「本線」という名の元に④ 石狩沼田
2017-09-30

かつてここから札沼線が分岐していたのはあまりにも有名であるが、一般的にはあまり有名じゃないかも知れない。私の世代でさえ物心付くか付かないかくらいの時代に廃止されたため完全に伝説的な事象である。廃線跡もそれほど面影が無いらしく、実感的なものを感じないのが正直なところである。と言うものの、残った末端区間も1日一本しか列車がやって来なくなってしまい、同じ運命を辿るのも時間の問題であろう。
さてそんな石狩沼田であるが、現在は交換設備が外され駅舎側のホームだけレールが残った。付近には大きな集落、というより市街地があり、この先留萌までガソリンスタンドは無いであろうと予測できる事から、ここ沼田で燃料を補給しないと大変な事になる。というくらいひとつの街が形成されてるにもかかわらず、駅が寂しくなってしまった。
考えてみたら、もし札沼線が健在であっても沼田から札沼線経由で札幌まで行かれる方はそう多くないであろう。仮にいたとしても私のような乗り潰し派的な物好きくらいかも知れない。
であるが、まさかここ沼田が棒線化されるとは思わなかった。かつては石炭や海産物の輸送でも賑わったであろう事は後述する留萌のかつての姿で察するところであろうが、現在は後述の峠下のみ残された交換設備だけでも運転本数に支障ないダイヤに組まれているのはさみしい限りである。

石狩沼田駅前はご覧の通り、かなりの繁栄を感じるが、実際に鉄道利用に結びついているのかというと・・・


立派な駅舎は札沼線部分廃止時に建て替えられたと聞く。そして現在・・・留萌本線の今後の将来も確定している中、石狩沼田自体が将来的に過去のものになってしまうのは虚しい・・・

早速ホームに向かってみる。駅舎を通過しなくても直接ホームに行けるという事は、既に駅員無配置としてのプロローグである事は明白である。




ご覧の通り、かつての盛栄を偲ぶ。前回訪問時(2008年)は「こんなはずではなかった」的なイメージであったが、今回の訪問時で更にその思いは倍増した。レールのないホームは、正直言って「勿体無い」的な感傷に浸る思いである。



駅舎内は至ってシンプル。というより前近代的な造りであるが、待合室が以外に広い。切符売り場は何となく人の気配が感じなくもないが、全く人の気配がなかった。

よく見ると、後述する留萌にソックリな造りである。恐らくちょうど同じ頃に建て替えられたのかも知れない。

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「本線」という名の元に③ 北秩父別
2017-09-25

超北海道らしい駅と言えば超北海道らしい駅であるが「本線」と思えば思うほど味が出てくるのがここ北秩父別であろう。留萌本線をウィキで調べたら「本線を名乗るJR線では一番短い」との蘊蓄があった。実際にレンタカーで訪ねてみたら、留萌~増毛の廃止区間は全駅訪問しても一時間とかからなかった。多分留萌から30分くらいで増毛に着いた印象であった。
とりあえずその件については後述するとして、北秩父別について、ご覧の通りかつては仮乗降場であり全国版の時刻表には顔を出さなかった。だがしかし、民営化とともに、遂にそのベールを脱いだのであった。
まず、レールファンなら一目見て「北海道」と感じることが出来るであろう。私は今回レンタカーでの訪問であったが、とにかく、ナビの案内ではあるものの駅を見つけたときの喜びは大きい。特にそれが枕木を並べただけのホームだったり古い木造駅舎だったりするとなおさらだ。ここ北秩父別は、ある意味典型的であろう北海道らしさが漂う駅であるから、そういった意味では逆に地味な存在かも知れないが、ここ留萌本線にあると更に一際地味さが増す感じである気がする。



踏切のすぐそばにある北秩父別。かつては仮乗降場であったが、JR化とともに駅に昇格。とはかつて北海道に星の数ほどあった仮乗降場の典型的な姿であるが、中には「仮」とは思えないくらいの立派な駅もあった。


そしてホーム・・・と呼べるかどうか分からないが、仮乗降場的なムードに満ち溢れている。北海道といえば「これ」であろうか。


そして先ほどから見え隠れしていた木造の待合室。こうした「古い良き」が現代シーンで失われつつあるが、逆に現在でも残っている事の方が奇跡かも知れない。





中身はこのような感じか。もし自身の書斎にしてみたら、ブログの更新にかなり精力的になりそうな雰囲気。


駅のすぐそばを高速が掠める。すでに時代は移り変わっており、留萌本線の未来は周知の通り役目を終えようとしている。だが、かつては石炭輸送で日本の経済や生活を支えたのも周知の通り。

