同和鉱業片上鉄道へ接近してみた① 吉ケ原(前編)
2017-04-30

同和鉱業と言えば、かつては秋田県にある小坂製錬がその名を名乗っていたのは周知の通りであるが、岡山県にも同じ同和鉱業を名乗る鉄道会社があった。それは片上鉄道である。もちろん周知の事実であるが、レールファンからすればかなり興味を引く車両などがひしめいていたので、私からすれば現役時代に訪問できた方が実に羨ましい限りである。そして今回私が訪問したのは事前調査により吉ケ原が一番保存状態が良いという事で早速調査を開始した。

その前に、実は吉ケ原の訪問前に終点であった柵原にも訪問した。しかし、残念ながら某会社の駐車場になっており、かつてのホームは従業員のものであろう乗用車で埋め尽くされていた。だが、レールこそないもののその面影は充分に伝わってきたし、レールのあったと思われる場所もなんとなくわかる雰囲気であったのが実に興味深かった。そして吉ケ原から先の終点片上間はサイクリングロードとして現在も活躍しているのが実に良い。という事は、廃線跡が自然とわかりやすくなっているという事だ。
さて、今回は吉ケ原の駅部分の紹介となるが、ここは片上鉄道唯一の動態保存の地でもある事から保存状態が良い。それもそのはず、ここ吉ケ原は登録有形文化財として整備されており「柵原ふれあい鉱山公園」として、まさに現役時代そのものに近い状態で、片上鉄道保存会により車両も保存されている。その車両については次章にてお伝えするが、現役時代そのもののような体験が出来る貴重な「資料」として今後も末永く活躍していただきたい物件である。


昭和の匂いを感じるご覧の駅舎。しかも木造!一見、現役と間違えてしまいそうな佇まいだ。事情を知らない人ならば、真面目にホームで列車を待ってしまう雰囲気である。



どーですか、この昔ながら感。「携帯品一時預所」とは、現代シーンにおいて、特にヤングな世代には肌で感じた事が無いであろう。私は唯一1983年、夏の男鹿駅で経験した事がある。つまりわかりやすく言うとコインロッカーの有人版とでも言おうか。


廃線跡とは思えない盛況ぶり!というか、今にも列車がやってきそう。そう、それもそのはず、車両が動態保存されている事もあり、実際に列車はやってくるのだから・・・

なぜここまで保存状態がいいのかはこちらをご覧になれば一目瞭然。隣の柵原までは車で5分もかからないが、そちらではほぼ影も形も無い状態であった事を考えると、この吉ケ原の状態はほとんど奇跡に近いとしか言い様がない。

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せっかく津山まで来たのだから因美線の駅を訪問してみた③ 美作滝尾
2017-04-25

普通に考えたら地味な駅であろうが、我々レールファンにとっては、とても国鉄らしい駅舎が今でも健在であり嬉しい。そしてそのメンテナンス具合は実に素晴らしい。それもそのはず、この駅は有形文化財に登録されてしまった!そう、この駅のメンテナンスは税金で賄われているという事だ。というか、実は私がここに訪問した理由がもうひとつある。それは、映画「男はつらいよ」のロケ地となった場所でもあるからだ。事実上、本シリーズの最終作品となった第48作で登場するが、なんとマドンナは本作品で最多マドンナを演じた「リリー」こと浅丘ルリ子である。そんな作品のロケ地として活躍したのだから私も訪問しないわけにいかない。というより、実際に訪問して良かったと思える内容である事は、これから紹介する写真をご覧になればお分かりであろう。多分因美線の中ではイチ押しの駅かも知れない!




「触ってごらん、ウールだよ」などと言ったらジェネレーションがバレてしまうが、思わずそう言ってしまいたくなるような駅舎の雰囲気。って、実際にはウールでは無く木造なのであるが・・・

冒頭でも触れたが、やはりロケ地となった「象徴」が駅前でアピールされていた。事実上のシリーズ最終作品にこの地が選ばれた事が実に感慨深い。









駅舎内もほぼ「男は~」で染められていた。というより、それを抜きにしても立派な佇まいであろう。


ホーム風景。ご覧の通り、最初から棒線型でオープンしていたと思う佇まい。典型的と言えば典型的であるが、逆にこうした風景をもっともっと次世代に残したい気持ちは私だけであろうか。




木造ラッチ、いいよね!こんな感じ、私の地元神奈川にも欲しい感じ。

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せっかく津山まできたのだから因美線の駅も訪問してみた② 美作河井
2017-04-20

