白糠線 リメイク・アゲイン②
2020-01-30
もう、こうなったら止まらない(ha-ha)。私はまず切符の選定に入る。「青春18」は夏休みも終わり既に期間外であったが、例え期間内であっても北海道を漫喫するにはやや限界があるであろう。そこで東北の時に活躍した「ワイド周遊券」がすぐに頭に浮かんだ。北海道版なら10月だと、なんと季節割というのがあり通常版の2割引きくらいで販売される!更に、当時中学生であったので「特権」を申請すればなんと定価の半額近くにまでなる!私は早速次の日に学割申請書を取りに行った。

もう何度もこのブログに登場している北海道ワイド。どーですか、この割引率!学生よ、学問はもちろん大事である。しかし今しかできない旅もある!行ける時には確実に大海原に揉まれる方がいい!!
だが・・・いつに行けばいいのであろうか。廃止予定日は確か10月23日とかであったから夏休みみたいな長期休暇が無い。しかし・・・天は我に見方をするものである。10月中旬、体育祭が土曜か日曜に開催されたその代休が火曜日か何かになり、前日の月曜は体育の日で祭日。そして更に町制記念日とか開校記念日とか何かのメモリアルが重なり何と4連休となった。もちろんこれを逃したら二度と白糠線には乗れない。私は半ば強引に旅費を捻出し(もちろん親の援助とお年玉の残金などでね)北へ向かう準備をした。

こちらの画像も再・再・再・・・登場くらいで申し訳ないが、旅のスタートはいつもここから。というか、トップにいつもいる画像だしね、的な。しかしながらこの光景も既にメモリーになってしまって久しいのが寂しい限りだ。
だが、とても贅沢な切符の使い方をする事になった。先程周遊券の話をしたが、北海道ワイド周遊券の有効期間は何と20日間だ!私の休みは4日間。この白糠線のために20日間有効の切符を4日間で使いきるという人生初の試み。しかも「東北」では散々苦労をし、寝過ごしたり駅で一夜を過ごすなど計画には無い事象ばかりが沢山発生した。しかも東北から帰って来てまだ2ヶ月での旅に、北の大地はいったい私をどう受けとめ、そしてどう迎え入れてくれるのであろうか。心配と不安で怖くなる。それでも旅に出たくなる。先程「宮脇氏や種村氏は難しい」と言っておきながら、中学生としてはかなりタメ張っているんじゃないか、という錯覚さえ起こす。

画像は鉄道見聞録より転用させていただきました。往年の八甲田は宇都宮(黒磯じゃない!)で機関車交換があった。
そんな事を考えているうちに体育祭も終わり(いや、記憶は薄いが恐らく体育祭には参加せず、体育祭の日を旅の行程に組み込んだかも知れないが)いよいよ人生初の北の大地に向かう。初の蝦夷。初のアイヌ。そして北へ向かうために私が選んだ夜行列車は急行「八甲田」であった。ワイド周遊券だと目的地までの道中は自由席なら急行券無しで乗車できるからだ。いや、東北・上越新幹線が開通し北へ向かう急行列車が減少していく中、貴重になりつつあった急行列車しか選択できないのは少々辛かったがそれでも夜行急行が残っている事はまだまだ「価値」があるという事。将来的に「急行全廃」が囁かれているのだから乘れるうちに乗った方がいい。しかも急行券無しで乗車できるのだから。
「八甲田」といえば急行夜行列車のため深夜未明の時間帯でも主要駅の仙台や盛岡などに停車する。というより「上野発の夜行列車」が仙台や盛岡などを通るのは深夜未明の時間帯が多く寝台特急などは通過してしまうため、それに対する補完の意味で停車させるのだろう。お陰で東北の旅で散々お世話になったので、再び乘れると思うと乗る前から気持ちが高ぶる。
旅行程もバッチリ組んで、出発するのみ。前日に茅ヶ崎で「北海道ワイド」を購入して準備万端だ。そして旅のスタートである「西寒川」に向かうため、黄昏時の「たらこ色」目指してドアをあけたのであった。

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もう何度もこのブログに登場している北海道ワイド。どーですか、この割引率!学生よ、学問はもちろん大事である。しかし今しかできない旅もある!行ける時には確実に大海原に揉まれる方がいい!!
だが・・・いつに行けばいいのであろうか。廃止予定日は確か10月23日とかであったから夏休みみたいな長期休暇が無い。しかし・・・天は我に見方をするものである。10月中旬、体育祭が土曜か日曜に開催されたその代休が火曜日か何かになり、前日の月曜は体育の日で祭日。そして更に町制記念日とか開校記念日とか何かのメモリアルが重なり何と4連休となった。もちろんこれを逃したら二度と白糠線には乗れない。私は半ば強引に旅費を捻出し(もちろん親の援助とお年玉の残金などでね)北へ向かう準備をした。

こちらの画像も再・再・再・・・登場くらいで申し訳ないが、旅のスタートはいつもここから。というか、トップにいつもいる画像だしね、的な。しかしながらこの光景も既にメモリーになってしまって久しいのが寂しい限りだ。
だが、とても贅沢な切符の使い方をする事になった。先程周遊券の話をしたが、北海道ワイド周遊券の有効期間は何と20日間だ!私の休みは4日間。この白糠線のために20日間有効の切符を4日間で使いきるという人生初の試み。しかも「東北」では散々苦労をし、寝過ごしたり駅で一夜を過ごすなど計画には無い事象ばかりが沢山発生した。しかも東北から帰って来てまだ2ヶ月での旅に、北の大地はいったい私をどう受けとめ、そしてどう迎え入れてくれるのであろうか。心配と不安で怖くなる。それでも旅に出たくなる。先程「宮脇氏や種村氏は難しい」と言っておきながら、中学生としてはかなりタメ張っているんじゃないか、という錯覚さえ起こす。