多分首都圏などに在住されている方で事情の知らない方はこの駅を最初に見て驚く事であろう。とても駅とは思えないくらいに出来すぎている。まるで映画のセットのよう。

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「本線」という名の元に② 秩父別
2017-09-20

以外にもそれなりの繁華街に位置する秩父別は、すぐそばに道の駅があり住宅的な人の気配も絶えないため、それなりの利用者はあると思われる。実際に、駅前には自転車が多数主(あるじ)の帰りを待っていた。
だがその空間は、時空を超え、相対性理論さえも寄せ付けない「鉄道」という魔術に染められた「駅」という名のパラダイスでもあった。決して近代的とは言えない華奢な駅舎は、特に冬季の時間帯には利用者にとって非常に心強い存在であったろう。時代は変われど常に我々を優しく包んでくれる・・・そんな存在なのではなかろうか。特に最近では留萌本線の今後の行方がかなりハッキリと示されてしまった今、その存在は貴重なものになってしまったのは言うまでもない。だが、その貴重な存在も体験出来るのは今のうちだ。
であるが、そんな事を考えるとますます愛着が沸いてきてしまう秩父別。できれば末永くその存在を誇示していただきたかったが、残念ながら現在の姿での時間もそう長くはない。本当に惚れてしまいそうな秩父別「駅」は、それこそ「初恋の女(ひと)」にも似たような、そんな素敵な空間でもあった。


さて、まずは駅舎より。ご覧の通り利用者がそれなりにあると思われる駅前風景は、恐らく99%くらいの割合で学生が占めている事であろう。



かつては切符売り場、そして手荷物一時預所があったであろう名残が。留萌本線の歴史を感じる風景であろう。何せ「本線」であるのだから・・・





ホームに出てみた。ご覧の通り、かつては列車交換が出来た事がわかる。特に全盛期は貨物の、特に石炭を積んだ列車が頻繁に運転されていた事であろうがため、これから向かう各駅にも列車交換設備があったのだが・・・


駅名は町の名前から取ったものであるが、ウィキによると秩父別とはアイヌ語で「チクシベツ(通路のある川)から転訛したもの」らしい。特に北海道の地名は「ベツ(ペツ=川)」「ナイ=沢」が付く名前が多いのが特徴。ここも例に漏れる事無く。

塗装の仕方ひとつで印象がかなり変わるイメージであろう。今回の取材時の塗装が最終の景色となってしまうのか。

「文明を感じる」とはオーバーかも知れないが、北海道のローカル線を巡っていると何となくそう感じてしまうのは気のせいか・・・

という事で次の駅に向かうが、この駅に来る「次」はもうなくなってしまうのか・・・

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「本線」という名の元に① 北一已
2017-09-15

前述通り、パソコンで変換出来ない北一已であるが、念のためレールファン以外の方にも知っていただこうと読み方を記しておこう。その名も「きたいちやん」と読むが、かつては「きたいっちゃん」とも呼ばれていた。ただ、私は「きたいちゃん」を変換していたのでパソコンで漢字に変換できなかったが、「きたいちやん」と入力すれば変換できる事に気がついた。いやはや、私の早とちりであったみたいだ。いずれにしても特殊な難読駅名である事には間違いないが、起点の深川よりひと駅目なのに、もうすでにモードは田園地帯。決して田園調布ではない風景は心和む景色であるが、やはり経営者側からすれば旅客では実に銭儲け出来ない風景であろう。
そう、旅客・・・かつて鉄道が主役だった時代は貨物も「お客様」であった。そしてエネルギー革命が起き、そしてマイカーが主役になった現在「大量輸送」という鉄道が最も得意とするメリットをも持て余してしまう今日この頃、既に「経費<収入」の構図は完全に間に入る記号が「>」に逆転してもう何年経った事か。であるからなかなか設備などの更新は必要最低限のものになる。だが、逆に我々にとってみればそれが「昔ながら」が残る結果となり、それがたまらなく良い!という事になる。ここ北一已はそんな風景が未だ残る貴重な存在だ。全国的に「北一已駅ファン」が多く潜在している事であろうと思われるが、その名の通り、ここは期待を裏切らない風景が私を迎えてくれた。カーナビを駆使すれば、案内された場所は田んぼのど真ん中。若干の民家は点在するものの、やはり深川の隣とは思えない風景。初っ端から「らしさ」を提供してくれた。
ちょっとウィキを覗いてみたら、この北一已くらいまでが水田の北限であろうと記されていた。おう、そう考えたら逆にこの水田は貴重な存在ではないか!
そして駅舎は、かつて深名線で活躍していた宇津内の駅舎が移設されたと聞いた。そんな貴重な区域を見守るようなここ北一已は、レールファンから見ても駅自体が貴重な存在であろうし今後も活躍して欲しいのであるが、現実がそれを許さない状況である。であるから、やはり訪問するのは「今でしょう!」


