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鉄道全線完全制覇の旅

昭和から平成へ・・・全線制覇の旅紀行!

よろしく哀愁。よろしく九州⑱ 和多田

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多分、この駅をわざわざ「観光用」として訪問するのは恐らく全国探しても私くらいであろう。実に生活感あふれる地味な駅であろうこの駅は、恐らくレールファンのブログでもそう取り上げられる事が多くないと思われる物件である。という事は、つまり私の「得意分野」でもあるわけだ。地味の真骨頂・・・和多田駅をひとことで言うとそんな表現ができるかも知れない。

さて、私がこの駅に初遭遇したのは1983年4月1日。つまり筑肥線部分電化開業直後で、更にこの駅の開業直後である。虹の松原~山本間が廃止された際に誕生した駅であるが、ある意味「呼子線」の駅として開業したという言い方もできる。それは東唐津も同じであろう。紹介が遅れたが、この駅はJR九州は筑肥線の駅であり開業は1983年3月22日である。駅の位置としては唐津市の市街地東側の端くらいにあり、当然ながら地元民の利用が約9割9分9厘9毛を占めるであろうと思われ、付近は住宅が多い。ちょっと歩けば道幅の広い国道があり、国道沿いには商業施設がひしめき合う。

駅の特徴として最もたるものは、駅のすぐそばを唐津線が通り過ぎていくという事か。筑肥線にはホームがあるが、すぐそばを走る唐津線にホームが無い。理由的にはもちろん佐賀線方面よりも博多方面への利用が圧倒的であろうという計算と建設費的な問題であろう。国鉄の駅として開業した和多田であるから当然その辺の事情もあろうが、逆に予定線である呼子線の一部を筑肥線として開業させ「東唐津」「山本」「唐津」と、行き先によって利用駅を使い分けなければいけなかった唐津市民の不便さを「唐津」に統合させた国鉄の英断も素晴らしい。確かに和多田に佐賀線のホームがあればこの和多田駅の価値も変わったであろうが、開業から30年以上たった今も開業当時とほとんど変化が無いのが逆にいい味を醸し出している印象でもあった。

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国道から1本生活道路に入ると和多田に着く。高架駅として開業したが、開業当時のまま現在に至っている。

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恐らく学生の利用が中心となるであろう。しかしながら付近は住宅街となっているので博多方面への通勤利用もあると思われる。


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レールファン的にはハッキリ言って地味な存在であろう。普通に生活感あふれる駅であるから尚更だ。


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1面1線の棒線型で、ハッキリ言ってなんの特徴も無い。しかしながら、私にとっては「新しい駅」的な存在で、しかも地味さ加減が気になる。


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すぐそばを唐津線が走る。ハッキリ言ってホームがあっても良さそうだが、筑肥線側にしかホームが無い事で更に地味さ加減が倍増する!


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上が開業直後の1983年4月1日で、下が2016年1月の訪問。比べてもらうとわかるが、開業当時はかなり「新百合ケ丘」「東戸塚」的な印象であるのがわかる。つまり「開発途上」であった開業当時から比べしっかりと「街」が形成されている印象だ。


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そんな存在の和多田は実に素敵だ。そして更に次の訪問先に向かった。




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よろしく哀愁。よろしく九州⑰ 蔵宿

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今回紹介するこの蔵宿は、この旅の訪問計画には全く予定すら入っておらず、当然予備知識もなかった。しかも伊万里方面への訪問は当日の朝に宿泊先の嬉野温泉から訪問する事を決めたため、この蔵宿は本当に駅前を通った時に訪問を決めたのであった。ところがいざ駅舎に向かおうには国道から線路を渡り反対側の裏道から伝っていくという、何とも地元密着の駅であった。もちろんその詳細は国道から充分確認できたためその訪問を決めた訳である。いわゆる「衝動買い」ではないが「衝動訪問」とでも言おうか、それを瞬時に決めてしまうほど一気にこの駅に引き込まれてしまった。

