熊に逢ったらどうするか⑭ 落合
2016-12-28

根室本線・落合~新得間は言わずと知れた「難所」で有名な場所である。特に、かつては新内方面への旧線は、新線に切り替わった後も実験線としてしばらく使用されていた。そして旧線に関しては「日本三大車窓」として周知の通り。新線に切り替わってからは「伝説」となってしまったが、道路を伝って現地を訪れてもその雄大さはしっかりと伝わってくるであろう。新線に関してはトンネル部分に「上落合信号場」を設置。後に石勝線が合流してくることになるが、つまりこの信号場が設計された段階で既に石勝線との交点が決定されていた事になる。
そんな歴史ある落合も普段はひっそりしている。私は初めてこの落合に訪問した。途中、ここに来る前に上落合にも寄ったが、車の窓からその姿を眺めるに過ぎなかった。次回は是非訪問してみたいと思うくらいその場所が魅力的に感じた。
そして落合であるが、当駅始発(止まり)の列車は現在も設定されており昔ながらの風情を醸し出す。新得寄りでは「実験線」と呼ばれた旧線の名残があり興味を惹かれる。その先には旧・新内駅があり、その施設はSLホテル(~旧狩勝線資料館)と共に保存団体が維持活動をしていると聞く。

国道からやや小道に入る。すると落合駅が登場。典型的な設計であるが、ひっそりとしているのも典型的か。


そして落合駅に到着。落合~新得間はサミット超えになるため乗客の流れもちょうど境界線になるであろう。

渋い跨線橋がホームとホームをつなぐ。既に落合始発の列車が待機していた。

跨線橋から駅舎を眺めていた。はっきり言って「箱庭」「模型」のような感じに見えるのは気のせいか?












もう私の解説など不要であろう。落合駅に訪れた瞬間、なんだか吸い込まれた気分になった。秘境駅とは違う、カテゴリー的に分類が難しい落合駅は別の意味でいい味出していると感じるのは気のせいか?

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熊に逢ったら・・・「白滝シリーズ」⑤ 白滝
2016-12-24

上川~遠軽間で最も中心的存在になるであろう白滝は、丸瀬布とともに特急列車が停車する。と、それなりに利用者がいるということであるが、恐らく二桁であろうと思われる。お隣「旧」から移住してきた入植者が新たにこの地を開拓して現在に至っていると思われるが、やはり秘境ばかりを訪問してきた道のりを考えるとこの白滝は「大都会」に映る。スーパーマーケットやコンビニ等、私たちが普段見ている光景がこの白滝駅前で見ることができるからかなりの生活感を当然感じる事になる。私の中学時代はこの区間はDL牽引の旧型客車列車が普通列車として活躍していたが、現在はDCによる「単行」が主流である。
ホームは2面3線であるが、恐らく1面1線は普段使用していないであろうと思われ、若干レールの色が他の2線と異なっていた。勿論駅員無配置であるが、しっかりとメンテナンスが施され過ごしていても清々しい。
秘境駅ばかりを訪問していると、こうした駅がなんとなく「東京」「上野」のように感じてしまうのは気のせいか?というよりは全く熊が出る気配がなく、少々タイトルと異なった紹介となってしまったようだ。
全く関係無い話であるが、人里にでてくる熊は、熊同士の縄張り争いに敗れ行き場を失った者だという。熊も実は人間が嫌いなのである。なのに人間の住処付近まで行かなければ自身の行き場がない・・・そんな可哀想な熊なのだ。とは言え、人間に対して危害を加えたりするのはもってのほか。そんな熊は人間界では「処分」の対象になってしまう・・・と、話が逸れてしまったが、どちらにしても先人たちは「そういう環境」を開拓してきたのだから本当に頭が下がる・・・という表現では足りないくらいの尊敬の念を抱いてしまう。