美作河井と言えば・・・某全駅制覇のトラベルライターが全駅制覇最終章の駅(当時)として選択した駅として有名であろう。というか、それってレールファンOR横○ファンの間では周知の事実であろうが、そんな理屈は抜きにして、やっぱり素敵な駅舎があるという部分では一度は体験したい事象であろう事がレールファンとしての「性」かも知れない。というより、それ以前に「国鉄」を司る貴重な資料として今でもその姿をとどめている事が実に素敵で素晴らしい。かつては駅員が配置されていたが、今のご時世、こんな素敵な駅舎がある駅って逆に貴重な存在であり、それこそ「文化遺産」」的な存在であろう。
というより、今回紹介している旅の行程で私はこの駅に訪問予定はなかったが、出発の2~3日前で行く事を決定してしまったのだからいい経験ができるであろう期待を込めて細かい到達時間等の計画を立て直した。
さて、先に知和を紹介したが、今回紹介する美作河井も知和に引けも劣らないくらいに素敵にシンデレラコンプレックス的な駅であった!だが、周知の通り全盛期に比べ側線他設備などが減らされておりいささか寂しい。だが、今も現役である事の喜びは計り知れないものと思うので、今後も是非末永く活躍していただきたい思いである。




早速ですが、美作河井。ご覧の通り、以前に比べてスッキリ感、大!CTC化によりポイント操作のための駅員が不要になり、写真に収めた当時、この空間にいた人物は私たちのみであった。




そして駅舎外観。これぞ古式ゆかしい駅舎の基本ではないか!私がかつて「いい旅チャレンジ20000km」で全国を駆け巡っていた時にはこういった駅舎を持つ駅がゴマンとあった。






なんだか「宿泊」できそうな雰囲気。いや、基本、宿泊施設ではないのでこういう考えはよろしくないが、こういう駅特有の「ロングシート」が非常に気になる。



















せっかくCTC化したのだから・・・と思ってしまう現在の風景。ご覧の通り、交換設備が外され棒線化されてしまった。

一応路線バスが対応していると思われるが・・・まさか「あの」太○陽介が来てたりして・・・

1984年訪問時の事はほとんど記憶にないが、2016年に再訪できてしっかり記憶ができた。ただ、智頭以北は特急列車がやってくるようになり劇的な変化を遂げたが、こちらの区間は時空が止まっているような印象でもあった。

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せっかく津山まできたのだから因美線の駅も訪問してみた① 知和
2017-04-15

前回芸備線の駅訪問を紹介したのだが、旅行程の都合上、津山で宿泊することにした。最初は津山駅前でビジネスホテル的なイメージをしていたが、ここは「国内旅行業務取扱管理者」のライセンスを所有している私の意地か、いっその事「温泉」を楽しむことにした。そこで津山から近い湯郷温泉に標的を定めた。ここなら因美線訪問にも便利だし津山からも近い。そして近年に高速道路も開通し、一気に便利になった。ただ、私のナビはデータ更新していないため、この高速を利用するのには少々手間取るが・・・
という事で、今回紹介の因美線駅訪問は智頭~東津山間の、言わば因美線内で最も「デッドセクション」的な区間であろう駅訪問をしてみた。とは言え実際に訪問してみると、意外にも民家が多く、とても秘境的な何かを感じることが無かった。
そんな事で今回紹介する知和も、公の何かでは一応「秘境」となっているが、私の感覚ではまだまだそのようなモードには程遠かった印象だ。ただ、駅の雰囲気とかは全然良いし、むしろ世界遺産にでも認定していただいた方が何かと今後についても都合よかろうが、なかなかそうは問屋が卸さないであろう事情・・・
とは言え、写真をご覧になって雰囲気だけでも感じてくれれば幸いである。が、そういった意味ではかなり有名な駅であろうから、私なりの見解で紹介して、ご覧の皆様に何かを感じていただければ幸いであると思う。




「どーですか!お客さん」と思わず言ってしまいそうな建家が飛び込んでくる。こんな素敵な空間より勤務先、通学先に向かえるなんて、なんて贅沢な幸せでしょうか。固定の利用者様が羨ましい!




