いつか、その日が来る日まで・・・② 様似
2020-02-25

かつては襟裳岬への玄関口でもあった様似であるが、近年ではかなりひっそりしていた印象であった。そこに災害が追い討ちをかけ、今では完全に機能を失ってしまった。
かつては先述通り急行「えりも」が国鉄バスに接続して多くの観光客などを運んだ事であろう。ただ、現在ではそんな華やかだった時代を彷彿させるような面影はあまり感じない。もちろん駅舎やホームなどはかつてのまま若干リニューアルされたであろうが、寂しさだけが取り残された印象であった。

今回の日高本線シリーズは終着駅・様似からスタート。若干のリニューアルは施されているものの、国鉄時代と変わったのは塗装くらいか。駅舎の隣は観光案内所になっている。

駅前には日勝峠を越える路線バス乗り場があるが、バスを待つ乗客はほぼ皆無であった。もちろんかつては様似から広尾に向け鉄道敷設の準備がなされていたであろう。

終端駅なのに設備が寂しいイメージである。かつてはもっと線路の数はあったろうが、その部分は鉄道以外の施設に変わり第二の人生を送っていた。レールの先には襟裳岬が待っているが、列車で到達する事は夢に終わってしまった。


現役と引退の境目的雰囲気、いや、既に引退の雰囲気を漂わせているのは錆び付いた2本のレールのせいであろうか。


駅舎内で列車を待つ乗客は完全に皆無であった。ウィキで利用者を確認してみたところ、晩年では一桁!にまで落ちていた。とても国鉄時代に急行列車が運転されていて多くの人がここから日勝峠に向かったと思うとは・・・

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いつか、その日が来る日まで・・・プロローグ
2020-02-20
自然災害により不通になっている日高本線が一部区間を残し廃止になるというニュースが飛び交ってからどれくらいの月日が経過したのだろうか。
私が知る限り、時刻表を見れば急行「えりも」が走り、更に補足するかのように国鉄バスが所々で並走していたので充実したダイヤがみられた。そして様似からは広尾に向け国鉄バス「日勝線」がえりも経由で繋がれ、将来的に両者を繋げたら面白いだろうという夢を見させてくれた。ただ、そんな最中に広尾線がいわゆる赤字ローカル線に認定され廃止が噂されたが、日高本線との関係はそう揺るぎないイメージだったと子供ながらに感じていた。
そんな生意気な子供が大人になって受けた現実は、広尾線が廃止され、更に日高本線も一部区間ではあるがその生命を終えようとしている。いや、実際にはもう終わっていて、それが正式かどうかのジャッジを待つだけの状態である。

「愛の国から幸福へ・・・」でお馴染みの愛国駅の現在に行ってみた。2017年の訪問であるが、当時の面影を残す駅舎が健在。ホームもレールも健在で、SLが静態保存されているが、広尾線は意外に現在も現役時代も設備を残す場所が多い。
私がかつての「いい旅チャレンジ」時代に立てた計画ではやはり日勝峠を国鉄バスで越える・・・つまり様似から広尾までは国鉄バスで繋ぐよう計画した。もちろん日高本線・広尾線の両者を各々で往復するなど、そんな効率悪い事はない。むしろバスで繋いだ方が自然であろう。
2019年現在、広尾線の存在を肌身で感じる者は昭和生まれの方が殆どであろう。たが、まさか日高本線が今日の姿を我々に見せるとは想像できたであろうか。日高本線だけでなく、発表されているだけでも根室本線や札沼線の一部区間や留萌本線など、我々が想像した事の無い名前が挙がった。
このまま行くと、本当に札幌近郊以外の鉄道路線が本当に消えてしまう日が来るかも知れない。