国道から少し横道に入ると白滝駅に到着する。ご覧のように1989年に駅舎は改築され立派になったが、駅員無配置。




早速駅構内に入ってみた。勿論無人駅のため入場券はいらない。なかなか広い構内に感じるのは秘境駅や信号場をずっと見てきたからであろう。

ホーム側から駅舎を見てみた。すると・・・道路側から見た景色とほとんど同じではないか!という事に気付く。

華奢ではあるが、待合室も。冬季にはかなり重宝するであろう。私の訪問時はホームに出ている方が快適な環境であった。


2面3線のホームはすべてのホームが列車で埋め尽くされる時間帯はあるのか・・・というより、冬季はラッセルが停泊する役目も果たしているのであろう。


と、こんな感じで白滝駅との時間を共有した。今回の旅はすべての日程で好天に恵まれ初夏の北海道の素晴らしさを実感する事が出来た。

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熊に逢ったらどうするか⑯ 糠平(後編)
2016-12-20
前章でも予告していたが、今回は資料館内を紹介してみよう。かなり貴重な写真も展示されており、特に私自身懐かしさを感じる写真もあった。昭和の時代、数多くの「ローカル線」が存在したが、士幌線は異色中の異色的存在でありいつかは行ってみたいと思っていたが現役時代にそれは果たせなかった。資料館の中に入ったら尚更現役時代に来てみたかったが、当時私は中学生くらいであったので多分今ほどその異色さがわからなかったと思う。それでも当時を振り返ると異色だと思っていたわけだから相当な異色的ローカル線であったろう。

案内は「糠平駅」ではなく、ご覧の表示であった。当たり前と言えば当たり前であるが、ひと目で「糠平駅」とわかる空間でもあった。

そして現在、糠平駅跡に建立された資料館。貴重な資料が豊富にあり、その道の人にはたまらない物件である。







時刻表は恐らく中間駅であった頃のものであろうと思われる。十勝三股までの列車が6本設定されていた事に時代を感じるのは私だけか・・・








実際にタウシュベツアーチなどに行ってみようと思ったが、国道から逸れた大自然の中に存在するため、初夏の北海道ではかなりきつい。実際にクマとか出没しそうであったし・・・



流石にSL時代は知らないが、湖底に沈んだ糠平駅も知らない。私も知らない貴重な写真が多く寄せられている。







現役時代の写真は私も知っている部類であるので懐かしい。特に帯広は1983年10月に訪問しているためその頃の写真として大変貴重であると感じる。現在は高架化され4番線まであるのは周知の通りであるが、当時は5番線まであり側線も何本かあった。士幌線は何と駅舎に接する1番線からの発着であった。

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案内は「糠平駅」ではなく、ご覧の表示であった。当たり前と言えば当たり前であるが、ひと目で「糠平駅」とわかる空間でもあった。

そして現在、糠平駅跡に建立された資料館。貴重な資料が豊富にあり、その道の人にはたまらない物件である。







時刻表は恐らく中間駅であった頃のものであろうと思われる。十勝三股までの列車が6本設定されていた事に時代を感じるのは私だけか・・・








実際にタウシュベツアーチなどに行ってみようと思ったが、国道から逸れた大自然の中に存在するため、初夏の北海道ではかなりきつい。実際にクマとか出没しそうであったし・・・



流石にSL時代は知らないが、湖底に沈んだ糠平駅も知らない。私も知らない貴重な写真が多く寄せられている。







現役時代の写真は私も知っている部類であるので懐かしい。特に帯広は1983年10月に訪問しているためその頃の写真として大変貴重であると感じる。現在は高架化され4番線まであるのは周知の通りであるが、当時は5番線まであり側線も何本かあった。士幌線は何と駅舎に接する1番線からの発着であった。

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熊に逢ったらどうする⑯ 糠平(前編)
2016-12-16

