芸備線讃歌⑥
2017-01-30
私が芸備線と最初に遭遇したのは、既に紹介した1982年の3月だ。その時初めて備後落合に降り立ったが、なんというか惹きつけられる懐かしさみたいなものを感じていた。初めて来たのに懐かしい。おかしな表現であるが、恐らくそれは「キハ20」にあったのであろう。当時ローカル線で活躍していたキハ20は、私の地元・相模線では既にキハ30に置き換えられ、キハ20は相模線から退いていた。つまり小学生時代に相模線で散々乗ったキハ20と、芸備線で再会したのであった。特にキハ20の私のお気に入りは、先頭にある運転席のすぐ後ろにある2人用の座席であった。あの個室感が実にたまらない。

(今回は鉄道関係ではなく、ちょっと昔のレコードをアップしてみようと思う。ご覧の通り、昭和40年代生まれの以前の方なら懐かしさ満点であろうと思う。これっていわゆる「鑑定団」的な場所に出典してみたら多少の価値はあろうか?)
それだけではなく、芸備線の駅は特有の何かがたまらない。小奴可、高、そして備中神代・・・魅力的な駅がたくさんあり、中学生の私は釘付けになってしまうほどの素晴らしさ!そんな駅をキハ20で訪ねる・・・実に心地よい。そんな思い出詰まった芸備線と再会したのは2009年であるから実に27年ぶりであった!

(いわゆる「アルバム」的なレコードを結構所有している。これもその中のひとつであるが、私の中では結構新しい部類に入る)
さて、芸備線を私なりに紹介してみたが・・・皆様の「芸備線」はどういう印象であり見解であろうか。そして、私的には小学生時代から憧れていた芸備線とは、一体どんな魅力があるのであろうか。恐らく、これは芸備線だけの特有なものではないが、なんというか「故郷」的な存在のような気がする。例えば幼少時代に買ってもらったヒーローものの主題歌が収録されたレコードなどが、今になって押し入れの奥から出てきたりすると懐かしさを感じる事であろう。芸備線はそんな魅力があるのかも知れない。そしてそれに再び触れた時に当時の記憶や思い出と再会する・・・芸備線とは、そんな「芸」を「備える」魅力あふれる路線であるような気がする。

(ヒーローものの他にこんなレコードも。歌い手はA面B面どちらも権利関係を廉価で譲渡、つまり買取契約であったため歌唱印税的な収入がなかったらしい。史上最大のヒット作なのに・・・結果としてもったいないですね~)
ところで次回より2016年に訪問した芸備線の駅達の数々を紹介してみよう。中国自動車道と完全に並走する芸備線は完全に時代遅れの交通手段かも知れない。しかしながらこうして今も伝統を守りながら?活躍している姿は実に微笑ましいではないか。その活躍ぶりが私なりに表現できたらと思う。
(続きを読むをクリックすると本文に載せきれなかったレコードを紹介しているので是非!)

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(今回は鉄道関係ではなく、ちょっと昔のレコードをアップしてみようと思う。ご覧の通り、昭和40年代生まれの以前の方なら懐かしさ満点であろうと思う。これっていわゆる「鑑定団」的な場所に出典してみたら多少の価値はあろうか?)
それだけではなく、芸備線の駅は特有の何かがたまらない。小奴可、高、そして備中神代・・・魅力的な駅がたくさんあり、中学生の私は釘付けになってしまうほどの素晴らしさ!そんな駅をキハ20で訪ねる・・・実に心地よい。そんな思い出詰まった芸備線と再会したのは2009年であるから実に27年ぶりであった!

(いわゆる「アルバム」的なレコードを結構所有している。これもその中のひとつであるが、私の中では結構新しい部類に入る)
さて、芸備線を私なりに紹介してみたが・・・皆様の「芸備線」はどういう印象であり見解であろうか。そして、私的には小学生時代から憧れていた芸備線とは、一体どんな魅力があるのであろうか。恐らく、これは芸備線だけの特有なものではないが、なんというか「故郷」的な存在のような気がする。例えば幼少時代に買ってもらったヒーローものの主題歌が収録されたレコードなどが、今になって押し入れの奥から出てきたりすると懐かしさを感じる事であろう。芸備線はそんな魅力があるのかも知れない。そしてそれに再び触れた時に当時の記憶や思い出と再会する・・・芸備線とは、そんな「芸」を「備える」魅力あふれる路線であるような気がする。

(ヒーローものの他にこんなレコードも。歌い手はA面B面どちらも権利関係を廉価で譲渡、つまり買取契約であったため歌唱印税的な収入がなかったらしい。史上最大のヒット作なのに・・・結果としてもったいないですね~)
ところで次回より2016年に訪問した芸備線の駅達の数々を紹介してみよう。中国自動車道と完全に並走する芸備線は完全に時代遅れの交通手段かも知れない。しかしながらこうして今も伝統を守りながら?活躍している姿は実に微笑ましいではないか。その活躍ぶりが私なりに表現できたらと思う。
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芸備線讃歌⑤
2017-01-25
夜行高速バス事件・・・予めことわっておくが、夜行高速バスについて批判しているわけでもなく敬遠しているわけでもない。あくまで私の体験と意見なので予めご了承頂きたい。
当初は横浜から姫路まで「サンライズ」で向かい姫新線を経て備後落合に向かう予定であったが・・・予算の都合上、夜行高速バスを初めて採用してみた。初めての体験にワクワクしていたが・・・スタート地点である横浜駅前でトラブル発生!なんとバスのタイヤがパンクして1時間半以上遅れるとの報告であった。私は愕然としてしまったが、まだ「サンライズ」の出発時間まで間に合うからいっその事「サンライズ」にしちゃおうか?とも思ったが、せっかくのバス体験も貴重と思い、そのまま座席を離れずにいた。