終点広尾も当時の駅舎が残っていた。現在はバスの待合室として再利用され、バスの乗車券もなんと硬券で販売されている!当時の国鉄を彷彿させる場面がここ広尾で見られるのは嬉しい。近い将来に訪問した駅をこのブログで紹介してみたい。
2017年、私はレンタカーで今の広尾線と日高本線を訪問した。既に広尾線は一部の訪問駅を紹介したが、今回は日高本線の現在を紹介してみようと思いPCに向かった。だが、あまりに厳しい現実を見せられた私は各駅訪問事に胸が痛い思いであったのだが、世間一般の風景では鉄道が無くても暮らしは成り立っているわけで、何となく時代に取り残されたイメージになっていた。ただ、静内は沿線一の大都市である事もあり、駅前はもちろん、駅事態も活気にあふれていた。そして何とみどりの窓口が営業中だったので、もちろん静内からは乗車できないが、ある意味重宝するであろう。
ただ、静内は沿線一の大都会ではあるが、鉄道会社が利益を産むだけのソフトであるかというとなかなか厳しいものがあり、特に様似方面へは鉄道だと、特に日中などは過剰なほどの輸送力となってしまう現実であろう。

今回は様似から駅訪問をスタート。「ローカル路線バスの旅」的な番組でも登場した様似であるが、現在は列車がやってこない。
いずれにしても襟裳岬に列車が来る事は夢に終わってしまった。だが「両翼」を失ってしまった襟裳岬は、誰かの歌のように「何もない」事は決してない!素敵な風景やえりもラーメンが待っている!
仮に鉄道路線の「日勝線」が開通していてもし「特急えりも」がこの地を行来していたらまた違った襟裳が見れたに違いない。これは四国の「阿佐海岸鉄道」と「土佐くろしお鉄道」が室戸経由で鉄道路線で繋り特急「むろと」が運転されていたら・・・みたいな風景に似ているような気がしてならない。

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私が知る限り、時刻表を見れば急行「えりも」が走り、更に補足するかのように国鉄バスが所々で並走していたので充実したダイヤがみられた。そして様似からは広尾に向け国鉄バス「日勝線」がえりも経由で繋がれ、将来的に両者を繋げたら面白いだろうという夢を見させてくれた。ただ、そんな最中に広尾線がいわゆる赤字ローカル線に認定され廃止が噂されたが、日高本線との関係はそう揺るぎないイメージだったと子供ながらに感じていた。
そんな生意気な子供が大人になって受けた現実は、広尾線が廃止され、更に日高本線も一部区間ではあるがその生命を終えようとしている。いや、実際にはもう終わっていて、それが正式かどうかのジャッジを待つだけの状態である。

「愛の国から幸福へ・・・」でお馴染みの愛国駅の現在に行ってみた。2017年の訪問であるが、当時の面影を残す駅舎が健在。ホームもレールも健在で、SLが静態保存されているが、広尾線は意外に現在も現役時代も設備を残す場所が多い。
私がかつての「いい旅チャレンジ」時代に立てた計画ではやはり日勝峠を国鉄バスで越える・・・つまり様似から広尾までは国鉄バスで繋ぐよう計画した。もちろん日高本線・広尾線の両者を各々で往復するなど、そんな効率悪い事はない。むしろバスで繋いだ方が自然であろう。
2019年現在、広尾線の存在を肌身で感じる者は昭和生まれの方が殆どであろう。たが、まさか日高本線が今日の姿を我々に見せるとは想像できたであろうか。日高本線だけでなく、発表されているだけでも根室本線や札沼線の一部区間や留萌本線など、我々が想像した事の無い名前が挙がった。
このまま行くと、本当に札幌近郊以外の鉄道路線が本当に消えてしまう日が来るかも知れない。

終点広尾も当時の駅舎が残っていた。現在はバスの待合室として再利用され、バスの乗車券もなんと硬券で販売されている!当時の国鉄を彷彿させる場面がここ広尾で見られるのは嬉しい。近い将来に訪問した駅をこのブログで紹介してみたい。
2017年、私はレンタカーで今の広尾線と日高本線を訪問した。既に広尾線は一部の訪問駅を紹介したが、今回は日高本線の現在を紹介してみようと思いPCに向かった。だが、あまりに厳しい現実を見せられた私は各駅訪問事に胸が痛い思いであったのだが、世間一般の風景では鉄道が無くても暮らしは成り立っているわけで、何となく時代に取り残されたイメージになっていた。ただ、静内は沿線一の大都市である事もあり、駅前はもちろん、駅事態も活気にあふれていた。そして何とみどりの窓口が営業中だったので、もちろん静内からは乗車できないが、ある意味重宝するであろう。
ただ、静内は沿線一の大都会ではあるが、鉄道会社が利益を産むだけのソフトであるかというとなかなか厳しいものがあり、特に様似方面へは鉄道だと、特に日中などは過剰なほどの輸送力となってしまう現実であろう。