以前に「熊に逢ったら~」シリーズで北海道を紹介したが、まだまだ紹介していない駅があるので少々蔵出ししてみよう。
北海道は士幌線にあった事実上の終着駅・糠平は、ダム建設に伴い移転した経緯がある駅である。ダムの出来る前の駅は完全に湖底にあるが、地図を見てみるとなんとなく旧線の雰囲気が分かるのが面白い。それを象徴するかのように、現在でも配線跡がしっかりと残っている。レールファンであれば「タウシュベツ川」と聞けばピンとくるであろう。その他にも数々の遺構が点在する士幌線であるが、その「タウシュベツ川」の部分は国鉄時代にいち早くバス転換してしまったという皮肉な逸話もある。
「2代目」糠平駅は湖を避けるように大きく左に折れ、糠平温泉からほど近い場所に建設された。とは言え、歩くにはやや距離があるが、列車本数的に考えても列車で糠平温泉にやって来る観光客は観光バスなどのそれに比べ格段の数値の差があった事であろう。
現在は士幌線の歴史を後世に伝えるべくための資料館として第二の人生を送っている糠平であるが、構内では現在でも不定期ながら列車に乗れる!もちろん帯広まではいけないが、ちょっとした「士幌線」を体験できるかも知れない。


国道から一本逸れるとかつての糠平駅に到着する。ちょっとした「駅前広場」になっており、ひと目で「駅」出ることがわかる空間だ。








かつての構内はご覧の通り、モニュメントが展開されているが、まさかこの車両が不定期に運転されているのか・・・と一瞬思ってしまうが、あの「美幸線」にあるようなトロッコ車両であろう。1.3kmも楽しめるとは!

次章では「資料館」をご案内しよう。

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三江線への挑戦 番外編
2016-12-12
三江線への挑戦・・・などと洒落たタイトルをつけてしまったが、いかがだったでしょうか。
最近の私の旅のスタイルは「レンタカー」が基本となっている。「鉄道」を名乗りながらレンタカーとは・・・と思われる方も多々おられると思うが、もちろん賛否両論、いろいろあっていいと私は思う。だが、それぞれ人に合った、そして自分に合った、またはその時代に合った旅のスタイルがあっていいと思うし当然であると思う。全線乗りつぶしがほぼ終了し「線」の旅から「点」の旅へ・・・乗りつぶしの旅では発見できなかった事も、そして出会いも、今の旅のスタイルでは新たな発見が多々有り、ある意味新鮮な気持ちでの旅となる。
そんな中、私は廃止報道が発表される前から「三江線の駅を全て訪問してみよう」という構想があったが、それが今回実現した感じだ。と言うか、本当は北海道を訪問する予定であったが、急遽気が変わって西日本行きが決定した感じであった。そんな旅を改めて振り返ってみた。

(江津と言えば、駅前の某民宿が密かに有名処であるが、近年では某社ビジネスホテルが誕生。今回はこちらにお世話になった。)
7月某日、私は江津の街中で朝を迎えた。鉄道路線乗りつぶしを趣味としている方の中に、ここ江津での宿泊を経験なされている方も不特定多数おられる事であろう。私もその中の一部を構成する人物となるが、今回とは別に、列車で訪問の際に江津にお世話になった事がある。江津で宿泊すると言えば・・・駅前の「あの」民宿が定番処であろう事は意外に地味に知られている事実である。私も当時はその民宿にお世話になり、素泊まりするにはもったいないくらい趣のある民宿であった。
だが、この民宿には申し訳ないが、現在は駅前に「スー○ーホテル」がオープンしてかなり便利になり、今回私もお世話になった。そして、意外や意外、利用者が実に多い。ある意味、山陰地方にもまだ未開のマーケットがあるのかと思ってしまうくらいの大盛況ぶりである。そして晴れ渡る空を見上げながら頂く朝食は実に清々しく美味!いつも思うが、旅先で頂く朝食は家で食べる朝食の100万倍くらい美味しく感じるのってなんなのであろうか。心理学の先生にお伺い立てたい気分である。