早速であるが、駅の「顔」でもある駅舎へ。姿形は時代を感じるかも知れないが、特に冬季には心強い味方となる。数々の「戦いの証」がその証拠だ!

何度かメンテナンスされているであろうが、裏側、つまりホーム側に来るとご覧の通り「のっぺらぼう」になっている現在。だがそこにはかつて駅員などがいてホームからでも簡単に入れそうな出入り口があった雰囲気だ。

一瞬であるが「住んでみたい!」って思ってしまう私は変わり者であろうか?いや、だがしかし、一応駅設備であるため、洗濯物とか干す場所に困りそうな構造である。


では一旦ホームに出てみる。駅舎からホームへの階段の距離が気になるところであるが・・・ウィキで確認して納得した。




その納得材料であるが、かつては2面2線の相対式ホームで交換設備があった!言われてみれば白い花咲く部分にその名残を感じる事が出来るが、ホームの面影は感じることができなかった。先ほどのホームと駅舎の距離は、かつて貨物側線でもあったのかも知れない。



折り返し駅舎の中へ入ってみた。私の訪問時は6月であったので、季節的に「旬」ではないものが格納されていた。往年の長椅子も健在で、かつては私の地元であった相模線・寒川駅にも駅舎内に短いながら長椅子があった。現在は橋上駅舎に変わってしまってかつての駅舎は取り壊されてしまったので残念であるが、まだまだ地方にはこうした「昔ながら」が残っているのが素敵だ。

さて、駅前一等地はご覧のように「田園調布」では無く「田園地帯」。ウィキによると、水田はこのあたりが北限であるとの事。おう、ここに来て貴重な風景ではないか!シカト見届けよう。

という事で、名残惜しいが次の駅へ・・・

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「本線」というの名の元へ・・・プロローグ
2017-09-10
最近はすっかり駅紹介のブログと化してしまった感のある私の記事の数々であるが、逆に言えば私の旅のスタイルが変化したという事でもある。つまり、今までの私の旅はブログのタイトルである「鉄道全線」をテーマにレールのある場所全てを訪問するという、いわば「線の旅」が主流であった。しかし現在は「線の旅」はほぼ完成し、今まで訪問したかったが乗りつぶし優先のため通過せざるを得なかった場所にも行けるようになり「点の旅」ができるようになった。

北海道ではお馴染み貨車駅。留萌本線でも例外なしに幌糠が対応していた。ただ、この駅も近い将来「過去のもの」になってしまう事が決定しているので、訪問するなら「今でしょう!」。
そして今回は北海道の旅を紹介しているが、今回で2回目となる現在のスタイルでの北海道の旅。今ではすっかり定着し知恵も付いて比較的滑らかな旅ができるようになった。ただ、以前にも記した通り、勤務先で「北海道へ旅行へ行きます」と報告すると決まって皆観光的なイメージになり私を羨むコメントばかりであった。だが、その気になれば皆余裕でいけるでしょ?と思うのだが、おそらく会社の同僚たちは「ツアー」などで有名な観光地を巡りカニやラーメンなどグルメチックなプランを立てることであろう。実際に、たとえば会社の労働組合などから来る「夏休み」をテーマとする資料には大抵「温泉宿」「USJ」「TDL」など、いわゆる観光が主流になっている。そして場所的にも「熱海」「伊豆」「鬼怒川」など、首都圏に在住ならお馴染みの「テーマ」となっているところばかりである。そう、基本的に、一般的にはそういう「旅」が当たり前なのである。

留萌本線最大の駅・留萌。かつては「留萠」の表記であったが、JR化後に現駅名に変更。かつては石炭にニシンと盛んであったろう貨物輸送も、現在は旅客さえ高速バスやマイカーに圧倒されひっそりとしている。
だから私のような「変わり者」にはそういった会社の資料などは全く意味がないし合わないし利用できない。であるから必然的に自身でプランを立てて自身で切符を手配して・・・と全てが自身の腕にかかっているし自分しか頼る者がいない。逆に言えば自身の思い通りに旅が出来るというわけだ。しかし今は便利な世の中になった。インターネットが普及して飛行機の切符などもクリックひとつで手配できるし宿も取れる。本で調べて宿泊先に電話して予約する・・・など手間の掛かる時代ではない。もちろん、そういったアナログ的なスタイルを否定しているわけでもないが、それでも便利な世の中になった。

