新春ジャイアントシリーズ⑥ 智北
2018-01-30

全く個人的な話で申し訳ないが、昨年暮れに私は某ロックアーティストのコンサートに出向いた。場所は日本武道館。このコンサートは12月中旬に5日間行われ五万人近い動員数があっただろう。

私は新橋からタクシーで武道館に向かった。「どちらまで?」の問いに「武道館まで」と返答した。すると運転手が即座に「もしかして武道館5DEY'Sの・・・」と言ってきたので私は「もしや」と思った。そう、そのタクシーの運転手も某ロックアーティストの大ファンだったのだ!偶然の超偶然。もしかして運命的な事かも知れない!ちなみに「武道館5DAY’S」とは、武道館公演を5日間やるという事である。そんなロックアーティストは日本でただひとりしかいない。ちなみにそのロックアーティストは、日本武道館公演数第一位である!2位は松田聖子であるが、そんな知識よりも、もう、そこからは武道館までその話で持切りであったが、その国民的某ロックアーティストも既に68歳になった。よくその歳でマイク振り回したりしてバリバリのロックができると逆に感心してしまうか、そもそもその歳で現役であるというのが実にラッキーな事であろう。真似しろと言われてもなかなか出来るものではない。


宗谷本線の中でも割と地味な印象と思われる智北。と言うか、私的には秘境駅とかよりも、こうした地味な駅が超好きだ。例えて言うなら伊豆急の「南伊東」とかは実にマニアックであり地味的に最上級であろう事が実に素晴らしい。勿論、この智北も「秘境駅」等とくくってはいけない駅としてこれからも活躍していただきたい。
タクシーの運転手が言っていた。「現役で観れる今は凄く貴重ですね。」と。あと何年現役でいられるか・・・だからこそ現役時代の現在を大切にしなければならないと。
やる事がある。これは私の年始挨拶でも記したが、実に素晴らしい事だ。私は果たして68歳になっても現在のような旅ができるのか。いや、もちろん旅に出たいに決まっている。それは異口同音、誰でも同じ意見であろう。だからこそ今の自分を維持していかなければならないと最近熟(つくづく)思う。



個人的には北星よりもこの智北が気になる存在。というより、こうした魅力ある駅が満載の宗谷本線は「本線」と名乗りながら本線らしくない表情をしているのが一番の特徴なのではないか。
宗谷本線の駅を巡っているとそんな思いが出てくる。名寄以北の宗谷本線は正直言って銭儲けのために列車を動かすのは限界に来ている。しかも旅客だけだから尚更だ。現役である現在は大変貴重であるが、運転本数が激減し夜行列車の運転もなくなった。そしてこの智北も利用者は年間通しても1日平均一人未満かも知れない。そんな駅ばかりが連続していたら、申し訳ないがもし私が経営する立場だったら即座に経営から身を引くであろう。しかしながら、宗谷本線は他の路線と何かが違い魅力たっぷりであるのはレールファン共通の認識であろう。何かの番組ではないが、思わず「DAISUKI!」と言ってしまいそうな宗谷本線の普通列車の旅はまだまだ続く・・・

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新春ジャイアントシリーズ⑤ 前略、智恵文より。
2018-01-25

天塩川に沿ってレールが導くDCは、やがて智恵文に到着した。やや酪農的風景も見られるが、基本何かの畑も多く見られる。2017年にレンタカーで訪問した時は北星に訪問の前に智恵文に訪問した。地理的関係からの事象であるが、智恵文駅に到着する前に若干ながら智恵文の中心街を通った。名寄国道と呼ばれる国道40号線に沿った部分に集落があるのだが、その集落からやや離れた場所に智恵文はあった。最近になってペイント的にリニューアルされたであろう「貨車駅」は北海道特有の風景であるが、駅まで続く長い直線道路がとても印象的であった。