(三江線の起点となる江津。ここから江の川に沿って南下していくが「陰陽連絡」としてはその道のりは長い・・)
日曜ではなかったが、田中星児氏のように爽やかな朝を向かえた江津の街は実に鮮度か良い。7月上旬とは言え、既にもう江津の街は8月的な気候気分。Tシャツ1枚でも若干汗が出るほどの環境の中、三江線の旅が始まった。三次に到着するのは、予定では昼頃であるので、その間の休憩的な要素としてのコンビニなどはあまり期待できないと考え、道の駅などの存在をあらかじめピックアップ。ある程度それなりに準備万端体制で三江線に挑んだのであった。

(三江線へ通じる道はほとんどこうした「獣道」的な道路が多い。道中、サワガニの集団が常に道路を横切る。)
だが、開けてビックリ玉手箱・・・江津本町では早速秘境ムード満点の雰囲気を味わい、千金で早速三江線の洗礼を受けて今後の行先が不安になってきたが、石見川本まできた時に「よし、行ける」と確信が持てた。しかしながら石見松原では完全に駅の位置がわからず次の駅に行こうかどうか迷ったものだ。とは言え、結果的に所木を欠落させてしまったが、それ以上に石見都賀で出会った保線職員と作木口、式敷で再会を果たし、改めて私の鉄道バカぶりをいかんなく見せつけた感じであったが、私の身につけていた衣装は「ダイナミックT」であった(分かる人にはわかると思う)。

(終点の三次であるが、思わず「鉄生」と連想してしまうのは世代を感じるか・・・ちなみにそちらは「三好」であるが・・・)
三次のひとつ手前、尾関山ではようやく市街地らしい風景になってきたが、沿線は本当に始発から終着まで秘境モード満点である。もちろん各所に大きな集落が存在するが、大雑把なイメージ的にはやはり「ローカル線」であろう。
江の川に沿うように敷かれた三江線は、ハッキリ言って「陰陽連絡」としての機能はクエスチョンである。だが、先人たちは本気で陰陽連絡として考えたのだから凄い。だが、開業前から特急列車は走らせられないと分かっての開業であったろう。それは線形を考えたら一目瞭然である。だが、そこまでしてでも開業させた意図は何か・・・
そして時代は流れ、そんな先人たちの思いも知らぬままこういう路線に喜んでやってくる我々であるが、逆に我々はこの三江線にいったい何を求めてやってくるのであろう。その答えは、所木を含め、全駅制覇した時にわかるのであろうか。

(三次駅構内に留置されていた三江線車両。三江線が「リバプールの風」となったら、どちらに引っ越すのであろうか・・・)

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最近の私の旅のスタイルは「レンタカー」が基本となっている。「鉄道」を名乗りながらレンタカーとは・・・と思われる方も多々おられると思うが、もちろん賛否両論、いろいろあっていいと私は思う。だが、それぞれ人に合った、そして自分に合った、またはその時代に合った旅のスタイルがあっていいと思うし当然であると思う。全線乗りつぶしがほぼ終了し「線」の旅から「点」の旅へ・・・乗りつぶしの旅では発見できなかった事も、そして出会いも、今の旅のスタイルでは新たな発見が多々有り、ある意味新鮮な気持ちでの旅となる。
そんな中、私は廃止報道が発表される前から「三江線の駅を全て訪問してみよう」という構想があったが、それが今回実現した感じだ。と言うか、本当は北海道を訪問する予定であったが、急遽気が変わって西日本行きが決定した感じであった。そんな旅を改めて振り返ってみた。