駅舎内は・・・もうなんの説明もいらないであろう。もちろん、他のブログやメディアでも散々紹介されているので皆様の方がこの駅の事情には詳しいと思われるが・・・




そしてホームへ。私が因美線を初めて訪れたのが1984年の8月であった。この時は青春18で四国の国鉄線全線制覇した時で、その帰りの行程で津山線、因美線を使い鳥取に出て、倉吉から倉吉線を制覇して夜行普通列車「山陰」で京都に向かう行程であった。そんな中での知和の存在は、私にとって全くのノーマークであったため、全くと言っていいほど当時の記憶が無い・・・



だが、そんな私の記憶に無い駅もこうしてしっかりと私の知らないところで歴史を刻み込んでいた。そしてこうして再会した時、当時とは全く違う思い入れがあるのが、実に私自身の歴史を感じてしまう。

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姿なき挑戦者⑰ カシオペア(後編)
2017-04-10
さて、計画段階から函館より上りのカシオペアに乗車することが決定していて計画段階から札幌より乗りたかった自分を納得させるよう、函館ではカシオペアに乗車する前に湯の川温泉でひとっ風呂浴びる予定を組んだ。カシオペアではシャワーしかないため湯の川を選んだわけであるが、というより、私が1978年に初めて「富士」に乗車したときは、寝台特急でシャワーを浴びるなんてこと夢のまた夢であった時代だったため、この「シャワー」そものもが素敵に感じてしまうが、やはり湯船に沈み癒されたい。というより、確か青函連絡船にもシャワーや風呂の設備も確かあった記憶であるが、やはり列車も船も「揺れ」が最大の特徴であろうから、やはり日本有数の温泉街で・・・というわがままが自然と生まれてしまうのはある意味罪作りか・・・

(私が乗車した室内は「カシオペアツイン」である。被写体の中に妻であろう人物が若干写っているが、正直、あまり自慢できるものではないので、ご覧のみなさまは気にぜずに車内の雰囲気を感じてくれればいいと思う。というより、前述通りやや写真に赤みを帯びる結果になってしまった事を予めご了承いただきたい。)
というより、申し訳ないが同伴の妻は「月のもの」の最中であって温泉に入れないため、近くに有る無料の足湯で湯の川を堪能。私のみの温泉入浴となってしまった。なんて綴ってしまったら各方面からご意見頂いてしまうかも知れないが・・・湯の川の温泉街はほとんどの旅館などで日帰り入浴可のため、ブログをご覧の皆様も是非!!
って、私は湯の川温泉の観光大使でもなんでもないのだが、いずれにしても私の中では高い評価であるので内容についても保証付きである。

(これは私が撮影。ご覧の通りサロンカーであるが、ど~ですか、この貸切感。早朝のサロンカーはなぜか心地よい。この感覚、経験できたのはある意味私の財産か・・・)
さて、温泉を経て函館に戻ってきた私はカシオペアの出発時間まで待合室でその時を待つ。キオスクやお土産屋さんなどがどんどんシャッターを下ろす中、何もすることが無かったので私はワンセグで「水戸黄門」を見ていた。格さん(助さん?)が印籠を掲げる頃にちょうどカシオペアが入線する時刻となろう。予定通り、悪代官を成敗する頃にカシオペア入線のアナウンス。私ははやる気持ちを抑えながらホームへと足を弾ませた。
DD51のディーゼルエンジンの音がホーム一面に響き渡る中、銀色の車体が私を迎えてくれる。寝台特急=ブルートレインの概念がまざまざと打ち破られる斬新な車体。ワンランク上の寝台特急的なイメージになってしまう私は完全に「ブルトレ少年」なのであろうか。

(こちらはウィキペディアより。カシオペアの車体は過去の寝台特急とは全く違う感性の持ち主である事は一目瞭然であるが、ある意味昭和的感覚の進化系を味わえる列車でもある。)
気がついたら、といか、私がレールファンに復帰してから個室が当たり前の時代に変化していた寝台列車であるが、既にその件は北斗星のロイヤルで経験しているにも関わらず、カシオペアの車内はまたひと味違う。カシオペアツインとはいえ、個室であるというのが、昭和的寝台特急の感覚を持つ私としては実に新鮮。水揚げされた魚をその場で刺身にして食べている感覚だ。
気が付けばトンネル内を走る独特の「ゴーッ」という騒がしい音声が窓の外から響き渡ってくる。そう、青函トンネルだ。
考えてみたら、1983年に私は青函連絡船で北海道に初上陸した。その帰りも当然ながら連絡船を利用したが、その時は函館発0時40分発の夜行便であった。青森に4時半に到着するのだからハッキリ言って寝る暇がない。というか、落ちつかずに睡眠が取れないであろう。と思っていたが、当時はしっかりと睡眠を確保していた。なんて事をふと思い出してしまうカシオペア車内は実に充実。気が付けば外は明るくなっており、既にJR東、つまり青函トンネルを抜け本州に入っている事が無言のお告げで感じられた。