画像は鉄道見聞録より転用させていただきました。往年の八甲田は宇都宮(黒磯じゃない!)で機関車交換があった。
そんな事を考えているうちに体育祭も終わり(いや、記憶は薄いが恐らく体育祭には参加せず、体育祭の日を旅の行程に組み込んだかも知れないが)いよいよ人生初の北の大地に向かう。初の蝦夷。初のアイヌ。そして北へ向かうために私が選んだ夜行列車は急行「八甲田」であった。ワイド周遊券だと目的地までの道中は自由席なら急行券無しで乗車できるからだ。いや、東北・上越新幹線が開通し北へ向かう急行列車が減少していく中、貴重になりつつあった急行列車しか選択できないのは少々辛かったがそれでも夜行急行が残っている事はまだまだ「価値」があるという事。将来的に「急行全廃」が囁かれているのだから乘れるうちに乗った方がいい。しかも急行券無しで乗車できるのだから。
「八甲田」といえば急行夜行列車のため深夜未明の時間帯でも主要駅の仙台や盛岡などに停車する。というより「上野発の夜行列車」が仙台や盛岡などを通るのは深夜未明の時間帯が多く寝台特急などは通過してしまうため、それに対する補完の意味で停車させるのだろう。お陰で東北の旅で散々お世話になったので、再び乘れると思うと乗る前から気持ちが高ぶる。
旅行程もバッチリ組んで、出発するのみ。前日に茅ヶ崎で「北海道ワイド」を購入して準備万端だ。そして旅のスタートである「西寒川」に向かうため、黄昏時の「たらこ色」目指してドアをあけたのであった。

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白糠線 リメイク・アゲイン①
2020-01-25
かつて、このブログで白糠線に関しての体験記は再三に渡り紹介してきたが、内容が箇条書きっぽくなっていてやや伝わりにくい部分もあり再リニューアルしてみた。しかしながら白糠線が廃止されてから既に35年以上経過し、私が訪問した時期も廃止の2週間前であり当時中学生であったので何かと慌ただしい感じであった。白糠線の廃止は1983年10月。よく中学生でありながらこの10月という時期に訪問できたと思う。その辺りも含め今回は詳細に記憶を辿りながら皆様にお伝えしたい。

どこにいったかと思っていたら母が勝手に使っていた!という事で「チャレンジ」の時にもらったパスケース。他にも踏破線区数に応じていろいろなグッズがもらえた。私は100線区踏破した時(かどうか記憶は定かでないが)にチャレンジのカッパ(レインコート)をもらった。現在も一度も着用ぜずに保存してある。
1980年代といえば「いい旅チャレンジ20000km」がブームになりレールファンでなくても国鉄全線踏破を狙ったものも多数いたものだ。私は当時からレールファンであったので、当然のごとく例に漏れず参加した。
そして世間では国鉄赤字・再建が毎日のように紙面に顔を出し「民営化」「赤字ローカル線廃止」などの言葉は私などの子供でも自然と頭に植えてくされてしまう単語となっていた。ある意味「20000km」は国鉄の赤字対策のひとつでもあったのだ。

北海道ではこんな硬券入場券が観光用で販売されていた。もちろん通常バージョンも。もちろん、使えないよねっ!
1980年代といえば宮脇俊三氏や種村直樹氏が全盛で活躍した時代であった。しかし、当時小学生・中学生の私にとってはやや難しく、宮脇氏の表現を借りれば「理解の範囲に及ばない」書物であった。特に種村氏は当時「初」であったか「唯一」であったか「レールウェイライター」を名乗り斬新な旅をしていた記憶だ。
特に「旅と鉄道」という季刊紙では「汽車旅相談室」なるコーナーがあり、国鉄に対する意見を「規則」を用いてかなり強く発言していた。

画像はウィキより、現役時代の白糠線は北進駅。車両的には釧路~根室間を走る急行「ノサップ」の空時間の運用らしい。当時はそんな事知らなかったが、だがなぜか急行用の車両に乗れたのにはやや優越気分でもあった。
そんな時代に赤字ローカル線廃止第1号として白糠線が先陣を切って廃止されるわけであるが、私はこの白糠線廃止に異常に興味を持ち、まだ見ぬ北の大地初訪問も併せて「上野発の夜行列車」で向かう決意をしたのであった。
もちろん白糠線以前にも廃止された路線はいくつかあったが、国鉄赤字がある意味「ブーム」となり赤字ローカル線を一気に廃止しよう❗と決めてからの廃止は白糠線が初となる。そして白糠線以外にも廃止路線が次々と発表されそれこそブームに乗った感じであった。
さて、白糠線廃止情報が流れたのはいつ頃であったろう。恐らく夏休みが終わる頃か9月初旬であったと思う。いや、当時はインターネットなど発達していない時代だったから、発表はもっと早かったかも知れないが、私が情報を得たのが9月だったと思う。確か何かのレール誌であったはずだが、白糠線には絶対に乗っておかなければいけないとは思うものの、考えてみたら夏休みに周遊券で東北一周の旅から帰って来てまだ1ヶ月経つか経たないかの時期であった。

