして乗っていられるのがいい。そして、なんといっても「のびのび座席」以外は全室個室というのも現代のシーンを象徴している事であろう。私が学生の頃は、寝台特急と言えば開放型が一般で、個室の寝台は夢のまた夢であった。もちろん、当時には既にA寝台個室、現在でいう「シングルデラックス」はあったが、何せ料金が高いのと1人でしか利用できない点で魅力がなかった。その点でこの「サンライズ」は、かつての「北斗星」などとは違い、より実用性重視で設計された事であろうから、なんというか、何度乗っても飽きない。そんな寝台電車で西へ向かう車内では、既に2本目、3本目と氷結的飲料の空き缶を処理しないとテーブルにものが置けない状況であった。

(そして、今回の旅はこちらの路線も制覇対象となっている。国鉄時代に訪問できなかったのは残念であるが、運営会社が変わった現在でも路線自体が維持されているのが嬉しい。)
相変わらず寝台特急はいつ乗っても良い!いつも見ている辻堂や茅ヶ崎など、同じ景色でも全く違って見えるのは気のせいか?とは言え、普通の一般に考えたら朝一番の飛行機で羽田から発てば岡山から新幹線で行く私の行程と同じくらいの時間に現地に着くであろう。いや、飛行機の方が早いかも知れないが・・・さて、今回は先述通り岡山から新幹線に乗り換える。初の試みで気持ちがワクワクするが、この時はまだこれから先に起こるトラブル等予想だにしなかった。

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という事で、いよいよ九州の鉄道路線全線制覇する時がやって来た。時は2011年8月である。2011年と言えば・・・そう、震災があった年だ。私は2011年の1月に東北方面の、特に三陸の鉄道路線を1983年以来に訪問した。1983年と言えば三陸鉄道は開通前で、国鉄により部分開通していた時代だ。それ以来の訪問のため懐かしさ溢れていたが・・・その2ヶ月後に悲劇が訪れるとは、何とも胸が痛む思いである。だが、私は思い切って旅に出る事にした。行き先は九州だ。九州新幹線も全線開通し、ますます飛躍する事であろう。今回の旅はこの九州新幹線の制覇と福岡の地下鉄、そして西日本鉄道制覇がメインとなる。

(今回の旅では、以前からやってみたかった「サンライズでの九州入り」を実現。もちろん岡山で新幹線に乗り換える事になる。そんなことを考える人は意外に多かった。)
そんな旅の出発は、なんと「サンライズ」である。ブログをご覧の皆様、意外でしたか?いやもしかしたらオーソドックスな選択かも知れないが、そう、今回の制覇の旅は朝から時間を有効に使いたかったため岡山までを夜行列車にして新幹線で博多入する事にしたのだ。もちろん、この事は以前から実行してみたく構想はあったが、いざ実行となるとワクワクしてくる。
という事で、相鉄で横浜に着くとサンライズ乗車前にいつも寄る「スタバ」へと足を運ばせた。もちろん「作戦会議」だ。などと言っても、もちろん計画はバッチリと出来上がっている。そしてトラブル時の対処法もいくつか用意していた。いわば最終確認的なティータイムであったのだ。

(岡山からはニューフェイス(当時)の「みずほ」に乗り変え、更に西へ目指す。考えてみたら贅沢な行程だ。)
「作戦会議」が終了するといつものように「サンライズ」の乗り場へ。残念ながら、今回は「サンライズツイン」は満席で、「シングルツイン」でのアプローチとなった。東京発唯一となった寝台特急は、住宅メーカーの設計という事からか、かつて国鉄が設計してきた寝台特急と違いなんというか「安らぎの空間」的な雰囲気もありリラックスして乗っていられるのがいい。そして、なんといっても「のびのび座席」以外は全室個室というのも現代のシーンを象徴している事であろう。私が学生の頃は、寝台特急と言えば開放型が一般で、個室の寝台は夢のまた夢であった。もちろん、当時には既にA寝台個室、現在でいう「シングルデラックス」はあったが、何せ料金が高いのと1人でしか利用できない点で魅力がなかった。その点でこの「サンライズ」は、かつての「北斗星」などとは違い、より実用性重視で設計された事であろうから、なんというか、何度乗っても飽きない。そんな寝台電車で西へ向かう車内では、既に2本目、3本目と氷結的飲料の空き缶を処理しないとテーブルにものが置けない状況であった。

(そして、今回の旅はこちらの路線も制覇対象となっている。国鉄時代に訪問できなかったのは残念であるが、運営会社が変わった現在でも路線自体が維持されているのが嬉しい。)
相変わらず寝台特急はいつ乗っても良い!いつも見ている辻堂や茅ヶ崎など、同じ景色でも全く違って見えるのは気のせいか?とは言え、普通の一般に考えたら朝一番の飛行機で羽田から発てば岡山から新幹線で行く私の行程と同じくらいの時間に現地に着くであろう。いや、飛行機の方が早いかも知れないが・・・さて、今回は先述通り岡山から新幹線に乗り換える。初の試みで気持ちがワクワクするが、この時はまだこれから先に起こるトラブル等予想だにしなかった。

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