(こちらもウィキペディアより。ペイントこそ「ナウい」ものの、ご覧の交直両用機関車は実に昭和的風景。つい最近まで昭和が活躍していたという事に私的には価値を感じる。)
サロンカーへ行ってみた。ハッキリ言って貸切である。北斗星の時とはまた違い、素敵な空間。なんとなく「オトギノクニ」にでもいるような感じであった。ただ、カシオベアは「オール個室」のため、かえってサロンカーは無用の長物的であろう雰囲気であった。であるが、サロンカーのドアは自動で開閉され、昭和の私にとっては画期的な事件であった。最近は寝台特急がなくなり、こうして列車内で朝を迎えるという事が経験できるチャンスがめっきり減ってしまった。確かに豪華列車みたいなのが次々とデビューして、またデビューする予定で、一般には期待が膨らむ風景である。であるが、このカシオペアは、車体こそ新しいものの、味わえる風景は全く昭和的感覚そのもの。寝台も「オール個室」であるものの、基本的に味わえる感覚というものは2段ハネ時代とは変わらないが、個室であるから「朝の一杯」「睡眠前の晩酌」は周りを気にせずに味わえる。これは昭和の寝台特急との比較で決定的に違うもの。今に時代に是非この感覚を今の世代の方にも味わっていただきたいのだが・・・時代がそれを許さないのか。「七つ星」とかは豪華であるし私も経験してみたい。であるが「2段ハネ」に象徴されるような寝台特急、その延長線上に有るカシオペアの存在が実に眩しく素敵である。
上野駅の到着ホームは13番線ではなかったが、朝の時間帯の上野駅は、私を「いなかっぺ大将」的な昭和の感覚にしてくれる何かがなぜか心地良い。やはり私は古い人間なのか・・・そんな思いをカシオペアで感じてしまう私は、まだまだ「ブルトレ少年」なのであろうか・・・

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(私が乗車した室内は「カシオペアツイン」である。被写体の中に妻であろう人物が若干写っているが、正直、あまり自慢できるものではないので、ご覧のみなさまは気にぜずに車内の雰囲気を感じてくれればいいと思う。というより、前述通りやや写真に赤みを帯びる結果になってしまった事を予めご了承いただきたい。)
というより、申し訳ないが同伴の妻は「月のもの」の最中であって温泉に入れないため、近くに有る無料の足湯で湯の川を堪能。私のみの温泉入浴となってしまった。なんて綴ってしまったら各方面からご意見頂いてしまうかも知れないが・・・湯の川の温泉街はほとんどの旅館などで日帰り入浴可のため、ブログをご覧の皆様も是非!!
って、私は湯の川温泉の観光大使でもなんでもないのだが、いずれにしても私の中では高い評価であるので内容についても保証付きである。

(これは私が撮影。ご覧の通りサロンカーであるが、ど~ですか、この貸切感。早朝のサロンカーはなぜか心地よい。この感覚、経験できたのはある意味私の財産か・・・)
さて、温泉を経て函館に戻ってきた私はカシオペアの出発時間まで待合室でその時を待つ。キオスクやお土産屋さんなどがどんどんシャッターを下ろす中、何もすることが無かったので私はワンセグで「水戸黄門」を見ていた。格さん(助さん?)が印籠を掲げる頃にちょうどカシオペアが入線する時刻となろう。予定通り、悪代官を成敗する頃にカシオペア入線のアナウンス。私ははやる気持ちを抑えながらホームへと足を弾ませた。
DD51のディーゼルエンジンの音がホーム一面に響き渡る中、銀色の車体が私を迎えてくれる。寝台特急=ブルートレインの概念がまざまざと打ち破られる斬新な車体。ワンランク上の寝台特急的なイメージになってしまう私は完全に「ブルトレ少年」なのであろうか。

