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鉄道全線完全制覇の旅

昭和から平成へ・・・全線制覇の旅紀行!

サマーアクションシリーズ 1983年東北の旅。もっと細かくリメイク版④

日中線に揺られ喜多方に戻ってきた私は、せっかく喜多方に来たのだから「ラーメンでも食べていくか!」的な発想は無く、磐越西線で再び郡山に戻る。途中、会津若松で乗り換えるが、どちらの列車もELが牽引する旧型客車であった。であるが、磐越西線は会津若松ではスイッチバックの形をとるため乗り換えが発生するという理屈であろう。一応、郡山から喜多方までは電化されているのでDCやDLとELなどが同居する。そんな中、かつては1両編成の急行「いなわしろ」の存在が光っていた。

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磐越西線の要衝駅・会津若松。磐越西線はスイッチバックの形をとるため全列車が停車する。かつては上野からの特急「あいづ」があったが、現在は郡山から「あいづライナー」としてその名残を受け継いでいる。

さて、郡山に着いた私はいよいよ最初に予定していた急行「八甲田」に乗る。最初は上野からの乗車であったが、それが郡山に変更になっただけである。だが、なにせ夏休みでありしかも途中駅からの乗車のため果たして座席を確保できるか・・・的な心配が計画当初からあったが、考えてみたら「ひとり旅」である。要はひとり分の座席があればいいわけだから座る確率が俄然高くなる計算だ。ってなんの計算だか分からないが、とにかく私はホームに入線する「八甲田」の自由席の窓を目で追う。意外にも私の心配が大げさになるほど座席の心配はいらなかった。座って移動出来る!というより時間帯的にこれから「寝る」という事になる。郡山を22時32分に出発、青森到着は翌6時15分のため睡眠時間が充分過ぎるほどあるのが嬉しい。

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当時は望遠レンズを購入したばかりであったので早速大活躍した。確かストロボはクラスメイト兼クラブ活動の同僚に借用したが、それと同じものを後年に購入している。

そんな余裕綽綽な私は、逆に防犯機能が働いてしまいグッスリ眠る事ができないまま青森に到着した。もちろん所々記憶が無いのは寝ていたという事であろう。やや重たい体を引きずりながら乗り換える急行「むつ」の待つホームへと足を運ばせた。急行「むつ」は現在の特急「つがる」と思っていただければいいであろう。当時は青森~秋田を結ぶ都市間急行列車で、全線電化区間を走るDCであった。急行「八甲田」とは約30分ほどの待ち合わせ時間で乗り換えるのに丁度いい。そんなDC急行は川部にも停車する。そして現在は廃止されてしまった黒石線に乗るのであるがもちろん計画的行動である。川部での接続時間は約6分。列車の遅れも無く計画通りに事が運んでいった。

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急行「むつ」は秋田~青森を結ぶ全線電化区間を走るDC急行であった。川部にも停車するので黒石線との乗り換えは非常に便利。

島式ホーム2本の川部では同じホームの隣に黒石線のDCが出発を待っていた。当時の私はこの黒石線については全くノーマークで「いい旅チャレンジ20000km」の制覇路線のひとつに過ぎなかったが、今考えてみたらなかなか味のある路線である事に気付いた。途中の前田屋敷は唯一の中間駅で棒線型の駅であったし、その前田屋敷がなかなか良い「出汁」になっていた。つい最近までは駅の遺構が残っていたと聞いていたが、現在は更地になったらしい。黒石線の晩年はご存知の通り弘南鉄道に引き取られたが、むしろそれが乗客減に拍車をかける事になるとは何とも皮肉な事であった。弘前に向かう場合、別の鉄道会社のため川部で乗り換える事により別料金になってしまうためである。とは言え、私の場合は当時国鉄で、しかも「ワイド周遊券」であったので別料金は発生しなかったが・・・


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サマーアクションシリーズ 1983年東北の旅。もっと細かくリメイク版③

