いつか、その日が来る日まで・・・⑭ 春立
2020-04-30

先日、別途志村けんさん(以降敬称略)の訃報に触れさせて頂いたが、改めて志村けんの凄さや偉大さを知る事となった。そして人としての素晴らしさや、更には動物にまでも愛される存在である事も改めて知る事となった。志村けんの事を悪く言ったり思っている人は殆どいないに等しいくらい多くの人から慕われていたり尊敬されていたりされている人物はそう多くないであろう。
そんな姿勢を矢沢は「不器用」と言うが、逆に私から見ればこれ程器用な姿勢は真似できないと思う。私は20年以上レールファンを離れていた時期があるから尚更そう思えて仕方がない。
ある芸人が志村けんの死について「悲しいのに笑ってしまう思い出ばかり」とコメントしていたが、まさにそれは志村けんが聞いたら一番嬉しいであろうコメントだろう、と私は感じた。まさに芸人冥利につきるだろうと。追悼番組でも悲しいはずなのに笑ってしまう自分がいた。某タレントが「生まれて初めて腹を抱えて笑ったのがドリフターズであり志村さんだった」と言っていたが、まさに私も同じくであり、それは今でも変わらない。本当に腹がはち切れそうになる!これは凄い事だ。


最も価値ある「国鉄式」とはオーバーかも知れないが「いい旅チャレンジ20000km」世代の私にとってこの駅名表示の存在は実に意味があり大きい存在だ。
私がかねてから崇拝しているロックアーティストの矢沢永吉もそうなのだが、志村けんにも共通している事が「ひとつの事を貫く」ということがある。まさに志村けんはコント一筋。矢沢永吉もロック一筋。そしてあのジャイアント馬場もプロレス一筋。ひとつの事をやり続けるのは実に難しく困難極まりない。しかも特に矢沢や志村等に共通しているのが、常に新しいものを取り入れ自身の道に反映させている事。これは素晴らしい。そして自分よりひとまわりもふたまわりも年下の世代からも貪欲に何かを取り入れようとする姿勢。そんな思いがあるから常に進化している。




これが噂の駅舎である。新築から20年経過したとは思えないほどのメンテナンスである。というか、ここ数年使用されていないのが勿体無いくらいであるが、貨車駅からの進化が実に嬉しい報告である。
さて、少々前置きが長くなってしまったが本題に入らせていただこう。
「春立」とは何とも北海道らしくない、と言っては語弊があるかも知れないが、ロマンチックな駅名である。静内に近いということもありそれなりに利用者がありそうであるが、いや、国鉄時代はそれなりにあった印象だったのでウィキで確認したところ、やはりそれなりに利用者はあった。ただ、やはり近年の時代の流れから考えて、他の駅、いや鉄道シーンと同様な道をたどっていると思われ、近年の利用者は一桁台にまで落ち込んでいる事が報告されていた。



定番となっている交換設備の報告であるが、ここ春立はかつて相対式ホームの交換設備があった駅である。国鉄時代は側線もあったが、ご覧の通り、国鉄時代は貨物輸送も盛んであったであろう風景を感じる事ができる。
ただ、駅舎に関しては国鉄時代の駅舎は解体されいわゆる貨車駅となったが、更に2000年に現在の駅舎に改築されたとの報告がある珍しい例といえよう。ほとんどのこうした貨車駅は古い木造駅舎を壊して貨車駅となり現在に至るというケースがほとんどであるが、更に貨車駅から駅舎が新築された例はそう多くないと思う。残念ながらその新築された駅舎も長い間親しまれる事無くその生涯を終えようとしているのはかなり勿体無い印象であるのだが、それでも地元の方からわずかな時間でも愛された事は大いに有意義な時間であった事だろう。そんな時間が将来的に価値あるものである事に変わりはない。

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いつか、その日が来る日まで・・・⑬ 日高東別
2020-04-25

すごく良い駅です❗
これまで暫く日高本線の駅を紹介してきたが、ここ日高東別は実に素晴らしい。各駅訪問でもやらなければ私は一生出会う事ができなかったであろう。
確かに2008年に日高本線を往復してるわけだからこの駅を通っているので印象に残るはずであるのだか、今回の訪問まで全く記憶に無かったのだからもったいない。
ご覧いただくとお分かりでであろうが、実に素晴らしいナイスロケーションである。この素朴感がたまらない。一見、荒涼としている雰囲気を醸し出しているようであるが、更に哀愁感も漂っているのだから凄い。