今回は様似から駅訪問をスタート。「ローカル路線バスの旅」的な番組でも登場した様似であるが、現在は列車がやってこない。
いずれにしても襟裳岬に列車が来る事は夢に終わってしまった。だが「両翼」を失ってしまった襟裳岬は、誰かの歌のように「何もない」事は決してない!素敵な風景やえりもラーメンが待っている!
仮に鉄道路線の「日勝線」が開通していてもし「特急えりも」がこの地を行来していたらまた違った襟裳が見れたに違いない。これは四国の「阿佐海岸鉄道」と「土佐くろしお鉄道」が室戸経由で鉄道路線で繋り特急「むろと」が運転されていたら・・・みたいな風景に似ているような気がしてならない。

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白糠線・リメイク・アゲイン⑤
2020-02-15
上茶路を過ぎ下北進を過ぎるといよいよ北進に到着するわけであるが、景色的には上白糠からさして変化はない。大自然に囲まれ酪農業が盛んな印象の風景が続いているが、終点の北進は周囲に本当に何もない。文明と呼べる、鉄道経営における収入源となろう民家や産業的なものが何もない。あるのは草木に囲まれた大自然のみ。よくぞここに旅客駅を設けたものだと、中学生でも関心してしまうくらいに何もない。駅を降りたのはほぼ100%レールファンであった。そして各方面へ放射状に散っていく。もちろんその後は乗ってきた列車でほぼ全員が折り返すのだから車掌もあえて改札に来ない。

上茶路はかつて石炭の積出があったらしいが、私の訪問当時は既に広い構内の側線は錆び付いており役目を終えていた。
北進に到着し「いい旅チャレンジ20000km」としてとりあえず1線区制覇した。わざわざ周遊券を使い連絡船や夜行列車を乗り継ぎこの1線区のために力を振り絞った。乗ってしまえば何て事はないが、もう乗れなくなると思うとなぜか心苦しい。北進の先は約100~200メートルくらい線路が伸びていた。その線路の先にレールがつながる日がもし来たとしたら、当時の私でも胸ワクワクものであったろう。いや、更に北に進むんだよとあえて車止めを駅から遠ざけたのかも知れない。

下北進は既にメンテナンスを終了していたのか、駅名標の文字が読みにくくなっていた。もう新しく塗り替えられる事は・・・
北進から先の未成線では螺湾(らわん)という駅が計画されていた。そしてそこから更に分岐し阿寒湖方面を経て北見相生方面への接続が計画されていた。これ、完成していたらすごいよね?って思う。もちろん収支関係は別として・・・
恐らく足寄出身の松山千春の印象や発言もやや変化があったろう。ほんのわずかではあろうが「螺湾蕗」を持つその手には若干ながら力の入りが違っていたはずだ。
北進まで開通してたった11年で幕を降ろした白糠線であるが、当時、日本一の赤字路線と囁かれた美幸線より先に廃止された白糠線は、ある意味私にとって英雄である。

終点の北進では既に紅葉の時期に入っていた。というか、当時中学生の私にとって季節とか全く関係なかったと思う。それよりこの白糠線が消えていってしまう事のほうが至って重要であった。
私の身近にあった廃止路線は相模線・寒川支線であった。いわゆる西寒川支線と一般的に呼ばれるもので寒川~西寒川間の1.5kmであった。もちろんこのブログで何度も紹介しているが、この寒川支線に至っては事前に廃止されるという情報が白糠線ほど目立ってされなかった。いわば地味にフェードアウトしていったわけであるが、廃止当日はTBSラジオのクルーも現れたしそれなりに賑やかであった。もちろん思い入れも強いが、この白糠線も私が始めて北の大地を踏み、そして訪ねた路線としての思い入れは強い。