平より磐越東線に乗り換える列車は・・・何とDL率いる旧型客車であった!もちろん事前に時刻表で確認済みであるが、磐越東線に旧型客車とは今では信じられないが、私は確かに乗車した。急行「ときわ」を降り、乗り換える列車は事前に調査済みの客車運用であるため何番線に乗り換えるかは車内放送を聞かなくても自然に足が跨線橋からホームに向かう。何両であったか忘れたが、確か青い色の旧型客車であった。真夏であるがそれほど当時は暑さを感じなかったのは気のせいなのか。旧型客車のため冷房設備などは当然無く、窓を全開にして自然風で暑さを凌ぐ。別に冷房などなくても普通に過ごせたが、いささか混み合っていた急行「ときわ」から解放され、ひとりワンボックスを占領しひとつでも「いい旅チャレンジ20000km」の制覇線区を稼ぎ出す。旧型客車であると機関車が動き出してから自身の乗った客車が動き出すまで時間差がある。それがまた何ともたまらない!という感覚は既に1982年より「青春18」で旅をしていて以来自然に身につけたものだ。ハッキリ言って磐越東線は全国的に見てもやや地味な印象であろうが、そんな路線にも旧型客車に揺られると一味違う。そして馴染みの無い駅もいつしか虜(とりこ)になってしまう・・・夏井は今でも好きな駅のひとつであり、この旅のお陰で存在を知った。

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旧型客車に揺られちょうど駅名標の真ん前に停車したのが夏井である。「いい旅チャレンジ20000km」という企画柄、国鉄全線を踏破しなければならないが、そんな過酷なルールであったからこそ逆に発見があるものだ。夏井もそのひとつ。

磐越東線の中心駅である小野新町を過ぎ郡山に着くが、新幹線が開業してまだ1年くらいしか経っていないため、それに合わせ若干リニューアルされたと思われる在来線のホームも新しい。そんな新しさを感じる駅で磐越西線に乗り換えるが、こちらはELが牽引する旧型客車である。しかも満員御礼!私は出入口付近の車掌室みたいな場所に入り込んだ。もちろんその場所もほかの乗客で一杯であった。新幹線が開通し、帰省客もいっそ便利になったことであろう。この時も新幹線からの乗換客と思われる方々ばかりであった。が・・・急にベルのようなものが鳴り出した。最初はATSでも作動したのかと思っていたが一向に鳴り止まない。なんと私のバッグに入っていた目覚まし時計が鳴っていたのだ!私は慌ててバッグから取り出したが、かなり周りから白い目で見られた事であろう。まぁ、旅には色々ハプニングはあるものだ。

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こちらは今回の旅でゲットした郡山の入場券。新幹線の切符売り場で買ったためか文字帯が赤い。

会津若松で帰省客のほとんどが下車すると、なんと「同業者」と思われる者が数グループいることに気づいた。もちろん会津若松から乗車してきたとは思えないので郡山からずっと乗っていた事になるが、帰省客に隠れて潜在しているとは・・・という私もそのひとりであるが、そんな乗客も喜多方、そして日中線・熱塩まで顔ぶれは同じであった。
そういえば日中線と言われて若いレールファンはあまりピンと来ないかもしれないであろう。それは国鉄時代に遡るが、喜多方から盲腸線がでていて日中という場所まで延伸予定であったらしいローカル線である。当時は熱塩で終点であったが、ウィキによると「日光線・野岩線・会津線と結んで東北地方南部を縦貫する野岩羽線構想の一翼を担うはずであった」というとんでもない構想があったみたいだ。だが、もし開通したいたとしても「銭儲け」という部分においては恐らく縁がない確率が高かったかも知れない。

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私が唯一所有する日中線の証し。もっと写真は撮影していたのだが、やはり30年以上前だと色々事情もありまして・・・