(この時の旅では「サンライズ」を使用せずに初めて夜行高速バスにチャレンジしたが・・・まさかの展開になってしまった。)
だが結果的に1時間45分くらい遅れ、払い戻しゾーンにも届かないまま姫路に向かったのであった。1時間45分の遅れは取り戻せないまま、結局三宮で夜行バスを乗り捨てた。バスの中で別途緊急計画を立て直したかったが、なんたって夜行バスのため明かりを灯せない!とりあえず頭の中で大体の予定を考えながら、三宮より地下鉄に乗り新神戸から新幹線に乗ることにした。三宮に着く頃にはやや明るくなってきたので時刻表が確認できたのだ。新神戸から岡山に出て津山線で津山に向かいそして姫新線~芸備線に乗り換えるという工程となった。本来の工程は姫路から姫新線で津山に向かう予定だったので、ここで本来の予定に戻せた感じだ。

(2016年訪問の坂根。かつては素敵な木造駅舎があったが、現在はご覧の通り。高速道路のほぼ真下に駅入口があり、時代の移り変わりを肌で感じるであろう。交通の主役の座を譲った現在、完全に寂れてしまった芸備線であるが、それでも列車はやってくる!)
新見~備後落合は再びの参戦となるが、三次から三江線に乗り換える。もちろん三江線は当時初乗車であった。そして備後落合~三次(塩町)も初参戦となる。
新見より再びの芸備線であるが・・・やはり何度訪問しても芸備線は良い!私は最近になって三江線の魅力に気づいたが、それまではここ芸備線の影に隠れて三江線の魅力があまりわからなかった。まだ若かったからか・・・
さて、備後落合で三次行きに乗り換えるが、私の到着した時間帯では全てのホームが列車で埋まった。山間の密かな駅にいっときの賑わいを見せる瞬間でもある。備後落合はこのブログですでに何度も紹介しているが、それでも紹介しきれないくらい魅力たっぷりの駅である。

(もう一丁、同じく坂根である。駅舎こそ生まれ変わったものの、ホームに出れば昔の雰囲気は健在。)
備後落合からはいよいよ未体験ゾーンの区間になる。印象的には新見~備後落合間に引けを取らないくらいに魅力的な風景を醸し出しているのは周知の通りでる。ただ、新見~備後落合間と備後落合~三次間で決定的に違うの備後西城や備後庄原など、それなりの「都市」が沿線にある事であろう。特に備後庄原は新見~三次間で最高であろう利用者がいるし駅員も配置されている。2016年にレンタカーで備後庄原を訪問した事は後ほど紹介するが、その時の入場券はなんとマルスで発行された!20年以上レールファンから離れていた時期があった私にとって庄原駅でのマルス券は実に新鮮!衝撃的であった。だが冷静に考えた場合、マルスの使用は実に合理的で効率的。時代も変わったと言うか、時代の波に乗ったのか、今の時代にぴったりのシステムであろう。というより、芸備線の駅に駅員が配置されているという事でもかなり貴重になってしまった。いつまでも頑張っていただきたい気持ちであるが・・・

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当初は横浜から姫路まで「サンライズ」で向かい姫新線を経て備後落合に向かう予定であったが・・・予算の都合上、夜行高速バスを初めて採用してみた。初めての体験にワクワクしていたが・・・スタート地点である横浜駅前でトラブル発生!なんとバスのタイヤがパンクして1時間半以上遅れるとの報告であった。私は愕然としてしまったが、まだ「サンライズ」の出発時間まで間に合うからいっその事「サンライズ」にしちゃおうか?とも思ったが、せっかくのバス体験も貴重と思い、そのまま座席を離れずにいた。

(この時の旅では「サンライズ」を使用せずに初めて夜行高速バスにチャレンジしたが・・・まさかの展開になってしまった。)
だが結果的に1時間45分くらい遅れ、払い戻しゾーンにも届かないまま姫路に向かったのであった。1時間45分の遅れは取り戻せないまま、結局三宮で夜行バスを乗り捨てた。バスの中で別途緊急計画を立て直したかったが、なんたって夜行バスのため明かりを灯せない!とりあえず頭の中で大体の予定を考えながら、三宮より地下鉄に乗り新神戸から新幹線に乗ることにした。三宮に着く頃にはやや明るくなってきたので時刻表が確認できたのだ。新神戸から岡山に出て津山線で津山に向かいそして姫新線~芸備線に乗り換えるという工程となった。本来の工程は姫路から姫新線で津山に向かう予定だったので、ここで本来の予定に戻せた感じだ。

(2016年訪問の坂根。かつては素敵な木造駅舎があったが、現在はご覧の通り。高速道路のほぼ真下に駅入口があり、時代の移り変わりを肌で感じるであろう。交通の主役の座を譲った現在、完全に寂れてしまった芸備線であるが、それでも列車はやってくる!)
新見~備後落合は再びの参戦となるが、三次から三江線に乗り換える。もちろん三江線は当時初乗車であった。そして備後落合~三次(塩町)も初参戦となる。
新見より再びの芸備線であるが・・・やはり何度訪問しても芸備線は良い!私は最近になって三江線の魅力に気づいたが、それまではここ芸備線の影に隠れて三江線の魅力があまりわからなかった。まだ若かったからか・・・
さて、備後落合で三次行きに乗り換えるが、私の到着した時間帯では全てのホームが列車で埋まった。山間の密かな駅にいっときの賑わいを見せる瞬間でもある。備後落合はこのブログですでに何度も紹介しているが、それでも紹介しきれないくらい魅力たっぷりの駅である。