(こちらはウィキペディアより。カシオペアの車体は過去の寝台特急とは全く違う感性の持ち主である事は一目瞭然であるが、ある意味昭和的感覚の進化系を味わえる列車でもある。)
気がついたら、といか、私がレールファンに復帰してから個室が当たり前の時代に変化していた寝台列車であるが、既にその件は北斗星のロイヤルで経験しているにも関わらず、カシオペアの車内はまたひと味違う。カシオペアツインとはいえ、個室であるというのが、昭和的寝台特急の感覚を持つ私としては実に新鮮。水揚げされた魚をその場で刺身にして食べている感覚だ。
気が付けばトンネル内を走る独特の「ゴーッ」という騒がしい音声が窓の外から響き渡ってくる。そう、青函トンネルだ。
考えてみたら、1983年に私は青函連絡船で北海道に初上陸した。その帰りも当然ながら連絡船を利用したが、その時は函館発0時40分発の夜行便であった。青森に4時半に到着するのだからハッキリ言って寝る暇がない。というか、落ちつかずに睡眠が取れないであろう。と思っていたが、当時はしっかりと睡眠を確保していた。なんて事をふと思い出してしまうカシオペア車内は実に充実。気が付けば外は明るくなっており、既にJR東、つまり青函トンネルを抜け本州に入っている事が無言のお告げで感じられた。

(こちらもウィキペディアより。ペイントこそ「ナウい」ものの、ご覧の交直両用機関車は実に昭和的風景。つい最近まで昭和が活躍していたという事に私的には価値を感じる。)
サロンカーへ行ってみた。ハッキリ言って貸切である。北斗星の時とはまた違い、素敵な空間。なんとなく「オトギノクニ」にでもいるような感じであった。ただ、カシオベアは「オール個室」のため、かえってサロンカーは無用の長物的であろう雰囲気であった。であるが、サロンカーのドアは自動で開閉され、昭和の私にとっては画期的な事件であった。最近は寝台特急がなくなり、こうして列車内で朝を迎えるという事が経験できるチャンスがめっきり減ってしまった。確かに豪華列車みたいなのが次々とデビューして、またデビューする予定で、一般には期待が膨らむ風景である。であるが、このカシオペアは、車体こそ新しいものの、味わえる風景は全く昭和的感覚そのもの。寝台も「オール個室」であるものの、基本的に味わえる感覚というものは2段ハネ時代とは変わらないが、個室であるから「朝の一杯」「睡眠前の晩酌」は周りを気にせずに味わえる。これは昭和の寝台特急との比較で決定的に違うもの。今に時代に是非この感覚を今の世代の方にも味わっていただきたいのだが・・・時代がそれを許さないのか。「七つ星」とかは豪華であるし私も経験してみたい。であるが「2段ハネ」に象徴されるような寝台特急、その延長線上に有るカシオペアの存在が実に眩しく素敵である。
上野駅の到着ホームは13番線ではなかったが、朝の時間帯の上野駅は、私を「いなかっぺ大将」的な昭和の感覚にしてくれる何かがなぜか心地良い。やはり私は古い人間なのか・・・そんな思いをカシオペアで感じてしまう私は、まだまだ「ブルトレ少年」なのであろうか・・・

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姿なき挑戦者⑰ 寝台特急カシオペア (中編)
2017-04-05
前章でも触れたが、今回紹介する「カシオペア」の乗車は函館からである。上りの寝台特急に乗るという経験は皆様お有りであろうか?というか、首都圏在住の私にとっては実に贅沢なひと時であるという感覚だ。旅行最終日の朝に東京に着く。実質自宅には午前中か昼間には到着するという事だ。これすなわち翌日の仕事に備えての心構えの時間が充分すぎるくらいにある・・・写真の整理もできるし、いいね、これ!みたいな感覚で乗れる夜行列車、しかも寝台特急というのが嬉しい。しかも今回は「カシオペア」だ。だが、残念ながら、私が発注していた「メゾネットスイート」が納品されず、結果、通常のカシオペアツインになってしまった。が、それでもかなりの贅沢。20年以上レールから離れていた私にとって、この寝台特急に乗車するという事は実に意味がある。

(この章ではウィキペディアより画像を拝借してみた。先述したが、私がカシオペア乗車当時所有していたカメラのコンディションが良くなかったため画像に少々赤みが出ている。私の撮影した画像は次章で紹介してみようと思う。)
私が過去に乗車した寝台特急は「富士」「ゆうづる」「はくつる」「サンライズ」「北陸」「あけぼの」「北斗星」くらいか。しかも北斗星では初めて「ロイヤル」を体験した。その模様についてはこちらからご覧になっていただくとして、今回紹介しているカシオペアは私にとってはまったくもって新しいタイプの寝台特急であり衝撃的な列車でもあった。そう、カシオペアでは「北斗星」と同じような「スイート」がある事でこの列車の価値が倍増してくる。だが、当然のことながら「プラチナ」であるため私のような凡人ではとてもゲットする事は出来ないであろう。