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どこにいったかと思っていたら母が勝手に使っていた!という事で「チャレンジ」の時にもらったパスケース。他にも踏破線区数に応じていろいろなグッズがもらえた。私は100線区踏破した時(かどうか記憶は定かでないが)にチャレンジのカッパ(レインコート)をもらった。現在も一度も着用ぜずに保存してある。
1980年代といえば「いい旅チャレンジ20000km」がブームになりレールファンでなくても国鉄全線踏破を狙ったものも多数いたものだ。私は当時からレールファンであったので、当然のごとく例に漏れず参加した。
そして世間では国鉄赤字・再建が毎日のように紙面に顔を出し「民営化」「赤字ローカル線廃止」などの言葉は私などの子供でも自然と頭に植えてくされてしまう単語となっていた。ある意味「20000km」は国鉄の赤字対策のひとつでもあったのだ。

北海道ではこんな硬券入場券が観光用で販売されていた。もちろん通常バージョンも。もちろん、使えないよねっ!
1980年代といえば宮脇俊三氏や種村直樹氏が全盛で活躍した時代であった。しかし、当時小学生・中学生の私にとってはやや難しく、宮脇氏の表現を借りれば「理解の範囲に及ばない」書物であった。特に種村氏は当時「初」であったか「唯一」であったか「レールウェイライター」を名乗り斬新な旅をしていた記憶だ。
特に「旅と鉄道」という季刊紙では「汽車旅相談室」なるコーナーがあり、国鉄に対する意見を「規則」を用いてかなり強く発言していた。

画像はウィキより、現役時代の白糠線は北進駅。車両的には釧路~根室間を走る急行「ノサップ」の空時間の運用らしい。当時はそんな事知らなかったが、だがなぜか急行用の車両に乗れたのにはやや優越気分でもあった。
そんな時代に赤字ローカル線廃止第1号として白糠線が先陣を切って廃止されるわけであるが、私はこの白糠線廃止に異常に興味を持ち、まだ見ぬ北の大地初訪問も併せて「上野発の夜行列車」で向かう決意をしたのであった。
もちろん白糠線以前にも廃止された路線はいくつかあったが、国鉄赤字がある意味「ブーム」となり赤字ローカル線を一気に廃止しよう❗と決めてからの廃止は白糠線が初となる。そして白糠線以外にも廃止路線が次々と発表されそれこそブームに乗った感じであった。
さて、白糠線廃止情報が流れたのはいつ頃であったろう。恐らく夏休みが終わる頃か9月初旬であったと思う。いや、当時はインターネットなど発達していない時代だったから、発表はもっと早かったかも知れないが、私が情報を得たのが9月だったと思う。確か何かのレール誌であったはずだが、白糠線には絶対に乗っておかなければいけないとは思うものの、考えてみたら夏休みに周遊券で東北一周の旅から帰って来てまだ1ヶ月経つか経たないかの時期であった。

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更に長期連載になりそうな九州鉄道路線全線制覇<PART2>⑨
2020-01-20
大分では高架ホームに到着した。つい2日前には「ドリームにちりん」の車窓から高架ホームを、寝ぼけまなこで見上げていたが、今はそのホームにいる。何だか不思議な感じだ。同じ高架ホームで乗り換えるのは先述した「ゆふいんの森」である。「ゆふいんの森」については既にこのブログにて紹介しているが、基本的に内容は実に素晴らしい。しっかりと観光列車の役割をしている。

(地上時代の大分は、1978年に寝台特急「富士」で初訪した時以来の訪問であったので実に久々であった。半分高架化が完成していたが、まだ今回の訪問では地上ホームが健在であった。現在では工事が終了し、完全な高架駅となった。)
「ゆふいんの森」では「アテンダント」と呼ばれる女性車掌的スチュワーデス的存在なる従業員が乗車口で「ジャパニーズ・スタイル」で迎えてくれた。既に半分新しくなった大分駅においてこの「ゆふいんの森」のアテンダントの存在がひと際煌く。「ゆふいんの森」の記録はこちらを参考にしていただくとして、とにかく初体験の「森」は実に優しく、そしてサロンカーにいなければ若干暑い印象であった。

(「ゆふいんの森」ではアテンダントがお出迎え。特に私個人が感じることであるが、JR九州の接客サービスは群を抜いていると思う。)
この「ゆふいん」の車両がDCであったことなどすっかり忘れていたが、久留米から鹿児島本線に入ると一気にラストスパートをかけてきた。DC独特のエンジン音はここで初めて実感したと言ったらおかしな話であるが、すれ違う列車も随分変わったものだと、気がついたらかつて「18」で訪問した若かりし頃の記憶と重ね合わせていた。

(博多に到着した「ゆふいんの森」。1世と3世では当然ながら若干仕様が異なるが、デビュー当時は実に斬新であったろう。実は、私は「プラレール」で所有している、って全く関係無い事であろうが・・・)
さて、博多からは新幹線・・・ではなく「フライト」する予定だ。正直言って、新幹線の方が私らしいであろう。だがしかし、時間の制約の中、こういった選択肢も時には必要だ。などと洒落た事を言ってはいるが、基本的には一般的だ。「あと一回来れば制覇だな」と、遠ざかる福岡の街を空から見下ろした時にそんな事が頭をよぎった。だが、確かに「あと一回」がこの旅の1年後に実現し、九州全線制覇を果たした。その模様はいずれアップしてみたい。だが、この「制覇」という名の目的のみで「九州」という名の大地の魅力はかたつけられない!まだまだ訪問してみたい場所がゴマンとある。この記事をキーボードで叩いている時点で頭になかには既に構想が出来上がっている。あとは財布の中身と相談・・・みたいな九州訪問はいつになるのか?とりあえず「近い将来」とだけ皆様に報告しておこう。