(もう一丁、同じく坂根である。駅舎こそ生まれ変わったものの、ホームに出れば昔の雰囲気は健在。)
備後落合からはいよいよ未体験ゾーンの区間になる。印象的には新見~備後落合間に引けを取らないくらいに魅力的な風景を醸し出しているのは周知の通りでる。ただ、新見~備後落合間と備後落合~三次間で決定的に違うの備後西城や備後庄原など、それなりの「都市」が沿線にある事であろう。特に備後庄原は新見~三次間で最高であろう利用者がいるし駅員も配置されている。2016年にレンタカーで備後庄原を訪問した事は後ほど紹介するが、その時の入場券はなんとマルスで発行された!20年以上レールファンから離れていた時期があった私にとって庄原駅でのマルス券は実に新鮮!衝撃的であった。だが冷静に考えた場合、マルスの使用は実に合理的で効率的。時代も変わったと言うか、時代の波に乗ったのか、今の時代にぴったりのシステムであろう。というより、芸備線の駅に駅員が配置されているという事でもかなり貴重になってしまった。いつまでも頑張っていただきたい気持ちであるが・・・

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芸備線讃歌④
2017-01-20
三次で広島行きのDCに乗り換えるが、三次~広島間は芸備線の中でも主力の区間である。そう、芸備線の収支はこの区間が支えていると言っても過言ではない。特に志和口~広島間はいっその事電化してしまったらいいのではと思うくらいの利用度である。それすなわち、私たちが求めている「ローカル線」とはかけ離れた生活路線という事になる。であるが、視点を変えるとこの区間もなかなか楽しいものがある。特に矢賀は、付近に新幹線の車庫があり、その偉大さを我々に教えてくれる。さすが中国地方最大の都市という感じが伝わってくる。

(三次~広島間はどちらかというと近郊的なイメージが強い。だが、駅舎は昔ながら!今回もこの記事全て、画像はウィキより拝借させていただいた。ご覧の画像は難読駅名のひとつで狩留家。)
新幹線というと「新幹線3時間説」というのがあると、ある鉄道アナリストが言っていた。要するに目的地まで3時間以上かかるのであれば他の交通機関を利用しちゃうよ~ということらしい。実際、山陽新幹線は岡山以西は苦戦していると聞いているが、東京を基準に考えた場合、恐らくそれに当てはまる事となる。ただ最近は九州新幹線とのドッキングもあり、新たな需要が発生している事であろうから、今後の活躍に期待したい。

(ウィキより画像拝借の下深川。この辺りは可部線と対岸でかなりの接近をする。せっかくだから、せめて志和口まででも電化すると芸備線の運用バリエーションも広がる事であろう。)
と話がそれてしまったが、芸備線の三次~広島間のもうひとつの特徴として、下深川付近で可部線と急接近する事だ。間に川を挟み、タイミングが合えば対岸同士でお互いの列車を見る事ができる。可部線と言えば、かつては旧型国電が活躍していた事で知られるが、現在はJR式の列車が活躍。私のイメージである「国電」とはまるで別世界になってしまった。更に近い将来、廃止区間の一部復活という前代未聞の事件が発生する予定の可部線を対岸で拝むとは・・・さすが「芸を備える」だけある芸備線である。

(付近に新幹線の車庫がある矢賀。広島駅までの距離は私が語るまでもないが、かなりの利用者がいることであろう。)
などと余談をしてしまったが、続いて備後落合~三次、正確には塩町までの区間を紹介してみよう。
この区間の制覇は2010年の8月であった。この時も三次~広島間の制覇時同様、またもトラブルが発生したのであった。すでに紹介している事象であるが・・・改めてすると、その原因は「夜行高速バス」にあったのだ。

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(三次~広島間はどちらかというと近郊的なイメージが強い。だが、駅舎は昔ながら!今回もこの記事全て、画像はウィキより拝借させていただいた。ご覧の画像は難読駅名のひとつで狩留家。)
新幹線というと「新幹線3時間説」というのがあると、ある鉄道アナリストが言っていた。要するに目的地まで3時間以上かかるのであれば他の交通機関を利用しちゃうよ~ということらしい。実際、山陽新幹線は岡山以西は苦戦していると聞いているが、東京を基準に考えた場合、恐らくそれに当てはまる事となる。ただ最近は九州新幹線とのドッキングもあり、新たな需要が発生している事であろうから、今後の活躍に期待したい。

(ウィキより画像拝借の下深川。この辺りは可部線と対岸でかなりの接近をする。せっかくだから、せめて志和口まででも電化すると芸備線の運用バリエーションも広がる事であろう。)
と話がそれてしまったが、芸備線の三次~広島間のもうひとつの特徴として、下深川付近で可部線と急接近する事だ。間に川を挟み、タイミングが合えば対岸同士でお互いの列車を見る事ができる。可部線と言えば、かつては旧型国電が活躍していた事で知られるが、現在はJR式の列車が活躍。私のイメージである「国電」とはまるで別世界になってしまった。更に近い将来、廃止区間の一部復活という前代未聞の事件が発生する予定の可部線を対岸で拝むとは・・・さすが「芸を備える」だけある芸備線である。

(付近に新幹線の車庫がある矢賀。広島駅までの距離は私が語るまでもないが、かなりの利用者がいることであろう。)
などと余談をしてしまったが、続いて備後落合~三次、正確には塩町までの区間を紹介してみよう。
この区間の制覇は2010年の8月であった。この時も三次~広島間の制覇時同様、またもトラブルが発生したのであった。すでに紹介している事象であるが・・・改めてすると、その原因は「夜行高速バス」にあったのだ。

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芸備線讃歌③
2017-01-15
1982年の最初のコンタクトに成功した芸備線で着いた新見は、まだ電化前の伯備線が接続していて、ちょうど我々が到着した頃には特急「やくも」がやって来たのだ。現在こそ「振り子式」の列車でその名を馳せているが、当時はキハ80のDC特急であった。同行した「鉄道研究クラブ」の顧問こと教諭が「写真撮っておけよ~」と言っていたので撮影はしたが・・・現在はその写真が行方不明であるのがもったいない!この場で公開できないのが実に申し訳ない気分であるが、やはり当時はそれほど実感がなかったが、今になって当時の教諭が言ったその一言の重みが実に貴重に感じる。

