三江線への挑戦⑮ 粕淵
2016-09-30

意外にも意外に利用者が多い粕淵。それもそのはず、美郷町の中心的機能がこの駅付近に揃っているためでもある。後に紹介する浜原よりも利用者が多いが、ご覧のように、かつては交換設備があった事が一目瞭然である。そして駅舎であるが、今まで紹介してきた三江線の駅の中でも一番立派な部類であろう。それもそのはず、駅舎は町の商工会議所と合築であり、駅舎内は、JR部分は無人なものの、人の気配を全く感じないという事は無い。であるが、朝晩に集中するであろう利用者の数も近年では完全に減少しており、私が訪問した時間帯では完全に独占状態であった。
最近までは、大家族的テレビ番組の舞台にもなり少々話題にもなったが、大自然の緑あふれる風景は、子供達が育むには最高の舞台となろう。
そしてなにより、ここ粕淵から大田市に向けての計画路線があった事は意外に地味な事実かも知れない。一応計画では浜原が起点となっているが、地理的要素を考慮しても粕淵が起点となるのが自然であろう。というより、真の陰陽連絡線として機能させるのであれば、この計画線が現在機能しているのが普通の感覚であるが・・・

ご覧のように、商工会議所と合築の粕淵駅舎。JR側駅舎内は無人であるが、全く人の気配を感じない事は無い。

駅前からはバス路線の発着が。町の中心部へはこちらが便利であろう。列車との接続はちょっと確認できなかったが、恐らく期待しても良さそうだ。

駅舎内はご覧の通り、実に三江線らしくない!時間帯によってはシャッターが閉ざされるのであろう部分の柱が実に気になる。




こうして見ると棒線的風景にすっかり馴染んでしまっているが・・・

こちらではかつての名残が感じられる。

本当に消えてしまうのか・・・

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三江線への挑戦⑭ 明塚
2016-09-26

この三江線全駅訪問の企画を考えなかったら恐らく一生この駅の存在を知らずに人生を終えていたであろう。まず、そのロケーションに惹かれる。先に紹介した鹿賀にやや印象が似ているのがこれまた良い。ご覧の通り辺り一面「緑」に覆い尽くされてしまっているその横に唯一のグレーであるアスファルトはこの駅へ通ずる唯一の「シルクロード」である。そしてその中心に、今まで紹介してきた駅と同じようなブロック的な待合室は遠方からでもしっかり確認できる、唯一の文明的存在感である。
ウィキを覗いたら、ずっと利用者は一桁台で推移しており、やはりこの駅も地味さ加減では他の駅には負けていない。三江線とは一見、素敵なローカル線であり後に紹介する宇都井のような特徴ある駅含め魅力あふれる路線であると同時に、こうした地味な駅の宝庫でもあり、それこそこういった影の存在が縁の下の力持ち的なパワーを発揮している路線でもある。いわば「ハンドパワー」とでも言おうか・・・

ご覧の通り、一面緑のロケーション。ただ、正直言って駐車する場合は困る。せめて駅前ロータリーでもあればなぁ・・・とは贅沢な悩みか。

でも考えてみたらこれだけスペースがあるのだからロータリーの設置は余裕であろうが・・・


使われなくなった部分の方が大部分を占めるであろう有効用のある昭和型の国鉄式ホームは、駅名標とワンマン式ミラーの設備が一番新しさを感じる。



後ほど触れることにもなるが、例えやって来る列車が少なくてもメンテナスはしっかりと施されている。だから我々は安心して列車を利用できるのであるが・・・

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三江線への挑戦⑬ 石見簗瀬
2016-09-22

既に「リバプールの風」となる事が決定した三江線であるが、今頃はその勇姿の最期を見ようと多くのレールファンが集結している事であろう。そして列車交換できる駅も一足早く交換設備が外された駅が多く、それこそギリギリ最低限の経費で運営している姿を垣間見る事ができるが、それでも路線を抹消してしまうしか選択肢が無いのは実に寂しい。そしてここ石見簗瀬も交換設備が外された駅のひとつであるが、ウィキで確認したところ、交換設備がなくなったのは1999年だったから既に17年が経過している事になる。にしては随分とつい最近の出来事のようにバラストが現役的な色をしていた。そして草刈等のメンテナンスもしっかりされており、とても近い将来の事象など、ある意味考えられない風景であった。そしてこの駅の特徴は立派な駅舎がある事。そして国鉄時代の島式ホーム特有の風景を見る事ができる。もちろん片側に線路は無いが、それ以外は駅員がいそうな風景が展開されている。当たり前の話ではあるが、列車できた時には気付かなかった風景が、列車以外で訪問して初めて気付く鉄道風景は実に新鮮。現役時代を堪能するなら今でしょう!