(江津と言えば、駅前の某民宿が密かに有名処であるが、近年では某社ビジネスホテルが誕生。今回はこちらにお世話になった。)
7月某日、私は江津の街中で朝を迎えた。鉄道路線乗りつぶしを趣味としている方の中に、ここ江津での宿泊を経験なされている方も不特定多数おられる事であろう。私もその中の一部を構成する人物となるが、今回とは別に、列車で訪問の際に江津にお世話になった事がある。江津で宿泊すると言えば・・・駅前の「あの」民宿が定番処であろう事は意外に地味に知られている事実である。私も当時はその民宿にお世話になり、素泊まりするにはもったいないくらい趣のある民宿であった。
だが、この民宿には申し訳ないが、現在は駅前に「スー○ーホテル」がオープンしてかなり便利になり、今回私もお世話になった。そして、意外や意外、利用者が実に多い。ある意味、山陰地方にもまだ未開のマーケットがあるのかと思ってしまうくらいの大盛況ぶりである。そして晴れ渡る空を見上げながら頂く朝食は実に清々しく美味!いつも思うが、旅先で頂く朝食は家で食べる朝食の100万倍くらい美味しく感じるのってなんなのであろうか。心理学の先生にお伺い立てたい気分である。

(三江線の起点となる江津。ここから江の川に沿って南下していくが「陰陽連絡」としてはその道のりは長い・・)
日曜ではなかったが、田中星児氏のように爽やかな朝を向かえた江津の街は実に鮮度か良い。7月上旬とは言え、既にもう江津の街は8月的な気候気分。Tシャツ1枚でも若干汗が出るほどの環境の中、三江線の旅が始まった。三次に到着するのは、予定では昼頃であるので、その間の休憩的な要素としてのコンビニなどはあまり期待できないと考え、道の駅などの存在をあらかじめピックアップ。ある程度それなりに準備万端体制で三江線に挑んだのであった。

(三江線へ通じる道はほとんどこうした「獣道」的な道路が多い。道中、サワガニの集団が常に道路を横切る。)
だが、開けてビックリ玉手箱・・・江津本町では早速秘境ムード満点の雰囲気を味わい、千金で早速三江線の洗礼を受けて今後の行先が不安になってきたが、石見川本まできた時に「よし、行ける」と確信が持てた。しかしながら石見松原では完全に駅の位置がわからず次の駅に行こうかどうか迷ったものだ。とは言え、結果的に所木を欠落させてしまったが、それ以上に石見都賀で出会った保線職員と作木口、式敷で再会を果たし、改めて私の鉄道バカぶりをいかんなく見せつけた感じであったが、私の身につけていた衣装は「ダイナミックT」であった(分かる人にはわかると思う)。

(終点の三次であるが、思わず「鉄生」と連想してしまうのは世代を感じるか・・・ちなみにそちらは「三好」であるが・・・)
三次のひとつ手前、尾関山ではようやく市街地らしい風景になってきたが、沿線は本当に始発から終着まで秘境モード満点である。もちろん各所に大きな集落が存在するが、大雑把なイメージ的にはやはり「ローカル線」であろう。
江の川に沿うように敷かれた三江線は、ハッキリ言って「陰陽連絡」としての機能はクエスチョンである。だが、先人たちは本気で陰陽連絡として考えたのだから凄い。だが、開業前から特急列車は走らせられないと分かっての開業であったろう。それは線形を考えたら一目瞭然である。だが、そこまでしてでも開業させた意図は何か・・・
そして時代は流れ、そんな先人たちの思いも知らぬままこういう路線に喜んでやってくる我々であるが、逆に我々はこの三江線にいったい何を求めてやってくるのであろう。その答えは、所木を含め、全駅制覇した時にわかるのであろうか。

(三次駅構内に留置されていた三江線車両。三江線が「リバプールの風」となったら、どちらに引っ越すのであろうか・・・)