現在の智恵文駅舎はいわゆる「貨車駅」となっているが、近年にリニューアルされていると思われ新しさを感じる。
私はこれまで多くの駅をレンタカーで訪問してきたが、駅まで必ず道は繋がっている。当り前の事かも知れないが、道を辿って駅に到着した時は大きな喜びを感じる。どんな小さな駅でも必ず道で繋がっている事は本当に感動する。日本全国「秘境駅」と呼ばれる駅の中には車道や、中には歩道すら通じてない駅も少なくない。しかし、基本的に駅とは公共交通機関のため外界から閉ざされてはいけないし、閉ざされては利用出来ないのが普通の理屈である。だがしかし、中にはその理屈に当てはまらない駅も中にはある。今回私が訪問した宗谷本線にはそうした駅は無かったが、だからこそ駅に道が通じている事に喜びを感じる事ができる。だから駅は機能している。利用者は年々減少して、近年では利用者がある方が珍しいと思えるくらいの駅も少なくないが、それでも時間になれば列車はやってくる。これはある意味、世界に誇れる日本の鉄道の優秀さであろう。



北海道特有の典型的な風景であるが、だからこそ後世にも残していきたい北海道的な駅だ。いや、正確にいうと「JR北海道的な」と言った方が正解かも知れない。ある意味、私が思うに「国鉄カラー」が薄いイメージなので。それでも利用者がいないと、鉄道を運営する側は「銭儲け」なのだから破綻したり廃止したりする。利用者あっての経営、収入あっての組織なのだから、やはり宗谷本線の現状を考えた場合、維持していくのは相当の困難が将来的にも待ち受けているであろう。


集落の外れにある智恵文駅。まっすぐ伸びる道路の先には「貨車駅」が待っている。かつては違う駅舎であったろう。だが、駅舎は変われど列車はいつもやってくる。
智恵文を後にする。当然ながらかつては違う風景だったのであろう。そして付近の集落も多くの変遷を巡ってきたであろう。だが、駅舎が変わり、そして街の風景が変わっても列車がやって来る風景は変わらないであろう。勿論運転車両も昔と違うが、ベーシックな部分、エッセンス的な部分は昔と変わらないであろう風景だと思う。ただ、この街から鉄道が失われた時、歴史的な変遷が待っているという事も受け止めなければならない。

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新春ジャイアントシリーズ③ 日進を楽しむ
2018-01-15

名寄を出発した列車から見える風景は、かつて沢山の線路があったろう空間が収束していき単線の鉄路に変化した。そして最初に到着したのは日進である。次の駅が「指扇」ではないのが残念だが、隣の駅が大都会の名寄なのにここ日進はもう北海道の由緒正しい風景全開となる。「仮の姿」的な姿ではあるが、なかなか愛嬌ある待合室がいい味を醸し出している。基本、乗降客ゼロ。とはいうものの、恐らく朝晩は通学生が若干名いる事と思われる。とはいえ、自宅から駅までまた数キロの道のりを自転車などでアクセスすることであろう。


既に紹介した留萌本線の章において、北一已辺りが日本の水田の北限とお伝えしたが、変わって酪農業が主流となる・・・と記したいのだがあまり人の気配を感じない。というより何かの畑が多くなってくる。酪農が印象的になるのはもっと北に向かった先の旧・天北線辺りだ。宗谷本線はどちらかというとサロベツ原野や天塩川など、自然な景色が印象的な路線である。そのため、当然ながら輸送密度は低い。それと反比例してレールファンの人気が高い路線でもあるのが宗谷本線。






2017年訪問時の日進。メンテナンス状態は非常に良く、ホームもしっかりと木製の重みが伝わってくる。
そんな中にある日進であるが、かつての仮乗降場的な雰囲気をふんだんに醸し出す駅である。正直言って国鉄時代、私は全くのノーマークであったが、年齢を重ねたせいもあるのか、こうした駅を自然に普通に普段から興味を持つようになった。後に紹介する糠南や隣の北星に比べ割と地味な存在であるが、その地味さ加減がまたいい味になっている。と言うか、一般的に「糠南や北西に比べ地味」とは、自分で表現しておきながら何を基準にしているのか分からないが、レールファンなら若干ながら理解して頂けるであろうと思う。