どーですか、この素晴らしき風景。これぞ駅舎の「基本」ですねっ!





早速駅舎へ。ご覧の通り、完全に人の気配がするが、ここにいるのは私のみである。住みたい!とは言わないが、何というか「別荘」ならいいかなという素敵な物件。

本当に個人的な感性であり個人的な意見であるが、この風景、非電化時代の相模線・倉見駅にかなりそっくりである。





おわかりいただけた事と思う。島式ホームの片側は完全にレールが剥がされているが、その跡地が実に現役度的な何かを感じる事ができる。つい最近までレールがあったのであろうと思ってしまうほどの風景。いや、実際にあったのであろう・・・

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三江線への挑戦⑫ 乙原
2016-09-18

「姉さん、事件です!」と思わず言ってしまいそうな発表があった。既に前回の記事でも触れているが、どうやらJR西は本気で三江線を廃止する意思表示をしたみたいだ。噂では2018年春とされているが、正式な決定ではないので実際にはわからない。だが、これから先の三江線の行方を「東堂マネージャー」もガラス越しに見守っている事であろう・・・
もちろん1980年代にも廃止の噂はあったが、沿線道路の未整備という理由から廃止対象から外れ現在に至る。それも時代の流れとともに解決したようだ。だが、先に紹介した千金に関しては完全に未整備といえる事象なのでこれから先の行方を私も見守っていきたい。
さて、今回紹介する乙原であるが、とにかく今まで見てきた三江線の各駅のような佇まいでハッキリ言って特徴はない。いわば「地味」な部類に入るであろう。付近には民家が多くあるが、利用者は今私がここで述べるまでもない事実を皆様の方がよくご存知であろう。恐らく開設当初からパイが多いとは言えない沿線風景であった場所に、更に時代の流れとともに乗客の減少が続くローカル線の典型的な風景が「展示」されているようでもある。


これまで紹介してきた駅と似たような景色が展開されている。見た目は同じようであるが、駅ひとつひとつにはそれぞれ違った歴史がある。そして出会いや別れのシーンも・・・




当たり前の風景でもあるが、いざなくなってしまうとなるとやはりもったいない思いだ。時代に合わない交通手段は、時代とともに姿を消していく。
かつて国鉄時代の廃止は「許可制」であった記憶だが、現在は「届出制」に法律が変わっている。つまり経営者側の意思が、段階的な障害が少なく反映される時代になったのだ。もっと言ってしまえば簡単に路線廃止ができる時代になった。場所は違うが名鉄などの各路線の廃止もこうした時代の流れとともに姿を消していった。レールファンにとって鉄道とはなんなのであろうか。こうした事実に私たちは一体何ができるのであろうか。そんな事を、この乙原の駅名標がなんとなく私に語りかけてきたような気がした。

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三江線への挑戦⑪ 竹
2016-09-14

この竹駅は三江線の駅の中でもかなり地味な部類であろう。自称・地味駅評論家の私でさえ地味中の地味であると思う。一応三江線に寄り添っている並走道路沿いに駅はあるが、駅前はもちろん広場などなく、普通に民家に直結する。昭和の風景を今も語り継ぐ伝統ある風景であり、有形文化財にでも登録してしまいたいくらいな存在である。
その証拠に、ちょっとウィキを覗いてみたらここ数年利用者ゼロを更新していると確認した。というより一人未満という事だ。そんな駅が三江線には連続するものだから、いよいよ廃止確定のニュースも舞い込んでくる。どうやら9月末に正式に廃止表明をするらしい情報を聞いたのだ。確かに千金以外はハッキリ言って代替えバスでも充分に対応できよう。そして私が経営者ならば当然の選択肢としての結論であると理解できる。だが・・・やはりレールファンにしてみたら「またひとつ・・・」的な無念感が漂うところが正直なところ。

かなり個性的な駅名であるが、存在自体は三江線1・2を争う地味さ加減である。



なんとなく三江線特有の風景でもあるが、ひと駅ひと駅歴史がある。存在自体地味かもしれないが、やはりその存在に理由がある。廃止されてしまえば更に地味感が増すことになるのか・・・