素晴らしい待合室!日高本線の他の駅にも同じような造りがあるが、ここ日高東別はなぜか個性的に見える。右側に「ラッチ」いや「ゲート」が見えるがこの意味が後の写真紹介でわかる事になろう。
ただこれは個人的見解で、本来の鉄道の姿は大量輸送が長所であるのだから、例えロケーションが良くても利用者が、または輸送する貨物が多くなければ意味がない。時代と共にフェードアウトしていく鉄道路線はいつの時代でも寂しいものであるが、なぜか私はますます鉄道の存在が気になってしまうのである。ブルートレインが好きだった少年は、時が流れいつしかこうしたローカル的な駅が非常に気になる大人になってしまった。


道路側から来た場合、道路も砂利道のためホームとの区別が付きにくく、この素晴らしいラッチ、いやゲートの意味は非常に大きい。
さて、駅名の由来をウィキで確認してみたら「アイヌ語の「トイペッ(toy-pet)」(土(食用土)・川)に由来するとされる」と記されていた。もともと「ペッ」や「ナイ」は川や沢的な意味があるのは知っていたが、私が気になったのはその後の文章で「由来となったアイヌ語については「トペッ(to-pet)」(沼・川)とするものもある」とあった。「トペッ」とは?これってアイヌ語というよりむしろプロレス技じゃない?と錯覚してしまいそうである。




開業当初から棒線型の駅である事がウィキに記されている。交換設備が多くあった日高本線の中では逆に珍しい部類ではなかろうか。ただ、赤く錆び付いたレールは、日高本線の今を無言で語りかけていた。

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いつか、その日が来る日まで・・・⑫ 日高三石
2020-04-20

ここ日高三石もかつては交換設備があったが、浦河に続き相対式ホームであった。急行「えりも」も停車しそれなりの賑わいを見せていたイメージであったが、今はその面影がほとんど感じられなかった。
ただ「使われなくなった旧ホームが残存する」とウィキに記されていたが、私の訪問時(2017年)にはその確認ができなかった。
急行「えりも」が停車していたのはもちろん国鉄時代から私も知っていたが、2007年と今回の訪問で改めて鉄道としての役割を終えていた印象がひしひしと伝わってきたのは寂しさを実感する事になった。ただ、駅舎がモダンに改築され現在に至っていることを考えると、やはり急行停車駅としての格が感じられるイメージでもある。しかしその駅舎には私が訪問した時には人影が確認できなかった。





「ふれあいサテライトみついし」と名付けられた駅舎であるが「JR」である事がわかる表示が確認できなかった。もちろん地元の方はここが「駅」である事が周知されている事であろうが、列車が来ない現在ではJRを名乗っても仕方ないのか・・・



ご覧の通り、かつては相対式ホームであったがその痕跡を見つけるのが難しいコンディションであった。旧ホームは既に自然に返ってしまったのか・・・

やはり「国鉄式」が残っていると嬉しい。「いい旅チャレンジ20000km」時代に私はこの日高本線に訪問ができなかったので、現役時代と現存している現在を訪問できた事は将来的に非常に価値あるものとなる事であろう。

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いつかその日が来る日まで・・・⑪ 蓬栄
2020-04-15

棒線型で交換設備が無い蓬栄であるが、やや絵笛に似ているイメージ雰囲気を醸し出す。周囲は民家や酪農業が点在するが、やはりここのインパクトは華奢な待合室の存在であろう。我が家の書斎にも欲しいくらいの可愛い建家がホームに向かい入口を開けているのが良い。列車が来ないのは実にもったいない風景であるが、現実、利用者の有無で鉄道経営は決まる。実際問題、近い将来にこうした北海道らしい鉄道風景が見れなくなってしまうのか・・・とも思ったりしてしまう時代の流れである。



列車は久しく来ていないがメンテナンスはしっかり施されているようなイメージであった。自転車が数代停まっているが、実は駅前から代行バスが出ているためである。まだこの駅は活きている!