私のブログに何度も登場した北進駅全景。ご覧の通り、鉄道施設以外に文明と呼べる物が無いに等しい。ここから更に北へ向かい足寄までの延伸計画があったが・・・ただ、スペース的に将来交換設備が設けられるよう準備がなされていた記憶であった。
私が訪問してから約2週間後に白糠線はその生涯を終えた。その後町営バスが後を引き継いだが、確か時刻表には掲載されていなかった気がする。当時、士幌線の糠平~十勝三股間が代行バスの時刻表が掲載されていて特異な空気を醸し出していたが、白糠線のそれはなかったのは残念であった。
そして白糠線廃止後、次々と全国のローカル線が廃止されていった。特に北海道の鉄道路線は現在、国鉄時代の半分位の姿になってしまい、更に現在でも札沼線の一部や日高本線などの廃止が囁かれている。もしかしたら北海道の鉄道路線は、近い将来、札幌近郊のみになってしまうかも知れない。そんな事を示唆させる第一歩が、もしかしたら白糠線だったのであろうか・・・

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上茶路はかつて石炭の積出があったらしいが、私の訪問当時は既に広い構内の側線は錆び付いており役目を終えていた。
北進に到着し「いい旅チャレンジ20000km」としてとりあえず1線区制覇した。わざわざ周遊券を使い連絡船や夜行列車を乗り継ぎこの1線区のために力を振り絞った。乗ってしまえば何て事はないが、もう乗れなくなると思うとなぜか心苦しい。北進の先は約100~200メートルくらい線路が伸びていた。その線路の先にレールがつながる日がもし来たとしたら、当時の私でも胸ワクワクものであったろう。いや、更に北に進むんだよとあえて車止めを駅から遠ざけたのかも知れない。

下北進は既にメンテナンスを終了していたのか、駅名標の文字が読みにくくなっていた。もう新しく塗り替えられる事は・・・
北進から先の未成線では螺湾(らわん)という駅が計画されていた。そしてそこから更に分岐し阿寒湖方面を経て北見相生方面への接続が計画されていた。これ、完成していたらすごいよね?って思う。もちろん収支関係は別として・・・
恐らく足寄出身の松山千春の印象や発言もやや変化があったろう。ほんのわずかではあろうが「螺湾蕗」を持つその手には若干ながら力の入りが違っていたはずだ。
北進まで開通してたった11年で幕を降ろした白糠線であるが、当時、日本一の赤字路線と囁かれた美幸線より先に廃止された白糠線は、ある意味私にとって英雄である。

終点の北進では既に紅葉の時期に入っていた。というか、当時中学生の私にとって季節とか全く関係なかったと思う。それよりこの白糠線が消えていってしまう事のほうが至って重要であった。
私の身近にあった廃止路線は相模線・寒川支線であった。いわゆる西寒川支線と一般的に呼ばれるもので寒川~西寒川間の1.5kmであった。もちろんこのブログで何度も紹介しているが、この寒川支線に至っては事前に廃止されるという情報が白糠線ほど目立ってされなかった。いわば地味にフェードアウトしていったわけであるが、廃止当日はTBSラジオのクルーも現れたしそれなりに賑やかであった。もちろん思い入れも強いが、この白糠線も私が始めて北の大地を踏み、そして訪ねた路線としての思い入れは強い。

私のブログに何度も登場した北進駅全景。ご覧の通り、鉄道施設以外に文明と呼べる物が無いに等しい。ここから更に北へ向かい足寄までの延伸計画があったが・・・ただ、スペース的に将来交換設備が設けられるよう準備がなされていた記憶であった。
私が訪問してから約2週間後に白糠線はその生涯を終えた。その後町営バスが後を引き継いだが、確か時刻表には掲載されていなかった気がする。当時、士幌線の糠平~十勝三股間が代行バスの時刻表が掲載されていて特異な空気を醸し出していたが、白糠線のそれはなかったのは残念であった。
そして白糠線廃止後、次々と全国のローカル線が廃止されていった。特に北海道の鉄道路線は現在、国鉄時代の半分位の姿になってしまい、更に現在でも札沼線の一部や日高本線などの廃止が囁かれている。もしかしたら北海道の鉄道路線は、近い将来、札幌近郊のみになってしまうかも知れない。そんな事を示唆させる第一歩が、もしかしたら白糠線だったのであろうか・・・