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(地上時代の大分は、1978年に寝台特急「富士」で初訪した時以来の訪問であったので実に久々であった。半分高架化が完成していたが、まだ今回の訪問では地上ホームが健在であった。現在では工事が終了し、完全な高架駅となった。)
「ゆふいんの森」では「アテンダント」と呼ばれる女性車掌的スチュワーデス的存在なる従業員が乗車口で「ジャパニーズ・スタイル」で迎えてくれた。既に半分新しくなった大分駅においてこの「ゆふいんの森」のアテンダントの存在がひと際煌く。「ゆふいんの森」の記録はこちらを参考にしていただくとして、とにかく初体験の「森」は実に優しく、そしてサロンカーにいなければ若干暑い印象であった。

(「ゆふいんの森」ではアテンダントがお出迎え。特に私個人が感じることであるが、JR九州の接客サービスは群を抜いていると思う。)
この「ゆふいん」の車両がDCであったことなどすっかり忘れていたが、久留米から鹿児島本線に入ると一気にラストスパートをかけてきた。DC独特のエンジン音はここで初めて実感したと言ったらおかしな話であるが、すれ違う列車も随分変わったものだと、気がついたらかつて「18」で訪問した若かりし頃の記憶と重ね合わせていた。

(博多に到着した「ゆふいんの森」。1世と3世では当然ながら若干仕様が異なるが、デビュー当時は実に斬新であったろう。実は、私は「プラレール」で所有している、って全く関係無い事であろうが・・・)
さて、博多からは新幹線・・・ではなく「フライト」する予定だ。正直言って、新幹線の方が私らしいであろう。だがしかし、時間の制約の中、こういった選択肢も時には必要だ。などと洒落た事を言ってはいるが、基本的には一般的だ。「あと一回来れば制覇だな」と、遠ざかる福岡の街を空から見下ろした時にそんな事が頭をよぎった。だが、確かに「あと一回」がこの旅の1年後に実現し、九州全線制覇を果たした。その模様はいずれアップしてみたい。だが、この「制覇」という名の目的のみで「九州」という名の大地の魅力はかたつけられない!まだまだ訪問してみたい場所がゴマンとある。この記事をキーボードで叩いている時点で頭になかには既に構想が出来上がっている。あとは財布の中身と相談・・・みたいな九州訪問はいつになるのか?とりあえず「近い将来」とだけ皆様に報告しておこう。

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更に長期連載になりそうな九州鉄道路線全線制覇<PART2>⑧
2020-01-15
考えてみれば、藤崎宮前から北熊本で乗換え上熊本に向かう。そして路面電車で健軍町へ・・・みたいな「面倒くさい」行程のため計画だとやたら時間がかかる。なもので、このタクシーのショートカットは実に有効となった。昨日から散々見てきた熊本城を「へー、これが熊本城なんだぁ」みたいなわざとらしい会話を運転手と交わしながら健軍町へ向かう。というよりやたらと地元民バージョンの裏道も駆使し、全く私にはどこを通っているのかわからないうちに路面電車のレールの上をタクシーで走っていた。

(タクシーでワープして到着した健軍町。実にこのタクシーが有効となったが、藤崎宮前で常駐しているのが実にラッキーであった。)
多分2500円くらいだったと思うが、何事もなかったかのように支払いを済ま健軍町の電停に降り立った。予定通りか若干早いくらいに予定を戻したのが実に優越感であった健軍町から乗る路面電車。田崎橋で折り返し熊本駅前電停に着く頃には道路事情により若干予定より遅れたが、それでも「九州横断特急」の出発時間まで40分くらいあった。
100円ショップなどで時間を過ごし(という言い方はおかしいが)、九州横断特急で予定通りに大分へ向かった。豊肥本線は熊本と大分を結ぶ重要な路線であるが、鉄道が主役ではない現在、その役割はお分かりであろう。しかしながら観光路線としては以前と比べ格段に進化した。

(熊本駅では現在かなり高架化が進んでいるらしい。私の訪問時は新幹線建設の発展途上であった。)
もちろん民営化されてからの頑張り他ならないが、立野での3段スイッチバックはなんとも雄大。観光列車などでの訪問は一際優越感が倍増するであろう。それでも熊本寄りに関しては地域輸送の比重が高く、特に武蔵塚については1981年に誕生以来実に大きな変遷を遂げ、光の森が開設されるまでは恐らく中間駅の中では最大の乗降客であったろうまでに成長した。

(「九州横断特急」は私の中では実に新しい部類である。豊肥本線に特急とはかなり斬新な出来事であったのは私の感性であるが、登場からかなりの年月が流れている。しかし、こんな特急であの三段式スイッチバックを超えるとは・・・なんともすごい時代だ!と思うのも完全に私の感性である。)
確かに熊本から武蔵塚まで特急を利用するリッチな乗客も少なくなかった。そして肥後大津まで電化もされ一時期は「有明」なども乗り入れていたほど。かつての姿からは考えられなかった。とは言え、水前寺など熊本市の中心部を通るのであるから当然といえば当然であろう。これからも大いに活躍して欲しい。
しかしながら肥後大津を過ぎると、やはり我々レールファンが好む「風景」になってくる。立野では、いずれ制覇しなければならぬであろう「高原鉄道(2011年に制覇しました)」を横目に、更にカルデラの中を突き進み大分向かった。


