チャンピオンカーニバル⑧ 南稚内
2018-05-30

いよいよ宗谷本線を巡る旅も千秋楽に近づいてきた。かつては稚内を名乗ったこの南稚内も天北線が廃止されて以来かなり寂しくなってしまった。市の中心部には隣の稚内より俄然近く、中心部の機能もこちらに集まっている印象である。駅員が配置され、駅舎も国鉄時代からのものであり、やや改装されたものの懐かしい雰囲気を醸し出している。







南稚内駅舎。昔ながらの雰囲気と部分的に改装されモダンな雰囲気が同居する。隣の稚内に比べ地味な印象かも知れないが、南稚内の存在・機能的役割は実に大きく偉大である。
かつてはターンテーブルや機関区などもあったが、現在はかなり整理されスッキリしてしまった印象であるし、天北線の面影をあまり感じないのも残念である。
さて、抜海から稚内方面に車を走らせるとひと山越えるイメージで稚内市内に入るが、山越えの坂を下ると一気に開け市街地が目に飛び込んでくる。
「超大都会・・・」
いままでずっと秘境気味た場所をめぐっていたせいか、文明というものをすっかり忘れていたような気がする。





かつては稚内を名乗った事もあるが、実際にここ南稚内は隣の稚内よりも市街地に近い。天北線をほとんど感じさせない現在の風景であるが、かつては夜の時間帯に夜行急行「利尻」と天北線の列車交換風景が見られた。
そういえば、最近「ガイアの夜明け」という番組でローカル線を題した番組を放送していた。ある意味これからのローカル線のあり方的な内容であったが、それでもある意味明るい内容という印象ではなかった。やはり元々赤字である国鉄のローカル線を民間などが引き継いだのだから、再生させるにも本当にテーマが多すぎるという事であろうか。ただ「利用者が減った、だから廃止する」という合理的な考えは当然であろうが、もっと違った方法での活用法があるのでは・・・的なエンディングで番組を締めたあたり、なかなか憎い演出であった。ただ、番組の途中でJR北海道の会見があり「当社単独の運営では維持できない」的な事を発表していた場面が流れたが、その地図内に宗谷本線の名寄以北がしっかりとマーカーされていたのは実にショックであった。

屋号にモザイクを入れるべきか悩んだが、とりあえずそのまま掲載させてただいた。レンタカーで移動している今回の旅では非常に気になる存在である。
南稚内・・・国鉄時代から、私的には実に存在感のある駅であると思う。日本最果の地に駅があるという現在の事実は非常に価値が有ると思う。もちろん。北の最果ては隣の稚内である。だがしかし、私は思う。南稚内があるからこそ稚内の存在が光る・・・なんでそんな風に私が感じるのかは、正直言って「何となく」としか答えられない。いや、皆様ならばこの私の問いかけに、きっと明確な答えを知っているはずであろうと私は感じる。南があるから光る存在・・・そんな「南」の健気さが好きでたまらない。

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チャンピオンカーニバル⑦ 雄大な地の抜海
2018-05-25

勇知から抜海へ向かう途中はものすごい雄大な景色でありいかにも北海道らしいスケールであった。牧場の中を一直線に伸びる道路を抜けると一気に「利尻富士」が海の向こうから飛び込んできた。
暫く海岸線を走ると「抜海駅」と道路標識が見えてきた。矢印の指す方向にハンドルを切ると抜海駅が現れる。だがそこは、物凄く奇抜な空間であった。例えて言うなら・・・河合奈保子のデビュー曲「大きな森の小さなお家」的な感じであろうか。一見駅とは感じさせない、なんとなく林業の事務所のような建物は昔からの駅舎であるが、雄信内とは違い何となく新しさを感じる。勿論古くからの存在であろうが、何となく宗谷本線らしさが薄いイメージであった。だがそれがかえっていい味を醸し出してるのかも知れない。

少々回り道になったが、ナビの案内により勇知から抜海に向かう途中、こんな景色に遭遇。実に北海道らしい!近道だけがいいとは限らない。人生においてもそうであるが、やはり遠回りしたらしたなりにこうした出会いがあるという事は実に素晴らしい。
全く関係ないが、最近私はこの河合奈保子のかつての勇姿をyoutubeで視るのにハマっている。特に「ヤングボーイ」が実に素敵だ。笑顔を絶やさず一生懸命歌う姿がとても愛らしい。この「ヤングボーイ」がヒットした時期は確か私が小学6年生くらいであった記憶だ。友達の誕生日祝いにこの「ヤングボーイ」のシングルレコードをプレゼントした記憶だから1981年~82年位であり、それこそ「いい旅チャレンジ20000Km」が始まって間もない頃だったと思う。