(今回の記事の画像は全てウィキからの引用であるので予めご了承を。こちらは塩町~三次間にある神杉。隣の八次とともに芸備線の中ではやや地味な部類に入るであろう。)
さて、芸備線とのセカンドコンタクトはなんと2009年!その時間差・・・なんと27年!高校入学以来、2007年に久々にレールファンを復活した私は、その2年後にはここ芸備線にいた。予定では、寝台特急「サンライズ」で姫路に降り立ち、姫新線で新見に向かい、新見から芸備線で一気に広島まで向かうのであったが・・・

(同じくウィキよりの八次。2016年にレンタカーで芸備線めぐりを敢行したが、時間の関係から訪問する事ができなかったのは残念な材料であった。)
姫新線では災害で不通区間が発生しており復旧工事をしているとの事。という事前情報を入手していなかったので現場に行って初めて気づかされたのであった。のうのうと姫路の駅前喫茶でリラックスしている場合ではなかったのだ。私は仕方なく姫路駅のホームで即興で計画を立て直した。結果、山陽本線で岡山へ出て、吉備線、井原鉄道、福塩線と乗り継ぎ三次に出て芸備線制覇とする事にした。正確には塩町~広島が芸備線制覇となる。

(同じくウィキよりの八次駅ホーム。先に紹介した三江線の駅に引けを取らない内容になっている。)
福塩線でやって来た塩町は実に新鮮であった。ここに来るまでの道のりも長かったが、スローダウンしてゆっくりと滑り込む塩町駅のホームは実に素敵にシンデレラ・・・?であった。三次までの各駅も実に魅力的。福塩線に乗車しているのであるが芸備線。おかしなシチュエーションで迎えた芸備線のプロローグは何ともエキゾチックであった。

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(今回の記事の画像は全てウィキからの引用であるので予めご了承を。こちらは塩町~三次間にある神杉。隣の八次とともに芸備線の中ではやや地味な部類に入るであろう。)
さて、芸備線とのセカンドコンタクトはなんと2009年!その時間差・・・なんと27年!高校入学以来、2007年に久々にレールファンを復活した私は、その2年後にはここ芸備線にいた。予定では、寝台特急「サンライズ」で姫路に降り立ち、姫新線で新見に向かい、新見から芸備線で一気に広島まで向かうのであったが・・・

(同じくウィキよりの八次。2016年にレンタカーで芸備線めぐりを敢行したが、時間の関係から訪問する事ができなかったのは残念な材料であった。)
姫新線では災害で不通区間が発生しており復旧工事をしているとの事。という事前情報を入手していなかったので現場に行って初めて気づかされたのであった。のうのうと姫路の駅前喫茶でリラックスしている場合ではなかったのだ。私は仕方なく姫路駅のホームで即興で計画を立て直した。結果、山陽本線で岡山へ出て、吉備線、井原鉄道、福塩線と乗り継ぎ三次に出て芸備線制覇とする事にした。正確には塩町~広島が芸備線制覇となる。

(同じくウィキよりの八次駅ホーム。先に紹介した三江線の駅に引けを取らない内容になっている。)
福塩線でやって来た塩町は実に新鮮であった。ここに来るまでの道のりも長かったが、スローダウンしてゆっくりと滑り込む塩町駅のホームは実に素敵にシンデレラ・・・?であった。三次までの各駅も実に魅力的。福塩線に乗車しているのであるが芸備線。おかしなシチュエーションで迎えた芸備線のプロローグは何ともエキゾチックであった。

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芸備線讃歌②
2017-01-10
1982年3月「青春18きっぷ」がこの世に登場して以来、廃る事なく現在まで至っているが、その登場した1982年3月に私は芸備線と初遭遇した。基本、小学生時代は「ブルトレ少年」であったが「国鉄全線全駅」という書物を読むようになり、そして「青春18」が登場し私に「ローカル線」という存在を教えてくれた。特に芸備線などは実に興味深く、小奴可や備後落合、高などの駅に非常に興味を持ったのもこの時期である。とは言え、1982年と言えば私は中学1年生。そんな子供が「ローカル線」などに興味を持っていいのか!って、今考えたら思ってしまうが皆様はいかがであったろうか。

(かなり大きくアピールしてしまった。表紙にいろいろ書き込みがあるが気に留めないでいただくとして・・・こちらが「国鉄全線全駅」であるが、とても小学生が読む書籍では無いと今になって思う。1978年の資料であるからかなり古いが、これが当時かなり私に影響を与えた。)
そんな少年が芸備線に最初に足を踏み入れたのが備後落合だ。山陰本線の普通夜行列車「山陰」から宍道で木次線に乗り換えやってきたのが備後落合である。もちろん「山陰」を始め普通夜行列車の数々に乗車するのも初体験であるし芸備線や木次線などの訪問も初めてである。というより、なぜそんな旅を急に敢行したのか・・・すでに私のブログで紹介しているが、ちょうどその時期に「いい旅チャレンジ20000km」という国鉄路線乗り潰しキャンペーンが開催されていて、ある意味「18きっぷ」がそのキャンペーンに追い打ちをかけた状態であった。

(すでに何度も紹介している写真であるが、1982年3月、まさに青春18のびのびきっぷで降り立った備後落合である。ご覧の車両は我々が乗ってきた木次線車両である。当時は有人駅で「おでんそば」こそなかったが、かつては立ち食いそば的な飲食店が駅構内にあったと聞く。)
そう、すでに紹介しているが、この旅は、私が中学生の時に所属していたクラブ活動「鉄道研究クラブ」という部活の一環として行われた行事であった・・・とは表向きの名目で、実際は2~3人の仲間ウチでいく予定であったが、その情報が先生などに漏れてしまい旅自体の実行が困難に。だが教諭が参戦する事で、それを部活の行事と位置づける事によってその旅計画を活かそうという流れからの旅であった。つまり先生が同伴する事で親も安心する・・・という事で、普段子供同士で旅する事ができなかったメンバーも追って参戦。確か6人くらいの大所帯となっての門出となったのだ。