同じく留萌より。かつては羽幌線と天塩炭砿鉄道が分岐していて、それこそYの字状に広がる駅構内が印象的であった。しかし現在はその貨物側線は全て撤去され、駅舎側の設備のみ残され現在の姿になった。そして近い将来にそれすらも失われようとしている。
さて、今回もレンタカーを使っての旅である。行き先は留萌本線。「本線」と付くからには非常に重要な「動脈」であろうと思われるが、確かにかつてはそういう時代もあった。だが現在は単純に単なる盲腸線になってしまい、そして近い将来その役割も終えようとしている。というか、既に現在は一部区間が役目を終えており、そしてその撤去作業も始まっている。
今回はそんな留萌本線の今を追跡してみた。というより、部分廃止となった現在、近い将来の全区間廃止も含め現在の状態は今しか見れない事であろう。将来的にも貴重な資料として残しておきたい一心で「ADO」を使い羽田を後にした。

そしてまだ廃止されて間もない留萌~増毛間も訪問した。既に撤去作業が進んでおり、現役時代を収めておける最後のチャンスが今かも知れない。
次章では北一已からの紹介となるが、なんたってパソコンでこの駅名が漢字に変換できない!初っ端から一般的にはマイナーな駅であるが、それこそ私の旅のスタイル。一般的な観光地には目もくれず、ただひたすら真っ直ぐにこうした場所を求め歩く。いや、レンタカーを使いハンドルを切る。だがその場所は、深川からひと駅目というのにひっそりと自身を隠すかのように私を待っていたのであった。

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北海道ではお馴染み貨車駅。留萌本線でも例外なしに幌糠が対応していた。ただ、この駅も近い将来「過去のもの」になってしまう事が決定しているので、訪問するなら「今でしょう!」。
そして今回は北海道の旅を紹介しているが、今回で2回目となる現在のスタイルでの北海道の旅。今ではすっかり定着し知恵も付いて比較的滑らかな旅ができるようになった。ただ、以前にも記した通り、勤務先で「北海道へ旅行へ行きます」と報告すると決まって皆観光的なイメージになり私を羨むコメントばかりであった。だが、その気になれば皆余裕でいけるでしょ?と思うのだが、おそらく会社の同僚たちは「ツアー」などで有名な観光地を巡りカニやラーメンなどグルメチックなプランを立てることであろう。実際に、たとえば会社の労働組合などから来る「夏休み」をテーマとする資料には大抵「温泉宿」「USJ」「TDL」など、いわゆる観光が主流になっている。そして場所的にも「熱海」「伊豆」「鬼怒川」など、首都圏に在住ならお馴染みの「テーマ」となっているところばかりである。そう、基本的に、一般的にはそういう「旅」が当たり前なのである。

留萌本線最大の駅・留萌。かつては「留萠」の表記であったが、JR化後に現駅名に変更。かつては石炭にニシンと盛んであったろう貨物輸送も、現在は旅客さえ高速バスやマイカーに圧倒されひっそりとしている。
だから私のような「変わり者」にはそういった会社の資料などは全く意味がないし合わないし利用できない。であるから必然的に自身でプランを立てて自身で切符を手配して・・・と全てが自身の腕にかかっているし自分しか頼る者がいない。逆に言えば自身の思い通りに旅が出来るというわけだ。しかし今は便利な世の中になった。インターネットが普及して飛行機の切符などもクリックひとつで手配できるし宿も取れる。本で調べて宿泊先に電話して予約する・・・など手間の掛かる時代ではない。もちろん、そういったアナログ的なスタイルを否定しているわけでもないが、それでも便利な世の中になった。