いずれにしても晩年は、というより私の訪問時は1日3往復しか設定のない典型的なローカル線の姿であったが、DCではなくDLが牽引する客車列車であったのが何とも印象深い。終点熱塩では機回し線を使い機関車を先頭に付け替えていた。もちろんDCの方が効率が良く経費もかからなかったであろう。だが将来的な事を考えるとその投資すら無駄な行為であったのだろう。そんな「大人の事情」も全くわからないまま、数グループの「同業者」と一緒に列車に向かいシャッターを只管切っていた。


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サマーアクションシリーズ・1983年東北の旅。もっと細かくリメイク版②

さて、学割の申請が成功し計画を立て始めた。いや、学割を申請する前からもう計画は出来上がっていた。だが・・・夜行急行列車が臨時便を含め多々ある中、どうしても一箇所だけ「駅寝」が出来てしまった。私は事前に「飯詰」に往復はがきで「駅寝」を申し込んだ。というか、普通ならこんな行動はありえないのであるが、某レールウェイライターの著書に各駅の住所が記された書籍を所有していたため往復葉書を投函した。いかにも中学生らしいが、基本的に駅とは人が列車を利用するための施設であって宿泊施設ではない。「チェックインは何時ですか?」みたいな返事が来るわけもなく、きっちりと丁寧な文章で「お断り」であった。ではどうしたか・・・それは後ほど紹介しよう。

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画像は「日本の旅・鉄道見聞録」より。EF58牽引の急行・八甲田。12系客車あるが、昼間と夜とでは同じ車両でも乗車してみたらものすごく違う空気が漂っていた。上野から乗車するのと青森から乗車するのもまた違った空気漂うイメージはこの旅が私に教えてくれた。

そんな事で周遊券も学割で購入した。上野から一番にアプローチする列車は急行「八甲田」に決定した。この「八甲田」は、若いレールファンには馴染みがないであろうが、一応夜行急行列車であり、寝台を連結していないオール座席であった。私の乗車時は12系客車であったのでリクライニングはできなかったが、この紹介している旅で後に乗る急行「津軽」は14系客車であったので乗り心地は最高であった記憶である。だが・・・出発直前になって予定を変更した。東北ワイドの有効範囲の地図を見ると、何と磐越西線や喜多方から出ている日中線も「有効」であったのだ!これは使わぬ手はない!という事で、急遽八甲田の乗車を取りやめ、というより、その八甲田を途中の郡山から乗車し元の計画に合わせるという手段に出た。多分出発の前日くらいであったと思う。当時の私にしてはもの凄い英断であった。

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こちらは現在廃止となってしまった西寒川の現役時代。当時、我が家から自転車だと20秒かからないくらいで到着できた位置にあった。ただ、始発が朝8時45分くらいだったので東北方面へ朝から旅立つ場合、時間的に有利とは言えない。そういう場面では更に自転車で10~15分くらいで到着出来る寒川駅を利用した。今回の旅でも寒川駅までは自転車であった。東北方面へ旅立つのに自転車とは・・・

というわけで、最初のアプローチは相模線・寒川駅上り列車の始発である5時50分に乗車する。当時私は相模線・西寒川が最寄りであったが、何せ始発が朝8時40分くらいであったので日中線に間に合わなくなってしまう。ということで頑張って早起きして寒川駅に向かう事にした。
寒川を始発の上り相模線に乗り茅ヶ崎で6時02分発の上り東海道線に乗り換え東京に向かう。この6時02分発というのもまたいい。その「いい」というのは、当時まだニューフェイスであった185系だったからだ。普通列車なのに185系。当時は「湘南ライナー」などなかったので、純粋に普通列車である。勿論空き時間の有効活用または回送も兼ねているのであろう。ある意味「副産物」的な新型車両で東京まではかなりリラックスできるので、中学生の私にしてみればかなり気分が良い。しかしながら、もちろん当時は「上野・東京ライン」なんてなかったので東京から上野までは山手線である。