ホームよりやや離れた位置にある待合室。特に冬季にはメチャ活躍する事であろう。大自然の猛威から人々を守ってくれる心強い存在だ。
さて、2014年訪問時はご覧のように雪化粧に覆われた華奢な待合室であったが、2017年訪問時は6月のため「産まれたままの姿」で再会した。2014年訪問時は単なる途中駅的に一瞬の停車に過ぎなかったが、2017年では車のため念願叶って日進をしっかりと堪能できた。それは、職場などで毎日顔を見るけど話した事はないが、あるタイミングで実際に初めて会話したりしたらその人の事をもっと知りたくなる・・・みたいな、そんな感覚であった。

2014年訪問時は11月であったが、ご覧のように既に初冬の風景になっていた。関東在住の私にとって11月の雪景色は常識の範囲外。関東ではご覧の積雪具合では既に交通網がパニックになるが、北海道では何ら変わりなく日常的風景であった。

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新春ジャイアントシリーズ② 基本、宗谷本線の魅力に迫る
2018-01-10

2017年訪問時の名寄駅。駅前の街は実に大都会!とは言っても年々人口が減少していると思われる過疎化・少子高齢化時代において、生き残っていくのは並大抵な事ではないであろう。そして、レール需要は確実に減少しており、今後の活躍が気になるところ。
いや~っ、実に忙しかった・・・年末年始にかけて実に忙しく、自身の時間が持てずにいた。おかげでまともにPCに触れたのは1月9日という、何とも世間知らずの生活を送っていた私である。そんな中、頭の中ではしっかりと宗谷本線の旅を振り返りながら仕事をしていたので、ある意味「仮面」を被っている普段の私かも知れないが、やはりブログにて私の旅を紹介したいと思うと、普段の生活において仮面を被ってまでも宗谷本線の思い出が蘇ってくる。

駅前にある食堂。2017年訪問時は実に重宝したが、私は「ジンギスカン定食」を堪能。北海道らしいメニューが手軽に頂けるのが嬉しい。
今回は2017年夏に訪問した宗谷本線名寄以北の駅を中心にお送りしたいが、この時はレンタカーであった。私が最初に宗谷本線に足跡を残したのは2008年と以外に遅く、国鉄時代から訪問を夢見た私にとって実に「遅咲き」となったが、現在の宗谷本線を経験出来るのも将来的に価値が出てくる事であろう。この時の訪問は「スーパー宗谷」だが、正直言って、国鉄時代は旭川~稚内直通でDL率いる旧客の普通列車が運転されていて、いつかはそれに乗って宗谷本線を制覇したいと思っていたものだ。だが、そんな思いも夢に終わってしまい、現在ではDCの普通列車が運転されているのみとなってしまったが、更に運転本数も激減して宗谷本線の将来が問われている。

主要駅らしい名寄の佇まい。かつては名寄本線と深名線を分岐しており、まさに鉄道の要衝でもあった。特に深名線は現在でも面影を辿る事ができ、レールファン、特に廃線マニアにはたまらない逸材であろう。
そして再び宗谷本線を訪問するタイミングが訪れたのは2014年11月であった。その時は旭川~音威子府までDCによる普通列車の旅が実現したが、正直言って稚内まで普通列車で行ってみたかった。スケジュールの都合で実現しなかったが、近い将来に音威子府~稚内間の普通列車の旅を実現させたい思いである。
そんな旅も既にこのブログで紹介しているが、今回改めて「バーチャル宗谷本線の旅」を実現させたく再度紹介してみようと思う。