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白糠線・リメイク・アゲイン④
2020-02-10
上白糠に着く。私は駅名標を撮影するのに精一杯であったが、冷静に考えると周囲には何もない。いや、何もないという表現は正しくない。実際には酪農業と大自然の風景が広がっていると言えばいいだろうか。「何もない」とは、鉄道を銭儲けとして運営するにあたり、旅客や産業などの文明が乏しいという事だ。ただ、列車の中はレールファンで大盛況である。
上白糠を過ぎると公式では茶路であるが、茶路と上白糠との間には共栄仮乗降場がある。全国版の時刻表に載っていない、いわば「隠れキャラ」であったが、ここ白糠線にも唯一の存在。函館で「道内時刻表」を購入していた私はしっかり確認済みであった。現在のJR時代には考えられないであろうし、新しい現在の若いレールファンには無い認識であろうが、特に北海道にはこの仮乗降場が多く存在し、その駅を見つける事自体が非常にエキサイトする場面でもあった。

上白糠は白糠を出て最初の駅。白糠線の晩年では一閉塞のためすべての駅が棒線化されていた。もちろんここ上白糠も。
仮乗降場は基本的に板張りや枕木を並べたホームが特徴であったが、例えば宗谷本線の天塩川温泉のように、国鉄時代は仮乗降場でも現在は普通に隠れキャラとは思えないほど立派なものもあった。ちなみに私が当時最も憧れた仮乗降場は天北線にあった「飛行場前」や名寄本線にあった「四号線」であった。

白糠線唯一の仮乗降場である共栄。国鉄に馴染みのない世代ではこの仮乗降場は伝説に過ぎないであろうが、当時の「道内時刻表」にはこの仮乗降場もちゃんと掲載されていて、それを見つけるとわけもなく興奮したものだ。
共栄仮乗降場も確か板張りの駅であった記憶で、宗谷本線の糠南的な感じだったと思う。
さて、共栄を過ぎると茶路、縫別と停車するが、私は駅名標等を撮影するのに夢中で、景色を見ながらこの路線の存在理由や今後などの推測などはする余裕も無かった。いや、当時はまだ中学生だったので、そんな知識すらなかった。ただ「廃止」と聞くと一目散に駆けつける・・・みたいな衝動に駆られる以外に術のない中学生であったのだ。

茶路では駅前にやや生活を感じる。だが、鉄道経営に影響を与えるほどの生活感を感じ取ることはできなかった記憶だ。
そして縫別を過ぎると上茶路に着くとやや構内が広い雰囲気を感じ取った。ホームも島式でありいくつかの側線も確認できた。もちろん機能していなかったが、それでもかつての盛栄を感じ取ることができた。中学生なりに。近年まではホームや側線が残っていたらしいが、現在はどうなのだろうか。私は北海道の数々の廃線跡を巡ってきたが、ここ白糠線は未だ訪問していない。いずれは訪問してみたいが、なにせ35年以上も初訪から経過している。だが、上茶路は今もやや残骸が残っていると聞いた。いつか、というか近い将来に訪問してみたい。

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上白糠を過ぎると公式では茶路であるが、茶路と上白糠との間には共栄仮乗降場がある。全国版の時刻表に載っていない、いわば「隠れキャラ」であったが、ここ白糠線にも唯一の存在。函館で「道内時刻表」を購入していた私はしっかり確認済みであった。現在のJR時代には考えられないであろうし、新しい現在の若いレールファンには無い認識であろうが、特に北海道にはこの仮乗降場が多く存在し、その駅を見つける事自体が非常にエキサイトする場面でもあった。