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橋上駅舎化前の寒川駅。昭和59年頃の撮影と思われるが、かつては貨物ホームがあり、そして寒川支線も分岐していた。今回は寒川駅からの始発列車に変更しての旅立ちであった。

さて、上野からは「東北ワイド」の特権を早速利用する。そう、これから先、北を目指すため急行列車を使う事である。急行券無し!ただ、当時は東北新幹線が開通したばかり。まだまだ急行列車などが活躍していたとは言えかなり東北方面の急行は整理された印象であった。だが、目指す日中線を制覇するために丁度いい時間帯の列車があるもので、常磐線経由の急行「ときわ」が私の要求に応えてくれた。8時丁度の上野発は「あずさ」ではないのは申し訳ないが、私は急行「ときわ」で平(現・いわき)に向かった。

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急行「ときわ」は常磐線経由で特急「ひたち」の補完的役割をしていた。その性格上、ご覧の通り交直両用電車であったが、上野ではこうした列車が多々見られたのが東京駅と違うところ。やはり当時の上野駅はレールファンにはたまらない存在であったろう。写真はダイナミック✩トナカイより。



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サマーアクションシリーズ ・1983年東北の旅。もっと細かくリメイク版①

既に1983年夏の東北の旅はこのブログで散々紹介してきたが、一部を除いてかなり大雑把な記事であった。この東北の旅以外にも紹介したい旅は沢山あるのだが、このブログを立ち上げて以来、私は多くの場面で若き日の自分に対面する時があった。若かったからできた事や、今だから若き日の自分に対しこうアドバイスしたい場面が多々現れた。逆に今の自分が当時を振り返った時昔の自分に教えられる事も沢山あり、ある意味人間ってこうして成長していくのだなということも感じた場面も少なくなかった。
そんな1983年夏の東北は、私にとってターニングポイントであったとつくづく感じたが、今改めて振り返り再度東北の旅模様を皆様にお付きあいいただけたら幸いである。また、今回紹介する旅は30年以上前のため、若いレールファンには知らない列車名や駅などが出てくるかも知れない。そんな単語が出てきたら「こんな時代があったんだ」と感じてくれれば幸いである。それでは早速当時にタイムスリップしてみよう。

私は東北の国鉄路線(当時)全線の乗りつぶしの旅に出た。当時「いい旅チャレンジ20000km」という国鉄全線乗り潰しのキャンペーンというか企画が全国的に流行していて、それに私も乗った形であった。前年の春に「青春18のびのびきっぷ」が登場して以来、私はその切符を駆使し全国を駆け巡っていた。だが、このきっぷではある意味カバーするのにも限界があった。

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お馴染み「東北ワイド」は既に現在は売られていない幻の切符となってしまったが、ご覧の通りしっかりと学割が効いているのがいい。

当時、私の旅のスタイルは「宿は夜行列車」みたいなポリシーがあったため、「宿」で移動できないと意味がない。そんな中、東北や北海道などは夜行列車の宝庫であったが、北海道に至っては周遊券の価格が、当時学生だった私にとって高嶺の花であった。そんな流れから、行き先を「東北」に変更してみると一応経済的には射程距離内に入る事に気づいた。とは言え、価格的には「青春18」が2冊買えるくらい(当時)であったが・・・しかしながらいずれは東北も制覇しなければならないと自身を納得させ、北海道初上陸は将来に回した。と言っても、この東北の旅から2ヶ月後に人生初の北海道初上陸をしてしまうのであるが、その模様と理由についてはこのブログで散々紹介しているのでご存知の方もおられると思われる。
いずれにしても、今回紹介する東北の旅は私の鉄道人生において最も重要な旅であり、後年の旅にもかなりの影響を与えた人生最大の「乗り鉄」でもあった。以前に紹介したものと当然ながらかなり重複すると思うが、私のテーマである「旅の記録を残す」という部分においてもかなり重要な位置を占めているため、少々お付き合いいただければ幸いである。