ものすごくレールを撤去しました感がある名寄駅構内。空いた土地の有効活用案でも出ているのであろうか。将来的に名寄以北が廃止された場合、もっとスリムな駅に変身しているかも知れない。
今回紹介したいのは名寄以北の旅であるが、2014年訪問時の名寄はたった4分の乗り換え時間だったためまともに駅を観察できなかった。2017年夏の場合、しっかりと駅前で食事を摂った後の訪問だったのでバッチリと隅々まで堪能できた。
名寄・・・素敵な駅だ。ただ、かつてあった側線がことごとく撤去されており、かつての盛栄が懐かしい風景となってしまった。だが、2017年訪問時はかつての深名線の廃線跡を辿って名寄入りしたため、クリスタルキングではないが、名寄が実に「大都会!」と感じてしまった。名寄の街は本当に大都会で、特に「イオン」や「しまむら」などの商業施設が印象的であった。北海道のこの地にありながら店舗を維持し、そして経営していくのはかなり努力がいるはず、ってへんな現実を考えてしまうレールファンも困ったものだ。そんなレールファンを乗せた普通列車は次の駅に向かいディーゼル音を大きく唸らせた。

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新春ジャイアントシリーズ① 宗谷本線の魅力に迫る
2018-01-05
宗谷本線は、言わずと知れた日本最北端の鉄道路線である。そして多くのレールファンがその魅力に惹きつけられ、そして魅了されている事であろう。2017年夏、それこそウン十年来の夢であった宗谷本線の各駅巡りが具現化した。
最近の私のブログは「駅めぐり」的な記事が非常に多くなったが、逆に言えば「線の旅」から「点の旅」ができる環境になったという事である。

JR北海道的には、そしてレールファン的には非常にオーソドックス的風景な駅であろう下沼であるが、交換設備が外された駅も少なくない。
私が中学生の頃は「いい旅チャレンジ20000km」のキャンペーン中で、それこそ多くの鉄道路線を乗り潰さなければならなかった。「乗り潰さなければならなかった」とはなんか義務感みたいな印象で、実際に内容のある旅をしているのかどうか疑問に思う部分もなくはないであろう。当時は「ワイド周遊券」という切符があり、例えば北海道などは20日間有効で北海道の国鉄全線と国鉄バスの一部が利用でき、更に特急列車の自由席も利用できるという優れものであった。もちろん急行列車も急行券無しで利用できるので、夜行急行列車の宝庫であった北海道では非常に重宝した切符であった。
散々北海道行きの計画は作りまくったが、結局全て御蔵入りとなってしまい、結局国鉄時代に北海道へ訪問できたのは白糠線廃止情報を受けた1983年のみであった。

素敵な駅舎に建て替えられた美深。とは言え、私の記憶だと美幸線が健在の時は既にこの駅舎であったので30年以上前にリニューアルされた事になるが、そうとは思えないくらいのメンテナンス感。
そんな時代から約30年くらいが過ぎ、ようやく自身のやりたい事がわずかながらでも実現させるタイミングが作れるようになり、今こうしてその記憶を綴ろうとしている訳であるが、やはり国鉄時代にも経験したかったというのが本音かも知れない。だが、こうして時を越え現在の宗谷本線を巡る事が出来る自分は、ある意味幸せな事であろう。今回も駅めぐりの記事が多くなろうと思うが、最後までお付き合いいただければ幸いである。

宗谷本線の要衝駅である名寄であるが、構内の側線はかなり撤去されてしまった。名寄以北は将来的に存続問題が囁かれているが、個人的には是非とも永遠な交通機関として活躍して欲しい気持ちである。

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最近の私のブログは「駅めぐり」的な記事が非常に多くなったが、逆に言えば「線の旅」から「点の旅」ができる環境になったという事である。