上白糠は白糠を出て最初の駅。白糠線の晩年では一閉塞のためすべての駅が棒線化されていた。もちろんここ上白糠も。
仮乗降場は基本的に板張りや枕木を並べたホームが特徴であったが、例えば宗谷本線の天塩川温泉のように、国鉄時代は仮乗降場でも現在は普通に隠れキャラとは思えないほど立派なものもあった。ちなみに私が当時最も憧れた仮乗降場は天北線にあった「飛行場前」や名寄本線にあった「四号線」であった。

白糠線唯一の仮乗降場である共栄。国鉄に馴染みのない世代ではこの仮乗降場は伝説に過ぎないであろうが、当時の「道内時刻表」にはこの仮乗降場もちゃんと掲載されていて、それを見つけるとわけもなく興奮したものだ。
共栄仮乗降場も確か板張りの駅であった記憶で、宗谷本線の糠南的な感じだったと思う。
さて、共栄を過ぎると茶路、縫別と停車するが、私は駅名標等を撮影するのに夢中で、景色を見ながらこの路線の存在理由や今後などの推測などはする余裕も無かった。いや、当時はまだ中学生だったので、そんな知識すらなかった。ただ「廃止」と聞くと一目散に駆けつける・・・みたいな衝動に駆られる以外に術のない中学生であったのだ。

茶路では駅前にやや生活を感じる。だが、鉄道経営に影響を与えるほどの生活感を感じ取ることはできなかった記憶だ。
そして縫別を過ぎると上茶路に着くとやや構内が広い雰囲気を感じ取った。ホームも島式でありいくつかの側線も確認できた。もちろん機能していなかったが、それでもかつての盛栄を感じ取ることができた。中学生なりに。近年まではホームや側線が残っていたらしいが、現在はどうなのだろうか。私は北海道の数々の廃線跡を巡ってきたが、ここ白糠線は未だ訪問していない。いずれは訪問してみたいが、なにせ35年以上も初訪から経過している。だが、上茶路は今もやや残骸が残っていると聞いた。いつか、というか近い将来に訪問してみたい。

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白糠線 リメイク・アゲイン③
2020-02-05
弱冠中学生にして初めて青函連絡船にのり、そして初めて新鋭のキハ183系に乗車。さらに、今回白糠線と併せて訪問テーマでもあった開業してまだ間もない石勝線探索も慣行した。以前にも話したが、私が一番お気にいりの鉄道路線は石勝線だ。しかも新夕張~上落合の新線区間である。残念ながら白糠線には向かう道中は石勝線が夜の時間帯の訪問になってしまうが、翌日の白糠線制覇後は特急「おおぞら」で昼間の時間帯にじっくり観察できる。とりあえず私は札幌に向かい、今夜の宿となる急行「まりも」の夜行列車バージョンで白糠を目指した。もちろん自由席だ。
ある程度は予測していたが、白糠に到着すると同業者がやたらと下車した。夏休みでもない平日によくこれだけの人が集まるなと中学生ながらに関心していたが、逆に長期休暇ではないのによくこんな所に中学生がやって来たなどと周りから関心を持たれていたかも知れない。

札幌より夜行急行列車「まりも」で白糠に到着。途中、新得、帯広などで入場券を購入するため改札を出た。特に帯広は深夜未明の時間帯で全く人気がなかった記憶だ。新得では上下の「まりも」の列車交換風景が見られた。
白糠では約一時間の待ち合わせがあった。
白糠のホームにやって来た白糠線下り始発列車は釧路発の2両編成で、当時は知らなかったが急行「ノサップ」の合間に使用されている車両であった。もちろん白糠始発ではないため既に乗客はいたが、意外に座席が空いていたので終点の北進まで座ることができたのは嬉しかった。