(改めてウィキペディアより。函館駅でのひとコマである。連絡船が廃止され駅構内の配線は大きく変更されたが、弧を描く独特のホーム風景は昔も今も変わらない。)
ただ、実は「カシオペア」の晩年付近で私は旅行会社に毎日発注で「スイート」をお願いしていた。つまり、運転日にスイートが空いている日があったら抑えるという事を旅行会社にお願いしていたわけである。が、結果的には玉砕してしまったが、ある意味いい経験になった。というか、一般的に最後尾のスイートを憧れであろうが、私は「メゾネットタイプ」の方が好みであるのはいささか変わりものであろうか?なんて言ってはいるが、結局今回紹介するカシオペアの乗車が最初で最後であった。だが、経験できただけでも人生において輝かしい名誉と足跡を残したであろう・・・

(こちらもウィキペディアより。北海道に入ると非電化区間が連続するためご覧の機関車に変更される。機関車の重連はレールファンにとってみたら最高の「おもてなし」となるが、ご覧の機関車は国鉄時代のものであるのも感慨深いものがある。)
そんな思いもあり、私の寝台特急に対する思い入れはかなり深い。だから乗車する時は、それこそスーツビシッと決めて最上級の気持ちでその時を迎える・・・みたいな気分になる。
などと気取った台詞を記載してしまったが、紹介しているカシオペアの旅は、先述したが函館からの乗車となった。当時、江差線の制覇と函館市内の路面電車の制覇に1日取り、帰郷にカシオペアを使うという何とも贅沢な工程を組んだ。が、当然スイートなどはキャンセル待ちを含め取れず、結局予定通り「カシオペアツイン」の利用になった。それでもこうしてカシオペアの経験が出来ただけでも将来的に価値があろう。そんな寝台特急に最初で最後の乗車のため、路面電車を制覇した私は函館駅へと「はるばる」向かう。

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(この章ではウィキペディアより画像を拝借してみた。先述したが、私がカシオペア乗車当時所有していたカメラのコンディションが良くなかったため画像に少々赤みが出ている。私の撮影した画像は次章で紹介してみようと思う。)
私が過去に乗車した寝台特急は「富士」「ゆうづる」「はくつる」「サンライズ」「北陸」「あけぼの」「北斗星」くらいか。しかも北斗星では初めて「ロイヤル」を体験した。その模様についてはこちらからご覧になっていただくとして、今回紹介しているカシオペアは私にとってはまったくもって新しいタイプの寝台特急であり衝撃的な列車でもあった。そう、カシオペアでは「北斗星」と同じような「スイート」がある事でこの列車の価値が倍増してくる。だが、当然のことながら「プラチナ」であるため私のような凡人ではとてもゲットする事は出来ないであろう。

(改めてウィキペディアより。函館駅でのひとコマである。連絡船が廃止され駅構内の配線は大きく変更されたが、弧を描く独特のホーム風景は昔も今も変わらない。)
ただ、実は「カシオペア」の晩年付近で私は旅行会社に毎日発注で「スイート」をお願いしていた。つまり、運転日にスイートが空いている日があったら抑えるという事を旅行会社にお願いしていたわけである。が、結果的には玉砕してしまったが、ある意味いい経験になった。というか、一般的に最後尾のスイートを憧れであろうが、私は「メゾネットタイプ」の方が好みであるのはいささか変わりものであろうか?なんて言ってはいるが、結局今回紹介するカシオペアの乗車が最初で最後であった。だが、経験できただけでも人生において輝かしい名誉と足跡を残したであろう・・・

(こちらもウィキペディアより。北海道に入ると非電化区間が連続するためご覧の機関車に変更される。機関車の重連はレールファンにとってみたら最高の「おもてなし」となるが、ご覧の機関車は国鉄時代のものであるのも感慨深いものがある。)
そんな思いもあり、私の寝台特急に対する思い入れはかなり深い。だから乗車する時は、それこそスーツビシッと決めて最上級の気持ちでその時を迎える・・・みたいな気分になる。
などと気取った台詞を記載してしまったが、紹介しているカシオペアの旅は、先述したが函館からの乗車となった。当時、江差線の制覇と函館市内の路面電車の制覇に1日取り、帰郷にカシオペアを使うという何とも贅沢な工程を組んだ。が、当然スイートなどはキャンセル待ちを含め取れず、結局予定通り「カシオペアツイン」の利用になった。それでもこうしてカシオペアの経験が出来ただけでも将来的に価値があろう。そんな寝台特急に最初で最後の乗車のため、路面電車を制覇した私は函館駅へと「はるばる」向かう。

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