JR北海道的には、そしてレールファン的には非常にオーソドックス的風景な駅であろう下沼であるが、交換設備が外された駅も少なくない。
私が中学生の頃は「いい旅チャレンジ20000km」のキャンペーン中で、それこそ多くの鉄道路線を乗り潰さなければならなかった。「乗り潰さなければならなかった」とはなんか義務感みたいな印象で、実際に内容のある旅をしているのかどうか疑問に思う部分もなくはないであろう。当時は「ワイド周遊券」という切符があり、例えば北海道などは20日間有効で北海道の国鉄全線と国鉄バスの一部が利用でき、更に特急列車の自由席も利用できるという優れものであった。もちろん急行列車も急行券無しで利用できるので、夜行急行列車の宝庫であった北海道では非常に重宝した切符であった。
散々北海道行きの計画は作りまくったが、結局全て御蔵入りとなってしまい、結局国鉄時代に北海道へ訪問できたのは白糠線廃止情報を受けた1983年のみであった。

素敵な駅舎に建て替えられた美深。とは言え、私の記憶だと美幸線が健在の時は既にこの駅舎であったので30年以上前にリニューアルされた事になるが、そうとは思えないくらいのメンテナンス感。
そんな時代から約30年くらいが過ぎ、ようやく自身のやりたい事がわずかながらでも実現させるタイミングが作れるようになり、今こうしてその記憶を綴ろうとしている訳であるが、やはり国鉄時代にも経験したかったというのが本音かも知れない。だが、こうして時を越え現在の宗谷本線を巡る事が出来る自分は、ある意味幸せな事であろう。今回も駅めぐりの記事が多くなろうと思うが、最後までお付き合いいただければ幸いである。

宗谷本線の要衝駅である名寄であるが、構内の側線はかなり撤去されてしまった。名寄以北は将来的に存続問題が囁かれているが、個人的には是非とも永遠な交通機関として活躍して欲しい気持ちである。

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「フルキヨキ」とは
2018-01-01
新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
さて、新年早々昨年の話で申し訳ないが、昨年の11月3日に私は「豊田真奈美引退試合」を観戦しに横浜は大さん橋ホールに出向いた。
豊田真奈美と聞いてピンと来たらあなたは相当熟練の女子プロレスフリークであろう。そう、私は久々に女子プロレスを観戦しに行ったのだ。恐らく20年以上振りくらいのため、現在活躍する現役レスラーはほとんどわからなかった。
ちなみに試合形式であるが、なんと1人一分勝負で50人と試合をするという、何とも無謀な、そして過去に前列がないであろう引退試合となった。

全く記事内容と関係ない写真の目白押しなのは新年恒例の事。今回のこの記事の写真は全て「ダイナミック✩トナカイ」の提供でお送りしよう。ご覧の「たざわ」は1983年頃の盛岡である。
だが、新陳代謝が激しいこの業界でバブル期に活躍したレスラーが今だに頑張っているのは実に素晴らしい事。25歳定年制という言葉が懐かしいくらいに現在でも現役を続けているレスラーは非常に貴重な存在であろう。中でも堀田佑美子や井上貴子などかつての全女仲間が現役で豊田真奈美の対戦相手として出場したのは実に感慨深い。中には男子のレスラーも登場。豊田真奈美の人間性がこの事ひとつとってもお分かりになろう。
実は、正直言ってこの大会の切符は手に入れたものの、試合当日まで観戦するかどうか悩んでいた。それは、試合の約一週間前に妻が骨折で入院してしまったのだ。経過はそれなりに順調であるが、やはり後ろめたいものがありなかなか会場に行くのに踏ん切りつかずにいた。だが、豊田真奈美の引退試合はこの日しかない❗との思いから、結局港・横浜に向けハンドルをきった。
この大会で特に感じたことは、とにかく豊田真奈美が「女性」という事。これは私個人の意見であるが、女性は「先輩・後輩」や「師匠」「友人」などの、いわゆる「絆」というものを前面に出してくる生物であるということをものすごく印象付けられた。
男の場合、恐らく照れからくるのか、それともプライドからなのかわからないが、女性ほど感情を表に出さないのではなかろうか。よく子供の頃「男の子なんだからメソメソしないの!」とか「男の子なんだからやられたらやり返すんだ!」など、何かにつけて「男なんだから」とよく親などに言われた記憶が皆さんもおありであろう。この「男」という単語にはいったいどんなキーワードが隠されているのであろうか。勿論十人十色、人それぞれ感情的な部分には違いはあろうが、やはりその事については逆に女性の方が顕著に表れていると思う。