(写真の駅は豊肥本線の中では新しい部類の駅である。特に武蔵塚は一時期、豊肥本線中第一位の乗降客を誇っていた。そして新水前寺は路面電車との乗り換えを考慮されて産まれた。)

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(タクシーでワープして到着した健軍町。実にこのタクシーが有効となったが、藤崎宮前で常駐しているのが実にラッキーであった。)
多分2500円くらいだったと思うが、何事もなかったかのように支払いを済ま健軍町の電停に降り立った。予定通りか若干早いくらいに予定を戻したのが実に優越感であった健軍町から乗る路面電車。田崎橋で折り返し熊本駅前電停に着く頃には道路事情により若干予定より遅れたが、それでも「九州横断特急」の出発時間まで40分くらいあった。
100円ショップなどで時間を過ごし(という言い方はおかしいが)、九州横断特急で予定通りに大分へ向かった。豊肥本線は熊本と大分を結ぶ重要な路線であるが、鉄道が主役ではない現在、その役割はお分かりであろう。しかしながら観光路線としては以前と比べ格段に進化した。

(熊本駅では現在かなり高架化が進んでいるらしい。私の訪問時は新幹線建設の発展途上であった。)
もちろん民営化されてからの頑張り他ならないが、立野での3段スイッチバックはなんとも雄大。観光列車などでの訪問は一際優越感が倍増するであろう。それでも熊本寄りに関しては地域輸送の比重が高く、特に武蔵塚については1981年に誕生以来実に大きな変遷を遂げ、光の森が開設されるまでは恐らく中間駅の中では最大の乗降客であったろうまでに成長した。

(「九州横断特急」は私の中では実に新しい部類である。豊肥本線に特急とはかなり斬新な出来事であったのは私の感性であるが、登場からかなりの年月が流れている。しかし、こんな特急であの三段式スイッチバックを超えるとは・・・なんともすごい時代だ!と思うのも完全に私の感性である。)
確かに熊本から武蔵塚まで特急を利用するリッチな乗客も少なくなかった。そして肥後大津まで電化もされ一時期は「有明」なども乗り入れていたほど。かつての姿からは考えられなかった。とは言え、水前寺など熊本市の中心部を通るのであるから当然といえば当然であろう。これからも大いに活躍して欲しい。
しかしながら肥後大津を過ぎると、やはり我々レールファンが好む「風景」になってくる。立野では、いずれ制覇しなければならぬであろう「高原鉄道(2011年に制覇しました)」を横目に、更にカルデラの中を突き進み大分向かった。


(写真の駅は豊肥本線の中では新しい部類の駅である。特に武蔵塚は一時期、豊肥本線中第一位の乗降客を誇っていた。そして新水前寺は路面電車との乗り換えを考慮されて産まれた。)

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更に長期連載になりそうな九州鉄道路線全線制覇<PART2>⑦
2020-01-10

(上熊本より熊本電気鉄道に乗る。私のイメージでは東急5000系であったが、ご覧の車両は「地元」からのお下がりのようだ。)
さて、約30分ほど予定がずれた。この日は最終日で、特に後述する「ゆふいんの森」に乗れなければ帰りの飛行機に間に合わない。そんな狂った予定を戻す方法を考えながら熊本電気鉄道を制覇していた。北熊本は熊本電気鉄道の中心的存在で、本社があり駅員も配置されている。そして車庫などもあり「その道の人」には気になる存在であろう。

(北熊本は唯一の有人駅。熊本電気鉄道の中心的機能が集約している。ほぼ全ての時間帯でホームの全てに列車が埋まる、という事は乗り換えに便利であるという事。)
だが、私は「その道の人」にも関わらず、狂った予定をどうするか・・・しか頭の中になかった。大いなる雑念!と言ってもこの「熊電」は魅力的な駅がたくさんあることに気づいた。なかなか昭和チックな駅が多く、「熊電スペシャル」なる旅の企画を提案してもいいであろう。もちろん個人的な話であるが。いつか「全駅制覇」してみたいものだ。

(かつて福島交通でも見かけた「あの車両」が北熊本駅構内の片隅に眠っていた。私にしてみれば「池上線」などで活躍する姿が懐かしく感じる。)
御代志に到着すると、やや信じられない光景が待っていた。かつては菊池まで延びていた路線も廃止されて久しいが、それ以上に駅の構造が実にシンプルに。島式ホームの片側がバス乗り場になっており、全く効率というか合理性のみを追求した構造であった。かつて何かの書物で見たそれとは明らかに違う、現在の「熊電」がそこにあった。だが・・・乗って来た列車に再び乗り折り返して行く乗客は私達だけであった。帰りはほぼ貸切で車掌も「その道の人」と判断したのであろう。と、熊電の素晴らしさを感じながらもやはり気になるのは「あの事」であった。藤崎宮前に着く頃には既にアイデアが出来上がっていた。

(藤崎宮前は、恐らく熊本電気鉄道で一番の乗降客であろう。熊本の中心街にあるが、どうやら駅員無配置のようであった。ただ、路面電車と連結させれば飛躍的に利用者が増えるであろうが・・・)
「すみません、健軍町までどれくらいかかりますか?」「時間?料金?」「時間です。」「だいたい20分くらいかなぁ・・・」「じゃぁ、お願いします!」駅舎にいた妻を呼び寄せた・・・
実は藤崎宮前から健軍町までタクシーでショートカットしようと企てたのだ!ちょうど駅前に常駐と思われるタクシーが1台停まっていた。もしこのタクシーがいなかったらと考えると、現在の私がなかったであろう、とは大袈裟な表現であるが・・・