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こちらもお馴染みの風景である。私がいつも旅立つ時はここ西寒川からであったが、この旅では寒川駅からに急遽変更した。

さて、東北方面へアプローチする列車を何にしようという見繕いが始まった。もちろん中学生のため学生の特権を最大限に活用し夏休みを利用するが、お盆の帰省時期は臨時列車が多数運転されている。私はこの時期に射程を定めた。だが、考えてみたら臨時列車が運転されるという事は当然ながら「多客期」であるという事。なのにそんな事を考えもしなくただそんな時期を選んでしまった中学生の私・・・振り返れば、乗車する列車の多くは座席に座れなかった記憶が多くある。であるが、定期便より夜行列車の数は多い。もちろん夜行普通列車の設定は無い。しかし「ワイド」であれば急行券なしで急行列車・特急列車の自由席の乗れるスグレモノだ。特に1980年代はまだまだ夜行急行列車が数多く存在した。これらを駆使すればきっと「宿」になってくれるはず。そんな事を信じながら、確か4月~5月くらいから計画を立てていた。もちろん中学生の「特権」を利用すべく学割の申請も抜かりない。ただこの学割の申請時に少々問題が起こった。学校に「一人旅」ということが発覚してしまい学校側が学割を出す出さないで少々もめたらしい。もちろん教諭の立場もあろうが、私の両親はもちろん最初から行かせてくれと、むしろ家にいない方が清々する的な事を担当教諭(担任ではないが)や事務員さんなどに話をしたらしい。もちろん担任も絡んでいたが、結局学割が申請され、確か1万8千円からの学割で東北ワイドを入手したのであった。


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チャンピオンカーニバル番外編 熊に逢ったらどうするか⑮ 訓子府

国鉄時代は「池北線」であったふるさと銀河線の訓子府は、ふるさと銀河線の中間駅の中では最も利用者が多かったと思われる。事実、北見~訓子府間は廃止せずに残そうという案もあったと聞く。実際に訓子府を訪れるとその事を納得してしまう街並みであった。そして訓子府駅はその街の中心部に位置し、文字通り「中心」として機能していたであろうが、利用者は学生がほぼ8~9割くらいを占めていたであろう。
その中心たる駅も、現在は周知の通りの事情により列車はやって来ない。ただ、駅建物自体は現在も残っており、農業交流センター「くる・ネップ」が引き続き利用している。相対式ホーム2面2線であったが、駅舎側のホームのみ残存しており保存状態も良い。私の訪問時はリニューアル工事の真っ最中で、かつての鉄道設備であった場所は、将来的に公園として再出発するようであった。印象的なとんがり屋根の駅舎は、今後も引き続き将来に渡って長く引き継がれて欲しいものである。


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道道50号線から入る訓子府駅はとんがり屋根が印象的。町のシンボルとして今も活躍する。

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駅に併設されていた「農業交流センター」は今も引き続き業務をしている。もう少し遅い時間帯に来れば飲食店なども営業していた事であろう。


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ふるさと銀河線廃止後は当然代替えバスが運転されている事であろうが、そのバス停は現在も「駅」を名乗っている。


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そしてホームへ。レールの無い空間は、何やら妙な空気が漂う。だが、一応現在もホームは健在で、その気になれば北見まで復活!も可能であろう。



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チャンピオンカーニバル⑨ 最果ての地、稚内

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宗谷本線の終点であり、そして日本の鉄道路線の最北の地でもある稚内。かねてからゆっくりと訪問したいと思っていたが、今回でその思いが叶ったという事である。できれば国鉄時代に来たかったがその夢は叶わず、現在のスリムになった稚内の訪問となった。今回はレンタカーにての訪問であったが、前回は「スーパー宗谷」での訪問であり、まだ2番線が健在のころであった。

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生まれ変わった稚内駅舎。国鉄時代よりかなり機能的になった現在の駅舎。構内側線も最低限にされ駅に隣接する道の駅とも行来が便利になり、それこそ観光の拠点となった。