こちらは1983~1984年頃の上野駅での撮影であろう。恐らく「クラブ活動」での撮影と思われる。ちなみにそのクラブ活動とは「鉄道研究クラブ」といい、私が中学生時代に所属した学校のクラブ活動であった。何度か紹介しているが、改めて報告すると、ダイナミック✩トナカイと私はこのクラブ活動の先輩・後輩の間柄であり、そして良き盟友でもあった。
豊田真奈美は私と2年しか年齢の違いがないが、彼女のファイトスタイルでよくぞここまで、この時代まで現役でいたと感心してしう。だが、やはり身体的に限界を感じ引退となってしまうわけだが、気持ち的には勿論現役続行の部分が100%であろう。
そういえば、よく定年したサラリーマンなどが定年後にやる事がなく、自分自身を見失う的な話を聞いたことがある。また、ニュースなどで、例えばお盆休みなどで長期休暇中にも関わらず丸の内のオフィス街にスーツ姿で「何となく仕事に来てしまった」みたいな事例も観たことがある。
私はそれについて否定も肯定もするつもりはない。それよりも私が言いたいのは「やることがある」という事は幸せなんだなという事が特に最近強く感じるようになった。そしてやるだけの環境や体力的なものも大切なんだなというのがかなり重要である事に最近気づいた。そしてそんな自分を更に将来に向け維持しなければならないであろうと思うようにもなった。

こちらも同じく「クラブ活動」の一環と思われる。1980年代の上野駅は非常なくらい頻繁に在来線の特急列車の行き来は激しかった。東京駅とは全く違う「北の玄関」のカラーが特異に放たれていた当時は、ある意味「メッカ」的存在でもあった。
豊田真奈美は引退したが、今後の活動などをまだ明言していない。果してプロレスよりも楽しいこと、やりたいことが見つかるのであろうか。それとももう既に決まっているのであろうか。
私は今後も鉄道と関わっていくであろうし、それが私のやりたい事でもある。そしてこのブログのテーマでもある「鉄道全線」はまだ乗り潰していない。勿論、その気になれば全線制覇できなくもない。だがあえて私は残してある。その理由は・・・その理由は皆様にお察しいただくとしよう。

こちらはダイナミック✩トナカイの単独行動によるものと思われる「くろしお」である。JR化後は「オーシャンアロー」なる新生特急が登場。国鉄派の私にとっては実に斬新なネーミングであった。
豊田真奈美の引退試合はとても素晴らしい興行であった。1人1分間で50人(正確には54人)との試合。試合というよりもお世話になったレスラー、お世話したレスラー達への別れの挨拶的な内容であった。豊田らしい・・・実に豊田らしい。後輩や先輩、そして同期との素晴らしい絆。
一足早く会場をあとにした私は、会場からかなり離れた位置にある駐車場に向かった。途中、山下公園を経由するが、桟橋から見る夜景はいつになく素敵だった。三連休の夜ということもあろう、桟橋には多くのカップルが夜景に向かい寄り添っている。ひとり駐車場に向かう私は「いったい自分はこの場所でひとり何をしているのだろう・・・」という思いが頭の中をかすめる。いや、今日は豊田真奈美が素敵な思い出をくれた。かつての仲間が、そしてライバル達が今日は笑顔で祝福してくれた。「ファイトスタイルを変えたりいろいろなキャラを演じるレスラーもいるけれど、私は豊田真奈美しか演じる事ができない。」これは後日にCSで放送された自身の引退試合のゲスト解説で述べたコメントである。勿論要約してあるが、内容的にはこんな感じである。
器用・不器用よりも最後まで豊田真奈美を演じる事ができた豊田真奈美は羨ましいし素晴らしい。