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三江線への挑戦㉜ 尾関山
2016-12-08

今回紹介する三江線の旅も、いよいよ千秋楽を迎えた。三江線の中間駅で最も「都会」を感じる駅だ。三次市内にあり、付近に住宅も多い。三江線の駅の中で最も生活を感じる駅であるが・・・利用者的にはいかがであろうか。恐らく三次市の中心部までは路線バスの方が圧倒的に勝る営業内容であろうが、料金的には恐らく学生などが利用しやすい設定となっている事と思う。と言うか、尾関山~三次の区間運転か、芸備線の一部をここ尾関山まで延長運転させてみると少しは利用者の改善につながるかも知れない、と思ってしまうくらいの生活感たっぷりの駅周辺である。
そして、なんといっても三次側では宇都井を除くと三江線唯一と思われる高架区間が!実に近代的で三江線らしくない!!あんな立派な高架区間に一両編成の列車が毎日運転されているとは・・・なにげにもったいない思いが募る。

実にいい感じの駅舎!付近には生活感を感じる雰囲気がたくさんあり、とても三江線の将来の予定を考える事ができない内容である。


そして、早速ホームに出てみた。特に三次側では実に都会感が伝わってくる事と思う。三江線唯一と思われる高架区間が実に眩しい。


気のせいかも知れないが、どうやらかつては島式ホームだったような気がしなくもないが・・・





では早速駅舎へ。待合室の椅子の数ほど利用者があればいいのだが・・・と言うか、なんとなく南国を思わせる雰囲気を醸し出しているのがいい。

やはり島式ホームであったろう名残がなんとなく感じる。
という事で・・・ひと駅欠けるハプニングはあったものの、とりあえず三江線各駅訪問の旅は敢行された。この駅にたとり着いた時、時計の針は12時をとっくに過ぎていた時間を指していた。朝7時半ころに江津を出た旅は、約半日かけて終了したが・・・という事は、ハッキリ言ってひと駅ひと駅じっくりと過ごす時間はそれほどなかった旅でもあった。だが、こうして三江線とサシで向き合ってみると、いままで見えなかった事やものも実に細かく見えてくる。
全く関係ないが、皆様はBSまたはCSで放送されているテレビ番組「吉田類の居酒屋放浪記」をご存知であろうか?何とも自由奔放な雰囲気で居酒屋を「道場破り」していくのであるが・・・そのセレクトされた店が何とも味のある店ばかりで実にいい!
もし、居酒屋放浪記の「ローカル線版」があったとしたら、そして私がこの吉田類の立場であったら・・・間違いなく三江線をセレクトしているであろう。日本全国、数あるローカル線の中でも特に味がある・・・そんな表現の仕方は、恐らく間違っていないと思うが皆様はどうお感じになられるであろうか。

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三江線への挑戦㉛ 粟屋
2016-12-04

いよいよ三次が近くなってきた。なのだからきっとだんだん集落も大きくなり利用者も増えてくるのかもなぁ・・・みたいな想像をしていたが、その思いとは裏腹にまだまだ典型的なローカル線の風景が展開されていく。
正直言って、この粟屋も洒落では無いが「あわや」と思ってしまった。先に紹介の所木のように欠落したかと思ったが、ちゃんと記録が残っていたのでホッとした。そんなSDカードに記録されていた粟屋は、実に三江線らしい風景が展開されていた。基本、ローカル線の風景は山&川が必須アイテム的な感じであるが、その必須アイテムプラス畑があり、更にローカル風景を加味している。だが三次までの駅数を考えると、JR西にとっては辛い思いの風景であろう。しかしながらこうした駅も必要と思うが、実際の利用者数は確認できないものの、恐らく1人未満であろう。





では早速ホームへ。ご覧のように、基本的な教科書通りの「ローカル」な風景が広がっている。と言うか、逆にこうした典型的風景こそいいよねっ!

棚田と言えばいいのか、段々畑と言えばいいのか、ホームから拝めるのは貴重な光景。いや、風景。多分、こうしたロケは三江線中で一番ではなかろうか?

そしていよいよ最後の駅に向かう・・・って、正直「ひと駅欠けた」ということがかなり気がかりであるが・・・

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