結論から言うと、いわゆる木造駅舎がそこにあり、昔ながらの雰囲気を醸し出していたためであるが、なんというか、かつて私はここを「松浦線」として通っているはずである。しかも筑肥線で伊万里までやってきて制覇のために有田まで往復している。つまりこの駅は2回通り過ぎているはずであるのだが全く記憶に無かった。それもそのはず、この松浦線(現・松浦鉄道)を訪れるのは実に33年振りであったからだ。そんな記憶もこの蔵宿に到着したらなんとなく懐かしく感じた。まるでタイムマシンにでも乗ってやって来たかのような雰囲気に包まれる感じであった。現在の伊万里駅は分断されてしまいかつての面影がほとんど無くなってしまったが、伊万里以外ではこうして昔のまま残っていてくれているのが実に嬉しい。

忘れかけていた遠い記憶を蘇らせてくれる・・・そんな松浦鉄道の蔵宿に一時佇んでいたら、松浦鉄道のみの各駅訪問をしてみたくなってきた。


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急遽訪問が決まった有田。この駅の訪問は実に33年振りであった。「焼き物」で有名な街であるが、駅前は実にひっそりしていた。とは言え、私が訪問した時間帯は朝8時半くらいであったから駅前は「生活」の色が濃かった。


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そしてこちらが蔵宿駅。国道沿いにある駅であるが、駅舎に来るには踏切を渡り生活道路に入らなければならない。


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こんな駅舎に惹かれてしまった。全く訪問予定が無かったというより、この駅の存在すら知らなかったのに(とはオーバーであるが)、駅前に立った途端、なんとなく懐かしさを感じずにはいられなかった。


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と思っていたら、何と、駅舎に喫茶店が併設されていた!とは言え、人の気配が感じなかった。私の訪問したのは1月中旬。遅い正月休みだったのか、それとも・・・


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既に8時半を過ぎ通学時間帯を逸れていたが、訪問時は完全に蔵宿駅を独占していた。


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突然の訪問も快く受け入れてくれた蔵宿に感謝である。生活感あふれる中にも重厚な趣きがある素敵な空間であった。



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よろしく哀愁。よろしく九州⑮ 山本

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わりと地味に有名かも知れない山本であるが、その理由としては駅名と同じ苗字の方が多くおられる事であろうと思われる。事実、私の親戚にも「山本」はいるし、会社などではよく聞く苗字でもある。というより、そういうことを抜きにしてもこの駅は実に魅力のある駅で、まだまだ昭和の、いや、国鉄の面影が今も残る貴重な駅である。そう、決して地味な存在ではないが、こうした駅も私の得意分野であり好きな駅でもある。
若いレールファン等は筑肥線が分断されている事や本牟田部付近で唐津線と筑肥線がオーバークロスするのが、歴史的背景とはわかっているものの、恐らく実感としてないため不思議な感覚であろうと思う。私自身も実際にこの地に初めて訪問したのは1983年3月で筑肥線電化直後であった。そのため旧・東唐津や虹の松原~山本間の筑肥線は制覇していない。その訪問から30年以上経過して今回の訪問となった訳であるが、逆にその訪問当時とほとんど変わっていなかったのが嬉しかった。そして懐かしかった。初訪当時は、旧線時代はどういう配線になっているのかが非常に気になったものであるが、山本駅自体の配線は意外にも単純でありシンプルであったので逆に驚いてしまった。だが、このシンプルさが今となっては逆に面白い。と、なんだか「逆」という単語がやたらと出てきたが、現在は駅員無配置となってしまい更に寂しくなってしまった。かつては駅員がポイント操作などを行っていたであろう姿がないのが残念であるが、駅舎もホームも昔のままであるから、むしろこのまま22世紀もこの雰囲気を残してもらいたい物件である。
ところで全く関係無いが、駅名を聞いて「小鉄」という文字が頭をよぎったら、あなたは相当の強者(つわもの)であろう・・・

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山本駅の駅舎。国道沿いにあるため実にわかりやすい。かつては岸嶽支線と筑肥線の旧線を分岐していてさぞかし賑わった事であろう。現在は駅員無配置である。

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列車から降りて駅舎へ向かうのでなく、駅舎から駅のホームへ向かってみる。そう、これぞ地元民の感覚。駅舎は駅員無配置ながらなかなな渋い。


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更に駅舎から隣のホームに向かう気分になってみる。跨線橋は無く、ご覧のような構内踏切によりホームを移動する。懐かしい風景だ。