(こちらも何度か紹介してる「18」であるが、当時は1日有効が3枚と2日有効が1枚の計4枚綴りで8000円であった。考えてみたら何とも中途半端な内容であるが、格安なことには変わりない!)
ただ・・・こうして書いていると華やかそうに見えるが、実際は、宿泊は全て夜行列車だし、もちろん銭湯などの下調べもない。つまり・・・その点はご想像にお任せするとして、何しろ男6人が朝から晩まで列車内で顔を合わせているのであるからむさくるしい以外の何者でもない!とまぁ、それはこちらの都合であるから仕方ないが、そんな状況で旅する芸備線はすでに旅の3日目でやや疲労も蓄積されてきた・・・はずなのだが、なにせまだまだ「ガラスの」10代!全然体力的には申し分ないであろう。
備後落合の駅に来ていささか感動を覚えるまでに成長していた中学生の私であったが、新見までの乗車に途中、列車交換駅がかなりあった。小奴可、備後八幡、矢神、坂根・・・これらは全て列車交換可能駅であった。とは言え、坂根は私の知っている頃から既に棒線化されていたが、ちょうど我々が訪問した当時はCTC化になる直前で、坂根を除きこれらの駅は全て有人駅であった。確かその翌年であったと思うが、CTC化が完成してこれらの交換駅は全て無人化された。そんな駅も・・・時代が流れ交換設備すら外されてしまった駅もあるとは何とも皮肉な話である。

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(かなり大きくアピールしてしまった。表紙にいろいろ書き込みがあるが気に留めないでいただくとして・・・こちらが「国鉄全線全駅」であるが、とても小学生が読む書籍では無いと今になって思う。1978年の資料であるからかなり古いが、これが当時かなり私に影響を与えた。)
そんな少年が芸備線に最初に足を踏み入れたのが備後落合だ。山陰本線の普通夜行列車「山陰」から宍道で木次線に乗り換えやってきたのが備後落合である。もちろん「山陰」を始め普通夜行列車の数々に乗車するのも初体験であるし芸備線や木次線などの訪問も初めてである。というより、なぜそんな旅を急に敢行したのか・・・すでに私のブログで紹介しているが、ちょうどその時期に「いい旅チャレンジ20000km」という国鉄路線乗り潰しキャンペーンが開催されていて、ある意味「18きっぷ」がそのキャンペーンに追い打ちをかけた状態であった。

(すでに何度も紹介している写真であるが、1982年3月、まさに青春18のびのびきっぷで降り立った備後落合である。ご覧の車両は我々が乗ってきた木次線車両である。当時は有人駅で「おでんそば」こそなかったが、かつては立ち食いそば的な飲食店が駅構内にあったと聞く。)
そう、すでに紹介しているが、この旅は、私が中学生の時に所属していたクラブ活動「鉄道研究クラブ」という部活の一環として行われた行事であった・・・とは表向きの名目で、実際は2~3人の仲間ウチでいく予定であったが、その情報が先生などに漏れてしまい旅自体の実行が困難に。だが教諭が参戦する事で、それを部活の行事と位置づける事によってその旅計画を活かそうという流れからの旅であった。つまり先生が同伴する事で親も安心する・・・という事で、普段子供同士で旅する事ができなかったメンバーも追って参戦。確か6人くらいの大所帯となっての門出となったのだ。

(こちらも何度か紹介してる「18」であるが、当時は1日有効が3枚と2日有効が1枚の計4枚綴りで8000円であった。考えてみたら何とも中途半端な内容であるが、格安なことには変わりない!)
ただ・・・こうして書いていると華やかそうに見えるが、実際は、宿泊は全て夜行列車だし、もちろん銭湯などの下調べもない。つまり・・・その点はご想像にお任せするとして、何しろ男6人が朝から晩まで列車内で顔を合わせているのであるからむさくるしい以外の何者でもない!とまぁ、それはこちらの都合であるから仕方ないが、そんな状況で旅する芸備線はすでに旅の3日目でやや疲労も蓄積されてきた・・・はずなのだが、なにせまだまだ「ガラスの」10代!全然体力的には申し分ないであろう。
備後落合の駅に来ていささか感動を覚えるまでに成長していた中学生の私であったが、新見までの乗車に途中、列車交換駅がかなりあった。小奴可、備後八幡、矢神、坂根・・・これらは全て列車交換可能駅であった。とは言え、坂根は私の知っている頃から既に棒線化されていたが、ちょうど我々が訪問した当時はCTC化になる直前で、坂根を除きこれらの駅は全て有人駅であった。確かその翌年であったと思うが、CTC化が完成してこれらの交換駅は全て無人化された。そんな駅も・・・時代が流れ交換設備すら外されてしまった駅もあるとは何とも皮肉な話である。

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芸備線讃歌①
2017-01-05
新年第一弾は芸備線にしようと思うが・・・アー・ユー・レディー?
という事で、芸備線と言われてあなたらなどうお感じになられるであろうか。普通に考えて「ローカル線」的なイメージが普通に湧いてくる印象であろう。確かにローカル線であるのだが、ローカル線と考えた場合、北海道のそれと明らかに違うのは明白である。では何が違うのであろうか。単純に、冬場なら雪化粧するかしないかという明白な印象が早速頭に浮かぶが、とは言え、厳密に考えたら木次線を始め日本海側の路線は雪との戦いが基本的な事象であることは周知の通りであるが、北海道のそれとは桁やレベルが違うであろう。

(福塩線との接続駅でもある塩町。分岐駅であるが島式ホーム1本というシンプルさが際立つ。後日に紹介する予定であるが、備後落合寄りのダブルクロスが実にいい仕事をしている。)
では、北海道と西日本のローカルの違いを例えるなら・・・北海道は「吉永小百合」、西は「十朱幸代」的な感じか。いや・・・これでは若い世代に分かり辛いであろう。では、北海道は「ジャイアント馬場」、西は「アントニオ猪木」という感じか。いや、これでもジェネレーションを感じてしまう。では・・・例えば北海道は「8時だよ!全員集合」とすれば、西は「オレたちひょうきん族」の例えも・・・ならば北海道は「藤原紀香」、西は「黒木瞳」で納得していただけるであろうか。いずれにしても、レールファンにとってのローカル線と言う名の路線は、西も北もなくてはならない存在であろう。