海に近い位置にあるが、ご覧の通り「森の中」的印象の抜海。雄信内などの他の木造駅舎と違い、何となく奇抜な印象。というより、こうして昔ながらの駅舎が残っている事自体が最近は貴重になってきた。
先程の「大きな森の~」の次のシングルで、この「ヤングボーイ」のヒット以降、河合奈保子は暫く安定した人気が続いたと思う。当時の私はさほど河合奈保子に興味を示さなかったが、なぜ今になって気になる存在となったのであろうか。
余談であるが、先日youtubeで河合奈保子の「スマイル・フォー・ミー」を視ていたら、なんと福井駅のホームから歌っている場面を中継していたのだ!しかも高架化前の地上時代の姿だから時代を感じてしまうが、特に若い世代に是非ご覧いただきたい思いである。




駅舎の中は実に良い!こうした佇まいも最近はかなり貴重になってきたのである意味、行くなら「今でしょう!」的な雰囲気。
ところで、昔の私は「上野」や「東京」などの大きな駅が好きであった。だが年齢を重ねるにつれ芸備線や石北本線の秘境気味た地味な駅などに異常に興味を示すようになり、そして現在に至っている。やはり自身が成長するにつれ好みや物の見方も変わってくるのは皆様も経験済みであろう。ただ、なぜそれが私の場合「河合奈保子」なのかわからない・・・そんな奇抜的イメージを備えた抜海であった。



















出し惜しみせずに今回の旅で収めた抜海を全て披露しよう。ここ抜海も交換設備が残され昔ながらの姿が今も残る。貴重な存在になってしまった今、本当に我々がこの勇姿を見れる時間はかなり限れれてきているのかも知れない。

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チャンピオンカーニバル⑥ 憧れの勇知
2018-05-20

宗谷本線の末端区間は国鉄時代から「いつかは各駅に行ってみたい!」と憧れていたが、今回の旅でその夢は叶ったかたちである。その間、約35年くらいの月日が流れ世の中の情勢も大きく変化したが、同じ様にレールを取り巻く環境も大きく変わった。
「団塊の世代」と呼ばれた日本の高度経済成長時代初期に産まれた人たちは現在年金を貰う立場になり、既に高齢化社会を迎えた。そして、いわゆる少子高齢化の時代を迎え過疎化の地域も目立ってきた。そんな中、時代とともに消えたレールもあったが、今まで生き残って来た場所も力尽きた区間が多数ある。鉄道廃止が「許可」から「申請」に変り運営する側が主導を握り簡単に路線の改廃を決められる時代になった。特に名鉄などはその「特権」をフル活用し一時期にかなりの路線を廃止した。



いかにも「鉄製です!」的な色に塗り替えられた現在の駅舎、というより待合室。現在では、ある意味貨車駅は北海道特有の「文化」として定着している感があるが・・・
宗谷本線の末端区間も、例えば稚内市にレールが、そして駅が無くなってしまう風景を想像できるか・・・
確かにかつてより稚内駅はスリムになったが、基本、私は考えられない。
というより、私は鉄道と出会ったから日本全国の地名などを知ることができた。それこそ「糠南」などの、一般的にはかなりマニアックな地名を知ることができたのはある意味恩恵を受けた証拠であろう。その象徴として私は「国内旅行業務取扱管理者」という資格を取得するという副産物もついてきた。




地元の方のご協力により駅も華やかに。ただ、列車のやってくる回数が少ないのは残念な限りである。
更に鉄道が好きであったお陰で実際にその地に訪問する機会ができて日本全国を行脚し、現在訪問していない都道府県は沖縄のみとなってしまった。そしてその街の特産品や文化などにも触れ、更に「旅行業務」としての知識も増えてきた。こうして人間て成長していくのかな~と今更ながらに思う一方、体力的にはどうであろうか・・・







ホームへ出てみた。他の駅のそれとほぼ似たような風景であるが、レールの先が一部波を打っているのはかつて交換設備があった名残。
かつてジャイアント馬場が某番組で試合前のウォーミングアップ中に「俺はいつまでこうして武道館の天井を見ることが出来るのかなぁって、これはいつも思っている。」と言っていた意味が何となく最近わかってきた気がする。
昔好きだった国鉄を、今こうして時を越えJRの時代にレンタカーで巡るのがある意味面白い。「赤字」「無愛想」のイメージが強い国鉄であったが、普段行かない地方の国鉄を訪問するとそんなイメージも吹き飛んでしまうくらいの出会いや出来事が多かった。そして夜行列車も多く活躍していた。そう、かつてはここ宗谷本線にも夜行列車が運転されていた時代があったのだ!残念ながら私は乗れなかったが、もし再び運転される日が来るのなら必ずや駆けつける事であろう。

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チャンピオンカーニバル⑤ 兜を脱いだ兜沼
2018-05-15