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構内は確かに広いが、かつての岸嶽支線や旧・筑肥線の面影は感じられなかった。岸嶽支線はともかく、旧・筑肥線の面影はないのが意外であった。とは言え、東唐津~山本の旧線が廃止されて既に30年以上経っているので当然といえば当然か。


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山本に着く前に、実は本牟田部の前も通った。もちろん筑肥線と唐津線のオーバークロス部も拝んできた。本牟田部付近はオーバークロス部より山本までは、ある意味複線のような感じであるが、列車本数的に考えても、この本牟田部で一旦収束して山本までを単線にした方がJR的にも都合がいいのではないのか。



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更に長期連載になりそうな九州鉄道路線全線制覇<PART3>⑬

黒崎より「ソニック」に乗り博多で「かもめ」に乗り換える。何とも黄金パターンの乗り換えであるが、とにかく乗り換え時間が7分しかない。しかも違うホームで階段を使わなければならず、しかも周遊券のため自由席の確保をしなければならない。全く旅情に浸っている暇はなく、ただただ慌ただしさが続く。特急同士の乗り換えはもう少し配慮して欲しいよな~みたいな事を言いながら座席に着き、既に氷結的時間を迎えているという事はしっかり自由席を確保していたという事であるが、これから先はちょっと変則的な行程になる。妻は今夜の宿となる長崎まで先に行ってもらうが、私は諫早で下車し「旧線」を制覇しなければならない。つまり諫早から別行動になるという事だ。なんてなんでも無い事であるが、妻は宿を探せられるか不安がいっぱいであったようだ。と言っても、普通に長崎駅から見える距離だし、超有名なビジネスホテルであるから道行く人に聞けば必ずやたどり着ける事であろう。

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(博多で「かもめ」に乗り換える。「ソニック」~「かもめ」への乗り換えはJR九州の黄金パターンであろうが、できることなら同一ホームでの乗り換えが好ましいであろう。)

そんな訳で、諫早で妻に別れを告げた私は早速非電化区間の旧線に向かうDCに乗り込む。初、長崎本線旧線区間。いわゆる「長与経由」である。私の気になる駅は文字通り「長与」であるが、それ以上に気になっていたのがご存知「本川内」であった。もちろんレールファンならその辺の事情を察しておられようが、私は事前知識が1980年代であったので現場に着いて「アレ?」と拍子抜けしてしまった。そう、スイッチバックが解消されていたのだ。調べてみたら2002年に現在の姿になったようなので、訪問時にはスイッチバックが解消されて既に10年弱が経過していた事になる。正直言ってがっかりしてしまったが、今もこうして旧線が残っているだけでも逆に嬉しい材料として受け入れなければならないと思った。そう、無くなってしまったらそういう体験もできないのだから。そんな感じで妻より確か40分くらいの時間差で長崎入りをした。既に夜8時半を回っていたので疲労困憊であった。

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(旧線の代表駅と言えば長与であろう。まぁ、一部の方には「クラッシュ」的なイメージもあろうが、同じく旧線の本川内も魅力たっぷりの駅である。)

翌日は、長崎市内の観光を含め市電の制覇に挑んだ。市電を全て乗るという作業はなかなか面白いもの。通常の列車に乗っているより何というか庶民的な雰囲気がとても良い。もちろん、場所柄か観光客の姿も少なくないが、私のような「もの好き」は恐らく当日は私が唯一の「代表」であったろう。そんな私も長崎に訪れるのは3回目であったので、特に前回は確か高校の修学旅行だったので懐かしかった。もちろん当時とはかなり街の印象が変わっているが。

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(新旧の車両が入り混じる長崎市内線。観光客にも重宝され、生活と併せての二面性が面白い。)

そんな観光気分で路面電車を乗っているうちに九州の鉄道路線全線制覇の時がいつの間にかやってきていた。それは石橋電停に着いた瞬間であった。その後長崎駅まで路面電車で帰ってくるとようやくそんな実感が湧いてきた。後は帰路に着くだけ。駅前のスーパーでお土産や氷結的飲料をしっかりと買い込み最後の列車に向かった。普通ならこのまま終わってしまうのであるが、この最後の列車にもお楽しみを取っておいた。九州新幹線全通の余波で特急車両の787系が余剰になり九州全土に散らばった。その恩恵を受け、帰路に着く「かもめ」をわざわざ787系に標的を合わせた。もうお分かりであろう。そう、あの「個室」にお世話になるためだ。その模様はこちらで詳しく紹介しているので是非ご覧いただきたい。