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三江線への挑戦⑩ 木路原
2016-09-10

私のブログに訪問してくださっている皆様、この三江線全駅紹介にお付き合いいただき大変感謝をしている次第であります。というのも、駅紹介のみでいささか単調になっている感がある現在の私のブログカラーであるが、それでもやはり三江線の駅紹介をこれからも続けていきたい。というのも、この三江線の魅力に気づいたのが実は今年に入ってからで、それまでは三江線というと私はノーマークであった。以前に制覇した時は夕方~夜の時間帯であったため景色も見れず、ただ単に早く宿泊先の江津に到着しないかなぁ・・・という思いが強かった。もちろん宇都井をはじめ、特徴ある駅の数々も知っていたし後に紹介する口羽などは私のお気に入り駅でもある。だが、他に魅力が溢れる路線があるため三江線のカラーがやや薄く、私にとっては見えなかったのかも知れない。それは「全線制覇」という事へのこだわりから「点の旅」ではなく「線の旅」となっていた事からくるものであろう。だが最近は全線制覇したお陰で(と言っても新規開業の新幹線や富山市電の一部、仙台の地下鉄など新規開業の制覇はこれからであるが)視点の変化があった、とでもいうのだろうか・・・

(この一枚のみウィキペディアより。)


(実に幻想的な木路原駅への通路。夜などライトアップすると更に幻想感が増す事であろう。とは言え、付近の民家には多大な影響を与えてしまうが・・・」)
そんな中、この三江線の訪問は数え切れない新たな発見があった。そしてここ木路原もそのひとつ。まず駅まで行くのに道路から駅までのアプローチが実に良い!幻想的な通路はウィキペディアに掲載されている写真だともっと幻想的感が伝わってくるのがお分かりであろう。思わず夜にはライトアップでもしたくなるような雰囲気であるが、その資金を私が仮に提供したとすると、その翌日から私の暮らしは破綻してしまうであろう。付近に民家は点在するが、やはり秘境駅ムードが漂い「その道の人」が訪問の際には、必ずや経験した事のない胸騒ぎを覚える事であろう。


いざホームへ。芸術的なブロック陳列の駅舎、いや待合室は実に「爆発」しそうな芸術品である。





木路原って名前だけでも魅力を感じていたが、実際に訪問したら尚更魅力的に感じてしまった。なんというこの駅の風景か・・・実に魅力的で、なんというか「吉永小百合」などと例えたら「サユリスト」からクレーム来そうであるが、実に素敵な風景。


運転本数に関しては周知の通りであるが、ある意味これだけ数字の羅列があると逆に安心する。

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三江線への挑戦⑨ 石見川本
2016-09-06

沿線最大の都市、そして三江線最大の駅である石見川本。その乗降客数は、私の知る限りではかつて三江線最大であった。あえて「かつて」と入れさしていただいたが、現在の乗降客数は、それでも三江線の中では多い部類に入っている。と言っても2桁前半で「最大」という事は、この三江線の台所事情を察するに至るところである。私は完全に有人駅かと思っていたが、現在は簡易委託駅で営業時間以外は「無人」となる変則の有人駅である。
そういえば、かつて某民放TVで「大家族」的な番組があったが、その舞台は山陰本線の浜田やここ三江線が出てきた。その三江線もこの大家族が利用すれば一気に乗車率が跳ね上がり、1両編成の列車も大変な事になる。というよりほぼ貸切状態であった。
駅前は完全なる市街地が形成されており、いかにも街の中心的存在であるが、その中心的存在も列車が来ない間はかなりひっそりとしていた。列車が来たらどんな賑わいを見せてくるれのであろうか・・・
そして、この日私は三江線全駅制覇に挑んでいたが、この石見川本に着いた時点で「よし、これ、マジでいけるな」と確信を持った。前半に千金を訪問した時はどうなる事かと思ったが「いけるな」というよりは「必ず行ってみたい」という気持ちにさせてくれた。その理由はわからなかったが、その理由を探しに更に三次に向けてハンドルを切った。


ご覧のように、駅前はかなりの生活の気配を感じる。だが、時刻表の数字の羅列が少ない三江線は沿線住民の交通手段の主役ではない。もちろんこの事は、全国の現在の鉄道環境を取り巻く事象であるが・・・

そしてこちらが石見川本駅舎。実に堂々としている。かつてはJR職員もいたが、現在は簡易委託駅と聞く。正直言って昔のイメージは完全になくなっていた。もちろん建物的・設備的な事ではなく、なんというか人間の「五感」で感じる何かから来るもの、というかむしろ「第六感」的なものから来る感覚であろうか。






そして駅舎内へ。ご覧のように大きく立派な待合室がある。だが、列車を待つ乗客の姿は・・・








設備的にもかなりの中心度を感じる事ができる。考えてみたら江津から三次に向かう際、初の交換設備がある駅となる。という事は閉塞区間が実に長い!!更に、そんな交換設備がある駅に素敵な改札があるが・・・


という事で更に三次方面へと車を滑らせる。ハッキリ言って自身が考えた企画であるが、現役の三江線をこうしてフルにめぐる事ができる私は、ある意味幸せかも知れない。だから尚更やめられない鉄道愛。確かに23年くらいのブランクはあったが、今こうして再びレールと向き合える自分は実に充実感溢れている。もちろん「ガラスの」10代時代の感覚ではない鉄道を感じる私の身体は、こうして鉄道エキスを注入する事により更に進化していく・・・