こちらは1984年頃の福井駅である。まだ地上時代の駅はカーブしたホームが特徴で、高架化された現在でもそのカーブしたホームが引き継がれている。私が北陸に初めて訪れたのは2006年頃であったので、国鉄時代に訪問できたダイナミック✩トナカイが実に羨ましい!
私自身、最後まで「ダイヤモンド⭐トナカイ」を演じる事ができるのであろうか。いや、演じる事が重要ではない。重要なのは鉄道が好きかどうかであろう。
桟橋から山下公園へ続く歩道には、かつての貨物線が転用されている。そこから見る夜景は実にロマンティック。かつて貨物列車に独占されていたのは実にもったいない!たった2本の鉄のかたまりにも、場所によりいろんなドラマが凝縮されている。そんなドラマを追い求め、今年も旅に出るのだろう。

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さて、新年早々昨年の話で申し訳ないが、昨年の11月3日に私は「豊田真奈美引退試合」を観戦しに横浜は大さん橋ホールに出向いた。
豊田真奈美と聞いてピンと来たらあなたは相当熟練の女子プロレスフリークであろう。そう、私は久々に女子プロレスを観戦しに行ったのだ。恐らく20年以上振りくらいのため、現在活躍する現役レスラーはほとんどわからなかった。
ちなみに試合形式であるが、なんと1人一分勝負で50人と試合をするという、何とも無謀な、そして過去に前列がないであろう引退試合となった。

全く記事内容と関係ない写真の目白押しなのは新年恒例の事。今回のこの記事の写真は全て「ダイナミック✩トナカイ」の提供でお送りしよう。ご覧の「たざわ」は1983年頃の盛岡である。
だが、新陳代謝が激しいこの業界でバブル期に活躍したレスラーが今だに頑張っているのは実に素晴らしい事。25歳定年制という言葉が懐かしいくらいに現在でも現役を続けているレスラーは非常に貴重な存在であろう。中でも堀田佑美子や井上貴子などかつての全女仲間が現役で豊田真奈美の対戦相手として出場したのは実に感慨深い。中には男子のレスラーも登場。豊田真奈美の人間性がこの事ひとつとってもお分かりになろう。
実は、正直言ってこの大会の切符は手に入れたものの、試合当日まで観戦するかどうか悩んでいた。それは、試合の約一週間前に妻が骨折で入院してしまったのだ。経過はそれなりに順調であるが、やはり後ろめたいものがありなかなか会場に行くのに踏ん切りつかずにいた。だが、豊田真奈美の引退試合はこの日しかない❗との思いから、結局港・横浜に向けハンドルをきった。
この大会で特に感じたことは、とにかく豊田真奈美が「女性」という事。これは私個人の意見であるが、女性は「先輩・後輩」や「師匠」「友人」などの、いわゆる「絆」というものを前面に出してくる生物であるということをものすごく印象付けられた。
男の場合、恐らく照れからくるのか、それともプライドからなのかわからないが、女性ほど感情を表に出さないのではなかろうか。よく子供の頃「男の子なんだからメソメソしないの!」とか「男の子なんだからやられたらやり返すんだ!」など、何かにつけて「男なんだから」とよく親などに言われた記憶が皆さんもおありであろう。この「男」という単語にはいったいどんなキーワードが隠されているのであろうか。勿論十人十色、人それぞれ感情的な部分には違いはあろうが、やはりその事については逆に女性の方が顕著に表れていると思う。