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(一応長崎に来たのだからひと通り観光も楽しんだ。ご覧の他に「ちゃんぽん」なども堪能し「旅と鉄道」を実践した形であった。)

先述したが、もし私が他界し、いなくなっても旅の記録と記憶は残されていく。とりわけ私はこの世で特別な存在もないが、一応この世に生まれてきたという「証」みたいな物をこうして残せているのがちょっぴり嬉しい。そしてこのブログをご覧の皆様が次回旅に出る時、少しでも私の体験がお役に立てればなお素晴らしい事と思う。
さて、ふと思った。「旅って何だろう・・・」と。わかっていながらわからない。多分私は自分の「居場所」を見つけに旅に出るのであろう。そんな事を考えながら飛行機の小窓から外を見ると福岡空港がだんだん小さくなっていった。


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更に長期連載になりそうな九州鉄道路線全線制覇<PART3>⑫

本当に長期連載になってしまった今回の九州の旅の紹介であるが、自身もこんなに長くなるとは予想だにしなかった。であるが、最近年齢を重ねたせいか、何というか、こういった旅の記録って大事だなと思うようになってきた。変な話であるが、遅かれ早かれ時が来れば「他界」という現実が待っている。過去にそういった親戚などの「現実」を目の当たりにしてきたが、去年に実父が他界し改めて自身も確実に「そういう時」がやって来ると肌で感じるようになった。だが、こうして記録を残しておくと、自分はいなくなっても記録が残る・・・みたいな事も思うようになってきて、今もこうして過去の記憶を辿って記録している感じである。そんなような内容を、偶然ながらFMラジオでも聴いてから尚更強く思うようになってきた。という事でこれからも精力的に過去の私の旅をできる限りアップしていきたいと思います!!

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(という事で直方に到着。やや難読な感がある駅名であるが、ここでも「石炭」の匂いが今でも感じることができる貴重な駅だ。)

と、なんだか堅苦しい始まりとなってしまったが、前回の続きから始めると直方にほどなく到着した。直方は近年に橋上駅舎に生まれ変わったが、その他駅構内は昔とほとんど変わらぬ雰囲気を保っている感じがした。今でもSLがやってきそうな、そして石炭を沢山乗せた貨物列車が構内を通過していきそうな雰囲気である。なんとなく昭和の香り・・・国鉄時代が蘇る感じだ。それは後藤寺他、筑豊本線や日田彦山線各駅やそれから分岐する支線にも見られるのが北九州の魅力であろう。もちろん多くが廃止されてしまったが、こうして残っている路線は貴重な色彩を放っているからまた訪れてしまいたくなる・・・そんな鉄道風景だ。

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(筑豊直方より「路面電車」に乗り換える。と言っても路面は走っておらず、確か全て専用軌道であると思った。イメージ的には「東急世田谷線」的な感じか。)

さて、直方で降りるとここで筑豊電気鉄道に乗り換える。だが・・・JR直方と筑豊直方との間は約800m近くあるのだ!もちろん事前に地図を準備し歩く気満々であったが・・・・・・・・・はじめの一歩で列車の時間に間に合うか不安になり「すみません、ワンメーターで申し訳ないんですけど・・・」とタクシーの力を借りる事にした。かなり勇気ある決断であったが意外にもなかなか到着せず、かなりの800mに感じた。もし歩いていたなら間に合わなかったかも知れない。

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(「がんだ」とはこちらもある意味難読である。一時期、某大家族の所在地としてTVなどでよく見かけたが、本当に生活感溢れる「まち」であった。)

そんなわけで予定よりかなり早く筑豊直方に到着した私は、当然ながら予定より1本早い列車に乗る事にした。「列車」と言ったが、基本的には「路面電車」の車両である。割に華奢な車両は、千歳飴のような形をした筑豊直方駅にはなんとなくお似合い。なかなか愛嬌ある列車に思わず惚れ込んでしまった。「千歳飴」と表現した筑豊直方であるが、皆さんご承知のように延伸計画がかつて存在し、JRをオーバークロスし切った所に高架上の筑豊直方駅がある。延伸計画が頓挫してしまい現在の形になっているが、ちょっと調べてみたらJR直方駅付近まで延伸する話が持ち上がってるらしい。これは地元人にとって朗報であろう。もし実現すれば当然乗り換えが便利になるので利用者が増えるであろう。