最近私は「ラーメン道」的な食べ歩きが日常化している。我地元・神奈川ではご存知「家系」がご当地ラーメンとして、また「サンマーメン」も神奈川発という事で県内各地で鎬を削っている。特に家系のでは総本山と呼ばれる某有名店があり、マックスで1800杯をも1日で食されるといわれている猛者が横浜駅前にある。そしてその店主の次男坊が我が家の近所で軒を構え、1日マックス1000杯をも食される「王道の味継承店」としてその味を受け継いでいる。
そんなマンモス店から分家していったラーメン店が県内各地に多数ひしめき合い「家系」としてひとつのジャンルに確立されていくわけであるが、とにかくウマイ❗家系ラーメンは神奈川県民として胸を張って自慢できる「名産品」であろう。




北海道といえば・・・味噌ラーメンである。そう、サッポロラーメンだ!有名な「すみ⚪」は絶品と聞いているが、いつか必ず・・・の思いである。ただ、私もこれだけ北海道へ訪問しているのだから今になって「すみ⚪」に行けばよかったのになぁ的な思いもあるが、まだまだ北海道への訪問構想はある。その時は必ず!










さて、そんな北海道は宗谷本線の兜沼であるが、それなりに集落を形勢している印象であった駅前の風景を象徴するように、近年にモダンな駅舎に改築された兜沼であるが、利用者数は年々減少して、恐らく現在は1日一桁であろう。
というより、この辺りは「サロベツ原野」と呼ばれる国立公園に隣接しているので、基本的に大自然過ぎるため住宅的な土地活用には不向きのため旅客での増収は期待出来ないであろう。ただ、車窓に広がる景色は絵に描いたような美しさであるので出きれば将来的にも後世に受け継がれてほしい。



ただ、ここ兜沼では列車交換設備が残された。ホームが2本の相対式であるのが実に良い。そして他の宗谷本線各駅とやや違う印象であるのは駅舎がモダンであるのがやや影響しているのであろうか。今まで立ち寄ってきた宗谷本線の駅とは違い、やや異空間に映る。それは写真をご覧いただければ一目瞭然であろう。宗谷本線の駅らしくない、言わば「ナウい」的な印象の兜沼であった。

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チャンピョンカーニバル④ ちょっと芦川に寄り道
2018-05-10
最近の記事は私事ばかりで申し訳ないが、皆様「オールナイトフジ」をご存知であろうか?既に30年以上前の番組なので若い方にはわからないかも知れないが、今で言う「AKB」とか「モーニング娘。」とかアイドルをグループで売り出すという先駆的な番組であった。後の「夕やけニャンニャン」につながっていくわけであるが「オールナイターズ」と呼ばれるメンバーは全員が女子大生の素人で、他には片岡鶴太郎やデビューしたばかりの「とんねるず」などを世に送り出したといっても過言ではない番組であった。オールナイターズからは「おかわりシスターズ」「おあずけシスターズ」などペアやトリオでレコードを出したりしていたが、基本、番組内容は文字通り深夜放送のため過激なものも多く、現在ではほぼ放送不可能な場面も多々あった。
当時私は深谷智子のファンでもあったが、井上明子のコミカルなキャラも楽しく、また深田素子や富田香織などは親も頻繁に画面に露出し、なにげにアットホームな番組でもあったのでついつい夜明けまで観てしまった。ただ、私の部屋は当時両親の寝室つながっていたので、とんねるずの「こんな大きな電話があって~」みたいなコントや、ほぼレギュラーゲストのたこ八郎を鶴太郎がいじる場面も最高に楽しく、深夜にも関わらず笑いをこらえながらゲラゲラ笑うのが非常にテクニックが必要であった。そんな時代であったが、私が社会に出るようになって鎌倉に勤務していた関係から、よく片岡聖子を見かけたのが唯一の自慢でもあった。
近年ではインターネットの発達により動画サイトなどでも手軽に観れるようになり、私はそうした過去の番組を観るのがひとつのマイブームとなっている。