こちらは1983~1984年頃の上野駅での撮影であろう。恐らく「クラブ活動」での撮影と思われる。ちなみにそのクラブ活動とは「鉄道研究クラブ」といい、私が中学生時代に所属した学校のクラブ活動であった。何度か紹介しているが、改めて報告すると、ダイナミック✩トナカイと私はこのクラブ活動の先輩・後輩の間柄であり、そして良き盟友でもあった。
豊田真奈美は私と2年しか年齢の違いがないが、彼女のファイトスタイルでよくぞここまで、この時代まで現役でいたと感心してしう。だが、やはり身体的に限界を感じ引退となってしまうわけだが、気持ち的には勿論現役続行の部分が100%であろう。
そういえば、よく定年したサラリーマンなどが定年後にやる事がなく、自分自身を見失う的な話を聞いたことがある。また、ニュースなどで、例えばお盆休みなどで長期休暇中にも関わらず丸の内のオフィス街にスーツ姿で「何となく仕事に来てしまった」みたいな事例も観たことがある。
私はそれについて否定も肯定もするつもりはない。それよりも私が言いたいのは「やることがある」という事は幸せなんだなという事が特に最近強く感じるようになった。そしてやるだけの環境や体力的なものも大切なんだなというのがかなり重要である事に最近気づいた。そしてそんな自分を更に将来に向け維持しなければならないであろうと思うようにもなった。

こちらも同じく「クラブ活動」の一環と思われる。1980年代の上野駅は非常なくらい頻繁に在来線の特急列車の行き来は激しかった。東京駅とは全く違う「北の玄関」のカラーが特異に放たれていた当時は、ある意味「メッカ」的存在でもあった。
豊田真奈美は引退したが、今後の活動などをまだ明言していない。果してプロレスよりも楽しいこと、やりたいことが見つかるのであろうか。それとももう既に決まっているのであろうか。
私は今後も鉄道と関わっていくであろうし、それが私のやりたい事でもある。そしてこのブログのテーマでもある「鉄道全線」はまだ乗り潰していない。勿論、その気になれば全線制覇できなくもない。だがあえて私は残してある。その理由は・・・その理由は皆様にお察しいただくとしよう。

こちらはダイナミック✩トナカイの単独行動によるものと思われる「くろしお」である。JR化後は「オーシャンアロー」なる新生特急が登場。国鉄派の私にとっては実に斬新なネーミングであった。
豊田真奈美の引退試合はとても素晴らしい興行であった。1人1分間で50人(正確には54人)との試合。試合というよりもお世話になったレスラー、お世話したレスラー達への別れの挨拶的な内容であった。豊田らしい・・・実に豊田らしい。後輩や先輩、そして同期との素晴らしい絆。
一足早く会場をあとにした私は、会場からかなり離れた位置にある駐車場に向かった。途中、山下公園を経由するが、桟橋から見る夜景はいつになく素敵だった。三連休の夜ということもあろう、桟橋には多くのカップルが夜景に向かい寄り添っている。ひとり駐車場に向かう私は「いったい自分はこの場所でひとり何をしているのだろう・・・」という思いが頭の中をかすめる。いや、今日は豊田真奈美が素敵な思い出をくれた。かつての仲間が、そしてライバル達が今日は笑顔で祝福してくれた。「ファイトスタイルを変えたりいろいろなキャラを演じるレスラーもいるけれど、私は豊田真奈美しか演じる事ができない。」これは後日にCSで放送された自身の引退試合のゲスト解説で述べたコメントである。勿論要約してあるが、内容的にはこんな感じである。
器用・不器用よりも最後まで豊田真奈美を演じる事ができた豊田真奈美は羨ましいし素晴らしい。

こちらは1984年頃の福井駅である。まだ地上時代の駅はカーブしたホームが特徴で、高架化された現在でもそのカーブしたホームが引き継がれている。私が北陸に初めて訪れたのは2006年頃であったので、国鉄時代に訪問できたダイナミック✩トナカイが実に羨ましい!
私自身、最後まで「ダイヤモンド⭐トナカイ」を演じる事ができるのであろうか。いや、演じる事が重要ではない。重要なのは鉄道が好きかどうかであろう。
桟橋から山下公園へ続く歩道には、かつての貨物線が転用されている。そこから見る夜景は実にロマンティック。かつて貨物列車に独占されていたのは実にもったいない!たった2本の鉄のかたまりにも、場所によりいろんなドラマが凝縮されている。そんなドラマを追い求め、今年も旅に出るのだろう。

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