(備後庄原はそれなりの繁栄を見せる市街地が印象的であったが、駅にやってくるといささかひっそりしていたのは気のせいか?)
そんな西のローカル線でも一際群を抜いている路線は芸備線であろうと私は思う。とは言え、経営者の立場になって考えた場合・・・かつての旧国鉄時代に「赤字ローカル線」「83線区」などと呼ばれ消えていった路線に引けを取らないか、またはそれ以下の経営内容にまでなってしまったJR西のローカル線各種である。もちろん芸備線もその仲間の一角を占めているわけであるが、特に姫新線と一緒に考えた場合、完全に高速道路と並行しているし、マイカーや高速バスなどに完全に負けている。かつては急行列車や夜行列車の運転もあった芸備線であるが・・・そんな芸備線との最初のコンタクトは1982年3月であった。

(備後落合を列車以外からやってくると実に「ローカル」を感じる。駅前にある1軒の民家が実に印象的であった。)
もうすでにこのブログでも紹介した事があるので皆様もご存知の方もおられようが、改めて「芸備線」という枠で紹介してみたくなった。というのも、すでに紹介した「三江線への挑戦」の旅の続きでそのまま芸備線の各駅もまわってみたからだ。その時の印象として・・・やはり芸備線はいい!と改めて「惚れ直した」とでも言おうか、芸備線の魅力がひしひしと伝わってきた。という事でちょっと振り返って・・・

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という事で、芸備線と言われてあなたらなどうお感じになられるであろうか。普通に考えて「ローカル線」的なイメージが普通に湧いてくる印象であろう。確かにローカル線であるのだが、ローカル線と考えた場合、北海道のそれと明らかに違うのは明白である。では何が違うのであろうか。単純に、冬場なら雪化粧するかしないかという明白な印象が早速頭に浮かぶが、とは言え、厳密に考えたら木次線を始め日本海側の路線は雪との戦いが基本的な事象であることは周知の通りであるが、北海道のそれとは桁やレベルが違うであろう。

(福塩線との接続駅でもある塩町。分岐駅であるが島式ホーム1本というシンプルさが際立つ。後日に紹介する予定であるが、備後落合寄りのダブルクロスが実にいい仕事をしている。)
では、北海道と西日本のローカルの違いを例えるなら・・・北海道は「吉永小百合」、西は「十朱幸代」的な感じか。いや・・・これでは若い世代に分かり辛いであろう。では、北海道は「ジャイアント馬場」、西は「アントニオ猪木」という感じか。いや、これでもジェネレーションを感じてしまう。では・・・例えば北海道は「8時だよ!全員集合」とすれば、西は「オレたちひょうきん族」の例えも・・・ならば北海道は「藤原紀香」、西は「黒木瞳」で納得していただけるであろうか。いずれにしても、レールファンにとってのローカル線と言う名の路線は、西も北もなくてはならない存在であろう。

(備後庄原はそれなりの繁栄を見せる市街地が印象的であったが、駅にやってくるといささかひっそりしていたのは気のせいか?)
そんな西のローカル線でも一際群を抜いている路線は芸備線であろうと私は思う。とは言え、経営者の立場になって考えた場合・・・かつての旧国鉄時代に「赤字ローカル線」「83線区」などと呼ばれ消えていった路線に引けを取らないか、またはそれ以下の経営内容にまでなってしまったJR西のローカル線各種である。もちろん芸備線もその仲間の一角を占めているわけであるが、特に姫新線と一緒に考えた場合、完全に高速道路と並行しているし、マイカーや高速バスなどに完全に負けている。かつては急行列車や夜行列車の運転もあった芸備線であるが・・・そんな芸備線との最初のコンタクトは1982年3月であった。

(備後落合を列車以外からやってくると実に「ローカル」を感じる。駅前にある1軒の民家が実に印象的であった。)
もうすでにこのブログでも紹介した事があるので皆様もご存知の方もおられようが、改めて「芸備線」という枠で紹介してみたくなった。というのも、すでに紹介した「三江線への挑戦」の旅の続きでそのまま芸備線の各駅もまわってみたからだ。その時の印象として・・・やはり芸備線はいい!と改めて「惚れ直した」とでも言おうか、芸備線の魅力がひしひしと伝わってきた。という事でちょっと振り返って・・・

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新年のご挨拶 2017
2017-01-01
新年、あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
毎年この時期になると私は憂鬱になる・・・なぜか?それは年末から新年にかけて私は休むまもなく労働しているからである。実はこの時期が一番の「稼ぎ時」なのであるから・・・

(多分今後貴重な写真になてくるであろう越後湯沢にて。もしかしてお蔵入りになるかも知れないのでアップしてみた。2014年3月の訪問なのだが、当然なのか必然なのか、まだまだ雪化粧の「越後」である。)
それはさておき、皆様は「レッドウォーリアーズ」というバンドをご存知か?そう、私のハンドルネーム「ダイヤモンド☆トナカイ」のモデルになった・・・いや、モチーフした「ダイアモンド✡ユカイ」がボーカルのロックバンドである。1980年代に活躍したので若い世代は伝説となっているであろうが、最近はダイヤモンド✡ユカイのバラエティ番組での活躍が目立ち、さながら「お笑い芸人」的な印象が強い。だがしかし、彼は正真正銘のロックンローラーである。