それでも国鉄時代に比べたらかなり側線が撤去されてしまっていたのでスッキリ感を否定できなかった。初めての訪問なのに違和感を感じたのは、昔からのよく稚内の姿を鉄道誌等でいつも見ていたからであろう。現在では駅舎も建て替えられ、寸断されていた旧駅舎側と道の駅側との行き来が便利になった。その道の駅のある場所はかつて貨物側線や機回し線など多くの線路が張り巡らされていた。つまり、まだSL時代の、もっと言えばサハリンへの連絡駅的な名残を残す貴重な存在でもあった。

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隣接する道の駅はかつて多くの側線があった場所である。何となく当時の面影が見え隠れするような敷地内であるが、しきりに観光バスも入れ替わりに到着し、盛況の雰囲気が伝わってきた。ただ、肝心の「駅」の方は減少傾向が続いており、せっかくリニューアルしたのにやや持て余し気味の印象であった。

現在はモダンな駅舎に生まれかわり、そして観光の拠点としての機能的な部分も兼ね備えるようになった。残念なのは旅客ホームが棒線化された事であるが、鉄道設備的な事は「南」に任せ、自らは旅客に全うする姿の方がある意味自然かも知れない。
そういえばかつて、私が国鉄時代に「いい旅チャレンジ20000km」に参加している時、当然ながら北海道制覇も目論んだ。たが、計画段階で天北線と宗谷本線の乗り換えで稚内においてタイミングの良かった乗り換えが設定されていた記憶は薄い。特に天北線下り最終列車で稚内に向かうと隣の南稚内で上り「利尻」と列車交換するため稚内にはたどり着けなかった。また、下り「利尻」を音威子府で降り天北線と興浜北線を乗り継ぎ稚内に着くと、乗り換える宗谷本線の列車はなんと3時間近くの待ち時間が発生した!当時の私はこの待ち時間がどうも気に入らなかった。今の私なら素直に受入れ周辺散策や朝食などの時間に充てたであろうが、当時は駅前にそのようなお店があるかも知らなかったし、増してインターネットの時代ではなかったので調べる手段が狭かった。

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お馴染みサハリンへの連絡口風景。稚内についてはこの風景無しでは語れないであろう。サハリンでは現在でも当時の鉄道風景の名残が随所に残っているらしい。

それでも3時間近く待てば宗谷本線上りは旧型客車の普通列車で、美深では美幸線との接続が良かった。
結局、当時の北海道行は1983年10月の白糠線への旅以外で訪問することができなく残念であり、当時の北海道国鉄全線制覇の計画は全てお蔵入りになってしまった。
であるが、確かに御蔵入りになり行く事は出来なかったが、今こうして宗谷本線の今を体験・体感出来るだけでも私はある意味幸せなのかも知れない。北の最果ての地は、そんな私の心中を察していたかのように、しっかりと現在の姿を私に見せつけてくれた。「これが今の稚内だよ!」と・・・



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プロフィール

ダイヤモンド✡トナカイ

Author:ダイヤモンド✡トナカイ
✩2022年4月より毎週土曜日更新になります✩


昭和・国鉄の話題を中心に紹介しています。


2013年に長野新幹線の長野駅にて「いい旅チャレンジ20000km」よりスタートした国鉄時代の制覇を含めJR全線制覇を、そしてゆいレール以外の鉄道全線制覇を達成いたしました。


以降、北陸新幹線と北海道新幹線などの開業によりタイトルは返上しています。

JR以外の私鉄を含む鉄道未制覇路線は北陸新幹線(長野~金沢)・北海道新幹線・仙台地下鉄東西線・仙石東北ライン・富山地方鉄道延伸部分・ゆいレール・相鉄直通線(相鉄新横浜線)、そして新規開業の西九州新幹線や宇都宮に開業したライトレールも新たに加わりますます未制覇路線が増えてしまいました・・・

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