同じく留萌より。かつては羽幌線と天塩炭砿鉄道が分岐していて、それこそYの字状に広がる駅構内が印象的であった。しかし現在はその貨物側線は全て撤去され、駅舎側の設備のみ残され現在の姿になった。そして近い将来にそれすらも失われようとしている。
さて、今回もレンタカーを使っての旅である。行き先は留萌本線。「本線」と付くからには非常に重要な「動脈」であろうと思われるが、確かにかつてはそういう時代もあった。だが現在は単純に単なる盲腸線になってしまい、そして近い将来その役割も終えようとしている。というか、既に現在は一部区間が役目を終えており、そしてその撤去作業も始まっている。
今回はそんな留萌本線の今を追跡してみた。というより、部分廃止となった現在、近い将来の全区間廃止も含め現在の状態は今しか見れない事であろう。将来的にも貴重な資料として残しておきたい一心で「ADO」を使い羽田を後にした。

そしてまだ廃止されて間もない留萌~増毛間も訪問した。既に撤去作業が進んでおり、現役時代を収めておける最後のチャンスが今かも知れない。
次章では北一已からの紹介となるが、なんたってパソコンでこの駅名が漢字に変換できない!初っ端から一般的にはマイナーな駅であるが、それこそ私の旅のスタイル。一般的な観光地には目もくれず、ただひたすら真っ直ぐにこうした場所を求め歩く。いや、レンタカーを使いハンドルを切る。だがその場所は、深川からひと駅目というのにひっそりと自身を隠すかのように私を待っていたのであった。

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1983年春、東京から西鹿児島まで普通列車の旅⑧
2017-09-05
さて、前章では阿久根にかなりこだわってしまったが、実際、阿久根はある意味私のお気に入りに街でありそして駅でもある。あの、ローカル的な出水~川内間は特に「本線」と名乗っているから(当時)尚更愛着が湧いてくる気がしてならなかった。そんな感性がもうすでに中学生の私にあったのだから不思議だ。いや、恐らく旅を重ねていくうちにこうした事がひとつひとつ体に心に刻み込まれ、そして染み付いて現在があるのであろう。私は何となくそう感じる。

現在は「薩摩川内市」に属する川内。この駅も新幹線が停車するようになって様変わりした事だろう。川内より鹿児島までは再び鹿児島本線を名乗る現在であるが、なぜ「肥薩おれんじ」にならなかったのか・・・それは新幹線と深い関係があると聞いた(「続きを読む」参照)。
さて、そうこうしていると、まもなく伊集院に。そう、後ほど鹿児島交通制覇後に再び立ち寄る「聖地」になる駅であろう。というか、気がついたら阿久根付近にいた時よりやたら乗客が増えている。そう、そうなんだ。もうすぐ西鹿児島という事で、鉄道本来の役割をしっかりと果たしている風景である。
伊集院を過ぎ、レールの波が扇状に広がっていくといよいよ西鹿児島に到着した。その時間14時11分。東京を23時25分に出発し、はるばる西に向かいながらとうとう西鹿児島に翌日の14時に到着という、とんでもない時間と体力が消耗されていった。「ヤッター!とうとう普通列車で鹿児島の地に足を踏み入れた!感動!!」と、嬉しさのあまり「青春の握りこぶし」をホームで連れの友と握り合った。そして感動のあまり涙が溢れ出す・・・
いや、実際は違った。

現在の鹿児島中央に到着!ついにやった!と感動に浸る時間も暇もない。この時は単なる乗り換え駅に過ぎなかった。私は更に枕崎に向け指宿枕崎線に乗り換える。その時間3分!
現実は・・・伊集院付近から車内が混み合っていく中、目指す鹿児島交通へは指宿枕崎線に乗り換えなければならない。指宿枕崎線の出発時間は14時14分、なんと3分の待ち合わせだ!私たちはすでにドアの手前にその身をあずけていた。列車が西鹿児島に着くと早速指宿枕崎線のホームに向かい猛ダッシュ!すでに出発ホームはアナウンスで確認している。一目散に跨線橋を駆け上がる。乗り換える指宿枕崎線の普通列車はすでに我々の座る座席などなく、不用意に空いたスペースに身を寄せるしかなかった。それでも枕崎まで向かわねばならない。そう、旅とは楽しい事ばかりではない。ある時にはこうした試練もむかえなければならない。というか、私の旅はこうした試練ばかりなのかも知れない。もちろん、計画段階ですでにこうした試練はわかっているのであるが・・・