(こちらも越後湯沢にて。現在の「北越急行」はどんな風景なのか。近い将来確認しに行ってみたい。)
ところで私は最近、昔を思い出し「バンド活動」を再開した。特に私はひとりでスタジオにこもってベースを弾きまくるのが実に気持ちいい。その時に決まってコピーする楽曲が「レッドウオーリアーズ」である。あっ、言い忘れていたが、私はかつて音楽活動をしていてベーシストであるが、傍から見たら実に似合わない姿だと思う。もう10年以上音楽から離れていたから、こういった活動が実に新鮮である。だが、コピーするレッドウオーリアーズは、私は特に思い入れがあるバンドでも無く、好きなバンドは「キャロル」や「暴威(BOOWY)」「プリンセス・プリンセス」などだ。だからコピーする場合はこれらの楽曲をセレクトするのが自然であるが、なぜかレッドウオーリアーズなのである。なぜか?それは演奏していて実に楽しいからだ。もちろんかつては「ガンズ」や「キッス」「エアロスミス」など洋楽方面もコピーしていたしオリジナルもやっていた。

(北越急行はもちろんだが、上越新幹線の将来も気になるところ。今後の予定に注目したい。)
というより、レッドウオーリアーズは自身が好きになったバンドではなく、バンドメンバーがセレクトしたアーティストだ。だからどちらかというと「好きな曲」というより「課題曲」の印象が強い。だから、例えばレッドウオーリアーズの楽曲各種はベースラインで覚えている。歌詞がどうとかギターのリフがどうとかよりとにかくベースラインで曲を覚えてる。それは今でも変わりない。だからダイアモンド✡ユカイやシャケに特別な思い入れなどは無いが、逆に試し弾きするときは決まってレッドウオーリアーズの曲になるという不思議な現象が起こる。

(続いて水上。「温泉」として有名処であるが、レールファンとしてはある意味「ボーダーライン」の意味合いが強い。)
実は私が音楽をやるきっかけとなったのは「女にもてたい」という単純な動機からだ。だから「ガラスの」10代のころ、実際に自身が楽しんで音楽をやっていたかどうかというとやや問題があった。今になって改めて何十年ぶりかでスタジオに入って音を出す・・・そこには実に楽しんで演奏している自分がいる。よく昔はあんなに多くの曲をコピーしたものだ。スタジオでは5~6曲くらいしか用意していないが3時間みっちり演奏すると実に充実感!これは「女にもてたい」とかの理由でやっているのではない。そう、自分自身のためである。

(一応、私の住処からは日帰り圏内である。しかしながら「18」が無いととんでもない料金になるのは玉に瑕・・・」
私はかつて音楽活動をしていた時に鉄道から離れていたが、鉄道趣味を久々にカムバックさせた時、やはり懐かしさと旅を楽しむ自分がいた。それは「女にモテたい」ではなく自分自身が楽しむためのものである。
そう、つまりそれは何をやるにも「自分がどれだけ楽しめるか」という事。列車に揺られ旅をするにも、スタジオでベースを弾くにも、やはりそこには「楽しむ」というキーワードが絶対的に存在しなければいけないと思う。それは「女にモテたい」ではなく自身のため、自身がいかに楽しめるかが大事だ。もちろん、「女にモテたい」という気持ちで音楽をやれば、それは上っ面だけのものになりむしろ女にモテるという事がそう多くないであろう。スタジオに入って演奏していると、そういった昔の自分との再会もあった。だが今は違う。いかにして自分が楽しむか。鉄道旅も同じである。

(偶然ながらSLの運転があった。長いブランクのあった私が見ると、この景色もなんだか新鮮!)
私のブログをご覧になって、例えば1980年代の旅を皆様はどうお感じになられているのであろうか。ある意味、羨む場面もあろうかと思うが、当時の私の気持ちとしては「いい旅チャレンジ20000km」の義務みたいなものがあり、とにかく「制覇する」というこだわりが強かったため、旅そのものを楽しんだ部分というのがあまりなかった印象である。もちろんまだ中学生くらいであったため「旅の楽しみ方」というのがわからなかった部分もあろうが、基本的には「旅をこなす」印象が強かった。もちろん、結果的に貴重な旅をしているが、やはりまだまだ子供であった。
今は列車に揺られ旅をするのも、スタジオでベーシストに変身するものひとつひとつ楽しみながらチャレンジしている。いや、楽しんでやってやる!みたいな気持ちだから飽きないのかも知れない。
私のブログに訪問なされている皆様は、鉄道というカテゴリーに少なからず多からず興味をお持ちの方がほとんどであろう。そして鉄道というジャンルを楽しみながら触れ合っている事であろう。

(いつの日か「上越線全駅訪問」でもやってみたい気持ちである。)
要するに何を言いたいのか?それはきっかけがどうあれ、自身にやりたい事があるか、楽しめるものがあるかどうかだ。鉄道と一緒にいる時、時間の経つのを忘れていませんか?それ、非常に重要。というより、自身に夢中になれるものがあるかどうか?これ重要。やる事がある・・・これは人生において非常に重要であり素晴らしい事である。やる事がなくなったら人生面白くない。熱くなれるものがあるかどうか。それがあるかないかでその人のカラー、いや、オーラみたいなものが全然違ってくると思う。
自分自身のため・・・そう、私は人のために鉄道を趣味としているのではない。あくまで自分自身のためだ。これからも私は自分自身のために鉄道旅を続けていく事であろう。そんな旅を皆様に紹介していき、そしてそれを表現できたらそれは最高に素敵なことであろう。これからもそういう旅をしていきたい。

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今年もよろしくお願いいたします。
毎年この時期になると私は憂鬱になる・・・なぜか?それは年末から新年にかけて私は休むまもなく労働しているからである。実はこの時期が一番の「稼ぎ時」なのであるから・・・

(多分今後貴重な写真になてくるであろう越後湯沢にて。もしかしてお蔵入りになるかも知れないのでアップしてみた。2014年3月の訪問なのだが、当然なのか必然なのか、まだまだ雪化粧の「越後」である。)
それはさておき、皆様は「レッドウォーリアーズ」というバンドをご存知か?そう、私のハンドルネーム「ダイヤモンド☆トナカイ」のモデルになった・・・いや、モチーフした「ダイアモンド✡ユカイ」がボーカルのロックバンドである。1980年代に活躍したので若い世代は伝説となっているであろうが、最近はダイヤモンド✡ユカイのバラエティ番組での活躍が目立ち、さながら「お笑い芸人」的な印象が強い。だがしかし、彼は正真正銘のロックンローラーである。