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更に長期連載になりそうな九州鉄道路線全線制覇<PART2>⑥
2020-01-05
新八代に着いた私は約3分くらいで隣のホームの「リレー号」に乗り換える。在来線特急と新幹線が同一ホームにいる姿は恐らく将来的にも価値が出てくるだろうとものすごい勢いで車両の先頭に向かった。とても40を超えた中年男がする事ではないが・・・

(今では貴重な画像となってしまったお馴染みの新八代駅の光景。約3分の乗り換えであったが、ここは根性で最前列まで突っ走った!まるで鉄道少年ではないか・・・というか中年なのに・・・)
そんな新八代からリレー号で熊本に向かった。だが、まだ午後3時台。このまま宿泊先に行くのはもったいない。この日は熊本に宿泊する予定であったため、せっかくだから1路線制覇しよう!と決め、急遽予定にない三角線に訪問する事となった。というより、当時は九州の全路線制覇をする際に、どうしても三角線などのためになかなか予定を組めなかった。なので今回がいい機会と考え方を変え、一路三角に向かった。と言っても三角から天草方面へと観光するわけでもない。しっかりと三角より折り返す事になっている。


(「さんかく」と読んではいけない。天草方面への玄関口でもあるが、列車を利用して訪れる方はそう多くないであろう。というより最近は観光列車も運転されており、以前よりは若干増えていると思われるが。)
そんな三角から熊本に戻ってきた。そして市電に乗り換えて熊本市の中心部に向かい、宿泊先のとても「スーパー」なビジネス「ホテル」に向かった。私もこれだけ旅をしているとこの「スーパー」な「ホテル」もすっかり常連になってしまった。「東横」的な「イン」と併せて非常にお世話になっており役立っている。だが・・・そんな和やかに過ぎていく時間をよそに、翌日にはまたとんでもない事件が待っていたのだ!

(熊本の路面電車ではこんな車両がいた。そういえば、大阪空港方面でもこんな車両をどこかで見たような・・・)
私の場合、朝は予定よりも30分くらい早めに出発するのが旅のスタイルだ。しかもこの日は路面電車制覇のため所要時間も変わってくるであろうと予め予測しての行動である。しかし、初めから計画していた「予定」が間違っていた。辛島町で上熊本方面に乗り換えるがなかなか上熊本方面の列車がやって来ない・・・そしてようやく上熊本行きに乗れたが、上熊本から乗る熊本電気鉄道の出発時間と私の乗った路面電車の到着時間が殆ど同時位の時間になってしまった!路面電車と熊本電気鉄道の駅はやや離れているし、初めて訪れるのでかってもわからない。結局、熊本電気鉄道の列車を予定より1本遅らせ予定を進めていった・・・

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(今では貴重な画像となってしまったお馴染みの新八代駅の光景。約3分の乗り換えであったが、ここは根性で最前列まで突っ走った!まるで鉄道少年ではないか・・・というか中年なのに・・・)
そんな新八代からリレー号で熊本に向かった。だが、まだ午後3時台。このまま宿泊先に行くのはもったいない。この日は熊本に宿泊する予定であったため、せっかくだから1路線制覇しよう!と決め、急遽予定にない三角線に訪問する事となった。というより、当時は九州の全路線制覇をする際に、どうしても三角線などのためになかなか予定を組めなかった。なので今回がいい機会と考え方を変え、一路三角に向かった。と言っても三角から天草方面へと観光するわけでもない。しっかりと三角より折り返す事になっている。


(「さんかく」と読んではいけない。天草方面への玄関口でもあるが、列車を利用して訪れる方はそう多くないであろう。というより最近は観光列車も運転されており、以前よりは若干増えていると思われるが。)
そんな三角から熊本に戻ってきた。そして市電に乗り換えて熊本市の中心部に向かい、宿泊先のとても「スーパー」なビジネス「ホテル」に向かった。私もこれだけ旅をしているとこの「スーパー」な「ホテル」もすっかり常連になってしまった。「東横」的な「イン」と併せて非常にお世話になっており役立っている。だが・・・そんな和やかに過ぎていく時間をよそに、翌日にはまたとんでもない事件が待っていたのだ!

(熊本の路面電車ではこんな車両がいた。そういえば、大阪空港方面でもこんな車両をどこかで見たような・・・)
私の場合、朝は予定よりも30分くらい早めに出発するのが旅のスタイルだ。しかもこの日は路面電車制覇のため所要時間も変わってくるであろうと予め予測しての行動である。しかし、初めから計画していた「予定」が間違っていた。辛島町で上熊本方面に乗り換えるがなかなか上熊本方面の列車がやって来ない・・・そしてようやく上熊本行きに乗れたが、上熊本から乗る熊本電気鉄道の出発時間と私の乗った路面電車の到着時間が殆ど同時位の時間になってしまった!路面電車と熊本電気鉄道の駅はやや離れているし、初めて訪れるのでかってもわからない。結局、熊本電気鉄道の列車を予定より1本遅らせ予定を進めていった・・・