1978年訪問時の西鹿児島。「にちりん」のDC版は、当時、日豊本線の宮崎~鹿児島間が非電化だったためである。バックには583系の姿が。昼間は「有明」として活躍していた。
さて、皆様は「青春18」についてどう感じ、そしてどういう印象をお持ちであろうか。もちろんこの切符の使い方は人それぞれで「18のみ」の場合もあれば、何かの切符と並行して「18」も使用する場合もあろうと思う。または現地に飛行機で向かい、現地で18を使うという事もあろう。人それぞれの使い方、人それぞれの旅。バリエーション豊かなこのきっぷを考えた当時の担当者は凄いと思うし、そして偉大であろう。その事はJR化された現在でも廃れずに活躍している姿を見れば一目瞭然。
ただ、残念なのは夜行普通列車の定期便が姿を消してしまった事。そして多くの鉄道路線が廃止という名のもとに姿を消してしまった事。「18」を使うのに、このふたつの楽しみが失われた事は実に重大かつ大きい。そんな中、皆様にとって「18」とはどういう存在なのであろうか?私にお知らせくだされば幸いである。そして皆様の意見を参考に新たな18の旅が発見できれば素敵であるし、そして私自身も新たな旅を探しに旅に出ることになろう。もちろん「青春18」を使って・・・

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現在は「薩摩川内市」に属する川内。この駅も新幹線が停車するようになって様変わりした事だろう。川内より鹿児島までは再び鹿児島本線を名乗る現在であるが、なぜ「肥薩おれんじ」にならなかったのか・・・それは新幹線と深い関係があると聞いた(「続きを読む」参照)。
さて、そうこうしていると、まもなく伊集院に。そう、後ほど鹿児島交通制覇後に再び立ち寄る「聖地」になる駅であろう。というか、気がついたら阿久根付近にいた時よりやたら乗客が増えている。そう、そうなんだ。もうすぐ西鹿児島という事で、鉄道本来の役割をしっかりと果たしている風景である。
伊集院を過ぎ、レールの波が扇状に広がっていくといよいよ西鹿児島に到着した。その時間14時11分。東京を23時25分に出発し、はるばる西に向かいながらとうとう西鹿児島に翌日の14時に到着という、とんでもない時間と体力が消耗されていった。「ヤッター!とうとう普通列車で鹿児島の地に足を踏み入れた!感動!!」と、嬉しさのあまり「青春の握りこぶし」をホームで連れの友と握り合った。そして感動のあまり涙が溢れ出す・・・
いや、実際は違った。

現在の鹿児島中央に到着!ついにやった!と感動に浸る時間も暇もない。この時は単なる乗り換え駅に過ぎなかった。私は更に枕崎に向け指宿枕崎線に乗り換える。その時間3分!
現実は・・・伊集院付近から車内が混み合っていく中、目指す鹿児島交通へは指宿枕崎線に乗り換えなければならない。指宿枕崎線の出発時間は14時14分、なんと3分の待ち合わせだ!私たちはすでにドアの手前にその身をあずけていた。列車が西鹿児島に着くと早速指宿枕崎線のホームに向かい猛ダッシュ!すでに出発ホームはアナウンスで確認している。一目散に跨線橋を駆け上がる。乗り換える指宿枕崎線の普通列車はすでに我々の座る座席などなく、不用意に空いたスペースに身を寄せるしかなかった。それでも枕崎まで向かわねばならない。そう、旅とは楽しい事ばかりではない。ある時にはこうした試練もむかえなければならない。というか、私の旅はこうした試練ばかりなのかも知れない。もちろん、計画段階ですでにこうした試練はわかっているのであるが・・・

1978年訪問時の西鹿児島。「にちりん」のDC版は、当時、日豊本線の宮崎~鹿児島間が非電化だったためである。バックには583系の姿が。昼間は「有明」として活躍していた。
さて、皆様は「青春18」についてどう感じ、そしてどういう印象をお持ちであろうか。もちろんこの切符の使い方は人それぞれで「18のみ」の場合もあれば、何かの切符と並行して「18」も使用する場合もあろうと思う。または現地に飛行機で向かい、現地で18を使うという事もあろう。人それぞれの使い方、人それぞれの旅。バリエーション豊かなこのきっぷを考えた当時の担当者は凄いと思うし、そして偉大であろう。その事はJR化された現在でも廃れずに活躍している姿を見れば一目瞭然。
ただ、残念なのは夜行普通列車の定期便が姿を消してしまった事。そして多くの鉄道路線が廃止という名のもとに姿を消してしまった事。「18」を使うのに、このふたつの楽しみが失われた事は実に重大かつ大きい。そんな中、皆様にとって「18」とはどういう存在なのであろうか?私にお知らせくだされば幸いである。そして皆様の意見を参考に新たな18の旅が発見できれば素敵であるし、そして私自身も新たな旅を探しに旅に出ることになろう。もちろん「青春18」を使って・・・

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