(こちらも越後湯沢にて。現在の「北越急行」はどんな風景なのか。近い将来確認しに行ってみたい。)
ところで私は最近、昔を思い出し「バンド活動」を再開した。特に私はひとりでスタジオにこもってベースを弾きまくるのが実に気持ちいい。その時に決まってコピーする楽曲が「レッドウオーリアーズ」である。あっ、言い忘れていたが、私はかつて音楽活動をしていてベーシストであるが、傍から見たら実に似合わない姿だと思う。もう10年以上音楽から離れていたから、こういった活動が実に新鮮である。だが、コピーするレッドウオーリアーズは、私は特に思い入れがあるバンドでも無く、好きなバンドは「キャロル」や「暴威(BOOWY)」「プリンセス・プリンセス」などだ。だからコピーする場合はこれらの楽曲をセレクトするのが自然であるが、なぜかレッドウオーリアーズなのである。なぜか?それは演奏していて実に楽しいからだ。もちろんかつては「ガンズ」や「キッス」「エアロスミス」など洋楽方面もコピーしていたしオリジナルもやっていた。

(北越急行はもちろんだが、上越新幹線の将来も気になるところ。今後の予定に注目したい。)
というより、レッドウオーリアーズは自身が好きになったバンドではなく、バンドメンバーがセレクトしたアーティストだ。だからどちらかというと「好きな曲」というより「課題曲」の印象が強い。だから、例えばレッドウオーリアーズの楽曲各種はベースラインで覚えている。歌詞がどうとかギターのリフがどうとかよりとにかくベースラインで曲を覚えてる。それは今でも変わりない。だからダイアモンド✡ユカイやシャケに特別な思い入れなどは無いが、逆に試し弾きするときは決まってレッドウオーリアーズの曲になるという不思議な現象が起こる。

(続いて水上。「温泉」として有名処であるが、レールファンとしてはある意味「ボーダーライン」の意味合いが強い。)
実は私が音楽をやるきっかけとなったのは「女にもてたい」という単純な動機からだ。だから「ガラスの」10代のころ、実際に自身が楽しんで音楽をやっていたかどうかというとやや問題があった。今になって改めて何十年ぶりかでスタジオに入って音を出す・・・そこには実に楽しんで演奏している自分がいる。よく昔はあんなに多くの曲をコピーしたものだ。スタジオでは5~6曲くらいしか用意していないが3時間みっちり演奏すると実に充実感!これは「女にもてたい」とかの理由でやっているのではない。そう、自分自身のためである。

(一応、私の住処からは日帰り圏内である。しかしながら「18」が無いととんでもない料金になるのは玉に瑕・・・」
私はかつて音楽活動をしていた時に鉄道から離れていたが、鉄道趣味を久々にカムバックさせた時、やはり懐かしさと旅を楽しむ自分がいた。それは「女にモテたい」ではなく自分自身が楽しむためのものである。
そう、つまりそれは何をやるにも「自分がどれだけ楽しめるか」という事。列車に揺られ旅をするにも、スタジオでベースを弾くにも、やはりそこには「楽しむ」というキーワードが絶対的に存在しなければいけないと思う。それは「女にモテたい」ではなく自身のため、自身がいかに楽しめるかが大事だ。もちろん、「女にモテたい」という気持ちで音楽をやれば、それは上っ面だけのものになりむしろ女にモテるという事がそう多くないであろう。スタジオに入って演奏していると、そういった昔の自分との再会もあった。だが今は違う。いかにして自分が楽しむか。鉄道旅も同じである。

(偶然ながらSLの運転があった。長いブランクのあった私が見ると、この景色もなんだか新鮮!)
私のブログをご覧になって、例えば1980年代の旅を皆様はどうお感じになられているのであろうか。ある意味、羨む場面もあろうかと思うが、当時の私の気持ちとしては「いい旅チャレンジ20000km」の義務みたいなものがあり、とにかく「制覇する」というこだわりが強かったため、旅そのものを楽しんだ部分というのがあまりなかった印象である。もちろんまだ中学生くらいであったため「旅の楽しみ方」というのがわからなかった部分もあろうが、基本的には「旅をこなす」印象が強かった。もちろん、結果的に貴重な旅をしているが、やはりまだまだ子供であった。
今は列車に揺られ旅をするのも、スタジオでベーシストに変身するものひとつひとつ楽しみながらチャレンジしている。いや、楽しんでやってやる!みたいな気持ちだから飽きないのかも知れない。
私のブログに訪問なされている皆様は、鉄道というカテゴリーに少なからず多からず興味をお持ちの方がほとんどであろう。そして鉄道というジャンルを楽しみながら触れ合っている事であろう。

(いつの日か「上越線全駅訪問」でもやってみたい気持ちである。)
要するに何を言いたいのか?それはきっかけがどうあれ、自身にやりたい事があるか、楽しめるものがあるかどうかだ。鉄道と一緒にいる時、時間の経つのを忘れていませんか?それ、非常に重要。というより、自身に夢中になれるものがあるかどうか?これ重要。やる事がある・・・これは人生において非常に重要であり素晴らしい事である。やる事がなくなったら人生面白くない。熱くなれるものがあるかどうか。それがあるかないかでその人のカラー、いや、オーラみたいなものが全然違ってくると思う。
自分自身のため・・・そう、私は人のために鉄道を趣味としているのではない。あくまで自分自身のためだ。これからも私は自分自身のために鉄道旅を続けていく事であろう。そんな旅を皆様に紹介していき、そしてそれを表現できたらそれは最高に素敵なことであろう。これからもそういう旅をしていきたい。

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