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2020年・謹賀新年ご挨拶
2020-01-01
新年、あけましておめでとうございます。今年も「鉄道全線完全制覇の旅」をよろしくお願いいたします。
さて、年は明け、いよいよ今年は2020年。東海道新幹線が開通した昭和39年以来、オリンピックが日本で、しかも東京で開催されるという記念すべき年である。
東京オリンピック・・・若い世代ならともかく、私の世代でも昭和39年のオリンピックは全く分からない・・・生まれてないし~みたいな世代である。
両親や知人に聞いた限りではあるが、当時のオリンピックは相当に爆発的に盛り上がったそうだ!日本の高度経済成長時代。常に前年比130%以上(かどうかは分からないが)的売上が当り前的な世の中。日本中が湧いて沸いて盛り上がっていた時代であろう。

ある意味毎年恒例となった「ダイナミック✩トナカイ」の画像を今年も紹介しよう。こちらはご覧の通り1980年代の常磐線特急である。上野の2階ホームであるが・・・上野といえば立ち食いそばがうまい!というか、この昭和時代のそれは現在のそれとひと味違っていたような気もするが・・・
周知の通り、それに併せて東海道新幹線が昭和39年10月1日に開通して東京から大阪間の所要時間がそれまでの半分になり日帰りが可能になった!これは、例えるならTOKIOに木村拓哉が、いや、東幹久や的場浩司(いわゆる助さん・格さん?)が加入したと想定したくらい凄い出来事であった!実にカルチャーショック!実に超非現実的。江戸時代に北斗の拳のケンシロウが「世紀末救世主」として君臨したと仮定した場合・・・くらい凄い事であろう。
余談ではあるが、私もとうとう「フルムーン」の適用年齢に、いつのまにかなってしまった事をつい最近になって気付くのが複雑な印象だったが・・・

稲毛のホーム先端で撮影した房総特急である。この撮影時、私は中学2年生であったが、ダイナミック✩トナカイは新入生として「鉄道研究クラブ」に入部してきた。そして房総急行がそろそろ全廃されるとの情報が流れ出した頃であった。
さて、昨年の10月であったろうか、私はあるドラマを視て「ハッ」と思わされた。
それはCSで放送された「鉄道警察官」というサスペンスドラマであったが、そのワンシーンで犯人がこんな台詞を言った。
要約すると「鉄道ファンはいつも孤独だ」「鉄道趣味とは所有できないから常に幻想を描いている」
確かこんな感じだった。
そう、私はいつも孤独だった。唯一中学校時代は「鉄道研究クラブ」に所属し仲間がたくさんいたが、先輩達は新入部員の私たちに「正直、こんなに入ってくると思わなかった」と漏らしていた。もちろん、当時の顧問であった教諭も驚いていた事だろう。その割には部活の場にほとんど姿を現さなかったのだが・・・
私の記憶だとそれまでは確か部員が3名~4名と聞いた。私の学年では恐らく10名以上いたであろう。だから先輩は泡食った状態だったと思われる。
確かに私の学年で一気に部員が増えて、それこそ野球部やサッカー部には及ばないものの、若干ながらメジャーデビューを果たした印象であった。そして、その中で私は年に4回発行する季刊紙班の編集長として君臨した。

時期を同じくしてこちらも常磐線特急の別バージョン。上野での撮影であるが、1980年代の上野は休みなく各方面からバラエティに富んだ列車が発着し飽きる事は無かった。しかも夜に関してはブルートレインも加わり、当時の私にしてみたら「上野の夜」は遥かなる夢であった!
だが、それまでの時代は部員3名くらいの孤独な活動であったのだから、先輩たちもとりわけ地味な活動であったろう。人数が多ければいいとか少ないから良くないとかではないが、やはりそこには「孤独」というキーワードが存在した。
中学卒業以降はレールファンというのがいかに特殊かということを思い知らされる訳であるが、そんな背景からも私が音楽の道を歩いた要因のひとつだったかも知れないと今になって思う。

撮影場所は不明であるが、文字通り信越線の特急である。右側は現在も新幹線の愛称で親しまれているが、左のネーミングは実に懐かしい!確か上野~中軽井沢間の臨時(季節)列車であった記憶だが・・・
確かに鉄道趣味は簡単に所有できる事では無いし頭の中で常に空想の鉄道を描いていた事は納得する。増して列車の走行音に興味を持つなど、一般的には考えられない「道楽」であろう。
私も半世紀を数える年齢になり、何となく「余命」みたいな事を真剣に考えるようになってきた。昔ならそんなことは全く考えなかったのだが、最近になって出来るうちにやりたい事はやれる時にやった方が良いと肌で感じるようになった。

最後は雷鳥である。景色的に大阪であろうと推測するが・・・何となく上野と勘違いしてしまいそうな風景である。この当時では考えられなかった北陸新幹線が、現在は将来的に福井まで延伸されようとしている。時代も変わったものだ~
今はインターネットの時代。クリックひとつでほぼやりたい事はできる時代だ。部屋にいる時は孤独かも知れないが、クリックするとそこは沢山の仲間たちがいる。所有こそできないものの、沢山の鉄道仲間が自身の熱い思いをぶつけている。
かつての「鉄道ジャーナル」にあった「タブレット」や「旅と鉄道」にあった「汽車旅相談室」などのように限られたコミニュケーションスペースで自分の思いをぶつける時代ではない。100人居れば100通りの鉄道がある。
そんな世の中である次の世代の鉄道シーンはいったいどのような変化をしているのであろうか。もしかして今年はそんな鉄道シーンのプロローグが聞けるかも知れない。
この記事の写真は全てダイナミック✩トナカイの提供です。