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三江線への挑戦⑧ 因原
2016-09-02

かつて私は育った場所柄、時刻表を見ては東海道線の駅名を覚えたものだ。その事は、変な話、今現在たまに大きく役にたつ時がある。ただ残念だったのが時刻表の東海道線のページしか見なかったため「東京、新橋、品川、川崎、横浜、戸塚、大船・・・」という風に覚えてしまったクセが今でもあまり抜けていない。本来なら「東京、有楽町、新橋、浜松町、田町、品川・・・」となる。後年はそのことに気づき、改めて覚え直した。だが、尚面倒だったのが京都から先の区間であった。時刻表上だと「京都、高槻、茨木、新大阪、大阪・・・」となる。これってかなり駅を飛ばしていいるな?と後になって気づき、もちろんその穴埋めとして覚え直した。「京都、西大路、向日町、神足、山崎、高槻・・・」みたいに覚え直したのが中学生後半である。だが、やはり小学生に覚えた東海道線と中学生で覚えた東海道線の新たに覚え直した区間の差は大きく、特に小学生時代に覚えた記憶が脳みそに深く刻み込まれ、それこそ朝飯前ではないが、目をつむっていても余裕で言えるが、中学時代の覚え直した区間はやや確認しながらの作業となる。

(因原駅舎である。が、実は運輸会社の事務所が駅舎を使用しており、駅前広場はむしろ運輸会社の駐車場的雰囲気であった。公共施設であるのに、駅前に車を停める際にやや遠慮があったのは私の気遣い過ぎであろうか・・・)
私たちが普段から何気なく使っているコトバは、実は「日本語」という独特の文化であり、それこそ大学や「駅前留学」等で教わったりしたわけではなく、言わば「英才教育」的な出来事であろう。それは自身の意思で覚えたのではなく、むしろ「運命」とでも言おうか。もちろん小学校や中学校などで「国語」という科目の中で教育された国家的カリキュラム(カリキュラマシーンって懐かしいよね!)の部分も否定出来ないが、基本、私たちが幼少時代にそのベースは完成されていたはずだ。そんな思いの中、更に後年には山陽本線の駅名を覚え、とうとう東京から小倉までの東海道線、山陽本線の全駅完全に覚えてしまった。だが、山陽本線の駅に関しては日常生活的に自然には出てこなく、むしろベータ波が活発なくらい考えながら駅名を言うことであろう。もちろん、東海道線に関してはベータ波が沈黙してしまうくらいの勢いで自然な形で駅名が出てくるが・・・つまり年齢が若ければ若いほど「メモリ容量」に空きがあり、吸収する能力も実に群を抜いているし、そんな記憶は今もしっかりとメモリされている。

(駅舎を別角度から。駅前敷地内は完全に運輸会社の占有地になっていた。マジで私が侵入しても大丈夫であったのか・・・)
と余計な話をしてしまったが、ここ因原は、私の下調べ情報では道の駅と併設という事であった。だがしかし・・・実際に訪問してみたら全くの単独駅であり、なんとなくジャイアント馬場にネックブリーカードロップを食らった印象でもあった。というより自身で勝手に勘違いしていたわけであるが、むしろ道の駅併設でなかったのが幸いした。いい感じの駅舎が今でも健在で、集落の中にあるという事は実に駅らしい堂々とした面構えであった。だがいかんせん、利用者がいなければ・・・三江線の駅をひとつひとつ訪問して初めてわかった三江線の素顔。普段私が見る事のできない三江線の現実がそこにはあった。
もちろん因原訪問後、すぐ裏手にある道の駅にも訪問した。当然ながら鉄道の駅よりもやや活気がある雰囲気であるが、やはり私的には鉄道の駅がもっと地元の足として大いに活躍していただきたい印象であった。


早速駅舎内へ。もちろん無人であるが、運輸会社の事務所がある関係上、完全に無人ではない。というより、完全に運輸会社の一部となている。駅舎内にはその運輸会社所有の物と思われる備品が・・・






そして駅構内へ。お分かりいただけたと思うが、完全に交換設備があったことを無言で語りかけている。ここまで三江線の駅を訪問してこれだけ交換設備が外された駅が多いという事が非常に残念でならない。もちろん開通当時はこれだけの設備が必要であったのか、将来的に必要になろう計算のために作られたのか・・・いずれにしても、現在の三江線は閉塞区間が長い。

そしてこちらは駅裏手にある道の駅。どちらかというとこちらの方がやや活気があった印象である。「やや」とあえて言葉を選んだ私の気持ちを察していただくと・・・

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