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(かつての香月線・香月とはやや離れているが、筑豊電気鉄道の方が圧倒的に利用者が多かったであろう。)

感田を過ぎ熊西までがあっという間であった。路面電車の車両に乗っているが、景色は「ローカル線」だからなんとなく不思議。そのギャップが楽しかったから時が過ぎるのが早かった。そして熊西を意識したのは、かつて折尾方面へ鉄路が分岐していたからだ。正確には黒崎~折尾間が西鉄に所属する路面電車線であり、熊西で筑豊電気鉄道と連絡するというのが本来の姿であった。もちろんその当時は熊西から先は黒崎まで乗り入れていたが、ご承知の通り熊西~折尾間が廃止され、残った熊西~黒崎も西鉄より譲渡され現在に至っている。そんな歴史の筑豊電気鉄道で黒崎に着くなりややダッシュ気味でJR黒崎に向かったのだから旅情も歴史を感じる暇もあったもんではなかった。ここで突っ走れば「ソニック」で博多まで向かえるのであるから必死だ。時間に追われながらも旅情を感じなければならない複雑な作業はまだまだ続く・・・



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更に長期連載になりそうな九州鉄道路線全線制覇<PART3>⑪

行橋からは平成筑豊鉄道田川線に乗り換える。1979年に私が寝台特急「富士」で初めて九州の地を踏んだ時、ここ行橋は確か高架駅ではなかった。そして現在は特急列車は全て停車するが、1979年は「富士」は通過していた。確か「にちりん」も一部の列車以外は通過していた。私にしてみたら地味な印象であったが、やがて急行が廃止になり、特急も行橋に停車するようになってきて現在に至っている訳である。そしていつの間にか高架駅になり立派に成長した。そんな行橋から乗る田川線はなんとなくローカル線を制覇する雰囲気には程遠い感じであった。

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(田川伊田では昭和の景色が見られる。こうして「石炭」の時代がしっかりと姿を残しているのもかなり貴重だ。)

などと思っていたら、発車してまもなく、一般に好まれるローカル線的風景がすぐに飛び込んできた。歴史を調べてみるとその答えは一目瞭然で、石炭を直方や後藤寺方面、いわゆる筑豊炭田から日豊本線の苅田港(貨物駅)に輸送するために敷かれたとなっていた。苅田と言えば、現在は北九州空港に近いので空港の最寄駅であるが、空港は埋め立ての人工島にあるためやや離れている。そのためわざわざ苅田まで列車で来てバスに乗り換え空港目指す人はごく稀であろう。恐らく小倉辺りからリムジンバスで向かうのが「正統派」かも知れない。

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(勾金ではやや「熱い視線」が注がれてしまった。レールファンは肩身の狭い思いを常にしなければならないのか・・・)

と話が逸れたが、やはり最初から旅客でカネ儲けをしようなどとは考えずに敷かれた路線である事は景色を見ればわかるが、それでも昔は炭鉱などで働く人達やその家族を乗せ賑わった事であろう。途中に油須原があるが、そこからはご存知、添田線の大任を経由し豊前川崎に至る「油須原線」なる未成線が存在した。もちろん石炭輸送のために計画されたものであるから現在は計画自体が頓挫しているが、当時営業していた上山田線や漆生線等とともに石炭輸送の大動脈となる予定であった。現在、油須原線の一部がトロッコ的な観光路線として活躍しているらしい。機会があれば是非訪問してみたいものだ。

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(最近紹介した「才田」は漆生線に所属していた。漆生線は油須原線・上山田線と共に石炭輸送で活躍するはずであったが、現在は周知の状況である。)