こちらは白糠線制覇後再び白糠に戻ってきた時の風景である。やはり同業者ギャラリーが多数。このあとギャラリー達は帯広方面と釧路方面に別れたが、私は釧路に行き、折り返し特急「おおぞら」で札幌目指した。
さて、2両編成のDCは白糠を出ると早速右に折れる。白糠線とはもともと根室本線のバイパス的な役割をする路線の一部で白糠より北に向かい終点の北進より更に北へ進み螺湾を経て池北線(当時)の足寄に繋がる路線の一部であった。更に足寄より新得を結んで根室本線のバイパス的な役割をさせる予定であったが、沿線の人口や産業などがかなり乏しく、というより石炭産業も傾きを見せ始めていたし、そして、なんといっても帯広を通らないしバイパスさせる意味も薄いなどの理由から完全に頓挫したのであろう。もちろん森林資源や石炭などが豊富で、一時期は石炭を白糠線で運んだ時期もあり盛栄を迎えた時もあったが、石炭産業が衰退していく中、将来的に未来が見えない部分も感じていたはずだ。それでも北進まで開通させたのは、ある意味快挙である。もちろん、その裏には政治的駆け引きが見え隠れするが、全線開通から10年くらいで廃止になってしまうのだから、やはり現実は厳しいのであろう。

急行用の車両とはいえ、かなりお疲れの様子が伺えた。多分、白糠線の運用を終えたあと、釧路まで回送されて再び「ノサップ」として根室を目指す事であろう。
そんな大人の事情など全くわからないまま、というか、それより私はこの白糠線を廃止前に制覇するのが最大のテーマであり、ある意味人生をかけていた。1日3往復しか設定の無い中、いかにして英知を絞るか。そしていかにして写真に収めるか。当時中学生の私には今これしかできない。とにかく窓に向けシャッターを切る、切る、斬りまくる!

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ある程度は予測していたが、白糠に到着すると同業者がやたらと下車した。夏休みでもない平日によくこれだけの人が集まるなと中学生ながらに関心していたが、逆に長期休暇ではないのによくこんな所に中学生がやって来たなどと周りから関心を持たれていたかも知れない。

札幌より夜行急行列車「まりも」で白糠に到着。途中、新得、帯広などで入場券を購入するため改札を出た。特に帯広は深夜未明の時間帯で全く人気がなかった記憶だ。新得では上下の「まりも」の列車交換風景が見られた。
白糠では約一時間の待ち合わせがあった。
白糠のホームにやって来た白糠線下り始発列車は釧路発の2両編成で、当時は知らなかったが急行「ノサップ」の合間に使用されている車両であった。もちろん白糠始発ではないため既に乗客はいたが、意外に座席が空いていたので終点の北進まで座ることができたのは嬉しかった。

こちらは白糠線制覇後再び白糠に戻ってきた時の風景である。やはり同業者ギャラリーが多数。このあとギャラリー達は帯広方面と釧路方面に別れたが、私は釧路に行き、折り返し特急「おおぞら」で札幌目指した。
さて、2両編成のDCは白糠を出ると早速右に折れる。白糠線とはもともと根室本線のバイパス的な役割をする路線の一部で白糠より北に向かい終点の北進より更に北へ進み螺湾を経て池北線(当時)の足寄に繋がる路線の一部であった。更に足寄より新得を結んで根室本線のバイパス的な役割をさせる予定であったが、沿線の人口や産業などがかなり乏しく、というより石炭産業も傾きを見せ始めていたし、そして、なんといっても帯広を通らないしバイパスさせる意味も薄いなどの理由から完全に頓挫したのであろう。もちろん森林資源や石炭などが豊富で、一時期は石炭を白糠線で運んだ時期もあり盛栄を迎えた時もあったが、石炭産業が衰退していく中、将来的に未来が見えない部分も感じていたはずだ。それでも北進まで開通させたのは、ある意味快挙である。もちろん、その裏には政治的駆け引きが見え隠れするが、全線開通から10年くらいで廃止になってしまうのだから、やはり現実は厳しいのであろう。

急行用の車両とはいえ、かなりお疲れの様子が伺えた。多分、白糠線の運用を終えたあと、釧路まで回送されて再び「ノサップ」として根室を目指す事であろう。
そんな大人の事情など全くわからないまま、というか、それより私はこの白糠線を廃止前に制覇するのが最大のテーマであり、ある意味人生をかけていた。1日3往復しか設定の無い中、いかにして英知を絞るか。そしていかにして写真に収めるか。当時中学生の私には今これしかできない。とにかく窓に向けシャッターを切る、切る、斬りまくる!

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