現在の芦川の姿は、とりあえずホームは確認出来る。草刈をすればもっと駅らしくなるのであろうが、次の駅に向かう関係からその作業は諦めたが、時間と経済的余裕とJRの許可がおりれば絶対に草刈をしてから撮影していた!
30年以上前の女子大生であるから、当然現在は50代であろう当時のオールナイターズであるが、最近では山崎美貴や片岡聖子などは「おかえりシスターズ」として活躍しているらしい。普通なら「もうおばさんじゃん~」みたいな目で周囲は見る場合もあるかも知れない。ただ、私は個人的に両名とも当時からファンでは無いが、そんな事より30年以上前の出来事であってもこうしてまた再び素敵なメモリーとして当時のメンバーと今も活躍でいるということが実に羨ましく感じる。当時でなければ絶対にできない経験。誰にでもできないであろう経験を彼女たちは経験したのだから彼女たちにとってみれば宝物であろう。そういう思い出があるというのは実に素晴らしい事だと私は思う。
1980年代に私が「いい旅チャレンジ20000km」で日本全国の国鉄路線を乗り回した事もある意味それに類似していると思う。そう、当時でなければ絶対にできない経験。これはいくらお金を積んでも成し得ない貴重な経験である。そういった意味では当時の自分に感謝しなければならないかも知れない。皆様もそういう経験はお持ちであろうかも知れないし、特に若いレールファンはぜひ持っていただきたい。そう、今の自分を大切にして欲しいし今しかできない経験を今だからして欲しい。
そういえば30年以上前と言えばJRは当時国鉄であった!「ローカル路線バス~」的な番組の旅人の田中要次はかつては国鉄で保線の仕事をしていたのはある意味地味に有名かも知れないが、そんな国鉄時代にあった駅もここ芦川と同じく消えゆく運命になてしまった駅が少なくない。面影すら残っていない廃駅も多いが、芦川はまだまだ「駅です!」という雰囲気が残っている。今回の旅での訪問予定は無かったが、せっかく目の前を通るのだからと咄嗟に芦川の立ち寄りを決めたのであった。もちろん事前に位置もわかっていたし「芦川」という信号があったので駅の位置がわかりやすかった。
ただ、駅の利用者的な事を考えると、周囲の景色を見て判断して「必要ないかも」という結論に達してしまう。駅前には自治会館的な建物もあり、かつてはそれなりの集落があったのであろう。ある意味、国鉄時代から私も好きな部類に入る駅であったのでかなり興味があった。当然ながらその後に廃駅になったのも知っていたが、今回の旅で突然の決断で実際に訪問してみて良かったと思う。もちろん駅は機能していないが、何となく芦川の歴史の一部に触れられただけでも嬉しい気持ちになった。

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近年ではインターネットの発達により動画サイトなどでも手軽に観れるようになり、私はそうした過去の番組を観るのがひとつのマイブームとなっている。






現在の芦川の姿は、とりあえずホームは確認出来る。草刈をすればもっと駅らしくなるのであろうが、次の駅に向かう関係からその作業は諦めたが、時間と経済的余裕とJRの許可がおりれば絶対に草刈をしてから撮影していた!
30年以上前の女子大生であるから、当然現在は50代であろう当時のオールナイターズであるが、最近では山崎美貴や片岡聖子などは「おかえりシスターズ」として活躍しているらしい。普通なら「もうおばさんじゃん~」みたいな目で周囲は見る場合もあるかも知れない。ただ、私は個人的に両名とも当時からファンでは無いが、そんな事より30年以上前の出来事であってもこうしてまた再び素敵なメモリーとして当時のメンバーと今も活躍でいるということが実に羨ましく感じる。当時でなければ絶対にできない経験。誰にでもできないであろう経験を彼女たちは経験したのだから彼女たちにとってみれば宝物であろう。そういう思い出があるというのは実に素晴らしい事だと私は思う。
1980年代に私が「いい旅チャレンジ20000km」で日本全国の国鉄路線を乗り回した事もある意味それに類似していると思う。そう、当時でなければ絶対にできない経験。これはいくらお金を積んでも成し得ない貴重な経験である。そういった意味では当時の自分に感謝しなければならないかも知れない。皆様もそういう経験はお持ちであろうかも知れないし、特に若いレールファンはぜひ持っていただきたい。そう、今の自分を大切にして欲しいし今しかできない経験を今だからして欲しい。
そういえば30年以上前と言えばJRは当時国鉄であった!「ローカル路線バス~」的な番組の旅人の田中要次はかつては国鉄で保線の仕事をしていたのはある意味地味に有名かも知れないが、そんな国鉄時代にあった駅もここ芦川と同じく消えゆく運命になてしまった駅が少なくない。面影すら残っていない廃駅も多いが、芦川はまだまだ「駅です!」という雰囲気が残っている。今回の旅での訪問予定は無かったが、せっかく目の前を通るのだからと咄嗟に芦川の立ち寄りを決めたのであった。もちろん事前に位置もわかっていたし「芦川」という信号があったので駅の位置がわかりやすかった。
ただ、駅の利用者的な事を考えると、周囲の景色を見て判断して「必要ないかも」という結論に達してしまう。駅前には自治会館的な建物もあり、かつてはそれなりの集落があったのであろう。ある意味、国鉄時代から私も好きな部類に入る駅であったのでかなり興味があった。当然ながらその後に廃駅になったのも知っていたが、今回の旅で突然の決断で実際に訪問してみて良かったと思う。もちろん駅は機能していないが、何となく芦川の歴史の一部に触れられただけでも嬉しい気持ちになった。

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