やがて私の乗った列車は田川伊田で乗り換えなしで金田に到着した。ここで一旦糸田線を往復する。糸田線は全長6.8kmと非常に短い路線であるが、後藤寺から金田まで伊田線とそれほど離れていない場所で運転されている。なぜここまでして鉄道路線が必要であるのかと思ってしまうが、やはりこれは歴史的背景、つまり石炭輸送と深い結び付きがあるのだ。というより、現在の今まで、良く糸田線が残っているなと逆に感心してしまう。それくらい現在でも需要があるのか。もちろん、その需要とは旅客であるが・・・

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(金田で再び乗り換える。私にしてみたらこういった車両は新しい部類に入る。)

金田に戻り再び伊田線に乗る。そういえば伊田線の特徴は何といっても複線である事だ。若いレールファンは、というより私もであるが、この伊田線に関しては沿線風景的に複線である事が異様な色彩を放っている印象であろう。もちろんこれも歴史的背景の名残であるが、かつては複線にしなければ輸送が間に合わないくらいに貨物量が豊富であったのだろう。現在の伊田線の姿をかつては想像できたであろうか。一両編成の列車が複線区間ですれ違う・・・何とも矛盾している風景だ。しかも非電化であるから尚更で、恐らくJR以外の民鉄では関東鉄道とここだけであろう非電化複線区間。そんな歴史的重みを感じながら私は直方に降り立った。


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更に長期連載になりそうな九州鉄道路線全線制覇<PART3>⑩

西鉄とJRの乗り換えに使う駅・・・私は香椎を選んだのであった。鉄道地図的には西鉄香椎とJRの香椎は全く別の駅であるが、道路地図など一般の地図的には歩いて移動できる距離であった。私はかつて時刻表しか見ていなかったためそういうことに気づかなかったが、現在はインターネットの時代!いろいろな事の詳細まで調べられるすごい時代になった。とは大げさかも知れないが、香椎を使う事によって次の制覇路線までの移動に特急を使う事ができる。これは実に素晴らしい作戦だ。もちろん「どこでもドア」には及ばないが・・・

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(香椎で乗り換えをする事になったが、なにやら気になる飲食店を発見した。時間があれば入りたかったのだが・・・)

さて、香椎から特急「ソニック」に乗り小倉まで移動した私はまず門司港まで普通列車で移動。ここから「平成筑豊鉄道」を制覇する。ん?平成筑豊鉄道?ちょっと表現が宜しくなかったか・・・いわゆる「やまぎんレトロライン(当時)」と言った方が分かりやすいかも知れない。そう、ここはかつての貨物線を利用した観光列車が運転されている場所である。運転時期が限定されていて、制覇するのには少し厄介な部分もあるが、基本、こちらがそれに合わせれば良い事であって、充分に素敵な旅が楽しめる事であろう。

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(「やまぎんレトロライン」に乗車するため門司港に向かう。何かと話題の駅であるが「始発駅」「終端駅」としての重みが充分すぎるくらいにある。かつては連絡船との乗り換えで相当賑わった事であろう。)

万遍無く観光気分を味わった私は次に小倉に向かう。そう、モノレールを制覇するためだ。小倉駅で妻を喫茶店に預け、単独でモノレールに乗り込むが、日中のためやや乗客が少ない印象であった。終点企救丘では志井公園でJRと連絡しているが、この両者では若干複雑な歴史があるためやりづらい、と思うのは考えすぎであろうが・・・ただ、企救丘から先の延伸とかってあるのであろうか。それが実行されればこの企救丘も若干ではあるが活かされていくことであろうと思う。

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(「やまぎんレトロライン」は季節限定運転のため、こちらが予定を合わせなければ制覇できない物件だ。現在は「北九州銀行レトロライン」と変更になっている。)

小倉に戻り妻と合流し今度は行橋に向かう。そう、平成筑豊鉄道を制覇するためだ。ご存知「転換路線」として知られ、一時期は廃止候補に挙がっていたが、経営者が変わってなおこうして現在も残っているのは素晴らしいであろう。基本的に北九州の鉄道路線は石炭輸送のために敷かれた路線がほとんどで、網の目のように敷かれた路線も、その数多くが廃止されていった。しかしこうして第三セクターながらでもかつての「国鉄」が現在も残っているのが実に素晴らしい。まだまだこれからも残っていってもらいたいものである。



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更に長期連載になりそうな九州鉄道路線全線制覇<PART3>⑨