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さて、年は明け、いよいよ今年は2020年。東海道新幹線が開通した昭和39年以来、オリンピックが日本で、しかも東京で開催されるという記念すべき年である。
東京オリンピック・・・若い世代ならともかく、私の世代でも昭和39年のオリンピックは全く分からない・・・生まれてないし~みたいな世代である。
両親や知人に聞いた限りではあるが、当時のオリンピックは相当に爆発的に盛り上がったそうだ!日本の高度経済成長時代。常に前年比130%以上(かどうかは分からないが)的売上が当り前的な世の中。日本中が湧いて沸いて盛り上がっていた時代であろう。

ある意味毎年恒例となった「ダイナミック✩トナカイ」の画像を今年も紹介しよう。こちらはご覧の通り1980年代の常磐線特急である。上野の2階ホームであるが・・・上野といえば立ち食いそばがうまい!というか、この昭和時代のそれは現在のそれとひと味違っていたような気もするが・・・
周知の通り、それに併せて東海道新幹線が昭和39年10月1日に開通して東京から大阪間の所要時間がそれまでの半分になり日帰りが可能になった!これは、例えるならTOKIOに木村拓哉が、いや、東幹久や的場浩司(いわゆる助さん・格さん?)が加入したと想定したくらい凄い出来事であった!実にカルチャーショック!実に超非現実的。江戸時代に北斗の拳のケンシロウが「世紀末救世主」として君臨したと仮定した場合・・・くらい凄い事であろう。
余談ではあるが、私もとうとう「フルムーン」の適用年齢に、いつのまにかなってしまった事をつい最近になって気付くのが複雑な印象だったが・・・

稲毛のホーム先端で撮影した房総特急である。この撮影時、私は中学2年生であったが、ダイナミック✩トナカイは新入生として「鉄道研究クラブ」に入部してきた。そして房総急行がそろそろ全廃されるとの情報が流れ出した頃であった。
さて、昨年の10月であったろうか、私はあるドラマを視て「ハッ」と思わされた。
それはCSで放送された「鉄道警察官」というサスペンスドラマであったが、そのワンシーンで犯人がこんな台詞を言った。
要約すると「鉄道ファンはいつも孤独だ」「鉄道趣味とは所有できないから常に幻想を描いている」
確かこんな感じだった。
そう、私はいつも孤独だった。唯一中学校時代は「鉄道研究クラブ」に所属し仲間がたくさんいたが、先輩達は新入部員の私たちに「正直、こんなに入ってくると思わなかった」と漏らしていた。もちろん、当時の顧問であった教諭も驚いていた事だろう。その割には部活の場にほとんど姿を現さなかったのだが・・・
私の記憶だとそれまでは確か部員が3名~4名と聞いた。私の学年では恐らく10名以上いたであろう。だから先輩は泡食った状態だったと思われる。
確かに私の学年で一気に部員が増えて、それこそ野球部やサッカー部には及ばないものの、若干ながらメジャーデビューを果たした印象であった。そして、その中で私は年に4回発行する季刊紙班の編集長として君臨した。

時期を同じくしてこちらも常磐線特急の別バージョン。上野での撮影であるが、1980年代の上野は休みなく各方面からバラエティに富んだ列車が発着し飽きる事は無かった。しかも夜に関してはブルートレインも加わり、当時の私にしてみたら「上野の夜」は遥かなる夢であった!
だが、それまでの時代は部員3名くらいの孤独な活動であったのだから、先輩たちもとりわけ地味な活動であったろう。人数が多ければいいとか少ないから良くないとかではないが、やはりそこには「孤独」というキーワードが存在した。
中学卒業以降はレールファンというのがいかに特殊かということを思い知らされる訳であるが、そんな背景からも私が音楽の道を歩いた要因のひとつだったかも知れないと今になって思う。

撮影場所は不明であるが、文字通り信越線の特急である。右側は現在も新幹線の愛称で親しまれているが、左のネーミングは実に懐かしい!確か上野~中軽井沢間の臨時(季節)列車であった記憶だが・・・
確かに鉄道趣味は簡単に所有できる事では無いし頭の中で常に空想の鉄道を描いていた事は納得する。増して列車の走行音に興味を持つなど、一般的には考えられない「道楽」であろう。
私も半世紀を数える年齢になり、何となく「余命」みたいな事を真剣に考えるようになってきた。昔ならそんなことは全く考えなかったのだが、最近になって出来るうちにやりたい事はやれる時にやった方が良いと肌で感じるようになった。

最後は雷鳥である。景色的に大阪であろうと推測するが・・・何となく上野と勘違いしてしまいそうな風景である。この当時では考えられなかった北陸新幹線が、現在は将来的に福井まで延伸されようとしている。時代も変わったものだ~
今はインターネットの時代。クリックひとつでほぼやりたい事はできる時代だ。部屋にいる時は孤独かも知れないが、クリックするとそこは沢山の仲間たちがいる。所有こそできないものの、沢山の鉄道仲間が自身の熱い思いをぶつけている。
かつての「鉄道ジャーナル」にあった「タブレット」や「旅と鉄道」にあった「汽車旅相談室」などのように限られたコミニュケーションスペースで自分の思いをぶつける時代ではない。100人居れば100通りの鉄道がある。
そんな世の中である次の世代の鉄道シーンはいったいどのような変化をしているのであろうか。もしかして今年はそんな鉄道シーンのプロローグが聞けるかも知れない。
この記事の写真は全てダイナミック✩トナカイの提供です。

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