駅のホーム冊の後ろにはバスの時刻表が。先ほどの自転車の意味がここにあった。利用者がいるということがグラフィック的に分かるのが嬉しい。



そしてこちらが私のお気に入りの待合室。この華奢感、たまりません!

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いつか、その日が来る日まで・・・⑩ 本桐
2020-04-10

散々っ腹「交換設備、交換設備」と吠えてきた私だが、いよいよここ本桐で交換設備が登場する事となった。浦河の交換設備がなくなったのは正直ショックであるが、ここ本桐に交換設備が残されたのは様似~静内間のほぼ中間にあるという事であろうと思われる。しかしながらただそれだけではない本桐の魅力が、実際に訪問してみていろいろ発見があったから驚きだ。

まずは駅舎である。何となく石北本線の上越信号場や奥白滝のような、いわゆる北海道「らしい」駅舎が魅力的である。そして交換設備であるが、静内~様似間の中間にある「唯一」という事は本桐以降の様似までは1閉塞となり列車交換ができないという事になる!これって凄く不安な材料じゃないかな~って個人的に考えてしまうが、それでも間に合ってしまうか、いやもしかしたら過剰なくらいなのかも知れない。だが私の感覚ではかなり勇気ある決断だと感じてしまうのだが、やはりその勇気ある決断を選択したJRの思惑が見え隠れする。それは浦河の設備を思い切って撤去した事にも反映されているように、かなり日高本線の経営は20~30年くらい前から既に切羽詰まった状況なのであろう。だが、ウィキで確認してみると意外にも本桐の利用者が他の駅よりも多い事に気付かされた。かつては木材も積み出されていた事だし、かなりの盛栄があったのであろう。ただ、既にレールは錆び付いており、既に列車がやってこないのは実に寂しい。もちろん、この交換設備も無用の長物となってしまったのが一番残念であろう。




そして駅舎はご覧の通り。国鉄時代には既に無人化となったが、無人駅なのに列車交換ができるなんて凄く不思議な感じだった当時小学生の私であった。それからCTC化がブームとなり芸備線などでは交換設備を持つ駅の無人化が進みようやく中学生くらいになって無人駅の列車交換的な感覚が慣れてきた。最もここ本桐はCTCではなくスプリング式でのポイント操作であるが・・・


ご覧の通り、転轍器の表示は「S」、つまりスプリングの定位を示している。JR相模線でも非電化時代からスプリング式を採用しており、交換駅である倉見、社家、相武台下、番田などの駅はスプリング式を採用しているので私も非常に馴染みがある。







素晴らしい島式ホームの眺めである。今まで紹介してきた駅もかつてはこんな光景であったろう。ある意味ここ本桐は、かつての姿を今も残す貴重な姿かも知れない。

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いつか、その日が来る日まで・・・⑧ 荻伏
2020-04-05

毎回同じ解説で申し訳ないのだが、やはりここ荻伏もかつては交換設備があったという歴史を無言で語りかけていた。やはり「本線」だけにかつてはほとんどの駅で列車交換ができたのだから、こうした現在の姿を見るとやはり寂しい限りである。
ただ、特筆すべきはかつては2面2線であった事だ、とウィキに記されているが、私が訪問した時に感じたのはかつては島式ホームだったんじゃない?って印象であった。レールのくねっている名残や不自然な空間から想像して、恐らく1面2線の誤りだと感じてしまうが、どちらにしても列車交換ができたという事には変わらない。
ただ、かつてターンテーブルがあったということから、貨物輸送も相当盛んだったのかなという印象でもあった。
駅舎はいわゆる「貨車駅」であるが、物の見事にカラフルに仕上がっており「まだ生きている」感が出ているイメージであった。




まずは駅舎から。かつては大きな木造駅舎的な建家があったのであろう、貨車駅となった今、地面にはかつての基礎がその歴史を語ってくれていた。








かつては島式ホームだった印象が今でも残る。ただ「貨物も盛んだったよね?」的な風景も残っているイメージ。実際にはどれだけのものかは現時点では不明であるが、やはり鉄道と貨物は切っても切れない縁であるという事だ。

ここは北海道だし「サッポロビール」飲みたいよね?とは感じるが・・・列車が来ないって、やっぱりさみしいよねっ。

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