現役時代の杉安への訪問は実現できなかったが、湯前から杉安までの鉄路の夢も実現できなかった。それどころか、杉安~佐土原間の妻線も現在は無い。先人の夢が現在残っているのは「くま川鉄道」という名に変わった湯前線のみである。そんな事を思いながら乗る湯前線は、やはり国鉄時代の事を思い出す。そして現在の湯前線では国鉄時代の名残も多く残す。幸い終点の湯前では20分以上のインターバルがあったので駅舎を出てみた。振り返ってみると、やはり国鉄時代を彷彿させるような駅舎がなかなか良い。そんな駅前であるが、もうすでに夕方の時間帯であるせいか、いつになく静寂な印象であった。

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(ご覧の車両で湯前にやって来た。国鉄時代に訪問してみたかったものだが、計画段階で終わてしまったのは残念である。もっと精力的に活動すればと過去の自分にジャーマンスープレックスを食らわしたい気持ちであるが・・・)

再び駅に戻りホームに出てみる。無意識に湯前より先の鉄路が気になってしまった。もちろん普通に「車止め」であった。そしてそこから先に伸びるはずであろう鉄路の姿かたちはもちろん、未成線の「み」の字も見当たらない。その姿は単に「地図上での夢」でしかなかったのか・・・しかし国鉄時代に訪問できなかった、ある意味「夢」が果たせた印象であった。そんな思いを胸に秘め、残暑厳しい人吉盆地を眺めながら再び人吉に戻った。

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(多分国鉄時代と同じ駅舎であろう湯前駅。そう、未来の自分がやってきて、今の自分にジャーマンスープレックスをかけないよう、今こうしてできる限り旅に出ている。)

人吉では「九州横断特急」が待っていた。素晴らしい接続だ。アクシデントのお陰で予定より一本遅れた湯前線であったが、こういったラッキーな場面もある。辺りも暗くなり景色も見えななってきたし、やや体力的にも年齢を隠せないコンディションであったため、こういった場面は優等列車の方が良い。
あっという間に新八代に着いた私、は新幹線に乗り換え博多を目指す。そう、九州新幹線の新規開業区間の制覇のためだ。確か熊本辺りで「みずほ」などに乗り換えられたはずであるが、ここはあえてそのまま「つばめ」に拘って見せた。

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(新八代より新幹線で新規開業区間の制覇に乗り出す。ここはあえて「つばめ」に拘ってみせた。)

翌日、博多より乗る列車は地下鉄と西鉄の未制覇区間と平成筑豊鉄道の制覇に乗り出す。ますは中洲川端で乗り換え貝塚へ向かう。貝塚では地下鉄と西鉄が接続するが、両社の相互乗り入れが行われないのが残念だ。技術的な部分が理由となり弊害となっているのであろうが、やはり乗り入れてこそ!の思いが皆強いはずだ。現在の形だと貝塚~西鉄新宮間の「陸の孤島」的なカラーが更に濃くなる印象である。その陸の孤島も西鉄新宮~津屋崎間が廃止され益々色が濃くなったかも知れない。
そんな陸の孤島を後にしJRに乗り換えて「関門海峡めかり」を目指すわけだが、さて、どこでJRに乗り換えるか・・・基本「和白」が順当なのであろうが、私はさらなるショートカットを考えていた。それは・・・



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プロフィール

ダイヤモンド✡トナカイ

Author:ダイヤモンド✡トナカイ
✩2022年4月より毎週土曜日更新になります✩


昭和・国鉄の話題を中心に紹介しています。


2013年に長野新幹線の長野駅にて「いい旅チャレンジ20000km」よりスタートした国鉄時代の制覇を含めJR全線制覇を、そしてゆいレール以外の鉄道全線制覇を達成いたしました。


以降、北陸新幹線と北海道新幹線などの開業によりタイトルは返上しています。

JR以外の私鉄を含む鉄道未制覇路線は北陸新幹線(長野~金沢)・北海道新幹線・仙台地下鉄東西線・仙石東北ライン・富山地方鉄道延伸部分・ゆいレール・相鉄直通線(相鉄新横浜線)、そして新規開業の西九州新幹線や宇都宮に開業したライトレールも新たに加わりますます未制覇路線が増えてしまいました・・・

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